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知財高等裁判所 平成19年(行ケ)10410号 判決 2008年6月12日

原告

株式会社ケントジャパン

同訴訟代理人弁理士

藤沢則昭

藤沢昭太郎

被告

株式会社ハーベスト

同訴訟代理人弁理士

清原義博

坂戸敦

主文

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第1請求

特許庁が無効2006-89178号事件について平成19年10月30日にした審決を取り消す。

第2事案の概要

1  特許庁における手続の経緯

被告は,「Kent」の文字を標準文字で表して成り,指定商品を第25類「履物」とする商標登録第4853874号商標(平成12年8月31日登録出願,平成17年2月21日登録査定,同年4月8日設定登録。以下「本件商標」という。)の商標権者である。

原告は,平成18年12月27日,被告を被請求人として,本件商標の商標登録を無効にすることについて審判を請求した。特許庁は,同請求を無効2006-89178号事件として審理した結果,平成19年10月30日,「本件審判の請求は,成り立たない。」との審決をし,その謄本は,同年11月9日,原告に送達された。

2  審決は,別紙審決のとおり,本件商標は,商標法4条1項15号に違反して登録されたものではないから,同法46条1項の規定によりその登録を無効とすることはできないとした。

第3原告主張の審決取消事由

審決は,本件商標の周知著名性についての認定判断を誤り,商標法4条1項15号に違反して登録されたものではないとの誤った判断をし,その結果,本件商標の登録を無効とすることができないとしたものであり,違法として取り消されるものである。

1  著名商標「Kent」の使用の経緯

(1)  株式会社ヴァンヂャケット(以下「ヴァンヂャケット社」という。)は,紳士用の衣服及び服飾洋品雑貨の製造,販売をその業務とする株式会社であり,昭和55年12月3日に株式会社ヴァンヂャケット新社として設立され,昭和56年3月25日に社名を株式会社ヴァンヂャケットと変更して現在に至っている(甲3,4)。

ヴァンヂャケット社は,右のとおりの商標「Kent」(甲5。以下「引用商標1」という。)を本件商標の出願前から多年,紳士用の衣服及び服飾洋品雑貨に使用してきており,引用商標1は,紳士用の衣服及び服飾洋品雑貨を表示する商標として極めて著名である。

引用商標1は,英文字の大文字と小文字を組み合わせた「Kent」を横書きして成り,本件商標と同様の構成である。また両商標は,両商標から生じる「ケント」という称呼が同一である。したがって,本件商標と引用商標1は,同一又は類似の関係にある。

file_2.jpg(SIRE L > Kent(2)  引用商標1である「Kent」ブランドは,従前存在した株式会社ヴァンヂャケット(上記(1)のヴァンヂャケット社とは別会社。以下「旧ヴァンヂャケット社」という。)の商標として既に著名であった「VAN」の関連ブランドとして,昭和38年に立ち上げられたものであった。

この「Kent」ブランドは,「VAN」ブランド製品の購入者の低年齢化に着目し,いわゆる「VAN」ブランド製品の「卒業生」である20歳代後半から30歳代の男性をターゲットとしており,「Kent」ブランドの製品は,品質・価格ともに「VAN」ブランド製品よりも上という位置付けになっている(甲7の7頁,甲8の6頁)。

そして,この「Kent」ブランドの製品は,当時非常に売行きがよく,商品の量が需要に追い付かないことも度々あった。そのため,「Kent」ブランドの製品は,当初青山Kentショップ(甲7の107頁,甲10の28頁,甲12の66頁)のみで販売していたが,その後,直営店であるKAMAKURAKENTができ,銀座8丁目のテーラー・ヤマキ,東京駅の大丸,銀座松屋と販売店が増えていった。初期には,宣伝など,特にしなかったが,不思議と,口コミなどで,次第に浸透していった。

そのころの客には,俳優の菅原文太がいた。菅原自身は,よく青山Kentショップに来ていた。その後になると,俳優の高倉健,中村(その後萬屋)錦之介,女優の山本富士子なども見えるようになった。同じく俳優の石坂浩二やクレイジーキャッツの犬塚弘も,一式を「Kent」ブランドでそろえ,それを着てテレビ番組に出たりしていた(甲8の64,65頁等)。

さらに,旧ヴァンヂャケット社は,マーケティング戦略として,灰皿,パブミラー,リストウオッチ等,多岐にわたる数多くのノベルティグッズを提供した。アメリカを感じさせ,アイビーのライフスタイルを提案する,これらのノベルティグッズは,従来の景品等が持っていたイメージも質もはるかに上回っており,使うことがもったいなくて大事に保管され,持っていることが自慢となり,懸賞申込みが殺到してかつてない高倍率を記録したなど,当時非常に人気があり,手に入れることが一種のステイタスとなっていた(甲7の82頁,甲8の78,79頁,甲9,甲10の35,36頁,甲11の159頁,甲12の42,44,45頁,甲13の39,128~130頁等)。

引用商標1である「Kent」ブランドは,昭和52年ころには,「VAN」ブランドと肩を並べる人気ブランドに成長し,周知著名性を有するようになっていた(甲7,10,11,13)。

そして,少なくとも,昭和52年には,周知著名となった引用商標1は,以後,継続的に絶えることなく使用されており,その周知著名性は全く廃れていない。いったん周知著名となった商標は,消費者の心に深く刻み込まれ,忘れられないものである。特に,昭和35年から昭和55年のアイビーブームの中で青春を送ったいわゆる団塊世代の人たちは,ファッションプロデューサーの石津謙介(以下「石津」という。)が提唱した,三つボタンのエンブレム付きブレザーにボタンダウンシャツといったアイビー・ルックと,英国的でトラディショナルなイメージの「Kent」ブランドを今でもよく覚えている。そのため,近年においても,雑誌で特集され,「Kent」ブランドの製品が紹介されている(平成16年1月1日発行の甲10,平成11年8月発行の甲11)。また,石津が死去した際には,新聞で報道され,その記事には,「VAN」の主要ブランドとして,「Kent」ブランドが紹介された(平成17年5月27日付けの甲77)。

このように,いわゆる団塊の世代の人たちが,「Kent」ブランドをよく覚えており,引用商標1の周知著名性が失われていないため,後記のとおり,平成17年時点においても,イトーヨーカ堂で「Kent」ブランドの製品が販売され,よく売れていたのである。

