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知財高等裁判所 平成23年(ネ)10074号 判決 2012年9月13日

控訴人

エルンスト・ミュールバウエル・ゲーエ

ムベーハー・ウント・コー・カーゲー

訴訟代理人弁護士

鈴木秀彦

被控訴人

株式会社ジーシー

訴訟代理人弁護士

彌重仁也

補佐人弁理士

野間忠之

主文

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴費用は控訴人の負担とする。

3  この判決に対する上告及び上告受理申立てのための付加期間を30日と定める。

事実及び理由

第1控訴の趣旨

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人は,控訴人に対し,1億円及びこれに対する平成20年11月22日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は,第1,2審とも被控訴人の負担とする。

4  仮執行宣言

第2事案の概要及び当事者の主張等

1  事案の概要

控訴人(原審原告)を「原告」と,被控訴人(原審被告)を「被告」という。原審において用いられた略語は,当審においてもそのまま用いる。

原審の経緯は,以下のとおりである。

原告は,発明の名称を「重合可能なセメント混合物」とする本件特許権(特許第2132069号)を有していたところ,被告の製造・販売する歯科治療用セメント混合物が酸基を有する重合可能な不飽和モノマー等を含むこと等により,本件特許権を侵害していたとして,不当利得に基づき,被告に対し,実施料相当額の利得金9億円のうち1億円の支払いを求めた。これに対し,被告は,被告製品は本件発明(本件特許権の特許請求の範囲の請求項1に係る発明)の技術的範囲に属さない,本件特許は新規性の欠如又は実施可能要件違反により特許無効審判で無効とされるべきものである,と主張して,これを争った。

原判決は,被告製品は,本件発明の技術的範囲に属すると認めることができないとして,原告の請求を棄却した。これに対し,原告は,原判決の取消しを求めて,本件控訴を提起した。

2  前提事実

原判決の「事実及び理由」欄の「第2 事案の概要」,「1 前提事実」(原判決2頁12行目ないし7頁7行目)記載のとおりであるから,これを引用する。

3  争点及び当事者の主張

次のとおり,争点①(被告両製品は本件発明の技術的範囲に属するか)について,当審における主張を付加するほかは,原判決の「事実及び理由」欄の「第2 事案の概要」,「2 争点及び当事者の主張」(原判決7頁8行目ないし18頁13行目)記載のとおりであるから,これを引用する。

【原告の主張】

(1) 構成要件Aについて

ア ハラルト・パーシュ博士が実施したパーシュ実験の補足実験(甲43。以下「パーシュ補足実験」という。)の概要は,以下のとおりである。すなわち,パーシュ補足実験においては,ポリアクリル酸(マレイン酸との共重合体であり,被告両製品に含まれるポリカルボン酸と同じ性質である。),HEMA(ヒドロキシエチルメタクリレート),UDMA(ウレタンジメタクリレート),GDMA(グリセロルジメタクリレート)などからなるモデル混合物及び被告製造に係る「フジリュート」(海外製品名「フジプラス」)の液体成分について,パーシュ実験とほぼ同様に,分取的GPC,限外濾過,凍結乾燥,NMRを実施したものである。また,パーシュ補足実験においては,凍結乾燥後に分析的HPLC及び分析的GPCを実施して,モノマーのピークが現れるか否かを確認した。

パーシュ補足実験の結果,①モデル混合物を分取的GPCによってポリマーとモノマーに分離した後,ポリマーに分析的HPLC及び分析的GPCを実施してもモノマーのピークは現れないこと,②モデル混合物に係る分取後のポリマーのNMRスペクトルを取ると,二重結合の存在を示すシグナルは存在しないこと,③フジリュートに係る分取後のポリマーのNMRスペクトルを取ると,6.1ppmと5.7ppm付近に二重結合の存在を示すシグナルが現れることが確認された。パーシュ補足実験では,モデル混合物を硝酸ナトリウム水溶液に45mg/mlの濃度で混合した際に濁りが生じてもエステル化は生じておらず,パーシュ実験において,フジリュートを硝酸ナトリウム水溶液に30.39mg/mlの濃度で混合した時点でエステル化が生じたとはいえない。

