知財高等裁判所 平成21年(行ケ)10180号 判決 2010年8月19日
原告
メルク・エンド・カンパニー・インクズ・エム・エス・デイー・オーバーシーズ・マニュフアクチュアリング・カンパニー(アイルランド)
同訴訟代理人弁護士
片山英二
同
北原潤一
同
黒田薫
同訴訟代理人弁理士
小林純子
被告
日本薬品工業株式会社
同訴訟代理人弁理士
柳川泰男
同
千草新一
主文
1 特許庁が無効2008-800062号事件について平成21年2月25日にした審決を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
事実及び理由
第1請求
主文同旨
第2事案の概要
本件は,名称を「4―アミノ―1―ヒドロキシブチリデン―1,1-ビスホスホン酸又はその塩の製造方法及び前記酸の特定の塩」とする特許(特許第1931325号。甲1の1。以下「本件特許」といい,同特許に係る発明を「本件発明」という。)を有する原告が,被告の提起した無効審判請求手続において,本件特許のうち,請求項6及び7(以下「本件発明6及び7」という。)につき,特許法29条2項に違反していることを理由としてこれを無効とする審決を受けたことから,その審決の取消しを求める事案である。
1 特許庁における手続の経緯
原告は,平成2年6月11日,本件特許に係る出願(パリ条約に基づく優先権主張,1989年6月9日,米国)をし,平成7年1月27日,設定登録を受けた。
被告は,平成20年4月8日,本件発明6及び7は無効であるとする無効審判請求をした。
特許庁は,審理の結果,平成21年2月25日,本件発明6及び7を無効とする旨の審決をし,同年3月9日,その謄本を原告に送達した。
2 本件特許の特許請求の範囲
本件発明6及び7は,本件明細書(甲1の1)の記載からみて,その特許請求の範囲の請求項6,7に記載された次のとおりのものである。
「【請求項6】 4-アミノ-1-ヒドロキシブチリデン-1,1-ビスホスホン酸モノナトリウム塩トリハイドレートを有効成分として含む,骨吸収を伴う疾病の治療及び予防のための固体状医薬組成物。
「【請求項7】 錠剤である請求項6記載の固体状医薬組成物。」
3 本件審判請求における被告(請求人)の主張の概要
(1) 進歩性欠如1(無効理由1)
本件発明6及び7は,特開平3-101684号公報(甲1の2)に記載された発明に基づいて,出願前に当業者が容易に発明をすることができたものであるから,特許法29条2項の規定により,特許を受けることができないものであり,その特許は同法123条1項2号に該当し,無効とすべきである。
(2) 特許法36条3項違反(無効理由2)
本件特許の出願明細書の発明の詳細な説明には,本件発明6及び7について,当業者が容易にその実施をすることができる程度に,その発明の構成が記載されていないから,特許法36条3項に規定する要件を満たしておらず,その特許は同法123条1項4号に該当し,無効とすべきである。
(3) 進歩性欠如2(無効理由3)
本件発明6及び7は,特開昭58-189193号公報(甲5。以下「甲5文献」という。)に記載された発明(以下「甲5発明」という。)に基づいて,出願前に当業者が容易に発明をすることができたものであるから,特許法29条2項の規定により,特許を受けることができないものであり,その特許は同法123条1項2号に該当し,無効とすべきである。
(4) 進歩性欠如3(無効理由4)
本件発明6及び7は,ベルギーのアントワープにおける第3回医薬品分析の国際シンポジウムにおいて頒布された要旨集の106頁(甲7。以下「甲7文献」という。)に記載された発明(以下「甲7発明」という。)に基づいて,出願前に当業者が容易に発明をすることができたものであるから,特許法29条2項の規定により,特許を受けることができないものであり,その特許は同法123条1項2号に該当し,無効とすべきである。
4 審決の理由
審決は,次のとおり,本件発明6及び7は,いずれも甲7発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであるから,特許法29条2項の規定に違反してされたものであると判断した。
審決が認定した引用発明等の内容,一致点及び相違点並びに容易想到性の判断内容は,次のとおりである(なお,以下において引用した審決中の当事者及び公知文献等の表記は,本判決の表記に統一した。)。
(1) 甲7発明の内容
「甲7文献は,ベルギーのアントワープの第3回医薬分析の国際シンポジウム(3RD INTERNATIONAL SYMPOSIUM ON DRUG ANALYSIS)において頒布された要旨集の106頁であり,その要旨集の表紙に1989年5月16~19日との記載があり,また甲8のベルギー国薬学会事務長である「A」薬学博士により署名された証明書の記載‥‥からみて,本件の本件の優先権主張日前に頒布された刊行物であることは明らかである。」
「そして,甲7文献には,『医薬製剤中の4-アミノ-1-ヒドロキシブタン-1,1-ジホスホン酸モノナトリウム塩トリハイドレートの高速液体クロマトグラフィーによる測定』と題する論文の要旨として,以下のことが記載されている。
ア) 新規な骨吸収阻害剤である4-アミノ-1-ヒドロキシブタン-1,1-ジホスホン酸モノナトリウム塩トリハイドレート(MK0217)の測定のための高速,高感度そして,特別に性能の良い高速液体クロマトグラフィー(HPLC)分析を報告する。
イ) 4-アミノ-1-ヒドロキシブタン-1,1-ジホスホン酸モノナトリウム塩トリハイドレートは,いかなる紫外線特性も有しておらず,紫外線による検知ができない。
ウ) 4-アミノ-1-ヒドロキシブタン-1,1-ジホスホン酸モノナトリウム塩トリハイドレートの紫外線による検知を容易にするため,分析のためのカラムに供する前に,この医薬のアミン部分を,クエン酸ナトリウムの存在下,pH9で,9-フルオレニルメチル・クロロフォルメート(FMOC)により誘導体化をおこなうことが必要である。
エ) 過剰の誘導体化剤を塩化メチレンで抽出し,誘導体を含む水溶液の一部を,ポリマー系カラム(Hamilton PRP-1)を用い,35℃で,逆相HPLC(高速液体クロマトグラフィ)によって分析する。
オ) アセトニトリル:メタノール:0.05Mクエン酸塩および0.05Mリン酸緩衝液(pH8.0)(20:5:75)を移動相として用い,265nmの紫外線による検知を用いる。
カ) 実験データは,再現性があって,精度が高く,直線性のある分析が可能であることを明らかにするために,また注射液やカプセル剤中のMK0217の分析に適用できることを明らかにするために提出される。」
「甲7文献は,医薬分析に関する国際シンポジウムの要旨集であり,新規な骨吸収阻害剤である4-アミノ-1-ヒドロキシブタン-1,1-ジホスホン酸モノナトリウム塩トリハイドレート(MK0217)を含む医薬製剤について試験・研究を行おうとする者に対して,本化合物に,9-フルオレニルメチル・クロロフォルメート(FMOC)により誘導体化することにより紫外線吸収特性を付与し,紫外線検出器の利用を可能とすることにより,高速,高感度で使いやすい測定技術を提供しようというものであり,4-アミノ-1-ヒドロキシブタン-1,1-ジホスホン酸モノナトリウム塩トリハイドレート(MK0217)が,当該分野の試験・研究を行う者にとって,新しい骨吸収剤として知られたものであることを当然の前提とした論文である。
そして,甲7文献には,本論文は,単に希望や仮説を述べているのではなく,実際に測定実験を実施したら,再現性があり,直線性のある分析が可能であり,また,注射液やカプセル製剤中の4-アミノ-1-ヒドロキシブタン-1,1-ジホスホン酸モノナトリウム塩トリハイドレート(MK0217)の分析に適用できることが分かったことをデータをもって報告するものであることが記載されており,さらに,甲7文献には,4-アミノ-1-ヒドロキシブタン-1,1-ジホスホン酸モノナトリウム塩トリハイドレート(MK0217)の具体的な誘導体化の条件,紫外線吸収特性を付与された誘導体の分析のための高速液体クロマトグラフィー(HPLC)の具体的な操作条件(逆相HPLCとすること,カラムの種類,移動層の組成,操作温度)及び紫外線検出に用いる紫外線の具体的な波長が記載されている。
そして,甲7文献は,医薬分析に関する国際シンポジウムの予稿集であり,特段の事情がない限り,発表者が研究者として合理的に,かつ誠意を持って作成したものと考えるのが妥当であり,本シンポジウムのいかなる参加者も知らないような医薬成分について,その測定方法だけを発表しようとするなどとは考え難い。」
「さらに,甲7文献には,4-アミノ-1-ヒドロキシブタン-1,1-ジホスホン酸モノナトリウム塩トリハイドレート((MK0217)の製造方法は記載されていないが,以下のとおり,本件優先日前において,甲7文献を見た当業者は,製造方法が記載されていなくても,4-アミノ-1-ヒドロキシブタン-1,1-ジホスホン酸モノナトリウム塩トリハイドレート((MK0217)を容易に製造できると理解するものであるから,製造方法が記載されていないことをもって,甲7文献に4-アミノ-1-ヒドロキシブタン-1,1-ジホスホン酸モノナトリウム塩トリハイドレート((MK0217)の発明が記載されていないとすることはできない。」
「本願優先日前に頒布された甲5文献は,薬理活性を有するビスホスホン酸(バイホスホネート)およびその製造方法に関する文献であり,甲5文献の一般式(I)で示されるバイホスホン酸のアルカリ金属塩が,骨吸収阻害作用を有することが記載されており(‥‥),実施例3として,一般式(I)で示される化合物である,「4-アミノ-1-ヒドロキシブタン-1,1-バイホスホン酸」(以下,単に「フリー体」ともいう。)の製造方法が記載されている(‥‥)。‥‥,当業者は,実施例3の記載は,最初の中和点において,ジホスホン酸の片方がNaOHで中和されたこと,即ち4-アミノ-1-ヒドロキシブタン-1,1-バイホスホン酸モノナトリウム塩が生成していることを示すものと理解するものと言える。さらに,実施例5(‥‥)において,5-アミノ-1-ヒドロキシペンタン-1,1-バイホスホン酸(分子量263)263gの懸濁液に水酸化ナトリウム(分子量40)40gを含有する水溶液を加えて,即ち,共に1モルずつ反応させて,5-アミノ-1-ヒドロキシペンタン-1,1-バイホスホン酸の一ナトリウム塩が製造できている。
更に,甲5文献では,ビスホスホン酸のナトリウム塩は,水溶液中でビスホスホン酸を水酸化ナトリウムで中和し,水溶液から晶出する結晶状の固体として得ている(実施例5参照)。そして,水和物の製法としては,水溶液から晶出することが一般的であり,結晶水は,加熱あるいは乾燥により離脱し,加熱あるいは乾燥の条件を強くすることにより,順次離脱することは周知である(甲12~14)。
してみれば,4-アミノ-1-ヒドロキシブタン-1,1-ジホスホン酸モノナトリウム塩の3水和物が存在することは甲7文献に記載されているのであるから,当業者は,4-アミノ-1-ヒドロキシブタン-1,1-ジホスホン酸モノナトリウム塩を水溶液から晶出させることにより,3水和物が得られると,そして,もし水溶液からの晶出により得られた4-アミノ-1-ヒドロキシブタン-1,1-ジホスホン酸モノナトリウム塩の水和数が3を超えていれば,適宜条件を選択し,加熱,乾燥することにより水和数を減ずることにより,容易に,3水和物(トリハイドレート)を得ることができると考えるのが自然である。
なお,実際,乾燥条件としては通常の条件である甲6あるいは甲10で採用されているような乾燥条件で乾燥することによりトリハイドレートが得られている。」
「したがって,甲7文献には,次の発明が記載されているものと認められる。
『骨吸収阻害剤である4-アミノ-1-ヒドロキシブタン-1,1-ジホスホン酸モノナトリウム塩トリハイドレートを有効成分として含む医薬製剤。』」
(2) 本件発明6及び7と甲7発明との一致点
