知財高等裁判所 平成22年(行ケ)10302号 判決 2011年9月13日
原告
三星モバイルディスプレイ株式會社
訴訟代理人弁護士
松本直樹
弁理士
八田幹雄
藤田健
都祭正則
長谷川俊弘
貴志浩充
山田牧人
荒木一秀
被告
特許庁長官
指定代理人
後藤亮治
小松徹三
樋口信宏
田村正明
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
この判決に対する上告及び上告受理申立てのための付加期間を30日と定める。
事実及び理由
第1原告の求めた判決
特許庁が不服2008-6059号事件について平成22年5月12日にした審決を取り消す。
第2事案の概要
本件は,特許出願拒絶査定に対する不服審判請求を不成立とする審決の取消訴訟である。争点は,本願発明の進歩性の有無である。
1 特許庁における手続の経緯
原告は,2002年(平成14年)10月7日及び2003年(平成15年)4月17日の優先権(大韓民国)を主張して,平成15年10月7日,名称を「フラットパネルディスプレイ」とする発明について本件特許出願(特願2003-347886号,公開公報は特開2004-133455号〔甲13〕)をし,平成19年11月15日付けで特許請求の範囲の変更等を内容とする補正(甲15)をしたが,拒絶査定を受けたので,これに対する不服の審判請求をした。
特許庁は,上記請求を不服2008-6059号事件として審理し,その中で原告は平成20年3月10日付け及び平成22年3月2日付けで特許請求の範囲の変更等を内容とする補正(甲10,16)をしたが,特許庁は,平成22年5月12日,「本件審判の請求は,成り立たない。」との審決をし,その謄本は平成22年5月25日原告に送達された。
2 本願発明の要旨(請求項1の記載)
「発光素子と,
前記発光素子を駆動するためのソース/ドレイン領域を具備する第1及び第2のトランジスタと,
を含み,
前記第1及び第2のトランジスタは導通したときのそれぞれのソース領域からドレイン領域にかけての抵抗値が互いに相違し,
前記第1のトランジスタは,前記発光素子を駆動するための駆動トランジスタであり,前記第2のトランジスタは,前記駆動トランジスタのオン/オフをスイッチするためのスイッチングトランジスタであり,前記駆動トランジスタは,ソース領域からドレイン領域にかけての半導体層が,前記スイッチングトランジスタのソース領域からドレイン領域にかけての半導体層よりも大きい抵抗値を有し,
前記駆動トランジスタは,前記半導体層に対するゲート電極と,前記半導体層における前記ゲート電極の両側に形成された高濃度ソース/ドレイン領域と,前記ゲート電極と前記ドレイン領域との間に設けられるオフセット領域とを具備し,
前記オフセット領域が,前記高濃度ソース/ドレイン領域と同一の導電形を有する低濃度不純物が全体としてまたは部分的にドープされた低濃度不純物領域または不純物がドープされていない真性領域からなる高抵抗領域である,
ことを特徴とするフラットパネルディスプレイ。」
3 審決の理由の要点
(1) 刊行物1(特開2001-345179号,甲1)には,実質的に次の発明(引用発明)が記載されていることが認められる。
「EL素子603と,
前記EL素子を駆動するためのソース領域13,ドレイン領域14を具備するスイッチング用TFT601,および,ソース領域31,ドレイン領域32を具備する電流制御用TFT602と,
を含み,
前記電流制御用TFT602は前記EL素子603を駆動するための駆動トランジスタであり,
前記スイッチング用TFT601は,前記電流制御用TFT602のオン/オフをスイッチするためのスイッチング用のTFTであり,
前記電流制御用TFT602は,過剰な電流が流れて前記EL素子603が劣化しないよう,そのチャネル長(L)が長めに設計され,電流値が小さく設定されている,有機ELディスプレイ。」
(2) 本願発明と引用発明との一致点と相違点は次のとおりである。
【一致点】
「発光素子と,
前記発光素子を駆動するためのソース/ドレイン領域を具備する第1及び第2のトランジスタと,
を含み,
前記第1のトランジスタは,前記発光素子を駆動するための駆動トランジスタであり,前記第2のトランジスタは,前記駆動トランジスタのオン/オフをスイッチするためのスイッチングトランジスタである,
フラットパネルディスプレイ。」
【相違点1】
本願発明は,「前記第1及び第2のトランジスタは導通したときのそれぞれのソース領域からドレイン領域にかけての抵抗値が互いに相違し」ているのに対し,引用発明は明確でない点。
【相違点2】
本願発明では,第1のトランジスタである「前記駆動トランジスタは,ソース領域からドレイン領域にかけての半導体層が」,第2のトランジスタである「前記スイッチングトランジスタのソース領域からドレイン領域にかけての半導体層よりも大きい抵抗値を有し」ているのに対し,引用発明では,明確でない点。
【相違点3】
本願発明は「前記駆動トランジスタは,前記半導体層に対するゲート電極と,前記半導体層における前記ゲート電極の両側に形成された高濃度ソース/ドレイン領域と,前記ゲート電極と前記ドレイン領域との間に設けられるオフセット領域とを具備し,
