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知財高等裁判所 平成22年(行ケ)10173号 判決 2011年1月11日

原告

薬仙石灰株式会社

同訴訟代理人弁護士

中尾文治

山本英雄

被告

ヒメノイノベック株式会社

同訴訟代理人弁護士

平野和宏

同弁理士

中野睦子

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第1請求

特許庁が無効2009-800191号事件について平成22年4月21日にした審決を取り消す。

第2事案の概要

本件は, 原告が,下記1のとおりの手続において,被告の本件特許に対する原告の特許無効審判の請求について,特許庁が,本件訂正を認め,本件特許に係る発明の要旨を下記2のとおり認定した上,同請求は成り立たないとした別紙審決書(写し)の本件審決(その理由の要旨は,下記3のとおり)には,下記4のとおりの取消事由があると主張して,その取消しを求める事案である。

1  特許庁における手続の経緯

(1)  本件特許(甲11)

発明の名称:着色漆喰組成物の着色安定化方法

出願日:平成14年9月11日(特願2002-266067号)

登録日:平成18年8月4日

特許番号:第3834792号

(2)  審判手続及び本件審決

審判請求日:平成21年9月3日(無効2009-800191号)

訂正請求日:平成21年11月27日(甲12。以下「本件訂正」という。)

審決日:平成22年4月21日

審決の結論:「訂正を認める。本件審判の請求は,成り立たない。」

原告に対する審決謄本送達日:平成22年4月30日

2  本件発明の要旨

本件審決が判断の対象とした発明は,本件訂正後のものであって,その要旨は,次のとおりである。以下,【請求項1】及び【請求項2】に係る発明をそれぞれ「本件発明1」及び「本件発明2」といい,併せて「本件発明」というほか,本件訂正後の明細書(甲12の訂正請求書に添付のもの)を「本件明細書」という。

【請求項1】 石灰を含有する白色成分,無機の着色顔料,結合剤及び水を含有する着色漆喰組成物の着色安定化方法であって,当該着色漆喰組成物が水酸基を有するノニオン系の親水性高分子化合物を含有し,上記白色成分として石灰と無機の白色顔料を組み合わせて用いることを特徴とする方法

【請求項2】 石灰と無機の白色顔料との組合せが,白色顔料を石灰100重量部に対して0.1~50重量部の割合で組み合わせたものである,請求項1に記載の着色漆喰組成物の着色安定化方法

3  本件審決の理由の要旨

(1)  本件審決の理由は,要するに,本件発明1が,下記アの引用例1の請求項1に記載の発明(以下「引用発明1」という。)と同一ではなく,引用発明1に基づいて,引用発明1及び下記イの引用例2に記載の発明(以下「引用発明2」という。)に基づいて,あるいは引用発明1,下記エの引用例4に記載の発明(以下「引用発明4」という。)及び下記オの引用例5に記載の発明(以下「引用発明5」という。)に基づいて,当業者が容易に発明をすることができたものであるとすることはできず,また,本件発明2が,引用発明1及び下記ウの引用例3に記載の発明(以下「引用発明3」という。)に基づいて,引用発明1ないし引用発明3に基づいて,あるいは引用発明1ないし引用発明5に基づいて,当業者が容易に発明をすることができたものであるとすることはできないから,本件発明に係る本件特許を無効にすることができない,というものである。

ア 引用例1:特許第3094227号公報(甲1)

イ 引用例2:鈴木忠五郎「左官技術」(昭和47年1月20日発行)105頁1行ないし106頁1行(甲2)

ウ 引用例3:特開2000-313840号公報(甲3)

エ 引用例4:伊藤征司郎「顔料の事典」(平成12年9月25日刊行)(甲4)

オ 引用例5:特開2001-181016号公報(甲5)

(2)  なお,本件審決が認定した引用発明1並びに本件発明1と引用発明1との一致点及び相違点は,以下のとおりである。

ア 引用発明1:消石灰,顔料及び水を含有する塗料組成物の貯蔵安定化及び塗装作業性を向上させる方法であって,アクリル樹脂を含み,添加剤としてヒドロキシエチルセルロース等の増粘剤を含有する建築用塗料組成物の貯蔵安定化及び塗装作業性を向上させる方法

イ 一致点:石灰を含有する白色成分,無機の顔料,結合剤及び水を含有する漆喰組成物の安定化方法であって,当該漆喰組成物がノニオン系の親水性高分子化合物を含有する方法

