知財高等裁判所 平成21年(行ケ)10182号 判決 2009年12月28日
原告
DIC株式会社
訴訟代理人弁理士
河野通洋
同
棚井澄雄
同
五十嵐光永
同
大槻真紀子
訴訟代理人弁護士
三縄隆
被告
Y
訴訟代理人弁理士
吉田勝広
同
近藤利英子
同
梶原克哲
主文
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第1請求
特許庁が無効2008-800094号事件について平成21年5月27日にした審決を取り消す。
第2争いのない事実
1 特許庁における手続の経緯
原告は,平成8年8月29日,発明の名称を「記録液用アニオン性マイクロカプセル化顔料含有水性分散液及び記録液」とする発明について,特願平7-250655号の特許出願に基づく優先権(優先日 平成7年9月28日,優先権主張国 日本国)を主張して特許出願をし(特願平8-228327号),平成18年7月21日,特許権の設定登録を受けた(特許第3829370号。以下「本件特許」という。設定登録時の請求項の数は6であった。甲31)。
被告は,平成20年5月22日,本件特許の請求項1ないし6に係る発明の特許について無効審判を請求した(無効2008-800094号)。
原告は,平成20年8月26日付け訂正請求(訂正請求書は平成20年8月25日付け,甲35,36)をしたが,その後同年12月12日付け訂正請求をしたので,同年8月26日付け訂正請求は取り下げられたものとみなされた(特許法134条の2第4項)。
平成20年12月12日付け訂正請求は,願書に添付した明細書(設定登録時のもの)を,同日付け訂正請求書(甲41)添付の全文訂正明細書(以下「本件訂正明細書」という,甲42)のとおりに訂正するものであり,訂正前の特許請求の範囲につき特許請求の範囲の減縮を目的とする訂正を行い,訂正前の明細書の発明の詳細な説明の記載につき明りょうでない記載の釈明を目的とする訂正を行うものであった(以下,平成20年12月12日付け訂正請求による訂正を「本件訂正」という。本件訂正により,本件特許の請求項の数は2となった。)。
特許庁は,平成21年5月27日,「訂正を認める。特許第3829370号の請求項1及び2に係る発明についての特許を無効とする。」との審決をし,その謄本は,同年6月8日,原告に送達された。
2 特許請求の範囲
本件訂正明細書の特許請求の範囲の請求項の記載は,次のとおりである。
(1) 請求項1
アニオン性基含有有機高分子化合物類のアニオン性基の一部又はすべてを塩基性化合物でもって中和し,有機顔料と,水性媒体中で混練する工程,及び,酸性化合物でもってpHを中性又は酸性にしてアニオン性基含有有機高分子化合物類を析出させて顔料に固着する工程とからなる製法によって得られる含水ケーキ(但し,酸化チタンが含まれるものを除く)を,乾燥させることなく,塩基性化合物を用いてアニオン性基の一部又はすべてを中和させることにより得られた,有機顔料をアニオン性基含有有機高分子化合物類で被覆して成るアニオン性マイクロカプセル化顔料含有水性分散液であって,アニオン性マイクロカプセル化顔料中の有機顔料の含有割合が35~80重量%の範囲にあり,有機顔料の一次粒子の最大粒子径が200nm以下であって平均粒子径が10~100nmの範囲にあり,かつアニオン性マイクロカプセル化顔料の最大粒子径が1000nm以下でかつ平均粒子径が300nm以下であることを特徴とするインクジェットプリンター用記録液用水性分散液。(以下,この発明を「本件訂正発明1」という。)
(2) 請求項2
請求項1に記載のインクジェットプリンター用記録液用水性分散液を含有するインクジェットプリンター用記録液。(以下,この発明を「本件訂正発明2」という。)
3 審決の理由
(1) 別紙審決書写しのとおりである。要するに,本件訂正発明1及び2は,優先日前に日本国内において頒布された刊行物である特開平3-153775号公報(甲3)記載の発明(以下「甲3発明」という。)及び周知技術に基づいて,当業者が容易に発明をすることができたものであって,特許法29条2項の規定により特許を受けることができないとするものである。
(2) 審決が,本件訂正発明1及び2に進歩性がないとの結論を導く過程において認定した甲3発明,本件訂正発明1と甲3発明の一致点,相違点は,次のとおりである。
ア 甲3発明
「カルボキシル基含有ポリアクリル系樹脂のアルカリ溶液に有機顔料を加え,そして酸性にして樹脂を沈殿させる方法によって得られたものをアルカリ物質で中和させることにより得られた有機顔料10乃至90重量%とカルボキシル基含有ポリアクリル系樹脂90乃至10重量%とを含有する固体顔料調合物0.1乃至20重量%及び水を含有するインクジェット印刷用水性印刷インク組成物」に係る発明
イ 一致点
「アニオン性基含有有機高分子化合物類のアニオン性基の一部又はすべてを塩基性化合物でもって中和し,有機顔料と,水性媒体中で混練する工程,及び,酸性化合物でもってpHを酸性にしてアニオン性基含有有機高分子化合物類を析出させて顔料に固着する工程とからなる製法によって得られる含水ケーキを,塩基性化合物を用いてアニオン性基の一部又はすべてを中和させることにより得られた,有機顔料をアニオン性基含有有機高分子化合物類で被覆して成るアニオン性マイクロカプセル化顔料含有水性分散液であることを特徴とするインクジェットプリンター用記録液用水性分散液」の発明に係る点
ウ 相違点
(ア) 相違点a
含水ケーキにつき,本件訂正発明1では,(「但し,酸化チタンが含まれるものを除く)」のに対し,甲3発明では,「酸性にして樹脂を沈殿させる方法によって得られたもの」に酸化チタンが含まれるものを除く点に係る規定がない点