前記オフセット領域が,前記高濃度ソース/ドレイン領域と同一の導電形を有する低濃度不純物が全体としてまたは部分的にドープされた低濃度不純物領域または不純物がドープされていない真性領域からなる高抵抗領域である」のに対し,引用発明の電流制御用TFT602は,過剰な電流が流れてEL素子603が劣化しないよう,そのチャネル長(L)が長めに設計されて導通したときに流れる電流値が小さく設定されている点。
(3) 以下の理由により,本願発明は当業者が容易に発明をすることができたものである。
① 引用発明における電流制御用TFT602が導通した時の電流値を小さくする技術手段として,引用発明におけるチャネル長(L)を長めに設計する技術手段に代えて,「半導体層に対するゲート電極と,前記半導体層における前記ゲート電極の両側に形成された高濃度ソース/ドレイン領域と,前記ゲート電極と前記ドレイン領域との間に設けられるオフセット領域とを具備し,前記オフセット領域が,前記高濃度ソース/ドレイン領域と同一の導電形を有する低濃度不純物がドープされた低濃度不純物領域または不純物がドープされていない真性領域からなる高抵抗領域である」周知の技術手段(例えば刊行物2〔特開2002-50761号公報,甲2〕,刊行物3〔特開2000-294787号公報,甲3〕)を採用し,相違点3に係る構成と為すことに格別の困難性は認められない。
② 引用発明の電流制御用TFT602は,そのチャネル長(L)が長めに設計されているから,導通したときのソース領域からドレイン領域にかけての半導体層の抵抗値は,チャネル長(L)が長めに設計されていないものに比して相対的に大きくなっている。
他方,引用発明のスイッチング用TFT601は,導通したときにデータライン120に印加されるデータ信号の電位に応じてキャパシタ153を充電し,遮断したときにキャパシタ153の充電電位を保つ機能を有するものであるから,ソース領域からドレイン領域にかけての抵抗値は,導通したときはスキャン信号が印加されている間に充電が完了するように小さい抵抗値が,遮断したときは次のスキャン信号が印加されるまで充電電位を保持できるよう大きい抵抗値が望ましいことは当業者に明らかである。
そして,トランジスタの特性値は,そのトランジスタが使用される場所や求められる機能に応じて当業者が適宜設定する設計事項であり,このことは,有機ELディスプレイのトランジスタについても,変わるものではない。
さらに,電流制御用TFT602が導通したときのソース領域からドレイン領域にかけての半導体層の抵抗値と,スイッチング用TFT601が導通したときのソース領域からドレイン領域にかけての半導体層の抵抗値とは,直接的に関連するものではないから,引用発明における電流制御用TFT602は,導通したときのソース領域からドレイン領域にかけての半導体層の抵抗値を,スイッチング用TFT601の抵抗値よりも大きくすることは当業者が適宜為し得る事項であり,相違点1,相違点2に係る構成と為すことに困難性は無い。
③ 本願発明が奏する作用効果は,引用発明と周知の技術手段とに基づいて,当業者が予測しうる程度のものである。
第3原告主張の審決取消事由
1 取消事由1(刊行物2及び3についての認定の誤り)
(1) 目的が違う
審決は,相違点3について,「周知の技術手段」による相違だとして「格別の困難性は認められない。」とし,その根拠として刊行物2及び刊行物3をあげる。
しかし,刊行物2は,「オフリーク電流を小さくする」ことを目指している。つまり,トランジスタ(MOSFET)のゲート電圧が所定値以下であるために,チャネルが接続しておらずドレインとソースとの間に電流が流れない状態(すなわち「オフ」状態)になっている際にも,多少の漏れ電流(リーク電流)があり得るが,これを減らすことを主旨としている(そのためにオフセット領域を設ける)。これに対して,導通があるべき状態(ゲート電圧が所定値以上の状態)においての電流(オン電流)は,基本的に沢山流れるのが望ましい。ところが,オフセット領域を一定以上の長さで設けると,このオン電流が減少してしまう。これは望ましくない状態である。
そこで刊行物2は,「・・・ソースもしくはドレイン部分と,チャネル部分の間隔は2μm以下が適当であり,これ以上の長さではオン電流が小さくなってしまう。」としている。「2μm以下が適当」でそれなら「オン電流が小さく」はならないとしているのであり,この勧めに従う限り,発光素子に流れる電流を減らすことにはならない。つまり本願発明や刊行物1の目的を実現しない。
刊行物3もほぼ同様である。刊行物3は,「従来のLDD構造はTFTの高耐圧化およびオフ電流低減に顕著な効果がある」とした上で,その問題点として,「TFTの駆動電流(以下,オン電流と呼ぶ)が低下してしまうという問題点を有している。」としている。オン電流を減らす手段としてこうした構造を説明しているのではない。刊行物3自体は,ゲート電極下に同様の構造を設けることで,オン電流を減らさずに済むというのを発明内容とし,オン電流を減らす手段としてのLDD構造ないしオフセット領域を説くのではなく,単に電流減少の可能性を指摘して,避けることを提案しているのであり,これを根拠にして「周知」というのは間違っている。
以上のとおり,刊行物2及び3の記載は,いずれもオフセット領域によってオン電流を減らすことを積極的に使うという内容ではなく,むしろそうなるのを避けることを説いている。ここから,本願発明のように(特に,刊行物1との重要な相違である相違点3のように),オン電流を減らすのに使うという考えは出てこない。審決は,これが刊行物2及び3により認められる「周知の技術手段」だと認定するが,誤りである。
