知財高等裁判所 平成23年(ネ)10019号 判決 2011年6月30日
控訴人
ファーストガスシステム株式会社
同訴訟代理人弁護士
赤塚健
寒河江孝允
高瀬亜富
被控訴人
レモンガス株式会社
同訴訟代理人弁護士
伊奈誠司
神谷宗之介
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実及び理由
第1控訴の趣旨
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人は,控訴人に対し,1億3440万円及びこれに対する平成21年5月20日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3 訴訟費用は,第1,2審とも,被控訴人の負担とする。
4 仮執行宣言
第2事案の概要
1 本件は,控訴人が,控訴人の顧客名簿を被控訴人が不正に使用して営業活動を行い,控訴人の顧客を奪ったことは,①不正競争防止法2条1項7項の「営業秘密の不正使用」に該当する,②控訴人と被控訴人との間のLPガス供給契約に基づく守秘義務及び競業避止義務並びに信義則上の競業避止義務に違反する債務不履行に該当する,③違法な勧誘行為により控訴人の顧客を奪った不法行為に該当するなどと主張して,不正競争防止法4条,2条1項7号又は債務不履行,不法行為に基づいて,事業譲渡により得べかりし利益に相当する損害1億3440万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成21年5月20日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。
原判決は,控訴人の顧客名簿は,不正競争防止法2条6項の「営業秘密」に該当するものではなく,また,控訴人と被控訴人との間には,控訴人の顧客名簿をLPガス供給業務以外に使用することを禁じる旨の合意が認められないから,被控訴人に債務不履行は認められず,さらに,被控訴人は,控訴人の「営業秘密」とはいえない顧客名簿を利用して,控訴人の顧客に対し,顧客獲得のための営業活動を開始したものであり,自由競争の範囲を逸脱したとは認められないから,不法行為にも該当しないとして,控訴人の請求を棄却したため,控訴人がこれを不服として控訴に及んだ。
2 前提となる事実
(1) 当事者
ア 控訴人は,プロパンガス(以下「LPガス」という。),石炭,木炭,薪その他一般燃料及び燃料器具の販売等を営む株式会社であり,平成21年6月30日まではA(以下「A」という。)が代表取締役を務めていた(争いのない事実)。
イ 被控訴人は,液化石油ガス,石油製品の製造及び販売,石油製品の配送業等を営む株式会社である(争いのない事実)。
(2) 控訴人と被控訴人との間のLPガス供給契約
ア 控訴人は,昭和36年ころより,仕入先問屋である被控訴人(平成元年10月1日にシンカナ株式会社と商号を変更した後,平成18年10月1日,現在の商号に変更)に,ガスボンベにLPガスを充填した上で控訴人の貯蔵庫まで配達してもらい,控訴人において当該ガスボンベを顧客に配送し,交換していた(甲13,原審における証人A,弁論の全趣旨)。
イ 被控訴人が昭和50年代にLPガスの配送センターを開設したことから,控訴人は,被控訴人に対し,控訴人の顧客に対するLPガスの配送を委託するようになった。そこで,控訴人は,被控訴人に対し,控訴人の顧客名簿を交付した(甲13,原審における証人A)。
なお,控訴人は,その後,被控訴人以外の会社からもLPガスを仕入れるようになり,これについても仕入先から控訴人の顧客先にLPガスの配送を委託するようになった(甲13)。
ウ 控訴人は,平成12年3月31日,被控訴人との間で,被控訴人が控訴人の顧客にLPガスの供給(設置,配送を含む)を行う配送業務委託契約(甲3)及びこれに伴う保安業務契約(甲4)を締結するとともに,レモンガス配送業務委託契約細則書(甲5)を取り交わした(争いのない事実。以下,上記各契約及び細則書を総称して,「本件契約」という。)。
これによると,配送業務委託契約書の第6条及び保安業務契約書の第10条において,控訴人及び被控訴人は,業務上知り得た双方の消費者等の秘密を他に漏らしてはならないと定められており,また,上記配送業務委託契約細則書の第1条には,控訴人が,「加入消費者の正しい住所,屋号,氏名,電話番号の名簿を提出する。」と定められていた。もっとも,上記契約締結の際,控訴人から被控訴人に対して新たな顧客名簿が提出されることはなかった(弁論の全趣旨)。
エ 控訴人は,平成17年ころ,被控訴人に対して,控訴人の顧客1800軒余に対するLPガスの配送を委託するなど,控訴人と被控訴人は密接な取引関係にあった。もっとも,控訴人は,被控訴人以外にも大陽酸素株式会社,橋本産業株式会社(以下「橋本産業」という。)等の5社からもLPガスを仕入れており,被控訴人以外の会社に控訴人の顧客合計約1600軒の配送を委託していた(甲8(枝番については,省略。以下同じ。),甲13)。
