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知財高等裁判所 平成23年(行ケ)10056号 判決 2011年9月28日

原告

株式会社島津製作所

訴訟代理人弁理士

喜多俊文

江口裕之

阿久津好二

被告

特許庁長官

指定代理人

江成克己

田部元史

田村正明

主文

1  特許庁が不服2010-172号事件について平成23年1月6日にした審決を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

事実及び理由

第1請求

主文同旨

第2事案の概要

1  本件は,原告が,名称を「周期的分極反転領域を持つ基板の製造方法」とする発明につき特許出願をしたところ,拒絶査定を受けたので,これに対する不服審判請求をし,平成22年1月6日付けで特許請求の範囲の変更を内容とする手続補正(以下「本件補正」という。)をしたが,上記補正却下の上,請求不成立の審決を受けたことから,その取消しを求めた事案である。

2  争点は,上記補正後の請求項1に係る発明(以下「本願補正発明」という。)が下記引用例に記載された発明及び周知技術から容易想到(特許法29条2項)であったとして本件補正を却下したことが違法か,である。

引用例:特開2002-72266号公報(発明の名称「タンタル酸リチウム単結晶の強誘電分極反転を利用した光機能素子」,公開日 平成14年3月12日,甲1。以下,これに記載された発明を「引用発明」という。)

第3当事者の主張

1  請求の原因

(1)  特許庁における手続の経緯

原告は,平成16年1月21日,名称を「周期的分極反転領域を持つ基板の製造方法」とする発明につき特許出願(特願2004-12784号,公開特許公報は特開2005-208197号〔甲7〕)をし,平成20年12月26日(第1次補正,請求項の数3,甲9)及び平成21年9月1日(第2次補正,甲12)にそれぞれ手続補正をしたが,平成21年9月24日に第2次補正の却下及び拒絶査定を受けたので,平成22年1月6日,これに対する不服の審判請求と本件補正(第3次補正,請求項の数2。甲16。)をした。

特許庁は,同請求を不服2010-172号事件として審理した上,平成23年1月6日,本件補正を独立特許要件を欠くとして却下した上,「本件審判の請求は,成り立たない。」との審決をし,その謄本は同年1月18日原告に送達された。

(2)  発明の内容

本願に係る発明の内容は,次のとおりである。

ア 第1次補正時(平成20年12月26日,甲9,請求項の数3)のもの

・ 【請求項1】

単一分極されたC板の定比組成(ストイキオメトリ)または定比組成に近いタンタル酸リチウム単結晶からなる基板の+C面および-C面に電極を設け,少なくとも一方の電極は周期電極とし,前記電極間に電界強度が1[kV/mm]以下の直流電界を1[秒間]以上印加し,前記基板に周期的分極反転領域を形成することを特徴とする周期的分極反転領域を持つ基板の製造方法。

・ 【請求項2】

請求項1に記載の周期的分極反転領域を持つ基板の製造方法において,前記基板のLi2O/(Ta2O5+Li2O)のモル分率が,0.495以上0.505未満であることを特徴とする周期的分極反転領域を持つ基板の製造方法。

・ 【請求項3】

請求項1に記載の周期的分極反転領域を持つ基板の製造方法において,前記基板のLi2O/(Ta2O5+Li2O)のモル分率が,0.495以上0.505未満であり,且つ,前記基板には,Mg,Zn,Sc,Inのうちの少なくとも1種類がドープされていることを特徴とする周期的分極反転領域を持つ基板の製造方法。

イ 本件補正時(第3次補正,平成22年1月6日,甲16,請求項の数2。下線は補正部分)

・ 【請求項1】

MgOをドープした,単一分極されたC板の定比組成(ストイキオメトリ)または定比組成に近いタンタル酸リチウム単結晶からなる基板の+C面および-C面に電極を設け,少なくとも一方の電極は周期電極とし,前記電極間に電界強度が1[kV/mm]以下の直流電界を1[秒間]以上印加し,前記基板に周期的分極反転領域を形成することを特徴とする周期的分極反転領域を持つ基板の製造方法。(本願補正発明)

・ 【請求項2】

請求項1に記載の周期的分極反転領域を持つ基板の製造方法において,前記基板のLi2O/(Ta2O5+Li2O)のモル分率が,0.495以上0.505未満であることを特徴とする周期的分極反転領域を持つ基板の製造方法。

(3)  審決の内容

ア 審決の内容は,別添審決写しのとおりである。その要点は,本願補正発明は上記の引用例及び周知技術に基づいて当業者(その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者)が容易に発明をすることができたから特許を受けることができない(特許法29条2項)ので本件補正は独立特許要件を満たさず,本件補正前の請求項1に係る発明(第1次補正時のもの)も同様に特許を受けることができない,というものである。

イ なお,審決が認定した引用発明の内容,同発明と本願補正発明との一致点,相違点は,次のとおりである。

(ア) 引用発明の内容

「+z面および-z面を有する,Ta過剰で定比組成に近いモル分率0.495~0.50のタンタル酸リチウム単結晶またはLi過剰で定比組成に近いモル分率0.500~0.505のタンタル酸リチウム単結晶からなる基板の+z面および-z面に電極を設け,一方の電極は櫛形電極及び平行電極とし,他方の電極は全面電極とし,櫛形電極と平行電極の間,および櫛形電極と全面電極との間に電界を印加し,前記基板に周期的分極反転領域を形成する周期的分極反転領域を持つ基板の製造方法。」

(イ) 一致点

「単一分極されたC板の定比組成(ストイキオメトリ)または定比組成に近いタンタル酸リチウム単結晶からなる基板の+C面および-C面に電極を設け,少なくとも一方の電極は周期電極とし,前記電極間に電界を印加し,前記基板に周期的分極反転領域を形成する周期的分極反転領域を持つ基板の製造方法。」

(ウ) 相違点1

「本願補正発明は『MgOをドープした・・・タンタル酸リチウム単結晶』と特定されているのに対し,引用発明は該特定を有しない点。」

(エ) 相違点2

「本願補正発明は『電極間に電界強度が1[kV/mm]以下の直流電界を1[秒間]以上印加し』と特定されているのに対し,引用発明は該特定を有しない点。」

(4)  審決の取消事由

しかしながら,本願補正発明は引用発明及び周知技術に基づいて当業者が容易に発明をすることができたとする審決には,以下のとおり誤りがあるから,違法として取り消されるべきである。

ア 取消事由1(相違点1についての判断の誤り)

(ア) 引用発明の認定の誤りによる相違点1の判断の誤り

審決は,「引用発明において,本願補正発明の相違点1に係る構成を備えることは,周知技術に基づいて,当業者が容易に想到し得たことである。」(9頁3~5行)と判断しているが,誤りである。

a 「引用例にはMgを添加してはならない旨の記載はない。」との認定の誤り

審決は「引用例全体の記載をみても,引用例にはMgを添加してはならない旨の記載はない。」(8頁10~11行)との認定に基づき,「容易に想到し得た」との判断に至っているが,この認定は誤りである。

すなわち,引用発明(甲1)の技術的思想は,「従来の各種結晶は,Mgなどの添加物を加えると,光機能素子を再現性よく作成するのが難しくなる」という課題を解決し,「Mgなどの添加物を加えることなく,電圧印加法を用いて周期的分極反転構造を精度よく生成する」ことを目的として,「従来の基板材料に代えて,Li過剰のストイキオメトリ組成のLT結晶を採用する」ことで,「Mgなどの添加物を加えなくても耐光損傷閾値が高くなる」という作用効果を奏するところにあり,MgOを添加(ドープ)しないことを前提とするものである。したがって,引用発明は,その技術的思想上,Mgを添加してはならないことを前提として成り立っているものである。

b 「光損傷に強くするためのMg添加は必要でないというもの」との認定の誤り

審決は,上記前提について「ただし,これは光損傷に強くするためのMg添加は必要でないというもの」(8頁9~10行)とも認定する。

しかし,引用発明は,単に光損傷の効果を得るためにMg添加が必要でないという点にとどまらず,分極反転特性の制御の面から,MgOを添加しないことを前提とした技術的思想である。

この点を再度詳細に説明すると,引用発明の課題は,「耐光損傷性に優れるものの,分極反転の制御性がMgO濃度に依存するため,無添加の定比組成に近いLT単結晶よりも分極反転構造を持つ光機能素子を再現性よく作成するのが難しくなる」,「Mgを含んだLT単結晶の生産において,Mg元素を結晶内に均一に分布させ光学的品質を劣化させずに結晶を育成するためには,無添加結晶の場合に較べて結晶育成速度を遅くしなければならず,生産性が悪くなるという問題があった。さらに,Mgを含んだ結晶では分極反転特性が無添加結晶とは異なるため,制御性が悪くなるという問題があった」,「また定比組成に近くTa成分過剰のLT結晶に少量MgOを添加した単結晶では反転周期が短くなり,反転構造が複雑になる」というものであって,分極反転特性の制御の面からMgを添加することなく,Ta成分過剰とするのみとしているのである。

c 引用発明を技術的思想として把握していないことについての誤り

引用発明の認定に際しては,仮に各構成要素が記載されていたとしても,それをひとまとまりの構成ないし技術的思想として把握できるか否かを判断する必要がある(知財高裁平成18年(行ケ)第10138号事件判決参照)。

