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知財高等裁判所 平成23年(行ケ)10148号 判決 2012年4月11日

原告

沢井製薬株式会社

同訴訟代理人弁護士

高橋隆二

生田哲郎

佐野辰巳

被告

武田薬品工業株式会社

同訴訟代理人弁護士

大野聖二

金本恵子

同弁理士

松任谷優子

主文

1  特許庁が無効2010-800087号事件について平成23年3月22日にした審決を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

事実及び理由

第1請求

主文同旨

第2事案の概要

本件は,原告が,下記1のとおりの手続において,被告の下記2の本件各発明に係る特許に対する原告の特許無効審判の請求について,特許庁が同請求は成り立たないとした別紙審決書(写し)の本件審決(その理由の要旨は下記3のとおり)には,下記4の取消事由があると主張して,その取消しを求める事案である。

1  特許庁における手続の経緯

(1)  被告は,平成8年6月18日,発明の名称を「医薬」とする特許出願(特願平8-156725号。国内優先権主張日:平成7年6月20日)をし,平成13年1月19日,設定の登録(特許第3148973号)を受けた。以下,この特許を「本件特許」という。

(2)  被告は,平成22年5月11日,本件特許の請求項1ないし16,18ないし30及び32ないし44について,特許無効審判を請求し(甲28),無効2010-800087号事件として係属した。これに対して,原告は,同年7月27日,訂正請求をした(乙33)。

(3)  特許庁は,平成23年3月22日,「訂正を認める。本件審判の請求は,成り立たない。」旨の本件審決をし,その謄本は,同月31日,原告に対して送達された。

2  本件各発明の要旨

本件審決が判断の対象とした発明は,前記訂正後のものであって,その要旨は,次のとおりである。以下,請求項の番号に応じて各発明を「本件発明1」などといい,これらを併せて「本件各発明」というほか,本件各発明に係る明細書(乙33に添付のもの)を「本件明細書」という。

【請求項1】 (1)ピオグリタゾンまたはその薬理学的に許容しうる塩と,(2)アカルボース,ボグリボースおよびミグリトールから選ばれるα-グルコシダーゼ阻害剤とを組み合わせてなる糖尿病または糖尿病性合併症の予防・治療用医薬

【請求項2】 (1)ピオグリタゾン又はその薬理学的に許容しうる塩と,(2)アカルボース,ボグリボースおよびミグリトールから選ばれるα-グルコシダーゼ阻害剤とを組み合わせてなる,副作用の軽減された糖尿病または糖尿病性合併症の予防・治療薬

【請求項3】 副作用が消化器障害である請求項2記載の医薬

【請求項4】 消化器障害が下痢である請求項3記載の医薬

【請求項5】 α-グルコシダーゼ阻害剤がボグリボースである請求項1記載の医薬

【請求項6】 ピオグリタゾン又はその薬理学的に許容しうる塩1重量部に対し,α-グルコシダーゼ阻害剤を0.0001~0.2重量部用いる請求項1記載の医薬

【請求項7】 (1)ピオグリタゾンまたはその薬理学的に許容しうる塩と,(2)アカルボース,ボグリボースおよびミグリトールから選ばれるα-グルコシダーゼ阻害剤とを組み合わせてなる,これらの薬剤の単独投与に比べて血糖低下作用の増強された糖尿病または糖尿病性合併症の予防・治療用医薬

【請求項8】 α-グルコシダーゼ阻害剤がボグリボースである請求項7記載の医薬

【請求項9】 ピオグリタゾンまたはその薬理学的に許容しうる塩1重量部に対し,α-グルコシダーゼ阻害剤を0.0001~0.2重量部用いる請求項7記載の医薬

【請求項10】 (1)ピオグリタゾンまたはその薬理学的に許容しうる塩と,(2)アカルボース,ボグリボースおよびミグリトールから選ばれるα-グルコシダーゼ阻害剤とを組み合わせてなる,これらの薬剤の単独使用の場合と比較した場合,少量を使用することを特徴とする糖尿病または糖尿病性合併症の予防・治療用医薬

【請求項11】 α-グルコシダーゼ阻害剤がボグリボースである請求項10記載の医薬

【請求項12】 インスリン感受性増強剤1重量部に対し,α-グルコシダーゼ阻害剤を0.0001~0.2重量部用いる請求項10記載の医薬

3  本件審決の理由の要旨

(1)  本件審決の理由は,要するに,①本件発明1ないし4,6,7,9,10及び12は,本件明細書の発明の詳細な説明に記載されたものであって,平成14年法律第24号による改正前の特許法36条6項1号に違反するものではない,②本件発明1ないし5,7,8,10及び11(以下,これらを併せて「本件発明1等」という。)は,下記アないしエの引用例1ないし4に記載された発明であるとはいえないから,特許法29条1項3号の規定により無効とすることはできない,③本件各発明は,上記発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたとはいえないから,同条2項の規定により無効とすることはできない,というものである。

ア 引用例1:「経口血糖降下剤の使い方と限界」(medicina vol.30,no.8・1471~1473頁。平成5年8月刊行。甲1)

イ 引用例2:「新しい経口血糖降下剤の開発状況と展望」(medicina vol.30,no.8・1541~1542頁。平成5年8月刊行。甲2)

ウ 引用例3:「NIDDMの新しい治療薬」(Therapeutic Research vol.14,no.10・4122~4126頁。平成5年10月刊行。甲3)

エ 引用例4:「経口糖尿病薬-新薬と新しい治療プラン-」(総合臨床 vol.43,no.11・2615~2621頁。平成6年11月刊行。甲4)

(2)  なお,本件審決が認定した引用例1ないし4に記載の発明(以下「引用発明」という。)並びに本件発明1と引用発明との相違点は,以下のとおりである。

ア 引用発明:ピオグリタゾン,又は,アカルボース及びボグリボースから選ばれるα-グルコシダーゼ阻害剤のいずれか1つを有効成分とする糖尿病治療用医薬

イ 一致点:糖尿病治療薬である点

ウ 相違点:本件発明1の治療薬はピオグリタゾンと,アカルボース及びボグリボースから選ばれるα-グルコシダーゼ阻害剤とを組み合わせてなるものであるのに対し,引用発明の治療薬は上記3つの化合物のいずれか1つを単独で有効成分として使用するものであって,それらを併用するものではない点

4  取消事由

(1)  引用例3に基づく本件発明1等の新規性に係る判断の誤り(取消事由1)

(2)  引用例4に基づく本件発明1等の新規性に係る判断の誤り(取消事由2)

(3)  本件各発明の容易想到性に係る判断の誤り(取消事由3)

第3当事者の主張

1  取消事由1(引用例3に基づく本件発明1等の新規性に係る判断の誤り)について

〔原告の主張〕

(1) 本件審決は,引用例3の図3にはピオグリタゾンとα-グルコシダーゼ阻害剤とを併用することが示されているが,これは,併用について単に将来的な糖尿病治療を前提とするものであり,その併用により実際に糖尿病治療が行われたことや,その併用についての薬理効果を確認したことについての記載がないから,医薬の有用性を理解できず併用医薬の発明として記載されているものではない旨を説示して,引用例3には本件発明1等が記載されていないと判断した。

(2) しかしながら,本件審決も認めるとおり,本件発明1の構成は,引用例3の図3に示されている。すなわち,引用例3の図3には,「将来のNIDDM薬物療法のあり方」と題して,①α-グルコシダーゼ阻害剤(ボグリボース)とSU剤(グリメピリド)との併用,②α-グルコシダーゼ阻害剤とインスリン感受性増強剤(インスリン抵抗性改善剤ともいう。トログリタゾン及びピオグリタゾン)との併用,③SU剤(グリベンクラミド又はグリクラジド)とインスリン感受性増強剤(トログリタゾン)との併用という3つの技術的思想が記載されており,特に③については併用したときの効果が数値をもって具体的に記載されているばかりか,この図に関して,「すでに臨床治験を終了あるいは進行中であり,近い将来に臨床の第一線に登場する可能性が高い」旨の説明がされている。

