知財高等裁判所 平成23年(ネ)10061号 判決 2012年2月29日
控訴人
株式会社パリスメール
同訴訟代理人弁護士
権藤龍光
被控訴人
株式会社ドルチェ
同所
被控訴人
Y1
同所
被控訴人
Y2
同所
被控訴人
Y3
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実及び理由
第1控訴の趣旨
1 原判決中,被控訴人らに対する損害賠償請求を棄却した部分を取り消す。
2 被控訴人株式会社ドルチェ及び被控訴人Y1は,控訴人に対し,連帯して500万円及びこれに対する平成22年9月17日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3 被控訴人Y2は,控訴人に対し,100万円及びこれに対する平成22年9月25日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
4 被控訴人Y3は,控訴人に対し,50万円及びこれに対する平成22年9月25日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
5 訴訟費用は,第1,2審とも,被控訴人らの負担とする。
6 仮執行宣言
第2事案の概要
1 本件は,服飾品の販売等を業とする控訴人が,控訴人の従業員であった被控訴人Y2及び同Y3が控訴人を退職し,被控訴人Y1が経営する被控訴人株式会社ドルチェ(以下「被控訴人会社」という。)に就職しているところ,①被控訴人Y2及び同Y3は,不正の利益を得る目的又は保有者に損害を加える目的で,控訴人から開示を受けた営業秘密(原判決別紙1の顧客が記載された名簿(以下「本件顧客名簿」という。)及び同2の仕入先が記載された名簿(以下「本件仕入先名簿」という。))を被控訴人会社及び同Y1に開示し,かつ,上記営業秘密を使用して,原判決別紙1記載の各顧客に案内状を送付し,原判決別紙2記載の仕入先から控訴人の売れ筋商品である同別紙記載の商品(以下「本件商品」という。)を仕入れるなどした(不正競争防止法2条1項7号),②被控訴人Y2及び同Y3は,控訴人との雇用契約上,控訴人の就業規則(以下「本件就業規則」という。)所定の競業避止義務及び秘密保持義務を負っているにもかかわらず,競業会社である被控訴人会社に上記のとおり就職し,かつ,上記①のとおり控訴人の営業秘密を被控訴人会社及び同Y1に開示した,③被控訴人会社及び同Y1は,被控訴人Y2及び同Y3による本件顧客名簿及び本件仕入先名簿の開示が上記①及び②のとおり営業秘密の不正開示行為であることを知りながら上記営業秘密を同人らに開示させ,これを取得し,上記営業秘密を使用して,上記①のとおり,被控訴人Y2及び同Y3をして,各顧客に案内状を送付させ,仕入先から控訴人の売れ筋商品である本件商品を仕入れるなどさせた(同法2条1項8号)と主張して,原審において,(1)不正競争防止法4条に基づき,上記各不正競争行為に基づく損害賠償として,被控訴人会社及び同Y1に対し連帯して1500万円,被控訴人Y2に対し500万円及び同Y3に対し200万円並びにこれらに対する訴状送達日の翌日(被控訴人会社及び同Y1について平成22年9月17日,被控訴人Y2及び同Y3について同月25日)から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の各支払を求め,また,(2)控訴人の本件就業規則所定の競業避止義務及び秘密保持義務違反の債務不履行責任に基づく損害賠償請求として,被控訴人Y2及び同Y3に対し,上記(1)記載の金員の各支払を求め(同人らにつき上記(1)との選択的請求),さらに,(3)故意又は過失により,被控訴人Y2及び同Y3に,上記(2)の秘密保持義務に違反して控訴人の営業秘密を漏えいさせた不法行為責任に基づく損害賠償請求として,被控訴人Y1に対し,上記(1)記載の金員の支払を求め(同人につき上記(1)との選択的請求),(4)不正競争防止法3条に基づき,被控訴人Y1,同Y2及び同Y3に対し,営業秘密である本件顧客名簿を使用して原判決別紙1記載の顧客に対し案内状を発送する行為及び本件仕入先名簿を使用して原判決別紙2記載の仕入先業者から本件商品を仕入れる行為の各差止めを求めた事案である。
