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知財高等裁判所 平成22年(行ケ)10060号 判決 2010年11月29日

原告

株式会社ALEX

訴訟代理人弁理士

吉田繁喜

被告

訴訟代理人弁護士

佐々木猛也

平田かおり

橋本貴司

弁理士

前田弘

前田亮

河部大輔

主文

特許庁が無効2009-800083号事件について平成22年1月8日にした審決を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実及び理由

第1原告の求めた判決

主文同旨

第2事案の概要

原告は,被告の有する特許について無効審判請求をしたが,特許庁から請求不成立の審決を受けたので,その取消訴訟を提起した。争点は,明確性の有無,分割要件の存否,進歩性の有無,新規性の有無である。

1  特許庁における手続の経緯

被告は,平成20年10月17日,名称を「遺体の処置装置」とする発明について特許出願(特願2008-268908号。本件出願)をし,平成20年12月26日,特許第4237247号として登録を受けた(請求項の数1。甲32。本件特許)。

なお,本件出願は,平成17年1月18日にした国際出願(国内における出願番号は特願2006-519003号。以下「出願A」という。)の一部を新たな特許出願(特願2008-8940号。出願日平成20年1月18日。以下「出願B」という。)とし,その一部を新たな特許出願(特願2008-137926号。出願日平成20年5月27日。以下「出願C」という。)とし,さらにその一部を新たに特許出願としたものである。

原告は,平成21年4月20日に,本件特許について無効審判請求をした。特許庁は,この請求を無効2009-800083号事件として審理し,平成22年1月8日,「本件審判の請求は,成り立たない。」との審決をし,その謄本は平成22年1月20日原告に送達された。

2  本件発明の要旨

本件特許の請求項1(本件発明)は次のとおりである(a~eの文節符号は原告が付したもの)。

【請求項1】

「a 遺体の体内物が肛門から漏出するのを抑制する遺体の処置装置であって,

b 筒状の案内部材と,

c 上記案内部材に収容される吸水剤と,

d 上記吸水剤を上記案内部材の一端開口部から押し出す押出部材とを備え,

e 上記案内部材の一端開口部側は,肛門から直腸へ挿入されるように形成されるとともに,肛門への挿入前に上記吸水剤が上記案内部材の外部に出るのを抑制するように構成されていることを特徴とする遺体の処置装置。」

3  審判における原告主張の無効理由

(1)  無効理由1~3

本件発明は,案内部材に「吸水剤」のみを収容するものであるが,そのようなものは出願Cの明細書又は図面に記載されておらず,分割出願の要件を満たしていない。したがって,本件出願の出願日は,出願Aのされた平成17年1月18日には遡及せず,本件出願の日である平成20年10月17日となる。そうすると,本件発明は,その出願日前に頒布された刊行物であるWO2006/77617号(国際公開日2006年7月27日,出願Aの国際公開。甲2)と同一である若しくは特開2005-329161号公報(甲3)と同一であるから特許法29条1項3号に該当する(無効理由1,2),又はその出願日前に頒布された刊行物である特開2005-329161号公報(甲3)に記載された発明並びに実用新案登録第3106399号公報(甲4),実用新案登録第3056825号公報(甲5),特開2001-288001号公報(甲6),特開平10-298001号公報(甲7)及び特開平7-265367号公報(甲8)に記載された周知技術に基づき容易に発明をすることができたから,特許法29条2項に該当する(無効理由3)。

(2)  無効理由4

本件発明は,その出願日の前に頒布された実用新案登録第3056825号公報に記載された甲5発明,特開2001-288001号公報(甲6),特開平10-298001号公報(甲7),特開平7-265367号公報(甲8)及び実願平1-46652号(実開平2-136648号)のマイクロフィルム(甲9)に記載された発明に基づき容易に発明をすることができるから,特許法29条2項に該当する。

(3)  無効理由5

本件特許の特許請求の範囲の記載のうち,「案内部材の一端開口部側は,肛門から直腸へ挿入されるように形成されるとともに,肛門への挿入前に上記吸水剤が上記案内部材の外部に出るのを抑制するように構成されている」の部分(構成e)は,その具体的構成が明確でないので,特許法36条6項2号に適合しない。

4  審決の理由の要点

(1)  無効理由5について

本件発明の構成eは,「案内部材の一端開口部側が,肛門から直腸へ挿入されるように形成される」という部分(構成e1)と,「案内部材の一端開口部側が,肛門への挿入前に上記吸水剤が上記案内部材の外部に出るのを抑制するように構成されている」という部分(構成e2)とからなっているところ,本件発明の解釈と当業者の技術常識からすると,これらの構成部分はいずれも不明確であるとはいえない。

