知財高等裁判所 平成22年(行ケ)10331号 判決 2011年4月26日
原告
株式会社フジ医療器
訴訟代理人弁護士
畑郁夫
重冨貴光
古庄俊哉
髙田真司
黒田佑輝
辻本希世士
辻本良知
笠鳥智敬
松田さとみ
弁理士
辻本一義
森田拓生
神吉出
上野康成
大本久美
丸山英之
坂元孝之
被告
ファミリー株式会社
訴訟代理人弁理士
角田嘉宏
古川安航
浦利之
下村裕昭
山田久就
高田聰
主文
特許庁が無効2009-800220号事件について平成22年9月13日にした審決を取り消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
事実及び理由
第1原告が求めた判決
主文同旨
第2事案の概要
本件は,被告の特許権について原告からの無効審判請求を成り立たないとした審決の取消訴訟である。争点は,進歩性(容易想到性)の有無並びに分割要件違反,補正要件違反及び記載要件違反の有無である。
1 特許庁における手続の経緯
被告は,平成14年3月11日,名称を「マッサージ機」とする発明につき,特許出願をし(特願2002-64823号),平成19年5月11日,分割出願して本件出願とし(特願2007-127073号),平成20年8月29日,特許登録を受けた(特許第4176812号,請求項の数は4)。
これに対し,原告は,平成21年10月19日,請求項1ないし4につき無効審判請求をしたところ,特許庁は,これを無効2009-800220号事件として審理した上で,平成22年9月13日,「本件審判の請求は,成り立たない。」との審決をし,その謄本は平成22年9月27日に原告に送達された。
2 本件発明
本件発明は,椅子型のマッサージ機等に関する発明で,請求項1ないし4の特許請求の範囲は以下のとおりである。
【請求項1(本件発明1)】
「被施療者が着座するための座部と,該座部に対して後傾可能に設けられて該被施療者の上半身を支持するための背凭れ部と,該背凭れ部の前方に設けられた左右の肘掛け部とを備え,
該肘掛け部は,手のひらを下方に向けた前腕のうち手のひらに連なる部分に対向する第1部分と手の甲に連なる部分に対向する第2部分と小指側に連なる部分に対向する第3部分とを具備すると共に該第3部分に対向する部分が前腕の長手方向に沿って開口して正面視で内側に開いたカバー部を有し,
前記肘掛け部は更に,前記第1部分および前記第2部分のそれぞれに設けられて膨張・収縮する空気袋を有し,手のひらを下方に向けた前腕を前記第1部分に載せた状態で前記空気袋を膨張・収縮させることにより,前記手のひらに連なる部分および前記手の甲に連なる部分に押圧刺激を付与できるように構成され,
更に,前記カバー部が有する少なくとも第2部分は板状部材により構成され,且つ,前記第2部分における左右方向内側部分の前後方向寸法が,前記第3部分の前後方向寸法よりも小さくなるように構成されていることを特徴とするマッサージ機。」
【請求項2(本件発明2)】
「前記肘掛け部は,前記第3部分に設けられて膨張・収縮する空気袋を更に有し,該空気袋の膨張・収縮によって前記小指側に連なる部分に押圧刺激を付与できるよう構成されていることを特徴とする請求項1に記載のマッサージ機。」
【請求項3(本件発明3)】
「前記カバー部は,板状部材を円弧状に湾曲させた湾曲部分を有していることを特徴とする請求項1又は2に記載のマッサージ機。」
【請求項4(本件発明4)】
「被施療者の上腕部及び肩の側部に対応する位置にクッション部を備え,該クッション部には膨張・収縮する空気袋が設けられていることを特徴とする請求項1乃至3の何れかに記載のマッサージ機。」
3 審判請求における原告主張の無効理由
(1) 無効理由1-1
本件発明1ないし4(以下「本件各発明」という。)は,その出願日当時,甲第1号証に記載された発明(甲1発明)に甲第2ないし8号証に記載された事項ないし周知技術を組み合わせることに基づいて,当業者において容易に想到することができたものであるから,進歩性を欠く(特許法29条2項)。
【甲第1号証】 特開2001-204776号公報
【甲第2号証】 特開昭50-136994号公報
【甲第3号証の1】 国際公開第00/07665号公報
【甲第3号証の2】 特表2002-522125号公報
【甲第4号証】 特開2000-288050号公報
【甲第5号証】 特開平10-243981号公報
【甲第6号証】 特開平8-89540号公報
【甲第7号証】 特開平11-319010号公報
【甲第8号証】 特開2000-325416号公報
(2) 無効理由1-2
本件特許は,分割要件(特許法44条1項)を満たさないのにこれを看過して付与されたものであり,出願日の遡及が認められない(同条2項)。そうすると,本件各発明は,その分割出願日当時,原出願の公開公報(甲9)に記載された発明に甲第1ないし8号証に記載された事項ないし周知技術を組み合わせることに基づいて,当業者において容易に想到することができたものであるから,進歩性を欠く(同法29条2項)。
