知財高等裁判所 平成23年(行ケ)10053号 判決 2012年1月16日
原告
ソルヴェイ ソレクシス エス.ピー.エー.
訴訟代理人弁理士
野河信太郎
秋山雅則
甲斐伸二
金子裕輔
稲本潔
被告
特許庁長官
指定代理人
松浦新司
小林均
内田靖恵
唐木以知良
田村正明
近藤政克
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
この判決に対する上告及び上告受理申立てのための付加期間を30日と定める。
事実及び理由
第1原告が求めた判決
特許庁が不服2007-21772号事件について平成22年10月4日にした審決を取り消す。
第2事案の概要
本件訴訟は,特許出願拒絶査定を不服とする審判請求を成り立たないとした審決の取消訴訟である。争点は,新規性の有無である。
1 特許庁における手続の経緯
原告は,平成8年4月23日,名称を「極性末端基が存在しないフルオロエラストマーとその製法」とする発明につき,パリ条約に基づく優先日を平成7年(1995年)4月28日,優先権主張国をイタリアとして,特許出願したが(特願平8-101527号),平成19年4月24日,拒絶査定を受けたので,平成19年8月6日,不服審判請求をした(不服2007-21772号)。
特許庁は,平成22年10月4日,上記請求につき「本件審判の請求は,成り立たない。」との審決をし,この審決の謄本は同月19日に原告に送達された。
2 本願発明の要旨
本願発明は,フルオロエラストマーに関する発明で,平成22年4月30日付け手続補正書に記載の請求項1(本願発明)の特許請求の範囲は以下のとおりである。
「フッ化ビニリデン(VDF)および/またはテトラフルオロエチレン(TFE)と少なくとも他のエチレン性不飽和フッ化モノマーからなる,末端基が-CH3と-CF2Hを含み,かつカルボキシレート-COO-基,スルフォネート基-OSO3-基,アルコール基-CH2OH,アシルフルオライド基-COFおよびアミド基-CONH2から選択される極性末端基の量が0であるかまたは,末端基の全量に対して3モル%より少ない,
20~85モル%のVDFおよび/またはTFEと少なくとも他のフッ化エチレン性不飽和モノマーからなり,そのフッ化エチレン性不飽和モノマーがC3-C8パーフルオロオレフィン;水素および/または塩素および/または臭素を含有するC2-C8フルオロオレフィン;式CF2=CFORf(式中,RfはC1-C6(パー)フルオロアルキル)の(パー)フルオロアルキルビニルエーテル(PAVE);および式CF2=CFOX(式中,Xは1以上のエーテル基を有するC1-C12パーフルオロオキシアルキル)のパーフルオロオキシアルキルビニルエーテルから選択され,
対応する原料モノマー類を水性エマルション中,紫外-可視線(UV-VIS)照射と,ジアルキル過酸化物(アルキル基は1~12の炭素原子を有する),ジアルキルパーオキシジカーボネート(アルキル基は1~12の炭素原子を有する),ジアシルパーオキシド(アシル基は2~12の炭素原子を有する)および3~20の炭素原子を有するパーオキシエステルから選択される有機過酸化物との存在下で,任意に,水素;1~12の炭素原子を有する炭化水素;1~8の炭素原子を有するクロロ(フロオロ)カーボン(任意に水素原子を含有する);1~12の炭素原子を有するエステル,アルコールまたはエーテルから選択される連鎖移動剤の存在下で,共重合させることにより得られる,フルオロエラストマー。」
3 審決の理由の要点
本願発明は,本件優先日以前に頒布された下記刊行物1に記載された発明と実質的に同一であるから,新規性(特許法29条1項3号)を欠く。
【刊行物1】特開平2-124910号公報(甲1)
【刊行物1に記載された発明(刊行物1発明)】
「水性媒体中で重合触媒としてジアルキルパーオキシジカーボネートを用いて製造される,(A)ビニリデンフルオリド単位と(B)ヘキサフルオロプロピレン単位とを重量比40:60ないし80:20の割合で含有し,さらに(C)テトラフルオロエチレン単位を(A),(B)及び(C)単位の合計重量に基づき35重量%以下の割合で含有するフルオロエラストマー。」
【一致点】
両発明が「フッ化ビニリデン及び/又はテトラフルオロエチレンと少なくとも他のエチレン性不飽和フッ化モノマーを有し,それらの組成割合においても重複するフルオロエラストマーである点」
【相違点】
・ 相違点1