(2)  無効理由4について

甲5発明と本件発明との一致点,相違点は次のとおりであるが,甲5発明において相違点a,bに係る本件発明の構成を適用すること,すなわち,甲5発明の「一端の開口に漏斗状部を介して吸液剤供給管を連結してなる,両端部に開口を有する吸液剤収納容器」を,「筒状の案内部材」であって,その「一端開口部側」は,「肛門から直腸へ挿入されるように形成され」,「肛門への挿入前に上記吸水剤が上記案内部材の外部に出るのを抑制するように構成されている」ものに代えること,及び,甲5発明の「送出される空気により遺体の肛門に充填するために,他方の開口に空気導入管を介して」備えた「エアポンプ」を「案内部材の一端開口部から押し出す押出部材」に代えることは,当業者に容易になし得ることとはいえない。したがって,本件発明は,その出願前頒布された刊行物である実用新案登録第3056825号公報(甲5)に記載された発明及び特開2001-288001号公報(甲6),特開平10-298001号公報(甲7),特開平7-265367号公報(甲8),実願平1-46652号(実開平2-136648号)のマイクロフィルム(甲9)及び特開2002-172165号公報(甲11)に記載された発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたということはできない。

【甲5発明】

「遺体の体液を肛門から流失させないようにする遺体用吸液剤挿入器であって,

両端部に開口を有する吸液剤収納容器と,

上記容器に収納される吸液剤と,

上記吸液剤を遺体の肛門に充填或いは肛門内に挿入するための,他端の開口に空気導入管を介したエアポンプを備え,

上記容器の一端の開口は漏斗状部を介して吸液剤供給管を連結してなる,

遺体用吸液剤挿入器」

【一致点】

「遺体の体内物が肛門から漏出するのを抑制する遺体の処置装置であって,

吸水剤を収容する部材と,

上記吸水剤を収容する部材に収容される吸水剤と,

上記吸水剤を上記吸水剤を収容する部材の一端開口部から送出する装置とを備える

遺体の処置装置」

【相違点a】

「吸水剤を収容する部材」が,本件発明は「筒状の案内部材」であって,その「一端開口部側は,肛門から直腸へ挿入されるように形成されるとともに,肛門への挿入前に上記吸水剤が上記案内部材の外部に出るのを抑制するように構成されている」のに対し,甲5発明は「両端部に開口を有する吸液剤収納容器」であって,その「一端の開口は漏斗状部を介して吸液剤供給管を連結してなる」点

【相違点b】

「吸水剤を収容する部材の一端開口部から送出する装置」が,本件発明は「吸水剤を上記案内部材の一端開口部から押し出す押出部材」であるのに対し,甲5発明は「吸液剤を遺体の肛門に充填或いは肛門内に挿入するための,他端の開口に空気導入管を介したエアポンプ」である点

(3)  無効理由1~3について

本件発明は,案内部材に少なくとも吸水剤が収容されることを規定するもので,吸水剤のみが収容されることを規定するものではない。そして,本件出願時における出願Cの,出願Cの分割出願時における出願Bの,出願Bの分割出願時における出願Aの明細書又は図面には少なくとも吸水剤が収容されている装置が記載されているので,各分割出願の要件は満たしている。そうすると,本件出願の出願日とされる日は,平成17年1月18日となるので,WO2006/77617号(甲2)及び特開2005-329161号公報(甲3)は,出願日前に頒布された文献とはいえない。

第3原告主張の審決取消事由

1  取消事由1(無効理由5(明確性要件)に関する判断の誤り)

(1)  本件発明の構成e1は不明確である。審決には,何故,長さ,太さ,表面性状等についての技術常識を考慮すれば,「肛門から直腸へ挿入される」ことができるために必要な具体的形状構造が明らかであるといえるのか,合理的な説明はない。

(2)  審決は,構成eのうち,構成e1については案内部材自体の構成に基づいて判断しているが,構成e2については案内部材及び別部材の構成に基づいて判断している。このように,審決は,同じ構成要素について異なる判断基準を用いることの合理的説明がなく,矛盾している。また,構成eの「案内部材の一端開口部側は」の記載からすると,本件発明の構成e2についても,案内部材自体の構成に基づいて判断すべきであるのに,審決は別部材に基づいて判断しており,請求項1の記載に基づかない判断である。なお,審決は,無効理由4の進歩性判断において,本件発明の構成e2と特開平10-298001号公報(甲7)記載の「針をつけないシリンジ」とを対比する際には,後者の「針をつけないシリンジ」については別部材を考慮しておらず,判断基準が異なっており,妥当でない。