オ 被控訴人は,平成18年秋ころ,当時控訴人の代表取締役であったAから,被控訴人と営業範囲が重なる控訴人の顧客について,検針及び集金業務を被控訴人に委託したい旨の申出を受け,これを受諾した(乙3,原審における証人A,同B)。また,被控訴人の控訴人担当社員であったB(以下「B」という。)は,平成19年1月ころ,Aから,控訴人の社員が退社して液化石油ガスの保安の確保及び取引の適正化に関する法律施行規則により規定されている契約顧客数に応じた業務主任が確保できなくなったため,被控訴人から社員を出向させてほしい旨の依頼を受け,被控訴人の社員を控訴人に出向させた。さらには,同年11月ころ,控訴人から,夜間緊急業務を被控訴人の方で対応してほしい旨の依頼を受け,同年12月28日から,被控訴人が控訴人の顧客に対する夜間緊急対応業務を開始した(乙3,原審における証人B)。
(3) 控訴人と被控訴人との間の事業譲渡に係る交渉
ア Bは,平成19年4月20日ころ,Aから,控訴人の事業を被控訴人に譲渡するから,控訴人の顧客約4000軒について1軒当たり15万円で買い取ってほしい旨の申出を受けた。そこで,被控訴人は,社内で検討したところ,1軒当たり15万円として事業を譲り受けたのでは採算が合わないこと,また,控訴人から譲渡される顧客の中には空き家や料金を支払わない顧客が含まれている可能性があったことなどから,控訴人からの上記申出に対して回答を留保していた。ところが,平成19年12月ころ,Aが,被控訴人と競業関係にある会社に顧客1軒当たり20万円で控訴人の事業を譲渡することをほのめかすようになったことから,Bは,Aとの間で,控訴人が譲渡する顧客数や1軒当たりの譲渡価格等についてさらに交渉を重ねるようになった(甲13,乙3,原審における証人A,同B)。
イ 被控訴人は,平成20年7月下旬ころ,控訴人に対し,契約時に事業譲渡代金を支払うものの,6か月後に実需顧客数を確認して是正し,減額した顧客分については払い戻してもらうことなどを提案した。しかしながら,控訴人がこの提案を了承せず,控訴人と被控訴人との間で事業譲渡の合意には至らなかった(乙3)。
そこで,控訴人は,被控訴人に対し,平成20年11月をもって被控訴人に委託していた控訴人の顧客に対する検針,集金,夜間緊急対策業務を自社で行うことを通告し,さらに,控訴人に派遣されていた被控訴人の出向社員を引き上げるよう要請した。これにより,被控訴人は,控訴人が被控訴人との事業譲渡に関する交渉を継続する意思を失ったのではないかと考え,平成20年12月,控訴人に対して,被控訴人に事業を譲渡する気があるのか否かを年内に回答してほしい旨求めたが,控訴人からの回答を得られなかった(乙3,原審における証人B)。
ウ 控訴人は,橋本産業に対して事業を譲渡することとし,平成21年2月ころ,顧客2500軒を1軒当たり20万円,総額5億円で事業譲渡すること,6か月以内に契約した実需顧客が減少した場合,別途,控訴人の管理する実需顧客をもって補うことなどを内容とする旨の交渉を進めていた(甲22,弁論の全趣旨)。そこで,平成21年3月末ころ,被控訴人以外の会社に控訴人の事業を譲渡するのかと執拗に問い合わせてきたBに対し,事業譲渡先を橋本産業に決めた旨を話し,被控訴人の取締役に対して,「今までいろいろお世話になりました。」などと挨拶した(甲13,乙3,原審における証人A,同B)。
(4) 控訴人と被控訴人との間の取引終了に関する覚書
控訴人と被控訴人は,平成21年4月9日,取引終了に関し,以下の内容を確認する旨の覚書(乙1)を締結した(以下「本件覚書」という。)。
ア 平成21年3月31日現在の売買代金残高(同年2月分及び同年3月分合計992万9494円)を同年4月30日までに銀行振込にて精算する。
イ 平成21年4月1日以降取引終了するまでの売買代金については,受託配送LPガス単価を1キログラム当たり前月CP価格×前月為替÷1000+40円,LPガス受託配送料を1キログラム当たり20円,LPガス受託事務費として1キログラム当たり2円,バルク配送LPガス単価を1キログラム当たり前月CIF(電力を除く)+30円(配送費込み)とする。
(5) 被控訴人による営業活動
ア 被控訴人は,平成21年4月11日から同年9月2日までの間,本件契約に基づいてLPガスを供給していた控訴人の顧客に対し,被控訴人との間でLPガス供給契約を締結することを求める営業活動(以下「本件営業活動」という。)を行い,控訴人の顧客約680軒を被控訴人の顧客として獲得した。
控訴人は,平成21年4月中旬ころから,顧客より,被控訴人がLPガスの供給先を被控訴人に変更するための営業活動をしている旨の問い合わせを受けるようになったことから,顧客に対して,控訴人がLPガス事業を辞めることはないことなどを記載した手紙を出すなどした(争いのない事実,甲6,15,17,20,原審における証人A)。
イ 控訴人は,本件営業活動が行われている間の平成21年6月1日,橋本産業に対し,控訴人の顧客2000軒に対するLPガス販売権を,代金4億円(税込み)で譲渡し,7か月以内に実需顧客数が減少した場合には,別途,控訴人が管理している実需顧客で補完する旨の営業譲渡契約を締結した(甲21,原審における証人A)。
ウ 被控訴人は,控訴人に対するLPガスの配送業務が終了していなかったことから,平成21年6月23日付けで,控訴人に対し,控訴人と被控訴人との間のLPガス売買契約及び配送業務委託契約は本件覚書により終了しているので,控訴人から受託しているLPガスの配送業務,保安業務及び料金収納業務を速やかに終了させた上,料金等の精算をすることなどを求めた内容証明郵便を送付した(甲11,原審における証人B)。
