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知財高等裁判所 平成22年(行ケ)10324号 判決 2011年7月07日

原告

積水化学工業株式会社

同訴訟代理人弁護士

飯田秀郷

栗字一樹

大友良浩

隈部泰正

和氣満美子

戸谷由布子

辻本恵太

林由希子

森山航洋

同弁理士

吉見京子

城所宏

石井良夫

後藤さなえ

被告

ナトコ株式会社

同訴訟代理人弁護士

尾関孝彰

同弁理士

長谷川芳樹

清水義憲

池田正人

城戸博兒

阿部寛

酒巻順一郎

主文

1  特許庁が無効2010-800016号事件について平成22年9月7日にした審決を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

事実及び理由

第1請求

主文1項と同旨

第2事案の概要

本件は,原告が,下記1のとおりの手続において,被告の下記2の本件発明に係る特許に対する原告の特許無効審判の請求について,特許庁が同請求は成り立たないとした別紙審決書(写し)の本件審決(その理由の要旨は下記3のとおり)には,下記4のとおりの取消事由があると主張して,その取消しを求める事案である。

1  特許庁における手続の経緯

(1)  本件特許(甲27)

被告は,平成8年1月24日,発明の名称を「液晶用スペーサー及び液晶用スペーサーの製造方法」とする特許出願(特願平8-31436号)をし,平成18年11月10日,設定の登録(特許第3878238号)を受けた。以下,この特許を「本件特許」といい,本件特許に係る明細書(甲27)を,図面を含め,「本件明細書」という。

(2)  原告は,平成22年1月27日,本件特許の請求項1に係る発明(以下「本件発明」という。)に係る特許について,特許無効審判を請求し(甲28),無効2010-800016号事件として係属した。

(3)  特許庁は,平成22年9月7日,「本件審判の請求は,成り立たない。」旨の本件審決をし,同月16日,その謄本が原告に送達された。

2  本件発明の要旨

本件発明の要旨は,特許請求の範囲の請求項1に記載された次のとおりのものである。

表面に長鎖アルキル基を有する重合性ビニル単量体の1種又は2種以上と該重合性ビニル単量体と共重合可能な他の重合性ビニル単量体の1種又は2種以上とからなるグラフト共重合体鎖を導入した重合体粒子からなることを特徴とする液晶用スペーサー

3  本件審決の理由の要旨

(1)  本件審決の理由は,要するに,本件発明は,①下記アの引用例1に記載された発明(以下「引用発明1」という。)と同一の発明ではない,②引用発明1に下記イの引用例2に記載された発明(本件審決は,引用例2から,2つの引用発明を認定している。以下,それぞれ「引用発明2A」ないし「引用発明2B」といい,総称して,「引用発明2」という。)を組み合わせることにより,当業者が容易に発明をすることができたものということはできない,③引用発明2に引用発明1を組み合わせることにより,当業者が容易に発明をすることができたものということはできない,というものである。

ア 引用例1:特開平5-232480号公報(甲1)

イ 引用例2:特開平7-333621号公報(甲2)

(2)  なお,本件審決が認定した引用発明1ないし2並びに本件発明と引用発明1ないし2との一致点及び相違点は,次のとおりである。

ア 本件発明と引用発明1との関係

(ア) 引用発明1:粒子表面を配向基板に対して付着性を有する付着層によって被覆した構成であって,該粒子表面と付着層とは共有結合によって結合されている液晶用スペーサーであって,前記粒子は重合体粒子であり,前記付着層として用いられる材料は,「メチルアクリレート,エチルアクリレート,n-ブチルアクリレート,iso-ブチルアクリレート,2-エチルヘキシルアクリレート,シクロヘキシルアクリレート,テトラヒドロフルフリルアクリレート,メチルメタクリレート,エチルメタクリレート,n-ブチルメタクリレート,iso-ブチルメタクリレート,2-エチルヘキシルメタクリレート,ステアリルメタクリレート,ラウリルメタクリレート,メチルビニルエーテル,エチルビニルエーテル,n-プロピルビニルエーテル,n-ブチルビニルエーテル,iso-ブチルビニルエーテル,スチレン,α-メチルスチレン,アクリロニトリル,メタクリロニトリル,酢酸ビニル,塩化ビニル,塩化ビニリデン,弗化ビニル,弗化ビニリデン,エチレン,プロピレン,イソプレン,クロロプレン,ブタジエン」に例示される重合可能な単量体の単独重合体または上記単量体の2種以上の共重合体であって熱可塑性を有するものであり,粒子表面に上記付着層を構成する重合体との共有結合は,グラフト重合法によって結合せしめたものである,液晶用スペーサー

(イ) 一致点:表面に重合性ビニル単量体の2種以上からなるグラフト共重合体鎖を導入した重合体粒子からなる液晶用スペーサー

(ウ) 相違点:グラフト共重合体鎖が,本件発明では,「長鎖アルキル基を有する重合性ビニル単量体の1種又は2種以上と該重合性ビニル単量体と共重合可能な他の重合性ビニル単量体の1種又は2種以上とからなる」のに対して,引用発明1では,2種以上からなる重合性ビニル単量体の組合せを特定しないものである点(以下「相違点1」という。)

イ 本件発明と引用発明2Aとの関係

(ア) 引用発明2A:少なくとも表面に下記一般式(1)RO-(1)(式中,Rは炭素数1ないし18の直鎖又は分岐のアルキル基又はアシル基を示す。)で表される疎水性基と,下記一般式(2)【化1】式中,R1は炭素数2ないし4の直鎖又は分岐のアルキレン基を示し,ヒドロキシ基が置換していてもよい。mは1以上30以下の整数を示し,m個のR1は同一でも異なっていてもよい。)で表される親水性基を有する微粒子からなる液晶表示用スペーサーであって,上記微粒子は,以下のいずれかの製造方法によって得られたものである,液晶表示用スペーサー(なお,一般式及び製造方法に関する記載は省略する。)

(イ) 一致点:表面に長鎖アルキル基を有する重合性ビニル単量体の1種又は2種以上と該重合性ビニル単量体と共重合可能な他の重合性ビニル単量体の1種又は2種以上を含む重合体を有する重合体粒子からなる液晶用スペーサー

(ウ) 相違点:重合体粒子が,本件発明では,「長鎖アルキル基を有する重合性ビニル単量体の1種又は2種以上と該重合性ビニル単量体と共重合可能な他の重合性ビニル単量体の1種又は2種以上とからなるグラフト共重合体鎖を導入した」ものであるのに対して,引用発明2Aの微粒子は,「製造方法1」ないし「製造方法3」によって得られた形態で,表面に長鎖アルキル基を有するものである点