「(a) 甲7発明における『骨吸収阻害剤』は,本件発明6及び7の『骨吸収を伴う疾病の治療及び予防のための』ものに相当することは明らかであり,
(b) 甲7発明の『4-アミノ-1-ヒドロキシブタン-1,1-ジホスホン酸モノナトリウム塩トリハイドレート』は,本件発明6及び7の『4-アミノ-1-ヒドロキシブチリデン-1,1-ビスホスホン酸モノナトリウム塩トリハイドレート』と,表現が異なっているだけで同一の化合物であることも明らかである。
そうすると,本件発明6及び7と甲7発明は,
『4-アミノ-1-ヒドロキシブチリデン-1,1-ビスホスホン酸モノナトリウム塩トリハイドレートを有効成分として含む,骨吸収を伴う疾病の治療及び予防のための医薬組成物。』で一致する。」
(3) 本件発明6及び7と甲7発明との相違点
「医薬組成物の態様について,本件発明6が『固体状医薬組成物』,本件発明7が『錠剤』と特定しているのに対し,甲7発明では,そのような特定はなされておらず,注射液やカプセル剤が示されているに止まる点。」
(4) 相違点に関する容易想到性の判断
「医薬活性成分を錠剤など固体状の剤形で用いることは知られている(例えば,甲16を参照)ことを勘案すると,甲7発明の医薬組成物を錠剤など固体状の剤形とすることは,当業者が容易に想到し得たものである。
そして,本件明細書には,錠剤など固体状の剤形とすることによる格別の作用効果を奏し得ることは記載されておらず,錠剤など固体状の剤形とする実施例すら無く(なお,薬効成分が常温で結晶状,即ち固体状であることは,直に固体状の剤形を意味するものではない。),本件発明が予想を超える作用効果を奏しているとも認められない。」
「原告は,‥‥特許文献(甲27~甲31の2)には,化合物によって種々の水和物が記載されているが,それらの特許文献からは所望の水和数を有するナトリウム塩水和物を得るのにどのような製造方法(晶析及び乾燥を含む後処理)を用いればよいのか予測できないことから,本件優先権主張日当時,水和塩結晶中の1分子あたりの水和数を制御する一般的な方法が知られておらず,どのような条件を採用すれば3水和物が得られるか不明であり,かなりの程度試行錯誤する必要がある旨を主張する。しかし,有機化合物によって水和物が存在し得る場合があることは明らかであり,その水和物の水和数は化合物の種類に依存するとしても,甲7文献において既に3水和物が目的物として明示され,その存在を疑うべき特段の事情が無いことを考慮すれば,技術常識を勘案し3水和物の製造条件を検討することに格別の困難性は無いというべきであり,そして,甲17及び甲6や甲10や本件明細書の記載を勘案すると,その3水和物を得るための条件が格別特異なものであるとは認められないから,上記原告の主張は採用できない。」
「したがって,本件発明6及び7は,いずれも甲7発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであるから,特許法29条2項の規定に違反してなされたものである。」
(5) むすび
「以上のとおりであるから,本件発明6及び7は,いずれも特許法29条2項の規定に違反してなされたもので,特許法123条1項2号の規定に該当し,無効とされるべきものである。」
第3原告主張の取消事由
審決は,次に述べるとおり,認定及び判断に誤りがあるから,取り消されるべきである。
1 取消事由1(条文解釈又は条文適用の誤り)
(1) 甲7文献には,「4-アミノ-1-ヒドロキシブチリデン-1,1-ビスホスホン酸モノナトリウム塩トリハイドレート」なる新規の化学物質(以下「本件3水和物」という。)の構成しか開示がなく,その製造方法を理解し得る程度の記載もなければ,本件特許の優先日当時の技術常識等においてその製造方法を見出すこともできないから,「骨吸収阻害剤である4-アミノ-1-ヒドロキシブチリデン-1,1-ビスホスホン酸モノナトリウム塩トリハイドレートを有効成分として含む医薬製剤」なる発明が記載されているとはいえない。それにもかかわらず,審決は,甲7文献に,「骨吸収阻害剤である4-アミノ-1-ヒドロキシブチリデン-1,1-ビスホスホン酸モノナトリウム塩トリハイドレートを有効成分として含む医薬製剤」なる発明が記載されていると認定した。
したがって,「骨吸収阻害剤である4-アミノ-1-ヒドロキシブチリデン-1,1-ビスホスホン酸モノナトリウム塩トリハイドレートを有効成分として含む医薬製剤」なる発明を,同法29条2項が引用する同条1項3号にいう「刊行物に記載された発明」と認定した審決は,同法29条1項3号の解釈を誤り,適用できない条文を適用したから条文適用を誤っている。よって,審決には条文解釈を誤る,又は,条文適用を誤るという違法があるから,取り消されるべきである。下記(2) 以下において,詳述する。
(2) 特許庁の審査基準には,「刊行物に化学物質名又は化学構造式によりその化学物質が示されている場合において,当業者が本願出願時の技術常識を参酌しても,当該化学物質を製造できることが明らかであるように記載されていないときは,当該化学物質は『引用発明』とはならない。」と記載されている(特許実用新案審査基準1.5.3.(3)②)。
また,知財高裁平成20年4月21日判決(平成19年(行ケ)第10120号)及び知財高裁平成20年6月30日判決(平成19年(行ケ)第10378号)の各判示からすれば,当該物が,新規の化学物質である場合には,新規の化学物質は,一般に製造方法その他の入手方法を見出すことが困難であることが少なくないことから,刊行物にその技術的思想が開示されているというために,「製造方法を理解し得る程度の記載があることを要することもある」(又は,「製造方法を理解し得る程度の記載があることを要する場合が少なくない」)というべきである。
そうすると,刊行物に,製造方法を理解し得る程度の記載があることを要しない場合に,刊行物に「物の発明」が記載されているという要件を充足する場合とは,当業者が,本願出願当時の技術常識により,当該化学物質の製造方法その他の入手方法を見出すことができる場合をいうと理解でき,そのような場合とは,「当業者が,先行技術文献の記載や技術常識等により,その入手方法を理解し得る」よりも簡単に,当該化学物質の製造方法その他の入手方法が把握できる場合,すなわち,本願出願当時の技術常識に,当該化学物質の製造方法その他の入手方法そのものを見つけることができるような場合を指すということが理解できる。そして,そのような場合とは新規の化学物質にあってはきわめて例外的な場合であるということができる。
よって,特許庁の審査基準及び上記各知財高裁判決によれば,刊行物中に,新規の化学物質の構成が開示されているものの,刊行物中にその製造方法を理解し得る程度の記載がない場合において,それでもなお当該刊行物にその技術的思想が開示されているというためには,本願出願当時の技術常識に,当該化学物質の製造方法その他の入手方法そのものを見つけることができるといった例外的な事情が必要である,ということになる。
(3) 上記基準を本件について検討すると,甲7文献には,「4-アミノ-1-ヒドロキシブチリデン-1,1-ビスホスホン酸モノナトリウム塩トリハイドレート」という化合物名によって本件3水和物の構成が示されているものの,その製造方法の記載は全くなく,その示唆さえない。この点は,審決においても同様に認定しているところである。
したがって,本件は,「刊行物に製造方法を理解し得る程度の記載があることを要しない場合」に当たるから,新規の化学物質である本件3水和物につき,もしその技術的思想が刊行物に開示されているという要件を充足するとすれば,「本願出願当時の技術常識に,当該化学物質の製造方法その他の入手方法そのものを見つけることができる」という事情がある場合に限られる。
しかしながら,審決は,「甲7文献に製造方法を理解し得る程度の記載がない」ことを認めたうえで,甲5の実施例3の記載,甲5の実施例5の記載及び甲12ないし14の各記載を認定し,次いで,それらから各々独自に推定したステップをすべて行うことによって,当業者が「容易に」本件3水和物を得ることができると認定し,その上で,甲7文献に本件3水和物なる発明が記載されていると認定しているのであるから,審決の認定に従えば,本件3水和物は,これらのすべてのステップを逐一積み重ねるプロセスによってようやく製造できるものであるから,これが,「本件優先日当時の技術常識に,当該化学物質の製造方法その他の入手方法そのものを見つけることができる場合」に当てはまらないことは明らかである。
よって,新規の化学物質である本件3水和物は,甲7文献に,本件3水和物の製造方法を理解し得る程度の記載がなく,「本願出願当時の技術常識に,当該化学物質の製造方法その他の入手方法そのものを見つけることができる」という事情もないので,甲7文献にその技術的思想が開示されているといえない。
したがって,本件3水和物が,29条1項3号の「刊行物に記載された発明」に該当するとした審決は,29条1項3号の解釈を誤った,あるいは,その適用を誤ったというべきである。
2 取消事由2(甲5及び甲12ないし甲14についての事実認定の誤り)
(1) 審決は,甲5文献,理化学辞典(甲12。以下「甲12文献」という。),特開昭62-228091号公報(甲13。以下「甲13文献」という。)及び特公昭60-4188号公報(甲14。以下「甲14文献」という。)に記載されていると認定した事実を踏まえて,甲7文献に「骨吸収阻害剤である4-アミノ-1-ヒドロキシブチリデン-1,1-ビスホスホン酸モノナトリウム塩トリハイドレートを有効成分として含む医薬製剤」なる発明が記載されていると認定し,本件発明は,甲7発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであると判断した。
しかしながら,次のとおり,審決は,甲7発明の認定プロセスにおいて,甲5及び甲12ないし甲14の各文献について誤った事実認定に基づいて認定しており,もって,本件発明につき進歩性がないと判断したという違法があるから,取り消されるべきである。
(2) 審決は,甲5文献については,ビスホスホン酸一般のナトリウム塩は,水溶液中でビスホスホン酸を水酸化ナトリウムで中和し,水溶液から晶出する結晶状の固体として得ていると認定しているが,以下のとおり,甲5文献にそのような記載はなく,本件優先日当時の当業者がそのような記載ないし示唆があると理解することはできない。したがって,審決が甲5文献についての事実認定を誤っている以上,甲7発明の認定が誤っていることは明らかである。
ア 甲5文献の実施例5について
審決が参照すべき実施例として挙げている甲5文献の実施例5には,本件3水和物におけるビスホスホン酸である「4-アミノ-1-ヒドロキシブチリデン-1,1-ビスホスホン酸」(以下「本件ビスホスホン酸」という。)とは異なる,5-アミノ-1-ヒドロキシペンタン-1,1-バイホスホン酸の一ナトリウム塩の製造方法が記載されているにすぎない。このように,甲5文献の実施例5の目的生成物は,その記載から明らかなように,本件3水和物のビスホスホン酸と構造が異なる特定のビスホスホン酸の一ナトリウム塩であって,多種多様な構造を有するビスホスホン酸一般のナトリウム塩ではない。したがって,本件優先日当時の当業者は,甲5文献の実施例5には,多種多様な化学構造を有するビスホスホン酸一般のナトリウム塩が,水溶液中でビスホスホン酸を水酸化ナトリウムで中和した後,水溶液から晶出する結晶状の固体として得られることが記載されていたと理解することはできず,それを示唆する記載がされていたと理解することもできない。
イ 甲5文献の実施例3について