(3)  旧ヴァンヂャケット社は,昭和53年10月12日に東京地方裁判所で破産宣告を受け,昭和59年2月10日に破産終結している(甲14)。

しかし,破産宣告を受けた後でも,法人が正式に解散するまでは,たとえその所有する財産の管理が破産管財人の管理下にあるとはいえ,破産管財人の許可を受ければ当該財産に依拠する活動は可能であり,現に昭和54年から同社の元社員で構成されたPX組合によって元の直営店や自己資金で開設した小売店で残っていた在庫品の販売が継続されていた(甲12の66頁)。

旧ヴァンヂャケット社の清算終了前の昭和55年12月3日にヴァンヂャケット社が設立され(甲3),旧ヴァンヂャケット社の保有していた知的財産権のすべてを譲り受けた(甲15の1~3)。ヴァンヂャケット社の設立者には,旧ヴァンヂャケット社の役員も名を連ねていた。ヴァンヂャケット社設立後は,上記青山Kentショップ,名古屋ヴァンショップ,大阪のヴァンガーズ等で「Kent」ブランドの製品が販売され(甲12の66,67頁,甲16の188,190頁),また,雑誌で「Kent」ブランド商品の紹介もされていた(甲16の58頁)。

そして,昭和58年6月10日,ヴァンヂャケット社は,ヴァンヂャケット社を母体として新たに設立された株式会社ケント(以下「ケント社」という。)に引用商標1の使用権を与え,ケント社に「Kent」ブランドの製品の販売を委託することとした。ケント社は,「Kent」ブランドの製品を上記の青山Kentショップ等で販売し,定期的に,雑誌等に「Kent」ブランドそのものの広告や「Kent」ブランドの製品の広告を掲載していた(甲8の9~13頁,甲17~34等。ただし,甲33は,ヴァンヂャケット社がVANグループの広告として「Kent」ブランドの広告をしたもの)。また,1年に2回,6か月ごとに「Kent」ブランド製品のカタログを作成し,それを青山Kentショップ等に来店した客等に配布していた(甲35~43)。さらに,「Kent」ブランド製品の売上げ向上のため,製品を購入した客にノベルティグッズを渡していた(甲44)。

ヴァンヂャケット社は,平成9年3月24日にケント社を吸収合併し,再びヴァンヂャケット社において「Kent」ブランド製品を販売することとした。ヴァンヂャケット社も,「Kent」ブランド製品を上記青山Kentショップ等で販売し,定期的に雑誌等に「Kent」ブランドそのものの広告や「Kent」ブランドの製品の広告を掲載していた(甲45~53)。

また,ヴァンヂャケット社も,1年に2回,6か月ごとに「Kent」ブランド製品のカタログを作成し,それをKentショップ等に来店してきた客等に配布していた(甲54~58等)。

そして,近年(平成12年以降)も,「Kent」ブランドの製品の販売が現実に行われ,それが継続している。具体的に示すと,ヴァンヂャケット社作成の「Kent」製品売上表(平成11年8月~平成18年7月)(甲59)によると,例えば,平成11年10月の売上げは8176万5000円,平成13年3月の売上げは2218万2000円,平成14年3月の売上げは662万8000円,平成15年3月の売上げは399万5000円,平成16年3月の売上げは416万7000円,平成17年1月の売上げは255万円,平成18年4月の売上げは180万円である。

(4)  ヴァンヂャケット社は,下記のアないしウの各商標の商標権者であったが,これらの商標の現在の商標権者は原告である。

ア 右のとおり,「KENT」の欧文字をやや傾斜させて横書きして成り,指定商品を別紙2のとおりとする商標登録第653109号商標(昭和38年2月12日出願,昭和39年9月16日設定登録。以下「引用商標2」という。甲60,61)。

file_3.jpg(BRED) KENTイ 右のとおり,「ケント」の片仮名文字と「KENT」の欧文字とを二段に横書きして成り(「ケント」の文字は,やや丸みを帯びた文字をもって表されている。),指定商品を第21類「装身具,ボタン類,かばん類,袋物,宝玉及びその模造品,造花,化粧用具」とする商標登録第836101号商標(昭和38年12月25日出願,昭和44年10月29日設定登録。以下「引用商標3」という。甲62,63)。

file_4.jpgUREA)ウ 右のとおり,「ケント」の片仮名文字を横書きして成り,指定商品を第25類「運動用特殊衣服」とする商標登録第3031467号商標(平成4年5月8日出願,平成7年3月31日設定登録。以下「引用商標4」という。甲64,65)。

file_5.jpg“(SIRSEIE A) Tukこれら引用商標2ないし4の商標権には,専用使用権が地域や内容を限定せずに設定されており,専用使用権者は,株式会社ビイエムプランニング(以下「ビイエムプランニング」という。)である。ビイエムプランニングは,ヴァンヂャケット社に対し,引き続き引用商標2ないし4を使用できるように「Kent」ブランドの使用権を与えるとともに,総合スーパーマーケットのイトーヨーカ堂に対し,平成13年2月から,肌着やスーツといった男性用の被服等について「Kent」ブランドを使用することを認め,イトーヨーカ堂から毎月ロイヤルティーを受け取っている(甲66)。

イトーヨーカ堂の「Kent」ブランド商品の仕入れ枚数と仕入れ原価は,平成13年度が38万1461枚で6億4715万9000円,平成14年度が47万8379枚で7億2548万8000円,平成15年度が28万3706枚で5260万3000円,平成16年度が81万9945枚で18億2930万5000円,平成17年度が104万2576枚で24億7182万4000円,平成18年は同年8月までが10万7947枚で2億6693万7000円であった。なお,引用商標3の商標権に設定されているビイエムプランニングの専用使用権は平成17年8月31日まで(甲63),引用商標4の商標権に設定されているビイエムプランニングの専用使用権は同年3月31日まで(甲65)であるが,ビイエムプランニングと原告は同族会社であり,ビイエムプランニングとイトーヨーカ堂との使用許諾契約は,現在も有効に存続している。

