知財高等裁判所 平成23年(行ケ)10002号 判決 2011年9月28日
原告
株式会社MIC
訴訟代理人弁理士
青谷一雄
被告
特許庁長官
指定代理人
鈴木由紀夫
同
佐野健治
同
黒瀬雅一
同
小林和男
主文
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第1請求
特許庁が不服2009-21335号事件について平成22年11月8日にした審決を取り消す。
第2争いのない事実
1 特許庁における手続の経緯
株式会社ダッチェスは,平成15年6月30日,発明の名称を「補正機能を備えた装身具」とする発明について,特許出願(特願2003-188416。以下「本願」という。)をし,平成18年12月12日付けで原告(株式会社タカツ・トレーディングから株式会社MICに商号変更)を承継人として,出願人名義の変更届をした。原告は,平成20年11月13日付けで拒絶理由通知を受け,平成21年1月19日付けで手続補正書を提出したが,同年7月24日付けで拒絶査定がされた。原告は,同年11月4日,拒絶査定に対する不服審判請求(不服2009-21335号事件)をするとともに,同日付けで手続補正書を提出した(以下「本件補正」という。)。
特許庁は,平成22年11月8日,本件補正を却下すべきものとした上で,「本件審判の請求は,成り立たない。」との審決をし,その謄本は,同月30日,原告に送達された。
2 特許請求の範囲
(1) 本件補正前の本願の明細書(甲2,3。本願の願書に最初に添付した明細書又は図面を含め「当初明細書」という場合がある。)の特許請求の範囲の請求項1及び請求項2の記載は,次のとおりである(以下,請求項1記載の発明を「補正前発明」という。別紙図面1は,補正前発明の実施の形態1に係る補正機能を備えた装身具としてのガードルの要部の動きを示す説明図である。)。
「【請求項1】
人体の腰部に装着して,着用者の体形を補正する補正機能を備えた装身具において,
人体の曲面に沿った形状に対応する伸縮性を有する材質からなる内面素材と,前記内面素材の表面側に配置され,人体の目的とする体形と着用者の人体との隙間を覆う造形用のパッド体とを有し,
前記パッド体は,伸縮性を有する材質からなる内面素材に接着されているとともに,
前記パッド体は,起立姿勢時に,その下端部がヒップ部のトップ部よりも上方に位置し,
かつ,前屈姿勢時に,前記パッド体が占める領域は殆ど伸張せず,当該パッド体の下端部に位置する内面素材の部分が大きく伸張するように構成したことを特徴とする補正機能を備えた装身具。
【請求項2】
人体の腰部に装着して,着用者の体形を補正する補正機能を備えた装身具において,
人体の曲面に沿った形状に対応する伸縮性を有する材質からなる内面素材と,前記内面素材の表面側に配置され,人体の目的とする体形と着用者の人体との隙間を覆う造形用のパッド体と,前記造形用のパッド体を押圧することなく,当該造形用パッド体の表面を覆う外面素材とを有し,
前記パッド体は,伸縮性を有する材質からなる内面素材に接着されているとともに,
前記パッド体は,起立姿勢時に,その下端部がヒップ部のトップ部よりも上方に位置し,
かつ,前屈姿勢時に,前記パッド体が占める領域は殆ど伸張せず,当該パッド体の下端部に位置する領域が内面素材の部分が大きく伸張し,
前記外面素材は,前記パッド体の外面形状に対応して形成され,前屈姿勢時であっても,前記像形用パッド体を押圧することがないことを特徴とする補正機能を備えた装身具。」
(2) 本件補正(甲4)後の本願の明細書(以下,特許請求の範囲,明細書又は図面を総称して「本願明細書」ということがある。)の特許請求の範囲の請求項1の記載は,次のとおりである(以下,この発明を「補正後発明」という。)。
「【請求項1】
人体の腰部に装着して,着用者の体形を補正する補正機能を備えた装身具において,
人体の曲面に沿った形状に対応する伸縮性を有する材質からなる内面素材と,前記内面素材の表面側に配置され,人体の目的とする体形と着用者の人体との隙間を覆う造形用のパッド体と,前記造形用のパッド体を押圧することなく,当該造形用パッド体の表面を覆う外面素材とを有し,
前記パッド体は,伸縮性を有する材質からなる内面素材に接着されているとともに,
前記パッド体は,起立姿勢時に,その下端部がヒップ部のトップ部よりも上方に位置し,
かつ,前屈姿勢時に,前記パッド体が占める領域は殆ど伸張せず,当該パッド体の下端部に位置する領域が内面素材の部分が大きく伸張し,
前記外面素材は,前記パッド体の表面に接着されることなく,かつ熱セット性に優れた素材によって前記パッド体の外面形状に対応して形成され,前屈姿勢時であっても,前記造形用パッド体を押圧することがないことを特徴とする補正機能を備えた装身具。」(判決注 補正部分に下線を付した。)
3 審決の理由
(1) 別紙審決書写しのとおりである。
審決は,以下の2点を挙げて,本件補正を却下すべき理由とした。
すなわち,①本件補正は,当初明細書の全ての記載を総合することにより導かれる技術的事項との関係において,新たな技術的事項を導入するもので,当初明細書に記載した事項の範囲内においてしたものとはいえないから,本件補正は,平成14年法律第24号改正附則3条1項によりなお従前の例によるとされる同法による改正前の特許法17条の2第3項の規定に違反し,同法159条1項において読み替えて準用する同法53条1項の規定により却下すべきものである,②補正後発明は,本願優先日前に頒布された刊行物である特開平9-273006号公報(甲1。以下「引用例」という。)に記載された発明(以下「引用発明」という。別紙図面2は,引用発明に係るヒップパットの一実施の形態をそれぞれ示す装着状態の説明図である。)に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであるから,特許法29条2項の規定により特許を受けることができず,特許出願の際独立して特許を受けることができないから,平成18年法律第55号改正附則3条1項によりなお従前の例によるとされる同法による改正前の特許法17条の2第5項において準用する同法126条5項の規定に違反するので,同法159条1項において読み替えて準用する同法53条1項の規定により却下すべきである。
そして,審決は,補正前発明は,引用発明に基づいて,本願出願前に当業者が容易に発明をすることができたものであるから,特許法29条2項の規定により特許を受けることができないと判断した。
(2) 上記判断に際し,審決が認定した引用発明の内容,補正前発明と引用発明の一致点及び相違点,並びに,補正後発明と引用発明の一致点及び相違点は,以下のとおりである。