本願発明においては,フルオロエラストマーの末端基について「末端基が-CH3と-CF2Hを含み,かつカルボキシレート-COO-基,スルフォネート基-OSO3-基,アルコール基-CH2OH,アシルフルオライド基-COFおよびアミド基-CONH2から選択される極性末端基の量が0であるかまたは,末端基の全量に対して3モル%より少ない」と特定しているのに対し,刊行物1発明においては,そのような規定がない点
・ 相違点2
本願発明においては,フルオロエラストマーは「対応する原料モノマー類を水性エマルション中,紫外-可視線(UV-VIS)照射と,ジアルキル過酸化物(アルキル基は1~12の炭素原子を有する),ジアルキルパーオキシジカーボネート(アルキル基は1~12の炭素原子を有する),ジアシルパーオキシド(アシル基は2~12の炭素原子を有する)および3~20の炭素原子を有するパーオキシエステルから選択される有機過酸化物との存在下で,任意に,水素;1~12の炭素原子を有する炭化水素;1~8の炭素原子を有するクロロ(フロオロ)カーボン(任意に水素原子を含有する);1~12の炭素原子を有するエステル,アルコールまたはエーテルから選択される連鎖移動剤の存在下で,共重合させることにより得られる」ものであるのに対し,刊行物1発明においては,ジアルキルパーオキシジカーボネートを用いてフルオロエラストマーを製造することは規定されているが,その際に紫外-可視線照射することは特に規定されていない点
【相違点に関する判断(5~10頁)】
「相違点1について検討する。
刊行物1発明のフルオロエラストマーについて,摘示事項1b(判決注:4頁右下欄11行~5頁右上欄15行)には,重合に使用する触媒のジアルキルパーオキシジカーボネートに由来するカルボニル基が末端に存在することが記載されているが,このカルボニル基は本願発明で特定する極性末端基には該当しておらず,刊行物1発明のフルオロエラストマーのカルボニル基は本願発明の極性末端基とは認められないものである。また,上記のカルボニル基以外には,摘示事項1c(判決注:5頁右上欄16行~左下欄2行)に記載されるとおり,刊行物1発明のフルオロエラストマーの製造において,連鎖移動剤を使用していないので,刊行物1発明のフルオロエラストマーには,本願発明で特定する極性末端基を有していないものと認められる。そして,刊行物1発明のフルオロエラストマーが,摘示事項1a(判決注:特許請求の範囲)に記載のとおり,ビニリデンフルオリド単位及びヘキサフルオロピロピレン単位を主成分とするものであることから,末端基としてカルボニル基以外に-CH3と-CF2Hを含んでいるものと認められる。
そうすると,刊行物1発明のフルオロエラストマーは,本願発明で特定する,『末端基が-CH3と-CF2Hを含み,かつカルボキシレート-COO-基,スルフォネート基-OSO3-基,アルコール基-CH2OH,アシルフルオライド基-COFおよびアミド基-CONH2から選択される極性末端基の量が0であるかまたは,末端基の全量に対して3モル%より少ない』に相当するものと認められ,この点に本願発明との差異は認められず,結局,相違点1は相違点とすることはできない。
次に,相違点2について検討する。
紫外-可視線(UV-VIS)照射について,本願明細書の段落0015には以下の記載が認められる。
『UV-VIS照射に関しては,通常の光化学反応に従って,適当な発光源を,例えば,高圧水銀ランプ源を用いて反応系に与えられる。この発明の方法に適するUV-VIS照射波長は,一般に220~600nmの間である。ラジカル発生のための照射線の使用で,一般に反応速度を良好にコントロールすることができる。かつ特に重合が爆発的な場合には,照射線を直ちに不活性化し,したがって反応を止めることが可能である。』
上記記載によれば,紫外-可視線(UV-VIS)照射は反応速度をコントロールするために使用されるものであり,それによって,製造されたフルオロエラストマーの構造上に差異をもたらすものとはいえない。
以上のとおり,相違点2についても,実質的に相違点とすることはできない。
(6) まとめ
したがって,本願発明と刊行物1発明のフルオロエラストマーにおける上記相違点1及び2は,実質的な差異とは認められないものであり,区別し得ないものであるから,本願発明は,刊行物1に記載された発明というべきであり,特許法29条1項3号の規定に該当し,特許を受けることができない。」
「原告は,平成22年4月30日付け意見書において,以下の主張を行っている。
『(a-1) 刊行物1には,VDF-HFPコポリマーおよびVDF-HFP-TFEターポリマーを含む,特定のVDFベースの,相当量の極性末端基を有するフルオロエラストマーが記載されています(例えば,特許請求の範囲参照)。
