知財高等裁判所 平成20年(ネ)10027号 判決 2008年11月20日
控訴人
バイエルクロップサイエンス株式会社
(一審被告)
訴訟代理人弁護士
中島和雄
補佐人弁理士
川口義雄
同
小野誠
同
金山賢教
被控訴人
エンシステックス・インコーポレイテッド
(一審原告)
訴訟代理人弁護士
大野聖二
主文
1 本件控訴を棄却する。
2 控訴費用は控訴人の負担とする。
事実及び理由
第1控訴人の求めた裁判等(訴訟費用に係る部分は省略)
1 被控訴人(一審原告)の請求の趣旨
被告(控訴人)が原告(被控訴人)に対し,特許第3162450号の特許権に基づいて,原判決別紙原告(被控訴人)製品目録記載の製品の生産,使用,譲渡,輸入及び譲渡の申出につき,差止請求権を有しないことを確認する。
2 原判決の主文
(1) 被告(控訴人)が原告(被控訴人)に対し,特許第3162450号の特許権に基づいて,原判決別紙原告(被控訴人)製品目録記載の製品の生産,使用,譲渡,輸入及び譲渡の申出につき,差止請求権を行使することができないことを確認する。
(2) 原告(被控訴人)のその余の請求を棄却する。
3 控訴人の求めた裁判
(1) 原判決中,控訴人敗訴部分を取り消す。
(2) 被控訴人の請求を棄却する。
第2事案の概要
(以下,略語については原判決の例による。)
1(1) 本件は,被控訴人(原告)が,特許権を有する控訴人(被告)に対し,控訴人の特許は無効であると主張して,被控訴人製品の生産等に対する差止請求権の不存在確認を求めた事件である。
控訴人は,名称を「工芸素材類を害虫より保護するための害虫防除剤」とする発明について本件特許権(特許第3162450号。平成3年12月12日出願,優先権主張平成3年4月27日〔日本〕,平成13年2月23日設定登録。請求項の数3,特許公報は〔甲4の11〕)を有していたが,これに対し,被控訴人が,特許庁に対し,無効審判請求(無効2005-80225号)をし,特許庁は,審理の上,平成18年6月14日付けで,「訂正を認める。本件審判の請求は,成り立たない。」との審決をした(第1次審決)。そこで,被控訴人が上記審決の取消しを求めて訴訟を提起したところ,知的財産高等裁判所は,平成19年7月12日,第1次審決を取り消す旨の判決をした(第1次判決〔甲3〕,平成18年(行ケ)第10482号)。
(2) 特許庁は,上記無効2005-80225号事件につきさらに審理し,その中で,控訴人は,平成19年12月10日,訂正請求(本件訂正)を行ったが,特許庁は,平成20年1月29日,「訂正を認める。特許第3162450号の請求項1及び2に係る発明についての特許を無効とする。」旨の審決をした(第2次審決〔乙28〕)。そこで,控訴人は,平成20年2月28日,上記審決の取消しを求めて訴訟を提起した(平成20年(行ケ)第10068号)。また,控訴人は,平成20年4月2日,特許庁に対し,訂正審判請求(訂正2008-390037号)をしたが,知的財産高等裁判所は,特許法181条2項により上記審決を取り消すことなく,上記平成20年(行ケ)第10068号事件の審理を続けている。
(3) 特許庁は,上記訂正2008-390037号事件につき,平成20年7月2日,「本件審判の請求は,成り立たない。」との審決をしたが,これに対し,控訴人から審決取消訴訟が提起され,知的財産高等裁判所はこれを平成20年(行ケ)第10302号事件として審理中である。
2(1) 被控訴人は,原審において,被控訴人が控訴人に対し,本件発明1~3及び本件訂正発明1,2が進歩性欠如の無効理由を有すると主張して,控訴人が被控訴人製品の生産等に対する差止請求権を有しないことの確認を求めた。
(2) これに対し,原判決は,本件発明1~3及び本件訂正発明1,2は,いずれも進歩性欠如により無効理由を有すると判断し,ただ,特許権から派生する差止請求権は,その存在そのものは否定されるわけではなく,その行使が制限されるものと解されるとして,差止請求権を行使することができないことを確認するとの限度で本訴請求を認容し,その余を棄却すべきものとした。
(3) そこで,上記判決に不服の控訴人が,原判決の敗訴部分の取消しを求めて,本件控訴を提起した。
第3当事者双方の主張
1 当事者双方の主張は,次に付加するほか,略称も含め,原判決の「事実及び理由」欄の第2「事案の概要」のとおりであるから,これを引用する。
2 控訴人の主張
(1)ア 原判決は,特開昭61-267575号公報(審決時甲2。本訴における甲4の2。以下,審決を引用する場合を含めて原判決と同様に「甲2」といい,そこに記載された発明を「甲2発明」という。)の「衛生害虫,貯蔵物に対する害虫に使用される際には活性化合物は…木材及び土壌における優れた残効性によって,きわだたされている。」(16頁左上欄11行~15行)との記載(以下「甲2の残効性に関する記載」という。)が,ヤマトシロアリやイエシロアリとは異なる衛生害虫と貯蔵物害虫の場合の示唆にすぎないことを認めながら,イミダクロプリドがヤマトシロアリ及びイエシロアリに対して長期の殺虫効果を発揮することを当業者が容易に予想することができた理由として,「…優れた残効性とは,殺虫剤を低濃度で使用した場合でも,その施用場所によくとどまり,そこで長期間の殺虫効果を発揮することであるから,イミダクロプリドが別の翅目のものに対しても殺虫効果を有するのであれば,当該別の翅目のものに対してもその施用場所において長時間の殺虫効果を発揮することが,当業者であれば,容易に予想することができたことである…」(16頁~17頁)と説示している。
イ しかし,原判決は,ここでは,イミダクロプリドのヤマトシロアリ,イエシロアリに対する単なる「殺虫効果」が認められさえすれば,そのことから,ヤマトシロアリ,イエシロアリに対する「長期の殺虫効果」も当然に予想できるとする趣旨であるが,単なる「殺虫効果」からそれを超える「長期の殺虫効果」がなぜ容易に予想し得るのかの説明を欠いている。
ウ また,原判決は,「イミダクロプリドが別の翅目のものに対しても殺虫効果を有するのであれば」とは,甲2に基づく認定事実としてではなく,単なる仮想事実として述べたものにすぎないところ,原判決は,かかる仮想事実を前提に,そこからさらに論理を飛躍させて,「当該別の翅目のものに対してもその施用場所において長時間の殺虫効果を発揮することが,当業者であれば,容易に予想することができた」としたものであるから,二重の意味で論理不在である。
エ イミダクロプリドのヤマトシロアリ及びイエシロアリに対する殺虫効果が甲2に示唆されていることを前提とした場合にも,その優れた残効性は容易に想到できない。すなわち原判決の,「当該別の翅目(ヤマトシロアリ及びイエシロアリ)に対してもその施用場所において長期間の殺虫効果を発揮することは,当業者であれば,容易に予想することができた」との判断は,専ら甲2の残効性に関する記載のみに基づくところ,イミダクロプリドがその施用場所において長期間の殺虫効果を発揮すること(残効性)については,殺虫効果一般の場合と異なり,一部の翅目についてすら何らの生物試験も行われておらず,現実に残効性を裏付ける記載は皆無であるから,甲2の残効性に関する記載に技術的意義は認められない。