ア 引用発明の内容
人体の腰部に装着して,着用者の体形を補正する補正機能を備えたガードルにおいて,伸縮性を有する性質からなると共に,ガードル31の背面部31bに対応した裏地2bと,前記裏地2bの表面側に配置され,人体の目的とする体形と着用者の人体との隙間を覆う造形用のパット本体1と,当該パット本体1の表面を覆うと共に,パット本体1に準ずる大きさとした表地2aとを有する,補正機能を備えたガードル。
イ 補正前発明と引用発明の一致点及び相違点
(ア) 一致点
「人体の腰部に装着して,着用者の体形を補正する補正機能を備えた装身具において,伸縮性を有する材質からなる内面素材と,前記内面素材の表面側に配置され,人体の目的とする体形と着用者の人体との隙間を覆う造形用のパッド体とを有する,補正機能を備えた装身具。」である点。
(イ) 相違点
a 相違点A
補正前発明において,伸縮性を有する材質からなる内面素材は,人体の曲面に沿った形状に対応する点。
b 相違点B
補正前発明において,パッド体は,内面素材に接着されているとともに,前記パッド体は,起立姿勢時に,その下端部がヒップ部のトップ部よりも上方に位置し,かつ,前屈姿勢時に,前記パッド体が占める領域は殆ど伸張せず,当該パッド体の下端部に位置する内面素材の部分が大きく伸張するよう構成した点。
ウ 補正後発明と引用発明の一致点及び相違点
(ア) 一致点
「人体の腰部に装着して,着用者の体形を補正する補正機能を備えた装身具において,伸縮性を有する材質からなる内面素材と,前記内面素材の表面側に配置され,人体の目的とする体形と着用者の人体との隙間を覆う造形用のパッド体と,当該造形用パッド体の表面を覆う外面素材とを有する,補正機能を備えた装身具。」である点。
(イ) 相違点
a 相違点a
補正後発明において,伸縮性を有する材質からなる内面素材は,人体の曲面に沿った形状に対応する点。
b 相違点b
補正後発明において,外面素材は,造形用のパッド体を押圧することなく,当該造形用パッド体の表面を覆い,前記パッド体は,内面素材に接着されているとともに,前記パッド体は,起立姿勢時に,その下端部がヒップ部のトップ部よりも上方に位置し,かつ,前屈姿勢時に,前記パッド体が占める領域は殆ど伸張せず,当該パッド体の下端部に位置する領域が内面素材の部分が大きく伸張し,前記外面素材は,前記パッド体の表面に接着されることなく,かつ熱セット性に優れた素材によって前記パッド体の外面形状に対応して形成され,前屈姿勢時であっても,前記造形用パッド体を押圧することがない点。
第3当事者の主張
1 審決の取消事由に係る原告の主張
審決は,以下のとおり,(1)引用発明の認定を誤り,補正前発明を容易想到であると判断した誤り(取消事由1),(2)補正前発明と引用発明の課題の相違を看過し,補正前発明を容易想到であると判断した誤り(取消事由2),(3)引用発明の認定を誤り,補正後発明が独立特許要件を欠くと判断して,本件補正を却下した誤り(取消事由3),(4)本件補正が新規事項を追加するものと判断して,本件補正を却下した誤り(取消事由4)があり,結論に影響を及ぼすから,審決は取り消されるべきである。
(1) 引用発明の認定を誤り,補正前発明を容易想到であると判断した誤り(取消事由1)
ア 審決は,引用発明について,「パット本体1は全体的に,ガードルの上方に配置されており,起立姿勢時における人体のウエスト側に配置されることが示唆されている」と認定した上,引用発明と補正前発明の相違点Bについて,「更に,パット本体1を,起立姿勢時に,その下端部がヒップ部のトップ部よりも上方に位置させることは,・・・容易に設計できる」として,補正前発明は容易想到であると判断した(審決8頁27ないし29行,10頁18ないし20行)。
しかし,審決の認定・判断は誤りである。
引用例の【図19】(a)は,段落【0034】記載のように,ヒップパットPを直接縫い止めした衣服31(ガードル等)の状態を模式的に示したものであるが,パット本体1は,衣服31の上方ではなく,衣服31の上端部と下端部を除いた上下方向の広い領域にわたって配置されている。すなわち,【図19】(a)の下端部は,切断した部分の断面を空間として描いておらず,曲線状の線でその両端部を結ぶように描いているから,「ヒップ部のトップ部」を示すものではなく,衣服31全体の下端部(裾部)を示し,「ヒップ部のトップ部」はそれより上方に位置すると解される。そうすると,引用例には,「パッド体は,起立姿勢時に,その下端部がヒップ部のトップ部よりも上方に位置し,」との事項は記載されていないというべきである。
この点について,被告は,「人体の腰部に装着するもので,パット本体により,着用者の体形を補正する補正機能を備えた衣料において,パット本体を,起立姿勢時に,その下端部がヒップ部のトップ部よりも上方に位置させることは,この出願前において,よく知られていた技術常識ということができる(乙1ないし乙3)」旨主張する。しかし,周知技術とは,相当多数の公知文献が存在し,又は業界に知れわたり,あるいは,例示する必要がない程よく知られている技術をいうのであり,乙1ないし乙3のように複数の文献に記載されているのみで,周知技術と認められるべきではないから,被告の主張は失当である。また,乙1ないし乙3に開示された技術は,ガードルとの併用が排除される(乙1,乙2),パットの形が洋服を着たときに見えないか,又,着用した時に位置が不安定である(乙3),ガードルの後ろのウエスト部分にヒップパットを付けた場合,人体の皮脂にヒップパットが追従せず,着座時等に人体の皮脂とヒップパットが一体化せず,ヒップパットの材質や厚みによっては,人体を大きく圧迫することになる(乙3),人体の中でも最も伸張率の高い臀部から大腿部につながる臀部下部領域とパット本体が一体化されていないため,前屈時や着座時等においてウエスト方向にずり上がり人体のヒップ部と遊離してしまう(乙1ないし乙3)との技術課題が解決できないから,上記技術を引用例に適用するには,阻害要因があるというべきである。
したがって,審決には,引用発明について「パット本体1は全体的に,ガードルの上方に配置されており,起立姿勢時における人体のウエスト側に配置されることが示唆されている」と誤って認定し,誤った引用発明の認定に基づいて補正前発明の容易想到性を判断した誤りがある。
