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知財高等裁判所 平成21年(行ケ)10362号 判決 2010年10月12日

原告

旭硝子株式会社

訴訟代理人弁理士

志賀正武

柳井則子

棚井澄雄

高橋詔男

訴訟代理人弁護士・弁理士

三縄隆

被告

特許庁長官

指定代理人

山田靖

吉水純子

植前充司

岩崎伸二

小林和男

主文

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第1請求

特許庁が不服2007-13610号事件について平成21年9月29日にした審決を取り消す。

第2事案の概要

1  本件は,原告が,日本国特許庁に対し,名称を「電磁波遮蔽積層体およびこれを用いたディスプレイ装置」とする発明につき国際特許出願をしたところ,拒絶査定を受けたので,これに対する不服の審判請求をし,特許請求の範囲の変更等を内容とする手続補正もしたが,特許庁から請求不成立の審決を受けたことから,その取消しを求めた事案である。

2  争点は,上記手続補正による請求項6に係る発明(以下「本願補正発明6」という。)が,下記引用発明との間で進歩性を有し上記手続補正が適法か(特許法29条2項,平成18年法律第55号による改正前の同法17条の2第5項,126条5項),である。

・ 特開2000-59082号公報(発明の名称「電磁波フィルタ」,出願人日本板硝子株式会社,公開日平成12年2月25日。以下「引用例1」という。甲1)に記載された発明(以下「引用発明」という。)。

第3当事者の主張

1  請求の原因

(1)  特許庁における手続の経緯

原告は,平成15年(2003年)8月25日の優先権(日本,特願2003-208674号)を主張し,日本国特許庁に対し,平成16年8月20日,名称を「電磁波遮蔽積層体およびこれを用いたディスプレイ装置」とする発明につき国際特許出願(PCT/JP2004/12014号,日本における出願番号 特願2005-513310号)をし,平成18年12月7日付け(甲6)及び平成19年3月12日付け(甲7)でそれぞれ特許請求の範囲の変更等を内容とする手続補正をしたが,平成19年4月2日付けで拒絶査定を受けたので,これに対する不服の審判請求をした。

特許庁は,上記請求を不服2007-13610号として審理し,その中で原告は,平成19年6月11日付けで特許請求の範囲等の変更を内容とする手続補正(請求項の数8,以下「本件補正」という。甲8)をしたが,特許庁は,平成21年9月29日,本件補正を却下した上,「本件審判の請求は,成り立たない。」との審決をし,その謄本は同年10月13日,原告に送達された。

(2)  発明の内容

本件補正後の請求項の数は,上記のとおり8であるが,うち請求項6(本願補正発明6)の内容は,以下のとおりである(なお,下線部分は補正部分)。

「【請求項6】

透明な基材上に電磁波遮蔽膜が3~6層積層された電磁波遮蔽積層体であって,

前記電磁波遮蔽膜が,前記基材側から順に,屈折率が2.0以上である物質からなる第1の高屈折率層,

酸化亜鉛を主成分とする第1の酸化物層,

銀を主成分とする導電層

および屈折率が2.0以上である物質からなる第2の高屈折率層を有し,

前記導電層は前記第1の酸化物層に直接接し,

前記電磁波遮蔽膜間で直接接する前記第1の高屈折率層と前記第2の高屈折率層が一括して成膜された1つの層からなり,

前記第1および第2の高屈折率層がそれぞれ酸化ニオブを主成分とする幾何学的膜厚が20~50nmの層であることを特徴とする電磁波遮蔽積層体。」

(3)  審決の内容

ア 審決の内容は,別添審決写しのとおりである。その要点は,本願補正発明6は引用発明及び周知技術に基づいて当業者が容易に発明することができたから特許法29条2項により独立して特許を受けることができないものであり,したがって,本件補正手続は却下を免れず,また,補正前の発明も同様の理由により特許を受けることができない,というものである。

イ なお,審決が認定した引用発明の内容,本願補正発明6と引用発明との一致点と相違点は,次のとおりである。

・ <引用発明の内容>

「透明基板の一方の面に電磁波遮断膜が被覆された電磁波遮断板であって,前記電磁波遮断膜は,前記透明基板側から順に,屈折率が1.7~2.7の高屈折率誘電体層,

第1の酸化亜鉛主成分層,

銀主成分層,

第2の酸化亜鉛主成分層から成り,

前記銀主成分層は,前記酸化亜鉛主成分層に直接接しており,

前記高屈折率誘電体層が酸化錫主成分層である積層体を積層単位とし, 第1の積層単位から第4の積層単位までの4層を積層し,さらに,最外層に屈折率が1.7~2.7の高屈折率誘電体層を有し,該高屈折率誘電体層が酸化錫主成分層であり,

前記第1の積層単位の前記高屈折率誘電体層である酸化錫主成分層の膜厚は,26nm~40nmであり,

前記第2~第4の積層単位のそれぞれの前記高屈折率誘電体層である酸化錫主成分層の膜厚は,44nm~73nmであり,

前記最外層の前記高屈折率誘電体層である酸化錫主成分層の膜厚は,23nm~38nmである,電磁波遮断板。」

・ <一致点>

「透明な基材上に電磁波遮蔽膜が4層積層された電磁波遮蔽積層体であって,

前記電磁波遮蔽膜が,前記基材側から順に,第1の高屈折率層,

酸化亜鉛を主成分とする第1の酸化物層,

銀を主成分とする導電層

および第2の高屈折率層を有し,

前記導電層は前記第1の酸化物層に直接接し,

前記電磁波遮蔽膜間で直接接する前記第1の高屈折率層と前記第2の高屈折率層が一括して成膜された1つの層からなり,

前記第1および第2の高屈折率層は,各々幾何学的膜厚が20~50nmの層である電磁波遮蔽積層体。」

・ <相違点>

「本願補正発明6は,前記第1および第2の高屈折率層が屈折率が2.0以上である酸化ニオブを主成分とする層であるのに対し,引用発明は,前記第1および第2の高屈折率層が酸化錫主成分層である点。」

(4)  審決の取消事由

審決は,本願補正発明6と引用発明との相違点に関し,本願補正発明6の技術的意義を看過し(取消事由1),引用発明の技術的意義を看過し(取消事由2),引用発明に周知技術を適用させる動機付けがないことを看過し(取消事由3),その結果,容易想到性の判断を誤ったものであるから,審決は違法として取り消されるべきである。

ア 取消事由1(本願補正発明6の技術的意義の看過)

(ア) 本願補正発明6は,a)シート抵抗が低いこと,b)可視透過率が高いこと,c)耐湿性が高いことの3つすべてを満足することを課題としている(本願明細書の段落【0007】)。上記要求特性のいずれかを単独で満足させることは容易であるが,三者すべてを満足させることは困難である。

(イ) 本願補正発明6では,上記の特徴ある積層構造の誘電体層を採用したことにより,上記a)ないしc)をすべて満足することが可能となった。

しかし,審決は,以下に述べるとおり,上記a)ないしc)をすべて満足するという本願補正発明6の課題と効果を十分に参酌していない点で不当である。

a 視感透過率とシート抵抗については,共に本願補正発明6の方が引用発明より優れている。引用発明の効果の差異を明確にするため,原告は,平成22年1月27日付け実験成績証明書(2)(甲18。以下「甲18実験証明書」という。)を作成した。甲18実験証明書に示すように,本願補正発明6に対応する実験例Bのシート抵抗が0.858Ω/sqなのに対して,引用発明に対応する実験例Aのシート抵抗は0.910Ω/sqである。また,甲18実験証明書の図1に示すように,実験例Bの可視領域における透過率は,実験例Aよりはるかに大きい。シート抵抗を低くし,かつ視感透過率を高めることの両立の困難性を考えると,これは,当業者が予想し得なかった効果である。

b 実験例A,Bの可視領域における反射率はほとんど等しい(甲18実験証明書の図2)。通常は反射率が低いほど透過率が高くなるが,反射率に差がないにもかかわらず,実験例Bの可視領域における透過率の方が高くなる(甲18実験証明書の図1)のも,当業者にとって予測できない効果である。

なお,実際の商品開発の現場においては,可視光透過率を2%程度向上させるだけでも,多大な時間と労力を費やしている。甲18実験証明書で得られた,可視光透過率の数パーセントの差は,決して小さなものではない。

c 上記のように,本願補正発明6は,視感透過率とシート抵抗の点で,引用発明と比較して顕著な優位性を備える。それにもかかわらず,平成20年8月20日付け実験成績証明書(甲16。以下「甲16実験証明書」という。)の表Aによれば,本願補正発明6の耐湿性は,引用発明と同等に優れているという顕著な効果を有している。

また,平成22年1月27日付け実験成績証明書(1)(甲17。以下「甲17実験証明書」といい,甲16実験証明書及び甲18実験証明書と併せて「本件各実験証明書」という。)のとおり,本願補正発明6は,酸化ニオブに代えて,同じ高屈折材料である酸化チタンを使用した場合(甲6で補正した本願明細書の段落【0068】の参考例1)と比較しても,耐湿性(甲6で補正した本願明細書の段落【0072】の表6)とシート抵抗の点で優れている。

この点に関し,被告は,本件各実験証明書(甲16~甲18)に係る膜の製造条件は,本願明細書のものとはそのすべての条件を変更して行うものであり,本願明細書の記載に基づいて行われた追加実験に該当するものとはいえない旨主張するが,本願明細書の実施例と若干の相違があっても本件各実験証明書(甲16~甲18)における酸化ニオブ層を有する積層体自体は,本願補正発明6を実施した積層体であるから,本件各実験証明書(甲16~18)を用いて,本願補正発明6の効果を主張しても何ら不当ではない。

なお,原告は,甲16実験証明書と同一の積層体について,朝日分光社の測定器で測定した可視光透過率も測定しており,その結果は,平成22年5月10日付け実験成績証明書(3)(甲37。以下「甲37実験証明書」という。)に記載されているとおりである。すなわち,甲37実験証明書の図Dに示すように,甲16実験証明書で評価した視感透過率は,本願明細書の実施例で評価している可視光透過率と,極めて高い相関を有していることが認められる。

また,平成22年5月10日付け実験成績証明書(4)(甲38。以下「甲38実験証明書」という。)によれば,甲16実験証明書における酸化ニオブを用いた実験例Bの積層体が,酸化錫を用いた実験例Aの積層体より高い可視光透過性を有するのは,実験例Bの高屈折率層の膜厚が実験例Aの高屈折率層の膜厚より薄いからではなく,実験例Aと実験例Bの高屈折率層の膜厚の差は,可視光透過性の評価結果に無関係であることが明確になっている。

(ウ) 一般に積層体は,積層体全体として,ある特性を有するのであり,積層体全体の特性には,積層された複数の層の相互作用が関係するから,個別の層の特性の総和が積層体全体の特性になるわけではない。1つの層を別の層に置換した場合の,置換後の積層体全体の特性を予測することは困難である。

そして,引用発明と共通の総合作用としては,次のaに記載された事項が,また,本願補正発明6特有の相互作用としては,次のb及びcに記載された事項が存在すると推定される。

a 酸化亜鉛主成分層の上側に直接接するように導電層(銀主成分層)を形成するので,導電層の結晶性が高まり,耐湿性が向上したと考えられる。

b 酸化ニオブ主成分層は,表面が滑らかである。そのため,酸化ニオブ主成分層の上側に形成する酸化亜鉛主成分層,さらには導電層の表面も滑らかとなり,ひいては,導電層をいたずらに厚くすることなく,比抵抗を低下させることができたと考えられる(この推定については,甲17実験証明書により裏付けされている。)。

c 酸化ニオブ主成分層は,アモルファス(非晶質)である。そのため,水の浸透を防止する効果があり,この酸化ニオブ主成分層の下側に配置される導電層を保護することとなり,耐湿性が向上したと考えられる。

