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知財高等裁判所 平成23年(行ケ)10109号 判決 2012年1月16日

原告

コネ コーポレイション

訴訟代理人弁理士

香取孝雄

北島弘崇

被告

特許庁長官

指定代理人

安井寿儀

伊藤元人

金澤俊郎

黒瀬雅一

田村正明

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

この判決に対する上告及び上告受理申立てのための付加期間を30日と定める。

事実及び理由

第1原告の求めた判決

特許庁が不服2009-11800号事件について平成22年11月15日にした審決を取り消す。

第2事案の概要

本件は,特許出願拒絶査定に対する不服審判請求を不成立とする審決の取消訴訟である。争点は,先願発明との実質的同一性及び進歩性の有無である。

1  特許庁における手続の経緯

原告は,2002年(平成14年)1月9日の優先権(フィンランド共和国)を主張して,2003年(平成15年)1月9日,名称を「エレベータ」とする発明について国際特許出願をし(PCT/FI2003/000012,日本における出願番号は特願2003-557938号,請求項の数40),平成16年7月9日日本国特許庁に翻訳文を提出したが(公表公報は2005-514293号〔甲28〕),拒絶査定を受けたので,これに対する不服の審判請求をした(不服2009-11800号)。

その中で原告は平成21年7月27日付けで特許請求の範囲の変更の補正(請求項の数28,甲12,以下「本件補正」という。)をしたが,特許庁は,平成22年11月15日,「本件審判の請求は,成り立たない。」との審決をし(出訴期間として90日附加),その謄本は平成22年11月30日原告に送達された。

2  本願発明の要旨(請求項1の記載)

「エレベータにおいて,巻上ロープの太さが8mmより小さく,トラクションシーブと巻上ロープとの接触は,全体で,接触角180°を超え,エレベータカーおよび/またはカウンタウェイトはk:1の懸垂比で懸垂され,kは1以上の整数であり,前記巻上ロープを構成するスチールワイヤの強度は2000N/mm²より大きく,該エレベータの巻上機の重量は最高でも該エレベータの定格荷重の重量の1/5であり,該エレベータの巻上機によって運転される前記トラクションシーブの直径は最長で250mmであり,前記トラクションシーブおよび/またはローププーリは少なくともそれらの/その綱溝を非金属材料でコーティングされ,前記巻上ロープはコーティングされていないことを特徴とするエレベータ。」

3  審決の理由の要点

(1)  特許法29条の2について

(1)-1 2001年(平成13年)12月31日(平成13年1月4日及び同年8月10日の優先権〔ドイツ連邦共和国〕を主張)を国際出願日とし,平成14年7月11日に国際公開(WO2002/053486)がされた国際特許出願(PCT/EP2001/015380,日本における出願番号は特願2002-554612号,公表公報は特表2004-520245号〔甲2〕)の国際出願日における国際出願の明細書,請求の範囲及び図面(先願明細書,甲1)には,実質的に次の発明(拡大された先願発明。以下,単に「先願発明」という。)が記載されていることが認められる。

「エレベータにおいて,支持ケーブルの公称直径が5~7mm,特に6mm以下であり,駆動滑車と支持ケーブルとの接触は,駆動滑車と対滑車との間に支持ケーブルを二重巻きとすることによりその接触角を180°以上とし,ケージおよび/またはバランスウェイトは1:1,2:1,または4:1の比で懸垂され,支持ケーブルはスチールワイヤで構成され,エレベータの駆動モータによって駆動される駆動滑車の公称直径は約180mmや約240mm等の240mm以下であり,偏向滑車を備えたエレベータ。」

(1)-2 本願発明と先願発明との一致点と相違点は次のとおりである。

【一致点】

「エレベータにおいて,巻上ロープの太さが8mmより小さく,トラクションシーブと巻上ロープとの接触は,全体で,接触角180°を超え,エレベータカーおよび/またはカウンタウェイトはk:1の懸垂比で懸垂され,kは1以上の整数であり,巻上ロープはスチールワイヤで構成され,エレベータの巻上機によって運転されるトラクションシーブの直径は最長で250mmであり,ローププーリを備えたエレベータ。」

【相違点1-1】

巻上ロープを構成するスチールワイヤの強度に関して,本願発明においては,「2000N/mm²より大きい」のに対して,先願発明では,なんら特定されていない点。

【相違点1-2】

巻上機に関して,本願発明においては,「巻上機は,その重量は最高でもエレベータの定格荷重の重量の1/5である」のに対して,先願発明では,その重量がエレベータの定格荷重の重量に対してどのような比率であるのかなんら特定されていない点。

【相違点1-3】

本願発明においては,「トラクションシーブおよび/またはローププーリは,少なくともそれらの/その綱溝を非金属材料でコーティングされ」,そして,「巻上ロープはコーティングされていない」のに対して,先願発明では,本願発明における「トラクションシーブ」及び「ローププーリ」に相当する「駆動滑車」及び「偏向滑車」の綱溝が非金属材料でコーティングされているのか定かでなく,さらに,本願発明における「巻上ロープ」に相当する「支持ケーブル」がコーティングされていないのか定かでない点。

(1)-3 ① 荷役機械等に使用されるワイヤロープにおいては,強度が高くかつ細く軽量な性能を有するものが好ましいとされているところであり,高強度のワイヤロープを得るための一手段として,ワイヤロープを構成するスチールワイヤ等の素線の強度を約200kgf/mm²(約2000N/mm²)以上にすることが好ましいことは,本件出願の優先権主張日前であって,拡大された先願の国際出願日前に周知の技術事項(「周知の技術事項A」)である。

してみると,先願発明における「支持ケーブル」を構成するスチールワイヤに関する強度について,所要の強度を得るために必要な強度を有するものに設定することは,当業者が必要に応じて適宜なしうる程度のものであり,周知の技術事項Aを勘案すれば,本願発明における「巻上ロープ」に相当する「支持ケーブル」を構成するスチールワイヤの強度を2000N/mm²より大きいものに設定することは,当業者が必要に応じて適宜設定しうる単なる設計的事項にすぎないものである。

② 発明を特定するための事項を数値や数値範囲により数量的に表現したいわゆる数値限定に関しては,実験的に数値や数値範囲を最適化又は好適化することは当業者の通常の創作能力の発揮にすぎないものであり,また,数値限定の技術的意義や臨界的意義については,明細書に明確に記載されていなければならないものと解するのが相当であるところ,本願発明において,「エレベータの巻上機の重量」を「最高でも定格荷重の重量の1/5」とする数値限定についての技術的意義やその数値の臨界的意義に関してはなんら明確にされていない。してみると,「エレベータの巻上機の重量」を「最高でも定格荷重の重量の1/5」とする数値限定については,その技術的意義や臨界的意義に格別なものは認められない。

