知財高等裁判所 平成22年(行ケ)10240号 判決 2011年7月07日
原告
インターシル アメリカズ インク
同訴訟代理人弁理士
平田忠雄
中村恵子
伊藤浩行
被告
特許庁長官
同指定代理人
大河原裕
冨江耕太郎
田部元史
板谷玲子
主文
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
3 この判決に対する上告及び上告受理の申立てのための付加期間を30日と定める。
事実及び理由
第1請求
特許庁が不服2008-11565号事件について平成22年3月15日にした審決を取り消す。
第2事案の概要
本件は,原告が,下記1のとおりの手続において,特許請求の範囲の記載を下記2とする本件出願に対する拒絶査定不服審判の請求について,特許庁が同請求は成り立たないとした別紙審決書(写し)の本件審決(その理由の要旨は下記3のとおり)には,下記4の取消事由があると主張して,その取消しを求める事案である。
1 特許庁における手続の経緯
(1) 出願手続及び拒絶査定
原告,X1及びX2は,平成14年8月20日,発明の名称を「温度依存性電流感知素子を有する回路用熱補償方法及び装置」とする特許を出願した(特願2003-522247。パリ条約による優先権主張日:平成13年(2001年)8月21日,アメリカ合衆国。甲5)。
原告は,X1及びX2から,特許を受ける権利の共有持分の譲渡を受け,平成16年5月19日付けで,特許庁長官に対し,その旨の名義人変更を届け出た(甲7(枝番については,省略。以下同じ))。
原告は,平成20年1月31日付けで拒絶査定を受け,同年5月7日,これに対する不服の審判を請求した。
(2) 審判手続及び本件審決
特許庁は,これを不服2008-11565号事件として審理し,平成22年3月15日,「本件審判の請求は,成り立たない。」との本件審決をし,その審決謄本は,同月30日,原告に送達された。
2 本願発明の要旨
本件審決が判断の対象とした特許請求の範囲の請求項1の記載は,以下のとおりである。なお,文中の「/」は,原文の改行箇所である。以下,特許請求の範囲の請求項1に記載された発明を「本願発明」といい,本願発明に係る明細書(甲5,6)を,図面を含めて「本願明細書」という。
電子回路の固有回路素子に発生する電流感知情報を使用する電子回路用集積制御回路であって,/電子回路を制御する制御ユニット,/電子回路の固有回路素子により誘発される温度上昇を感知して温度誤差信号を出力する温度センサー,/温度センサーに接続され増幅温度誤差信号を発生する可変利得増幅器,及び/可変利得増幅器に接続され増幅温度誤差信号と変換器の固有回路素子からの帰還信号とを合成し,温度補正帰還信号を制御ユニットに提供する加算器を含み,前記加算器が誘発温度誤差を前記帰還信号から除去し,前記温度補正帰還信号が温度非依存性帰還信号を含むことを特徴とする集積制御回路
3 本件審決の理由の要旨
(1) 本件審決の理由は,要するに,本願発明は,下記アの引用例1に記載された発明(以下「引用発明1」という。)及び下記イの引用例2に記載された発明に基づいて,当業者が容易に発明をすることができたものであり,特許法29条2項の規定により特許を受けることができない,というものである。
ア 引用例1:特開平11-146637号公報(甲1)
イ 引用例2:実願昭60-11114号(実開昭61-127866号)のマイクロフィルム(甲2)
(2) なお,本件審決が認定した引用発明1並びに本願発明と引用発明1との一致点及び相違点は,次のとおりである。
ア 引用発明1:メインスイッチ素子のオン抵抗を用いて電流を検出して過電流を防止するDC-DCコンバータであって,制御部を含むDC-DCコンバータ
イ 一致点:電子回路の固有回路素子に発生する電流感知情報を使用する電子回路用集積制御回路であって,電子回路を制御する制御ユニットを含む電子回路用集積制御回路
ウ 相違点:本願発明は,「電子回路の固有回路素子により誘発される温度上昇を感知して温度誤差信号を出力する温度センサー,温度センサーに接続され増幅温度誤差信号を発生する可変利得増幅器,及び可変利得増幅器に接続され増幅温度誤差信号と電子回路の固有回路素子からの帰還信号とを合成し,温度補正帰還信号を制御ユニットに提供する加算器を含み,前記加算器が誘発温度誤差を前記帰還信号から除去し,前記温度補正帰還信号が温度非依存性帰還信号を含む」のに対し,引用発明1は,電流感知情報の温度補正を行っていない点
(3) また,本件審決が認定した引用発明2は,次のとおりである。以下,これを,「引用発明2」という。