この点,審決は,引用発明のMgO添加に関する課題について本質的な技術的思想の認定を明らかに誤っているのであって,その誤った認定を前提として周知技術の適用を論じているから,引用発明の認定の誤りは,審決の結論に影響を及ぼすことは明らかである。

d 甲3記載の周知技術の技術的思想の認定及びその適用の誤り

仮に引用発明に周知技術を適用するならば,引用発明の課題を解決して,積極的にMgを添加してもよい旨の示唆等が周知技術に存在することが必要になるのは当然である。

この点,甲3(特開平6-16500号公報,発明の名称「タンタル酸リチウム単結晶,単結晶基板および光素子」,公開日 平成6年1月25日)の構成は,「光透過性及び耐光損傷特性に優れたタンタル酸リチウム単結晶を提供」することを課題として,Mgを所定量添加するものであるところ,Mgの添加によって「耐光損傷特性」が改善する効果が得られることは,「MgOを添加した定比組成に近いLT単結晶は,耐光損傷性に優れるものの」との記載から明らかなように,引用発明で既に前提として記載されており,引用発明はそれでもなお,Mgをドープしない構成を採用するものである。

引用発明は,「波長変換光機能素子」であり,「最も重要な技術は,周期的分極反転構造を精度よく生成する」ことにある。すなわち,「波長変換光機能素子」は,周期的分極反転構造により,入射光を所望の波長の光に変換することができる素子であり,この周期が不均一になると,たとえ光透過性が向上したとしても,そもそもの波長変換素子としての機能を果たさないことは当業者に明らかである。

したがって,引用発明が「分極反転の制御性がMgO濃度に依存するため,無添加の定比組成に近いLT単結晶よりも分極反転構造を持つ光機能素子を再現性よく作成するのが難しくなる」との課題,すなわち周期的分極反転構造を再現性よく作成できないという課題の存在を前提としているにもかかわらず,単に甲3にMgOドープによる光透過性の効果が記載されていることのみをもって,当業者が,引用発明にMgOをドープしたはずであるとは到底いえない。

e 甲4記載の周知技術の技術的思想の認定の誤り及びその適用の誤り

甲4(特開2001-287999号公報,発明の名称「タンタル酸リチウム単結晶,およびその光素子,およびその製造方法」,公開日 平成13年10月16日)記載の発明における技術的思想は,MgOを添加した一致溶融組成LTの場合,外部から自発分極と反対方向の電場を加えた時の自発分極の反転の制御が悪く,さらに,分極反転幅比を1:1に作成することがより困難であるとの課題を解決し,分極反転周期特性及び電気光学特性に優れた定比組成LT結晶を育成するとの目的を達成するために,定比組成に近いもののある程度のTa余剰により不定比欠陥を有するタンタル酸リチウム単結晶に,Mg,Zn,Sc,Inのいずれかの元素をトータル量で0.1~3mol%添加する構成を採用することで,Liの欠陥部分を前記第三の元素により埋めるところにあり,かかる技術的思想は,「MgOを添加した定比組成に近いLT単結晶は,耐光損傷性に優れるものの,分極反転の制御性がMgO濃度に依存するため,無添加の定比組成に近いLT単結晶よりも分極反転構造を持つ光機能素子を再現性よく作成するのが難しくなる」,「これまでに若干のTa過剰成分側(Li2O/(Ta2O5+Li2Oのモル分率が0.495~0.50))にある結晶では,安定して光損傷に強い結晶を提供するためには,Mgなどの添加物を加えることが必要であった。」との記載,すなわち,引用発明の従来技術に相当する。

引用発明は,当該従来技術に対し,「しかし,Mgを含んだLT単結晶の生産において,Mg元素を結晶内に均一に分布させ,光学的品質を劣化させずに結晶を育成するためには,無添加結晶の場合に較べて結晶育成速度を遅くしなければならず,生産性が悪くなる」ことを課題として,Mg,MgOをドープしない構成を採用するものである。よって,当該課題を無視して,当業者が引用発明にMgOをドープしたはずであるとは到底いえない。

なお,被告は,甲3及び甲4は,光損傷に強くする目的及びそれ以外の種々の目的でタンタル酸リチウム単結晶にMgOをドープすることを示す周知技術として挙げた文献であり,実際にそれが記載されているので,審決の認定に誤りはない旨の主張をするが,たとえ甲3及び甲4にMgOドープをすることが記載されていたとしても,甲3は「280~400nm帯における光透過率を向上させた」(請求項4)ものであり,甲4は「Mg...をトータル量で0.1~3mol%の範囲で融液に添加することにより,非線形光学定数d33および電気光学特性r33を低下させないで小さな分極反転電圧が得られ」(段落【0021】)るものであることから,引用発明とは各々目的が異なる。このように目的が異なる技術を引用発明に適用する動機付けとなるものは何もない。

(イ) 小括

以上のとおり,審決は,引用発明の認定を誤り,また甲3及び甲4に記載された発明の技術的思想を正解することなく,甲3及び甲4から形式的にMgOをドープする構成を取り出して引用発明に容易に適用できるとしたものである。該判断は,審決の結論に影響を及ぼす重大な瑕疵であり,かかる判断に基づく審決は,違法として取り消されるべきである。

なお,付言すると,「Ta過剰定比結晶」と「Li過剰定比結晶」のいずれをも含むというのが審決の認定であるとすれば,引用発明は,「Ta過剰定比結晶」と「Li過剰定比結晶」のいずれについても分極反転領域を形成できる製造方法の発明であることになる。そのような製造方法の発明を引用例から認定できないことは前述のとおりではあるが,仮に認定できるとしても,そのうちの一方のみではなく,Ta,Liのどちらが過剰であるか否かにかかわらず,MgOを添加する工程を設けることが容易であることを示さなければ,進歩性欠如の論理付けができるとはいえない。

そして,取消事由1のうち,引用発明の「Li過剰定比結晶」にMgOをドープすることが容易とはいえない点については,被告も明確な反論をしないところである。

そうすると,取消事由1は,引用発明の「Li過剰定比結晶」にMgOを添加することが容易ではないとする点において理由がある。その際,引用発明に「Ta過剰定比結晶」が含まれ,その結晶にMgOをドープすることが容易であるかどうかは,取消事由1の結論に影響を及ぼさないから,被告の反論は失当である。

イ 取消事由2(相違点2のうち「直流電界」とすることについての判断の誤り)

(ア) 引用発明と周知技術を示す刊行物(甲2,5,6)との関係について

引用発明は,「分極反転の制御性がMgO濃度に依存するため,無添加の定比組成に近いLT単結晶よりも分極反転構造を持つ光機能素子を再現性よく作成するのが難しくなる」ことを課題とする。また,全ての実施例等は,パルス電圧を印加するものとして記載されている。

一方,審決が引用する甲2(特開2003-295242号公報,発明の名称「光波長変換素子」,公開日 平成15年10月15日)記載の発明は,「パルス電圧のみ又は直流電圧のみの印加による分極反転構造の課題を解決するために,直流電圧にパルス電圧を重畳する」点に特徴を有するところ,当該文献に触れた当業者が,引用発明の印加電圧を直流電圧にしたであろうとの推測は得られないというべきである。

また,甲5(特開平9-127564号公報,発明の名称「光デバイス」,公開日 平成9年5月16日)記載の発明は,「直接電界印加法では,疑似位相整合に要求される精度を出すことが困難である」との課題を解決するために,「分極反転の周期構造が繰り返される方向と光伝搬方向とが0°より大きく設定」するという技術的思想が認められるにすぎず,当該文献に触れた当業者が,引用発明の印加電圧を直流電圧にしたであろうとの推測は得られないというべきである。

さらに,甲6(特開平4-335620号公報,発明の名称「分極反転制御方法」,公開日 平成4年11月24日)記載の発明における技術的思想は,結晶破壊を起こさないように,高温中で電圧印加を行うと,強誘電体材料の表面が汚れるおそれがあるとの課題を解決するために,対象とする強誘電体材料に応じて電極幅等を適切に選定する点にあることから,当該文献に触れた当業者が,引用発明の印加電圧を直流電圧にしたであろうとの推測は得られないというべきである。

仮に,審決による周知技術の認定を前提としても,当該文献に触れた当業者が,引用発明の印加電圧を直流電圧にしたであろうとの推測が得られない場合は,引用発明に当該周知技術として認定した事項を適用することが容易であるとすることはできない。被告は,「直流電圧」を印加することが甲2,甲5及び甲6に記載されていることを主張するのみで,引用発明の印加電圧を直流電圧にしたであろうとの推測が成り立つことの主張立証はみられず,被告の上記主張は失当である。

(イ) 出願当時の技術水準

本願出願当時(平成16年1月21日),パルス電圧を印加して,分極反転構造を形成するかについて活発な研究がされているものの,直流電圧を印加することを開示した文献は確認できないことからみて,出願当時の技術水準では,分極反転構造を形成するためには,パルス電圧を印加することが相当程度の技術常識として定着していたことが推認される。