(5)  イトーヨーカ堂は,平成13年から,新企画として撥水性の高い「ナノテク衣料」,オーダースーツを5日間で仕立てる「マイスーツ5日間仕立て」,「まじめに・ていねいに・しっかりつくるメード・イン・ジャパン企画」を打ち出して(甲67),被服類を販売している。上記「ナノテク衣料」には,「Kent」ブランドのジャケット,綿パンツ,シャツ等も含まれている(甲68)。また,「マイスーツ5日間仕立て」対象のブランドには「Kent」ブランドも含まれている(甲67)。さらに,「まじめに・ていねいに・しっかりつくるメード・イン・ジャパン企画」では,綿織物の産地として有名な兵庫県の西脇で「Kent」ブランドのシャツを製造販売している(甲69)。さらにまた,イトーヨーカ堂は,「Kent」ブランドを,「VAN・JUN」世代=団塊世代をターゲットにしたトラディショナル最重要ブランドと位置付けており,平成16年秋冬から,素材変更などでグレード感を上げ,価格を「量販店ゾーン」よりも上に明確に据え直し,売り方も専任販売員を付けて対面販売に移行した(甲70,71)。

このようなイトーヨーカ堂における「Kent」ブランドの男性用被服等の販売は,各地にあるイトーヨーカ堂の店舗の近隣住民に対し,定期的に折込みチラシを配って宣伝を精力的に行ったこともあって(甲72~75),好調で,「Kent」ブランドのトランクスが週に4000~5000枚売れており(平成17年1月6日現在。甲76),「Kent」ブランドの商品の売上高が前期比3割増しのペース(甲77の平成17年5月27日時点)であった。

このように,平成17年においても,「Kent」ブランドの商品がイトーヨーカ堂でよく売れているのは,「Kent」というブランドの名称を,特にいわゆる団塊の世代と呼ばれる人たちが明確に覚えており,英国的でトラディショナルといった「Kent」ブランドの独自のイメージを明確に有している証拠である。イトーヨーカ堂も「Kent」ブランドが男性用の被服等の分野において,平成13年の時点で周知著名であると判断したからこそ,ビイエムプランニングから「Kent」ブランドの使用許諾を受ける気になったものである。

イトーヨーカ堂は,プライベートブランドの見直しに伴い,平成18年は「Kent」ブランドの製品の販売を中止していたが,再開を望む声が強く,平成19年3月からららぽーと横浜店での販売を再開し(甲80,81),同年4月中に30ショップ,同年5月に20ないし30ショップをつくり,初年度は80ショップを設けることになっていた(甲82)。

(6)  引用商標1にかかわる原告保有の引用商標2ないし4の権利主体が変更されても,「Kent」ブランドは,ヴァンヂャケット社やケント社によって継続的に使用されており,「Kent」ブランドにはグッドウィルが形成されている。そして,イトーヨーカ堂も,これまでヴァンヂャケット社等によって形成された「Kent」ブランドのグッドウィルを利用して「Kent」ブランドの製品を販売しているため,当然,「Kent」ブランドのグッドウィルを害さないように注意して使用している。

需要者にとっては,「Kent」ブランドの権利主体がだれであるかということはさほど重要ではなく,「Kent」ブランドが一定のコンセプトの下でグッドウィルを継承しつつ製造・販売されていればよいことである。

(7)  したがって,このように,引用商標1は,昭和38年から現在まで旧ヴァンヂャケット社及びヴァンヂャケット社に使用されてきたものであり,また,平成13年からは,同時にイトーヨーカ堂に使用されているものであり,本件商標の出願時である平成12年8月31日時点においても,また,現在においても,引用商標1の周知著名性は維持されているものである。

2  本件商標の無効理由

(1)  引用商標1は,本件商標出願前である昭和38年に使用が開始され,周知著名となっており,本件商標出願時である平成12年8月31日時点においても,継続的な使用によってその周知著名性は維持されていたものであって,現在においても維持されている。また,上述したとおり,引用商標1と本件商標は,同一又は類似関係にある。

(2)  引用商標1は,「被服」等の商品に使用されているが,前述したとおり,引用商標1は,周知著名商標であるため,引用商標1を「靴」に使用しても,本件商標を見たり聞いたりした者は,引用商標1の「Kent」ブランドの商品である,あるいは「Kent」ブランドと何らかの関連性を有する商品である,と誤って認識するものである。

その理由は,多くの服飾メーカーが,被服だけでなく,靴や傘・かばん等にまで同一ブランドの下に商品を製造販売し,同一デザインや同一コンセプトを生かしたトータルファッションを提供するという商品展開を行っており,これらの商品は密接に関係しているからである。例えば,「COMME CA DE MODE」(コムサ・デ・モード),「Burberrys」(バーバリー),「CHANEL」(シャネル),「LOUIS VUITTON」(ルイ・ヴィトン),「GUCCI」(グッチ)等がそうである(例えば,グッチについて甲78の182~185頁)。また,グッチほど著名なブランドでなくとも,被服だけでなく,靴や傘・かばん等にまで同一ブランドの下に商品を製造販売し,同一デザインや同一コンセプトを生かしたトータルファッションを提供することは,服飾メーカーにとって一般的なことである(甲78の215頁)。

(3)  また,こういったトータルファッションを提供する服飾メーカーが,自己ブランドについて,「被服」を指定して商標登録を受けるだけでなく,「靴」についても別個に商標登録を受けることは一般的なことである(その例として,甲106~129の各1,2)。

(4)  さらに,ブティックや服飾専門店で,衣服やベルト,ネクタイピン等の服飾用品雑貨とともに,靴,傘,かばんが一緒に販売されていることは周知の事実である(甲79)。

一般の衣服ファッション雑誌においても,衣服の紹介とともに,それに合わせる靴や傘・かばんも,トータルコーディーネイトを提案する意味で,一緒に紹介されることはよく行われている(その例として,甲78の33,133頁)。

