知財高等裁判所 平成21年(行ケ)10088号 判決 2009年9月09日
原告
X
被告
特許庁長官
同指定代理人
鈴木敏史
同
豊原邦雄
同
森川元嗣
同
小林和男
主文
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第1請求
特許庁が不服2008-16471号事件について平成21年2月16日にした審決を取り消す。
第2事案の概要
本件は,原告が名称を「万力の機械式締付機構」とする発明(以下「本願発明」といい,その明細書を「本願明細書」という。)につき特許出願したところ,特許庁から拒絶査定を受けたので,これを不服として審判請求をしたが,請求不成立の審決を受けたことから,その審決の取消しを求める事案である。
1 特許庁における手続の経緯
原告は,平成10年6月16日,本願発明につき特許出願したが,平成19年5月8日付けで拒絶理由通知を受けた。そこで,原告は,同年7月2日付けで上記拒絶理由に対する手続補正書を提出したが,同年12月13日付けで最後の拒絶理由通知を受けたため,さらに平成20年2月14日付けで手続補正書(甲9)を提出したものの,結局,同年4月25日付けで拒絶査定を受けた。
そこで,原告は,同年6月5日に拒絶査定を不服とする審判請求をした。
特許庁は,審理の結果,平成21年2月16日,本件審判請求は成り立たないとの審決をし,同年3月8日,その謄本を原告に送達した。
2 本願の特許請求の範囲
本願の特許請求の範囲の請求項1は,平成20年2月14日付け手続補正書(甲9)によれば,次のとおりである。
「締付機構と操作機構とを有し,前記締付機構の端部に設けたケーシングの内部には,前記締付機構の端部に設けた第1軌道輪と,ケーシングの内部に位置する第2軌道輪とを対向させるとともに第1軌道輪を第2軌道輪に向けて付勢し,前記第1軌道輪と第2軌道輪との対向間隔を中心位置から外周縁に向って幅狭にして複数の球体を介在させ,前記第1軌道輪と第2軌道輪との対向間隔の内部には,前記操作機構の端部に設けた軌道軸を位置させ,操作機構の操作により前記軌道軸を移動させて前記球体を転動させ,球体の転動により第1軌道輪と第2軌道輪との対向間隔を制御し,第1軌道輪の制御により締付機構でワークを締め付けたり,締め付けを解除するようにしたことを特徴とする万力の機械式締付機構。」
3 審決の理由
審決は,本願発明は,1983年(昭和58年)5月24日付け米国特許第4384707号明細書(甲2。以下「引用例」という。)に記載された発明(以下「引用発明」という。)の記載事項に基づいて,当業者が容易に発明することができたものであるから,特許法29条2項の規定により特許を受けることができないと判断した。
審決が認定した引用発明の内容,一致点及び相違点並びに容易想到性等の判断内容は,次のとおりである(なお,以下において引用した審決中の当事者及び公知文献等の表記は,本判決の表記に統一した。)。
(1) 引用発明の内容
「スピンドル30とクランピングスピンドル25とを有し,前記スピンドル30の端部に設けたハウジング29の内部には,スラストピン36の端部に設けたリング38と,ハウジング29の内部に位置するリング37とを対向させるとともにリング38をリング37に向けて付勢し,前記リング38とリング37との対向間隔を中心位置から外周縁に向って幅狭にして複数のボール状回転体42を介在させ,前記リング38とリング37との対向間隔の内部には,前記クランピングスピンドル25の端部に設けた円錐軸41を位置させ,クランピングスピンドル25の操作により前記円錐軸41を移動させて前記ボール状回転体42を転動させ,ボール状回転体42の転動によりリング38とリング37との対向間隔を制御し,リング38の制御によりスラストピン36でワークピース57を締め付けたり,締め付けを解除する機械式クランプ装置。」
(2) 本願発明と引用発明の一致点
「締付機構と操作機構とを有し,前記締付機構の端部に設けたケーシングの内部には,前記締付機構の端部に設けた第1軌道輪と,ケーシングの内部に位置する第2軌道輪とを対向させるとともに第1軌道輪を第2軌道輪に向けて付勢し,前記第1軌道輪と第2軌道輪との対向間隔を中心位置から外周縁に向って幅狭にして複数の球体を介在させ,前記第1軌道輪と第2軌道輪との対向間隔の内部には,前記操作機構の端部に設けた軌道軸を位置させ,操作機構の操作により前記軌道軸を移動させて前記球体を転動させ,球体の転動により第1軌道輪と第2軌道輪との対向間隔を制御し,第1軌道輪の制御により締付機構でワークを締め付けたり,締め付けを解除する機械式締付機構。」
