知財高等裁判所 平成19年(行ケ)10430号 判決 2008年10月02日
原告
大洋薬品工業株式会社
同訴訟代理人弁護士
吉原省三
小松勉
三輪拓也
上田敏成
同訴訟代理人弁理士
小野信夫
井手浩
被告
バイエル・アクチエンゲゼルシヤフト
同訴訟代理人弁護士
片山英二
北原潤一
中村閑
平泉真理
同訴訟代理人弁理士
加藤志麻子
田村恭子
主文
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第1請求
特許庁が無効2007-800081号事件について平成19年12月11日にした審決を取り消す。
第2事案の概要
本件は,原告が,被告を特許権者とする後記特許のうち請求項1ないし3に係る発明の特許につき無効審判請求をしたが,審判請求は成り立たないとの審決がされたため,同審決の取消しを求めた事案である。
1 特許庁における手続の経緯
被告は,発明の名称を「高純度アカルボース」とする特許第2502551号(出願日:昭和61年12月10日,優先日:昭和60年12月13日〔優先権主張国:ドイツ〕,設定登録:平成8年3月13日。発明の数2。以下「本件特許」といい,その出願を「本件出願」という。)の特許権者である(甲1)。
原告は,平成19年4月19日,本件特許の請求項1ないし3(以下「本件請求項1」などという。)に記載の発明(以下「本件発明1」などといい,本件発明1ないし3を総称して「本件発明」という。)についての特許を無効とすることについて審判の請求をし(甲4),無効2007-800081号事件として係属した。
特許庁は,本件無効審判請求について審理した上,同年12月11日,「本件審判の請求は,成り立たない。」との審決をし,同月13日,その謄本を原告に送達した。
2 本件発明
【請求項1】 水とは別に約93重量%以上のアカルボース含有量を有する精製アカルボース組成物。
【請求項2】 水とは別に約95~98重量%のアカルボース含有量を有する特許請求の範囲第1項記載の精製アカルボース組成物。
【請求項3】 水とは別に約98重量%のアカルボース含有量を有する特許請求の範囲第1項記載の精製アカルボース組成物。
3 審決の理由
審決は,本件発明は,①本件出願前に頒布された刊行物である「”The Journal of Antibiotics”,Vol.36(1983)1166~1175頁」(甲2)に記載された発明(以下,審決等を引用する場合を含めて「甲2発明」という。)と同一ということはできず,また,②甲2発明及び特開昭50-53593号公報(甲3)に記載された発明(以下,審決等を引用する場合を含めて「甲3発明」という。)に基づいて当業者が容易に想到し得たものということはできないと認定判断した。
その理由の要点は,次の(1)ないし(3)のとおりである。
(1) 本件発明1についての甲2に基づく無効理由(特許法29条1項3号)の存否について(以下,審決等を引用する場合にも「甲2」などという。)
「本件特許の出願前に頒布された刊行物である甲2は『新規α-アミラーゼ阻害剤 トレスタチン類,II.トレスタチンA,BおよびCの構造決定』と題する学術論文であって,放線菌であるStreptomyces dimorphogenes NR320-OM7HBから生産されるトレスタチン複合体の主要な3成分トレスタチンA,B及びCの分子構造の解明について記述された文献である。
そこには,トレスタチン複合体の主要な3成分の1つであるトレスタチンCをDowex50の存在下で加水分解し,濾過により中性フラグメントを除去後,樹脂をNH4OH(1%)で処理し,塩基性フラグメントを得,AmberliteCG-50によるクロマトグラフィーを行うことによって,成分10,11,12および13を含む混合物を得,さらにAmberliteCG-50によるクロマトグラフィーを行い,無色粉末体11を単離したこと(第1174頁,第1~10行),粉末体11はNMR(核磁気共鳴分析),FD-MS(電界脱離イオン化質量分析)により分析されたこと(第1168頁下から5~2行)が記載され,その構造は図3の構造式中の11(m=0,n=2)に対応するものであること(第1168頁上段 右の式)が示されている。
この粉末体11は,図3の構造式からみてアカルボースに相当するものであるが,無色の粉末体11に含まれる不純物含量やアカルボース含量については何ら記載がない。
粉末体11についてNMR,FD-MSの分析がされているところから,粉末体11は,これらの分析試料となりうる程度に精製されていることは理解しうるものの,それによっては,水とは別に約93重量%以上のアカルボース含有量を有していることを推認することはできない。
甲2で得られる無色粉末体11が,本件特許明細書に記載の製造方法に従い,同じ出発物質から同じ精製条件によって得られたものであるならば,同様の精製度を有すると推定できるが,甲2の無色粉体11は出発物質も,精製条件も本件明細書の方法と同一であるとはいえない。
そうすると,甲2の方法,すなわちトレスタチンCの加水分解物からの分離操作によって得られた無色粉末体11は本件発明1の『水とは別に約93重量%以上のアカルボース含有量を有する精製アカルボース組成物』と同一であるとすることはできない。」(3頁23行~4頁22行)
(2) 本件発明1についての甲2,3に基づく無効理由(特許法29条2項)の存否について
「甲3には,アクチノプラネス種の微生物を培養して得られる化合物であって,一般式(構造式は省略する。)で表される化合物が記載されている。そして,実施例8には,アクチノプラネス種の突然変異体もしくは変種に該当する菌株SE50/110(CBS674.73・実施例3及び3頁左下欄参照)を培養して,上記の一般式におけるn=2~6の化合物を得る方法が以下のとおり記載されている。
『実施例8
組成・・・の培養液100lを含有する発酵器に実施例3による予備混合物5lを接種し,撹拌及び通気しながら24℃で5日間培養した。この結果主にn=2の本化合物を含有する73000SIU/lの培養溶液を得た。
菌糸体を一緒に含む90lの発酵浴を濃HNO3でpH2.5に調節し,撹拌しながら活性炭900g(=1%)を添加して生成した染料を吸着させた。この混合物を15分間撹拌し,活性炭を3000rpmで遠心分離し,活性炭3kgを添加した上澄液を濾布で最終的に濾過した。この結果SIU60000S IU/lの黄褐色の透明な濾液65lを得た。
この濾液を濃NH3でpH7に調節し,活性炭1300g(2%)と共に30分間撹拌し,活性物質を吸着させた。混合物を濾布で濾過し,活性炭残液を蒸留水10lで3回洗浄した。次いで活性炭を完全に乾燥圧縮し,各々の場合15分間50%アセトン4lでpH2.5下に3回撹拌し,活性炭から活性物質を脱着させた。活性炭を濾別した後アセトン脱着物を併せ,回転蒸発機で250mlまで濃縮し,同容量(250ml)のメタノールを添加し,この混合物を折りたたんだ流布で濾過した。次いで濾液を激しく撹拌しながらアセトン5lに滴下した。分離した沈殿を濾別し,アセトン及びエーテルで3回洗浄した。次いでこれを35℃で真空乾燥した。収量:8500SIU/gの粗生成物230g。
この粗生成物25gをH2O 1lに溶解し,ダウエツク50WX4H+(200~400メッシュ)300gと共に30分間撹拌した。この樹脂を濾別し,0.001N HCl 2lで3回洗浄した。この洗浄したダウエックスをH2O 500mlで懸濁させ,25%NH3を添加してpHを9.0に調節した。次いで更にそれぞれ0.6%NH3 500mlを用いて2回の脱着を行ない,脱着物を併せ,回転蒸発機で100mlまで濃縮した。この濃縮物を脱色するために,これをDEAE-セルロース・・と共に5分間撹拌し,遠心分離した。明黄色の上澄液を同容量(100ml)のメタノールと混合し,混合物を激しく撹拌しながらアセトン2lに滴下した。次いで沈殿を濾過し,アセトン及びエーテルで洗浄し,35℃で真空乾燥した。収量:26000SIU/gを含有して4.2g。更に細心に精製するために阻害剤4.0gをビオゲルP-2を通して0.5gずつゲル濾過した。この目的には調製物各0.5gをH2O 10mlに溶解し,溶液をビオゲルP-2カラム(200~400メツシュ,直径5cm及び長さ9.5cm)に通した。このカラムを水の80ml/時の流速で展開させ,12mlの画分を集めた。全画分に対して全炭水化物含量(アンスロン試験用の形体,E620での吸光度)及びサツカラーゼ阻害剤及びアミラーゼ阻害剤の含量を決定した。更に各画分を薄層クロマトグラフィー(実施例1による酵素阻害発色)で試験した。
