知財高等裁判所 平成21年(行ケ)10296号 判決 2010年4月27日
原告
有限会社春海水産
同訴訟代理人弁理士
福田伸一
同
福田賢三
同
加藤恭介
被告
山菱水産株式会社
被告
株式会社ペスカリッチ
被告ら訴訟代理人弁理士
牧哲郎
主文
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第1請求
特許庁が無効2007-800134号事件について平成21年8月18日にした審決のうち,「特許第3646993号の請求項1ないし3に記載された発明についての特許を無効とする。」との部分を取り消す。
第2事案の概要
本件は,原告が有する,名称を「赤身魚類の処理方法」とする発明に係る特許(特許第3646993号。以下「本件特許」という。)につき,被告らが無効審判を請求し,特許庁がこれを無効とする旨の審決をしたことから,原告が同審決の取消しを求めた事案である。
主たる争点は,本件特許が,特許法36条6項1号所定の要件を充たしているか否かである。
1 特許庁における手続の経緯
原告は,平成16年3月5日,上記発明につき出願し,平成17年2月18日付けで設定登録を受けた。
被告らは,平成19年7月17日,本件特許につき無効審判請求をした。
特許庁は,上記審判請求を無効2007-800134号事件として審理し,平成20年11月10日,「特許請求の範囲についてする訂正のうち,請求項3及び4を削除する訂正を認める。特許第3646993号の請求項1,2及び5に係る発明についての特許を無効とする。審判費用は,被請求人の負担とする。」との審決をした。
原告は,平成20年12月28日,同審決の取消しを求める旨の訴訟を当庁に提起し,平成21年2月27日,訂正審判請求をした。
当庁は,同年4月21日,特許法181条2項に基づき,審決取消決定をした。
特許庁は,その後,更に審理を行い,同年8月18日,「訂正を認める。特許第3646993号の請求項1ないし3に記載された発明についての特許を無効とする。審判費用は,被請求人の負担とする。」との審決をし,同審決の謄本は同月28日に原告に送達された。
2 本件特許発明の内容
本件特許発明は,平成21年2月27日付けの訂正審判請求どおり認められた訂正後の明細書の特許請求の範囲の請求項1ないし3に記載された以下のとおりのものである(以下,それぞれ「本件特許発明1」ないし「本件特許発明3」といい,まとめて「本件特許発明」という。なお,審決が引用する部分についても同様である。)。
なお,本判決においては,すべて上記訂正後のものを前提とする。
【請求項1】
「刺身,切り身,柵状のように消費者にそのまま提供できる形態の魚肉をパックに収納するパック収納工程と,
前記魚肉を収納したパックの内部を魚肉の組織や細胞が変性しないように真空雰囲気にする真空処理工程と,
前記真空処理工程の終了直後にパック内に20~50容積%の炭酸ガスと50~80容積%の酸素ガスとの混合ガスを充填して魚肉に接触させるガスの充填工程と,
前記ガスと魚肉とが封入されたパックを前記ガスの充填工程の直後に密封するパック密封工程と,
前記パック密封工程後の魚肉入りパックを5℃~10℃で30分~3時間維持する低温処理工程と,
パック内に収納されている魚肉を急速冷凍して冷凍魚肉とする冷凍工程と,
からなることを特徴とする赤身魚類の処理方法。」
【請求項2】
「捕獲した魚類をラウンドのままで急速冷凍する第1の冷凍工程と,
前記第1の冷凍工程によって冷凍されている魚類を機械的手段により切断する切断工程と,
前記切断工程によって切断された魚肉を,刃物で切断可能なように半解凍状態にする解凍工程と,
前記解凍工程により解凍された魚肉を刃物で切断して,刺身,切り身,柵状のように消費者にそのまま提供できる形態にした魚肉をパックに収納するパック収納工程と,
前記魚肉を収納したパックの内部を魚肉の組織や細胞が変性しないように真空雰囲気にする真空処理工程と,
前記真空処理工程の終了直後にパック内に20~50容積%の炭酸ガスと50~80容積%の酸素ガスとの混合ガスを充填して魚肉に接触させるガスの充填工程と,
炭酸ガスと酸素ガスとが封入された前記パックを前記ガスの充填工程の直後に密封するパック密封工程と,
前記パック密封工程後の魚肉入りパックを5℃~10℃で30分~3時間維持する低温処理工程と,
パック内に収納されている魚肉を急速冷凍して冷凍魚肉とする第2の冷凍工程と,
からなることを特徴とする赤身魚類の処理方法。」
【請求項3】
「パック収納工程では,パック内にトレー及び/又はシートを入れる請求項1または2に記載の赤身魚類の処理方法。」
3 審決の内容
審決は,以下のとおり,特許請求の範囲の記載は,本件特許発明1ないし3につき特許法36条6項1号に規定する要件を充たしていないから,同法123条1項4号に該当し,無効とすべきであるとした。
(1) 本件特許発明が解決しようとする課題
「そこで,本件特許発明は,・・・赤身魚の上記劣化の防止をすることを課題として発明されたものであると認められる。」
「そして,本件特許発明は,その課題の解決のために,・・・特に従来技術の『冷蔵温度にした魚肉に酸素ガスと炭酸ガスを長時間接触』,具体的には『0~-3℃の冷蔵庫で16時間』,という低温処理の欠点等を改良するものとして,低温処理工程を主要な改良点とし,さらに真空処理工程等を必須の構成として含む本件特許発明の構成を採用したものであると認められる(段落【0006】,【0007】)。」
(2) 低温処理工程についての記載
「訂正明細書の発明の詳細な説明における本件特許発明に関する低温処理工程についての記載をみると,上記のほか以下の記載があり,それ以外にはないことが認められる。」(判決注:段落【0008】【0020】【0021】【0026】【0033】を引用。)
「これらの記載においては,本件特許発明の低温処理工程の作用効果ないし技術的意義についての概要が説明がされていることが認められる。しかしながら,個別具体的な条件で処理したもの,例えば,特定の形状の特定種類の赤身魚について,特定組成の混合ガス中における本件特許発明条件内の特定の低温処理をしたものについて,その組織や細胞の変性,変化による劣化が具体的にどのようなものであったのか等について,記載するところはない。