(イ) 相違点b
本件訂正発明1では,「含水ケーキを,乾燥させることなく,塩基性化合物を用いてアニオン性基の一部又はすべてを中和させる」のに対し,甲3発明では,「酸性にして樹脂を沈殿させる方法によって得られたもの」を「乾燥させることなく」「アルカリ物質で中和させる」ことに係る規定がない点
(ウ) 相違点c
本件訂正発明1では,「アニオン性マイクロカプセル化顔料中の有機顔料の含有割合が35~80重量%の範囲にあ」るのに対し,甲3発明では,「有機顔料10乃至90重量%とカルボキシル基含有ポリアクリル系樹脂90乃至10重量%とを含有する固体顔料調合物」である点
(エ) 相違点d
有機顔料の一次粒子につき,本件訂正発明1では,「最大粒子径が200nm以下であって平均粒子径が10~100nmの範囲にあ」るのに対し,甲3発明では,有機顔料の一次粒子の最大粒子径及び平均粒子径に係る規定がない点
(オ) 相違点e
アニオン性マイクロカプセル化顔料につき,本件訂正発明1では,「最大粒子径が1000nm以下でかつ平均粒子径が300nm以下である」のに対し,甲3発明では,「固体顔料調合物」の最大粒子径及び平均粒子径に係る規定がない点
第3取消事由に関する原告の主張
審決には,相違点bに関する容易想到性の判断の誤り(取消事由1),相違点eに関する容易想到性の判断の誤り(取消事由2)があるから,違法として取り消されるべきである。
1 相違点bに関する容易想到性の判断の誤り(取消事由1)
審決は,甲3発明に周知技術を適用することにより相違点bに係る本件訂正発明1の構成を容易に想到し得るとした判断に誤りがある。その理由は,以下のとおりである。
(1) ウェット型酸析法を採用することの技術的意義について
審決は,相違点bに関する容易想到性の判断の前提として,本件訂正明細書には,分散安定性を改善することにより目詰まりが発生しにくくなることが記載されているとし,ウェット型酸析法を採用する技術的意義は,分散安定性を向上させ,その結果,目詰まりを防止する点にあると判断する。しかし,ウェット型酸析法を用いることの技術的意義は,分散安定性の向上とは無関係に,単に目詰まりを防止することができる点にあるから,上記の審決の判断は誤りである。
すなわち,本件訂正明細書に,比較例2として,分散安定性に優れているにもかかわらず目詰まりを生ずる例が記載されていることから(【0206】ないし【0209】),分散安定性を向上させても目詰まりを防止することはできない。そのため,本件訂正発明1の課題は,分散安定性を向上させる結果として目詰まりを防止することにあるのではなく,単に目詰まりを防止することにある。そして,実験結果(甲27の1,2,甲28の1ないし7,甲49。なお,実験報告書甲49は,本訴において提出された証拠である。)によれば,真空乾燥型酸析法とウェット型酸析法とで分散安定性に差はない。したがって,ウェット型酸析法を用いることの技術的意義は,分散安定性を向上させる結果によるのではなく,端的に目詰まりを防止することができる点にある。
(2) 周知技術の認定について
審決が,相違点bに関する容易想到性の判断の前提として,ウェット型酸析法を適用することは周知技術であるとした認定は誤りである。
すなわち,審決が,ウェット型酸析法を周知技術と認定するための根拠とした甲1,甲2には,インクジェットプリンター用のアニオン性マイクロカプセル化顔料について記載はなく,甲1,甲2によれば,せいぜい筆記具等の他のインク用の顔料についてウェット型酸析法を用いることが周知技術であるにすぎない。そして,インクジェットプリンター用のアニオン性マイクロカプセル化顔料を製造する際にウェット型酸析法を用いることが記載された先行技術文献は他に示されていない。仮に,筆記具用インクの顔料についてウェット型酸析法を用いることが周知技術であるとしても,筆記具とインクジェットプリンターでは,インクをノズルから機械的に噴射させるか否かなど用法上の差が大きく,顔料の特性も異なるから,顔料という点で共通することのみによって,インクジェットプリンター用インクの顔料を含めすべての顔料においてウェット型酸析法を用いることが容易であるとすることは誤りである。
(3) 甲3発明にウェット型酸析法を適用することについて
審決が,甲3発明にウェット型酸析法を適用することが容易であるとした判断は誤りである。
すなわち,甲3に「本発明による印刷インク組成物は,・・・金属やプラスチックたとえばアルミ箔・・・などに対する印刷のために適用することができる。」(甲3,5頁右上欄4ないし16行)と記載されていることから明らかなように,甲3発明は,紙等の吸収性のメディア(基質)のみならず,金属やプラスチック等の非吸収性のメディアにも印刷可能なインクを提供する発明である。そのため,甲3発明の顔料調合物は,全く水分を含まないことが必要とされ,甲3の実施例にも,「60乃至70℃の温度で真空乾燥し」(実施例1,甲3,6頁右下欄11行),「得られた乾燥顆粒状物質」(実施例2,甲3,7頁左上欄4ないし5行),「この濾過ケーキを真空棚乾燥器中において80℃で乾燥した」(実施例7,甲3,8頁左上欄19ないし20行)と記載されており,特許請求の範囲にも「固体顔料調合物」と記載されている。他方,ウェット型酸析法によってアニオン性マイクロカプセル化顔料を製造した場合,製造されたアニオン性マイクロカプセル化顔料には水が含まれる。したがって,水が含まれないように顔料調合物を製造しなければならない甲3発明に,酸析の過程で水が含まれたままの状態であるウェット型酸析法を適用することはできない。