3 本件訴訟の争点
(1) 本件営業活動は,控訴人の顧客名簿を使用したものとして,不正競争防止法2条1項7号の営業秘密の不正使用に該当するか(争点1)
(2) 本件営業活動は,守秘義務及び競業避止義務に違反する債務不履行に該当するか(争点2)
(3) 本件営業活動は,違法な勧誘行為により顧客を奪った不法行為に該当するか(争点3)
(4) 損害額(争点4)
第3当事者の主張
1 争点1(本件営業活動は,控訴人の顧客名簿を使用したものとして,不正競争防止法2条1項7号の営業秘密の不正使用に該当するか)について
〔控訴人の主張〕
(1) 控訴人の顧客名簿が営業秘密に該当することについて
ア 控訴人の顧客名簿は,顧客の名前,住所,電話番号,取引履歴等が記載された名簿であり,控訴人が事業活動において少しずつ蓄積した秘密情報である。
イ 控訴人は,昭和50年代において,LPガスの仕入問屋であった被控訴人に対し,控訴人の顧客へのLPガスの配送を委託するようになったことから,当時の顧客名簿を被控訴人に交付した上で,控訴人が独自の営業活動によって新規に顧客を獲得する都度,被控訴人に顧客名簿をファックスなどで送信していた。
控訴人は,本件契約に基づいて,被控訴人に対し,控訴人の顧客へのLPガスの供給を委託しているからこそ,顧客名簿を提供したものであり,当該情報は,委託されたLPガスの配送や保安検査等に利用する限りにおいて使用することが許されたものにすぎない。
控訴人及び被控訴人は,それぞれ別個に顧客名簿をパソコンで管理しており,双方のパソコンはネットワークにより接続されていたわけではない。
このような顧客名簿は,LPガス供給業者としては重要な情報であるし,個人情報保護法が定める個人情報であることから,従業員が業務外において使用することが許されないことは当然である。控訴人は,その旨全従業員に対して徹底するとともに,被控訴人に対しては,本件契約により守秘義務を課していたものである。
ウ したがって,控訴人が被控訴人に対して提供した顧客名簿は,秘密管理性,非公知性,有用性の各要件を充足しており,不正競争防止法2条6項の営業秘密に該当するものである。
(2) 営業秘密の不正使用について
被控訴人は,控訴人の営業秘密である顧客名簿を利用して,控訴人の顧客を自らの顧客とするべく本件営業活動を行った。
当該行為は,不正競争防止法2条1項7号の営業秘密の不正使用に該当することは明らかである。
(3) 小括
以上からすると,被控訴人による本件営業活動は,不正競争防止法2条1項7号の営業秘密の不正使用に該当するものであって,被控訴人は,同法4条により,損害賠償義務を負うものというべきである。
〔被控訴人の主張〕
(1) 控訴人の顧客名簿が営業秘密に該当することについて
ア 控訴人が被控訴人に対して顧客名簿を最初に提供してから,既に30年以上経過しており,控訴人が営業秘密であると主張する顧客名簿の内容について,具体的な主張はされていない。
被控訴人は,配送先の各顧客から情報を収集して独自の顧客名簿を作成し,管理していたものであって,控訴人から提供を受けた顧客名簿を管理し,使用していたわけではない。
しかも,被控訴人が管理している控訴人の顧客名簿には,「部外秘」など,営業秘密を表す表示がされていない。顧客名簿の管理や改訂は被控訴人において行っており,控訴人が名簿を管理していたことはない。控訴人から,被控訴人に対して,顧客名簿について部外秘扱いとすることを要請されたこともない。
被控訴人が配送するガスボンベには,被控訴人のロゴマークが表示されているのであるから,当該ガスボンベを使用している家庭を探すことにより,顧客名簿に記載された顧客は容易に判明するものである。
被控訴人が,顧客名簿について控訴人の営業秘密であると認識していたことも,秘密として管理していたこともない。
イ 本件契約には,抽象的な守秘義務を定める条項はあるものの,控訴人と被控訴人との間で,顧客名簿の利用について制限を加えるような合意が成立したことはない。
ウ したがって,控訴人が主張する顧客名簿は,秘密管理性,非公知性,有用性の各要件を充足するものではなく,不正競争防止法2条6項の営業秘密に該当するものではない。
(2) 営業秘密の不正使用について
控訴人の顧客名簿が不正競争防止法2条6項の営業秘密に該当しない以上,本件営業活動が同条1項7号の営業秘密の不正使用に該当しないことは明らかである。
(3) 小括
以上からすると,被控訴人は,不正競争防止法4条による損害賠償義務を負うものではない。
2 争点2(本件営業活動は,守秘義務及び競業避止義務に違反する債務不履行に該当するか)について
〔控訴人の主張〕
(1) 本件契約に基づく守秘義務違反及び競業避止義務違反について
ア 被控訴人は,本件契約に基づいて守秘義務を負い,控訴人の顧客名簿について,LPガス供給業務以外に使用することは禁じられていた。
また,被控訴人は,控訴人に対し,本件契約又は信義則に基づいて,同契約ないし同契約に基づく取引関係が存続する間,控訴人からLPガスの供給を受けている顧客に対する営業活動は行わないという内容の競業避止義務を負っていた。