そして,構成e2の「抑制する」については,本件明細書において具体的に示されている案内部材自体の構造,すなわち,羽状部,開口部等の構造に関する記述との関係で理解するのが自然であるが,本件発明の請求項1では,そのような構造に限定されておらず,それ以外にどのような構造が含まれるのか,どの程度抑制されるのかが不明確である。

2  取消事由2(無効理由4(進歩性)に関する認定・判断の誤り)

(1)  本件発明の要旨認定の誤り

審決は,甲5発明の「両端部に開口を有する吸液剤収納容器」であって一端開口部側に「筒本体より小径の管」を有するものは,本件発明の「筒状の案内部材」であって,その一端開口部側が,「肛門への挿入前に上記吸水剤が上記案内部材の外部に出るのを抑制するように構成されている」ものということはできないと判断し(17頁20行~24行),相違点について検討する際にも同様の判断をして,甲5発明に,特開2001-288001号公報(甲6),特開平10-298001号公報(甲7)及び特開平7-265367号公報(甲8)記載の構成を適用したとしても,本件発明の構成にはならないとしている。

しかし,この判断は,上記1で主張したように,審決が本件発明の構成e2について別部材に基づいて判断した誤りに起因するもので,誤っている。構成e2については案内部材自体の構成に基づいて判断すべきところ,本件発明の「案内部材」も,甲5発明等の筒本体の一端開口部側に「筒本体より小径の管」を有するものも,先端に吸水剤を排出するための開口を有するとともに,先端開口部が筒状本体の内径よりも小さくされている点において同一である。また,本件発明において「抑制」の程度は特定されていないのであるから,「吸水剤が案内部材の外部に出るのを抑制するように構成されている」点においても実質的に同一である。したがって,審決の上記判断は誤っている。

(2)  相違点に関する判断の誤り

ア 審決は,肛門から直腸までの距離は,成人か子供か等により相違があるとしても,数cm程度であると認められるのに対し,特開2001-288001号公報(甲6),特開平10-298001号公報(甲7)及び特開平7-265367号公報(甲8)に記載される「吸水剤を収容する部材」における「筒本体より小径の管」は遺体の口,鼻等に挿入するものであって,その長さは不明であり,本件発明のように「一端開口部側は,肛門から直腸へ挿入されるように形成される」ものであるということはできないので,たとえ,請求人(原告)が主張するように甲5発明に特開2001-288001号公報(甲6),特開平10-298001号公報(甲7)及び特開平7-265367号公報(甲8)に記載された「吸水剤を収容する部材」及びピストンを適用することができたとしても,そもそも,本件発明の構成とはならないと判断する(20頁23行~37行)。

しかしながら,シリンジをどの程度挿入するかを,挿入する適用部位に応じて適宜選定することは,当業者にとって技術常識である。本件明細書に従来技術に係る文献として記載された特開2003-111830号公報(甲48)によれば,特に肛門からの体内物の漏出防止を図る場合,肛門筋の弛緩により起こる直腸内汚物の遺漏が問題となるため,体腔内に体腔封止部材を挿入するということは,当業者であれば直腸内に達する程度挿入すると解するのが当然である。というのも,直腸内に達しないように肛門管の部分だけに挿入するものとすれば,肛門筋の弛緩により体腔封止部材は簡単に肛門から外れ,直腸内汚物の遺漏を防止できないことは明らかであり,当業者の技術常識に反するからである。

イ 「案内部材の外部に出るのを抑制するように構成する」点については,別部材を用いて抑制することは,当業者にとって通常の技術手段である。例えば,装置使用前の運搬・保管等の取扱いの間に,案内部材内の収容物が排出開口部から外へ排出しないようにするためにキャップをすることは,通常行われている慣用手段にすぎず,何らの困難性も認められない。

ウ 審決は,実用新案登録第3056825号公報(甲5)の「体液が遺体用吸液剤供給管5内に入ると,遺体用吸液剤2が膨脹し遺体用吸液剤供給管5の出口を塞ぎ,以後遺体用吸液剤挿入器1を使用不能にする」との記載から,「筒体を肛門から直腸に挿入するに際し,筒体の開口部から体液が侵入し,吸水剤粉末はその体液を吸収して膨張するため,開口を閉塞し,スムーズに排出されない恐れがある。特に,特開2001-288001号公報(甲6),特開平10-298001号公報(甲7)及び特開平7-265367号公報(甲8)に記載された『筒本体より小径の管』であるときは,筒本体より開口部が小径としているため,わずかな体液を吸収により開口が閉塞される恐れが高く,吸収剤粉末をスムーズに排出できない恐れがより高い。」と判断する(21頁34行~22頁5行)。