しかも,糖尿病の薬物療法においては,薬理効果の作用機序が異なる医薬を併用使用することにより,各医薬の持つ作用の発現によって治療効果を高めていることは,一般的に行われてきており(甲7,13~18),糖尿病の治療においては併用禁忌とされる組合せが見当たらない(引用例1~4,甲5,6,25~27)。したがって,新たな作用機序を有するインスリン感受性増強剤との併用については,本件優先権主張日当時の当業者は,直ちにその有用性を理解し,他の治療薬との併用による相加的,相乗的な効果を期待できた。そして,本件各発明のような医薬品の用途発明の開示において,刊行物にはこれを構成する化合物等及び医薬用途の有用性の両者が記載されていれば足り,具体的な薬理効果の記載は,必要ではない。このように,被告が主張する併用効果と臨床上の併用の有用性は,同一の作用効果を示しているのであって,両者は,別のものではなく,単に併用投与の効果を確認する方法の違いにすぎない。したがって,臨床上の併用の有用性について記載があれば,併用効果も認められるというべきであって,引用例3及び甲22には,いずれもこのような併用効果に関する記載がある。

また,乙17(甲22)には,ピオグリタゾンと同じインスリン感受性増強剤であり,類似のものであるトログリタゾンとSU剤との併用投与について,実際にその臨床試験を行った旨及びその臨床上の有用性が記載されているから,本件発明1の構成による併用投与についても,臨床的効果が現実に期待し得る有用な医薬として記載されているといえる。

なお,本件審決は,乙17をインスリン感受性増強剤が他剤と併用効果を持たないことを示す文献であると理解しているが,乙17は,抄訳であって,その全訳である甲22によれば,同文献は,むしろ,インスリン感受性増強剤であるトログリタゾンと他剤との併用投与が著しい改善効果を示すことを明らかにする文献である。

(3) よって,本件発明1等は,引用例3に記載された発明であり,この認定を誤る本件審決は,取り消されるべきである。

〔被告の主張〕

(1) 併用医薬発明は,それぞれ単独で投与した場合と比較して,併用投与の方が優れた効果(併用効果)を奏する場合にはじめて特許性が認められ,発明として完成するものであるところ,ここにいう「併用効果」は,臨床上,単独投与で十分な効果が得られない患者に対して別の薬剤を併用投与して効果(併用効果を示すことは,必要とされない。)が得られる「臨床上の併用の有用性」(乙17)とは区別されなければならない。

したがって,引用例に併用医薬特許発明が開示されているというためには,併用効果の記載が必要であるところ,原告が提出した引用例には,いずれも併用効果の記載がない。

(2) また,本件審決も認定するように,糖尿病に対する薬剤の併用治療に関し,本件優先権主張日の前において,異なる作用機序の薬剤を併用して用いれば例外なく,相加的又は相乗的な効果が必ずもたらされることを当業者が認識していたという事実を認めるに足りる根拠は,全く見出せない。

このように,同一の疾病治療に用いられている作用機序の異なる2つの医薬を組み合わせて使用する場合の併用効果については,必ずしも相乗的な効果がもたらされるとは限らないため,実際の効果については現実に使用してみなければ分からないという認識が,当業者には一般的であるところ,ピオグリタゾン(インスリン感受性増強剤)は,本件優先権主張日当時,まだ臨床試験中であり,市場にはインスリン感受性増強剤自体存在しなかったため,インスリン感受性増強剤と他の血糖降下剤との併用による効果の増強(相乗的効果)は,実証されておらず,その予測可能性は,極めて低かった。むしろ,同じチアゾリジン系インスリン感受性増強剤であるトログリタゾンと他の経口糖尿病薬(SU剤,メトホルミン)との併用では,単独投与と差異がないことが報告されていた(乙17)。したがって,引用例3及び4の各図の記載によって,インスリン感受性増強剤とその他の血糖降下剤との併用が本件優先権主張日当時,技術的思想として確立していたとはいえない。

引用例3の図3は,その標題及び引用例3の執筆者の陳述書(乙24)からも明らかなように,将来のあり方(期待や可能性)を示したものにすぎず,具体的な併用の形態や併用効果を示すものではない。また,引用例3には,SU剤では効果不十分な患者に対してトログリタゾンを追加投与した場合の臨床上の効果の有用性についての記載はあるが,併用効果についての記載はない。

乙17には,他の経口血糖降下剤の単独投与では効果不十分な患者に対してトログリタゾンを追加投与すると効果が見られたという臨床上の併用の有用性の可能性に関する記載はあるが,単独投与と他の経口血糖降下剤との併用投与では効果に差異はなかった旨の記載があるなど,併用効果について否定的な記載がされている。したがって,乙17に基づき,引用例3がインスリン感受性増強剤とSU剤との併用効果を具体的に記載しているということはできない。

(3) よって,引用例3には,本件発明1等が記載されているとはいえない。

2  取消事由2(引用例4に基づく本件発明1等の新規性に係る判断の誤り)について

〔原告の主張〕

(1) 本件審決は,引用例4の図6には糖尿病治療薬において,インスリン抵抗改善薬とα-グルコシダーゼ阻害剤との併用やSU剤とインスリン感受性増強剤とα-グルコシダーゼ阻害剤との3者併用の薬剤の組合せが試みられる旨の記載があるが,これが併用について単に将来的な糖尿病治療を前提とするものであり,ピオグリタゾンとα-グルコシダーゼ阻害剤であるアカルボース,ミグリトール又はボグリボースとを併用することにより実際に糖尿病治療が行われたことや,その併用について糖尿病治療に係る薬理効果を実際に確認したことについては記載がなく,ピオグリタゾンとα-グルコシダーゼ阻害剤とを選択し,この2つの薬剤でもって併用治療を行うことについての記載や示唆もないから,医薬の有用性を理解できず併用医薬の発明として記載されているものではない旨を説示して,引用例4には本件発明1等が記載されていないと判断した。

(2) しかしながら,引用例4の図6には,インスリン感受性増強剤とα-グルコシダーゼ阻害剤との併用投与による糖尿病の治療プランが有用なものとして具体的かつ実際に開示されている。

糖尿病の薬物療法においては,併用投与が一般的に行われていることや,医薬発明の用途発明の開示において具体的な薬理効果の記載が必要ではないことは,前記のとおりである。

(3) よって,本件発明1等は,引用例4に記載された発明であり,この認定を誤る本件審決は,取り消されるべきである。

〔被告の主張〕

前記のとおり,引用例に併用医薬特許発明が開示されているというためには,併用効果の記載が必要であるところ,引用例4には,SU剤とインスリン感受性増強剤という作用機序の異なる薬剤について,その併用の可能性や期待についての記載はあるが,具体的な併用の方法や,併用の効果については記載がない。

3  取消事由3(本件各発明の容易想到性に係る判断の誤り)について

〔原告の主張〕

(1) 本件審決は,本件優先権主張日当時において,異なる作用機序の薬剤を併用して用いれば例外なく,相加的又は相乗的な効果が必ずもたらされることを当業者が認識していたという事実を認めるに足りる根拠を全く見出せないことを前提として,相違点に係る糖尿病治療薬の構成を,引用例1ないし4の記載から当業者が容易に想到することができた一方,本件発明1の効果が,本件明細書の実験例1及び甲8ないし10の記載に基づき,引用例1ないし4の記載からは当業者が予測できない格別顕著なものであると説示して,本件発明1を当業者が容易に想到することができたとは認められないと判断した。