以上に対して,原判決は,本件顧客名簿に記載の情報が不正競争防止法上保護されるべき営業秘密に当たると認めることができず,また,本件仕入先名簿の存在自体が立証されているものとはいえないほか,本件就業規則について法的規範の性質を有するものとして従業員に対する拘束力を生じていると認めることができないと判断して,控訴人の請求をいずれも棄却した。
そこで,控訴人は,原判決中,損害賠償請求を棄却した部分を不服として一部控訴に及んだ上,当審において,被控訴人会社及び同Y1に対する損害賠償請求を500万円に,被控訴人Y2に対する損害賠償請求を100万円に,被控訴人Y3に対する損害賠償請求を50万円に,それぞれ減縮した。
2 前提となる事実(証拠等を掲記した事実を除き,当事者間に争いがない。)
(1) 当事者
ア 控訴人及び被控訴人会社は,服飾品の卸販売等を業とする株式会社であり,被控訴人Y1は,被控訴人会社の代表者である(弁論の全趣旨)。
イ 被控訴人Y2及び同Y3は,控訴人の元従業員であり,現在は,被控訴人会社に勤務している。
(2) 被控訴人Y2及び同Y3の退職に至る経緯等
ア 被控訴人Y2は,平成18年頃から,控訴人代表者が経営する有限会社ネクストシーンに勤務していたが,同年11月頃,同社が後の控訴人の本店所在地である東京都中央区内の問屋街に同社の支店として「パリスメール」を開店した(以下,この店舗を「控訴人店舗」という。)ことから,控訴人店舗に異動し,同店店長として稼働するようになった(甲3,原審被控訴人Y2)。
イ 被控訴人Y3も,同様に,ネクストシーンに勤務していたが,平成19年頃,控訴人店舗で稼働するようになった(原審被控訴人Y2)。
ウ 控訴人は,平成20年4月14日,控訴人店舗を本店所在地として設立され,控訴人店舗におけるネクストシーンの営業を引き継いだ(甲2)。これに伴い,被控訴人Y2及び同Y3は,控訴人での勤務を開始し,控訴人店舗で稼働することになった。
エ 被控訴人Y1は,平成21年10月頃,後の被控訴人会社の本店所在地である前記問屋街に,「メルシー」の名称で店舗を開き,服飾品の卸販売等を業として行うようになった(原審被控訴人Y2)。
オ 被控訴人Y2は,平成21年12月末日付けで控訴人を退職し,平成22年1月頃,前記「メルシー」での稼働を開始した。
カ 被控訴人Y3は,平成22年1月8日付けで控訴人を退職し,同年2月9日頃,前記「メルシー」での稼働を開始した。
キ 被控訴人会社は,平成22年3月3日,被控訴人Y1を代表者として設立され,前記「メルシー」の店舗における同人の営業を引き継いだ。これに伴い,被控訴人Y2及び同Y3は,被控訴人会社での勤務を開始し,上記店舗で稼働することになった(弁論の全趣旨)。
(3) 本件就業規則
本件就業規則(甲1)には,下記条項が定められている(「/」は,原文の改行箇所を示す。)。
ア 第9条(遵守事項)
「従業員は,次の事項を守らなければならない。」
「6.会社,取引先等の機密を漏らさず,退職後もこれを遵守すること。」
イ 第10条
「従業員は,下記(1)並びに(2)の公然と知られていない生産方法・販売方法・その他の事業活動に有用な技術上および/営業上の情報であって会社が秘密として管理する営業秘密/下記(3)ないし(6)の会社が対外的に秘密に管理している企業秘密を/在職中は勿論の事退職後も不正に取得しまたは,第三者に漏えいまたは開示してはならない。
1.製造技術,製造工程,プロセス,レイアウト,品質管理に関する情報。
2.財務,経営に関する情報。
3.顧客名簿,販売企画,商品仕入れ及び製造」企画情報
4.人事管理に関する情報。
5.他社との業務提携や訴訟に関する情報。
6.会社,関連会社に関する情報。」
ウ 第13条
「従業員は在職中および退職後2年間は,会社の業務と競業する事業を/自ら行わないものとし,また競業する事業を営む企業または会社に/就職しないものとする。」
エ 第14条
「従業員は退職時に営業秘密を記録した図面,書類,複写物,サンプル,/フロッピーディスク,CD,USB接続メモリー,パソコン等に/営業秘密が記録されてる場合は会社の担当者の前で,削除するものとする。」