(3) 無効理由2
本件出願に係る当初明細書(甲10)に記載されていない新規事項が補正により追加されており,補正要件(特許法17条の2第3項)を欠く。
(4) 無効理由3
本件発明1の特許請求の範囲の「前記第2部分における左右方向内側部分の前後方向寸法が,前記第3部分の前後方向寸法よりも小さくなるように構成されている」との記載のうち「前記第2部分における左右方向内側部分」が具体的にどの部分を指すのか不明であるし,上記記載もその技術的意味が不明確である。また,上記特許請求の範囲のうち「カバー部」が「手のひらを下方に向けた前腕のうち手のひらに連なる部分に対向する第1部分と手の甲に連なる部分に対向する第2部分と小指側に連なる部分に対向する第3部分を具備」するとの記載及び同「カバー部」が「少なくとも第2部分は板状部材により構成され」るとの記載も,第2部分と第3部分の境界が不明で,当業者においてその技術的意義を理解できない不明確なものである。したがって,上記各記載は不明確であって,特許法36条6項2号に違反する。
また,本件明細書の発明の詳細な説明には,被施療者がマッサージ機に着座して使用するときの本件各発明の作用効果である「肘掛け部に対する前腕の載せ下ろしが非常に容易であること」,「特に仰向けの姿勢での前腕の載せ下ろしが非常に容易であること」,「仰向けに横たわった状態から上半身を起こしやすいこと」が記載されておらず,したがって特許請求の範囲に発明の詳細な説明に記載がない事項が記載されているものであるから,特許法36条6項1号に違反する。
4 審決の理由の要点
(1) 無効理由1-1について
本件各発明は,その出願日当時,甲1発明に甲第2ないし8号証に記載された事項ないし周知技術を組み合わせることに基づくことによっても,当業者において容易に想到できたものではない。
(2) 無効理由1-2について
本件出願には分割要件違反はなく,本件各発明は進歩性を欠くものではない。
(3) 無効理由2について
本件出願には補正要件違反はない。
(4) 無効理由3について
本件各発明の特許請求の範囲の記載は明確であって,特許法36条6項2号に違反しない。また,本件各発明の特許請求の範囲に明細書の発明の詳細な説明に記載されていない事項が記載されているものではなく,同項1号に違反しない。
なお,審決が認定した甲1発明,本件発明1と甲1発明の一致点及び相違点はそれぞれ下記のとおりであり,相違点についての審決の判断は,必要な都度,後に摘記する。
【甲1発明(引用発明)】
「座部21と,座部21の後端に設けられた傾斜可能な背凭れ部23と,座部21の両側に設けられた肘掛け部22とを備え,該肘掛け部22の上部に腕保持部24を設け,腕保持部24は,使用者の腕を両側から挟むようにU字状の凹部25を形成する保持壁部24a,24bを備え,各保持壁内に空気袋を配置し,空気袋を膨張と収縮を起こさせ,使用者の腕を圧迫,解放してマッサージを行うようにされているマッサージ機。」
【本件発明1と甲1発明の一致点】
「被施療者が着座するための座部と,該座部に対して後傾可能に設けられて該被施療者の上半身を支持するための背凭れ部と,該背凭れ部の前方に設けられた左右の肘掛け部とを備え,
該肘掛け部は,カバー部を有し,
前記肘掛け部は更に,膨張・収縮する空気袋を有しているマッサージ機」である点。
【本件発明1と甲1発明の相違点】
・ 相違点1
「カバー部が,本件発明1では『手のひらを下方に向けた前腕のうち手のひらに連なる部分に対向する第1部分と手の甲に連なる部分に対向する第2部分と小指側に連なる部分に対向する第3部分とを具備すると共に該第3部分に対向する部分が前腕の長手方向に沿って開口して正面視で内側に開いた』ものであるのに対し,甲1発明では,『使用者の腕を両側から挟むようにU字状の凹部25を形成する保持壁部24a,24bを備え』ているにとどまる点。」
・ 相違点2
「空気袋に関し,本件発明1では『前記第1部分および前記第2部分のそれぞれに設けられて』いるとともに,『手のひらを下方に向けた前腕を前記第1部分に載せた状態で前記空気袋を膨張・収縮させることにより,前記手のひらに連なる部分および前記手の甲に連なる部分に押圧刺激を付与できるように構成され』ているのに対し,甲1発明では,『各保持壁内に配置され』『使用者の腕を圧迫,解放してマッサージを行うようにされている』にとどまる点。」
・ 相違点3
「カバー部に関し,本件発明1では『更に,前記カバー部が有する少なくとも第2部分は板状部材により構成され』ているが,甲1発明ではそのような特定がない点。」
・ 相違点4