(5)  さらにまた,他の事件の審決(昭和58年審判第15251号,甲130)においても,「近時は,ドレスやコートだけでなく帽子,くつ,バッグなどのアクセサリーに至るまで同色,同素材で全体的に統一したり,素材や色の違うものでも,そこに一貫したまとまりが感じられるファッションが流行しており,それを『トータルファッション』又は『トータルルック』と称呼していることは『田中千代「服飾事典」<新増補版>同文書院刊1981年4月25日発行第585頁』および『コンサイス外来語辞典<第4版>三省堂編修所-編1987年4月1日発行610頁』等の記載に徴して明らかである。しかして,引用商標の使用商品は『ニットウェアー,セーター』であるのに対して,本願商標の指定商品中には『ニットウェアー,セーター』と上記意味合を有するトータルルック,あるいはトータルファッションの面から見て互いに密接な関係のある『靴』が含まれているものであるから,本願商標は,これをその指定商品中『靴』について使用するときは,前審異議申立人会社と経済的,若しくは組織的に何等かの関係を有するものの業務に係る商品であるかの如く,その商品の出所について混同を生ずるおそれがあるものであるとするのが相当である。」と判断している。

上記審決は,要するに,「ニットウェアー,セーター」等の被服と「靴」は,トータルルック,あるいはトータルファッションの面から見て互いに密接な関係があり,被服について取引者,需要者間に広く認識されている商標を,「靴」について使用すると出所について混同を生ずるおそれがあると判断している。

また,国語辞典(甲131)や外来語辞典(甲132)にも,「トータルルック」の記載があり,それによると,トータルルックとは,衣服を主体に帽子・靴・アクセサリーなどが全体として一貫性をもった装いであり,トータルファッションと同義語である。

したがって,被服と靴とは,トータルルック又はトータルファッションの面から見て,互いに密接な関係がある,といえる。

第4被告の反論

本件商標の登録出願時においても,登録査定時においても,引用商標1は,「被服」について周知著名性を具備しておらず,本件商標を指定商品である「履物」に使用した際,それに接する一般の需要者が原告会社といった特定の出所を直ちに連想又は想起するとは認められず,本件商標は,商標法4条1項15号に該当するものではない。

1  引用商標1は,本件商標登録出願時及び登録査定時のいずれにおいても,周知著名性を有していたとは認められない。

また,商標法4条1項15号に掲げる商標に該当するか否かの判断は,商標登録出願時及び登録査定時の両時点において判断されるものであるから(商標法4条3項),引用商標1の本件商標登録査定時以降の著名性については検討する余地はないことになる。

(1)  本件商標登録出願時(平成12年8月31日)における引用商標1の著名性について

本件商標登録出願時までの証拠は,甲7ないし9,11ないし13,16ないし58である。

ア このうち,甲7及び13は本件商標登録出願時の5ないし7年前,甲8,12及び16はその約20年前に発行されたものであって,いずれも,本件商標登録出願時より相当以前に発行されたものである。甲9及び11は,本件登録出願時の1年前に発行されたものであるが,その内容は,1960年から1970年代のころについて書かれたものである。

そして,これらの証拠は,いずれも本件商標に係る商品とは関係のない記事であり,かつ,「Kent」ブランドの宣伝広告ではない。

イ 甲17ないし34,45ないし53の証拠からは,「Kent」ブランドが雑誌に宣伝広告されていた期間は,昭和62年から平成10年であること,その雑誌のほとんどが「MEN'S CLUB」であることが看取できるところ,同雑誌の発行部数は明らかにされていない。また,その掲載回数については,多い年は年4回,少ない年は年1回,掲載されていない年も2回あり,掲載頁数は,1頁又は2頁であって,具体的な商品とは関係のない掲載も多い。

また,本件商標登録出願時である平成12年及びその前年である平成11年には,一度も雑誌掲載されておらず,平成11年から,ヴァンヂャケット社は,自社カタログを除いて,雑誌等にほとんど宣伝広告を行っていない事実が推認される。

ウ 甲35ないし43,54ないし58の自社カタログについては,すべて平成11年までに発行されたものであり,発行はおおむね年1回である。そして,本件商標登録出願時である平成12年以降は,カタログをもって積極的に宣伝広告された事実は見当たらない。

また,同カタログにつき,原告は,青山Kentショップ等に来店した客等に配布していたと述べるのみで,配布を行った店,配布部数等は一切明らかにされておらず,その普及度は不明である。

さらに,これらのカタログを手にするのは,青山Kentショップに来店した者に限られることからすれば,その発行部数は,さほど多いものとは考えられず,広範囲にわたるものでもない。

以上によれば,引用商標1は,本件商標の登録出願時に周知著名であったとは認められない。

(2)  本件商標登録査定時における引用商標1の著名性について

本件商標登録出願時(平成12年8月31日)以降登録査定時(平成17年2月21日)までの証拠は,ヴァンヂャケット社による宣伝広告については平成16年の甲10のみ,イトーヨーカ堂については平成16年の甲67,68,70,72ないし76の8件のみであり,これらのごく限られた証拠をもって,本件商標の登録査定時に引用商標1が著名であったとは到底認められない。

すなわち,甲68,72ないし75のイトーヨーカ堂のチラシについては,甲68は発行年月日不明,甲72ないし75につき,原告は「近隣の住民に配って宣伝を精力的に行った」と述べるのみで,どの程度の規模,範囲において頒布されたのか一切明らかにされておらず,毎日多くのチラシが折り込まれる中,平成16年5月から同年7月までの2か月という短期間のたった4回のチラシ広告の中の小さな掲載が大きな宣伝効果を有していたとは考え難い。甲59(「Kent」製品売上表)によっても,本件商標登録査定時である平成17年2月時点の売上げは約168万円と僅少である。甲67,70及び76についても,その内容から業界向けの新聞であることが推認できるが,関心のある者又は購読を希望する者の数はある程度限られている。また,甲67については,他のブランドとともに,左下に小さく「ケント」と記載されているだけで,「Kent」ブランドの宣伝広告ではなく,甲76については「下着」であるトランクスの売行きに関する記事である。

以上のとおり,「Kent」ブランドは,平成11年以降平成16年5月に至る5年間,全く宣伝広告されておらず,平成16年以降のたった8件という数少なく,かつ,散発的な広告,詳細が明らかでない証拠及び僅少の売上金額を総合して判断しても,「Kent」ブランドが本件商標の登録査定時において周知著名であったとは認められない。