ウ 相違点:本件発明1では,顔料が「着色顔料」であり,石灰を含有する白色成分が「石灰と無機の白色顔料を組み合わせ」たものであり,「安定化」が「着色安定化」であるのに対し,引用発明1は,顔料が限定されておらず,石灰と無機の白色顔料を組み合わせた白色成分と着色顔料とを組み合わせるものではなく,特に「着色安定化」を意図するものではない点

4  取消事由

(1)  相違点の認定の誤り(取消事由1)

(2)  本件発明1の容易想到性についての判断の誤り(取消事由2)

(3)  本件発明2の容易想到性についての判断の誤り(取消事由3)

第3当事者の主張

1  取消事由1(相違点の認定の誤り)について

〔原告の主張〕

(1) 本件審決は,石灰を含有する白色成分は,それ自体白色を呈しているのだから,引用例1において無機着色顔料に白色を混ぜ合わせる際に,石灰に更に白色顔料(酸化チタン)を加えることが示されているとすることはできず,したがって,引用例1において,無機白色顔料と無機着色顔料を組み合わせて用いることが示されていない旨を説示する。

(2) しかしながら,引用例1には,より少ない塗布量で被塗布面を隠蔽し,調湿性や結露防止等の機能を持たせるために無機白色顔料たる酸化チタンを,やはり白色である消石灰に配合する旨の記載があり,判断が矛盾している。しかも,調湿性や結露防止等の機能が必要とされるのは,着色塗料組成物についても同じである。したがって,引用例1には,これらの機能を持たせるため,無機着色顔料に白色を混ぜ合わせる際に,石灰に加えて更に酸化チタンを加えることが示されているといえる。

(3) また,引用例1は,顔料の選択調製について,所望の隠蔽力及び色彩(明度,色度,彩度)に応じた着色ができることを目的とした顔料の選択調製が記載されているところ(【0024】),そのような顔料の選択調製をするためには,白色の顔料として,白色着色顔料も選択調製せざるを得ない。

すなわち,石灰は,一般的に光の屈折力が低く,そのため隠蔽力や着色力が弱い体質顔料である(甲14,15,乙11)一方,酸化チタンのような白色着色顔料は,隠蔽力が求められるため,体質顔料と併用した場合,着色顔料の分散を高め,また塗料の隠蔽力を高める効果があることは,従来から知られている(甲15)。そして,着色力とは,有色顔料を混ぜ合わせた場合に,混合物の色彩を明るくする性能のことであるが(乙11),同じ白色の顔料であっても,着色力の違いは,着色塗料の色彩に大きく影響し,着色力の強い酸化チタンを用いた場合,より明度のある色彩の混合色になる(甲9,10,14)。

このように,パステル調の混合色において,より強い「隠蔽力及び色彩」を所望する場合には,同じ無機白色顔料の中でも,隠蔽力及び着色力がより強い顔料である酸化チタンなどを選択調整しなければならない。

この点で,被告は,酸化チタンを増量することではなく,有色着色顔料を減量することで成分を選択調製している(乙10)。しかしながら,この方法では,目的とする着色漆喰塗料の色彩が白色に近くなるほど,隠蔽力及び色彩が劣ることになり,所望の隠蔽力及び色彩(明度,色度,彩度)に応じた着色をすることはできない。

(4) なお,特開平11-264224号公報(甲10)記載の発明は,漆喰塗料に消臭・防汚機能を持たせるために無機白色顔料(酸化チタン)の含有を必須とする発明であり,これに酸化鉄などの無機着色顔料を配合することも記載されているから,引用例1と同様,無機白色顔料と無機着色顔料を組み合わせることを示している。

(5) したがって,無機白色顔料(酸化チタン)と無機着色顔料とを組み合わせて用いることが引用例1に記載されていないとして相違点を認定した本件審決には誤りがある。

〔被告の主張〕

(1) 本件審決は,引用例1には顔料として無機白色顔料及び無機着色顔料が例示されているものの,これらを組み合わせて用いることは記載されておらず,かつ,引用例1には,顔料の割合を,所望の隠蔽力及び色彩に応じて適宜調製することが記載されており(【0024】),顔料を組み合わせることにより所望の色が得られることは明らかであるとしても,石灰は,それ自体白色を呈しているのだから,引用例1には,無機着色顔料を混ぜ合わせる際に,当該白色を呈した石灰に更に白色顔料を加えることが示されているとすることはできないと判断したものである。そして,この判断は,引用例1の記載及び当業界の技術常識から導かれる合理的な判断である(乙10参照)。