審決が挙げている甲5文献の実施例3には,まず,目的生成物である4-アミノ-1-ヒドロキシブタン-1,1-バイホスホン酸一水和物,すなわち,本件ビスホスホン酸に関する1水和物の製造方法が記載されている。ここで,実施例3の目的生成物は,本件ビスホスホン酸の1水和物であって,本件ビスホスホン酸のナトリウム塩の水和物でないことに注意すべきである。次に,実施例3の「電位差滴定」の項に,当該1水和物を溶解した水溶液に,NaOH水溶液を加えて,ビスホスホン酸の2つのCOOHを順次NaOHで中和したことも記載されている。この実施例3の「電位差滴定」の項の記載から示唆されることは,その溶液中には,その電位差滴定終了後,本件ビスホスホン酸のカルボキシル基(COOH)の水素イオンが解離したCOO-とナトリウムイオンが存在しているという程度のものに留まる。すなわち,甲5文献の実施例3の記載では,本件ビスホスホン酸について,電位差滴定中,及びその終了後に溶液中に存在するイオンが水溶液から析出する結晶状の固体として得られるかどうかすら不明なのである。
そうすると,結局,本件優先日当時の当業者は,甲5文献の実施例3の記載からは,多種多様な化学構造を有するビスホスホン酸一般のナトリウム塩については,「水溶液中でビスホスホン酸を水酸化ナトリウムで中和し,水溶液から晶出する結晶状の固体として得ている」と記載されていたとも,またこれを示唆する記載がされていたとも,理解することができないというべきである。
(3) 審決は,「結晶水は,加熱あるいは乾燥により離脱し,加熱あるいは乾燥の条件を強くすることにより,順次離脱することは周知である(甲12~14)。」と認定する。この認定が,「結晶水は,加熱あるいは乾燥により離脱し,加熱あるいは乾燥の条件を強くすることにより,順次離脱することは周知である」という事項が甲12ないし甲14の各文献に記載されているという趣旨であれば,次のとおり,甲12ないし甲14の各文献にそのような記載はない。
すなわち,甲12文献には,「(結晶水が)一定の温度範囲で一定の水蒸気圧を示し,熱すればある温度で段階的に脱水され,それに伴って結晶構造が変化する。」と記載されているにすぎない。そして,B早稲田大学教授作成にかかる平成21年8月7日付け「見解書」と題する書面(甲34。以下「甲34見解書」という。)によれば,有機化合物の水和塩結晶に関しては上記記載は妥当しないとし,C東京農工大学教授作成にかかる平成21年8月5日付け「見解書」と題する書面(甲35。以下「甲35見解書」という。)によれば,結晶水和物の世界ではそのように断言できるということはあり得ないとの見解が述べられている。
また,甲13文献及び甲14文献にも,特定の化合物についての説明があるのみであり,「結晶水は,加熱あるいは乾燥により離脱し,加熱あるいは乾燥の条件を強くすることにより,順次離脱することは周知である」といった記載も示唆もない。
したがって,審決が甲12ないし甲14の各文献についての事実認定を誤っている以上,甲7発明の認定が誤っていることは明らかである。
3 取消事由3(甲5及び甲12ないし甲14についての技術常識の認定の誤り)
(1) 審決は,「甲7文献において既に3水和物が目的物として明示され,その存在を疑うべき特段の事情が無いことを考慮すれば,技術常識を勘案して3水和物の製造条件を検討することに格別の困難性は無いというべきであり,」と判断して,甲5及び甲12ないし甲14の各文献から認定される事実が本件優先日当時の技術常識であることを前提として,甲7発明についての認定を行っている。しかしながら,審決が甲5文献から認定されるとする事実に関しては,それが本件優先日当時の技術常識であるかどうかについて審決は何らの検討を行っておらず,もとより,当該事実は本件優先日当時の技術常識ではない。
また,審決が甲12ないし甲14の各文献から認定されるとする事実に関しても,少なくとも有機化合物の水和塩結晶については,当該事実は本件優先日当時の技術常識ではなく,ましてや周知技術でもない。
したがって,審決は,甲7発明の認定プロセスにおいて,誤った技術常識に基づいて甲7発明を認定し,もって,本件発明6及び7について進歩性がないと判断をしたという違法があるから,審決は取り消されるべきである。以下,詳述する。
(2) 甲5文献について
ア 審決は,「ビスホスホン酸のナトリウム塩は,水溶液中でビスホスホン酸を水酸化ナトリウムで中和し,水溶液から晶出する結晶状の固体として得ている。」という事項を甲5文献から認定される事項であるとしている。
しかしながら,審決は,上記事項について,これが技術常識であるかどうかの検討をしないまま,安易に,これが技術常識であることを前提とし,甲7発明を認定している。したがって,甲7発明の認定に関して審決が用いた前記の認定手法に従ったとしても,甲7発明の認定が誤っていることは明らかである。そして,この誤った認定は,本件発明6及び7が甲7発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものとする誤った審決に直接影響をしているのであるから,甲5文献に記載された事項が技術常識であることの検討の欠如は取消事由となるというべきである。
イ また,審決が甲5文献から認定されるとする上記事項は,前述したように,甲5文献には記載されていないし,示唆するような記載すらない。そして,本件優先日前に頒布された刊行物であって,上記事項が記載されている刊行物も見当たらないのであるから,上記事項が本件優先日当時に当業者に一般的に知られている技術又は経験則から明らかな事項であるということはできない。
よって,審決が甲5文献から認定されるとする事項が本件優先日当時の技術常識であるとはいえない。したがって,甲7発明の認定に関し審決が用いた前記の認定手法に従ったとしても,甲7発明の認定が誤っていることは明らかである。そして,その誤った認定は,本件発明6及び7が甲7発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものとする誤った審決に直接影響しているのであるから,甲5文献についての技術常識の認定の誤りは取消事由となる。
(3) 審決は,甲12ないし甲14の各文献に関し,「結晶水は,加熱あるいは乾燥により離脱し,加熱あるいは乾燥の条件を強くすることにより,順次離脱することは周知である(甲12~14)。」と認定するところ,この認定は,前記2の取消事由2でも検討したように,甲12ないし甲14の各文献に記載された事項から「結晶水は,加熱あるいは乾燥により離脱し,加熱あるいは乾燥の条件を強くすることにより,順次離脱すること」が周知と判断できるという趣旨であるとも解釈できる。このような趣旨である場合,上記認定は,甲12文献に,「(結晶水は)一定の温度範囲で一定の水蒸気圧を示し,熱すればある温度で段階的に脱水され,それに伴って結晶構造が変化する。」と記載されていることによるものであるが,次のとおり,少なくとも有機化合物については,甲12文献の上記段階的離脱に関する記述は誤りである。したがって,結晶水の段階的離脱に関する上記記述は,本件優先日当時の技術常識であるとはいえず,ましてや周知技術であるといえるものではない。
ア 結晶水の段階的離脱に関する記述が有機化合物の水和塩結晶にあてはまらないことは,有機化合物と無機化合物の水和塩結晶の構造上の相違からも明らかである。すなわち,有機化合物の水和塩結晶中の水和水とまわりの分子との分子間結合(分子間相互作用)は,無機化合物結晶中の水和水と金属原子等との結合と比べて弱く,複雑であるため,有機化合物の水和塩結晶中の水和水は,甲12文献の記載のように段階的に脱離するというものではなく,不規則に脱離する。しかも,有機化合物の水和塩結晶において,水分子とそれを取り巻く有機化合物の構成原子や基との結合態様(分子間相互作用の態様)は,各有機化合物の水和塩構造ごとに多種多様であり,当業者が予測しえる程度のものでなく,それゆえ,水和塩結晶中の水和水の挙動も,その予測が困難である。したがって,有機化合物の「結晶水は,加熱あるいは乾燥の条件を強くすることにより,順次離脱する」とはいえない。
イ 本件優先日以後の技術水準では,加熱あるいは乾燥により,有機化合物の結晶水和物の構造が破壊されたり,あるいは,有機化合物の結晶水和物が転移,融解してしまう可能性があることが分かっている。特に,有機化合物の結晶を,水などの溶媒が存在する環境において,所望の水和数を有する水和塩結晶を得ようとする場合,擬多形を含む結晶多形と言われる様々な結晶構造が生成することが知られており,その多形転移が問題となるが,この点については,現在の技術水準においても,当業者が,晶析過程ないし後処理過程での結晶多形の転移挙動を予測することは極めて困難であると理解されているのであって,本件優先日当時においてはなおさらであった。
ウ そして,甲12文献に記載された結晶水の段階的離脱に関する記述が誤りであることは,甲14文献,カナダ国特許第1100874号明細書(甲30。以下「甲30文献」という。),特開平7-206857号公報(甲39。以下「甲39文献」という。)など,有機化合物では,「結晶水は,加熱あるいは乾燥の条件を強くすることにより,順次離脱する」とはいえないケースが多数存在することからも明らかである。
エ 結晶水の段階的離脱に関する記述が有機化合物の水和塩結晶にあてはまらないことは,本件優先日当時の技術水準ないし技術常識からも明らかである。
すなわち,本件優先日前の有機化学の実験操作に関する教科書ないしガイドブックである甲22ないし甲26及び甲41の各文献には,それらの目次をみても,有機化合物の結晶の製造方法の項目はあるものの,有機化合物の水和塩の項目はなく,それらの索引をみても,「結晶水」,「水和塩」,「水和物」,「(擬多形を含む)結晶多形」といった用語は記載されていないばかりか,有機化合物の結晶の製造方法についての項目には,その一般的な記載はあるが,有機化合物の水和塩結晶の製造方法に関する記載がなく,その示唆さえない。したがって,甲22ないし甲26及び甲41の各文献から,本件優先日当時,有機化合物の水和塩結晶の製造方法,特に,その水和塩結晶中の1分子あたりの水和数を制御する方法について,一般的に知られた方法がなかったことがわかる。
また,「分離技術32巻4号29頁」(甲36。以下「甲36文献」という。),「分かり易い結晶多形」(甲37。以下「甲37文献」という。),「Acc. Chem. Res. 1995, 28, 193-200」(甲42。以下「甲42文献」という。),「結晶多形の最新技術と応用展開」(甲43。以下「甲43文献」という。)及び「最近の化学工学 晶析工学・晶析プロセスの展開」(甲44。以下「甲44文献」という。)の各文献の記載からも明らかなように,本件優先日以後ないし現在の技術水準においてさえ,当業者が,所望の水和数を有する有機化合物の水和塩結晶を得るためには相当の試行錯誤が必要であり,このことは,本件優先日当時ではなおさらであった。
オ そして,この点については,甲34見解書においても,以上説明したことを根拠に,本件優先日当時の技術常識として,有機化合物の水和塩結晶に関して,「結晶水は,加熱あるいは乾燥の条件を強くすることにより,順次離脱する」ということは決していえないと述べられており,また,甲35見解書においても,結晶水の段階的離脱に関する記述について,結晶水和物の脱水に関しては,そのように断言できるということはあり得ないと述べ,結晶水和物の技術分野においては,実際,水和水の段階的脱離に関して一般的に適用できるような法則があるとはいえない,と述べている。
したがって,本件優先日当時に,有機化合物の水和塩結晶に関して,「結晶水は,加熱あるいは乾燥の条件を強くすることにより,順次離脱する」ことが技術常識であるとはいえず,ましてや周知であるとは決していえない。
4 取消事由4(甲7についての事実認定の誤り)
審決は,甲5及び甲12ないし甲14の各文献に記載されていると審決が認定した事実につき,これが本件優先日当時の技術常識であることを前提としつつ,前記第2の4(1) のとおり,「してみれば,4-アミノ-1-ヒドロキシブタン-1,1-ジホスホン酸モノナトリウム塩の3水和物が存在することは甲7文献に記載されているのであるから,当業者は,4-アミノ-1-ヒドロキシブタン-1,1-ジホスホン酸モノナトリウム塩を水溶液から晶出させることにより,3水和物が得られると,そして,もし水溶液からの晶出により得られた4-アミノ-1-ヒドロキシブタン-1,1-ジホスホン酸モノナトリウム塩の水和数が3を超えていれば,適宜条件を選択し,加熱,乾燥することにより水和数を減ずることにより,容易に,3水和物(トリハイドレート)を得ることができると考えるのが自然である。」「したがって,甲7文献には,次の発明が記載されているものと認められる。