ウ 本件発明と引用発明2Bとの関係

(ア) 引用発明2B:少なくとも表面に下記一般式(1)で表される疎水性基と,下記一般式(2)で表される親水性基を有する微粒子からなる液晶表示用スペーサーであって,上記微粒子は,疎水性単量体(1)及び親水性単量体(2)以外のラジカル重合可能な重合性単量体を懸濁重合する際に,分散安定剤として,疎水性単量体(1)及び親水性単量体(2)の両方を構成成分とする共重合体を用いて重合を行い粒子表面に該分散安定剤をグラフトさせることによって得られ,疎水性単量体(1)は,一般式(1)で表される疎水性基を有する単量体であり,親水性単量体(2)は,一般式(2)で表される親水性基を有する単量体である,液晶表示用スペーサー(なお,一般式に関する記載は,ここでは省略する。)

(イ) 一致点:表面に長鎖アルキル基を有する重合性ビニル単量体の1種と該重合性ビニル単量体と共重合可能な他の重合性ビニル単量体の1種とからなる共重合体を有する重合体粒子からなる液晶用スペーサー

(ウ) 相違点:長鎖アルキル基を有する重合性ビニル単量体の1種と該重合性ビニル単量体と共重合可能な他の重合性ビニル単量体の1種とからなる共重合体が,本件発明では,「グラフト共重合体鎖」として導入された形態で重合体粒子の表面に存在するものであるのに対して,引用発明2Bでは,そのようなものではなく,「疎水性単量体(1)及び親水性単量体(2)以外のラジカル重合可能な重合性単量体を懸濁重合する際に,分散安定剤として,疎水性単量体(1)及び親水性単量体(2)の両方を構成成分とする共重合体を用いて重合を行い粒子表面に該分散安定剤をグラフトさせることによって得られ」た形態で,表面に存在するものである点(以下「相違点2」という。)

4  取消事由

(1)  引用発明1に基づく本件発明の新規性に係る判断の誤り(取消事由1)

(2)  引用発明1に基づく本件発明の進歩性に係る判断の誤り(取消事由2)

(3)  引用発明2に基づく本件発明の進歩性に係る判断の誤り(取消事由3)

第3当事者の主張

1  取消事由1(引用発明1に基づく本件発明の新規性に係る判断の誤り)について

〔原告の主張〕

(1) 引用発明1の認定について

ア 本件審決は,引用例1の【0010】は,列挙されている単量体同士の組合せのうち,「長鎖アルキル基を有する重合性ビニル単量体」に該当するいくつかの特定の単量体と,「該重合性ビニル単量体と共重合可能な他の重合性ビニル単量体」に該当する他の単量体との組合せがあり得る選択肢として含まれることを示すにとどまるものであり,付着層として,「長鎖アルキル基を有する重合性ビニル単量体の1種又は2種以上」と「該重合性ビニル単量体と共重合可能な他の重合性ビニル単量体の1種又は2種以上」との組合せからなるグラフト共重合体鎖によるものが,配向基板への付着性の観点から望ましいと認められるような技術常識が存在するものともいえないなどとして,引用発明 1 が相違点1に係る構成を実質的に備えるとはいえないとした。

イ しかしながら,引用例1の【0010】に列挙された単量体は,いずれも他の列挙された単量体と共重合可能であり,いずれの単量体の単独重合体も,これらの単量体からなる共重合体も,液晶用スペーサーの付着層として配向基板との付着力を有することは当業者にとって明らかである(甲14(枝番については,省略。以下同じ。),43,48,49)から,その組合せの数が多数に上ったからといって,あり得る選択肢として含まれることを示すにとどまるものではない。

しかも,同段落には,共重合される単量体について,「長鎖アルキル基を有する重合性ビニル単量体」と「該重合性ビニル単量体と共重合可能な他の重合性ビニル単量体」というグループ分けとそれに基づいた組合せがされていないだけで,本件発明の「長鎖アルキル基を有する重合性ビニル単量体」と「該重合性ビニル単量体と共重合可能な他の重合性ビニル単量体」との組合せである共重合体に該当する具体例(具体的共重合体)が全て明記されている。引用例1にこのような技術思想が記載されていないとする被告の主張は,論点をすり変えるものであり,失当である。

ウ 本件審決も,液晶用スペーサーの技術分野において,スペーサー周辺での液晶分子の配向乱れによる問題を解消するため,スペーサーの表面を垂直配向処理すること及び長鎖アルキル基を有する垂直配向処理剤は,本件出願時において周知技術であるとするのであるから,引用例1の【0010】に列挙された単量体から,少なくとも長鎖アルキル基を備えるものを選択することが優先されるはずであり,これと共重合可能である他の単量体との共重合体が列挙されている以上,当業者は,「長鎖アルキル基を有する重合性ビニル単量体」と「該重合性ビニル単量体と共重合可能な他の重合性ビニル単量体」との組合せからなるグラフト共重合体鎖が,周知のスペーサー表面の垂直配向処理の観点から望ましいと当然に理解するものである。

エ したがって,相違点1が実質的な相違点であるとした本件審決の認定は誤りである。

(2) 小括

以上からすると,本件発明は,引用発明1と同一の発明であって,新規性を有しないものというべきであるから,本件審決は取消しを免れない。

〔被告の主張〕

(1) 引用発明1の認定について

ア 引用例1には,本件発明の「長鎖アルキル基を有する重合性ビニル単量体の1種又は2種以上」と,「該重合性ビニル単量体と共重合可能な他の重合性ビニル単量体の1種又は2種以上」との特定の単量体を組み合わせたグラフト共重合体鎖に関する技術思想が開示されてはいない。

また,引用例1には,特定の単量体を組み合わせたグラフト共重合体鎖を用いることにより,配向異常や光抜け等が発生するという従来技術の課題を解決するという本件発明の課題やその解決手段も開示されていない。

イ 原告の主張は,「長鎖アルキル基を有する重合性ビニル単量体」に該当する単量体と「該重合性ビニル単量体と共重合可能な他の重合性ビニル単量体」とに該当する単量体とを選択することが,本件出願前の技術常識であるとする本件審決の認定を前提とするものであるが,本件審決が指摘する技術文献(甲14,43,48,49)には,そのような技術常識に関する記載はない。