なお,被告は,直流電界と単一パルスが同義であるとするが,これらは技術的に相違するものであり,同義に扱うのは,苦し紛れの詭弁にすぎない。

そもそも直流は,定電圧電源から出力されるものであり,パルスは,所定のパルス幅の電圧を出力するための発生回路を有するパルス電源でなければ生成できない。単一パルスというのは,パルスの個数が1つだけであるという意味にすぎず,直流と異なることは技術的に当然である。

特に,パルス電圧を印加することにより基板に周期的分極反転領域を形成する方法では,必要な精度でデューティ比を調整するために,数百μ秒のオーダーでパルス幅を制御する必要があるという認識があったために,パルスを単一とするか複数回に分けるかは別として,パルス電源を使用していたのである。

(ウ) 小括

したがって,審決は,引用発明並びに甲2,甲5及び甲6記載の発明の課題の相違を十分認識することなく,また,本願出願当時の技術常識を的確に把握せずに,甲2,甲5及び甲6の記載から直流電圧の印加に関する記載のみを形式的に取り出して引用発明におけるパルス電圧と置き換えようとするものであって,審決の判断が失当であることは明らかである。

ウ 取消事由3(相違点2のうち電界強度と印加時間に関する判断の誤り)

(ア) 数値範囲の意図する技術的思想の示唆の存在の立証を欠く認定の誤り

いわゆる数値範囲が含まれている発明の容易想到性を判断した先例として,例えば,知財高裁平成21年(行ケ)第10330号事件判決がある。これは「引用発明及び周知例に接した当業者が,本願発明の数値範囲に到達しようとするとき,その数値範囲の意図する技術的思想についての示唆がそれらの文献にない場合は,当業者が当該数値範囲に設計的に至るということはできない。」旨の判示をしている。

審決は,直流電界の強度と印加時間は,基板に所望する周期的分極反転領域が形成されるように適宜定めるべき設計事項であるとしているが,本願補正発明の数値範囲の意図する技術的思想の示唆が,引用例及び周知例にあることの立証をしていない以上,進歩性を否定する根拠を欠いている。

(イ) 本願補正発明の数値範囲の意図する技術思想

本願補正発明の数値範囲の意図する技術的思想は,「従来のパルス電圧を印加することにより基板に周期的分極反転領域を形成する方法では,必要な精度でデューティ比を調整するために,数百[μ秒]のオーダーでパルス幅を制御する必要があったという課題を解決するために,定比組成又は定比組成に近いタンタル酸リチウム単結晶にMgOをドープした結晶からなる基板に周期電極を配置した上,当該電極に電界強度が1[kV/mm]以下の直流電界を1[秒間]以上印加することにより,分極反転構造の横方向への広がりが抑制された均一な分極反転構造を非常に粗い時間管理でも得ることができる」というものである。

特に,MgOをドープした結晶からなる基板に,電界強度が1[kV/mm]以下の直流電界を印加することにより,分極反転構造の横方向への広がりが抑制された分極反転構造が形成されるという原理自体,いずれの文献にも開示,示唆がない。

したがって,審決に立証がないことはもとより,実質的にも,数値範囲の意図する技術的思想が引用例及び周知例に示されているとはいえず,かかる数値範囲に至ることが設計事項であるとした審決の判断は誤りである。

(ウ) 技術常識に基づく困難性の看過

引用例における「両z面に電極を形成した後,電圧を印加し,電流値の変化から分極反転電圧を測定した。」との記載(甲1の段落【0063】),甲2における「分極反転が生じると,櫛形電極2と平面電極3との間に,強誘電体の自発電極の大きさと電極面積とに比例した電流(「反転電流」と称する)が流れる。」との記載(甲2の段落【0134】),及び,甲23における「分極反転電流は約1kV/mmから流れ始め,約2.0kV/mmで完了している。」との記載などからみて,「周期的分極反転領域が形成」されたかどうかは,反転電流が流れたかどうかによって判断するのが一般的である。この点,甲23における「分極反転電流は約1kV/mmから流れ始め」との記載から理解できるように,本願発明の電界強度(1kV/mm以下)では,反転電流が観測されないとされており,甲20~甲23(学術文献)の全記載をみても,本願出願当時,パルス電圧を印加して,分極反転構造を形成するかについて活発な研究がなされているものの,直流電圧を印加する文献は確認できず,かつ,本願出願前に,1kV/mm以下の電界強度において反転電流が観測されるとの記載は認められない。

したがって,本件出願当時,本願補正発明の電界強度条件下において分極反転領域が形成されたかどうかを確認できなかったものと推測される。

しかも,甲6の図13等から明らかなように,周期的構造が所望の形状に形成されたかどうかを判断するためには,断面写真などで観察を行うことが必要となることからすれば,本願補正発明のように1kV/mm以下の直流電界を印加した場合には,反転電流が観測できないために,分極反転領域が形成されたかどうかを確認できないにもかかわらず,電界の印加を停止し,断面写真を撮影するという極めて困難な手順を踏まなければ,本願補正発明に至ることはできないのであるから,当業者が本願補正発明の条件に至ることは相当困難であったというべきである。

以上のとおり,審決が引用した各刊行物には,本願補正発明における数値範囲の意図する技術的思想が開示されていないことはもとより,設計指標がないままに「基板に所望する周期的分極反転領域が形成され」ているかどうかを確認しながら,場当たり的に実験を行ったとしても,本願補正発明の条件に至るには相当の困難を伴うというべきである。

なお,被告が主張する「甲23のFig.3は,電界強度1.1kV/mmで反転電流が観測されることを示している」という事実は,本願出願後の甲23(レーザー研究,第32巻3号 2004年[平成16年]3月)にようやく記載があり,かつ,「1kV/mm以下の電界強度において反転電流が観測されるとの記載は認められない。」との事実を覆すものではない。

また,甲23は審決で引用していないことはもとより,本願出願後に頒布された刊行物であるから,そもそもの引例適格を欠くものであり,甲23に基づく被告の反論は失当である。

このほか,被告は本願補正発明の属する技術分野についての技術的理解を誤っている。

すなわち,被告は,「電界強度を強くかつ印加時間を長くすれば分極反転領域形成の確実さが増すことは自明である。」とするが,高電界を長時間印加すれば,周期的分極反転領域が横方向に広がり,隣接する分極反転領域と接してしまうなどして,所望の結晶が得られない。そうであるからこそ,各文献に記載の発明においては,印加するパルスの幅を厳格に制御しているのである。

しかも,被告は,裏付けとして甲24(平成23年4月14日付けAの「陳述書」)を引用し,「図の番号の順に実験を進めたとすれば」とするが,甲24が,長時間の電界印加によっても横方向への広がりが抑制されていることを確かめるための実験であることは甲24の記載から明らかであるから,「まず電界強度を強くかつ印加時間を長く設定し,その後徐々に電界強度を弱くかつ印加時間を短く設定して実験した」のとは逆の順で行ったであろうことは,当然に理解できることである。

被告の判断は,技術的に誤った認定及び極めて恣意的な判断に基づいており,進歩性の判断において排除されなければならない典型例である。

(エ) 小括

したがって,審決による電界強度と印加時間に関する判断には重大な瑕疵があり,結論に及ぼす影響が重大である。

エ 取消事由4(格別な効果の看過)

(ア) 本願補正発明の効果

本願補正発明の効果は,本願明細書(公開特許公報,甲7)に「実施例2によれば,1[秒間]以上のいずれの時間でも,直流電圧印加領域全体に渡って均一な周期で分極反転構造が得られた。・・・直流電圧印加時間の変化に対するデューティ比の変化は小さく,数十[秒]のオーダーで直流電圧印加時間を制御しても十分な精度でデューティ比を調整できる」(段落【0017】)と明記されているように,本願明細書から明確に把握できる。

さらに,かかる効果は,本願補正発明の発明者による陳述書(甲24)の添付書類における図5,図6a~図6dの断面写真からも明らかである。

(イ) 審決で引用された各刊行物の効果

一方,審決で引用された各刊行物には,MgOをドープしたSLTに1kV/mm以下の直流電界を1秒以上印加した場合に,分極反転構造の横方向への広がりが抑制されることを示唆する記載は認められず,本願補正発明の奏する効果は,引用文献から予想することができないものである。

したがって,審決の「本願補正発明は,引用発明及び周知技術に基づいて,当業者が容易に発明をすることができた」との判断は誤りであって,審決は取り消されるべきである。

2  請求原因に対する認否

請求の原因(1)ないし(3)の各事実は認めるが,(4)は争う。

3  被告の反論

審決の認定判断に誤りはなく,原告主張の取消事由はいずれも理由がない。

(1)  取消事由1に対し

ア(ア) 原告は,引用発明の技術思想は「従来の各種結晶は,Mgなどの添加物を加えると,光機能素子を再現性よく生成するのが難しくなる」という課題を解決し,「Mgなどの添加物を加えることなく,電圧印加法を用いて周期的分極反転構造を精度よく生成する」ことを目的として,「従来の基板材料に代えて,Li過剰のストイキオメトリ組成のLT結晶を採用する」ことで,「Mgなどの添加物を加えなくても耐光損傷閾値が高くなる」という作用効果を奏するところにあり,MgOを添加しないことを前提とするものである旨主張するので,以下検討する。