n=4~6の本化合物が検出された画分を集め,真空下に10mlまで濃縮し,無水酒精200mlに滴下することにより沈殿させた。この沈殿を遠心分離し,アセトン及びエーテルで洗浄し,真空乾燥した粗阻害剤4.0gからの収量:17.5×106AIU/g及び8500SIU/gを有するn=4~6の本化合物0.2g。n=3の化合物を含有する画分を同一の方法で処理し,アセトン200mlで沈殿させた;粗阻害剤4.0gからの収量:1.4×106AIU/g及び21000SIU/gを含有するn=3の本化合物0.1g。更にn=2の化合物を含む画分から 0.3×106AIU/g及び68000SIU/gを有するn=2の本化合物0.9gを得た。』(第21頁,左上欄~第22頁右上欄)。
上記n=2の化合物は式1d(第7頁左上欄)からみてアカルボースに対応するが,このアカルボースの純度についての記載はない。
実施例8の68000SIU/gを有するアカルボースは,ビオゲルP-2によるゲル濾過を経て得られたものであるが,この処理は,甲3の『本発明の各化合物を純粋な状態で製造するためには,上述の如く製造した予備精製調製物を適当なモレキュラーシーブ,例えばビオ-ゲル(Bio-Gel)P-2・・・で処理し,流出物を薄層クロマトグラフィーで検査する。本発明の純粋な化合物を含有する画分を併せ,再びクロマトグラフィーで処理し,最後に上述の如く濃縮後凍結乾燥し,又は有機溶媒によって沈澱させることができる。』(第6頁右上欄14行~左下欄8行)の記載からすると,純粋な状態のアカルボースを得る手段と考えられていたものである。そうすると,甲3の記載からアカルボースの更なる精製が動機付けられるものではない。
アカルボースの精製手段を記載した文献として請求人が提出した甲2は,前記のとおり,トレスタチンの構造を決定することを目的とし,トレスタチンCをDowex50の存在下で加水分解し,AmberliteCG-50によるクロマトグラフィーによって得られる10,11,12および13の混合物をさらにAmberliteCG-50を用いて無色粉末体11(アカルボース)を単離し,それをNMR(核磁気共鳴分析),FD-MS(電界脱離イオン化質量分析)の分析試料として使用したものであって,AmberliteCG-50によるクロマトグラフィーは構造解析が可能な程度にまで分解物を分離精製する手段として開示するものである。そして,甲2の手段で得られた粉末体11が無色であることが,直ちに『水とは別に約93重量%以上のアカルボース含有量を有する』ことを意味するものでもないことも前記(1)(判決注:上記(2))で述べたとおりである。
したがって,Amberlite CG-50処理が甲3で得られた68000SIU/gのアカルボースをこえる純度のアカルボースを得る手段として有効であるか否かも不明であって,甲3と甲2を組み合わせるべき理由は見いだせない。
・・・
したがって,甲2の分離手段を甲3の実施例8のアカルボースの精製処理に適用すべき動機付けは見いだせず,甲2発明,甲3発明に基づいて当業者が本件発明1を容易に想到し得たとすることはできない。」(6頁5行~9頁20行)
(3) 本件発明2,3についての無効理由(特許法29条1項3号,2項)の存否について
「本件発明2は『水とは別に約95~98重量%のアカルボース含有量』,本件発明3は『水とは別に約98重量%のアカルボース含有量』を有する精製アカルボース組成物にかかる発明であるから,上記4-1(1)(判決注:上記(1))と同様の理由により,これらは甲2発明ということはできない。
また,4-1(2)(判決注:上記(2))と同様の理由により甲2発明,甲3発明に基づいて当業者が容易に発明できたものということはできない。」(9頁22~27行)
第3原告主張の審決取消事由の要点
1 取消事由1(判断の遺脱)
(1) 原告は,原告作成の本件審判請求書(甲4)において,「(ロ) 数値限定発明の成立の可能性について」の項を設け,本件請求項1ないし3が数値限定発明であることを前提として,無効理由を主張した(4頁39行以下)。
すなわち,本件無効審判請求の対象となっている本件請求項1ないし3は,いずれもアカルボースの含有量を重量%で限定したことを構成要素としているので,その構成である数値限定には何らかの意味があるはずであるが,そのことは明細書中に何ら述べられていない。
このことは,本件審判請求書において,「この場合,進歩性の存在が認められるためには,その数値限定の内と外で有利な効果において量的に顕著な差異があることが要求されるのであるが,本件特許の明細書中には,本件発明1と先行技術特許との間に,有利な効果において量的に顕著な差異があることは示されていない。」(5頁27~30行)と述べたとおりである。
(2) 本件審判請求書では,「そして,上記した議論は,本件発明2および本件発明3にも共通して適用できるものであるから,これら発明は,数値限定発明として見ても進歩性を有するものではない」(6頁15~17行)として進歩性の欠如と関連付けて主張しているが,請求人の主張は,明細書の記載不備として特許法36条の要件違反に該当する事実をも主張していたのである。
(3) したがって,審決は,この点につき審理し判断すべきであるにもかかわらず,これを脱漏したものである。
2 取消事由2(新規性判断の誤り)
(1) 審決は,原告主張に係る甲2に基づく無効理由(特許法29条1項3号)について,「甲2に記載された無色粉末体(アカルボース)の含量についての記載がないこと」(4頁9,10行)及び「甲2の無色粉末体(アカルボース)と本件発明にかかるアカルボースとは,出発物質も精製条件も同一ではないこと」(4頁17,18行)から,甲2の無色粉末体と本件発明1に係るアカルボース(水とは別に約93重量%以上のアカルボース含有量を有する精製アカルボース組成物)とが同一であるということはできないと判断した。
しかしながら,含量の明記がないからというだけで甲2の無色粉末体のアカルボースが相当程度に高純度であることを判断できないというものではないし,出発物質,精製条件が異なるからといっても,精製の結果物がアカルボースであることに変わりはないのであるから,審決の挙げる理由のみで原告の主張を排斥したのは違法である。
(2) そもそも,純粋なアカルボースは本来無色の物質である。
本件明細書にも記載されているとおり(2頁左欄30~32行),78~88%のアカルボース含量を有する物質は公知であったところ,これらの公知物質は,①糖に対する着色反応を呈する二次成分約10~15%,②灰分1~4%,③いくつかの着色成分の形で不純物を含有していることが明記されている(2頁左欄32~34行)。
この記載から,この公知物質は不純物として着色を呈する成分を含有していたことが分かる。すなわち,①の「糖に対する着色反応を呈する二次成分」も③の「いくつかの着色成分」も,いずれも「着色」状態に着目して不純物の存在が論じられているのであり,このことから,この公知物質は,不純物を原因とする着色がみられたのであって,無色の物質ではなかったことが分かるものというべきである(なお,上記①の「糖に対する着色反応を呈する二次成分」は,「糖に対して着色反応を示す」すなわち糖と反応して着色するという意味に解される。)。
そして,本件発明に記載された精製方法によって,糖様二次成分は10重量%以下,好ましくは2~5重量%以下に減少することが記載されていることから,上記「着色」の原因となった不純物が減少し,純粋な状態に近いアカルボース組成物,すなわち無色若しくは無色に近い状態のアカルボース組成物が得られたということになる。
これに対して,甲2に記載された「無色粉末体」は,無色であることから,不純物を原因とする着色はみられなかったことが明らかであり,純粋なアカルボースか若しくはそれに限りなく近いアカルボースであったものというべきである(後記3(4)に記載のとおり,少なくとも着色反応のみられた純度78~88%の公知物質よりも高純度であったことは明らかである。)。