すなわち,本件特許発明についての具体的な実験等により客観的な裏付けを示すべき記載部分と認められる『実施例1』の表示以下の記載部分(段落【0011】以降)をみても,まず,『実施例1』とされている部分は,実質的に訂正特許請求の範囲の請求項1に記載された発明のうち,低温処理工程までの各工程の詳細について定性的に記載しただけのものであるし,同様に,『実施例2』とされている部分は,実質的に訂正特許請求の範囲の請求項1に記載された発明の詳細について,また,同『実施例3』とされている部分は,実質的に訂正特許請求の範囲の請求項2に記載された発明の詳細について,それぞれ記載したものでにすぎない。これら『実施例1』~『実施例3』とされる記載部分には,従来技術との主な改良点とされ,本件特許発明の主要な工程のひとつと認められる,『低温処理工程』について,どのような種類・形状の赤身魚(鮪か鰹かその他か。刺身か切り身か柵か。その縦横厚さ。刺身の場合は重ね方)を,どのような組成・圧力の炭酸ガス及び酸素ガス混合ガス(どのような組成,全圧か)下で,何度で何分(時間)維持したのか等具体的条件で処理したときの,組織や細胞の変性,変化による劣化の程度を具体的に示すものはなんらなく,まして,従来の『0~-3℃の冷蔵庫で16時間』という低温処理をしたものと,劣化の程度が同じなのか相違するのか,相違するとき,そのように相違するのか等を具体的に示すもはない。
さらに,『実施例4』とされている記載部分は,急速冷凍した『鮪』の100gの『刺身状』のマグロを処理を行った際の試験成績について記載しており,真空処理工程の圧力時間,混合ガスの組成が明記されている点において,『実施例1』~『実施例3』とされている記載部分に比し,より具体的に記載されているということができる。しかしながら,この処理においては,『混合ガスを充填して充満させ,密封して-60℃で急速冷凍し』と,パック密閉工程後に(第2の)冷凍工程を行っており,本件特許発明の主要な工程のひとつ認められる,『低温処理工程』について,その具体的条件はもとより,その工程が行われたのかすら不明である。
以上のとおり,訂正明細書の発明の詳細な説明には,具体例,特に本件特許発明の『低温処理工程』を具体的条件下に実施し,組織や細胞の変性,変化による劣化の程度等の結果を示した例を明記するところはない。」
(3) 発明の詳細な説明に記載された発明と特許請求の範囲に記載された発明との対比
「特許請求の範囲に発明として記載して特許を受けるためには,明細書の発明の詳細な説明に,当該発明の課題が解決できることを当業者において認識できるように記載しなければならないというべき・・・」
「・・・本件特許発明は,特定の低温処理工程等を主要な構成要件のひとつとするものであるところ,このような発明において,特許請求の範囲の記載が,明細書のサポート要件に適合するためには,発明の詳細な説明は,その特定の低温処理工程等を構成要件とする方法によって,上記の課題を解決できることを,特許出願時において,具体例の開示がなくとも当業者に理解できる程度に記載するか,又は,特許出願時の技術常識を参酌して,当該方法であれば,上記の課題を解決し得ると当業者において認識できる程度に,具体例を開示して記載することを要するものと解するのが相当である。」
「そこで,訂正明細書の記載が,訂正特許請求の範囲の請求項1の記載との関係で,上記(1)の明細書のサポート要件に適合するか否かについてみると,上記3で検討したとおり,訂正明細書の発明の詳細な説明には,従来の赤身魚の処理方法における課題である,
『長期間経過しても鮮度,色合い,食慾などが変わることがな』い。
『解凍しても組織や細胞が分解したり変化,変性することがなく,また色素が変化しないので黒ずんだような変色をすることがなく,生の魚とほとんど同様の外観と食感を供することができ』る。
『解凍後に平均10℃以下の冷蔵庫に長期間(3~5日程度)保存しておいても組織,細胞や色彩が変化したり変性することがなくて弾力性があって本来の色彩を有する肉質を維持する』
という課題を解決し,組織や細胞の変性,変化による上記劣化の防止がされた赤身魚を得るための手段として,本件特許発明に記載された特定の低温処理工程等の工程を採用したことが記載されている。
他方,本件特許発明1ないし3は,本件請求項1ないし3に規定された,特定の低温処理工程等を施すことにより,上記所期の課題を解決し得るというのものであるところ,本件特許発明1ないし3の特定の低温処理工程等を施すことによって,本件出願時において,それらの工程,特に特定の低温処理工程を採用することと,その作用効果との間の因果関係・メカニズムに関する記載等,具体例の開示がなくとも上記所期の課題を解決し,組織や細胞の変性,変化による上記劣化の防止がされた赤身魚を得られることを当業者に理解できるものであったことを示すに足りるものはない。
むしろ,訂正明細書の発明の詳細な説明の背景技術の欄の段落【0004】に挙げられた,特開平7-123912号公報(審決注:甲第2号証として提出されている文献である。)には,
『吸収処理温度が高くなると,吸収処理している間に魚肉の分解が進むため,氷温下あるいは氷温下より僅かに高い冷蔵温度程度が実際的である。具体的には0℃程度から-3℃程度の範囲が良い。・・・一方,魚肉の分解は吸収処理時間が長い程進む。通常の『柵』の形状の魚肉で,かつ0ないし-3℃程度の温度,酸素ガス80体積%炭酸ガス20体積%の混合ガス,大気圧での条件下で,吸収処理時間は16時間程度である。』(段落【0011】)
と,『0℃程度から-3℃程度』の範囲を超える温度においてガスの吸収処理をすると,『魚肉の分解が進む』ので不適当であるという技術常識があることが認められる。さらに,気体の溶解度について,温度が低いほど溶解度が大きいという技術常識もある。加えて,訂正明細書の発明に詳細な説明において自ら示すように,低温処理に関し『赤身の魚類では処理温度や時間において微妙に変化すると組織や細胞が変性して黒ずんだように変色する』(段落【0005】)と記載するように,赤身魚の組織や細胞が変性は,『処理温度や時間において微妙に変化する』ものであると認められる。