(3) 本願発明と引用発明の相違点
「機械式締付機構は,前者では『万力の機械式締付機構』であるのに対し,後者ではこのような特定がない点。」
(4) 審決の判断内容
ア 容易想到性の判断
「引用発明の『機械式クランプ装置』は,前述のとおり,機械式機構によってワークを締付け及び締付け解除する機械式締付機構であるから,同様に機械式機構によってワークを締付け及び締付け解除する万力に適用することは,当業者が容易に想到し得るものである。
そして,本願発明には引用発明に基づいて普通に予測される範囲を超える格別の作用効果を見出すこともできないから,本願発明は引用発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものというべきである。以上のとおり,本願発明は,引用発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであるから,特許法29条2項の規定により特許を受けることができない。」
イ 原告の主張に対する判断
「なお,原告は審判請求書の【請求の理由】において,以下の主張をしている。
a 引用例に記載されたクランプ機構は,構造が複雑かつ重いため,本願明細書に記載された構造が簡単かつ軽い万力に適用することは考えられない。
b 両者は同じ締め付け力で,両者のハンドルを回す力も同じ,しかしハンドルの長さは約3倍の違いがある,これは締付時にハンドルで回される雄ネジにかかる荷重は両者とも等しいが,そのトルクは雄ネジの直径に比例するためである。
c 引用発明には,本願発明に必要のない『friction ring26』,『nut27』及び『ring28』等がある。
d 引用発明に対して本願発明は,構造が簡単なために約半値で製作でき,かつ小型軽量であるから扱いやすく,ハンドルの操作も楽(数値で表せば約3倍)である。
しかしながら,上記主張bは本願の特許請求の範囲の記載に基づかないものであるため採用の限りでなく,また,本願発明では『friction ring26』,『nut27』及び『ring28』等を備えるものを排除していないため,主張cも採用の限りでない。その結果,主張a及びdに記載されたような作用効果上の差異が生じると認めることはできないため,主張a及びdも採用することはできない。」
第3原告主張の取消事由
審決には,次に述べるとおり,相違点に関する判断に誤りがあるから,取り消されるべきである。
1 取消事由1
前記第2の3(4)イの原告の主張bについて,審決が,本願の特許請求の範囲に記載がないから認められないとしたのは,認定の誤りである。
すなわち,上記主張bは,引用発明と本願発明を比較したものであって,本願明細書及び図1に記載されているとおり当業者には十分に理解し特定できるし,特許請求の範囲に不備はないから,被告がこれを本願の特許請求の範囲の記載に基づかないから認めないというのは誤りである。
2 取消事由2
前記第2の3(4)イの原告の主張cについて,本願発明がこれらを備えるものを排除していないために認められないとしたのは,判断の誤りである。
すなわち,上記各部品は引用発明の部品であり,本願発明がこれらを排除していないために認めないとするのは誤りである。引用発明の図4は機械式クランプ装置であるから,万力以外の発明に原告が関知しないのは当然である。
3 取消事由3
前記第2の3(4)イの原告の主張aについては,ここに記載された作用効果を認めないのは認定の誤りである。
すなわち,引用例のクランピングスピンドル25のねじの直径は本願発明の雄ネジ杆42のねじの直径の約3倍あり,重く,かつハンドルも本願発明のものより約3倍長いものが必要である。これはねじの公式から当然である。このように,構造の複雑さ,部品の多さ,加工の難易など,図を見て対比すれば,引用発明の方が本願発明のものより費用が多くかかるのは,明らかである。
また,審決は,クランプが万力の意味を有することは技術常識であるとしているが,引用発明には「この発明は特にワークや工具を強固にクランプするための機械式クランプ装置である」と特定しているように,クランプはしゃこ万力の意味を有してはいるが,万力の意味はない。