なお,原告が商標権者である引用商標2ないし4については,その商標権者は,石津,ヴァンヂャケット社,三井物産株式会社など何度も変更されており,原告にこれらの商標権が移転登録されたのは,いずれも本件商標の登録査定時以降のことであった(甲61,63,65)。したがって,仮に昭和52年当時において「Kent」ブランドが著名であったとしても,権利主体の変更が激しい引用商標1について,原告が主張する「Kent」ブランドのグッドウィルが承継されているとは到底認められず,引用商標1は,本件商標の登録査定時において,原告会社といった特定の出所を想起させるほどに一般の取引者,需要者の間に広く認識されるに至っていたとはいえない。

したがって,引用商標1は,本件商標の登録出願時においても,登録査定時においても,周知著名性を具備していたとは認められない。

2  混同を生ずるおそれについて

(1)  「被服」と「靴」とは,特許庁の商品区分上異なる類に分類されており,非類似である。

(2)  仮に「被服」と「靴」とがトータルファッションの観点から関連性を有する商品であるとしても,上記1のとおり,本件商標の登録出願時においても,登録査定時においても,引用商標1は,「被服」について周知著名であったとは認められないので,本件商標を使用しても,商品の出所について混同を生じさせるおそれはない。

(3)  また,「KENT\ケント」の文字から成る商標登録第1294845号(指定商品:第22類「はき物(運動用特殊ぐつを除く),その他本類に属する商品」)及び「Kent」の文字から成る商標登録第1879769号(指定商品:第22類「はき物(運動用特殊靴を除く),その他本類に属する商品」)は,それぞれ昭和42年12月26日,昭和59年3月27日に旧ヴァンヂャケット社及びヴァンヂャケット社とは無関係の株式会社内田洋行により出願され,「Kent」ブランドと出所の混同を生じるとの認定を受けておらず,それぞれ昭和52年8月30日,昭和61年7月30日に登録となっている。

すなわち,原告が,「Kent」ブランドが最も著名であったと主張する昭和30年から50年代の時期ですら,特許庁において,商標「Kent」は,商標法4条1項15号に該当しない商標であると判断され,かつ,上記商標が取り消されるまでの約24年もの間,「Kent」ブランドと出所の誤認混同を生じることなく存在していた。

そして,旧ヴァンヂャケット社,ヴァンヂャケット社及び原告が,24年間,上記商標を漫然と放置していたことは,これらの会社自身が,出所の混同を生じないと認識していたからにほかならない。

(4)  なお,原告は,甲78,79,106ないし132を提出し,「被服」と「靴」がトータルファッションの観点から密接な関係を有する商品であることを主張するが,「履物」と「被服」が関係を有する商品であることを考慮したとしても,本件商標の使用は,引用商標1に係る商品と出所の混同を生じさせるおそれはないと判断される。

第5当裁判所の判断

1  引用商標1の使用者等について

証拠(甲3,4,7~14,15の1~3,甲16,60~66)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実を認めることができる。

(1)  石津は,昭和26年ころに大阪で服飾会社である有限会社ヴァンヂャケットを設立し,昭和30年ころには東京へ進出し,同社を株式会社化(株式会社ヴァンヂャケット。以下「旧々ヴァンヂャケット社」という。)し,昭和35年ころから,大学生及び若手サラリーマン向けの製品として,「VAN」ブランドで,アメリカ東部のアイビー・リーグの学生の間に生まれた流行を取り入れた服装であるアイビー・スタイルの服等を発売した。

(2)  旧々ヴァンヂャケット社(及び後記(3)の旧ヴァンジャケット社)は,昭和30年代中ころから昭和50年代にかけて,「VAN」ブランドを使用し,我が国における若者を中心とする紳士用ファッション分野をリードした企業として,我が国において著名となっていた。

旧々ヴァンヂャケット社は,「VAN」製品の購入者の低年齢化に着目し,「VAN」製品の「卒業生」である20歳代後半から30歳代の男性を主なターゲットとする被服等として,アメリカ東北部を中心に発展したトラディショナル・ルックを基に,英国のカントリー・ルックやスポーツウェアーなどの要素を加えたシリーズとして,昭和38年に「Kent」ブランドを立ち上げた。

「Kent」の名称は,健康で明るいアメリカのキャンパス・ルックの「VAN」に対し,もっと大人っぽい,より本格的な紳士の服装の象徴として,イングランド南東端にある風光の美しいケント(Kent)州のイメージが商品イメージと結び付くと考えられて付けられた。

「Kent」製品は,当初,直営店である「青山Kentショップ」で販売され,その後,直営店であるKAMAKURAKENT,銀座8丁目のテーラー・ヤマキ,東京駅の大丸百貨店,銀座松屋等と販売店が増えていき,昭和40年から昭和50年代にかけて,ファッションに関心を持つ男性を中心に一定程度知られるようになった。

(3)  昭和49年4月,旧ヴァンヂャケット社(旧商号・株式会社鳥取観光温泉)は,旧々ヴァンヂャケット社を合併するとともに(甲14),商号を「株式会社ヴァンヂャケット」に変更し,旧々ヴァンヂャケットの事業を継承した(以下,旧々ヴァンヂャケット社及び旧ヴァンヂャケット社を併せて「旧ヴァンヂャケット社」ということがある。)。

(4)  旧ヴァンヂャケット社は,昭和53年10月12日,東京地裁において破産宣告を受け,昭和59年2月10日に破産終結した(甲14)。

しかし,旧ヴァンヂャケット社の従業員で構成された組合等によって,旧ヴァンヂャケット社の在庫品の販売が継続された。そして,昭和55年12月3日にヴァンヂャケット社が設立され(甲3,4),ヴァンヂャケット社は,昭和55年から56年にかけて,旧ヴァンヂャケット社の保有していた知的財産権のすべてを譲り受けた(甲15の1~3)。

昭和56年以降,ヴァンヂャケット社によって,「Kent」製品は,引き続き,青山Kentショップ,名古屋のヴァンショップ,大阪のヴァンガーズ等の店舗で販売されていた(甲16)。

(5)  昭和58年6月,ヴァンヂャケット社は,ヴァンヂャケット社を母体として設立されたケント社に引用商標1の使用権を与え,ケント社に「Kent」製品の販売を委託したが,平成9年3月ころからは,再び,ヴァンヂャケット社において「Kent」製品を販売することになった。