イ 審決は,引用発明について,「引用発明を着衣し,前屈姿勢をとった場合,パット本体1が占める領域の裏地2bが殆ど伸張しないことは,引用発明において,・・・パット本体1を裏地2bに接着させることが容易になし得るものであって,パット本体1を裏地2bに接着させることから,付随的に生じる作用効果と言うこともできるし,少なくとも,容易に設計できるものといえる。」,「パット本体1の下端部に位置する領域の裏地2bが大きく伸張することは,引用発明の裏地2bが伸縮性を有する材質からなっており,・・・実質的には,裏地2bが全体としてガードルを構成するものであることから普通のことであるし,少なくとも,容易に設計できるものといえる。」との認定,判断をした上,引用発明と補正前発明の相違点Bについて,「引用発明を着衣し,その前屈姿勢をとった場合,パット本体1が占める領域は殆ど伸張せず,パット本体1の下端部に位置する領域の裏地2bが大きく伸張することは,・・・少なくとも,容易に設計できるものといえる。」と判断した(審決8頁32行ないし9頁3行,10頁20ないし24行)。
しかし,審決の上記認定・判断は誤りである。
(ア) 引用例の【図19】に示されるガードルを着衣して前屈姿勢をとった場合において,パット本体1が占める領域の伸張の有無は,パット本体1が裏地2bに接着されているか否かによるものではなく,パット本体1の位置に対応した人体部分の伸張の度合いによる。すなわち,着用者の背中の部分に続く腰部は原則として体の動きに伴う皮脂の移動は少ないが,ヒップ部のトップよりも下側の部分は体の中でも最も伸縮率の高い部分であり,着用者が前傾姿勢をとった場合など,ヒップパッドやガードルのヒップ本体には,大きく移動させる力が作用する。そのため,引用発明において,パット本体1を裏地2bに接着した場合であっても,起立姿勢時に,パット本体の下端部をヒップ部のトップ部よりも下方に位置させた場合には,着用者が前傾姿勢をとると,体の中で最も伸張率が高いヒップ部のトップよりも下側の部分とともに,パット本体1が占める領域の裏地2bがパット本体1とともに伸張して,パット本体1が大きく移動したり圧縮したりして補正機能が低下し,パットの装着位置を補正する必要が生じ,パット本体が早期に破損するという技術的課題が存在する。
また,ヒップ部のトップよりも下側の部分は体の中でも最も伸縮率が高い部分であるとの技術認識がなければ,パット本体の下端部をヒップ部のトップ部との位置関係でどこに位置させても良いこととなるが,引用例は,上記アのとおり,「パット本体1を,起立姿勢時に,その下端部がヒップ部のトップ部より上方に位置させること」を記載するものではなく,起立姿勢時にパット本体の下端部をヒップ部のトップ部よりも下方に位置させると,前屈姿勢をとった場合,パット本体1が占める領域の裏地2bがパット本体1とともに伸張してしまうことを防止することができない。
以上のとおりであり,審決が「引用発明を着衣し,前屈姿勢をとった場合,パット本体1が占める領域の裏地2bが殆ど伸張しないことは,・・・パット本体1を裏地2bに接着させることから,付随的に生じる作用効果と言うこともできるし,少なくとも,容易に設計できる」とした判断には,誤りがある。
(イ) 引用例の【図19】に示されるガードルは,ヒップパットPを衣服31としてのガードルに直接縫い止めた例を示すものであり,引用発明の裏地2bが衣服31としてのガードルそのものを構成しているものではなく,裏地2b以外にもヒップパットPの表面を覆う表地2aの外側に衣服31そのものを構成する素材が設けられている。そうすると,引用発明の裏地2bが伸縮性を有する材質からなるとしても,衣服31を構成する素材によっては,「ヒップパットPの表地2a及び裏地2bを衣服31の内側に接着又は縫着」しているから(引用例の段落【0034】),パット本体1の下端部に位置する領域が必ずしも大きく伸張するとは限らない。また,引用例には,ヒップパットPが縫い止められる衣服31としてのガードルにおいて,パット本体1の下端部に位置する領域が大きく伸張するとの技術に関する記載はない。
以上のとおりであり,審決が「パット本体1の下端部に位置する領域の裏地2bが大きく伸張することは,引用発明の裏地2bが伸縮性を有する材質からなっており,・・・実質的には,裏地2bが全体としてガードルを構成するものであることから普通のことであるし,少なくとも,容易に設計できる」とした判断には,誤りがある。
(ウ) 以上のとおり,審決は,引用発明の認定を誤り,引用発明と補正前発明の相違点Bについての容易想到性の判断を誤ったものである。
(2) 補正前発明と引用発明の課題の相違を看過し,補正前発明を容易想到であると判断した誤り(取消事由2)
審決は,補正前発明と引用発明の相違点として相違点A及びBを認定し,相違点に係る補正前発明の構成は,引用発明に基づいて容易に想到し得る旨判断した。
しかし,審決の判断は誤りである。
特許法29条2項の規定を適用するに当たっては,引用発明を出発点として,補正前発明の構成を全く知らずに相違点A及びBに係る構成に想到し,補正前発明の完成に至ることが,当業者に容易であったか否かを判断すべきであり,事後分析的,非論理的思考は排除されるべきである。そして,課題解決のために,引用発明において相違点A及びBの構成を採用することが容易であったとしても,補正前発明の解決課題の設定や着眼がユニークであった場合には,当然には,補正前発明が引用発明から容易想到であると判断することはできない。
引用発明の解決課題は,「立体的形状とストレッチ構造を採用することによって,より一層人体のヒップ部に馴染み易く,装着感及び整形性が良好であって,しかも着用状況が表着に響くことのないエッジ構造を有するヒップパットを提供する」(引用例の段落【0004】)というものである。一方,補正前発明の解決課題は,パッド層が着用者の人体に今までより一層一体化しやすいとともに,当該パッド層に不必要な引き締め作用等が作用するのを防止し,パッド層が着用者の人体の補正機能を補う脂肪層としての作用を発揮して,着用者のヒップ部等の膨出部を補正して美しいシルエットを創出することが可能な補正機能を備えた装身具を提供することであり,特に,「着用者の背中の部分に続く腰部は,原則として,体の動きに伴う皮脂の移動は少ないが,ヒップ部のトップよりも下側の部分は,体の中でも最も伸縮率が高い部分であり,着用者が前傾姿勢をとった場合など,ヒップパッドやガードルのヒップ本体には,大きく移動させる力が作用する。」との技術認識に基づき,「パッド層に不必要な引き締め作用等が作用するのを防止」(当初明細書の段落【0008】,【0010】)することを解決課題とするものである。そうすると,補正前発明の解決課題は,引用発明の解決課題と相違することはもちろん,引用例に記載も示唆もされていないユニークなものであるから,引用発明において相違点A及びBの構成を採用することが容易であったとしても,引用例の記載から直ちに補正前発明が容易想到であるとはいえない。