4 取消事由4
前記第2の3(4)イの原告の主張dについて,このような作用効果を認めないのは認定の誤りである。
第4被告の反論
次のとおり,審決の認定判断には誤りはなく,原告主張の取消事由はいずれも理由がない。
1 取消事由1に対して
原告は,「ハンドルの長さ」や「雄ネジの直径」の相違に基づき,本願発明の優位性を主張するところ,本願発明では,「操作機構」,「操作機構の端部に設けた軌道軸」,「操作機構の操作により前記軌道軸を移動させて」との特定はあるが,「ハンドルの長さ」や「雄ネジの直径」については,何ら特定されていない。してみると,本願発明において何ら特定されていない「ハンドルの長さ」や「雄ネジの直径」に基づく主張を,特許請求の範囲の記載に基づかないとした審決の判断に誤りはない。
2 取消事由2に対して
本願発明では,「操作機構」に関して,「操作機構」,「操作機構の端部に設けた軌道軸」,「操作機構の操作により前記軌道軸を移動させて」と特定されているだけであり,「操作機構」と「ケーシング」との関係について,操作機構が雄ネジ杆42を有していることも,雄ネジ杆42がケーシング51に螺合していることも特定されていないのであるから,原告の主張は,特許請求の範囲の記載に基づくものではない。
仮に,本願発明における「操作機構」と「ケーシング」との関係を,本願明細書の段落【0008】及び図1を参酌して,操作機構が雄ネジ杆42を有しており,かつ,雄ネジ杆42がケーシング51に螺合していると解釈したとしても,引用例の記載(2欄3行ないし5行,2欄54行ないし56行)からみて,引用発明における「クランピングスピンドル25」が雄ネジ部を有し,かつ,その雄ネジ部が「ハウジング29」内で螺合していることが理解できるのであるから,本願発明における操作機構が雄ネジ杆42を有しており,かつ,雄ネジ杆42がケーシング51に螺合しているという構造は,審決で認定した引用発明における「クランピングスピンドル25」と「ハウジング29」との螺合関係と比べ,何ら差異はない。
確かに,審決で認定した引用発明においては,引用例に記載された「friction ring26」,「nut27」及び「ring28」を認定していない。
しかしながら,引用例の説明をみれば,「friction ring26」,「nut27」及び「ring28」は,「クランピングスピンドル25」の回転に伴って,「ハウジング29」及び「スピンドル30」を回転させるための付随的な構成にすぎないことが明らかであるから,審決で認定した引用発明において,「friction ring26」,「nut27」及び「ring28」を含めないで認定したことに誤りはない。
3 取消事由3に対して
(1) 「ハンドルの長さ」や「雄ネジの直径」が本願発明の発明特定事項でないことは,前記1で述べたとおりであり,また,本願発明を,審決で認定した引用発明ではなく,「friction ring26」,「nut27」及び「ring28」を含む発明と対比して行う原告の主張に理由のないことは,前記2で述べたとおりであるから,審決の判断に誤りはない。
(2) また,原告の主張する作用効果は,本願発明の実施例(本件出願の図面)と引用例に記載された実施例(引用例の図4)とを,それぞれ,拡大ないし縮小して比較するものであり,特許請求の範囲の記載に基づかないのみならず,本願明細書の記載にも基づかないものである。したがって,原告の上記主張は理由がない。
(3) 「機械式クランプ装置」と「万力」とは,機械式機構によってワークを締付け及び締付け解除する点で共通しており,かつ,図解機械用語辞典第3版(日刊工業新聞社発行。甲12の1ないし3。以下「本件刊行物」という。)の168頁3行ないし8行に示されるように,クランプが万力の意味を有することは技術常識であるから,審決の判断には誤りはない。
4 取消事由4に対して
前記3(2)における反論と同様である。
第5当裁判所の判断
1 取消事由1について
(1) 本願発明の内容
証拠(甲3)によれば,本願明細書の記載の内容は次のとおりである。
ア 発明の属する技術分野
「本発明は,挾持したワークを強固に締め付けるようにした万力の機械式締付機構に関するものである。」(段落【0001】)
イ 従来技術