イ 原判決は,控訴人及び被控訴人間の取引関係は平成21年3月末日をもって終了したとするが,その取引関係は,平成21年4月以降も継続していた。
本件覚書も,「平成21年以降,取引終了するまでの売買代金」の算定方法を定めており,同年4月以降も本件契約ないし同契約に基づく取引関係が継続することを前提に,その売買代金の算定方法を定めたものである。だからこそ,控訴人は,本件覚書作成後,被控訴人に対し,本件契約ないし同契約に基づく取引関係の終了時期に関する打診をしているものである。
実際,被控訴人は,平成21年4月以降,同年8月までの間,本件契約に基づいてLPガスの配送を行い,合計1148万4642円を控訴人に請求しているほか,LPガス代金の単価を値上げするように打診しているのである。
ウ 控訴人及び被控訴人は,同種の営業を行う営利法人であるから,業務受託者が委託者の顧客に対して営業活動を行うことが自由であるとすれば,本件契約のような販売・配送業務委託契約は成り立たないものである。本件契約は,被控訴人が競業避止義務を負うことを当然の前提としているものであって,平成21年4月以降も,同契約ないし同契約に基づく取引関係が継続していたのであるから,被控訴人は,同契約に基づく付随義務として,少なくとも控訴人との取引の実態が継続する限り,控訴人の顧客に対するガス供給の営業活動は行わないという義務を負っていたというべきである。実際,被控訴人は,本件覚書作成以前には,控訴人の顧客に対する営業活動は全く行っていなかった。
エ 被控訴人は,本件契約の効力が存続中である平成21年4月11日以降,多数の従業員を動員し,顧客名簿に掲載された控訴人の顧客に対し,「控訴人は廃業するからLPガスの供給ができなくなる。」などと虚偽の説明をして,強引に控訴人の顧客を奪ったものである。
したがって,被控訴人による本件営業活動は,本件契約に基づく守秘義務及び競業避止義務に違反するものというべきである。
(2) 信義則上の競業避止義務について
ア 控訴人と被控訴人は,昭和36年ころの取引開始後,被控訴人が委託を受けて,控訴人の顧客に対するLPガスの配送,検針及び集金業務を行ったほか,被控訴人の従業員が控訴人に出向するなど,両者の関係は極めて密接であった。
控訴人は,このような関係に鑑み,LPガスに関する営業権を譲渡する際,被控訴人に不利益が生じないように最大限の配慮を払い,まず被控訴人と交渉したのみならず,橋本産業と交渉した際も,従来どおり被控訴人による配送を行うことができるよう了承を取り付けていた。
したがって,被控訴人としても,少なくとも控訴人との取引の実態が存する間は,控訴人に損害を与えないようにするため,控訴人の顧客に対する営業活動は行わないという義務を負っていたというべきである。
特に,現在,LPガス業界において,不当な手段を用いた過当競争による顧客の奪い合いの問題が生じているから,消費者の混乱を避けるためにも,少なくとも控訴人の顧客に対するLPガス配送業務が継続している間において,被控訴人は,控訴人の顧客に対して営業活動を行うべきではない。
イ したがって,被控訴人は,信義則上の競業避止義務を負うものというべきところ,被控訴人による本件営業活動は,この義務に違反するものである。
(3) 競業避止義務と営業の自由との関係について
被控訴人が負うべき競業避止義務は,①本件契約ないし同契約に基づく取引関係の継続中に,②当該取引に関する控訴人の顧客に対して営業活動を行わない,という極めて限定された義務にすぎず,これにより,被控訴人の営業の自由を不当に侵害するものということはできない。
(4) 小括
以上からすると,被控訴人は,守秘義務及び競業避止義務に係る債務不履行に基づいて,損害賠償義務を負うものというべきである。
〔被控訴人の主張〕
(1) 本件契約に基づく守秘義務違反及び競業避止義務違反について
ア 本件契約には,抽象的な守秘義務を定める条項はあるが,控訴人と被控訴人との間で,顧客名簿の利用について制限を加えるような合意が成立したことはない。
イ 販売代理店契約において,競業避止義務を供給者側に負わせる場合,実務上,契約書に明記されることが通常であるが,控訴人と被控訴人との間において,競業避止義務に関する合意が成立したことはない。
仮に契約期間終了後も競業避止義務を負わせるのであれば,その旨を明示する必要があるが,控訴人と被控訴人との間では,口頭におけるやり取りすら存在しない。
控訴人は,平成21年3月末日をもって被控訴人のグループを脱退し,控訴人の顧客との契約は被控訴人の競業企業である橋本産業に移管されることとなったのであるから,控訴人及び被控訴人は,むしろ今後の営業活動はお互いに自由であると認識していた。実際,本件覚書の作成について協議していた平成21年3月末から4月上旬にかけて,被控訴人の担当社員であったBと控訴人の代表者であったAは,今後両者の取引関係がなくなること,控訴人の顧客が橋本産業に移管されることを確認しており,いずれ競業関係に至ることを覚悟していたものというべきである。
控訴人と被控訴人との取引関係は,平成21年3月末日をもって終了し,控訴人の事業は橋本産業に譲渡されたため,被控訴人は,営業権が譲渡されることになる控訴人の顧客に対し,被控訴人と契約することによってガス料金が安くなる旨を申し向けるなどの本件営業活動を行ったにすぎない。
