大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

知財高等裁判所 平成21年(行ケ)10336号 判決 2010年8月19日

原告

HOYA株式会社

同訴訟代理人弁理士

阿仁屋節雄

油井透

清野仁

福岡昌浩

奥山知洋

黒田博道

被告

特許庁長官

同指定代理人

森林克郎

小松徹三

廣瀬文雄

小林和男

主文

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第1請求

特許庁が不服2008-11993号事件について平成21年9月8日にした審決を取り消す。

第2事案の概要

本件は,原告が,名称を「累進屈折力レンズの製造方法」とする発明につき特許出願(特願2000-598890。国際特許出願PCT/JP00/00763)したところ,拒絶査定を受けたので,これを不服として審判請求をしたが,同発明は後出の引用例に記載された発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであり,特許法29条2項の規定により特許を受けることができないとして,請求不成立の審決を受けたことから,その審決の取消しを求める事案である。

1  特許庁における手続の経緯

原告は,平成12年2月10日,上記発明につき特許出願(国内優先権主張,平成11年2月12日)したが,平成20年4月3日に拒絶査定を受けたので,これを不服として,同年5月12日に審判請求をするとともに,平成21年8月3日に手続補正書(甲6)を提出した。

特許庁は,審理の結果,同年9月8日,本件審判請求は成り立たないとの審決をし,同月29日,その謄本を原告に送達した。

2  本願の特許請求の範囲

平成21年8月3日付け手続補正(甲6)により補正された特許請求の範囲の記載によれば,請求項1の発明は,次のとおりである(以下「本願発明」という。なお,請求項は1ないし4まで存在するが,請求項2ないし4に関する部分は,以下,省略する。)。

「眼鏡レンズの発注者側に設置された端末装置と,眼鏡レンズの加工者側に設置されているとともに前記端末装置に通信回線で接続された情報処理装置とを有し,前記発注者側の端末装置を通じて前記情報処理装置に送信される情報に基づいて累進屈折力レンズを設計して製造する累進屈折力レンズの製造方法において,

前記端末装置を通じて,眼鏡レンズ情報,眼鏡枠情報,眼鏡装用者の処方値,レイアウト情報,加工指定情報を含む情報の中から必要に応じて選択される,設計及び加工に必要なデータ情報を得る工程と,

前記設計及び加工に必要なデータ情報を得る工程の後の工程であって,前記工程で得られた情報に基づき個別の眼鏡装用者毎に最適化されたレンズ形状を設計する工程と,

前記個別の眼鏡装用者毎に最適化されたレンズ形状を設計する工程の後の工程であって,前記設計に基づいて加工条件を決定して,累進屈折力レンズを製造する工程とを有する累進屈折力レンズの製造方法であって,

前記設計に必要なデータ情報には,前記眼鏡装用者の処方値において,各眼鏡装用者のレンズの裏面の基準点から眼球の回旋中心までの距離VRを示す値であるVR値を含み,

前記VR値は,眼鏡装用時における前記レンズの裏面の基準点から眼鏡装用者の眼球の角膜頂点までの距離VCの値と,個別の眼鏡装用者毎に対応させて決定された値である,前記角膜頂点から眼球の回旋中心までの距離CRの値とを加えることによって得られる値であり,

更に,前記個別の眼鏡装用者毎に最適化されたレンズ形状の設計においては,前記累進屈折力レンズの累進部及び近用部の光学的レイアウトを決定する際に,このVR値を用いて,遠方視線から近方視線に輻輳するときの内寄せ量を設定し,この遠方視線から近方視線に輻輳するときの内寄せ量に基づき累進屈折力レンズを設計するものであることを特徴とする累進屈折力レンズの製造方法。」

3  審決の理由

審決は,本願発明は,特開平6-175088号公報(甲1。以下「引用例1」という。)に記載された発明(以下「引用発明」という。)並びに,「めがね工学」(小瀬輝次監修)共立出版株式会社[1988年10月5日](甲2。以下「引用例2」という。)及び特開平5-176891号公報(甲3。以下「引用例3」という。)に記載された各技術事項に基づいて当業者が容易に発明することができたものであるから,特許法29条2項の規定により特許を受けることができないと判断した。

審決が認定した引用発明等の内容,一致点及び相違点並びに容易想到性の判断内容は,次のとおりである(なお,以下において引用した審決中の当事者及び公知文献等の表記は,本判決の表記に統一した。)。

(1)  引用発明の内容

「眼鏡店100に設置された端末コンピュータ101と,レンズメーカの工場200に設置されているとともに前記端末コンピュータ101に通信回線300で接続されたメインフレーム201とを有し,前記眼鏡店に設置された端末コンピュータ101を通じて前記メインフレーム201に送信される情報に基づいて累進多焦点レンズを設計して製造する累進多焦点レンズの製造方法において,

前記端末コンピュータ101を通じて,レンズ情報,処方値,フレーム情報,レイアウト情報,レンズの加工指定値を含む情報の中から必要に応じて選択される,設計及び加工に必要なデータ情報を得る工程と,

前記設計及び加工に必要なデータ情報を得る工程の後の工程であって,前記工程で得られた情報に基づき,個別に研磨加工レンズの形状を設計する工程と,

前記個別に研磨加工レンズの形状を設計する工程の後の工程であって,前記設計に基づいて送られた演算結果に従い,レンズ裏面の曲面仕上げを行い,染色や表面処理が行われ,縁摺り加工前までの加工をする工程とを有する累進多焦点レンズの製造方法。」

(2)  引用発明と本願発明の一致点

「眼鏡レンズの発注者側に設置された端末装置と,眼鏡レンズの加工者側に設置されているとともに前記端末装置に通信回線で接続された情報処理装置とを有し,前記発注者側の端末装置を通じて前記情報処理装置に送信される情報に基づいて累進屈折力レンズを設計して製造する累進屈折力レンズの製造方法において,

前記端末装置を通じて,眼鏡レンズ情報,眼鏡枠情報,眼鏡装用者の処方値,レイアウト情報,加工指定情報を含む情報の中から必要に応じて選択される,設計及び加工に必要なデータ情報を得る工程と,

前記設計及び加工に必要なデータ情報を得る工程の後の工程であって,前記工程で得られた情報に基づき個別の眼鏡装用者毎に最適化されたレンズ形状を設計する工程と,

前記個別の眼鏡装用者毎に最適化されたレンズ形状を設計する工程の後の工程であって,前記設計に基づいて加工条件を決定して,累進屈折力レンズを製造する工程とを有する累進屈折力レンズの製造方法。」

(3)  引用発明と本願発明の相違点

ア 相違点1

「本願発明は,『設計に必要なデータ情報には,前記眼鏡装用者の処方値において,各眼鏡装用者のレンズの裏面の基準点から眼球の回旋中心までの距離VRを示す値であるVR値を含み,前記個別の眼鏡装用者毎に最適化されたレンズ形状の設計においては,前記累進屈折力レンズの累進部及び近用部の光学的レイアウトを決定する際に,このVR値を用いて,遠方視線から近方視線に輻輳するときの内寄せ量を設定し,この遠方視線から近方視線に輻輳するときの内寄せ量に基づき累進屈折力レンズを設計するものである』のに対して,引用発明においてはその点の特定がない点。」

イ 相違点2

「VR値について,本願発明においては,

『前記VR値は,眼鏡装用時における前記レンズの裏面の基準点から眼鏡装用者の眼球の角膜頂点までの距離VCの値と,個別の眼鏡装用者毎に対応させて決定された値である,前記角膜頂点から眼球の回旋中心までの距離CRの値とを加えることによって得られる値』と特定しているのに対し,引用発明においてはその点の特定がない点。」

(4)  引用例2の摘示事項

「ア 『D.レンズカーブの決定

チェルニングの楕円より求められるレンズは,一次の非点収差を0にするという目標にたいしては,ベストフォームレンズ(最良形状レンズ)であるが,これとは異なる目標を設定して,それに対してベストフォームを求める試みも幾つかあった.これらのレンズカーブは電子計算機を用いれば容易に得られるので,いろいろな設計思想によるベストフォームレンズが次から次へと発表されたものである.

しかし,このようなレンズは眼とレンズの間隔,物体の位置などをあらかじめ仮定して,その条件のもとでは最良の形状を備えているが,そうでない場合は必ずしもベストとはいい難い.米国で調査したところによると,めがねレンズの装着の仕方には,人によってかなりのバラツキがあり,図4.5に示すように,レンズの後面より角膜の頂点までの距離は8~22mmの範囲内に分布する.さらに,角膜の頂点より眼の回転中心までの距離は,従来13mmぐらいといわれていたが,最近は人々の体格が大きくなってきたので増大する傾向にあり,10~20mmの範囲にあるという.前述のチェルニングの楕円を求めるとき,レンズの後面より眼の回転中心までの距離を25mmと仮定したが,上記の分布状態を考慮に入れると,この距離は18~42mmの広い範囲内にあると思わなければならない.

したがって,実際にはベストフォームの与えるカーブを厳密に守ることは,あまり意味がないのである.むしろ,これは設計上の参考にとどめておいて,実際のカーブは予想される使用状態でのバラツキに対して,比較的安定性のあるものを選ぶのが賢明である.』(P.101~102)」

「キ 『多焦点レンズの場合,近用部の視野を有効に活かし,両眼の視野を一致させるために輻輳の程度に応じて近用部を幾何学的に偏心させる必要がある.この偏心量は近用距離と遠用PDで決まる.』(P.185)」

「サ P.183の図6.6の記載から,上記キに記載の偏心量は,遠用PD(瞳孔距離)と近用PDの差の半分の値であって,上記アに記載の『レンズの後面より眼の回転中心までの距離』に遠方視の視線と近方視の視線のなす角度の正弦値を乗じた値と等しいことは容易に読み取れる。」

(5)  相違点に関する容易想到性の判断

ア 相違点1について

「まず,引用例3の【0005】の記載から,引用例3には,遠方視から近方視に移行する際の輻輳角の変化について,

『あおり角度(輻輳角)θおよび眼幅補正量εは下記式から算出される。

θ=tan-1〔d/2(a+b+c)〕

ε=(a+b)tanθ

ただし,aは眼球回旋点から遠方視における角膜頂点までの距離,bは角膜頂点から測定用レンズユニットの回転中心までの距離(バーテックス),cは測定用レンズユニットの回転中心から近用視標までの距離(近業目的距離)であり,dは遠方視における瞳孔間距離である。』と記載されている。