オ 附則
「この規則は平成20年11月1日から実施する。」
3 本件訴訟の争点
(1) 被控訴人Y2及び同Y3は,不正の利益を得る目的又は保有者に損害を加える目的で控訴人から示された営業秘密を使用し,又は開示したか(不正競争防止法2条1項7号。争点1)。
(2) 被控訴人Y2及び同Y3は,本件就業規則所定の秘密保持義務及び競業避止義務に違反したか(争点2)。
(3) 被控訴人会社及び同Y1は,被控訴人Y2及び同Y3の前記(1)又は(2)の営業秘密不正開示行為を知りながら当該営業秘密を使用したか(不正競争防止法2条1項8号。争点3)。
(4) 被控訴人Y1は,故意又は過失により被控訴人Y2及び同Y3に前記(2)の秘密保持義務に反し営業秘密を漏えいするという不法行為をしたか(争点4)。
(5) 前記(1)及び(3)の被控訴人らの各不正競争行為又は被控訴人Y2及び同Y3につき前記(2)の秘密保持義務違反若しくは競業避止義務違反並びに被控訴人Y1につき前記(4)の不法行為に基づく損害賠償請求の可否並びにその損害額(争点5)
第3当事者の主張
1 原審における当事者の主張
原審における当事者の主張は,原判決6頁11ないし13行目を「(1) 争点1(被控訴人Y2及び同Y3は,不正の利益を得る目的又は保有者に損害を加える目的で控訴人から示された営業秘密を使用し,又は開示したか(不正競争防止法2条1項7号)について」と,原判決10頁11ないし12行目を「(2) 争点2(被控訴人Y2及び同Y3は,本件就業規則所定の秘密保持義務及び競業避止義務に違反したか)について」と,原判決11頁9ないし11行目を「(3) 争点3(被控訴人会社及び同Y1は,被控訴人Y2及び同Y3の前記(1)又は(2)の営業秘密不正開示行為を知りながら当該営業秘密を使用したか(不正競争防止法2条1項8号)について」と,原判決12頁7ないし9行目を「(4) 争点4(被控訴人Y1は,故意又は過失により被控訴人Y2及び同Y3に前記(2)の秘密保持義務に反し営業秘密を漏えいするという不法行為をしたか)について」と訂正し,原判決12頁21行目ないし13頁末行を削除し,原判決14頁1ないし3行目を「(5) 争点5(前記(1)及び(3)の被控訴人らの各不正競争行為又は被控訴人Y2及び同Y3につき前記(2)の秘密保持義務違反若しくは競業避止義務違反並びに被控訴人Y1につき前記(4)の不法行為に基づく損害賠償請求の可否並びにその損害額)について」と訂正するほか,原判決6頁11行目ないし12頁20行目及び14頁1行目ないし16頁3行目に摘示のとおりであるから,これを引用する。
2 当審における当事者の主張
〔控訴人の主張〕
(1) 原判決は,本件顧客名簿が営業秘密として保管・管理されていたとはいえない旨を説示する。
しかしながら,原判決は,控訴人の従業員数が,当時5名であり,控訴人店舗の1階及び2階の床面積が各約100㎡と狭く,1階と2階との間に吹き抜けの階段があって,控訴人代表者が声を出せば店内に届く程度の広さであることを看過したものであり,不当である。
(2) 原判決は,本件就業規則の従業員に対する開示が不十分であるため,被控訴人Y2及び同Y3が守秘義務を負う理由がない旨を説示する。
しかしながら,仮に本件就業規則に拘束力がないとしても,控訴人代表者は,従業員に対して顧客名簿等の営業秘密の管理及び持出し等を禁止することを常日頃指導しており,被控訴人Y2及び同Y3は,労働契約上,守秘義務を課せられていたとういうべきである。この点を看過した原判決は,不当である。
〔被控訴人らの主張〕
(1) 控訴人の主張は,控訴人店舗が狭いことから顧客名簿等がきちんと管理されていたとみなすべきであるというもののようであるが,趣旨不明である。
本件顧客名簿は,従業員の誰もが閲覧できるように常におかれている状態であったし,被控訴人Y2及び同Y3が外部に持ち出した事実もない。さらに,本件顧客名簿は,単なる名刺ファイルで,記載内容も,客名,住所及び電話番号だけのものであって,商品の発送伝票の宛名を書く用途に使われていた。