すなわち,刊行物1の第4頁右下欄第11行~第5頁左上欄第8行には,フルオロエラストマーが,本願発明の極性末端基に相当するカルボニル基に由来する赤外吸収スペクトルを有することが記載されています。
また,刊行物1の第5頁右上欄第7~15行には,本願発明の極性末端基に相当するカルボニル基(極性を有するポリマー末端基)により,相反する金型汚れおよび金型離型性と加硫接着性とが改善されることが記載されています。
一方,本願発明のフルオロエラストマーは,・・・極性末端基の量が実質的に0(3モル%より少ない)であることを特徴としていますので,刊行物1に記載のフルオロエラストマーとは,末端基の構成,ひいてはポリマーとしての特性が異なり,両者は同一ではありません。
(a-2) また,審判官殿は,刊行物1に記載の重合法に,ラジカル開始剤として無機過酸化物ではなく有機過酸化物を使用することにより,本願発明のフルオロエラストマーを製造できると認められているものと思料いたします。
しかしながら,本願発明のフルオロエラストマーは,・・・特定のエマルション重合により得られるものであり,刊行物1に記載の製造法では得ることができません。
(a-3) すなわち,刊行物1には,フルオロエラストマーの製造法として,通常,乳化重合法(エマルション重合)が用いられ,極めて特殊なケースとして懸濁重合法や溶液重合法などが採用されること,刊行物1のVDFベースのフルオロエラストマーの最適重合法が懸濁重合法であることが記載されています(第5頁右下欄第9~16行参照)。
一般に,本願発明の『エマルション重合』と刊行物1の『懸濁重合』とは,完全に異なる方法です。このことは,ポリマー重合に関する教科書的な文献,例えば,John Wiley & Sons出版,『Encyclopedia of Polymer Science and Technology』の第2頁第1~3行にも『懸濁重合はモノマー液滴中での重合である。エマルション重合とは異なり,懸濁重合では,開始剤は油溶性であり,かつ非ミセル形成安定化剤が用いられる』と記載されています。・・・
(a-4) また,刊行物1は,触媒として,ジアルキル(パーオキシ)カーボネートを使用することにより,カルボニル基含有末端基が誘導されることが記載されています(第5頁右上欄第7~15行参照)。そして,ジアルキルカーボネートは,特に不活性な有機溶媒と懸濁安定剤とを組み合わせて使用する懸濁重合法においてのみ,末端基にカルボニル基を誘導するのに有効であることが示されています。
つまり,本願発明のエマルション重合では,カルボニル基のような末端基を含まないフルオロエラストマーを製造するために,単なる重合開始剤として有機過酸化物を用いていますが,刊行物1の懸濁重合では,カルボニル基のような末端基を誘導するために有機過酸化物を用いており,両者は一見相反する有機過酸化物の使用をしていることがご理解戴けるものと思料いたします。
また,刊行物1には,エマルション重合と懸濁重合の両方法において,有機ラジカル開始剤が厳密に同様な挙動をすると結論付けるための記載はなく,むしろ両者は反応条件(例えば,温度,圧力,有機相と水相との間の再分割を含む)が非常に異なり,両方法でのラジカル開始剤の分解挙動が完全に異なると予想されます。
(a-5) 以上のことから,刊行物1のフルオロエラストマーが,末端基が-CH3と-CF2Hを含み,かつ特定の極性末端基の量が実質的に0(3モル%より少ない)であり,特定のエマルション重合により得られる本願発明のフルオロエラストマーではないことをご理解戴けるものと思料いたします。』
たしかに,刊行物1には,フルオロエラストマーの末端基にカルボニル基が存在することが記載されているが,本願発明では『末端基が-CH3と-CF2Hを含み,かつカルボキシレート-COO-基,スルフォネート基-OSO3-基,アルコール基-CH2OH,アシルフルオライド基-COFおよびアミド基-CONH2から選択される極性末端基の量が0であるかまたは,末端基の全量に対して3モル%より少ない』と特定されているのみで,極性末端基として『カルボニル基』は含まれておらず,その量も何ら特定されていないものである。したがって,刊行物1発明のフルオロエラストマーの末端基としてカルボニル基が存在することをもって『本願発明のフルオロエラストマーは,・・・極性末端基の量が実質的に0(3モル%より少ない)であることを特徴としていますので,刊行物1に記載のフルオロエラストマーとは,末端基の構成,ひいてはポリマーとしての特性が異なり,両者は同一ではありません。』と結論づけることは,本願発明の請求項における特定とは直接関係しない主張であり,採用することはできない。