被控訴人は,控訴人の顧客に対し,虚偽の事実を申し向けるなどの違法な営業活動を行ったわけではないから,このような営業活動は自由競争の範囲内のものであって違法性はない。
ウ 控訴人と被控訴人との間において,平成21年4月以降も取引関係が残存したのは,エンドユーザーである一般消費者に対する安定供給が求められるLPガス業界の特質から,公益性の見地に基づいて,本件契約終了後も,LPガスの安定供給を継続したものにすぎず,LPガス業界においてはしばしば行われるものである。
本件覚書は,顧客に対するLPガスの安定供給という公益性の見地から,合意解除後にもLPガスの供給が継続されることをふまえ,残務処理と売買代金の精算等について作成されたものであり,だからこそ,同覚書には,取引関係が「終了する事について」と明記されるとともに,「売買代金の精算」について定められているものである。
また,平成21年4月以降の売買代金額は,5月が4月比35%減,6月が同67%減,7月が同80%減,8月が同99%減と大幅に減少しており,残務処理のみが行われていたことは明らかである。被控訴人が売買単価を引き上げたのは,継続的取引関係が終了したからこそ,当該関係を前提とした値引き価格を通常価格に戻したにすぎない。控訴人の主張は明らかに誤りである。
エ したがって,控訴人と被控訴人との間の取引関係は,平成21年3月末日をもって終了しているものであるから,本件契約に基づく守秘義務及び競業避止義務は存在する余地はない。
(2) 信義則上の競業避止義務について
被控訴人のグループから脱退し,その顧客を被控訴人の競業企業に移管したのは控訴人である。自ら信頼関係を破壊しておきながら,被控訴人による信義則違反を主張することは不当である。
しかも,控訴人は,被控訴人に不利益が生じないよう最大限の配慮をしたなどと主張するが,控訴人は,営業権譲渡の際,被控訴人と橋本産業の提示金額を比較し,結局は譲渡金額の高い橋本産業を選択しており,最も重要な点において被控訴人への配慮は存在していない。橋本産業に譲渡することによって4億円もの巨額の資金を得ることを選択し,長年の関係を解消する判断を下したのは控訴人であって,このような冷徹な経済的判断を下した控訴人を衡平の原則により救済する必要はない。
(3) 小括
以上からすると,被控訴人は控訴人に対し,守秘義務及び競業避止義務を負わない以上,本件営業活動が債務不履行に当たる余地はない。
3 争点3(本件営業活動は,違法な勧誘行為により顧客を奪った不法行為に該当するか)について
〔控訴人の主張〕
(1) 被控訴人の行為について,仮に守秘義務違反及び競業避止義務違反が認められないとしても,本件営業活動は,自由競争の範囲を逸脱した違法な態様で控訴人の顧客を奪取したものであり,控訴人に対する不法行為に当たるものである。
(2) 本件営業活動は,本件契約ないし同契約に基づく取引関係が継続していた平成21年4月から同年8月ころまでの間に行われたものである。
被控訴人は,控訴人の顧客に対し,「ファーストガスは廃業するから,LPガスの供給ができなくなる。」などと伝えるなどして,控訴人の顧客を不当に奪ったものである。本件営業活動の不当性は,短期間に672軒もの顧客を奪ったこと,控訴人の努力により,そのうち74軒(118世帯)の顧客が控訴人と再度契約したことからも明らかである。
(3) 控訴人は,本件契約ないし同契約に基づく取引関係を終了させる際,被控訴人に不利益が生じないよう,最大限の配慮を行ったものである。それにもかかわらず,控訴人の顧客を不当にも奪取した被控訴人の悪質性は顕著である。
(4) したがって,被控訴人による本件営業活動は,自由競争の範囲を逸脱した違法な行為であり,控訴人に対する不法行為に当たるものである。
(5) 小括
以上からすると,被控訴人による本件営業活動は,不法行為に該当するものというべきであって,被控訴人は損害賠償義務を負うものである。
〔被控訴人の主張〕
(1) 争点1について先に指摘したとおり,控訴人と被控訴人との取引関係は,平成21年3月末日をもって終了し,控訴人の事業は橋本産業に譲渡されたため,被控訴人は,営業権が譲渡されることになる控訴人の顧客に対し,被控訴人と契約することによってガス料金が安くなる旨を申し向けるなどの本件営業活動を行ったにすぎない。
被控訴人は,控訴人の顧客に対し,虚偽の事実を申し向けるなどの違法な営業活動を行ったわけではないから,このような営業活動は自由競争の範囲内のものであって違法性はない。
(2) 被控訴人は,「控訴人が倒産・廃業する」などと不当な説明を用いて勧誘行為を行ったことはないし,これを認めるに足りる的確な証拠はない。
原審における証人澤野セツ子の証言は,控訴人からのお礼の提供の事実を当初否定するなど,およそ信用性に乏しいものである。
しかも,控訴人の従業員が作成したメモ(甲27)には,大多数の顧客が,料金が安いという理由から被控訴人と契約した旨が記載されているのである。
被控訴人は,橋本産業から,控訴人が顧客を橋本産業に移管することを確認したため,激しい顧客争奪競争になることを覚悟し,営業体制を整え,本件営業活動を行った成果として,5か月間で672件という顧客を獲得することに成功したのである。