イ パーシュ補足実験においては,上記のとおり,モデル混合物を硝酸ナトリウム水溶液に約45mg/mlの濃度で混合した際に濁りが生じても,分取したポリマー成分には二重結合の存在を示すシグナルは存在せず,ポリマー成分とモノマー成分とは完全に分離されたことが確認されている。そうすると,パーシュ実験においても,分取的GPCによる分取は適切に行われ,ポリカルボン酸と共有結合していない不飽和モノマー等は完全に取り除かれて,NMRが実施されたといえる。仮にパーシュ実験において,分取的GPCないし限外濾過後にモノマーが残留していたとしても極微量であり,これによりNMRによって検出された二重結合の分量を説明することはできない。

したがって,パーシュ実験では,分取的GPCによる分取により,ポリカルボン酸と共有結合していない不飽和モノマー等は取り除かれたといえる。

ウ なお,パーシュ博士は,パーシュ補足実験で用いたモデル混合物(ポリカルボン酸としてポリアクリル酸・マレイン酸共重合体を用いたもの),ポリカルボン酸としてマレイン酸を含まないポリアクリル酸を用いたモデル混合物及びフジリュートの液体成分について,大量カラムを有する中圧装置を使用した分取的GPCを実施してポリマー成分を単離し,それぞれについてNMRを実施したところ,モデル混合物においては,単離されたポリマー成分に二重結合は検出されず,フジリュートの液体成分においては,単離されたポリマー成分に二重結合が検出された(甲44)。したがって,実験中にエステル化が生ずることはあり得ず,フジリュートの液体成分中のポリマーに含まれる二重結合は,実験前から含まれていたものといえる。

エ 以上のとおり,被告両製品は,液体成分中のポリカルボン酸と不飽和モノマー等とが共有結合しているものと認められ,構成要件Aを充足する。

(2) 構成要件Cについて

被告が開示した被告両製品の成分には硬化剤が含まれていないが,被告両製品はレジンセメントであり,レジンセメントが硬化剤なしに重合反応によって硬化することはなく,被告両製品に硬化剤が含まれていることは明らかである。

したがって,被告両製品は,構成要件Cを充足する。

(3) 構成要件Eについて

上記のとおり,被告両製品は,液体成分中のポリカルボン酸と不飽和モノマー等とが共有結合しているものと認められ,被告は,被告両製品の成分中において,必然的にエステル化が生じる組み合わせを選択したものであり,何ら不確実なものではない。

したがって,被告両製品は,構成要件Eを充足する。

(4) 小括

被告両製品は,構成要件B,Dも充足しており,本件特許の構成要件を全て充足する。

【被告の主張】

(1) 構成要件Aについて

パーシュ補足実験は,パーシュ実験における証明不足を補足していない。

すなわち,パーシュ補足実験においては,①モデル混合物とフジリュートの液体成分との間において,分取されたポリマーの量や回収率が大きく異なっていること,②モデル混合物から分離されたポリマーとフジリュートの液体成分から分離されたポリマーとは,NMRにおいて,1.0-3.0ppmの高分子部分のスペクトルのパターンが異なっていることなどからすれば,モデル混合物の成分としたポリカルボン酸の選択が不適切であったか,分取的GPCにおける操作が不適切であったといえ,実験の信頼性が欠けている。

したがって,パーシュ補足実験は,パーシュ実験における証明不足を補足しておらず,パーシュ実験ないしパーシュ補足実験の結果をもって,被告両製品は,液体成分中のポリカルボン酸と不飽和モノマー等とが共有結合しているとは認められない。

(2) 構成要件Eについて

本件発明の構成要件AないしCの化学物質そのものは,出願当時既に知られていたものであり,本件発明の中心は,構成要件Eの選択条件,すなわち重合可能な樹脂混合物のうち「酸基及び/又はその酸から誘導される反応性誘導体基」を含んだものを選択することにより,構成要件Aの成分が構成要件Bの成分とセメント反応を生じるとともに,構成要件Cの成分の作用により構成要件Aの成分同士がレジン反応を生じることにある。この点,被告両製品は,ポリカルボン酸と不飽和モノマー等を含んでいるが,これらが偶然に共有結合で結びつくことや,その物質による効能効果を期待するものではなく,構成要件Eを充足しない。

これに対し,原告は,被告両製品において,ポリカルボン酸と不飽和モノマー等が必然的にエステル化すると主張する。しかし,被告両製品は,製品中に水分を多く含んでおり,エステル化が生じ難い構成であり,水を含んだポリカルボン酸と不飽和モノマー等の混合物において,エステル化が生じ難いことは,パーシュ補足実験においても明らかとなっている。仮に,被告両製品において,ポリカルボン酸と不飽和モノマー等がエステル化により共有結合していたとしても,そのような偶然の副産物によって,本件発明の構成要件Eを充足するとはいえない。