甲2の単なる殺虫効果と本件訂正発明1のヤマトシロアリ及びイエシロアリに対する極めて長期にわたる殺虫残効性とは,いずれも殺虫効果という一点でこそ方向性を共通にするものの,進歩性の判断においては,同一の効果とみるべきものではなく,異質の効果であり,少なくとも同種の効果であっても格段に優れた効果と評価されるべきものである。
したがって,本件訂正発明1が奏するイミダクロプリドのヤマトシロアリ及びイエシロアリに対する殺虫効果の優れた残効性は,甲2発明の奏する効果(一般的な殺虫効果)とは異質の効果と認めるべきもので,本件訂正発明1は,甲2発明に対する選択発明としての進歩性を有するものである。
(2) 本件訂正発明1,2に係る特許が「特許無効審判により無効にされるべきものと認められる」か否かは,専ら,本件控訴事件と同一担当部にて並行審理中の審決取消請求事件(平成20年(行ケ)第10068号事件)において第2次審決が維持されるか否かに帰着するところ,以下の理由によれば,第2次審決は取り消されるべきものである(乙30,31)。
ア 本件訂正発明1について
(ア) 相違点2について
① そもそも,選択発明とは,物の構造に基づく効果の予測が困難な技術分野に属する発明で,刊行物において上位概念で表現された発明又は事実上若しくは形式上の選択肢で表現された発明から,その上位概念に包含される下位概念で表現された発明又は当該選択肢の一部を発明を特定するための事項と仮定したときの発明を選択したものであって,前者の発明により新規性が否定されない発明をいうから,刊行物に記載された発明とはいえないものは選択発明になり得る(要件(i))。そして,刊行物に記載されていない有利な効果であって,刊行物において上位概念で示された発明が有する効果とは異質な効果,又は同質であるが際立って優れた効果を有し,これらが技術水準から当業者が予測できたものでないときは,進歩性を有する。(要件(ⅱ))
② 選択発明の要件(i)
第2次審決は,「本件訂正発明は甲2に記載された発明及び周知技術に基づいて当業者が容易に発明をすることができたもの」とするのであるから,その新規性を認めている。また,第2次審決が依拠する第1次判決においても,「上記の課題に直面していた当業者が,同一技術分野に属する刊行物である甲2に接したならば,イミダクロプリドを有効成分として含有する害虫防除剤をヤマトシロアリやイミダクロプリドに適用してみようとすることは何ら困難な事柄ではないというべきである。」としているのであるから(38頁),これまた本件訂正発明1の新規性を阻却するものではない。
したがって,本件訂正発明1は,要件(i)を充足する。
③ 選択発明の要件(ii)
a 刊行物に記載されていない有利な効果であって,異質な効果
(a) 本件訂正発明1は,イミダクロプリドが「公知薬剤よりも低濃度で,シロアリに対し残効作用を示すことから,安全且つ的確な防除が可能であって,シロアリの被害をうける木造建築物に対し,有利に使用することができる。」(本件訂正明細書〔乙13〕の3頁)とするものである。そして,本件訂正明細書(乙13)の実施例9は,薬剤を浸漬した木材片(アカマツ,工芸素材類),砂壌土,シロアリ(イエシロアリ)を共存させてシロアリの侵襲から木材片を保護する本件訂正発明1のイミダクロプリドのシロアリ防除残効試験をしたものであるが,本件訂正発明1のイミダクロプリドは,市販のホキシム,クロルピリホスをはるかに越える,0.32~40 ppmの低濃度において完全な殺虫率を有し,かつ,木材片の食害が全く認められなかったという卓越したシロアリ防除効果を示している。また,同実施例11には,イミダクロプリドの薬剤吸収濃度毎にそれぞれ3本の木材片標本を用いた8週間後の試験結果において,平均吸収濃度68.211g/m3の標本群において5段階の評価値において「0」(被害なし),平均吸収濃度1.344g/m3という極めて低い平均吸収濃度の標本群において評価値「1」(痕跡程度)であったこと,及びいずれの標本においても職蟻各250頭は全頭死滅したことが第20頁第5表に示されている。そして,その有毒閾値は「0.135g/m3と1.344g/m3の間」という極めて低いもので,その高い側の値をとっても,同頁第6表に示す周知の殺虫剤ディルドリンの有毒閾値50g/m3に比して実に約37倍,リンダンの75g/m3に比して約56倍という格段に優れたものであることが示されている。
(b) このように,本件訂正発明1における,木材及び木質合板類の保護を目的とするイミダクロプリドのヤマトシロアリ及びイエシロアリに対する上記のような殺虫「残効性」の優れた効果に対比し,甲2に記載された技術的に裏付けのある効果,すなわち生物試験により裏付けられた現実の効果としては,いずれも専ら半翅目に属するツマグロヨコバイ等5種のみについて,稲ないしナス苗に撒布乾燥2日後の殺虫率(100%)を確認したというだけである。その他の翅目の害虫についてはそれらの殺虫活性すらも確認していないばかりか,イミダクロプリドの殺虫残効性については上記5種の害虫に対する関係についてすら確認していない。まして,木材等をヤマトシロアリ又はイエシロアリの侵食から保護するためのイミダクロプリドの木材における有利な「残効性」については,確認はもとより一片の記載すらもされていない。
(c) 以上によれば,本件訂正発明1における,イミダクロプリドを含有する害虫防除剤が,木造建築物等に使用される木材及び木質合板類をヤマトシロアリ又はイエシロアリの侵食から保護する優れた効果は,甲2に記載されていない有利な効果であって,異質な効果である。
b 刊行物に記載されていない有利な効果であって,同質であるが際立って優れた効果
(a) 本件訂正発明1の有効成分イミダクロプリドは,公知の殺虫剤と比較して極めて顕著な殺虫作用を示し,極めて低濃度で使用可能であることから環境面において許容され,公知薬剤よりも低濃度でシロアリに対し残効作用を示すことから安全かつ的確な防除が可能であり,工芸素材類を保護するための殺虫用薬剤の活性成分として使用でき,シロアリの侵襲に対して土壌処理とすることもできるという作用効果を奏する(本件訂正明細書(乙13)の3頁6行~4頁8行)。この作用効果の具体例が実施例8に例示されている。