周囲温度Tを検出する温度センサー,該温度センサーに接続され温度ノイズ成分α・V・Tを発生する乗算器と増幅器とのセット,及び該乗算器と増幅器とのセットに接続され温度ノイズ成分α・V・Tと電流検出器の検出値Vとを合成する差動増幅器によって,前記差動増幅器が電流検出器の検出値Vから温度ノイズ成分α・V・Tを除去する技術
4 取消事由
本願発明の進歩性に係る判断の誤り
(1) 引用発明2の認定の誤り
(2) 相違点についての判断の誤り
第3当事者の主張
〔原告の主張〕
(1) 引用発明2の認定の誤りについて
ア 溶接電流Iの検出値Vについて
(ア) 引用例2に記載された発明は,溶接電流Iの検出値Vを表す式として,以下の計算式を開示する(以下「計算式①」という。)。
V=K・I(1+α・T)(K,α:定数)
(イ) 温度に依存しない定数成分K・I(温度外乱情報を除去した検出値V’)を算出するために,計算式①を変形し,さらに,定数αが十分小さい値であることを利用して近似を適用し,K・Iを算出する式は,以下のとおりとなる。
K・I=V/(1+α・T)
V’=K・I
V’=V/(1+α・T)
V’=V・(1-α・T+(α・T)2+……)
V’≒V-α・V・T(以下「計算式②」という。)
なお,同式は,定数αが1より十分小さい値であることから,α・T=0の周りで展開した多項式の2次以降の項を無視できるものとして切り捨てた結果,得られた近似式である。また,同式において,温度変動項「K・I・α・T」に代えて,検出値Vより差し引かれる「α・V・T」を,「温度外乱情報(温度ノイズ)」と定義している。
イ 温度ノイズ「α・V・T」及び検出結果V’の算出について
引用例2に記載された発明において,溶接電流Iを検出結果V’として出力する経過は次のとおりである。
(ア) 入力された溶接電流Iは,電流検出器により検出値Vとして出力される。この検出値Vは,以下(計算式①)のとおり,周囲温度Tの関数として表される。
V=K・I(1+α・T)(α,K:定数)
(イ) 電流検出器の検出値Vは,直接差動増幅器に入力されると同時に,温度センサーによる周囲温度Tとともに乗算器に入力され,乗算器において,この検出値Vの値と周囲温度Tの値が乗じられ,V・Tとして出力される。そして,乗算器の出力値V・Tが,増幅器において,入力を定数のα倍に増幅され,温度ノイズとして定義された「α・V・T」が出力される。さらに,差動増幅器において,電流検出器の検出値Vと,増幅器の出力値である温度ノイズ「α・V・T」とが合成され,検出値V’として出力される。V’は周囲温度Tの2次の関数として表され,常にその値は周囲温度Tに依存し,理論上の温度に依存しない定数項「K・I」よりもK・I(α・T)2小さい値(K・IからK・I(α・T)2を減算した値)となる。
V’≒V-α・V・T(計算式②)
=K・I〔1-(α・T)2〕
ウ 引用例2に記載された発明の技術内容について
(ア) 引用例2に記載された発明は,前記イのとおり,結果として,検出値V’は,K・I(α・T)2に相当する温度に依存した成分を含むものである。
したがって,引用例2に記載された発明においては,検出値V’の値は,常に「K・I」未満の値となる。
V’=K・I〔1-(α・T)2〕<K・I
(イ) 他方,本願発明において,温度補正帰還信号Y’(T)は,温度非依存性帰還信号Y(25℃)を含む式で表される。
Y’(T)=Y(25℃)+Y(T-25℃)-(A/k)(T-25℃)・G
そして,Y(T-25℃)=A(T-25℃)・G/kとなるように利得Gの値を設定した場合,温度補正帰還信号Y’(T)として,温度非依存性帰還信号を得ることができ,また,等式が成立しない場合であっても,実質的に温度非依存性帰還信号といえる信号を得ることができる。
温度補正帰還信号Y’(T)は,本願発明の「加算器が誘発温度誤差を前記帰還信号から除去し,前記温度補正帰還信号が温度非依存性帰還信号を含む」との構成から,温度非依存性帰還信号Y(25℃)と帰還信号Y(T)との間の値となり,温度非依存性帰還信号Y(25℃)未満の値となる場合を含まない。
Y(25℃)≦Y’(T)<Y(T)
ここで,「加算器が誘発温度誤差を帰還信号から除去し」とは,誘発温度誤差を「完全に除去すること」及び「完全ではないが,ある程度除去すること」と解すべきであり,「温度補正帰還信号が温度非依存性帰還信号を含む」とは,「温度補正帰還信号が温度非依存性帰還信号のみを含む(すなわち,誘発温度誤差を含まない)」態様及び「温度補正帰還信号が温度非依存性帰還信号と温度誤差信号として誘発温度誤差信号(の一部)を含む」態様を意味すると解すべきである。本願発明における温度補正帰還信号が,「温度非依存性帰還信号Y(25℃)の値を境に,正負いずれの温度誤差信号も含み得る」との被告の主張は,明らかに失当である。