そして,上記引用例3のaは眼球回旋点から遠方視における角膜頂点までの距離,bは角膜頂点から測定用レンズユニットの回転中心までの距離(バーテックス)としたときの,a+bの値が,本願発明の「各眼鏡装用者のレンズの裏面の基準点から眼球の回旋中心までの距離VRを示す値であるVR値」に相当するものであり,また,上記引用例3の輻輳補正量εが本願発明の内寄せ量に相当することは明らかであるから,引用例3には上記a+b(本願発明のVR値)を用いて,輻輳補正量εを求める点,すなわち,本願発明における「このVR値を用いて,内寄せ量を設定する』ことが記載されているといえる。

また,上記引用例2の摘事事項サの記載からも読み取れるように,引用例2の図6.6の記載から,遠方視線から近方視線に輻輳するときの内寄せ量(偏心量)は,VR値(レンズの後面より眼の回転中心までの距離)に遠方視の視線と近方視の視線のなす角度の正弦値を乗じた値で求まる。また,上記引用例2の摘事事項キから,内寄せ量は,近用距離と遠用PDで決まるので,前記近用距離と遠用PDから,遠方視の視線と近方視の視線のなす角度が求められることも明らかである。してみれば,遠方視線から近方視線に輻輳するときの内寄せ量をVR値を用いて設計することは,上記引用例2の図6.6の記載から当業者が容易に想到し得る事項である。

してみれば,内寄せ量の設定が,VR値を用いてなすことができることは,上記の引用例3の記載,及び,引用例2の記載から,当業者が容易に想定し得る技術常識ともいえる事項である。

そして,上記引用例2の摘事事項アの記載から,VR値(レンズの後面より眼の回転中心までの距離)は,18~42mmの広い範囲内あり,個人差が大きいといえるから,上記の遠方視線から近方視線に輻輳するときの内寄せ量をVR値を用いて設計する際に用いるVR値を処方値に含ませて用いることは,当業者が容易に想到し得ることである。」

イ 相違点2について

「上記相違点2については,引用例2の摘事事項アで記載された,引用例2の図4.5の記載からも明らかなように,当然の事項を記載したものに過ぎない。すなわち,相違点2は相違点1において前提とされたものであり,相違点1の検討において既に検討済みのものである。」

(6)  むすび

「以上より,本願発明は,引用例1ないし3に記載された発明に基いて当業者が容易に発明をすることができたものであるから,特許法29条2項の規定により特許を受けることができない。」

第3原告主張の取消事由

審決は,次に述べるとおり,認定及び判断に誤りがあるから,取り消されるべきである。

1  取消事由1(引用発明の認定の誤り)

(1)  前記第2の3(1)に記載された審決における引用発明の認定,特に,引用発明の「前記設計及び加工に必要なデータ情報を得る工程の後の工程であって,前記工程で得られた情報に基づき,個別に研磨レンズの形状を設計する工程」が,引用例1のどこに記載されているかが不明である。

(2)  前記第2の3(4) に記載された引用例2の「サ」については,引用例2の表6.4では,遠用PDに一定距離の幅があるにもかかわらず偏心量は一定となっており,偏心量は遠用PDと近用PDの差の半分となっていないことから,上記「サ」の「偏心量は,遠用PD(瞳孔距離)と近用PDの差の半分」との認定は誤りである。

2  取消事由2(引用発明と本願発明の一致点・相違点の認定の誤り)

(1)  本願発明の「累進屈折力レンズ」は,焦点が連続的に変化するレンズであり,いわゆる「境目のない遠近両用レンズ」が相当する。これに対して,引用例1には「累進多焦点レンズ」なる記載(段落【0034】及び【0039】)があるものの,定義も何も記載されておらず,この「累進多焦点レンズ」が本願発明の「累進屈折力レンズ」と一致するは否かが不明である。

(2)  引用発明の「前記設計及び加工に必要なデータ情報を得る工程の後の工程であって,前記工程で得られた情報に基づき,個別に研磨レンズの形状を設計する工程」と本願発明の「前記設計及び加工に必要なデータ情報を得る工程の後の工程であって前記工程で得られた情報に基づき個別の眼鏡装用者毎に最適化されたレンズ形状を設計する工程」は,異なる工程であり,加工に必要なデータ情報も異なるから,上記両工程を一致点とした審決の認定は誤りであり,この点は,引用発明との相違点(相違点3)とすべきである。なぜなら,本願発明では,個々人毎のVR値をレンズの曲面自体の設計の因子にする点が最大の特徴点の1つとして詳細に説明されているのに対し,引用発明では,既存の情報から該当するものを選定するものであって,「個別の眼鏡装用者毎に最適化された」ものとはいえないからである。

(3)  引用発明の「前記設計に基づいて送られた演算結果に従い,レンズ裏面の曲面仕上げを行い,染色や表面処理が行われ,縁刷り加工前までの加工をする工程」と本願発明の「前記個別の眼鏡装用者毎に最適化されたレンズ形状を設計する工程の後の工程であって,前記設計に基づいて加工条件を決定して,累進屈折力レンズを製造する工程」とは,異なる工程であり,加工条件も異なるから,上記両工程を一致点とした認定は誤りであり,この点は,引用発明との相違点(相違点4)とすべきである。なぜなら,引用発明における「個別に研磨加工レンズの形状を設計する工程」と本願発明における「個別の眼鏡装用者毎に最適化されたレンズ形状を設計する工程」とは異なるものなので,それに基づいて製造される工程も異なるものとなるからである。

3  取消事由3(相違点1の判断の誤り)

前記第2の3(5) アの相違点1に関する審決の判断は,次の理由により,明らかに誤りである。

(1)  本願の発明者は,レンズのVR値と装用者のVR値とが異なっていた場合であっても,レンズ凹面側への視線角度が比較的小さい場合,すなわち光学中心からの距離が短い場合(例えば2.9mm程度まで)には,度数誤差が少ないことから,装用者を問わずVR値一定としていた従来の眼鏡の設計に対して,レンズのVR値と装用者のVR値とが異なっていた場合には,だんだん光学中心位置から離れ,視線角度が大きくなり,視線がレンズの周縁部に変化していくにつれて,大きい度数誤差が発生していることに着目し,レンズのVR値と装用者のVR値とを一致させるようにレンズの設計を行うことを考えた。

すなわち,本願発明は,従来個々人によって異なるVR値がレンズ設計に無関係な数値であるとされていたものを,個々人によって異なるVR値を眼鏡レンズの設計に取り入れることを考え,レンズのVR値と装用者のVR値とを一致させるように「個別の眼鏡装用者毎に最適化されたレンズ形状の設計」を行うことを課題としたものである。このような課題は,引用例1ないし3のいずれにも開示されていないだけでなく,示唆もない。

(2)  「引用例3の眼幅補正量ε」は,自覚式検眼装置の左右の測定レンズユニットの移動量(補正量)であるのに対して,本願発明の「内寄せ量」は,繰り返し行われるシミュレーションの結果得られるものであり,「累進多焦点レンズ」の屈折面に設定された「主注視線」上の「近用光学中心」と「主子午線」との距離であるので,両者は全く無関係な量である。

すなわち,引用例3の「眼幅補正量ε」は,距離の要素のみで単純に計算されるものである。一方,本願発明の「内寄せ量」は,光線追跡計算を用いた繰り返し処理の結果得られる数値である。光線追跡計算を用いた繰り返し処理によって「内寄せ量」を導き出す原因は,レンズ形状が内寄せ量に影響を与えるからである。この点,距離の要素のみで単純に計算される「偏心量」とは大きく異なる。

また,「内寄せ量」を導くためには,遠用度数(ベースカーブ),近用目的距離・加入度,瞳孔間距離の3種類の情報を用いる。

すなわち,「内寄せ量」を導くために,遠用度数(ベースカーブ)を考慮としてレンズ度数を用いている。この点,引用例3の「眼幅補正量ε」は,「瞳孔間距離を考慮」によって計算されているものである。

以上により,本願発明の「内寄せ量」と引用例3の「眼幅補正量ε」とは,異なるものである。

(3)  引用例2には,「多焦点レンズの場合,近用部の視線を有効に活かし,両眼の視野を一致させるために輻輳の程度に応じて近用部を幾何学的に偏心させる必要がある。この偏心量は,近用距離と遠用PDで決まる。」と記載されているだけであり,この「偏心量」が具体的にどのような値であるかについては直接の記載がない。したがって,引用例2の記載のみでは,そもそも「偏心量」自体が不明であって,「VR値に遠方視の視線と近方視の視線のなす角度の正弦値を乗じた値で求まる」値であるかどうかも不明であり,まして,これが「内寄せ量」と同じであるかどうかは全く不明である。

そうでないとしても,引用例2は,眼鏡フレームへのレンズ装着時の位置決めに関する技術であり,本願発明のようなレンズ設計に関する技術でないために,レンズ設計に必要とされる「内寄せ量」なる概念が存在しないものである。

すなわち,引用例2で「偏心量」を用いているのは,レンズ自体の設計のためでは全くなく,既に出来上がったレンズ(縁摺りが未加工の丸型レンズ)を枠(フレーム)にはめ込む形状に加工(縁摺り加工)する際に,光学中心等の位置が枠のどの位置に配置されるようにすべきかを決める,いわゆるレイアウトを行うためであるので,レンズ自体の設計に関する本願発明をなんら示唆するものでないことは当業者にとっては自明のことである。

これに対し,本願発明の「内寄せ量」は,屈折力(度数)が連続的に変化し,レンズ面が「非球面」である「累進屈折力レンズ」において用いられる概念である。つまり,視線の通過する位置がわずかでも違っただけで,光線の曲がり量が度数の違いに応じて変化してしまうレンズに用いられる概念である。このように,両者は全く異なる概念である。

(4)  本願発明のように個別の眼鏡装用者ごとのVR値を眼鏡レンズ設計の因子として用いて眼鏡レンズを設計することは,従来の眼鏡レンズ設計の発想では全く考えられなかった画期的な発想であり,この発想は,「VR値は,個人差が大きい」ことが分かったゆえになされたものではない。

従来において,「VR値は,個人差が大きい」ことが自明のこととして認識されていたにもかかわらず,個別の眼鏡装用者ごとのVR値を用いずに固定値を用いていたのは,老視眼者用に使用される累進屈折力レンズにおいて,遠方視の状態から手元の物体を見るために近方視する際の上方から下方の視線の動きを表す内寄せ量等を含むVR値が変動しても,累進帯域及び近用部のレンズ設計に大きな影響が出るとは全く考えられていなかったからである。