すなわち,実施例8は,本件特許のイミダクロプリドを,その出願日(優先日)当時シロアリ防除剤として市販され非常に高いシロアリ殺虫活性を有するホキシム及びクロルピリホスと直接比較したシロアリ防除効果を記載している。実施例8はガラスシャーレ中でシロアリ(イエシロアリ)の殺虫効果を試したシャーレ試験であるが,第1表(化合物I.3がイミダクロプリド,比較Aはホキシム,比較Bはクロルピリホス)に示されるように,本件特許のイミダクロプリドは,ホキシム,クロルピリホスに優るとも劣らない殺虫活性を有している。
(b) 次に,化学構造が類似する他のニトロイミノ系化合物と対比しても,本件特許のイミダクロプリドが格別顕著なシロアリ殺虫活性を具有していることを示す。
i 控訴人従業員A作成の「イミダクロプリド関連化合物のイエシロアリに対する効果試験(速報)」(乙1)は,イミダクロプリド関連化合物のイエシロアリに対する生物学的活性試験を実施し,その結果を一覧したものである。具体的に,本件特許のイミダクロプリドを甲2に記載の一般式に包含される化合物No.1,2,4,5,10,11,16と対比してイエシロアリに対する殺虫効果を試験したものである。
上記「イミダクロプリド関連化合物のイエシロアリに対する効果試験(速報)」(乙1)のFig.1~Fig.3に見られるように,シロアリ投入30分~3時間後,50~400ppmのいずれの活性成分濃度においてもイミダクロプリドと接触したシロアリの苦悶の程度は他のニトロイミノ化合物に比べて甚だしく,イミダクロプリドは即効性においても優れていることが分かる。また,Fig.4~Fig.6から,シロアリ投入1~3日後におけるイミダクロプリドによるシロアリの苦悶起立,転倒,死虫の割合は50~400 ppmのいずれの濃度においても他のニトロイミノ化合物から突出して増加していることが分かる。また,シロアリ投入5日後においては,No.1やNo.2では200ppm以下で苦悶虫が残るのに対し,イミダクロプリドは50ppmでも完璧な死虫率100%を表している。No.4~No.16ではほとんど効果がない。このように,イミダクロプリドは試験した化合物群の中で最も早くシロアリを苦悶・死亡に至らせ,低濃度におけるシロアリ防除効果及び効力の持続性という点で最も優れているものであり,類似化合物と対比しても極めて卓越したシロアリ防除効果を示すのである。
ⅱ なお,第2次審決は,「…そもそも,乙1で試験したわずか8種のニトロイミノ誘導体化合物の試験結果を示したところで,甲2の一般式(摘示(1)及び(2))に包含される数多くのニトロイミノ誘導体化合物(例えば,甲2の第1表には53種のニトロイミノ誘導体化合物が例示されている。)のうち,イミダクロプリドが特に優れた効果を示すということはできないし,…イミダクロプリドのイエシロアリに対する効果が,No.1やNo.2のイエシロアリに対する効果と比較して,格別に異なるとまではいえない。」(19頁5行~15行)とする。
しかし,乙1で試験した8種のニトロイミノ誘導体化合物は,甲2の他の化合物と対比しても,イミダクロプリドの化学構造に極めて近縁の類似化合物類である。しかるに,このうちNo.1やNo.2はシロアリ投入5日後において,200ppm以下でも苦悶虫が依然として存在している一方,イミダクロプリドは50ppmで100%の死虫率を現している。また,No.16の殺虫効果はシロアリ投入5日後において,400ppmでわずかに転倒虫が出るにすぎず,ほとんどが生きている。これらをイミダクロプリドの効果と比較すれば,イミダクロプリドが類似化合物よりも,いかに極めて優れた格別顕著な殺虫効果を有しているかが明らかである。
ⅲ したがって,本件訂正発明1は,その上位概念で表現された甲2発明が有する効果と同質であるが,際立って優れた効果を有している。
(c) 以上の(a),(b)によれば,本件訂正発明1は,選択発明の要件(ⅱ)を充足する。
(d) なお,第2次審決は,ヤマトシロアリ及びイエシロアリの各々に対する本件訂正発明1の奏する効果についてさらに述べるところがあるが,これに対する反論は,以下のとおりである。
i ヤマトシロアリについて
(i) 第2次審決は,「本件訂正明細書,及び本件審判において提出されたすべての証拠には,そもそも,ヤマトシロアリについて,本件訂正発明の奏する効果を裏付けるものは存在しない。…本件訂正明細書の実施例11の記載が本件訂正発明の奏する効果を裏付けるものとは認められない。」とする(15頁21行~16頁23行)。
しかし,実施例11の対象害虫はレチクリターメス サントネシス(Reticulitermes santonesis)であって,これは本件訂正発明1のヤマトシロアリ(学名はLeucotermes speratusともReticulitermes speratusとも表記される)と昆虫の学術分類上同じ「属」に属するものであり,本件訂正明細書は,実施例11に記載の効果をもって,ヤマトシロアリについて本件訂正発明1の奏する効果としたものである。すなわち,同じ「属」に属する生物は形態上も生態上も非常に似た性質を有しているから,ある「属」に属する一つの種の効果をもって,同じ「属」に属する他の種についての効果とみなすことは許されるべきである。
(ⅱ) 第2次審決は,「本件において,イミダクロプリドが甲2に記載されたものの効果として予想されるところと比べて格段に異なるというためには,比較の対象として,…甲2に記載された,イミダクロプリド以外の化合物と比較することが必要不可欠である。」(17頁7行~12行)とするが,かかる説示は,第1次判決と齟齬を来すものである。
すなわち,甲2が生物試験でもって具体的に殺虫作用を記載しているのは実施例5~7のツマグロヨコバイ他5種の半翅目虫のみであり,これとは属の分類単位において異なるイエシロアリ,ヤマトシロアリの等翅目虫については,「そのような害虫類の例」として,鞘翅目害虫などと同列に一般的に羅列記載されているにすぎない(14頁)。第1次判決は,甲2のかかる記載内容を認定した上で,「甲2には,イミダクロプリドを有効成分として含有する化合物を一つの代表例とするニトロイミノ誘導体が広汎な害虫に対して強力な殺虫作用を示すとともに,木材における優れた残効性を示すこと,さらに,同化合物が殺虫効果を示す対象害虫類の一つとして,等翅目虫のヤマトシロアリ,イエシロアリが具体的に挙げられているのであるから,上記の課題に直面していた当業者が,同一技術分野に属する刊行物である甲2に接したならば,イミダクロプリドを有効成分として含有する害虫防除剤をヤマトシロアリやイエシロアリに適用してみようとすることは何ら困難なことではないというべきである。」と説示したが(38頁),これは,「適用してみようとすることは何ら困難なことではない」と説示しているだけであるから,甲2の記載からイミダクロプリドのイエシロアリ又はヤマトシロアリへの殺虫活性が予測されるとしているわけではない。