一方,先願発明においては,駆動滑車の直径を小径とすることによって,その駆動モータの小型化を可能とし,駆動モータの重量も従来のものに比して軽量化されているものであり,本願発明における「エレベータの巻上機」に相当する「エレベータの駆動モータ」の重量の数値に関しては,エレベータのサイズや,エレベータのサイズに応じて要求される出力,装置の軽量化等を考慮して,当業者が適宜設定し得る程度のものであるので,先願発明における「エレベータの駆動モータ」の重量について,相違点1-2に係る本願発明のような構成とすることは,当業者が適宜なしうる程度の単なる設計的事項にすぎないものである。

③ エレベータにおいて,トラクションシーブやローププーリの綱溝を非金属材料でコーティングし,そして,巻上ロープとしてコーティングしない巻上ロープを採用することは,本件出願の優先権主張日前であって,拡大先願の国際出願日前に周知の技術事項(周知の技術事項B)である。してみると,先願発明における「駆動滑車」及び「偏向滑車」並びに「支持ケーブル」について,周知の技術事項Bを勘案して,相違点1-3に係る本願発明のような構成とすることは,当業者が必要に応じて適宜設定しうる程度のものであるので,相違点1-3は,先願発明に周知の技術事項Bを単に付加したにすぎず,新たな効果を奏するものではないことから,課題解決のための具体化手段における微差にすぎない。

④ 以上のとおり,本願発明は,先願発明と前記の各相違点において一応相違するとはいえ,各相違点はいずれも単なる設計的事項又は課題解決のための具体化手段における微差にすぎないものであり,本願発明は先願発明と実質的に同一である。そして,本願発明の発明者が先願発明の発明者と同一ではなく,また,本件出願の出願時に,その出願人が先願発明についての出願人と同一のものでもない。

(2)  特許法29条2項について

(2)-1 引用文献(特公平3-43196号公報,甲3)には,実質的に次の発明が記載されていることが認められる。

「エレベータにおいて,昇降ロープは細いロープが使用され,綱車と昇降ロープとの接触は,全体で,接触角度を180°より大きく200°乃至250°であり,昇降ケージおよび/またはつりあいおもりは1:1の懸垂比で懸垂され,エレベータの駆動装置によって駆動される綱車の直径も小さくされ,変換プーリを備えたエレベータ。」

(2)-2 本願発明と引用文献に記載の発明との一致点と相違点は次のとおりである。

【一致点】

「エレベータにおいて,巻上ロープは細いロープが使用され,トラクションシーブと巻上ロープとの接触は,全体で,接触角180°を超え,エレベータカーおよび/またはカウンタウェイトはk:1の懸垂比で懸垂され,kは1以上の整数であり,エレベータの巻上機によって運転されるトラクションシーブの直径も小さくされ,ローププーリを備えたエレベータ。」

【相違点2-1】

巻上ロープの太さ及びトラクションシーブの直径に関して,本願発明においては,「巻上ロープの太さが8mmより小さく」,そして,「トラクションシーブの直径が最長で250mmであり」とされているのに対し,引用文献に記載の発明では,巻上ロープは,「昇降ロープは細いロープが使用され」,そして,「綱車の直径も小さくされ」としているが,昇降ロープの太さ及び綱車の直径がどの程度のものであるのか明らかでない点。

【相違点2-2】

本願発明においては,「巻上ロープを構成するスチールワイヤの強度は2000N/mm²より大きく」とされているのに対し,引用文献に記載の発明では,本願発明における「巻上ロープ]に相当する「昇降ロープ」がスチールワイヤで構成されているか定かでなく,また,「スチールワイヤ」の強度についてもなんら特定されていない点。

【相違点2-3】

巻上機に関して,本願発明においては,「巻上機は,その重量は最高でもエレベータの定格荷重の重量の1/5である」のに対し,引用文献に記載の発明では,その重量がエレベータの定格荷重の重量に対してどのような比率であるのかなんら特定されていない点。

【相違点2-4】

本願発明においては,「トラクションシーブおよび/またはローププーリは,少なくともそれらの/その綱溝を非金属材料でコーティングされ」,そして,「巻上ロープはコーティングされていない」のに対して,引用文献に記載の発明では,本願発明における「トラクションシーブ」及び「ローププーリ」に相当する「綱車」及び「変換プーリ」の綱溝が非金属材料でコーティングされているのか定かでなく,さらに,本願発明における「巻上ロープ」に相当する「昇降ロープ」がコーティングされていないのか定かでない点。

(2)-3 ① エレベータ用の巻上ロープに関しては,直径が8mmより小さいエレベータ用の巻上ロープは,本件出願の優先権主張日前に周知の技術事項(周知の技術事項C)であるといえる。してみると,引用文献に記載の発明における「昇降ロープ」の太さについて,周知の技術事項Cを勘案して,本願発明のように「巻上ロープの太さを8mmより小さいもの」とすることは,当業者が必要に応じて適宜設定しうる程度のものである。

また,エレベータにおける巻上ロープの直径とトラクションシーブの直径の関係に関して,巻上ロープを駆動するトラクションシーブやローププーリ等の直径は,原則として,巻上ロープの直径の40倍以上とすることを要することが,エレベータの技術分野における技術常識であるので,この技術常識を勘案すれば,巻上ロープとして直径6mm程度のロープを使用するとすれば,その際のトラクションシーブやローププーリ等はその直径を約240mm程度とするものを使用しうることは,当業者であれば,当然に予測しうることである。

よって,引用文献に記載の発明における「昇降ロープ」について,周知の技術事項Cを適用するとともに技術常識を勘案して,「綱車」の直径を設定することにより,相違点2-1に係る本願発明のような構成とすることは,当業者が容易に想到することができたことである。

② エレベータの技術分野において,巻上ロープをスチールワイヤで構成することは,例示するまでもなく,本件出願の優先権主張日前に周知の技術事項(周知の技術事項D)である。一方,荷役機械等において使用されるワイヤロープにおいては,強度が高くかつ細く軽量な性能を有するものが好ましいとされているところであり,高強度のワイヤロープを得るための一手段として,ワイヤロープを構成するスチールワイヤ等の素線の強度を約200kgf/mm²(約2000N/mm²)以上にすることが好ましいことは,周知の技術事項Aとして述べたように,本件出願の優先権主張日前に周知である。

したがって,引用文献に記載の発明における「昇降ロープ」について,周知の技術事項A及びDを勘案して,相違点2-2に係る本願発明のような構成とすることは,当業者が容易に想到することができたことである。

③ 発明を特定するための事項を数値や数値範囲により数量的に表現したいわゆる数値限定に関しては,実験的に数値や数値範囲を最適化又は好適化することは当業者の通常の創作能力の発揮にすぎないものであり,また,数値限定の技術的意義や臨界的意義については,明細書に明確に記載されていなければならないものと解するのが相当であるところ,本願発明において,「エレベータの巻上機の重量」を「最高でも定格荷重の重量の1/5」とする数値限定については,その技術的意義や臨界的意義に格別なものは認められない。一方,引用文献に記載の発明においては,綱車の直径を小径とすることによって,エレベータの駆動装置のモータの小型化を可能とし,そのモータの重量も従来のものに比して軽量化されているものであり,本願発明における「エレベータの巻上機」に相当する「エレベータの駆動装置」の重量の数値に関しては,エレベータのサイズや,エレベータのサイズに応じて要求される出力,装置の軽量化等を考慮して,当業者が適宜設定し得る程度のものであるので,引用文献に記載の発明における「エレベータの駆動装置」の重量について,相違点2-3に係る本願発明のような構成とすることは,当業者が容易に想到することができたものである。