以上説明したように,1つの層を別の層に置換した後の積層体の特性を予測することは困難である。

かかる予測困難性を克服して,本願補正発明6の顕著な効果を予測させる記載は,引用例1ないし3には存在しない。

なお,被告は,上記b及びcの点については,いずれも特開2003-98340号公報(乙1。以下「乙1刊行物」という。)に記載されている既に知られた事項である旨主張する。しかしながら,乙1刊行物には,アモルファス構造の膜の平滑性が,その上に積層された層の平滑性に影響を与えることは記載されていない。まして,導電層の平滑性や導電性に影響を与えることは記載されていない(乙1刊行物には,そもそも導電層が存在しない。)。したがって,酸化ニオブ主成分層が平滑であったとしても,その平滑性が最終的に,導電層の比抵抗を低下させるとは,到底予測できない。また,乙1刊行物では酸化チタン,酸化タンタル,酸化ニオブ,酸化ジルコニウムが同等に記載されているだけであって,酸化ニオブ主成分層と酸化亜鉛主成分層との組み合わせのみが,特に耐湿性に優れることは記載も示唆もされていない。したがって,引用例1と乙1刊行物から,本願補正発明6の効果は予測できない。

イ 取消事由2(引用発明の技術的意義の看過)

(ア) 引用発明において,酸化錫を選択した目的が考慮されていないこと引用例1の請求項1に係る発明における誘電体層は,単に屈折率1.7~2.7であることが特定されているだけである。

一方,審決で認定した引用発明における誘電体層は,酸化錫と酸化亜鉛とを特定の積層順で組み合わせた特定の誘電体層である。この酸化錫と酸化亜鉛は,引用例1において,屈折率が1.7~2.7である多数の材料の中から,後述するような特定の課題を解決するという技術的意義のもとに選ばれたものである。

しかるに審決は,以下に述べるとおり,その技術的意義を考慮せず,単に屈折率を根拠にして酸化錫を酸化ニオブに置換することが容易であると判断しており,不当である。

a 引用例1では,段落【0013】及び【0063】の記載から明らかなように,導電層に特徴を持たせることにより,引用例1の課題が解決できたとされている。

そして,引用例1の請求項1における「550nmの波長における屈折率が1.7~2.7の誘電体」は,光学材料として用いられる金属酸化物のほとんどが該当する特性である。また,引用例1の請求項1では,誘電体層が単層であるか2層以上の積層体であるかについても限定されていない。

つまり,引用例1の請求項1においては,誘電体層については,光学薄膜として使用される誘電体材料の通常の屈折率で特定しているのみであり,特に限定はされていない。

b これに対し,審決の認定した引用発明は,特定の誘電体層(特定の順番で積層された酸化錫と酸化亜鉛)に限定された発明である。すなわち,引用例1の請求項1に記載された発明と異なり,誘電体層の材料と積層構造を特定しなければ,本願補正発明6と構成が近似した引用発明を認定することができなかったのである。そうであれば,引用発明において特定の誘電体層が選択された技術的意義を充分に考慮すべきである。すなわち,審決の認定した引用発明の誘電体層においては,酸化亜鉛は,導電性を有すること,比抵抗の小さい銀層の成膜に寄与すること,等の観点で用いられている(引用例1の段落【0034】)。また,酸化錫は,導電性を有すること,耐湿熱性の向上,等の観点で用いられている(引用例1の段落【0035】)。なお,耐湿熱性の向上は,段落【0012】及び【0013】に記載されているとおり,引用例1全体にとっての課題でもあり,非常に重要な点である。そして,これらの観点に立って,特定の順番で積層した酸化亜鉛と酸化錫の組合せは最も好ましいとされている(引用例1の段落【0036】)。すなわち,前述のような特定の課題を解決するという観点で,屈折率1.7~2.7の材料という多数の材料群の中から,酸化錫と酸化亜鉛を選択し,かつ特定の順番で積層した誘電体層とされている。

しかるに,審決はこのような引用発明における,技術的意義を無視し,引用発明の特許請求の範囲の請求項1に「550nmの波長における屈折率が1.7~2.7の誘電体」とのみ記載されていることを頼りに,酸化錫を,この屈折率の要件を満たすいずれの誘電体(ほとんど無限定の誘電体材料)とも置換容易と判断している。このような判断は,引用発明の技術的思想を無視するものであり,不当である。

c さらに具体的にいえば,酸化ニオブの導電性は,酸化錫の導電性と比較して,はるかに小さいことが知られており,酸化ニオブはむしろ絶縁体として認識されている材料である。したがって,導電性がはるかに低い酸化ニオブに置換することは,導電性が優れているとして酸化錫を用いた目的から反する方向へ変更することになるから,特段の理由なく当業者が容易に想到できるものではない。

また,耐湿熱性の向上という観点からすると,本願優先日前において,酸化錫を酸化ニオブに置換した場合に,同等の耐湿熱性が得られるか否か不明であった。したがって,耐湿熱性を損なうおそれがある酸化ニオブへの置換は,酸化錫の層を設けた目的に反する方向へ変更するおそれがあることから,特段の理由なく当業者が容易に想到できるものではない。

(イ) 引用例1全体に共通する課題から見た誘電体層の技術的意義

a 高い可視光線透過率と,低い近赤外線透過率は,引用例1全体に共通する課題である(引用例1の段落【0012】及び【0013】)。

ところが,引用例1において,その課題が解決できたことが実証されているのは,誘電体層が酸化亜鉛と酸化錫の組合せ,または酸化亜鉛の単層のものだけである。実施例2の誘電体層が酸化亜鉛の単層とされているのを除き,他のすべての実施例,比較例の誘電体層が,酸化亜鉛と酸化錫の組合せとされている。

したがって,審決が認定した引用発明は,高い可視光線透過率と,低い近赤外線透過率の課題を達成する観点でも,特定の誘電体層を選択することに意義があったというべきである。

よって,このような引用例1全体に共通する課題から見た誘電体層の技術的意義を無視し,引用例1の請求項1に,「550nmの波長における屈折率が1.7~2.7の誘電体」とのみ記載されていることを頼りに,酸化錫を,この屈折率の要件を満たすいずれの誘電体(ほとんど無限定の誘電体)とも置換容易と判断することは許されない。

b 引用例1では,高い可視光線透過率と,低い近赤外線透過率の課題は,可視域と近赤外域の境界で急速に透過率が低くなることにより達成できたとされている(引用例1の段落【0008】)。したがって,引用例1の実施例に沿って認定された引用発明も可視域と近赤外域の境界で急速に透過率が低くなる特徴を有しているといえる。そうであれば,酸化錫を酸化ニオブに置換するに当たっては,可視域と近赤外域の境界で急速に透過率が低くなる特徴を維持できるか否かの検討が必要である。ここで,本願優先日前に知られていた酸化ニオブの特性として,高屈折率であることと分散が小さいということが挙げられる(後記周知引用例2の段落【0030】及び【0037】)。当業者であれば,上記酸化ニオブの特性を考慮して,酸化錫を酸化ニオブに置換した場合,可視域と近赤外域の境界で急速な透過率低下を得ることについて,懸念があると判断するはずである。なぜなら,一般に,屈折率を高くする,もしくは分散性を小さくすると,透過率,反射率のバンド幅が広がることが知られていたからである。バンド幅が広がるということは,急速に透過率が低くなる波長が長波長側に移動することを意味する。そうであれば,急速に透過率が低くなる波長が,可視域と近赤外域の境界から近赤外線域の方向にずれ,結果として,近赤外線領域の一部の透過性が上がってしまうおそれがあると懸念するはずだからである。

c 実際に,引用例1の段落【0011】において引用されている特開平8-104547号公報(甲26。以下「甲26刊行物」という。)の段落【0007】に記載されているように,当業者である甲26刊行物の出願人(引用例1の出願人と同じ)は,酸化亜鉛と酸化錫以外の誘電体材料,特に屈折率の高い誘電体材料を用いることは,高い可視透過率と低い赤外線透過率の両立を困難にするものと考えていた。

d 以上のような懸念がある状況下で,酸化錫を酸化ニオブへ置換することは,引用例1全体の課題に反する方向に変更されるおそれがあるので,当業者の常識からは想起し得ない。審決は,この点を看過しており不当である。

ウ 取消事由3(引用発明に周知技術を適用する動機付け欠如の看過)

(ア) 技術分野の同一性及び屈折率のみで動機付けありとした点

審決は,技術分野の同一性及び屈折率を根拠に酸化錫に代えて酸化ニオブを主成分とすることができるとしている。

しかしながら,薄膜の積層構造では,各材料が干渉しあって,全体の物性が特定されていることにかんがみれば,引用発明に接した当業者が,誘電体層の材料の変更を企図すれば,酸化錫のみではなく,酸化錫と酸化亜鉛の両方を変更するはずである。酸化亜鉛を固定したままで,酸化錫のみを変更することは,当業者が容易に想到できるものではない。

また,引用例1の請求項1における「550nmの波長における屈折率が1.7~2.7の誘電体」に該当する光学材料は,酸化物だけに限定しても多数のものが周知であり,酸化物だけでも少なくとも26種類の材料が知られている。審決は,このように多数の周知技術の中から,酸化ニオブを選択する理由について説明していない点で不当である。

さらに,酸化錫主成分層(または酸化亜鉛主成分層)を,引用例1の請求項1に記載された広汎な範囲に含まれる他の誘電体材料に置換するとしても,まず,引用例1に具体的に例示された材料のいずれかへの置換を試み,その後に他の材料を試みようとするのが,当業者の通常の思考である。そして,プラズマディスプレイパネル(以下,「PDP」ということがある。)用フィルタに使用し得る誘電体材料として,22種類(屈折率が1.7~2.7の範囲にあることが明確な材料だけでも18種類)のものが知られている。しかも,これらは,いずれも酸化錫と共に例示されている。したがって,容易性を主張するのであれば,少なくともこれら18種類の中から,引用例1自体に例示された6種の材料をさしおいて酸化ニオブを選択し,置換するための動機付けが必要である。このように,膨大な選択肢が考えられるにもかかわらず,「酸化錫主成分層だけを,特に酸化ニオブに置換すること」を,技術分野の同一性のみを根拠として当業者が容易に想到し得たとした審決は不当である。

(イ) 酸化錫に代えて酸化ニオブを用いる動機付けがないこと

本件出願当時,引用発明の酸化錫に代えて酸化ニオブを用いる動機付けは,以下に述べるとおり,一切なかった。

a 周知引用例2につき

周知引用例2(特表2002-535713号公報,発明の名称「ディスプレイパネルフィルタ及びその製造方法」,公表日 平成14年10月22日。甲2)には,高屈折率の材料が可視光透過率の向上に関して好ましいことは記載されているが,屈折率が高ければ高いほど好ましいとは記載されていない。

そして,前述のように,誘電体層の屈折率が高くなると,または分散が小さくなると,バンド幅が広がり,赤外線の反射率が低下する不具合が生じる。したがって,少なくとも低い赤外線透過率を課題とする引用発明の酸化錫を,酸化ニオブに代える動機付けとはならず,むしろ思いとどまらせる方向の動機付けが働くというべきである。