また,補正前発明は,「従来のガードルは,ガードルの内面にパッド体をセットした場合,着座時や屈折時等に,ガードルの外面生地によってパッド体が圧迫され,パッド体の厚み自体が人体への圧力となって,長時間の着用には耐えられないという問題点を有していた。」(当初明細書の段落【0035】)との課題を解決するものであるが,引用例には,このような解決課題は開示も示唆もされていない。
したがって,審決は,補正前発明と引用発明との解決課題の顕著な相違を看過し,補正前発明を容易想到と判断した誤りがある。
(3) 引用発明の認定を誤り,補正後発明が独立特許要件を欠くと判断して,本件補正を却下した誤り(取消事由3)
審決は,補正後発明と引用発明の相違点a及びbに係る補正後発明の構成は,引用発明に基づいて容易に想到し得るとして,補正後発明は独立特許要件を欠く旨判断した。
しかし,審決の上記認定,判断は誤りである。
まず,上記(1),(2)のとおり,補正前発明は引用発明から容易想到ではないから,補正後発明は,当然に引用発明から容易想到とはいえない。
また,審決は,「引用発明において,表地2aは,パット本体1を押圧することなく,パット本体1の表面を覆い,パット本体1は,裏地2bに接着されているとともに,表地2aは,パット本体1の表面に接着されることなく,かつ熱セット性に優れた素材によってパット本体1の外面形状に対応して形成され,前屈姿勢時であっても,パット本体1を押圧することがないよう構成すること,すなわち,相違点bの『外面素材は,造形用のパッド体を押圧することなく,当該造形用パッド体の表面を覆い,前記パッド体は,内面素材に接着されているとともに,前記外面素材は,前記パッド体の表面に接着されることなく,かつ熱セット性に優れた素材によって前記パッド体の外面形状に対応して形成され,前屈姿勢時であっても,前記造形用パッド体を押圧することがない』点は,容易になし得る」と判断した(審決8頁15ないし25行)。
しかし,審決の判断は誤りである。すなわち,引用発明は,表地2aの表面にガードル本体とも言うべき衣服31が存在するから(引用例の段落【0034】),表地2aがパッド体の表面に接着されることなく,かつ熱セット性に優れた素材によってパッド体の外面形状に対応して形成されているとしても,着座時や屈折時等にガードルの外面生地によってパッド体が圧迫され,パッド体の厚み自体が人体への圧力となって,長時間の着用には耐えられないという課題を有する。引用例には,このような技術的課題については,何ら記載がないことに照らすならば,引用発明において,衣服31の存在を無視して,相違点bの「前屈姿勢時であっても,前記造形用パッド体を押圧することがない」点が容易になし得るとはいえない。
したがって,補正後発明は,独立特許要件を欠くことはない。
(4) 本件補正が新規事項を追加するものと判断して,本件補正を却下した誤り
(取消事由4)
審決は,補正後発明について,「装身具に係るものであって,『前記パッド体は,伸縮性を有する材質からなる内面素材に接着されているとともに,』及び『前記外面素材は,前記パッド体の表面に接着されることなく,』と記載した事項を,・・・発明特定事項とするものであるが,上記事項を有する装身具についての発明は,本件出願の願書に最初に添付した明細書又は図面・・・に記載があったということはできない」旨判断した(審決4頁6ないし12行)。
しかし,審決の判断は誤りである。
当初明細書には,「ガードル1は,図1に示すように,スパンデックス等の伸縮性を有する生地からなる内面素材としての内面生地2と,」(段落【0020】),「上記内面生地2の表面には,パッド体3の内面が接着されており,」(段落【0021】)と記載されるから,「前記パッド体は,伸縮性を有する材質からなる内面素材に接着されているとともに,」との事項が記載されているといえる。
また,当初明細書には,「上記パッド体3の表面は,ガードル1の外面生地4によって覆われている。」(段落【0027】),「この実施の形態に係るガードル1は,パッド体3が内面生地2に一体成形や接着等によって一体化されているとともに,パッド体3が外面生地4とも原則として一体化されており,人体との間に段差が生じることがないように構成されている。」(段落【0032】)と記載されており,外面生地4がパッド体3の表面に接着されているとは記載されていない。
さらに,当初明細書には,「上記外面生地4は,パッド体3に対して完全に同調するととともに,着座時や前屈時等に,当該外面生地4によってパッド体3を圧迫しないように構成されている。更に説明すると,上記外面生地4は,例えば,熱セット性に優れた素材によって形成され,人体の理想とするシルエットを実現する形状に形成されたパッド体3の外面形状に対応させて,当該外面生地4を形成することによって,人体の動きや内面生地2の圧縮力が作用しても,パッド体3を圧迫しないように構成するのが望ましい。」(段落【0033】),「上記ガードル1は,パッド体3の表面を外面生地4によって覆うように構成されているので,当該パッド体3に不必要な引き締め作用等が作用するのを防止し,パッド体3が着用者の体の補正機能を補う脂肪層としての作用を発揮して,着用者のヒップ部等の膨出部を補正して美しいシルエットを造形することが可能になっている。」(段落【0038】)と記載されるから,内面生地2の記載との対比からも,「前記外面素材は,前記パッド体の表面に接着されることなく,」との事項が実質的に記載されているといえる。
したがって,補正後発明は,当初明細書に記載された事項の範囲内のものである。
2 被告の反論
(1) 取消事由1(引用発明の認定を誤り,補正前発明を容易想到であると判断した誤り)に対し
ア 原告は,審決には,引用発明について「パット本体1は全体的に,ガードルの上方に配置されており,起立姿勢時における人体のウエスト側に配置されることが示唆されている」と認定した誤りがあり,同認定に基づいて補正前発明の容易想到性を判断した誤りがある,と主張する。
しかし,原告の主張は,以下のとおり失当である。
