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知財高等裁判所 平成22年(行ケ)10068号 判決 2010年11月08日

原告

エイディシーテクノロジー株式会社

訴訟代理人弁護士

水野健司

被告

特許庁長官

指定代理人

山本春樹

新川圭二

廣瀬文雄

田村正明

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第1原告の求めた判決

特許庁が不服2009-14923号事件について平成22年1月20日にした審決を取り消す。

第2事案の概要

審決は,原告の特許出願に係る拒絶査定不服審判請求について,審判請求は成り立たないとした。争点は,本願発明の容易推考性の存否と審決の手続違背の有無である。

1  特許庁における手続の経緯

原告は,平成20年7月4日,名称を「携帯型無線電話装置」とする発明の特許出願(特願2008-176037。本件出願)をしたが,平成21年5月12日付けで拒絶査定を受けたので,平成21年8月18日,拒絶査定に対する不服審判請求をするとともに,補正(補正後の請求項の数1,甲28)をした。

特許庁は,上記審判請求を不服2009-14923号事件として審理したが,平成22年1月20日,「本件審判の請求は,成り立たない。」との審決をし,その謄本は平成22年2月2日,原告に送達された。

本件出願は,平成5年3月30日に出願した特願平5-72367号の一部を新たな特許出願(特願平7-309277号)とし,その一部を新たな特許出願(特願平10-180965号)とし,その一部を新たな特許出願(特願2003-137722号)とし,その一部を新たな特許出願(特願2003-336052号)とし,その一部を新たな特許出願(特願2004-40374号)とし,その一部を新たな特許出願(特願2005-285307号)とし,その一部を新たな特許出願(特願2007-88463号)とし,さらにその一部を新たに特許出願としたものである。

2  本願発明の要旨

(下線部分は平成21年8月18日の補正で付加された構成である。)

「公衆通信回線に無線によって接続される無線電話ユニットと,

上記無線電話ユニットを収容する筐体と,

上記無線電話ユニットを経由して受信した電話の受信内容を格納する留守録メモリと,

GPSと,

上記筐体に保持されるディスプレイと,

上記GPSが運用中かの調査と,上記無線電話ユニットが上記公衆通信回線からの受信を待機している受信待機中かの調査を行う現況調査手段と,

上記現況調査手段によってGPSが運用中であるとされた場合に上記ディスプレイにGPS運用中の表示を行うと共に,上記受信待機中であるとされた場合に上記ディスプレイに受信待機中の表示を行う現況報告画面表示手段と,

上記ディスプレイに所定の業務の名称の一覧を文字画像で表示する第1の表示手段と,

上記第1の表示手段によって上記ディスプレイに表示された所定の業務の名称の一覧の中から選択された業務の名称を入力する業務の名称の入力手段と,

上記GPSの出力に基づく位置座標データを入力する位置座標データ入力手段と,上記位置座標データ入力手段の位置座標データに基づき,上記選択された業務の名称に従って,該選択された業務の名称に対応して記憶されている発信先の名称の中から,現在位置に最も近い発信先の名称の文字画像を上記ディスプレイに表示する第2の表示手段と,

現在位置に最も近い発信先の名称が複数ある場合は,それら複数の発信先の名称を前記ディスプレイに表示する第3の表示手段と,

上記無線電話ユニットを利用して,上記ディスプレイに表示された発信先の名称の発信先に発信を行う電話発信手段と,

上記電話発信手段によって電話が接続された場合に,通話中の文字画像を上記ディスプレイに表示する通話中手段と,

上記ディスプレイに留守録一覧画面を表示する留守録一覧表示手段と,

上記ディスプレイに表示された留守録一覧画面に基づいて選択された留守録の音声データを上記留守録メモリから読み込んで再生する再生手段と,

上記現況調査手段,上記現況報告画面表示手段,上記第1の表示手段,上記業務の名称の入力手段,上記位置座標データ入力手段,上記第2の表示手段,上記電話発信手段,上記通話中手段,上記留守録一覧表示手段,及び上記再生手段を実行するCPUと

を備える携帯型無線電話装置。」

3  審決の理由の要点

(1)  本願発明は,引用例(特開平4-56429号公報)に記載された引用発明,引用例2(特開平3-138516号公報)及び引用例3(特開平4-225672号公報)に記載された技術,並びに周知例1(特開平5-34431号公報),周知例2(特開平4-339284号公報),周知例3(実願昭61-23732号(実開昭62-135250号)のマイクロフィルム),周知例4(特開平4-98955号公報),周知例5(特開平3-289259号公報),周知例6(特開昭64-39859号公報),周知例7(特開平2-76355号公報)及び周知例8(特開昭62-6562号公報)に記載された周知技術に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであるから,特許法29条2項の規定により特許を受けることができない。