そうすると,本件特許発明1ないし3の方法は,『魚肉の分解が進む』から不適当であるとされ,ガスの溶解からみると溶解度が低下すると予測されるところの,従来技術より高い『5℃~10℃』という温度において,従来技術より短い『30分~3時間』という低温処理工程を含む方法であるにもかかわらず,上記予測に反し,上記課題を解決することができる,すなわち,組織や細胞の変性,変化による劣化防止がされた赤身魚を得ることができる,というものである。そして,赤身魚の組織や細胞が変性は,『処理温度や時間において微妙に変化する』ことを併せ考えれば,本件特許発明1ないし3の方法が上記課題を解決することができることを当業者において認識できるというためには,本件特許発明1ないし3を実施した(特に,特定の低温処理工程を具体的条件及びその結果を示した)具体例を開示して,上記課題を解決することができることを裏付けることを要するというべきである。
しかし,訂正明細書の発明の詳細な説明には,特許出願時の技術常識を参酌しても,当該方法であれば,上記課題を解決することができることを当業者において認識できる程度に,具体例を開示して記載するということはできない。
すなわち,上記具体的な実験等により客観的な裏付けを示すべき記載部分と認められる『実施例1』ないし『実施例4』の記載における低温処理工程についての記載は上記3(3)のとおりであり,訂正明細書の発明の詳細な説明の記載に接する当業者において,本件特許発明1ないし3の工程を施せば,上記課題を解決し,上記所望の組織や細胞の変性,変化による劣化が防止された赤身魚を得ることが,具体例により裏付けられていると認識することは,本件出願時の技術常識を参酌しても,不可能というべきであるから,訂正明細書の発明の詳細な説明の記載は,上記課題を解決できることを当業者において認識できる程度に,具体例を開示して記載しているとはいえない。
してみると,訂正特許請求の範囲の本件特許発明1ないし3が,発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものでも,また,その記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるともいえないから,訂正特許請求の範囲の記載は,明細書のサポート要件に適合するということはできない。」
(4) 特許法36条6項1号に規定する要件についてのまとめ
「したがって,訂正特許請求の範囲の記載は,本件特許発明1ないし3について,『特許を受けようとする発明が発明の詳細な説明に記載したものであること。』との要件に適合しないから,特許法36条6項1号に規定する要件を満たしていない。」
第3原告主張の要旨
本件特許は,以下のとおり,特許法36条6項1号所定の要件を充たしており,これを充たしていないとした審決の判断は誤りである。
1 本件特許発明は,第1の重要構成要件である,真空処理工程の終了直後にパック内に20~50容積%の炭酸ガスと,50~80容積%の酸素ガスとの混合ガスを充填して魚肉に接触させ,第2の重要構成要件である前記魚肉入りパックを5℃~10℃で30分~3時間の低温処理を行うというものであり,従来の技術に基づくものではなく,大きな効果(従来より高い温度で,しかも短い時間の低温処理であっても,予測に反し,細菌等の発生がなく,魚肉がほどよく熟成され,魚肉の組織や細胞,色素などが変性や変化したりせず,冷凍後に解凍した状態であっても,平均10℃以下の冷蔵庫に長期間(3~5日程度)保存した場合,組織,細胞や色彩が変化したり変性することなく,弾力性があり,本来の色彩を有する肉質を維持するので,著しく商品価値の高いものにすることができること)を奏するものである。
2 本件特許発明の赤身魚類の処理方法は,マグロあるいはカツオが代表的なものである。例えば,マグロは,本マグロ,メバチマグロ,キハダマグロ,インドマグロ,タイセイヨウマグロ等があり,日本近海から全世界の至る所で釣り上げられている。また,マグロは,同じ種類のものであっても,成長段階,釣り上げられた場所(養殖もの,近海もの,遠洋もの,日本海,インド洋,その他の海等),赤身魚類の部位(頭,首部,胴体,尾,脂身部分等),釣り上げ後の処理条件,冷凍保存状況によって完全に同じ状態のものはないという点に特徴がある。
したがって,本件特許発明において,赤身魚類の種類,魚肉の場所等により程度の差があることは,当業者の技術常識で分かることである。
このように,本件特許発明の赤身魚類は,生身のものであり,色々な種類や条件によって異なるため,工業製品と同様なサポート要件を充たすことができない。
また,本件特許発明は,先願主義下に出願されたものであり,赤身魚類の種類が多いため,マグロ肉のどの部分における組成,細胞の変性,前記変性による劣化,色の変性等がどのような状態であるかを具体的に調べた後に出願するのは事実上不可能であって,すべて,出願の段階で,効果を実証する必要がなく,出願後に,必要があれば,研究者が行えば良いことである。
以上のように,本件特許発明の対象物が,全く同じ成分のものが存在しない生ものの赤身魚類である点,及び先願主義であるという点を考慮すれば,特許請求の範囲は明細書によって十分にサポートされているといえる。
そして,本件特許発明は,明細書の発明の詳細な説明に,発明の課題が解決できる程度の記載はされており,当業者が出願時の技術常識に照らして,発明の課題を解決できると認識できるものである。
なお,マグロ以外の赤身魚類につき,実施例がないが,マグロに対する効果があれば,当然,他の赤身魚類についても,同様に近い効果があることが当業者にとって分かることである。
3 本件特許発明の真の効果は,学術的に評価されるものではなく,実際に赤身魚類に対して,本件特許発明がどの程度,需要者に使用されるか否かによって評価されるものである。
そして,原告による本件特許発明に係る方法は,技術的側面はもとより,商業ベースに乗ることが可能なものとして反響を呼び,広く支持された。
本件特許発明において,「低温処理工程」における作用効果の間の因果関係・メカニズムに関する記載等,具体例を開示しなくとも,組織や細胞の変性,変化による劣化の防止がされるということが十分推測されるものであり,当業者であれば十分に実施できるものである。