したがって,甲2に記載された無色粉末体は,本件発明1に係る「93重量%以上のアカルボース含有量を有する精製アカルボース組成物」であったと考えられる。それにもかかわらず,これを否定した本件審決は取消しを免れない。
(3) なお,審決は,「糖に対する着色反応を呈する二次成分」の文言を「糖の着色反応を適用した場合に糖と同様に着色する成分」の意味であると解釈し,「糖(アカルボース)と反応して着色する成分と解する余地はない」としているが(5頁13~16行),これは誤りである。
「糖に対する着色反応を呈する」の文言を素直に解釈すれば,それは,「糖に対して着色反応を示す」(すなわち,「糖と反応して着色する」)という意味である。審決の解釈は,「糖と同様の着色反応を示す」というものであり,明らかに文言と相違している。
この点についての審決の判断は,化学的にみても誤っており,そもそもアカルボース自身も糖であるため「糖の着色反応」を適用すれば着色するのであるから,アカルボース自身と不純物を区別して論じる際に,「糖の着色反応」を適用して着色するか否かで不純物を特定するということはあり得ないのである。
(4) そして,本件明細書(甲1)に記載された従来のアカルボース組成物(78~88重量%)は,①糖に対する着色反応を呈する二次成分約10~15%,②灰分1~4%,③いくつかの着色成分(逆算すると1~3%程度)の形で不純物を含有していることが明記されている(2頁左欄30~34頁)が,①も③もいずれも「着色」状態に着目して不純物の存在が論じられている。このことから,この従来物質は,不純物を原因とする着色がみられたことが分かるが,上述のとおり,「糖の着色反応」を適用すればアカルボース自体も変色するのであるから,これは(このような「糖の着色反応」を適用しない)常態下においてこのような状態であったものと解するほかないのである。
したがって,「糖に対する着色反応を呈する」とは,「糖に対して着色反応を示す」との意味に解するほかなく,原告が主張するように,糖類(アカルボース)と反応して着色する成分を意味するものと解さざるを得ないのであって,審決の判断は誤りであるというほかない。
(5) そして,甲2に開示された「無色粉末体」は,この「糖に対する着色反応を呈する二次成分」と「いくつかの着色成分」が効果的に除去された状態のアカルボースであるというべきであるから,やはり,本件発明1は特許法29条1項3号により無効であるというべきである。
3 取消事由3(進歩性判断の誤り)
(1) 審決は,原告主張に係る甲2,3に基づく無効理由(特許法29条2項)について,「甲3に記載されたアカルボースの精製方法は,同号証の6頁右上欄14行~左下欄8行の記載から純粋な状態のアカルボースを得る手段と考えられていたものであるから,同号証の実施例8に記載された68000SIU/gのアカルボースから更なる精製が動機付けられるものではない」旨(7頁23~33行)及び「純粋な無水アカルボースの活性が77661SIU/gであることは,本件出願の明細書によってはじめて明らかにされたことであって,・・・医薬品原料としては高い純度が要求されることが周知であっても,甲3により得られたアカルボースをさらに精製するという課題が当然に存在したということはできない」旨(8頁25~33行)を認定している(なお,純粋なアカルボースの比活性が77661SIU/gであることは,本件明細書(甲1)の実施例1中の記載に「阻害剤含量は446,550SIUで,純粋な無水アカルボース5.75gに相当した」(4頁右欄14,15行),及び「比活性は72SIU乾燥物質mgであった。このHPLC法は乾燥物質において93%の含量を示した」(4頁右欄20,21行)との記載がされていることから,逆算して算出されたものである。)。
審決の上記認定は,要するに,「純粋なアカルボースの比活性が77661SIU/gであることは本件出願によって初めて明らかにされたことであって,甲3の出願当時は,68000SIU/gのアカルボースが純度の低いものであることは知られていなかったから,この68000SIU/gのアカルボースをさらに精製するという動機付けはなく,そのような課題自体が存在しなかった」とする。これは,①純粋なアカルボースの比活性が77661SIU/gであることは本件出願によって初めて明らかにされた,ということと,②甲3の出願当時は,68000SIU/gのアカルボースが純度の低いものであること(さらに精製する余地のあること)は知られていなかった,ということを前提とするものである。
(2) しかしながら,これらの前提はいずれも誤りである。
ア まず,上記①の前提に関しては,特開昭57-185298号(甲6)及び特開昭57-212196号(甲7)により,既に,本件出願前に純粋なアカルボースのSIU/gの数値(サッカラーゼ阻害の比活性)が77700SIU/gであることが公知であった(甲6の9頁左上欄最下行~右上欄3行,左下欄の第1表中の「比較」欄,甲7の11頁右下欄の実施例1の記載中「比較」欄。なお,甲6,7の出願人は,被告自身である。)ことが明らかである。
そればかりでなく,甲6,7には,純度100%である77700SIU/gのアカルボースの存在が記載されている。この数値は,上記77661SIU/gのものとは若干誤差があるが,これは四捨五入の関係と解される(本件明細書4頁右欄の実施例1(3~21行)によると,阻害剤含有量は446,550SIUで,これに相当する純粋な無水アカルボースは5.75gであるというのであるから,純粋な無水アカルボースの阻害剤としての1g当たりのSIU値xは,5.75g×x=446,550SIU x=77,661SIU/gとなる。これを10SIU/gの単位で四捨五入するとx=77,700SIU/gとなり,これが純粋なアカルボースのSIU/g値であるとされていたのである。)。
ところで,上記の計算が成り立つためには,5.75gという数値か,xという活性値のいずれかが分かっていなければならない。そして,本件明細書の記載によると「純粋な無水アカルボース5.75gに相当した。」(4頁右欄15行)というのであるから,xすなわち純粋な無水アカルボースの活性値の方が分かっていたことになる。そして,上記のとおり,甲6,7で明らかなように,同活性値が分かっていたのであるから,純粋な無水アカルボースが得られていたということを示している。
したがって,本件出願当時,既に純粋なアカルボース自体が存在していたことが明らかといわざるを得ない。
イ 次に,上記②の前提に関しても,精製の方法,条件,頻度等によって純度にばらつきが生じることは当業者の常識であって,現に甲3の実施例11中にも,より純度の低い50000SIU/gのアカルボースが記載されている(25頁右上欄6~8行)。したがって,甲3の出願当時も,精製の方法,条件,頻度等によって純度に差異が生じることは当然認識されていたのであり,甲3に記載されたアカルボースが純粋なもの(さらに精製する余地のないもの)と認識されていたわけではないことは明らかである。
(3) そして,審決も指摘するように,医薬品原料としては高い純度が要求されることが周知なのであり,現に甲6,7に示すとおり既に純粋なアカルボースが存在していたのである。また,精製を繰り返すことでより純度の高い物質が得られることもまた常識なのであって(甲2にも,2回精製を繰り返すことで無色粉末体を得られたことが記載されている。),精製法は他にも多数の種類(甲2もその一つ)が知られていたのである。
したがって,本件審決の「甲3で得られた68000SIU/gのアカルボースをさらに精製するという課題自体が存在しなかった」という判断は明らかな誤りである。
(4) そして,甲3に記載されているアカルボースは無色のものではなかったと認められるところ,甲2に記載されたアカルボースは無色であったことから,甲3よりもより高純度のアカルボースが存在していたことが明らかであり,さらには,甲6,7に示すとおり既に純粋なアカルボースも存在していたのである。
したがって,甲3のアカルボースを甲2に開示された方法あるいはその他の公知の精製方法により更に精製することにより,より高純度のアカルボースを精製することは,当業者が容易に想到し得たところというべきである。