引用例の【図19】(a)は,引用発明であるガードルを着用した者の腰部を人体の側方から見た図で,図面左方は人体の背側である。裏地2bは,ガードルを構成する「伸縮性を有する材質からなると共に,ガードル31の背面部31bに対応した大きさとした」ものであって,ガードルを着用した場合,それを着用した者の身体のラインに,ほぼ,沿っていると考えられる。裏地2bを表す線図を見ると,必ずしも寸法や形状を正確に表現してはいないものの,パット本体1(図面上,斜線が密に引かれた領域)の下端部は,ヒップ部のトップ部よりも上方に位置していると考えられ,引用例には,少なくともパット本体1の下端部がヒップ部のトップ部よりも上方に位置することが示されていると理解できる。そうすると,ガードルにおいて,「パット本体1を,起立姿勢時に,その下端部がヒップ部のトップ部よりも上方に位置させること」は,実質的には引用例に記載されているといい得る。
また,人体の腰部に装着するもので,パット本体により,着用者の体形を補正する補正機能を備えた衣料において,パット本体を,起立姿勢時に,その下端部がヒップ部のトップ部よりも上方に位置させることは,この出願前において,よく知られていた技術常識ということができ(乙1ないし乙3),引用例の【図19】の(a)に接した当業者が,「パット本体1を,起立姿勢時に,その下端部がヒップ部のトップ部よりも上方に位置させる」との技術的事項,少なくとも,「パット本体1は全体的に,ガードルの上方に配置されており,起立姿勢時における人体のウエスト側に配置される」との技術的事項を読み取ることは,何ら困難ではない。
したがって,引用発明について「パット本体1は全体的に,ガードルの上方に配置されており,起立姿勢時における人体のウエスト側に配置されることが示唆されている」と認定し,これに基づいて補正前発明を容易想到であると判断した審決に誤りはない。
イ 原告は,引用発明の認定を誤り,補正前発明における相違点Bに係る構成が容易想到であると判断した点において誤りがある,と主張する。
しかし,原告の主張は,以下のとおり失当である。
(ア) 上記アのとおり,引用例の【図19】(a)から,ガードルにおいて,「パット本体1を,起立姿勢時に,その下端部がヒップ部のトップ部よりも上方に位置させること」は実質的に記載されているといい得るので,引用発明における「パット本体1」は,本願発明と同様に,起立姿勢時に,その下端部がヒップ部のトップ部よりも上方に位置することになり,パット本体1が占める領域の裏地2bも殆ど伸張しない。
(イ) 裏地2bは,カードルを構成する「伸縮性を有する材質からなると共に,ガードル31の背面部31bに対応した大きさとした」もので,伸張する。そして,引用発明における「パット本体1」は,保形性が高い(引用例の段落【0016】)。パット本体1が裏地2bに接着されている態様から,両者は一体化したものと解され,本来,伸張性を有する裏地2bは,一体化している保形性の高いパット本体1の制約により,その伸張性が抑えられ,パット本体1が占める領域の裏地2bも殆ど伸張しないものと理解できる。また,上記一体化の程度を強固なものとすることにより,パット本体1が占める領域の裏地2bも殆ど伸張しないものとすることは,容易である。
原告は,引用発明のガードルは,裏地2b,パット本体1及び表地2a以外に,衣服31(ガードル本体と言えるような要素)を持つもので,この素材によっては,必ずしもパット本体1の下端部に位置する領域の裏地2bが大きく伸張することは普通ではない旨主張する。しかし,原告の主張は,以下のとおり失当である。すなわち,引用例の段落【0034】及び【図19】の記載から,引用発明のガードルは,ガードル本体といい得る衣服31を有し,裏地2bは,衣服31の内側に接着又は縫着するように構成されている。一方,ガードルは,全体として見た場合,伸縮性があるから(乙4),ガードル本体といい得る衣服31は,伸縮性があると理解できる。したがって,裏地2bと衣服31との接着や縫着手段を,ガードルとしての本来的な性質である伸縮性を阻害しないように工夫すること,例えば,裏地2bの衣服31への縫着箇所を,裏地2bの外形縁に沿った部位のみとしたり,縫目に伸縮性を持たせた縫製手法(乙5)を採用したりすることにより,パット本体1の下端部に位置する領域の裏地2bが大きく伸張するよう構成することは,容易である。
(2) 取消事由2(補正前発明と引用発明の課題の相違を看過し,補正前発明を容易想到であると判断した誤り)に対し
原告は,審決は,補正前発明と引用発明との解決課題の顕著な相違を看過し,補正前発明を容易想到と判断した誤りがあると主張する。
しかし,原告の主張は,以下のとおり失当である。
すなわち,当初明細書の段落【0005】,【0006】及び【0010】の記載によれば,補正前発明は,「パッド体を備えた装身具において,パッド体を着用者の人体に一体化しやすいものとし,そして,着用者のヒップ部の膨出部を補正して美しいシルエットを創出すること」を課題とするものである。一方,引用例の段落【0004】の記載によれば,引用発明は,「より一層人体のヒップ部に馴染み易く,装着感及び整形性が良好である」,つまり,「パッド体を着用者の人体に一体化しやすいものとし,そして,着用者のヒップ部の膨出部を補正して美しいシルエットを創出すること」を課題とするものである。
したがって,補正前発明と引用発明とは,共通する課題を有するものであり,原告の上記主張に理由はない。
(3) 取消事由3(引用発明の認定を誤り,補正後発明が独立特許要件を欠くと判断して,本件補正を却下した誤り)に対し
原告は,補正前発明は引用発明から容易想到ではないから,補正後発明は,当然に引用発明から容易想到ではなく,独立特許要件を欠くことはないとして,補正後発明は独立特許要件を欠く旨判断した審決は誤りである旨主張する。
しかし,原告の主張は失当である。
まず,上記(1)及び(2)のとおり,補正前発明は引用発明から容易想到である。
また,補正後発明と引用発明との相違点bについて,引用発明は,表地2aの表面にガードル本体とも言うべき衣服31が存在することを根拠として,「『前屈姿勢時であっても,前記造形用パッド体を押圧することがない点』が容易になし得るとはいえない」とする原告の主張も失当である。