現に,被告及びその他の業者が,本件特許発明の赤身魚類の処理方法を実施していることを考慮すれば,「当業者」の「技術常識」によって,課題を解決し,所望の組織や細胞の変性,変化による劣化が防止されることを認識できる程度の記載であることを証明している。
4 明細書のサポート要件は,すべての赤身魚類に対して行うこと,あるいはこれらの効果の因果関係を解明し,直接的に明細書中に具体例を示すことまで要求するものではない。
また,審決は,赤身魚類の処理方法において,赤身肉の縦横厚さ,刺身の場合は重ね方まで,明細書に記載することを要求しているが,このような赤身魚肉は,多少の厚さ,重ね方の違いがあっても,真空処理工程の後に,混合ガスを充填しているため,十分に内部に浸透して,本件特許発明の効果を奏するものである。
なお,本件特許発明においては,前記1のガス充填工程と低温処理工程とが発明の主要部分であり,その他の工程は,赤身魚類を保存するために必要な工程ではあるが,通常行われている保存工程であるため,詳細データを開示する必要はなく,同工程の全部について具体的条件を求める審決は誤りである。
また,本件特許発明では,上記のとおり,あくまで保存温度と処理時間が重要であり,この点を理解できるならば,明細書に記載された以外の特殊な装置や技術を要することなく,当業者において実施可能である。
審決の判断は,先願主義下において,出願人に過度なデータ開示を出願と同時に要求するものである。
5 本件特許発明の赤身魚類の処理方法は,明細書(特許請求の範囲)に記載されている混合ガスの比率からなるガス充填工程と,5℃~10℃で,30分から3時間維持するという低温処理工程を見出したことにより,同数値限定の範囲において,マグロが保存,食感,味覚,解凍時の色彩の点で効果を奏すること,及び細菌の基準値を満たすことが公的機関の証明書により証明されていることから,当業者であれば実施できる程度の記載があるとみることができる。
6 以上のとおり,本件特許は,特許法36条6項1号に規定する要件を充たすものであり,無効とされるべきではなく,審決は取消しを免れない。
第4被告らの反論
1 本件特許の出願前の文献である甲1(特開平5-336878号公報)には,ガスバリアー性包装体に,柵にカットした鮪肉を密封し,かつこの包装体内に,炭酸ガスと酸素ガスとを1:9~4:6の割合で混合した混合ガスを封入し,これを冷凍保存することを特徴とする鮪肉の保存方法が,また,混合ガスの封入は,包装体内を真空引きした後に行うことが,それぞれ記載されている。
同様に,本件特許の出願前の文献である甲2(特開平7-123912号公報)には,魚肉中に酸素ガス及び炭酸ガスを吸収させるときの処理温度は魚肉の凍結温度以上であれば良いことが,具体的には0℃程度から-3℃程度の範囲が良いことが,それぞれ記載されている。
甲2には,このほか,ガス吸収処理工程において,処理時間が長いほど魚肉中への酸素ガス及び炭酸ガスの吸収固定が確実になる反面,処理時間が長いほど魚肉の分解が進むこと,処理時間の具体例として16時間という例,ガス吸収処理工程を終えた魚肉を-45℃程度で急速凍結して冷凍魚肉とすることが,いずれも記載されている。
2 本件特許発明と甲1及び2記載の公知技術を比較すると,本件特許発明のうち柵状の魚肉をパックに収納するパック収納工程,このパックの内部を真空雰囲気にする真空処理工程,真空雰囲気にしたパック内に炭酸ガスと酸素ガスの混合ガスを充填して魚肉に接触させるガス充填工程,ガスを充填したパックを密封する密封工程,パック密封工程後の魚肉入りパックを所定温度で所定時間維持する低温処理工程,及びパック内に収納されている魚肉を急速冷凍して冷凍魚肉とする冷凍工程が,それぞれ公知技術と共通し,ガス充填工程における炭酸ガスと酸素ガスの混合割合の数値,及び低温処理工程における処理温度と処理時間の範囲の数値が,公知技術と相違する。
以上から,本件特許発明の主要部分は,公知技術と相違する部分,すなわち,パック内に20~50容積%の炭酸ガスと,50~80容積%の酸素ガスとの混合ガスを充填して魚肉に接触させる処理工程,及びこの魚肉入りパックを5℃~10℃で30分~3時間維持する低温処理工程にあり,主要部分はこれらの数値であるといえる。すなわち,本件特許発明は,公知の処理工程中の特性を表す数値を限定したパラメータ発明というべきである。
3 パラメータ発明において,特許請求の範囲の記載が,明細書のサポート要件に適合するためには,発明の詳細な説明は,その数式が示す範囲と得られる効果(性能)との関係の技術的な意味が,特許出願時において,具体例の開示がなくとも当業者に理解できる程度に記載するか,又は,特許出願時の技術常識を参酌して,当該数式が示す範囲内であれば,所望の効果(性能)が得られると当業者において認識できる程度に,具体例を開示して記載することを要するものと解するのが相当である。
これを本件について検討する際に,本件特許発明の方法によれば発明の課題が解決できると当業者が認識できる程度に具体例が開示されているかどうかと,具体例の開示がなくとも本件特許発明の方法によれば発明の課題が解決できることを当業者が理解できる程度に記載されているかという点の考察が必要となる。
まず,本件明細書には,ガス充填工程における炭酸ガスと酸素ガスの割合や,低温処理工程における温度と時間を,範囲ではなく具体的な数値で示した実施例の記載は見当たらない。
そして,5℃~10℃という魚肉の分解が懸念されるような技術常識から外れた高温と,30分~3時間という技術常識の範囲外の短い処理時間を考えた場合,本件特許発明により組織の劣化防止がされた赤身魚を得られることを当業者が理解できる程度に明細書に記載されているとは到底いえない。
これらから,本件特許発明の記載は「明細書のサポート要件」に適合するとはいえず,本件特許は特許法36条6項1号に違反するとした審決に誤りはない。
4 なお,赤身魚類の種類が色々あり,同じ状態のものがないからこそ,具体例が必要であるというべきである。
処理した魚類は,どういう種類か,配合ガスの成分割合はどうか,低温処理工程の処理温度は何℃か,処理時間は何時間か,それらを全部開示してこそ発明により課題が解決できることが裏付けられる。
赤身魚類の種類が色々であることは,そうした具体例の開示を省略して良い理由にはならず,むしろ,具体例の開示の必要が強く求められるものである。