しかも,第1次判決は,続けて,「被告は,上記第4の1(3)のとおり,化学物質の害虫に対する防除効果は害虫の種類によって大きな差異があるから化学物質の効果が生物試験によって裏付けられていない限り,所期の効果を予測することはできないと主張するが,このような事情を考慮したとしても,イミダクロプリドを有効成分として含有する化合物をヤマトシロアリ及びイエシロアリの防除剤として適用してみようとする動機付けとする限りにおいては,上記に説示したところを左右するには足りない。」と説示するが(38頁),「動機付けとする限りにおいて」上記説示が左右されないとしているのであるから,甲2の記載からイミダクロプリドのイエシロアリ又はヤマトシロアリへの殺虫活性が予測されるとしているわけではない。
したがって,第1次判決に従う限り,甲2の記載から,イミダクロプリドを含む一般式で表されるニトロイミノ誘導体がイエシロアリ又はヤマトシロアリに対して殺虫活性を有しているか否かは不明としなければならないというべきであるから,甲2はイエシロアリ又はヤマトシロアリに対する害虫防除剤としては的確な先行技術たり得ず,本件訂正発明1のイミダクロプリドのイエシロアリ又はヤマトシロアリに対する殺虫効果が格別のものであるというためには,甲2に記載されたイミダクロプリド以外の化合物と比較することが必要不可欠とするのは第1次判決の説示を曲解したものというほかない。
ⅱ イエシロアリについて
(i) 第2次審決(乙28)は,「甲2には,イミダクロプリドを有効成分として含有する化合物を一つの代表例とするニトロイミノ誘導体が『極めて卓越した殺虫作用を発現し,更には,低薬量で完璧な防除作用を現わす新規化合物である』…と記載されており,その効果の裏付けも記載されているし…,また,駆除撲滅のために適用できる害虫の例としてイエシロアリが記載されている…ので,甲2に記載されたイミダクロプリドが,イエシロアリに対し,『極めて卓越した殺虫作用を発現し,更には,低薬量で完璧な防除作用を現わす』ことは予想されることである…」(18頁15行~22行)とする。
しかし,第2次審決は,ここにいう甲2の「極めて卓越した殺虫作用を発現し,更には,低薬量で完璧な防除作用を現わす」の意義を拡大解釈している。すなわち,甲2は「極めて卓越した殺虫作用を発現し,更には,低薬量で完璧な防除作用を現わす」と記載するも,これは,明細書の具体的な開示を超えて判断されるものではなく,最良の実施態様である実施例5~7の生物試験の結果を超えるものではない。また,前記のように,第1次判決は,甲2の記載からイミダクロプリドのイエシロアリ又はヤマトシロアリへの殺虫活性が予測されるとしているわけではないから,甲2の「極めて卓越した殺虫作用を発現し,更には,低薬量で完璧な防除作用を現わす」との記載とイエシロアリ,ヤマトシロアリの一般記載を結び付けて,甲2に記載されたイミダクロプリドが,イエシロアリに対し,「極めて卓越した殺虫作用を発現し,更には,低薬量で完璧な防除作用を現わす」ことは予想されることであるとするのは余りにも拙速にすぎる。
(ⅱ) 第2次審決は,乙25(「ハチクサンFLT-893野外試験(vol.1)」〔平成15年10月Bayer Environmental Science社発行〕)に関して,「かかる効果は,本件訂正明細書の記載に基づくものではないから,参酌できない。」(20頁16行~17行,21頁14行~15行)とする。その理由は,乙25にイミダクロプリドが10年にわたって木材等をイエシロアリの食害から保護することが記載されているが,本件訂正明細書に記載された実施例等の試験期間から本件訂正発明における「顕著な残効力」とはせいぜい半年程度効果が継続することを意味しているとしか解せないから,イミダクロプリドの10年以上という桁違いに長い期間の残留性は本件訂正明細書の記載からは想定され得ないというにある(20頁)。
しかし,かかる審決の理由は,当業界に求められているシロアリ防除剤としての要求性能を看過するもので妥当ではない。シロアリから木材等を保護するシロアリ防除剤は数年ないし10年あるいはそれ以上その活性を維持するものが当業界で求められているのであり,そのような活性を維持するものがシロアリ防除剤といわれている。本件訂正明細書(乙13)はかかる当業界の技術常識を踏まえた上で「顕著な残効力」を有するシロアリ防除剤と記載したのであるから,当初から乙25に記載のような10年にわたる木材等の保護を意図していたものであり,乙25は本件訂正明細書に記載した発明をそのまま実施化したものにすぎない。
(イ) 相違点1について
① 第2次審決は,「甲2には,『衛生害虫,貯蔵物に対する害虫に使用される際には活性化合物は,…木材及び土壌における優れた残効性によって,きわだたされている。』(摘記(6))と記載されているから,甲2発明において,害虫から保護する対象として木材が想定されていることは明らかである。…イエシロアリ又はヤマトシロアリは木材類を食害する害虫として周知である…。したがって,甲2発明において,害虫から保護する対象について木材と規定することは当業者が容易になし得ることである。」(12頁25行~13頁2行)とし,保護する対象としての木材が広汎な害虫にわたりおしなべて想定されているかのように認定するが,当該説示は,甲2の記載を誤って捉えたもので失当である。
② まず,前記のように,甲2の実施例においては,半翅目虫の5種について,稲,ナス苗に撒布乾燥2日後の殺虫率を確認しただけで,イミダクロプリドの木材及び土壌における残効性などについては何らの試験も行われていないから,明細書中にこのような記載が唐突に出現すること自体,首肯しかねるところであって,上記記載の技術的意義は疑問である。
③ また,甲2の前記記載は衛生害虫,貯蔵物に対する害虫に関わるものであって,これらの害虫の範疇に分類されないシロアリとは無縁の記載である。しかも,ここにいう「木材及び土壌における優れた残効性」も,ノミ,シラミ,ハエ,カ,ゴキブリ,ガ等の衛生害虫や貯蔵物に対する害虫の防除のための残留噴霧(害虫の出現が予想される場所に予め散布しておくこと)として適用する際の,噴霧対象である天井等や堆肥等の素材である木材や土壌における残効性に言及したにとどまると解すべきであって,ノミ,シラミ,ハエ,カ,ゴキブリ,ガ等の衛生害虫や貯蔵物害虫は,天井等の木製の建具類を棲家として発生・生息することがあっても,その素材である木材自体を食害・侵襲することはあり得ないから,前記甲2の記載中の「木材における優れた残効性」は,木材等をシロアリの侵食から保護するためのイミダクロプリドの木材及び土壌における有利な残効性とは無縁の記載でしかない。
④ 仮に甲2がシロアリに対するイミダクロプリドの「殺虫性」ないし当該作用に基づく「直接噴霧」や「残留噴霧」程度までは示唆しているといい得たとしても,かかる施用方法にいう「残効性」は,高々,数週間~数か月を限度とするというのが当業者の通常の認識であるから,そのような「シロアリ駆除剤」としての用途と,それよりははるかに長期間にわたり効果が持続しなければならない本件訂正発明1の「シロアリ防除剤」としての用途は,全く別異のものとして峻別されるべきである。