(5) また,審決は,「93重量%以上のアカルボース含有量は,本件特許の請求項4~10で特定される精製処理を実施することによって初めて達成されたもの」との前提に立った上で,「本件出願当時,これを甲3の予備精製物の延長線上の自明の純度として当業者が予測し得たとすることはできない」と結論付けている(9頁12~16行)。
しかしながら,この前提自体が誤りであることは,上記のとおり,甲6,7から明らかである(上記のとおり,甲6,7に純度100%である77700SIU/gのアカルボースが記載されており,本件出願当時,既に純粋なアカルボースが実存していたことが明らかである。)。
そして,医薬品原料としてより純度を高めることは自明のことであるから,「本件出願当時,これ(本件発明1の『水とは別に約93重量%以上のアカルボース含有量』)を甲3の予備精製物の延長線上の自明の純度として当業者が予測し得た」ことは当然のことといわざるを得ない。
したがって,この点でも,審決の誤りは明らかというべきである。
(6) そして,本件発明1では,純度を93%以上とすることでどのような特段の作用効果が得られるかは明示されていないのであり,甲3で示された純度のものから5%程度の純度の向上があったからといって特段の効果が得られるものとも認められないから,本件発明1が進歩性を有しないことは明らかである。
4 本件発明2及び3について
本件発明2及び3に係る取消事由は,本件発明1についての取消事由1(判断の脱漏)及び3(進歩性の欠如)について述べたところと同一である。
第4被告の反論の要点
次のとおり,審決に取り消すべき理由はないから,原告の請求は棄却されるべきである。
1 取消事由1(判断の遺脱)について
(1) 原告による本件請求項1ないし3が数値限定発明であることを前提とする無効理由の主張は,原告作成の本件審判請求書(甲4)の「(C)本件発明が特許法第29条第2項に該当する具体的理由」の項の中で,甲2,3に基づく進歩性欠如の主張の一部として述べられている事項にすぎない。そして,審決においては,原告が主張する「甲2,3に基づく進歩性欠如」という無効理由についての判断の遺漏はない。すなわち,審決においては,通常の進歩性判断手法に基づいて,まず甲3発明の認定を行い,甲3にはアカルボースの純度についての記載がないこと(7頁21,22行)を認定している。そして,甲3の記載からは,甲3で得られたアカルボースの更なる精製が動機付けられるものではないこと(7頁31~33行),さらには,甲2を検討しても,甲2の開示する内容からすると,甲3と甲2を組み合わせるべき理由が見いだせないこと(8頁9~12行)を理由として,甲3及び甲2からは,本件発明1の「水とは別に約93重量%以上の精製アカルボース組成物」の構成には到達し得ないとして,上記進歩性欠如の主張に理由がないと判断しているのである。
このことからすると,原告が主張する「甲2,甲3に基づく進歩性欠如」の無効理由について,審決の判断の遺漏はない。
(2) 原告の見解は,本件発明1は「数値限定発明」であるところ,「進歩性の存在が認められるためには,その数値限定の内と外で有利な効果において量的に顕著な差異があることが要求される」が,「本件特許の明細書中には,本件発明1と先行技術特許との間に,有利な効果において量的に顕著な差異があることは示されていない」というものであるが,そもそも原告の主張は,本件発明1を「数値限定発明」と評価し,本件発明1の甲2発明,甲3発明に対する進歩性の判断基準として,「数値限定の内と外で有利な効果において量的に顕著な差異があるかないか」という基準を採用すべきとしているところに大きな誤りがある。審査基準の第Ⅱ部第2章2.5(3)④において「数値限定発明」として述べられているのは,発明を特定するための事項としての数値範囲を任意に選択して発明を構成することが可能な発明に関するものである。このことは,審査基準の当該箇所に「(i)実験的に数値範囲を最適化,好適化することは,当業者の通常の創作能力の発揮であって」と記載されていることからも明らかである。例えば,「平均粒径が1.0~3.0μの範囲内にある無機粒子を5~10体積%含むフィルム」の発明における,平均粒径,体積%の記載がこれに当たる(つまり,平均粒径も,添加量(体積%)も自由に調整可能であり,このような条件を満たす物を難なく得ることができるのである)。審査基準では,このような数値を選択し,限定した発明が,数値限定が付されていない引用例,あるいは,別の数値範囲規定を有する引用例に対して,どのような場合に進歩性を有すると判断するべきかについて教示しているのである。
これに対し,本件発明1における「93重量%以上のアカルボース」という数値はそれ自体選択できるものではないから,数値範囲を最適化,好適化したという発明ではない。このことは,従来技術においては,78~88%程度の純度のアカルボースしか得られていなかったという記載があることからも明らかである。したがって,本件発明1の進歩性判断において,本件発明1を上記審査基準でいう「数値限定発明」と解釈し,「数値限定の内と外で有利な効果において量的に顕著な差異があるかないか」という判断手法をあてはめて進歩性判断をするべきという考え方自体,根本的に誤っているのである。
そうであるから,このような原告独自の進歩性の判断手法について審決中で何ら言及されていないとしても,そのことをもってして判断遺脱があるとはいえない。よって,原告主張の点は,何ら取消事由を構成し得ない。
2 取消事由2(新規性判断の誤り)について
(1) 原告は,本件明細書に記載されている「糖に対する着色反応を呈する二次成分」もアカルボースの「着色」の原因となる不純物に該当するという認識を前提として,「甲2に開示された『無色粉末体』は,この『糖に対する着色反応を呈する二次成分』と『いくつかの着色成分』が効果的に除去された状態のアカルボースであるというべきであるから」,同無色粉末体は本件発明1に係る「93重量%以上のアカルボース含有量を有する精製アカルボース組成物」に相当する,と主張するが,以下の(2)及び(3)のとおり理由がない。
(2) 本件明細書中の「糖に対する着色反応を呈する二次成分」は,アカルボースの着色原因となる不純物(「着色成分」)でないこと
ア まず,原告が主張する「本件明細書に記載されている『糖に対する着色反応を呈する二次成分』もアカルボースの『着色』の原因となる不純物に該当する」という前提自体が誤りである。原告は,「糖に対する着色反応を呈する二次成分」が「着色」の原因となる不純物に該当する理由として,(ア)「着色」状態に着目していること,(イ)「糖に対する着色反応を呈する二次成分」とは,「糖と反応して着色する成分」と解されること,を挙げている。
イ しかし,「糖に対する着色反応を呈する二次成分」をあえて「着色成分」とは区別して記載していること,及び「糖に対する着色反応を呈する」という表現がされていることからすると,「糖に対する着色反応を呈する二次成分」は,その記載のみからしても,通常組成物中に存在しているだけでは「着色」を呈しない成分と解するのが素直な解釈である。よって,上記(ア)の点は根拠がない。
ウ また,上記(イ)の点については,「糖に対する着色反応を呈する」の意味と「糖と反応して着色反応を示す」の意味が全く異なることからすると,なぜ原告のような主張が可能となるのか理解に苦しむ。「糖に対する着色反応を呈する二次成分」を素直に理解するならば,「糖に対して生じる着色反応と同じ反応を呈する二次成分」と理解できるし,実際,本件明細書中では,「糖に対する着色反応を呈する二次成分」については「糖様二次成分」(すなわち,「糖に似た二次成分」)という記載がされているのであるから,「糖に対する着色反応を呈する二次成分」を,「糖と反応して着色反応を示す二次成分」と解釈することなどできないはずである。
エ なお,「糖に対する着色反応」に関しては,審決中では「モーリッシュ反応」や「アントロン硫酸法」などが挙げられているが,「糖に対する着色反応」として最も身近でよく知られているのは,メイラード反応である。これは,糖をアミノ酸の存在下で加熱すると茶褐色に変色する反応であり,砂糖水を加熱するとカラメル状になることや,ケーキやクッキーを焼くと生地が茶褐色に変色することなどを通して日常生活においても見ることができる反応である。いずれにしても,本件明細書中では,糖についてはこのような周知の着色反応が存在することから,「糖様の不純物」をより正確に表す用語として「糖に対する着色反応を呈する二次成分」という用語を用いているのである。よって,審決が,上記原告の主張に対して,「当業界においては,糖の定性反応としてモーリッシュ反応,アントロン硫酸法など各種の着色反応が周知であるから,当業者であれば『糖に対する着色反応を呈する二次成分』という文言そのものによって,それが,糖の着色反応を適用した場合に糖と同様に着色する成分を意味すると理解するのであって,これを『糖(アカルボース)と反応して着色している成分』と解する余地はない」(5頁11~16行)と判断した点に,何ら誤りはない。