したがって,原告の主張は,その前提自体が誤りである。

ウ 引用例1の【0010】に列挙された各種の単量体のいずれを用いても付着層が形成されるのであるから,引用発明1の付着層においては,「長鎖アルキル基を有する重合性ビニル単量体」に該当する単量体と「該重合性ビニル単量体と共重合可能な他の重合性ビニル単量体」に該当する単量体とを,わざわざ組み合わせてグラフト共重合体鎖とする必然性はない。しかも,引用例1には,これらを組み合わせてグラフト共重合体鎖とすることにより,本件発明と同様の課題が解決する旨の記載はない。

エ したがって,相違点1が実質的な相違点であるとした本件審決の判断に誤りはない。

(2) 小括

以上からすると,本件発明は,引用発明1と同一であるとはいうことはできず,本件発明の新規性を認めた本件審決の判断に誤りはない。

2  取消事由2(引用発明1に基づく本件発明の進歩性に係る判断の誤り)について

〔原告の主張〕

(1) 引用発明1に引用発明2を組み合わせる動機付けについて

ア 本件審決は,引用発明2は,液晶用スペーサー周囲及びスペーサー間で液晶の配向異常が生じることを防止することを目的とする,特定の疎水性基と親水性基とを有する微粒子からなる液晶用スペーサーに係る発明であるところ,引用発明1において付着層として用いられる材料は,配向基板への付着性の観点から選択されることからすると,同発明は,スペーサー表面に配向強制力を持たせて液晶分子をスペーサー表面に垂直配向させる技術に関するものではなく,各発明は共通の課題を有するものということはできないから,当業者が,引用発明1に引用発明2を組み合わせる契機ないし動機付けがないとする。

イ しかしながら,引用発明1及び2は,いずれも,液晶用スペーサーの表面処理という極めて狭い領域の技術分野に属するものである。

また,スペーサー周辺での液晶分子の配向乱れによる問題を解消するために,スペーサーの表面を垂直配向処理すること及び垂直配向処理剤として長鎖アルキル基を有するものは,本件出願時において周知であったから,引用発明1及び2は,いずれも「配向乱れによる問題」を解消する必要性を有していることは明らかである。

引用発明1には,周知のスペーサー表面の垂直配向処理を施す必要があるという液晶用スペーサー共通の本来的な課題が当然に内在しており,これは,同発明に,周知のスペーサー表面の垂直配向処理を施す強い動機付けになるものである。

すなわち,引用発明1の付着層は,配向基板に液晶用スペーサーを付着させるためのものであるが,必然的に生じる液晶用スペーサー周辺での液晶分子の配向乱れを解消するために,引用例1の【0010】に列挙された単量体から,長鎖アルキル基を有する単量体を選択することは,当業者にとって極めて当然のことである。

したがって,引用発明1の付着層の形成において,引用発明2を組み合わせることは,当業者にとって自然である。

本件審決は,長鎖アルキル基を備える配向処理剤を用いる液晶用スペーサーの垂直配向処理を周知技術であると認定しながら,液晶用スペーサーに係る引用発明1には,引用例2に開示されている配向強制力により液晶分子を垂直配向させるという技術的課題を有していないとする矛盾した認定をしたものである。

ウ 引用発明2は,疎水性単量体と親水性単量体との共重合体を,重合体粒子を懸濁重合するための分散安定剤として用いた結果,疎水性単量体と親水性単量体との共重合体を表面にグラフト重合させたスペーサー粒子について開示するものであるから,このような疎水性単量体と親水性単量体との共重合体を重合体粒子表面にグラフト重合して得られる液晶用スペーサーを引用発明1に適用し,引用例1の【0010】に列挙された重合性ビニル単量体中から,長鎖アルキル基を有する単量体と他の単量体とを共重合させることとすれば,表面に当該組合せに係る共重合体のグラフト鎖が導入された重合体粒子からなる液晶用スペーサーという本件発明の構成となることは明らかである。

(2) 小括

以上からすると,本件発明は,当業者が引用発明1に引用発明2を組み合わせることによって,容易に想到し得るものであるから,本件審決は取消しを免れない。

〔被告の主張〕

(1) 引用発明1に引用発明2を組み合わせる動機付けについて

ア 液晶用スペーサーにおいては,真球性,安定性,単分散性,コントラスト,配向力,粒度分布,固着性等,種々の考慮要素が存在するから,引用発明1及び2が液晶用スペーサーという同一の技術分野に属するからといって,短絡的にその組合せについて動機付けを認めることはできない。

イ 本件発明は,液晶分子をスペーサー表面に垂直配向させることによって異常配向を抑制し,光抜けを防止するものであるが,引用発明1は,粒子表面から付着層が剥離することを防止するため,付着性が良好で剥離しないことを目的とするものであって,解決課題は異なる。引用発明2も,特定構造の疎水性基及び親水性基を有する微粒子によって,液晶の配向異常を防止するものであって,本件発明及び引用発明1のいずれの課題及び解決手段とも異なるものである。

また,引用例2には,引用発明2の目的物である特定構造の疎水性基及び親水性基を有する微粒子の製造を可能とする方法の具体例について説明されているにすぎず,本件発明の技術思想が開示されているものではない。

ウ したがって,引用発明1に引用発明2を組み合わせる動機付けはないとした本件審決の判断に誤りはない。

(2) 小括

以上からすると,本件発明は,当業者が引用発明1に引用発明2を組み合わせることによって,容易に想到し得るものということはできず,本件発明の進歩性を認めた本件審決の判断に誤りはない。

3  取消事由3(引用発明2に基づく本件発明の進歩性に係る判断の誤り)について

〔原告の主張〕

(1) 引用発明2について

ア 疎水性単量体(1)及び親水性単量体(2)の両方を構成成分とする共重合体を分散安定剤として用いて重合を行い,当該分散安定剤を重合体粒子表面にグラフトさせた結果物は,疎水性単量体(1)及び親水性単量体(2)の両方を構成成分とする共重合体を重合体粒子表面にグラフトさせた重合体粒子からなる液晶用スペーサーにほかならない。

そして,本件審決は,特定の製造方法を含む内容の引用発明2A及び2Bを認定したが,本件発明は,液晶用スペーサーという「物」の発明であるから,引用例1に記載されている共有結合の方法がグラフト重合法であるか否か,引用発明2における液晶用スペーサーに係る製造方法がいかなるものであるかについて認定する必要はない。グラフト重合法には種々の方法があり,他のグラフト重合法によっても同一物を得ることは可能である。