このように,赤身魚類に色々あることを理由に,本件特許発明は「明細書のサポート要件」に適合する旨の原告の主張は誤りである。
第5当裁判所の判断
1 特許法36条6項1号所定の要件について
(1) 特許法36条6項は,その柱書きにおいて「第2項の特許請求の範囲の記載は,次の各号に適合するものでなければならない。」とし,その第1号において,「特許を受けようとする発明が発明の詳細な説明に記載したものであること。」と規定している(以下「サポート要件」ともいう。)。
そして,特許請求の範囲の記載が,明細書のサポート要件に適合するか否かは,特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の記載とを対比し,特許請求の範囲に記載された発明が,発明の詳細な説明に記載された発明で,発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否か,また,その記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否かを検討して判断すべきものであり,サポート要件の存在は,特許出願人又は特許権者が証明責任を負うと解するのが相当である。
(2) そこで,本件特許に係る特許請求の範囲の記載(甲36参照)が,明細書のサポート要件に適合するか否かにつき,以下検討する。
なお,本件特許発明2は,本件特許発明1におけるパック収納工程の前に,捕獲した魚類をそのまま急速冷凍する旨の発明で,本件特許発明3は,本件特許発明1ないし2におけるパック収納工程において,パック内にトレーないしシートを入れる旨の発明であり,いずれも,その本質において本件特許発明1と同じである。
2 本件特許発明に係る明細書(甲36)の記載
本件特許発明に係る明細書(甲36)には,以下の記載がある。
「【技術分野】
【0001】
本発明は,まぐろ,かつお等の赤身の魚類において,需要者にそのまま提供できるような形態で切断した魚肉を,長期間にわたり鮮度を維持させるとともに色素変化による変色をさせないで,生の魚肉のように食感を損なわせることなく長期間の保存が可能であり,しかも解凍しても長期間にわたって変色したり食感が損なわれないようにしたことを特徴とする魚類の処理方法に関するものである。」
「【発明が解決しようとする課題】
【0005】
・・・本発明が解決しようとする課題は,消費者にそのままで提供できる形態に切断した赤身魚であっても,長期間経過しても鮮度,色合い,食慾などが変わることがなく,また冷凍した魚肉を解凍しても組織や細胞が分解したり変化,変性することがなく,また色素が変化しないので黒ずんだような変色をすることがなく,生の魚とほとんど同様の外観と食感を供することができ,しかも解凍後に平均10 ℃以下の冷蔵庫に長期間(3~5日程度)保存しておいても組織,細胞や色彩が変化したり変性することがなくて弾力性があって本来の色彩を有する肉質を維持するので,著しく商品価値の高いものにするようにしたことである。」
「【課題を解決するための手段】
【0006】
本発明の請求項1に記載の発明は,刺身,切り身,柵状のように消費者にそのまま提供できる形態の魚肉をパックに収納するパック収納工程と,前記魚肉を収納したパックの内部を魚肉の組織や細胞が変性しないように真空雰囲気にする真空処理工程と,前記真空処理工程の終了直後にパック内に20~50容積%の炭酸ガスと50~80容積%の酸素ガスとの混合ガスを充填して魚肉に接触させるガスの充填工程と,前記ガスと魚肉とが封入されたパックを前記ガスの充填工程の直後に密封するパック密封工程と,前記パック密封工程後の魚肉入りパックを5℃~10℃で30分~3時間維持する低温処理工程と,パック内に収納されている魚肉を急速冷凍して冷凍魚肉とする冷凍工程と,からなることを特徴とする。」
「【発明の効果】
【0009】
本発明の赤身魚類の処理方法は,魚肉を真空処理することにより空気接触による酸化の防止をし,真空処理工程の直後に魚肉を炭酸ガスと酸素ガスとの混合ガスに接触させ,しかも一定時間だけ低温状態に維持して熟成することにより,魚肉の組織や細胞が変性しないので,調理して食するときに,黒ずんだ変色がないばかりでなく生魚と全く同様の食感があり,しかも一般家庭の冷蔵庫に数日間保存しても肉質が変化したり変色しないので,消費者もそのままの形態の状態で食することができるという効果がある。
【発明を実施するための最良の形態】
【0010】
したがって本発明は,魚類の組織や細胞の変性,変化による劣化防止という課題を,魚肉を短時間だけ真空状態にする真空処理工程の終了直後にパック内に20~50容積%の炭酸ガスと50~80容積%の酸素ガスとの混合ガスを充填して魚肉に接触させる,しかも凍結しない温度を一定時間維持(たとえば,5~10℃の温度範囲で30分~3時間程処理し)させて魚肉を熟成するという手段によって確実に解決するようにしたものである。そして,真空処理工程後に前記混合ガスに接触させるために,その後に冷凍して長期間保存し,その後に解凍しても確実に酸化防止をすることができるし,また空気中の雑菌が付着していないので組織の変性や色素の変化などを防止することができる。
【実施例1】
【0011】
以下に本発明の実施例を説明する。
【0012】
本発明の第1実施例は,近海漁業において捕獲したまぐろ,かつお等の赤身の魚類を,急速冷凍しないで機械的手段により,または包丁などの刃物によって人手により適宜の寸法に切断して刺身,切り身,柵状等消費者にそのまま提供できる形態にしてトレーに盛り付けし,空気が透過しない樹脂パックにトレーごと収納するパック収納工程を有する。
【0013】
前記パック収納工程では,トレーに盛り付けする場合に,不織布や布,厚手の紙などからなるシートを底面に敷設したトレーに入れておくと,魚類を切断することにより生じる血液,肉汁などの魚体液を前記シートに吸収させることができるので,魚肉に付着して劣化させることを防止することができる。また,トレーは盛り付けする魚肉の形態を維持するためである。