すなわち,補正後発明は,少なくとも,「前記外面素材は,前記パッド体の表面に接着されることなく,かつ熱セット性に優れた素材によって前記パッド体の外面形状に対応して形成され,前屈姿勢時であっても,前記造形用パッド体を押圧することがない」との事項により特定され,造形用パッド体を押圧することがないとの機能,作用的な事項は,上記外面素材が,「パッド体の表面に接着されることなく,かつ熱セット性に優れた素材によって前記パッド体の外面形状に対応して形成され」ていることによってもたらされると解される。このことは,本願明細書の段落【0033】に,「上記外面生地4は,パッド体3に対して完全に同調するとともに,着座時や前屈時等に,当該外面生地4によってパッド体3を圧迫しないように構成されている。・・・上記外面生地4は,例えば,熱セット性に優れた素材によって形成され,人体の理想とするシルエットを実現する形状に形成されたパッド体3の外面形状に対応させて,当該外面生地4を形成することによって,人体の動きや内面生地2の圧縮力が作用しても,パッド体3を圧迫しないように構成するのが望ましい。なお,上記外面生地4は,屈折時や着座時に,パッド体3に圧迫を与えない機能を備えるものであれば,原則として,商品としてのガードル1のデザインを優先するものであってもよい。」と記載されることからも窺われ,「表地2aをパット本体1の外面形状に対応させることは,結果として,前屈姿勢時であってもパット本体1を押圧することがないものとなっている」ということができる。
したがって,「前屈姿勢時であっても,前記造形用パッド体を押圧することがない点」が容易になし得ると判断した審決に誤りはない。
(4) 取消事由4(本件補正が新規事項を追加するものと判断して,本件補正を却下した誤り)に対し
原告は,補正後発明の「前記パッド体は,伸縮性を有する材質からなる内面素材に接着されているとともに,」及び「前記外面素材は,前記パッド体の表面に接着されることなく,」と記載した事項を有する装身具についての発明は,当初明細書に記載があったということはできないとした審決の判断は誤りである旨主張する。
しかし,原告の主張は,以下のとおり失当である。
当初明細書の段落【0032】には,パッド体3と外面生地4との接合関係について,「これに対して,この実施の形態に係るガードル1は,パッド体3が内面生地2に一体成形や接着等によって一体化されているとともに,パッド体3が外面生地4とも原則として一体化されており,人体との間に段差が生じることがないように構成されている。」と記載されるのみである。すなわち,外面生地4がパッド体3に原則として接着等によって一体化されていることが記載されているにすぎず,外面生地4がパッド体3に接着されていないことは,当初明細書に記載や示唆がない。また,例外を認めるべき特段の事情もない。
したがって,本件補正は新規事項を追加するものであるとの審決の判断に誤りはない。
第4当裁判所の判断
当裁判所は,以下のとおり,①補正後発明は独立特許要件を欠くとして,本件補正が不適法であるから却下すべきであるとした判断(取消事由3に係る判断),②補正前発明は,引用発明から容易に想到することができるとした判断(取消事由1及び2に係る判断)について,審決には,原告主張の取消事由に係る誤りはないものと解する。
審決の「理由」の論理に即して,まず,本件補正が許されないとした審決の理由の当否(取消事由3,4に係る争点)に関する判断をした上,補正前発明が容易に想到できるとした審決の理由の当否(取消事由1,2に係る争点)に関する判断をする。
1 取消事由3,4(本件補正の適否判断の誤り――独立特許要件,新規事項の追加)について
原告は,「補正前発明は引用発明から容易想到ではないから,補正後発明は,当然に引用発明から容易想到ではなく,独立特許要件を欠くことはない。」として,補正後発明は独立特許要件を欠く旨判断した審決は誤りである旨主張する。
しかし,原告の主張は以下のとおり失当である。
まず,下記2,3において詳細に述べるとおり,補正前発明は引用発明から容易想到といえるから,原告の主張は失当である。
次に,原告は,補正後発明と引用発明との相違点bについて,引用発明は,表地2aの表面にガードル本体に該当する衣服31が存在することを根拠として,「『前屈姿勢時であっても,前記造形用パッド体を押圧することがない点』が容易になし得るとはいえない」旨主張する。
しかし,原告の主張は失当である。すなわち,下記2(2)イのとおり,ガードルは,伸縮性材料が用いられることから,引用例に接した当業者は,ガードル本体に該当する衣服31についても同様に,伸縮性材料が用いられると理解,認識するのが通常である。そして,引用発明において,表地2aが,パット本体1の表面に接着されることなく,かつ熱セット性に優れた素材によってパット本体1の外面形状に対応して形成され,表地2aの表面に衣服31が存在するならば,ガードルとして一般に求められる性質である伸縮性を阻害しないようにするために,「前屈姿勢時であっても,前記造形用パッド体を押圧することがない」ものとすることは,当業者にとって容易な事項というべきである。
以上のとおり,補正後発明は,引用発明から容易に想到することができたというべきであり,独立特許要件を欠く。したがって,原告主張に係る取消事由4(新規事項の追加とした誤り)の当否について判断するまでもなく,本件補正を不適法であるとして却下した審決の判断には誤りがない。原告の主張は,失当として排斥されるべきである。
2 取消事由1(引用発明の認定を誤り,補正前発明を容易想到であると判断した誤り)について
(1) 原告は,審決には,引用発明について「パット本体1は全体的に,ガードルの上方に配置されており,起立姿勢時における人体のウエスト側に配置されることが示唆されている」と認定した誤りがあり,同認定に基づいて補正前発明の容易想到性を判断した誤りがある,と主張する。
しかし,原告の主張は,以下のとおり失当である。すなわち,
引用例の段落【0004】には,「この発明は,・・・より一層人体のヒップ部に馴染み易く,装着感及び整形性が良好であって,しかも着用状況が表着に響くことのないエッジ構造を有するヒップパットを提供することにある。」と記載され,段落【0013】には,「・・・表地及び裏地は,パット本体よりも大きく形成され,テーパ状に薄く形成されたパット本体の周縁部の外側において,当該表地及び裏地の周縁部がパット本体を介在させずに互いに接合するように構成されているので,ヒップパットの端部が自然な感じで人体のヒップ部に馴染み,着用状況が表着に響くことがない。そのため,より一層人体に馴染み易く,装着感及び整形性が良好であって,しかも着用状況が表着に響くことのないエッジ構造を有するヒップパットを提供することができる。」と記載されている。
また,引用例の【図19】(a)は,引用発明に係るガードルを装着した状態(起立姿勢)における腰部を側方から見た図であり,右側を腹部方向,左側をヒップ部方向として描いているものと認められる。そして,同図(a)によれば,人体のヒップ部の輪郭線は,腰部からヒップに至るにつれて,次第に隆起していることが示され,下端部において最も隆起しているように描かれていること(図では,人体の背部から尻部を示す輪郭線は,上方から下方に至るにつれて,左方向に傾斜して描かれている),また,パッド本体1の下端部は,ヒップ部の最も隆起している部分よりも上方に位置するよう描かれている。