(6)  ヴァンヂャケット社は,平成12年10月からビイエムプランニングに対し,引用商標2ないし4の専用使用権を付与し(甲61,63,65),ビイエムプランニングは,ヴァンヂャケット社に対し,引き続き引用商標2ないし4を使用できるように「Kent」標章の使用権を与えるとともに,イトーヨーカ堂に対し,平成13年ころ以降,肌着やスーツといった男性用の被服等について「Kent」標章を使用することを認め,イトーヨーカ堂からロイヤルティーを受け取っている(甲66)。

2  引用商標1の使用状況等

証拠上認定できる,本件商標が登録出願された平成12年8月31日までにおける引用商標1の使用状況等は,次のとおりである。

(1)  雑誌記事等における記載

ア 「別冊MEN'S CLUB アイビー PART-1 ブランド・カタログ」(婦人画報社・昭和56年6月25日発行)(甲16)において,「VAN」とともに,「Kent」の紹介がされている。

イ 「Hot・Dog PRESS」(講談社・昭和56年8月10日発行)(甲12)において,「ぼくたちのアイビーの原点 いまこそVAN精神を学びたい!」との特集において,昭和30年代から旧ヴァンヂャケット社の倒産及びその後の対応に至るまでの旧ヴァンヂャケット社や「VAN」製品の話題が記載され,その中で,関連ブランドである「Kent」ブランド,「Kent」製品等についても記載されている。

ウ 「KENT BOOK 永遠のトラッド・ブランド」(くろすとしゆき著・立風書房・昭和60年6月15日発行)(甲8)において,「Kent」ブランドが立ち上げられた昭和38年から昭和45年ころまで旧ヴァンヂャケット社に在籍して「Kent」製品の担当をしていた「くろすとしゆき」によって,同人が旧ヴァンヂャケット社に在籍していたころの話題を中心として,「Kent」ブランドの生い立ち,「Kent」製品等について記載されている。

エ 「VANヂャケット博物館」(扶桑社・平成5年7月30日発行)(甲13)において,過去を振り返る形で,当時の「VAN」製品とともに,「Kent」製品及びノベルティグッズが記載されている。

オ 「THE EVERLASTING IVY EXHIBITION 1995」(日本経済新聞社・平成7年発行)(甲7)において,日本におけるアイビー・ファッションの展開の記事中において,「Kent」ブランドが誕生した経緯,「Kent」の過去の製品,ノベルティグッズ等が記載されている。

カ 「OLD BOY. SPECIAL 永遠のVAN」(枻出版社・平成11年5月20日発行)(甲9)において,かつての「Kent」製品及びノベルティグッズの紹介がされている。

キ 「Goods Press」平成11年8月号(徳間書店・甲11)において,1960年代の製品として,「VAN」製品と並べて「Kent」製品が紹介されている。

ク 季刊誌「街ぐらし」(平成16年冬号)(エフジー武蔵・平成16年1月1日発行)(甲10)において,「ケントショップ青山」及び「Kent」製品の紹介記事が掲載されているが,同誌の記事の主たる内容は,過去における「VAN」ブランド及び製品についての話題並びにノベルティグッズの紹介とともに,過去の「Kent」のノベルティグッズの紹介がされている。

(2)  ケント社は,以下のアないしエの各雑誌に,引用商標1や「Kent」ブランドの製品の広告を掲載した(ただし,甲33及び34は,ヴァンヂャケット社がVANグループの広告として「Kent」ブランドの広告をしたものである。)。

ア 上記(1)ウの「KENT BOOK 永遠のトラッド・ブランド」(昭和60年6月15日発行。甲8)。

イ 月刊誌である「MEN'S CLUB」(婦人画報社)の昭和62年4月号(甲17),同年5月号(甲18),同年9月号(甲19),同年11月号(甲20),昭和63年4月号(甲21),同年6月号(甲22),平成元年12月号(甲23),平成2年2月号(甲24),同年9月号(甲25),同年11月号(甲26),平成3年7月号(甲27),同年9月号(甲28),同年10月号(甲29),平成4年9月号(甲30)及び同年10月号(甲31)。

ウ 上記(1)オの「THE EVERLASTING IVY EXHIBITION 1995」(平成7年)(甲7)。

エ 「別冊MEN'S CLUB 男のスタイルブック'96」(婦人画報社・平成7年11月1日発行)(甲32)及び「別冊MEN'S CLUB 男のスタイルブック'97」(婦人画報社・平成8年11月20日発行)(甲33)。

オ 月刊誌「MEN'S EX(メンズ エクストラ)」(世界文化社)の平成8年12月号(甲34)。

(3) ケント社は,「Kent」ブランド製品のカタログとして,「1987 Fall&Winter KENT Collection KENT ism」(昭和62年発行。甲35),「1988 Spring&Summer KENT Collection KENT ism」(昭和63年発行。甲36),「Kent ism '89 Fall KENT Collection」(平成元年。甲37),「KENT FALL and WINTER '93-'94」(平成5年発行。甲38),「AUTHENTIC&WINTER MARINE Fall&Winter '94」(平成6年発行。甲39),「KENT COLLECTION SPRING&SUMMER 1995」(平成7年発行。甲40),「KENT COLLECTION FALL&SUMMER '95-'96」(平成7年発行。甲41),「SPRING&SUMMER COLLECTION 1996 KENT TIMES」(平成8年発行。甲42)及び「FALL and WINTER COLLECTION '96-'97 KENT TIMES」(平成8年発行。甲43)を作成し,青山Kentショップ等への来店者に対して配布していた。

また,ケント社は,昭和60年ころ,引用商標1が記された販売促進用等のノベルティグッズのカタログを作成していた(甲44)。

(4)  平成9年3月ころ以降,再び「Kent」製品を販売することになったヴァンヂャケット社は,以下のアないしエの各雑誌に,引用商標1や「Kent」ブランドの製品の広告を掲載した。

ア 月刊誌である「MEN'S CLUB」(婦人画報社)の平成9年4月号(甲45),平成9年12月号(甲48)及び平成10年4月号(甲50)。

イ 月刊誌である「Men's EX(メンズ エクストラ)」(世界文化社)の平成9年6月1日号(甲46),平成10年1月号(甲49)及び同年4月号(甲51)。

ウ 「別冊MEN'S CLUB 男のスタイルブック'98」(婦人画報社・平成9年11月10日発行)(甲47)及び「別冊MEN'S CLUB 男のスタイルブック'99」(婦人画報社・平成10年11月10日発行)(甲52)。