オ この点,原告は,「そもそもアカルボース自身も糖であるため『糖の着色反応』を適用すれば着色するのであるから,アカルボース自身と不純物を区別して論じる際に,『糖の着色反応』を適用して着色するか否かで不純物を特定するということはあり得ない」などと主張する。
おそらく,原告の主張の根底には,アカルボースと「糖に対する着色反応を呈する二次成分」の双方が混在している状態において,これらが着色の有無によって区別できなければならない,との考えがあると思われる。しかし,本件明細書中には,「糖に対する着色反応を呈する二次成分」はアカルボースとともに存在しているときに,着色の有無をもってアカルボースと区別できなければならないなどとは記載されていないのであるから,「糖に対する着色反応を呈する二次成分」とは,単に糖に対する着色反応を呈するという性質を有している物質と解するのが合理的な解釈である。よって,原告の「糖自身も着色するから,『着色反応を呈する二次成分』と区別できない」との主張も,何ら理由がない。
(3) 原告の新規性欠如の主張は成り立たないこと
ア 原告は,「(ア)本件明細書によれば,78~88%のアカルボース含量を有する公知物質は,①糖に対する着色反応を呈する二次成分約10~15%,②灰分1~4%,③いくつかの着色成分,という不純物を含有していたが,本件発明により,①糖に対する着色反応を呈する二次成分は,10重量%以下,好ましくは2~5重量%以下に減少したと記載されている。(イ)このうち,着色の原因となる物質は,①糖に対する着色反応を呈する二次成分と③いくつかの着色成分の2つであり,これらの不純物が減少した結果,純粋な状態に近い無色若しくは無色に近い状態のアカルボースになったのであるから,無色のアカルボースであれば,純粋な状態に近いと評価できる。(ウ)この点,甲2には,アカルボースとして『無色粉末体』が記載されており,これが『無色』であることからすると,純粋なアカルボースか若しくはそれに限りなく近いアカルボースであったと考えられる。(エ)よって,甲2に記載された『無色粉末体』は,『93重量%以上のアカルボース含有量を有する精製アカルボース組成物』である。」と主張する。
イ しかし,アカルボースの着色の原因となるのは,「③いくつかの着色成分」であって,「①糖に対する着色反応を呈する二次成分」は,着色成分ではない。そして,本件発明においては,「①糖に対する着色反応を呈する二次成分」が,10重量%以下,好ましくは2~5重量%以下に減少したことが大きく影響して,純度の向上が達成されているのであるから,そもそもアカルボースの色の変化によって純度を確定することなどできないのである。よって,原告の論理は,上記ア(イ)の点で既に破たんしているのであるから,原告の新規性欠如の主張は成り立たない。
ウ なお,原告の上記主張は,他の観点からしても成り立たない。まず,上記原告の論理が成り立つためには,甲2発明における不純物の種類及び量が本件発明と同じであることが前提となる。すなわち,上記①と③の成分が着色成分に該当するとの原告の立場に立ったとしても,甲2発明において,本件発明とは異なる第4の不純物を含んでいたり,あるいは,灰分の割合が非常に高い物である場合には,着色成分が除かれたことをもってして,本件発明と同程度の高純度が達成されるとはいえないのである。いい換えれば,着色に寄与しない不純物の割合が本件発明と同程度であるといえなければ,上記原告主張の論理はそもそも成り立ち得ない。
この点について,審決は,「そもそも,本件明細書において『これらの調製物は依然糖に対する着色反応を呈する二次成分10~15%,灰分1~4%およびいくつかの着色成分の形で不純物を含有する。』と記載されている『調製物』は,アクチノプラネス種から発酵により得られる発酵汁に従来の精製法(甲1には精製法に関する参照文献として,独国特許2347782号及び第2719912号が挙げられている。)を適用して得られる調製物に関する知見であるのに対し,甲2の無色の粉末体11は上記調製物とは全く異なる出発物質(トレスタチン加水分解物)から分離されたものである。したがって,その出発物質中に存在していた不純物の種類や量を上記「調製物」中の不純物組成に基づいて論ずることはできない。」(5頁30行~6頁2行)とし,甲2発明と本件発明1においては,不純物の種類や量に違いがあると認定しており,上記原告の論理が成り立ち得ないことを示しているのである。
したがって,審決の判断はこの点においても正しい。
エ さらに,原告の上記論理は,甲2における「無色」という記載に大きく依存するものであるが,「無色」の記載自体,何ら定量的な物性を意味するものではない。特定の手段により色度が測定されたとの記載がないことからすると,おそらく,この「無色」は,目視による認定であると解されるところ,このような「無色」の記載のみに基づいて,「無色=着色物質が含まれない=純粋(100%に近い)である」との結論を導くこと自体飛躍があり,合理的根拠を欠くものである。
オ 以上のとおりであるから,原告の新規性欠如の主張は成り立ち得ず,この点に関する審決の判断に何ら誤りはない。
3 取消事由3(進歩性判断の誤り)について
(1) 甲3発明からは更なる精製が何ら動機付けされないこと
ア 原告は,審決が甲3号の記載からアカルボースの更なる精製が動機付けされるものではないと判断したのは,「①純粋なアカルボースの活性が77661SIU/gであることは本件出願によって初めて明らかにされたものであること,及び,②甲3の出願当時は,68000SIU/gのアカルボースが純度の低いものであること(さらに精製する余地のあること)は知られていなかったこと」に基づくものであるところ,甲6,7によれば,本件出願前に純粋なアカルボースのSIU/g値が77700SIU/gであること(上記①の点)は公知であったから,審決の判断は誤りである旨主張する。
イ しかし,甲6,7のいずれにも,「純粋なアカルボースのSIU/g値が77700SIU/gである」などとは一切記載されていない。原告は,さらに,「そればかりでなく,甲6,7には,純度100%である77700SIU/gのアカルボースの存在が記載されている」と主張するが,甲6,7には,「純度100%のアカルボース」などという記載も一切ない。甲6の9頁左下欄の第1表中の「比較」欄には「n=0及びm=2の式(Ⅱ)の物質(アカーボース) 77700SIU/g」と,甲7の11頁右下欄の実施例1の記載中「比較」欄には「m=0,n=2,Y=H及びX=OHの式Ⅱの物質(アカルボース) 77 700」と記載されているだけであり,アカルボースのSIU/gの数値が単に示されているにすぎないのであるから,上記甲6,7の記載に基づいて,「純粋なアカルボースのSIU/g値が77700SIU/gであることは本件優先日前の周知技術であった」とか,「純粋なアカルボース自体が存在していた」などということはできない。
ウ 原告の上記主張は,本件明細書(甲1)の実施例1中の「阻害剤含有量は446,550SIUで,これに相当する純粋な無水アカルボースは5.75gに相当した」(4頁右欄14,15行)の記載から,1gのアカルボースが77661SIUの活性を有すると計算できることに基づいていると思われるが,本件明細書の記載を引用して,他の刊行物に記載されているアカルボースの活性値から純度を導き,当該純度を公知であったとすることができないことは,審決において,「しかし,純粋な無水アカルボースの活性が77661SIU/gであることは,本件出願の明細書によってはじめて明らかにされたことであって,甲3において68000SIU/gのアカルボースの純度が87.5%であることは本件出願当時,当業者は知り得なかったことである」(8頁25~28行)と述べられているとおりである。