(2) トランジスタの使い方の違い
刊行物2のトランジスタは,本願発明や刊行物1の場合とは使い方が違う。
刊行物2は液晶を駆動する場合であり,基本的には継続的に電流を流さない。
これに対し,本願発明の駆動トランジスタは,発光素子の駆動に使用されるものであり,定電流の供給のために飽和領域で用いられる。
刊行物3は,TFT単体を説明しており,どのような使い方をするのか具体的な言及がなく,刊行物3に記載された技術を刊行物1の駆動トランジスタに組み合わせるということは直ちに可能なことではない。
2 取消事由2(相違点3の判断の誤り)
(1) 組み合わせる動機付けがない
審決は,刊行物2及び3のLDD領域関係記載を,オン電流を制限するためにソースおよびドレイン間の抵抗を高める「周知」の構成であるかのように取り出した上,刊行物1のオン電流を制限するための構成である「より長いチャネル長」と置き換えている。しかし,刊行物2及び3に記載された発明は基本的にはできる限りオン電流を大きくしようとしているのであり,たとえ電流が減る可能性に言及しているにしても,それを刊行物1とこのように組み合わせる動機がない。
前記のとおり,刊行物2及び3に記載されたオフセット領域又はLDD領域は,オン電流を制限することを目的としたものではなく,むしろ,オン電流がより大きくなるように工夫されている中で,せいぜい,オン電流が減少してしまう構成のありうることが,避けるべき状況として言及されているにすぎない。こうした避けるべきとされる状況を取り上げて,これを刊行物1と組み合わせるというのが審決のロジックであるが,間違いである。
そして,刊行物1記載の発明と刊行物2又は3記載の発明とを組み合わせるというのであれば,それなりの動機付けが必要であるが,審決には何ら動機付けが示されていない。
また,刊行物1は開口率をできるだけ大きくするという課題には気付いていないところ,このような課題に気付いていない状態で,LDD領域を形成するという刊行物2及び3に記載された技術を採ろうとすると工数が大きくなることを敬遠して採用を躊躇するはずである。すなわち,ゲートを長くすればトランジスタが大きくなるので,開口率が減るというデメリットがあり,LDD領域を形成すれば濃度が異なる領域を形成するためにマスクが必要となって,工数が増えるというデメリットがある。これらは当業者の技術常識である。
(2) 組合せになっていない
先行技術の組合せで,それぞれのあるべき使い方に従ってあるべき効果を発揮させるだけのものは,単なる寄せ集めであり,進歩性ある発明とはいえないものの典型である。本願発明はこれとはまったく違う。
刊行物2及び3の記載は電流制限を利用する内容ではなく,避けるべき現象(の可能性)への言及にすぎない。これを利用すること自体,これらの先行技術には見られない本願発明の内容である。
上記(1)では動機付けがないと主張したが,そもそも本願発明と刊行物2及び3の記載内容を組み合わせて本願発明になるというものですらない。
(3) 本願発明の引用発明に対する利点(異質の効果)の看過
刊行物1にあるように,チャンネルを長くすることでも電流を制限できるが,オン電流を制限するについて,これは効率的ではない。MOS型FETの原理から明らかなように,ゲート電極によって誘起されるチャンネルには,オンのときにはキャリア(n型FETなら電子,p型FETならホール)が存在していて,これによって十分に導通があるわけだから,それを長くするだけで電流を制限しようとするなら,かなり長いチャンネルとなることが考えられる。
これに対してオフセット領域はゲート電極から外れた箇所であり,そこにはほとんどキャリアが無いのであるから,僅かな長さでも抵抗は大きく大きな電圧降下を生じる。これにより,僅かな面積で十分な電流制限効果を得ることができ,もって,高い開口率が得られる。
本願発明は,電流を制限するのにオフセット領域を使うので所用面積が小さく,これにより開口率を高めることができる。これは,刊行物1には示唆のない利点である。すなわち,本願発明は,「各画素当たりの駆動トランジスタが占める面積を増大することなく,有機電界発光素子を流れる電流量のみを調節することにより,開口率の減少という問題を解決し,信頼性を向上させることができるという効果を奏する。」(本願明細書の段落【0066】)。」ものである。
審決は,「本願発明が奏する作用効果は,引用発明と周知の技術手段とに基いて,当業者が予測しうる程度のものである。」としたが,上記の異質な効果を看過している。
(4) 後知恵
オフセット領域の働きは,そこでの電圧降下により実効的なドレイン電圧が小さくなるということである。オフセット領域はキャリアが僅かしか存在しないので高抵抗であり,電圧降下があるのは間違いない。ところがMOSFETでは,一定の以上の電圧では,ドレイン電圧が変動してもドレイン電流はほとんど変動しない。またトランジスタの使い方としてこうした領域(飽和領域。ピンチオフ領域などともいう。)の電圧で使用するのが当然のこととなっている。したがって,オフセット領域を設けても,それで電流が十分に小さくなるのは決して当然ではない。