「カバー部に関し,本件発明1では『且つ,前記第2部分における左右方向内側部分の前後方向寸法が,前記第3部分の前後方向寸法よりも小さくなるように構成されている』が,甲1発明ではそのような特定がない点。」
第3原告主張の審決取消事由
1 容易想到性の判断の誤り(取消事由1,無効理由1-1)
(1)ア 審決は,相違点1に係る構成の容易想到性につき,次のとおり説示する(11頁)。
「甲第2号証の第2~4図には,抱持枠27が斜め上方に開いている点が記載されている。しかしながら,甲第2号証に記載されているものは指圧装置であってマッサージ機でないし,抱持枠27が斜め上方に開いていることから,腕部を抱持する場合に手のひらに連なる部分に対向する第1部分と手の甲に連なる部分に対向する第2部分を備えたものとなるかどうか明らかでない。
甲第3号証の1の記載事項(カ),(キ)からみて,腕を治療するパッド31は上肢に概ね合致するように全体にc字形である点が記載されている。
しかしながら,甲第3号証の1に記載されているものは患者に電磁気的治療を提供する装置であってマッサージ機でないし,FIG.1B,FIG.1Cからみてパッド31は手のひらに連なる部分に対向する第1部分と手の甲に連なる部分に対向する第2部分を備えたものといえるかどうか明らかでない。
また,甲第4号証に記載されたマッサージ機は,大型の洗濯ばさみのような形状をし,手や足の任意の箇所に装着するものであって,腕に装着した場合の腕各部との対応関係が定められているものでない。
その他の甲第5~8号証をみても,手のひらに連なる部分に対向する第1部分と手の甲に連なる部分に対向する第2部分を備えた点や正面視で内側に開いた点は記載されていない。
そして,相違点1に係る本件発明1の発明特定事項と,同じく甲1発明の発明特定事項とでは,マッサージの対象部分,腕の載置方向や自由度が異なることは明らかであるから,相違点1自体が単なる設計的事項ともいえない。
そうすると,甲1発明に甲第2~8号証に記載された発明及び周知技術を適用して相違点1に係る本件発明1の発明特定事項に想到することが当業者が容易になし得たこととはいえない。」
イ しかしながら,甲第1ないし8号証の機器に見られるように,施療凹部を配設した施療部材によって種々の方向から腕をマッサージすることは,当業者が日常の具体的設計の場面で行っていることであって,相違点1に係る構成は設計事項にすぎない。本件各発明に係る拒絶理由通知でも,開口部側の方向をどうするかは設計事項にすぎないとされ,相違点1に係る構成のみで進歩性を満たすことはできなかった。
また,甲第2号証の指圧装置は空気圧を用いて施療する器具であって,マッサージ機の一種であるし,抱持枠27は指圧頭30等と相まって腕の上方及び下方からマッサージするもので(図3),指圧頭31が設けられている部分が手の甲に連なる第2部分に相当し,指圧頭30,39が設けられている部分が手のひらに連なる第1部分に相当することは明らかであるから,抱持枠27が本件発明1にいう第1部分と第2部分とを備えることは明らかである。
甲第3号証の1の装置の構成も,当業者において椅子型マッサージ機に適用できるものであるし,手のひらを下方に向けて前腕がリラックスした状態のまま施療することができる等の本件発明1と同様の作用効果を奏するものである。甲第3号証の1のパッド31も,C字型の断面形状を有するものであって,腕の内側のみが開口し,本件発明1にいう第1部分と第2部分の双方を備えていることは明らかである。
甲第4号証のマッサージ機も,図4から,本件発明1にいう第1部分と第2部分の双方を備えていることを明瞭に把握することができ,甲第5ないし8号証からも,同様に本件発明1にいう第1部分と第2部分の双方を備えていること等を把握することができる。
他方,被告が主張する相違点1に係る構成の作用効果のうち,手のひらを下方に向けて前腕がリラックスした状態のまま施療することができるという作用効果は明細書(甲11)に記載されていないものであるし,その余の作用効果もマッサージ機を使用していない状態のものにすぎないから,特段のものではない。
そうすると,本件出願日当時,甲1発明に甲第2ないし8号証に記載された事項ないし周知技術を適用することにより,当業者において相違点1に係る構成に容易に想到し得たものであって,相違点1に係る構成の容易想到性を否定した審決の判断には誤りがある。
(2)ア 審決は,相違点2に係る構成の容易想到性につき,「上記(相違点1について)で検討したように,甲第2~8号証には手のひらに連なる部分に対向する第1部分と手の甲に連なる部分に対向する第2部分を備えた点は記載されていない。そうすると,当然手のひらに連なる部分および前記手の甲に連なる部分に押圧刺激を付与できるように構成されている点についても記載や示唆はないことになる。したがって,甲1発明に甲第2~8号証に記載された発明及び周知技術を適用して相違点2に係る本件発明1の発明特定事項に想到することが当業者が容易になし得たこととはいえない。」と説示する(11頁)。