(3) 小括

以上のとおり,被告両製品は,本件特許の構成要件を充足しない。

第3当裁判所の判断

原判決は,被告両製品は,本件発明の構成要件Aを充足しているとは認められず,本件発明の技術的範囲に属するものとはいえないとして,原告の請求を棄却し,これに対し,原告がこの判断を不服として控訴したものであるが,本件においては,原審段階から,構成要件Aの充足性のみならず,構成要件Eの充足性が争点となっていた。

当裁判所は,被告両製品は,本件発明の構成要件Eを充足せず,本件発明の技術的範囲に属さないから,本件控訴は理由がなく,これを棄却すべきものと判断する。その理由は,以下のとおりである。

1  構成要件Eの解釈

本件発明の構成要件Eは,「該成分(a)及び(b)は,該成分(a)における酸基または酸誘導体基が該成分(b)の微粉状の反応性充填剤とイオン的に反応し,セメント反応を受け得るように選ばれることを特徴とする重合可能なセメント混合物」というものである。この点,本件発明に係る明細書の「本発明は,一方では歯及び骨基質に対する良好な接着力及び組織適合性のような,ポリカルボン酸とサリチレートとを主成分とするセメントの本質的に有利な特徴を有し,他方では低い溶解性と大きな機械的強度のような,複合材料の有利な特徴を有し,複合材料と共重合することができ,はっきりした分野現象(判決注・「分解現象」の誤記と解される。)を示さない新規な歯科用混合物を開発すると云う課題に基づいている。」(甲2・4頁7段33行~39行)との記載に照らすと,構成要件Eにおいて,「成分(a)」は,その不飽和部分により互いに重合可能であるとともに,その酸基又は酸誘導体基が成分(b)とセメント反応をなすように選択されたものであることを要すると解される。

以下,被告両製品が,上記構成要件Eを充足するか否かについて検討する。

2  事実認定

(1)  実験対象製品

パーシュ実験,ラショウスキー実験及びパーシュ補足実験において,実験対象とされたのは,いずれも被告製造に係るフジリュートであり,4~25℃での暗所保存が推奨されている。フジリュートの液体成分は,無色透明で,pH値が約1.3の強酸性の粘ちゅう液であり,被告が開示している安全データシートによれば,ポリカルボン酸が20~30%,不飽和モノマー等であるHEMA(ヒドロキシエチルメタクリレート)が25~35%,UDMA(ウレタンジメタクリレート)が10%未満含まれているほか,水が20~30%含まれている(甲30,34,35,43)。

(2)  パーシュ補足実験(甲43)の概要

ア 目的等

パーシュ補足実験の目的は,モデル混合物としてフジリュートの液体成分と同等な配合物を用いることにより,パーシュ実験において,ポリマーの分離が適切に行われていたことを確認するとともに,ポリアクリル酸のエステル化がフジリュート試料の分離段階における希釈中に生じたとの可能性を否定することである。

イ モデル混合物の分離及び分析

a モデル混合物

パーシュ補足実験におけるモデル混合物の組成は,ポリアクリル酸(フジリュートに含まれるポリマータイプと合致するようにしたマレイン酸を有する共重合体),UDMA(ウレタンジメタクリレート),HEMA(ヒドロキシエチルメタクリレート),GDMA(グリセロルジメタクリレート),酒石酸及び蒸留水である(なお,甲44によれば,上記ポリアクリル酸の分子量は,フジリュートで使用されているポリマーの分子量よりもかなり少ない3000である。)。

b 分取的GPC

モデル混合物0.4998gを濃度0.1mol/lの硝酸ナトリウム水溶液11.9380gにより希釈し(濃度約45mg/ml),その混濁溶液を孔径1.0μmのPTFE膜フィルタで濾過し,得られた清澄な溶液をGPC装置に注入し,16~21分の溶出時間でポリマー成分を採取した。

c 限外濾過

ポリマー成分として採取した溶液を限外濾過し,25mlのポリマー溶液を分離した。限外濾過されたポリマー溶液のうちHPLC分析及びGPC分析のため,それぞれ1mlを採取し,残りの溶液(23ml)を凍結乾燥に供した。