また,『懸濁重合法』と『エマルション重合法』という重合方法の相違は,本願発明が『フルオロエラストマー』という物の発明である限り,その異同を決定づける根拠にはなり得ない。上記したとおり,刊行物1発明は末端基としてカルボニル基を含むものであるが,そうであっても,本願発明がそのことを除外していないのであるから,刊行物1発明とは重合方法が異なるとしても,物の発明として両者の間にフルオロエラストマーとしての相違点を見いだせない。
さらに,原告は,『本願発明のフルオロエラストマーは,・・・特定のエマルション重合により得られるものであり,刊行物1に記載の製造法では得ることができません。』と主張しているようであるが,このことも,以下に示すように,明細書の記載に基づいたものではない。
本願明細書には,『本発明者らはイオンタイプおよび非イオンタイプの極性末端基が実質的に存在しないフルオロエラストマーが開始剤として有機過酸化物を使用することによって得られることを意外にも見出した。』(段落0008),『本発明の目的物であるフルオロエラストマーは,ラジカル開始剤として有機過酸化物を使用することによって作られる。ラジカル開始剤は特に次のものから選択できる。・・・このタイプの有機過酸化物を使用すると,アルキルタイプの末端基を持つポリマーができる。この物は,化学的および熱的に安定であり,硬化系との望ましくない相互作用をしない。従来の方法とは異なって,亜硫酸塩のような無機開始剤が存在しないので極性末端基の形成を完全に実質上避けられる。』(段落0011~0012)と記載されており,エマルション重合についての必要性については記載されていない。ただし,本願明細書には『好ましい具体例によれば,本発明のフルオロエラストマーは,・・・紫外可視線(UV-VIS)照射と上記有機過酸化物の存在した水性エマルション中で対応するモノマーを共重合することによって作られる。』(段落0013),『本発明のフルオロエラストマーの製造は,・・・パーフルオロポリオキシアルキレンのマイクロエマルションの存在下,水性エマルションで行うか,・・・水素化末端および/または水素化繰返し単位を有するフルオロポリオキシアルキレンのマイクロエマルションの存在下,水性エマルション中で行うのが有利である。』(段落0018)とも記載されており,エマルション重合についても触れている。しかし,これらはあくまでも『好ましい』とか『有利である』との語句のついたものであるから,エマルション重合でなければ製造できないことを示したものではない。
なお,本願明細書では『有機過酸化物』として,『ジ-tert-ブチルパーオキシド』を使用した場合についてのスペクトルの結果が実施例に示され,その場合にはカルボニル基に基づく吸収が見られなかったことを確認しているに過ぎないものであり,有機過酸化物として『ジアルキルパーオキシジカーボネート』,『ジアシルパーオキシド』や『3~20の炭素原子を有するパーオキシエステル』を使用する場合とか,連鎖移動剤として『1~12の炭素原子を有するエステル』を使用する場合のように,ラジカル開始剤自体,連鎖移動材自体がカルボニル基を有する物を使用する場合にも,得られたフルオロエラストマーの末端基にカルボニル基が存在しないことまでを確認しているわけではない。
これらのカルボニル基を含有する開始剤や連鎖移動剤を使用した場合,末端基としてカルボニル基が存在することになるものと一般的に理解されるところ,エマルション重合を採用することによってこのカルボニル基が非極性基に変換されることについては受け入れ難いものであり,このことからも,本願発明におけるフルオロエラストマーの末端基としてカルボニル基が存在しないとの主張は採用できない。」
第3原告主張の審決取消事由
1 相違点の認定の誤り(取消事由1)
本願発明のフルオロエラストマーは,対応する原料モノマー類を水性エマルション中で共重合させて得られるものであって(特許請求の範囲),刊行物1発明におけるような従来の懸濁重合法とは異なる特定の方法で初めて得られ,格別の特性を有するものである。したがって,本願発明で生産されるフルオロエラストマーと刊行物1発明で生産されるフルオロエラストマーとは重合方法の相違によって異なるのであって,重合方法の相違も本願発明と刊行物1発明の相違点となるべきである。しかるに,審決はかかる相違点を看過して本願発明と刊行物1発明の相違点を認定したものであるから,審決の相違点の認定には誤りがある。
2 新規性判断の誤り(取消事由2)
(1) 相違点1について