したがって,魚肉の商品として体裁を重視しないのであれば,パック収納工程におけるトレーやシートは,必須要件ではないし,トレーとシートとの何れか一方を使用してもよい。しかし,例えば一般家庭での刺身用に利用するのであれば,体裁よくする必要があるから,シートを敷いたトレーにのせて,血液や肉汁,ドリップ液等をシートに吸収させるとともに,トレーで形状を維持させるのが好ましい。
前記パック収納工程で使用するパックとしては,耐候性,耐低温性,耐液性,空気の非透過性などを有する樹脂の袋を使用するのがよい。
【0014】
切断した魚肉を収納したパックは一端が開放しているので,真空処理工程を経ることによりパックの内部を真空な雰囲気にし,魚肉が空気に接触しないので酸化防止の作用を有し,肉質や色素の変性や変化を防止することができる。この真空処理工程は,きわめて短時間であって,数秒乃至数十秒で十分であり,長時間真空状態に接触させると,組織や細胞が変性して食感が低下したり黒ずんだ色に変色する。
【0015】
また魚肉は,短時間でも真空状態に接触して空気から遮断すると,肉質が生の状態に維持されるし,しかも空気中の酸素が接触しないので酸化防止作用を生じることになるが,長時間真空状態にさらされると肉質が劣化するので,酸化防止作用が生じる程度の時間で十分である。
【0016】
上記のように,真空処理工程によりパックの内部を真空にすると,次の工程では炭酸ガスと酸素ガスとの混合ガスをパックに充填して魚肉に接触させるガスの充填工程が行われる。このガスの充填工程は,真空処理工程の終了直後であって,しかも魚肉を空気に接触させないようにして行う。
【0017】
このガスの充填工程における炭酸ガスと酸素ガスとの混合ガスの比率は,炭酸ガスが20~50容積%,酸素ガスが50~80容積%であって,両ガスの混合比率は,まぐろやかつおなどの赤身の魚肉の組織,細胞や色素を変性させたり変化させないで,そのままの状態を維持するための必要条件である。
【0018】
上記したガスの充填工程が終了した直後には,パックの開口部を密封して混合ガスが放出しないようにする機械的なパック密封工程を行う。
前記した真空処理工程,ガスの充填工程及びパック密封工程は,魚肉を収納したパックをコンペアに乗せて搬送し,搬送途中で真空処理してガスを充填し,パックの開口部を密封する真空包装装置により,装置の内部で連続した工程によって自動的に処理するものである。
前記した3工程は,約1分間で処理することができる。
【0019】
前記した真空処理工程,ガスの充填工程及びパック密封工程を1基の真空包装装置によって処理したら,前記装置からパックが排出されるので,このパックを低温処理工程にまで移動する。
【0020】
前記低温処理工程は,魚肉が凍結しない程度の温度で一定時間維持させるもので,例えば冷蔵庫のチルト室を利用することができる。
前記低温処理工程は,5~10℃で30分~3時間維持させる。低温処理工程において,15℃ 以上では魚肉に自己消化作用が発生して軟化する可能性がある。また,30分以下では魚肉が熟成しないし,3時間以上も低温維持すると魚肉が加温されて自己消化作用が発生することがある。
【0021】
前記低温処理工程によって魚肉は熟成され,パック内に充填している炭酸ガス,酸素ガスの成分が魚肉内の組織や細胞内に十分に浸透し,組織や細胞,色素などが変性したり変化することがない。
したがって,長期間そのままの状態にしておいても,鮮度や色合いが変わることがなく,また冷凍した魚肉を解凍しても組織や細胞が分解したり変化,変性することがなく,色素が変化しないので黒ずんだような変色をすることがなく,生の魚とほとんど同様の外観と食感を供することができる。しかも冷凍後に解凍した状態であっても,平均10℃以下の冷蔵庫に長期間(3~5日程度)保存しておいても組織,細胞や色彩が変化したり変性することがなくて弾力性があって本来の色彩を有する肉質を維持するので,著しく商品価値の高いものにすることができる。
【0022】
そのため,低温処理工程後,近郊の販売店で販売して3~5日程度で消費できるのであれば,処理したパック入りの魚肉を冷蔵したり常温のままで流通させればよい。しかし,流通過程で1週間以上も必要である場合には,密封したパックを急速冷凍する冷凍工程をするのがよい。
【実施例2】
【0023】
本発明の第2実施例は,前記低温処理工程によって処理されたパックを,魚肉が長期間保存できるようにするために,急速冷凍による冷凍工程をするのであって,パック収納工程,真空処理工程,ガスの充填工程,パック密封工程及び低温処理工程までは前記第1実施例と同様である。
前記冷凍工程は,通常の冷凍保存として知られている工程であって,-30~-70℃の温度範囲,望ましくは-40~-60℃の温度範囲で2時間以上継続させるのであり,きわめて長期間の保存が可能でありながら,鮮度や色彩をそのままの状態で維持することができる。
【0024】
このようにして冷凍保存された魚肉は,室温状態で若しくは10℃以下の冷蔵庫内で解凍すると,肉質が変化したり赤身の色彩が黒ずんだように変色することがなく,生のままの状態を維持している。また,組織や細胞が変性したり変化していないので,品質劣化しないので生と同様の食感があり,商品価値が劣らないし,食品衛生上においても変わることがない。したがって,一般家庭,寿司屋若しくは料亭において刺身,その他の料理用として,または寿司種用として,生のままで調理に利用することができる。
更に,解凍後そのまま冷蔵庫に収納しても,最低3日程度経過しても肉質や色合いが変化することがなく,生のような状態を維持している。
【実施例3】
【0025】
次に本発明の第3実施例を説明する。
【0026】
本発明の第3実施例は,遠洋漁業で捕獲されたまぐろ,かつお等の赤身魚類を,ラウンドのまま船内において-40~-60℃程度で急速冷凍して保存する第1の冷凍工程と,漁船が帰港して陸揚げされた急速冷凍の魚類を機械的手段により強制的にブロック状に,若しくは柵状に切断する切断工程と,切断された魚肉を塩水(海水若しくは同等で5%程度の塩分を含む水)に浸漬して-4~+4℃程度に半解凍する解凍工程と,解凍された魚肉を前記第1実施例と同様に機械的に,若しくは刃物で人手により切断して消費者にそのまま提供できる形態である柵状,切り身に,刺身にし,この魚肉を必要であればトレーに盛り付けして必要であればシートを敷いてパックに収納するパック収納工程と,前記パック収納工程でのパック内を真空の雰囲気にして魚肉から空気を除去し,酸化防止する真空処理工程と,真空処理工程の直後にパック内に炭酸ガスと酸素ガスとの混合ガスを充填して,魚肉を混合ガスに接触させるガスの充填工程と,ガスの充填工程が終了したら,混合ガスが放出しないようにパックを密封するパック密封工程と,前記パック密封工程後の魚肉入りパックを低温状態にし,熟成させて前記ガスを魚肉に浸透させる低温処理工程と,低温処理された魚肉入りパックを-30~-70℃の温度範囲,望ましくは-40~-60℃の温度範囲で2時間以上継続させる第2の冷凍工程とから成るものである。