(2) しかしながら,前記のとおり,相違点に係る構成は,引用例3又は4に記載されているところ,仮に相違点が存在するとしても,相違点の構成が容易に想到し得るものであれば,特別な事情のない限り,進歩性は認められず,その作用効果が顕著であることは,出願人又は特許権者において明らかにする必要がある。

しかるところ,本件明細書の実験例1は,ラットのデータにすぎないし,併用効果が知られている異なる作用機序を有する医薬品の併用投与による,従来技術との効果の対比実験を行ったものではないから,併用投与による予測の範囲を越えたものであるか否かは,直ちに明らかとはしていない。また,甲8及び10は,本件明細書の実験例1と同じ実験を行いながら,併用効果が大きくなっており,当該実験例1が誤りであったことを示しているばかりか,そもそも,各血漿グルコースの値の標準偏差が高く,有意差を検討するにはもともと不適切である。さらに,甲9は,統計的処理の基礎となるデータが第三者に不明であるから,無意味である。

また,本件審決は,そもそも,引用例1ないし4から当業者が予測できる量的効果がいかなるものであるかについて一切説示しておらず,証拠に基づかずに作用効果の顕著性を認定している。

むしろ,糖尿病の薬物療法においては,薬理効果の作用機序が異なる医薬を併用使用することにより,各医薬の持つ作用の発現によって治療効果を高めていることは,一般的に行われてきており(甲7,13~18),糖尿病の治療においては併用禁忌とされる組合せが見当たらない(引用例1~4,甲5,6,25~27)。例えば,本件優先権主張日当時,当業者がインスリン感受性増強剤とSU剤との併用を試みることは,容易であった(甲18)。そして,本件明細書の実験例1が示す作用効果は,ピオグリタゾンとα-グルコシダーゼ阻害剤との併用投与に関して記載されたピオグリタゾン(医薬品「アクトス錠」)の添付文書(甲19)の記載によっても,ピオグリタゾンとSU剤との併用効果よりも劣っており,当業者の予測する範囲内のものであった。

(3) 以上のとおり,ピオグリタゾンと他剤との併用効果は,追加的な改善効果を有するにすぎず,その程度を当業者が予測できない格別顕著なものと認定した本件審決には,誤りがある。

(4) 本件各発明の進歩性について

したがって,本件発明1は,進歩性がなく,本件発明1の従属項である本件発明2ないし12も,同様に,進歩性がなく,その進歩性を認めた本件審決は取り消されるべきものである。

〔被告の主張〕

(1) 前記のとおり,引用例3及び4には,いずれも本件発明1の構成や効果が記載されていない。すなわち,引用例1ないし4には,インスリン感受性増強剤であるピオグリタゾンやトログリタゾンと,α-グルコシダーゼ阻害剤であるアカルボース,ボグリボース又はミグリトールとを併用すれば効果の高い治療が可能となるかもしれない,という単なる期待の域を出ないものであり,他の証拠の記載も同様であって,いずれの証拠も,異なる作用機序に基づく糖尿病治療薬の併用は,相加的又は相乗的な効果を必ずもたらすことを裏付けるものではないのであって,本件優先権主張日当時,インスリン抵抗改善薬とα-グルコシダーゼ阻害剤との併用効果は,知られていなかった。

(2) また,前記のとおり,同一の疾病治療に用いられている作用機序の異なる2つの医薬を組み合わせて使用する場合の併用効果については,必ずしも相乗的な効果がもたらされるとは限らないため,実際の効果については現実に使用してみなければ分からないという認識が,当業者には一般的であるところ,このような本件優先権主張日当時の技術水準等を考慮すれば,前記の併用効果があれば,本件発明1の顕著な効果を認めるには十分である。

そして,アカルボース,ボグリボース及びミグリトールは,いずれもα-グルコシダーゼ阻害剤に分類される経口血糖降下剤であり,その作用機序(本件明細書【0030】,引用例1~4,乙6~8),下痢等の消化器症状という副作用(引用例3,4)及び化学構造において共通しているところ,本件明細書の実験例1(ピオグリタゾンとボグリボースとの併用)及び2(ピオグリタゾンとグリベンクラミドとの併用)のうち,実験例1は,本件発明1の構成により,それぞれ単独で使用する場合に比較して少量で優れた血糖降下作用(相乗的効果)が得られ,それゆえ副作用を低減しうるという併用効果を具体的に記載しており,また,乙20(甲8)及び乙23(甲10)は,ボグリボースとピオグリタゾンとの併用効果を,乙22は,アカルボースとピオグリタゾンとの併用効果を,それぞれ明らかにしているほか,乙21(甲9)は,各単独投与と比較した併用投与の顕著な効果を再検定により統計的に実証している。

したがって,本件明細書の実験例1及び乙20ないし23は,いずれも本件発明1の併用効果すなわち顕著な作用効果を明らかにしている。

なお,上記実験例1及び乙23について,2つの値の差が統計学的に有意となるか否かは,単純に平均値と標準偏差の大きさだけでは決まらず,各群のデータの個数によっても異なるし,被告は,もとより作為的に数値を変えるなどしていない。

(3) さらに,原告は,新たな証拠(甲13~21)をもとに本件各発明の容易想到性について主張しているもののようであるが,甲13ないし17には,インスリン感受性増強剤やピオグリタゾンについては記載も示唆もなく,単に異なる血糖降下剤の併用を示すにとどまり,医薬発明の特許に求められる併用効果を示すものではないし,甲18は,単なる安全性試験であって併用効果を見た試験ではなく(乙31),ピオグリタゾンとα-グルコシダーゼ阻害剤との組合せは,記載も示唆もされていない。また,甲19は,臨床上の併用の有用性を示すものであって,上記併用効果を明らかにするものではない。

そもそも,本件各発明は,初めてインスリン感受性増強剤(ピオグリタゾン)と他の血糖降下剤との併用効果を実証し,発明として完成させたものであって,選択発明ではないから,他の発明との比較において本件各発明の効果を示す必要はない。そして,甲19に示されるピオグリタゾンとSU剤との併用及びピオグリタゾンとビグアナイド剤との併用は,本件発明1と同様に,本件出願(分割出願)の基礎となった出願の特許請求の範囲に包含されるものであって,これらの間で優劣を比較する必要などない。

(4) 本件各発明の進歩性について

ア 引用例1ないし4には,本件発明1の具体的構成は,何ら示されていない。

むしろ本件明細書の実験例1は,ピオグリタゾンとボグリボース(α-グルコシダーゼ阻害剤)との併用により,それぞれ単独で使用する場合に比較して少量で優れた血糖降下作用が得られることを明らかにしているほか,ピオグリタゾンは,他のチアゾリジン(グリタゾン)系化合物と同様に,体重増加という副作用を伴う(乙18)ところ,ボグリボースとの併用(乙20,21)又はピオグリタゾンとアカルボースとの併用(乙22)は,いずれも血漿グルコース濃度を単独投与の場合よりも著しく低下させ,さらに,体重増加が抑制されることが実証されている。

また,本件明細書,乙21及び23は,併用投与による経口ブドウ糖負荷試験により,本件各発明が血糖値及びインスリン分泌を単独投与の場合よりも著しく抑制することを実証している。さらに,同じチアゾリジン系インスリン感受性増強剤であるトログリタゾンとの比較でも,ピオグリタゾンは,ボグリボースとの併用投与により相加的ないし相乗的な効果が得られることが明らかにされている(乙21~23)。

イ 医薬の特性上,実際の併用効果は,現実に使用してみなければ分からず,現に,現在市販されている経口糖尿病治療薬の添付文書には,いずれも他の血糖降下剤との併用に関する注意事項が明記されており(乙3~16),日本糖尿病学会も,併用について慎重さを要求している(乙19)。

また,本件優先権主張日当時,チアゾリジン系インスリン感受性増強剤については,他の血糖降下剤(SU剤,メトホルミン)との併用効果に関して,単独投与と相違がないとする論文が存在した(乙17)。