すなわち,本願発明と引用発明との相違点は後記のとおりであるところ,相違点1及び6に係る本願発明の構成は周知例1及び2に開示された周知技術であり,適用上の阻害要因もないので,これを引用発明に適用することは当業者が適宜なし得るし,相違点2に係る本願発明の構成とすることは引用例2及び3記載の技術手段及び一般的な技術事項に基づいて適宜なし得ることであり,相違点3に係る本願発明の構成は周知例3及び4に開示されるように周知であるか,自明であり,適用上の阻害要因もないので,これらを引用発明に適用することは当業者が適宜なし得るし,相違点4に係る本願発明の構成は周知例5及び6に開示されるように周知であり,適用上の阻害要因もないので,これを引用発明に適用することは当業者が適宜なし得るし,相違点5に係る本願発明の構成は周知例7及び8に記載されているように周知であり,適用上の阻害要因もないので,これを引用発明に適用することは当業者が適宜なし得るし,相違点7に係る本願発明の構成は自明の事項と相違点2,4,5に係る変更に基づいて適宜なし得ることであり,相違点8に係る本願発明の構成とすることは周知例2の記載から当業者が適宜なし得る。

(2)  審決が認定した引用発明の内容,引用発明と本願発明との一致点及び相違点,引用例2及び3に記載された技術事項は,次のとおりである。

【引用発明】

「公衆通信回線に無線によって接続される無線電話ユニットと,

GPSと,

ディスプレイと,

上記ディスプレイに所定の業務の名称の一覧を文字画像で表示する第1の表示手段と,

上記第1の表示手段によって上記ディスプレイに表示された所定の業務の名称の一覧の中から選択された業務を入力する業務の入力手段と,

上記GPSの出力に基づく位置座標データを入力する位置座標データ入力手段と,

上記位置座標データ入力手段の位置座標データに基づき,上記選択された業務に従って,該選択された業務に対応して記憶されている発信先の名称の中から,現在位置に最も近い発信先の名称の文字画像を上記ディスプレイに表示する第2の表示手段と,

上記無線電話ユニットを利用して,上記ディスプレイに表示された発信先の名称の発信先に発信を行う電話発信手段と,

例えば読出手段を実行するCPUと

を備える自動車用電話。」

【一致点】

「公衆通信回線に無線によって接続される無線電話ユニットと,

GPSと,

ディスプレイと,

上記ディスプレイに所定の業務の名称の一覧を文字画像で表示する第1の表示手段と,

上記第1の表示手段によって上記ディスプレイに表示された所定の業務の名称の一覧の中から選択された業務の名称を入力する業務の名称の入力手段と,

上記GPSの出力に基づく位置座標データを入力する位置座標データ入力手段と,

上記位置座標データ入力手段の位置座標データに基づき,上記選択された業務の名称に従って,該選択された業務の名称に対応して記憶されている発信先の名称の中から,現在位置に最も近い発信先の名称の文字画像を上記ディスプレイに表示する第2の表示手段と,

上記無線電話ユニットを利用して,上記ディスプレイに表示された発信先の名称の発信先に発信を行う電話発信手段と,

実行制御用CPUと

を備える移動無線電話装置。」

【相違点1】

本願発明の「上記無線電話ユニットを収容する筐体」を引用発明が備えているか否かが不明である点。

【相違点2】

本願発明を構成するGPS及び受信待機に関する「上記GPSが運用中かの調査と,上記無線電話ユニットが上記公衆通信回線からの受信を待機している受信待機中かの調査を行う現況調査手段」及び「上記現況調査手段によってGPSが運用中であるとされた場合に上記ディスプレイにGPS運用中の表示を行うと共に,上記受信待機中であるとされた場合に上記ディスプレイに受信待機中の表示を行う現況報告画面表示手段」を引用発明が備えているか否かが不明である点。

【相違点3】

本願発明を構成する最寄り発信機能に関する「現在位置に最も近い発信先の名称が複数ある場合は,それら複数の発信先の名称を前記ディスプレイに表示する第3の表示手段」を引用発明が備えているか否かが不明である点。

【相違点4】

本願発明を構成する通話中手段に関する「上記電話発信手段によって電話が接続された場合に,通話中の文字画像を上記ディスプレイに表示する通話中手段」を引用発明が備えているか否かが不明である点。

【相違点5】

本願発明を構成する留守録機能に関する「上記無線電話ユニットを経由して受信した電話の受信内容を格納する留守録メモリ」,「上記ディスプレイに留守録一覧画面を表示する留守録一覧表示手段」,「上記ディスプレイに表示された留守録一覧画面に基づいて選択された留守録の音声データを上記留守録メモリから読み込んで再生する再生手段」を引用発明が備えているか否かが不明である点。