したがって,「VR値は,18~42mmの広い範囲内あり,個人差が大きいといえる」としても,このことをもって直ちに,「内寄せ量をVR値を用いて設計する際に用いるVR値を処方値に含ませて用いることは,当業者が容易に想到し得ることである。」ということはできないし,「VR値の個人差をレンズ設計に反映させるとすることに阻害要因は認められない。」ということもできないから,審決の判断は誤りである。

4  取消事由4(相違点2の判断の誤り)

本願発明は,個別のVRの値として,個別に測定可能なVCの値とCRの値との和の値を用いることにより,実際に実現可能としたものである。

前記取消事由3において検討したとおり,個別VR値を用いる発想自体が画期的であるので,「個別VR値」として,測定可能な「VCの値」と「個別のCRの値」との和の値を用いて実際に実現可能とした点も当然の事項とはいえない。

したがって,相違点2に関する審決の判断も誤りである。

第4被告の主張

次のとおり,審決の認定判断には誤りはなく,原告主張の取消事由はいずれも理由がない。

1  取消事由1(引用発明の認定の誤り)に対して

(1) 原告の主張(1) に対して

「前記設計及び加工に必要なデータ情報を得る工程の後の工程であって,前記工程で得られた情報に基づき,個別に研磨加工レンズの形状を設計する工程」は,段落【0032】の「レンズ情報,処方値,フレーム情報等のデータが,公衆通信回線を介して送られると,眼鏡レンズ受注システムプログラムを経て眼鏡レンズ加工設計プログラムが起動し,レンズ加工設計演算が行われる。」,段落【0036】の「これにより,縁摺り加工前のレンズの全体形状が決定する。」に記載されている。

段落【0032】の「眼鏡レンズ加工設計プログラムが起動し,レンズ加工設計演算が行われる」工程が引用発明の「設計する工程」であり,段落【0032】の上記の記載から,「設計する工程」が「前記設計及び加工に必要なデータ情報を得る工程の後の工程」であること,及び,設計が「前記工程で得られた情報に基づき」成されていることは明らかである。段落【0032】の「眼鏡レンズ加工設計プログラムが起動し,レンズ加工設計演算が行われ」た後に段落【0038】に記載されているように「レンズ研磨加工」が行われる。そして,その研磨加工が行われるレンズを,「研磨加工レンズ」と称している。

その他の事項についても,すべて引用例1に記載されており,審決における発明の認定に誤りはない。

(2)  原告の主張(2) に対して

前記第2の3(4) に記載された引用例2のキの記載から,「偏心量」は,「両眼の視野を一致させるために輻輳の程度に応じて近用部を幾何学的に偏心させる」量であるから,遠用視の視線から近用視の視線へ視線を移動した場合における輻輳により,レンズ上での左右の各視線の水平方向の移動距離のことであり,これは「遠用PD(瞳孔距離)と近用PDの差の半分」であることは,引用例2の図6.6から明らかである。

一方で,原告は,引用例2の「表6.4」を挙げて,偏心量は遠用PDと近用PDの差の半分になっていない旨を主張する。

しかし,審決では,引用例2の「表6.4」を引用していない。引用例2の「サ」の「偏心量は,遠用PD(瞳孔距離)と近用PDの差の半分」の記載における「近用PD」は,後記第5の1(3) ウに記載された引用例2の「近くをみるとき視軸とレンズが交わる点」の間の距離であって,図6.6の図面上の近用PDであり,実際の人の眼の回旋による輻輳量が,表6.4に記載されたような離散値で表されるものではなく,連続値で表される値であることは明らかである。

2  取消事由2(引用発明と本願発明の一致点・相違点の認定の誤り)に対して

(1)  原告の主張(1) に対して

本願明細書においては,後記第5の1(1) の段落【0065】及び【0068】には「累進多焦点レンズ」の記載があり,また,実施例にも「累進多焦点レンズ」について記載されているばかりか,例えば,段落【0082】と段落【0086】とを対比すると,同じ「図20-1,図20-2,図20-3」に示されるレンズを「累進多焦点レンズ」とも「累進屈折力レンズ」とも称していて,両者に区別はないものといえる。

さらに,本願の出願後に発行された刊行物ではあるが,例えば,高橋文男「屈折力レンズ-最近の進歩-」,あたらしい眼科Vol.21,No.11(株式会社メディカル葵出版)2004(平成16年)11月30日発行(乙3。以下「乙3文献」という。)の記載からも,一般に「累進多焦点レンズ」と「累進屈折力レンズ」は,同じレンズを指しているといえる。すなわち,「累進多焦点レンズ」と「累進屈折力レンズ」とは,一般に,区別なく用いられている。

よって,引用例1に記載の「累進多焦点レンズ」についても,「累進屈折力レンズ」と区別されるものではなく,本願発明の「累進屈折力レンズ」に相当するものである。すなわち,審決の対比において引用発明の「累進多焦点レンズ」が本願発明の「累進屈折力レンズ」に相当するとした点に誤りはない。

(2)  原告主張(2) 及び(3) に対して

引用発明の「前記設計及び加工に必要なデータ情報を得る工程の後の工程であって,前記工程で得られた情報に基づき,個別に研磨加工レンズの形状を設計する工程」における「研磨加工レンズの形状を設計する工程」には,「累進多焦点レンズ」(累進屈折力レンズ)の「レンズの裏面(後面)加工」が含まれ,それは,レンズの曲面の形状を含めた「研磨加工レンズの形状」を設計する工程であるといえる。

そして,「前記工程で得られた情報」である「レンズ情報,処方値,フレーム情報,レイアウト情報,レンズの加工指定値を含む情報の中から必要に応じて選択される,設計及び加工に必要なデータ情報」に基づき,「個別に研磨加工レンズの形状を設計する工程」であるから,「個別の眼鏡装用者毎」に「レンズの形状を設計する工程」であることは明らかである。また,上記の「レンズ情報,処方値,フレーム情報,レイアウト情報,レンズの加工指定値」は,個別の眼鏡装用者毎に対応した,当該眼鏡装用者にとって最も適した情報であることは明らかであるから,その情報に基づいて設計されたレンズ形状は,「個別の眼鏡装用者毎に最適化された」レンズ形状であるといえる。したがって,審決において,引用発明の「前記設計及び加工に必要なデータ情報を得る工程の後の工程であって,前記工程で得られた情報に基づき,個別に研磨加工レンズの形状を設計する工程」が,本願発明の「前記個別の眼鏡装用者毎に最適化されたレンズ形状を設計する工程の後の工程であって,前記設計に基づいて加工条件を決定して,累進屈折力レンズを製造する工程」に相当するとし,「前記個別の眼鏡装用者毎に最適化されたレンズ形状を設計する工程の後の工程であって,前記設計に基づいて加工条件を決定して,累進屈折力レンズを製造する工程」を一致点としたことに誤りはない。したがって,原告の主張(1) 及び(2) はいずれも失当である。

3  取消事由3(相違点1の判断の誤り)に対して

(1)  原告の主張(1) に対して

本願発明は,レンズ形状の設計については「前記個別の眼鏡装用者毎に最適化されたレンズ形状の設計においては,前記累進屈折力レンズの累進部及び近用部の光学的レイアウトを決定する際に,このVR値を用いて,遠方視線から近方視線に輻輳するときの内寄せ量を設定し,この遠方視線から近方視線に輻輳するときの内寄せ量に基づき累進屈折力レンズを設計する」ものである。すなわち,本願発明においては,レンズ形状の設計について,「内寄せ量」を設定するために(個々の)「VR値」が用いられるものであり,「累進屈折力レンズ」の設計は,「内寄せ量」に基づいて行われるものであると特定されているのみである。そして,VR値を用いた内寄せ量の具体的な設定のしかた(求め方)については特定されているものではない。そうであるならば,本願発明の特定事項によっては,「内寄せ量を設定するための個々のVR値」は「視線がレンズの周縁に変化していくにつれて発生する度数誤差」を解消するという課題と結びつくものではない。

また,後記第5の1(1) の本願明細書の各記載からすれば,VR値に関連する「内寄せ量」と,VR値に関連する「視線がレンズの周縁に変化していくにつれて発生する度数誤差」については,別個のパラレルな関係にあり,VR値に基づいて「内寄せ量」を設定することにより,「視線がレンズの周縁に変化していくにつれて発生する度数誤差」についての課題を解消したとは記載されていない。したがって,本願発明の課題の相違に関する原告の主張はその根拠が不明である。

(2)  原告の主張(2) に対して

「内寄せ量」については,本願発明において「遠方視から近方視に輻輳するときの内寄せ量」とのみ記載されており,「内寄せ量」が「繰り返し行われるシミュレーションの結果得られる数値」であるとは記載されていない。また,本願明細書の発明の詳細な説明においても,「繰り返し行われるシミュレーションの結果得られる数値」であることが「内寄せ量」の定義として記載されているわけではなく,むしろ,後記第5の1(1) の段落【0072】において,「内寄せ量」について,「この近用部の内寄せ量は,正面遠方を見ているときの視線のレンズ第1通過点(例えば,累進多焦点レンズの主子午線上の点)を基準にして,基本累進屈折面上に設定される近用部の内側への寄せ量であり,累進多焦点レンズの主子午線から近用光学中心までの水平方向の距離である」と説明されているから,「内寄せ量」を「繰り返し行われるシミュレーションの結果得られる数値」あるいは「光線追跡計算を用いた繰り返し処理の結果得られる数値」であると認定する必要はないことが明らかである。

また,上記のように,「内寄せ量」については,「遠方視線から近方視線に輻輳するときの」量としてのみ特定されているものであり,原告が主張するような「内寄せ量は光線追跡計算によって導き出される数値」であると特定する必要はないことから,光線追跡の手法を用いずに求めた視線が通過する眼鏡レンズ表面上の位置が示す量(偏心量)を,本願発明の「遠方視線から近方視線に輻輳するときの内寄せ量」とすることを排除するものではない。

したがって,本願発明の「内寄せ量」と引用例3の「眼幅補正量ε」とは異なるとする原告の主張は失当である。

(3)  原告の主張(3) に対して

前記第2の3(4) の引用例2のキの記載における「偏心量」は,多焦点レンズにおいて「輻輳の程度に応じて近用部を幾何学的に偏心させる」量であるから,レンズ上での遠用視線から近用視線に移動させる水平方向の距離ということができ,これは,まさしく本願発明の「遠方視から近方視に輻輳するときの内寄せ量」に他ならない。そして,この値が,VR値に遠方視の視線と近方視の視線のなす水平方向の角度の正弦値を乗じた値と同じであることは,引用例2の図6.6から明らかである。したがって,原告の主張は失当である。