(2) また,引用例1は,酸化チタン以外の顔料も選択し得るかのような記載をしているが(【0023】~【0025】),特許請求の範囲及び実施例等において,引用発明1に用いられる顔料として酸化チタンのみを挙げており(【0028】【0062】参照),それ以外の顔料の記載はない。しかも,引用例1に記載された塗料組成の調湿性や結露防止性等の機能は,消石灰そのものが有する機能であり,無機白色顔料である酸化チタンの機能ではない(【0002】【0062】)。さらに,着色顔料を用いて所望の色を得ることを目的とする場合,石灰は,それ自体白色を呈しているから,これに更に白色顔料を加える必要はない。

(3) したがって,引用例1には,石灰を含有する白色成分に無機着色顔料を混ぜ合わせる際に,更に白色顔料(酸化チタン)を加えることは記載されていない。

(4) なお,甲10は,引用例1に記載されている技術を補足的に説明するものではなく,無効理由を構築するための新たな証拠と認められるから,本件訴訟において考慮されるべきものではない。

仮に引用例1に記載されている技術を補足的に説明するものであるとしても,甲10には,消臭・防汚内外装仕上げ材に関して,無機白色顔料(酸化チタン)と無機着色顔料を同時に配合する態様は記載されていないし,そもそも,甲10記載の発明において,無機白色顔料(酸化チタン)及び無機着色顔料は,いずれも任意成分である(【0014】)し,甲10において,光触媒として記載されている酸化チタンを白色顔料としてとらえることができたとしても,当該光触媒も,任意成分である(【請求項4】~【請求項6】)。このように,甲10には,消石灰に無機白色顔料(酸化チタン)を配合し,これに無機着色顔料を組み合わせて用いることは記載されておらず,ましてや,これに水酸基を有するノニオン系の親水性高分子化合物を配合することは,そもそも記載も想定もされていない。すなわち,甲10には,本件発明の課題(水含有着色漆喰組成物について着色を安定化しようとすること)の動機付けになる記載はなく,これを解決する手段として,①石灰に無機の白色顔料を組み合わせて,これを白色のベースとして無機着色顔料で着色すること,②水酸基を有するノニオン系の親水性高分子化合物を用いること,の2つを組み合わせることによって水含有着色漆喰組成物について着色を安定化しようとするという格別な効果を奏することができることを示唆する記載もない。

よって,原告の甲10に関する主張は,事実に反する。

(5) 本件審決の取消事由の主張立証は,本来,第1回弁論準備手続期日前に全て尽くされていなければならない。しかるところ,原告は,取消事由2及び3についての主張を第1回弁論準備手続期日(平成22年7月26日)において口頭で主張したばかりか,〔原告の主張〕(3)は,平成22年9月28日付け第2準備書面で初めて主張された新たな取消事由であり,当該主張に関する甲14ないし16に至っては,平成22年10月7日付けで郵送により直送され,同月8日に被告代理人が受領したものであって,甲16には,証拠説明書も付されていなかった。したがって,〔原告の主張〕(3)は,故意又は重大な過失により時機に後れて提出した攻撃又は防御の方法であり,これにより訴訟の完結を遅延させるものであるから,行政事件訴訟法7条が準用する民事訴訟法157条により却下されるべきである。

仮に原告による上記主張立証が許容されるとしても,当該主張には,次のとおり理由がない。

原告は,石灰を炭酸カルシウム(石灰石)であるとの前提で主張しているが,石灰とは,生石灰(酸化カルシウム)と消石灰(水酸化カルシウム)との総称であり,炭酸カルシウムではない(乙14,15)。そして,引用例1に記載の建築用塗料組成物は,消石灰と水を必須成分とする水含有組成物であり,消石灰が炭酸カルシウムに硬化したものではない。しかも,消石灰は,体質顔料ではない(甲14,乙16)ばかりか,高い隠蔽力を有し,着色顔料と併用するだけでパステル調の色彩の着色が可能である(乙10,17)。また,白色顔料の種類によって着色後の色彩が相違するとしても,着色顔料には各色多数の種類があるから,色彩調整に当たって白色顔料を併用する必要はないし,本件特許出願当時,消石灰を主成分とする塗料組成物に白色顔料を併用することは知られていなかったから,これは適宜選択できるものではない。そして,消石灰に配合する着色顔料の割合を調整することで明度を高めることは,可能である(乙10,18)。さらに,引用例1が記載する「所望の隠蔽力」(【0024】)とは,希望する隠蔽力(乙19)であって,必ずしも高い隠蔽力ではないし,引用例1の当該部分は,そもそも,消石灰を主成分とする塗料組成物に白色顔料と着色顔料とを併用することを選択することまで想定していない。