【0027】
前記第1の冷凍工程は,遠洋漁業では数ケ月間航海しているので,その間に捕獲した魚類を保存するために,船内の設備で魚類を切断しないでラウンドのままの状態で急速冷凍するものである。
【0028】
そして,漁船が帰港して冷凍魚類を陸揚げすると,市場において若しくは競り落とした業者,その他の業者は,ラウンドの冷凍魚類を機械的手段によって強制的にブロック状に,若しくは柵状に切断する切断工程を行う。
【0029】
前記切断工程によって切断された冷凍魚類を,次の工程では塩水に浸漬して人手により包丁などの刃物で切断できる程度の硬さにまで半解凍させる解凍工程を行う。この解凍工程は,海水若しくは5%程度の塩分を含む海水と同程度の塩水に浸漬して-4~+4℃程度にすることであり,この状態では機械によって,若しくは包丁で人力により切断できる状態である。
【0030】
前記解凍工程によって半解凍した魚肉を,前記第1実施例と同様に適宜の寸法に切断して消費者がそのまま調理に利用できる刺身,切り身,柵等に切断し,切断した魚類を必要であれば血液,肉汁,ドリップ等を除去するためにシートを敷いたトレーに盛り付けし,トレーごとパックに収納するパック収納工程を行う。
【0031】
そして,前記魚肉入りパックは,真空包装装置に供給して真空処理工程を行うことにより,パックの内部を真空な雰囲気にし,魚肉が空気に接触するのを防いで酸化防止をする。
【0032】
上記のようにして真空処理工程によって酸化防止された魚肉入りのパックは,その工程の直後において,空気に接触させないままで,パック内に炭酸ガスと酸素ガスとの混合ガスを充填するガスの充填工程を行う。
【0033】
上記したガスの充填工程が終了した後は,パックを密封して混合ガスが放出しないようにするパック密封工程を行い,その後に,パックを低温状態にして魚肉を熟成させ,前記パック内の混合ガスを魚肉に浸透させることにより低温処理工程を行い,必要であればパック内に収納されている魚肉を急速冷凍して冷凍魚肉とする第2の冷凍工程を行う。
【0034】
前記した第2実施例における真空処理工程,ガスの充填工程,パック密封工程,低温処理工程及び急速冷凍工程は,第1実施例における真空処理工程,ガスの充填工程,パック密封工程,低温処理工程及び急速冷凍工程と同様であるから具体的説明を省略する。
【0035】
前記した第1実施例と第2実施例とは,第1実施例が近海漁業で捕獲して漁船内で急速冷凍していない生の魚類の保存処理であるのに対し,第3実施例は遠洋漁業で捕獲して船内でラウンドのままで急速冷凍した魚類の保存処理であって,その他の工程はほとんど同一である。
【実施例4】
【0036】
次に,試験成績を説明する。
図1は鮪Aの成分を検出した公的機関の試験成績証明書,図2は鮪Bの成分を検出した公的機関の試験成績証明書である。鮪Aは,遠洋漁業で捕獲して急速冷凍したラウンドの鮪を陸揚げ時に機械的に切断し,自然放置により-2℃にまで半解凍して包丁で切断した100gの刺身状のま々ろ肉を,発泡スチロールシートを底面に敷いた樹脂トレーに盛り付けし,軟質樹脂のパックに収納してガス処理装置に供給し,3torrの真空度で40秒間真空処理した後,直ちに70容積%の酸素ガスと30容積%の炭酸ガスとの混合ガスを充填して充満させ,密封して-60℃で急速冷凍し,1ケ月間経過後に検査協会に持ち込み,検査協会において冷蔵庫で解凍したガス処理済みの供試体である。
鮪Bは,鮪Aと同一の魚体であって,遠洋漁業で捕獲して急速冷凍したラウンドの鮪を陸揚げ時に機械的に切断した魚肉を100gを,そのままの状態で1ケ月間冷凍して鮪Aとともに検査協会に持ち込み,検査協会において冷蔵庫で解凍したガス処理無しの供試体である。
両供試体をエネルギー,水分,たんぱく質,脂質,炭水化物,灰分の6項目において検出試験した結果,図1,2の試験成績証明書に記載の通り,水分においてガス無しの供試体がガス処理済みの供試体より100gのうち0.1g多く,また灰分においてガス処理済みの供試体がガス処理無しの供試体より100gのうち0.1g多いだけで,その他の項目では全く変化がなかった。
したがって,本発明の方法によってガス処理したまぐろ肉は,ガス処理無しのまぐろと全く変わらない組織であり,また色もほとんど変化していなかった。
【0037】
また,前記鮪Aと鮪Bとの鮪肉を,庫内温度が平均8℃の一般家庭用の冷蔵庫に入れて1日経過後に観察してみたら,鮪Aはほとんど変化が無かったが,鮪Bは肉質が柔らかくなって全体に黒みがかっていた。また庫内の平均温度が8℃の冷蔵庫に入れて2日経過後には鮪Aはほとんど変化が無かったが,鮪Bは肉質かきわめて柔らかくなって腐敗状態になるとともに全体が黒くなったので廃棄し,また3日経過して鮪Aを冷蔵庫から取り出して食しても,食感,味覚において変化が無く,また色彩も解凍時と変わらなかった。
【0038】
図3は,冷凍鮪の大腸菌群を検出した公的機関の試験成績証明書である。
この供試体である鮪は,前記鮪Aと同様に,冷凍魚体そのものは異なるが,遠洋漁業で捕獲して急速冷凍したラウンドの鮪を陸揚げ時に機械的に切断し,自然放置により0℃にまで半解凍して包丁で切断した100gの刺身状のまぐろ肉を,発泡スチロールシートを底面に敷いた樹脂トレーに盛り付けし,軟質樹脂のパックに収納してガス処理装置に供給し,4torrの真空度で30秒間真空処理した後,直ちに70容積%の酸素ガスと30容積%の炭酸ガスとの混合ガスを充填して充満させ,密封して-60℃で急速冷凍し,1ケ月間経過後に検査協会に持ち込んだものである。