(4)  原告の主張(4) に対して

この点に関する原告の主張は,本願明細書の発明の詳細な説明の記載と矛盾する主張である。後記第5の1(1) の段落【0017】には「本発明者等が,VR値の個人差を調査し,また,最近開発された光線追跡法等のシミュレーション方法等を駆使して研究したところ,VR値の個人差は意外に大きく,また,そのレンズ性能への影響も予想以上に大きいことが判明した。」と記載されている。なお,段落【0016】には,「VR値が,個人,個人で異なる値であることは知られているが」と記載されているが,「VR値の個人差」がレンズ設計に影響を与える程度に「大きい」ものであることが知られていると記載されているわけではない。以上のとおり,原告の主張は,本願明細書の記載と一貫しておらず,失当である。

そもそも本願発明は,個別の「VR値」を用いて「内寄せ量」を設定し,「内寄せ量」に基づいて「累進屈折力レンズ」の設計を行うことを特定したものにすぎないところ,後記第5の1(3) アのとおり,引用例2には「めがねレンズの装着の仕方には,人によってかなりのバラツキがあり,図4.5に示すように,レンズの後面より角膜の頂点までの距離は8~22mmの範囲内に分布する.さらに,角膜の頂点より眼の回転中心までの距離は,従来13mmぐらいといわれていたが,最近は人々の体格が大きくなってきたので増大する傾向にあり,10~20mmの範囲にあるという.前述のチェルニングの楕円を求めるとき,レンズの後面より眼の回転中心までの距離を25mmと仮定したが,上記の分布状態を考慮に入れると,この距離は18~42mmの広い範囲内にあると思わなければならない.」と記載されているのであるから,「レンズの後面より眼の回転中心までの距離」である「VR値」を処方値に含ませて,個人ごとの「VR値」から,幾何学的関係に基づいて求められた「内寄せ量」を「累進屈折力レンズ」の設計に採用することは容易に想到し得ることは明らかである。

4  取消事由4(相違点2の判断の誤り)に対して

VR値がCR値とVC値の和で表されることは,幾何学的関係から当然のことである。原告は,「個別VR値を用いること自体が画期的であるので,「個別VR値」として,測定可能な「VCの値」と「個別のCRの値」との和の値を用いて実際に実現可能とした点も当然の事項とはいえない」と主張するが,「個別VR値」を用いることが容易であることは,上記3(4) 等で述べたとおりであるから,相違点2に関する審決の判断に誤りはない。

第5当裁判所の判断

1  本願明細書及び各引用例の内容

(1)  本願明細書の内容

証拠(甲4,5)によれば,本願明細書には次の記載がある。

「【技術分野】

本発明は,眼球回旋中心と眼鏡レンズとの距離を眼鏡装用者個別に考慮して設計製造した眼鏡レンズ及びその製造方法に関する。」(段落【0001】)

「【背景技術】

眼鏡レンズは,単焦点レンズ,多焦点レンズ(累進多焦点レンズも含む)等異なる光学特性を備えているにもかかわらず一定の平均的使用条件に基づき設計されるのが一般的であるが,個々の使用条件を考慮した例としては,特開平6ー18823号公報に開示の方法が知られている。該公報には,個々の使用条件を考慮した累進多焦点レンズが提案されており,処方面に点対称及び軸対象性を伴わない非球面を使用することが開示されている。なお,ここでいう使用条件とは,眼鏡レンズの裏面(目側の面)と角膜頂点との距離やフレームの傾き等であり,これらの情報をレンズ設計に使用して処方面の最適化をはかろうとするものである。」(段落【0002】)

「しかしながら,前記公報に開示の手法は,遠用部と近用部とその中間部とを有し,遠用及び近用の両方の処方面を有する累進多焦点レンズにおける最適化を目的とするものであり,特に累進多焦点レンズのような老視眼における近用の調節力を補う処方を有する眼鏡レンズの場合での使用条件の重要性を考慮したものである。即ち,累進多焦点レンズは補正処方の条件を決定する一因である近業目的距離の正確な調整が特に必要とされるからである。従って,この公報開示の手法は,近用処方の正確性を強調するに留まり,球面設計のレンズや非球面単焦点レンズ,二重焦点レンズ等の場合についての眼鏡としての全般的な装用条件について言及するものではない。」(段落【0003】)

「本発明は,上述の背景のもとでなされたものであり,従来注目されなかった眼鏡レンズ全体における装用条件について,再度見直すとともに個々の装用条件を考慮してより最適化された処方面を有する眼鏡レンズ及びその製造方法を提供することを目的とするものである。」(段落【0004】)

「本発明は,眼鏡レンズ設計に必要なデータの1つである眼鏡装用時における眼鏡レンズの裏面の基準点から眼球の回旋中心までの距離VRの値として,眼鏡装用者個々人毎に求めた値を用いて眼鏡レンズ設計を行い,その設計仕様に基づいて製造することにより,より高性能な眼鏡レンズを得ることを可能にしているものである。」(段落【0015】)

「従来の考え方は,VR値は,標準の値を用いれば十分であり,VR値の個人差がレンズ性能に与える影響はほとんど無視できるものと考えられていた。すなわち,上述の特開平6-018823号公報に示すように,従来の技術では,眼球回旋中心から角膜頂点までの距離として標準的な値を使用して眼鏡レンズを設計,製造していた。しかし,この標準距離に基づいて求めたVR値は,個人,個人で異なる値であることが知られているが,その差異がどのように光学的影響に,つまり眼鏡レンズのレンズ設計では影響があるのかについては正確に熟知および検証されていなかったのが実情である。即ち,眼鏡レンズの光学面には種々の設計方法があり,そこの設計の最適化が中心であって,その設計毎のVR値の影響の検証やシミュレーションを行うことまでは考えられなかった。また。当然のようにその値をどのように設計・製造にフィードバックしなければならないかさえも十分には検討されていなかった。」(段落【0016】)

「本発明者等が,VR値の個人差を調査し,また,最近開発された光線追跡法等のシミュレーション方法等を駆使して研究したところ,VR値の個人差は意外に大きく,また,そのレンズ性能への影響も予想以上に大きいことが判明した。この研究結果に基づき,共通の基本仕様のレンズについて,VR値の個人差を考慮したレンズとそうでないレンズとを実際に設計製造しての性能を比較した結果,従来の予測をはるかに越える結果が得られた。」(段落【0017】)

「すなわち,標準的なVR値に基づいて設計,製造された眼鏡レンズを標準的なVR値とは異なるVR値を持った個人に使用した場合の眼鏡レンズの光学性能は大きく異なり,補正をする必要量まで及ぶことがつきとめられた。具体的には,単焦点非球面レンズの収差,バイフォーカルレンズ,多焦点レンズの左右の眼鏡レンズ遠用部頂点屈折力が異なる場合の小玉高さの配置,累進屈折力レンズの近用部寄せ量(内寄せ量),近用部高さに関する光学的レイアウトに関する影響等である。本発明は,この解明結果に基づいてなされたものである。」(段落【0018】)

「ここで,VRの値として,眼鏡装用時における眼鏡レンズの裏面の基準点から眼鏡装用者の眼球の角膜頂点までの距離VCの値と該角膜頂点から眼球の回旋中心までの距離CRの値との和の値を用いることができる。」(段落【0019】)

「図1において,符号1は眼鏡店の店頭(発注者側)であり,符号2は眼鏡の加工業者(加工者側)である。この実施の形態の眼鏡レンズ製造方法は,眼鏡店の店頭(発注者側)1に設置された端末装置を通じて加工業者(加工者側)2に設置された情報処理装置に送信される情報に基づいて眼鏡レンズ3を設計して製造するものである。」(段落【0032】)

「すなわち,前記端末装置を通じて,眼鏡レンズ情報,眼鏡枠情報及び眼鏡装用者毎のVR値の関連データを含む処方値,レイアウト情報,並びに,加工指定情報を含む情報の中から必要に応じて選択される設計及び/又は加工条件データ情報を前記情報処理装置に送信される。前記情報処理装置は,これらの情報を処理して,シミュレーションされた装用条件の光学モデルに基づき最適化されたレンズ形状を得て,加工条件を決定し,眼鏡レンズを製造するものである。以下,これらの工程を詳細に説明する。」(段落【0033】)

「(処方データ及びレンズデータの作成)

眼鏡店において,眼鏡装用者の処方データ及びレンズデータの作成がなされる。まず,本実施の形態の特徴である個々人のVR値(処方データの1つ)を求めるために,CR測定装置を使用して顧客毎の左眼,右眼のCR値をそれぞれ測定する。‥‥。」(段落【0034】)

「次に,顧客の眼科医からの検眼データ(球面度数,乱視度数,乱視軸,プリズム値,基底方向,加入度数,遠用PD,近用PD等),もしくは必要とあればその検眼データに基づき,眼鏡店に設置検眼機器を使用して再度処方の確認を行う。そして,レンズの種類(単焦点(球面,非球面),多焦点(二重焦点,累進)等)及び度数やレンズの材質種類(ガラス種,プラスチック種),表面処理の選択(染色加工,耐磨耗コート(ハ-ドコート),反射防止膜,紫外線防止等)の指定や中心厚,コバ厚,プリズム,偏心等を含めたレンズ加工指定データ及びレイアウト指定データ(例えば,二重焦点レンズの小玉位置の指定や内寄せ量等)を顧客との対話方式のもとに決定し,レンズデータを作成する。‥‥。」(段落【0035】)

「(フレームデータの作成)

次に,フレームデータの作成がなされる。‥‥。」(段落【0036】)

「次に,実際,顧客の頭部形状やレンズデータ,フレームの形状特性,装用条件等を考慮し,フレーム傾斜角を決定し,角膜頂点とレンズ凹面との距離(VC値)を決定する。このVC値と上記求めたCR値との和からVR値を求める。」(段落【0038】)

「(パソコンによる眼鏡店とレンズメーカとの情報通信)

次に,眼鏡店では店頭に設置してあるパソコン(端末)を用いてレンズメーカーのホストコンピュータとの間で情報通信を行う。‥‥。VR値を含む各種の情報が発注画面を通じてホストコンピュータに送られる。」(段落【0039】)

「(設計及び製造)

工場側(加工者側)においては,ホストコンピュータが上記端末から送られた各種の情報を入力して演算処理し,レンズ設計のシミュレーションを行なう。‥‥。」(段落【0040】)