「従来の万力の締付機構として,油圧式,トグル式,カム式等の構造のものが知られている。また,球体を使用した万力としては,本特許出願人が提案した特開平9-47931号公報に記載のものが知られている。この万力の構造は,バイス本体の上部に固定あご及び可動あごを設け,可動あごを進退する締付ネジの中心軸上に筒を設け,筒の中には進退する一対の第1軸月軌道輪及び第2軸月軌道輪と,その軌道に挟まれた玉を置き,両軸付き軌道輪を挟むように,一方に皿バネを,もう一方にスラスト転がり軸受けを嵌め,該軸受けの外輪を筒に止め,相対向する一対の軸付き軌道輪のうち一方の軌道を軸方向へ変形させるようにしたものである。」(段落【0002】)
ウ 発明が解決しようとする課題
「しかしながら,上記した公知の万力は,外部から振動や衝撃が作用すると,締め付けているワークが緩むことがあるので,ワークの加工処理を一時中断しなければならない欠点があるし,振動や衝撃が発生する作業テーブルでは利用することができない。したがって,振動や衝撃が作用してもワークが緩むことがなく,確実に工作作業ができる万力が要望されている。」(段落【0003】)
エ 課題を解決するための手段
「本発明は前記従来の欠点を解消し,また従来からの要望に鑑み提案されたもので,締付機構と操作機構とを有し,前記締付機構の端部に設けたケーシングの内部には,前記締付機構の端部に設けた第1軌道輪と,ケーシングの内部に位置する第2軌道輪とを対向させるとともに第1軌道輪を第2軌道輪に向けて付勢し,前記第1軌道輪と第2軌道輪との対向間隔を中心位置から外周縁に向って幅狭にして複数の球体を介在させ,前記第1軌道輪と第2軌道輪との対向間隔の内部には,前記操作機構の端部に設けた軌道軸を位置させ,操作機構の操作により前記軌道軸を移動させて前記球体を転動させ,球体の転動により第1軌道輪と第2軌道輪との対向間隔を制御し,第1軌道輪の制御により締付機構でワークを締め付けたり,締め付けを解除するようにしたことを特徴とする。」(段落【0004】)
オ 発明の実施の形態
「以下,本発明を図示の実施の形態について詳細に説明する。図1は本発明をしゃこ万力に用いた例の断面図であり,万力1は,フレーム2に締付機構3と操作機構4とを設けた構成である。」(段落【0005】)
「前記フレーム2は,しゃこ万力の場合はコ字状で一端部21が固定あごを構成して他端部22に締付機構3をネジ機構により進退可能に設けている。前記締付機構3は,図1の第1の実施の形態によれば外周に雄ネジを形成したネジ筒31の内部に第1軌道輪軸32を移動可能に収納し,前記ネジ筒31の端部にケーシング51を中心線が同一となるように設けた構成である。」(段落【0006】)
「前記第1軌道輪軸32は先端がネジ筒31の先端から突出し,後端がケーシング51の内部に位置してピストン状の第1軌道輪61を設けてある。また,前記ケーシング51の内部には,第1軌道輪61と対向するようにリング状の第2軌道輪62を設け,ケーシング51の内部に設けた付勢材52によって第1軌道輪61を第2軌道輪62に向かい前進するように付勢する。図1の実施の形態によれば,付勢材52としては皿バネを数枚重合して使用している。」(段落【0007】)
「前記ケーシング51の後面には,操作機構4が位置している。この操作機構4は,操作用のハンドル41に雄ネジ杆42を設け,前記雄ネジ杆42の先端に切頭円錐状の軌道軸43を設けた構成で,雄ネジ杆42がケーシング51の後面に螺合して支持されているのでハンドル41がケーシング51の外側に位置し,軌道軸43がケーシング51の内部に位置している。そして,前記軌道軸43は第2軌道輪62の中心に形成した通孔63から第1軌道輪61と第2軌道輪62との対向間隔64の内部に臨んでいる。」(段落【0008】)
「前記第1軌道輪61及び第2軌道輪62の対向面は,中心位置から外周縁に向って接近するように円弧状に,若しくは直線状に傾斜しているので,前記対向間隔64は中心位置から外周縁に向って幅狭となっている。そして,前記対向間隔64の内部には,軌道軸43の外周に位置するように複数個の球体65を回転移動可能に収納する。この球体65は,付勢材52によって第1軌道輪61が第2軌道輪62に接近するように付勢されているので,対向間隔64の中心方向に向かっている。」(段落【0009】)