また,可視光反射率については,酸化錫と酸化ニオブは同程度と認識されているので,引用発明の酸化錫を酸化ニオブに代える動機付けとはならない。

さらに,本願発明の課題ではないが,高スパッタリング速度という点では,酸化ニオブのスパッタリング速度は,酸化錫のスパッタリング速度より遅い。したがって,スパッタリング速度の観点も,酸化ニオブの適用を,むしろ思いとどまらせる方向の動機付けとなる。

以上説明したように,周知引用例2を参照して,引用発明の酸化錫を酸化ニオブに置換する動機付けは存在しない。周知引用例2には,むしろ,そのような置換を思いとどまらせる方向の動機付けが存在する。

b 周知引用例3について

周知引用例3(特開2000-294980号公報,発明の名称「透光性電磁波フィルタおよびその製造方法」,公開日 平成12年10月20日。甲3)には,そもそも酸化ニオブを用いる理由は一切記載されていない。単に材料として酸化ニオブが列記されているにとどまり,酸化錫に代えて酸化ニオブを用いる動機は一切記載されていない。

また,周知引用例3の発明は,段落【0014】や【0017】の記載から明らかなように,基本的には,誘電体層の比抵抗を低くし,帯電防止性としたことに特徴を有する。

誘電体層の材質の種類については,「550nmの波長における屈折率が1.6~2.7の帯電防止性金属酸化物層」としか特定されていない(周知引用例3の請求項1)。これは,光学材料として用いられる金属酸化物のほとんどが該当する特性である。

つまり,周知引用例3でも,引用例1の請求項1と同様に,誘電体層の材料の種類については特に限定がされないように,光学薄膜として使用される誘電体材料の通常の屈折率で特定されている。

したがって,誘電体層の構成が特定された引用発明において,酸化ニオブを適用する動機付けにはならない。

ところで,引用発明の誘電体層(酸化錫主成分層と酸化亜鉛主成分層)も,周知引用例3でいうところの帯電防止性金属酸化物層とバリア層の積層体となっている。

してみると,周知引用例3を参照して,引用発明の酸化錫層を他の材料に置換するとすれば,同じバリア層である窒化シリコンまたは酸窒化シリコン(周知引用例3の段落【0026】)に置換しようとするのが,無理のない考え方である。バリア層は耐湿熱性向上のために必要とされており(周知引用例3の段落【0026】,引用例1が耐湿熱性を重視(引用例1の段落【0013】)していることを考えれば,あえて,バリア層である酸化錫層をバリア層ではない酸化ニオブ層に置換することは考えにくいというべきである。

以上のとおり,酸化錫に代えて酸化ニオブを用いる動機付けは一切なく,引用発明の酸化錫に代えて酸化ニオブを適用することが,当業者にとって容易になしうる発明とした審決は不当である。

2  請求原因に対する認否

請求原因(1)ないし(3) の各事実は認めるが,(4)は争う。

3  被告の反論

審決の認定判断に誤りはなく,原告主張の取消事由はいずれも理由がない。

(1)  取消事由1に対し

ア 原告の主張(ア) 及び(イ) につき

この点に関する原告の主張は,要するに,甲18実験証明書によれば,本願補正発明6は,引用発明と耐湿性において同等に優れ,また,反射率に差がないにもかかわらず,視感透過率とシート抵抗の点で,引用発明と比較して顕著な優位性を備えたものであるから,本願補正発明6は,当業者にとって予測できない効果を有するというものである。

しかし,本件各実験証明書(甲16~甲18)に係る膜の製造条件は,本願明細書に記載された成膜装置,成膜方法,成膜条件,及び電磁波遮蔽膜の積層数とはそのすべての条件を変更して行うものであり,本願明細書の記載に基づいて行われた追加実験に該当するものとはいえないから,原告の主張は,本願明細書の記載に基づかない主張であり,失当である。そして,これらの条件の変更によって得られる膜の特性も当然変化するものであるところ,そのような透過率,抵抗値,劣化面積については本願明細書に記載の条件に基づいて得られたものとはいえず,さらに,甲18実験証明書に記載されるような可視領域全域にわたる分光透過率や分光反射率について,本願明細書には,実施例1の透過率57.3%という一点について記載があるのみで(段落【0062】,【表2】),それ以外一切示されていない。

そして,本願補正発明6の課題は,「高い可視光透過率,低い抵抗値,及び,高い耐湿性を有する」電磁波遮蔽積層体膜の提供であり,その効果は,特定波長における高可視光透過率,低抵抗値,劣化面積の減少による耐湿性の向上であるところ,審決は,かかる課題と効果を十分に参酌の上なされたのであるから,原告が,上記(ア) 及び(イ) を理由として,審決が,本願補正発明6の課題と効果を十分に参酌していないと主張する点は,失当である。

イ 原告の主張(ウ) につき

(ア) 積層体全体の特性には,積層された複数の層の相互作用が関係するのであるから,その複数の層の相互作用が明らかとなっていれば,全体の特性をある程度予測することも可能となる。

したがって,「1つの層を別の層に置換した場合の,置換後の積層体全体の特性を予測することは困難である」との原告の主張は常に成立するわけではない。

(イ) また,原告は,積層された複数の層の様々な相互作用によって,本願補正発明6の優れた特性がもたらされるものと考えられるとして,その相互作用について,前記第3,1(4) ア(ウ) 記載のb及びcのとおり主張するが,以下のとおり失当である。

bの「酸化ニオブ主成分層は,表面が滑らかである。‥‥さらには導電層の表面も滑らかとなり」との点は,本願明細書には記載も示唆もなく,明細書の記載に基づかない主張である。

cの「酸化ニオブ主成分層は,アモルファス(非晶質)である。そのため,‥‥耐湿性が向上した」との点に関しても,本願補正発明6には,「前記第1および第2の高屈折率層がそれぞれ酸化ニオブを主成分とする幾何学的膜厚が20~50nmの層である」との記載があるのみで,「酸化ニオブを主成分とする層は,アモルファス(非晶質)である」との記載も示唆もないから,特許請求の範囲に基づかない主張である。

また,原告が主張する上記b及びcについては,例えば,乙1刊行物に記載されているように,既に知られた技術事項といえるから,酸化ニオブのスパッタ成膜がアモルファス構造を取ることによる表面平滑性と耐湿性を有することは,当業者であれば十分に予測可能な事項である。

以上のとおり,原告が,積層された複数の層の様々な相互作用によってもたらされる本願補正発明6の優れた特性を予測することは困難であると主張し,上記の点を理由として,審決が,本願補正発明6の課題と効果を十分に参酌していないと主張する点は,失当である。

(2)  取消事由2に対し

ア 原告の主張(ア) につき

確かに,引用発明は,特定の誘電体層(特定の順番で積層された酸化錫と酸化亜鉛)に限定された発明であるが,以下の理由により,当該誘電体層における酸化錫層と酸化亜鉛層とが一体不可分でなければならないというものではない。すなわち,引用例1の段落【0034】の記載によれば,引用発明の「酸化亜鉛」は,銀の下地,及び保護層として機能し,かつ導電性が良い点で,本願補正発明6の酸化亜鉛と同等の機能を有するものであり,また,段落【0035】の記載によれば,「酸化錫」の有する機能は,導電性の非晶質膜とすることによるガスバリヤ性,耐湿熱性の向上であって,インジウムと亜鉛の複合酸化物とともに例示されており,さらに,段落【0036】の記載によれば,結晶格子の関係から銀層と直接接する層は酸化亜鉛である。そうすると,本願補正発明6における銀層に接する層は,「酸化亜鉛」であって,引用発明とその機能も共通であることから,検討すべきは,引用発明における「酸化亜鉛」の銀層と反対面の層を,「酸化錫」から「酸化ニオブ」に置換することが容易想到か否かである。

そこで,この点を検討するに,周知引用例2(甲2)には,引用発明と技術分野を同じくするプラズマディスプレイパネルに使用されるIR/EMIフィルタ,すなわち,赤外線遮蔽,及び電磁波遮蔽フィルタについて(段落【0001】),「好ましい実施の形態において,‥‥誘電性材料は,特に,ニオブ五酸化物(Nb2O5),二酸化チタン(TiO2)及びスズ酸化物(SnO2)のような材料を含むことができる。」(段落【0030】)と記載され,誘電体層として,ニオブ五酸化物が酸化錫と同様に使用し得ることが記載されている。

また,周知引用例3(甲3)には,銀層の赤外線反射特性を利用した電磁波遮蔽膜を有するPDP用の電磁波遮蔽フィルタについて,誘電体層が,主成分が酸化錫であるもの,及び主成分が酸化ニオブであるものが記載され,その比抵抗は5Ωcm以下であることが記載されている(【要約】,請求項2,4,8,段落【0032】)。

さらに,特開2000-229371号公報(公開日 平成12年8月22日,乙2。以下「乙2刊行物」という。)及び特開2000-105312号公報(公開日 平成12年4月11日,乙3。以下「乙3刊行物」という。)にも,引用発明と同一技術分野で,電磁波及び近赤外線を同時にカットするPDP用フィルターにおいて,積層される誘電体層(金属酸化物膜)の材料として選択される薄膜として,酸化錫と並んで,五酸化ニオブが例示されている(乙2刊行物の段落【0001】及び【0009】,乙3刊行物の段落【0001】,【0005】及び【請求項2】)。

以上の本件優先日前の各文献の記載によると,PDP用の電磁波遮蔽及び近赤外線遮蔽フィルタに用いる誘電体層の材料として,「酸化ニオブ」は,「酸化錫」と並んで,好ましいものとして周知であったということができる。

次に,「酸化錫」を「酸化ニオブ」に置換することが,引用例1の記載から阻害されているかについて,検討する。

まず,導電性についてであるが,周知引用例3には,酸化ニオブを主成分とする層の比抵抗が5Ωcm以下であり(段落【0041】),また,実施例として0.09Ωcmの例も示されており(【表4】実施例9),酸化ニオブが導電性を期待して選択される材料であることは明らかであるから,導電性の点で,引用発明の「酸化錫」を「酸化ニオブ」に置換することが阻害されるとはいえない。

一方,酸化錫の抵抗率は,甲20(日本学術振興会「透明導電膜の技術」オーム社)によると(126頁の「表 4・3」),1.9~3.2×10-3Ωcmであるから,たしかに,一般的には,酸化ニオブより酸化錫の方が導電性がよいといえるものの,この程度の導電性の差異が置換を妨げる阻害要因になるとまではいえない。

次に,ガスバリヤ性,耐湿熱性についてであるが,引用例1の段落【0035】は,酸化錫を「非晶質」とすることができることによるガスバリヤ性,耐湿熱性を示すのみで,結晶性を特定しない「酸化錫」の材料自体の特有のガスバリヤ性,耐湿熱性を示すものではない。

例えば,乙1刊行物の段落【0017】に記載された,「本発明における高屈折率酸化物膜はアモルファス構造をとるため,膜構造が均質で,粒界がなく,表面も滑らかである。このため,‥‥粒界への水分の浸透による‥‥経時変化などがないため,長期間にわたって安定した光学的特徴を維持することができる。」との作用効果が記載されているように,非晶質性の膜であれば,特に膜の材料に依存せず,当該作用効果を奏するものであり,また,滑らかな膜であれば,当然ガスバリヤ性もある。

そして,スパッタリング法において,基板温度を低温とする等,成膜条件を調整することにより,非晶質膜が得られることは,よく知られていることである。してみると,「酸化ニオブ」が,引用例1に記載される誘電体層の成膜方法としてその実施例に記載されるスパッタリング法によって,非晶質膜に作製できないという阻害要因はない。したがって,ガスバリヤ性,耐湿熱性の観点でも,引用発明における「酸化錫」を「酸化ニオブ」に置換することは阻害されるものではない。