【相違点6】

「ディスプレイ」に関し,本願発明は「上記筐体に保持されるディスプレイ」であるのに対し,引用発明は単に「ディスプレイ」である点。

【相違点7】

「実行制御用CPU」に関し,本願発明は「上記現況調査手段,上記現況報告画面表示手段,上記第1の表示手段,上記業務の名称の入力手段,上記位置座標データ入力手段,上記第2の表示手段,上記電話発信手段,上記通話中手段,上記留守録一覧表示手段,及び上記再生手段を実行するCPU」であるのに対し,引用発明は「例えば読出手段を実行するCPU」である点。

【相違点8】

「移動無線電話装置」に関し,本願発明は「携帯型無線電話装置」であるのに対し,引用発明は「自動車用電話」である点。

【引用例2記載の技術事項】

「GPSが運用中か否かの調査を繰り返し行う調査手段と,前記調査手段によってGPSが運用中であるとされた場合にディスプレイにGPS運用中を表示する調査結果表示手段を備えた移動体用ナビゲーション装置」

【引用例3記載の技術事項】

「待機中かの調査を行う調査手段と,前記調査手段によって待機中であるとされた場合にディスプレイに待機中の表示を行う調査結果表示手段とを備えたファクシミリ装置」

第3原告主張の審決取消事由

1  取消事由1(一致点認定の誤り)

審決は,「上記ディスプレイに所定の業務の名称の一覧を文字画像で表示する第1の表示手段」を備えている点を一致点として認定したが,以下の理由から誤りである。

(1)  本願発明のディスプレイに表示される「所定の業務の名称」には,コンビニエンスストア,銀行,駐車場等の様々な業務名が含まれる。本願発明では,これらの業務を含めたあらゆる業務名の中からユーザが選択した業務の名称を入力することで,様々な業務名の発信先が利用可能となり,利便性が向上する。また,本願発明の携帯型無線電話装置,例えば携帯電話は,運転時に操作することが禁止されており,引用発明の自動車用電話のように運転者が電話発信先に行くことを便利にしたり瞬間操作を便利にする技術とは異なる。

これに対して,引用発明は自動車用電話に関する技術であり,車両の運行上で必要となる業務(ガソリンスタンド,病院等)に着目し,その業務への電話発信をワンタッチでできるようにし,電話発信を補助することで,その電話発信先に行くことを助けたり,安全運転に寄与したりする技術である。つまり,引用発明は,車両用の技術であり,コンビニエンスストア,銀行,駐車場といった業務には関係がなく表示の対象とはならない。

(2)  本願発明は,所定の業務の名称の「一覧」が表示される構成となっているが,引用発明には「一覧」が表示される技術は開示されていない。

2  取消事由2(相違点2及び7に関する判断の誤り)

引用発明は,引用例(第1図)に示すとおり,読出手段5から電話機本体1へと送信される信号は一方向のみであって,双方向ではないため,電話機本体1が受信待機中であるかの調査を行うことはできず,また,受信待機中の文字画像を表示することもできない。したがって,引用例記載の電話機本体1につき,本願発明にいう「公衆通信回線からの受信を待機している受信待機中かの調査を行う現況調査手段」及び「受信待機中であるとされた場合に上記ディスプレイに受信待機中の表示を行う現況報告画面表示手段」を組み合わせることは,技術的に不可能である。

このように,引用発明について,「現況調査手段」及び「現況報告画面表示手段」を組み合わせることにつき動機付けがないばかりか,技術的にも阻害要因があるというべきであるから,審決の判断は誤っている。

3  取消事由3(相違点4に関する判断の誤り)

(1)  動機付けの欠如

審決は,本願発明でいう「通話中手段」を引用発明に付加する程度のことは当業者であれば適宜なし得ることとしている(15頁36行~16頁3行)。

しかしながら,本願発明では,「携帯型無線電話装置」において,筐体に保持されるディプレイにより確認しながら業務の名称などの入力作業を行うため,表示された発信先に電話が発信されても電話が通話状態になったのか否かが確認できないことから,通話中の表示を行う「通話中手段」が存在するのに対し,引用発明は,走行することによって変化する自車位置に対応した最寄り施設をワンタッチで呼び出すものであり,ディスプレイで確認しながら入力作業を行うことを予定しておらず,「通話中手段」を組み合わせることの動機付けは存在しない。

審決は,動機付けや示唆が存在しないのに,当業者であれば適宜なし得ると判断しており,誤りである。

(2)  阻害事由の存在

また審決は,引用発明に「通話中手段」を適用する上の阻害要因は何ら見当たらないとするが(15頁35行~36行),以下の理由から誤りである。

ア 技術的に不可能である。

引用発明において,読出手段5から電話機本体1への信号の流れは一方向であり(甲10,第1図),双方向ではない。すなわち,引用発明では,電話機本体1から読出手段5へとデジタル信号を入力する構成を備えていないので,読出手段5につながる表示手段2に通話中の表示をすることはできない。