「図1の締付機構3,操作機構4において,中心線の上半分がワークをワークを締め付けた状態,下半分がワークを締め付けていない状態を示す。ワークを締め付けていない状態では,ハンドル41を回転操作すると,締付機構3や操作機構4に摩擦や抵抗がほとんど作用していないので,締付機構3及び操作機構4は先進後退する。しかし,締付機構3の先端にワークが当接した状態,即ち第1軌道輪軸32の先端がワークに当接している状態でハンドル41を更に回転すると,ケーシング51とネジ筒31とが前進するとともに軌道軸43が対向間隔64内に突入するように前進移動し,付勢材52が次第に圧縮する。そして,ケーシング51,ネジ筒31の前進で対向間隔64が次第に狭くなるとともに軌道軸43が対向間隔64の内部に次第に前進移動するので,各球体65が対向間隔64の外周縁方向に転動する。」(段落【0010】)
「球体65が対向間隔64の最外周縁にまで転動した状態では,操作機構4とネジ筒31,第1軌道輪軸32とが一体状になるのでハンドル41を回転することができないし,ワークを著しく強力に締め付けている。そして,ワークを緩めるためにハンドル41を逆方向に回転すると,先ず軌道軸43が対向間隔64から離れるように後退し,次にケーシング51とネジ筒31とが同時に後退移動して対向間隔64の間隔が元に戻り,付勢材52の付勢による第1軌道輪61のバランスが保たれた状態で第1軌道輪軸32が後退移動操作機構4,締付機構3が同時に後退することになって,ワークを外すことができる。」(段落【0011】)
カ 発明の効果
「以上要するに,本発明によれば,締付機構と操作機構とを有し,前記締付機構の端部に設けたケーシングの内部には,前記締付機構の端部に設けた第1軌道輪と,ケーシングの内部に位置する第2軌道輪とを対向させるとともに第1軌道輪を第2軌道輪に向けて付勢し,前記第1軌道輪と第2軌道輪との対向間隔を中心位置から外周縁に向って幅狭にして複数の球体を介在させ,前記第1軌道輪と第2軌道輪との対向間隔の内部には,前記操作機構の端部に設けた軌道軸を位置させ,操作機構の操作により前記軌道軸を移動させて前記球体を転動させ,球体の転動により第1軌道輪と第2軌道輪との対向間隔を制御し,第1軌道輪の制御により締付機構でワークを締め付けたり,締め付けを解除するようにしたことを特徴とする。」(段落【0021】)
「したがって,特に第1軌道輪と第2軌道輪との対向間隔が中心位置から外周縁に向って幅狭にして複数の球体を介在させることにより,球体がきわめて強固に保持されるため,ワークの締め付け時に球体が不用意に転動することがなく,振動や衝撃が発生する位置やテーブルであっても確実にワークを挾持して使用できる。また構造が簡単なために製作が容易である等,実用的価値の高いものである。」(段落【0022】)
(2) 引用例の内容
証拠(甲2)によれば,引用例には,次のような記載がある。
「この発明は,特にワークや工具を強固にクランプするための機械式クランプ装置に関するものである。‥‥。」(1欄4行ないし12行)
「図1及び図6において,ねじスピンドルが回転しつつ下方に移動することにより,円錐壁11は回転しながら軸方向に移動し,複数のスラスト回転体12が径方向外側に転がって回転面13と14との間に入り込み,回転面13と14とが軸方向に離れることにより,スラストピース2がスピンドルキャリア3から突出する。ねじスピンドルが回転しつつ上方に移動することにより,複数のスラスト回転体12は,クランプ時の反力やスプリング4の力を回転面13と14を介して受け,径方向内側に転がる。」(2欄3行ないし13行)
「図4は,図1の実施例である。この例では,複数の回転体42は球形となっている。クランピングスピンドル25を回転させることにより,ナット27とリング28との間に設けられた摩擦リング26を介して,ロックスピンドル30を有するハウジング29は,ナット30内を,スラストピン36がワーク57に当接して止まるまで,下方に移動する。その後,クランピングスピンドル25が,摩擦リングの内側で滑り,かつ,ハウジング29内のネジ溝により回転しつつ下方に移動することで,円錐壁41により,リング37の表面43とリング38の表面44との間で回転体42が回転し,リング38,スラストピン36が軸方向に移動し,スプリング39の弾性力に抗してワーク57を押す。」(2欄49行ないし61行)
(3) 取消事由1に関する原告の主張は,本願発明と引用発明を比較し,「ハンドルの長さ」及び「雄ネジの直径」の相違を指摘した上で,本願発明の格別の作用効果を主張するものと解される。