しかし,それでも条件によってはドレイン電圧の変化によりそれなりの電流の変動が生ずるもので,これにより,オフセット領域の効果として結局はドレイン電流が制限される。それも,チャンネルを長くするのに比べて,効率的にオン電流を制限することができる。
この結論は,比較として提示されれば,電子デバイスの当業者が当然に納得するべきものであるが,電流を制限しようという必要のために,オフセット領域を設けるのが当然だというような関係にはない。結論から見て当たり前だというのは,後知恵にすぎない。オフセット領域を使うのは,そのような当たり前ではない一つの工夫である。それによって現実的なものを作り出している本願発明が,特許に値するものであることはもちろんである。
第4被告の反論
1 半導体の技術分野における技術常識につき
(1) 半導体の抵抗につき
長さL,幅W,厚さT,不純物がドーピング濃度NDで均一にドープされたn形拡散層の半導体試料を想定した場合,その抵抗Rは,
R=(1/qμnND)L/WT
である(qは電子電荷,μnは電子の移動度。この式は,半導体の教科書に説明されている基本的な式である。乙1)。また,p形拡散層の半導体試料の場合も同様に,
R=(1/qμpNA)L/WT
である。(μpは正孔の移動度,NAはドーピング濃度)
すなわち,半導体試料の抵抗は,長さL,幅W,ドーピング濃度(NDもしくはNA)の関数であって,
・ 長さLが長いほど,抵抗が大きくなる
・ 幅Wが狭いほど,抵抗が大きくなる
・ ドーピング濃度(NDもしくはNA)が低いほど,抵抗が大きくなる傾向があり,これは技術常識である。
そして,半導体試料の両端に一定の電圧を印加した場合,半導体試料に流れる電流は抵抗に反比例するから,
・ 長さLが長いほど,流れる電流が小さくなる
・ 幅Wが狭いほど,流れる電流が小さくなる
・ ドーピング濃度(NDもしくはNA)が低いほど,流れる電流が小さくなることも,技術常識である。
半導体に不純物をドーピングした拡散層の不純物濃度は,その深さ方向に必ずしも均一にはならないが,かかる拡散層は,薄い試料を多数重ね合わせてできあがっていると考えることができる。一般に,TFTは,半導体に不純物をドーピングして,ソース,ドレイン等の領域を作成するから,前記技術常識はTFTを構成する半導体にも当てはまるものである。
(2) LDD領域が設けられたTFTの電気的特性につき
チャネル領域と高濃度ドレイン領域の間に,高濃度ドレイン領域と同一の導電形を有する不純物が低濃度にドープされた領域(Lightly Doped Drain領域,LDD領域ともいう。)が設けられたTFTは,刊行物1,刊行物2,刊行物3にも記載されているように,極めて周知のTFTである。
ア LDD領域が設けられていないTFTの電気的特性
TFTは,ゲート電極に印加される電位により発生される縦方向の電界,ソース電極とドレイン電極に印加される電位により発生される横方向の電界の影響を受けて,ソース領域,チャネル領域,ドレイン領域内のキャリアの分布状態が変化し,そのキャリアの分布状態に応じて,ソース-ドレイン電極間の電圧-電流特性,相互コンダクタンスなどの電気的特性が変化するものである。
ここで,多数キャリアの密度は不純物の濃度にほぼ等しい(乙1の71頁10行~11行参照)から,TFTの各電極に電位が印加されない状態におけるキャリアの分布は,ソース領域,チャネル領域,ドレイン領域の各領域の長さ,幅,ドーピング濃度等によって規定され,各電極に電位が印加された状態でのキャリアの分布状態も,各領域の長さ,幅,ドーピング濃度の影響を受けるものであることは明らかである。
そして,TFTのゲート電極に十分な電圧を印加したオン状態における電流(オン電流)は,ソース電極とドレイン電極との間を,ソース領域,チャネル領域,ドレイン領域の各領域を経由して流れるものであるから,オン状態のTFTは,各領域が抵抗体として直列に接続されたものと近似することができる。すなわち,LDD領域が設けられていないTFTのオン電流値は,各電極(ゲート電極,ソース電極,ドレイン電極)に印加される電位や各領域間の相互作用があるとしても,各領域の長さL,幅W,ドーピング濃度の影響を受け,その影響が前記(1)の半導体に流れる電流と,概略,同様の傾向を示す。このことは,技術常識である。
イ LDD領域が設けられたTFTの電気的特性
LDD領域が設けられたTFTのオン電流は,ソース電極とドレイン電極との間を,ソース領域,チャネル領域,LDD領域,ドレイン領域を経由して流れるものであり,LDD領域が設けられていないTFTとの違いは,オン電流がチャネル領域とドレイン領域間に設けられたLDD領域を通過する点である。したがって,LDD領域が設けられていないTFTと同様に,LDD領域が設けられたTFTのオン電流値も,各電極(ゲート電極,ソース電極,ドレイン電極)に印加される電位や,各領域間の相互作用があるとしても,ソース領域,チャネル領域,LDD領域,ドレイン領域の各領域の長さL,幅W,ドーピング濃度の影響を受け,その影響が,上記(1)で述べた半導体に流れる電流と,概略,同様の傾向を示すものであることも,技術常識である。このことは,刊行物2,刊行物3,特開平9―219525号公報(乙2),特開平10-189998号公報(乙3)の記載からも読み取ることができ,これらの記載及び前記(1)の技術常識によれば,チャネル領域と高濃度ソース/ドレイン領域との間に高濃度ソース/ドレイン領域と同一の導電形のLDD領域が設けられたTFTにおいて,