刊行物1の4頁右下欄11行ないし5頁左上欄15行には,刊行物1発明のフルオロエラストマーが極性末端基として,カルボニル基自体ではなくカルボニル基含有ポリマー末端基を有することが明記されている。他方,刊行物1の記載に照らしても,刊行物1発明のフルオロエラストマーの極性末端基を重合に使用されるジアルキルパーオキシジカーボネート触媒に由来するカルボニル基に限定する理由はない。そして,カルボキシレート基(-COO-)もカルボニル基をその構造部分に含むもので,カルボニル基含有ポリマー末端基に当たるから,刊行物1発明のフルオロエラストマーの極性末端基は本願発明で特定された極性末端基に当たる。
また,刊行物1中の赤外線吸収スペクトルの測定結果(図2)は,単にカルボニル基に由来する吸収ピークがあることを示すものにすぎず,当該カルボニル基がフルオロエラストマーの末端基が重合に使用されるジアルキルパーオキシジカーボネート触媒に由来するものかどうかまでは分からない。他方で,本願明細書中の赤外線吸収スペクトルの測定結果では,カルボニル基に由来する吸収ピークが見られないことで,カルボキシレート基が末端基に存在しないことを確認している。そうすると,赤外線吸収スペクトルの測定結果からも,刊行物1発明のフルオロエラストマーの極性末端基は本願発明で特定された極性末端基に当たるというべきである。
したがって,刊行物1発明のフルオロエラストマーはカルボニル基含有ポリマー末端基を有し,本願発明で特定された極性末端基に該当し得るから,両者(両発明)は実質的に相違する。しかるに,審決は相違点1につき上記と異なる認定判断をしたものであって,審決の新規性判断には誤りがある。なお,刊行物1発明は金型汚れ防止,金型離型性,加硫接着性の改善の見地から極性末端基を有するフルオロエラストマーであることを技術的思想とする一方,本願発明は,熱安定性,加工性,硬化容易性を確保する見地から実質的に極性末端基を有しないフルオロエラストマーであることを技術的思想とするものであって,両発明の技術的思想は明らかに相違するから,当業者であれば両発明が実質的に同一でないことを容易に理解することができる。
(2) 相違点2について
前記のとおり,本願発明のフルオロエラストマーと刊行物1発明のフルオロエラストマーとは重合方法が異なるから,両者(両発明)は実質的に相違し,相違点2に係る審決の判断には誤りがある。
第4取消事由に関する被告の反論
1 取消事由1に対し
「物」の発明であるポリマーの発明において,重合方法の相違によって生産されるポリマーが相違するのであれば,かかる重合方法の相違を相違点として認定すべきであるが,そうでない限り重合方法の相違を相違点として認定する必要はない。
懸濁重合法とエマルション(エマルジョン)重合法とはフルオロエラストマーの重合に用いられる周知の手法であり,両方法は重合反応を行う系が懸濁状態なのかエマルション状態なのかが異なるだけで,重合開始剤(重合触媒)から生じたラジカル(不対電子)を端緒として重合反応が進行するラジカル重合法である点に変わりはなく,いずれの方法を採用しても得られるポリマーの構造は異ならない。したがって,刊行物1発明では懸濁重合法が用いられ,本願発明ではエマルション重合法が用いられているとしても,そのことで直ちに生産されるポリマーが異なることになるものではない。
ここで,刊行物1発明のフルオロエラストマーは「重合に使用するジアルキルパーオキシジカーボネートに由来するカルボニル基」をポリマー末端基として有し,「カルボキシレート-COO-基,スルフォネート-OSO3-基,アルコール基-CH2OH,アシルフルオライド基-COFおよびアミド基-CONH2から選択される極性末端基の量が0であるかまたは,末端基の全量に対して3モル%より少ない」ものであるから,本願発明で生産されるフルオロエラストマー(ポリマー)は相違しない。
したがって,重合方法の相違を本願発明と刊行物1発明の相違点として認定する必要はなく,審決の相違点の認定に誤りはない。
2 取消事由2に対し
(1) 相違点1について
審決は,刊行物1発明のフルオロエラストマーにつき,重合に使用する触媒のジアルキルパーオキシジカーボネートに由来するカルボニル基がその末端に存在すると認定しており,単にカルボニル基が末端に存在すると認定したわけではない。「触媒のジアルキルパーオキシジカーボネートに由来するカルボニル基」が「カルボニル基含有ポリマー末端基」の概念に含まれるとしても,刊行物1では重合に使用する触媒としてジアルキルパーオキシジカーボネート以外の物質は開示されていないから,刊行物1の4頁右下欄11行ないし5頁左上欄1行,5頁右上欄7ないし10行の記載に照らせば,審決の上記認定に誤りがあるものではないし,5頁左上欄1行の波数1760cm-1の赤外線吸光度のピークも,「触媒のジアルキルパーオキシジカーボネートに由来するカルボニル基」の存在を示すものである。