(3) したがって,本件営業活動は,自由競争の範囲における適法な勧誘行為であって,控訴人に対する不法行為に当たるものではない。
4 争点4(損害額)
〔控訴人の主張〕
控訴人は,橋本産業に対し,顧客の一部を1軒当たり税込み20万円で売却した。
被控訴人による本件営業活動により,控訴人は672軒の顧客を失ったのであるから,控訴人の損害は,1億3440万円となる。
〔被控訴人の主張〕
否認ないし争う。
第4当裁判所の判断
1 争点1(本件営業活動は,控訴人の顧客名簿を使用したものとして,不正競争防止法2条1項7号の営業秘密の不正使用に該当するか)について
(1) 不正競争防止法における「営業秘密」とは,秘密として管理されている生産方法,販売方法その他の事業活動に有用な技術上又は営業上の情報であって,公然と知られていないものをいい,①秘密管理性,②有用性,③非公知性が要件とされている(同法2条6項)。
(2) 本件において,控訴人は,被控訴人が不正に使用した営業秘密である「顧客名簿」の詳細について,具体的に特定して主張するものではない。
しかも,控訴人による顧客名簿の管理状況は,証拠(原審における証人A)及び弁論の全趣旨によると,①控訴人は,顧客名簿についてパソコンで管理していたが,顧客名簿を閲覧することができる従業員を制限しておらず,パソコンを使用することができる従業員であれば,アルバイトを含めて,顧客名簿を閲覧することは可能であった,②控訴人は,LPガス業界において,顧客名簿が重要な営業秘密であることは当然認識されているものであるから,被控訴人に対し,顧客名簿が営業秘密であることを伝えたり,その管理方法を指示したりしたことはなかった,③控訴人は,新たにLPガスの供給を被控訴人に依頼する顧客を獲得した際は,メールやファックスで情報を被控訴人に伝えていたが,同様の理由から,被控訴人に送信する文面に秘密である旨を明示しなかったものと認められる。
同様に,被控訴人においても,証拠(乙3,原審における証人B)及び弁論の全趣旨によると,④控訴人からLPガスの配送に関する委託を受けた顧客を含め,顧客名簿をパソコンのシステムにおいて管理していたが,顧客名簿を閲覧することができる従業員を限定するなどの制限は行っていなかった,⑤控訴人から配送に関する委託を受けた顧客に関する情報については,控訴人から新たに連絡を受けた顧客を追加入力するほか,配送作業を通じて得た情報などに応じて,被控訴人により訂正を加えていたものと認められる。
上記①ないし⑤の各事実からすると,控訴人は,被控訴人に交付した顧客名簿を含む控訴人の顧客名簿について,パソコンを使用することができる従業員であればだれでも閲覧可能な状況において管理していたものである。
また,被控訴人も,同様に,顧客名簿をパソコンのシステムにおいて管理していたが,顧客名簿を閲覧することができる従業員を限定していたわけではない。
さらに,控訴人は,被控訴人に対し,顧客名簿を秘密として管理することを明示的に求めておらず,新たな顧客について情報を提供する際も,秘密である旨を明示していたものではない。
そうすると,本件契約において,「一般消費者等の秘密を他に洩らしてはならない。」旨の守秘義務条項が定められていたとしても,控訴人の顧客名簿について,控訴人及び被控訴人のいずれにおいても,営業秘密である旨が明示され,閲覧することができる者が制限されるなどの厳格な管理がされておらず,また,控訴人から被控訴人に対して,秘密として管理するように具体的に指示されたものではない以上,控訴人の顧客名簿について秘密管理性が認められないことは明らかである。
(3) したがって,控訴人の顧客名簿は,不正競争防止法における営業秘密に該当するものではないから,被控訴人が控訴人の顧客に対して行った本件営業活動に際して控訴人の顧客名簿が使用されたことがあったとしても,同法2条1項7号の営業秘密の不正使用に該当するものということはできない。
2 争点2(本件営業活動は,守秘義務及び競業避止義務に違反する債務不履行に該当するか)について
(1) 本件契約に基づく守秘義務及び競業避止義務違反について
ア 前提となる事実によると,被控訴人は,平成19年4月20日ころ,控訴人から,顧客約4000軒を1軒当たり15万円で買い取ってほしいとの申出を受け,同年12月ころには,競業企業から控訴人に対して1軒当たり20万円で買い取りたいとの申出がされたことをほのめかされたものの,採算が合わなかったことや,譲渡される顧客の中には非実需顧客が含まれている可能性があり,その把握が難しかったことなどから,控訴人との交渉を継続していた。その間,控訴人が,平成20年11月をもって,被控訴人に対する控訴人の顧客の検針,集金,夜間緊急対策業務の委託を終了したほか,被控訴人から控訴人に出向していた社員の引上げを要請するなど,控訴人と被控訴人間のLPガス供給に関する委託関係は次第に縮小していった。さらに,Aは,平成21年3月末ころ,Bに対し,控訴人の事業譲渡先を被控訴人の競業企業である橋本産業に決定したと伝え,被控訴人の取締役に対しても,「今までいろいろお世話になりました。」などと挨拶したことから,同年4月9日,控訴人と被控訴人との間で本件覚書が締結された。同覚書には,「取引が終了する事について」と明記され,同年3月31日現在の売買代金残高の精算とともに,同年4月1日以降取引終了までの間におけるLPガス仕入代金や受託配送料等について定められていた。