しかるに,本件訂正明細書(乙13)の実施例11においては,本件イミダクロプリド(活性化合物I.3)の木材吸収濃度のレチクリターメスサントネシス(ヤマトシロアリと同じミゾガシラシロアリ亜科に属するもの)に対する8週間後の有毒閾値が最大でも1.344g/m3であったことが示されており(19頁5行~9行),またその際の効果は,それよりも約100倍も多い136.627g/m3程度の木材吸収濃度での場合にさえ匹敵するところ,当業者は,一般に化合物の分解が経時的にかつ連続的に進行するという技術常識にも照らして,仮に本件イミダクロプリドを136.627g/m3程度の木材吸収濃度で施用した場合,当該木材中でイミダクロプリドが100分の1にまで経時的に分解したとしても,依然として所期の効果を奏し得るという卓越した残効性を理解し得るはずである。
イ 本件訂正発明2について
本件訂正発明2と甲2’発明とは,第2次審決認定のとおり,相違点1~3において明白に相違しているが,相違点2,3は,同審決認定のように,それぞれ本件訂正発明1と甲2発明との相違点1,2と同じである。しかるに,上記1の本件訂正発明1において述べた理由から,第2次審決の当該相違点2,3についての判断が誤っていることは明らかである。
(3) 仮に,第2次審決に対する審決取消訴訟において第2次審決が維持される結果となる場合にも,控訴人は,本件特許の第3次訂正となる訂正2008-390037号訂正審判を請求中である(乙29)。この請求は,本件訂正発明1の「害虫防除剤」を「木材及び木質合板類浸み込用害虫防除剤」に限定するとともに,本件訂正発明2(請求項2)を削除するものであるところ,かかる訂正は認められるべきであるから,結局,本件特許は特許無効審判により無効とされるべきものと認められないことになる。
3 被控訴人の主張
(1) 「甲2の残効性に関する記載」に従って,ヤマトシロアリ,イエシロアリに関して,殺虫効果の残効性を調べることは当業者であれば極めて容易になし得ることであり,原判決の判断に誤りはない。
(2) 訂正審判請求(第3次請求)によって進歩性が生じることはあり得ず,かかる訂正審判請求が認められる余地はない。
(3) 選択発明は,刊行物の上位概念の発明から下位概念を選択したことにより異質ないし顕著な効果がある場合のものであるが,これは,物の構造に基づく効果の予測が困難なことを理由とするものであるから,上位,下位の関係にあるものは,物の構造に基づく効果の予測が困難なものでなければならない。効果の予測が可能な要素に関して,いくら下位概念に限定しても,異質な効果や顕著な効果が生まれるものではないからである。しかるに,本件の場合,対象となる化合物自体,本件訂正発明1と甲2発明ではいずれもイミダクロプリドであって相違がない以上,物の構造に基づく効果の予測が困難な要素により下位概念化がなされた発明ではない。したがって,本件訂正発明1,2が,選択発明として進歩性を有するとはいえない。
(4) 本件訂正発明1,2も,甲2発明も,いずれも同じ「イミダクロプリドを有効成分として含有する害虫防除剤。」という構成を有するものである以上,これらの発明において,害虫防除剤の効果に相違があるということはあり得ない。この点,控訴人は,両発明の残効性に関して相違を縷々述べているが,かかる効果が「イミダクロプリドを有効成分として含有する」という構成から生じる効果である以上,両者に相違があるものではない。
第4当裁判所の判断
1 当裁判所も,本件発明1~3,本件訂正発明1,2は,いずれも進歩性欠如の無効理由を有するから,原判決主文第1項掲記の限度で,被控訴人の請求を認容すべきと判断する。その理由は,次に付加するほか,原判決の「事実及び理由」欄の「第3当裁判所の判断」に記載したとおりであるから,これを引用する。
2 控訴人の主張(1)について
(1) 控訴人は,原判決は,単なる「殺虫効果」からそれを超える「長期の殺虫効果」がなぜ容易に予想し得るのかの説明を欠いている,また,原判決は,甲2に基づく認定事実としてではなく,単なる仮想事実として「イミダクロプリドが別の翅目のものに対しても殺虫効果を有するのであれば」と述べて,かかる仮想事実を前提に,そこからさらに論理を飛躍させて,「当該別の翅目のものに対してもその施用場所において長時間の殺虫効果を発揮することが,当業者であれば,容易に予想することができた」としており,二重の意味で論理不在であると主張する。
ア しかし,まず,甲2には,「本発明者等はニトロイミノ誘導体の合成及びその生物活性について研究を行ってきた。その結果,前記式(I)で表される従来公知文献未記載のニトロイミノ誘導体の合成に成功し,更に,該ニトロイミノ誘導体は,予想外かつ驚くべきことには,後に,具体的に例示された生物試験から明らかなように,前記公知刊行物記載の類似の公知化合物(A)が,ほとんど殺虫作用を示さないのに対して,極めて卓越した殺虫作用を発現し,更には,低薬量で完璧な防除作用を現わす新規化合物であることを発見した。」(4頁左下欄下から9行~右下欄2行),「本発明の式(I)化合物は,強力な殺虫作用を現わす。従って,それらは,殺虫剤として,使用することができる。そして,本発明の式(I)活性化合物は,栽培植物に対し,薬害を与えることなく,有害昆虫に対し,的確な防除効果を発揮する。」(14頁左上欄1行~5行)とあるように,一般式(Ⅰ)で表されるニトロイミノ誘導体が強力な殺虫作用を現すことが述べられている。
しかるに,甲2には,「本発明一般式(I)の化合物の具体例としては,特には,下記のものを例示することができる。…1-(2-クロロ-5-ピリジルメチル)-2-(ニトロイミノ)イミダゾリジン」(5頁右上欄6行~12行)とあるから,上記ニトロイミノ誘導体の具体例として,特に,イミダクロプリドが例示されている。
さらに,甲2には,「本発明化合物は広範な種々の害虫,有害な吸液昆虫,かむ昆虫およびその他の植物寄生害虫,貯蔵害虫,衛生害虫等の防除のために使用でき,それらの駆除撲滅のために適用できる。そのような害虫類の例としては,以下の如き害虫類を例示することができる。昆虫類として,鞘翅目害虫,例えばアズキゾウムシ…;鱗翅目虫,例えば,マイマイガ…;半翅目虫,例えば,ツマグロヨコバイ…;直翅目虫,例えば,チャバネゴキブリ…;等翅目虫,例えば,ヤマトシロアリ(deucotermessperatus),イエシロアリ(Coptotermesformosanus);双翅目虫,例えば,イエバエ…等を挙げることができる。」(14頁左上欄6行~左下欄下から2行)とある。
これらによれば,甲2には,イミダクロプリドが具体例として例示される上記ニトロイミノ誘導体が強力な殺虫作用を現すこと,同ニトロイミノ誘導体が広範な種々の害虫の防除のために使用できること,その害虫類の具体例として,ヤマトシロアリ,イエシロアリが挙げられること,が記載されていると認めることができる。