ところで,重合触媒,重合開始剤であるジアルキルパーオキシジカーボネートfile_2.jpgROCO-OCOR 1 1 o eaは,これを重合反応に先立って加熱することで,パーオキシ結合(O-O)の部分が開裂し,2個のアルキルカーボネートラジカルfile_3.jpgROCO-を発生するところ,次の反応式のとおり,このアルキルカーボネートラジカルの発生を契機として,例えばモノマー(単量体)としてのフッ化ビニリデンCH2=CF2がラジカル重合を開始し,連鎖の成長過程を経て,最終的にポリフッ化ビニリデン等のポリマー(重合体)を生成する(技術常識)。
file_4.jpgUnset] ROCO- ROCO-CH.-CE; + cho CG ° ° ROCO-CH.-CFy i +CH=CR Of ° ° ROCO-(CH,~CR,)y~CHs= C Fe tl +CH=CK > fe} ROCO-CH,-CF,-CH,-CFy ROCO-(CH,-CB a> C Ha C Fy u fe)このとおり,重合開始剤(重合触媒)にジアルキルパーオキシジカーボネートを使用してラジカル重合を行なった場合には,生成したポリマーの末端にはアルキルカーボネート基file_5.jpgROCO—が存在し,アルキルカーボネート基の中にはカルボニル基(>C=O)が含まれることになるから,刊行物1発明にいう「重合に使用するジアルキルパーオキシジカーボネートに由来するカルボニル基」とは「アルキルカーボネート基」を意味するものというべきである。刊行物1中の「これらのピークの中で1,760cm-1は重合に使用するカーボネート触媒に由来するカルボニル基の伸縮振動の吸収であり,3,050cm-1の吸収スペクトルはVdF単位のCH2に起因する吸収である。したがって,1,760cm-1の吸光度(Y)と3,050cm-1の吸光度(X)との比(Y)/(X)はVdF単位当たりのカルボニル基含有ポリマー末端基の量を表現しているものとみてよい。」との記載(4頁右下欄17行~5頁左上欄4行)は,上記の理解と符合する。そして,かかる1760cm-1の吸収ピークを「カルボキシレート-COO-基,スルフォネート基-OSO3-基,アルコール基-CH2OH,アシルフルオライド基-COFおよびアミド基-CONH2から選択される極性末端基」によるものとみることはできない。
重合に使用するカーボネート触媒,すなわちジアルキルパーオキシジカーボネートに由来するカルボニル基すなわちアルキルカーボネート基は,本願発明にいう「カルボキシレート-COO-基,スルフォネート基-OSO3-基,アルコール基-CH2OH,アシルフルオライド基-COFおよびアミド基-CONH2から選択される極性末端基」に該当しないから,「このカルボニル基は本願発明で特定する極性末端基には該当しておらず,刊行物1発明のフルオロエラストマーのカルボニル基は本願発明の極性末端基とは認められないものである。」との審決の判断に誤りはない。そして,前記重合反応の進行の在り方に照らせば,刊行物1発明のフルオロエラストマーにおいても「カルボキシレート-COO-基,スルフォネート基-OSO3-基,アルコール基-CH2OH,アシルフルオライド基-COFおよびアミド基-CONH2から選択される極性末端基」が0であるか,又は末端基の全量に対して3モル%より少ないことは明らかである。
そうすると,刊行物1に接した当業者であれば,刊行物1発明のフルオロエラストマーの極性末端基が本願発明の「カルボキシレート-COO-基・・・から選択される極性末端基」に含まれないことを直ちに理解でき,その結果,刊行物1に本願発明が記載されていることを容易に把握できるから,相違点1は本願発明と刊行物1発明との実質的な相違点ではない。
原告の主張は,「カルボキシレート-COO-基」等から成る極性末端基が実質的に存在しないという特定事項を,いかなる極性末端基も実質的に存在しないことと同視するもので,特許請求の範囲に記載のない事項に基づく主張といわざるを得ない。
(2) 相違点2について
前記1のとおり,刊行物1発明と本願発明との間で,重合方法の相違によって生産されるポリマーが異なるものではないから,重合方法の相違は両発明の相違点とならない。
したがって,審決の相違点2に係る実質的同一性の判断にも誤りはない。
第5当裁判所の判断
1 取消事由1(相違点の認定の誤り)について