以上のとおり,導電性,ガスバリヤ性及び耐湿熱性の観点から,酸化錫を酸化ニオブに置換することについて特段の阻害要因が見あたらないから,引用発明において,酸化錫を酸化ニオブに置換することは,容易になし得ることである。したがって,原告が主張するように,引用発明において,酸化錫層と酸化亜鉛層とが一体不可分でなければならないというものではなく,原告が,酸化錫を酸化ニオブに置換することは酸化錫を用いた目的に反すると主張する点は,失当である。

イ 原告の主張(イ) につき

(ア) 引用発明は,PDP用フィルタである以上,高い可視光線透過率,低い近赤外線透過率を課題とすることは当然のことである。

一方,周知引用例2及び3並びに乙2及び3の刊行物にも,高い可視光線透過率と,低い近赤外線透過率とが要請されるPDP用フィルタに関するものであって,酸化ニオブを誘電体層に使用する技術が記載されているから(周知引用例2の段落【0005】ないし【0007】,周知引用例3の段落【0008】,【0041】,乙2刊行物の段落【0001】,【0009】,及び,乙3刊行物の段落【0001】,【0005】,【請求項2】参照。),酸化ニオブの使用により,高い可視光線透過率,低い近赤外線透過率が阻害されるとの予見を当業者が持つに至るとは考えられない。

そうであれば,引用発明の酸化錫を酸化ニオブに置換することは,同一技術分野における単なる材料の置換といえることであって,何ら進歩性を有するものではない。

また,原告は,「550nmの波長における屈折率が1.7~2.7の誘電体(酸化物)」について,多数のものが周知であることを根拠に,この多数のものの中から酸化ニオブを選択すること,さらには,酸化ニオブと酸化亜鉛とを選択することの困難性を主張している。

しかしながら,前述のとおり,酸化亜鉛については,本願補正発明6と引用発明との相違点ではないから,酸化錫と酸化ニオブとの置換容易性のみが問題となるものである。

そして,PDP用フィルタに使用する誘電体層の材料は,屈折率だけでなく,電気的特性(抵抗率)や光学的特性(可視光線透過性,近赤外線遮蔽性)を考慮して選択されるものであるから,それらの特性を考慮すると,結局,引用例1及び周知引用例2,3並びに乙2及び3の刊行物に記載された酸化錫や酸化ニオブをはじめ,ITOや酸化チタン等たかだか7種類のものしか選択肢として残らない。してみると,その7種類程度の材料の中から,好ましいと例示される酸化ニオブを選択することが,当業者にとって格別困難であるということはできない。

(イ) 原告は,周知引用例2の段落【0037】の「ニオブ五酸化物は高スパッタリング速度を有し且つ光の分散程度が小さい」との記載などを根拠に,誘電体層に酸化ニオブを用いると,近赤外線遮蔽効果に懸念があることが当業者にとって明らかであるから,酸化錫からの置換容易性はない旨主張する。

しかし,周知引用例2に記載のニオブ五酸化物(酸化ニオブ)の「光の分散程度」について,「光の分散程度」と「バンド幅」の関連,及び「バンド幅」と「透過率の急変点」との関連については,本件出願後に原告により作成された陳述書(甲24)で計算によるシミュレーション結果として示されているだけである。してみると,原告が,いかなる理由で,誘電体層に酸化ニオブを用いると,近赤外線遮蔽効果に懸念があることが当業者にとって明らかであるとしているのか不明であり,上記主張は前提において,失当である。

以上のとおり,PDP用フィルタにおいては,高い可視光線透過率,低い近赤外線透過率の両立は自明の課題であって,しかも,酸化ニオブを誘電体層に使用するものが知られ,高い可視光線透過率,低い近赤外線透過率の両立に関し,格別の阻害要因を示す証拠もないのであるから,引用発明において,酸化錫を酸化ニオブに置換することは,当業者が容易になし得ることである。

したがって,原告が,酸化錫を酸化ニオブに置換することは,引用例1全体の課題に反する方向に変更されるおそれがあるから,当業者の常識からは想起し得ないと主張する点は,失当である。

(3)  取消事由3に対し

ア 原告の主張(ア) につき

前述のとおり,引用発明は,特定の誘電体層(特定の順番で積層された酸化錫と酸化亜鉛)に限定された発明であるが,「酸化亜鉛」と「酸化錫」はその有する機能が相違しており,これらの層が一体不可分でなければならないものではないし,本願補正発明6と引用発明とは,いずれも,銀層に接する層は「酸化亜鉛」であって,その機能も共通するから,別の材料に置換する対象は酸化錫のみである。

そして,PDP用フィルタに使用する誘電体の材料は,屈折率だけではなく,電気特性(抵抗率)や光学的特性(可視光線透過性,近赤外線遮蔽性)を考慮して選択された結果,引用例1及び周知引用例2,3並びに乙2及び3の刊行物に記載された酸化錫や酸化ニオブを含む特定の数種しか選択肢として残らないものであり,その中から好ましいと例示される酸化ニオブを選択することは,当業者が格別の技術的困難性なく行えることである。

そうすると,酸化錫を酸化ニオブに置換することに対する動機付けが否定されるものではないから,原告が,膨大な選択肢の中から,「酸化錫主成分層だけを,特に酸化ニオブに置換すること」を,技術分野の同一性のみを根拠として当業者が容易に想到し得たとした審決は不当であると主張する点は,失当である。

イ 原告の主張(イ) aにつき

(ア) 前述のとおり,高い可視光線透過率,低い近赤外線透過率の両立を自明の課題とするPDP用フィルタにおいて,酸化ニオブを誘電体層に使用するものが知られており,しかも,高い可視光線透過率,低い近赤外線透過率の両立に関し,格別の阻害要因も示されていないのであるから,引用発明において,酸化錫を酸化ニオブに置換することは,当業者に格別の技術的困難性を強いるものではなく,酸化錫を酸化ニオブに置換することの動機付けが否定されるものではない。

(イ) 原告は,可視光反射率やスパッタリング速度を問題とするが,材料を選択するに当たっては,特定の光学特性を得ることが最も優先されるものであるから,可視光反射率やスパッタリング速度のみによって選択される材料が定まるものではなく,原告の主張は失当である。

ウ 原告の主張(イ) bにつき

(ア) 前述のとおり,引用発明において,酸化錫を酸化ニオブに置換することは,当業者に格別の技術的困難性を強いるものではないから,周知引用例3の記載を参照して,酸化錫を酸化ニオブに置換することの動機付けが否定されるものではない。

(イ) 原告は,引用発明の酸化錫層は,バリア層であるから,周知引用例3を参照しても,酸化錫の置換可能な材料の範囲は,窒化シリコンまたは酸窒化シリコンである旨主張する。

しかしながら,引用例1の段落【0035】において,「酸化錫‥‥は,導電性があり,」と記載されていることから,引用発明は,酸化錫を導電性の膜として用いるものであり,また,原告も,酸化錫が導電性であることを前提に引用発明の技術的意義の看過を主張するものであるから,酸化錫がバリア層であると主張する点は,引用例1の記載事項及び原告の前記主張と矛盾したものであって,失当である。

第4当裁判所の判断

1  請求原因(1) (特許庁における手続の経緯),(2) (発明の内容),(3) (審決の内容)の各事実は,当事者間に争いがない。

2  本件補正における独立特許要件の有無

審決は,本願補正発明6は引用発明及び周知の技術事項から容易に想到できるから独立特許要件を欠き,本件補正は許されないとし,一方,原告はこれを争うので,以下検討する。

(1)  本願補正発明の意義

ア 本願明細書(甲4,6,7,8)には次の記載がある。

・ 「【技術分野】

本発明は,基材上に複数の層を積層させた電磁波遮蔽積層体および該電磁波遮蔽積層体を備えたディスプレイ装置に関する。」(甲4段落【0001】)

・ 「【背景技術】

プラズマディスプレイパネル(PDP)の発光面からは電磁波が放射される。この電磁波は近くにある電子機器へ影響を及ぼし,誤作動を起こすことがある。このため,従来から,電磁波を遮蔽する目的でガラス等の基材上に透明導電膜を被覆したものを発光面の前面に設置することが知られている。」(甲4段落【0002】)

・ 「このような電磁波遮蔽膜には,一般に高い可視光透過率と低い抵抗値が要求される。酸化物層と金属層とを交互に積層した電磁波遮蔽膜では,抵抗値を下げるためには,金属層の積層数を増やすか,または,金属層を厚くすることが一般に知られている。

特許文献1:国際公開第98/13850号パンフレット

特許文献2:特開2000-246831号公報」(甲4段落【0004】)

・ 「【発明が解決しようとする課題】

上記特許文献1に係わる従来技術では,銀の耐湿性を改良するために銀層にパラジウムを添加している。そのため抵抗値が大きくなるという問題があった。また,抵抗値を下げるために金属層の積層数を増していくと可視光透過率が下がってしまうという問題があった。」(甲4段落【0005】)

・ 「また,特許文献2に係る従来技術では,酸化物層として屈折率の高い材料である酸化チタンを使用している。酸化チタンのように屈折率の高い材料を使用すると,積層数が増えても透過率の低下が少ないという利点を有する。しかし,酸化チタンと銀とが交互に積層された積層体は,耐湿性が悪い問題があった。銀にパラジウムを添加することにより,耐湿性を向上させられるが,パラジウムを添加することにより抵抗値が大きくなる問題があった。」(甲4段落【0006】)

・ 「本発明は,上記従来技術の問題点に鑑み,高い可視光透過率と共に,低い抵抗値,高い耐湿性を有する低コストの電磁波遮蔽積層体およびこれを用いたディスプレイ装置を提供する。」(甲4段落【0007】)

・ 「(高屈折率層)

第1の高屈折率層31,・,・,・と第2の高屈折率層35,・,・,・は,屈折率が2.0以上である物質によって構成されている。該屈折率は,2.0以上,2.7以下であることが好ましい。第1の高屈折率層31,・,・,・または第2の高屈折率層35,・,・,・の屈折率を2.0以上とすることにより,電磁波遮蔽膜100,・,・,・の積層数を増やしても可視光透過率を高く維持することができる。

なお,本明細書における屈折率(n)とは,波長550nmにおける屈折率をいう。」(甲4段落【0018】)

・ 「第1の高屈折率層31,・,・,・または第2の高屈折率層35,・,・,・の材料としては,例えば,酸化ニオブ(n:2.35),酸化チタン(n:2.45),酸化タンタル(n:2.1~2.2)等が挙げられるが,そのなかでも酸化ニオブ,酸化チタンが好ましく,酸化ニオブがより好ましい。本発明の電磁波遮蔽積層体は,第1および/または第2の高屈折率層が酸化ニオブを主成分とする層である。第1の高屈折率層31,・,・,・および/または第2の高屈折率層35,・,・,・を酸化ニオブを主成分とする層とすることにより,水の浸透量が減り,電磁波遮蔽膜100,・,・,・の耐湿性を向上させることができる。」(甲6段落【0019】)

・ 「また,第1の高屈折率層31,・,・,・または第2の高屈折率層35,・,・,・は,結晶質であっても構わないし,アモルファス状態であっても構わない。そのなかでも,アモルファス状態が好ましい。第1の高屈折率層31,・,・,・または第2の高屈折率層35,・,・,・をアモルファス状態とすることにより,結晶粒界を介しての水の浸透が減少し,電磁波遮蔽膜100,・,・,・の耐湿性をさらに向上させることができる。」(甲4段落【0020】)