(イ) 引用例(甲1)には,TaとLiのモル分率が,多量のTa成分過剰の約0.485,若干Ta成分が過剰な側0.495~0.50,Li成分が過剰の定比組成に近い0.50より大きい,と異なる3種類のタンタル酸リチウム単結晶が記載されている(段落【0043】,【0044】参照)(1番目の単結晶は,定比0.5から乖離しているから,以下「非定比結晶」といい,2番目の単結晶は,定比0.5に近いがTa過剰であるから,以下「Ta過剰定比結晶」といい,3番目の単結晶は,定比0.5に近いがLi過剰であるから,以下「Li過剰定比結晶」という。)。

一方,審決が引用例(甲1)に記載されているとした引用発明は,「+z面および-z面を有する,Ta過剰で定比組成に近いモル分率0.495~0.50のタンタル酸リチウム単結晶またはLi過剰で定比組成に近いモル分率0.500~0.505のタンタル酸リチウム単結晶からなる基板の+z面および-z面に電極を設け,一方の電極は櫛形電極及び平行電極とし,他方の電極は全面電極とし,櫛形電極と平行電極の間,および櫛形電極と全面電極との間に電界を印加し,前記基板に周期的分極反転領域を形成する周期的分極反転領域を持つ基板の製造方法。」である。

よって,審決の認定した引用発明のタンタル酸リチウム単結晶は,「Ta過剰で定比組成に近いモル分率0.495~0.50のタンタル酸リチウム単結晶またはLi過剰で定比組成に近いモル分率0.500~0.505のタンタル酸リチウム単結晶」であり,「Ta過剰定比結晶」と「Li過剰定比結晶」を含む。

また,引用例では,「Ta過剰定比結晶」には,「安定して光損傷に強い結晶を提供するためには,Mgなどの添加物を加えることが必要であった。」(段落【0070】参照)のであるから,原告が引用発明の課題に関して「引用例記載の発明は,・・・Mgなどの添加物を加えることなく」とした点は,引用発明のタンタル酸リチウム単結晶を「Li過剰定比結晶」のみに限るものであり,誤りである。

なお,審決では,引用例にはMgを添加してはならない旨の記載の事実がないことを指摘するとともに,引用発明として認定したタンタル酸リチウム単結晶全体についてMg添加が除外されているわけではないことを示したものである。

(ウ) このように,引用発明のタンタル酸リチウム単結晶は,「Li過剰の定比組成に近いLT結晶」つまり「Li過剰定比結晶」のみに限られないのであるから,原告による引用発明の「技術思想」,「課題」及び「作用効果」の認定はすべて誤っている。特に,「Mgなどの添加物を加えなくても耐光損傷閥値が高くなるという作用効果を奏する」ことは,「Li過剰定比結晶」のみにいえることであり,引用発明のタンタル酸リチウム単結晶は「Li過剰定比結晶」のみに限られないのであるから,「引用発明の技術思想は・・・MgOを添加しないことを前提とするものである。」との主張は誤りである。

イ 甲3及び甲4は,「タンタル酸リチウム単結晶からなり,周期的分極反転領域を持つ基板の製造方法において,光損傷に強くする目的及びそれ以外の種々の目的でタンタル酸リチウム単結晶にMgOをドープすること」が周知技術であることを示す例として挙げた文献である。

審決で,引用例(甲1)の「なお,これまでに若干のTa過剰成分側(Li2O/(Ta2O5+Li2Oのモル分率が0.495~0.50)にある結晶では,安定して光損傷に強い結晶を提供するためにはMgなどの添加物を加えることが必要であった。」との記載(段落【0070】)を引用して検討したとおり,同周知技術は引用例(甲1)にも記載されている。

しかし,上記記載は,光損傷に強くする目的でMgOをドープすることに関するものであるので,審決は,それ以外の目的でもMgOをドープすることが記載された例として甲3及び甲4を挙げたものである。そして,甲3及び甲4には,審決で述べたとおり,「タンタル酸リチウム単結晶からなり,周期的分極反転領域を持つ基板の製造方法において,光損傷に強くする目的及びそれ以外の種々の目的でタンタル酸リチウム単結晶にMgOをドープすること」が記載されている。

よって,引用発明において,本願補正発明の相違点1に係る構成を備えることがMgOをドープすることに関する周知技術に基づいて当業者が想到容易であったとの判断に係る周知技術が記載された文献として,甲3及び甲4を審決で引用した点に誤りはない。

(2)  取消事由2に対し

ア 甲2,甲5及び甲6の記載事項について

甲2,甲5及び甲6には,原告が主張する各事項がそれぞれ記載されている。しかし,審決は,これら各発明を参照するために甲2,甲5及び甲6を引用したのではなく,「タンタル酸リチウム単結晶からなり,周期的分極反転領域を持つ基板の製造方法において,電極間に直流電界を印加して分極反転させること」が周知技術であることを示すために,同周知技術が甲2,甲5及び甲6に記載されていることから引用したのである。

例えば,甲2には,「次に,直流電源4のみを使用して,直流電圧のみを印加して分極反転領域の形成を試みた例を説明する。この場合には,図1(a)の構成で,直流電源4によって櫛形電極2を介してLiTaO3基板1に直流電圧を印加する。パルス電源5は使用せずに,平面電極3は接地する。」(段落【0140】)と直流電圧のみを印加することが明記されている。

よって,甲2,甲5及び甲6を引用して,本願補正発明と引用発明との相違点2のうち「直流電界」とすることを容易想到とした審決の判断に誤りはない。

イ 甲20ないし甲23から認められる技術水準について(取消事由3に対する反論を含む。)

(ア) 前記アのとおり,本願補正発明と引用発明の相違点2のうち「直流電界」とすることを容易想到と判断するために必要な周知技術は甲2,甲5及び甲6に記載されているのであるから,原告が「出願当時の技術水準」を示す証拠と主張する甲20ないし甲23を検討し,それらにいかなる技術事項が記載され,それが「出願当時の技術水準」を示すか否か,及び上記周知技術とどう関係するかを判断する必要はないが,念のため検討する。

(イ) 確かに,甲20及び甲21には,MgOをドープしたタンタル酸リチウム単結晶に,概ね2kV/mm以上の電界強度でパルス電圧を印加することが記載されているが,これが出願当時の技術水準を示すものとはいえない。

まず,本願補正発明でいう直流電界は,1秒間以上の幅を持つ電界強度が1kV/mm以下である単一パルスともいえるから,甲20の0.22s,2.4kV/mmの単一パルス(1263頁 27P-W-8)及び甲21の0.9s,2.1kV/mmの単一パルス(1067頁 30a-YK-4)と格別相違しない。

また,タンタル酸リチウム単結晶を用いた周期的分極反転領域を持つ基板の製造手段の簡素化には,パルス電界印加より直流電界印加が望ましく,電源は,より低電圧が望ましいことは技術常識である(本願明細書の段落【0006】参照)。

このほか,甲24(陳述書)に添付された「発明考案の説明書」2頁の「E.作用・・・従来のような絶縁油内で印加するなどの放電対策が必要ない。」との記載は,高電圧であると放電が起きやすいことを示している。一方,甲20及び甲21は,学会で発表する論文であるから,その基となる実験では,他の研究者の検証に耐える優れた特性の試料を得ることが,製造手段の簡素化より重視されるべきとも考えられる。

してみれば,甲20及び甲21に,概ね2kV/mm以上の電界強度でパルス電圧を印加することが記載されているからといって,1kV/mm以下の電界強度で1秒間以上の直流電圧を印加することを試みることが,学術論文を執筆する研究者以外も含むタンタル酸リチウム単結晶を用いた基板の製造に携わる当業者にとって,技術常識に反していたとはいえない。

(ウ) 甲22には,Mg;SLTウエハに0.6kV/mmの電界を単一パルスで印加することで分極反転を行うことが記載されているが,これが出願直後の技術水準を示すものとはいえない。

前記のとおり,本願補正発明でいう直流電界は,1秒間以上の幅を持つ電界強度が1kV/mm以下である単一パルスともいえるから,甲22の単一パルスと,格別相違しない。

また,平成15年3月開催の学会の講演予稿集である甲20及び同年秋催の学会の講演予稿集である甲21には,MgOをドープしたタンタル酸リチウム単結晶に,概ね2kV/mm以上の電界強度でパルス電圧を印加することが記載されている。そして,平成16年3月開催の学会の講演予稿集である甲22には,Mg;SLTウエハに0.6kV/mmの電界を単一パルスで印加することで分極反転を行うことが記載されている。

してみれば,より低い電界強度を目指す方向で研究が進められたといえる。そして,本願出願日である平成16年1月21日の2か月後に開催された学会の発表に係る講演予稿集である甲22に0.6kV/mmの電界を単一パルスで印加することが記載されており,講演予稿集投稿に先立って実験計画立案,機材準備,実験,データ分析,執筆等の時間が必要であることにかんがみれば,1kV/mm以下の電界強度でパルス電圧を印加することが本願出願前時の技術水準であったといえる。