なお,原告は,本件明細書中において,特定の活性値から純粋な無水アカルボースの量が算出できたということは,純粋な無水アカルボースの活性値が分かっていたということを示しているなどとも主張するが,本件明細書においては,単に出願,人である被告の知見に基づいて「純粋な無水アカルボースは5.75gに相当した」(4頁右欄15行)と記載しているだけであって,純粋な無水アカルボースの活性値が当業者において周知であったなどとは一切記載されておらず,上記主張も,何ら理由があるものではない。
エ さらに,純粋な無水アカルボースが77700SIU/g程度の活性を有することは事実であるが,「逆は必ずしも真ならず」であり,77700SIU/g程度の活性を有するアカルボースと称呼される物であっても純度が100%であるとは限らない。このことは,甲6,7に,アカルボース以外の物質であって,なおかつ上記活性値と同等ないしそれ以上のサッカラーゼ阻害活性を有する種々の物質が記載されていることからも明らかである。すなわち,サッカラーゼ阻害活性の値のみをもって,アカルボースの含量を論じることはできないから,この点からも,甲6,7によれば,本件出願前に純粋なアカルボースのSIU/g値が77000SIU/gであることが周知であったなどということはできない。
オ さらにまた,原告は,審決が「甲3の出願当時は,68000SIU/gのアカルボースが純度の低いものであること(さらに精製する余地のあること)は知られていなかった」(上記ア②の点)とすることにつき,甲3の実施例11に,68000SIU/gのアカルボースよりも純度の低い50000SIU/gのアカルボースが記載されていることに基づいて,甲3の出願当時も,精製の方法,条件,頻度等によって純度に差異が生じることは当然認識されていたのであり,甲3に記載されたアカルボースが純粋なもの(さらに精製する余地のないもの)と認識されていたわけではなく,精製の動機付けがある旨主張する。
しかし,まず,甲3には「アカルボースの純度」に関しては一切記載がなく,記載されているのは活性値のみであるから,「甲3の出願当時も,精製の方法,条件,頻度等によって活性に差異が生じることは当然認識されていた」ということはできても,「純度に差異が生じることは当然認識されていた」とはいえない。また,甲3から「精製の方法,条件,頻度等によって純度に差異が生じること」が認識されるという原告の立場に立ったとしても,「純度に差異が生じる」ことが認識されると,なぜ,「68000SIU/g」のアカルボースが純粋でないという結論になるのか理解できない。甲3発明が「各化合物を純粋な状態で製造する」ことを目的とする発明であることと,実施例の中で,実施例8に記載されているアカルボースの活性値「68000SIU/g」が最も高い値であることからすれば,少なくとも当該「68000SIU/gのアカルボース」については,甲3の記載のみからすればむしろ純粋に近いと解されるから,更なる精製は動機付けされないと解される。
カ なお,原告は「医薬品原料としては高い純度が要求されるのは周知」であることをもって,甲3発明において更なる精製が動機付けされると主張するが,上記オで述べたとおり,甲3の記載に基づけば,更なる精製が動機付けされるとはいえないのであるから,このような一般的かつ漠然とした事項に基づいて,更なる精製の動機付けがあるとの原告の主張が裏付けられることはない。
キ 以上のとおりであるから,審決が甲3発明からはアカルボースの更なる精製が動機付けされないと判断した点に誤りはない。
(2) 本件発明1の進歩性を裏付ける他の理由について
ア 原告は,審決が,「93重量%以上のアカルボース含有量は,本件特許の請求項4~10で特定される精製処理を実施することによって初めて達成されたもの」との前提に立った上で,「本件出願当時,これを甲3の予備精製物の延長線上の自明の純度として当業者が予測し得たとすることはできない」と結論付けていること(9頁12~16行)につき,医薬品原料としてより純度を高めることは自明のことであるから,「本件出願当時,これ(本件発明1の『水とは別に約93重量%以上のアカルボース含有量』)を甲3の予備精製物の延長線上の純度として当業者が予測し得た」ことは当然であるなどと主張する。
イ しかし,化学分野に代表される予測性の低い技術分野においては,課題を思い付くだけでは,課題を解決することはできないことはよく知られている。例えば,性質Aと性質Bを兼ね備えたフィルムを得るという課題について思い付くことは容易であっても,実際にこれらの性質を兼ね備えたフィルムを得るには,材料の選択や製造方法の検討など種々の試行錯誤が必要であり,課題を解決し得る発明は,このようなプロセスを経て初めて完成するのである。このことは,本件発明1についてもいえることである。医薬品原料としてより純度を高めたいという課題はいわば願望にすぎないのであって,これを思い付いたからといって,純度の高い医薬品原料が自動的に得られるということにはならないのである。
ウ このような発明の進歩性の考え方からすれば,審決が,本件発明について「甲3の予備精製物の延長線上の自明の純度として当業者が予測しえたとすることもできない」(9頁15,16行)と判断したことは正当であり,何ら誤りはない。
(3) 本件発明1の効果について
ア 原告は,①本件発明1では純度を93%以上とすることでどのような特段の作用効果が得られるか明示されていない,②甲3で示された純度のものから5%程度の純度の向上があったからといって,特段の効果が得られるものとも認められないと主張し,この点からも本件発明が進歩性を有しないと主張する。
イ しかし,医薬に供することを前提とするアカルボース組成物において,その含量が93重量%以上のものが,従来技術の78~88重量%の含量のものに比して有利な作用効果を奏することは,当業者にとって自明である。なぜなら,アカルボースの純度が低いと,薬効を妨げたり,副作用の原因となり得る不純物の量が多くなることは明らかであるところ,逆にアカルボースの純度を高めれば,医薬に供した場合の性質が向上することは自明といえるからである。このような観点からすれば,本件発明と甲3発明との純度の差異としての「5%」は,顕著な差異というべきである。
ウ 実際,本件発明によって93%以上,好ましくは95%以上の純度の精製アカルボース組成物が得られたことは,技術上及び商業上大きな意義を有するものである(甲9のアカルボースの医薬品インタビューフォーム)。
本件発明の顕著な効果からしても,本件発明の進歩性を肯定した審決の判断は正当である。
第5当裁判所の判断
1 取消事由1(判断の遺脱)について
(1) 原告は,本件審判請求書(甲4)において,「本件発明が数値限定発明としてみても進歩性を有するものではない」と進歩性の欠如と関連付けて主張しているが,この主張は,明細書の記載不備として特許法36条の要件違反に該当する事実をも主張しており,審決には判断の遺脱がある,と主張する。
(2) しかしながら,本件審判請求書(甲4)では,「第3 本件発明の無効理由」として,「(1)本件特許の請求項1ないし3に記載の発明は,甲2発明と同一であり,またそうでないとしても甲2または甲3から当業者が容易に想到し得たものであり,何れも特許法第29条第1項第3号または同条第2項に違反して特許されたものとして,無効とされるべきものである。」(3頁1~5行)とし,第3項中で,「(A)引用する証拠の説明」(同頁6行),「(B)本願発明が特許法第29条第1項第3号に該当する具体的理由」(同頁28行)及び「(C)本件発明が特許法第29条第2項に該当する具体的理由」(4頁23行)に分けて主張が記載された上で,「第5 結論」として(なお,第4項は存在しない。),「以上詳述したように,本件特許明細書に記載された発明は,その出願前に頒布された甲2発明であり,またそうでないとしても甲3から,もしくはこれと甲3から当業者が容易に想到し得た発明である。従って,本件特許発明は,特許法第29条第1項第3号または同条第2項に違反して特許されたものである。従って本件発明は,特許法第123条により無効とされるべきものであり,よって,上記請求のとおりの審決を求めるものである。」(6頁18~25行)と記載されているものであって,特許法36条の要件違反を無効理由とする旨の記載はなく,また,同条の要件違反に該当する事実の主張があるということもできない。