・ 「(酸化物層)

<第1の酸化物層>

第1の酸化物層32,・,・,・は,酸化亜鉛を主成分とする物質によって構成されている。酸化亜鉛を主成分とする物質は,その結晶構造が,導電層33,・,・,・を構成する銀の結晶構造と近い。従って,酸化亜鉛を主成分とする材料からなる酸化物層の上に銀を積層すると結晶性の良い銀が得られる。結晶性の良い銀はマイグレーションの発生が低減できると考えられる。以上から,第1の酸化物層32,・,・,・を酸化亜鉛を主成分とする材料にすることにより,銀のマイグレーションが抑制され,第1の酸化物層32,・,・,・と導電層33,・,・,・との密着性を維持することができる。密着性を維持できることにより,界面への水分の侵入を抑えることができ,銀の耐湿性が良好になる。本発明における電磁波遮蔽膜100,・,・,・が(酸化亜鉛を主成分とする材料からなる)第2の酸化物層を含む場合,結晶性の良い銀からなる導電層33,・,・,・と(酸化亜鉛を主成分とする材料からなる)第2の酸化物層34,・,・,・との界面でも,同様に密着性を維持することができ,耐湿性がさらに良好になる。」(甲4段落【0027】)

・ 「【実施例】

以下,実施例により,本発明をさらに詳しく説明する。」(甲4段落【0052】)

・ 「[実施例1]

透明基材として,高透過の光学用途向けフィルムであるポリエチレンテレフタレートフィルム(以下,PETという。厚さ100μm)を使用した。

スパッタ成膜には,Web coater成膜装置(平野光音(株)社)を用いた。ターゲットのサイズは50mm×195mmで,基材の搬送は長巻のフィルム基材を送り出し,ガイドロールを介し,キャンロール位置でスパッタして,ガイドロールを介し再び巻き取るロール・ツー・ロール方式で行った。スパッタ電源は,DC放電(AE社MDX-10K,ENI社RPG-100)で成膜を行った。」(甲4段落【0053】)

・ 「フィルム基材上に基材側から,高屈折率層(1)/酸化物層(1)/導電層/酸化物層(2)/高屈折率層(2)/酸化物層(1)/導電層/酸化物層(2)/高屈折率層(2)/酸化物層(1)/導電層/酸化物層(2)/高屈折率層(2)/酸化物層(1)/導電層/酸化物層(2)/高屈折率層(1)の順に,電磁波遮蔽膜を4積層成膜させた。詳しい成膜条件は表1に示す。」(甲4段落【0054】)

・ 「高屈折率層(1)および高屈折率層(2)は,酸化ニオブ(旭硝子セラミックス社製NS-NBO)をターゲットとしてDC放電で成膜した。酸化物層(1)および酸化物層(2)は,酸化亜鉛に酸化アルミニウムを3質量%添加したもの(旭硝子セラミックス社製)をターゲットとしてDC放電で成膜した。また,導電層は,純度99.9原子%の銀をターゲットに用いてDC放電で成膜した。」(甲4段落【0056】)

・ 「[比較例1]

高屈折率層(1)の上に酸化物層(1)を形成させることなく,高屈折率層(1)の上に直接導電層を実施例1と同様の成膜条件で形成させた。それ以外は,実施例1と同様にして電磁波遮蔽積層体を作製した。

得られた電磁波遮蔽積層体について,実施例1と同様の方法で,可視光透過率,抵抗値,耐湿性の評価を行った。可視光透過率,抵抗値,耐湿性の測定結果を下記表2に示す。」(甲4段落【0060】)

・ 「[比較例2]

酸化物層(1)および酸化物層(2)を形成させることなく,高屈折率層(1)と高屈折率層(2)との間に直接導電層を実施例1と同様の成膜条件で形成させた。それ以外は,実施例1と同様にして電磁波遮蔽積層体を作製した。」(甲4段落【0061】)

・ 「【表2】

透過率(%)

抵抗率(Ω)

劣化面積(mm²)

実施例1

57.3

0.69

17

比較例1

54.8

0.76

109

比較例2

51.8

0.78

657

(甲4段落【0062】)

・ 「実施例1と比較例1の結果を比較すると,実施例1は,可視光透過率,抵抗値が比較例1とほぼ同等であり,良好な電磁波遮蔽積層体であることが確認された。また,NaCl試験による劣化面積について,実施例1の劣化面積は比較例1の劣化面積の1/6であり,実施例1は耐湿性に優れていることが確認された。また,この結果から,高屈折率層(1)と導電層との間に酸化物層(1)を形成させることで,電磁波遮蔽膜の耐湿性が向上することが確認された。」(甲4段落【0063】)

・ 「次に,実施例1と比較例2の結果を比較すると,実施例1は,可視光透過率,抵抗値が比較例2とほぼ同等であったが,NaCl試験による劣化面積については,実施例1の劣化面積は比較例2の劣化面積の1/38であり,実施例1は耐湿性に優れていることが確認された。この結果から,酸化物層(1)および酸化物層(2)の存在が,電磁波遮蔽膜の耐湿性の向上に大きく寄与することが確認された。」(甲4段落【0064】)

・ 「[参考例1]

成膜条件を表4に示す条件とする以外は,実施例1と同様にして電磁波遮蔽積層体を作製した。

高屈折率層(1)および(2)は,還元型酸化チタン(TXO)ターゲット(旭硝子セラミックス社製)を用いDC放電で成膜した。

得られた電磁波遮蔽積層体について,実施例1と同様の方法で,耐湿性の評価を行った。耐湿性の測定結果を表6に示す。」(甲6段落【0068】)

・ 「【表6】

劣化面積(mm²)

実施例2

8.2

参考例1

21.7

」(甲6段落【0072】)

・ 「高屈折率層の材料として酸化ニオブを用いた実施例2と高屈折率層の材料として酸化チタンを用いた参考例1では,NaClを滴下した周辺のみが劣化していて,劣化面積が小さかった。酸化二オブと,酸化チタンとを比較すると,劣化面積は酸化ニオブの方が小さく,耐久性がより優れていた。‥‥。」(甲6段落【0073】)

イ 上記記載によれば,本願補正発明6は,従来技術の問題点,すなわち,電磁波遮蔽膜の金属層である銀の耐湿性を改良するために銀層にパラジウムを添加すると,抵抗値が大きくなり,この大きくなった抵抗値を下げるために金属層の積層数を増していくと可視光透過率が下がってしまう点(段落【0005】参照),及び酸化物層として酸化チタンのように屈折率の高い材料を使用すると積層数が増えても透過率の低下が少ないが,酸化チタンと銀とが交互に積層された積層体は,耐湿性が悪い点(段落【0006】参照)等にかんがみ,高い可視光透過率と共に,低い抵抗値,高い耐湿性を有する低コストの電磁波遮蔽積層体膜を提供することを目的とした発明であると認めることができる。

(2)  引用発明の意義

ア 引用例1(甲1)には,次の記載がある。

・ 「【請求項1】 透明基板の一方の面に電磁波遮断膜が被覆された電磁波遮断板と,前記電磁波遮断膜面に設けられた保護膜とを有する電磁波フィルタであって,前記電磁波遮断膜を,透明基板側から550nmの波長における屈折率が1.7~2.7の誘電体層と銀主成分層をこの順に交互に積層した9層の積層体とし,前記銀主成分層の厚みを5~20nmとすることにより,前記電磁波遮断膜のシート抵抗を2Ω/□以下,かつ,波長850nmにおける近赤外線透過率を15%以下としたことを特徴とするプラズマディスプレイパネル用の電磁波フィルタ。」

・ 「【発明の属する技術分野】 本発明は,プラズマディスプレイパネルの前面に設置して,プラズマ放電により放出される電磁波をカットするのに好適に用いられる電磁波フィルタに関し,必要とする電磁波遮断性とともに,高い可視光線透過率と低い近赤外線透過率を併せ有し,かつ実用に耐える耐久性を有する電磁波フィルタに関する。また本発明は,陰極線管(CRT)やフィールドエミッションディスプレイ(FED)が放出する電磁波をカットするのにも用いることもできる。」(段落【0001】)

・ 「【従来の技術】 ガラス板の如き透明基板の主表面上に電磁波遮断膜が被覆された可視域で透明な電磁波フィルタとしては,基板側から誘電体層と金属層とがこの順に交互に積層された電磁波フィルタが知られている。この目的のために用いられる電磁波遮断膜は,電磁波の遮断を行うために導電性の(小さい面積抵抗を有する)物質を基板上に被覆したものが用いられる。そして高い可視光線透過率を確保しながら低い抵抗を有する導電体層として,透明金属酸化物で例示できる誘電体薄膜層と銀の薄膜層との積層体が知られている。」(段落【0002】)

・ 「【発明が解決しようとする課題】 プラズマディスプレイパネルは大型の画像表示装置として知られているが,その高輝度の表示を実現するために強力なプラズマ放電を必要とする。このため放電領域からプラズマディスプレイパネルの前方に向かって,電磁波とともに近赤外線が放出され,放出される電磁波が人体に悪影響を及ぼす恐れがあるとされ,一方放出される近赤外線がプラズマディスプレイパネルの近くにある家電製品のリモコン受光部で検知され,そのスイッチを誤動作させるという問題点があった。」(段落【0006】)

・ 「上記目的を達成するために,プラズマディスプレイパネル前面に電磁波遮断性能を有する透明体を設けることが提案されており,そのために誘電体層と銀層を交互に積層した電磁波フィルタをプラズマディスプレイの前面に貼り付けることが検討されている。このような電磁波フィルタとしては,

1) 電磁波遮断能がある,

2) 家電品のリモコンスイッチの遠隔通信に用いられる近赤外線域(800~900nm)の波長の電磁波の透過率が小さく,周辺家電品の誤動作防止能がある,

3) 明るい画像表示を維持するために可視光線透過率が高い,

4) 空気中に暴露された状態で使用されるので,耐湿熱性などの耐久性能がある,という性能が同時に要求される。」(段落【0007】)

・ 「ここで,上記2)と3)の性能を同時に満足させるには,可視域で高透過,近赤外域で低透過の特性,すなわち可視域と近赤外域の境界で急速に透過率が低くなる電磁波遮断膜を設計することにより,本発明の課題を解決する着想を得たのである。」(段落【0008】)

・ 「本発明は,プラズマディスプレイパネルの前面から放出される電磁波およびリモコンスイッチ制御用の赤外線を遮断する機能と高い可視光線透過率を維持しつつ,実用的な耐久性を有する電磁波フィルタを提供することを目的とする。」(段落【0012】)

・ 「【課題を解決するための手段】 上記課題を解決するために,本発明は鋭意研究した結果,まず銀主成分層については4層に分割すること,銀層にパラジウムを所定範囲量添加することにより,プラズマディスプレイパネルの前面に設置して用いる電磁波フィルタとして必要な電磁波遮断能を有する抵抗値,近赤外域での低い透過率および実用的な耐湿熱性が得られることを見出したことによりなされたものである。」(段落【0013】)

・ 「本発明の請求項1は,透明基板の一方の面に電磁波遮断膜が被覆された電磁波遮断板と,前記電磁波遮断膜面に設けられた保護膜とを有する電磁波フィルタであって,前記電磁波遮断膜を,透明基板側から550nmの波長における屈折率が1.7~2.7の誘電体層と銀主成分層をこの順に交互に積層した9層の積層体とし,前記銀主成分層の厚みを5~20nmとすることにより,前記電磁波遮断膜のシート抵抗を2Ω/□以下,かつ,波長850nmにおける近赤外線透過率を15%以下としたことを特徴とするプラズマディスプレイパネル用の電磁波フィルタである。」(段落【0014】)