しかしながら,筒本体より開口部が小径のシリンジの場合,審決の上記推測とは異なり,水や体液はシリンジ内に浸入し難い。これは,シリンジ先端部との界面での表面張力及びシリンジ内の空気圧(1気圧)によるためと考えられる。また,筒体を肛門から挿入して吸水剤粉末を押し出す操作はほんの数秒で完了する。これに対して,吸水剤粉末が吸水して膨潤し,ゲル化するまでには,吸水剤にもよるが一般に2分程度かかり,上記数秒の操作の間には吸水剤粉末はほんの僅かの体液を吸収するだけであって,開口が閉塞されることはなく,吸水剤粉末をスムーズに押し出すことができる。

エ 審決は,特開2001-288001号公報(甲6)の「粉末を押圧しても粉末自体の密度が上がるだけで,充填器内をスムーズに流れない」との記載から,「特開2001-288001号公報(甲6),特開平10-298001号公報(甲7)及び特開平7-265367号公報(甲8)に記載された『筒本体より小径の管』の場合は,吸水剤粉末を,その小径の管を経て小径の開口から排出させるため,押圧のみによってはスムーズに排出できない恐れもある。」と判断する(22頁6行~10行)。

しかしながら,特開平10-298001号公報(甲7)には,高吸水性ポリマーが微粉末であれば注射器を用いて簡便に注入できるということ,及び粗大粒子が存在すると注射器を詰まらせるので好ましくないので,高吸水性ポリマー粉末は150メッシュ,望ましくは200メッシュより細かい微粉末が適していることが記載されており(段落【0013】,【0023】参照。),高吸水性ポリマー粉末の粒径の調整により改善されることが教示されている。細かい高吸水性樹脂粉末を充填したシリンジを用いることは,当業者にとって極めて容易に想到し得ることである。

オ 審決は,「吸水剤粉末の耳,鼻,口などからの体内物の漏出抑制には「少量」,具体的には,耳や鼻では1g程度,口でも2ないし5g程度注入すれば足りるが,遺体の肛門からの体内物の漏出抑制に十分な吸水剤粉末はより多量と認められ,これを注入するときには,…より多量の吸水剤をスムーズに注入することに困難が予測される。」とする(22頁15行~23行)。

しかし,原告の実験によれば,シリンジ内に約15mlの高吸水性樹脂粉末を充填して注入することができた。また,本件明細書においても,吸水剤3の収容量は,0.05g以上5.00g以下の範囲で設定すれば体内物の水分を十分に吸収することが可能であるとされており,審決の判断には誤りがある。

3  取消事由3(無効理由1(分割要件・新規性)に関する認定・判断の誤り)本件発明の構成cには,①案内部材には吸水剤のみが収容される態様,②案内部材には封止部材と吸水剤が収容される態様,③案内部材には封止部材と吸水剤と閉塞部材が収容される態様が包含されると解釈することができる。しかしながら,②の態様は出願Cの発明と同一であり,③の態様は出願Aの発明と同一である。したがって,本件発明が上記②及び③の態様を包含するものとすれば,本件出願は,特許法44条1項所定の「二以上の発明を包含する特許出願の一部を一又は二以上の新たな特許出願」としたものに該当しないことになる。そのため,本件発明は,出願A~C等とは異なる①の態様を特許請求したものと解さざるを得ない。また,被告自身,平成21年10月7日付け上申書の16頁17行目以降において,本件出願の特許請求の範囲に記載された事項は特願2008-137926号(出願C)の出願当初の明細書等に記載された事項から「直腸封止部材(封止部材2)」を削除したものである,と述べている。

そして,①の態様は,出願A~Cのいずれの明細書にも記載されていない。すなわち,これらの明細書等には吸水剤「及び」直腸封止部材により体内物が肛門から漏出することを抑制するとされており,吸水剤のみの構成は記載されていない。したがって,本件出願は分割要件を満たしていない。

4  取消事由4(無効理由2,3(分割要件・新規性・進歩性)に関する認定・判断の誤り)

上記3で主張したのと同様の理由から,無効理由2,3に関する審決の判断も誤りである。

第4被告の主張

1  取消事由1に対し

(1)  本件発明の「案内部材の一端開口部側は,肛門から直腸へ挿入されるように形成されるとともに,肛門への挿入前に上記吸水剤が上記案内部材の外部に出るのを抑制するように構成されている」という構成は,物の機能の表現形式を用いている。機能による物の特定を含む請求項において,当業者が,出願時の技術常識を考慮して,請求項に記載された当該物を特定するための事項から,当該機能を有する具体的な物を想定できる場合には,発明の範囲は明確であるといえる。

そして,審決は,本件発明の上記構成の具体的形状構造・材質等は,例えば,長さ,太さ,表面性状等,当業者の技術常識を考慮すれば,容易に予測できることが明らかとしたものである。