したがって,引用発明の表示手段2に「通話中」の文字表示をする構成を組み合わせることは技術的に不可能である。

イ 引用発明の課題及び目的からもあり得ない。

引用発明は,その課題及び目的からして,車両の走行時に利用することが予定され,ワンタッチで呼び出しスイッチを用いることを目的としている。このように車両の走行時に利用することが予定されている自動車用電話については,ディスプレイの表示を見ながら操作をするということは予定されておらず,むしろそのような表示をすること自体,危険であることから回避される。

したがって,引用発明に本願発明にいう「通話中手段」を組み合わせることについては阻害事由があり,この点につき審決の判断には誤りがある。

4  取消事由4(相違点8に関する判断の誤り)

審決は,引用発明の「自動車用電話」を本願発明のような「携帯型無線電話装置」とする程度のことは当業者であれば適宜なし得ることであるとし(17頁1行~3行),周知例2(甲14)の段落【0028】の記載を引用している。

しかしながら,引用発明は自動車用電話であり,その課題は,走行することによって変化する自車位置に対応した最寄り施設をワンタッチで呼び出すことができるようにするものである。そうすると,これを歩行者を前提とした携帯用とすることについての動機付けはない。

また,動機付けの根拠となる示唆は引用例の記載から示されなければならない。周知例2は,そこに記載のGPSを備えた「移動式無線通信装置」を「自動車用電話の他にも,携帯型無線電話」に適用できることを述べているにすぎない。

したがって,この点についての審決の判断にも誤りがある。

5  取消事由5(手続違背)

(1)  審決では,拒絶理由通知で引用した文献(甲1~7),拒絶査定で引用した文献(甲8~11)に加えて,新たに周知例1~8(甲13~20)を追加した。

加えて,審決では,拒絶査定で引用した文献のうち3つの文献のみを引用例及び引用例2,3とし,これの3倍弱にあたる数の8つの文献を周知例(甲13~20)として挙げ,これらの文献に記載される内容を大量かつ詳細に引用している。

このように多数の周知例が新たに追加されれば,出願人である原告としても,その内容を精査し,特許要件を充たすか否かについて慎重に検討が必要となる。その意味で,これは「拒絶査定不服審判において査定の理由と異なる拒絶の理由を発見した場合」(特許法159条2項)と同視することができる。

しかるに,審決は,原告に意見書を提出する機会を与えることなく,審理を終結した上で審決を出しており,特許法159条2項が準用する同法50条に違反する。

(2)  審決が,引用例を主たる公知例として本願発明を無効としたことは,特許法159条2項が準用する同法50条に違反する。

引用例は,拒絶理由通知書では引用されておらず,拒絶査定において初めて周知技術の一つとして挙げられたものである。その後,原告は平成21年8月18日付け手続補正書で特許請求の範囲を補正したが,特許庁は原告に意見書を提出する機会を与えることもなく,引用例を主たる公知例とする理由で請求不成立の審決をした。

このように,被告は,「拒絶査定不服審判において査定の理由と異なる拒絶の理由を発見した場合」に当たるにもかかわらず,原告が平成21年8月18日付け手続補正書で補正した特許請求の範囲に対する引用例を主たる公知例とする拒絶理由について,原告に意見を提出する機会を与えていない。

したがって,審決の手続は,特許法159条2項が準用する同法50条に違反する。

第4被告の主張

1  取消事由1に対して

引用発明にかかる「ガソリンスタンド」は,主たる販売商品が自動車用燃料ではあるものの,他の商品(例えばカー用品やジュース類)も通常販売しており,「コンビニエンスストア」と同様な「商品販売店」であることに変わりはない。また,引用発明にかかる「病院」が車両の運行上で必要となる業務でないことは明らかであり,当該「病院」への発信は,本願発明と同様に「日常生活で連絡をしたり注文(病院の場合は予約)をしたりなどの使用法に便利に使える」ためのものである。

したがって,本願発明と引用発明の「所定の業務」に,原告が主張するような差異はなく,原告の主張には理由がない。

また,そもそも,本願発明の特許請求の範囲には,「所定の業務」と記載されているのみであって,ガソリンスタンドや病院を含むものであり,しかも,すべての業務の名称を表示すると規定されているわけでもないから,審決の一致点認定に誤りはない。