そうすると,本願発明と引用例2に記載された発明とは,本質的に異なる技術であることは明白である。
(ウ) したがって,本件審決は,引用例2に記載された発明において,実際には検出値V’(T)に温度に依存した項(α・T)2を常に含むことにより,温度に依存しない項である「K・I」未満の値となるため,本願発明の,「前記加算器が誘発温度誤差を前記帰還信号から除去し,前記温度補正帰還信号が温度非依存性帰還信号を含む」との構成を有しないことを看過したものというほかない。
エ 検出値V’の検出精度について
(ア) 引用例2に記載された発明においては,αが十分小さいことを理由に,検出値V’を算出している。
しかしながら,検出値V’に含まれる温度に依存した項K・I(α・T)2は,αの値に依存し,かつ周囲温度Tの変化とともに増大するものである。
(イ) (α・T)2において,定数αの値が0.001/℃程度であれば,周囲温度Tが大きくても誤差は増大しないが,定数αがそれより大きい場合には,周囲温度Tの上昇とともに誤差が飛躍的に増大する。
引用例2に記載された発明においては,具体的な定数αの値について「十分小さい」としか記載されておらず,周囲温度Tの上昇の程度についても不明であり,このような誤差分が発生すること自体も示唆していない。しかも,実際には,検出値V’(=K・I〔1-(α・T)2〕)の値は,条件の悪化によっては10%程度の検出誤差が生じるおそれがあるから,もはや「高精度」ということはできない。
(ウ) したがって,引用例2に記載された発明における検出値V’は,温度により変動するK・I(α・T)2を除去し切れないものであり,定数αの値及び周囲温度Tの上昇の程度によっては,その値が誤差として無視できない程度にまで上昇するものであるから,引用例2に記載された発明は,検出値V’の精度低下を伴う技術であるというべきである。
オ 小括
以上からすると,本件審決は,引用発明2の認定において,乗算器が電流検出器に接続されることにより,温度ノイズに検出値Vを含む点を考慮していない点,温度ノイズα・V・Tを除去した検出値V’≒V-α・V・T(計算式②)が,実際には検出値V’=K・I〔1-(α・T)2〕であり,V’が温度に依存した項K・I(α・T)2を含むものである点を看過した点,この値が定数αの値及び周囲温度Tの上昇に伴い増大し,10%の誤差を含む程度に検出精度が低下する可能性がある点を看過したものである。
よって,本件審決の引用発明2の認定は,誤りである。
(2) 相違点についての判断の誤りについて
ア 引用例2に記載された発明の技術分野について
引用発明1は集積回路に係る発明であり,当該技術分野においては,一般に内部が相当量の温度上昇を伴う場合があることが予想されるとともに,回路素子等の定数αの値も多種多様な値を有しているから,K・I(α・T)2に相当する温度ノイズ成分の値が相当量に達する場合があるものと推測される。
しかも,引用発明1は,電源回路(DC-DCコンバータ)における負荷と直流電源間に配置された第1及び第2のスイッチ素子(電界効果トランジスタ)のオン抵抗を用い,制御部にてスイッチ素子に流れる電流値(ソース-ドレイン間の電圧降下)を検出することで重負荷か軽負荷かを判断することを特徴とした技術である。
したがって,仮に,集積回路の技術分野に属する引用発明1に,溶接電流の検出方法の技術分野に属する引用例2に記載された発明を適用しようとした場合,同発明は,検出値V’が温度変化とともに確実に減少するものであるから,スイッチ素子の定数αの値によっては制御部に送られるスイッチ素子の電圧降下の値が温度変化とともに減少し,実際に負荷に流れる電流値と制御部に送られる電流値との間に差が発生することにより,結果として本来重負荷と判定されるべき値までが当該温度補正によって重負荷と判断されずにスイッチ素子のオン状態が維持され,負荷に過電流が絶えず流れる場合が生じることとなる。
そうすると,引用発明1において,固有回路素子(電界効果トランジスタ)の検出電流から温度上昇による影響を除去して検出電流を精度よく得るという周知の課題を解決するために,定数αの値によっては周囲温度変化とともに検出電流の値が確実に低下する引用例2に記載された発明を適用することができるとした本件審決の判断は誤りである。
イ 「増幅温度誤差信号」「可変利得増幅器」について