④ エレベータにおいて,トラクションシーブやローププーリの綱溝を非金属材料でコーティングし,そして,巻上ロープとしてコーティングしない巻上ロープを採用することは,周知の技術事項Bとして述べたように,本件出願の優先権主張日前に周知である。

してみると,引用文献に記載の発明における「綱車」及び「変換プーリ」並びに「昇降ロープ」について,周知の技術事項Bを適用して,相違点2-4に係る本願発明のような構成とすることは,当業者が容易に想到することができたものである。

⑤ 本願発明を全体としてみても,引用文献に記載の発明及び周知の技術事項AないしDから予測される以上の格別な効果を奏するものではない。

⑥ 本願発明は,引用文献に記載の発明及び周知の技術事項AないしDに基いて当業者が容易に発明をすることができたものである。

第3原告主張の審決取消事由

1  取消事由1(先願発明との相違点1-1の判断の誤り)

審決は,相違点1-1につき,「先願発明における『支持ケーブル』を構成するスチールワイヤに関する強度について,所要の強度を得るために必要な強度を有するものに設定することは,当業者が必要に応じて適宜なしうる程度のものであり,周知の技術事項Aを勘案すれば,本願発明における『巻上ロープ』に相当する『支持ケーブル』を構成するスチールワイヤの強度を2000N/mm²より大きいものに設定することは,当業者が必要に応じて適宜設定しうる単なる設計的事項にすぎない」(10頁)と判断した。

しかし,審決が周知技術の根拠とする特開平5-171580号(甲16)には素線の引張強度が200kgf/mm²以上である高強度ワイヤロープが開示されているが,このワイヤロープはあくまでクレーンなどの荷役機械用ロープとして好適なロープであるにすぎない(段落【0001】,【0013】参照)。同様に,審決が周知技術の根拠とする特開平9-95879号公報(甲17)にはワイヤの引張強度が230~270kgf/mm²である高強度の難自転性ワイヤロープが開示されているが,このワイヤロープもクレーン等の荷役機械用ロープとして好適なロープであるにすぎない(段落【0001】参照)。すなわち,これらの特許文献に開示されたワイヤロープは本願発明に係るエレベータの構成要素として用いるに必ずしも適しているとはいえず,エレベータ用の巻上ロープとして好適に使用可能である旨の記載や示唆も見当たらない。

また,エレベータのロープは他の産業用ロープに比べて比較にならないほど繰り返し屈曲回数が多い等,他の産業用ロープとは異なる数々の特殊な特性を要することは,エレベータの技術分野における技術常識である(甲27の29頁参照)。

したがって,当業者であれば,むしろ,エレベータに関する先願発明に対して荷役機械用ロープに関する周知の技術事項Aを勘案するようなことはないはずであり,先願発明における「支持ケーブル」を周知の技術事項Aを勘案してスチールワイヤの強度を2000N/mm²より大きく設定することは,当業者が必要に応じて適宜設定し得る単なる設計的事項であるとはいえない。

なお,乙2にはワイヤロープの素線が約2000N/mm²を超える強度を有する旨の直接的な記載はなく,そのため被告は,単位ロープは直径が0.12~0.17mmの素線を75本使用して形成されたものである旨記載する段落【0039】の記載,および当該素線を用いた単位ロープの引張強度が280kgf以上であることを示す段落【0043】の記載をもとに素線の強度を計算している。

しかし,段落【0039】~【0044】で説明されている「第2実施形態」に係るワイヤロープは,図5に示されているように平形ロープである上,織機の分野における綜絖枠の吊持用のものであるから(段落【0043】),素線の強度が約2000N/mm²を超えると計算されたのは,あくまで織機の分野における綜絖枠の吊持用に適用する「第2実施形態」に係る平形のワイヤロープ1aに含まれる単位ロープ12aである。したがって,段落【0006】の記載を参酌すれば,一般的なワイヤロープ,特に図6に示された円形断面のワイヤロープ100をエレベータの吊持用,織機の綜絖駆動用などのような広汎な用途に使用すること自体は可能であるとしても,被告の強度計算により素線が約2000N/mm²を超える強度であると算出された単位ロープ12aに関しては,あくまで平形のワイヤロープ1aの構成要素として用いられるものであり,ロープ自体が円形断面のワイヤロープ一般に適用されるべきものではない。

2  取消事由2(先願発明との相違点1-2の判断の誤り)

審決は,本願発明で特定された数値限定の技術的意義や臨界的意義を認めていない。

しかし,本願明細書には「・・・機械装置の重量の約半分まで,機械装置の重量を用意に軽量化可能である。」(段落【0009】6行~7行),「本発明によるエレベータでは,例えば1000kgより軽い公称負荷を有するエレベータを使用する場合など,小型のトラクションシーブを使用することにより,機械装置の重量を,現在用いられている機械装置の重量の2分の1まで軽量化できる。これにより,100~150kgまたはそれ以下の重量のエレベータ機械装置を製造可能となる。」(段落【0021】25行~28行)と記載され,段落【0022】では,軽量化を実現したエレベータの複数の実施例が挙げられている。

これらの点を勘案すると,エレベータの技術分野において,本願発明の実現によりはじめて巻上機の重量は従来の約半分にまで減少することが可能となり,これが極めて技術的意義の高い進歩であることは,当業者であれば当然に理解できるところである。本願発明で特定された構成によって機械装置の重量が従来の半分,すなわち公称負荷の約1/5を上限として減少可能であるならば,それは臨界的意義を有する。

したがって,本願発明で特定した数値限定に対して技術的意義や臨界的意義がないと決めつけ,先願明細書の他に出願時の技術水準を参酌する先行文献を何ら示すことすらせず,当業者が適宜なし得る程度の単なる設計的事項にすぎないものであるとして本願発明と先願発明の間に存する相違点1-2につき容易想到とした審決の判断は誤りである。

3  取消事由3(先願発明との相違点1-3についての判断の誤り)

審決は,相違点1-3につき,「先願発明における『駆動滑車』及び『偏向滑車』並びに『支持ケーブル』について,周知の技術事項Bを勘案して,相違点1-3に係る本願発明のような構成とすることは,当業者が必要に応じて適宜設定しうる程度のものである」(13頁)と判断した。

しかし,審決が周知技術Bの根拠とした特開昭57-170370号公報(甲18)には,金属製の駆動滑車(2)の綱溝(3)はゴム等の非金属材料(6)で内張りされていることは示されているが,主索(4)に関しては,コーティングしない主索を用いる旨を積極的には開示していない。特許請求の範囲には「・・・,この内張り材に巻き掛けられかごを懸垂する主索」とのみ特定され,主索のコーティングの有無については何ら特定がないことからも,この公報は「巻上ロープとしてコーティングしない巻上ロープを採用する」ことを開示しているとはいえない。