2  取消事由2(本件発明1の容易想到性についての判断の誤り)について

〔原告の主張〕

(1) 引用例1には,白色顔料と着色顔料を両方組み合わせて使用することは,具体的には記載されていないが,この相違点については,引用例2に着色顔料を使うことが記載されているから,両者を組み合わせて利用することは,当業者が容易に想到し得ることである。

また,前記のとおり,隠蔽力が強くかつ明度の高い色彩を所望する場合には,体質顔料ではなく酸化チタンなどの白色着色顔料を選択調整しなければならないところ,引用例1及び引用例2には着色顔料を使うことが記載されている。

(2) 引用例4及び引用例5には,系を安定化させるためのpHと等電点との関係について記載されており,引用例1には,白色顔料を入れると安定した系となることが記載されているから,ここに少量の着色顔料を入れても安定性が維持されることは容易に予測でき,白色顔料を含むベースに着色顔料を入れることは,当業者が容易に想到し得ることである。

(3) したがって,本件発明1は,引用発明1に,引用発明2又は引用発明4及び引用発明5を組み合わせることで,当業者が容易に想到することができたものであり,本件審決は,この点の判断を誤っている。

〔被告の主張〕

(1) 引用発明1は,結合剤として特にアクリル樹脂を用いることにより漆喰組成物を安定化させようとするものであり,顔料として,無機白色顔料と無機着色顔料のいずれを採用しても安定性が得られるとするものであるから,引用例1には両者を組み合わせる動機付けがない。また,前記のとおり,消石灰は,そもそも白色を呈しているから,着色顔料を用いて所望の色を得る場合でも,消石灰に更に白色顔料を配合する必要はなく(乙10),この点でも,引用例1には,無機白色顔料と無機着色顔料を組み合わせて用いることについて動機付けはない。

また,一般に顔料には多くの種類が知られており(乙11),着色剤として色土も知られているが(乙12,13),これらを考慮しても,引用例2には,無機白色顔料と無機着色顔料とを組み合わせて用いることは記載されていないし,示唆もされていない。

そして,引用例1及び引用例2には,水含有着色漆喰組成物の着色を安定化しようとする動機付けになる記載はなく,また,そのために石灰に無機白色顔料を組み合わせたり,これに水酸基を有するノニオン系の親水性高分子化合物を組み合わせることについての示唆もない。

(2) 引用例4に記載のDLVO理論は,単一粒子の分散系に対して適用されるものであり(乙8),本件発明1のように,液体中に異なる顔料,例えば等電点の異なる複数の顔料が含まれる場合の分散安定性に適用される理論ではなく,本件発明1による着色安定化も,当該理論に基づくものではない(乙1~3)。

したがって,本件発明1により達成される着色安定化は,引用発明4からは当業者であっても予測できないものである。

(3) 引用発明5によれば,石灰によりpHがアルカリ性を呈している組成物中では,酸化チタンと同様に等電点が低い黄色酸化鉄や黒色酸化鉄等の無機着色顔料は,良好な分散性を示すと予測されるから,これらの無機着色顔料を含有する漆喰組成物に更に無機白色顔料を組み合わせる動機付けはない。また,黄色酸化鉄及び黒色酸化鉄は,酸化チタンとほぼ同じ等電点を有しているが,引用発明5にかかわらず,石灰と水を含有するpH8以上のスラリーの中で経時的な色別れを生じ,酸化チタンなどの白色顔料を併用しなければ,着色が安定しない(乙1~3)。

すなわち,本件発明1により達成される着色安定化は,引用発明5から説明できるものではなく,予測できないものである。

(4) 本件発明1の優れた着色安定性は,現に,各証拠(甲7~9,乙1~3,6,7)により裏付けられているところ,このような作用効果は,以上のとおり,引用発明1,引用発明2,引用発明4及び引用発明5から予測することができない。