そうすると,当業者は,引用例の【図19】(a)から,「パット本体1は全体的に,ガードルの上方に配置されており,起立姿勢時における人体のウエスト側に配置されること」を認識,理解できるといえる。
したがって,審決が,引用発明について「パット本体1は全体的に,ガードルの上方に配置されており,起立姿勢時における人体のウエスト側に配置されることが示唆されている」と認定し,これに基づいて補正前発明が容易に想到できると判断した点に誤りはないというべきである。
(2) 原告は,審決が,①引用発明において,前屈姿勢をとった場合,パット本体1が占める領域の裏地2bが殆ど伸張しないことはパット本体1を裏地2bに接着させることから付随的に生じる作用効果であり,容易に想到できるとした点に誤りがあり,②また,パット本体1の下端部に位置する領域の裏地2bが大きく伸張することは,引用発明の裏地2bが伸縮性を有する材質からなっており,裏地2bが全体としてガードルを構成するものであるから,容易に想到できるとした点に誤りがあると主張する。
しかし,原告の主張は,以下のとおり失当である。
ア 一般に,伸縮性がある素材を伸縮性がない素材に接着した場合,両者の接着面において前者の素材の伸縮性が阻害されることは技術常識といえるから,引用発明におけるパット本体1は,着用者が前屈姿勢をとった場合,パット本体1の占める領域の裏地2bにおいて,殆ど伸張しないものと理解される。
この点,原告は,「起立姿勢時にパット本体の下端部をヒップ部のトップ部よりも下方に位置させると,前屈姿勢をとった場合,パット本体1が占める領域の裏地2bがパット本体1とともに伸張してしまうことを防止できない」旨主張するが,上記(1)のとおり,引用例には,「パット本体1は全体的に,ガードルの上方に配置されており,起立姿勢時における人体のウエスト側に配置されること」が示唆されているといえるから,原告の主張は前提を誤ったものであり,失当である。
したがって,引用発明について,「前屈姿勢をとった場合,パット本体1が占める領域の裏地2bが殆ど伸張しないことはパット本体1を裏地2bに接着させることから付随的に生じる作用効果である」とする審決の認定に誤りはない。
イ また,上記(1)のとおり,引用例の【図19】(a)には,着用者の起立姿勢時において,パッド本体1の下端部は,ヒップ部のトップ部よりも上方に位置することが記載され,裏地2bは伸縮性を有する素材からなることから(引用例の【請求項1】,段落【0005】,【0013】),着用者が前屈姿勢をとった場合,パット本体1の下端部に位置する領域の裏地2bが大きく伸張することは自明であるといえる。
この点,原告は,「引用発明の裏地2bが伸縮性を有する材質からなるとしても,衣服31を構成する素材によっては,『ヒップパットPの表地2a及び裏地2bを衣服31の内側に接着又は縫着』しているから,パット本体1の下端部に位置する領域が必ずしも大きく伸張するとは限らない,また,引用例には,ヒップパットPが縫い止められる衣服31としてのガードルにおいて,パット本体1の下端部に位置する領域が大きく伸張するように構成されている旨の記載がない。」旨主張する。
しかし,原告の主張は失当である。すなわち,ガードルは,伸縮性材料が用いられることから(乙4),引用例に接した当業者は,ガードルを構成する衣服31についても,同様に,伸縮性材料が用いられると理解,認識するのが通常である。そして,伸縮性を有する材料からなる裏地2bと衣服31を接着又は縫着する(段落【0034】)に当たり,ガードルとして一般に求められる性質である伸縮性を阻害しないようにすることは,当業者にとって容易な事項というべきである。
したがって,引用発明について,「パット本体1の下端部に位置する領域の裏地2bが大きく伸張することは,普通のことである,少なくとも,容易に設計できる」旨認定した審決に誤りはない。
ウ 以上のとおり,審決が,引用発明に関する上記認定に基づき,補正前発明において,相違点Bに係る構成が容易に想到できるとした判断に誤りはない。
3 取消事由2(補正前発明と引用発明の課題の相違を看過し,補正前発明を容易想到であると判断した誤り)について
原告は,「審決は,補正前発明と引用発明との解決課題の顕著な相違を看過し,補正前発明を容易想到と判断した誤りがある。」と主張する。
しかし,原告の主張は以下のとおり失当である。
(1) 認定事実
ア 本願の明細書(甲2)には次の記載があることが認められる。なお,【0010】,【0017】の記載は,平成21年1月19日付けで補正されたものである(甲3)。
【0005】
【発明が解決しようとする課題】 ・・・上記特開平9-273006号公報(判決注 引用例)等に開示されたヒップパッドの場合には,ヒップパッドの上端縁に縫着されたテープ状のバンドによって,スカート等の内面に装着するように構成したものである。このように,スカート等の内部に単に装着するヒップパッドの場合には,当該ヒップパッドが下着やガードル等と別体となっているため,着用者が座位をとったときに,ヒップパッドの下部が座席等に接触して,上方に押し上げられてしまい,着用者が恥ずかしい想いをする虞れを有しているという問題点があった。
【0008】 ところで,本来,上記ヒップパッドやガードル等の補正機能を備えた装身具を装着する目的は,ヒップ部の隆起したラインを美しく形成する為などである。そのため,上記ヒップパッドやガードル等の補正機能を備えた装身具は,着用者のヒップライン(ヒップ部の表面形状)と形態上一体化するのが望ましく,ヒップパッドやガードル等の装身具とヒップラインとの間に段差が生じるのは好ましくない。然るに,着用者の背中の部分に続く腰部は,原則として,体の動きに伴う皮脂の移動は少ないが,ヒップ部のトップよりも下側の部分は,体の中でも最も伸縮率が高い部分であり,着用者が前傾姿勢をとった場合など,ヒップパッドやガードルのヒップ本体には,大きく移動させる力が作用する。
【0009】 よって,着用者のヒップ部に接触するガードルなどは,着用者の第2の表皮を構成するものであり,当該ガードル等のパッド本体は,・・・ヒップ部の隆起したラインを美しく形成する上では,着用者の脂肪層を補うものであり,より柔軟であることが望ましいが,ガードルの引き締め作用によって変形するのを防止するためには,ハードな材質を選択せざるを得ないという相反する問題点を有していた。