しかしながら,特許を受けようとする発明は,その発明を特定するために必要な事項のすべてを特許請求の範囲に記載しなければならないから(特許法36条5項),本願発明についての上記原告の主張は,その特許請求の範囲に記載された発明特定事項に基づくものでなくてはならないところ,前記第2の2のとおり,本願の特許請求の範囲には,「ハンドル」やハンドルで回転操作される「雄ネジ(杆)」は何ら特定されておらず,仮に,本願明細書の発明の詳細な説明を参酌し,「ハンドル」や「雄ネジ(杆)」が「操作機構」や「締付機構」に含まれると解釈したとしても,「ハンドルの長さ」や「雄ネジ(杆)の直径」が特定されているとはいえない。そうすると,上記原告の主張は,特許請求の範囲に記載された発明特定事項にはない本願発明の実施例における具体的な構造の比較によるものといわざるを得ない。
したがって,「ハンドルの長さ」及び「雄ネジの直径」に関する原告主張bについて,特許請求の範囲の記載に基づかないとした審決の判断に誤りはなく,取消事由1は理由がない。
2 取消事由2について
(1) 原告は,前記第2の3(4)イの原告の主張cについて,審決が,本願発明がこれらを備えるものを排除していないために認められないとしたのは,判断の誤りである旨主張するが,前記1のとおり,特許を受ける発明は特許請求の範囲の記載により特定されるべきところ,前記第2の2のとおり,本願の特許請求の範囲の記載によれば,本願発明においては,「操作機構」について,「前記操作機構の端部に設けた軌道軸を位置させ,操作機構の操作により前記軌道軸を移動させて前記球体を転動させ,」と特定されているのみであって,「操作機構」と「締付機構」との関係,特に「操作機構」と「ケーシング」との関係については何らの特定もない。したがって,特許請求の範囲においては,操作機構の構造については特に限定はなく,本願明細書の実施例に記載されている操作機構が雄ネジ杆42を有していることや雄ネジ杆42がケーシング51に螺合していることに限定されるものでないことは明らかである。したがって,たとえ引用発明には「friction ring26」,「nut27」及び「ring28」があり,本願発明にはそれらの機構が存在しないとしても,そもそも本願発明では「操作機構」と「ケーシング」の関係について何らの限定もない以上,審決が,本願発明では「friction ring26」,「nut27」及び「ring28」等を備えるものを排除していないと判示したことは,当然の判断であって,その判断に誤りはない。原告の主張は,発明の特定事項ではない,本願発明の実施例の記載と引用発明の実施例の記載とを比較した上でその相違を強調するものにすぎず,本願発明と引用発明の相違点と一致点の判断とは関係のない事項を主張するものであって,失当である。
(2) 仮に,本願発明における「操作機構」と「ケーシング」との関係を,前記1(1)オ記載の本願明細書の段落【0008】及び図1を参酌して,操作機構が雄ネジ杆42を有しており,かつ,雄ネジ杆42がケーシング51に螺合していると限定的に解釈し,この操作機構の構造において,引用発明が「friction ring26」,「nut27」及び「ring28」を備える点で相違しているとしても,結局,原告の主張は失当である。すなわち,前記1(2)の引用例の記載内容によれば,「摩擦リング26」,「ナット27」及び「リング28」は引用例の原文における「friction ring26」,「nut27」及び「ring28」であることは明らかであるところ,引用例に記載された機械式クランプ装置では,「ナット27」と「リング28」で設けられた「摩擦リング26」が「クランピングスピンドル25」と「ハウジング29」との間に介在することにより,「クランピングスピンドル25」を回転させると,「ハウジング29」も連れ回りし,「ナット35」との螺合に案内されて下方に移動する構造を有していると解される。そして,「スラストピン36」が「ワーク57」に当接して止まった後は,「ハウジング29」の下方への移動(すなわち,連れ回りによる回転)は抵抗を受けるので,「クランピングスピンドル25」が,「摩擦リング26」の内側で滑り,かつ,「ハウジング29」と螺合しているネジ溝に案内されて回転しつつ下方に移動し,この結果,「回転体42」の転動により「リング38」と「リング37」との対向間隔を制御し,「リング38」及び「スラストピン36」が軸方向に移動して「スラストピン36」で「ワーク57」を締め付けるものと解される。