(エ) 甲23の記載(182頁左欄下から3行目~同右欄1行目)及びFig.2,3からすれば,甲23には徐々に強度が増す三角波による実験結果が示されているのであって,約1kV/mmから分極が始まるとともに分極反転電流が流れ始めていることは,約1kV/mmで反転分極できることを意味する。

よって,甲23の上記記載は,例えば,三角波のスロープが1kV/mmに達したときに電界強度をそのままの値に維持して所定時間継続する,つまり三角波の代わりに1kV/mmの電界強度の台形波パルスとし,直流と相違ないものとしても反転分極でき得ることを示唆しており,甲23の記載が「MgOがドープされたSLT(定比組成LiTaO3)において,1kV/mm以下の電界強度では,分極反転電流が観測されないと考えられていた。」ことを示すとはいえない。

なお,三角波のスロープが5kV/mm/sであり,約2.5kV/mmまでグラフが描かれていることは,約0.5s電界を印加したことを意味するから,甲23の記載は,直流電界を約1kV/mmで約0.5秒印加すれば反転分極でき得ることを示唆している。

(オ) 以上のとおり,「出願当時の技術水準では,分極反転構造を形成するためには,パルス電圧を印加することが相当程度の技術常識として定着していたことが推認される。」とはいえない。

特に,本願補正発明でいう直流電界は,1秒間以上の幅を持つ電界強度が1kV/mm以下である単一パルスともいえるから,甲20ないし甲22の単一パルスと,格別相違しない。

(3)  取消事由3に対し

ア 「本願補正発明の数値範囲の意図する技術的思想の示唆の存在を欠く認定の誤り」について

(ア) 本願明細書の段落【0006】の記載からすると,本願補正発明の技術的意義(技術思想)は,直流電界を用いることで,パルス電圧では必要な電圧を印加するための複雑な構成(短いパルス幅のパルス電圧を出力できる電源など)を不要にし,かつ直流電界を用いても従来の材質の基板では約20[kV/mm]以上の強電界が必要であったところ,定比組成又は定比組成に近いタンタル酸リチウム単結晶の基板とすることで,周期的分極反転領域を基板に形成するための直流電界を20[kV/mm]よりは十分に小さい値とする点にあると解される。

本願明細書に,1[kV/mm]よりは大きいが20[kV/mm]よりは十分に小さい3[kV/mm]の直流電界を用いて,MgOをドープしていないものの定比組成又は定比組成に近いタンタル酸リチウム単結晶の基板に周期的分極反転領域を形成する実施例6についての記載(段落【0025】)があることは,これを裏付ける。

また,本願補正発明では,最低限必要な直流電圧印加時間は電界強度に応じて自ずと定まる(段落【0020】)ところ,本願明細書(甲7)には,印加時間は1秒間より大きい180秒間であるが電界強度は1kV/mmより小さい0.5kV/mmである実施例3について,段落【0018】に記載がある。

すなわち,本願明細書には,電界強度が1kV/mm以外の実施例としては,電界強度が0.5kV/mmで電圧印加時間が180秒間の実施例しかなく,本願明細書には,原告が主張する「定比組成又は定比組成に近いタンタル酸リチウム単結晶にMgOをドープした結晶からなる基板に周期電極を配置した上,当該電極に電界強度が1[kV/mm]以下の直流電界を1[秒間]以上印加することにより,分極反転構造の横方向への広がりが抑制された均一な分極反転構造を非常に粗い時間管理でも得ることができるというものである。」という技術思想を裏付ける実施例はない。

むしろ,本願補正発明で印加時間1秒間以上電界強度1kV/mm以下とあるのは,電界強度が小さい点では実施例3の方が優れているものの,ある特定のモル分率と厚さの基板を用いた実施例2を,印加時間が短く電界強度20kV/mmよりは十分に小さい例として提示した程度のことであって,本願補正発明の技術的意義(技術的思想)は,「従来のパルス電圧を印加することにより基板に周期的分極反転領域を形成する方法では,必要な精度でデューティ比を調整するために,数百μ秒のオーダーでパルス幅を制御する必要があるのでパルス電圧ではなく直流電界を用いることとし,かつ従来の材質の基板では直流電界を用いても約20kV/mm以上の強電界が必要であったところ,定比組成又は定比組成に近いタンタル酸リチウム単結晶にMgOをドープした結晶からなる基板を用いることにより,周期電極を配置した上,当該電極に電界強度が約20kV/mmよりは十分に小さい直流電界を,その電界強度から自ずと定まる最低印加時間以上印加することにより,基板の厚みにも依存する分極反転構造の横方向への広がりの範囲で,均一な分極反転構造を得ることができるというもの」と解される。

(イ) このように,原告による本願補正発明の技術的思想についての認定は誤っており,また,その前提となる本願補正発明の作用効果についての認定も,後記(4)記載のとおり誤っている。

例えば,原告が,本願補正発明の数値範囲である「直流電界印加1秒間以上,電界強度1kV/mm以下」の意図する技術的思想と主張する点のうち,「従来のパルス電圧を印加することにより基板に周期的分極反転領域を形成する方法では,必要な精度でデューティ比を調整するために,数百[μ秒]のオーダーでパルス幅を制御する必要があったという課題を解決する」ことができるのは,パルス電圧印加ではなく直流印加を採用したためであり,「分極反転構造の横方向への広がりが抑制された均一な分極反転構造を非常に粗い時間管理でも得ることができる」ことは,印加時間を変えて実施された実施例2のみについていえても,1秒間と桁数においてかけ離れた20秒間又は180秒間という単一の時間しか印加していない実施例1,実施例3ないし実施例5にもいえるか否か不明であって,「電界強度が1[kV/mm]以下の直流電界を1[秒間]以上印加すること」との因果関係は不明である。

(ウ) 一方,審決で検討したとおり,「定比組成又は定比組成に近いタンタル酸リチウム単結晶にMgOをドープした結晶からなる基板を用いる」点は引用例(甲1)に記載されており,「直流印加を採用する」点は甲2,甲5及び甲6に記載されている。

そして,「電界強度が1kV/mm以下の直流電界を1秒間以上印加すること」は,出願当時の技術水準からみて何ら格別のものではなく,例えば甲23にもその点の示唆があるものである。

イ 技術常識に基づく困難性の看過について

原告が甲20ないし甲23の記載を引用して主張する「出願当時の技術水準」の認定が当を得ないことは,前記(2)イのとおりである。

特に,甲23のFig.3は,電界強度1.1kV/mmで反転電流が観測されることを示している。

また,電界強度を強くかつ印加時間を長くすれば分極反転領域形成の確実さが増すことは自明であるため,まず電界強度を強くかつ印加時間を長く設定し,その後徐々に電界強度を弱くかつ印加時間を短く設定する実験が計画できるのであって,やみくもに電界強度と印加時間を変える場当たり的な実験を行う必要はない。

甲24(陳述書)はこれを裏付けるものであり,甲24に添付された「発明考案の説明書」の図面をみると,図4の実験は(印加電圧2kVを基板厚0.4mmで割って)5kV/mm印加時間3msecで行い,図5の実験は1kV/mm印加時間2秒で行い,図6の実験は1kV/mm印加時間1秒,5秒,10秒,30秒で行い,図7の実験は0.5kV/mm印加時間90秒,180秒で行っている。図の番号の順に実験を進めたとすれば,概ね,まず電界強度を強くかつ印加時間を長く設定し,その後徐々に電界強度を弱くかつ印加時間を短く設定して実験したことになる。

ウ 以上のとおり,取消事由3に係る原告の主張はいずれも失当であり,相違点2のうち電界強度と印加時間に関する審決の判断に誤りはない。

(4)  取消事由4に対し

ア 本願明細書(甲7)の段落【0017】の記載は,「実施例2によれば」で始まる実施例2のみに関する記載である。そして,ここには「1[秒間]以上のいずれの時間でも」及び「直流電圧印加時間が長いほど」とあるが,このことがいえるのは,実施例2では,印加時間を1,5,10,30秒間と1秒間以上で複数変えて行ったからである。

一方,実施例2以外の実施例(実施例1,実施例3ないし実施例6)では,単一の印加時間(20秒間又は180秒間)で実施しているところ,これらは,1秒間とは大きく乖離している。そのため,例えば,実施例3と同様に電界強度を0.5kV/mmと低くし,印加時間を実施例3の180秒間以外に1秒間以上の複数の値に変化させた際に,デューティ比の変化が小さくなるかは不明である。

よって,原告の主張する本願補正発明の作用効果のうち「電圧印加時間が長くなっても,デューティ比の変化が小さい(分極反転構造の横方向への広がりが抑制される)という作用」は,実施例2の奏する作用とはいえても,本願の請求項1に係る発明(本願補正発明)の奏する作用とはいえない。

イ(ア) タンタル酸リチウム単結晶を反転分極する際に,均一な周期で分極反転構造を得ることができるか否かは,基板の厚みにも依存することは技術常識である。

例えば,引用例(甲1)の段落【0020】,【0021】の記載からすれば,基板が1~2mmから3mmと厚くなると均一な周期で分極反転構造を得ることが困難になっている。