また,ウェット型酸析法を用いると水の含有量が多くなるから(甲50),甲3発明にウェット型酸析法を適用すると,多種多様な溶剤を選択できることを特徴とする甲3発明の特徴を失わせることになる。したがって,甲3発明にウェット型酸析法を適用することはできない。
(4) ウェット型酸析法を適用する動機付けについて
ア 審決が,相違点bに関する容易想到性の判断において,甲3発明にウェット型酸析法を適用する動機付けとして,アニオン性マイクロカプセル化顔料の分散安定性を改善し,インクの目詰まりを防止することを挙げているのは誤りである。
イ まず,甲3発明は,真空乾燥型酸析法を用いる発明である。この点は,甲3において酸析法を用いた唯一の実施例である実施例1に真空乾燥型酸析法を用いることが記載されており,甲3発明は非吸収性のメディアにも印刷可能なインクジェットプリンター用インクを提供する発明であることから明らかである。
そして,真空乾燥型酸析法とウェット型酸析法とは,分散安定性に差がみられない。すなわち,真空乾燥型酸析法は低温環境下で乾燥するため,アニオン性マイクロカプセル化顔料表面の樹脂は溶解されず,ウェット型酸析法と同様に粒子径は乾燥の前後で変わらないから,粒径が微小なインクジェットプリンター用のアニオン性マイクロカプセル化顔料を製造するに当たり,真空乾燥型酸析法とウェット型酸析法では,分散安定性に差は生じない。この点は,実験結果(甲27の1,2,甲28の1ないし7,甲49)によっても裏付けられる。
そうすると,上記のとおり甲3発明は真空乾燥型酸析法を用いていること,真空乾燥型酸析法とウェット型酸析法は分散安定性に差がないことに照らすならば,分散安定性を改善しようと意図することは,甲3発明にウェット型酸析法を適用することについての動機付けにはならない。
ウ 審決は,甲1を根拠として,分散安定性を改善するためにウェット型酸析法を用いることが周知であると判断したが,同判断は誤りである。すなわち,甲1には,酸析法によって得られた複合顔料組成物について「このようにして得られた複合顔料組成物のプレスケーキは,アルカリ性水溶液に分散させるに当り,そのまま使用してもよいし,さらに乾燥したのち,アトマイザーなどの粉砕機で粉体化して用いてもよいが,分散性の点からプレスケーキをそのまま用いることが好ましい。」(4頁右下欄18行ないし5頁左上欄3行)と記載され,同記載によれば,甲1にいう乾燥方法は,ウェット型酸析法よりも分散安定性が劣る乾燥方法(加熱乾燥等)を念頭に置いたものであるから,甲1には,ウェット型酸析法と同等の分散安定性を生ずる真空乾燥型酸析法の代わりにウェット型酸析法を用いるとの技術事項が示唆されているわけではない。また,甲1は,インクジェットプリンター用のアニオン性マイクロカプセル化顔料についてのものではない。
エ 甲27の1,2,甲28の1ないし7,甲49の実験結果によれば,真空乾燥型酸析法とウェット型酸析法は分散安定性に差はみられず,甲16の実験結果によれば,ウェット型酸析法による記録液の方が真空乾燥型酸析法による記録液よりも目詰まりが少ないから,目詰まりの差は分散安定性の差によるものではない。
2 相違点eに関する容易想到性の判断の誤り(取消事由2)
審決は,相違点eに係る本件訂正発明1の構成を容易に想到し得るとした判断に誤りがある。その理由は,以下のとおりである。
すなわち,相違点eに係る本件訂正発明1の構成である「最大粒子径が1000nm以下でかつ平均粒子径が300nm以下である」との構成は,いずれの文献に記載も示唆もない。また,審決は,濾過により粗大粒子を除去することが周知技術であり,濾過をすればアニオン性マイクロカプセル化顔料は上記数値範囲に入ると判断しているとも解されるが,一般に顔料分野の濾過に用いられる濾紙は,200メッシュ(ふるい目の間隔は約130μm)であり,濾過と最大粒子径の間に関係があるとは考えられない。
第4被告の反論
審決の認定,判断に誤りはなく,原告主張の取消事由は,いずれも理由がない。
1 相違点bに関する容易想到性の判断の誤り(取消事由1)に対し
審決が,甲3発明に周知技術を適用することにより相違点bに係る本件訂正発明1の構成を容易に想到し得るとした判断に誤りはない。その理由は,以下のとおりである。
(1) ウェット型酸析法を採用することの技術的意義について
顔料の分散安定性が悪いにもかかわらず目詰まりが防止されるということは技術常識に照らしてあり得ないから,分散安定性がよいことは目詰まり防止の前提であり,本件訂正発明1は,顔料の分散安定性をよくすることによってノズルの目詰まりを防止することを課題としている。
本件訂正発明1の課題は,分散安定性を向上させることにより目詰まりを防止する点にあり,ウェット型酸析法を用いることの技術的意義は,分散安定性を向上させて目詰まりを防止する点にある。
原告は,ウェット型酸析法を用いることの技術的意義は,分散安定性の向上とは無関係に単に目詰まりを防止することができる点にあると主張するが,原告の同主張は,以下のとおり,本件訂正明細書の記載に基づくものではなく,失当である。すなわち,本件訂正明細書には,実施例12ないし16について目詰まりの有無は記載されていない。また,本件訂正明細書の比較例2は,顔料の含有量が,本件訂正発明1で定められている35~80重量%の範囲内にあるものではなく,顔料に対して樹脂量が多すぎると顔料の分散安定性がよくても目詰まりが生ずる場合があることを示しているにすぎない。
(2) 周知技術の認定について