・ 「誘電体層は,550nmの波長の屈折率が1.7~2.7の透明金属酸化物が用いられる。誘電体の屈折率が1.7未満であると電磁波フィルタとしての反射率が高くなり,2.7を越える金属酸化物の層は,その積層をするにあたり透明基板の高温の加熱を必要とし,銀主成分層の酸化劣化をもたらす。したがって誘電体層の厚みは,1.7~2.7であることを必要とする。」(段落【0015】)

・ 「各誘電体層の厚みとその厚み比率および銀主成分の各層の厚みを,可視光線域の広い帯域で反射率が低くなるようにして選定し,また,その反射の中心波長を可視域の中心に合わせることで,反射色調を上記の色座標で表される色調が目立たない色に調整される。とくに赤みの色調が強くならないように調整されるのが好ましい。」(段落【0023】)

・ 「本発明に用いられる誘電体層は550nmの波長における屈折率が1.7~2.7の誘電体が用いられる。それらの誘電体としては,酸化亜鉛,酸化錫,酸化インジウム,酸化チタニウム,酸化ジルコニウム,五酸化タンタル等の金属酸化物が例示できる。またこれらの混合物も用いることができる。たとえば酸化亜鉛と酸化インジウムの混合物,ITOを用いることができる。これらの透明金属酸化物の2種以上を積層して多層構成の誘電体層とすることができる。」(段落【0033】)

・ 「なかでも導電性である酸化亜鉛は,銀主成分層に下地として積層すると,酸化亜鉛の結晶格子のピッチが銀のそれと非常に近いため比抵抗の低い(結晶性の高い)銀の膜成長に適しているので好ましい。また酸化亜鉛は,雰囲気中の銀に対する腐食性ガスに含まれる硫黄成分などを吸着して硫黄成分の銀層への直接到達を妨げ,銀層を保護するので好ましい。また,酸化亜鉛にアルミニウムやガリウムなどの金属を少量含有させた酸化亜鉛主成分層は,導電性が増加するので,また後述する成膜時において利点があるので好ましい。」(段落【0034】)

・ 「酸化錫やインジウムと亜鉛の複合酸化物は,導電性があり,かつ非晶質の膜とすることができるので腐食性ガスに対するガスバリヤ性が高く,電磁波遮断膜の耐湿熱性を向上させるので好ましい。これらは大気などの環境中の腐食性ガスたとえばH2S,SO2,NOx,HClなどから銀層を保護する点でも好ましい。」(段落【0035】)

・ 「上記理由から,本発明の誘電体層について,その最表面層または各層を酸化錫と酸化亜鉛あるいは酸化錫とアルミニウム含有酸化亜鉛(ZAOと略記する)の2層構成とするのが好ましい。この場合,銀層に下地として接する膜を酸化亜鉛系の膜とするのが上記結晶格子の関係から好ましい。」(段落【0036】)

イ 上記記載によれば,引用発明は,電磁波とともに近赤外線が放出されるPDPの前面に設置する電磁波フィルタに関するものであり(段落【0001】,【0006】),このような電磁波フィルタとしては,①電磁波遮断能がある,②家電品のリモコンスイッチの遠隔通信に用いられる近赤外線域(800~900nm)の波長の電磁波の透過率が小さく,周辺家電品の誤動作防止能がある,③明るい画像表示を維持するために可視光線透過率が高い,④空気中に暴露された状態で使用されるので,耐湿熱性などの耐久性能がある,という性能が同時に要求されるとの課題に基づいて(段落【0007】),PDPの前面から放出される電磁波及びリモコンスイッチ制御用の赤外線を遮断する機能と高い可視光線透過率を維持しつつ,実用的な耐久性を有する電磁波フィルタを提供することを目的とするという内容をもった発明であると認めることができる。

(3)  原告主張の取消事由に対する判断

ア 取消事由1(本願補正発明6の技術的意義の看過)について

(ア) 原告は,前記第3,1(4) ア(ア) (イ) 記載のとおり,審決は,a)シート抵抗が低いこと,b)可視透過率が高いこと,c)耐湿性が高いことをすべて満足するという本願補正発明6の課題と効果を十分に参酌していない点で不当である旨主張する。

確かに,前記(1) アの本願明細書の記載によれば,本願補正発明6の課題は,従来技術の問題点,すなわち,電磁波遮蔽膜の金属層である銀の耐湿性を改良するために銀層にパラジウムを添加すると,抵抗値が大きくなり,この大きくなった抵抗値を下げるために金属層の積層数を増していくと可視光透過率が下がってしまう点(段落【0005】参照),及び酸化物層として酸化チタンのように屈折率の高い材料を使用すると積層数が増えても透過率の低下が少ないが,酸化チタンと銀とが交互に積層された積層体は,耐湿性が悪い点(段落【0006】参照)等にかんがみ,高い可視光透過率と共に,低い抵抗値,高い耐湿性を有する低コストの電磁波遮蔽積層体膜を提供することにあると認められるので(段落【0007】参照),本願補正発明6は,原告が主張するとおり,上記a)ないしc)の3つすべてを満足することを課題としているということができる。

しかし,審決は,本願補正発明6を引用発明と対比・判断した上で進歩性を判断しているところ,上記(2) の記載によれば,引用発明も「プラズマディスプレイパネルの前面から放出される電磁波およびリモコンスイッチ制御用の赤外線を遮断する機能と高い可視光線透過率を維持しつつ,実用的な耐久性を有する電磁波フィルタを提供すること」を目的とするものであって(段落【0012】参照),引用例1記載の課題解決手段により,必要な電磁波遮断能を有する抵抗値,近赤外域での低い透過率及び実用的な耐湿熱性を得られることを前提としているから(段落【0013】参照),上記目的・効果を達成するためには本願補正発明6と同様に上記a)ないしc)の3つすべてを満足することが求められていると認められる。そうすると,審決が,引用発明と対比として本願補正発明6の進歩性を判断していること自体,当然に本願補正発明6と引用発明との課題及び効果の共通性を前提としているものであるから,本願補正発明6の課題と効果についても十分に検討した結果にほかならないというべきである。

したがって,審決が,本願補正発明6の課題と効果を十分に参酌していないとの原告の主張は失当である。

(イ) また,原告は,前記第3,1(4) ア(イ) のとおり,本件各実験証明書(甲16~甲18)並びに甲37実験証明書及び甲38実験証明書を提出した上で,本願補正発明6の方が引用発明より,視感透過率,シート抵抗及び耐湿性のいずれの点においても顕著な優位性を有する旨主張する。

確かに,被告が主張するように,本願補正発明6に係る実施例(段落【0052】ないし【0054】,【0060】ないし【0063】,【0072】,【0073】参照)は,透明基材としてポリエチレンテレフタレートフィルム,成膜装置として平野光音(株)社製のスパッタ成膜装置,スパッタ電源としてDCを用いる直流スパッタ法,を用いることにより,電磁波遮蔽膜を4積層成膜させた電磁波遮蔽積層体であったのに対し,原告が提出した本件各実験証明書(甲16~甲18)に記載の膜の製造条件は,透明基材としてガラス板,成膜装置として島津製作所製のバッチ式スパッタリング装置,パルススパッタ法,を用いることにより,電磁波遮蔽膜を3積層成膜させた電磁波遮蔽積層体を用いるものであるから,本件各実験証明書に係る膜の製造条件は,本願明細書に記載された成膜装置,成膜方法,成膜条件及び電磁波遮蔽膜の積層数とは条件が異なっていると認められるが,本件各実験証明書に記載の積層体が,本願明細書の実施例と層構造やその製造方法において相違があるとしても,本件各実験証明書における酸化ニオブ層を有する積層体の実験例は,本願補正発明6の構成を充足する実施例ということができるから,本件各実験証明書に記載の積層体の特性に基づいて,本願補正発明6の効果を主張すること自体は不当といえるものではない。

しかし,本願明細書の実施例及び本件各実験証明書記載の本願補正発明6に対応する各実験例は,本願補正発明6の構成を充足する実験例であるとはいえ,それぞれ製造条件・実験条件により測定結果が異なり,さらには同じ条件で製造した積層体においても,測定結果が異なる場合のあることが認められる(例えば,甲37実験証明書の実験例B①,②)。

したがって,本件各実験証明書記載の各実験例は,選択された特定の条件下での特性を示しているにすぎず,このような特定条件における特性の測定結果の対比をもって,直ちに,引用発明に対する本願補正発明6の技術的範囲全体において奏する顕著な効果であると認めることはできないというべきである。

そして,上記特性の測定結果を具体的に検討しても,例えば,甲37実験証明書記載の評価結果[表A]に基づいて,引用発明に相当する実験例Aと,本願補正発明6に相当する実験例Bについて特性を対比すると,まず,抵抗値と劣化面積については両者に大きな差はなく,実験例A-1①の抵抗値は実験例B①②の抵抗値よりも低く,また,実験例A-2②の劣化面積は実験例B②の劣化面積よりも小さい等,設定された条件によっては,引用発明に相当する実験例Aの方が特性が良好であることが認められる。

また,視感透過率及び可視光透過率についてみると,全体として実験例Bの特性が良好であると認められるものの,例えば,実験例A-2②と実験例B①の視感透過率の差は5.2%,可視光透過率の差は5.8%であり,この差は,本願明細書の実施例1と比較例2との結果比較(表2,段落【0064】)において,可視光透過率が「ほぼ同等」と評価された透過率の差(5.5%)と変わりがないから,本願明細書の基準に従えば,本願補正発明6に相当する実験例Bが,引用発明に相当する実験例Aに対して,常に顕著に良好な透過率を示すとはいえない。

したがって,本願補正発明6が引用発明と比較して,可視光の透過性が多少良好であるとしても,引用発明と比較した有利な効果が,技術水準から予測される範囲を超えた顕著なものであるとまでいうことはできない。

(ウ) 次に,原告は,前記第3,1(4) ア(ウ) のとおり,積層体全体の特性には,積層された複数の層の相互作用が関係するから,1つの層を別の層に置換した場合の,置換後の積層体全体の特性を予測することは困難であると主張する。

しかし,進歩性の判断における効果の参酌は,引用発明と比較した有利な効果が,技術水準から予測される範囲を超えた顕著なものである場合に,進歩性が否定されないこともあるということにとどまり,発明の効果の程度が厳密に予測できなければ直ちに進歩性を有すると認定されるわけではない。したがって,この点に関する原告の主張はその前提において失当である。

また,積層体全体の特性には,積層された複数の層の相互作用が関係するとしても,積層体の特性が,積層体を構成する個別の層の特性に依存することも事実であると認められ,後述するように,層の相互作用についても一定程度の予測性があるといえるから,そのことだけで,本願補正発明6の効果が予測された範囲を超えた顕著なものであるとはいえない。したがって,この点においても,原告の主張は失当である。