また,審決が周知技術Bの根拠とした特開昭59-102787号公報(甲19)には,トラクションシーブ本体3のシーブ溝11には架橋ゴム等の高摩擦材13が埋め込まれていることは示されているものの,トラクションシーブ本体3にはコーティングされていない巻上ロープが接触すべき旨に関する記載は見られない。そもそも甲19で開示する技術は「エレベータのトラクションシーブ」に関するものであり,ロープの構成については何ら特徴的構成を説明するものではない。

よって,先願発明について甲18及び甲19を勘案したところで,相違点1-3に係る本願発明のような構成を実現することはできない。仮に,トラクションシーブなどの綱溝を非金属材料でコーティングし,巻上ロープとしてコーティングしない巻上ロープを採用することは周知の技術事項であったとしても,上記のとおり,甲18及び甲19に記載された事項はいずれもこの「周知の特定事項」には該当しない。したがって,これらの公報を「周知の技術事項B」を裏付ける文献として審決に示し,かかる誤った裏付けに基づく「周知の技術事項B」を勘案して相違点1-3の判断をしたことは誤りである。

4  取消事由4(引用文献に記載の発明との相違点2-1に関する判断の誤り)

審決は,直径が8mmより小さいエレベータ用の巻上ロープは,本件出願の優先権主張日前に周知の技術事項(周知の技術事項C)であること,及び巻上ロープを駆動するトラクションシーブやローププーリ等の直径は原則として巻上ロープの直径の40倍以上とすることを要することは,エレベータの技術分野における技術常識であることを認定した上,引用文献に記載の発明における「昇降ロープ」についてこれらの認定事項から勘案して「綱車」の直径を設定することにより,相違点2-1に係る構成とすることを当業者は容易に想到できたと判断した。

しかし,本願発明で特定されている構成は,「巻上ロープの太さが8mmより小さく」,かつ「トラクションシーブの直径は最長で250mm」であって,本願発明の構成によれば,8mmの太さまでの巻上ロープを使用することが可能である。トラクションシーブの直径は巻上ロープの直径の40倍以上という技術常識にとらわれていたのであれば,直径8mmの巻上ロープを用いた場合のトラクションシーブの直径は少なくとも320mm以上になるはずであり,「巻上ロープの太さが8mmより小さく」かつ「トラクションシーブの直径は最長で250mm」という構成上の要件を両立させるエレベータには想到できない。

したがって,周知の技術事項Cを適用するとともに巻上ロープの直径とトラクションシーブの直径の関係に関する技術常識を勘案することによって,相違点2-1に係る本願発明のような構成に想到可能とした審決の判断は誤りである。

5  取消事由5(引用文献に記載の発明との相違点2-2の判断の誤り)

審決は,相違点2-2を認定しながら,相違点1-1を検討する際にも勘案した周知の技術事項A,及び巻上ロープをスチールワイヤで構成することは本件出願の優先権主張日前に周知の技術事項であるとする周知の技術事項Dを勘案して,相違点2-2に係る本願発明のような構成は当業者が容易に想到することができたと判断した。

しかしながら,前記取消事由1で主張したとおり,甲16及び甲17は,いずれもクレーン等の「荷役機械用ロープ」に関する技術開示がなされているにすぎない。したがって,周知の技術事項Aは,エレベータに関する本願発明の進歩性を従来技術(引用文献)に係るエレベータと比較して判断するに当たって,進歩性の勘案材料として用いられるべきではない。

したがって,甲16及び甲17に示される周知の技術事項Aを勘案して行った審決の判断は誤りである。

6  取消事由6(本願発明と引用文献に記載された発明の相違点2-3の判断の誤り)

審決は,本願発明で特定された数値限定の技術的意義や臨界的意義を認めず,相違点2-3に係る構成を当業者が容易に想到できるものと判断した。

しかし,かかる判断が誤りであることは取消事由2-3と同様である。

7  取消事由7(引用文献に記載の発明との相違点2-4の判断の誤り)

審決は,引用文献に記載の発明における「綱車」及び「変換プーリ」並びに「昇降ロープ」について,周知の技術事項Bを適用して,相違点2-4に係る本願発明のような構成とすることは当業者が容易に想到することができたものと判断した。

しかし,前記取消事由3で主張したとおり,周知の技術事項Bを示すものとして挙げられた甲18,甲19は,「巻上ロープとしてコーティングしない巻上ロープを採用する」ことを開示しているとはいえない。したがって,引用文献について甲18及び甲19の記載内容を勘案したとしても,相違点2-4に係る本願発明のような構成に想到することは当業者にとっても困難である。

仮に,トラクションシーブなどの綱溝を非金属材料でコーティングし,巻上ロープとしてコーティングしない巻上ロープを採用することが周知の技術事項であったとしても,甲18及び甲19に記載された事項はいずれもこの「周知の特定事項」に該当しない。したがって,これらの引例を「周知の技術事項B」を裏付ける文献として審決書に示し,かかる誤った裏付けに基づく「周知の技術事項B」を勘案して相違点2-4の判断を行なったことは誤りである。

第4被告の反論

1  取消事由1に対し

(1)  まず,例えば,特開2001-72383号公報(乙1)に「エレベーターやクレーン等の荷役機械」(1欄25行)と記載されているように,一般にエレベータは荷役機械に含まれるものであるから,エレベータ用ロープは荷役機械用ロープに包含される。

また,審決において,周知の技術事項Aを示す文献として提示した甲17には,「荷役機械用ロープとしては,現在一般的にJIS規格(JIS G 3525)に定められた・・・6ストランドワイヤロープ,あるいはフラット形ストランドロープ,多層ストランドロープが使用されており」(段落【0002】)と記載され,上記JIS規格(JIS G 3525)に規定されるワイヤロープの適用範囲として,「この規格は,機械,エレベータ,建設,船舶,漁業,林業,索道などに用いる一般用ワイヤロープ(以下,ロープという。)について規定する。」(日本規格協会発行「日本工業規格(JIS)ワイヤロープ JIS G 3525:1998」,平成10年11月30日発行,甲20,1頁8行~9行)とされているように,(荷役)機械とエレベータとは同じ規格のワイヤロープが用いられることから,一般に,荷役機械用ロープとエレベータ用ロープとは実質的に同じものが使用されているといえる。

そうすると,周知の技術事項Aにおける荷役機械等に使用されるワイヤロープは,エレベータ用ロープを包含するものといえる。

(2)  さらに,原告は,甲27の記載から,エレベータのロープは他の産業用ロープに比べて比較にならないほど繰り返し屈曲回数が多い等,エレベータ用のロープには他の産業用のロープとは異なる数々の特殊な特性を要することは,エレベータの技術分野における技術常識であるから,当業者であればむしろ,エレベータに関する先願発明に対して荷役機械用ロープに関する周知の技術事項Aを勘案するようなことはないはずであると主張する。