本件審決は,本件発明が具体的にどのような形態を有するのか,引用発明2Bの「分散安定剤として,疎水性単量体(1)及び親水性単量体(2)の両方を構成成分とする共重合体を用いて重合を行い粒子表面に該分散安定剤をグラフトさせることによって得られ」た形態が具体的にどのような形態を有するのか,相違点2の認定に当たり,両者の具体的な形態の相違をどのように認定したのかについて,その理由を明らかにしているものではなく,理由不備であるというほかない。

イ 本件審決は,引用発明2の認定を誤ったものであって,本来,引用発明2は,以下のとおり認定されるべきものである。

少なくとも表面に一般式(1)で表される疎水性基を有する疎水性単量体(1)と,一般式(2)で表される親水性基を有する親水性単量体(2)の両方を構成成分とする共重合体をグラフトさせた重合体微粒子からなる液晶表示用スペーサー

ここで,一般式(1)は,RO-(1)(式中,Rは炭素数1ないし18の直鎖又は分岐のアルキル基又はアシル基を示す。)であり,一般式(2)【化1】

HO-(R1O)m-(2)

(式中,R1は炭素数2ないし4の直鎖又は分岐のアルキレン基を示し,ヒドロキシ基が置換していてもよい。mは1以上30以下の整数を示し,m個のR1は同一でも異なっていてもよい。)

ウ したがって,本件発明と引用発明2との間には,本来,以下の相違点が存するにすぎないものである。

重合体粒子表面の「長鎖アルキル基を有する重合性ビニル単量体の1種と該重合性ビニル単量体と共重合可能な他の重合性ビニル単量体の1種とからなる共重合体」について,本件発明では重合体粒子表面に「グラフト共重合体鎖を導入した」と規定されているのに対して,引用発明2では,重合体粒子表面にグラフトされていることは明らかであるが,「グラフト共重合体鎖を導入した」という表現がされていない点

エ しかし,引用発明2の表面に共重合体をグラフトさせて得られた「物」と,本件発明の重合体粒子表面にグラフト共重合体鎖が導入されている「物」とを区別し得るものではないから,上記ウの相違点は,表現上の違いが存するにすぎないものであって,液晶用スペーサーという「物」としては実質的に同一である。

したがって,引用発明2の疎水性単量体(1)と親水性単量体(2)との共重合体は,それ自体,液晶装置の配向基盤に対する付着性を有することが明らかである。

オ 仮に何らかの相違点が認められるとしても,引用発明2の疎水性単量体(1)と親水性単量体(2)との共重合体は,少なくともこれを引用発明1の付着層として粒子表面に共有結合によって結合させれば,本件発明の構成となるものである。

すなわち,引用発明2のグラフト重合法に換えて,周知のグラフト重合法の1つである引用発明1のグラフト重合法による共重合体をグラフト鎖として導入することは,当業者が容易に想到し得るものということができる。

(2) 小括

以上からすると,本件発明は,当業者が引用発明2それ自体から,あるいは,少なくとも引用発明2に引用発明1を組み合わせることによって,容易に想到し得るものであるというべきであるから,本件審決は取消しを免れない。

〔被告の主張〕

(1) 引用発明2について

ア 引用発明2の「疎水性単量体(1)」及び「親水性単量体(2)」が,それぞれ本件発明における「長鎖アルキル基を有する重合性ビニル単量体」「該重合性ビニル単量体と共重合可能な他の重合性ビニル単量体」に相当することについては,争うものではない。

しかしながら,引用発明2は,微粒子の表面に,疎水性単量体(1)及び親水性単量体(2)の両方の基を有するものであり,本件発明のように,「長鎖アルキル基を有する重合性ビニル単量体の1種又は2種以上」と「該重合性ビニル単量体と共重合可能な他の重合性ビニル単量体の1種又は2種以上」との単量体を組み合わせたグラフト共重合体鎖を導入するものではない。

しかも,引用発明2は,微粒子の表面に存する疎水性単量体(1)及び親水性単量体(2)の基により,保護フィルムを除去する際に静電気が発生して液晶用スペーサーが帯電することを防止する発明であって,液晶用スペーサー周りの液晶の異常配向を抑制し,光抜けを防止するという本件発明の技術思想とは相当異なるものである。

イ 引用発明1は,粒子表面から付着層が剥離することを防止するため,付着性が良好で,剥離しない液晶用スペーサーを実現することを目的とする発明であって,引用発明2と解決すべき課題は異なるものである。

ウ したがって,引用発明2に引用発明1を組み合わせる必然性を認めることはできない。

(2) 小括

以上からすると,本件発明は,当業者が引用発明2に引用発明1を組み合わせることによって,容易に想到し得るものということはできず,本件発明の進歩性を認めた本件審決の判断に誤りはない。

なお,原告は,本件発明と引用発明2との相違点は,表現上の違いが存するにすぎないものであって,実質的に同一であるとして,本件発明が引用発明2それ自体であって,その新規性がないかのような主張をしているが,これは,引用発明2に引用発明1を組み合わせることにより,進歩性を有しないとした無効審判における無効理由に基づかない,新たな無効事由として新規性を争う主張というべきであって,審決取消訴訟において,このような主張を追加することは許されない。

第4当裁判所の判断

1  取消事由1(引用発明1に基づく本件発明1の新規性に係る判断の誤り)について

(1)  本件発明について

ア 本件明細書(甲27)の記載

本件発明の特許請求の範囲の記載は,前記第2の2のとおりであるところ,本件明細書(甲27)の記載を要約すると,以下のとおりとなる。

(ア) 本件発明は,液晶パネルにおけるパネルの間隙を維持するために用いられる液晶用スペーサーに関する発明である。

従来,液晶とスペーサーとの界面で液晶分子の配向異常が生じると,スペーサー周りにドメインと呼ばれる領域が発生し,液晶パネルの動作時に光抜けを生じさせ,それによりパネルのコントラストを低下させるなど,表示品質が著しく低下した。

ドメインは,液晶とスペーサーとの界面で液晶分子が垂直に配向することによって消失することは周知であり,スペーサー表面での垂直配向を促進させるため,架橋重合体微粒子の表面に長鎖アルキル基を存在させた液晶スペーサーが存在するが,従来の方法ではスペーサー表面へのアルキル基導入が不十分で,ドメインは完全に消失しなかった。

従来技術では,架橋重合体微粒子に長鎖アルキル基を有する重合性ビニル単量体及び重合開始剤を含浸させるため,これらの種類や含浸条件により含浸の度合いが異なり,架橋重合体微粒子の表面に所定濃度の長鎖アルキル基を導入することは困難であった。さらに,重合性ビニル単量体や重合開始剤を架橋重合体微粒子に含浸させると,重合性ビニル単量体や重合開始剤が架橋重合体微粒子によって稀釈されるため,重合効率が低下するという問題も生じる(【0001】~【0003】)。