「そして,これらのデータからレンズ設計のための装用時の光学モデルが総合的にシミュレーションされる。図4は眼鏡装用の光学モデルの説明図であり,光学モデルの概略を側方から部分的に示した図である。図4に示されるように,フレームの前傾角を想定して,眼前にレンズが配置される。その場合,VR値は眼球1の回旋中心点Rから角膜11の頂点Cまでの距離,即ち,CR値と角膜頂点Cからレンズ2の裏面21の基準点V(直線CRの延長線とレンズ裏面21との交点)までの距離(VC値)とを加えたものである。特に,近年の体格的向上や個々人の骨格の相異,眼部の形状相異,フレームの大型化,多様化等の影響の要因も加えると,VR値は一般的に約15ミリから44ミリぐらいの範囲と想定され,相当幅があることが調査によって判明した。なお,図4においてOは,眼軸と網膜との交点を示す。」(段落【0042】)

「次いで,コンピュータによるレンズ設計プログラムの計算により最適化計算が行われ,凹面,凸面の面形状及びレンズ肉厚が決定され,処方レンズが決定される。‥‥。」(段落【0043】)

「以下,レンズ設計プログラムで行われる基本的内容を説明する。この内容は単焦点レンズの場合と多焦点レンズの場合とで多少異なる。しかし,いずれの場合も,以下の点で基本的考え方は同じである。」(段落【0050】)

「すなわち,まず,最初に採用候補としてのレンズ曲面形状を選び,そのレンズの光学特性を光線追跡法等を用いて求める。次に,そのレンズ曲面形状に対して所定の規則に基づいて曲面を異ならしめたレンズ曲面形状を次の候補として選び,そのレンズの光学特性を同様に光線追跡法等を用いて求める。そして,両者の光学特性を所定の方法で評価し,その結果に基づいて次の候補をあげるか又はその候補を採用するかを決める。候補たるレンズ曲面形状が採用決定に至るまで上記工程を次々と繰り返していわゆる最適化を行う。なお,ここで,上記光線追跡法の実行の際に適用する眼鏡装用の光学モデルのVR値として個人について求めた値を用いる。」(段落【0051】)

「次に,累進多焦点レンズの場合を説明する。累進多焦点レンズの設計も基本的には単焦点レンズと同じであるが,その構造上から,異なる点もある。以下,図19ないし図25を参照にしながら近用部のレイアウトの内寄せ量を決定(補正)する方法を中心に説明する。」(段落【0065】)

「累進多焦点レンズは遠方視のための遠用部と近方視のための近用部とその遠用部と近用部を滑らかにつなぐ中間視のための累進部とから構成されている。レンズ設計上,一般的に遠用部及び近用部は球面設計が採用され(但し,非球面設計もある),累進部は非球面設計が採用される。従って,端的には設計上は,前述の単焦点レンズの球面設計と非球面設計を組み合わせた面といえる。」(段落【0066】)

「また,累進多焦点レンズは老視用のレンズであるので,VRの相違により,最も顕著に影響を受けるのは累進部から近用部であり,本実施例ではその近用部を中心にそのレイアウト状態について説明する。」(段落【0067】)

「まず,本実施例で基本となる累進多焦点レンズの設計部分について説明する。‥‥。」(段落【0068】)

「本実施例の累進多焦点レンズは所定の光学設計思想に基づきレンズ設計され,その基本累進屈折面は,レンズ設計プログラムにおいては,所定の数式で関数化された面として設定してあり,処方度数等の所定の形状決定要素パラメータを入力することにより処方レンズ面が設定できるようになっている。‥‥。」(段落【0069】)

「また,この基本累進屈折面は,遠用部,累進部,近用部のレンズ全面にわたって度数分布を決定することにより,レンズ面が設定される。そして,その度数分布を決定する要素としては,遠用部のベースカーブ値,加入度数,遠用部及び近用部の水平方向度数分布,遠用部,近用部,累進部のレイアウト,累進帯度数変化分布,主子午線または主注視線の配置,非点収差分布の配置,平均度数分布の配置等がある。そして,個々の設計思想に基づき,これらの要素に重み付けを加えたり,変化させたりすることによって,所定の累進屈折面が設定される。‥‥。」(段落【0070】)

「そして,このようなある所定の設計思想に基づき創生された累進多焦点レンズは,その処方の度数に応じて複数のベースカーブ(D)(例えば2~8カーブ)からなる基本累進屈折面があらかじめ用意されている。さらに,各々には,標準的な近用部内寄せ量INSET0が初期値(例えば2.5mm)として設定されている。」(段落【0071】)

「この近用部の内寄せ量は,正面遠方を見ているときの視線のレンズ第1面通過点(例えば,累進多焦点レンズの主子午線上の点)を基準にして,基本累進屈折面上に設定される近用部の内側への寄せ量であり,累進多焦点レンズの主子午線から近用光学中心までの水平方向の距離である(図25参照)。」(段落【0072】)

「上記複数のベースカーブの中から処方の度数に対応した所定のベースカーブ(例えば,SPH+3.00ディオプターでADD2.00の場合は7カーブ)の基本累進屈折面を選択し,この基本累進屈折面の近用部に初期値のINSET0を設定する。」(段落【0073】)

「次に,この基本累進屈折面を第1面とし,レンズのもう一方の面として,このレンズが処方通りの度数(プリズム処方を必要とする場合はプリズムを含む)を満足するようなレンズ第2面の形状と位置(第1面に対する光軸上での相対位置)とをレンズ設計プログラムを使用して求める。」(段落【0074】)

「この時に好ましくは,フレーム枠形状とフレームの種類,フレームに対するレンズのレイアウトからこのレンズの厚さを最も薄くするようなレンズ第2面を設定する。今日,このような最適肉厚を有するレンズ第2面を求める方法は眼鏡業界ではそのレンズ受注システムで実施され公知技術(例えば,特開昭59-55411,HOYA METSシステムなど)であるので本実施例ではその説明は省略する。」(段落【0075】)

「次に,基準となるレンズの凹面と凸面との両面の形状と位置が求められたので,このレンズに対して光線追跡法を用いて,近用部の視線の位置を求める。

その場合,図3に示すように,近用部の内寄せ量を正確に求めるため,所定の近方の物体距離(近業目的距離:目的とする近方の作業距離)と左右眼との位置,本件発明の個別の装用者毎に測定して得られたVR値,遠用PD,フレームデータ,フレーム前傾角を基に装用状態での仮の光学モデルを設定し,光線追跡計算を行う。」(段落【0076】)

「即ち,前記光学モデルに基づき実際に左右眼が近方の物体を同一視しているときの視線がレンズ第1面を通過する点の位置をシミュレーションにより求め,次にその位置における,遠方視線から近方視線に輻輳するときの内寄せ量である水平方向成分(INSET1:レンズの主子午線から近用中心までの水平距離)を求める。」(段落【0077】)

「次に,基本累進屈折面に設定されていた初期値内寄せ量INSET0と,ここで求められた第1の内寄せ量INSET1が等しいかどうかを判定する。INSET0とINSET1が等しくない場合には,初期値として与えられていたINSET0の値をINSET1の値に置き換える。そして,図19のフローチャートに示すように,再度,基本累進屈折面の近用部に新たに置き換えられた内寄せ量(INSET1)を設定し直し,近用部の光学的レイアウトが変化した新たなる累進面でシミュレーションを行い,前述の処理を繰り返す。」(段落【0078】)

「一般的に,最初の光線追跡で内寄せ量が決定されることはまれである。これは,VR値の変化により光学モデルが変化し,装用状態でのレンズ上の視線位置と処方の度数やプリズムによって近方の物体を見る時のレンズ上での視線位置が大きく変化するからである。図24は,INSET0とINSET1との視線のずれを説明する図で,実際にレンズを通過して近方物体に向かう視線はレンズによって屈折するため,標準的な内寄せ量として設定したINSET0とは異なる位置を視線が通過するためである。」(段落【0079】)

「即ち,内寄せ量を変化させることにより近用部の光学的レイアウトがかわり,それに対応して,累進部,遠用部も変化して,基本累進設計面は維持されつつ,新たなる累進屈折面が創り出されていくことになるので,そこにおいて,近方の視線が所定の近方物体距離に通過できるように光学条件を満足させるまで,好適な内寄せ量を探し,最適化を行っていく。そして,INSET(n-1)=INSET(n)となったところでこの繰り返し処理(最適化)を終了して,最終的な処方レンズとしての累進屈折面とレンズ第2面が決定する。」(段落【0080】)

「図20-1,図20-2,図20-3は,標準的な値としてVR=27.0mmを条件として与えたときの,累進多焦点レンズの加入屈折力2.00Dの累進屈折面の設計例である。」(段落【0082】)

「これら,図20-1,図20-2,図20-3の近用部付近の非点収差と平均屈折力の分布を見ると遠用部屈折力(DF)の違いによって近用部の配置が変化していることがわかる。遠用部屈折力(DF)の-3.00D,0.00D,+3.00Dの違いに従って,順に近用部の内寄せ量が徐々に増加している。この違いは,遠用部屈折力(DF)の違いによって主として累進屈折力レンズの近用部のプリズム作用が異なるためである。」(段落【0086】)

「尚,これは左右眼のレンズに応じて行うことが好ましい。また,この方法は,同様に,バイフォーカルの近用部の光学的レイアウト(小玉の高さ,左右位置等)を決定し,処方レンズを決定する場合にも使用できる。即ち,図26で示すようにバイフォーカルレイアウトブロックの近用の小玉部分は,境界線で区切られているので,上述の累進多焦点レンズの例と同様に近用部の位置を調整する。」(段落【0094】)

「(レンズ製造)

次に,注文により前記処方レンズの受注が決定したら,その加工データが作成される。この加工データはレンズ加工プログラムに基づき作成され,加工装置の加工条件を決定したり,駆動を制御したり,加工ツールの選択,レンズ素材の選択の指示等を行い,加工指示書の発行と加工装置へ加工データが工場の各製造装置に送信される。」(段落【0103】)

「そして,製造現場では,加工指示書に基づきレンズブランクが選択され,NC切削装置で切削,研摩のレンズ加工が行われる。‥‥。」(段落【0104】)

「次に,前記円形のレンズは所定のフレーム形状に対応させて,眼鏡レイアウト情報に基づき縁ずりのヤゲン加工が実施される。‥‥。」(段落【0105】)

「‥‥。このようにしてヤゲンレンズが製造され,工場では,検査工程を経て,眼鏡店に出荷される。眼鏡店では,このヤゲンレンズを選択された眼鏡フレームに枠入れを行い,眼鏡を組み立てる。‥‥。」(段落【0106】)