ウ 本件各発明に係るピオグリタゾンは,顕著な商業的成功を収めており,このことは,本件各発明の顕著な効果を示す証拠の1つといえる。

エ 以上のとおり,本件発明1は,引用例1ないし4に記載の発明に対して進歩性を有しており,その要件を全て含む本件発明2ないし12も,同様に進歩性が認められる。

第4当裁判所の判断

1  糖尿病治療薬に関する技術常識について

本件においては,取消事由に対する判断に先立って,本件優先権主張日当時の糖尿病治療薬に関する技術常識をみておくこととする。

(1)  本件明細書の記載について

本件各発明は,前記第2の2に記載のとおりであるが,本件明細書には,本件各発明についておおむね次の記載がある。

ア 本件各発明は,インスリン感受性増強剤とそれ以外の作用機序を有する他の糖尿病予防・治療薬とを組み合わせてなる医薬に関する(【0001】)。

イ ピオグリタゾンは,障害を受けているインスリン受容体の機能を元に戻す作用を有するインスリン感受性増強剤の1つであり,その作用は,比較的緩徐であって,長期投与においてもほとんど副作用がない。しかしながら,本件各発明の特定の組合せを有する医薬については知られていない(【0002】)。他方,糖尿病治療に当たっては,個々の患者のそのときの症状に最も適した薬剤を選択する必要があるが,個々の薬剤の単独での使用においては,症状によっては充分な効果が得られない場合もあり,また投与量の増大や投与の長期化による副作用の発現など種々の問題があり,臨床の場ではその選択が困難な場合が多い(【0003】)。

ウ 本件各発明は,インスリン感受性増強剤を必須の成分とし,さらにそれ以外の作用機序を有する他の糖尿病予防・治療薬を組み合わせることで,薬物の長期投与においても副作用が少なく,かつ,多くの糖尿病患者に効果的な糖尿病予防・治療薬としたものである(【0004】)。

本件各発明の医薬は,糖尿病時の高血糖に対して優れた低下作用を発揮し,糖尿病の予防及び治療に有効である。また,この医薬は,高血糖に起因する神経障害,腎症,網膜症,大血管障害又は骨減少症などの糖尿病性合併症の予防及び治療にも有効である。さらに,症状に応じて各薬剤の種類,投与法又は投与量などを適宜選択すれば,長期間投与しても安定した血糖低下作用が期待され,副作用の発現も極めて少ない(【0045】)。

エ 本件各発明においてインスリン感受性増強剤と組み合わせて用いられる薬剤としては,α-グルコシダーゼ阻害剤やビグアナイド剤などがある。

α-グルコシダーゼ阻害剤は,アミラーゼ等の消化酵素を阻害して,澱粉や蔗糖の消化を遅延させる作用を有する薬剤であって,具体例には,アカルボース,ボグリボース及びミグリトールなどがある。

ビグアナイド剤は,嫌気性解糖促進作用,末梢でのインスリン作用増強,腸管からのグルコース吸収抑制,肝糖新生の抑制及び脂肪酸酸化阻害などの作用を有する薬剤であって,具体例には,フェンホルミン,メトホルミン及びブホルミンなどがある(【0030】)。

オ 本件各発明においてピオグリタゾン又はその薬理学的に許容し得る塩と組み合わせて用いられる薬剤としては,インスリン分泌促進剤などが挙げられる。

インスリン分泌促進剤は,膵β細胞からのインスリン分泌促進作用を有する薬剤であって,例えばスルフォニール尿素剤(SU剤)が挙げられる。SU剤は,細胞膜のSU剤受容体を介してインスリン分泌シグナルを伝達し,膵β細胞からのインスリン分泌を促進する薬剤であって,具体例には,グリベンクラミドやグリメピリドがある(【0033】)。

カ 本件各発明の医薬は,生理学的に許容され得る担体等と混合し,医薬組成物として経口又は非経口的に投与することができ,経口剤としては,例えば錠剤等が挙げられ,本件明細書の記載に従って製造することができる。本件各発明におけるインスリン感受性増強剤は,成人1人当たり経口投与の場合,臨床用量である0.01ないし10mg/kg体重,好ましくは0.05ないし10mg/kg体重,さらに好ましくは0.05ないし5mg/kg体重である(【0035】~【0039】)。

キ 本件各発明の医薬は,各薬剤の単独投与に比べて著しい増強効果を有する。例えば,遺伝性肥満糖尿病ウイスター・ファティー・ラットにおいて,2種の薬剤をそれぞれ単独投与した場合に比較し,これらを併用投与すると高血糖あるいは耐糖能低下の著明な改善がみられた。したがって,本件各発明の医薬は,薬剤の単独投与より一層効果的に糖尿病時の血糖を低下させ,糖尿病性合併症の予防あるいは治療に適用し得る。また,本件各発明の医薬は,各薬剤の単独投与の場合と比較した場合,少量を使用することにより十分な効果が得られることから,薬剤の有する副作用(例,下痢等の消化器障害など)を軽減することができる(【0040】)。

ク 各群5ないし6匹からなる14ないし19週齢の雄の前記ラットを4群に分け,塩酸ピオグリタゾン(1mg/kg体重/日,経口投与)又はα-グルコシダーゼ阻害剤であるボグリボース(0.31mg/kg体重/日,5ppmの割合で市販飼料に混合して投与)をそれぞれ単独又は併用して14日間投与した後,ラットの尾静脈から血液を採取し,血漿グルコース(mg/dℓ)及びヘモグロビンA1(%)を測定したところ,次の結果を得た。これから明らかなように,血漿グルコース及びヘモグロビンA1は,塩酸ピオグリタゾン又はボグリボースの単独投与よりも,併用投与により著しく低下した(実験例1。【0043】)。

① 対照群(薬剤投与なし)

血漿グルコース:345±29  ヘモグロビンA1:5.7±0.4

② 塩酸ピオグリタゾン単独投与群

血漿グルコース:215±50  ヘモグロビンA1:5.2±0.3

③ ボグリボース単独投与群

血漿グルコース:326±46  ヘモグロビンA1:6.0±0.6

④ 塩酸ピオグリタゾン及びボグリボース併用投与群

血漿グルコース:114±23  ヘモグロビンA1:4.5±0.4

ケ 各群5匹からなる13ないし14週齢の雄の前記ラットを4群に分け,塩酸ピオグリタゾン(3gm/kg/日,経口投与)又はインスリン分泌促進剤であるグリベンクラミド(3gm/kg/日,経口投与)をそれぞれ単独又は併用して7日間投与した後,一晩絶食し,経口ブドウ糖負荷試験(2g/kg/5mℓのブドウ糖を経口投与)を行った。ブドウ糖負荷前,120分後及び240分後にラットの尾静脈から血液を採取し,血漿グルコース(mg/dℓ)を測定したところ,次の結果を得た。これから明らかなように,ブドウ糖負荷後の血糖値の上昇は,塩酸ピオグリタゾン又はグリベンクラミドの単独投与よりも,併用投与により著しく抑制された(実験例2。【0044】)。

① 対照群(薬剤投与なし)

0分:119±9 120分:241±58 240分:137±10

② 塩酸ピオグリタゾン単独投与群

0分:102±12 120分:136±17 240分:102±9

③ グリベンクラミド単独投与群

0分:118±12 120分:222±61 240分:106±24

④ 塩酸ピオグリタゾン及びグリベンクラミド併用投与群

0分:108±3 120分:86±10 240分:60±5

(2)  本件各発明の課題及び技術的思想等について

本件各発明の特許請求の範囲の記載及び本件明細書の記載によれば,本件各発明は,糖尿病治療に当たって,薬剤の単独の使用には,十分な効果が得られず,あるいは副作用の発現などの課題があった一方で,インスリン感受性増強剤でありほとんど副作用がないピオグリタゾンを,消化酵素を阻害して,澱粉や蔗糖の消化を遅延させる作用を有するα-グルコシダーゼ阻害剤(アカルボース,ボグリボース又はミグリトール)と組み合わせた医薬については知られていなかったことから,ピオグリタゾンとそれ以外の作用機序を有するα-グルコシダーゼ阻害剤とを組み合わせることで,薬物の長期投与においても副作用が少なく,かつ,多くの糖尿病患者に効果的な糖尿病予防・治療薬とすることをその技術的思想とするものであるといえる。