(イ) 本件発明は,従来の課題を解決するための手段として,表面に長鎖アルキル基を有する重合性ビニル単量体の1種又は2種以上と重合性ビニル単量体と共重合可能な他の重合性ビニル単量体の1種または2種以上とからなるグラフト共重合体鎖を導入した重合体粒子からなる液晶用スペーサーを提供するものであり,当該液晶用スペーサーは表面にラジカル連鎖移動可能な官能基及び,又はラジカル重合開始能を有する活性基を導入した重合体粒子表面に長鎖アルキル基を有する重合性ビニル単量体の1種又は2種以上と重合性ビニル単量体と共重合可能な他の重合性ビニル単量体の1種又は2種以上の混合物をグラフト共重合せしめることにより,長鎖アルキル基を有するグラフト共重合体鎖を導入することによって製造される。そして,当該ラジカル連鎖移動可能な官能基として望ましいものは,例えばメルカプト基及び,又は重合性ビニル基であり,当該ラジカル重合開始能を有する活性基として望ましいものは,例えばパーオキサイド基及び,又はアゾ基である(【0004】)。

(ウ) 本件発明の液晶用スペーサーは,表面に長鎖アルキル基を有するグラフト共重合体鎖が導入されている。当該重合体鎖の長鎖アルキル基濃度は,グラフト共重合体鎖を導入する際に使用する長鎖アルキル基を有する重合性ビニル単量体の濃度によって直接的に容易に調節可能である。また,重合性ビニル単量体や重合開始剤は稀釈されることなく,高いグラフト重合効率が得られる。当該長鎖アルキル基を有するグラフト共重合体鎖と重合体粒子とは共有結合によって結合されているので,長鎖アルキル基を有するグラフト共重合体鎖を有するグラフト共重合体鎖の層と重合体粒子とは一体であり,グラフト共重合体鎖の層が重合体粒子から剥離することはない。また,長鎖アルキル基の層の厚みが0.01µm以上であれば,グラフト共重合体鎖の溶融効果又は配向基板上の官能基残基との反応により重合体粒子と配向基板との固着性も有する。

このような表面に長鎖アルキル基を有するグラフト共重合体鎖を導入した重合体粒子を液晶パネル用スペーサーとして用いると,重合体粒子表面のグラフト共重合体鎖の長鎖アルキル基に対して液晶分子が垂直に規則正しく配列するため,液晶スペーサー近傍の液晶分子の配向乱れが抑制され,液晶パネル点灯時の光抜けが防止され,コントラストが向上し,表示品質を向上させることができる(【0014】【0032】)。

(エ) なお,本件発明の実施例として,実施例1ないし13が挙げられている(【0015】~【0027】)ところ,本件発明の「特定の共重合体鎖」に該当する具体例として,実施例10ないし12において,メチルメタクリレートとn-ラウリルメタクリレートとの共重合体鎖(実施例10),メチルメタクリレート,2-ヒドロキシブチルメタクリレート,ステアリルメタクリレートとの共重合体鎖(実施例11),メチルメタクリレート,オクチルメタクリレート,ラウリルポリオキシエチレンメタクリレートとの共重合体鎖(実施例12)を有する液晶用スペーサーが開示されている。

そして,これら実施例10ないし12のスペーサーと,比較例(オクタデシルトリメトキシシランで表面処理(カップリング剤処理)されたスペーサー【0028】【0029】)とについて実施された光抜け状態評価の結果によると,実施例10ないし12の方が,比較例よりも直流電圧(DC)印加後における液晶スペーサー周りの配向異常(光抜け状態)の発生が少ないことが示されている(【0030】【0031】)。

イ 本件発明の技術内容

以上の本件明細書の記載によると,本件発明は,液晶用スペーサーにおいて,表面に長鎖アルキル基を有する重合性ビニル単量体の1種又は2種以上と重合性ビニル単量体と共重合可能な他の重合性ビニル単量体の1種又は2種以上とからなるグラフト共重合体鎖を導入した重合体粒子を用いることにより,重合体粒子表面のグラフト共重合体鎖の長鎖アルキル基に対して液晶分子が垂直に規則正しく配列し,液晶スペーサー周りの配向異常を防止することをその技術内容とするものである。

もっとも,本件明細書【0014】に記載される作用効果は,単独重合,共重合によらず,長鎖アルキル基を有する重合性ビニル単量体の重合体鎖を重合体粒子表面にグラフトしたことに基づくものであって,このような「特定の共重合体鎖」に限定したことに基づく作用効果についての記載はない。

また,本件明細書【0015】ないし【0027】の実施例の記載から,単量体を共重合した3種の共重合体鎖をグラフト重合体鎖として有するスペーサー(実施例10~12)が,オクタデシルメトキシシランで処理されたスペーサー(比較例1・2)よりも優れていることは理解できるものの,当該比較例は,カップリング剤によって処理されたものであって,単独重合体鎖や他の共重合体鎖を導入したものではないから,液晶スペーサーのグラフト重合体鎖として「特定の共重合体鎖」を限定した作用効果,すなわち,「特定の共重合体鎖」が単独重合体鎖や他の共重合体鎖である場合よりも優れていることは,何ら記載されているものではない。

この点について,被告は,拒絶査定不服審判において,手続補正書(甲5)に,グラフト鎖が単独重合体鎖の場合と共重合体鎖の場合とを比較した試験報告書を添付し,グラフト共重合体鎖にメチルメタクリエート(MMA)を共重合することによって,単独グラフト共重合体鎖よりも光抜け改善効果が安定すると指摘しているが,このような効果は,本件明細書には全く記載されていないから,本件発明の作用効果に関して当該試験報告書を参酌することはできない。

しかも,本件発明は,「グラフト共重合体鎖が,長鎖アルキル基を有する重合性ビニル単量体の1種又は2種以上と該重合性ビニル単量体と共重合可能な他の重合性ビニル単量体の1種又は2種以上とからなる」という広範な共重合体鎖であるのに対して,当該報告書は,特定4種の共重合体鎖に関するものであり,「共重合可能な他の重合性ビニル単量体」としてMMAのみを取り上げているにすぎないものであるから,本件発明に特定される広範な「特定の共重合体鎖」全体について,単独重合体鎖よりも優れている根拠とすることはできない。