しかし,甲27には,メイン・ロープとして使用できるロープについて,建設省告示に規定されている理由として,「エレベーターのロープが他の産業用ロープに比べて比較にならないほど繰り返し屈曲回数が多く,摩擦力で綱車の回転力をかごに伝えなければならない」(29頁13行~14行)と記載され,エレベータ用ロープの使用条件が他産業用ロープに比べて厳しいことが紹介されているところ,かかる記載は,むしろエレベータ用ロープが産業用ロープ,すなわち荷役機械用ロープに含まれることを肯定するものであって,荷役機械用ロープに関する周知の技術事項Aを勘案することを否定するものではない。

なお,上記のとおり,一般的に荷役機械用ロープはエレベータ用ロープを包含するものであり,上記JIS規格(JIS G 3525)によれば,荷役機械用ロープとエレベータ用ロープとは実質的に同じものである。そして,通常,当業者において,技術の改良に当たって当該技術分野における周知の事項の適用を試みることは,当業者が通常期待される創作活動の範囲のことといえる。また,甲17には,「この種のワイヤロープには,安全率を大きく見積もるため高い引張強度が要求される。また,使用中において,シーブ等による繰り返し曲げ,・・・を受ける。したがって,ワイヤロープはドラムでの繰り返し巻取り性および耐形崩れ性が良好であることが望まれる。」(段落【0003】)と記載されており,このワイヤロープも原告の主張における「特殊な特性」と同様の特性を有しているといえる。

そうすると,「当業者であればむしろ,エレベータに関する先願発明に対して荷役機械用ロープに関する周知の技術事項Aを勘案するようなことはないはずである。」とする原告の主張は失当である。

(3)  加えて,特開平9-21084号公報(乙2)には,エレベータの吊り持ち用として用いられるワイヤロープが示され(段落【0006】),そのワイヤロープの素線が約2000N/mm²超える強度を有するものが示されている(段落【0039】,【0043】)

してみると,ワイヤロープを構成するスチールワイヤ等の素線の強度を約2000N/mm²以上にすることは,本件の優先権主張日前であって,拡大された先願の国際出願日前に周知の技術事項であることが裏付けられる。

(4)  以上のとおりであるので,「先願発明における『支持ケーブル』を構成するスチールワイヤに関する強度について,所要の強度を得るために必要な強度を有するものに設定することは,当業者が必要に応じて適宜設定しうる程度のものであり,周知の技術事項Aを勘案すれば,本願発明における『巻上ロープ』に相当する『支持ケーブル』を構成するスチールワイヤの強度を2000N/mm²より大きいものに設定することは,当業者が必要に応じて適宜設定しうる単なる設計的事項にすぎないものである。」とした審決の判断に誤りはない。

2  取消事由2に対し

本件の優先権主張日前であって,拡大先願の国際出願日前に頒布された国際公開WO99/43589号公報(乙3)の翻訳文である特表2002-504469号公報(乙4)の段落【0008】,【0034】,乙5(ワイヤーロープハンドブック編集委員会「ワイヤーロープハンドブック」,1995年3月30日発行)の記載(632頁10行~17行)からすれば,巻上機を小型化や軽量化することは,エレベータの技術分野において一般的な技術課題であるから,先願発明においても内在する自明の課題である。そして,審決に「先願発明においては,支持ケーブルと駆動滑車の接触角を180°以上とするとともに支持ケーブルを小径(5~7mm,特に6mm以下)とすることによって,駆動滑車の直径を約180mmや約240mmのように250mm以下とすることができ,さらに,駆動滑車の直径を小径とすることによって,その駆動モータの小型化を可能としていることから,駆動モータの重量も従来のものに比して軽量化されているといえる。」(11頁2行~8行)と記載されているとおり,先願発明においては,駆動モータの重量が従来のものに比して軽量化されているといえる。

ここで,原告は,エレベータの巻上機の重量を該エレベータの定格荷重の重量の「1/5」という数値にすることに臨界的意義がある旨を主張するが,以下のとおり失当である。

まず,臨界的意義とは,「請求項に係る発明が引用発明の延長線上にあるとき,すなわち,両者の相違が数値限定の有無のみで,課題が共通する場合は,有利な効果について,その数値限定の内と外で量的な顕著な差異があることが要求される」,この顕著な差異のことである(審査基準第Ⅱ部第2章 2.5(3)④参照。)。

してみると,本願発明の課題の1つが,「エレベータ機械装置のサイズおよび/または重量を削減することである」(本願明細書〔甲5〕段落【0006】)から,本願発明は,先願発明と共通する課題を有するものである。そして,発明の詳細な説明中には,エレベータの巻上機の重量を該エレベータの定格荷重の重量の「1/5」という数値にすることに関して,「エレベータ機械装置,および同装置をエレベータシャフト内の定位置に保持する支持要素の総重量は,最大でも定格荷重の約1/5である。」(本願明細書〔甲9〕段落【0022】)とのみ記載されているにすぎず,巻上機のみの重量において「1/5」という数値の前後で顕著な差異があることは,発明の詳細な説明の記載からは読み取ることができない。しかも,エレベータの巻上機の重量と該エレベータの定格荷重の重量との割合に関して,請求項20には,「請求項1ないし19のいずれかに記載のエレベータにおいて,エレベータ機械装置の重量は,最高でも定格荷重の1/6であることを特徴とするエレベータ。」(甲9)と記載され,発明の詳細な説明(本願明細書〔甲9〕段落【0022】)には,エレベータの巻上機の重量と該エレベータの定格荷重の重量との割合を本願発明において特定されている「1/5」よりも巻上機の重量を軽量化するうえでより有利な数値である「1/5」より小さな数値,例えば,「1/6」,「1/8」,「1/10」が示されている。これらのことからみて,巻上機の重量が小さい方が好ましいという以上の技術意義はないので,「1/5」という数値には臨界的意義がない。

よって,審決が「先願発明においては,・・・駆動モータの重量も従来のものに比して軽量化されているものであり,本願発明における『エレベータの巻上機』に相当する『エレベータの駆動モータ』の重量の数値に関しては,エレベータのサイズや,エレベータのサイズに応じて要求される出力,装置の軽量化等を考慮して,当業者が適宜設定し得る程度のものであるので,先願発明における『エレベータの駆動モータ』の重量について,相違点1-2に係る本願発明のような構成とすることは,当業者が適宜なしうる程度の単なる設計的事項にすぎないものである。」としたことに誤りはない。

3  取消事由3に対し

審決において周知例として例示した甲18及び甲19に示されている「主索」(甲18)及び「ロープ」(甲19)(いずれも本願発明における「巻上ロープ」に相当)は,当業者は,通常,特段の理由がなければ,巻上ロープにコーティングがされていないと理解するものである。

すなわち,甲18には,「主索」の構造に関して,「(4)は・・・主索で,綱線がより合わされたもので構成されている。」(1頁右下欄9行~12行)とのみ記載され,コーティングがされているとは示されておらず,コーティングしていなければならない特段の理由もないことから,この「主索」は,コーティングされていないものであると解するのが自然である。