一方,本願明細書に記載された実施例1ないし実施例6では,0.4mmの厚みの基板のみが用いられている。そして,本願補正発明は,基板の厚みを特定していないから,本願補正発明は,基板の厚み0.4mm以外も含む。

よって,原告の主張する本願補正発明の作用効果は,基板の厚みが0.4mmの実施例1ないし実施例6の奏する作用効果とはいえても,本願補正発明の奏する作用効果とはいえない。

(イ) また,タンタル酸リチウム単結晶を反転分極する際に,均一な周期で分極反転構造を得ることができるか否かは,基板の面積にも依存することは技術常識である(例えば,引用例(甲1)の段落【0020】参照)。

一方,本願明細書には,基板の面積についての記載がないが,実施例1ないし実施例6は当然に一定の面積の基板を用いて実施されている。そして,本願補正発明は,基板の面積を特定していない。

よって,原告の主張する本願補正発明の作用効果は,一定の面積の基板を用いた実施例1ないし実施例6の奏する作用効果とはいえても,本願補正発明の奏する作用効果とはいえない。

(ウ) 本願明細書に記載された実施例6は,電界強度が3kV/mmでMgOが未ドープであること以外は,電界強度が1kV/mmでMgOがドープされた実施例4と同様の条件で実施されている。本願補正発明は,「MgOをドープした」と特定されているから,MgOが未ドープである実施例6は本願補正発明に含まれないが,本願明細書の段落【0025】には,「実施例6によれば,直流電圧印加領域全体に渡って均一な周期で分極反転構造が得られた。」との記載がある。

よって,原告の主張する本願補正発明の作用のうち「直流電圧印加領域全体に渡って均一な周期で分極反転構造が得られ」る点は,Mgをドープするか否かとは関係なく得られると解される。また,本願明細書の段落【0009】の「後述の実施例で示すように,Mgをドープすることにより,必要な電界強度を下げることが出来た。」との記載は,MgOをドープすることが,必要な電界強度を下げることに寄与することを意味する。

ウ 以上のとおり,原告の「本願補正発明は,所定の材料に電界強度が1[kV/mm]以下の直流電界を1[秒間]以上印加することにより,直流電圧印加領域全体に渡って均一な周期で分極反転構造が得られ,しかも電圧印加時間が長くなっても,デューティ比の変化が小さい(分極反転構造の横方向への広がりが抑制される)という作用を奏し,その結果,非常に粗い時間管理でもってデューティ比を容易に調整できるという効果を奏する。」との主張は,本願明細書に基づかないものであって失当である。

このように,引用発明において,周知技術に基づいて本願補正発明の相違点を備えるとした本願補正発明に,原告の主張する効果は認められないのであるから,本願補正発明は当業者の予測し得る程度のものといわざるを得ない。

以上のとおり,本願補正発明の構成を採用することによる効果の予測性についての審決の判断に誤りはなく,取消事由4に係る原告の主張は失当である。

第4当裁判所の判断

1  請求の原因(1)(特許庁における手続の経緯),(2)(発明の内容),(3)(審決の内容)の各事実は,当事者間に争いがない。

2  容易想到性の有無

審決は,本願補正発明は引用発明及び周知技術から容易に想到できるとし,一方,原告はこれを争うので,以下検討する。

(1)  本願補正発明の意義

ア 本願明細書(公開特許公報〔甲7〕,第1次補正書〔甲9〕,第3次補正書〔甲16〕)には,以下の記載がある。

(ア) 特許請求の範囲

【請求項1】 前記第3.1(2)のとおり。

(イ) 発明の詳細な説明

・ 【技術分野】

「本発明は,周期的分極反転領域を持つ基板の製造方法に関し,さらに詳しくは,パルス電圧を印加するための複雑な構成や強電界を印加するための複雑な構成を必要とせずに周期的分極反転領域を持つ基板を製造することが出来る周期的分極反転領域を持つ基板の製造方法に関する。」(甲7,段落【0001】)

・ 【発明が解決しようとする課題】

「上記従来の技術は,いずれもパルス電圧を印加する必要があり,パルス電圧を印加するための複雑な構成(短いパルス幅のパルス電圧を出力できる電源など)が必要になる問題点がある。

なお,特許文献2の[0040]~[0043]には,直流電圧のみを印加した例が説明されているが,約20[kV/mm]以上の直流電界を印加しており,強電界を印加するための複雑な構成(高電圧を出力できる電源など)が必要になる問題点がある。

そこで,本発明の目的は,パルス電圧を印加するための複雑な構成や強電界を印加するための複雑な構成を必要とせずに周期的分極反転領域を持つ基板を製造することが出来る周期的分極反転領域を持つ基板の製造方法を提供することにある。」(甲7,段落【0006】)

・ 【課題を解決するための手段】

「第1の観点では,本発明は,単一分極されたC板の定比組成(ストイキオメトリ)または定比組成に近いタンタル酸リチウム単結晶からなる基板の+C面および-C面に電極を設け,少なくとも一方の電極は周期電極とし,前記電極間に電界強度が1[kV/mm]以下の直流電界を1[秒間]以上印加し,前記基板に周期的分極反転領域を形成することを特徴とする周期的分極反転領域を持つ基板の製造方法を提供する。

従来,周期電極の直下に形成される分極反転領域部が横方向に速い速度で広がるため,パルス電圧を印加する必要があると考えられていた(特許文献2の[0043]参照)。

しかし,本願発明者らが鋭意研究した結果,単一分極されたC板の定比組成(ストイキオメトリ)または定比組成に近いタンタル酸リチウム単結晶からなる基板において分極反転領域部が横方向に広がる速度は,従来考えられていたよりもはるかに遅く,直流電界のみの印加でも周期的分極反転領域を持つ基板を好適に製造可能であることを見出し,本発明を完成した。

すなわち,上記第1の観点による周期的分極反転領域を持つ基板の製造方法では,定比組成(ストイキオメトリ)または定比組成に近いタンタル酸リチウム単結晶からなる基板を用い,電界強度1[kV/mm]以下の直流電界を,1[秒間]以上印加して,分極反転領域を形成する。このため,パルス電圧を印加するための複雑な構成や強電界を印加するための複雑な構成を必要としない。そして,後述の実施例で示すように周期的分極反転領域を形成することが出来る。」(甲9,段落【0007】)

・ 「第2の観点では,本発明は,上記構成の分極反転領域を持つ基板の製造方法において,前記基板のLi2O/(Ta2O5+Li2O)のモル分率が,0.495以上0.505未満であることを特徴とする分極反転領域を持つ基板の製造方法を提供する。

上記第2の観点による周期的分極反転領域を持つ基板の製造方法では,後述の実施例で示すように,周期的分極反転領域を好適に形成することが出来た。」(甲7,段落【0008】)

・ 「第3の観点では,本発明は,上記構成の分極反転領域を持つ基板の製造方法において,前記基板のLi2O/(Ta2O5+Li2O)のモル分率が,0.495以上0.505未満であり,且つ,前記基板には,Mg,Zn,Sc,Inのうちの少なくとも1種類がドープされていることを特徴とする分極反転領域を持つ基板の製造方法を提供する。

後述の実施例で示すように,Mgをドープすることにより,必要な電界強度を下げることが出来た。

そこで,上記第3の観点による周期的分極反転領域を持つ基板の製造方法では,Mgまたはそれと同等のZn,Sc,Inのうちの少なくとも1種類をドープする。これにより,必要な電界強度を下げることが出来る。」(甲7,段落【0009】)

・ 【発明の効果】

「本発明の周期的分極反転領域を持つ基板の製造方法によれば,パルス電圧を印加するための複雑な構成や強電界を印加するための複雑な構成を必要とせずに周期的分極反転領域を持つ基板を製造することが出来る。」(甲7,段落【0010】)

・ 「実施例2によれば,1[秒間]以上のいずれの時間でも,直流電圧印加領域全体に渡って均一な周期で分極反転構造が得られた。また,直流電圧印加時間が長いほど,分極反転構造のデューティ比(分極反転構造に占める分極反転領域10の割合)が大きくなった。・・・」(甲7,段落【0017】)

イ 以上の記載によれば,本願補正発明は,パルス電圧や強電界を印加するための複雑な構成を必要とせずに周期的分極反転領域を持つ基板を製造することを目的とし,「MgOをドープした,単一分極されたC板の定比組成又はこれに近いタンタル酸リチウム単結晶からなる基板の+C面及び-C面に電極を設け,少なくとも一方の電極は周期電極とし,前記電極間に電界強度が1[kV/mm]以下の直流電界を1[秒間]以上印加し,前記基板に周期的分極反転領域を形成する」との構成を採ることで,直流電圧印加領域全体に渡って均一な周期で分極反転構造が得られるようにしたものと認められる。

(2)  引用発明の意義

ア 一方,引用例(甲1)には,以下の記載がある。

(ア) 特許請求の範囲

・ 【請求項1】 「タンタル酸リチウム単結晶の分極構造を周期的に反転させ,可視から近赤外域の波長を持った入射レーザの波長を短波長化あるいは長波長化させる光機能素子において,Li過剰のストイキオメトリ組成に近いLi2O/(Ta2O5+Li2O)のモル分率が0.500~0.505であるタンタル酸リチウム単結晶を基板に用いたことを特徴とする光機能素子。」