(2)  引用発明1について

ア 引用例1の記載

引用例1(甲1)の記載を要約すると,以下のとおりとなる。

(ア) 引用発明1の特許請求の範囲は,以下のとおりである。

粒子表面を配向基板に対して付着性を有する付着層によって被覆した構成であって,該粒子表面と付着層とは共有結合によって結合されていることを特徴とする液晶スペーサー

(イ) 引用発明1は,液晶用スペーサーに関する発明である。従来の液晶用スペーサーは,配向基板に付着性を有する低融点の合成樹脂やワックス等の付着層を被覆したものが用いられており,配向基板表面に付着層を介して固定されていた。

しかしながら,従来の液晶スペーサーは,粒子表面から付着層が剥離し易く,剥離した付着層が液晶側に混入して液晶の性能を妨害するという問題点があった(【0001】~【0003】)。

(ウ) 引用発明1は,粒子と付着層とを共有結合によって結合することにより,従来技術の課題を解決するものである(【0004】)。

(エ) 引用発明1に用いられる粒子は,析出重合法又はシード重合法によって得られる粒子であって,単量体の一部としてジビニルベンゼン,ジアリルフタレート,テトラアリロキシエタン等の多価ビニル化合物を用いた架橋重合体粒子が望ましい(【0006】【0007】)。

(オ) 引用発明1において付着層として用いられる材料としては,メチルアクリレート,エチルアクリレート,n-ブチルアクリレート,iso-ブチルアクリレート,2-エチルヘキシルアクリレート,シクロヘキシルアクリレート,テトラヒドロフルフリルアクリレート,メチルメタクリレート,エチルメタクリレート,n-ブチルメタクリレート,iso-ブチルメタクリレート,2-エチルヘキシルメタクリレート,ステアリルメタクリレート,ラウリルメタクリレート,メチルビニルエーテル,エチルビニルエーテル,n-プロピルビニルエーテル,n-ブチルビニルエーテル,iso-ブチルビニルエーテル,スチレン,α-メチルスチレン,アクリロニトリル,メタクリロニトリル,酢酸ビニル,塩化ビニル,塩化ビニリデン,弗化ビニル,弗化ビニリデン,エチレン,プロピレン,イソプレン,クロロプレン,ブタジエン等の重合可能な単量体の単独重合体又は上記単量体の2種以上の共重合体であって熱可塑性を有するものである(【0010】)。

(カ) 引用発明1においては,粒子表面に付着層を構成する重合体を共有結合によって結合させるものであるが,その方法としてはグラフト重合法がある。同法においては,粒子表面に重合可能なビニル基を導入し,当該ビニル基を出発点として単量体を重合する方法,粒子表面に重合開始剤を導入し,当該開始剤により単量体を重合する方法の2つが考えられる(【0013】)。

(キ) 引用発明1の液晶用スペーサーは,配向基板に付着性が良好でかつ付着層が剥離しないという効果が得られるものである(【0054】)。

イ 引用発明1の技術内容

以上の引用例1の記載によると,引用発明1は,粒子と付着層とをグラフト重合法等などによって共有結合させることにより, 配向基板に付着性が良好でかつ付着層が剥離しない液晶用スペーサーを提供することをその技術内容とするものである。

(3)  相違点1について

ア 前記(1)及び(2)の本件発明1及び引用発明1の技術内容からすると,引用例1の【0010】に列挙された「メチルアクリレート,エチルアクリレート,n-ブチルアクリレート,iso-ブチルアクリレート,2-エチルヘキシルアクリレート,シクロヘキシルアクリレート,テトラヒドロフルフリルアクリレート,メチルメタクリレート,エチルメタクリレート,n-ブチルメタクリレート,iso-ブチルメタクリレート,2-エチルヘキシルメタクリレート,ステアリルメタクリレート,ラウリルメタクリレート,メチルビニルエーテル,エチルビニルエーテル,n-プロピルビニルエーテル,n-ブチルビニルエーテル,iso-ブチルビニルエーテル,スチレン,α-メチルスチレン,アクリロニトリル,メタクリロニトリル,酢酸ビニル,塩化ビニル,塩化ビニリデン,弗化ビニル,弗化ビニリデン,エチレン,プロピレン,イソプレン,クロロプレン,ブタジエン等の重合可能な単量体の単独重合体又は上記単量体の2種以上の共重合体であって熱可塑性を有するもの」であれば,いずれもその分子構造が直鎖状であって,通常は熱可塑性を有する重合体であるといえるから,上記列挙に係る各単量体を重合して得られる重合体のほとんど全てが付着層として使用できるものということができる。

そして,上記単量体のうち,2-エチルヘキシルメタクリレート,ステアリルメタクリレート,ラウリルメタクリレートは,本件発明の「長鎖アルキル基を有する重合性ビニル単量体」に該当するものであるから,引用例1の【0010】には,文言上,「長鎖アルキル基を有する重合性ビニル単量体」を共重合材料に含む共重合体を付着層とすることが記載されているということができる。

イ 本件明細書が開示する,重合体粒子表面のグラフト共重合体鎖の長鎖アルキル基に対して液晶分子が垂直に規則正しく配列することにより,液晶スペーサー周りの配向異常を防止するという本件発明の作用効果は,単独重合,共重合によらず,長鎖アルキル基を有する重合性ビニル単量体の重合体鎖を重合体粒子表面にグラフトしたことに基づくものであって,本件明細書において,本件発明が,引用発明1に開示されている構成のうちから,「特定の共重合体鎖」に限定しているとしても,それに基づいて生じる格別の作用効果に係る記載はないから,本件発明の「特定の共重合体鎖」が単独重合体鎖や他の共重合体鎖と比較して格別の作用効果を奏するものということはできない。しかも,本件明細書【0014】には,「長鎖アルキル基の層の厚みが0.01µm以上であれば,グラフト共重合体鎖の溶融効果又は配向基板上の官能基残基との反応により重合体粒子と配向基板との固着性も有する。」として,長鎖アルキル基の層が一定の厚みを有すると付着性が向上する旨を明らかにしているものである。

そうすると,本件発明は,引用発明1における付着層を構成する重合体鎖について,その一部に相当する「特定の共重合体鎖」を単に限定しているにすぎず,このような限定によって,引用発明1とは異なる作用効果あるいは格別に優れた作用効果を示すものと認めることもできないから,引用発明1の解決課題である付着性や技術常識の観点から,相違点1が実質的な相違点ということはできない。