審決は,本件特許が含まれる顔料の分散技術分野において,ウェット型酸析法が周知であると認定したものであり,インクジェットプリンター用のアニオン性マイクロカプセル化顔料においてウェット型酸析法を用いることが周知であることを認定したものではない。したがって,審決の周知技術の認定に誤りはない。
(3) 甲3発明にウェット型酸析法を適用することについて
甲3には,甲3発明の固体顔料調合物が全く水分を含まないものに限定される旨の記載はない。そして,甲3の特許請求の範囲には,固体顔料調合物を水に分散させたインクジェット印刷用水性印刷インク組成物が記載されており,実施例4などにおいても,固体顔料調合物を水性媒体に分散させてインクジェット印刷用水性印刷インク組成物を製造しているから,固体顔料調合物が水分を含んでいても問題はない。したがって,甲3発明にウェット型酸析法を適用することは,当業者が容易に想到し得たものである。
(4) ウェット型酸析法を適用する動機付けについて
甲3には,顔料調合物が各種の方法で製造される旨記載されており(甲3,3頁右下欄2行ないし4頁左上欄1行),甲3の実施例2は,真空乾燥型酸析法を用いるものでないから,甲3発明は,真空乾燥型酸析法を用いるものに限定されない。
顔料の分散安定性と目詰まりは,分散安定性がよいと目詰まりが減るという関係が成立している。したがって,仮に,原告の主張のとおり,甲3発明が真空乾燥型酸析法によるものであり,かつ真空乾燥型酸析法とウェット型酸析法で分散安定性に差がないとするならば,ウェット型酸析法を用いる本件訂正発明1には,甲3発明と比較して,効果の相違はないことになる。
甲1には,顔料の分散安定性の点からプレスケーキをそのまま用いることが好ましいと記載されているから(甲1,4頁右下欄18行ないし5頁左上欄3行),甲3発明にウェット型酸析法を適用することは,甲1の記載によって十分に動機付けられている。
2 相違点eに関する容易想到性の判断の誤り(取消事由2)に対し
審決は,「最大粒子径が1000nm以下でかつ平均粒子径が300nm以下である」との構成が周知技術であると判断したものではなく,印刷インク,インクジェットプリンター用インクなどのインクに使用される顔料としては,100nm程度の粒子径のものを微分散させて使用すること,インク組成物とするに際し,濾過などにより粗大粒子を除去することは周知技術であると認定し,このような周知技術を甲3発明に適用することは当業者にとって容易であると判断したものであり,審決の判断に誤りはない。
第5当裁判所の判断
1 相違点bに関する容易想到性の判断の誤り(取消事由1)について
原告は,審決は,甲3発明に周知技術を適用することにより相違点bに係る本件訂正発明1の構成を容易に想到し得るとした判断に誤りがあると主張する。しかし,原告の上記主張は,採用することができない。その理由は,以下のとおりである。
(1) ウェット型酸析法を採用することの技術的意義について
原告は,ウェット型酸析法を用いることの技術的意義は,分散安定性の向上とは無関係に,単に目詰まりを防止することができる点にあると主張する。しかし,原告の上記主張は,以下の理由により,採用することができない。
本件訂正明細書には,比較例2として,分散安定性に優れているにもかかわらず目詰まりを生ずる例が記載されている(【0206】ないし【0209】)。
しかし,本件訂正明細書に記載された実施例及び比較例(比較例2以外のもの)をみると,分散安定性に優れている実施例1ないし3,7ないし11,比較例5,6は,目詰まりを生じないのに対し,分散安定性が悪い比較例1,3,4は,目詰まりを生じていることから,分散安定性が優れたものは目詰まりを生ぜず,分散安定性が悪いものは目詰まりを生じるという傾向をみることができる。
そして,比較例2は,「製造例10で得たマゼンタ色のアニオン性マイクロカプセル化顔料含有水性分散液(MC-10)90.1部に,実施例7で使用したスチレンアクリル酸樹脂のアンモニア水溶液5.0部(樹脂固形分2.5部に相当),エチレングリコール1.9部及びジエタノールアミン3.0部を混合し」(【0206】)て調製した,「顔料分が6%のマゼンタ色の記録液」(【0206】)であり,顔料の含有量が,本件訂正発明1の「35~80重量%」より少ない。本件訂正明細書には,「・・・アニオン性マイクロカプセル化顔料中の有機顔料の含有率が35%よりも少ない場合,カプセル中の樹脂濃度が高くなるために,記録液用の樹脂や溶剤,助剤等の添加剤と相溶性が限られることがあったり,その添加剤等の添加量が制限されたりするために汎用性に欠け,さらに,カプセル中の顔料濃度が低くなるため,記録液としての水性分散液として使用した場合は,色濃度が高められなかったり,色濃度を高めるために記録液中のマイクロカプセル化顔料の使用割合を高くせざるを得なくなる結果,記録液の粘度が高くなる。・・・」(【0084】)と記載され,有機顔料の含有率が35%よりも少ない場合には記録液の粘度が高くなることが記載されている。また,本件訂正明細書の比較例2に関する説明に「マイクロカプセルに使用される樹脂量が多いために,他の材料との相溶性に問題が生じた。」(【0207】)と記載されているように,比較例2は,重量部において大きな割合を占めるアニオン性マイクロカプセル化顔料含有水性分散液(MC-10)自体,樹脂量が多い上,更にスチレンアクリル酸樹脂のアンモニア水溶液を添加しており,他の実施例,比較例に比べて,記録液全体として樹脂量が多く,樹脂量が多いことにより,樹脂量が少ないものに比べて粘性が高いものと認められる。さらに,比較例2は,目詰まりを防止する溶媒(目詰まり防止剤)である水溶性有機溶剤(エチレングリコール,グリセリン等)としてエチレングリコールが1.9部含有されるのみであり,他の実施例,比較例に比べて(実施例1ないし3,比較例1ではエチレングリコール7.5部,グリセリン5.0部,実施例7ないし11,比較例3ないし6ではエチレングリコール20部)目詰まり防止剤の含有量が少ないものと認められる。樹脂量が多いことによって粘性が高く,かつ目詰まり防止剤の含有量が少ない場合に目詰まりが生じやすいことは,自明であり,そのことからすると,比較例2は,他の実施例,比較例に比べて樹脂量が多いことによって粘性が高く,かつ目詰まり防止剤の含有量が少ないことから目詰まりを生ずるものと認められる。以上に照らすならば,分散安定性に優れた記録液は目詰まりが発生しにくいという傾向がある点が,比較例2が存在することによって,否定されるものとはいえない。