・ 【請求項2】ないし【請求項6】 省略

(イ) 発明の詳細な説明

・ 【発明が解決しようとする課題】

「また,一致溶融組成LT結晶は,LN単結晶よりも耐光損傷性は大きいとされているが,使用する光の波長や強度によっては,それでも,まだ,耐光損傷性が十分ではない場合が多い。・・・」(段落【0028】)

・ 「このために,これまでに若干のTa過剰成分側(Li2O/(Ta2O5+Li2Oのモル分率が0.495~0.50)にある結晶では,安定して光損傷に強い結晶を提供するためには,Mgなどの添加物を加えることが必要であった。しかし,Mgを含んだLT単結晶の生産において,Mg元素を結晶内に均一に分布させ,光学的品質を劣化させずに結晶を育成するためには,無添加結晶の場合に較べて結晶育成速度を遅くしなければならず,生産性が悪くなるという問題があった。また,MgOを添加した定比組成に近いLT単結晶は,耐光損傷性に優れるものの,分極反転の制御性がMgO濃度に依存するため,無添加の定比組成に近いLT単結晶よりも分極反転構造を持つ光機能素子を再現性よく作成するのが難しくなるという新たな問題もでてきた。」(段落【0029】)

・ 【課題を解決するための手段】

「本発明者は,前記従来の問題を解決するため,ストイキメトリ組成(判決注:「ストイキオメトリ組成」の誤記と解される。以下同じ。)のLT結晶の特性究明を鋭意継続していたところ,Li過剰のストイキメトリ組成のLT結晶が分極反転構造の制御性を向上し,さらに耐光損傷性を向上するという光機能素子として優れた特性を有することを見出した。」(段落【0033】)

・ 「すなわち,本発明の光機能素子は,タンタル酸リチウム単結晶の分極構造を周期的に反転させ,可視から近赤外域の波長を持った入射レーザの波長を短波長化あるいは長波長化させる光機能素子において,Li過剰のストイキオメトリ組成に近いLi2O/(Ta2O5+Li2O)のモル分率が0.500~0.505であり,タンタル酸リチウム単結晶を基板に用いたことを特徴とする。」(段落【0034】)

・ 【発明の実施の形態】

「なお,これまでに若干のTa過剰成分側(Li2O/(Ta2O5+Li2Oのモル分率が0.495~0.50)にある結晶では,安定して光損傷に強い結晶を提供するためにはMgなどの添加物を加えることが必要であった。これに対して,Li成分過剰なタンタル酸リチウム単結晶では,Mgなどの添加物を加えなくても耐光損傷閾値が高いということは,実用上大きな利点である。」(段落【0070】)

・ 「この理由は,Mgを含んだLT単結晶の生産において,Mg元素を結晶内に均一に分布させ光学的品質を劣化させずに結晶を育成するためには,無添加結晶の場合に較べて結晶育成速度を遅くしなければならず,生産性が悪くなるという問題があった。さらに,Mgを含んだ結晶では分極反転特性が無添加結晶とは異なるため,制御性が悪くなるという問題があったが,本発明によりこれらの問題を解決することが可能となった。」(段落【0071】)

・ 【発明の効果】

「以上詳しく述べたように,本発明によれば,結晶基板にLi過剰のストイキオメトリ組成に近いLi2O/(Ta2O5+Li2O)のモル分率が0.500~0.505であるタンタル酸リチウム単結晶を用いることで,分極反転制御性に優れた素子が実現できるため,光機能素子特性の大幅な向上が期待できる。」(段落【0099】)

・ 「さらに,結晶基板にLi過剰のストイキオメトリ組成に近いLi2O/(Ta2O5+Li2O)のモル分率が0.500~0.505であるタンタル酸リチウム単結晶を用いることで,耐光損傷性に優れ,光強度103kW/cm²以上の波長407nmの連続発振レーザ照射に対して安定に動作させることができるため,優れた性能の光機能素子を提供することができる。・・・」(段落【0100】)

イ 以上の記載によれば,従来技術では,安定して光損傷に強い結晶を提供するためには,Mgなどの添加物を加えることが必要であったが,Mgを含むLT単結晶は生産性が悪いことに加え,MgOを添加した定比組成に近いLT単結晶は耐光損傷性に優れるものの,分極反転構造を持つ光機能素子を再現性よく作成するのが難しいという問題があったため,引用発明では,これらの問題を解決するため,結晶基板にLi過剰のストイキオメトリ組成に近いLi2O/(Ta2O5+Li2O)のモル分率が0.500~0.505であるタンタル酸リチウム単結晶を用いることで,Mgなどの添加物を加えなくても,耐光損傷閾値が高く,分極反転制御性に優れた素子を実現し,光機能素子特性の大幅な向上を可能としたものと認められる。

(3)  周知例とされた文献の技術内容

ア 甲3(特開平6-16500号公報)には以下の記載がある。

・ 【請求項1】 「Mgを重量比で0.1wt%以上含有し,Feを重量比で10ppm以下にしたことを特徴とするタンタル酸リチウム単結晶。」

・ 【請求項2】 「請求項1に規定されるタンタル酸リチウム単結晶に,結晶の分極方向を周期的に反転させた構造を作成したことを特徴とするタンタル酸リチウム単結晶基板。」

・ 【請求項4】 「MgOを1モル%以上添加することにより280~400nm帯における光透過率を向上させたことを特徴とするタンタル酸リチウム単結晶。」(特許請求の範囲)

イ 甲4(特開2001-287999号公報)には以下の記載がある。

・ 【課題を解決するための手段】

「本発明者らは,前記目的を達成すべく鋭意研究の結果,可視光域で実質的に吸収を持たないMg,Zn,Sc,Inの何れかの元素をトータル量で0.1~3mol%の範囲で融液に添加することにより,非線形光学定数d33および電気光学特性r33を低下させないで小さな分極反転電圧が得られ,Liの欠陥部分を前記第三の元素により埋めることができ,定比組成に近いもののある程度の不定比欠陥を有するタンタル酸リチウム単結晶であっても,Li2O/(Ta2O5+Li2O)のモル分率が0.500の完全LT単結晶が持つ大きさと同じ非線形光学定数や周期的分極構造の作成に必要な印加電圧,および電気光学定数を実現することを発見,さらには,本手段がLi2O/(Ta2O5+Li2O)のモル分率が0.490以上0.500未満という広い範囲のタンタル酸リチウム単結晶に対して有効であることを知見,ここに本発明をなしたものである。」(段落【0021】)

ウ 甲2(特開2003-295242号公報)には以下の記載がある。

・ 「次に,直流電源4のみを使用して,直流電圧のみを印加して分極反転領域の形成を試みた例を説明する。この場合には,図1(a)の構成で,直流電源4によって櫛形電極2を介してLiTaO3基板1に直流電圧を印加する。パルス電源5は使用せずに,平面電極3は接地する。」(段落【0140】)

・ 「厚さが0.2mmの基板1に直流電圧を印加すると,基板1には直流電界が印加される。約20kV/mm以上の電界強度に相当する電圧が印加された時点で,反転電流が流れて分極が反転した。さらに,基板1の厚さに対する分極反転特性を測定したところ,基板1の厚さが0.5mm以下では分極反転領域の形成が可能であったが,厚さが0.5mm以上になると基板1に割れが生じて,分極反転領域の形成が困難になった。これは,基板1の厚さが増加するとともに分極反転領域の形成に必要な電界強度を得るために印加すべき電圧レベルが増加するために,厚い基板に分極反転領域を形成しようとすると基板1の結晶の破壊電圧を越えた電圧が印加されることにより,基板1に割れが生じたと考えられる。」(段落【0141】)

エ 甲5(特開平9-127564号公報)には以下の記載がある。

・ 【請求項1】 「光を伝搬させる強誘電体から成る基板に,自発分極を交互に反転させた周期構造を形成し,該周期構造の繰り返される方向と光の伝搬方向とが所定角度θ(0°<θ<90°)を成すとともに,前記周期構造の反転周期Λが下記式(A)を満足することを特徴とする光デバイス。

Λ=2π×COSθ/(β(2ω)-2β(ω))・・・(A)

(ただし,ω,2ω:光の周波数,β:波数(周波数ωもしくは2ωの関数))」

・ 【請求項2】 「請求項1の光デバイスであって,前記基板がニオブ酸リチウム,タンタル酸リチウム,もしくはチタン酸リン酸カリウムの単結晶であることを特徴とする光デバイス。」(特許請求の範囲)

・ 「さらに,この疑似位相整合型のSHG素子の要素技術である周期分極反転構造の作製方法として,Tiの拡散法,Li2Oの外拡散法,SiO2の装荷熱処理法等が提案されている。特に,強誘電体基板の両主面に所望の電極を形成し,直流電圧またはパルス状の電圧を印加することにより,局所的に基板の分極方向を反転させる直接電界印加法は,室温で微細かつ深い分極反転構造が作製できることから注目されている・・・」(段落【0003】)