ウ 以上のとおり,本件発明は,引用発明1において例示的に列挙された「重合可能な単量体の単独重合体又は上記単量体の2種以上の共重合体であって熱可塑性を有するもの」の中から,「表面に長鎖アルキル基を有する重合性ビニル単量体の1種又は2種以上と重合性ビニル単量体と共重合可能な他の重合性ビニル単量体の1種又は2種以上とからなるグラフト共重合体鎖を導入した重合体粒子」について一部限定したものというほかない。

また,本件発明は,引用発明1から本件発明が限定した部分について,引用発明1の他の部分とその作用効果において差異があるということはできないから,引用発明1と異なる発明として区別できるものでもない。

したがって,本件発明と引用発明1との間には,相違点は存しないといわざるを得ない。

エ この点について,被告は,引用例1には,本件発明における「長鎖アルキル基を有する重合性ビニル単量体の1種又は2種以上」と,「該重合性ビニル単量体と共重合可能な他の重合性ビニル単量体の1種又は2種以上」との特定の単量体を組み合わせたグラフト共重合体鎖に関する技術思想が開示されていない,引用発明1の付着層においては,「長鎖アルキル基を有する重合性ビニル単量体」に該当する単量体と「該重合性ビニル単量体と共重合可能な他の重合性ビニル単量体」に該当する単量体とを,わざわざ組み合わせてグラフト共重合体鎖とする必然性はなく,これらを組み合わせてグラフト共重合体鎖とすることにより,配向異常や光抜け等が発生するという従来技術の課題を解決するという本件発明の課題やその解決手段も開示されていない等と主張する。

しかしながら,引用例1には,【0010】に列挙された単量体の重合体鎖であれば,単独重合体鎖,共重合体鎖のいずれにおいても付着層として使用できることが開示されているのみならず,この重合体鎖には本件発明の「特定の共重合体鎖」も包含されるのであるから,引用例1には,付着層を構成する重合体鎖として,本件発明の「特定の共重合体鎖」に係る技術思想が開示されているものということができる。被告の主張は採用できない。

(4)  小括

以上からすると,本件発明は,引用発明1と同一の発明であって,新規性を有しないものというべきであるから,原告主張の取消事由1は理由がある。

2  取消事由3(引用発明2に基づく本件発明の進歩性に係る判断の誤り)について前記1のとおり,原告主張の取消事由1は理由があり,本件審決は取消しを免れないが,事案に鑑み,取消事由3についても検討することとする。

(1)  引用発明2について

ア 引用例2の記載

引用例2(甲2)の記載を要約すると,以下のとおりとなる。

(ア) 引用発明2の特許請求の範囲は,以下のとおりである。

【請求項1】 少なくとも表面に下記一般式(1)RO-(1)(式中,Rは炭素数1ないし18の直鎖又は分岐のアルキル基又はアシル基を示す。)で表される疎水性基と,下記一般式(2)【化1】

HO-(R1O)m-(2)

(式中,R1は炭素数2ないし4の直鎖又は分岐のアルキレン基を示し,ヒドロキシ基が置換していてもよい。mは1以上30以下の整数を示し,m個のR1は同一でも異なっていてもよい。)で表される親水性基を有する微粒子からなることを特徴とする液晶表示用スペーサー

(イ) 引用発明2は,特に通電時におけるスペーサー周り又はスペーサー間での液晶の配向異常を防止し,均質な表示を可能とする液晶用スペーサーに関する発明である。

TN又はSTN液晶パネルでは,通電中にスペーサー周り又はスペーサー間での液晶の配向異常が生じ,その領域が通電時間とともに拡大するという問題があるのみならず,保護フィルムを除去する際に静電気が発生し易いため,スペーサー周囲で液晶分子の異常配向がしばしば発生するという問題がある。

これらを防止するために,いわゆるエージング操作(アニール工程)が行われているが,それにより生産効率が低下するなどの問題があった。さらに,スペーサー表面を長鎖アルキルシラン等で処理する方法等によって,スペーサー表面に配向強制力を持たせて液晶分子をスペーサー表面に垂直配向させる試みも行われているが,配向強制力が強すぎるために光透過時にも液晶分子の配向がスペーサー表面に対して垂直のままとなり易いため,光透過度低下によるスペーサー周囲のコントラストの低下をしばしば誘発した。また,これらの方法は,静電気からのスペーサーの帯電による周囲の液晶分子の配向異常に対しては効果を有するものではなかった(【0001】【0003】【0004】)。

(ウ) 引用発明2は,従来技術の欠点を解決し,スペーサー周囲及びスペーサー間で液晶の配向異常が生じないようにするために,前記(ア)の一般式(1)及び(2)で表される疎水性基及び親水性基を有する微粒子からなることを特徴とするものである(【0005】~【0007】)。

(エ) 引用発明2に係る疎水性基及び親水性基を有する微粒子は,4種類の方法により製造することができる(【0008】)。

そのうち,製造方法4は,より確実かつ簡便に,前記(ア)の表面に引用発明2に係る疎水性基及び親水性基を有する重合体微粒子を得る方法であり,疎水性単量体及び親水性単量体以外のラジカル重合可能な重合性単量体を懸濁重合する際,分散安定剤として,疎水性単量体及び親水性単量体の両方を構成成分とする共重合体を用いるか,あるいは疎水性単量体又は親水性単量体のどちらか一方と,疎水性単量体及び親水性単量体以外のラジカル重合可能な重合性単量体とを懸濁重合する際,分散安定剤として,疎水性単量体又は親水性単量体の他方を構成成分とする共重合体を用いて重合を行い,粒子表面に分散安定剤をグラフトさせる方法である。

この方法で用いられる分散安定剤としては,例えば疎水性単量体及び,又は親水性単量体と,水溶性高分子を構成する単量体,例えばヒドロキシエチル(メタ)アクリレート等の親水性単量体;(メタ)アクリル酸;(メタ)アクリルアミドあるいはこれらのメチロール化合物;ビニルピロリドン,エチレンイミン等の窒素原子又はその複素環を有するもの等の共重合体が挙げられる。これらの共重合体は公知の方法により合成することができる(【0029】)。

イ 引用発明2の技術内容

以上の引用例2の記載によると,引用発明2は,液晶用スペーサー周囲及びスペーサー間で液晶の配向異常が生じないようにするために,特定の構造の疎水性基及び親水性基を有する微粒子からなる液晶用スペーサーを提供することをその技術内容とするものである。