・ LDD領域の長さが長くなるほど,TFTとしてのオン抵抗が大きくなり,オン電流が小さくなる(言い換えれば,LDD領域が設けられていないTFTと,LDD領域が設けられたTFTを比較した場合,LDD領域が設けられたTFTの方が,TFTとしてのオン抵抗が大きくなり,オン電流が小さくなる)
・ LDD領域の幅が狭くなるほど,TFTとしてのオン抵抗が大きくなり,オン電流が小さくなる
・ LDD領域のドーピング濃度が低くなるほど,TFTとしてのオン抵抗が大きくなり,オン電流が小さくなる傾向があり,これは技術常識である。
2 本願発明につき
本願発明は,駆動トランジスタを通じてEL素子に流れる電流量を制御して適正な輝度を得るとともに,EL素子の長寿命化を図ることを目的とするもので,駆動トランジスタの多重ゲートのドーピング濃度又は幾何学的な形状を変更するか,あるいは駆動トランジスタのドレイン領域及びドレインオフセット領域のドーピング濃度または幾何学的な形状を変更して形成することで,駆動トランジスタが導通したときの抵抗値を増大させてEL素子を流れる電流量が小さくなるよう制御したものである。
また,本願明細書の段落【0029】,【0037】,【0056】,【0065】の記載によれば,本願明細書に記載されている発明は,駆動トランジスタが導通したときの抵抗値を増大させてEL素子を流れる電流量を小さくすることを目的とし,その目的を達成する手段を具体化するにあたり,パラメータを変更する箇所に関して,多重ゲート,ドレイン領域,ドレインオフセット領域のソース電極からドレイン電極に至るまでの種々の領域におけるパラメータを変更可能であるものとし,抵抗値を増大させるパラメータに関して,幾何学的形状である長さLd,幅Wdを変更すること,ドーピング濃度を変更可能とするものである。
そして,本願発明は,駆動トランジスタが導通したときに流れる電流量を小さくするための具体的手段として,ドレインオフセット領域のドーピング濃度を変更することを選択したものといえる。
3 取消事由1(刊行物2及び3についての認定の誤り)に対し
(1) 刊行物2には,ソース領域-ドレイン領域間に,チャネル領域に加えてLDD領域を設けることにより,ソース領域-ドレイン領域間にチャネル領域があるだけで,LDD領域が設けられていないTFTに比べてオン電流が小さくなること,p型TFTでp-構造(高濃度ドレイン領域〔p型〕と同一の導電形〔p-構造〕)のLDD部分を有するTFTに関し,LDD部分の長さが長いほどON電流値が小さくなること,LDD部分の不純物の添加量(不純物濃度)が低いほどON電流値が小さくなることが記載されている。また,刊行物3には,TFTに対して,ゲート電極下のチャネル領域とソース/ドレイン領域との間にソース/ドレイン領域と同一導伝型(導電形)のLDD領域を設けることにより,ソース領域-ドレイン領域間にチャネル領域があるだけのTFTに比べて,オン電流が小さくなることが記載されている。
(2) そして,前記の技術常識を有する当業者が,刊行物2及び3の記載に接すれば,TFTのオン電流を小さくするために,TFTに対してゲート電極と高濃度ソース/ドレイン領域との間に高濃度ソース/ドレイン領域と同じ導電形のLDD領域を設けることは,認識し得る事項である。
したがって,審決が「薄膜トランジスタが導通したときに流れる電流値を小さくする手段として,『半導体層に対するゲート電極と,前記半導体層における前記ゲート電極の両側に形成された高濃度ソース/ドレイン領域と,前記ゲート電極と前記ドレイン領域との間に設けられるオフセット領域とを具備し,前記オフセット領域が,前記高濃度ソース/ドレイン領域と同一の導電形を有する低濃度不純物がドープされた低濃度不純物領域または不純物がドープされていない真性領域からなる高抵抗領域である』手段は,周知の技術手段である。」(10頁7行~14行)と認定したことに誤りはない。
(3) また,原告は,トランジスタの使い方の違いを主張するが,トランジスタが飽和領域で動作しているのか否かに関わらず,トランジスタのゲート電極とドレイン領域の間に高抵抗領域であるオフセット領域を設けることで,トランジスタを流れる電流が減少する現象は,当業者にとって自明な事項であって技術常識である。
4 取消事由2(相違点3についての判断の誤り)に対し
(1) 引用発明に刊行物2又は刊行物3記載の発明とを組み合わせる動機付けが存在しないとの主張につき
審決は,「引用発明における電流制御用TFT602が導通した時の電流値を小さくする技術手段として,引用発明におけるチャネル長(L)を長めに設計する技術手段に代えて,『半導体層に対するゲート電極と,前記半導体層における前記ゲート電極の両側に形成された高濃度ソース/ドレイン領域と,前記ゲート電極と前記ドレイン領域との間に設けられるオフセット領域とを具備し,前記オフセット領域が,前記高濃度ソース/ドレイン領域と同一の導電形を有する低濃度不純物がドープされた低濃度不純物領域または不純物がドープされていない真性領域からなる高抵抗領域である』周知の技術手段を採用し,上記(相違点3)に係る構成と為すことに格別の困難性は認められない。」(11頁8行~17行)と判断した。