イ しかるに,一般に,殺虫活性のある化合物は,施用箇所において,分解,揮発等により自然に消滅するか,又は,洗浄,焼却,施用対象植物の収穫等により人為的に除去されるという事情がなければ,その施用箇所にとどまって,殺虫活性を示し続けるといえる。そうすると,殺虫残効性のある化合物とは,その施用箇所において,短期間に分解・揮発等により自然に消滅することのない性質を有する化合物であるということができる。
これを上記アの一般式(I)で表される化合物(ニトロイミノ誘導体)について見ると,甲2には,同化合物について,「衛生害虫,貯蔵物に対する害虫に使用される際には活性化合物は,石灰物質上のアルカリに対する良好な安定性はもちろんのこと,木材及び土壌における優れた残効性によって,きわだたされている。」(16頁左上欄11行~15行)とあるから,上記ニトロイミノ誘導体は,木材及び土壌において,短期間に分解・揮発等により自然に消滅することのない性質を有する化合物であることが示されている。そして,このような性質は,殺虫対象となる昆虫によって左右されるものではないから,甲2の上記記載に接した当業者が,当該記載は,殺虫対象が衛生害虫,貯蔵物に対する害虫であるときに限られる旨理解するとみるのは合理的でなく,むしろ,同記載に係る残効性が発揮されるのは,甲2記載の殺虫対象全般に対してである旨理解するとみるべきである。
ウ 以上のア,イによれば,イミダクロプリドの殺虫残効性について生物試験の実施例の記載がないことを考慮してもなお,甲2において,上記ニトロイミノ誘導体(一般式(I)で表される化合物)の具体例であるイミダクロプリドが,ヤマトシロアリ,イエシロアリに対して木材及び土壌における優れた残効性を有することが記載されているというべきである。そうすると,甲2において,イミダクロプリドが上記残効性を有することが記載されていないことを前提とする控訴人の上記主張は,その前提を欠くものであって,採用することができない。
(2) 控訴人は,原判決は,「当該別の翅目(ヤマトシロアリ及びイエシロアリ)に対してもその施用場所において長期間の殺虫効果を発揮することは,当業者であれば,容易に予想することができた」との判断は,専ら前記「甲2の残効性に関する記載」のみに基づくところ,イミダクロプリドがその施用場所において長期間の殺虫効果を発揮すること(残効性)については,殺虫効果一般の場合と異なり,一部の翅目についてすら何らの生物試験も行われておらず,現実に残効性を裏付ける記載は皆無であるから,「甲2の残効性に関する記載」に技術的意義は認められない,と主張する。
しかし,上記(1)イに説示したとおり,甲2には,一般式(I)で表される化合物が,木材及び土壌において,短期間に分解・揮発等により自然に消滅することのない性質を有する化合物であることが示されているところ,このような性質は,殺虫対象となる昆虫によって左右されるものではないから,甲2の上記記載に接した当業者は,同記載に係る残効性が発揮されるのは,甲2記載の殺虫対象全般に対してである旨理解するというべきである。そして,このことは,イミダクロプリドがその施用場所において長期間の殺虫効果を発揮することについて甲2に生物試験の実施例の記載がないことによって左右されるものではない。
以上によれば,控訴人の上記主張は採用することができない。
(3) 控訴人は,イミダクロプリドのヤマトシロアリ及びイエシロアリに対する殺虫効果が甲2に示唆されていることを前提とした場合にも,その優れた残効性は容易に想到できない,甲2の単なる殺虫効果と本件訂正発明1のヤマトシロアリ及びイエシロアリに対する極めて長期にわたる殺虫残効性とは,いずれも殺虫効果という一点でこそ方向性を共通にするものの,進歩性の判断においては,同一の効果とみるべきものではなく,異質の効果であり,少なくとも同種の効果であっても格段に優れた効果と評価されるべきである,と主張する。
しかし,甲2と本件訂正発明1との間に,単なる殺虫効果と,ヤマトシロアリ及びイエシロアリに対する極めて長期にわたる殺虫残効性という質的な又は格段の違いがあるとの控訴人の上記主張は,上記(1),(2)の説示に照らし,採用することができない。
3 控訴人の主張(2),(3)について
(1) 控訴人は,第2次審決が取り消されるべきと主張するので,以下検討する。
ア 控訴人は,本件訂正明細書(乙13)の実施例9,同実施例11の記載によれば,本件訂正発明1は,木材及び木質合板類の保護を目的とするイミダクロプリドのヤマトシロアリ及びイエシロアリに対する上記のごとき殺虫「残効性」の優れた効果を有する,他方,甲2に記載された技術的に裏付けのある効果,すなわち生物試験により裏付けられた現実の効果としては,いずれも専ら半翅目に属するツマグロヨコバイ等5種のみについて,稲ないしナス苗に撒布乾燥2日後の殺虫率(100%)を確認したというだけである,その他の翅目の害虫についてはそれらの殺虫活性すらも確認していないばかりか,イミダクロプリドの殺虫残効性については上記5種の害虫に対する関係についてすら確認しておらず,木材等をヤマトシロアリ又はイエシロアリの侵食から保護するためのイミダクロプリドの木材における有利な「残効性」についても,確認はもとより一片の記載すらもなされていないと主張する。
しかし,上記2(1)に説示したとおり,イミダクロプリドの殺虫残効性について生物試験の実施例の記載がないことを考慮してもなお,甲2において,上記ニトロイミノ誘導体(一般式(I)で表される化合物)の具体例たるイミダクロプリドが,ヤマトシロアリ,イエシロアリに対して木材及び土壌における優れた残効性を有することが記載されているというべきであるから,甲2において,イミダクロプリドが上記残効性を有することが記載されていないことを前提とする控訴人の上記主張は,その前提を欠くものであって,採用することができない。
イ また,控訴人は,本件訂正発明1の有効成分イミダクロプリドは,公知殺虫剤と比較して極めて顕著な殺虫作用を示し,極めて低濃度で使用可能であって,公知薬剤よりも低濃度でシロアリに対し残効作用を示すなどの作用効果があり,この作用効果の具体例が実施例8に例示されている,実施例8は,ガラスシャーレ中でシロアリ(イエシロアリ)の殺虫効果を試したシャーレ試験であるが,本件訂正発明1のイミダクロプリドを,その出願日(優先日)当時シロアリ防除剤として市販され非常に高いシロアリ殺虫活性を有するホキシム及びクロルピリホスと直接比較し,イミダクロプリドがホキシム,クロルピリホスに優るとも劣らない殺虫活性を有していることが示されている,と主張する。