また,甲19には,「また,乗心地や振動騒音などからも,金属シーブと金属ロープでは何等かの振動騒音が発生し,乗心地や建家への振動騒音の悪影響が及んでいた。このような問題を解決するため最近ではトラクションシーブ本体の溝にゴム又は合成樹脂などによる柔軟性のある高摩擦材を取付たシーブが開発され実用化されている。」(1頁右下欄9行~16行)と記載されているように,金属シーブと金属ロープとの組み合わせ,換言すれば,シーブの綱溝もロープもともに非金属材料でコーティングされていない組み合わせを従来技術の問題点として記載したうえで,特に,シーブの綱溝について柔軟性のある高摩擦材,つまり非金属材料でコーティングするものであるから,ロープについてはコーティングされていないものを用いていると解することができる。

そうすると,審決において,周知例として甲18及び甲19を示し,「エレベータにおいて,トラクションシーブやローププーリの綱溝を非金属材料でコーティングし,そして,巻上ロープとしてコーティングしない巻上ロープを採用することは,本件出願の優先権主張日前であって,先願の国際出願日前に周知の技術事項(周知の技術事項B)である。」とした判断に誤りはない。

したがって,審決において,「先願発明における『駆動滑車』及び『偏向滑車』並びに『支持ケーブル』について,周知の技術事項Bを勘案して,相違点1-3に係る本願発明のような構成とすることは,当業者が必要に応じて適宜設定しうる程度のものであるので,相違点1-3は,先願発明に周知の技術事項Bを単に付加したにすぎず,新たな効果を奏するものではないことから,課題解決のための具体化手段における微差にすぎない。」としたことに誤りはない。

4  取消事由4に対し

引用文献(甲3)に「本発明装置の構成によれば・・・細いロープを使用することができるので,綱車の直径も小さくすることができる。その結果,ギヤレスモータの軸に作用するトルクも小さくなるので,より小さなモータを使用することができる。」(2頁4欄37行~3頁5欄5行)と記載されているように,引用文献に記載の発明は,ロープ(本願発明における「巻上ロープ」に相当)の直径や綱車(本願発明における「トラクションシーブ」に相当)の直径をより小さくしようとするものである。そして,審決が認定したとおり,直径が8mmより小さいエレベータ用の巻上ロープは,本件出願の優先権主張日前に周知の技術事項(周知の技術事項C」である(例えば甲20参照)。してみると,引用文献に記載の発明における「昇降ロープ」の太さについて,周知の技術事項Cを勘案して,本願発明のように「巻上ロープの太さを8mmより小さいもの」とすることは,当業者が必要に応じて適宜設定しうる程度のものである。

また,発明の詳細な説明には,巻上ロープの直径とトラクションシーブの直径との具体的な関係に関して,巻上ロープの直径:4mmのときトラクションシーブの直径:160mmと,巻上ロープの直径:6mmのときトラクションシーブの直径:240mmの例が記載されているのみであって(甲9,段落【0022】),巻上ロープの直径を8mmとした際のトラクションシーブの直径の具体的大きさやトラクションシーブの直径として「250mm」という数値そのものが発明の詳細な説明には何ら記載がない。すなわち,巻き上げロープの直径を8mmとすることとトラクションシーブの直径を250mmとすることを関連づける記載はなく,当然ながら巻上ロープの直径である「8mm」という数値及びトラクションシーブの直径である「250mm」という数値の前後で顕著な差異がある臨界値であることも,発明の詳細な説明の記載から読み取ることはできない。してみると,本願発明において,巻上ロープの直径を「8mm」という数値及びトラクションシーブの直径を「250mm」という数値とすることに臨界的意義はない。しかも,エレベータの技術分野における技術常識として,エレベータにおける巻上ロープの直径とトラクションシーブの直径の関係に関して,巻上ロープを駆動するトラクションシーブやローププーリ等の直径は,原則として,巻上ロープの直径の40倍以上とすることを要する(財団法人日本昇降機安全センター編「昇降機用語辞典」,平成1年10月1日発行,甲21,103頁右欄,財団法人日本建築設備・昇降機センター編「昇降機検査資格者講習テキスト」2000年発行,甲22,327頁左欄)のであり,例えば,周知の技術事項Cの周知例である甲20に示されているような巻上ロープとして直径6mm程度のロープを使用すると,上記技術常識に照らせば,トラクションシーブやローププーリの直径は,約240mm程度のものを使用しうることになることからも,相違点2-1に係る本願発明のような構成とすることは,当業者が容易に想到することができたことといえる。

したがって,原告の「『巻上ロープの太さが8mmより小さく』かつ『トラクションシーブの直径は最長で250mm』という構成上の要件を両立させるエレベータには想到できないはずである。」とする主張に理由はない。

5  取消事由5に対し

「取消事由1に対し」と同じである。

6  取消事由6に対し

「取消事由2に対し」と同じである。

7  取消事由7に対し

「取消事由3に対し」と同じである。

第5当裁判所の判断

1  取消事由1(先願発明との相違点1-1の判断の誤り)について

(1)  本件補正後のものを含む本願明細書(甲4~6,9,12)によれば,補正の前後を通じての本願発明は,エレベータに関する発明であり,従前より効率的に建物及びエレベータシャフトのスペースを利用できる機械室なしのエレベータを開発すること,エレベータのサイズ及び/又は重量,あるいは,少なくともエレベータ機械装置のサイズ及び/又は重量を削減すること,細い巻上ロープ及び/又は小型のトラクションシーブを有するエレベータを実現し,これによってトラクションシーブに対する良好な把持力/接触を巻上ロープに持たせることを目的とし,そのために補正後の特許請求の範囲請求項1の構成としたものであることが認められる。

(2)  特開平5-171580号公報(甲16)の段落【0001】,【0002】,【0003】,【0007】,【0013】,特開平9-95879号公報(甲17)の段落【0001】,【0002】,【0003】,【0004】,【0015】,【0048】,【表1】,特開平9-21084号公報(乙2)の段落【0006】,【0039】,【0043】の記載によれば,荷役機械等に使用されるワイヤロープにおいては,強度が高くかつ細く軽量な性能を有するものが好ましいとされているところであり,高強度のワイヤロープを得るための一手段として,ワイヤロープを構成するスチールワイヤ等の素線の強度を約200kgf/mm²(約2000N/mm²)以上にすることが好ましいことは,周知の技術事項(「周知の技術事項A」)であると認めることができる。

そして,甲17の「・・・荷役機械用ロープとしては,現在一般的にJIS規格(JIS G 3525)に定められた・・・6ストランドワイヤロープ,あるいはフラット形ストランドロープ,多層ストランドロープが使用されており」(【0002】),特開2001-72383号公報(乙1)の「エレベーターやクレーン等の荷役機械」(段落【0002】),甲20(財団法人日本規格協会「JIS ワイヤーロープ JIS G 3525」,平成10年11月30日発行)の「1.適用範囲」に,「この規格は,機械,エレベータ,建設,船舶,漁業,林業,鉱業,索道などに用いる一般用ワイヤロープ(以下,ロープという。)について規定する。」とある一方,甲20の規格に含まれない規格を示している「備考1.」においてエレベータへの適用を除外していないことからすると,一般に荷役機械用に用いられるロープとエレベータ用に用いられるロープとの間に格段の差異はないものと認められ,甲16,17,乙2に記載されたワイヤロープの素線を荷役機械に用いられるのと同様にエレベータに用いることは排除されているとはいえないから,甲16,17,乙2から認められる周知の技術事項Aは,エレベータにおいても適用されるものと認められる。