そして,前記のとおり,TFTのオン電流を小さくする手段として,「半導体層に対するゲート電極と,前記半導体層における前記ゲート電極の両側に形成された高濃度ソース/ドレイン領域と,前記ゲート電極と前記ドレイン領域との間に設けられるオフセット領域とを具備し,前記オフセット領域が,前記高濃度ソース/ドレイン領域と同一の導電形を有する低濃度不純物がドープされた低濃度不純物領域または不純物がドープされていない真性領域からなる高抵抗領域である」技術手段は,周知である。
したがって,引用発明において,「電流制御用TFT602が導通した時の電流値(オン状態の電流値)を小さくする」手段として,「チャネル長(L)を長めに設計する技術手段」に代えて,上記周知の技術手段の適用を試みることは,当業者の通常の創作能力の発揮であり,十分に,動機付けがあるといえる。したがって,審決の判断に誤りはない。
また,刊行物1には,TFTのチャネル長を長めにしてTFTに流れる電流を小さくすることが記載されている。そして,前記の技術常識によれば,TFTのオン状態の電流を小さくする手段として,ソース-ドレイン領域間のチャネル領域の長さを長くすることに代えて,ソース-ドレイン領域間の領域に対してドーピング濃度を低くすることは,当業者が当然に想到し得たことである。しかるに,刊行物2及び3に記載されているように,TFTのソース-ドレイン電極間のドレイン領域の一部にドレイン領域よりもドーピング濃度を低くしたLDD領域を設けた構造が,周知の構造であるところ,その構造を採用することによりオン電流が小さくなるとの記載に接した当業者であれば,ソース-ドレイン領域間の領域に対してドーピング濃度を低くするための具体的構成として,刊行物2及び3に記載された周知の構造を採用することに,格別の困難性は認められない。
(2) 作用効果の看過しているとの主張につき
ア 開口率の定義
特開2001-202034号公報(乙4)に記載されているように,有機EL表示装置における開口率は,「画素領域に対する,TFTを含む各画素の駆動回路の領域を除いた領域である発光領域の占める割合」である。
イ TFTとして,LDD領域を設けた構造を採用したことによる効果
TFTにおいて,ドーピング濃度を変更することは,不純物の添加工程における添加量を変更することのみで可能な事項であって,トランジスタのサイズに格別影響を与えるものではない。したがって,ドーピング濃度を低くした領域であるLDD領域を設けたTFTと通常のTFTとの間において,トランジスタのサイズに格別の違いがないことは自明の事項である。
したがって,引用発明において,「電流制御用TFT602が導通した時の電流値(オン状態の電流値)を小さくする」との解決すべき課題に対して,「チャネル長(L)を長めに設計する技術手段」に代えて,ソース-ドレイン電極間でドレイン領域よりもドープ濃度の低い領域を設ける技術である上記周知の技術手段を採用することにより,TFTのサイズを大きくすることなく,TFTのオン状態の電流を小さくすることができることは,当該構成を採用したことにより,当業者であれば上記自明の事項から当然に予測し得る事項である。
そして,上記の開口率の定義によれば,有機EL表示装置において,駆動トランジスタなどのTFTのサイズを大きくしないことは,開口率を減少させないことにほかならない。
よって,審決が「本願発明が奏する作用効果は,引用発明と周知の技術手段とに基いて,当業者が予測しうる程度のものである。」(12頁15行~16行)とした判断に誤りはない。
(3) 後知恵の主張につき
前記のとおり,TFTのオン電流に関する電気的特性は,オン電流の通過するソース-ドレイン電極間の全領域の影響を受けるものである。原告の飽和領域についての説明は,LDD領域とは異なるチャネル領域についての説明であり,チャネル領域のみを取り出して,チャネル領域に流れる電流がピンチオフによって制限されるからといって,そのことのみをもって,ソース領域,チャネル領域,LDD領域,ドレイン領域を流れる電流の動作特性を説明したことにはならない。
すなわち,例えば,刊行物2の表1の高濃度ドレイン領域(p型)と同一の導電形(p-構造)のLDD部分を有するTFTに関する(3)と(4)の表において,ドレイン印加電圧がVds=-1Vの場合とVds=-14Vの場合のON電流値を比べると,ドレイン印加電圧の絶対値が大きい(Vds=-14V)場合のON電流値の絶対値の方が,ドレイン印加電圧の絶対値が小さい(Vds=-1V)場合のON電流値の絶対値よりも大きい。すなわち,LDD領域が設けられたTFTを全体として見た場合に,オン電流値を変化させるためのパラメータとして,ドレイン印加電圧があることが開示されている。
第5当裁判所の判断
1 取消事由1(刊行物2及び3についての認定の誤り)について
(1) 本願発明
本願明細書(甲9,10)の記載によれば,本件出願にかかる各発明は,アクティブマトリクス型フラットパネルディスプレイに関するもので,各単位画素当たりの有機電界発光素子(EL)を流れる電流量を制御して適正輝度の発光が可能であり,かつ長寿命化が可能な有機電界発光ディスプレイを提供することなどを目的とするものであり,そのために,駆動トランジスタの多重ゲートのドーピング濃度又は幾何学的な形状を変更するか,あるいは駆動トランジスタのドレイン領域及びドレインオフセット領域のドーピング濃度または幾何学的な形状を変更して形成することとし,その結果,各画素当たりの駆動トランジスタが占める面積を増大することなく,有機電界発光素子を流れる電流量のみを調節することにより,開口率の減少という問題を解決し,信頼性を向上させることができるという効果を奏するとしたものであることが認められる。