(エ) そこで,本願補正発明6に技術水準から予測される範囲を超えた顕著な作用効果があるか否かについて,検討する。

まず,本願補正発明6は,「前記電磁波遮蔽膜が,前記基材側から順に,屈折率が2.0以上である物質からなる第1の高屈折率層,酸化亜鉛を主成分とする第1の酸化物層,銀を主成分とする導電層および屈折率が2.0以上である物質からなる第2の高屈折率層を有し,前記導電層は前記第1の酸化物層に直接接し,」との発明特定事項を備えており,当該発明特定事項と作用・効果の関係に関して,本願明細書の段落【0018】には,第1の高屈折率層31または第2の高屈折率層35の屈折率を2.0以上とすることにより,電磁波遮蔽膜100の積層数を増やしても可視光透過率を高く維持することができる旨が記載され,また,段落【0027】には,酸化亜鉛を主成分とする材料からなる酸化物層の上に銀を積層すると結晶性の良い銀が得られること,第1の酸化物層32を酸化亜鉛を主成分とする材料にすることにより,銀のマイグレーションが抑制され,第1の酸化物層32と導電層33との密着性を維持することができ,また,このことにより,界面への水分の侵入を抑えることができ,銀の耐湿性が良好になること,等が記載されている。

そして,前記(2) の内容によれば,上記第1の高屈折率層または第2の高屈折率層の屈折率に関しては,引用発明も条件を満たしており,また,酸化亜鉛を主成分とする材料からなる酸化物層の上に銀を積層する構成に関しても,引用発明は本願補正発明6と同じ構成を有することが認められるから,これらの構成に基づく作用・効果(すなわち,高い可視光透過率,銀の耐湿性等)は引用発明も奏するものであり,これらの点は,本願補正発明6が引用発明と比較して顕著な効果を有する要因にはなり得ないというべきである。

また,原告は,本願補正発明6の優れた特性が,積層された複数の層の様々な相互作用によってもたらされていると主張し,前記第3,1(4)ア(ウ)aないしcに示す相互作用が推定されると主張する。

そこで,原告の主張する上記aないしcの相互作用について検討すると,上記aについては,原告も認めているとおり,引用例1の段落【0034】には,本願補正発明6と同様に,銀の結晶性が高まることが記載されているから,これに伴う本願補正発明6の作用・効果も予測しうることであることは明らかである。

また,上記bは,そもそも本願明細書に記載された相互作用とはいえないばかりか,乙1刊行物には,還元型酸化ニオブターゲットを出発原料としてスパッタ形成された酸化ニオブ膜(段落【0007】参照)からなる高屈折率酸化物膜は,アモルファス構造をとるため,膜構造が均質で,粒界がなく,表面も滑らかである(段落【0017】参照)旨記載されており,酸化ニオブ主成分層の表面が滑らかであること自体は既に公知の事項であったと認められるから,その上側に形成する層の表面も滑らかとなること等は,上記公知の事項から推測される相互作用にすぎないというべきである。したがって,これに伴う本願補正発明6の特性の向上も,当業者(その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者)が予測しえないものということはできない。

そして,上記cについては,同じく乙1刊行物に,アモルファス構造をとる高屈折率酸化物膜(酸化ニオブ膜)は,粒界への水分の浸透がないことが記載されているから(段落【0017】参照),下側に配置される導電層を保護するとの相互作用や,これに伴って耐湿性が向上するとの本願補正発明6の作用・効果も当然に予測しうることであるというべきである。

したがって,原告の主張する本願補正発明6の相互作用aないしcは,その作用の程度を厳密に予測することは困難であるとしても,一定程度の予測性はあるといえるから,本願補正発明6が当時の技術水準から予測される範囲を超えた顕著な効果を奏するとは認められず,この点に関する原告の主張は失当である。

イ 取消事由2(引用発明の技術的意義の看過)について

(ア) 前記(2) の記載によれば,引用発明は,前記のとおり,電磁波とともに近赤外線が放出されるPDPの前面に設置する電磁波フィルタに関するものであり(段落【0001】,【0006】),このような電磁波フィルタとしては,①電磁波遮断能がある,②家電品のリモコンスイッチの遠隔通信に用いられる近赤外線域(800~900nm)の波長の電磁波の透過率が小さく,周辺家電品の誤動作防止能がある,③明るい画像表示を維持するために可視光線透過率が高い,④空気中に暴露された状態で使用されるので,耐湿熱性などの耐久性能がある,という性能が同時に要求されるとの課題に基づいて(段落【0007】),PDPの前面から放出される電磁波及びリモコンスイッチ制御用の赤外線を遮断する機能と高い可視光線透過率を維持しつつ,実用的な耐久性を有する電磁波フィルタを提供することを目的とするものであると認められる(段落【0012】)。

そして,引用例1の請求項1には,「透明基板の一方の面に電磁波遮断膜が被覆された電磁波遮断板と,前記電磁波遮断膜面に設けられた保護膜とを有する電磁波フィルタであって,前記電磁波遮断膜を,透明基板側から550nmの波長における屈折率が1.7~2.7の誘電体層と銀主成分層をこの順に交互に積層した9層の積層体とし,前記銀主成分層の厚みを5~20nmとすることにより,前記電磁波遮断膜のシート抵抗を2Ω/□以下,かつ,波長850nmにおける近赤外線透過率を15%以下としたこと」が特定されているが,酸化亜鉛は,銀主成分層に下地として積層すると,酸化亜鉛の結晶格子のピッチが銀のそれと非常に近いため比抵抗の低い(結晶性の高い)銀の膜成長に適しており(段落【0034】),また,酸化錫やインジウムと亜鉛の複合酸化物は,導電性があり,かつ非晶質の膜とすることができるので腐食性ガスに対するガスバリヤ性が高く,電磁波遮断膜の耐湿熱性を向上させる(段落【0035】)との理由から,誘電体層について,各層を酸化錫と酸化亜鉛の2層構成としたものであると認められる。

(イ) 引用発明において酸化錫を選択した目的について

この点に関し,原告は,前記第3,1(4) イ(ア) のとおり,引用発明は,特定の課題を解決するという観点で,屈折率1.7~2.7の材料という多数の材料群の中から,酸化錫と酸化亜鉛を選択し,かつ特定の順番で積層した誘電体層とされているのであって,酸化錫を他の誘電体膜と置換することについて,引用発明において,誘電体層として酸化錫が用いられた目的を考慮しない審決の判断は不当である旨主張する。

しかし,引用例1の請求項1においては,誘電体層については,光学薄膜として使用される誘電体材料の通常の屈折率で特定しているのみであるのに対して,審決の認定した引用発明は,特定の誘電体層(特定の順番で積層された酸化錫と酸化亜鉛)に限定された発明であるものの,引用発明は,審決が表1の実施例1に基づいて認定していることから明らかなように,引用例1の請求項1に係る発明の一実施例に相当するものであり,請求項1に係る発明を具体化したものにすぎないから,請求項1に係る発明と同じ技術的思想に基づく発明であるといえるものである。そして,引用例1の記載によれば,引用発明の誘電体層において,酸化亜鉛は,「銀主成分層に下地として積層すると,酸化亜鉛の結晶格子のピッチが銀のそれと非常に近いため比抵抗の低い(結晶性の高い)銀の膜成長に適しているので好ましい」及び「雰囲気中の銀に対する腐食性ガスに含まれる硫黄成分などを吸着して硫黄成分の銀層への直接到達を妨げ,銀層を保護するので好ましい」(段落【0034】)との理由で選択されており,一方,酸化錫は,インジウムと亜鉛の複合酸化物とともに,「導電性があり,かつ非晶質の膜とすることができるので腐食性ガスに対するガスバリヤ性が高く,電磁波遮断膜の耐湿熱性を向上させるので好ましい」及び「大気などの環境中の腐食性ガスたとえばH2S,SO2,NOx,HClなどから銀層を保護する点でも好ましい」(段落【0035】)との理由で選択されている。その上で,これらの観点に立って,誘電体層について,酸化錫と酸化亜鉛の2層構成とし,銀層に下地として接する膜を酸化亜鉛系の膜とするのが好ましいとされている(段落【0036】)。

そうすると,酸化亜鉛の選択理由である,比抵抗の低い銀の膜成長や銀層の保護は,積層体の導電層の低抵抗化を図るものであり,また,酸化錫の選択理由である,腐食性ガスに対するガスバリヤ性は,電磁波遮断膜の耐湿熱性の向上を図るものであるから,結局,引用発明の構成は,「プラズマディスプレイパネルの前面から放出される電磁波およびリモコンスイッチ制御用の赤外線を遮断する機能と高い可視光線透過率を維持しつつ,実用的な耐久性を有する電磁波フィルタを提供すること」という引用例1に記載の発明の目的(段落【0012】)を実現するものであり,引用例1における課題解決手段により達成されるべき「プラズマディスプレイパネルの前面に設置して用いる電磁波フィルタとして必要な電磁波遮断能を有する抵抗値,近赤外域での低い透過率および実用的な耐湿熱性が得られること」(段落【0013】)と全く同じ効果を求めるものにすぎないといえる。したがって,引用発明は,引用例1の請求項に係る発明と異なる目的・効果を奏する特別の組合せであるということはできない。

そして,引用例1には,酸化亜鉛,酸化錫はそれぞれ上記の理由で選択されており,酸化亜鉛層と酸化錫層の相互作用についての言及や両者を組み合わせることの作用・効果についての記載はないから,引用発明として,特定の誘電体層(特定の順番で積層された酸化錫と酸化亜鉛)で特定された発明を認定したとしても,上記のとおり,酸化錫と酸化亜鉛は,それぞれの好適とされる理由により選択されたものにすぎないから,当該誘電体層における酸化錫層と酸化亜鉛層とが一体不可分でなければならない理由はない。

すなわち,引用例1にはその実施例として,酸化錫層と酸化亜鉛層との組合せが記載されているものの,引用例1の開示は当該2つの材料層の組合せに限定されるものではなく,それぞれの材料層の代替を検討することに何ら困難性はないというべきである。

したがって,審決の認定した引用発明は,特定の誘電体層を含むとしても,引用例1の請求項1に係る発明と異なる技術的意義を有するものということはできず,また,当該誘電体層の置換を否定するものとも認められないから,審決の判断が引用発明の技術的思想を無視するものであり不当であるとの原告の主張は,理由がない。

(ウ) 原告は,前記第3,1(4) イ(ア) cのとおり,酸化ニオブの導電性について,酸化錫と比較して導電性がはるかに低い酸化ニオブに置換することは,導電性が優れているとして酸化錫を用いた目的から反する方向へ変更することになるから,特段の理由なく当業者が容易に想到できるものではないと主張する。

しかし,周知引用例3(甲3)には,「本発明の誘電体層を形成する金属酸化物層は,550nmの波長における屈折率が1.6~2.7の帯電防止性の金属酸化物を含むことが必要である。」として,金属酸化物層の主成分として「酸化ニオブ」が例示されており,さらに「好ましい帯電防止性を確保するための層の比抵抗は5Ωcm以下であるのが好ましい。」と記載され(段落【0041】),実施例として,酸化ニオブを主成分とする帯電防止性金属酸化物層の比抵抗が0.09Ωcmであることも示されている(【表4】実施例9)。

そうすると,酸化ニオブより酸化錫の方が導電性がよいとはいえるものの,上記のとおり,酸化ニオブを主成分とする層が帯電防止性,すなわち導電性を有する層として認識されるものであることは明らかであるから,導電性の点で,引用発明の「酸化錫」を「酸化ニオブ」に置換することが阻害されるということはできない。

次に,原告は,耐湿熱性の向上という観点について,耐湿熱性を損なうおそれがある酸化ニオブへの置換は,酸化錫の層を設けた目的に反する方向へ変更するおそれがあることから,特段の理由なく当業者が容易に想到できるものではないと主張する。