イ しかしながら,前記のとおり,甲第2ないし8号証に接した当業者であれば,甲1発明のマッサージ機にこれらの部分を備えた構成を加えた構成に容易に想到することができる。
また,そもそも,手のひらに連なる部分と手の甲に連なる部分とに押圧刺激を加えることは周知技術にすぎず,当業者において相違点2に係る構成に容易に想到することができるものであるから,相違点2に係る構成の容易想到性を否定した審決の判断には誤りがある。
(3)ア 審決は,相違点4に係る構成の容易想到性につき,次のとおり説示する(12頁)。
「甲第2~8号証には,『第2部分における左右方向内側部分の前後方向寸法が,前記第3部分の前後方向寸法よりも小さくなるように構成されている』点については記載されていない。
請求人は,各部位間の寸法に差を設けることは,単なる設計的事項にすぎないと主張しているが,本件発明1においては,第2部分における左右方向内側部分の前後方向寸法が,第3部分の前後方向寸法よりも小さいことにより,カバー部への前腕の出し入れや前腕の前後方向の位置調整を容易に行えるとの作用効果を奏すると理解できるので,相違点4全体が単なる設計的事項であるとはいえない。
また,請求人は,甲第1号証の図1では,保持壁部24aの上端部の前後方向寸法が,保持壁部24bの上端部の前後方向寸法よりも少し小さくなっていると主張しているが,図1のみから寸法の大小関係が明らかとはいえないし,仮にそのような大小関係があったとしても,相違点4で特定される部位の大小関係とは関係がない。さらに請求人は,甲第6号証の図3及び図4から,符号32a,32b又は32cが付された壁の上端は,その前後両端が丸みを帯びており,その下方の符号37b(空気袋)が付された部分よりも前後方向寸法が小さいことは明らかであるとしているが,上記記載事項(チ)からみて,図3及び図4に記載された32は足載置部として構成した場合の実施例であり,その壁の上端が丸みを帯びていたとしても,甲1発明に適用する動機付けがないし,仮に適用しても手の甲に連なる部分に対向する第2部分と小指側に連なる部分に対向する第3部分との大小関係とはならない。
そうすると,甲1発明に甲第2~8号証に記載された発明を適用しても,あるいは一般に各部位間の寸法に差を設けることは単なる設計的事項にすぎないとしかつ甲第1号証及び甲第6号証に記載された事項を考慮したとしても,相違点4で特定される具体的部位の大小関係に想到し得るとはいえない。」
イ しかしながら,「カバー部への前腕の出し入れや前腕の前後方向の位置調整を容易に行えるとの作用効果」は,出願当初の明細書(甲11)に記載のない作用効果にすぎない。
また,本件発明1にいう第2部分のうち被施療者の上腕側ではない部分が先細りであって被施療者の上腕側は先細りではない形状や,第2部分に大きく切り込みが存在する形状,第2部分のうち被施療者の上腕側が0.1mm程度しか短くない形状などを採用した場合には,相違点4に係る構成を充足するが,被施療者の上腕と第2部分との間には特段の余剰スペースは生じず,被施療者の前腕の出し入れや前腕の前後方向の位置調整を容易に行えない。これらのとおり,相違点4に係る構成のうちには,上記作用効果を奏しない構成も含まれる。
加えて,甲第1号証の図1の保持壁部24aには上端部の前後方向寸法よりも少し小さくなっているという寸法差が存するし,当業者であれば,甲第6号証から,腕にマッサージを施す施療部につき各部位に寸法差を設ける構成に容易に想到することができる。
したがって,本件出願日当時,甲1発明に甲第4,第6号証に記載された事項ないし周知技術を適用することにより,当業者において相違点4に係る構成に容易に想到し得たものであって,相違点4に係る構成の容易想到性を否定した審決の判断には誤りがある。
(4) 結局,本件発明1と甲1発明の相違点に係る構成の容易想到性を否定した審決の判断には誤りがあり,審決の進歩性判断には誤りがある。
同様に,本件発明2ないし4の進歩性に係る審決の判断には誤りがある。
2 分割要件違反の有無の判断の誤り(取消事由2,無効理由1-2)
(1) 審決は,本件出願の分割要件違反の有無につき,次のとおり説示する(13,14頁)。
「請求人(原告)は,次の事項は,原出願の出願当初の明細書又は図面(以下,『原明細書等』という。)に記載された事項の範囲内のものでないから,本件特許は分割要件に違反していると主張している。
(i) 本件発明1の『前記カバー部が有する少なくとも第2部分は板状部材により構成され』
(ii) 本件発明1の『前記第2部分における左右方向内側部分の前後方向寸法が,前記第3部分の前後方向寸法よりも小さくなるように構成されている』