食品衛生法の「食品,添加物等の規格基準」の冷凍食品の項によれば,冷凍食品の成分規格として,「無加熱摂取冷凍食品(冷凍食品のうち製造し,又は加工した食品を凍結させたものであって,飲食に供する際に加熱を要しないとされているものをいう。以下この項においては同じ。)は,細菌数(生菌数)が検体1gにつき100,000以下で,かつ,大腸菌群が陰性でなければならない。この場合の細菌数(生菌数)の測定法及び大腸菌群試験法は,次のとおりとする。」と規定され,試験法が記載されている。
その試験法とおりに公的機関である財団法人食品環境検査協会で持ち込んだ前記供試体を試験したところ,細菌数が6500/gで,大腸菌群が陰性であり,冷凍食品として著しく優良であって,合格のものであった。」
3 本件特許に係るサポート要件の充足の有無について
(1) 前記2のとおり,本件特許の特許請求の範囲に記載された発明は,赤身魚類の魚肉を,本件特許に係る特許請求の範囲の請求項1に記載された一連の工程に付することにより,「消費者にそのままで提供できる形態に切断した赤身魚であっても,長期間経過しても鮮度,色合い,食慾などが変わることがなく,また冷凍した魚肉を解凍しても組織や細胞が分解したり変化,変性することがなく,また色素が変化しないので黒ずんだような変色をすることがなく,生の魚とほとんど同様の外観と食感を供することができ,しかも解凍後に平均10℃以下の冷蔵庫に長期間(3~5日程度)保存しておいても組織,細胞や色彩が変化したり変性することがなくて弾力性があって本来の色彩を有する肉質を維持するので,著しく商品価値の高いものにする」との課題を解決し得たとされるものである。
まず,本件特許発明が,発明の詳細な説明の記載内容にかかわらず,当業者が,出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものかどうかを検討するに,本件での全証拠を精査してもなお,本件特許発明につき,当業者が,その出願時の技術常識に照らし,赤身魚類の魚肉を上記一連の工程に付することにより,上記課題を解決できると認識できる範囲のものであると認めることはできない。
したがって,本件特許に係る特許請求の範囲の記載が明細書のサポート要件に適合するためには,特許請求の範囲に記載された発明が,発明の詳細な説明に記載された発明で,同発明の詳細な説明の記載により当業者が上記課題を解決できると認識できる範囲のものであることが必要である。
(2) 本件特許に係る明細書(甲36)の発明の詳細な説明には,赤身魚類の魚肉を上記一連の工程に付することにより上記のような課題を解決し得ることを明らかにするに足る理論的な説明の記載はない。
また,発明の詳細な説明において実施例とされる記載のうち,実施例1では,ガスの充填工程で用いる炭酸ガスと酸素ガスの比率につき,それぞれ「20~50容積%」,「50~80容積%」という範囲で表記するのみで,具体的な容積%を特定して開示しておらず,低温処理工程での温度と時間も,「5~10℃」で「30分~3時間」という範囲で表記するのみで,具体的な温度と時間を特定して開示しておらず,いずれも特許請求の範囲の記載を引き写したにすぎないとも解されるものである(段落【0017】及び【0020】参照)。そして,実施例2及び3では,ガスの充填工程及び低温処理工程に関する実施例1の上記記載を引用するのみであり(段落【0023】【0034】【0035】参照),実施例4では,ガスの充填工程に関しては,「70容積%の酸素ガスと30容積%の炭酸ガス」(図1,図3に関するもの)との記載があるものの,低温処理工程が実施されたとの記載はない(段落【0036】【0038】参照)。
そうすれば,上記発明の詳細な説明において実施例とされた記載のうち,実施例1ないし3は,ガスの充填工程及び低温処理工程のいずれについても,実際の実験結果を伴う実施例の記載とはいえず,実施例4についても,低温処理工程については,実際の実験結果を伴う実施例の記載であるとはいえず,実施例1ないし4以外に,実施例の記載と評価し得る記載もない。
このように,本件においては,前記一連の工程に該当する具体的な実験条件及び前記課題を解決したことを示す実験結果を伴う実施例の記載に基づき,前記課題が解決できることが明らかにされていない。
以上からすれば,特許請求の範囲に記載された本件特許発明は,明細書の発明の詳細な説明に記載された発明で,発明の詳細な説明の記載により当業者が前記課題を解決できると認識できる範囲のものではなく,明細書のサポート要件に適合するとはいえない。
(3) 原告は,本件特許発明の赤身魚類は,生身のものであり,色々な種類や条件によって異なるため,工業製品と同様なサポート要件を充たすことができず,先願主義下での出願であることをも考慮すれば,本件特許発明は,明細書の発明の詳細な説明に発明の課題が解決できる程度の記載はされており,サポート要件を充たすと解すべき旨主張する。
しかし,本件特許発明の赤身魚類が生身のものであって,かつ,本件特許の出願が先願主義下の出願であることを前提としても,ガスの充填工程で用いる炭酸ガスと酸素ガスの比率や,低温処理工程での温度と時間は,実験を行うに際して必然的に特定の数値に設定するものであり,かつ,その数値を明細書に記載すること自体に技術的困難性は全くない。
そして,これらの実際の数値を開示した実施例の記載のない明細書は,技術文献としての客観性を欠き,これに接した当業者は,特許請求の範囲に記載された発明が前記課題を解決できるものとは認識できないというべきである。
(4) このほか,原告は,本件特許発明の赤身魚類の処理方法は,所定の数値限定の範囲において,マグロが保存,食感,味覚,解凍時の色彩の点で効果を奏すること等が公的機関の証明書により証明されている旨主張する。
明細書において,「公的機関」への言及があるのは実施例4のみであることからすれば,原告の上記主張は,実施例4の記載に基づくものと解されるが,前記(2)のとおり,実施例4の魚肉については,低温処理工程が施されたとの記載がないため,同実施例の記載によって,本件特許発明の課題が解決されたことが示されているとみることはできない。
4 以上のとおり,本件特許は,特許法36条6項1号所定の明細書のサポート要件を充たしていないから,これと同旨の審決に誤りはなく,原告の請求は棄却を免れない。
(裁判長裁判官 塚原朋一 裁判官 東海林保 裁判官 矢口俊哉)