2  取消事由2に対して

周知例5及び6に開示されている「通話中」の文字画像を表示する周知技術は,受話器とは別体で操作中に見ることができる表示器に,回線状態検出結果の一例である「通話中」の文字を表示させる構成である。当該構成は通話中を検出する周知の回線監視部からの信号がCPUを介して画像化され表示器において表示されると解される。そうであれば,たとえ引用発明が読出手段5から電話機本体1への信号の流れは一方向であり(第1図),双方向ではないとしても,受話器とは別体の表示器を利用する場合の当該信号の流れが受話器から読出手段(すなわち,CPU)に向かうものであることを考慮すると,引用発明の信号の流れを周知技術における信号の流れに変更する程度のことは当業者であれば適宜なし得ることであり,引用発明の「読出手段5から電話機本体1への信号の流れは一方向であり,双方向ではない」ことは,周知技術を引用発明に適用する上での阻害要因とはなり得ない。

一方,相違点2及び7の「受信待機中」の検出及び表示は上記周知技術でいう「通話中」の検出及び表示と同様に回線状態の一例であり,引用例3に開示されている技術手段であるから,当該技術手段を引用発明に適用する上での阻害要因もまた何ら存在しない。

3  取消事由3に対して

(1)  引用発明のような電話装置において,「通話中」の文字画像を表示するか否かは,当業者であれば,常に考慮している技術的事項である。しかも,この事項は,本願発明の他の技術手段と関連性がない技術手段であり,当該技術手段の付加により通話中であることが分かるという作用効果を超える作用効果が新たに発生するわけでもないから,そもそも本願発明の特徴点といえるようなものではなく,当該技術手段の付加は,所望に応じて適宜付加すればよい単なる設計的事項の範疇である。換言すれば,そもそも「通話中」の文字画像表示を他の技術手段と組み合わせて考察しなければならない理由はないから,上記「組み合わせることについての動機付けがない」という原告の主張にも理由がない。

また,審決における周知例5及び6の例示それ自体が原告のいう「示唆等の存在」に当たるから,示唆がないとする原告の主張は失当である。

(2)  周知例5及び6に開示されている「通話中」の文字画像を表示する周知技術は,受話器とは別体で操作中に見ることができる表示器に回線状態検出結果の一例である「通話中」の文字を表示させる構成である。当該構成は,通話中を検出する周知の回線監視部からの信号がCPUを介して画像化され表示器において表示されると解される。そうであれば,たとえ引用発明が読出手段5から電話機本体1への信号の流れは一方向であるとしても,上記2で主張したのと同様に,引用発明の信号の流れを周知技術における信号の流れに変更する程度のことは,当業者であれば適宜なし得ることであり,引用発明の読出手段5から電話機本体1への信号の流れは一方向であり,双方向ではないことは,上記周知技術を引用発明に適用する上での阻害要因とはなり得ないものである。

また,表示が文字表示により見やすくなることは,操作が容易になることであり,引用発明の課題でもあるから,そうでない場合に比べて運転もより安全になるといえる。それゆえ,ディスプレイ表示を確認しながら電話を発信することを前提とした「通話中」の表示を組み合わせることは,引用発明の課題解決を図ることにはならず,阻害事由となる旨の原告の主張には理由がなく,この点にも阻害要因は存在しない。

4  取消事由4に対して

本件発明にかかる「携帯型無線電話装置」が歩行者を前提とするものである旨の記載は,特許請求の範囲を含めた明細書全文のいずれにも記載されておらず,特許請求の範囲に記載されていない事項に基づく原告の主張は,それ自体が失当である。

また仮に,「携帯型無線電話装置」といえば歩行者を前提とするものであるということが自明であるとすれば,周知例2(甲14)記載の「携帯用電話装置」もまた同じ理由により歩行者を前提とするものであるといえるから,引用発明の「自動車用電話」と歩行者を前提とする「携帯用電話装置」は,上記「移動式無線通信装置」の組合せ先として相互に置換可能なものである。してみれば,引用発明の「自動車用電話」を,歩行者を前提とする携帯用とすることも上記周知例には開示されているといえる。

5  取消事由5に対して

(1)  周知例1~8の追加は,拒絶査定に対応して補正された事項に新たな複数の周知技術が付加されたために,それらの事項がそれぞれ周知技術であることを示す文献として提示したものであって,拒絶理由の主旨を変更するものではない。またその数の多寡は,単に補正されて追加された周知技術の数に対応するものであって,その数の多さにより新たな拒絶理由が発生するものでもない。

したがって,審決に際し改めて意見書を提出する機会を与える必要はない。

(2)ア  拒絶査定では,「業務により発信先を選択することは職業別電話帳として公知であり,職業別電話帳の検索にGPSの出力を用いることは,特開平4-56429号公報に記載されている。」と,引用例を提示しているのであるから,同様に,審判手続において改めて引用例を主たる引用例とする理由で拒絶理由通知を受けなくとも,引用例に記載された発明の技術内容について意見を述べ,拒絶査定の当否を争う機会は与えられており,その防御権を奪ったことにはならないというべきである。