(ア) 引用例2に記載された発明においては,検出値V’が,常に2次項K・I(α・T)2を含み,かつ温度により一義的に定まる温度ノイズの値も変更できないため,例えば非常に大きな温度変化を伴った場合にも,その温度変化に相当する誤差分K・I(α・T)2は解消されない。
これに対し,本願発明は,制御回路が受ける温度上昇比が変動しても,変動に合わせて出力される増幅温度誤差信号の大きさを適宜柔軟に変えることができ,最終的に合成して得られる出力結果Yとして,非温度依存性帰還信号のみを取り出すことが可能である。
したがって,引用例2に記載された発明における温度ノイズ成分「α・V・T」は,その機能及び作用に鑑みても,本願発明の「増幅温度誤差信号」に相当するものではない。
(イ) 引用例2に記載された発明における乗算器と増幅器とのセットは,周囲温度Tに対して一義的に定まるα・V・T(温度ノイズ)の値を,温度とは独立して適宜変更,調整する機能を有していない。
これに対し,本願発明における可変利得増幅器は,その増幅率Gを変化させることにより,増幅温度誤差信号の値を計測された温度差とは独立して別途適宜調整することができる。
したがって,引用例2に記載された発明の「乗算器と増幅器とのセット」は,本願発明の「可変利得増幅器」に相当するものではない。
ウ 小括
以上からすると,本願発明は,引用発明1及び2に基づいて,当業者が容易に発明をすることができるものということはできない。
(3) 本件審決は,以上のとおり,引用例2に記載された発明の認定を誤り,本願発明の進歩性を否定したものであって,取消しを免れない。
〔被告の主張〕
(1) 引用発明2の認定の誤りについて
ア 溶接電流Iの検出値Vについて
引用例2に記載された発明は,溶接電流Iを算出する際,αが小さいことから近似を適用して,以下のとおりの計算式を用いて算出する。
I=V/K(1+α・T)≒V(1-α・T)/K
なお,上記計算式は,αが1より十分小さい場合には,(α・T)2以下の項は無視し得るとして,1次項(α・T)までで近似したものであり,温度外乱情報を除去した検出値V’を算出する以下の計算式を導くことができる。
V’=K・I
≒V(1-α・T)
=V-α・V・T(計算式②)
そうすると,引用例2に記載された発明は,厳密には(α・T)2以下の項による誤差を含むことを予定しているが,αが1より十分小さいから,(α・T)2以下の項を無視し得るとしたものであり,同発明の目的である「悪温度環境下でも高精度な検出値が得られる溶接電流検出器を提供すること」は達成可能である。
イ 引用例2に記載された発明の技術内容について
本願発明において,温度補正帰還信号が「完全に」温度誤差信号を除去するものに限定されるものではないことについては,原告も争うものではない。
したがって,本願発明において,「加算器が誘発温度誤差を前記帰還信号から除去し」とは,温度誤差を「完全に除去すること」及び「完全ではないがある程度除去すること」のいずれをも含むものと解すべきである。
また,「温度補正帰還信号が温度非依存性帰還信号を含む」とは,「温度補正帰還信号が温度非依存性帰還信号のみを含む(すなわち,温度誤差を含まない)」態様と,「温度補正帰還信号が温度非依存性帰還信号と温度誤差信号とを含む」態様のいずれをも含むものと解すべきである。
さらに,本願発明において,「温度補正帰還信号が温度非依存性帰還信号を含む」とは,「温度補正帰還信号が温度非依存性帰還信号と負の温度誤差信号とを含む」ものということができるところ,引用例2に記載された発明も,温度誤差を,「完全ではないがある程度除去する」ものであるから,「温度補正帰還信号が温度非依存性帰還信号と負の温度誤差信号とを含む」ものということができる。
したがって,引用例2に記載された発明も,本願発明の「前記加算器が誘発温度誤差を前記帰還信号から除去し,前記温度補正帰還信号が温度非依存性帰還信号を含む」との構成を有するものである。
ウ 検出値V’の検出精度について
(ア) 引用例2に記載された発明において,温度外乱情報として除去される1次項(α・T)と,原告が除去し切れないものと主張する2次項(α・T)2との大きさを比較すると,一般的な金属材料又は半導体ではαが0.001ないし0.01/℃程度の範囲内にあることから,温度が10℃上昇しても,2次項は1次項の1/100ないし1/10程度となり,2次項(α・T)2を無視しても通常は問題とはならない。
したがって,引用例2に記載された発明は,温度誤差の大半を除去し得る技術であって,実用上,「温度ノイズ成分を除去する」技術と評価することは可能である。
(イ) 原告は,差動増幅器から出力される検出値V’の精度が,定数α及び周囲温度の上昇に応じて低下する点について,(α・T)2に具体的な数値を代入して計算し,誤差が増大するなどと指摘する。