(2) 本件就業規則は,控訴人が慌てて作出したものであって,最初から存在しない。また,本件就業規則中の「2年間競業業務禁止」という規定は,従業員の多くが同業種に転職を繰り返す卸売りの特殊性を考えると,現実味がないものである。
第4当裁判所の判断
1 認定事実
前提となる事実,証拠及び弁論の全趣旨を総合すると,次の事実を認めることができる。
(1) 控訴人は,平成20年4月14日,東京都中央区内の問屋街に所在する控訴人店舗を本店として設立された株式会社であり,服飾品の卸販売等を業としている(甲6,弁論の全趣旨)。
控訴人は,平成20年6月21日,代表者を同じくするネクストシーンと合同で従業員に対する講習会を開催し,そこでは,主に売上げの向上に向けた研修を行った(甲10,原審被控訴人Y2)。
(2) 控訴人は,パート従業員を含めて数名の従業員を雇用して控訴人店舗で事業を営んでいるが,控訴人店舗は,唯一の出入り口が設けられた1階部分(約100㎡)を販売商品を展示するスペースとしており,出入り口から見て奥に設けられた2階に通じる階段の下にはレジを併設した事務机(レジ机)が設置され,従業員がおおむね常時業務に従事している。控訴人店舗の2階部分は,1階部分と同じ広さであり,階段付近が主に倉庫として利用されているが,階段から見て奥にパソコンが置かれた事務机があるほか,更に奥に,施錠可能なロッカー及び金庫が各1台設置されている(甲6,弁論の全趣旨)。
(3) 控訴人は,顧客(小売店)と取引を開始する際に,その商号,所在地及び電話番号等が記載された名刺を受領し,これを名刺ホルダーに綴じて保管するとともに,控訴人従業員に,控訴人店舗2階に設置された前記パソコンにこれらを入力させ,顧客名簿としてデータ登録をしていた(甲2,6,原審控訴人代表者,原審被控訴人Y2)。また,控訴人従業員のうちの1名は,控訴人の顧客の商号等が記載されたノートを控訴人店舗1階のレジ机に保管していた(原審被控訴人Y2)。
上記名刺ホルダー及びノートは,商品の納品の連絡や発送等の日常業務において使用するものであり,これらのうち,名刺ホルダーは,通常,上記レジ机付近の棚に置いてあり,控訴人従業員は,控訴人店舗内において,これらを業務のため必要に応じて持ち出して使用していた(乙4~7,原審被控訴人Y2)。
控訴人店舗2階に設置されたパソコン及びそこに入力されていた上記顧客名簿データは,いずれもパスワードが設定されておらず,被控訴人Y2らの控訴人従業員は,会計管理等の作業のため,当該パソコンを日常的に使用しており,ダイレクトメールの発送のため,当該顧客名簿データにアクセスし,宛名ラベルをプリントアウトして使用したこともあった(乙6,原審被控訴人Y2)。
また,控訴人店舗2階の前記ロッカーには,控訴人が仕入れた商品の台帳が保管されていた(甲6,原審被控訴人Y2)。
(4) 被控訴人Y2は,控訴人店舗の店長として勤務していたが,平成21年12月末日付けで控訴人を退職し,平成22年1月頃,前記問屋街にて「メルシー」の名称で服飾品の卸販売等を業として行っていた被控訴人Y1に雇用され,その店舗で稼働を開始した(原審被控訴人Y2)。また,被控訴人Y3は,同じく副店長として勤務していたが,同月8日付けで控訴人を退職し,同年2月9日頃,やはり被控訴人Y1に雇用され,「メルシー」で稼働を開始した。被控訴人会社は,同年3月3日,被控訴人Y1を代表者として設立され,同人の営業を引き継いだ。これに伴い,被控訴人Y2及び同Y3は,被控訴人会社での勤務を開始し,上記店舗で稼働することになった(原審被控訴人Y2,弁論の全趣旨)。
2 争点2(被控訴人Y2及び同Y3は,本件就業規則所定の秘密保持義務及び競業避止義務に違反したか)について
(1) 事案に鑑み,まず争点2について検討すると,使用者は,就業規則を,常時各作業場の見えやすい場所へ掲示し,又は備え付けること,書面を交付することその他の厚生労働省令で定める方法によって,労働者に周知させなければならない(労働基準法106条1項)ところ,就業規則が法的規範としての性質を有するものとして,拘束力を生ずるためには,その内容を適用を受ける事業場の労働者に周知させる手続が採られていることを要するものというべきである(最高裁平成13年(受)第1709号同15年10月10日第二小法廷判決・裁判集民事211号1頁)。