そうすると,引用例に記載される「摩擦リング26」の技術的意義は,「スラストピン36」が「ワーク57」に当接して止まるまでの間は,「クランピングスピンドル25」と「ハウジング29」が連れ回りし,当接した後は,「ハウジング29」に対する「クランピングスピンドル25」の回転を許容するように,「クランピングスピンドル25」と「ハウジング29」との間に摩擦力を付与する手段ということができ,また,「ナット27」及び「リング28」の技術的意義は,「摩擦リング26」を「クランピングスピンドル25」と「ハウジング29」との間に介在させる手段にすぎない。
一方,本願発明においては,仮に上記のとおり限定解釈したとしても,特許請求の範囲に記載された他の特定事項から,雄ネジ杆42とケーシング51とが連れ回りする点については何ら特定されていない。そうすると,本願発明を明細書の記載を参酌して上記のとおり限定的に解釈したとしても,結局,本願発明は摩擦リング26に対応する特定事項を含んでいるとはいえないのであるから,本願発明は,「friction ring26」,「nut27」及び「ring28」を備える構成を排除するものではないことが明らかである。
(3) 以上のとおり,いずれにしても,原告の取消事由2は理由がない。
3 取消事由3について
(1) 原告が主張するところの,「ハンドルの長さ」や「雄ネジの直径」が本件発明の発明特定事項でないことは,上記1で述べたとおりであり,また,引用発明の「クランプ機構は構造が複雑かつ重い」のに対し,本願発明は「構造が簡単かつ軽い万力」であるとの主張も,特許請求の範囲に記載された事項に基づくものではないから,上記の点を本願発明と引用発明の相違点であるとする原告の主張は失当である。
(2) また,原告は,引用発明が「この発明は特にワークや工具を強固にクランプするための機械式クランプ装置である」と特定しているように,クランプに万力の意味はない旨主張する。この点,確かに,審決も,機械式締付機構は,本願発明では「万力の機械式締付機構」であるのに対し,引用発明ではこのような特定がない点を相違点として認定しているところである。
しかしながら,本件刊行物(甲12の1ないし3)によれば,「クランプ」の意味として「①締金(しめがね)。締付け装置に用いられるもの,切削作業などで締付けボルトで直接工作品を固定する金具。②しゃこ万力のこと。‥‥」と記載されており,また,「万力」の意味として「バイスともいう。手仕上げの際,工作物をつかませる工具。次の種類のものがある。(1)箱万力‥‥(2)足付き万力‥‥(3)特殊万力として次のようなものがある。Aマシン万力‥‥Eしゃこ万力‥‥G平行クランプ‥‥」とも記載されていることからすれば,「クランプ」は「しゃこ万力」の意味を有しており,また,「しゃこ万力」は「万力」の一種であるから,結局,「クランプ」は「万力」の意味も有しているのであって,原告の主張は失当である。
また,クランプと万力が同義でないとしても,引用発明は,前記1(2)のとおり,ワークや工具を強固にクランプするための機械式クランプ装置に関するものであり,一方,本願発明は,前記1(1)のとおり,挾持したワークを強固に締め付けるようにした万力の機械式締付機構に関するものであって,本願発明は特に「万力の」と限定されてはいるが,本願発明と引用発明とは,ワークを強固に締め付けるようにした機械式締付機構である点で共通しているし,「万力」はワークを強固に締め付けるために用いられる装置であることは当業者にとって一般常識であるところ,ワークを締め付ける装置として同様な技術分野に属し,同様な機能を有するクランプに関する引用発明を「万力」に適用することは,当業者が容易に想到し得るものということができる。
したがって,この点に関する原告の主張も失当である。
(3) 以上により,取消事由3は理由がない。
4 取消事由4について
この点に関する原告の主張については,前記1及び3において既に検討したとおりであり,原告の主張する作用効果は,特許請求の範囲の記載により特定される本願発明から客観的に認められるものではないから,失当であることは明らかである。
よって,取消事由4も理由がない。
5 結論
以上のとおり,原告の主張する審決取消事由はいずれも理由がないので,原告の請求は棄却されるべきである。
(裁判長裁判官 塚原朋一 裁判官 東海林保 裁判官 矢口俊哉)