(3) また,原告が,明細書の記載不備として特許法36条の要件違反に該当する事実をも主張しているとみることができると主張する,本件審判請求書(甲4)における第3(1)(C)(ロ)の「数値限定発明の成立の可能性について」(4頁39行以下)の記載についてみるに,これは,本件請求項1ないし3を数値限定発明とみたとしても,「この場合,進歩性の存在が認められるためには,その数値限定の内と外で有利な効果において量的に顕著な差異があることが要求されるのであるが,本件特許の明細書中には,請求項1発明と先行技術特許との間に,有利な効果において量的に顕著な差異があることは示されていない。」(5頁27~30行)などと主張するものであり,ここで問題にされているのは,飽くまでも,進歩性の判断として,本件発明1が先行技術発明との比較において奏する効果であって,特許法36条の記載要件の違反をいうものではない。
(4) そして,審決は,進歩性判断として,甲3にはアカルボースの純度についての記載がないことを認定(6頁5行~7頁22行)した上で,甲3の記載からはアカルボースの更なる生成が動機付けされるものではないこと(7頁23~33行),甲2の手段で得られた粉末体11が無色であることが直ちに「水とは別に約93重量%以上のアカルボース含有量を有する」ことを意味するものではなく,甲3と甲2を組み合わせるべき理由が見いだせないこと(7頁34行~8頁12行)を理由とし,甲2発明,甲3発明に基づいて当業者が本件発明1を容易に想到し得たとすることはできないと判断したものであって,原告が主張する進歩性がない旨の無効主張についてみても,審決の判断に遺脱があるとはいえない。
(5) したがって,原告主張の取消事由1(判断の遺脱)は理由がない。
2 取消事由2(新規性判断の誤り)について
(1) 原告は,甲2に記載された無色粉末体が本件発明1に係る「93重量%以上のアカルボース含有量を有する精製アカルボース組成物」であったものと考えられると主張し,その前提として,本件明細書(甲1)の【発明の詳細な説明】における「糖に対する着色反応を呈する二次成分」(2頁左欄32,33行)につき,「糖に対して着色反応を示す成分」(すなわち,「糖と反応して着色する成分」)と解釈すべきであって,審決における「糖の着色反応を適用した場合に糖と同様に着色する成分」との解釈(5頁12~15行)は誤りである,と主張する。
(2) そこで,検討するに,本件明細書(甲1)には,次の記載がある(なお,下線部は,判決において付記したものである。)。
「これらの精製法において,アカルボースは,強酸カチオン交換体に結合し,塩溶液又は主に希酸で溶出せしめられる。アニオン交換体での中和後に得られるアカルボースは乾燥物質において78~88%のアカルボース含量を有する(HPLC法)。これらの調製物は依然糖に対する着色反応を呈する二次成分約10~15%,灰分1~4%及びいくつかの着色成分の形で不純物を含有する。」(2頁左欄28~34行)
「今回驚くことに,上述の技術に従って予備精製したアカルボースは,非常に弱い酸性の親水性カチオン交換体により,狭く制限されたpH範囲内において,残存する塩,着色物質及び糖含有の塩基性二次成分から最終的に1段階で精製できることが発見された。これの後のアカルボースの含量は少なくとも90重量%に,好ましくは95~98重量%またはそれ以上に増加し,サルフエート化灰分は0~0.5%に減少し,そして糖様二次成分(sugar-like secondary component)は10重量%以下,好ましくは2~5重量%又はそれ以下に減少する。斯くして本発明は糖様二次成分を10重量%以下で含有するアカルボースに関する。」(2頁左欄41行~右欄2行)
「適用後,カラムをもっぱら脱気した蒸留水で溶出させる。この間最初に塩,中性糖及び着色汚染物が溶出し,続いて更にゆっくりとアカルボースが比較的広いピークで溶出する。糖様塩基二次生成物はカラムに残り,それを再生するまで除去されない。従ってアカルボースはpH6~7において純水に水溶液の形で存在し,通常の方法で濃縮し且つ高純水形で乾燥することができる。」(2頁右欄39~45行)
以上の記載によると,従来技術によって得られた78~88%のアカルボース含量を有する調製物には,①糖に対する着色反応を呈する二次成分約10~15%,②灰分1~4%及び③いくつかの着色成分の形での不純物が存在しており,不純物の主なものが上記①の成分であることが理解できる。一方,本件発明は,非常に弱い酸性の親水性カチオン交換体を用いて,狭く制限されたpH範囲内で溶出させることで,不純物として残存している塩,着色物質及び糖含有の塩基性二次成分から,アカルボースを最終的に一段階で精製できるという発見からなされたものであって,本件明細書に記載された精製方法を適用すると,アカルボースの含量は,少なくとも90重量%に,好ましくは95~98重量%又はそれ以上となり,不純物は,糖様二次成分(sugar-like secondary component)は10重量%以下,好ましくは2~5重量%又はそれ以下に減少し,サルフエート化灰分は0~0.5%に減少するものである。
以上によれば,本件明細書では,不純物のタイプのうちの「①糖に対する着色反応を呈する二次成分」は,「糖含有の塩基性二次成分」,「糖様二次成分(sugar-like secondary component)」及び「糖様塩基二次生成物」と対応するものと認められる。
そうすると,「①糖に対する着色反応を呈する二次成分」は,本件明細書において「糖含有の塩基性二次成分」「糖様二次成分(sugar-like secondary component)」「糖様塩基二次生成物」といい換えられていることからも,糖様の成分であると認められることからして,「糖に対する着色反応を呈する」とは,糖と同様の反応を呈するという意味であると解釈するのが自然である。
(3) 原告は,審決における上記解釈が誤りであると主張し,そもそもアカルボース自身も糖であるため「糖の着色反応」を適用すれば着色するのであるから,アカルボース自身と不純物を区別して論じる際に,「糖の着色反応」を適用して着色するか否かで不純物を特定するということはあり得ない,と主張する。
しかしながら,上記(2)のとおりの本件明細書における「①糖に対する着色反応を呈する二次成分」に関する記載は,不純物の中に,「糖に対する着色反応を呈する」性質を有するものが存在することが述べられているだけであって,「糖に対する着色反応」で,アカルボースと上記①の成分を区別できるかどうかとは無関係の事項である。そして,アカルボースと不純物である①の成分は,他の手法で区別して認識し得るものであり(例えば,本件明細書では,アカルボースは,液体クロマトグラフィー〔HPLC〕で定量されており,HPLCで,アカルボースと他の物質は区別し得る。),アカルボースと不純物とが「糖に対する着色反応を呈する」点で共通する性質を有することをもって,矛盾するということはできない。
(4) また,原告は,「着色反応を呈する二次成分」は,「アカルボースと反応して着色している成分」,すなわち「このものが存在すればアカルボースが着色し,このものがなければ,アカルボースが着色しない成分」と解さなくてはならない,と主張する。しかし,同解釈を採るならば,アカルボース含有組成物中では既に着色していることになるため,上記(2)①の成分ではなく③の着色成分であるということもでき,①の成分と③の成分の区別がつかないことになり,本件明細書において,①と③をあえて分けて記載している意味が不明となる。
(5) さらに,原告は,甲9(アカルボースに係る医薬品インタビューフォーム)に記載された分解物[Ⅲ]及び[Ⅴ]が①の成分に該当し,これらの増加とアカルボース製剤の着色の増加との間には密接な関連がある,と主張する。しかし,甲9の実験で生成した分解物ないしは着色物と,本件において除去の対象となっている不純物とが共通しているという根拠はなく,アカルボース製剤の強制分解物に着色物が存在することが,アクチノプラネス種の発酵汁からのアカルボース精製段階における組成物中に存在する不純物のうちの上記(2)①の成分が着色物であることの根拠とはならない。