そして,請求項1にかかる発明(本願発明)は,駆動トランジスタが導通したときに流れる電流量を小さくするための具体的手段として,ドレインオフセット領域のドーピング濃度を変更することを選択したものということができる。
(2) 引用発明
刊行物1の記載によれば,引用発明は,電極間にEL素子を用いた発光装置に関するものであり,電流制御用TFT602は,過剰な電流が流れてEL素子603が劣化しないよう,そのチャネル長が長めに設計され,電流値が小さく設定されたものであることが認められる。
(3) オフセット領域の目的について
刊行物2及び3,特開平9-219525号公報(乙2),特開平10-189998号公報(乙3)には,オフセット領域を具備した薄膜トランジスタにおいて,オフセット領域の不純物濃度が低いと電気抵抗が高いため,オフセット領域のない薄膜トランジスタと比べて,薄膜トランジスタを流れるドレイン電流が小さくなることが記載されており,かかる技術的事項は技術常識であると認められる。
そうすると,刊行物2及び3の記載は,いずれもオフセット領域によってオン電流を減らすことを積極的に使うという内容はなく,むしろそうなるのを避けることを説いているとしても,その記載は,オフセット領域を具備した薄膜トランジスタにおいて,オフセット領域の不純物濃度が低いと電気抵抗が高いため,オフセット領域のない薄膜トランジスタと比べて,薄膜トランジスタを流れるドレイン電流が小さくなるという技術常識を背景としているから,そこには上記周知の技術的事項が示されていると理解することができる。したがって,この点において,「半導体層に対するゲート電極と,前記半導体層における前記ゲート電極の両側に形成された高濃度ソース/ドレイン領域と,前記ゲート電極と前記ドレイン領域との間に設けられるオフセット領域とを具備し,前記オフセット領域が,前記高濃度ソース/ドレイン領域と同一の導電形を有する低濃度不純物がドープされた低濃度不純物領域または不純物がドープされていない真性領域からなる高抵抗領域」が周知の技術手段であるとした審決の認定に誤りはない。
(4) トランジスタの使い方の違いについて
薄膜トランジスタのドレイン電圧と薄膜トランジスタに流れるドレイン電流との特性曲線から,薄膜トランジスタの動作は,ドレイン電流が略一定となる領域(飽和領域)と,ドレイン電流が略一定となる前の領域(線形領域又は非飽和領域)の二つの動作領域に分けられる。線形領域(非飽和領域)では,ドレイン電圧の絶対値が低く,ドレイン電流がチャネル(反転層)の抵抗で支配される。これに対し,飽和領域では,ドレイン電圧の絶対値が高く,チャネル(反転層)がドレイン端部から消滅し(ピンチオフ),消滅した部分に基板とドレインの境界にある空乏層が伸びることにより,ドレイン電流が略一定になる。
そこで,オフセット領域を具備した薄膜トランジスタにおける前記(3)の技術的事項と,薄膜トランジスタの動作領域との関係について検討するに,オフセット領域を具備した薄膜トランジスタが,線形領域(非飽和領域)と飽和領域のいずれで動作する場合でも,薄膜トランジスタを流れるドレイン電流の経路に不純物濃度が低く電気抵抗が高い上記オフセット領域が存在すると,ドレイン電流はオフセット領域による影響を受けるから,オフセット領域のない薄膜トランジスタと比べてドレイン電流が小さくなる。このことは,技術常識ということができ,刊行物2(甲2)の表1(3)及び(4)の測定結果からも推認できるものである。すなわち,その表1に,LDD部分(オフセット領域)の長さ及び不純物濃度とドレイン電圧を変化させた時のソース-ドレイン間電流の測定結果が示されているところ,この測定において,ゲートには一定の電圧が印加されていると解するのが自然であり合理的であるから,表1(3)及び(4)の測定結果によれば,ドレイン電圧の絶対値の大小に関係なく,LDD部分(オフセット領域)の不純物濃度が低いほど,すなわちLDD部分(オフセット領域)が高抵抗であるほど,薄膜トランジスタを流れるドレイン電流の絶対値が減少することが見て取れる。
そして,オフセット領域を具備した薄膜トランジスタにおいて,オフセット領域の不純物濃度が低いと電気抵抗が高いため,オフセット領域のない薄膜トランジスタと比べて,薄膜トランジスタを流れるドレイン電流が小さくなるという前記(3)の技術的事項が,薄膜トランジスタが飽和領域で動作しているのか否かに関係なく生じるものである以上,トランジスタが飽和領域又は非飽和領域のいずれで使われるかの違いを根拠に,審決が認定した周知の技術手段の組合せ判断に誤りがあるとすることはできない。
(5) 以上によれば,審決が刊行物2及び3から周知の技術手段を認定した点につき,原告の主張する誤りはなく,取消事由 1 は理由がない。
2 取消事由2(相違点3の判断の誤りについて)
(1) 刊行物1の段落【0069】,【0070】の記載によれば,引用発明の「電流制御用TFT602」は,「過剰な電流が流れて前記EL素子603が劣化しないよう,そのチャネル長(L)が長めに設計され,電流値が小さく設定されている」ものである。