また,引用例2の製造方法4において使用される分散安定剤の共重合体は,疎水性単量体(1)」と「親水性単量体(2)」との共重合体であるところ,これらはそれぞれ本件発明における「長鎖アルキル基を有する重合性ビニル単量体」「該重合性ビニル単量体と共重合可能な他の重合性ビニル単量体」に相当することについては当事者間に争いはないから,同様に,製造方法4において重合体粒子表面にグラフトされるのが,「長鎖アルキル基を有する重合性ビニル単量体」と「他の重合性ビニル単量体」との共重合体鎖であることも,当事者間に争いはない。

(2)  相違点2について

ア 本件発明におけるグラフト共重合体鎖の導入方法について

(ア) 本件発明は,物の発明であって,その特許請求の範囲においてグラフト共重合体鎖を導入する方法について特定の方法が前提とされているものではない。

(イ) 本件明細書【0004】には,グラフト共重合体鎖の製造方法が記載されているが,当該方法に限定する旨の規定はなく,本件発明のようなグラフト共重合体鎖を導入した重合体粒子自体は,他の周知の方法によっても製造可能である。

(ウ) 本件明細書【0005】ないし【0010】には,ラジカル連鎖移動可能な官能基及び,又はラジカル重合開始能を有する活性基を導入する具体的手段について記載されているが,当該方法は「望ましいもの」とされているものであり,本件発明において,当該具体的方法を用いることに限定されているものではない。

(エ) 本件明細書において,「導入する」という用語について,技術的意義を具体的に明らかにする記載はない。

(オ) したがって,本件発明は,表面にグラフト共重合体鎖を導入した重合体粒子からなる液晶用スペーサーにおいて,グラフト共重合体鎖が,長鎖アルキル基を有する重合性ビニル単量体の1種又は2種以上と該重合性ビニル単量体と共重合可能な他の重合性ビニル単量体の1種又は2種以上とからなる「特定の共重合体鎖」であることを特徴とするものであり,グラフト共重合体鎖を導入する方法は特定されていないものということができる。

イ 引用発明2における分散安定剤をグラフトさせる方法について

(ア) 引用発明2の製造方法4は,分散安定剤である特定の共重合体鎖が懸濁重合する際,重合体粒子表面に「導入」されてグラフトされた形態となるものということができる。

そして,本件発明は,重合体粒子の製造方法や導入の具体的な形態を何ら特定しておらず,本件明細書においても,本件発明のグラフト共重合体鎖の「導入」について,具体的に定義付け,あるいは特定の方法に限定するものでもないから,本件発明におけるグラフト共重合体鎖が導入された形態と,引用発明2における特定の共重合鎖が重合体粒子表面に導入され,グラフトされた形態となることは同様の事象を意味するものということができる。

(イ) 引用例2は,4種類の液晶用スペーサーの製造方法を開示しているところ,そのうち,製造方法4は,より確実,簡便に重合体微粒子を得る方法であるとされているから,当業者は,製造方法4を容易に選択し得るものである。

(ウ) そうすると,引用発明2の製造方法4により得られた重合体微粒子からなる液晶用スペーサーは,本件発明における「重合体粒子」の「表面にグラフト共重合体鎖を導入した」ものということができる。

したがって,相違点2の構成は,当業者が引用発明2において同発明中の製造方法4を選択することにより,容易に想到し得るものということができるのであって,本件発明は当業者が引用発明2それ自体から容易に想到し得るものであったという原告の主張はこれを首肯することができる。

ウ 被告の主張について

(ア) 被告は,引用発明2は,微粒子の表面に存する疎水性単量体(1)及び親水性単量体(2)の基により,保護フィルムを除去する際に静電気が発生して液晶用スペーサーが帯電することを防止する発明であって,液晶用スペーサー周りの液晶の異常配向を抑制し,光抜けを防止するという本件発明の技術思想とは相当異なるものであるなどと主張する。

しかしながら,引用例2は,従来技術の課題について,通電中に,液晶用スペーサー周り又はスペーサー間での液晶の配向異常が起こり,その領域が通電時間とともに拡大するという問題及び保護フィルムを除去する際に静電気が発生し易く,液晶用スペーサー周囲の部分で液晶分子の異常配向が発生するという問題があることを記載しているが,引用発明2の課題について,保護フィルムを除去する際の配向異常に限定する旨の記載はない。引用例2の【0037】には,実施例2について走査電圧を印加してその表示特性を観察したところ,全面に亘って表示むらのない高品質の表示が得られており,また,液晶用スペーサー周り又はスペーサー間での液晶の配向異常は認められなかった旨が指摘されており,このような指摘は,通電中における液晶用スペーサー周り又はスペーサー間での液晶の配向異常についても引用発明2の課題とされていることを裏付けるものである。

したがって,本件発明と引用発明2とは,技術思想が異なるものではない。

(イ) 被告は,本件発明と引用発明2との相違点は表現上の違いが存するにすぎないものであって,実質的に同一であるとして,本件発明の新規性を争うかのような原告の主張は,引用発明2に引用発明1を組み合わせることにより,進歩性を有しないとした無効審判における無効理由に基づかない新たな主張というべきであって,審決取消訴訟において,このような主張を追加することは許されないとも主張する。

しかしながら,無効審判における審理の際,原告は,平成22年7月12日付け口頭審理陳述要領書(甲31)において,本件発明がグラフト共重合体鎖を導入した重合体粒子であることを構成要件として規定しているのに対し,引用発明2の製造方法4に係る発明においては,グラフト共重合体鎖を導入という表現がされていないだけであって,実質的な差異がない旨主張しているものである。

また,本件審決も,原告が,本件発明と実質的な差異がない引用発明2の製造方法4に係る発明に基づいて,本件発明は当業者が容易に想到し得るものであるとも主張しているとした上で,本件発明と引用発明2とにおいて,実質的な差異がないということはできないと判断しているものである。

そうすると,無効審判段階において,当該主張がされていなかったという被告主張は,その前提自体が誤りである。

(ウ) したがって,被告の主張は採用できない。

(3)  小括

以上からすると,本件発明は,引用発明2それ自体から容易に想到し得るものであって,かつ,引用発明2に基づく本件発明の進歩性に係る判断の誤りをいう原告の主張には,引用発明2に基づく本件発明の新規性を審判段階から問題にしていて,その新規性を認めた本件審決の判断を争う趣旨を含むと解されるから,原告主張の取消事由3は,この点において,理由があるといわなければならない。

3  結論

以上の次第であるから,本件審決は取り消されるべきものである。

(裁判長裁判官 滝澤孝臣 裁判官 井上泰人 裁判官 荒井章光)

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