『骨吸収阻害剤である4-アミノ-1-ヒドロキシブタン-1,1-ジホスホン酸モノナトリウム塩トリハイドレートを有効成分として含む医薬製剤。』」として,甲7文献に本件3水和物なる発明が記載されていると結論づけている。
ここで,審決の上記結論の論拠は,本件ビスホスホン酸モノナトリウム塩を水溶液から晶出させることが本件優先日当時の技術常識であることを当然の前提としているが,前記2及び3で詳述したように,「本件ビスホスホン酸モノナトリウム塩」を含む「ビスホスホン酸一般のナトリウム塩」につき,水溶液中でビスホスホン酸を水酸化ナトリウムで中和し,水溶液から晶出する結晶状の固体として得ていることは,甲5文献に記載されていたわけでもなく,ましてや本件優先日当時の技術常識であったわけでもない。また,「水和物の製法としては,水溶液から晶出することが一般的である」ということは,本件ビスホスホン酸モノナトリウム塩の水和物の製法に何ら示唆を与えるものでない。したがって,本件ビスホスホン酸モノナトリウム塩水和物が水溶液からそのまま晶出できるか否かは,本件優先日当時の技術水準では全く予測できなかったのであるから,上記論拠は誤った前提に基づくものであって,上記論拠に基づく甲7文献に関する上記認定は誤りである。
また,審決の上記論拠は,水溶液から晶出して得られる本件ビスホスホン酸モノナトリウム塩の水和物の水和数が3か,あるいは3を超えているとし,水和数が3を超える場合には,適宜条件を選択し,加熱,乾燥することにより水和数を減ずることにより,容易に3水和物が得られるとするものであるが,審決は,水和数が3に満たなかった場合には,それでもなお容易に3水和物を得る方法があることを何も説明していない。しかしながら,D作成にかかる平成20年7月17日付け「実験報告書」と題する書面(甲17。以下「甲17実験報告書」という。)には,本件ビスホスホン酸モノナトリウム塩の2水和物の存在が確認され,水和数が3に満たない場合があり得ることが明確に示されているのであるから,審決の論理に従っても,上記論拠は,3水和物を容易に得られない場合が存在することについて,これを否定できていないことになる。よって,上記論拠は,3水和物を容易に得ることができない場合が存在することを否定していないという点で論理が破綻しており,上記論拠に基づく甲7文献に関する認定はやはり誤りであるといわざるを得ない。
そして,前記3で述べたように,本件優先日当時,当業者が,所望の水和数を有する有機化合物の水和塩結晶を得る方法を設計することは極めて困難であった。その技術常識に照らせば,仮に,ある水和数を有する有機化合物の水和塩の存在を知らされたとしても,当業者が過度の試行錯誤をすることなしに当該水和塩の製造条件を設定することはおろか,当該水和塩そのものを実際に製造できるかどうか全く予測することができなったのであるから,上記審決の認定は誤りである。
5 取消事由5(容易想到性の判断の誤り)
前記1ないし4において説明したとおり,甲7発明についての認定は誤っている。
よって,審決は,誤って認定した引用発明に基づいて容易想到性を判断したものであるから,本件発明6及び7が甲7発明に基づいて容易に発明することができたものであるとする,審決の容易想到性の判断は誤りであることは明らかである。
第4被告の主張
次のとおり,審決の認定判断には誤りはなく,原告主張の取消事由はいずれも理由がない。
1 取消事由1(条文解釈又は条文適用の誤り)に対して
この点に関する原告の主張は,独自の解釈と推論に基づく独自の判断基準であって,なんら法的な根拠はない。また,その独自の判断基準がいかなる判断基準(認定方法)を意味するものであるかは明確ではない。仮に,原告の主張する判断基準が,刊行物に記載の新規物質に関して,その製造方法そのものが出願時に公知であったことを証明することが必要であることを意味するのであれば,そもそも刊行物に記載の「新規物質」は,実際は新規物質でないことになるため,無意味な判断基準というべきである。一方,その判断基準が,本件については,甲7文献の記載が,その新規物質の製造方法を理解できる程度の記載でなければならないことを定める判断基準であるべきであることを意味するものであるならば,審決において判断されたように,甲7文献の記載は,甲5ないし8,10,12ないし14の各文献の記載に基づく論理的な判断によって,その新規物質の製造方法を理解できる程度の記載であるといえるから,原告の取消理由は根拠がない。
2 取消事由2(甲5及び甲12ないし甲14についての事実認定の誤り)に対して
(1) 原告は,甲5文献について,審決は,ビスホスホン酸一般のナトリウム塩は水溶液中でビスホスホン酸を水酸化ナトリウムで中和し,水溶液から晶出する結晶状の固体として得ていると認定していると主張しているが,審決の該当する記載は,「ビスホスホン酸一般」との記載ではないことから,この指摘は的外れというべきである。
(2) また,甲5及び甲12ないし14の各文献に記載された事実がないとの原告の指摘には重大な誤りがある。すなわち,審決における判断は,甲7と甲5及び甲12ないし甲14の各文献の記載を踏まえた上で,さらに,平成20年(2008年)4月4日付けE作成の実験証明書(甲6。以下「甲6実験証明書」という。)あるいは平成20年(2008年)11月4日付けE作成の実験証明書(甲10。以下「甲10実験証明書」という。)で明らかにされた実験的事実,すなわち,実際に,乾燥条件としては通常の条件で乾燥することにより本件3水和物が得られているとの実験的事実をも考慮した判断である。
(3) 次に,甲5文献に審決認定の記載が存在していないとの点を理由とする原告による審決の不備の指摘は,原告の審決についての誤った理解によるものである。すなわち,原告が指摘した審決の当該記載は,審決において示されているように,甲5文献の実施例5の記載を参照しての判断であり,実施例5には,本件発明6に記載の化合物と同族体(すなわち,化学的に同様の化学的挙動を示すと理解される化合物)の関係にある,「5-アミノ-1-ヒドロキシペンタン-1,1-バイホスホン酸の一ナトリウム塩」の製造の記載がある。審決では,この実施例5において,上記の同族体の一ナトリウム塩の固体が得られていることと,そして実施例3において,本件発明6に記載の化合物の遊離酸(フリー体)の電位差滴定による,遊離酸とNaOHとの中和反応が確認されていることを根拠にして,上記化合物の遊離酸の一ナトリウム塩が生成していると判断しているのであって,この判断に誤りはない。
(4) 次に,審決における「結晶水は,加熱あるいは乾燥により離脱し,加熱あるいは乾燥の条件を強くすることにより,順次離脱することは周知である(甲12~14)」との判断の意味するところは,当然,甲12ないし甲14の各文献の記載から,そのようなことが周知であったことが理解できることを意味している。この点については,原告は,甲12文献の記載は「有機化合物の水和塩結晶に関しては該当しない」とか「結晶水和物の世界ではそのように断言できるということはあり得ない」などと主張しているが,この点については,審決においてすでに,「甲12の説明の例示は無機物であるが,無機物に限定して説明されたものではない」との明確な指摘がある。なお,甲12文献の記載は「有機化合物の水和塩結晶に関しては該当しない」との前記の意見が正しいとすれば,その意見は,審決にて採用されている甲6実験証明書及び甲10実験証明書に示された実験的事実を説明できないことは明らかである。
さらに,「結晶水和物の世界ではそのように断言できるということはあり得ない」との意見については特に争わないが,少なくとも学問としての化学の世界において,多数の研究者による研究の成果である実験事実に基づき体系化された知識をまとめた各種の刊行物(甲12文献はその代表例である)に記載されている知識に基づいて,多くの化合物についての化学的な挙動の予測が可能であることは当然である。これを本件について検討すると,少なくとも本件発明6に記載の化合物(すなわち,甲7文献に記載の化合物と同一化合物)については,甲6実験証明書と甲10実験証明書に示されているように,実際に,甲5文献に記載されている本件ビスホスホン酸を水溶液中で水酸化ナトリウムで中和することにより得られた析出物を通常の乾燥条件で乾燥することにより,本件3水和物が得られている。
したがって,甲12文献の記載については,無機化合物及び有機化合物に限らず,各種の化合物の挙動についての一般的な説明であるとした審決の判断になんら誤りはない。
3 取消事由3(甲5及び甲12ないし甲14についての技術常識の認定の誤り)に対して
(1) 原告が指摘している審決中の「技術常識を勘案して3水和物の製造条件を検討することに格別の困難性は無いというべき」との記述が,「甲7文献において既に3水和物が目的物として明示され,その存在を疑うべき特段の事情がないことを考慮すれば,技術常識を勘案して3水和物の製造条件を検討することに格別の困難性は無いというべき」との文脈において存在していることを原告は無視している。すなわち,前記2で述べたように,審決では,甲7文献に,本件発明6に記載された本件3水和物が明示されていることを指摘した上で,甲5文献に,その化合物のフリー体の記載があり,さらにフリー体の一ナトリウム塩の生成があったと理解される記載があることと,そのフリー体の同族体の一ナトリウム塩が取り出されていること,そして,甲12ないし甲14の各文献(特に甲12文献にある結晶水の説明)を根拠にして,「水和物の製造条件を検討することに格別の困難性は無いというべき」と判断しているのであり,この判断に誤りはない。なお,前述したように,少なくとも本件3水和物については,甲6実験証明書と甲10実験証明書に示されているように,実際に,甲5文献に記載されている本件ビスホスホン酸を水溶液中で水酸化ナトリウムで中和することにより得られた析出物を通常の乾燥条件で乾燥することにより本件3水和物が得られていることを考慮すると,甲12文献の記載について,この記載が,通常の化合物の挙動についての一般的な技術常識を示す記載として理解することになんら誤りはない。
(2) また,原告は,主に甲34及び甲35の各見解書に基づき,有機化合物と無機化合物の水和塩結晶の構造の相違を根拠として,各種の有機化合物の具体例を挙げ,甲12文献の説明が有機化合物には適用できない旨主張している。このような主張は,審決において,「有機化合物によって水和物が存在し得る場合があることは明らかであり,その水和物の水和数は化合物の種類に依存するとしても,甲7文献において既に3水和物が目的物として明示され,その存在を疑うべき特段の事情が無いことを考慮すれば,技術常識を勘案して3水和物の製造条件を検討することに格別の困難性は無い」との理由で退けられているのであって,この理由が正当であることは,甲6実験証明書と甲10実験証明書に示されている実験的に証明された事実を考慮すれば明らかであるから,この点に関する原告の主張は理由がない。
4 取消事由4(甲7についての事実認定の誤り)に対して
(1) 原告が主張する審決の認定の論拠に関する説明は,明らかに誤りである。
審決の記載に基づけば,上記論拠については,これらの内容をまとめて,「当業者は,甲7文献に記載の本件3水和物が,ビスホスホン酸モノナトリウム塩を水溶液からの晶出とその後の乾燥により得られる可能性があり,仮に,その晶出と乾燥により得られるビスホスホン酸モノナトリウム塩が3水和物でなかった場合には,その乾燥条件を調整することにより得られると考えるのが自然である」とすべきであり,このような審決に示された論拠は正当である。そして,その論拠が正当であることは,前述のように,甲6実験報告書と甲第10実験報告書に示された各実験的事実により証明されている。