エ 月刊誌「ASAYAN(アサヤン)」(ぶんか社・平成10年12月1日発行。甲53)。

オ 上記(1)カの「OLD BOY.SPECIAL 永遠のVAN」(枻出版社・平成11年5月20日発行)(甲9)。

(5) ヴァンヂャケット社は,「Kent」ブランド製品のカタログとして,「SPRING&SUMMER COLLECTION 1997」(平成9年発行。甲54),「'97 FALL&WINTER COLLECTION」(平成9年発行。甲55),「'98 SPRING&SUMMER COLLECTION」(平成10年発行。甲56),「KENT ARENA TIMES FALL&WINTER COLLECTION '98-'99」(平成10年発行。甲57)及び「'99 SPRING&SUMMER KENT COLLECTION」(平成11年発行。甲58)を作成し,青山Kentショップ等への来店者に対して配布していた。

3  「Kent」製品の売上高

ヴァンヂャケット社による平成11年8月から平成18年7月までの「Kent」製品の売上高は,別紙3の「Kent」製品売上表のとおりであって,平成11年8月から同年12月までは約3億円,平成12年は約2億円(同年8月のマイナス額を除くと約2億2500万円)であったが,その後は毎年減額し続け,平成13年は約8400万円,平成14年は約5000万円,平成15年は約3700万円,平成16年は約2400万円であった(甲59)。

4  「現代用語の基礎知識」(自由国民社)の証拠として提出されている昭和41年版(甲85),昭和44年版(甲86),昭和47年版(甲87),昭和50年ないし昭和52年版(甲88~90),昭和54年版(甲91),昭和56年版(甲92),昭和59年版(甲93),昭和62年版(甲94),平成2年版(甲95),平成4年版(甲96),平成6年版(甲97),平成9年版(甲98),平成11年版(甲99),平成12年版(甲100),平成14年版(甲101)及び平成16年版(甲102)のうち,少なくとも昭和44年版,昭和47年版,昭和50年版及び昭和51年版には,「VAN」につき,ヤングマンを対象にしたメンズ・ウェア・メーカーなどとの記載がされているが,上記各年版(甲85~102)のいずれにも,「ケント」又は「Kent」についての記載はない。

5  イトーヨーカ堂による「Kent」製品の取扱い

(1)  イトーヨーカ堂は,平成13年ころに引用商標2ないし4の専用使用権者であるビイエムプランニングから「Kent」ブランドの使用許諾を受け,イトーヨーカ堂のいわゆるナショナルプライベートブランド(NPB。アパレル・メーカーが百貨店や専門店などの小売店と共同で開発した商品に付けられたブランド。)商品として,「Kent」ブランドの製品を販売しており,そのための「Kent」ブランド商品の仕入れは,①平成13年が,仕入れ38万1461枚,仕入れ原価6億4715万9000円,②平成14年度が,仕入れ47万8379枚,仕入れ原価7億2548万8000円,③平成15年度が,仕入れ28万3706枚,仕入れ原価5260万3000円,④平成16年度が,仕入れ81万9945枚,仕入れ原価18億2930万5000円,⑤平成17年度が,104万2576枚,仕入れ原価24億7182万4000円,⑥平成18年度分のうち同年8月まで分が,仕入れ10万7947枚,仕入れ原価2億6693万7000円であった(甲66,67,70,76)。

(2)  イトーヨーカ堂は,平成16年3月(甲68),同年5月(甲72),同年6月(甲73,74)及び同年7月(甲75)の各新聞折込みチラシ並びに平成17年6月22日付けの読売新聞広告(甲69)において,「ケント」や引用商標1である「Kent」の表示を付した商品を掲載しているが,同表示は,チラシ中の多数の掲載商品の中の一部の商品についてかなり小さく記載されている。

(3)  ①ファッションビジネス業界を対象とする繊研新聞平成16年3月1日付け(甲67),②新聞(新聞名不明)同年9月11日付け(甲70)及び平成17年1月6日付け(甲76),③流通業界等を対象とする日経MJ(流通新聞)同年5月27日付け(甲77),④新聞(新聞名不明)平成18年12月19日(甲81)において,イトーヨーカ堂の取扱商品の記載として,「ケント」ブランドが紹介されている。

6  ところで,過去のある時点において当該商標が周知著名であったか否かの判断をするに当たっては,当該商標に係る取引の実情,広告宣伝の事実,書籍への掲載等を見ることが考えられるところ,上記1及び2の事実によれば,「VAN」ブランドの関連ブランドとして立ち上げられた「Kent」ブランドに係る引用商標1は,昭和40年から昭和50年代にかけて,主にアイビー・ルックやトラディショナル・ルック等のファッションに関心を持つ20歳代,30歳代の男性を中心に一定程度知られるようになっていたことが推認されるが,他方,旧ヴァンヂャケット社が破産宣告を受けた昭和53年までの時点につき,「Kent」商品の売上高,広告宣伝の事実,書籍への掲載についてのこれといった証拠は存在しない。

そうすると,「Kent」ブランドが立ち上げられた昭和38年ころから旧ヴァンヂャケット社が破産した昭和53年までの時点においては,引用商標1が,主に20歳代,30歳代の男性のうちファッションに関心を持っていた者らを中心に認知されていたことは推測されるものの,周知著名であったとまでは認め難い。

7  次に,旧ヴァンヂャケット社が破産した昭和53年から本件商標の登録出願がされた平成12年8月時点までをみると,以下のとおりである。

(1) 「Kent」ブランド及び「Kent」製品に関する記事が掲載された雑誌としては,前記2(1)アないしキのとおり,昭和56年から平成11年までの約18年間に7誌であって,昭和56年に「別冊MEN'S CLUB アイビー PART-1 ブランド・カタログ」(甲16)及び「Hot・Dog PRESS」(甲12)に記載された後,昭和60年の「KENT BOOK 永遠のトラッド・ブランド」(甲8),平成5年の「VANヂャケット博物館」(甲13),平成7年の「THE EVERLASTING IVY EXHIBITION 1995」(甲7)並びに平成11年の「OLD BOY.SPECIAL 永遠のVAN」(甲9)及び「Goods Press」平成11年8月号(甲11)と,同年に発行されたものが2誌ずつあるほかは,その発行間隔もかなりの年月がある。