そこで,上記(i)及び(ii)について原明細書等に記載された事項の範囲内のものであるか検討する。
(i)について
カバー部については原明細書等の明細書段落【0029】に,発明の実施の形態として『・・・肘掛け部25は,板状の部材を円弧状に湾曲させた如き形状をなすカバー部25aと,該カバー部25aの内側に設けられたクッション部25bとから構成されている。このような肘掛け部25は,一般的な成人の前腕より若干長く,図1に示す如く,被施療者がマッサージ機1に着座したときに,被施療者の肘,前腕,及び手等を覆うように保持することが可能である。』との記載があるが,分割出願においてこのカバー部を特定する際に,原明細書等において発明の実施の形態として記載された具体的特定事項の全てを記載しなければならないわけではない。(i)の『カバー部が有する少なくとも第2部分は板状部材により構成され』との特定事項は,原明細書等に発明の実施の形態として記載された『板状の部材を円弧状に湾曲させた如き形状をなすカバー部25a』の一部のみを具体的に特定するものであるが,『板状の部材を円弧状に湾曲させた如き形状』からは『板状部材により構成され』たものが例示されるとともに,全体の構成としては種々の形態が想定されることは明らかである。さらに,上記原明細書等の記載から,カバー部は機能的には単に『肘掛け部25が,被施療者の肘,前腕,及び手等を覆うように保持することが可能である』ような形状であればよいと解される点をも鑑みれば,カバー部の一部のみしか特定されていないとしても,(i)の特定により原明細書等のすべての記載を総合することにより導かれる技術的事項との関係において新たな技術的事項が導入されたとまではいえない。
したがって,(i)の『カバー部が有する少なくとも第2部分は板状部材により構成され』る点は原明細書等に記載された事項の範囲内のものといえる。
(ii)について
第2部分と第3部分との前後方向寸法関係については,原明細書等の図面の図5等に第2部分の前端部と後端部の両側が先細りになった形状が図示されているが,この寸法関係を特定する際にも,図示された形状の全てを記載しなければならないわけではない。両側先細り形状でなく例えば片側先細り形状でも,程度の差はあれカバー部への前腕の出し入れや前腕の前後方向の位置調整を容易に行えるとの作用効果を奏すると解され,結局本件発明1においては,第2部分における左右方向内側部分の前後方向寸法が,第3部分の前後方向寸法よりも小さいことにより,カバー部への前腕の出し入れや前腕の前後方向の位置調整を容易に行えるとの作用効果を奏すると理解できることは上記(1)(ii)で述べたとおりである。
なお,請求人が口頭審理陳述要領書で主張する途中を切り欠いたような形状は(ii)の特定が想定していない形状であることは明らかである。
以上の点から,(ii)の特定により原明細書等のすべての記載を総合することにより導かれる技術的事項との関係において新たな技術的事項が導入されたものということはできない。
したがって,(ii)の『前記第2部分における左右方向内側部分の前後方向寸法が,前記第3部分の前後方向寸法よりも小さくなるように構成されている』点は原明細書等に記載された事項の範囲内のものといえる。
以上のとおりであるから,本件特許は分割要件に違反していない。」
(2) しかしながら,原明細書及び図面(甲9)には,肘掛け部25につき,板状の部材を円弧状に形成して腕全体を覆うようにする構成しか記載されていない。原明細書等の図5でも,被施療者の上腕すら記載されておらず,肘掛け部が回動する様子が開示されているのみであって,第2部分に相当する部分と第3部分に相当する部分に寸法差を設けて上腕とカバー部の間に余剰スペースを形成し,カバー部への前腕の出し入れを容易にすることは何ら開示されていない。
原明細書等の記載に従うと,肘掛け部25は所定の範囲内で回動自在に取り付けられるが,第2部分のみを板状にしながら,他方で第1,3部分を相対的に厚みのある形状にすると,回動に適さない構造になってしまい,原明細書等に記載された技術的事項を矛盾することになる。
したがって,本件出願は原明細書等に記載のない新規事項を導入するもので,分割要件違反があり,これに反する審決の判断には誤りがある。
3 補正要件違反の有無等の判断の誤り(取消事由3,無効理由2)
前記2と同様に,出願当初の明細書及び図面(甲10)には,第2部分を板状に形成し,第2部分と第3部分との間で寸法差を設ける構成が記載されていないから,被告による補正は新規事項を導入するもので,補正要件違反がある。
そうすると,これに反する審決の補正要件違反の有無等の判断には誤りがある。
4 記載要件違反の有無の判断の誤り(取消事由4,無効理由3)
(1) 明確性について
ア 審決は,本件各発明の特許請求の範囲の明確性につき,次のとおり説示する(15,16頁)。