「以上詳述したように,本発明は,眼鏡レンズ設計に必要なデータの1つである眼鏡装用時における眼鏡レンズの裏面の基準点から眼鏡装用者の眼球の角膜頂点までの距離VCの値と前記角膜頂点から眼球の回旋中心までの距離CRとを加えた,眼鏡レンズの裏面の基準点から眼球の回旋中心までの距離VRの値を,個別の眼鏡装用者毎に測定して求め,その値を用いて眼鏡レンズ設計を行い,その設計仕様に基づいて製造するようにしたことによって,個々人のVR値(VC+CR)に合わせたより高性能な眼鏡レンズを設計,製造することが可能となった。」(段落【0108】)

【図1】

file_2.jpgSemis【図4】

file_3.jpg6=7L-AD mE【図25】

file_4.jpgmses(2)  引用例1の内容

証拠(甲1)によれば,引用例1には次の記載がある。

「【産業上の利用分野】 本発明は,被加工レンズを眼鏡レンズ枠に嵌合させるべく周縁加工を行う眼鏡レンズ加工装置及び加工方法に関し,特に被加工レンズを本装置の所定加工位置に保持した際に生じる被加工レンズの傾きに起因する加工データのずれを補正するようにした眼鏡レンズ加工装置及びその加工方法に関する。」(段落【0001】)

「【実施例】 以下,本発明の実施例を図面に基づいて説明する。図2は,本発明の眼鏡レンズ加工装置を含む眼鏡レンズの供給システムの全体構成図である。発注側である眼鏡店100とレンズ加工側であるレンズメーカの工場200とは公衆通信回線300で接続されている。‥‥。」(段落【0010】)

「眼鏡店100には,オンライン用の端末コンピュータ101およびフレーム形状測定器102が設置される。端末コンピュータ101はキーボード入力装置やCRT画面表示装置を備えるとともに,公衆通信回線300に接続されている。端末コンピュータ101へは,フレーム形状測定器102から眼鏡フレーム実測値が入力されて演算処理が行われるとともに,キーボード入力装置から眼鏡レンズ情報,処方値等が入力される。そして,端末コンピュータ101の出力データは,公衆通信回線300を介して工場200のメインフレーム201にオンラインで転送される。」(段落【0011】)

「メインフレーム201は眼鏡レンズ加工設計プログラム,ヤゲン加工設計プログラム等を備え,入力されたデータに基づき,ヤゲン形状を含めたレンズ形状を演算し,その演算結果を,公衆通信回線300を介して端末コンピュータ101に戻して画面表示装置に表示させるとともに,その演算結果を工場200の各端末コンピュータ210,220,230,240,250にLAN202を介して送るようにする。」(段落【0012】)

「端末コンピュータ210には,荒擦り機(カーブジェネレータ)211と砂掛け研磨機212とが接続され,端末コンピュータ210は,メインフレーム201から送られた演算結果に従い,荒擦り機211と砂掛け研磨機212とを制御して,予め前面が加工されたレンズの裏面(後面)の曲面仕上げを行う。」(段落【0013】)

「以上のような構成のシステムにおいて眼鏡レンズが供給されるまでの処理の流れを,以下,図3~図5を参照して説明する。‥‥。」(段落【0018】)

「‥‥。〔S1〕眼鏡店100の端末コンピュータ101のレンズ注文問い合わせ処理プログラムが起動され,オーダエントリ画面が画面表示装置に表示される。眼鏡店100のオペレータは,オーダエントリ画面を見ながら,キーボード入力装置により,注文あるいは問い合わせの対象となるレンズの種類の指定を行う。」(段落【0019】)

「〔S2〕レンズのカラーの指定を行う。〔S3〕レンズの処方値,レンズの加工指定値,眼鏡フレームの情報,レイアウト情報,ヤゲンモード,ヤゲン位置およびヤゲン形状を入力する。レイアウト情報は,レンズ上の瞳孔位置であるアイポイント位置を指定するものである。」(段落【0021】)

「以上のステップの実行によって得られたレンズ情報,処方値,フレーム情報等のデータが,公衆通信回線を介して工場200のメインフレーム201に送られる。…。」(段落【0030】)

「〔S11〕工場200のメインフレーム201には眼鏡レンズ受注システムプログラム,眼鏡レンズ加工設計プログラム,およびヤゲン加工設計プログラムが備えられている。レンズ情報,処方値,フレーム情報等のデータが,公衆通信回線を介して送られると,眼鏡レンズ受注システムプログラムを経て眼鏡レンズ加工設計プログラムが起動し,レンズ加工設計演算が行われる。」(段落【0032】)

「まず,フレームの形状情報,処方値,およびレイアウト情報に基づき,指定レンズの外径が不足していないかを確認する。‥‥。」(段落【0033】)

「レンズの外径に不足が出なければ,レンズの表カーブの決定を行う。‥‥。ここでいう表カーブは必要に応じて,非球面単焦点レンズでは2次,4次の非球面で近似表現され,累進多焦点レンズでは各方向毎に2次,4次の非球面で近似表現されている。」(段落【0034】)

「つぎにレンズの厚さの決定を行う。通常,レンズの外径は処方値により決まっているため,その外径と標準のコバの厚さと処方値とによってレンズの厚さは決定される。また,レンズの厚さを必要最小限の値にする加工指定が設定されている場合には,眼鏡枠形状情報とレイアウト情報と処方値とにより,フレーム各方向の動径毎に全周のコバの厚さを調べて,指定に沿ったレンズの厚さを決定する。」(段落【0035】)

「レンズの厚さが決まったら,レンズの裏カーブ,プリズム,プリズムベース方向を算出し,これにより,縁摺り加工前のレンズの全体形状が決定する。‥‥。」(段落【0036】)

「全周のコバの厚さに不足がなければ,レンズ重量,最大および最小のコバ厚さとそれらの方向等を算出する。そして,レンズの裏面(後面)加工のために必要となる,工場200の端末コンピュータ210に対する指示値を算出する。」(段落【0037】)

「以上の演算は,端末コンピュータ210,荒擦り機211,および砂掛け研磨機212によって,縁摺り加工前のレンズ研磨加工が行われる場合に必要なものであり,算出された種々の値が次のステップに渡される。」(段落【0038】)

「図5は,工場200で行われるレンズ裏面の研磨加工,レンズの縁摺り加工,ヤゲン加工等の実際の工程を示すフローチャートである。‥‥。」(段落【0051】)

「〔S18〕‥‥予め,ステップS11でのレンズ加工設計演算結果が図2の端末コンピュータ210に送られており,荒擦り機211と砂掛け研磨機212とにより,送られた演算結果に従い,レンズ裏面の曲面仕上げを行う。さらに,図示がない装置により,染色や表面処理が行われ,縁摺り加工前までの加工が行われる。なお,在庫レンズが指定されたときは,このステップはスキップされる。」(段落【0052】)

【図2】

file_5.jpg200%(3)  引用例2の内容

証拠(甲2)によれば,引用例2には次の記載がある。

ア 「D.レンズカーブの決定

チェルニングの楕円より求められるレンズは,一次の非点収差を0にするという目標にたいしては,ベストフォームレンズ(最良形状レンズ)であるが,これとは異なる目標を設定して,それに対してベストフォームを求める試みも幾つかあった.これらのレンズカーブは電子計算機を用いれば容易に得られるので,いろいろな設計思想によるベストフォームレンズが次から次へと発表されたものである.

しかし,このようなレンズは眼とレンズの間隔,物体の位置などをあらかじめ仮定して,その条件のもとでは最良の形状を備えているが,そうでない場合は必ずしもベストとはいい難い.米国で調査したところによると,めがねレンズの装着の仕方には,人によってかなりのバラツキがあり,図4.5に示すように,レンズの後面より角膜の頂点までの距離は8~22mmの範囲内に分布する.さらに,角膜の頂点より眼の回転中心までの距離は,従来13mmぐらいといわれていたが,最近は人々の体格が大きくなってきたので増大する傾向にあり,10~20mmの範囲にあるという.前述のチェルニングの楕円を求めるとき,レンズの後面より眼の回転中心までの距離を25mmと仮定したが,上記の分布状態を考慮に入れると,この距離は18~42mmの広い範囲内にあると思わなければならない.

したがって,実際にはベストフォームの与えるカーブを厳密に守ることは,あまり意味がないのである.むしろ,これは設計上の参考にとどめておいて,実際のカーブは予想される使用状態でのバラツキに対して,比較的安定性のあるものを選ぶのが賢明である.」(101頁3行ないし102頁2行)

イ 「6.1 めがねの設計

A.装用値(処方箋)

自覚的な検査や他覚的な検査を行って,総合的な判断の上で測定された数値は処方箋に記入される.処方箋に記載されている項目には,次のようなものがある.まず,瞳孔距離といわれるもので,両眼を遠い物点に向けたときの瞳孔中心の間隔を測定する.これを遠用PDという.読書などの近業の場合には両眼は輻輳するので,瞳孔距離が短くなる.これが近用PDといわれ,近用めがねや多焦点レンズを用いる場合には必要なものである.」(170頁1行ないし8行)

ウ 「G.瞳位置の設定

前フィッティングの調整が行われた後に,瞳位置の調整をする.この瞳位置(光学的心取り点)は,瞳孔距離PDを合わせることと,光学的心取り点の高さを決めることが必要である.‥‥.