(2) これを本件についてみると,控訴人の本件就業規則(甲1)は,従業員に対して退職後も控訴人が対外的に秘密に管理している顧客名簿等の営業秘密について第三者に漏えい又は開示してはならない旨(第9条,第10条)や,従業員が退職後2年間は競業する事業を営む企業等に就職しない旨(第13条)を規定し,本件就業規則が平成20年11月1日から実施される旨(附則)を規定しているところ,控訴人は,同年6月21日に開催された講習会で,従業員教育の一環として本件就業規則について説明した旨を主張し,控訴人代表者もこれに沿う供述をする(甲9,原審控訴人代表者)。
しかしながら,本件就業規則は,附則において平成20年11月1日から実施される旨を規定しているところ,それよりも4か月以上前の,しかも他の会社(ネクストシーン)と合同で開催された上記講習会で本件就業規則についての説明がされたというのは,それ自体不自然であるばかりか,現に,上記講習会のスケジュール表(甲10)には,主に売上げの向上に向けたプログラムが記載されているのみで,本件就業規則について説明を行ったと認めるに足りる記載がない。
以上によれば,控訴人の主張に沿う控訴人代表者の上記供述は,不自然であって,その裏付けを欠き,採用することができない。
また,控訴人代理人弁護士が作成した報告書(甲6)は,控訴人店舗の現況を写真入りで説明しているが,その記載によっても,控訴人店舗において本件就業規則が掲示され又は備え置かれているとまで認めるには足りない。
よって,本件就業規則は,控訴人店舗に掲示され,備え付けられ,あるいは従業員に対して交付するなどの方法で従業者に周知されていたと認めことはできない。
(3) そうすると,本件就業規則は,法的規範としての性質を有するものとして拘束力を生じていたとまでは認められず,被控訴人Y2及び同Y3を含む控訴人従業員は,本件就業規則に基づく秘密保持義務及び競業避止義務を負うものではなかったというほかない。
したがって,本件就業規則に基づき被控訴人Y2及び同Y3が秘密保持義務及び競業避止義務を負っていたとの控訴人の主張は,いずれも理由がなく,採用できない。
3 争点1(被控訴人Y2及び同Y3は,不正の利益を得る目的又は保有者に損害を加える目的で控訴人から示された営業秘密を使用し,又は開示したか)について
(1) 不正競争防止法において「営業秘密」とは,秘密として管理されている生産方法,販売方法その他の事業活動に有用な技術上又は営業上の情報であって,公然と知られていないものをいう(同法2条6項)ところ,控訴人は,原判決別紙1の顧客が記載された名簿(本件顧客名簿)及び同2の仕入先が記載された名簿(本件仕入先名簿)が秘密として管理されていた旨を主張する。
なお,この点に関連して,控訴人は,控訴人代表者が控訴人従業員に対して名刺ホルダー等について重要な情報であることを説明し,その保管について厳しく指示していた旨を主張し,控訴人代表者の供述(甲2,原審控訴人代表者)も,これに沿うものである。
しかしながら,控訴人代表者の上記供述については,これを裏付けるに足りる的確な証拠がないばかりか,前記2(2)に認定のとおり,秘密保持義務について規定した本件就業規則についても控訴人従業員に対する周知の手続が採られたものとは認められないことに加えて,控訴人店舗2階に設置されたパソコンに登録された顧客データについては,パスワードすら設定されていなかったのであるから,名刺ホルダー等についてのみ保管を厳しく指示していたことは,それ自体合理性がない。
よって,控訴人代表者の上記供述は,不自然であって,これを採用することができず,控訴人代表者が控訴人従業員に対して名刺ホルダー等の保管について厳しく指示していたとの事実を認めることはできない。
(2) そこで,以上を踏まえて,本件顧客名簿の営業秘密の該当性について検討すると,前記1(3)に認定のとおり,控訴人店舗においては,名刺ホルダー,ノート及びパソコンに登録されたデータという3つの本件顧客名簿に相当するものがあり,このうち名刺ホルダーは,1階レジ机横の棚に,ノートは,レジ机に,データは2階に設置されたパソコンに,それぞれ保管されていたものである。