原告は,本願発明のフルオロエラストマーは刊行物1発明におけるような従来の懸濁重合法とは異なる特定の方法で初めて得られるものであって,重合方法の相違も本願発明と刊行物1発明の相違点となるべきである等と主張する。
確かに,本願発明の特許請求の範囲には,水性エマルション(エマルジョン)中で重合する旨が記載されているが,フッ素樹脂に関する一般的な文献である「ふっ素樹脂ハンドブック」(平成2年11月30日日刊工業新聞社発行,乙6)中にビニリデンフルオライド(ビニリデンフルオリド,フッ化ビニリデン,VDF,CH2CF2)系フッ素ゴムの一般的な製法として,「VDF系ふっ素ゴムは塊状,溶液,懸濁,乳化,いずれの方法でも合成できるが,工業的には乳化重合による方法が一般的である。」(546頁)との記載があることに照らせば,VDF系フッ素樹脂をラジカル重合の方法で製造する場合においては,水に難溶性又は不溶性のモノマーを乳化剤でミセル状にしてから重合させる乳化重合法(乳化剤と同様の作用を有する重合開始剤を用いることもある。)も,モノマーを水中で強くかき混ぜて懸濁(分散)させ,モノマーに可溶の重合開始剤を加えて重合させる懸濁重合法(水に可溶の分散剤を用いることが多い。)も,ともに当業者が採用する周知の方法であるということができる。また,乳化重合法も懸濁重合法も,重合開始剤の分解に基づいて目的となるラジカル重合反応を生じさせる点には変わりがなく,ポリマーの生成過程も同一の過程が想定され,乳化重合方法と懸濁重合法のいずれを採用するかによって異なる化学構造のポリマーが生成することは想定されていない(高分子学会編「高分子の合成・反応(1) 付加系高分子の合成」平成7年6月15日共立出版株式会社発行(乙4)の9,10頁)。一般的には,両重合方法は得ようとするポリマーの分子量,反応のさせやすさ,反応時の安全性や生成するポリマーの純度等を勘案して適宜選択されるものにすぎないものである。
そして,後記2のとおり,VDF(CH2CF2)をその化学構造のうちに含む刊行物1発明のフルオロエラストマーと本願発明のフルオロエラストマーとでその化学構造に違いがあるとはいえないから,両者の重合方法の相違が本願発明と刊行物1発明の相違点になるものではない。したがって,本願発明と刊行物1発明の相違点の認定に誤りはない。
2 取消事由2(新規性判断の誤り)について
(1) 刊行物1の5頁右上欄7ないし15行には,「本発明のフルオロエラストマーは,通常重合触媒としてジアルキルパーオキシジカーボネートを用いて製造されるので,これに起因するポリマー末端基が形成されているものと考えられる。この極性を有するポリマー末端基をもっていることと,・・・によって,本発明のフルオロエラストマーは,相反する特性である金型汚れ及び金型離型性と加硫接着性とが改善されたものとなる。」と記載されているから,刊行物1にいうフルオロエラストマー(ポリマー)の極性を有する末端基(極性末端基)が重合開始剤(重合触媒)のジアルキルパーオキシジカーボネートに由来するものであることは明らかである。
ここで,被告が主張するとおり,刊行物1発明のフルオロエラストマーは重合開始剤ジアルキルパーオキシジカーボネートのパーオキシ結合の開裂を起点としてラジカル重合が進行することによって生成されるから,上記フルオロエラストマーの末端基は上記重合開始剤に由来するアルキルカーボネート基(ROCOO-)を有すると解するのが合理的である。なお,重合開始剤ジアルキルパーオキシジカーボネートが分解されて生成するアルキルカーボネートラジカルがさらに分解されてアルコキシラジカル(RO・)を生成することがあるとしても,このラジカルに基づいて生成されるフルオロエラストマーの末端基はアルコキシ基(RO-)となるにすぎず,カルボキシレート基(-COO-)等になるものではない。
アルキルカーボネート基(ROCOO-)もアルコキシ基(RO-)も,カルボキシレート基(-COO-),スルフォネート基(-OSO3-),アルコール基(-CH2OH),アシルフルオライド基(-COF),アミド基(-CONH2)に該当しない一方,刊行物1中には上記カルボキシレート基等を極性のある末端基とするフルオロエラストマーが生成することを窺わせる記載は存しない。
そうすると,刊行物1発明のフルオロエラストマーは,アルキルカーボネート基(ROCOO-)を極性のある末端基とするものが想定されており,少なくとも刊行物1ではカルボキシレート基(-COO-),スルフォネート基(-OSO3-),アルコール基(-CH2OH),アシルフルオライド基(-COF),アミド基(-CONH2)のいずれをもその極性のある末端基に含まないフルオロエラストマーの構成が開示されているということができる。