(2) 原告が主張する論拠の理解が正しいと仮定しても,審決には,「本件ビスホスホン酸のナトリウム塩を含むビスホスホン酸一般のナトリウム塩につき,水溶液中でビスホスホン酸を水酸化ナトリウム塩で中和し,水溶液から晶出する結晶状の固体として得ている」との判断は示されていない。すなわち,審決では,甲5文献には,本件ビスホスホン酸を含むビスホスホン酸の発明の記載があるとの趣旨の指摘をした上で,実施例5には,ビスホスホン酸(本件ビスホスホン酸と同族体の関係にあるビスホスホン酸)を水酸化ナトリウム塩で中和し,水溶液から晶出する結晶状の固体として得ているとの指摘をしているにすぎない。したがって,原告の主張は失当である。
(3) いずれにしろ,原告の主張は,審決の記載についての原告の誤った理解に基づく主張であって,正当ということができないから,審決には原告のいう誤りはない。
5 取消事由5(容易想到性の判断の誤り)に対して
前記1ないし4で述べたとおり,甲7文献に「骨吸収阻害剤である4-アミノ-1-ヒドロキシブチリデン-1,1-ビスホスホン酸モノナトリウム塩トリハイドレートを有効成分として含む医薬製剤」なる発明が記載されているという審決の判断は正当である。したがって,原告の主張には根拠はない。
第5当裁判所の判断
1 本件明細書及び各文献の内容
以下において引用した各文献中の公知文献等の表記は,本判決の表記に統一した。
(1) 本件明細書の内容
証拠(甲1の1)によれば,本件明細書には次の記載がある。
「【発明の詳細な説明】
本発明は,4-アミノ-1-ヒドロキシブチリデン-1,1-ビスホスホン酸又はその塩の改良された製造方法に関する。特に,一ポット方法で高純度かつ高収率で最終生成物が得られる方法に関する。」(1頁2欄11ないし15行)
「ここで記載される4-アミノ-1-ヒドロキシブチリデン-1,1-ビスホスホン酸モノナトリウム塩トリハイドレートは,医薬組成物,特に固体状医薬組成物,好ましくは錠剤形態の組成物としてそして骨吸収を伴う疾病の治療及び予防のために有用である。悪性の高カルシウム血症,ぺージェット症,骨粗鬆症のような疾病は,本発明の方法により製造された4-アミノ-1-ヒドロキシブチリデン-1,1-ビスホスホン酸モノナトリウム塩トリハイドレートで有効に治療される。」(2頁3欄左下段43行ないし4欄右下段43行)
「実施例1
4-アミノ-1-ヒドロキシブチリデン-1,1-ビスホスホン酸モノナトリウム塩トリハイドレート
250mlフラスコに機械的スターラー,熱電対,添加漏斗,及び-20℃の塩水を循環させた還流濃縮機を取り付けた。この系を,系に於ける戻り圧0.5-0.7kg/cm2(7ー10psi)に合わせる苛性洗浄機(caustic scrubber)に接続した。系に窒素を流し,アミノ酪酸20g(0.19mol),メタンスルホン酸80ml及びホスホン酸24g(0.29mol)を仕込んだ。より大規模な操作のためには,メタンスルホン酸を最初に仕込むことが出来,4-アミノ酪酸とホスホン酸を続ける。混合し,中和の熱で溶液は反応温度が75℃に上昇した。懸濁液を70-75℃で15分間ねかし,澄んだ無色の溶液となった。その溶液を35℃に冷やし,三塩化リン(PCl3)40ml(0.46mol)を20分かけて注意深く加えた。反応物をそれから65℃に加熱し,その温度で20時間ねかした。反応物は65℃を大きく上回ることを許容されるべきではない。反応物は85℃以上に発熱し断熱条件下で温度は着実に上昇するであろう。約150℃で大きな圧の放出に伴なって発熱が起こる。したがって,若し温度が85℃に達するなら反応物を直ちに冷水中に注ぐことが推奨される。反応物を25℃に冷やし,脱イオン水200mlを5分間かけて加えた。フラスコをさらなる100mlの水で濯ぎ,合わせた溶液を95-100℃で5時間ねかした。反応物を20℃に冷却し,20-25℃に維持し同時にpHを50%NaOH約80mlで4.3に調節した。得られた白色の懸濁液を0-5℃に冷却し1時間ねかした。必要に応じてpHを4.3に調整し,懸濁液を0-5℃でさらに2時間ねかした。生成物をろ過により集め,冷水(0-5℃)2×50ml及び95%EtOH100mlで洗浄した。恒量に至るまでの40℃での空気乾燥後の収率は56.4g(90%)であった。」(2頁4欄右下段49行ないし3頁6欄13行)
(2) 引用例(甲7文献)の記載内容
証拠(甲7)によれば,甲7文献には次の記載がある。
「第3回 医薬品分析の国際シンポジウム 要旨集 アントワープ,5月16~19日,1989年」(表紙)
「医薬製剤中の4-アミノ-1-ヒドロキシブタン-1,1-ジホスホン酸モノナトリウム塩トリハイドレート高速液体クロマトグラフィーによる測定」(106頁のタイトル)
「ジョセフ ディ.デマルコ,ステファン イー.バイファー,デビット ジー.リード,マービン エイ.ブルークス メルク シャープ アンド ドーメ リサーチ ラボラトリーズ,ウエスト ポイント,ペンシルパニア 19486 米国」(106頁の著者名)
「新規な骨吸収阻害剤である4-アミノ-1-ヒドロキシブタン-1,1-ジホスホン酸モノナトリウム塩トリハイドレート(MK0217)の測定のための高速で感度の優れた特別な高速液体クロマトグラフィー(HPLC)法が報告される。この化合物は,本来的には如何なる紫外線特性をも有しておらず,このためこの化合物の紫外線による検知を容易にするためには,クエン酸ナトリウムの存在下,pH9でのアミン部分の9-フルオレニルメチル・クロロフオルメート(FMOC)による予備的な誘導体化が必要である。過剰の誘導体化剤を塩化メチレンで抽出し,そして水溶液の一部を取り,逆相HPLCにより35℃にて,重合体系のカラム(Hamilton PRP-1)を用いて分析する。アセトニトリル:メタノール:0.05Mクエン酸塩および0.05Mリン酸緩衝液(pH8.0)(20:5:75)を移動相として用い,265nmの紫外線による検知を用いる。
実験データは,再現性があって,精度が高く,直線性のある分析が可能であることを明らかにするために,また注射液やカプセル剤中のMK0217の分析に適用できることを明らかにするために提出される。」(106頁本文)
(3) 甲5文献の記載内容
証拠(甲5)によれば,甲5文献には次の記載がある。
「8 一般式(I):
file_2.jpg(式中,Rはフッ素原子または1~5個の炭素原子を有する直鎖もしくは分岐鎖状の置換または未置換アルキル基であり,置換されているばあいは少なくとも1個のフッ素原子および(または)アミノ基で置換されており,R1はヒドロキシル基またはフッ素原子である)で示されるバイホスホネートを有効成分とする尿石症治療作用および骨の再吸収阻害作用を有する医薬。」(請求項8)
「9 経口投与に適した形に製剤されてなる特許請求の範囲第8項記載の医薬。」(請求項9)
「本発明者らは,さらに種々検討を重ねた結果,一般式(I):
file_3.jpg(式中,RおよびR1は前記と同じ)で示されるバイホスホネートまたはそのアルカリ金属,有機塩基または塩基性アミノ酸との塩が尿石症治療作用および骨の再吸収を阻害する作用を有しており,しかも前記のPPに関して述べた副作用がないため非常に好ましいものであることを見出した。」(3頁左上欄14行ないし同頁右上欄5行)
「実施例3
(4-アミノ-1-ヒドロキシブタン-1,1-バイホスホン酸の製造)
4-アミノ酪酸1モル,亜リン酸1.5モルおよび無水クロロベンゼン500ccを混合し,100℃まで加熱したのち,100℃に温度を保つて撹拌下に三塩化リン1.5モルを加えた。えられた反応混合物を,濃密な相が完全に形成されるまでさらに100℃で約3時間半撹拌した。冷却後,えられた固体状物質をろ過し,少量のクロロベンゼンで洗浄したのち,水に溶解させた。えられた水溶液を沸点で1時間加熱し,ついで冷却したのち,活性炭で脱色し,ろ過した。えられたろ液に過剰の温メタノールを加えて析出する粗成物を20%塩酸中で8時間加熱還流し,塩酸を留去したのち残渣を水から再結晶して白色結晶状粉末の目的の化合物をえた。
つぎにえられた目的化合物の構造式および特性値を示す。
構造式:
file_4.jpg(CH2) aNH2 | H:O2P—C—POsHe | OH元素分析値:C4H13NO7P2
実測値(%):C17.88 H5.62 N4.93 P23.94
理論値(無水物として)(%):C19.28 H5.26 N5.64 P24.86
理論値(一水和物として)(%):C17.98 H5.66 N5.24 P23.19
含水量の定量
カール-フイツシヤー(Karl-Fischer)法にしたがつて含水量を調べた結果,3.9重量%であつた。
電位差滴定
えられた目的化合物203mgを水75ccに溶解した溶液に0.1NNaOH水溶液を加えて電位差滴定曲線を作成した。該滴定曲線は,0.1NNaOHをそれぞれ7.5ccおよび15.2cc加えたpH4.4およびpH9の2点にみられる明白な滴定の終点(end point)によつて特徴づけられるものであつた。これらの値から計算すると,最初の中和点からは270当量,第2の中和点からは264当量が導かれ,平均すると267当量となつた。なお目的化合物(以下,ABDPという)の一水和物であるABDP・H2Oの分子量は267.114である。
コンプレクソ滴定
目的化合物41.47mgと硝酸トリウムを用いてコンプレクソ滴定を行なつた。試薬5.4ccを加えると色の変化が生じることから供試化合物が134当量であることがわかり,この値は目的化合物の一水和物の分子中にホスホン基が2つ存在することと合致した。
IRスペクトル分析値(cm-1):(KBr錠)
‥‥中略‥‥
1H-NMRスペクトル分析(δ値:ppm):(D2O/D2SO4中)
‥‥中略‥‥
13C-NMRスペクトル分析(δ値:ppm):(D2O/D2SO4中)
‥‥中略‥‥
31P-NMRスペクトル分析(δ値:ppm):(D2O/D2SO4中)
‥‥中略‥‥
叙上の結果より分子中の2個のリン原子は化学的にも磁気的にも同等であつた。」(4頁右下欄1行ないし5頁左下欄17行)
「実施例5
(5-アミノ-1-ヒドロキシ-ペンタン-1,1-バイホスホン酸の一ナトリウム塩の製造)5-アミノ-1-ヒドロキシペンタン-1,1-バイホスホン酸263gを水1lに懸濁させた懸濁液に水酸化ナトリウム40gを含有する水溶液500ccを冷却下に加えた。活性炭で脱色したのちろ過し,えられた透明な溶液を穏かに撹拌しながら3日間低温下に保つた。えられた結晶状の固体をろ過し,少量の冷水ついでメタノールで洗浄し,110℃で乾燥して目的の一ナトリウム塩199gをえた。」(6頁左上欄5ないし16行)
「本発明のバイホスホネートを有効成分とする医薬はカプセル剤,錠剤,経口投与用または全身投与用液剤の形で用いられる。また本発明の医薬は不活性担体,たとえば糖(サツカロース,グルコース,ラクトース),スターチ,セルロース,ゴム,脂肪酸およびその塩,ポリアルコール,タルク,芳香族エステルなどと組合せて好適に製剤される。本発明の医薬の投与量は,経口投与のばあい25~3200mg/日,非経口投与のばあい15~300mg/日である。投与期間は7日~3カ月で,必要に応じてくり返し投与される。」(10頁右下欄10ないし20行)
(4) 甲6実験報告書の記載内容
証拠(甲6)によれば,甲6実験報告書には次の記載がある。
「1。4-アミノ-1-ヒドロキシブチリデン-1,1-ビスホスホン酸のモノナトリウム塩の製造
4-アミノ-1-ヒドロキシブチリデン-1,1-ビスホスホン酸(フリー体,2.49g,10.0ミリモル)と蒸留水(5mL)との懸濁液をガラス容器内で調製し,室温撹拌下にて,この懸濁液に,1モル/Lの水酸化ナトリウム水溶液(10mL,10.0ミリモル)を滴下した。懸濁液は一旦透明な溶液になり,まもなく析出物が生成した。室温での撹拌を一夜継続し,次いで,氷冷下2時間の撹拌を行なった。析出した結晶を濾取し,冷水(2mL)で洗浄したのち,1時間風乾し,さらに40℃にて8時間減圧乾燥して,2.76gの白色結晶粉末を得た。