しかし,本件訂正明細書(乙13)の実施例8の記載は,40ppm~0.32ppmという有効成分濃度における4日後の殺虫率を示したものであるが,イミダクロプリドを使用した場合とホキシム及びクロルピリホスを使用した場合のいずれもほぼ100%となっており,両者に有意な差はない。そうすると,そもそも,かかる実施例8の記載から直ちに,本件訂正発明1の有効成分イミダクロプリドが,公知殺虫剤と比較して極めて顕著な殺虫作用を示し,低濃度でシロアリに対し残効作用を示すなどの作用効果を有することの裏付けになるものとはいえない。また,前記2(1)の説示を踏まえれば,イミダクロプリドが公知の殺虫剤等に比して優れた殺虫作用,低薬量での防除作用を有することは,甲2の記載から当業者が容易に予測できることである。
以上によれば,控訴人の上記主張は採用することができない。
ウ また,控訴人は,化学構造が類似する他のニトロイミノ系化合物と対比しても,本件特許のイミダクロプリドが格別顕著なシロアリ殺虫活性を具有している,すなわち,イミダクロプリド関連化合物のイエシロアリに対する生物学的活性試験を実施し,その結果を一覧した控訴人従業員A作成の「イミダクロプリド関連化合物のイエシロアリに対する効果試験(速報)」(乙1)によれば,イミダクロプリドは試験した化合物群の中で最も早くシロアリを苦悶・死亡に至らせ,低濃度におけるシロアリ防除効果及び効力の持続性という点で最も優れているものであり,類似化合物と対比しても極めて卓越したシロアリ防除効果を示す,と主張する。
しかし,一般に,化合物発明やその用途発明において,発明の対象とされる化合物や有効成分同士の間に効果の点で優劣の差があるのは当然であり,それらの中で,実施例の化合物や有効成分のうちのどれかが最も優れた効果を有することは,当業者が当然に予想することである。しかるに,イミダクロプリドは,甲2において,すべての生物試験に供される3つの有効成分たる化合物No.1~3の一つ,化合物No.3として記載されているから,このようなイミダクロプリドが,化合物No.1,2を初めとする他の甲2記載の化合物と比較してイエシロアリに対し乙1に記載されたような優れた効果を有するとしても,それは当業者が容易に予測することというほかない。
以上によれば,控訴人の上記主張は採用することができない。
エ また,控訴人は,第2次審決は,「…そもそも,乙1で試験したわずか8種のニトロイミノ誘導体化合物の試験結果を示したところで,甲2の一般式(摘示(1)及び(2))に包含される数多くのニトロイミノ誘導体化合物(例えば,甲2の第1表には53種のニトロイミノ誘導体化合物が例示されている。)のうち,イミダクロプリドが特に優れた効果を示すということはできないし,…イミダクロプリドのイエシロアリに対する効果が,No.1やNo.2のイエシロアリに対する効果と比較して,格別に異なるとまではいえない。」(19頁5行~15行)とする点に対して反論するが,そもそも上記ウに説示した理由により,上記乙1によるイミダクロプリドの優れた作用効果の主張を採用することはできないから,控訴人の反論はその前提を欠くものである。
オ また,控訴人は,第2次審決が「本件訂正明細書,及び本件審判において提出されたすべての証拠には,そもそも,ヤマトシロアリについて,本件訂正発明の奏する効果を裏付けるものは存在しない。…本件訂正明細書の実施例11の記載が本件訂正発明の奏する効果を裏付けるものとは認められない。」とした(15頁21行~16頁23行)のに対し,実施例11の対象害虫はレチクリターメス サントネシス(Reticulitermes santonesis)であって,これは本件訂正発明1のヤマトシロアリ(学名はLeucotermes speratusともReticulitermes speratusとも表記される)と昆虫の学術分類上同じ「属」に属するものであり,同じ「属」に属する生物は形態上も生態上も非常に似た性質をしているものであるから,ある「属」に属する一つの種の効果をもって,同じ「属」に属する他の種についての効果とみなすことは許されるべきであると主張する。
しかし,選択発明が成立するためには,選択したそのもの,本件の場合は,本件訂正後の請求項1が,具体的に「ヤマトシロアリ…より保護するための」との文言で記載されている以上,ヤマトシロアリそのものに対する用途を裏付ける効果を示すべきである。そうすると,たとえ同じ「属」に属する生物を対象害虫とした実施例の記載があったとしても,これをヤマトシロアリ自体を対象害虫とした実施例の記載と同視して本件訂正発明1の奏する効果を裏付けるものということはできない。また,一般に,殺虫剤が同じ属に属するすべての昆虫に対して例外なく同じ殺虫活性を示すとはいえないし,本件において,上記実施例11で用いる昆虫が殺虫剤に対する感受性の点でヤマトシロアリと同一であると認めるに足りる証拠もない。
以上によれば,控訴人の上記主張は採用することができない。
カ また,控訴人は,第2次審決は,「本件において,イミダクロプリドが甲2に記載されたものの効果として予想されるところと比べて格段に異なるというためには,比較の対象として,…甲2に記載された,イミダクロプリド以外の化合物と比較することが必要不可欠である。」(17頁7行~12行)とするところ,このような説示は,第1次判決と齟齬を来すとして縷々主張する。しかし,第1次判決においては本件のように選択発明が争点になってはおらず,同判決の言渡しの後に本件訂正がなされて控訴人が本件訂正発明1につき選択発明に当たるとの主張をするに至っていることに照らせば,本件訂正前の発明についての判示と本件訂正発明1についての説示との整合性を問題とする控訴人の主張は,そもそもその前提を欠き失当である。
キ また,控訴人は,甲2は「極めて卓越した殺虫作用を発現し,更には,低薬量で完璧な防除作用を現わす」と記載するも,これは,明細書の具体的な開示を超えて判断されるものではなく,最良の実施態様である実施例5~7の生物試験の結果を超えるものではない,甲2の「極めて卓越した殺虫作用を発現し,更には,低薬量で完璧な防除作用を現わす」との記載とイエシロアリ,ヤマトシロアリの一般記載を結び付けて,甲2に記載されたイミダクロプリドが,イエシロアリに対し,「極めて卓越した殺虫作用を発現し,更には,低薬量で完璧な防除作用を現わす」ことは予想されることとするのは拙速にすぎると主張する。
しかし,たとえ実施例5~7の生物試験の結果に記載されていないものであったとしても,前記2(1)の説示に照らせば,甲2において,一般式(I)で表される化合物(ニトロイミノ誘導体)の具体例であるイミダクロプリドが,ヤマトシロアリ,イエシロアリに対して木材及び土壌における優れた残効性を有することが記載されているというべきことに変わりはない。
以上によれば,控訴人の上記主張は採用することができない。