そうすると,先願発明における「支持ケーブル」を構成するスチールワイヤに関する強度について周知の技術事項Aを適用して本願発明の相違点1の構成を採用することは,設計上,当業者が必要に応じて適宜採用し得る設計的事項と解するのが相当である。

(4)  原告は,エレベータ用ロープが特殊な特性を要することは技術常識である(甲27)ので,単なる設計的事項ではないと主張する。

確かに,甲27(竹内照男「エレベーター・エスカレーター入門」,株式会社広研社,1997年3月20日発行,2002年11月20日及び2009年8月20日改訂新版発行)には,メイン・ロープとして使用できるロープについて,建設省告示に規定されている理由として「・・・エレベーターのロープが他の産業用ロープに比べて比較にならないほど繰り返し屈曲回数が多く,摩擦力で綱車の回転力をかごに伝えなければならないことによるものである。」(29頁13~15行)と記載されており,エレベータ用ロープの使用条件が他産業用ロープに比べて厳しいことは認められる。

しかし,一方で,甲17に「クレーンに代表される荷役機械においては,・・・」(段落【0002】),「この種のワイヤロープは,安全率を大きく見積もるため高い引張強度が要求される。また,使用中において,シーブ等による繰り返し曲げ,高揚程での負荷,除荷による変動荷重,ウィンチドラムでの繰り返し巻取りを受ける。したがって,ワイヤロープはドラムでの繰り返し巻取り性および耐形崩れ性が良好であることが望まれる。」(段落【0003】)と記載されているように,エレベータ用ではないクレーンなどの荷役機械用に用いられるワイヤロープにあってもエレベータと同様に厳しい使用条件が想定されている上,甲20のJIS規格はそれらの用途を包含し,その例としてのエレベータを明示して公的に定められたものであるから,エレベータ用ロープが何らかの固有の特性を要することが技術常識であったとしても,その特性は,前記JIS規格の想定の範囲内に存する程度の特性とみるのが自然である。

したがって,エレベータ用ロープの特性について他の用途と異なる特殊性が存在するとしても,それが先願発明における「支持ケーブル」を構成するスチールワイヤに関する強度について周知の技術事項Aを適用することの妨げになるとは認められず,原告の上記主張は採用することができない。

(5)  また,原告は,乙2のうち被告が引用する段落【0039】~【0044】で説明されているロープは,織機の分野における綜絖枠の吊持用平形ロープであり,円形断面のワイヤロープ一般には適用されるべきものではないと主張する。

しかし,乙2の段落【0039】~【0044】で説明されているワイヤロープは織機の分野における綜絖枠の吊持用平形ロープであっても,乙2にはワイヤーロープに関する発明が記載されており(段落【0001】),エレベータの吊持用を含む一般のワイヤロープへの適用が除外されるものとは考えられない(段落【0006】,【0011】,【0012】)。また,乙2のワイヤロープは断面平形であるが,スチールワイヤをエレベータ用ワイヤロープに適用することを妨げるものではない。

したがって,乙2から周知の技術事項Aを認定したとしても,そのことに誤りはないと解されるから,原告の上記主張は採用することができない。

2  取消事由2(先願発明との相違点1-2の判断の誤り)について

機械装置においては,一般的に,小型化と軽量化は共に実現が期待されることが普遍的かつ継続的な課題であり,小型化と軽量化は相伴って希求されるのが通常であると解されるところ,エレベータの技術分野においても,国際公開WO99/43589号公報(乙3)の翻訳文に相当する特表2002-504469号公報(乙4)の段落【0004】,【0008】,【0034】,乙5(ワイヤロープハンドブック編集委員会「ワイヤロープハンドブック」,日刊工業新聞社,1995年3月30日発行)の記載(632頁10行~17行)からすれば,巻上機(駆動モータ)やシーブなどのエレベータ装置の部材を小型化や軽量化をすることは,エレベータの技術分野において一般的な技術課題であると認めることができ,また,エレベータにおいては,一般的に一定の「定格荷重」が定められているものであるから,先願発明においても,適宜定められた定格荷重との関係において駆動モータを軽量化するという課題が存在するものと認められる。

そうすると,先願発明においては,本願発明における「巻上機」の重量がどの程度であるのかが具体的に示されていないものの,乙3(乙4)や乙5と同じエレベータの技術分野に属するものであるから,前記の一般的な技術的課題は,自明の課題として内在しており,かかる一般的な技術的課題に基づいて,定格荷重との関係において駆動モータを軽量化するという課題が存在するものと認められる。

ここで,本願発明における「巻上機は,その重量は最高でもエレベータの定格荷重の重量の1/5である」ことの技術的意義について検討するに,本願明細書(甲4~6,9,12)に,本願発明において,「巻上機は,その重量は最高でもエレベータの定格荷重の重量の1/5である」とする構成を採用することによる格別顕著な作用について根拠となる記載は見当たらず,むしろ,その構成に関する記載としては,「巻上機及び支持装置の重量」は「定格荷重」のそれぞれ約1/5,約1/6,約1/8,約1/10あるいは,「巻上機の重量」は「定格荷重」のそれぞれ約1/7,約1/10というような適宜の重量をとり得ることが示されており,また,「巻上機の重量」が「定格荷重」の1/5であることは直接示されておらず,また,それが1/5を超えることにより作用効果に顕著な差異が生じることも示されていない。

そうすると,本願発明における「巻上機は,その重量は最高でもエレベータの定格荷重の重量の1/5である」とする構成は,その重量が低ければ低いほど好ましいという意味でしかなく,また,当該重量が1/5を超えてはならないというものでもないとみるのが自然であり,そこに格別技術的意義は見出せない。

そして,前記のとおり,先願発明においても,一般的な技術的課題に基づいて,定格荷重との関係において駆動モータを軽量化するという課題が存在するものと認められるのであるから,本願発明のように格別技術的意義の存在しない「巻上機の重量」を「定格荷重」の最高でも1/5とすることを選択することは,単なる設計上の事項でしかないというべきである。