(3)  引用例その他の文献の記載について

次に,本件優先権主張日当時の当業者の技術常識等を明らかにするため,これらの日より前に刊行された引用例1ないし4その他の文献をみると,これらの文献には,おおむね次の記載がある。

ア 引用例1について

(ア) 食事及び運動という2つの基本治療によって十分な血糖コントロールが得られないインスリン非依存型糖尿病(NIDDM)に対しては,主たる作用機序がインスリン分泌促進であるグリベンクラミドなどのSU剤の投与が行われるが,SU剤は,全てのNIDDMに有効であるとは限らず,当初から効果が認められない一次無効例(約20%)のほか,年々5ないし10%ずつ無効例(二次的無効例)が増加し,約5年後にはインスリン療法に移行せざるを得ないことになる。

(イ) 近い将来に市販が予定されているSU剤グリメピリドは,グリベンクラミドより強い臨床効果を示すが,インスリン分泌促進効果は,さほどではない。末梢でのインスリン抵抗性を改善する薬剤としては,近く市販予定のトログリタゾンや,臨床治験中のピオグリタゾンがある。また,直接的な血糖降下作用はないが,多糖類の分解を抑制して糖質の吸収を遅延させることにより食後の過血糖の是正が期待されるα-グルコシダーゼ阻害剤として,アカルボースがある。将来は食事療法からインスリン療法までへの移行過程において,作用機序の異なる経口剤の併用が幅広く行われる可能性もある。

イ 引用例2について

(ア) 近年,NIDDMの病態に基づいた治療薬として,インスリン抵抗性の改善作用を有する薬剤(インスリン感受性増強剤)や,食後の血糖上昇を抑制する薬剤(α-グルコシダーゼ阻害剤)などの開発が活発に行われるようになっている。

インスリン感受性増強剤であるピオグリタゾンは,トログリタゾンと同様に,インスリン分泌作用がなく,インスリン抵抗性の改善により血糖降下作用を示す。

新しいSU剤であるグリメピリドは,グリベンクラミドに比し,そのインスリン分泌促進作用が弱いにもかかわらず,同等若しくはそれ以上の血糖降下作用を有する。

α-グルコシダーゼ阻害剤であるアカルボースは,食後の血糖上昇を抑えようとする薬剤である。

(イ) 以上のような近年開発中の経口血糖降下剤が臨床の場に登場すれば,単独投与だけでなく,従来からのSU剤やインスリンを含めて,それぞれの薬剤の特徴を生かした併用療法も考えられ,個々の患者の病態に即した,より有用な治療の選択が可能になるものと思われる。

ウ 引用例3について

(ア) NIDDMに対するSU剤治療は,一応の合理性を持つものであるが,二次無効,肥満の助長及び低血糖などの限界がある。これからの経口剤としてはSU剤とは異なる作用機序を持ち,食後血糖を低下させ,かつ,低血糖を起こしにくいという特徴を持つものなどが臨床上好ましいものといえる。また,インスリン抵抗性改善に働くものは,これからのNIDDM治療に必須なものといえよう。

(イ) 引用例3には,インスリン分泌促進薬であるグリメピリド,臨床上での有用性が期待されているインスリン感受性増強剤であるトログリタゾン及びピオグリタゾン並びにα-グルコシダーゼ阻害剤であるボグリボース,アカルボース及びミグリトールについて作用機序や,α-グルコシダーゼ阻害剤には腹部膨満及び下痢などの消化器症状という副作用があることを含む一般的な説明を施し,「(ピオグリタゾンが)用量的には30mg/日で十分な血糖降下作用を発揮するものと思われる。」旨の記載があるほか,ボグリボースとSU剤との併用により血糖値の低下という成果が得られている旨の記載がある。

(ウ) 引用例3の図3は,本判決別紙に記載のとおりであるが,「将来のNIDDM薬物療法のあり方」と題するもので,最上方に「薬物療法が必要なNIDDM」と記載され,そこから直下方に向かう矢印の先端には,「α-グルコシダーゼ阻害薬」,右下方に向かう矢印(「肥満(+)」と注記されている)の先端には,「CS-045(トログリタゾン),AD-4833(ピオグリタゾン)」,左下方に向かう矢印(「肥満(-)」と注記されている)の先端には,「SU剤(HOE490(グリメピリド)など)」との書込みがそれぞれある長方形が記載されており,これら3個の長方形から,中央にある「血糖良好」との書込みのある長円形に向かって矢印が伸びている。また,上記図3では,「α-グルコシダーゼ阻害剤」及び「CS-045(トログリタゾン),AD-4833(ピオグリタゾン)」の各長方形から伸びている各矢印の先端並びに「α-グルコシダーゼ阻害薬」及び「SU剤(HOE490(グリメピリド)など)」の各長方形から伸びている各矢印の先端には,それぞれ,「併用」との書込みのある長方形が記載されている。さらに,上記図3には,「CS-045(トログリタゾン),AD-4833(ピオグリタゾン)」及び「SU剤(HOE490(グリメピリド)など)」の各長方形から伸びている各矢印の先端には,「併用」との書込みのある長方形が記載されており,そこから「血糖良好」の長円形のほか,「インスリン」との書込みのある長方形に向かって,それぞれ矢印が伸びている。

(エ) 引用例3は,前記図3について,「以上紹介した薬剤はいずれもすでに臨床治験を終了あるいは進行中であり,近い将来に臨床の第一線に登場する可能性の高いものである。治療の最終目標である合併症の発症・進展防止のために厳格な血糖管理が薬物療法に求められる役割であるとの観点から今後は個々の病態に応じたきめ細かい治療が要求される。新たな治療薬の参入によって今後のNIDDMの薬物療法の在り方も変わっていくものと思われる(図3)。」旨を記載している。

エ 引用例4について

(ア) 引用例4には,α-グルコシダーゼ阻害剤として臨床効果の有用性が報告されているアカルボース及びボグリボース等,インスリン感受性増強剤であるピオグリタゾン及びトログリタゾン等並びに新たなSU剤であって将来有用なものとして期待されるグリメピリドの作用機序や,α-グルコシダーゼ阻害剤には腹部膨満等の副作用があることを含む一般的な説明についての記載がある。

(イ) 引用例4には,「さて,糖尿病状態になれば,病状と分泌不全と抵抗性とのバランスにより,以下の薬剤の組合せが試みられる(図6)。空腹時血糖が110mg/dℓ以下で食後血糖が200mg/dℓ以上であればα-グルコシダーゼ阻害剤をまず試みる。空腹時血糖が110mg/dℓから139mg/dℓであれば,空腹時の肝糖産生抑制するために就寝前にスルフォニール尿素剤の経口投与,あるいはインスリン抵抗性改善剤やビグアナイド剤の投与が試みられるが,やはりそれらとα-グルコシダーゼ阻害剤の併用が好ましい。次に空腹時血糖が140mg/dℓから199mg/dℓであれば,スルフォニール尿素剤単独投与,スルフォニール尿素剤とインスリン抵抗性改善薬との併用が試みられる。しかし同様にα-グルコシダーゼ阻害剤の併用という3者併用療法が好ましい。さらに空腹時血糖が200mg/dℓ以上であれば,基礎インスリン分泌の補充と食後の追加分泌の補充が必要であるので,毎食前の速効型インスリンと夜間の中間型インスリンの投与が基本であるが,やはりα-グルコシダーゼ阻害剤の併用による食後過血糖のより効果的な是正が好ましい。さらに必要に応じてインスリン抵抗性改善薬との併用によりインスリン需要量の軽減が期待される。」,「α-グルコシダーゼ阻害剤やインスリン抵抗性改善薬という最近の新しい糖尿病薬の開発により,インスリン追加分泌不全やインスリン抵抗性増大という耐糖能異常の状態での予防的投与に基づく糖尿病の発症予防が将来期待される。」旨の記載があり,以上の記載を図表で表した図6が記載されている。