「本件発明1~4は『該肘掛け部は,手のひらを下方に向けた前腕のうち手のひらに連なる部分に対向する第1部分と手の甲に連なる部分に対向する第2部分と小指側に連なる部分に対向する第3部分とを具備すると共に該第3部分に対向する部分が前腕の長手方向に沿って開口して正面視で内側に開いたカバー部を有し』たものであるから,その境界についての記載がなくても,第2部分,第3部分自体の意味は明らかである。そして,『第2部分における左右方向内側部分』については,図4を参酌すると,第2部分のうち,第3部分と逆側の,内側に開いた側をさすものと解される。また,上記(1)(ii),(2)(ii)についてで述べたとおり,本件発明1~4においては,第2部分における左右方向内側部分の前後方向寸法が,第3部分の前後方向寸法よりも小さいことにより,カバー部への前腕の出し入れや前腕の前後方向の位置調整を容易に行えるとの作用効果を奏すると理解できるから,寸法差としてはそのような技術的意義を有するものであれば良く,具体的な寸法差の特定が必要なものでもない。
そうすると,本件発明1~4の『前記第2部分における左右方向内側部分の前後方向寸法が,前記第3部分の前後方向寸法よりも小さくなるように構成されている』という事項は全体として不明確とはいえず,特許法36条6項2号に適合しないものではない。」
イ しかしながら,本件発明1にいう「第2部分」と「第3部分」の境界は明らかでなく,両者の外延は不明確である。そうすると,「第2部分」の「左右方向内側部分の前後方向寸法」や「第3部分」の「前後方向寸法」も不明確であり両者を比較することはできない。しかも,本件発明1にいう「前記第2部分における左右方向内側部分の前後方向寸法が,前記第3部分の前後方向寸法よりも小さくなるように」との構成のうちには,第2部分のうち被施療者の上腕側ではない部分が先細りであって被施療者の上腕側は先細りではない形状や,第2部分に大きく切り込みが存在する形状,第2部分のうち被施療者の上腕側が0.1mm程度しか短くない形状などの,被施療者の上腕と第2部分との間に特段の余剰スペースが生じず,被施療者の前腕の出し入れや前腕の前後方向の位置調整を容易に行えないという,本件発明1の作用効果を奏しない構成が含まれる。
したがって,本件発明1にいう「前記第2部分における左右方向内側部分の前後方向寸法が,前記第3部分の前後方向寸法よりも小さくなるように」との部分は不明確であり,特許請求の範囲の記載は特許法36条6項2号に違反する。
そうすると,本件発明1の特許請求の範囲の記載が同号に違反しないとした審決の判断には誤りがある。
(2) サポート要件について
ア 審決は,本件各発明の特許請求の範囲が明細書の発明の詳細な説明に記載されたか否かにつき,次のとおり説示する(16頁)。
「審判請求書で被請求人(被告)が主張した効果については,それが特許請求の範囲に記載されたものでない場合には,発明の詳細な説明に記載がないからといってサポート要件違反とはいえない。該効果については,明細書の記載から自明のものといえなければ,本件発明1~4の効果として認められないにとどまる。
本件各発明の場合においては,被請求人が主張した『肘掛け部に対する前腕の載せ下ろしが非常に容易である』等の効果は,特許請求の範囲に記載されたものでないから,発明の詳細な説明に記載がなくてもサポート要件違反とはいえない。
よって,本件発明1の特許請求の範囲の記載は特許法36条6項1号に適合しないものではない。
なお,上記効果については,内側に開いた方向から前腕を載せ下ろしする場合などのように,使用状態である本件各発明も奏し得るものであることは,当業者からみて理解できるので,本件発明1~4の効果として認められないものでもない。」
イ しかしながら,進歩性判断においては腕の載置方向や自由度に係る作用効果を考慮しながら,サポート要件違反の有無の判断においては腕の載置方向等に係る作用効果を要件としないのは,自己矛盾した判断である。
また,肘掛け部が内側に開いた状態は非使用状態であって(段落【0031】),この状態で作用効果を奏することは使用状態でも作用効果を奏することの根拠にはならない。
「肘掛け部に対する前腕の載せ下ろしが非常に容易である」等の効果は,発明の詳細な説明に記載がないものであるから,サポート要件(特許法36条6項1号)違反である。
そうすると,本件各発明の特許請求の範囲の記載が同号に違反しないとした審決の判断には誤りがある。
第4取消事由に関する被告の反論
1 取消事由1に対し
(1) 甲第2号証の指圧装置A,B,Cはそれぞれ異なる構成を有しており,甲第2号証に記載された事項を甲1発明に適用しようとしても,具体的なマッサージ具の構成を想定することは困難であり,手のひらに連なる部分に対向する第1部分と手の甲に連なる部分に対向する第2部分とを備えたものになるかは当業者には不明である。