生成した白色結晶粉末(原料変換生成物)を分析した結果,4-アミノ-1-ヒドロキシブチリデン-1,1-ビスホスホン酸モノナトリウム塩トリハイドレートであることが確認された(収率:84.9%)。生成した白色結晶粉末の元素分析結果,融点,水分量を第1表に記載する。また,IRスペクトルを添付する。」(1頁7ないし21行)
「2。なお,4-アミノ-1-ヒドロキシブチリデン-1,1-ビスホスホン酸(フリー体)は下記の方法により調製した。」(1頁22ないし23行)
「結論
(1) 原料1Na・3H2O体は,元素分析結果と水分量とから,4-アミノ-1-ヒドロキシブチリデン-1,1-ビスホスホン酸モノナトリウム塩トリハイドレートであることが確認された。なお,この4-アミノ-1-ヒドロキシブチリデン-1,1-ビスホスホン酸モノナトリウム塩トリハイドレートの融点(乾燥後)である252℃(分解)は,4-アミノ-1-ヒドロキシブチリデン-1,1-ビスホスホン酸モノナトリウム塩トリハイドレート製剤である『フォサマック錠5』(製造販売元:萬有製薬株式会社)の添付文書(本実験証明書に添付)に記載の融点と一致する。
(2) 原料1Na・3H2O体を酸処理して得た白色結晶性粉末は,4-アミノ-1-ヒドロキシブチリデン-1,1-ビスホスホン酸(フリー体)であることが,分析結果から確認された。なお,この4-アミノ-1-ヒドロキシブチリデン-1,1-ビスホスホン酸の融点である233℃(分解)は,ザ・メルク・インデックス(米国,メルク社発行,第14版)の記載(本実験証明書に添付)と一致する。
(3) 4-アミノ-1-ヒドロキシブチリデン-1,1-ビスホスホン酸を通常の方法で1ナトリウム塩とすると,それは1ナトリウム塩・3水和物(すなわち,4-アミノ-1-ヒドロキシブチリデン-1,1-ビスホスホン酸モノナトリウム塩トリハイドレート)として得られることが確認された。」(3頁1ないし19行)
(5) 甲10実験報告書の記載内容
証拠(甲10)によれば,甲10実験報告書には次の記載がある。
「1。先に甲6実験報告書として提出した実験と同様な実験を行ない,析出した結晶を濾取し,水とエタノールにて洗浄後,1時間風乾して得られた白色結晶粉末を試料として用い,下記の乾燥条件による乾燥操作を行なった。
イ) 室温(23℃),風乾による乾燥,24時間
ロ) 室温(23℃),デシケーター(乾燥剤:シリカゲル)による減圧乾燥,24時間ハ)60℃,減圧乾燥器による乾燥,24時間」(1頁8ないし14行)
「3。結論
先に甲6実験報告書として提出した実験と同様な実験を行ない,析出した結晶を濾取し,水とエタノールにて洗浄後,1時間風乾して得られた白色結晶粉末は,上記イ),ロ),そしてハ)のいずれの乾燥操作によっても,先の甲6実験報告書で確認されたモノナトリウム・三水和物になることが確認された。」(2頁1ないし5行)
(6) 甲12文献の記載内容
証拠(甲12)によれば,甲12文献には次の記載がある。
「結晶水[‥‥] 結晶中に一定の化合比で含まれている水.結晶内で一定の位置をしめ,結晶格子の安定化に寄与している.一定の温度範囲で一定の水蒸気圧を示し,熱すればある温度で段階的に脱水され,それに伴って結晶構造が変化する.」(386頁右欄「結晶水」の項)
(7) 甲13文献の記載内容
証拠(甲13)によれば,甲13文献には次の記載がある。
「参考例5
2.71g(0.013モル)の2-ケト-D-グルカル酸を含有する10mlの水溶液を蒸留水で30mlに希釈し,攪拌しながら0.96g(0.013モル)の水酸化カルシウムを加えた。室温で2時間攪拌後,不溶物をろ取し,約200mlの水で洗浄した後,デシケーター中で減圧下乾燥して3.84gの2-ケト-D-グルカル酸のジカルシウム塩を得た。
‥‥元素分析値(%)C6H8O8Ca・3H2Oとして‥‥
なお本品の結晶水は乾燥条件により容易に変動し,例えば室温で長時間乾燥すると2.5水和物となり,40℃,6時間乾燥すると2水和物,また60℃で6時間乾燥すると1水和物となった。」(7頁左上欄16行ないし右上欄12行)
(8) 甲14文献の記載内容
証拠(甲14)によれば,甲14文献には次の記載がある。
「参考例1
プラゾシン塩酸塩水和物および無水体
プラゾシン塩酸塩180gを3リットルのメタノール,3リットルのクロロホルムおよび1200mlの水の混合物中に溶解させた。この溶液をロ過し,次いで大気圧で濃縮して1100mlの容量にした。室温に冷却後,沈殿固体をロ取し,ケーキをエタノールで洗い,ヘキサンで洗い,3時間,60℃で乾燥して‥‥針状晶‥‥を得た。‥‥この化合物は,プラゾシン塩酸塩多水和物であることがわかつた。
この多水和物を真空デシケーター中100℃で3分間乾燥すると水分含量は7.9%に低下した。これはプラゾシン塩酸塩二水和物に一致する。
プラゾシン塩酸塩多水和物の試料を真空デシケーター中100℃で約60分間乾燥させると,水分含量は4.1%に低下した。これはプラゾシン塩酸塩一水和物に一致する。
真空デシケーター中100℃で12-15時間乾燥すると約1%の水を含有するプラゾシン塩酸塩の無水体を得た。」(9頁右欄40行ないし10頁左欄20行)
(9) 特表昭61-503034号公報(甲15。以下「甲15文献」という。)の記載内容
証拠(甲15)によれば,甲15文献には次の記載がある。
「実施例19
二ナトリウム(フェノキシメチレン)-ビスホスホネート
(フェノキシメチレン)-ビスホスホン酸(53g)の水(300ml)溶液を2N水酸化ナトリウムで滴定し,pH5.5とした。アセトン(1500ml)を加えて標題化合物を沈澱させた。結晶塩を濾過し,アセトンで洗った。室温で,水酸化カリウムを用いて減圧乾燥し,四水和物の形で標題化合物を得た。
微量分析: ・・・・・
60℃で減圧乾燥すると,一水和物が得られた。
微量分析: ・・・・・」(9頁右上欄13行ないし同頁左下欄7行)
(10) 甲17実験報告書の記載内容
証拠(甲17)によれば,甲17実験報告書には次の記載がある。
「5.実験方法の概略
4-アミノ-1-ヒドロキシブチリデン-1,1-ビスホスホン酸のフリー体を出発物質とし,下図[判決注:図省略 1)NaOH,H2O 2)減圧乾燥]の経路によりモノナトリウム塩を調製する。その結晶を濾取した後,それぞ110℃,130℃にて一晩減圧乾燥を行い,各サンプルにおける結晶形,およびその結晶の水分量をそれぞれ粉末X線回折(XRD)及び熱重量分析(TG)にて測定を行なう。」(1頁16ないし20行)
「6.実験手順
(実験1)
‥‥結晶を洗浄後,1時間室温にて風乾した。続いて110℃にて13時間減圧乾燥を行い,白色結晶を得た(2.85g,87%収率)。生成した白色結晶の結晶形,及びその結晶の水分量は,それぞれXRD及びTGにて測定を行った。
なお,前記の『1時間室温にて風乾』までの工程は,甲6実験証明書1頁『1。4-アミノ-1-ヒドロキシブチリデン-1,1-ビスホスホン酸のモノナトリウム塩の製造』に記載の工程と同じである。
(実験2)
実験1と同様にして,『1時間室温にて風乾』までの工程を行った。その後,続いて130℃に設定し,13時間減圧乾燥を行い,白色粉末結晶を得た(2.35g)。生成した白色結晶の結晶形,及びその結晶の水分量は,それぞれXRD及びTGにて測定を行った。」(2頁1ないし19行)
「以上の結果から,実験1で得られた結晶は,4-アミノ-1-ヒドロキシブチリデン-1,1-ビスホスホン酸モノナトリウム塩ジハイドレート(2水和物)であること,及び同じモノナトリウム塩トリハイドレートから約1分子の結晶水が脱離すると,XRDパターンに影響を与えることが分かった。」(3頁5ないし8行)
「以上の結果から,実験2で得られた結晶は,4-アミノ-1-ヒドロキシブチリデン-1,1-ビスホスホン酸モノナトリウム塩無水物であること,及び同モノナトリウム塩トリハイドレートから約3分子の結晶水が脱離すると,XRDパターンに影響を与えること,が分かった。」(4頁下から4行ないし末行)
「8.結論
以上の実験結果によれば,4-アミノ-1-ヒドロキシブチリデン-1,1-ビスホスホン酸モノナトリウム塩トリハイドレートの調製に関して,乾燥温度及び乾燥時間を変化させることによって水分含量が変化することが明らかになった。」(6頁)
(11) 特開昭63-23889号公報(甲28。以下「甲28文献」という。)の記載内容
証拠(甲28)によれば,甲28文献には次の記載がある。
「例7
例1により製造されたジホスホン酸500m gを水5m1に懸濁し,1Nカ性ソーダ溶液2.68m1で溶解し,わずかに濃縮し,アセトン中へ注ぐことにより結晶させる。このようにして二ナトリウム塩の78%=440mgが1-ヒドロキシ-3-(N,N-ジフェニル-アミノ)プロパン-1,1-ジホスホン酸の一水和物の形で得られる。融点は300℃より上である。」(11頁右下欄下から8行ないし12頁左上欄1行)
(12) 特開昭64-34993号公報(甲29。以下「甲29文献」という。)の記載内容
証拠(甲29)によれば,甲29文献には次の記載がある。
「実施例1
‥‥回転式蒸発器内で水相を約300mlに濃縮し,水酸化ナトリウムでpH9のアルカリ性にした。ヒドロキシアセトニトリル二ホスホン酸(I:M=Na)の四ナトリウム塩を,冷溶液から,八水和物として晶出した。」(6頁左下欄7行ないし同頁右下欄2行)
(13) 甲30文献の記載内容
証拠(甲30)によれば,甲30文献には次の記載がある。
「この酸の最も容易に結晶化できる塩は,酸の水素の2個または3個をナトリウムで置換した場合に得られる。本発明の目的にとって好ましい塩は,下記の構造式を有する三ナトリウム水素塩及び二ナトリウム水素塩である。
該三ナトリウム水素塩は通常六水和塩として晶出し,このものは空気乾燥中に,いくらかの水を失って平均3~4分子の水和水を有するヘキサーおよびモノハイドレートの混合物を生じる。」(12頁17行ないし13頁5行)
(14) 甲34見解書の記載内容
証拠(甲34)によれば,甲34見解書には次の記載がある。
「甲5文献の実施例3には,目的生成物である4-アミノ-1-ヒドロキシブタン-1,1-バイホスホン酸一水和物,すなわち,本件ビスホスホン酸1水和物の製造法のほかに,当該1水和物の水溶液に,NaOH水溶液を加えて,ビスホスホン酸の2つのCOOHを順次NaOHで中和されたことが示されている。具体的には,電位差滴定において,実施例3の目的化合物(本件ビスホスホン酸1水和物)の第1中和点,第2中和点が得られたことが記載されている。甲5文献の実施例3の記載は,これだけであって,電位差滴定の記載から示唆されることは,その溶液中には,その電位差滴定終了後,本件ビスホスホン酸のカルボキシル基(COOH)の水素イオンが解離したCOO-とナトリウムイオンが存在しているという程度のものに留まる。
したがって,甲5文献の実施例3の記載からは,本件ビスホスホン酸について,電位差滴定中,及びその終了後に溶液中に存在するイオンが水溶液から析出する結晶状の固体として得られるかどうかは不明なのである。したがって,本件優先日当時の当業者は,多種多様な化学構造を有するビスホスホン酸一般のナトリウム塩については,なおさら記載されていたと理解することはできず,またこれを示唆する記載がされていたと理解することができない。また,甲5文献の実施例3の記載からは,当該実施例3に本件ビスホスホン酸モノナトリウム塩の水和物が存在したか否かは全く不明である。即ち,本件優先日当時の当業者は,本件ビスホスホン酸モノナトリウム塩の水和物が記載されていたとも,また,これを示唆する記載がされていたとも,理解することはできない。」(3頁12ないし末行)
「甲5文献の実施例5には,本件ビスホスホン酸よりもメチレン鎖が1個長い,5-アミノ-1-ヒドロキシペンタン-1,1-バイホスホン酸の懸濁液に水酸化ナトリウムを含有する水溶液を加えて,5-アミノ-1-ヒドロキシペンタン-1,1-バイホスホン酸の一ナトリウム塩を製造し,水溶液から析出する結晶状の固体として得たことが記載されている。