さらに,本件訂正明細書において,目詰まりについては,「有機顔料やカーボンブラックを用いた場合,顔料が非常に細かく分散安定化されていないと,記録液として高精細度と高度な演色性を得られないという問題点がある。特に,インクジェットプリンター用の記録液においては,顔料が非常に細かく分散安定化されていないと,ノズルの目詰まりという問題点に直結する。」(【0004】),「アニオン性マイクロカプセル化顔料の最大粒子径が1000nmより大きくなった場合,ジェットインキプリンターのノズルを目詰まりさせることもあり,・・・アニオン性マイクロカプセル化顔料の最大粒子径は1000nm以下で,500nm以下であるものがより好ましい。」(【0085】)と記載され,実施例1ないし3,7ないし11,比較例1ないし6について,目詰まりが生じたか否かが記載されている(【0188】,【0191】,【0197】,【0205】,【0209】,【0212】,【0215】,【0218】,【0221】)。しかし,その他に目詰まりに関する記載はなく,実施例12ないし16については,分散安定性は記載されているものの,目詰まりの有無は記載されていない。そうすると,本件訂正明細書において,顔料を非常に細かくして分散安定性を高めることによって目詰まりを防止することには言及されているが,分散安定性の改善とは別に目詰まりを防止するための技術思想が記載されているとは認められない。
なお,後記(4)ウのとおり,実験結果によっても,真空乾燥型酸析法とウェット型酸析法が,分散安定性において同等であると認めることはできない。
(2) 周知技術の認定について
原告は,甲1,甲2には,インクジェットプリンター用のアニオン性マイクロカプセル化顔料について記載はなく,インクジェットプリンター用のアニオン性マイクロカプセル化顔料を製造する際にウェット型酸析法を用いることが記載された先行技術文献は他に示されていないから,ウェット型酸析法を適用することは周知技術であるとした審決の認定は誤りであると主張する。しかし,原告の上記主張は,以下の理由により,採用することができない。
ア 甲1,甲2の記載
(ア) 甲1には,次のとおりの記載がある。
「本発明組成物において,混合顔料粉末を共重合体で被覆するには,まず該共重合体をアルカリ性水溶液に溶解する。・・(中略)・・
次いで,混合顔料粉末を前記の共重合体を溶解したアルカリ性水溶液に添加して混合したのち,・・(中略)・・分散機械で練り合わせ磨砕して顔料分散液を調製する。続いてこの顔料分散液を水で希釈後,シュウ酸,酢酸などの有機酸,又は塩酸,硫酸などの無機酸を徐々にかきまぜながら添加して中和し,共重合体で被覆された複合顔料組成物を沈殿させる。次に,この複合顔料組成物をろ過,水洗,圧縮してプレスケーキとする。このようにして得られた複合顔料組成物のプレスケーキは,アルカリ性水溶液に分散させるに当り,そのまま使用してもよいし,さらに乾燥したのち,アトマイザーなどの粉砕機で粉体化して用いてもよいが,分散性の点からプレスケーキをそのまま用いることが好ましい。
本発明の水性顔料組成物を調製するには,例えば前記の複合顔料組成物のプレスケーキ又は粉末を水の中に加え,次いで前記したような無機アルカリ性物質又は有機アルカリ性物質若しくはその両方を添加して,・・(中略)・・混合機や分散機械を用いて分散し,分散液のpHが7~10になるように調整する。」(甲1,4頁左下欄18行ないし5頁左上欄11行)
(イ) 甲2には,次のとおりの記載がある。
「本発明の顔料組成物の必須成分は,上述の通りであり,本発明の顔料組成物は前記の特定のポリマー分散剤を,アルカリ金属水酸化物,アルカリ金属の炭酸塩,アンモニア,低級アミン等のアルカリ性の水溶液中に溶解し,その濃度を好ましくは約3~10重量パーセントとし,この中に所定の顔料を加えて,任意の分散機,例えば,ボールミル,サンドミル,スピードラインミル等により分散処理し,次いでこの顔料分散液中に有機酸または無機酸を加えて,分散液を中和することにより,分散剤である前記のアクリル系水溶性ポリマーは分散された顔料を包含しながら析出する。このような中和処理に使用する酸は,従来公知のいずれの酸でもよいが,最も好ましいのは,酢酸等の如き有機酸である。また中和は,液のpHが約3~4.5の範囲になる程度が好適である。析出した顔料組成物は濾過して水性媒体から分離する。本発明の顔料組成物はこのようなウェット状の顔料組成物でもよいのは当然である。また必要に応じて約90~120℃の温度で,約4~24時間乾燥することによって,粉末状あるいは粒状の本発明の顔料組成物を得ることもできる。