オ 甲15及び乙17(甲22)の記載について

(ア) 甲15は,平成6年4月刊行の「医薬ジャーナル」誌30巻4号1141頁に掲載された「経口血糖降下薬による治療の現状 2 ビグアニド剤」と題する論文であるが,そこには,嫌気性解糖促進作用や末梢でのインスリン増強作用等の作用機序を有する,フェンホルミン,メトホルミン及びブホルミンを含むビグアナイド剤の作用機序,禁忌及び副作用についての説明がある。

(イ) 乙17(甲22)は,平成3年(1991年)11月刊行の「インスリン非依存性糖尿病患者における新規の経口血糖降下薬CS-045の予備的臨床試験」と題する文献であるが,そこには,NIDDMにおける血糖値の低下に対するインスリン感受性増強剤であるトログリタゾンの効果を検討するために,食事療法では血糖調節が十分ではない群の患者にトログリタゾンを単独投与する一方,他の経口血糖降下薬であるSU剤又はビグアナイド剤では血糖調節が十分ではない群の患者に,SU剤又はビグアナイド剤に加えてトログリタゾンを併用投与(いずれも12週間)したところ,血糖調節に著しい改善又は中程度の改善がみられた者の率がいずれの群でも39%であったという臨床試験の結果が記載されている。

(4)  小括

以上の本件明細書及び引用例等の各文献の記載によれば,少なくとも,①非インスリン依存性糖尿病(NIDDM)に対して,従前,主に膵β細胞からのインスリン分泌を促進するSU剤であるグリベンクラミドの投与がされてきており,新たなSU剤としてグリメピリドも存在すること,②インスリン受容体の機能を元に戻して末梢のインスリン抵抗性を改善するインスリン感受性増強剤としてピオグリタゾン(臨床治験中)及びトログリタゾン(近く市販予定)が存在すること,③消化酵素を阻害して食後の血糖上昇を抑制するα-グルコシダーゼ阻害剤としてアカルボース,ボグリボース及びミグリトールが存在し,これらには下痢などの消化器症状という副作用があること,④嫌気性解糖促進作用等を有するビグアナイド剤としてフェンホルミン,メトホルミン及びブホルミンが存在すること,⑤SU剤,インスリン感受性増強剤,α-グルコシダーゼ阻害剤及びビグアナイド剤は,以上のようにいずれも血糖値の降下に関する作用機序が異なることについては,本件優先権主張日に先立つ複数の文献におおむね同じ趣旨の記載があることから,いずれもその当時の糖尿病又は糖尿病性合併症の予防・治療薬に関する当業者の技術常識であったと認めることができる。

2  取消事由1(引用例3に基づく本件発明1等の新規性に係る判断の誤り)について

以上を踏まえて,本件発明1等の新規性についてみていくこととする。

(1)  引用例3の図3に記載の発明の構成について

ア 特許法は,発明の公開を代償として独占権を付与するものであるから,ある発明が特許出願又は優先権主張日前に頒布された刊行物に記載されているか,当時の技術常識を参酌することにより刊行物に記載されているに等しいといえる場合には,その発明については特許を受けることができない(特許法29条1項3号)。

そして,本件審決は,前記第2の3(2)に記載のとおり,引用例1ないし4から,「ピオグリタゾン,又は,アカルボース及びボグリボースから選ばれるα-グルコシダーゼ阻害剤のいずれか1つを有効成分とする糖尿病治療用薬」を引用発明として認定し,本件発明1と引用発明との相違点として,「本件発明1の治療薬はピオグリタゾンと,アカルボース及びボグリボースから選ばれるα-グルコシダーゼ阻害剤とを組み合わせてなるものであるのに対し,引用発明の治療薬は上記3つの化合物のいずれか1つを単独で有効成分として使用するものであって,それらを併用するものではない点」を認定したものである。

イ しかしながら,本件発明1は,ピオグリタゾン又はその薬理学的に許容し得る塩とアカルボース,ボグリボース及びミグリトールから選ばれるα-グルコシダーゼ阻害剤とを組み合わせてなる糖尿病又は糖尿病性合併症の予防・治療薬である一方,前記1(3)ウ(ウ)に記載のとおり,引用例3の図3におけるピオグリタゾン等とα-グルコシダーゼ阻害剤がそれぞれ書き込まれた各長方形から伸びている各矢印の先端には,「併用」との書込みのある長方形が記載されている。

そこで,引用例3の図3が,本件発明1の新規性の判断に当たりこれと対比すべき発明として,上記の表現によっていかなるものを開示しているのかについて,以下に検討する。

ウ ところで,前記1(4)に認定のとおり,インスリン受容体の機能を元に戻して末梢のインスリン抵抗性を改善するインスリン感受性増強剤と消化酵素を阻害して食後の血糖上昇を抑制するα-グルコシダーゼ阻害剤とでは血糖値の降下に関する作用機序が異なることは,本件優先権主張日当時の当業者の技術常識であった。

そして,作用機序が異なる薬剤を併用する場合,通常は,薬剤同士が拮抗するとは考えにくいから,併用する薬剤がそれぞれの機序によって作用し,それぞれの効果が個々に発揮されると考えられるところ,糖尿病患者に対してインスリン感受性増強剤とα-グルコシダーゼ阻害剤とを併用投与した場合に限って両者が拮抗し,あるいは血糖値の降下が発生しなくなる場合があることを示す証拠は見当たらない。むしろ,引用例4には,前記1(3)エ(イ)に記載のとおり,「空腹時血糖が110mg/dℓから139mg/dℓであれば,空腹時の肝糖産生抑制するために就寝前にスルフォニール尿素剤の経口投与,あるいはインスリン抵抗性改善剤やビグアナイド剤の投与が試みられるが,やはりそれらとα-グルコシダーゼ阻害剤の併用が好ましい。次に空腹時血糖が140mg/dℓから199mg/dℓであれば,スルフォニール尿素剤単独投与,スルフォニール尿素剤とインスリン抵抗性改善薬との併用が試みられる。しかし同様にα-グルコシダーゼ阻害剤の併用という3者併用療法が好ましい。さらに空腹時血糖が200mg/dℓ以上であれば,基礎インスリン分泌の補充と食後の追加分泌の補充が必要であるので,毎食前の速効型インスリンと夜間の中間型インスリンの投与が基本であるが,やはりα-グルコシダーゼ阻害剤の併用による食後過血糖のより効果的な是正が好ましい。さらに必要に応じてインスリン抵抗性改善薬との併用によりインスリン需要量の軽減が期待される。」との記載があることから,糖尿病患者に対するインスリン感受性増強剤(インスリン抵抗性改善薬)とα-グルコシダーゼ阻害剤との併用投与という技術的思想は,それ自体,本件優先権主張日当時の当業者に公知であったと認められるばかりか,前記1(4)に認定のとおり,臨床試験中のインスリン感受性増強剤としてピオグリタゾンが存在することや,α-グルコシダーゼ阻害剤としてアカルボース,ボグリボース及びミグリトールが存在することは,同じく当時の当業者の技術常識であったものということができる。