しかし,引用例1(甲1)の段落【0035】では,酸化錫について「非晶質」の膜とすることができることによるガスバリヤ性,耐湿熱性を開示しており(この点,原告は,「ガスバリヤ性が高く」の後に読点が打たれていることから,「非晶質の膜とすることができる」ことと「耐湿熱性」との因果関係は不明確であると主張するが,上記記載は,「かつ」で区切られて,導電性と,「非晶質の膜」に関する事項の2つの事項が記載されていると解され,「ガスバリヤ性が高く」の後の読点は,原因と結果を区別するために付されたものであり,「非晶質の膜」は,ガスバリヤ性が高く,「耐湿熱性」を有すると解するのが自然である。),「酸化錫」の材料自体の特有のガスバリヤ性,耐湿熱性を示すものとして説明されていないから,「非晶質」の膜とすることができる材料として,酸化錫の代替材料を検討する余地があるというべきである。

そして,このことは,例えば,乙1刊行物の段落【0017】)の「本発明における高屈折率酸化物膜はアモルファス構造をとるため,膜構造が均質で,粒界がなく,表面も滑らかである。このため,‥‥粒界への水分の浸透による‥‥経時変化などがないため,長期間にわたって安定した光学的特徴を維持することができる。」との記載からも,アモルファス構造(非晶質性)の膜が,水分の浸透を妨げる等の作用効果を奏するとの技術常識があったものと認められるから,耐湿熱性やガスバリヤ性を示す材料として,酸化錫を「非晶質」の膜(酸化ニオブ膜も含まれる)により置換することは,上記技術常識に基づいて,当業者が直ちに想到することというべきである。

したがって,ガスバリヤ性,耐湿熱性の観点でも,引用発明における「酸化錫」を「酸化ニオブ」に置換することは阻害されるものではないというべきである。

(エ) 引用例1全体に共通する課題から見た誘電体層の技術的意義

a 原告は,前記第3,1(4) イ(イ) aのとおり,高い可視光線透過率と,低い近赤外線透過率は,引用例1全体に共通する課題であるが,引用例1において,その課題が解決できたことが実証されているのは,誘電体層が酸化亜鉛と酸化錫の組合せ,または酸化亜鉛の単層のものだけであるから,誘電体層の技術的意義を無視し,酸化錫を,この屈折率の要件を満たすいずれの誘電体(ほとんど無限定の誘電体)とも置換容易と判断することは許されないと主張する。

しかし,既に検討したとおり,酸化亜鉛と酸化錫の組合せは,1つの良好な実施例と解するべきであり,引用例1の請求項1に,酸化亜鉛と酸化錫の組み合わせが特定されておらず,「550nmの波長における屈折率が1.7~2.7の誘電体」とのみ特定されていることから,発明者はこの発明特定事項により,所望の効果を奏すると考えていたことは明らかであり,引用例1の請求項1の記載に基づいて,当業者がこの屈折率の要件を満たす誘電体から,置換可能な他の誘電体を検討することは当然のことであると認められる。

b また,原告は,前記第3,1(4) イ(イ) bのとおり,屈折率を高くする,もしくは分散性を小さくすると,透過率,反射率のバンド幅が広がることが知られていたから,当業者であれば,高屈折率であり,分散が小さいという酸化ニオブの特性を考慮して,酸化錫を酸化ニオブに置換した場合,可視域と近赤外域の境界で急速な透過率低下を得ることについて,懸念があると判断するはずであると主張する。

しかし,酸化錫と酸化ニオブを比較した場合に,酸化ニオブの方が高屈折率であることは明らかであるとしても,引用例1に記載された発明は,「550nmの波長における屈折率が1.7~2.7の誘電体」を用いることを前提に,高い可視光線透過率と,低い近赤外線透過率の課題について,可視域と近赤外域の境界で急速に透過率が低くなることにより達成できたのであるから(段落【0008】参照),2.1から2.3という酸化ニオブの屈折率(甲22)は,引用例1に記載の発明が効果を達成しうる屈折率の範囲内のものである。

したがって,酸化ニオブが奏する効果は,引用例1が想定する効果の範囲内といえるから,阻害要因になるものではない。

c さらに,原告は,甲26刊行物(特開平8-104547号公報,公開日 平成8年4月23日)の段落【0007】の記載を根拠に,当業者である甲26刊行物の出願人は,酸化亜鉛と酸化錫以外の誘電体材料,特に屈折率の高い誘電体材料を用いることは,高い可視透過率と低い赤外線透過率の両立を困難にするものと考えていたと主張する。

しかし,甲26刊行物に上記記載があるとしても,単に引用例1(特開2000-59082号公報,出願日 平成10年8月6日)の出願前の知見にすぎず,引用例1の出願時点での認識とは異なるものであり,更には,本件の優先権主張日(平成15年8月25日)において,引用例1の記載を見た当業者がそのように認識するものと解することもできない。

したがって,この点に関する原告の主張は失当である。

ウ 取消事由3(引用発明に周知技術を適用する動機付け欠如の看過)について

(ア) 原告は,第3,1(4) ウ(ア) のとおり,誘電体層の材料の変更に関し,酸化亜鉛を固定したままで,酸化錫のみを変更することは,当業者が容易に想到できるものではないと主張する。

しかし,前記のとおり,引用発明において,酸化亜鉛と酸化錫の組合せは一体不可分のものではなく,ぞれぞれが引用例1の段落【0034】及び【0035】に記載された理由により,好ましい材料として選択された結果であるから,これらの材料層の一方を置換することに格別の困難性はない。

また,原告は,酸化物に限定しても26種類の材料が知られており,誘電体層について膨大な選択肢が考えられるにもかかわらず,「酸化錫主成分層だけを,特に酸化ニオブに置換すること」を,技術分野の同一性のみを根拠として当業者が容易に想到し得たとした審決は不当である旨主張する。

しかし,引用例2の段落【0007】には,「誘電材は,ニオブ五酸化物が好ましい」と記載されているのであり,単に技術分野の同一性のみならず,上記のような積極的な示唆に基づけば,誘電体材料層の置換の容易性を判断できることは明らかである。

そして,電磁波遮蔽積層体に用いる誘電体層として,多数の材料が知られているとしても,引用発明の作用・効果を奏する予測性の高い材料から選択することは当然であるから,本願補正発明6に辿り着くために膨大な試行錯誤を必要とするとの原告の主張は採用することができない。

(イ) 次に,原告は,第3,1(4) ウ(イ) aのとおり,周知引用例2は,引用発明の酸化錫を,酸化ニオブに代える動機付けとはならず,むしろ思いとどまらせる方向の動機付けが働く旨主張する。

しかし,周知引用例2(甲2)には,高屈折率であり,反射率を小さく可視光の透過率を向上させる誘電性材料として「ニオブ五酸化物が好ましい」ことが明示的に記載されているのであるから,酸化錫を酸化ニオブに置換することを優先的に行うことに格別の困難性はない。

また,原告は,周知引用例2には,高屈折率の材料が可視光透過率の向上に関して好ましいことは記載されているが,屈折率が高ければ高いほど好ましいとは記載されておらず,また,誘電体層の屈折率が高くなると,または分散が小さくなると,バンド幅が広がり,赤外線の反射率が低下する不具合が生じるから,少なくとも低い赤外線透過率を課題とする引用発明の酸化錫を,酸化ニオブに代える動機付けとはならず,むしろ思いとどまらせる方向の動機付けとなるとも主張する。

しかし,引用発明は,550nmの波長における屈折率が1.7~2.7の誘電体を用い,波長850nmにおける近赤外線透過率が15%以下とすることを予定しているのであって,酸化ニオブの特性(屈折率2.1~2.3)は引用発明において想定されている範囲内であるから,引用例2に記載の示唆を否定する根拠とはなり得ないというべきである。

さらに,原告は,可視光反射率やスパッタリング速度の問題も酸化ニオブの適用を思いとどまらせる方向の動機付けである旨主張するが,それらの問題は,誘電体層の材料を選択するに当たって,特定の光学特性を得ることに優先される問題とは認められず,酸化ニオブを選択する動機付けの阻害要因となるものではないというべきであるから,この点に関する原告の主張も失当である。

(ウ)a 次に,原告は,第3,1(4) ウ(イ) bのとおり,周知引用例3は,誘電体層の構成が特定された引用発明において,酸化ニオブを適用する動機付けにはならない旨主張するが,周知引用例3には,下記のとおりの記載があり,これらの記載からすれば,引用発明の誘電体層に酸化ニオブを適用する動機付けになることは明らかである。

・ 「【請求項1】 透明基板の一方の面に,前記透明基板側から誘電体層と銀層とがこの順に交互に繰り返し積層された(2n+1(n≧1))層の積層体を含む透光性電磁波遮断膜が被覆された電磁波遮断膜付き基板において,前記誘電体層は,550nmの波長における屈折率が1.6~2.7の帯電防止性金属酸化物層を含むことを特徴とする透光性電磁波フィルタ。」

・ 「【請求項2】  前記帯電防止性金属酸化物層の比抵抗が5Ωcm以下であることを特徴とする請求項1に記載の透光性電磁波フィルタ。」

・ 「【請求項8】 前記帯電防止性金属酸化物層を,モリブデンを含む主成分が酸化ニオブの層で構成したことを特徴とする請求項1または2に記載の透光性電磁波フィルタ。」

・ 「【発明の属する技術分野】 本発明は,陰極線管(CRT),フィールドエミッションディスプレイ(FED),プラズマディスプレイパネル等の表示装置の前面に設置して,表示装置から放出される電磁波をカットする電磁波フィルタおよびその製造方法に関する。‥‥」(段落【0001】)

・ 「本発明の積層体の誘電体層は,帯電防止性を有している。したがって,銀層が導電性であり,誘電体層が帯電防止性であるため,本発明の透明基板上に成膜される透光性電磁波遮断膜には電荷が溜まることがない。このため,銀層の上に誘電体層をスパッタリングにより積層するに際して異常放電の発生が抑制され,異常放電に伴って生成するピンホールや異物の付着が少なく,ピンホールなどの欠点が生じにくい積層体とすることができる。」(段落【0014】)

・ 「請求項2の透光性電磁波フィルタは,請求項1において,帯電防止性の金属酸化物層の比抵抗が5Ωcm以下であることを特徴とする。金属酸化物層の厚みは,可視の波長域で透過率が増加するように設定される。この層の比抵抗が5Ωcm以下とすることにより,減圧された雰囲気中でのスパッタリングにより成膜するときに,プラズマアーキング(異常放電)が抑制され,ピンホールなどの発生を効果的に抑制できるからである。」(段落「【0017】)

・ 「誘電体層を構成する帯電防止性金属酸化物層の厚み方向についてその一部を、窒化シリコン、酸窒化シリコンおよび酸化錫のいずれかのバリア層で置換して、金属酸化物層とバリア層の積層体とすることにより、電磁波遮断膜の耐湿熱性を向上させることができる。」(段落【0026】)

b また,原告は,周知引用例3の記載について,引用発明の酸化錫層は,バリア層であり,酸化錫層を他の材料に置換するとすれば,同じバリア層である窒化シリコン又は酸窒化シリコンに置換しようとするのが,無理のない考え方であるなどと主張するが,引用例1には,酸化錫の導電性について言及されているから,原告の主張は前提において誤りであり,採用することはできない。

3  結論

以上のとおり,原告主張の取消事由はいずれも理由がなく,本願補正発明6は,引用発明及び周知の技術事項から容易に想到できるとして本件補正を却下した審決に誤りはない。

よって,原告の請求を棄却することとし,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 中野哲弘 裁判官 東海林保 裁判官 矢口俊哉)

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