(作用・効果)以上の如き本発明の顔料組成物は,アルカリ性の水性媒体中に加えて簡単に撹拌するのみで,顔料が水性媒体中に容易に微細に分散する。従って,従来の水性塗料や水性インキの調製においては,非常に厳しい条件下で長時間の分散処理工程を必要としたのに対し,本発明の顔料組成物を使用すれば,単なる撹拌のみで十分な水性顔料分散体が得られるので非常に経済的である。」(甲2,3頁右上欄13行ないし右下欄3行)
イ 判断
(ア) 前記ア(ア),(イ)の甲1,甲2の記載によれば,ポリマー分散剤又はカルボキシル基含有共重合体などのポリマーのアルカリ水溶液に顔料を添加・混練したものを,酸性化合物を添加・中和してポリマーと顔料との複合物を析出・沈殿させ,濾過・水洗する,いわゆる「酸析法」により製造された複合顔料につき,アルカリ性水溶液に再度分散して水性分散体を製造する場合,顔料の分散安定性の点から,酸析法により製造された複合顔料を「そのまま」又は「ウェット状」なる乾燥させない状態でアルカリ性水溶液に再度分散して水性分散体を製造することは,周知の技術に当たるということができる。
(イ) この点に関し,原告は,筆記具とインクジェットプリンターでは,インクをノズルから機械的に噴射させるか否かなど用法上の差が大きく,顔料の特性も異なるから,仮に,筆記具用インクの顔料についてウェット型酸析法を用いることが周知技術であるとしても,顔料という点で共通することのみによって,インクジェットプリンター用インクの顔料を含めすべての顔料においてウェット型酸析法を用いることが容易であるとすることは誤りであると主張する。
確かに,筆記具とインクジェットプリンターでは,インクの用法上,インクをノズルから機械的に噴射させるか否かなどの点で差異はあるが,インクを貯蔵し,インクを微細な間隙や開口部から流出させるなどの点では共通する。また,甲1には,筆記具用水性インキに使用される水性顔料組成物において,「筆記具用芯材から円滑に流出すること,目詰りしないこと,芯材中で乾燥しにくいこと,筆記具内で経時変化による固化を生じないことなどが必要な性質として要求され」(甲1,1頁右下欄7ないし11行)ることが記載されている。他方,インクジェットプリンター用インクにおいては,インクジェットプリンターが微細な開口部を有するノズルからインクを噴射させて印刷するものであることから,微細な開口部を経ても円滑に流出すること,微細な開口部で目詰まりしないこと,貯蔵されているインクが経時変化によって固化しないことなどが特性として要求される。そうすると,筆記具用インクに要求される特性とインクジェットプリンター用インクに要求される特性は,円滑に流出すること,目詰まりしないこと,経時変化による固化を生じないことなどの点で共通し,このような共通点に照らすと,筆記具用インクの顔料組成物についての周知技術をインクジェットプリンター用インクの顔料組成物に用いることが容易であると解することに不合理な点はない。
(ウ) 以上のとおりであって,審決の認定に誤りはなく,原告の主張は理由がない。なお,審決は,ウェット型酸析法がインクジェットプリンター用のアニオン性マイクロカプセル化顔料について適用されることまで周知であることを認定したものではなく,ウェット型酸析法が,水性顔料組成物に顔料を分散させる技術を扱う業界において周知であることを認定したものであるが,後記(3)のとおり甲3発明にウェット型酸析法を適用することができ,後記(4)のとおりウェット型酸析法を適用する動機付けが認められることを踏まえるならば,本件訂正発明1は甲3発明及び周知技術に基づいて当業者が容易に発明することができたものであると認められ,その旨の審決の判断にも誤りはない。
(3) 甲3発明にウェット型酸析法を適用することについて
原告は,審決が,甲3発明にウェット型酸析法を適用することが容易であるとした判断は誤りであると主張する。しかし,原告の上記主張は,以下の理由により,採用することができない。
ア 甲3に「本発明による印刷インク組成物は,広範囲な各種の基質に対して適用することができる。例えば普通紙や・・・金属やプラスチックたとえばアルミ箔,可塑化したまたは硬質のPVC(ポリ塩化ビニル)シート,・・・ガラス,セラミックス,セロファン・・・などに対する印刷のために適用することができる。」(甲3,5頁右上欄4ないし16行)と記載されていることから,甲3発明は,金属やプラスチックにも印刷可能なインクを提供するものであると認められる。
しかし,金属やプラスチックにも印刷可能なインクであることから,直ちに甲3発明の固体顔料調合物が水を含まないものであると断定することはできない。甲3には,固体顔料調合物が水を全く含まないものであるとの記載はなく,むしろ,甲3の特許請求の範囲の請求項1には,「下記成分を含有するインクジェット印刷用水性印刷インク組成物:a)顔料10乃至90重量%とカルボキシル基含有ポリアクリル系樹脂90乃至10重量%とを含有する固体顔料調合物0.1乃至20重量%,b)水で稀釈可能な有機溶剤0乃至30重量%,c)湿潤剤0.5乃至20重量%,およびd)水。」と,甲3発明に係るインクジェット印刷用水性印刷インク組成物が水を含有することが記載されていることに照らすならば,甲3発明は水を含有する発明であると認められる。甲3には,実施例として,固体顔料調合物に水や水で希釈可能な有機溶剤を配合して最終的にインクジェット印刷用水性印刷インク組成物を製造することが記載されている。したがって,固体顔料調合物に水が含まれているとしても,甲3発明に係るインクジェット印刷用水性印刷インク組成物の製造に支障が生ずるとは考えられない。