ク また,控訴人は,シロアリから木材等を保護するシロアリ防除剤は数年ないし10年あるいはそれ以上その活性を維持するものが当業界で求められているのであり,そのような活性を維持するものがシロアリ防除剤といわれているところ,本件訂正明細書(乙13)はかかる当業界の技術常識を踏まえた上で「顕著な残効力」を有するシロアリ防除剤と記載したのであるから,当初から「ハチクサンFL T-893 野外試験(Vol.1)」(平成15年10月Bayer Environmental Science社発行〔乙25〕)に記載のような10年にわたる木材等の保護を意図しており,乙25は本件訂正明細書(乙13)に記載した発明をそのまま実施化したものにすぎないと主張する。
しかし,前記ウに説示した理由に照らせば,控訴人従業員A作成の「イミダクロプリド関連化合物のイエシロアリに対する効果試験(速報)」(乙1)の場合と同様に,イミダクロプリドがイエシロアリに対して「ハチクサンFL T-893野外試験(Vol.1)」(平成15年10月Bayer Environmental Science社発行)〔乙25〕に記載されたような優れた効果を有するとしても,それは当業者が容易に予測することというほかない。
以上によれば,控訴人の上記主張は採用することができない。
ケ また,控訴人は,第2次審決は,保護する対象としての木材が広範な害虫にわたりおしなべて想定されているかのように認定しており甲2の記載を誤って捉えたもので失当であると主張するが,前記2(1)の説示に照らし採用できない。
コ また,控訴人は,甲2の実施例においては,半翅目虫の5種について,稲,ナス苗に撒布乾燥2日後の殺虫率を確認しただけで,イミダクロプリドの木材及び土壌における残効性などについては何らの試験も行われていないから,甲2の記載の技術的意義は疑問であると主張するが,このような事項を指摘するのみでは,前記2(1)の説示を左右することはできない。
サ また,控訴人は,甲2の記載は,噴霧対象である天井等や堆肥等の素材である木材や土壌における残効性に言及したにとどまると解すべきであって,ノミ,シラミ,ハエ,カ,ゴキブリ,ガ等の衛生害虫や貯蔵物害虫は,天井等の木製の建具類を棲家として発生・生息することがあっても,その素材である木材自体を食害・侵襲することは有り得ないから,前記甲2の記載中の「木材における優れた残効性」は,木材等をシロアリの侵食から保護するためのイミダクロプリドの木材及び土壌における有利な残効性とは無縁の記載でしかないと主張する。
しかし,前記2(1)の説示に照らせば,甲2の記載が,噴霧対象である天井等や堆肥等の素材である木材や土壌における残効性に言及したにとどまると解すべき根拠はない。そして,たとえ衛生害虫や貯蔵物害虫が,その素材である木材自体を食害・侵襲することはあり得ない点でイエシロアリと異なるとしても,薬剤に何らかの形で接触して殺虫されることに変わりはないところ,前記2(1)に説示したように,甲2に記載された,一般式(I)で表される化合物(ニトロイミノ誘導体)の具体例であるイミダクロプリドが有する,木材及び土壌において短期間に分解・揮発等により自然に消滅することのない性質が,殺虫対象となる昆虫によって左右されるものとはいえない。そうすると,甲2の同記載に接した当業者は,同記載に係る残効性が発揮されるのは,甲2記載の殺虫対象全般に対してである旨理解するとみるべきである。
以上によれば,控訴人の上記主張は採用することができない。
シ 控訴人は,仮に甲2がシロアリに対するイミダクロプリドの「殺虫性」ないし当該作用に基づく「直接噴霧」や「残留噴霧」程度までは示唆しているといい得たとしても,そのような施用方法にいう「残効性」は,高々,数週間~数ヶ月を限度とするというのが当業者の通常の認識であるから,そのような「シロアリ駆除剤」としての用途と,それよりははるかに長期間にわたり効果が持続しなければならない本件訂正発明1の「シロアリ防除剤」としての用途は,全く別異のものとして峻別されるべきであると,本件訂正明細書(乙13)の実施例11の記載を引いて,主張する。
しかし,前記2(1)に説示したとおり,甲2には,一般式(I)で表される化合物(ニトロイミノ誘導体)の具体例であるイミダクロプリドが,ヤマトシロアリ,イエシロアリに対して木材及び土壌における優れた残効性を有することが記載されているものというべきであり,また,前記ウの説示に照らせば,本件訂正発明1のイミダクロプリドが,数週間~数か月を限度とせずに,それよりはるかに長期間にわたり効果が持続するものとしても,当業者は容易に予測できるというほかない。さらに,前記オの説示に照らせば,本件訂正明細書(乙13)の実施例11の記載を根拠とする控訴人の主張は失当である。
以上によれば,控訴人の上記主張は採用することができない。
ス 以上のア~シの説示に照らせば,本件訂正発明1についての控訴人の主張には理由がない。そうすると,本件訂正発明1についての主張と同じ内容である本件訂正発明2についての控訴人の主張にも理由がないこととなる。
したがって,第2次審決が取り消されるべきであるとの控訴人の主張は理由がない。
(2) 控訴人は,仮に,第2次取消訴訟において第2次審決が維持される結果となる場合にも,控訴人は,本件特許の第3次訂正となる訂正2008-390037号訂正審判を請求中であり(平成20年4月2日付け「審判請求書」,乙29),この請求は,本件訂正発明1の「害虫防除剤」を「木材及び木質合板類浸み込用害虫防除剤」に限定するとともに,本件訂正発明2(請求項2)を削除するものであるから,この訂正は認められるべきであり,結局,本件特許は特許無効審判により無効とされるべきものと認められないことになると主張する。
しかし,本件訂正発明1の「害虫防除剤」を更に「木材及び木質合板類浸み込用害虫防除剤」と訂正しても,甲2発明から本件訂正発明1の「害虫防除剤」を容易に想到できるという上記1,2(1)~(3),3(1)の説示がなお当てはまるというべきであり,上記内容の訂正によって同説示が左右されることにはならない。また,控訴人作成の審判請求書(乙29)において,控訴人自身が,木材及び木質合板類浸み込用タイプの害虫防除剤は従前公知であったし,シロアリの駆除として浸み込み形態の防除も従前知られていたと述べているとおり,イエシロアリ又はヤマトシロアリに対して害虫防除剤の適用方法として,木材及び木質合板類に害虫防除剤を浸み込ませて適用することは,周知の技術事項というべきであるから,甲2発明において,害虫防除剤を「木材及び木質合板類浸み込用」とすることは,当業者が容易になし得ることというべきである。
以上によれば,上記訂正が認められるべきであるとはいえず,控訴人の上記主張は採用することができない。
4 結語
以上のとおりであるから,本件控訴は理由がない。
よって,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 塚原朋一 裁判官 本多知成 裁判官 田中孝一)