d 凍結乾燥

採取した溶液を,茶色ガラス製容器に充填し,-40℃で4時間にわたり凍結した後,圧力0.94mbar及び最高温度5℃において,48時にわたり凍結乾燥を実施した。さらに,試料を0.001mbar及び25℃において,4時間にわたり乾燥させ,0.2mgのポリマー成分が得られた。

e 分析的HPLC及びGPC

凍結乾燥後のポリマー成分をD2O(重水素置換水)に溶解したNMR試料を用いて,分析的HPLCを実施した(NMR試料は,HPLC水(1:1)により希釈した。)。採用されたHPLC法は,その定量限界に特徴を有するものであり,それは,HEMA,GDMA及びUDMA,それぞれについて0.1ppmである。これにより,HEMAとUDMAがポリマー成分中に存在しないことが確認された。また,GDMA含有量(0.034mg/l)は,今回の分析法の定量限界よりも低く(<0.1ppm),検出限界とほとんど同じである。

さらに,凍結乾燥後のポリマー成分について,HPLC分析に用いられたのと同じ試料を用いて分析的GPCを実施した。分析的GPCによれば,RI及びUV曲線は,17.5ml溶離量で最大値を有するピークを示しており,モデル混合物のポリマー成分は,この領域において溶離した。RI及びUV検出のいずれにおいても,低分子量の不純物を呈示するピークは存在していない。

f NMR実験

モデル混合物から単離されたポリマーに対して,NMRを実施した結果は,別紙1のとおりである。NMRスペクトルにおいて際だっているのは,ポリアクリル酸(高分子化合物)バックボーンを表すアルキル/アルキレン区域(1.0-3.0ppm)における広範なシグナル群である。4.7ppmでの強力なシグナルは,D2O中の不純物としての水によるものである。このスペクトルは,6.1及び5.7ppmにおける陽子シグナルを呈示していない。

ウ フジリュートの液体成分の分離及び分析

フジリュートの液体成分について,モノマー及びポリマーの明確なベースライン分離を確認するため,再度,分離及び分析を実施した。

a 分取的GPC

フジリュートの液体成分0.9946gを濃度0.1mol/lの硝酸ナトリウム水溶液11.8483gにより希釈し(濃度約100mg/ml),その混濁溶液を孔径1.0μmのPTFE膜フィルタで濾過し,得られた清澄な溶液をGPC装置に注入し,16~20分と20分~24分の各溶出時間で2つの画分のポリマー成分を採取した。

b 限外濾過

上記モデル混合物と同様に限外濾過をし,各画分とも約25mlのポリマー溶液を分離した。各画分とも限外濾過されたポリマー溶液のうちHPLC分析及びGPC分析のため,それぞれ1mlを採取し,残りの溶液(23ml)を凍結乾燥に供した。

c 凍結乾燥

上記モデル混合物と同様に凍結乾燥を実施し,第1画分からは12.4mgの,第2画分からは23.5mgのポリマー成分が得られた。

d 分析的HPLC及びGPC

分取的GPC直後の溶液及び限外濾過後の溶液からそれぞれ取り出した試料,並びに,凍結乾燥後の単離されたポリマーを濃度0.1mol/lの硝酸ナトリウム水溶液で希釈した試料(濃度0.5mg/ml)について,分析的HPLCを実施した。また,限外濾過後の溶液から取り出した試料及び凍結乾燥後の単離されたポリマーを濃度0.1mol/lの硝酸ナトリウム水溶液で希釈した試料(濃度0.5mg/ml)について,分析的GPCを実施した。

分取的GPC直後の溶液から取り出した試料は,分析的HPLCクロマトグラムにおいて,溶離時間2.25分,3.48分及び6.39分においてシグナルを示しておらず,検出限度に達するほどのHEMA,GDMA又はUDMAを含んでいない。

また,限外濾過後の溶液から取り出した試料は,分析的GPCクロマトグラムにおいて,低分子量メタクリレートを示す低分子量画分を示していない。他方,限外濾過後の溶液から取り出した試料は,分析的HPLCクロマトグラムにおいて,HEMAないしGDMAに由来すると思われる小さなピークがみられるが,HEMAは定量限界の約2倍程度,GDMAは検出限界に近い程度である。