しかしながら,これらの数値はα及び周囲温度Tによって変化するものであり,本願発明においては,その電流感知情報を検知するものが「電子回路の固有回路素子」であると特定されているにすぎず,具体的にどの程度の温度係数を有するものか,どの程度の温度変化を前提とするものかは,特定されていない。
本願明細書には,電子回路の固有回路素子として出力インダクタが例示されているが,同素子を構成する材料としては例えば銅が想定されるところ,銅の場合はαが0.0039/℃(本願明細書【0006】)であるから,周囲温度が50℃上昇しても誤差は4%程度にすぎない。
したがって,具体的な温度,材料を特定し,その数値の大小を議論すること自体,本願発明の特許請求の範囲に基づかない主張というべきであるし,本願明細書の記載を斟酌しても,引用例2に記載された発明において,実用上支障のない程度の精度が得られるものである。
(ウ) 仮に,引用例2に記載された発明において,差動増幅器の出力は温度ノイズ成分を完全に除去したものではないとしても,本願発明においても,「温度非依存性帰還信号」が完全に温度誤差信号を除去するものに限定されるものではない。
エ 小括
以上からすると,本件審決における引用発明2の認定に誤りはない。
(2) 相違点についての判断の誤りについて
ア 引用例2に記載された発明の技術分野について
本件審決は,引用発明2の認定において,溶接電流に特定してその検出及び温度ノイズ成分の除去に関する認定をしたものではない。また,仮に引用例2に記載された発明が溶接電流の分野に限定した技術であったとしても,当該技術分野における検出精度が集積回路の技術分野の精度よりも低いということはできない。
そして,必要とされる検出精度は,その検出方法が用いられる装置やその制御態様等,種々の使用条件に応じて異なるものであるから,技術分野の相違を根拠として必要とされる検出精度の高低を判断することは相当ではない。原告の主張は失当である。
イ 「増幅温度誤差信号」「可変利得増幅器」について
(ア) 本願発明は,温度非依存性帰還信号から完全に温度誤差信号を除去することまでを予定するものではない。
また,本願発明は,可変利得ブロックの利得Gを,電流感知情報Y(T)に応じて調整するものと理解することができるところ,可変利得ブロックは,温度センサーの信号と利得Gとを乗算するが,利得Gが電流感知情報Y(T)に応じて調整されるから,乗算の内容は実質的に温度誤差成分を含む電流感知情報Y(T)と温度センサーの信号とを乗算する態様となり,その出力は,電流感知情報Y(T)に含まれる温度誤差成分Y(T-25℃)を含むものとなる。
そうすると,本願発明の可変利得増幅器は,実質的に帰還回路の信号をインピーダンス回路を介して受け,当該信号(情報)を用いて出力を演算し,その結果,その出力である「増幅温度誤差信号」は帰還信号をその成分として含み,最終的な出力結果Y(25℃)に影響する温度誤差成分を含むこととなる。
(イ) 以上のとおり,本願発明の「増幅温度誤差信号」は,引用発明2の検出値Vに相当する帰還信号自体をその成分として含み,最終的な出力結果Y(25℃)に影響する温度誤差成分を含むから,同発明の「温度ノイズα・V・T」に相当する。
また,本願発明の可変利得増幅器は,引用発明2の「乗算器と増幅器とのセット」と同一の機能を有することとなる。
(ウ) したがって,引用発明2の「温度ノイズ成分α・V・T」「乗算器と増幅器とのセット」は,それぞれ本願発明の「増幅温度誤差信号」「可変利得増幅器」に相当するものということができる。
ウ 小括
したがって,本願発明は,引用発明1及び2に基づいて,当業者が容易に発明をすることができたものである。
(3) 本件審決の引用発明2の認定及び本願発明の進歩性に係る判断には,以上のとおり,何らの誤りはない。
第4当裁判所の判断
1 本願発明について
本願明細書(甲5,6)の記載によると,本願発明の技術内容は以下のとおりである。
本願発明は,温度依存性電流感知素子を有する回路用熱補償装置に関する発明である。従来,DC-DC変換器(電子回路)において,過負荷電流制限のための帰還信号を得るために,出力と負荷との間に抵抗器を挿入することなく,DC-DC変換器内の固有回路素子を電流感知素子として利用して電流の流れを測定する方法が知られていたが(【0003】~【0005】),固有回路素子は,当該回路素子を流れる電流によって発熱し,温度によりその導電率が変動するという問題や,周囲領域,制御回路,局所的周囲の温度を加熱するという問題があった(【0006】【0007】)。