したがって,相違点1は実質的なものではなく,この旨をいう審決の判断に誤りはない。
(2) 原告は,刊行物1にはフルオロエラストマー(ポリマー)が極性末端基としてカルボニル基自体ではなくカルボニル基含有ポリマー末端基を有することが明記されているなどと主張するが,前記のとおり刊行物1にはポリマーの極性のある末端基が重合開始剤(重合触媒)のジアルキルパーオキシジカーボネートに由来するものであることが記載されているから,原告主張のように刊行物1記載の内容を抽象的に解しなければならないものではない。
また,原告は,刊行物1や本願明細書中の赤外線吸収スペクトルの測定結果に照らしても,刊行物1発明のフルオロエラストマーの極性末端基はカルボニル基含有ポリマー末端基にすぎないなどと主張する。刊行物1の4頁右下欄11行ないし5頁左上欄1行には,「第2図は,本発明のフルオロエストラマーの1例の赤外線吸収スペクトル図であるが,これをみると,1,720cm-1,1,760cm-1,1,800cm-1にピークが現われている。これらのピークはフルオロエラストマーの分子量に相関性を有しており,フルオロエラストマーの末端基に基づいているものと判断される。これらのピークの中で1,760cm-1は重合に使用するカーボネート触媒に由来するカルボニル基の伸縮振動の吸収であり,・・・。」と記載されているから,刊行物1の赤外線吸収スペクトルのピークが重合開始剤(重合触媒)に由来するカルボニル基すなわちアルキルカーボネート基によるものと目されていることは明らかである。仮に第2図の波数1,760cm-1等の吸収スペクトルのピークからは,厳密にはこれが単にカルボニル基(C=O)の伸縮振動によるものであることが示されるにすぎないとしても,刊行物1の上記記載内容に照らせば,刊行物1発明のフルオロエラストマーの極性のある末端基として,重合開始剤(重合触媒)に由来するカルボニル基すなわちアルキルカーボネート基が想定されていることが左右されるものではない。また,本願明細書ではカルボニル基の伸縮振動に由来する赤外線吸収スペクトルのピークを手掛かりにして末端基におけるカルボキシレート基(-COO-)の有無を判定しているとしても(段落【0030】等,甲2),これは本願明細書におけるカルボキシレート基の有無の判定の手法であるに止まり,上記結論が左右されるものではない。
また,原告は刊行物1発明と本願発明の技術的思想の違いをいうが,本願発明が実質的に極性のある末端基が存在しないようにして,ポリマーの熱安定性等の向上を図ったものであるとしても(本願明細書の特許請求の範囲,段落【0005】等。甲2),刊行物1に接した当業者であれば,カルボキシレート基等が極性末端基として存在しないフルオロエラストマーの構成を理解することができるから,上記原告主張の点を考慮したとしても,刊行物1発明が本願発明の少なくとも一部の構成と実質的に同一である旨の前記(1)の結論が左右されるものではない。
(3) 前記(1)のとおり,刊行物1発明のフルオロエラストマー(ポリマー)の極性末端基は,本願発明の発明特定事項である「カルボキシレート-COO-基,スルフォネート基-OSO3-基,アルコール基-CH2OH,アシルフルオライド基-COFおよびアミド基-CONH2から選択される極性末端基の量が0であるかまたは,末端基の全量に対して3モル%より少ない」に当たるということができるところ,刊行物1発明のモノマーと本願発明のモノマーとは実質的に相違するものではない。
そして,審決が説示するとおり,本願発明における紫外-可視線(UV-VIS)照射は,ラジカルを発生させ,反応速度をコントロールするためになされるもので,生成するフルオロエラストマーの化学構造に差異を生じさせるものではない。したがって,前記(1),(2)の判断にも照らし,また,前記1の判断のとおり,重合方法の相違すなわち乳化重合か(本願発明),懸濁重合か(刊行物1発明)は当業者において適宜選択される程度の差異にすぎず,この差異によってフルオロエラストマーの化学構造に差異が生じるものではなく,また相違点2も実質的なものではないから,この旨をいう審決の判断に誤りはない。
(4) 結局,相違点1,2は実質的なものではなく,本願発明の少なくとも一部の構成は刊行物1発明と実質的に同一である。したがって,本願発明は新規性を欠くとした審決の判断に誤りはなく,原告が主張する取消事由2は理由がない。
第6結論
以上によれば,原告が主張する取消事由はいずれも理由がないから,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 塩月秀平 裁判官 古谷健二郎 裁判官 田邉実)