イ 以上の経緯からすると,控訴人は,被控訴人にLPガスの配送を委託していた顧客の営業権の譲渡について,被控訴人のみならず橋本産業とも交渉を行いつつ,被控訴人に委託する業務内容を縮小させるなどしていたものである。そして,平成21年3月末ころ,橋本産業に譲渡することを決定後,控訴人と被控訴人との間で取引関係が終了する旨を明記した本件覚書を締結し,売買代金残高の精算について定めたものであるから,同覚書は,控訴人及び被控訴人との間のLPガスに関する取引関係が同年3月末日をもって終了したことを確認したものといわなければならない。
この点について,控訴人は,本件覚書は取引を終了するまでの売買代金の算定方法を定めており,同年4月以降も本件契約ないし同契約に基づく取引関係が継続することを前提としていること,実際,被控訴人が,平成21年4月から同年8月までの間,本件契約に基づいてLPガスの配送を行い,合計1148万4642円を控訴人に請求しているほか,LPガス代金の単価を値上げするように打診していることなどからすると,被控訴人による本件営業活動は,本件契約ないし同契約に基づく取引関係が継続中に行われたものであると主張する。
しかしながら,LPガスの供給はいわゆるライフラインの1つであり,LPガスの供給業者が変更された場合,変更後の供給体制が整うまではそれまでの供給業者がLPガスを供給する必要があるとされている(乙3)。控訴人と橋本産業との平成21年6月1日付け営業譲渡契約書にも,同日をもって顧客に関する営業権を譲渡するが,同年12月末日までに法令により定められた供給開始時点検・調査を含めた全ての手続を完了させるように努力する旨が記載されており,営業権の移転に伴うLPガスの供給切換が直ちに完了するものではないことがうかがわれる。
したがって,本件覚書が控訴人と被控訴人との間の同年4月以降の取引における代金精算について定めたのは,本来,本件契約の合意解除後は,控訴人の顧客に対するLPガスの供給は新たな供給業者が担当すべきところ,供給体制が整うまでの間,ライフラインの維持の観点から被控訴人が例外的にLPガスを供給することを前提に,ガス代金の精算方法が定められたものというにすぎない。確かに,控訴人の指摘のとおり,被控訴人による請求額は少なくない額ではあるが,同年3月分が992万9494円,同年4月分が582万8664円,同年5月分が373万4547円,同年6月分が190万5412円,同年7月分が119万1253円,同年8月分が1万6020円(甲41~46)と,本件契約の合意解除後は各月の請求額が顕著に低下しており,残務処理として例外的にLPガスの供給が継続されたにすぎないことがうかがわれる。
さらに,被控訴人が,同年4月以降のLPガスの単価値上げを要請したことについては当事者間に争いがないが,これは,継続的供給契約を前提とする割引価格の適用を中止したものと解するのが相当である。
控訴人の主張は採用できない。
ウ 本件契約は,本件覚書により,平成21年3月末日をもって合意解除されたものというべきであって,平成21年4月11日から8月ころまでの間に行われた本件営業活動について,当該期間においても本件契約が存続していたことを前提とする被控訴人の守秘義務違反及び競業避止義務違反をいう原告主張は,その前提を欠き,失当というべきである。
また,同年4月以降も,被控訴人による控訴人の顧客に対するLPガスの供給が行われていたが,これは,先に指摘したとおり,控訴人による営業権の譲渡に伴い,被控訴人に替わって新たにLPガスの供給をすべき業者の供給体制が整わない間にガス利用者に不利益が生じることを回避するために,例外的に行われた取扱いにすぎない。
控訴人と被控訴人との間で,本件契約を終了する際,競業避止義務について何らの合意をしていない以上,被控訴人は,控訴人との間のLPガス配送委託関係が終了後は,本来,LPガスの供給業者として,控訴人の顧客に対して自由に営業活動を行うことができるというべきものである。
そうすると,本件契約終了後,控訴人から顧客に対する営業権の譲渡を受け,新たにLPガスを配送することとなった業者側の事情により,ライフラインの維持の観点から被控訴人が例外的にLPガスの配送を継続している期間においても,既に終了した本件契約に基づく付随義務として,被控訴人が守秘義務及び競業避止義務を負うとまで解することはできない。
したがって,本件契約が終了した後も例外的な取扱いとして取引関係が存続する以上,被控訴人が上記各義務を負うとの控訴人主張もまた,採用できない。
(2) 信義則上の競業避止義務について
控訴人は,被控訴人による営業行為は,信義則上の競業避止義務に違反するものであると主張し,その根拠として,控訴人と被控訴人とは,昭和36年ころに取引開始後,長期間にわたり極めて密接な関係を有していたこと,控訴人は,営業権を譲渡する際,被控訴人に不利益が生じないように最大限の配慮を払い,最初に被控訴人と交渉したのみならず,橋本産業に譲渡後も,従来どおり被控訴人による配送を行うことができるよう了承を取り付けていたこと,消費者の混乱を避けるためにも,少なくとも控訴人の顧客に対するLPガス配送業務が継続している間は,控訴人の顧客に対して営業活動を行うべきではないことなどを指摘する。