したがって,先願発明について相違点1-2に関し本願発明のような構成とすることは,当業者が適宜なしうる程度の単なる設計事項にすぎないとした審決の判断に誤りはない。

3  取消事由3(先願発明との相違点1-3についての判断の誤り)(周知技術認定の誤り)について

特開昭57-170370号公報(甲18)には,「この発明はトラクション式エレベータの巻上装置の改良に関するものである。・・・(3)は駆動綱車(2)の外周面に凹設された綱溝,(4)は・・・主索で,綱線がより合わされたもので構成されている。・・・このときのトラクション能力は約2であって,ゴム溝の場合の約1/2である。このトラクション能力とは,駆動綱車(1)から出る部分の主索(4)の張力と,駆動綱車(1)に入る部分の主索(1)の張力との比で,綱車(2)と主索(4)の間ですべりが発生する直前の最大値を言う。もし綱溝(3)をゴム,合成樹脂等の非金属材料で形成させた場合は,それが破損した場合でも同じトラクション能力を保持していることが安全上要求されている。したがって,金属製の駆動綱車(2)の綱溝(3)を非金属材料で内張りしたものでは,この内張り材が破損したとき,綱溝(3)の金属部分でトラクションを保たなければならない。」(1頁右下欄3行~2頁左上欄9行)との記載がある。

特開昭59-102787号公報(甲19)には,「また,乗心地や振動騒音などからも,金属シーブと金属ロープでは何等かの振動騒音が発生し,乗心地や建家への振動騒音の悪影響が及んでいた。このような問題を解決するため最近ではトラクションシーブ本体の溝にゴム又は合成樹脂などによる柔軟性のある高摩擦材を取付たシーブが開発され実用化されている。」(1頁右下欄9~16行)との記載がある。甲18,19の記載において,「主索」又は「ロープ」(巻上ロープ)の構造に関し,特段コーティングがされていることは示されておらず,「主索」又は「ロープ」にコーティングをすることが自明であるという事情も見当たらないことに照らせば,上記各文献における巻上ロープにはコーティングがされていないと理解するのが自然である。かえって,甲19についていえば,シーブの溝もロープも共に金属である組み合わせを従来技術の問題点として記載した上で,特に,シーブの溝について柔軟性のある高摩擦材を取付けるものであるから,ロープについてはコーティングされていないものを用いていると解するのが自然である。

以上からすれば,甲18,19から,「エレベータにおいて,トラクションシーブやローププーリの綱溝を非金属材料でコーティングし,そして,巻上ロープとしてコーティングしない巻上ロープを採用すること」は周知の技術事項(「周知の技術事項B」)ということができる。

そうすると,本願発明における「トラクションシーブおよび/またはローププーリは,少なくともそれらの/その綱溝を非金属材料でコーティングされ」,そして,「巻上ロープはコーティングされていない」という相違点1-3の構成は,先願発明における「駆動滑車」及び「偏向滑車」の綱溝に周知の技術事項Bを採用することで得られることになるので,当業者が適宜設計し得るものであり,新たな効果を奏するものではないから,課題解決のため具体的解決手段における微差というべきである。

4  取消事由4(引用文献に記載の発明との相違点2-1に関する判断の誤り)について

(1)  引用文献(甲3)に「本発明装置の構成によれば・・・細いロープを使用することができるので,綱車の直径も小さくすることができる。その結果,ギヤレスモータの軸に作用するトルクも小さくなるので,より小さなモータを使用することができる。」(2頁4欄37行~3頁5欄5行)と記載されていることからすれば,引用文献に記載の発明は,ロープ(本願発明における「巻上ロープ」に相当)の直径や綱車(本願発明における「トラクションシーブ」に相当)の直径をより小さくすることを可能にしようとするものであることが認められる。

そして,甲20によれば,直径が8mmより小さいエレベータ用の巻上ロープは,本件出願の優先権主張日前に周知の技術事項(「周知の技術事項C」であると認めることができる。

そうすると,引用文献に記載の発明における「昇降ロープ」の太さについて,周知の技術事項Cを勘案して,本願発明のように「巻上ロープの太さを8mmより小さいもの」とすることは,当業者が必要に応じて適宜設定し得る程度のものであるというべきである。

また,エレベータの技術分野における技術常識として,巻上ロープを駆動するトラクションシーブやローププーリ等の直径は,原則として,巻上ロープの直径の40倍以上とすることを要する(財団法人日本昇降機安全センター編「昇降機用語辞典」,平成元年10月1日発行,甲21の103頁右欄,財団法人日本建築設備・昇降機センター編「昇降機検査資格者講習テキスト」,2000年発行,甲22の327頁左欄)。そうすると,巻上ロープとして直径6mm程度のロープを使用した場合,上記技術常識に照らせば,トラクションシーブやローププーリの直径は約240mm程度のものを使用しうることになるのであるから,相違点2-1に係る本願発明のような構成とすることは,当業者が容易に想到することができたと認めることができる。

(2)  原告は,トラクションシーブの直径は巻上ロープの直径の40倍以上という技術常識にとらわれていたのであれば,直径8mmの巻上ロープを用いた場合のトラクションシーブの直径は少なくとも320mm以上になるはずであり,「巻上ロープの太さが8mmより小さく」かつ「トラクションシーブの直径は最長で250mm」という構成上の要件を両立させるエレベータには想到できないと主張する。

しかし,本願発明の構成は,エレベータにおいて,「巻上ロープの太さが8mmより小さ」いものであって,かつ「該エレベータの巻上機によって運転される前記トラクションシーブの直径は最長で250mmであ」るというものであり,巻上ロープの太さとトラクションシーブの直径はそれぞれ独立してその数値範囲が定められているだけで,両者の関係を特定する構成要件は含まれていない。

したがって,直径が8mmより小さいエレベータ用の巻上ロープが周知の技術事項(「周知の技術事項C」)であること,及び,巻上ロープを駆動するトラクションシーブやローププーリ等の直径は,原則として,巻上ロープの直径の40倍以上とすることを要することがエレベータの技術分野における技術常識であるから,巻上ロープとして,甲20に記載されているような例えば直径6mm程度のロープを使用すれば,その際のトラクションシーブやローププーリ等はその直径が約240mm程度となることは当然予測し得る事項であり,相違点2-1の構成は,当業者が容易に想到することができたことである。

原告の上記主張は採用することができない。

5  取消事由5(引用文献に記載の発明との相違点2-2の判断の誤り)について

甲16,甲17,乙2から周知の技術事項Aが認定でき,かつ,その周知の技術事項Aがエレベータにおいても適用されるものと認められることは,前記1のとおりである。したがって,相違点2-2については,引用文献に記載された発明に周知の技術事項Aを適用することにより当業者が容易に想到することができたことである。

6  取消事由6(引用文献に記載の発明との相違点2-3の判断の誤り)について

相違点2-3については,前記2のとおり,当業者が適宜なし得る程度の単なる設計的事項であると認められるから,当業者が容易に想到することができたことである。

7  取消事由7(本願発明と引用文献に記載の発明の相違点2-4の判断の誤り)について

甲18,甲19から周知の技術事項Bが認定できることは,前記3のとおりである。したがって,相違点2-4については,引用文献記載の発明に周知の技術事項Bを適用することは当業者が容易に想到することができたことである。

第6結論

以上によれば,原告主張の取消事由はすべて理由がない。

よって原告の請求を棄却することとして,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 塩月秀平 裁判官 真辺朋子 裁判官 田邉実)

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