さらにまた,アカルボースにキセノンライトを照射した際の分解物は,構造決定された分解物[Ⅲ]及び[Ⅴ]に限られないから,そもそも,甲9のアカルボース製剤の着色が分解物[Ⅲ]又は[Ⅴ]によるものかどうかも不明である。
したがって,甲9の分解物[Ⅲ]及び[Ⅴ]の記載についての原告の上記主張も理由がない。
(6) 原告は,そもそも,純粋なアカルボースは本来無色の物質であるところ,甲2に記載された「無色粉末体」は,無色であることから,不純物を原因とする着色はみられなかったことは明らかであり,純粋なアカルボースか若しくはそれに限りなく近いアカルボースであったというべきである,と主張するが,この原告の主張は,不純物の主なものである「①糖に対する着色反応を呈する二次成分」が着色していることを前提とするものであって,その前提が採用できないことは上記のとおりである。
したがって,甲2に記載された粉末体が,「無色」であることから高純度のものであるという原告の主張は,採用することができない。
(7) 原告は,甲2の無色透明体につき含量の明記がないからというだけで甲2の無色透明体のアカルボースが相当程度に高純度であることを判断できないというものではなく,甲2の無色透明体と本件発明に係るアカルボースとの出発物質,精製条件が異なるからといって,精製の結果物がアカルボースであることに変わりはない,と主張する。
しかしながら,本件発明の高純度の精製アカルボース組成物は,非常に弱い酸性の親水性カチオン交換体を用いて,狭く制限されたpH範囲内において溶出することによって得ることができるものであり,「カルボキシル基を含み且つポリスチレン,ポリアクリル酸又はポリメタクリル酸に基づく市販の弱酸交換体は本精製に使用することはできない」(甲1の2頁右欄18~21行)ものであって,精製条件によって,達成し得る純度が異なるものと認められる。また,原告も,「甲3の出願当時も,精製の方法・条件・頻度等によって純度に差異が生じることは当然認識されていた」(原告準備書面(1)12頁17,18行)と述べるとおり,精製条件が,結果物の純度に影響を与えることは,原告も認めているとおりであって,甲2に記載された精製条件によって,本件発明で規定する高純度のものが得られるとは認められない。
したがって,本件発明が甲2発明と同一の発明ではないとした審決の判断に誤りはない。
3 取消事由3(進歩性判断の誤り)について
(1) 原告は,甲6,7によれば,本件出願前に純粋なアカルボースのSIU/gの数値が77700SIU/gであることが公知であったこと,甲6,7には,純度100%である77700SIU/gのアカルボースの存在が記載されていることを主張する。
しかしながら,甲6,7のいずれにも,「純粋なアカルボースのSIU/g値が77700SIU/gである」ことは一切記載されていない。また,甲6の9頁左下欄の第1表中の「比較」欄には「n=0及びm=2の式(Ⅱ)の物質(アカーボース) 77,700SIU/g」と,甲7の11頁右下欄の実施例1の記載中「比較」欄には「m=0,n=2,Y=H及びX=OHの式Ⅱの物質(アカルボース) 77 700SIU/g」と記載されているが,これらは,アカルボースのSIU/gの数値が示されているにすぎず,甲6,7の上記記載に基づいて,純粋なアカルボースのSIU/g値が77700SIU/gであることは本件優先日前の周知技術であったなどということはできず,原告の上記主張は採用できない。
なお,原告は,本件明細書(甲1)の実施例1(4頁右欄3~21行)の記載から,阻害剤含有量は446550SIUで,これに相当する純粋な無水アカルボースは5.75gであるというのであるから,純粋な無水アカルボースの阻害剤としての1g当たりのSIU値は,77661SIU/gとなり,これを10SIU/gの単位で四捨五入すると77700SIU/gとなるから,これが純粋なアカルボースのSIU/g値であるとされていたと主張するが,本件明細書の記載をもって,他の刊行物に記載されているアカルボースの活性値から純度を導き,当該純度が公知であったと推論することは相当ではない。
(2) 原告は,審決が甲3の出願当時において68000SIU/gのアカルボースが純度の低いものであること(さらに精製する余地のあること)は知られていなかったとすることにつき,精製の方法,条件,頻度等によって純度にばらつきが生じることは当業者の常識であって,現に甲3の実施例11中にも,より純度の低い50000SIU/gのアカルボースが記載されており(25頁右上欄6~8行),甲3の出願当時も,精製の方法,条件,頻度等によって純度に差異が生じることは当然認識されていたのであって,甲3に記載されたアカルボースが純粋なもの(さらに精製する余地のないもの)と認識されていたわけではないことが明らかである,と主張する。
しかしながら,甲3から「精製の方法,条件,頻度等によって純度に差異が生じること」が認識されるとしても,甲3発明が「各化合物を純粋な状態で製造する」こと(6頁上右欄14行)を目的とする発明であること,実施例の中では,実施例8に記載されているアカルボースの活性値「68000SIU/g」が最も高い値であることからすれば,少なくとも「68000SIU/gのアカルボース」につき,更なる精製が動機付けされているとはいえないと解され,原告の上記主張も採用できない。
(3) 原告は,医薬品原料としては高い純度が要求されるのが周知なのであり,既に純粋なアカルボースが存在していたのであり,また,精製を繰り返すことでより純度の高い物質が得られることも常識であって,精製法は甲2のほかにも多数の種類が知られていたのであるから,本件発明は,甲3と甲2から容易に発明することができた,と主張する。
しかしながら,ある精製方法を繰り返し行ったとしても,その精製方法ごとに,達成できる純度に自ら上限があるのが通例であって「精製を繰り返すことでより純度の高い物質が得られること」によって,直ちに,本件発明で規定する純度のものが得られるとは認められない。
また,本件明細書の記載によれば,従来法である,強酸カチオン交換体にアカルボースを結合して塩溶液又は希酸で溶出する方法や,この強酸カチオン交換体を単に弱酸カチオン交換体に代替する方法によっては,本件発明で規定する純度を達成することができず,非常に特に弱い酸性の親水性カチオン交換体を用い,かつ,狭く制限されたpH範囲内において溶出を行うことによって初めて,その純度を達成できたものであると認められる。これに対し,甲2に記載された精製法が,本件発明で規定する純度を達成可能なものであることは何ら示されていない。なお,原告は,「無色」であることを,純粋なアカルボースか若しくはそれに限りなく近いアカルボースであったことの根拠としているが,これを採用できないことは上記のとおりである。そして,本件発明で規定する純度を達成可能な精製法を開示した証拠も存在しない。
したがって,たとえ課題や動機が存在していたとしても,本件優先日前に,本件発明で規定する純度を達成可能とする手段は公知ではなかったことから,本件発明で規定する純度のものを得ることは,当業者といえども容易には行い得なかったものと認められる。
(4) さらに,原告は,本件発明1において,純度を93%以上とすることによる特段の作用効果が認められない,と主張する。しかしながら,それまで技術的に達成困難であった純度を達成できたことは,それ自体で,特段の作用効果を奏したものということができるものであって,原告の上記主張も採用することができない。
4 本件発明2及び3について
本件発明1が「水とは別に約93重量%以上のアカルボース含有量」を有する精製アカルボース組成物に係る発明であるのに対し,本件発明2は「水とは別に約95~98重量%のアカルボース含有量」及び本件発明3は「水とは別に約98重量%のアカルボース含有量」をそれぞれ有する精製アカルボース組成物に係る発明である。
そして,原告は,本件発明2及び3に係る取消事由は本件発明1についての取消事由1(判断の遺脱)及び3(進歩性の欠如)について述べたところと同一であるとするところ,上記1及び3によれば,結局,本件発明2及び3についての取消事由も理由がないことになる。
5 結論
以上によれば,原告主張の取消事由はいずれも理由がない。
よって,原告の請求は理由がないから,棄却されるべきである。
(裁判長裁判官 塚原朋一 裁判官 本多知成 裁判官 田中孝一)