(5) よって,本件発明1は,引用発明1に基づいて,引用発明1及び引用発明2に基づいて又は引用発明1,引用発明4及び引用発明5に基づいて,当業者が容易に発明をすることができたものではない。

(6) なお,〔原告の主張〕(3)は,前記のとおり,時機に後れた攻撃防御方法の提出として却下されるべきである。

仮に原告による上記主張立証が許容されるとしても,前記のとおり,消石灰は体質顔料ではなく,それ自体に隠蔽力がある物質であり,別途白色顔料を配合することなく,着色顔料を添加するだけで隠蔽力が強くかつ明度の高い色彩の着色漆喰塗料を調整することができるのであるから,原告の上記主張は,その前提を誤るものである。しかも,引用例1には,白色顔料と着色顔料とを組み合わせて使用することが記載されていないばかりか,そのような使用についての動機付けもない。

3  取消事由3(本件発明2の容易想到性についての判断の誤り)について

〔原告の主張〕

(1) 引用例1には,顔料として酸化チタンを配合する場合に,その配合割合を消石灰100重量部に対する割合として2ないし30重量部とすることが,引用例3には,同様に消石灰100重量部に対する割合として1ないし150重量部とすることが記載されている。

(2) 前記のとおり,隠蔽力が強くかつ明度の高い色彩を所望する場合には,体質顔料ではなく酸化チタンなどの白色着色顔料を選択調整しなければならないところ,引用例1及び引用例2には着色顔料を使うことが記載されている。

(3) したがって,本件発明2は,引用発明1及び引用発明3に基づいて,引用発明1ないし引用発明3に基づいて又は引用発明1ないし引用発明5に基づいて,当業者が容易に発明できたものであるが,本件審決は,この点の判断を誤っている。

〔被告の主張〕

(1) 引用例1には,顔料として酸化チタンを配合する場合に,その配合割合を消石灰100重量部に対する割合として2ないし30重量部とすることが,また,引用例3には,顔料として酸化チタンを配合する場合に,その配合割合を,消石灰100重量部に対する割合として1ないし150重量部とすることが記載されているとしても,引用例1及び引用例3には,そもそも無機白色顔料と無機着色顔料を組み合わせて用いることが記載されていない以上,無機着色顔料を含有する着色漆喰組成物に含まれる白色成分として,「白色顔料を石灰100重量部に対して0.15ないし50重量部の割合で組み合わせる」ことを当業者が容易に想到し得るとすることはできない。

(2) したがって,本件発明2は,引用発明1及び引用発明3に基づいて,引用発明1ないし引用発明3に基づいて又は引用発明1ないし引用発明5に基づいて,当業者が容易に発明できたものとすることはできない。

(3) 〔原告の主張〕(2)は,前記のとおり,時機に後れた攻撃防御方法の提出として却下されるべきである。

仮に原告による上記主張立証が許容されるとしても,前記のとおり,消石灰は体質顔料ではなく,それ自体に隠蔽力がある物質であり,別途白色顔料を配合することなく,着色顔料を添加するだけで隠蔽力が強くかつ明度の高い色彩の着色漆喰塗料を調整することができるのであるから,原告の上記主張は,その前提を誤るものである。しかも,引用例1には,白色顔料と着色顔料とを組み合わせて使用することが記載されていないばかりか,そのような使用についての動機付けもない。

第4当裁判所の判断

1  取消事由1(相違点の認定の誤り)について

(1)  引用発明1の内容について

本件審決が認定した引用発明1の要旨は,前記第2の3(2)アに記載のとおりであるが,引用例1には,引用発明1について要旨次の記載がある。

ア 引用発明1を含む引用例1に記載の発明(【請求項1】~【請求項14】)は,水性塗料としての性能を有するとともに,形成される塗膜が漆喰壁特有の質感を有し,かつ,塗膜物性及び塗膜機能に優れた建築用塗料として好適に使用できる塗料組成物を提供することを目的としており(【0005】),消石灰に特定のアクリル樹脂及び水を配合することで貯蔵安定性及び塗装作業性に優れた水性塗料組成物を調整したもので(【0007】),更に酸化チタンを配合することで,調湿性や結露防止の機能を損なうことなく,少量の塗布量で施工面を隠蔽できるという機能を発揮する塗膜が形成できるようにしたものである(【0008】)。