【0010】 そこで,この発明は,上記従来技術の問題点を解決するためになされたものであり,その目的とするところは,パッド体が着用者の人体に今までより一層一体化しやすいとともに,当該パッド体に不必要な引き締め作用等が作用するのを防止し,パッド体が着用者の人体の補正機能を補う脂肪層としての作用を発揮して,着用者のヒップ部等の膨出部を補正して美しいシルエットを創出することが可能な補正機能を備えた装身具を提供することにある。
【0017】
【作用】 この発明に係る補正機能を備えた装身具は,人体の曲面に沿った形状に対応する伸縮性を有する材質からなる内面素材と,前記内面素材の表面に配置され,人体の目的とする体形と着用者の人体との間隙を補う造形用のパッド体と,前記造形用のパッド体を押圧することなく,当該造形用パット体の表面を覆う外面素材とを有するように構成されているので,パッド体を内面素材に接着等により固着することにより,伸縮性を有する材質からなる内面素材によって,装身具を着用者の体に一体化させることができるのは勿論のこと,当該内面素材とパッド体が接着等によって一体化されているため,パッド体を着用者の体により一層一体化させることができる。
【0035】 ・・・従来のガードルは,ガードルの内面にパッド体をセットした場合,着座時や屈折時等に,ガードルの外面生地によってパッド体が圧迫され,パッド体の厚み自体が人体への圧力となって,長時間の着用には耐えられないという問題点を有していた。
イ 引用例(甲1)には次の記載があることが認められる。
【0003】
【発明が解決しようとする課題】 ・・・従来技術の場合には,次のような問題点を有している。すなわち,上記ヒップパットPは,・・・ポリウレタン発泡体やポリエチレン発泡体等からなるパット本体100を,加熱成形等により所定の形状に成形し,当該パット本体100の表裏両面を綿やポリエステル等からなる表地101によって被覆して構成したものであるため,パット本体100をある程度立体的に成形しても,・・・表地101が・・・ストレッチ性の無い布地からなるので,ヒップパットP全体を人体102にフィットした3次元形状に維持形成することが困難である。そのため,ヒップパットPは,・・・人体のヒップ部102に馴染みずらく,良好な装着感及び整形性を得ることができず,結果としてヒップパットPの装着状況が表着に響き易いという問題点があった。また,・・・表地101が・・・ストレッチ性の無い布地からなるため,ヒップパットPの端部では,・・・パット本体100が露出し易く,これを防止するためには,ヒップパットPの端部に縁取りのカバー103を設ける等の処理が必要となり,その分製造コストが高くなるとともに整形性が低下するという問題点もあった。
【0004】 そこで,この発明は,上記従来技術の問題点を解決するためになされたもので,その目的とするところは,立体的形状とストレッチ構造を採用することによって,より一層人体のヒップ部に馴染み易く,装着感及び整形性が良好であって,しかも着用状況が表着に響くことのないエッジ構造を有するヒップパットを提供することにある。
(2) 判断
上記(1)認定の事実に基づき判断する。
上記(1)アの段落【0010】によれば,補正前発明は,パッド体が着用者の人体に今までより一層一体化しやすいとともに,当該パッド体に不必要な引き締め作用等が作用するのを防止し,パッド体が着用者の人体の補正機能を補う脂肪層としての作用を発揮して,着用者のヒップ部等の膨出部を補正して美しいシルエットを創出することが可能な補正機能を備えた装身具を提供することを解決課題として有すると認められる。
他方,上記(1)イの段落【0004】によれば,引用発明は,立体的形状とストレッチ構造を採用することによって,より一層人体のヒップ部に馴染み易く,装着感及び整形性が良好であって,しかも着用状況が表着に響くことのないエッジ構造を有するヒップパットを提供することを解決課題として有すると認められる。
補正前発明における相違点Aに係る構成「伸縮性を有する材質からなる内面素材は,人体の曲面に沿った形状に対応する点」及び相違点Bに係る構成「パッド体は,内面素材に接着されている」は,着用者の人体に一層一体化しやすくするとの課題を解決するためのものであり(上記(1)アの段落【0005】,【0017】),相違点Bに係る構成「前記パッド体は,起立姿勢時に,その下端部がヒップ部のトップ部よりも上方に位置し,」は,ヒップ部の膨出部を補正して美しいシルエットを創出するとの課題を解決するためのものであり(上記(1)アの段落【0008】ないし【0010】),相違点Bに係る構成「前屈姿勢時に,前記パッド体が占める領域は殆ど伸張せず,当該パッド体の下端部に位置する内面素材の部分が大きく伸張する」は,内面素材に伸縮性を有する材質を用い,パッド体が内面素材に接着され,パッド体が,起立姿勢時に,その下端部がヒップ部のトップ部よりも上方に位置することによる作用効果であると解される。
補正前発明と引用発明とは,着用者の人体に一層一体化しやすく,装着感が良好で,ヒップ部の膨出部を補正して美しいシルエットを創出する(整形性が良好である)補正機能を備えた装身具を提供するとの解決課題において共通し,基本的な構成において共通している。
上記のとおり,補正前発明と引用発明とは,基本的な構成及び解決課題を共通にするものであって,同解決課題を実現するために補正前発明の相違点A,Bに係る構成を採用することは,当業者において,何ら困難を伴うものではなく,容易に想到し得るというべきである。
原告は,補正前発明は,「従来のガードルは,ガードルの内面にパッド体をセットした場合,着座時や屈折時等に,ガードルの外面生地によってパッド体が圧迫され,パッド体の厚み自体が人体への圧力となって,長時間の着用には耐えられないという問題点を有していた」(上記(1)アの段落【0035】)との解決課題をも有し,引用例には,上記課題についての開示も示唆もない旨主張する。しかし,補正前発明が,引用発明と共通する解決課題のほかに,付加的解決課題をも有していたとしても,本件においては,引用例に接した当業者において,補正前発明の相違点A,Bに係る構成を採用するに当たり,そのことの故に困難であるとする根拠とはならない。原告の上記主張は,採用の限りでない。
したがって,補正前発明の容易想到性に関する審決の判断に誤りはない。
4 小括
以上のとおり,原告主張の取消事由は理由がなく,審決に取り消すべき違法は認められない。その他,原告は縷々主張するが,いずれも採用の限りでない。
第5結論
よって,原告の請求は理由がないから棄却することとし,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 飯村敏明 裁判官 池下朗 裁判官 武宮英子)
file_2.jpg別紙