なお,甲3には,実施例として,「60乃至70℃の温度で真空乾燥し」(実施例1,甲3,6頁右下欄11行),「得られた乾燥顆粒状物質」(実施例2,甲3,7頁左上欄4ないし5行),「この濾過ケーキを真空棚乾燥器中において80℃で乾燥した」(実施例7,甲3,8頁左上欄19ないし20行)と記載されており,これらの実施例においては,固体顔料調合物に水が含まれていないと解する余地はある。しかし,これらの実施例の記載により,甲3発明の固体顔料調合物が水を全く含まないものに限定されるということはできない。
イ そうすると,甲3発明の固体顔料調合物が水を全く含まないものであると解する根拠はなく,甲3発明に,酸析の過程で水が含まれたままの状態であるウェット型酸析法を適用することは可能であるから,審決が,甲3発明にウェット型酸析法を適用するとした判断に誤りがあるとは認められず,原告の主張は,採用することができない。
ウ また,原告は,ウェット型酸析法を用いると水の含有量が多くなるから(甲50),甲3発明にウェット型酸析法を適用すると,多種多様な溶剤を選択できることを特徴とする甲3発明の特徴を失わせることになるとし,甲3発明にウェット型酸析法を適用することはできないと主張する。
しかし,ウェット型酸析法を用いて製造された顔料調合物が,甲3発明の実施を妨げたり,他の溶剤の配合を不可能にするほど多くの水分を含有することを認めるに足りる証拠はなく,また,甲3発明において,インク組成物を製造するために配合する水や溶剤の量,溶剤の種類は,定められた範囲内で,当業者が適宜選択し得る事項と解され,甲3発明にウェット型酸析法を適用したとしても,インク組成物を製造するために配合する水や溶剤の量,溶剤の種類は,定められた範囲内で,当業者が適宜選択し得る余地があるものと解されるから,原告の上記主張は,採用することはできない。
(4) ウェット型酸析法を適用する動機付けについて
ア 原告は,甲3発明が真空乾燥型酸析法を用いること,真空乾燥型酸析法とウェット型酸析法では分散安定性に差はみられないことに照らすならば,分散安定性を改善しようと意図することは,甲3発明にウェット型酸析法を適用することについての動機付けにはならないと主張する。しかし,原告の上記主張は,以下の理由により,採用することができない。
(ア) 甲3の発明の詳細な説明の欄には,「顔料調合物が各種の方法で製造することができる。たとえば,ポリアクリル系樹脂のアルカリ溶液に顔料を加えそして次ぎに酸性にして樹脂を沈殿させる方法,顔料/樹脂溶液を噴霧乾燥する方法,あるいは好ましくは水不溶性酸性樹脂と顔料とを連続式またはバッチ式に混練機すなわちニーダーの中で混合する方法によって製造することができる。」(甲3,3頁右下欄2ないし9行)と記載され,酸析法は,顔料調合物の製造方法の一つとして例示されているが,この記載によって,酸析法が真空乾燥型酸析法に限定されると解することはできない。また,甲3の酸析法を用いた実施例として,真空乾燥型酸析法のみが示されているが,実施例が真空乾燥型酸析法であるからといって,甲3発明における酸析法が真空乾燥型酸析法に限定されるとはいえない。さらに,甲3発明は,金属やプラスチックに対する印刷に用いられるが,そのことから,甲3発明が水を全く含まないものであって,甲3発明に用いられる酸析法が真空乾燥型酸析法に限定されるとはいえない。そうすると,甲3発明は真空乾燥型酸析法を用いるものに限定されるとはいえない。
(イ) また,仮に,原告主張のとおり,真空乾燥型酸析法において,アニオン性マイクロカプセル化顔料表面の樹脂が溶解されないとしても,そのことから直ちに,分散安定性において真空乾燥型酸析法とウェット型酸析法が等しいということはできないし,後記ウのとおり,実験結果によっても,分散安定性において,真空乾燥型酸析法とウェット型酸析法に差がないことが裏付けられているとはいえない。
イ 原告は,甲1にいう乾燥方法は,ウェット型酸析法よりも分散安定性が劣る乾燥方法(加熱乾燥等)を念頭に置いたものであるから,甲1には,ウェット型酸析法と同等の分散安定性を生ずる真空乾燥型酸析法の代わりにウェット型酸析法を用いるとの技術事項が示唆されているわけではないと主張する。しかし,原告の上記主張は,以下の理由により,採用することができない。
すなわち,甲1には,「このようにして得られた複合顔料組成物のプレスケーキは,アルカリ性水溶液に分散させるに当り,そのまま使用してもよいし,さらに乾燥したのち,アトマイザーなどの粉砕機で粉体化して用いてもよいが,分散性の点からプレスケーキをそのまま用いることが好ましい。」(4頁右下欄18行ないし5頁左上欄3行)との記載がある。しかし,甲1には,乾燥方法に加熱乾燥と真空乾燥があることや,加熱乾燥と真空乾燥で分散安定性に優劣があることなどは記載されておらず,上記の甲1の記載にいう「乾燥」が,真空乾燥を意味せず,加熱乾燥のみを意味すると解すべき根拠はない。乾燥の方法として加熱乾燥と真空乾燥があることは当業者にとって明らかであると推認されるところ,敢えてこれらを区別せずに単に「乾燥」と記載されていることからすれば,むしろ,上記の甲1の記載にいう「乾燥」は,加熱乾燥及び真空乾燥を含むものと解するのが相当である。
ウ 原告は,甲27の1,2,甲28の1ないし7,甲49の実験結果によれば,真空乾燥型酸析法とウェット型酸析法は分散安定性に差がみられず,甲16の実験結果によれば,ウェット型酸析法による記録液の方が真空乾燥型酸析法による記録液よりも目詰まりが少ないから,目詰まりの差は分散安定性の差によるものではないと主張する。しかし,原告の上記主張は,以下の理由により,採用することができない。