イ 引用発明1においては,消石灰及びアクリル樹脂に加えて,更に「顔料(白色顔料,有色顔料,体質顔料)並びに各種の添加剤を配合すること」ができ(【0023】),これらの顔料は,水性塗料に用いられるものであれば特に制限されず,酸化チタンその他の顔料を含み,「本発明の塗料組成物中に配合する顔料の割合は特に制限されず,所望の隠蔽力並びに色彩(明度,色度,彩度)に応じて適宜選択調整することができる」(【0024】)。しかし,顔料として好ましいのは酸化チタン(白色顔料)であり(【0025】【0026】),酸化チタンの配合割合は,消石灰100重量部に対して2ないし30重量部であるが,最も好ましいのは,8ないし12重量部であり(【0027】),これにより,より少ない塗布量で被塗布面を隠蔽することができ,しかも塗膜が薄くても所望の外観や物性を有しており,調湿性等の機能を発揮させることも可能である(【0028】【0062】)。そして,引用発明1から形成される塗膜を有する塗装物は,配置される場所の種々の光に対しても吹きむら,色むら及び艶むら等の不都合を生じない(【0051】)。

ウ なお,引用例1に記載の実施例では,いずれも,顔料として酸化チタンが用いられており,それ以外の白色又は着色顔料による実施例の記載はないが(【0065】~【0094】),その結果,色むら等は認められなかった(【0069】【0084】)。

(2)  原告の主張について

ア 原告は,引用例1には無機着色顔料に白色を混ぜ合わせる際に,石灰に加えて白色顔料である酸化チタンを加えることが示されている旨を主張する。

イ しかしながら,引用例1は,前記のとおり有色顔料を白色顔料及び体質顔料と並列して記載するにとどまり(【0023】),消石灰等に加える顔料の好例とされる酸化チタンについては消石灰に対する配合割合を詳細に記載しているものの(【0027】),消石灰に無機着色顔料を配合した上で,更に無機白色顔料を配合する場合を想定した具体的な記載がなく(【0024】参照),現に,その記載に係る実施例は,いずれも顔料としては酸化チタンのみを配合したものに尽きている(【0065】~【0094】)。

しかも,消石灰は,それ自体に隠蔽力があり(乙10,17),かつ,白色を呈していることに加えて,無機着色顔料は,一般に白色顔料よりも高い隠蔽力を有する(乙19)。したがって,引用発明1における顔料の配合が,「所望の隠蔽力並びに色彩(明度,色度,彩度)に応じて適宜選択調整することができる」(【0024】)ものであるとしても,消石灰等に無機着色顔料を配合して当該調整を行った場合,隠蔽力及び色彩の調整という目的は,当該配合により達成されてしまうから,これに加えて,あえて無機白色顔料を配合する理由に乏しい。そして,引用例1には,この場合に無機白色顔料を配合することについて,これを示唆するものも含めて,何ら記載がない。

したがって,引用例1には,消石灰等に無機着色顔料を配合するに当たり,更に無機白色顔料(酸化チタンを含む。)を配合することについては記載がないものというべきである。

ウ 以上によれば,引用例1には,消石灰に酸化チタン(無機白色顔料)を配合することや,消石灰に無機着色顔料を配合することについては記載があるものの,これに加えて,無機着色顔料を消石灰に配合するに当たり,無機白色顔料も配合する旨の記載があるとはいえない。

よって,これと同旨の本件審決に誤りはない。

エ 以上に対して,原告は,本件審決が,引用例1には白色の石灰に白色の酸化チタンを加えることが示されているとする一方で,無機着色顔料に白色を混ぜ合わせる際には石灰に更に白色顔料を加えることは示されていないとするのは,矛盾である旨を主張する。

しかしながら,本件審決は,無機着色顔料を消石灰等に加えるに当たり,あえて消石灰と同色の酸化チタンを配合する理由が見当たらない旨を説示したものと解され,その説示に矛盾があるとまではいえない。

また,原告は,引用発明1について,より少ない塗布量で被塗布面を隠蔽し,調湿性等の機能を持たせることは,着色塗料組成物についても同様であるから,引用例1には無機着色顔料に白色を混ぜ合わせる際に,石灰に加えて酸化チタンを加えることが示されている旨を主張する。