そして,前記のとおり,オフセット領域を具備した薄膜トランジスタ,すなわち「半導体層に対するゲート電極と,前記半導体層における前記ゲート電極の両側に形成された高濃度ソース/ドレイン領域と,前記ゲート電極と前記ドレイン領域との間に設けられるオフセット領域とを具備し,前記オフセット領域が,前記高濃度ソース/ドレイン領域と同一の導電形を有する低濃度不純物がドープされた低濃度不純物領域または不純物がドープされていない真性領域からなる高抵抗領域である」薄膜トランジスタにおいて,オフセット領域の不純物濃度が低く電気抵抗が高いと,オフセット領域のない薄膜トランジスタと比べて,薄膜トランジスタを流れるドレイン電流が小さくなることは,刊行物2及び3,乙2及び3にもみられるように,本件優先日前,当該技術分野では周知の技術的事項である。
そうすると,過剰な電流が流れて「EL素子603」(本願発明の「発光素子」に相当。)が劣化しないよう,「電流制御用TFT602」(本願発明の「第1のトランジスタ」に相当。)に流れる電流値が小さく設定される引用発明において,上記「電流制御用TFT602」を,「そのチャネル長(L)が長めに設計され」た構成に代えて,「前記半導体層に対するゲート電極と,前記半導体層における前記ゲート電極の両側に形成された高濃度ソース/ドレイン領域と,前記ゲート電極と前記ドレイン領域との間に設けられるオフセット領域とを具備し,前記オフセット領域が,前記高濃度ソース/ドレイン領域と同一の導電形を有する低濃度不純物がドープされた低濃度不純物領域または不純物がドープされていない真性領域からなる高抵抗領域」である構成を採用したとしても,上記「電流制御用TFT602」に流れる電流値を小さく設定できることは,オフセット領域を具備した薄膜トランジスタにおける上記周知の技術的事項を適用することにより,当業者が容易に想到し得たものということができる。
また,前記のとおり,オフセット領域を具備した薄膜トランジスタが,線形領域(非飽和領域)と飽和領域のいずれで動作する場合でも,薄膜トランジスタを流れるドレイン電流が制限されることは,当業者には自明であるから,引用発明に上記周知の技術的事項を適用して引用発明における「電流制御用TFT602」を構成した際に,「電流制御用TFT602」を線形領域(非飽和領域)と飽和領域のいずれで動作させるかは,当業者が必要に応じて適宜選択し得たものであることも明らかであって,このように認めることをもって後知恵とするのは相当でない。
加えて,引用発明に,オフセット領域を具備した薄膜トランジスタにおける上記周知の技術的事項を適用する際に,オフセット領域の不純物濃度を調整することにより,「電流制御用TFT602」に流れる電流値を制御することができ,その結果,「EL素子603」の輝度を調整できることは,当業者であれば容易に認識し得たものであって,格別のものとはいえない。
(2) LDD領域を設けることにより製品を製造するに際して工程数が増えることになるが,引用発明において,過剰な電流が流れて「EL素子603」が劣化しないよう「電流制御用TFT602」に流れる電流値を小さくする場合に考えられる複数の選択枝について,そのメリット,デメリットをそれぞれ検討して,所定の選択枝を採用することは,当業者が適宜なし得るものと認めるのに支障はない。そして,引用発明における「電流制御用TFT602」に流れる電流値を小さくするために,引用発明に前記周知の技術的事項を適用して,「電流制御用TFT602」にオフセット領域を設けるに際しての「電流制御用TFT602」の製造における工程数の増加は,「オフセット領域」を形成する不純物の添加工程が加わる程度のことであることからすれば,引用発明に前記周知の技術的事項を適用することの阻害要因になるとはいえない。
(3) 原告は,本願発明においては開口率を高めることができるという効果を有するところ,審決はかかる引用発明とは異質の効果を看過していると主張する。
しかし,引用発明に,甲2,甲3,乙2及び乙3にみられる周知の技術的事項を適用して,「EL素子603」(本願発明の「発光素子」に相当。)を駆動する「電流制御用TFT602」(本願発明の「第1のトランジスタ」に相当。)にオフセット領域を具備する構成とし,「電流制御用TFT602」を流れるドレイン電流を制限する際に,オフセット領域を具備した上記「電流制御用TFT602」は,「オフセット領域」をゲート電極のドレイン側の側面の直下から「高濃度ドレイン領域」にかけて形成することで,チャネル長(L)が長めに設計された上記「電流制御用TFT602」よりも小さくして,オフセット領域のない薄膜トランジスタに比べて格別の違いがないようにできることは,当業者には自明の事項である。
そして,有機EL表示装置において,駆動トランジスタなどのTFTのサイズを大きくしないことは,開口率を減少させないことにほかならないから,引用発明に上記周知の技術的事項を適用した際,上記「電流制御用TFT602」のサイズを大きくしないことで,開口率を向上できることは,当業者には容易に予測し得たことであり,格別の効果ということはできない。
(4) 以上のとおり,取消事由2も理由がない。
第6結論
以上によれば,原告主張の取消事由はすべて理由がない。
よって原告の請求を棄却することとして,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 塩月秀平 裁判官 真辺朋子 裁判官 田邉実)