しかしながら,控訴人従業員は,控訴人店舗内において,名刺ホルダー等を業務のため必要に応じて持ち出して使用していたばかりか,控訴人店舗2階に設置されたパソコン及びそこに入力されていた上記顧客名簿データにはいずれもパスワードが設定されておらず,会計管理等の作業のため,当該パソコンを日常的に使用しており,ダイレクトメールの発送のため,当該顧客名簿データにアクセスし,宛名ラベルをプリントアウトして使用したこともあったなど,これらの3つの本件顧客名簿を容易に取り扱うことができる実態にあったばかりか,いずれもそれらに記載の情報が秘密であることを示すに足りる表示などが付せられていたと認めるに足りる証拠もない。しかも,前記2(2)に認定のとおり,秘密保持義務について規定した本件就業規則についても控訴人従業員に対する周知の手続が採られたものとは認められず,また,前記(1)に認定のとおり,控訴人代表者が控訴人従業員に対して名刺ホルダー等の保管について厳しく指示していたとの事実も認められない。
以上によれば,本件顧客名簿に相当する名刺ホルダー,ノート及びパソコンに登録されたデータは,いずれも,秘密として管理されていたとは認められず,他にこの認定を左右するに足りる証拠はない。
したがって,本件顧客名簿が不正競争防止法2条6項所定の営業秘密に該当するとの控訴人の主張は,その理由がなく,採用できない。
(3) 次に,本件仕入先名簿の営業秘密の該当性について検討すると,控訴人は,本件仕入先名簿を控訴人店舗の書類入れロッカーに鍵をかけて保管していた旨を主張し,控訴人代表者の供述(甲2,原審控訴人代表者)も,これに沿うものである。
しかしながら,控訴人代表者の上記供述は,本件仕入先名簿の存在を抽象的に説明するのみで,その形態等について何ら具体的に説明しておらず,また,控訴人店舗2階のロッカーに保管されていた仕入商品の台帳にも,仕入先の名前等が記載されていると認めるに足りる的確な証拠はなく,他に控訴人の仕入先を名簿状にまとめたものが存在することを裏付けるに足りる的確な証拠はない。
また,仮に,控訴人従業員が仕入先から受領した名刺等が本件仕入先名簿に相当するものであるとしても,それらに記載の情報が秘密であることを示すに足りる表示などを付した上で保管されていたと認めるに足りる証拠はない。しかも,前記2(2)に認定のとおり,秘密保持義務について規定した本件就業規則についても控訴人従業員に対する周知の手続が採られたものとは認められず,また,前記(1)に認定のとおり,控訴人代表者が控訴人従業員に対して名刺ホルダー等の保管について厳しく指示していたとの事実も認められない。
以上によれば,本件仕入先名簿は,その存在を直ちに認めることができず,仮にそれが名刺等の形態で存在するとしても,それが秘密として管理されていたとは認められず,他にこの認定を左右するに足りる証拠はない。
したがって,本件仕入先名簿が不正競争防止法2条6項所定の営業秘密に該当するとの控訴人の主張は,その前提を欠き,採用できない。
(4) なお,控訴人は,本件顧客名簿及び本件仕入先名簿の組合せ情報,すなわち各顧客ごとにそれぞれ売れ筋商品が異なることから,どの顧客がどの仕入先の商品を購入する実績又は可能性があるかという情報も,控訴人の営業秘密に該当する旨を主張する。
しかしながら,本件顧客名簿に相当する名刺ホルダー,ノート及びパソコンに登録されたデータは,前記1(3)に認定のとおり,顧客の商号,住所及び電話番号等を記載したものであるにすぎず,控訴人主張に係る組合せ情報が記載されていたと認めるに足りる証拠はない。
また,控訴人の上記主張が,控訴人の売掛台帳,仕入帳,仕入発注書及び仕入契約書等の記載内容が控訴人の営業秘密に該当する旨の主張であると解したとしても,控訴人がこれらの台帳等を秘密として管理していたと認めるに足りる証拠はない。
したがって,控訴人の上記主張も,採用することができない。
4 結論
以上の次第であるから,争点3ないし5について判断するまでもなく,控訴人の被控訴人らに対する損害賠償請求を棄却した原判決は相当であって,本件控訴は棄却されるべきものである。
(裁判長裁判官 滝澤孝臣 裁判官 井上泰人 裁判官 荒井章光)