しかしながら,引用例1は,消石灰等に酸化チタンを配合したものについてのみ上記の効果を有する旨を記載しているばかりか(【0008】【0028】),引用発明1を含む引用例1に記載の発明(【請求項1】~【請求項14】)は,いずれも消石灰等に酸化チタンを配合したものに限定されており,無機着色顔料を配合したものは,これらの中に含まれていない。したがって,引用例1には,着色塗料組成物が上記の機能を有する旨の記載があるとはいえない。

したがって,原告の上記主張は,いずれも採用できない。

オ また,原告は,石灰が体質顔料であるところ,これと酸化チタンを併用した場合,着色顔料の分散と隠蔽力を高めることが従来から知られているから,より強い隠蔽力及び色彩を所望する場合には,着色顔料に酸化チタンを加えることを選択せざるを得ず,被告が実験したように着色顔料の量を減らすことはできない旨を主張する(なお,被告は,当該主張を時機に後れた攻撃防御方法である旨を主張するが,当該主張は,引用例1には消石灰に白色顔料を配合し,更に着色顔料を配合する旨の記載があるとの主張を補強するものと解されるから,新たな攻撃又は防御方法を提出しているものとは認められず,行政事件訴訟法7条により準用される民事訴訟法157条1項により却下するには及ばない。)。

しかしながら,炭酸カルシウム(石灰石)が体質顔料であることは事実であるとしても(甲14,乙11,16),本件発明は,主として生石灰(酸化カルシウム)及び消石灰(水酸化カルシウム)を(本件明細書【0012】),引用発明1は,消石灰(水酸化カルシウム)を,それぞれ発明の対象としているところ,これらの石灰は,いずれも石灰石のか焼によって得られるものであって,体質顔料である炭酸カルシウム(石灰石)ではない(乙14,15)。

したがって,原告の上記主張は,その前提を誤るものであり,これを採用することはできない。

カ さらに,原告は,漆喰塗料に無機白色顔料(酸化チタン)の含有を必須とする発明に関する甲10には酸化鉄などの無機着色顔料を配合することも記載されているから,引用例1と同様,無機白色顔料と無機着色顔料を組み合わせることを示している旨を主張する。

しかしなから,甲10に記載の発明は,消石灰に無機系消臭剤に加えて,酸化チタンを含む光触媒を加えることにより,長期にわたる消臭・防汚機能を有する内外装仕上げ材に関するものであって(【請求項5】【0004】【0011】),任意事項として,当該発明に係る仕上げ材のスラリー(水を含んだ状態のもの)に,「例えば,酸化鉄,シアニングリーン,酸化チタン,カーボン」が仕上げ材全体に対し0ないし10重量パーセント程度配合されてもよいというものである(【0014】)。

このように,甲10には,消石灰に酸化チタン及び無機着色顔料を含む無機顔料を配合することが記載されているといえるものの,顔料を配合する目的について明確な記載がない。したがって,甲10の記載から,そこに記載の発明について美感を向上させるために着色を意図したものと理解することは可能であるものの,それ以上に,着色の安定性を目的としたり,あるいはそのような効果が得られた旨を記載しているものと解することはできない。

したがって,甲10をもって,本件特許出願当時,漆喰原料に無機着色顔料を配合した上で,その着色の安定化を図るために無機白色顔料を配合することが技術常識であったことを立証しようとするものであったとしても,甲10の記載によっては,そのようなことが技術常識であったと認めることはできない。

よって,原告の上記主張は,採用できない。

2  取消事由2(本件発明1の容易想到性についての判断の誤り)について

(1)  前記1(2)イ及びウに説示したとおり,引用例1には,消石灰に酸化チタン(無機白色顔料)を配合することや,消石灰に無機着色顔料を配合することについては記載があるものの,これに加えて,無機着色顔料を消石灰に配合した場合に,これに加えて無機白色顔料も配合する旨の記載があるとはいえず,これを示唆する記載もない。

また,引用例1に記載の実施例は,いずれも消石灰等に酸化チタンを配合したものに限定されているから,当該実施例において色むら等が認められなかった旨の記載があるとしても,消石灰等に無機着色顔料を配合したものについて,その着色安定化のために更に無機白色顔料に配合することについては示唆ないし動機付けがあるとはいえない。

(2)  引用例2は,漆喰塗材の標準的な調合比等について記載した一般的な文献であるが,そこには,漆喰の材料として顔料も挙げられているものの,無機白色顔料又は無機着色顔料といった特定はなく,したがって,着色安定化のために漆喰の材料である石灰にこれらを配合することについては示唆も動機付けもない。