オ 甲6(特開平4-335620号公報)には以下の記載がある。

・ 【請求項1】 「単分域化された強誘電体材料に,その分極方向に第1及び第2の電極を配置し,少なくとも第1の電極は最終的に得る分極反転構造のパターンに対応するパターンに形成され,150℃未満の温度下において,上記第1及び第2の電極間に,上記強誘電体材料の自発分極の負側を負電位,正側を正電位となるように1kV/mm~100kV/mmの電圧を印加して,分極反転構造を形成するようにしたことを特徴とする分極反転制御方法。」

・ 「即ち,LN単結晶に対して分極反転領域を形成し得る印加電圧はほぼ10kV/mm程度以上であることがわかる。しかしながら,LN単結晶以外の例えばKTP,LiTaO3等の電気伝導度が比較的大なる強誘電体材料を用いる場合は分極反転が比較的生じ易いため,1kV/mm以上程度の電圧印加によって良好な分極反転構造を得ることができる。」(段落【0050】)

・ 「尚,1kV/mm未満の電圧印加によって分極反転領域が形成される場合はその後の安定度が低く,温度等の外部環境の変化に伴ってこの分極反転が元に戻ってしまう恐れがある。例えば分極反転構造によって位相整合をなし,かつ基板に電圧を印加して電気光学効果によって導波路の屈折率を部分的に変化させる電気光学装置等に本発明を適用する場合は,動作時の電圧印加によって分極反転領域が消滅する恐れがある。従って安定な分極反転構造を形成するために,印加電圧は1kV/mm以上とする。」(段落【0051】)

(4)  取消事由の検討

ア 取消事由1(相違点1についての判断の誤り)について

(ア) 前記(2)によれば,引用発明は,タンタル酸リチウム単結晶(以下「LT単結晶」という。)のうち,Ta過剰で定比組成に近いモル分率0.495~0.50のもの(以下「Ta過剰で定比組成に近いLT単結晶」という。)を基板に用いた周期的分極反転構造を持つ光機能素子において,Mg又はMgOを添加すると,以下の①,②の問題点があることを開示している。

① 安定して光損傷に強い結晶を提供するためにMgを添加すると,Mg元素を結晶内に均一に分布させ光学的品質を劣化させずに結晶を育成するために,無添加結晶の場合に比べて結晶育成速度を遅くしなければならず,生産性が悪くなること

② MgOを添加した定比組成に近いLT単結晶は,耐光損傷性に優れるものの,分極反転の制御性がMgO濃度に依存するため,無添加の定比組成に近いLT単結晶よりも分極反転構造を持つ光機能素子を再現性よく作成するのが難しくなること

そして,引用発明は,上記問題点の解決を課題とし,Li過剰で定比組成に近いモル分率0.500~0.505のLT単結晶(以下「Li過剰で定比組成に近いLT単結晶」という。)で周期的分極反転構造を持つ基板を形成することにより,上記の課題を解決し,「Mgなどの添加物を加えなくても耐光損傷閾値が高い」ことや,「分極反転制御性に優れた素子が実現できる」ことという作用効果を奏するものである。

このように,引用発明は,定比組成に近いLT単結晶を基板に用いた(周期的分極反転構造を持つ)光機能素子において,定比組成に近いLT単結晶へのMg又はMgOの添加により生じる上記問題点①及び②を解決すべき課題とし,Li過剰で定比組成に近いLT単結晶を用いることで,Mg又はMgOを添加せずとも耐光損傷閾値が高く,分極反転制御性に優れた素子を実現したものである。

(イ) ところで,前記(3)ア,イによれば,LT単結晶からなる周期的分極反転構造を持つ基板を製造するに際し,MgOを添加して光透過率を向上させることや,Mgを添加して,非線形光学定数及び電気光学特性を低下させずに小さな分極反転電圧を得ることは,甲3及び甲4にみられるように周知技術といえる。

そして,審決は,引用発明において,本願補正発明の相違点1に係る構成を備えることは,上記の周知技術に基づいて,当業者が容易に想到し得たものと判断した。

しかし,前記(ア)のとおり,引用発明は,Ta過剰で定比組成に近いLT単結晶へのMg又はMgOの添加により生じる前記問題点①及び②を解決すべき課題とし,Li過剰で定比組成に近いLT単結晶を用いることで,Mg又はMgOを添加せずに済むようにし,上記問題点を解決したものである。

このように,引用発明が,Mg又はMgOの添加によって発生する問題点の解決を課題としていることからすれば,LT単結晶がTa過剰の組成かLi過剰の組成かにかかわらず,定比組成に近いLT単結晶にMg又はMgOを添加することは,上記課題解決の阻害要因になると解するのが自然であって,被告が主張するように,Ta過剰の組成かLi過剰の組成かによって区別して阻害要因を検討するのは不自然である。

また,甲3及び甲4には,定比組成に近いLT単結晶からなる周期的分極反転構造を持つ基板を製造するに際し,Mg又はMgOを添加することが記載されているにとどまり,それにより前記問題点①,②が生じ得ること及びその解決方法については,記載も示唆もされていない。

そうすると,引用発明において,上記の周知技術を適用し,Ta過剰で定比組成に近いLT単結晶又はLi過剰で定比組成に近いLT単結晶にMg又はMgOを添加することには,阻害要因があるといわざるを得ず,引用発明において,相違点1に係る構成とすることが,上記の周知技術に基づいて,当業者が容易に想到し得たものであると認めることはできない。

(ウ) なお,被告は,審決の「引用例全体の記載をみても,引用例にはMgを添加してはならない旨の記載はない。」との記載について,「引用例にはMgを添加してはならない旨の記載の事実がないことを指摘するとともに,引用発明として認定したタンタル酸リチウム単結晶全体についてMg添加が除外されているわけではないことを示した」旨主張する。

しかし,前記(2)アの記載からすれば,引用例の記載に接した当業者は,Ta過剰で定比組成に近いLT単結晶へのMg又はMgOの添加により生じる問題点①及び②を解決するために,Li過剰で定比組成に近いLT単結晶を用いることで,Mg又はMgOを添加せずに済むことに想到するものと解するのが自然かつ合理的であるから,引用例の記載から「引用発明として認定したタンタル酸リチウム単結晶全体についてMg添加が除外されているわけではない」とする被告の主張は合理的でなく,採用することができない。

(エ) 以上のとおり,審決における相違点1の判断には誤りがあり,原告主張の取消事由1は理由がある。

なお,念のため,取消事由2以下についても併せて検討する。

イ 取消事由2ないし4(相違点2についての判断の誤り)について

前記(3)ウないしオのとおり,甲2及び甲5には,LT単結晶のような強誘電体材料からなる周期的分極反転領域(構造)を持つ基板を製造するに際し,直流電界を印加する方法が開示され,また,甲6には,強誘電体材料に1kV/mm~100kV/mmの電圧を印加して,分極反転構造を形成するようにしたことが開示されている。

そして,審決は,引用発明において,本願補正発明の相違点2に係る構成を備えることは,周知技術(甲2,甲5及び甲6)に基づいて,当業者が容易に想到し得たものと判断した。

しかし,前記アのとおり,引用発明において,Ta過剰で定比組成に近いLT単結晶又はLi過剰で定比組成に近いLT単結晶にMg又はMgOを添加することは,周知技術(甲3,甲4)に基づいて当業者が容易に想到し得たものではない。

また,甲2,甲5及び甲6には,「MgOをドープした」定比組成又は定比組成に近いLT単結晶からなる基板に,直流電界を印加することにより,周期的分極反転領域を形成することは記載も示唆もされておらず,上記直流電界の強度や印加時間を,本願補正発明のように設定することについても記載も示唆もない。

そして,原告が出願当時の技術水準を示すための文献として提出した証拠のうち,出願時公知であった甲20(第50回応用物理学関係連合講演会 講演予稿集,2003年[平成15年]3月)及び甲21(第64回応用物理学会学術講演会 講演予稿集,2003年[平成15年]9月)を考慮してもなお,上記直流電界の強度や印加時間の設定が単なる設計事項にすぎないとはいえない。

さらに,甲2,甲5及び甲6には,本願補正発明のように,直流電圧印加領域全体にわたって均一な周期で分極反転構造が得られ,パルス電圧を印加するための複雑な構成や強電界を印加するための複雑な構成を必要とせず周期的分極反転領域を持つ基板を製造することができるという効果を奏することについて,記載も示唆もされていない。

なお,被告は,「直流電圧印加領域全体にわたって均一な周期で分極反転構造が得られる」との効果は本願補正発明の効果ではないとも主張するが,本願補正発明が同効果を奏することは,本願明細書の記載からみて明らかである。

そうすると,引用発明において,相違点2に係る構成とし,それにより本願補正発明と同様の作用効果を得ることは,周知技術(甲2,甲5,甲6)に基づいて当業者が容易に想到し得たものということはできない。

以上のとおり,審決における相違点2の判断にも誤りがあり,原告主張の取消事由2ないし4も理由がある。

3  結論

以上のとおり,原告主張の取消事由1ないし4はいずれも理由があり,その誤りは結論に影響を及ぼすものであるから,審決は取消しを免れない。

よって,原告の請求を認容して,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 中野哲弘 裁判官 東海林保 裁判官 矢口俊哉)

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