さらに,凍結乾燥後の単離されたポリマーを濃度0.1mol/lの硝酸ナトリウム水溶液で希釈した試料(濃度0.5mg/ml)は,分析的GPCによれば,RI及びUV曲線は,16.5ml溶離量で最大値を有するピークを示しているが,低分子量の不純物を提示するピークは存在しない。また,凍結乾燥後の単離されたポリマーを濃度0.1mol/lの硝酸ナトリウム水溶液で希釈した試料(濃度0.5mg/ml)は,分析的HPLCにおいて,GDMAに由来すると思われる小さなピークが見られるが,その量は0.101mg/lないし0.069mg/lにすぎない。

e NMR実験

NMRの結果は,別紙2,3のとおりである。これらのスペクトルはポリアクリル酸(高分子化合物)のバックボーンを表しているアルキル/アルキレン区域(1.0-3.0ppm)におけるシグナル群を呈示している。また,これらのスペクトルは,6.1及び5.7ppmにおいて極めて集中的な陽子シグナルを示している。

3  検討

(1)  上記パーシュ補足実験によれば,①フジリュートの液体成分と同等の配合物である,ポリカルボン酸,HEMA,UDMA,GDMA,酒石酸及び水からなるモデル混合物を用いて,分取的GPC,限外濾過及び凍結乾燥実施後にNMRを行った結果,分取的GPCによる分離後のポリマーに二重結合は認められず,不飽和モノマー等の混入もほとんど認められなかったこと,②フジリュートの液体成分について,再度,分取的GPC,限外濾過及び凍結乾燥実施後にNMRを行った結果,スペクトルは,6.1及び5.7ppmにおいて極めて集中的な陽子シグナルを示しており,これらのシグナルは,重合性二重結合に位置する水素原子,とりわけメタクリレート基の水素原子により惹起されるものであり,そのメタクリレートの分量は,残留した不飽和モノマー等によって説明できるものではないことが認められる。そうすると,パーシュ補足実験に供されたフジリュートの液体成分には,ポリカルボン酸と不飽和モノマーがエステル化してなる共有結合を有する化合物が存在するものと認められる。

これに対し,被告は,パーシュ補足実験について,①モデル混合物とフジリュートの液体成分との間では,分取されたポリマーの量や回収率が異なっていること,②モデル混合物から分離されたポリマーとフジリュートの液体成分から分離されたポリマーとは,NMRにおいて,高分子部分のスペクトルのパターンが異なっていることなどからすれば,モデル混合物の成分としたポリカルボン酸の選択が不適切であったか,分取的GPCにおける操作が不適切であったと主張する。

しかし,被告の上記主張は,採用することができない。すなわち,ポリマーの回収量や回収率は,エステル化のし易さとは無関係といえる上,NMRにおける高分子部分のスペクトルは,ポリカルボン酸の構造を反映するものであり,モデル混合物及びフジリュートの液体成分の高分子部分のスペクトルの相違は,それぞれに含まれるポリカルボン酸の構造の差異,すなわちマレイン酸比率の差異に起因するものと考えられる。むしろ,上記のとおり,モデル混合物のポリカルボン酸は,フジリュートの液体成分のポリカルボン酸よりも分子量が小さく,分取的GPCにおいて分離し難いことや,フジリュートのポリカルボン酸よりもマレイン酸比率が高く,エステル化し易いことに照らすと,モデル混合物のポリマーにNMRの結果,二重結合を示すシグナルが現れなかったことは,パーシュ補足実験について,分取的GPCによる分離が適切に行われたことや実験過程においてエステル化が生じたものではないことを裏付けるものといえる。

したがって,モデル混合物とフジリュートの液体成分との間において,分取されたポリマーの量や回収率が異なっていることやNMRにおける高分子部分のスペクトルのパターンが異なっていることなどをもって,モデル混合物の成分としたポリカルボン酸の選択が不適切であったとか,分取的GPCにおける操作が不適切であったとはいえない(その意味では,原審が構成要件Aの充足性に関して,パーシュ実験の正確性に対して呈した疑問については,解消されたともいえる。)。

(2)  上記のとおり,パーシュ補足実験においては,フジリュートの液体成分から分取されたポリマーについて,二重結合が検出されたにもかかわらず,フジリュートの液体成分と同等の組成によるモデル混合物から分取されたポリマーについては,二重結合が検出されなかった。