イ  また,審判請求書での原告の主張(6頁「(4)本願発明と引用発明の対比」の項の「(ア)第3の表示手段について」の項)によれば,本願発明の特有の構成は,平成21年8月18日付け手続補正書で追加された「現在位置に最も近い発信先の名称が複数ある場合は,それら複数の発信先の名称を前記ディスプレイに表示する第3の表示手段」である。このことを前提に,審決においては,この特有の構成を軸に,すなわち,拒絶理由通知における主たる引用例とは異なっているものの,原告の上記主張に沿うべく,主たる引用例を引用例としたのである。

ウ  さらに,具体的に審判請求書を検討すると,請求人である原告は,「エ 特開平4-56429号公報…」の項(5頁13行~6頁6行)の記載からして,引用例の技術内容を,本願発明の主たる特徴点との関係において,明らかに認識している。

また,拒絶査定不服の中心的主張は,審判請求書の「(4)本願発明と引用発明の対比」 になされているところ,その主張のほとんどは引用例との比較検討に費やされている上,審決における主たる引用発明の認定に係るほとんどの構成についても事実上言及されている。

したがって,原告には意見を述べ,補正をする機会もあったというべきであり,また,実際に審判請求書では意見を述べているのであるから,審決には,特許法159条2項で準用する同法50条に違反する手続上の瑕疵はない。

第5当裁判所の判断

1  本願発明の意義

(1)  本願明細書(甲21の4,26,28)の発明の詳細な説明及び図面には,次の記載がある。

「【技術分野】

本発明は,携帯型無線電話装置,又は携帯型無線データ通信装置に関する。」(段落【0001】)

【発明が解決しようとする課題】

「…従来の情報装置では,無線電話装置と,携帯型コンピュータと,GPS利用者装置とを持ち歩けば,個々の機能を活用することは可能であるが,全てを携帯することが現実的ではなく,かつ相互を組み合わせてそれらを複合した機能を得ることができなかった。」(段落【0006】)

本発明は,上記の問題を解決して,これらの個々の機能を複合させた機能を,実用的に得ることを目的とする。」(段落【0007】)

【発明の効果】

「本発明の携帯型無線電話装置は,現在の位置データに基づいて,最も近い発信先に発信を行う処理を行うことができる。」(段落【0014】)

「この結果,利便性が高い情報交換装置が得られるという極めて優れた効果を奏する。」(段落【0015】)

【図1】 パーソナルコミュニケータ1の斜視図

file_3.jpgacPsHR eee 4 g Noytbasanens(2)  上記記載及びその他本願明細書の記載によれば,本願発明は,携帯型無線電話装置,携帯型コンピュータ及びGPSの機能を複合させた機能を実用的に得ることを目的とした発明であって,これらの機能を複合させ,携帯型無線電話装置が,GPS,ディスプレイ,留守録メモリ等を備え,GPS及び電話装置の現況(稼働状況)を調査し表示する機能,所定の業務の名称の一覧を表示し,その中から選択された業務について,GPSによる位置座標データに基づき現在位置に最も近い発信先を表示し電話発信する機能,電話が接続された場合に通話中であることを文字画像で表示する機能及び留守録一覧を表示し再生する機能を備えることで,現在位置に最も近い発信先に発信することができるという効果が得られるものと認められる。

2  引用発明の意義

引用例(甲10)の記載によれば,引用発明は,車両に搭載される移動無線電話機からなる自動車用電話が(1頁右下欄2行~3行),人工衛星から送信される電波を受信し,そのデータに基づいて車両の絶対位置を読み出す衛星航法,すなわちGPSを用いた自車位置推測手段,表示手段等を備え,ガソリンスタンド,病院等の施設の種類を表示し(2頁右上欄17行~右下欄6行,第2図),その中からスイッチ操作により選択された施設の種類について,自車位置推測手段による自車位置データに基づき現在位置に最も近い施設を検索して電話発信する機能を備えることで(2頁右下欄7行~14行),自車の現在位置に最も近い施設を呼び出して通話することができるという利点があり(3頁右上欄13行~15行),また,施設名を表示手段の画面によって確認することで,施設を呼び出すことに不都合があると判断した場合にはスイッチの操作を止めることができる(3頁左上欄18行~右上欄3行)ものであると認められる。

3  取消事由1について

(1)  原告は,審決が「上記ディスプレイに所定の業務の名称の一覧を文字画像で表示する第1の表示手段」を備えている点を一致点として認定したことについて,本願発明にいう「所定の業務の名称」にはあらゆる業務名が含まれるのに対し,引用発明の業務は車両運行上必要なものに限られるので,審決の一致点認定に誤りがある旨主張する。