(2)  本件発明の構成e1においては,筒状案内部材の一端開口部側とは,案内部材本体の排出開口部の「肛門から直腸へ挿入される」部分が,遺体の「肛門から直腸へ挿入される」ことができるために必要な具体的形状構造等(本件特許の実施形態では,「複数の羽状部7」に相当)に形成されることによって構成されたものである。一方,構成e2においては,筒状案内部材の一端開口部側とは,案内部材の排出開口部側が,吸水剤の該排出開口部からの漏出を抑制するために必要な具体的形状構造等に,例えば,案内部材の排出開口端部壁自体及び案内部材の排出開口端部とは別の部材による排出開口の封鎖構造(ただし,吸水剤に押出部材により押出力が作用するときには,吸水剤が案内部材の外部に押出可能な封鎖構造),案内部材の排出開口端部に脱着自在に被冠されたキャップ部材による排出開口の封鎖構造,案内部材の排出開口端部壁自体による排出開口の封鎖構造(ただし,吸水剤に押出部材により押出力が作用するときには,吸水剤が案内部材の外部に押し出し可能な封鎖構造)等に形成されることによって構成されたものである。

つまり,本件発明の要旨は,「案内部材の一端開口部側は,…」という構成は,案内部材自体の構成であっても,案内部材に別部材を組み合わせた構成であってもよいということである。審決はそれを踏まえて判断したものであって,構成e1については案内部材自体の構成について判断し,構成e2については案内部材及び別部材の両方に基づいて判断しているのである。かかる解釈は,正に,本件特許の請求項1の記載に基づくものであり,また,本件発明の要旨に合致した解釈である。

実用新案登録第3056825号公報(甲5),特開2001-288001号公報(甲6),特開平10-298001号公報(甲7)及び特開平7-265367号公報(甲8)に記載の「吸水剤を収容する部材」の「筒本体より小径の管」の排出開口は,筒本体とは別部材による封鎖がされていないものである。したがって,これらについては,「吸水剤を収容する部材」そのものの構成に基づいて,「吸水剤を収容する部材」の一端開口部側の構成を認定すべきである。

本件発明の「筒状の案内部材」は,その一端開口部側が,肛門への挿入前に上記吸水剤が上記案内部材の外部に出るのを抑制するように構成されているものであるのに対し,特開平10-298001号公報(甲7)記載の「針をつけないシリンジ」のような,筒本体の一端開口部側に筒本体より小径の管を有する「筒状の案内部材」は,「筒本体より小径の管」には吸水剤を排出するための開口があるので,通常の装置使用前の運搬・保管等の取扱いの間に,この案内部材の排出開口部から吸水剤の外への排出が実質的にあるものであり,この点で,両者は相違する。

2  取消事由2に対し

(1)  「吸水剤を収容する部材」は,本件発明では,特許請求の範囲に記載されているとおり,「筒状の案内部材」であって,その一端開口部側が,肛門への挿入前に上記吸水剤が上記案内部材の外部に出るのを抑制するように構成されているものであるのに対し,甲5発明では,両端部に開口を有する吸液剤収納容器であって,その一端開口部側に筒本体より小径の管を有し,この「筒本体より小径の管」に吸水剤を排出するための開口があり,通常の装置使用前の運搬・保管等の取扱いの間に,吸水剤の吸液剤収納容器の排出開口部から外への排出が実質的にあるものである点で,両者は相違する。つまり,甲5発明の「吸水剤を収容する部材」は,その一端開口部側の「筒本体より小径の管」が,「肛門への挿入前に上記吸水剤が上記案内部材の外部に出るのを抑制するように構成されている」ものではない。

(2)ア  本件の証拠をみても,肛門からの体内物の漏出の抑制については,肛門入口ないし肛門管の封止によるのか,直腸の封止によるのか明らかでなく,直腸に吸水剤を供給して遺体の肛門からの体内物の漏出を抑制するという技術思想があったとはいえない。したがって,特開平7-265367号公報(甲8)に記載の「注射類似のケース」を肛門に適用したとしても,その挿入長さが直腸までの長さであることが技術常識であるとはいえない。

イ  原告は,水や体液はシリンジ内に侵入し難いと主張する。しかし,原告の主張の前提となる実験は,空の汎用シリンジの先端ガイド部を水に入れたもの,つまり,シリンジに吸水剤粉末を充填していない状態で行ったものであり,「吸水剤粉末が収容されたシリンジ」について行ったものではない。したがって,原告の実験結果は信用できない。