この点,パーシュ補足実験に供されたフジリュートの液体成分は,原料成分が混合された後,製品化,流通及び販売等により,長時間が経過しているのに対し,モデル混合物は,原料成分が混合された後,短時間で実験に供されたものと認められ,両者には,原料成分を混合した後の経過時間に相当な差異がある。また,パーシュ補足実験に供されたフジリュートの液体成分やモデル混合物に含まれるHEMAやGDMAは,水酸基を有しており,経時的にポリカルボン酸とエステル化反応を起こすものと推認される。そうすると,パーシュ補足実験に供されたフジリュートの液体成分は,原料成分が混合された後,長時間が経過したため,検出可能な量のエステル化合物が生成し,二重結合が検出されたものと認められるところ,フジリュートの液体成分において,必然的にエステル化が生じるのか否か,製造後どの程度の時間が経過すればエステル化が生じるのかなどは,パーシュ補足実験においても定かではない(なお,この点については,パーシュ実験及びラショウスキー実験によっても明らかとはならない。)。

(3) ところで,歯科用アイオノマー系樹脂についての総説である「Glass Ionomers: THE NEXT GENERATION」(1994年。乙30)によれば,新しいアイオノマー系樹脂液体成分へのアプローチとしては,4つのタイプが挙げられるところ,被告両製品は,「B.ポリアルケン酸に重合可能なモノマー/プレポリマーを添加したもの」に,本件発明は,「C.重合可能なポリアルケン酸」及び「D.酸モノマー」に分類されると解される。そして,上記Bタイプは,乙30において,「これらの材料は,反応性ガラスおよびポリ酸が合わされた時に生じるアイオノマー反応に加えて,フリーラジカル反応によっても硬化する筈である。この現象は,しばしば『デュアルキュア』と呼ばれる。」(乙30訳文1頁21~23行)と記載されているとおり,反応性ガラス及びポリ酸のアイオノマー反応と,重合可能なモノマー/プレポリマー同士のラジカル重合反応という2つの反応により硬化するものであって,ポリアルケン酸(ポリカルボン酸)とモノマーが反応してエステル化反応生成物が生じることは意図されていない。

また,本件事典(「Ullmann’s Encyclopedia of Industrial Chemistry」と題する化学事典。2006年。甲20)において,被告両製品は,「4.1.6 レジン強化グラスアイオノマー」の項に,「グラスアイオノマーの長所をコンポジットの長所と結び付けようとする試みから,モノマーと重合開始剤がグラスアイオノマーに添加された。・・・メタクリレート化されたポリカルボン酸も用いられる。・・・水性のグラスアイオノマーとレジンとの親和性を得るため,全ての素材は,ヒドロキシエチルメタクリラト(HEMA)及びその他の親水性のモノマーを含んでいる。」と記載されているにすぎず,ポリカルボン酸と結合した不飽和モノマー等が必須の成分であるとはされていないのに対し,「4.1.7 多塩基酸コンポジット」の項において,本件特許権の欧州対応特許が引用され,「かかる素材は,充填剤としてのイオン遊離性ガラス,重合可能な酸,ポリカルボン酸,及び親水性モノマーを含むコンポジット・レジンであり,酸と親和性があり,グラスアイオノマー反応を起こさせるための水を吸収する。」と記載され,重合可能な酸が必須の成分とされており,被告両製品は,本件発明とは別のタイプに分類されている。

(4)  以上のとおり,被告両製品と本件発明は,歯科用アイオノマー系樹脂液体成分へのアプローチとしては別のタイプに分類される技術に基づいており,被告両製品は,エステル化反応を必要とせずに硬化するものであり,その液体成分中で経時的にエステル化が生じることがあるとしても,それは本来意図された反応ではなく,二重結合を有するポリカルボン酸は偶発的に生じた不純物にすぎないものといえる。そうすると,被告両製品は,偶発的にエステル化し,二重結合を有するポリカルボン酸が生ずる可能性があるとしても,その不飽和部分が互いに重合可能であるとともに,その酸基又は酸誘導基が成分(b)とセメント反応をなすように選択された成分(a)を含むものとはいえず,本件発明の構成要件Eを充足しない。

第4結論

以上のとおり,原告の請求を棄却した原判決は,その余の点を判断するまでもなく,結論において相当であって,本件控訴は理由がないから,これを棄却することとし,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 芝田俊文 裁判官 西理香 裁判官 知野明)

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