甲第3号証のパルス電磁場装置はマッサージ機ではなく,本件発明1にいう第1部分,第2部分は存在しない。甲第4ないし8号証にも,相違点1に係る構成は記載されていない。
したがって,審決が判断するとおり,甲1発明に甲第2ないし8号証に記載された事項ないし周知技術を適用することはできないか,適用したとしても当業者において相違点1に係る構成に容易に想到することはできない。
(2) 前記(1)のとおり,甲第2ないし8号証には手のひらに連なる部分に対向する第1部分と手の甲に連なる部分に対向する第2部分を備えた構成も,上記第1,2部分に空気袋を備えた構成も,いずれも記載されておらず,手のひらに連なる部分と手の甲に連なる部分に対し,本件発明1にいう第1,2部分に設けられた空気袋が押圧刺激をする構成が周知技術であるか否かも不明である。なお,甲第4号証に記載された事項を甲1発明に組み合わせる動機付けは存しない。
そうすると,審決が判断するとおり,甲1発明に甲第2ないし8号証に記載された事項ないし周知技術を適用することはできないか,適用したとしても当業者において相違点2に係る構成に容易に想到することはできない。
(3) 「カバー部への前腕の出し入れや前腕の前後方向の位置調整を容易に行う」という効果は,本件明細書又は図面から当業者が推認できる事項にすぎず,当該発明の容易想到性の判断において参酌すべきものである。また,カバー部への前腕の出し入れや前腕の前後方向の位置調整を容易に行うために,第2部分の左右方向内側部分の前後方向寸法を第3部分の前後方向の寸法よりも小さくすることは,周知技術,技術常識あるいは当業者の常套手段ではない。
そして,甲第1号証の図1の保持壁部24a,bの寸法差は何らかの技術的意義をもって図示されているものではなく,当業者において図1からかかる技術的意義を理解することはできない。また,図1の保持壁部24a,bの寸法差は,本件発明1にいう第2部分と第3部分の寸法差とは何の関係もない。
甲第6号証の図3,4の壁は本件発明1にいう第2部分には相当せず,これを甲1発明に組み合わせても,相違点4に係る構成に想到することはできない。
そうすると,審決が判断するとおり,甲1発明に甲第2ないし8号証に記載された事項ないし周知技術を適用することはできないか,適用したとしても当業者において相違点4に係る構成に容易に想到することはできない。
(4) 結局,本件各発明の相違点に係る構成の容易想到性についての審決の判断に誤りがあるとはいえない。
2 取消事由2に対し
原明細書及び図面(甲9)の肘掛け部のカバーに係る記載は,あくまで実施の形態の一例にすぎず,全ての実施の形態を明細書で開示しなければならないものではない。原明細書ではカバーの一部の形状しか特定されておらず,この一部の形状を基にして分割出願したとしても,新たな技術的事項を導入したことにはならない。
原図面の図5等には,本件発明1にいう第2部分の左右方向内側部分の前後方向寸法が,第3部分の前後方向寸法よりも小さくなるようにする構成が記載されていることが明らかである。
したがって,分割要件違反の有無等に係る審決の判断に誤りはない。
3 取消事由3に対し
前記2と同様に,出願当初の明細書及び図面(甲10)には,第2部分を板状に形成し,第2部分と第3部分との間で寸法差を設ける構成が記載されているか,あるいは少なくとも上記明細書等に記載された事項から自明であるから,補正によって新規事項が導入されたものではなく,補正要件違反はない。
そうすると,これと同旨の審決の補正要件の充足の有無等の判断には誤りはない。
4 取消事由4に対し
(1) 明確性要件について
本件発明1においては,第2部分の左右方向内側部分の前後方向寸法が第3部分の前後方向寸法よりも小さくされているため,カバー部の入り口側が奥側よりも小さくなって,カバー部への腕の出し入れが容易になる。このとおり,第2部分の左右方向内側と第3部分との位置関係及び寸法差に技術的意義があるのであって,第2部分と第3部分の境界が具体的にどこにあるかに技術的意義があるわけではない。したがって,本件発明1にいう第2部分と第3部分の境界が必ずしも明らかでないとしても,特許請求の範囲の記載が不明確になるわけではない。
また,物の発明においては,特許請求の範囲の記載に基づいて具体的な物が想定できれば足りるところ,本件発明1の特許請求の範囲の記載から具体的なカバー部の構成が想定できることは明らかである。
したがって,本件発明1の特許請求の範囲の記載が明確性要件に反しないとした審決の判断に誤りはない。
(2) サポート要件について
「肘掛け部に対する前腕の載せ下ろしが非常に容易である」等の作用効果は,本件発明1の特許請求の範囲に記載されたものではなく,本件発明1にサポート要件違反は存しない。
したがって,サポート要件違反の有無に係る審決の判断に誤りは存しない。