しかしながら,控訴人と被控訴人との間のLPガス配送委託関係が終了したのは,控訴人が営業権の譲渡を検討したことが契機となっており,しかも,控訴人は,被控訴人の競業企業である橋本産業と被控訴人の提示価格を比較した上で,橋本産業に譲渡したものである。また,控訴人と橋本産業との間で,被控訴人が配送を行う旨の合意がされていたとしても,被控訴人が直接顧客と契約するものではなく,競合企業から委託を受けて配送を行うものにすぎないのであるから,そのことをもって,控訴人が,被控訴人に競業避止義務を負わせるほど,有利な取扱いをしてきたものということもできない。
また,平成21年4月以降,被控訴人によるLPガスの配送が継続されたのは,ライフラインの維持という目的に基づく例外的な取扱いというべきであるし,適切な営業活動を行うのであれば,消費者の混乱を防止することは可能である。
したがって,控訴人と被控訴人との間の従前の関係を前提として,信義則上の競業避止義務を認めることはできない。
控訴人の主張は採用できない。
(3) 小括
以上からすると,被控訴人が,本件契約の合意解除後,控訴人の顧客に対して本件営業活動を行ったことにより,その結果として,控訴人の顧客と被控訴人とがLPガス供給契約を締結することがあったとしても,債務不履行に該当するものということはできない。
3 争点3(本件営業活動は,違法な勧誘行為により顧客を奪った不法行為に該当するか)について
(1) Bは,平成21年3月末ころ,橋本産業の平塚営業所を訪れ,橋本産業の担当者に対し,被控訴人の地元である神奈川県平塚市における配送先を大幅に減少させることはできないので,控訴人の顧客を獲得するための営業活動を行うかもしれない旨を伝え,橋本産業の担当者から,自由競争の範囲内における営業活動であるならやむを得ないし,橋本産業としても営業活動を行う旨の回答を得ていたものである(乙6,原審における証人B)。
そこで,被控訴人は,各支店の従業員を動員するなどして,平成21年4月11日から,控訴人の顧客に対し,控訴人と被控訴人との間のLPガス取引が終了したこと,被控訴人はLPガスの問屋だから,直売することでガスの供給価格が安くなることなどを申し向け,商品券2万円分やリゾート施設のパスポート券を配布するなどの営業活動を行い,控訴人の顧客を獲得したことが認められる(甲12,13,27,原審における証人A,同B)。
(2) この点について,控訴人は,被控訴人は,虚偽の事実を申し向けて短期間に控訴人の顧客672軒を獲得したものであり,控訴人の努力により,そのうち74軒(118世帯)の顧客が再度控訴人と契約するに至ったことからすると,被控訴人による営業活動が不当であったことは明らかであると主張し,原審における証人澤野セツ子の証言にはこれに沿う部分があるほか,同旨の陳述書(同証人及びその他の顧客分。甲18,19)を提出する。
しかしながら,被控訴人は,本件営業活動を開始する際,従業員に対し,平成21年4月10日付けで,注意事項を列挙し,セールストークとして,控訴人が廃業したなどという説明はしないように注意喚起する文書を交付していたこと(乙4,原審における証人B),控訴人が被控訴人の営業活動を受けた顧客から電話で聴取した事項を記載したメモ(甲27)によると,控訴人の廃業等に関する問い合わせも散見されるが,それ以上に,被控訴人からガス料金が安くなる旨の指摘を受けたことを理由にLPガスの供給先を被控訴人に変更した旨の内容が多く記載されているのであるから,本件営業活動における被控訴人の従業員の説明により,控訴人の顧客が,控訴人が廃業するとの印象を抱いたことがあったとしても,それは,控訴人が橋本産業に営業権を譲渡した顧客に対してはLPガスの供給を行わない趣旨の説明によるものと推測されるものであって,これをもって,被控訴人の営業活動が違法であったとまでいうことはできない。
また,控訴人の営業活動により,被控訴人へと契約を切り替えた顧客の一部が控訴人と再度契約したとしても,このような顧客がいかなる理由で被控訴人に契約を切り替え,さらに,いかなる理由で控訴人と再度契約するに至ったのかについて具体的に立証されていない以上,そのことをもって,被控訴人の営業活動が違法であると推認することもできない。
控訴人の主張は採用できない。
(3) したがって,被控訴人が,控訴人とのLPガス取引が基本的には終了していた平成21年4月11日以降,控訴人の顧客に対し,自由競争の範囲を逸脱したとまでは認められない態様で営業活動を行ったことをもって,不法行為に該当するということはできない。
(4) 小括
以上からすると,被控訴人が,本件契約の合意解除後,控訴人の顧客に対して本件営業活動を行ったことにより,その結果として,控訴人の顧客と被控訴人とがLPガス供給契約を締結することがあったとしても,不法行為に該当するものということはできない。
4 結論
以上の次第であるから,控訴人の請求を棄却した原判決は相当であって,本件控訴は棄却されるべきものである。
(裁判長裁判官 滝澤孝臣 裁判官 井上泰人 裁判官 荒井章光)