瞳位置の設定は,遠用めがねと近用めがねとは違った所に定めることが,光学的条件を満たす意味から重要なことである.図6.5は瞳位置の高さ(垂直方向)が主注視方向によって異なることを示している.図6.6は瞳の間隔,すなわち瞳孔距離(水平方向)は近方視する場合には,小さくする必要が生じていることを表している.図6.5と図6.6から

a)遠用めがねの場合 ‥‥.

b)近用めがねの場合 近くを見るときは,視軸とレンズの交わる点が,輻湊により遠くを見る場合よりも短くなる.この値を近用PDという.….

c)多焦点レンズ使用めがねの近用部 多焦点レンズの場合,近用部の視野を有効に活かし,両眼の視野を一致させるために輻輳の程度に応じて近用部を幾何学的に偏心させる必要がある.この偏心量は近用距離と遠用PDで決まる.表6.4に近用PDの幾何学的輻湊の量を示す.」(182頁10行ないし185頁4行)

file_6.jpgmo get sD Town MOA SA(4)  引用例3の内容

証拠(甲3)によれば,引用例3には次の記載がある。

「【産業上の利用分野】 本発明は近用測定にも使用される検眼装置のあおり装置及びあおり方法に関する。」(段落【0001】)

「【従来の技術】 一般に,検眼装置で検眼する場合に,測定用レンズの光軸は被測定者の視軸に常時合っている必要がある。一方,自覚式検眼装置を用いて,遠方視の眼屈折力を測定した後で,近方視の眼屈折力を測定するために被測定者が近用視標を見た場合,被測定者の眼の視軸はほぼ0度の輻輳角状態から,ある輻輳角(例えば5度)を有した状態に変化する。そのため,近方視の眼屈折力を測定する場合には,測定用レンズを回転させて(あおって)測定用レンズの光軸を被測定者の視軸に合わせる機能が検眼装置に必要となる。(段落【 0002】)」

「このため,従来,所定の距離に置かれた近用視標を見る場合の被測定者の眼の輻輳角を算出し,測定用レンズをその輻輳角に合わせて回転させ(あおり),さらに平行移動して測定用レンズの光軸を被測定者の視軸と一致させるようにした検眼装置が,例えば実開平1-98601号公報にて知られている。」(段落【0003】)

「図12は,上記従来装置における測定用レンズのあおり方法を説明する平面図である。まず,被測定者の眼121a,121bの遠方視における瞳孔間距離122に,左右の測定レンズユニット123a,123b内の測定レンズの間隔を一致させる。そして,図12(A)に示すように,予め計算されたあおり角度(輻輳角)θに従って,左右の測定レンズユニット123a,123bを測定レンズを中心に矢印124方向にあおる(図では測定レンズユニット123aのみを,あおっている)。つぎに,図12(B)に示すように,予め計算された眼幅補正量εに従って測定用レンズユニット123a,123bをライン126に沿って矢印125方向に移動して(図では測定レンズユニット123aのみの移動を示す),測定レンズの光軸を被測定の眼の視軸に一致させている。」(段落【0004】)

「上記あおり角度(輻輳角)θおよび眼幅補正量εは下記式から算出される。

θ=tan-1〔d/2(a+b+c)〕

ε=(a+b)tanθ

ただし,aは眼球回旋点から遠方視における角膜頂点までの距離,bは角膜頂点から測定用レンズユニットの回転中心までの距離(バーテックス),cは測定用レンズユニットの回転中心から近用視標までの距離(近業目的距離)であり,dは遠方視における瞳孔間距離である。」(段落【0005】)

【図12】

file_7.jpg(BD2  取消事由1(引用発明の認定の誤り)について

(1)  原告の主張(1) について

引用例1に記載された発明は,前記1(2) のとおり,累進多焦点レンズについての設計及び加工を含むものであり,段落【0032】ないし【0036】を参照すれば,発注側から,眼鏡レンズ情報,処方値等のデータを入力する工程の後,前記データに基づき,レンズ加工設計演算によって,レンズの表カーブ,レンズの裏カーブ等を算出して,縁摺り加工前のレンズの全体形状を決定することが記載されているから,「前記設計及び加工に必要なデータ情報を得る工程の後の工程であって,前記工程で得られた情報に基づき,個別に研磨レンズの形状を設計する工程」が記載されているということができる。

また,段落【0019】,【0021】及び【0030】に記載された工程は,「前記端末コンピュータを通じて,レンズ情報,処方値,フレーム情報,レイアウト情報,レンズの加工指定値を含む情報の中から必要に応じて選択される,設計及び加工に必要なデータ情報を得る工程」ということができ,さらに,段落【0051】及び【0052】に記載された工程は,「前記個別に研磨加工レンズの形状を設計する工程の後の工程であって,前記設計に基づいて送られた演算結果に従い,レンズ裏面の曲面仕上げを行い,染色や表面処理が行われ,縁摺り加工前までの加工をする工程」ということができるから,以上を総合すれば,引用例1には,審決が認定した引用発明が記載されていると認めることができる。

したがって,審決における引用発明の認定に誤りはない。

(2)  原告の主張(2) について

前記第2の3(4) キ及び前記1(3) の引用例2のウの記載から,「偏心量」は,「両眼の視野を一致させるために輻輳の程度に応じて近用部を幾何学的に偏心させる」量であるから,輻輳の程度に応じて連続的に変化する値であり,引用例2の「表6.4」に例示された,距離に幅がある遠用PD範囲における代表値と比較することに,技術的な意味は認められない。そうすると,この偏心量が遠用PDと近用PDの差の「半分」であることは,引用例2の図6.6から認められるというべきであるから,この点に関する原告の主張は失当である。

3  取消事由2(引用発明と本願発明の一致点・相違点の認定の誤り)について

(1)  原告の主張(1) について

本願明細書には,「累進多焦点レンズ」について,前記1(1) の段落【0065】において,「次に,累進多少点レンズの場合を説明する。‥‥。」と記載され,段落【0066】には「累進多焦点レンズは遠方視のための遠用部と近方視のための近用部とその遠用部と近用部を滑らかにつなぐ中間視のための累進部とから構成されている。」と記載されているものの,「累進屈折力レンズ」の技術的意義については記載されていない。また,「図20-1,図20-2,図20-3は,‥‥累進多焦点レンズの加入屈折力2.00Dの累進屈折面の設計例である。」(段落【0082】),「これら,図20-1,図20-2,図20-3の近用部付近の非点収差と平均屈折力の分布を見ると‥‥。‥‥この違いは,遠用部屈折力(DF)の違いによって主として累進屈折力レンズの近用部のプリズム作用が異なるためである。」(段落【0086】)と記載されており,本願発明の実施例に係る「図20-1,図20-2,図20-3」に関し,「累進屈折力レンズ」と「累進多焦点レンズ」の名称が混在して使用されている。これらのことから,本願発明における「累進屈折力レンズ」は,「累進多焦点レンズ」と同義の技術用語と解される。

一方,引用例1には,「累進多焦点レンズ」について定義されていないから,その技術的意義は,眼鏡レンズの技術分野における技術常識に基づいて解釈するのが相当である。

そうすると,引用例1に記載された「累進多焦点レンズ」は,本願発明の「累進多焦点レンズ」に相当するものであり,「累進屈折力レンズ」と同義の技術用語と認められる。したがって,引用例1に記載された「累進多焦点レンズ」が本願発明の「累進屈折力レンズ」に相当するとした審決の認定に誤りはない。

なお,乙3文献には,「なお,従来“累進焦点レンズ”ともよばれていたが,2000年に発行されたJIS規格“眼鏡レンズの用語(JIST7330)”で“累進屈折力レンズ”が正式名称となっている。」(1455頁左欄15ないし18行)と記載されており,平成12年のJIS規格において「累進屈折力レンズ」の名称が「累進焦点レンズ」の正式名称とされていることからも,眼鏡レンズの技術分野において,「累進焦点レンズ」,すなわち「累進多焦点レンズ」が「累進屈折力レンズ」と同義の技術用語であることが裏付けられているというべきである。

(2)  原告の主張(2) 及び(3) について

引用例1には,前記1(2) のとおり,発注側から送られる眼鏡レンズ情報,フレームの形状情報,処方値及びレイアウト情報に基づいてレンズ加工設計演算を行い,レンズの表カーブ,レンズの裏カーブ等を算出して,縁摺り加工前のレンズの全体形状を決定することが記載されており,前記眼鏡レンズ情報,フレームの形状情報,処方値,及びレイアウト情報は,発注側である眼鏡店において,眼鏡装用者ごとに設定されたデータであるから,それらのデータに基づいて決定される縁摺り加工前のレンズの全体形状は,「個別の眼鏡装用者毎に最適化されたレンズ形状」にほかならない。

また,引用発明は,前記2のとおり,「前記設計及び加工に必要なデータ情報を得る工程の後の工程であって,前記工程で得られた情報に基づき個別の眼鏡装用者毎に最適化されたレンズ形状を設計する工程」,及び「前記個別に研磨加工レンズの形状を設計する工程の後の工程であって,前記設計に基づいて送られた演算結果に従い,レンズ裏面の曲面仕上げを行い,染色や表面処理が行われ,縁摺り加工前までの加工をする工程」を有し,縁摺り加工前のレンズの全体形状は,「個別の眼鏡装用者毎に最適化されたレンズ形状」ということができるのであるから,「前記設計及び加工に必要なデータ情報を得る工程の後の工程であって,前記工程で得られた情報に基づき個別の眼鏡装用者毎に最適化されたレンズ形状を設計する工程」,及び「前記個別の眼鏡装用者毎に最適化されたレンズ形状を設計する工程の後の工程であって,前記設計に基づいて加工条件を決定して,累進屈折力レンズを製造する工程」を本願発明と引用発明との一致点とした審決の認定に誤りはないというべきである。

4  取消事由3(相違点1の判断の誤り)について

(1)  本願発明の「内寄せ量」の技術的意義について

本願発明には,「累進屈折力レンズの累進部及び近用部の光学的レイアウトを決定する際に,このVR値を用いて,遠方視線から近方視線に輻輳するときの内寄せ量を設定し,この遠方視線から近方視線に輻輳するときの内寄せ量に基づき累進屈折力レンズを設計するもの」であり,「VR値」は,「各眼鏡装用者のレンズの裏面の基準点から眼球の回旋中心までの距離VRを示す値」であることが特定されている。

また,前記1(1) のとおり,本願明細書には,累進屈折力レンズの「内寄せ量」について,「レンズ設計上,一般的に遠用部及び近用部は球面設計が採用され(但し,非球面設計もある),累進部は非球面設計が採用される。」(段落【0066】),「この近用部の内寄せ量は,正面遠方を見ているときの視線のレンズ第1面通過点(例えば,累進多焦点レンズの主子午線上の点)を基準にして,基本累進屈折面上に設定される近用部の内側への寄せ量であり,累進多焦点レンズの主子午線から近用光学中心までの水平方向の距離である。」(段落【0072】),「即ち,前記光学モデルに基づき実際に左右眼が近方の物体を同一視しているときの視線がレンズ第1面を通過する点の位置をシミュレーションにより求め,次にその位置における,遠方視線から近方視線に輻輳するときの内寄せ量である水平方向成分(INSET1:レンズの主子午線から近用中心までの水平距離)を求める。」(段落【0077】)と記載されており,さらに,累進屈折力レンズの「内寄せ量」を求める方法に関連して,「この方法は,同様に,バイフォーカルの近用部の光学的レイアウト(小玉の高さ,左右位置等)を決定し,処方レンズを決定する場合にも使用できる。即ち,図26で示すようにバイフォーカルレイアウトブロックの近用の小玉部分は,境界線で区切られているので,上述の累進多焦点レンズの例と同様に近用部の位置を調整する。」(段落【0094】)と記載されている。