まず,甲5文献の実施例5の目的生成物は,その記載から明らかなように,特定のビスホスホン酸の一ナトリウム塩であり,甲5文献の実施例にビスホスホン酸一般のナトリウム塩についての記載はない。したがって,本件優先日当時の当業者は,甲5文献の実施例5には,多種多様な化学構造を有するビスホスホン酸一般のナトリウム塩が,水溶液中でビスホスホン酸を水酸化ナトリウムで中和した後,水溶液から析出する結晶状の固体として得られることが記載されていたとも,また,それを示唆する記載がされていたとも,理解することはできない」(4頁1ないし15行)
「無機化合物は,通常,1分子あたりの原子数が少なく,構成元素は結合性の強い金属原子を含み,それ故,原子間,分子間の結合も強く,1分子レベルの構造は単純である。このため,無機化合物が結晶化した場合も,その結晶構造も比較的単純になる。したがって,その水和塩結晶において,水分子と金属原子の結合態様や,水分子と他の原子又は基との結合態様は理解しやすく,水分子の挙動も予測しやすい。よって,無機化合物に関しては,『結晶水は,加熱あるいは乾燥の条件を強くすることにより,順次離脱する』ということができる。」(6頁1ないし8行)
「これに対し,有機化合物は,前記‥‥で記載した金属原子を含む無機化合物とは異なり(甲36「分離技術」(2002年)29頁右欄下から5~3行),水素原子,窒素原子,炭素原子,酸素原子等の構成原子がそれぞれ結合して多種多様な三次元分子構造(立体空間配置)を形成している。そこで,有機化合物が結晶化するときは,その各有機化合物分子同士がその分子に固有の方向で,かつ,その分子に固有の距離で配列して複雑な空間格子を形成するので,有機化合物の結晶構造は無機化合物の結晶構造に比較して極めて複雑になる。さらに,有機化合物の結晶構造において,各構成原子の電気陰性度やその原子の大きさに基づく分子内及び分子間相互作用といった力学的な引力・反発力が,様々な方向に様々な強さで存在する。このことは,有機化合物を晶析する際に溶媒が結晶構造に組み込まれる溶媒和結晶(例えば,水分子が結晶構造に組み込まれる水和塩結晶)において,その結晶構造あるいは水和塩の熱力学的安定性が,有機化合物分子の構造に応じて,極めて多様であり,その水を取り巻く環境条件の微細な変化によっても変動し得ることを意味する。そのため,有機化合物の水和塩結晶において,水分子とそれを取り巻く有機化合物の構成原子や基との結合態様(分子間相互作用の態様)は,各有機化合物の水和塩構造ごとに多種多様であり,当業者が予測しえる程度のものでなく,それ故,水和塩結晶中の水和水の挙動も,その予測が困難である。したがって,有機化合物の『結晶水は,加熱あるいは乾燥の条件を強くすることにより,順次離脱する』とはいえない。」(7頁4行ないし8頁1行)
「さらに,現在の技術水準では,加熱あるいは乾燥により,有機化合物の結晶水和物の構造が破壊されたり,あるいは,有機化合物の結晶水和物が転移,融解してしまう可能性があることが分かっている。特に,有機化合物の結晶を,水などの溶媒が存在する環境において,所望の溶媒数(例えば,水和数)を有する溶媒和塩結晶(例えば,水和塩結晶)を得ようとする場合,擬多形を含む結晶多形と言われる様々な結晶構造が生成することが知られており,その多形転移が問題となる。」(8頁2ないし8行)
「このように,擬多形を含む結晶多形をとり得る有機化合物の場合,加熱あるいは乾燥条件を含む,晶析ないし後処理の微細な条件変化によって,前に詳述したように,ある結晶多形が別の結晶多形に転移し,かつ,その構造も変化してしまう。現在の技術水準においても,当業者が,晶析過程ないし後処理過程での結晶多形の転移挙動を予測することは極めて困難であることが理解され,本件優先日当時においてはなおさらであった。」(9頁12ないし18行)
(15) 甲35見解書の記載内容
証拠(甲35)によれば,甲35見解書には次の記載がある。
「有機化合物の水和塩一般についても,1989年当時はもとより,現在においても,所望の水和数を有する水和塩結晶を得るための一般的に知られた方法・知見はなく,化合物ごとに,その結晶水和物を得るべく,種々の実験条件についてかなりの試行錯誤をする必要があったといえる。」(3頁9ないし12行)
「甲12文献に記載の『一定の温度範囲で一定の水蒸気圧を示し,熱すればある温度で段階的に脱水され,それに伴って結晶構造が変化する。』という文章は,あらゆる化合物の結晶水にあてはまるかのように断言している。『熱すればある温度で段階的に脱水され,それに伴って結晶構造が変化する。』という例はあるかもしれないが,結晶水和物の脱水に関してでは,そのように断言できるということはあり得ないことである。その意味で,あたかも結晶水について一般的に該当するかのような甲12文献の記載は正しくない。」(3頁14ないし20行)
「結晶水の中には抜けやすいものと結晶構造中にしっかりと組み込まれているものとがあり,多くの場合には後者であることから,結晶水が段階的に抜けて新たな結晶構造に変わるということは,水が抜けやすい構造である場合を除くと,極めて長時間をかける場合や,微細な結晶粒子を扱う場合に限られるといえる。このことは,『段階的離脱』が一般的に起きる現象であるとはいえないことを意味している。」(3頁28ないし33行)
「甲6実験報告書に示されているように,本件ビスホスホン酸から出発して,本件トリハイドレートという水和塩結晶を得ようと試行錯誤する場合は,試行錯誤の過程で,本件ビスホスホン酸と水酸化ナトリウムとの反応を含む,本件トリハイドレートというモノナトリウム塩水和物の製造条件として,様々な実験変数を変動させて調べる必要があるわけで,甲6実験報告書に記載の製造条件は,一般的にはそのような多大な試行錯誤の末に発見されたということができる。」(4頁27ないし32行)
(16) 甲36文献の記載内容
証拠(甲36)によれば,甲36文献には次の記載がある。
「多形や多形転移の制御とは,特定の多形を選択的に得ることを意味する。多形の析出に影響を及ぼす操作変数として,溶媒の種類・過飽和度・攪拌の有無・不純物添加などが知られている。また,多形転移は不純物や熱,機械的なストレスなどによって影響を受けることが知られている。しかし,これらの操作変数の作用は物質によって異なるため,特定の多形を析出させるための操作条件や結晶の取り扱い方法の決定は非常に困難であり,予測はほとんど不可能である。」(29頁右欄1ないし10行)
「多形の析出に影響を与える操作因子の中で,結晶化に用いる溶媒は多形の選択的な結晶化に特に強く作用する。事実,多くの化合物において異なる溶媒から異なる多形が析出する。しかし多形の析出に対する溶媒の影響についての明確な傾向は未だ見出されておらず,したがって,特定の多形のみを選択的に析出させることができる溶媒を効率よく選択する方法は確立されていない。」(30頁右欄3ないし10行)
(17) 甲37文献の記載内容
証拠(甲37)によれば,甲37文献には次の記載がある。
「有機化合物は多くの官能基を有しており,それが多形現象に深く関わっていると思われるが,官能基と多形との関係を調査した研究例はあまり見られない。」(92頁21ないし22行)
(18) 甲39文献の記載内容
証拠(甲39)によれば,甲39文献には次の記載がある。
「本発明者らは鋭意研究を重ね,アルフゾシン塩酸塩が一,二,三及び四水和物を形成し得ることを見いだすと共に,その中でも二水和物が通常の製剤化工程及び保存条件下にて最も安定であることを確認することにより,本発明を完成した。アルフゾシン塩酸塩の二水和物は,アルフゾシン塩酸塩無水物をアセトン及び水の80:20混液から60℃にて再結晶することによって製造される。アルフゾシン塩酸塩の四水和物は,二水和物と同様にして室温条件下に再結晶することによって製造される。アルフゾシン塩酸塩の三水和物はアルフゾシン塩酸塩無水物を25℃,相対湿度93%にて3日間保存することによって製造される。‥‥」(段落【0004】)
「上記の表1は無水物及び二水和物がこれらすべての条件下で極めて安定であることを示している。他方,三水和物及び四水和物は共に部分的に二水和物に変化しているので,上記2つの条件下では不安定であると考えられる。‥‥」(段落【0016】)
「‥‥。二水和物は2時間の間中,安定であった。三水和物は徐々に二水和物に変化していった。四水和物も徐々に二水和物に変化していった。」(段落【0018】)
「[ここに,ANは無水物を示す]二水和物は45分間安定であった。三水和物は無水物,二水和物及び三水和物の混合物に変化した。四水和物は二水和物に変化した。」(段落【0019】)
(19) 甲42文献の記載内容
証拠(甲42)によれば,甲42文献には次の記載がある(ただし,和訳)。
「ある化合物が多形-2以上の結晶構造が存在すること-を有するとき,コントロールされ,かつ再現可能性のある条件下で,所定の多形を得ることが重要であろう。しかしながら,これはいつも容易に達成できるとは限らない。所定の既知の形態の結晶を得ること,又は他の研究室(自分自身の研究室でさえも!)で結果を再現することがいかに困難であるかについての話はたくさんある。ある多形の形態が,以前は長い期間,日常的に得られていたにもかかわらず,これを得ることが困難になるケースは本当に存在するのだ。この問題について明白に言及した或いは多少なりとも言及した研究論文もいくつかある。しかし,この知識のほとんどは,特に過去30年ほどの間は文章化されなかった。本稿では,古い例と新しい例を紹介し,検討を行う。ほとんどの実験化学者は,結晶化工程を,その技術の大部分はずっと以前に開発され,すべての標準的な実験教科書に記載されている工程である,と思い込んでいる。それは,固体化合物を精製する標準的な方法であり,一般的に,化学者たちは,結晶化工程を,少なくともそれが所望の生成物を生成する場合には,コントロールできると信じている。消滅するか或いは捉えられなくなる多形の現象で困ることは,結晶化工程のコントロールが明らかに失われているということだ:先週実験を行ってこの結果を得たのに,もうそれを繰り返すことができなくなるのだ!このようなことを言うと,驚くか,率直に不信感を露にするかもしれない。我々自身,以前に確かに得られていた実験結果を再現することができないフラストレーションを経験した。」(193頁左欄2ないし32行)
(20) 甲43文献の記載内容
証拠(甲43)によれば,甲43文献には次の記載がある。
「弊社の創薬研究所で最初に調製されたS-0509は酢酸エチルあるいはトルエンからの晶析によって得られたものでⅠ形結晶であった。その後,Ⅰ形結晶を取り扱っているうち,すぐに異なった結晶多形であるⅡ形結晶が得られた。さらに種々の溶媒や晶析条件を検討した結果,Ⅲ形結晶およびⅣ形結晶が得られた。この時,開発の初期に得られていたⅠ形結晶は再現性がなくなり,単一のⅠ形結晶を得るのは困難になった。これは新たな結晶多形の出現によって従来の結晶形が消失してしまう現象(Disappearing Polymorphs)と考えられる。」(193頁下から2行ないし194頁5行)
(21) 甲44文献の記載内容
証拠(甲44)によれば,甲44文献には次の記載がある。
「結晶形に関しては,多形に及ぼす溶媒,操作条件,添加物,不純物,種晶の影響など多くの研究がなされているが,多形析出の予想は困難であり,多形の理論的な制御は今後の研究課題である。」(26頁20ないし22行)
(22) 「医薬品合成化学 上巻 改稿18版」(乙3。以下「乙3文献」という。)の記載内容証拠(乙3)によれば,乙3文献には次の記載がある。
「‥‥モルヒネを遊離の塩基として析出せしめ‥‥再結晶してモルヒネ塩基を得る。塩酸モルヒネは塩基を2倍量の水に懸濁し,塩酸をコンゴー試験紙で弱酸性になるまで加え90°に加熱,冷却するとモルヒネ塩酸塩が析出する。これを熱湯から再結晶する。
性質 塩基:白色結晶で1分子の結晶水を有し,‥‥塩酸塩:3分子結晶水を有し,‥‥。」
(72頁下から4行ないし73頁2行)
2 取消事由1ないし5について
(1) 本件発明6及び7における本件3水和物が新規の化学物質であること,甲7文献には,本件3水和物と同等の有機化合物の化学式が記載されているものの,その製造方法について記載も示唆もされていないこと,以上の点については当事者間に争いがなく,かつ審決も認めるところである。