また,原告は,筒体を肛門から挿入して吸水剤粉末を押し出す操作はほんの数秒で完了すると主張するが,原告が実験結果として提出する甲49には,その点は何ら実証されていない。

ウ  特開2001-288001号公報(甲6),特開平10-298001号公報(甲7)及び特開平7-265367号公報(甲8)に記載された「筒本体より小径の管」の場合,特に,比較的粒度が荒い吸水剤粉末を用いたときは,仮に開口が閉塞されなくても,吸水剤粉末をスムーズに排出できない恐れがある。さらに,このような「筒本体より小径の管」の場合は,筒本体より開口部が小径としているため,通常の装置使用前の運搬・保管等の取扱いの間における空気中の僅かな湿気の吸収により開口が閉塞される恐れがあり,この点で,吸水剤粉末をスムーズに排出できない恐れがある。

エ  原告は,本件明細書においても,「吸水剤3の収容量は,0.05g以上5.00g以下の範囲で設定すれば体内物の水分を十分に吸収することが可能である。」と記載されていると主張する。

しかし,本件特許の実施形態では,封止部材2の水膨潤性繊維が体内物の水分を吸収して,封止部材2が膨張することにより,直腸が封止される。つまり,本件特許の実施形態では,吸水剤3の収容量は,封止部材2による水分吸収,及び,直腸封止を考慮して設定されている。したがって,本件明細書の記載をもって,審決の判断が誤りであるとする原告の上記主張は容認できない。

3  取消事由3に対し

審決は,本件発明は案内部材に「吸水剤のみ」が収納されるものであるということを前提とする請求人(原告)の主張に基づいて,本件出願が分割要件を満たしているか否かの判断を下しているのであって,審決の判断に誤りはない。

出願A,B,Cの明細書には,遺体処置装置の製造方法及び使用方法が詳細に記載されており,当業者であれば,この記載に基づいて,封止部材を含まない場合の発明も実施することができる。すなわち,当業者であれば,封止部材2が存在しない場合には,製造時に封止部材2を挿入しなければよいだけであり,又は,使用する際には,閉塞部材16と吸水剤3だけが直腸内へ挿入されるだけであることが理解できる。

原出願は,案内部材に封止部材及び吸水剤が収容されていることを発明特定事項としており,その発明の詳細な説明に封止部材及び吸水剤が収容されていることによって解決される課題や効果が記載されるのは当然のことである。しかしながら,だからといって,原出願の明細書には案内部材に封止部材及び吸水剤が収容された発明以外は記載されていないというのは妥当ではない。

よって,本件発明は,その要旨とする技術分野における通常の技術的知識を有する者においてこれを正確に理解し,かつ,容易に実施することができる程度に原出願の明細書又は図面に記載されており,本件出願は分割要件を満たしている。

4  取消事由4に対し

上記3で述べたのと同様に,原告の主張は失当である。

第5当裁判所の判断

1  取消事由1(明確性要件)について

(1)  原告は,本件発明の構成e1が不明確であり,審決にも合理的説明がない旨主張する。

しかし,審決は,「遺体の肛門や肛門から直腸までの長さ等の構造・性状は,これらが死後の経過時間,体格・年齢等に応じて変わること等を含め,当業者の技術常識である。」(8頁10行~12行)ことを認定し,そのような技術常識を考慮すれば,必要な具体的構造形状・材質等,例えば長さ,太さ,表面性状等は明らかであると判断しているのであって,合理的な理由の説明はされている。

そして,本件発明の構成e1は,案内部材の一端開口部側が「肛門から直腸へ挿入されるように形成される」と特定されているところ,その字句どおり,案内部材の一端開口部側が肛門から直腸へ挿入されるように形成された構成であれば,どのような形状・材質からなるものであってもよいと解されるから,構成e1の記載が不明確であるということはできない。

したがって,原告の上記主張は採用することができない。

(2)  原告は,本件発明の構成e2について,案内部材自体の構造から判断すべきであり,これを前提として判断すると不明確であるなどと主張する。

しかし,「案内部材の一端開口部側」という文言については,これを「案内部材の」と「一端開口部側」に分けて,案内部材それ自体の一端を指すという解釈と,「案内部材の一端開口部」と「側」に分けて,案内部材の一端開口部の方向・面を指すという解釈が考えられるところ,本件明細書の「案内部材の一端開口部側に,該一端開口部を閉塞する閉塞部材を設けてもよい。」(段落【0010】)の記載を斟酌すると,本件発明においては,案内部材それ自体の形状,構造等に限定されるものではなく,別部材を用いる場合も含めた一端開口部周辺の形状,構造等を指すものと解するのが相当である。