エ 以上によれば,引用例3の図3に接した当業者は,本件優先権主張日当時の技術常識に基づき,当該図3にいう前記「併用」との文言がNIDDM患者に対するピオグリタゾンとアカルボース,ボグリボース及びミグリトールを含むα-グルコシダーゼ阻害剤との併用投与という構成を示すものであり,これらがいずれも血糖値の降下という効果を有する薬剤であることから,当該構成により血糖値の降下という作用効果が発現することを認識したものと認められる。

さらに,引用例3の図3は,「将来のNIDDM薬物治療のあり方」と題するものであるから,そこに記載のピオグリタゾンは,その薬理学的に許容し得る塩を当然包含するものと解されるとともに,当該図3に関する引用例3の記載(前記1(3)ウ(エ))から,当該図3に記載されているものは,糖尿病又は糖尿病性合併症の予防・治療薬であると優に認められるところである。

よって,引用例3の図3には,「ピオグリタゾン又はその薬理学的に許容し得る塩と,アカルボース,ボグリボース及びミグリトールから選ばれるα-グルコシダーゼ阻害剤とを組み合わせてなる,糖尿病又は糖尿病性合併症の予防・治療薬」という発明が記載されているものと認められる。

オ 以上のように,引用例3の図3に記載の発明は,ピオグリタゾン又はその薬理学的に許容し得る塩とアカルボース,ボグリボース及びミグリトールから選ばれるα-グルコシダーゼ阻害剤とを組み合わせた糖尿病又は糖尿病性合併症の予防・治療薬であるところ,前記1(4)に認定のとおり,α-グルコシダーゼ阻害剤には下痢などの消化器症状という副作用があることは,本件優先権主張日当時の当業者の技術常識であったから,当業者は,当該発明の構成を採用することにより,当該副作用の原因となるα-グルコシダーゼ阻害剤の用量を相対的に減少させ,もって当該副作用の発現を軽減することができることを認識することができたものと認められる。

(2)  引用例3の図3に記載の発明及び本件各発明の作用効果について

ア 前記(1)エに認定のとおり,当業者は,引用例3の図3からピオグリタゾン又はその薬理学的に許容し得る塩とアカルボース,ボグリボース及びミグリトールをから選ばれるα-グルコシダーゼ阻害剤の併用投与という構成及びそこから血糖値の降下という作用効果が発現することと認識するものと認められるが,ここで発現する作用効果についてみると,前記(1)ウに認定のとおり,作用機序が異なる薬剤を併用する場合,通常は,薬剤同士が拮抗するとは考えにくいから,併用する薬剤がそれぞれの機序によって作用し,それぞれの効果が個々に発揮されると考えられる。しかも,前記1(3)アないしオに記載のとおり,引用例1は,SU剤による二次的無効に対処するためにピオグリタゾン等の作用機序の異なる経口剤の併用について言及し,引用例2は,個々の患者の病態に即したより有用な治療としてのピオグリタゾンやα-グルコシダーゼ阻害剤であるアカルボース等の薬剤の併用投与について言及し,引用例3は,α-グルコシダーゼ阻害剤であるボグリボースとSU剤との併用による血糖値の低下という成果を紹介するほか,図3の説明に引き続いて個々の病態に応じたきめ細かい治療の必要性に言及し,引用例4は,糖尿病患者の空腹時血糖量に応じたα-グルコシダーゼ阻害剤及びそれとは作用機序を異にする薬剤(インスリン感受性増強剤を含む。)との単独投与や併用投与の組合せについて説明しており,さらに,乙17(甲22)は,インスリン感受性増強剤であるトログリタゾンの単独投与群とSU剤又はビグアナイド剤との併用投与群で血糖調節について同じ改善率があったことを記載していることからすると,本件優先権主張日当時の当業者は,これらの作用機序が異なる糖尿病治療薬の併用投与により,いわゆる相乗的効果の発生を予測することはできないものの,少なくともいわゆる相加的効果が得られるであろうことまでは当然に想定するものと認めることができる。

よって,当業者は,ピオグリタゾン又はその薬理学的に許容し得る塩とアカルボース,ボグリボース及びミグリトールから選ばれるα-グルコシダーゼ阻害剤との作用機序が異なる以上,両者の併用という引用例3の図3に記載の構成を有する発明の作用効果として,両者のいわゆる相加的効果が得られるであろうことを想定するものといわなければならない。

イ 他方,本件各発明は,いずれもピオグリタゾン又はその薬理学的に許容し得る塩とアカルボース,ボグリボース及びミグリトールから選ばれるα-グルコシダーゼ阻害剤とを組み合わせた糖尿病又は糖尿病性合併症に対する予防・治療薬であるところ,本件明細書には,前記1(1)クに記載のとおり,塩酸ピオグリタゾンとボグリボースとの併用投与の実験についての記載がある。そして,その結果をみると,対照群(薬物投与なし)のラットから14日後に得られた血漿グルコース濃度は,345±29mg/dℓであり,ヘモグロビンA1は,5.7±0.4%であるのに対し,塩酸ピオグリタゾン及びボグリボース併用投与群のラットでは,結晶グルコース濃度は,114±23mg/dℓであり,ヘモグロビンA1は,4.5±0.4%であるから,併用投与群において投与後に血漿グルコース濃度及びヘモグロビンA1が相当程度減少したことが一応示されているということができる。

もっとも,上記実験においては,併用投与群のラットは,いずれも各単独投与群が投与された塩酸ピオグリタゾン及びボグリボースの各用量をそのまま併用投与されているため,結果として最も大量の糖尿病治療薬を摂取していることになるばかりか,ラットからの血液採取が各薬剤の14日目の最後の投与から何分後にされたのかが不明であるから,上記実験結果の数値の評価は,相当慎重に行わなければならない。

そうすると,以上の数値にもかかわらず,前記アに認定のとおり,当業者は,本件優先権主張日当時の技術常識に基づき,作用機序の異なるピオグリタゾン又はその薬理学的に許容し得る塩とアカルボース,ボグリボース及びミグリトールから選ばれるα-グルコシダーゼ阻害剤との併用投与により,両者のいわゆる相加的効果が得られるであろうことを想定するものと認められるのであって,本件明細書に記載の塩酸ピオグリタゾンとα-グルコシダーゼ阻害剤であるボグリボースとの併用投与の実験結果は,両者の薬剤の併用投与に関して当業者が想定するであろういわゆる相加的効果の発現を裏付けているとはいえるものの,それ以上に,両者の薬剤の併用投与に関して当業者の予測を超える格別顕著な作用効果(いわゆる相乗的効果)を立証するには足りないものというほかない。

ウ 以上によれば,引用例3の図3に記載の発明及び本件各発明の血糖値の降下に関する各作用効果は,いずれもピオグリタゾン又はその薬理学に許容し得る塩とアカルボース,ボグリボース及びミグリトールから選ばれるα-グルコシダーゼ阻害剤とを併用投与した場合に想定されるいわゆる相加的効果である点で共通するものと認められる。

また,本件発明7及び8は,「(ピオグリタゾン等)の単独投与に比べて血糖低下作用の増強された」ものであり,本件発明10及び11は,「(ピオグリタゾン等)の単独使用の場合と比較した場合,少量を使用することを特徴とする」ものであるが,ピオグリタゾン又はその薬理学的に許容し得る塩とアカルボース,ボグリボース及びミグリトールから選ばれるα-グルコシダーゼ阻害剤とを併用投与した場合に上記のいわゆる相加的効果が認められる以上,これらの各薬剤の単独投与に比べて血糖低下作用が増強されていることは,自明であるし,そうである以上,単独投与の場合と同程度の血糖値の降下を得ようとする場合に投与の際の用量を少量とすることができることは,当然のことであって,引用例3の図3に接した当業者は,そこに記載の発明がそのような作用効果を有することを当然に認識することができるものというべきである。