そこで,本願発明は,電子回路用集積制御回路の電子回路に流れる電流を感知するために使用する固有回路素子の熱的影響を減少又は除去するという課題(【0008】【0017】)を解決するために,電子回路の固有回路素子からの帰還信号と,集積制御回路の温度上昇を感知する温度センサーが出力する温度誤差信号を可変利得増幅器により増幅した増幅温度誤差信号とを加算器で合成,すなわち,帰還信号から増幅温度誤差信号を減算することによって,帰還信号から温度誤差を除去し,温度補正帰還信号を得て,制御ユニットに提供するようにしたものである(【0009】【0019】~【0021】図2)。
2 引用発明2の認定の誤りについて
(1) 引用例2の記載
引用例2(甲2)の記載を要約すると,以下のとおりとなる。
ア 引用例2の実用新案登録請求の範囲は,以下のとおりである。
溶接電流を検出する電流検出器と,該電流検出器に取り付けられ,周囲温度を検出する温度センサーと,前記電流検出器の検出値と前記温度センサーの出力値を乗算する乗算器と,該乗算器の出力値を所定量,増幅する増幅器と,前記検出器と前記増幅器の出力を差動増幅する差動増幅器を備えてなる溶接電流検出器
イ 引用例2に記載された発明は,溶接電流検出器に関する発明である。
溶接電流検出器としては,シャント抵抗を使用するもの,磁電変換素子を使用するもの等が広く実用化されているが,これらはいずれも温度変化に対して検出値が変動するという欠点を有する。そこで,溶接電流を倣い制御用センサー信号として利用する例が近年増えているが,その際,ショートアーク領域ではセンサー情報が少なく,検出値は溶接電流検出器のセルフヒーティングや周知温度状況により影響を受けやすい。
引用例2に記載された発明の目的は,悪温度環境下でも高精度な検出値が得られる溶接電流検出器を提供することである。
ウ 溶接電流検出器の検出値は,物理的諸特性等による温度依存性のため温度外乱情報を有している。溶接電流をI,溶接電流検出器の検出値をV,周囲温度Tとすると,溶接電流検出器の入出特性は一般的に次式で示される。
V=K・I(1+α・T)(K,α:定数)
同式より,溶接電流Iを求めると,αは小さいので,以下のとおりとなる。
I=V/[K(1+α・T)]
≒V(1-α・T)/K
温度外乱情報を除去した検出値V’は,次のとおりとなる。
V’=K・I
≒V(1-α・T)
したがって,周囲温度Tを検出することにより,温度外乱情報が除去された検出値V’を得ることができる。
エ 引用例2に記載された発明において,電流検出器は溶接電流Iを入力し,検出値Vに変換する。温度センサーは,電流検出器に取り付けられ,その周囲温度Tを検出する。乗算器は検出値Vと周囲温度Tを乗算する。増幅器は乗算器の出力V・Tをα倍に増幅する。差動増幅器(通常ゲインは1)は電流検出器の検出値Vから増幅器の出力α・V・Tを減算する。
したがって,差動増幅器からは検出値Vに含まれる温度ノイズ成分を除去した検出値V’が出力される。
オ 引用例2に記載された発明は,溶接電流検出器に温度センサーを取り付け,温度ノイズ成分を除去することにより,悪温度環境下でも高精度な検出値がリアルタイムで,かつ連続的に得られるものである。
(2) 引用例2に記載された発明の技術内容
以上の引用例2の記載によると,引用例2に記載された発明は,溶接電流Iを制御用センサー信号として利用する溶接電流検出器において,検出値に温度依存性があることから,悪温度環境下でも高精度な検出値を得ることを課題とし,この課題を解決するために,検出値Vに含まれる温度ノイズ成分(温度外乱情報)が除去された検出値V’が出力されるようにしたものである。
具体的には,電流検出器で検出した溶接電流Iの検出値Vは,K,αを定数として,V=K・I(1+α・T)と表現することができるところ,αは1より十分小さいことから,同式に基づき,温度ノイズ成分が除去された検出値V’の近似式をV’≒V(1-α・T)として求めた上で,これを,電流検出器で検出した溶接電流Iの検出値Vと,電流検出器に取り付けられた温度センサーにより検出した周囲温度Tとを乗算器により乗算して増幅器でα・V・Tに増幅し,差動増幅器で電流検出器の検出値Vからα・V・Tを減算することによって,検出値Vに含まれる温度ノイズ成分を除去した検出値V’が出力される回路構成(引用例2第1図参照)を有することをその技術内容とするものである。
(3) 本件審決の引用発明2の認定の当否