(2) 前記2(2)及び(4)によれば,ケント社又はヴァンヂャケット社は,昭和60年から平成11年にかけて,引用商品1や「Kent」ブランドの製品の広告を掲載しているが,昭和61年,平成5年,平成6年には,同広告が掲載されたことを認めるに足りる証拠はない。また,同広告の掲載は,昭和62年から平成10年にかけての「MEN'S CLUB」(婦人画報社)に集中しており,広くファッション雑誌各誌において継続的に広告がされたとは認め難い。

(3)  前記2(3)及び(5)によれば,ケント社又はヴァンヂャケット社は,昭和62年から平成11年にかけて「Kent」ブランド製品のカタログを発行しているが,平成2年ないし平成4年はその発行を認めるに足りる証拠はない。

以上によれば,旧ヴァンヂャケット社の破産後ころから本件登録出願時まで,旧ヴァンヂャケット社からその保有する商標権を譲り受けたヴァンヂャケット社等によって,継続して引用商標1が被服等に使用され,「Kent」製品の販売が行われてきたことが認められるが,他方,雑誌等において「Kent」ブランド及び製品に係る記事が掲載された回数はそれほど多いものではないこと,これに加え,前記2(1)のとおり,その記事の内容も,「VAN」ブランドとの関連で,昭和30年代から昭和50年代にかけての「Kent」ブランド,製品等を紹介して回顧するという内容のものがほとんどであること,その他前記1,2及び4の各認定事実に照らすと,本件商標の登録出願時である平成12年8月31日時点において,引用商標1が周知著名であったとは認め難い。

8  さらに,本件商標の登録査定時である平成17年2月21日時点についてみるに,上記の登録査定時までの事実関係に加え,①前記3のとおり,ヴァンジャケット社における「Kent」製品の売上高は,平成12年の約2億円(同年8月のマイナス額を除くと約2億2500万円)以降毎年減少し続け,平成16年では約2400万円となっていたものであって,取引が縮小していること,②本件商標の登録出願がされた平成12年8月31日以降において発行された雑誌等における「Kent」ブランド及び製品が紹介されたものとして,前記2(1)クの雑誌(甲10)があるが,その主たる内容は,過去における「VAN」ブランド,製品等の話題とともに過去の「Kent」のノベルティグッズが紹介されているというものであることなどに照らすと,本件商標の登録査定時である平成17年2月21日時点においても,引用商標1が周知著名であったとは認め難い。

9  なお,前記5(1)のとおり,平成13年以降,イトーヨーカ堂が,「Kent」ブランドの使用許諾を受け,ナショナルプライベートブランドとして「Kent」ブランドの製品を販売し,相応の売上げがあることが認められるが,総合スーパーマーケットであるイトーヨーカ堂の規模等から推測される被服等の売上げの全体額との対比,イトーヨーカ堂のナショナルプライベートブランドとしての信頼感に基づく販売促進効果があることなどを考えると,たとえ,イトーヨーカ堂が,「Kent」ブランドの使用許諾を受けるに当たり,かつての20歳代,30歳代のころにファッション等に関心があった団塊の世代の男性等に対する訴求効果をも考えていたとしても,上記売上げの事実をもって,「Kent」ブランドや引用商標1が,従前から周知著名であったとも,平成13年以降本件商標の登録査定時である平成17年2月21日までに周知著名性を獲得していたとも,直ちにいえるものではない。

また,前記5(2)のとおり,イトーヨーカ堂が,本件商標の登録査定時である平成17年2月21日までの期間に,新聞折込みチラシにおいて「ケント」や「Kent」の表示を付した商品を掲載しているが,同表示は,チラシ中の多数の掲載商品の中の一部の商品について小さく記載されているものにすぎず,これらの記載によって,本件商標の登録査定時までに引用商標1の周知著名性が獲得されたとは考え難い。

さらに,前記5(3)のとおり,平成16年,平成17年において,業界新聞等に「ケント」商品が紹介されているが,これら新聞等の購読者は,ファッション等の業界関係者が中心であって,被服等を購入する一般消費者とは異なるものであること,これらの記事中には,イトーヨーカ堂の衣料品販売の営業を紹介する中で,イトーヨーカ堂が扱うブランドの一つとして「ケント」ブランドが記載されているというものもあり,これらの記事によって,本件商標の登録査定時までに引用商標1の周知著名性が獲得されたとは考え難い。

10  本件商標と引用商標1との対比及び混同のおそれ

本件商標と引用商標1とは,いずれも,英文字の大文字と小文字を組み合わせた「Kent」を横書きして成り,また,「ケント」の称呼を有し,英国の州名「ケント」又は欧米の男子の名である「ケント」の観念を有する類似の商標であるということができる。

しかしながら,上記のとおり,本件商標の登録出願及び登録査定のいずれの時点においても,引用商標1が周知著名であったとは認められないこと,「Kent」は地名又は人名として独創性に欠けるものであることに照らすと,本件商標の指定商品である「履物」と原告の業務に係る「被服」等とがトータルファッションという面からみて密接な関連を有する商品であることを考慮したとしても,被告が本件商標をその指定商品に使用したときに,これに接する取引者及び需要者をして,当該商品が原告又は原告と関係を有する者の業務に係る商品であると誤信されるおそれがあるとはいえず,本件商標の登録は,商標法4条1項15号に違反してされたものということはできない。

11  結論

以上によれば,審決が,本件商標の登録が商標法4条1項15号に違反しないと判断したことに誤りはなく,原告主張の取消事由は理由がない。よって,原告の請求は棄却を免れない。

(裁判長裁判官 塚原朋一 裁判官 本多知成 裁判官 田中孝一)

別紙2

1 当初の指定商品:第17類「被服,布製身回品,寝具類」

2 平成17年11月9日,指定商品の書換登録

書換後の指定商品:第16類「紙製幼児用おしめ」,第20類「クッション,座布団,まくら,マットレス」,第21類「家事用手袋」,第22類「衣服綿,ハンモック,布団袋,布団綿」,第24類「布製身の回り品,かや,敷布,布団カバー,布団側,まくらカバー,毛布」及び第25類「被服」

以上

別紙3

「Kent」製品売上表

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