そして,構成e2については,その字句のとおり,案内部材の一端開口部側が,肛門への挿入前に吸水剤が案内部材の外部に出るのを抑制するように構成されていれば,どのような形状・構造からなるものであってもよいと解されるのであって,当業者の技術常識を考慮すれば,構成e2の記載が不明確であるということはできない。

以上のとおり,取消事由1については理由がない。

2  取消事由3,4(無効理由1~3に関する認定・判断の誤り)について

進歩性・新規性判断の基準時を確定するため,取消事由3及び4についてまず判断する。

取消事由3,4は,本件発明について,案内部材に吸水剤のみが収容される態様は出願A~Cのいずれの明細書等にも記載されていないから,本件出願は分割要件を満たさないことを前提にして,本件発明は,本件出願の現実の出願日の前に頒布されたWO2006/77617号(甲2)又は特開2005-329161号公報(甲3)記載の発明と同一であるか,特開2005-329161号公報(甲3)記載の発明などから当事者が容易に発明できたとするものである。

しかし,出願Cの当初明細書等(甲1)の記載,特に段落【0041】~【0045】の記載に照らすと,出願Cにおいては,遺体の直腸に挿入,残置される部材として,吸水剤3,封止部材2及び閉塞部材16が挙げられているところ,これらの部材のうち,遺体の体内物が肛門から漏出するのを抑制するために必要なものは吸水剤であり,他方,封止部材は上記抑制効果を高めるために用いられるものと認められるが,必須のものとまではいえない。そうすると,原告が主張するように,本件発明は案内部材に吸水剤のみが収容されるものであると解したとしても,そのような構成は出願Cの当初明細書等に記載されていると認めることができる。また,出願B(甲29の段落【0041】~【0045】)及び出願A(甲2の段落[0054]~[0058])の当初明細書等についても,これと同様に,案内部材に吸水剤のみが収容される構成も記載されていると認められる。

したがって,少なくとも本件において原告が主張する理由によっては,本件発明が分割要件を満たしていないということはできず,本件発明の出願日とされる日は出願Aの出願日である平成17年1月18日となる。

この前提に反する取消事由3,4は理由がない。

3  取消事由2(進歩性の有無)について

(1)  本件発明

本件明細書(甲32)の段落【0001】,【0002】,【0005】~【0009】,【0011】,【0015】の記載によれば,本件発明は,遺体の肛門から体内物が漏出するのを抑制する遺体の処置装置に関するものであって,人間が死亡すると,筋肉の弛緩により直腸内に残留している便や体液等の体内物が肛門から漏出することがあるところ,漏出を抑制するための柱状体を指で挿入する従来技術では,処置者にとって作業が煩雑であるなどの問題があったことから,筒状の案内部材に吸水剤を収容し,案内部材の一端開口部側を肛門から直腸へ挿入されるように形成し,吸水剤を案内部材の一端開口部から押し出す押出部材を備えるように構成することで,案内部材を直腸に挿入して押出部材を操作するだけで吸水剤を遺体の孔部内に押し出すことが可能となり,もって,肛門に指を差し込む必要がなくなるなど処置の作業性が良好になり,かつ,直腸に挿入された吸水剤によって体内物の水分が吸収されるので,体内物が遺体の肛門から漏出するのを抑制することができるようになるというものと認められる。また,本件発明は,案内部材の一端開口部側が,肛門への挿入前に吸水剤が案内部材の外部に出るのを抑制するように構成されることで,吸水剤が,肛門への挿入前,すなわち本件発明である遺体の処置装置の使用前において,案内部材の一端開口部から外部に出てしまうことはないといった作用効果も併せて奏するものと認められる。

(2)  甲5発明

実用新案登録第3056825号公報(甲5)の実用新案登録の範囲【請求項1】,考案の詳細な説明段落【0001】,【0003】,【0004】,【0006】,【図1】によれば,甲5発明は,遺体がその孔部から排出される体液により汚れるのを防止するため,体液を吸収保持する吸液剤を遺体の肛門,口腔等の内部に挿入する機器に関するものであって,両端部に開口を有する筒状の吸液剤収納容器に,粉末状の高吸水性ポリマからなる遺体用吸液剤を収容し,吸液剤収納容器の一方の開口にエアポンプを連結し,他方の開口に漏斗状部を介して肛門内等に挿入しやすいように形成された吸液剤供給管を連結するものであり,これによって,簡便に,かつ,充填者が遺体に直接触れずに吸液剤を充填できるというものであることが認められる。

(3)  本件発明の要旨認定について

原告は,本件発明の構成e2について,案内部材自体の構成に基づいて判断すべきであるのに,審決が別部材に基づいて判断したことは誤りであり,これに伴い,構成e2に関する甲5発明との対比の判断についても誤っている旨主張する。