(3)  引用例4は,微粒子の液体中での分散に関係する主要因子や微粒子間相互作用の機構から,高分子の界面活性剤吸着が分散に有効であることや,顔料の分散に関する電荷安定化理論としてDLVO理論があり,電荷反発とファンデルワールス力とで分散安定性が決まることについて記載した一般的な文献であるが,そこには,分散される顔料が複数あった場合やその他の成分の影響に関しては何ら記載がない。したがって,引用発明1に関して,無機白色顔料を更に追加することで着色安定化を図ることについて示唆又は動機付けを有するものではない。

(4)  引用例5は,二酸化チタン,石膏,水及びセメントを混合してpH8以上のスラリーとすることで,建築物の壁面等の塗材として光触媒用の二酸化チタンの凝集を抑えて分散性を良好にできる方法の発明を記載しているが,これは,pH値を調整して二酸化チタンの等電点(pH6)から離すことで分散性を高めるものであり,二酸化チタンと消石灰の配合により無機着色顔料の分散性を向上させることについては何ら示唆ないし動機付けがない。

(5)  以上によれば,引用例1,引用例2,引用例4及び引用例5には,いずれも,無機着色顔料と消石灰とを配合した場合に,その着色安定化のために更に無機白色顔料に配合することについて示唆も動機付けもない。したがって,これらの各引用例の記載によっては,当業者は,漆喰の着色安定化を図るために,もとより白色の石灰と無機白色顔料を組み合わせて組成した白色成分に無機着色顔料等を加えることを容易に想到することができるものではない。

(6)  以上に加えて,本件明細書によれば,本件発明1に係る漆喰組成物は,顔料として着色顔料のみを石灰に混ぜた漆喰組成物との比較によっても,施工時や乾燥時の着色顔料の分離による色むら(色分かれ)を有意に抑制できることが確かめられたものである(【0072】~【0093】,【0095】)。他方,引用例1には,引用発明1において消石灰等に酸化チタンを配合した場合について,色むら等が認められない旨の記載があるにとどまる(【0069】【0084】)。したがって,本件発明1は,引用発明1からは当業者が予測し得ない作用効果を有しているものと認められる。

(7)  よって,引用発明1に基づき又は引用発明1に引用発明2を組み合わせ若しくは引用発明1に引用発明4及び引用発明5を組み合わせたとしても,当業者は,相違点について本件発明1に係る構成を容易に想到することができなかったものというべきである。

(8)  以上に対して,原告は,隠蔽力が強くかつ明度の高い色彩を所望する場合には体質顔料(石灰石)ではなく酸化チタンを選択しなければならない旨を主張する。

しかしながら,前記のとおり,引用発明及び本件発明が漆喰の材料としているのは体質顔料(石灰石)ではないから,原告の主張は,前提を欠くものである。

よって,原告の上記主張は,採用できない。

3  取消事由3(本件発明2の容易想到性についての判断の誤り)について

(1)  前記2(7)に説示したとおり,当業者は,相違点について本件発明1に係る構成を容易に想到することができなかったものというべきであるから,本件発明1をその構成要素とする本件発明2についても,当業者は,容易に想到することができなかったものといえる。

(2)  これに対して,原告は,引用例1には,顔料として酸化チタンを配合する場合に,その配合割合を消石灰100重量部に対する割合として2ないし30重量部とすることが,引用例3には,同様に消石灰100重量部に対する割合として1ないし150重量部とすることが記載されているほか,隠蔽力が強くかつ明度の高い色彩を所望する場合には,体質顔料ではなく酸化チタンなどの白色着色顔料を選択調整しなければならないところ,引用例1及び引用例2には着色顔料を使うことが記載されているとして,本件発明2が容易想到であった旨を主張する。

しかしながら,引用発明1及び引用発明3によっても,相違点について容易想到であったとするには足らず,また,引用発明1及び本件発明が漆喰の材料としているのは体質顔料(石灰石)ではないことも,前記のとおりである。

したがって,原告の主張は,いずれも前提を欠くものであって,採用できない。

4  結論

以上の次第であるから,原告主張の取消事由はいずれも理由がなく,原告の請求は棄却されるべきものである。

(裁判長裁判官 滝澤孝臣 裁判官 高部眞規子 裁判官 井上泰人)

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