ア 上記(1)及び(2)によると,引用例2に記載された発明は,温度ノイズ成分が除去された検出値V’を,V’≒V(1-α・T)の近似式で表現し,これを引用例2第1図により開示された回路構成によって実現したものであって,近似式を導いた手法には数学的な合理性があり,また,近似式を実現した上記回路構成が,上記近似式に対応した演算処理を行うことができるものであることは明らかである。
したがって,引用例2に記載された発明について,本件審決が前記第2の3(3)のとおり,すなわち引用発明2とした認定に誤りはない。
イ この点について,原告は,引用発明2の認定において,乗算器が電流検出器に接続されることにより,温度ノイズに検出値Vを含む点を考慮していない点,温度ノイズα・V・Tを除去した検出値V’≒V(1-α・T)が,実際には検出値V’=K・I〔1-(α・T)2〕であり,V’が温度に依存した項K・I(α・T)2を含むものである点を看過した点,この値が定数αの値及び周囲温度Tの上昇に伴い増大し,10%の誤差を含む程度に検出精度が低下する可能性がある点を看過した点について,本件審決の誤りを指摘するものである。
しかしながら,本件審決は,引用発明2について,「乗算器と増幅器とのセットに接続され温度ノイズ成分α・V・Tと電流検出器の検出値Vとを合成する差動増幅器」を認定しており,温度ノイズ成分である「α・V・T」には,電流検出器からの信号Vが含まれているから,明示の有無にかかわらず,実質的に電流検出器が乗算器に接続された構成を含めて認定しているものということができる。
また,引用発明2において,差動増幅器の出力である検出値V’は,検出値Vから温度ノイズ成分α・V・Tを除去したものであって,「K・I(α・T)2」に相当する理論上の温度ノイズ成分が含まれているものではあるが,引用例2の第1図に開示された回路構成は,V’≒V(1-α・T)という数学的に合理的な手法により導かれた近似式に対応したものであって,温度ノイズ成分α・V・Tは近似値であるから,差動増幅器の出力である検出値V’が近似に伴う誤差を含むことは,当然,予定されているものである。そして,検出値V’は,検出値Vから温度ノイズ成分α・V・Tが除去されたものであるから,近似に伴う誤差を含むとしても,少なくとも検出値Vと比較すれば,高精度な検出値ということができる。
さらに,引用発明2は,悪温度環境下でも高精度な検出値を得るという課題を解決するために,検出値Vから温度ノイズ成分α・V・Tを除去した検出値V’が出力されるように回路を構成したものであり,その検出値V’が近似に伴う誤差を含むとしても,温度ノイズ成分α・V・Tを減算する前の検出値Vと比較すれば,少なくとも検出精度が向上していることは明らかである。そして,引用発明2の検出精度は,αの値や周囲温度Tによって変動するものであり,また,要求される検出精度は,目的とする制御対象や検出値の用途等によっても異なるのであるから,独自の条件や数値を仮定して引用発明2の検出精度を評価することは,相当ではない。
ウ したがって,原告の主張はいずれも採用できない。
(4) 小括
以上からすると,本件審決の引用発明2の認定に誤りはない。
3 相違点についての判断の誤りについて
(1) 本願発明について
本願発明については,前記1で認定したとおりである。
(2) 周知技術について
ア 特開昭64-83156号公報(甲3)は,電流検出回路の発明に係る文献であるところ,同文献には,電界効果トランジスタ(FET)をスイッチング素子として用いたチョッパ制御装置における電流検出回路において,従来はFETのオン抵抗が温度に依存する点に配慮がされていなかったため,電流検出精度に問題があったことから,電流検出用としてスイッチング用のFETに熱結合させた別のFETを設け,スイッチング用FETの温度依存性と無関係に負荷電流を検出できるようにしたことが開示されている。
イ 特開2000-116119号公報(甲4)は,温度補償回路の発明に係る文献であるところ,同文献には,DC-DCパワーコンバータは,様々な負荷条件及び温度条件においても信頼性よく動作しなければならないため,負荷電力が公称値以上に増加すると,出力電圧をゼロにしてコンバータを故障から保護するが,パワーコンバータのパワースイッチとして採用される半導体スイッチ(MOSFET)のオン抵抗は温度依存性により変化することから,パワーコンバータの素子に対する温度の影響を検出して補償して電流保護を正確に行い,かつ,コンバータの制御を安定化させるようなシステム及び方法を提供するため,半導体スイッチの温度依存特性と逆の温度依存特性を有する素子により,半導体スイッチの温度特性を補償することが開示されている。