しかし,上記2のとおり,引用発明において例示された施設の種類には「病院」も含まれているところ,「病院」が車両の運行に必要な業務に含まれないことは明らかであるから,引用発明の業務について車両運行上必要なものに限られることを前提とする原告の主張は理由がない。

(2)  また,原告は,引用発明には,所定の業務の名称を「一覧」で表示する技術が開示されていないと主張する。

しかし,引用例(甲10)の第2図には,実施例で例示された「ガソリンスタンド」等の4つの施設の種類の名称すべてが1画面中に表示される状態が記載されており,所定の業務の名称を「一覧」で表示する技術が開示されていると認められる。

したがって,審決の一致点認定に誤りはない。

4  取消事由2(相違点2及び7に関する判断の誤り)について

(1)  原告は,引用例の記載からすると,審決においてCPUに相当すると認定された「読出手段5」から電話機本体1へと送信される信号が一方向であって双方向ではない,すなわち,電話機本体1からCPU方向に信号が送信される構成になっていないので,電話機本体1が受信待機中かどうかの調査や,調査結果の表示ができないと主張する。

しかし,上記第2,3(2)のとおり,引用例3には,受信待機中かどうかの調査を行う調査手段と,調査結果に基づき受信待機中の表示を行う表示手段とを備えたファクシミリ装置の構成が開示されており,そのような構成においては,回線からの受信状況(受信待機中であるかどうか)を調査する構成部分からCPU方向へと信号を送信する手段を当然に備えているものと認められる。したがって,このような引用例3で開示された技術事項を引用発明に適用し,引用発明における信号の送信を引用例3と同様に双方向とすることは,技術上何ら困難なことではなく,当業者であれば適宜なし得ることといえる。

(2)  原告は,引用発明について,現況調査手段及び現況報告画面表示手段を組み合わせることの動機付けがないと主張する。

しかし,装置の動作状況を確認するための表示手段を設けることは,引用例3に記載されているとともに,装置一般におけるありふれた技術手段であり,そのような技術手段を付加するかどうかは,所望に応じて選択することのできる単なる設計的事項であるというべきである。

したがって,取消事由2に関する原告の主張は理由がない。

5  取消事由3(相違点4に関する判断の誤り)について

(1)  原告は,電話が接続された場合に通話中の文字画像をディスプレイに表示するという本願発明の「通話中手段」を,引用発明に付加することの動機付けがないと主張する。

しかし,ディスプレイを備えた電話通信装置において,通話動作や通話中である旨を文字画像でディスプレイに表示することは,周知例5及び6に記載されており,本件出願日とされる日(平成5年3月30日)において周知技術であったといえる。そして,引用発明は,上記2のとおり表示手段を備えた電話装置であるから,これに上記周知技術を適用し,電話の接続中に通話中であることを文字画像で表示することは,当業者が所望に応じて適宜付加することができる単なる設計的事項であるというべきである。

また,原告は,引用発明ではディスプレイで確認しながら入力作業を行うことを予定していないから動機付けが存在しないと主張するが,上記2で認定したとおり,引用発明においても,施設名を表示手段の画面によって確認することで,スイッチ操作を止めることができる,すなわち,ディスプレイで確認しながら入力作業を行うことが予定されており,原告の主張は前提において誤りである。

(2)ア  原告は,引用発明の読出手段5から電話機本体1への信号の流れが双方向ではないから,これに「通話中手段」を組み合わせることは技術的に不可能であると主張する。

しかし,周知例5及び6によれば,電話装置において通話中である場合にその旨を文字画像で表示する技術は周知技術であったと認められるところ,上記4(1)で説示したのと同様に,そのような周知技術には,通話中かどうかを検出する構成部分からCPU方向に信号を送信する手段が当然に含まれるものと認められる。そして,そのような周知技術を引用発明に適用し,引用発明における信号の送信を双方向とすることは,技術上何ら困難なことではなく,当業者であれば適宜なし得ることといえる。

イ  原告は,引用発明は自動車用電話であるから,ディスプレイの表示を見ながら操作をすることは危険であって,回避されると主張する。

しかし,上記(1)で説示したとおり,引用発明においても,ディスプレイで確認しながら入力作業を行うことが予定されており,原告の上記主張は理由がない。

以上のとおり,取消事由3に関する原告の主張は理由がない。

6  取消事由4(相違点8に関する判断の誤り)について

原告は,引用発明は自動車用電話であるから,これを,歩行者を前提とした携帯用とすることの動機付けがないと主張する。

しかし,本願明細書によっても,本願発明が歩行者を前提とした発明に限定されるものと認めることはできず,原告の主張は,明細書の記載に基づかない主張である。

また,上記2のとおり,引用発明の自動車用電話は,車両に搭載される移動無線電話機であるところ,引用例の記載によっても,これを常に車両に固定することを必須の構成とするものとは認められず,自動車用電話を携行可能なものとすることは当業者であれば適宜なし得ることであるといえる。