第5当裁判所の判断
1 記載要件違反の有無の判断の誤り(取消事由4)について
(1) 記載要件違反の有無の判断の誤りについてまず判断する。
本件発明1の特許請求の範囲においては,「肘掛け部」の「カバー部」につき,「前記カバー部が有する少なくとも第2部分は板状部材により構成され,且つ,前記第2部分における左右方向内側部分の前後方向寸法が,前記第3部分の前後方向寸法よりも小さくなるように構成されている」と特定されているところ,本件明細書(甲11)の発明の詳細な説明には,上記「肘掛け部(25)」につき,被施療者がマッサージ機に着座したときに,被施療者の肘,前腕及び手を覆うように保持することができること(段落【0030】)や,「肘掛け部25」が正面視で略U字型の断面形状を成しており(段落【0032】),被施療者がマッサージ機を使用する状態か否かに応じて,被施療者の腕を概ね回転軸として回動すること(段落【0031】)等が記載されているのみで,上記構成を備えることによって奏される作用効果については明記されていない。
もっとも,図1,2,4,5,7で示される実施例の「肘掛け部25」の形状から,本件発明1の椅子型のマッサージ機に関する当業者の技術常識に照らして考察すれば,上記構成を備えることによって奏される作用効果は,審決が説示するとおり(12,14,15頁),「肘掛け部25」への前腕の出し入れや前腕の前後方向の位置調整を容易に行うことができるという点にあるということができる。
【図4】
file_3.jpg【図5】
file_4.jpgここで,上記構成のうち「第2部分における左右方向内側部分」については,図4からは「第2部分」のうち使用者(被施療者)から見て内側の部分であることは明らかであるものの,本件明細書及び図面のすべての記載に照らしても,内側のどの部分を指すのか判然としない。
ところで,上記の「『肘掛け部』への前腕の出し入れや前腕の前後方向の位置調整を容易に行うことができる」という作用効果を奏することができるのは,図5の略円板状の部材をその中心付近で略U字状に折り曲げて形成したもののように,「肘掛け部」(ないし「カバー部」)のうち被施療者の手の甲に連なる腕の部分(概ね上面)に対向する「第2部分」の長手方向(腕の長手方向)の長さ(寸法)が,左手であるならば被施療者の小指に連なる腕の部分(概ね側面)に対向する「第3部分」の長手方向の長さ(寸法)よりも有意に短くすることによるものであることが明らかであり,上記「第2部分」の長手方向の長さと上記「第3部分」の長手方向の長さに差異を設けない構成,すなわち円筒を軸方向に二つに切ったような形状の構成では,奏し得ない効果であるということができる。
上記構成は,「第2部分」の長手方向の長さと「第3部分」の長手方向の長さとの間に差異を設けることしか特定しておらず,この差異を設ける「肘掛け部」の形状には種々のものが想定され得るのであって,その外延は当業者においても明確でないといわざるを得ない。仮に,「前記第2部分における左右方向内側部分の前後方向寸法が,前記第3部分の前後方向寸法よりも小さくなるように構成されている」との構成を,「第2部分」の内側のどの部分をとっても,長手方向の長さが,「第3部分」の長手方向の長さよりも短く(小さく)なることをいうと善解したとしても,原告が主張するとおり,「肘掛け部」のうちの「第2部分」の手指側のみを先細りの形状とする場合には,「第2部分」の長手方向の長さが「第3部分」の長手方向の長さよりも短くなるものの,「『肘掛け部』への前腕の出し入れや前腕の前後方向の位置調整を容易に行うことができる」との作用効果を奏することは困難であるし,また,「第2部分」の長手方向の長さと「第3部分」の長手方向の長さとの間に僅かな差異しか設けない場合には,上記作用を奏することができないことは明らかである。
したがって,本件発明1の特許請求の範囲中,「前記カバー部が有する少なくとも第2部分は板状部材により構成され,且つ,前記第2部分における左右方向内側部分の前後方向寸法が,前記第3部分の前後方向寸法よりも小さくなるように構成されている」との構成は,明細書及び図面によっても明確でなく,当業者の技術常識を勘案しても明確でないというべきである。
また,本件発明2ないし4も,本件発明1の構成にさらに限定を加えたものにすぎないから(従属項),本件発明1と同様に,その特許請求の範囲の記載が明確でないというべきである。
(2) 結局,原告が主張する取消事由4のうち,少なくとも明確性要件違反の有無の判断の誤りをいう点は理由があり,その余の点について判断するまでもなく,審決は取消しを免れない。
第6結論
以上によれば,原告が主張する取消事由4は理由があるから,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 塩月秀平 裁判官 真辺朋子 裁判官 田邉実)