ウ 前記ア及びイに開示された周知技術によると,DC-DCコンバータ等の電源用電子回路において,電流を制御するスイッチング素子の特性には温度依存性があることから,スイッチング素子に流れる電流を精度よく検出するために,電流検出値から温度誤差を除去する必要があることは,周知の課題であったということができる。
(3) 相違点について
ア 電流検出値から温度誤差を除去するために,温度センサーにより検出した周囲温度情報に基づいて温度誤差成分を生成し,温度誤差を含む電流検出値と合成することにより,電流検出値の温度誤差を除去する回路構成は,引用例2に記載されているとおり,本願発明の優先権主張日において,公知であったものである。
引用発明1は,前記(2)の周知技術と同様にスイッチング素子を用いた電源用電子回路に係る技術であるから,引用発明1においても上記周知の課題が存在することは,当業者であれば当然に予測できることである。
したがって,引用発明1において,当該課題を解決するために,引用例2に開示されている上記回路構成を採用することは,当業者が容易に想到し得たものということができる。
イ この点について,原告は,集積回路に係る発明である引用発明1に,溶接電流の検出方法の技術分野に属する引用発明2を適用することはできない,引用発明2の検出値V’は,温度に依存した項「K・I(α・T)2」を含むため,引用発明2は,本願発明における「前記加算器が誘発温度誤差を前記帰還信号から除去し,前記温度補正帰還信号が温度非依存性帰還信号を含む」に相当する構成を備えていないから,引用発明2における温度ノイズ成分「α・V・T」及び「乗算器と増幅器とのセット」は,それぞれ本願発明の「増幅温度誤差信号」及び「可変利得増幅器」に相当するものではないなどと主張する。
しかしながら,引用発明2は,「溶接電流の検出方法」に関する技術であるとしても,電流検出値から温度誤差を除去するという課題は,上記周知技術からも明らかなとおり,電子回路一般に該当する課題ということができる。また,引用発明2の回路構成も,溶接電流の検出方法に特有のものではなく,電流検出値から温度誤差を除去するための電子回路一般に適用可能なものである。
また,仮に定数αの値によっては周囲温度変化とともに検出精度が低下するとしても,引用発明2は,悪温度環境下でも高精度な電流検出値が得られるという効果を奏するものであるから,その回路構成を集積回路に適用した場合においても,同様に検出精度が向上するという効果を奏することは明らかであって,引用発明2を「集積回路」に係る引用発明1に適用することに阻害要因はない。
さらに,引用発明2の検出値V’は,近似に伴う誤差を含むとしても,検出値Vから温度ノイズ成分α・V・Tを除去したものであるから,「誘発温度誤差を前記帰還信号から除去」した値であることに変わりなく,これは,「前記温度補正帰還信号」であって,温度補正帰還信号が温度非依存性帰還信号より大きいか小さいかにかかわらず,「温度非依存性帰還信号を含む」信号ということができる。また,引用発明2の「乗算器」及び「増幅器」は,これらの構成によって検出値Vと周囲温度Tとを乗算し,α倍に増幅することにより,温度ノイズ成分α・V・Tを得るものであるから,その機能から,本願発明の「可変利得増幅器」に相当するものである。加えて,「α・V・T」は,その値を電流検出器の検出値Vから減算することによって,検出値Vに含まれる温度ノイズ成分を除去した検出値V’が得られるのであるから,本願発明の「増幅温度誤差信号」に相当するものである。仮に,引用発明2において,定数αの値及び周囲温度Tの上昇の程度によっては,その値が誤差として無視できない程度にまで上昇し,検出値V’の精度の低下を伴う場合があったとしても,検出精度はαの値や周囲温度Tによって変動するものである。要求される検出精度は,目的とする制御対象や検出値の用途等によっても異なるのであるから,独自の条件や数値を仮定して引用発明2の検出精度を評価することが相当ではないことは,取消事由1において指摘したとおりである。引用発明2の検出精度に係る評価に基づいて,引用発明2の「温度ノイズ成分α・V・T」及び「乗算器と増幅器とのセット」が,本願発明の「増幅温度誤差信号」及び「可変利得増幅器」に相当しないものとする原告主張は,その前提自体が誤りである。
ウ したがって,原告の主張はいずれも採用できない。
(4) 小括
以上からすると,本願発明は,引用発明1及び2に基づいて,当業者が容易に発明をすることができたものであるとした本件審決の判断に誤りはない。
4 結論
以上の次第であるから,原告主張の取消事由は理由がなく,原告の請求は棄却されるべきものである。
(裁判長裁判官 滝澤孝臣 裁判官 井上泰人 裁判官 荒井章光)