そこで,このような場合,甲7文献が,特許法29条2項適用の前提となる29条1項3号記載の「刊行物」に該当するかどうかがまず問題となる。
ところで,特許法29条1項は,同項3号の「特許出願前に‥‥頒布された刊行物に記載された発明」については特許を受けることができないと規定するものであるところ,上記「刊行物」に「物の発明」が記載されているというためには,同刊行物に当該物の発明の構成が開示されていることを要することはいうまでもないが,発明が技術的思想の創作であること(同法2条1項参照)にかんがみれば,当該刊行物に接した当業者が,思考や試行錯誤等の創作能力を発揮するまでもなく,特許出願時の技術常識に基づいてその技術的思想を実施し得る程度に,当該発明の技術的思想が開示されていることを要するものというべきである。
特に,当該物が,新規の化学物質である場合には,新規の化学物質は製造方法その他の入手方法を見出すことが困難であることが少なくないから,刊行物にその技術的思想が開示されているというためには,一般に,当該物質の構成が開示されていることに止まらず,その製造方法を理解し得る程度の記載があることを要するというべきである。そして,刊行物に製造方法を理解し得る程度の記載がない場合には,当該刊行物に接した当業者が,思考や試行錯誤等の創作能力を発揮するまでもなく,特許出願時の技術常識に基づいてその製造方法その他の入手方法を見いだすことができることが必要であるというべきである。
(2) 本件については,上記のとおり,本件発明6及び7における本件3水和物が新規の化学物質であること,甲7文献には,本件3水和物と同等の有機化合物の化学式が記載されているものの,その製造方法について記載も示唆もされていないところ,前記1(2) の記載内容を検討しても,甲7文献には製造方法を理解し得る程度の記載があるとはいえないから,上記(1) の判断基準に従い,甲7文献が特許法29条1項3号の「刊行物」に該当するというためには,甲7文献に接した当業者が,思考や試行錯誤等の創作能力を発揮するまでもなく,特許出願時の技術常識に基づいて本件3水和物の製造方法その他の入手方法を見いだすことができることが必要であるということになる。
この点,審決は,前記第2の4(1) 記載のとおり,まず,甲5文献の開示内容から,4-アミノ-1-ヒドロキシブタン-1,1-バイホスホン酸モノナトリウム塩が生成していることが窺える等の事情があること,甲12ないし甲14の各文献の開示内容から,水和物の製法としては,水溶液から晶出することが一般的であり,結晶水は,加熱あるいは乾燥により離脱し,加熱あるいは乾燥の条件を強くすることにより,順次離脱することは周知であるといえること,及び4-アミノ-1-ヒドロキシブタン-1,1-ジホスホン酸モノナトリウム塩の3水和物が存在することは甲7文献に記載されていることを根拠に,当業者は,4-アミノ-1-ヒドロキシブタン-1,1-ジホスホン酸モノナトリウム塩を水溶液から晶出させることにより,3水和物が得られること,そして,もし水溶液からの晶出により得られた4-アミノ-1-ヒドロキシブタン-1,1-ジホスホン酸モノナトリウム塩の水和数が3を超えていれば,適宜条件を選択し,加熱,乾燥することにより水和数を減ずることにより,容易に,本件3水和物を得ることができると考えるのが自然であると判断しているところ,その論理は必ずしも明確ではないが,前記第2の4(4)記載のとおり,さらに,審決は,原告の主張に対する判断において,「有機化合物によって水和物が存在し得る場合があることは明らかであり,‥‥,甲7文献において既に3水和物が目的物として明示され,その存在を疑うべき特段の事情が無いことを考慮すれば,技術常識を勘案し3水和物の製造条件を検討することに格別の困難性は無いというべきであ」ると判断していることから,これを善解すれば,甲7文献の記載を前提として,これに接した当業者が,思考や試行錯誤等の創作能力を発揮するまでもなく,甲5及び甲12ないし甲14の各文献に記載されている特許出願時の技術常識に基づいてその製造方法その他の入手方法を見いだすことができるものと判断したと解される。
(3) そうすると,本件においては,本件出願当時,甲7文献の記載を前提として,これに接した当業者が,思考や試行錯誤等の創作能力を発揮するまでもなく,本件3水和物の製造方法その他の入手方法を見いだすことができるような技術常識が存在したか否かが問題となるが,次のとおり,本件においては,本件出願当時,そのような技術常識が存在したと認めることはできないというべきである。
ア 甲5文献に記載された技術常識について
前記1(3) の記載によれば,甲5文献の実施例3の電位差滴定の最初の中和点において,4-アミノ-1-ヒドロキシブタン-1,1-バイホスホン酸モノナトリウム塩の水溶液が生成していることが窺える。また,甲5文献の実施例5には,5-アミノ-1-ヒドロキシペンタン-1,1-バイホスホン酸の一ナトリウム塩の結晶状の固体とその製造方法が記載されている。しかしながら,これらの化合物について言及する本件優先日前に刊行された文献は,証拠上,甲5文献のみであること,甲5文献は,一般的な化学辞典であるなど,その記載内容が当業者の技術常識であることをうかがわせるものではないことを考慮すれば,「4-アミノ-1-ヒドロキシブタン-1,1-バイホスホン酸モノナトリウム塩の水溶液とその製造方法」や「5-アミノ-1-ヒドロキシペンタン-1,1-バイホスホン酸の一ナトリウム塩の結晶状の固体とその製造方法」が,公知の技術事項であるとはいえても,本件優先日当時の技術常識に属する事項であるとすることはできないというべきである。
したがって,上述のような甲5文献に記載された事項や甲5文献の実施例5の記載を根拠とする「ビスホスホン酸のナトリウム塩は,水溶液中でビスホスホン酸を水酸化ナトリウムで中和し,水溶液から晶出する結晶状の固体として得」られるという技術事項を,本件優先日当時の技術常識であるとするものと解される,甲5文献に関する審決の判断は誤りであるというほかない。
イ 甲12ないし甲14の各文献に記載された技術常識についてこの点について,審決は,前記第2の4(1) 記載のとおり,甲12ないし甲14の各文献の記載を根拠として,「水和物の製法としては,水溶液から晶出することが一般的であり,結晶水は,加熱あるいは乾燥により離脱し,加熱あるいは乾燥の条件を強くすることにより,順次離脱することは周知である」とし,「もし水溶液からの晶出により得られた4-アミノ-1-ヒドロキシブタン-1,1-ジホスホン酸モノナトリウム塩の水和数が3を超えていれば,適宜条件を選択し,加熱,乾燥することにより水和数を減ずることにより,容易に,3水和物(トリハイドレート)を得ることができると考えるのが自然である」と判断している。
しかしながら,次のとおり,甲12ないし甲14の各文献の記載を精査しても,これらの文献に審決のいう「周知技術」が記載されているとは認められず,少なくとも,有機化合物の水和塩結晶について,「順次離脱」が本件出願当時の技術常識であると認めるに足りる根拠はないというべきである。
(ア) まず,甲12文献記載の「順次離脱」の技術事項に関しては,甲12文献の性質上,その内容自体は技術常識と認められるが,それが,有機化合物にも一般的に妥当する技術的事項といえるか否かに関しては,疑問がある。すなわち,前記1に記載の甲14,甲30,甲36,甲37,甲39,甲42ないし44の各文献の各記載並びに甲34見解書及び甲35見解書に記載されているように,有機化合物の結晶構造は,無機化合物の結晶構造と比較して極めて複雑であること,そのため,有機化合物の水和塩結晶における結合態様は,各有機化合物の水和塩結晶の構造ごとに多種多様であり,水和塩結晶中の水和塩の挙動もその予測は困難であること,有機化合物の結晶を水などの溶媒が存在する環境において所望の水和数を有する水和塩結晶として得ようとする場合,擬多形を含む結晶多形などの様々な結晶構造が生成すること,現在の技術水準においても,当業者が晶析過程等で結晶多形の転移挙動を予測することは困難であること,有機化合物の結晶においては,3水和物が存在するにもかかわらず,4水和物を加熱しても3水和物を経ないで2水和物が生成するものがあること,「順次離脱」の方法では3水和物を得られない有機化合物も存在すること,消えた多形(disappearing polymorphs)の例にみられるように,有機化合物の結晶では一度生成に成功しても,その後,希望の結晶多形を二度と生成できないことがあること,これらの有機化合物の性質から,所望の水和数を有する有機化合物の水和塩結晶を得るためには相当程度の試行錯誤が必要であること,以上の事実が認められるため,有機化合物の水和塩結晶においては,「結晶水は,加熱あるいは乾燥により離脱し,加熱あるいは乾燥の条件を強くすることにより,順次離脱する」ということが常に一般的に妥当するとは限らないと認められる。
仮にそうでないとしても,上記の各文献に記載された内容及び上記見解書に記載された研究者の意見が存在することを考慮すれば,少なくとも,本件優先日当時,有機化合物の水和塩結晶に関して,「結晶水は,加熱あるいは乾燥の条件を強くすることにより,順次離脱する」ことが技術常識であると断ずるのは相当ではない。
(イ) また,甲13及び甲14の各文献は,いずれも,特定の化合物の水和物の製造方法が記載されているにとどまるものであり,これら各証拠に記載の水和物の製造方法は,いずれも,水を含む溶媒から水和物を晶出し,その後の加熱・乾燥によって結晶水を減らす場合がある点では軌を一にするものの,具体的な製造条件,例えば,溶媒の種類,晶出の方法,得られた水和物の結晶水の数,得られた水和物を乾燥する温度や時間,及び乾燥により減少した結晶水の数は,まちまちである(なお,この点は,前記1の甲15,28,29及び乙3の各文献の記載内容を加味しても同様である)。したがって,これらの記載から,別途の特定の有機化合物について,当業者が思考や試行錯誤等の創作能力の発揮により,その具体的な製造条件に到達し得るとはいえても,有機化合物において,具体的な製造条件を捨象して,一律に,「結晶水は,加熱あるいは乾燥の条件を強くすることにより,順次離脱する」ことが技術常識であるとの結論を導き出すことはできないというべきである。
ウ この点について,被告は,甲6実験証明書と甲10実験証明書に示されているように,実際に,甲5文献に記載されている本件ビスホスホン酸を水溶液中で水酸化ナトリウムで中和することにより得られた析出物を通常の乾燥条件で乾燥することにより,本件3水和物が得られているから,甲12文献の記載については,無機化合物及び有機化合物に限らず,各種の化合物の挙動についての一般的な説明であるとした審決の判断になんら誤りはないと主張する。
しかしながら,甲6実験証明書と甲10実験証明書の記載(甲17実験証明書も同様である。)は,本件優先日以後に行われた実験結果にすぎず,上記認定のとおり,技術常識とはいえない甲5及び甲12ないし甲14の各文献に記載された公知技術を前提として,本件ビスホスホン酸のフリー体を製造し,そこから,本件3水和物を得た実験結果であるから,それらは,甲5及び甲12ないし甲14の各文献の内容を知った上での試行錯誤の結果にすぎないものというべきである。したがって,甲6実験証明書と甲10実験証明書記載は,甲12文献記載の「順次離脱」が有機化合物の水和塩結晶における本件優先日当時の技術常識であるか否かの判断を左右するものではないというべきである。
(4) 以上によれば,原告の主張する取消事由1ないし3は理由があり,その結果,取消事由4及び5も理由があることになる。
3 結論
以上のとおり,原告の主張する取消事由1ないし5はいずれも理由があるから,審決を取り消すこととし,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 塚原朋一 裁判官 東海林保 裁判官 矢口俊哉)