すなわち,顔料粒子の分散安定性が優れている場合には,粒子間に斥力が働いて粒子同士の付着が妨げられるが,その場合には,粒子間だけでなく粒子と容器内壁との間でも斥力により付着が防止され,インク輸送管又はノズルなどのインク流路の内壁に顔料粒子が付着して生ずるインク流路の目詰まりの発生が防止・改善されること,また,分散安定性の向上によって目詰まりを防止・改善し得ることは,いずれも,当業者にとって自明であると認められる。
なお,実験結果(甲27の1,2,甲28の1ないし7,甲49)によっても,真空乾燥型酸析法による分散液・記録液とウェット型酸析法による分散液・記録液との間で,体積平均粒径に差がないとはいえず,両者のの目詰まりの差が,分散安定性以外の他の原因に起因するものであることが立証されたとはいえない。
エ 前記(2)ア(ア),(イ)の甲1,甲2の記載によれば,ウェット型酸析法は,水性顔料組成物に顔料を分散させる技術を扱う業界において周知であったことが認められるが,特にその記載の中でも,甲1に「複合顔料組成物のプレスケーキは,・・・分散性の点からプレスケーキをそのまま用いることが好ましい。」(甲1,4頁右下欄18行ないし5頁左上欄3行)として,分散安定性の点からウェット型酸析法が望ましいことが記載され,甲2に「本発明の顔料組成物はこのようなウェット状の顔料組成物でもよいのは当然である。」(甲2,3頁左下欄10ないし11行)として,ウェット型酸析法を採用することが当然に行われ得ると記載されていたことからすると,甲3発明にウェット型酸析法を適用する動機付けはあったものと認められる。
2 相違点eに関する容易想到性の判断の誤り(取消事由2)について
原告は,審決が,相違点eに係る本件訂正発明1の構成(「最大粒子径が1000nm以下でかつ平均粒子径が300nm以下である」)を容易に想到し得るとした判断に誤りがあると主張する。しかし,原告の上記主張は,以下の理由により,採用することができない。
(1)ア すなわち,本件特許の優先日前に頒布された刊行物である甲6ないし甲12,甲14には,別紙1のとおりの記載があり,印刷インク,インクジェットプリンター用インクに使用される顔料の粒子径として,次のとおり記載されている。
① 「平均粒子径が0.1μm以下」(別紙1(1)甲6,特許請求の範囲1,2,4),
② 「粒子径が1μm以下」(別紙1(1)甲6,特許請求の範囲7),
③ 「粒子径が1~100ミリミクロンの範囲」(別紙1(2)甲7),
④ 「最適径は1000Å以下」(別紙1(3)甲8),
⑤ 「平均粒子径は,0.12μm」(別紙1(4)-ア,甲8),
⑥ 「平均粒子径は,0.18μm」(別紙1(4)-イ,甲8),
⑦ 「顔料粒径が0.1μm以下」(別紙1(5),甲10),
⑧ 「105nm」ないし「140nm」(別紙1(6)甲11),
⑨ 「平均粒子径が0.5μm以下,好ましくは0.2μm以下」(別紙1(7)甲12),
⑩ 「最も好ましくは0.005~1ミクロンの範囲」(別紙1(8)甲14)
上記の数値部分をnmの単位に直すと,それぞれ次のとおりとなる。
① 「平均粒子径が100nm以下」,
② 「粒子径が1000nm以下」,
③ 「粒子径が1~100nmの範囲」,
④ 「最適径は100nm以下」,
⑤ 「平均粒子径は,120nm」,
⑥ 「平均粒子径は,180nm」,
⑦ 「顔料粒径が100nm以下」,
⑧ 「105nm」ないし「140nm」,
⑨ 「平均粒子径が500nm以下,好ましくは200nm以下」,
⑩ 「最も好ましくは5~1000nmの範囲」
そうすると,最大粒子径が1000nm以下であることは周知技術であり,また,平均粒子径が300nm以下であることも周知技術であったものと認められる。
イ また,甲9には別紙1(4)-ア,(4)-イ,甲12には別紙1(7)のとおりの記載があり,甲11,甲14には別紙2のとおりの記載があることから,インク組成物の製造に当たり,濾過などによって粗大粒子を除去することは周知であったことが認められる。そして,甲14には,別紙2(2)のとおり,「1ミクロンフィルタークロスで濾過した」(【0101】)と記載され,それによる仕上がりの分散液の物理的特性として,粒子サイズが121nmであることが記載されており(【0102】),最大粒子径が1000nm以下になるように濾過し,粒子サイズが121nmの分散液を得たことが記載されているものと認められる。
(2) そうすると,粒径について1000nm以下であること及び平均粒径が300nm以下であることについては具体的数値が文献に記載されており,濾過による粗大粒子の除去も文献に記載されているから,これらはいずれも周知技術であり,濾過などによって粗大粒子を除去し,最大粒子径が1000nm以下でかつ平均粒子径が300nm以下とすることは,当業者が容易に想到し得たものと認められる。そして,本件訂正発明1の「最大粒子径が1000nm以下でかつ平均粒子径が300nm以下である」との構成そのものを記載した文献の存在が認められないとしても,上記の判断は妨げられることはないというべきである。
したがって,審決が,周知技術により相違点eに係る本件訂正発明1の構成を容易に想到し得るとした判断に誤りがあるとは認められない。
3 結論
以上のとおり,原告主張の取消事由はいずれも理由がない。原告は,その他縷々主張するが,審決にこれを取り消すべきその他の違法もない。
よって,原告の本訴請求を棄却することとし,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 飯村敏明 裁判官 中平健 裁判官 上田洋幸)
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