これらのことから,本願発明の「内寄せ量」は,球面設計が採用される累進屈折力レンズの近用部や,バイフォーカルレンズ(二重焦点レンズ)等の多焦点レンズの近用部の光学的レイアウトにおいても用いられる概念であり,遠方視線から近方視線に輻輳した視線が通過する位置に設定されるレンズ近用部の,遠方視線方向から内側への寄せ量であり,レンズの主子午線から近用部の光学中心までの水平方向の距離ということができる。

(2)  「内寄せ量」と引用例における「偏心量」との関係について

引用例2における「偏心量」については,前記1(3) の記載から,図6.6を参照すれば,眼鏡の設計において,遠方視から近方視に輻輳する場合,瞳孔間の距離が短くなるため,多焦点レンズの場合,輻輳の程度に応じて近用部を幾何学的に偏心させる必要があること,また,近用部を偏心させる距離(偏心量)は,遠方視の視線がレンズと交わる点と近方視の視線がレンズと交わる点との水平方向距離であり,遠方視から近方視に輻輳する場合の,多焦点レンズの主子午線から近用部の中心(光学的心取り点)までの水平方向距離であることが理解できる。

そして,上記「偏心量」は,近用距離と遠用PDが特定されれば,幾何学的に求めることができ,レンズ裏面から眼球回旋点までの距離が大きくなれば偏心量が大きくなり,レンズ裏面から眼球回旋点までの距離が小さくなれば偏心量が小さくなること,すなわち,「偏心量」はレンズ裏面から眼球回旋点までの距離に依存する値であることは,図6.6から自明である。

また,「偏心量」を幾何学的に求めることができることは,前記1(4) のとおり,引用例3に,所定の距離に置かれた近用視標を見る場合に,レンズの光軸を被測定者の視軸と一致させるための眼幅補正量εが,眼球回旋点から遠方視における角膜頂点までの距離a,角膜頂点から測定用レンズユニットの回転中心までの距離b,測定用レンズユニットの回転中心から近用視標までの距離c,遠方視における瞳孔間距離dに基づいて算出できることが記載されていることによっても裏付けられている。そうすると,引用例2に記載された「偏心量」は,その技術的意義から,本願発明における,遠方視線から近方視線に輻輳するときの「内寄せ量」に相当するものと認められる。なお,引用例2における,レンズ裏面から眼球回旋点までの距離が,本願発明における「VR値」に相当することは,その定義から明らかである。

(3)  この点について,原告は,本願発明の「内寄せ量」は,繰り返し行われるシミュレーションの結果得られる,あるいは光線追跡計算を用いた繰り返し処理によって導き出すものである旨主張する。

しかしながら,本願発明には,「内寄せ量」が,繰り返し処理の結果得られるものであることは特定されておらず,また,本願発明の「内寄せ量」の技術的意義は,前記(1) のように認定することができるから,「内寄せ量」が,光線追跡計算を用いた繰り返し処理によって導き出されたものである必然性はないというべきである。また,本願発明の「内寄せ量」が,光線追跡計算を用いた繰り返し処理によって導き出された数値に限定されるものではないことは,本願明細書に,光線追跡計算を用いた繰り返し処理(段落【0071】ないし【0080】)は,「近用部のレイアウトの内寄せ量を決定(補正)する方法」(段落【0065】)であって,「近用部の内寄せ量を正確に求めるため」(段落【0076】)に行う処理であることが記載されていることによっても裏付けられているというべきである。

(4)  また,原告は,「引用例3の眼幅補正量ε」は,自覚式検眼装置の左右の測定レンズユニットの移動量(補正量)であり,本願発明の「内寄せ量」とは異なった概念である旨主張する。

しかしながら,「内寄せ量」は,光線追跡計算を用いた繰り返し処理によって導き出された「内寄せ量」に限定されるものではないことは,前記のとおりである。

確かに,引用例3に記載された技術は,検眼装置において,測定用レンズの光軸を被測定者の視軸と一致させるためのあおり方法に係る技術であり,眼鏡の設計に係る技術ではあるものの,レンズの「内寄せ量」に係る技術とはいえないが,幾何学的にみれば,「眼幅補正量ε」は,前記(2) のとおり,所定の距離に置かれた近用視標を見る場合に,レンズの光軸を被測定者の視軸と一致させるための補正量であり,眼鏡レンズにおいて,遠方視から近方視に輻輳する場合の「内寄せ量」に等しい値である。

したがって,引用例3に記載された事項は,引用例2に記載された事項とともに,レンズの裏面の基準点から眼球の回旋中心までの距離,すなわち「VR値」を用いて「内寄せ量」を求めることが,「当業者が容易に想定し得る技術常識」といえることを裏付けるものということができる。

なお,原告は,「内寄せ量」を導くためには,「遠用度数(ベースカーブ)を考慮」,すなわちレンズ度数を用いるのに対し,「眼幅補正量ε」は,「瞳孔間距離を考慮」,すなわち距離の要素のみで単純に計算されるものであるから,本願発明の「内寄せ量」と引用例3の「眼幅補正量ε」とは異なる旨主張する。しかし,原告の主張によっても,「内寄せ量」の設定に当たって考慮すべき要素として,瞳孔間距離等の距離の要素があることは明らかであり,「内寄せ量」として,距離の要素によって計算された値を用いることを排除しているとはいえないから,この点に関する原告の主張は失当である。

(5)  次に,原告は,引用例2は眼鏡フレームへのレンズ装着時の位置決めに関する技術であり,本願発明のようなレンズ設計に関する技術でないために,レンズ設計に必要とされる「内寄せ量」なる概念が存在しない旨主張する。

しかしながら,「内寄せ量」の技術的意義は,前記(1) のとおり,遠方視線から近方視線に輻輳した視線が通過する位置に設定されるレンズ近用部の,遠方視線方向から内側への寄せ量であり,眼鏡装用時を前提とした値であるから,レンズ設計における近用部の光学的レイアウトに限らず,眼鏡フレームへのレンズ装着時の位置決めにおいても該当する概念であると認められる。

したがって,引用例2が,眼鏡フレームへのレンズ装着時の位置決めに関する技術であるからといって,引用例2に「内寄せ量」の概念が存在しないとはいえない。

したがって,この点に関する原告の主張も失当である。

(6)  さらに,原告は,本願発明の「内寄せ量」は,屈折力(度数)が連続的に変化し,レンズ面が「非球面」である「累進屈折力レンズ」において用いられる概念,すなわち,視線の通過する位置がわずかでも違っただけで,光線の曲がり量が度数の違いに応じて変化してしまうレンズに用いられる概念であるとも主張する。

しかしながら,前記(1) のとおり,本願明細書では,「内寄せ量」の用語が,レンズ設計上,一般的に球面設計が採用される累進屈折力レンズの近用部の光学的レイアウトにおいて定義されており,また,累進屈折力レンズだけでなく,バイフォーカルレンズ(二重焦点レンズ)等の多焦点レンズの近用部の光学的レイアウトにおいても該当する概念であることが示唆されている。したがって,本願発明の「内寄せ量」が,レンズ面が「非球面」である「累進屈折力レンズ」においてのみ用いられる概念であるということはできない。

(7)  最後に,原告は,本願発明の課題を強調し,「VR値」の変動がレンズの光学中心から離れるに従って度数誤差として増幅されていき,それが光学補正を必要とする程度にまで及ぶことに気づいたことを,本願発明に至った動機として主張するが,本願発明には,「累進屈折力レンズの累進部及び近用部の光学的レイアウトを決定する際に,このVR値を用いて,遠方視線から近方視線に輻輳するときの内寄せ量を設定」することは特定されているものの,VR値の変動がレンズの光学中心から離れるに従って度数誤差として増幅されて行き,それが光学補正を必要とする程度にまで及ぶという課題を解決するための構成については特定されておらず,仮に原告が課題をそのように認識していたとしても,本願発明に特定された事項に関連しない課題であるといわざるを得ない。

また,原告は,本願発明のように個別の眼鏡装用者ごとのVR値を眼鏡レンズ設計の因子として用いて眼鏡レンズを設計することは,従来の眼鏡レンズ設計の発想では全く考えられなかった画期的な発想であり,老視眼者用に使用される累進屈折力レンズにおいて,遠方視の状態から手元の物体を見るために近方視する際の上方から下方の視線の動きを表す内寄せ量等を含むVR値が変動しても,累進帯域及び近用部のレンズ設計に大きな影響が出るとは全く考えられていなかった旨主張する。

しかしながら,前記(2) のとおり,累進屈折力レンズにおいて,「内寄せ量」は,レンズ裏面から眼球回旋点までの距離,すなわち「VR値」に依存する値であるから,「VR値」の変動が内寄せ量に影響することは自明というべきであり,引用例2には,レンズの後面から眼の回転中心までの距離は,個人ごとにバラツキがあるため,個人ごとに最良の形状のレンズを設計するためには,レンズの後面から眼の回転中心までの距離,すなわち「VR値」を考慮する必要があることが示唆されていることにかんがみれば,「VR値」が眼鏡レンズのレンズ設計に影響があることが知られていなかったということはできない。

(8)  以上のとおり,相違点1に関する審決の判断に誤りはなく,この点に関する原告の主張はいずれも失当である。

5  取消事由4(相違点2の判断の誤り)について

前述のとおり,VR値は,眼鏡レンズの裏面の基準点から眼球の回旋中心までの距離であることは明らかであるから,VR値が,眼鏡装用時におけるレンズの裏面の基準点から眼鏡装用者の眼球の角膜頂点までの距離CRの値と,角膜頂点から眼球の回旋中心までの距離VCの値との和であることは,それらの定義から自明である。また,前記4のとおり,引用発明の累進屈折力レンズの設計において,VR値を用いて遠方視線から近方視線に輻輳するときの内寄せ量を設定することは,当業者が容易に想到し得たことであり,演算処理に用いる数値を入手可能な測定値によって代用することが当業者の普通の手法であることにかんがみれば,前記内寄せ量を設定するに当たり,VR値としてVCの値とCRの値との和を用いることも,実質的に同一の技術思想というべきである。

したがって,相違点2に関する審決の判断に誤りはなく,原告の主張は失当である。

6  結論

以上のとおり,原告の主張する審決取消事由はいずれも理由がないので,原告の請求は棄却を免れない。

(裁判長裁判官 塚原朋一 裁判官 東海林保 裁判官 矢口俊哉)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例