しかし,上記1で説示したとおり,構成e2については,別部材を用いる場合も含めて判断するのが相当であり,この点に関する審決の本件発明の要旨認定や甲5発明との対比に誤りはない。

(4)  相違点に関する判断について

原告は,相違点に関する審決の判断に誤りがある旨主張する。相違点aに係る本件発明の構成は,「案内部材の一端開口部側は,肛門から直腸へ挿入されるように形成される」構成(構成e1)と,案内部材の一端開口部側が「肛門への挿入前に上記吸水剤が上記案内部材の外部に出るのを抑制するように構成されている」構成(構成e2)とに分けられるので,これらを分けて検討することとする。

ア 相違点aの「案内部材の一端開口部側は,肛門から直腸へ挿入されるように形成される」構成(構成e1)について

遺体の肛門筋が弛緩することは,例えば特開2003-111830号公報(甲48)に記載されるように,当業者にとって自明の事柄又は技術常識であるといえる。そうすると,遺体の肛門内に吸液剤を挿入することで体液の漏出を防止しようとする場合,筋が弛緩する肛門部分にのみ吸液剤を挿入したのでは,吸液剤が漏出してしまうことになるから,吸液剤を肛門の奥の直腸まで挿入するようにすることは,当業者であれば容易に想到し得るものというべきである。そして,実用新案登録第3056825号公報(甲5)には,吸液剤供給管を肛門内に挿入しやすいように形成するとの記載があるから(段落【0006】),上記の自明の事項や技術常識を勘案し,甲5発明の吸液剤収納容器の一端開口部側に当たる吸液剤供給管を「肛門から直腸に挿入されるように形成される」ようにすることは,当業者にとって適宜なし得る事項というべきである。

イ 相違点aの案内部材の一端開口部側が「肛門への挿入前に上記吸水剤が上記案内部材の外部に出るのを抑制するように構成されている」構成(構成e2)について

本件発明の構成e2については,上記1(2)で説示したとおり,肛門への挿入前,すなわち遺体処置装置の使用前に吸水剤が案内部材の外部に出ることが抑制されていれば,どのような形状・構造であってもよいと解され,これには別部材を用いて抑制する場合も含まれると解される。そして,吸水剤を収容する容器に漏出防止用のキャップを用いることは特開2001-288001号公報(甲6)の請求項17に記載されるように周知であるか,当業者にとって適宜なし得る事項であるといえる。また,特開2001-288001号公報(甲6)記載の体液漏出防止装置も甲5発明も,遺体の肛門等から体液が漏出するのを防止するため,肛門等から吸水剤を充填するという同一の技術分野に関するものである。したがって,甲5発明に上記の技術事項を付加して,「肛門への挿入前に吸水剤が案内部材の外部に出るのを抑制するように構成する」ことは,当業者にとって容易に想到し得るというべきである。

審決は,(無効理由5の判断部分ではあるが,)本件発明の構成e2については,別部材により吸水剤が外部に出るのを抑制する構成が含まれることを認めていながら,原告主張の文献である特開2001-288001号公報(甲6),特開平10-298001号公報(甲7)及び特開平7-265367号公報(甲8)に関しては,別部材による抑制が容易かどうかの検討を行っておらず,誤りがある。

ウ 相違点bについて

審決は,相違点bとして,吸水剤を送出する装置が,本件発明では押出部材であるのに対し,甲5発明ではエアポンプである点を挙げている。

しかし,本件発明における押出部材は,「上記吸水剤を上記案内部材の一端開口部から押し出す押出部材」と特定されているだけであるから,実施例記載の押出棒の構成に限定されるものではなく,吸水剤を案内部材の一端開口部から押し出すことが可能であれば,各種の構成が含まれると解される。他方,甲5発明におけるエアポンプも,空気を介して間接的にではあるが,吸水剤を押し出す作用があるから,本件発明の押出部材と異なるとはいえない。したがって,相違点bについては,そもそも相違点であるとはいえない。

(5)  小括

以上のとおり,審決の相違点a,bに関する判断には誤りがある。そして,本件発明と甲5発明との間には審決が認定した相違点a,b以外に構成の相違があることについて,当事者(特に特許権者である被告)から特段の主張はないし,その余の構成が同一であるとした審決の認定判断が正当なことは本件発明の請求項と実用新案登録第3056825号公報(甲5)の記載から明らかであるから,本件発明は,甲5発明に周知技術や当業者にとっての技術常識を適用することで,容易に想到し得たというべきである。

第6結論

以上のとおりであって,本件無効審判請求は理由がある。この請求を成り立たないとした審決は誤りであって,取り消されるべきものである。よって,主文のとおり判決する。

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