したがって,相違点8に関する審決の判断に誤りはない。

7  取消事由5(手続違背)について

(1)  原告は,審決において新たに8つの文献が周知例として追加された,あるいは,審決と拒絶査定とで主たる公知文献が異なっていたにもかかわらず,原告に意見書を提出する機会が与えられなかったことは,手続違背に当たると主張する。

(2)  平成5年法律第26号による改正前の特許法159条2項,50条は,拒絶査定不服審判において査定の理由と異なる拒絶の理由を発見した場合には,拒絶の理由を通知し,相当の期間を指定して,意見書を提出する機会を与えなければならない旨を規定する。その趣旨は,審判官が新たな事由により出願を拒絶すべき旨の判断をしようとするときは,出願人に対してその理由を通知をすることによって,意見書の提出及び補正の機会を与えることにあるから,拒絶査定不服審判手続において拒絶理由を通知しないことが手続上違法となるか否かは,手続の過程,拒絶の理由の内容等に照らして,拒絶理由の通知をしなかったことが出願人(審判請求人)の上記の機会を奪う結果となるか否かの観点から判断すべきである。

(3)  これを本件についてみるに,なるほど,拒絶査定には,拒絶理由通知書にて引用されていなかった引用例(以下「本件引用例」という。)が挙げられている。すなわち,拒絶理由通知書では,当時の請求項1及び2の発明と特開平3-235116号公報記載の発明とを対比して容易想到性判断をし,拒絶査定でもこの判断枠組みは維持されつつ,本件引用例が引用文献の一つとして付加された。

原告はこの拒絶査定に対し,請求項を一つに絞り,前記第2,2の下線部分を付加する補正をするとともに拒絶査定不服の審判請求をした。その請求書で原告は「本願発明が特許されるべき理由」として,「(1)本願発明の説明」,「(2)補正の根拠の明示」,「(3)引用発明の説明」,「(4)本願発明と引用発明の対比」の主張をし,本願発明の特徴である第1~第3の表示手段と関係する本件引用例の構成を上記「(3)引用発明の説明」の項で掲げた上,「(4)本願発明と引用発明の対比」の項において,本件引用例の構成を中心にして,上記補正により付加された「第3の表示手段」と対比主張し,この主張をもって審判請求が成り立つべき理由の中心に据え,さらに,「本願発明の特有の構成である,現況調査手段,電話発信手段及び通話中手段を同時に備える」構成との関係についても付加しているが,その根拠については抽象的な理由を述べるにとどまっている。

審決は,この審判請求書に基づいてなされたものであり,上記付加された補正部分の構成の容易想到性の判断が審判で審理されるべき中心点であることを念頭に置いて本願発明の容易想到性を判断していたであろうことは,上記の経緯から推認されるところである。なるほど,拒絶査定が引用している拒絶理由通知での引用公知文献と,審決で引用した主たる公知文献(本件引用例)とは異なっているが,本件引用例(甲10)は拒絶査定でも挙げられており,審判請求書で原告が主張として中心に据えたのは,本件引用例と対比しての本願発明(特に上記補正で付加された構成について)の進歩性であった経緯にかんがみると,原告は審判請求時において,本願発明の容易想到性判断で対比されているのは本件引用例であったことを十分に認識していたものといえるのであるから,本件引用例を対比すべき主たる公知文献として本願発明の容易想到性判断をするに際して,改めて拒絶理由を通知しなかったとしても,原告にとって意見書の提出や補正の機会が奪われたということはできず,審判手続には,平成5年法律第26号による改正前の特許法159条2項が準用する同法50条に違反する手続違背があったとすることはできない。

さらにいえば,審決は,本件引用例との対比において本願発明との間に相違点を8点認定している。このことは,審決が本件引用例を形式上主たる公知文献としたとはいえ,本願発明が多くの公知技術の組合せによって容易に推考し得たものであることを念頭に置いて判断したものということができるのであり,実質的な判断枠組みは拒絶査定から変化がなく,審判請求とともに補正がされたのに伴い,視点を変えて判断し直したと評価するのが相当である。

また,原告は,審決において8つの周知例が付加された点についても主張しているが,これは本願発明が多くの技術を組み合わせた発明であることによるものであるし,上記説示のとおり,審決における実質的な判断枠組みは拒絶査定から変化がないものと評価すべきであるから,原告の上記主張も手続違背を裏付けるものとしては採用することができない。

したがって,審決に原告主張の手続違背があったとすることはできない。

第6結論

以上によれば,原告主張の取消事由はいずれも理由がない。よって,原告の請求を棄却することとして,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 塩月秀平 裁判官 清水節 裁判官 古谷健二郎)

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