また,本件発明2ないし4は,本件発明1に加えて,「副作用の軽減された」(本件発明2),「(本件発明2にいう)副作用が消化器障害である」(本件発明3)又は「(本件発明3にいう)消化器障害が下痢である」(本件発明4)との作用効果を備えるものである。しかしながら,前記(1)オに認定のとおり,当業者は,引用例3の図3に記載の発明は,下痢などの消化器症状という副作用の軽減という作用効果を有することを認識できたものと認められる。したがって,本件発明2ないし4の上記作用効果は,引用例3の図3に記載の発明と共通するものといえる。

(3)  本件発明1等の新規性について

以上のとおり,引用例3の図3には,「ピオグリタゾン又はその薬理学的に許容し得る塩と,アカルボース,ボグリボース及びミグリトールから選ばれるα-グルコシダーゼ阻害剤とを組み合わせてなる糖尿病又は糖尿病性合併症の予防・治療薬」という構成の発明が記載されているものと認められ,当業者は,本件優先権主張日当時の技術常識に基づき,当該発明について,両者の薬剤の併用投与によるいわゆる相加的効果を有するものと認識する結果,ピオグリタゾン等の単独投与に比べて血糖低下作用が増強され,あるいは少量を使用することを特徴とするものであることも,当然に認識したものと認められるほか,下痢を含む消化器症状という副作用の軽減という作用効果を有することも認識できたものと認められる。

したがって,引用例3の図3には,本件発明1等の構成がいずれも記載されており,本件優先権主張日当時の技術常識を参酌すると,その作用効果又は作用効果に関わる構成もいずれも記載されているに等しいというべきであって,これらの発明は,いずれも特許出願前に頒布された刊行物に記載された発明(特許法29条1項3号)であるというほかない。

よって,本件審決は,引用例3の図3に記載の発明についての認定を誤り,ひいては本件発明1等に関する特許法29条1項3号の適用を誤るものであって,取消事由2(引用例4に基づく本件発明1等の新規性に係る判断の誤り)について判断するまでもなく,取消しを免れない。

(4)  被告の主張について

ア 被告は,本件優先権主張日当時,糖尿病の薬物治療においては,異なる作用機序の薬剤を併用して用いれば例外なく,相加的又は相乗的な効果が必ずもたらされるとは認識されていなかったところ,引用例3には,その執筆者の陳述書(乙24)からも明らかなとおり,将来のあり方(期待や可能性)が記載されているにとどまり,乙17(甲22)の記載からも明らかなとおりインスリン感受性増強剤と他の血糖降下剤との併用が技術的思想として確立していたとはいえないから,特許性を論じる場合に必要とされる「併用効果」の記載がない一方で,本件明細書には,ピオグリタゾンとα-グルコシダーゼ阻害剤であるボグリボースとの併用投与が単独投与よりも優れているという当該「併用効果」の記載があるし,乙20ないし23はこれを裏付けるものである旨を主張する。

イ しかしながら,前記(1)ウに認定のとおり,作用機序が異なる薬剤を併用する場合,通常は,薬剤同士が拮抗するとは考えにくいから,併用する薬剤がそれぞれの機序によって作用し,それぞれの効果が個々に発揮されると考えられる。そのため,併用投与によりいわゆる相乗的効果が発生するか否かについての予測は困難であるといえるものの,前記(2)アに認定のとおり,引用例1ないし4及び乙17(甲22)の記載によれば,本件優先権主張日当時の当業者は,これらの作用機序が異なる糖尿病治療薬の併用投与により,少なくともいわゆる相加的効果が得られるであろうことまでは当然に想定するものと認められる。したがって,被告の前記主張は,その前提に誤りがある。

また,引用例3の作成者は,引用例3について,作用機序が異なる薬剤の併用の可能性を概説したものにすぎない旨の陳述書(乙29)を提出しているが,作成者の意図はともかくとして,前記(1)エ及び(2)アに認定のとおり,引用例3の図3に接した当業者は,本件優先権主張日当時の技術常識に基づき,当該図3にいう前記「併用」との文言がNIDDM患者に対するピオグリタゾンとα-グルコシダーゼ阻害剤との併用投与という構成を示すものであって,これらの薬剤がそれぞれ有する別個の作用機序によりいわゆる相加的効果としての血糖値の降下という作用効果が発現することなどを認識したものと認められる。したがって,前記(3)に認定のとおり,引用例3の図3には,本件発明1等の構成がいずれも記載されており,本件優先権主張日当時の技術常識を参酌すると,その作用効果又は作用効果に関わる構成もいずれも記載されているに等しいというべきである。

また,前記1(3)オに記載の乙17(甲22)の試験結果は,インスリン感受性増強剤であるトログリタゾンをSU剤又はビグアナイド剤と併用投与した場合,SU剤又はビグアナイド剤の単独投与よりも血糖調節に改善がみられることを明らかにしているというべきであって,併用投与によるいわゆる相乗的効果を立証するものではないものの,インスリン感受性増強剤とそれとは異なる作用機序を有する血糖降下剤との併用投与について否定的な評価をもたらすものではない。

さらに,前記(2)イに認定のとおり,本件明細書は,塩酸ピオグリタゾンとα-グルコシダーゼ阻害剤であるボグリボースとの併用投与による作用効果についても,当業者が想定するであろういわゆる相加的効果を明らかにする余地があるにとどまり,当業者の予測を超える顕著な作用効果(いわゆる相乗的効果)や,あるいは原告の主張に係る「併用効果」なるものを立証するに足りるものではない。したがって,本件明細書には,本件各発明の作用効果の顕著性を判断するに当たり,被告が援用する乙20ないし23(被告所属の技術者が作成した実験成績証明書等)の記載を参酌すべき基礎がないというほかない。

ウ 被告は,本件発明7がピオグリタゾンとα-グルコシダーゼ阻害剤とを併用投与することで,単独投与の場合よりも少量で優れた血糖降下作用が得られ,副作用を低減し得るという作用効果を有している旨を主張する。

エ しかしながら,前記(2)イに認定のとおり,本件明細書の塩酸ピオグリタゾンとα-グルコシダーゼ阻害剤であるボグリボースとの併用投与の実験においては,併用投与群のラットは,いずれも各単独投与群が投与された塩酸ピオグリタゾン及びボグリボースの各用量をそのまま併用投与されているばかりか,ラットからの血液採取が各薬剤の14日目の最後の投与から何分後にされたのかが不明であるから,上記実験結果の数値の評価は,相当慎重に行わなければならないものであって,本件明細書は,本件各発明が少量で優れた血糖降下作用を有することを立証しておらず,副作用の低減についても,前記1(1)ウ及びキに記載のとおり,一般的ないし抽象的に記載しているにとどまる。

オ よって,被告の前記主張は,いずれも採用できない。

3  取消事由3(本件各発明の容易想到性に係る判断の誤り)

(1)  一致点及び相違点について

引用例3の図3には,前記2(3)に認定のとおり,「ピオグリタゾン又はその薬理学的に許容し得る塩と,アカルボース,ボグリボース及びミグリトールから選ばれるα-グルコシダーゼ阻害剤とを組み合わせてなる糖尿病又は糖尿病性合併症の予防・治療薬」という構成の発明が記載されているものと認められ,当業者は,本件優先権主張日当時の技術常識に基づき,当該発明について,両者の薬剤の併用投与によるいわゆる相加的効果を有するものと認識する結果,ピオグリタゾン等の単独投与に比べて血糖低下作用が増強され,あるいは少量を使用することを特徴とするものであることも,当然に認識したものと認められるほか,下痢を含む消化器症状という副作用の軽減という作用効果を有することも認識できたものと認められる。

したがって,本件発明6,9及び12と引用例3の図3に記載の発明とでは,「ピオグリタゾン又はその薬理学的に許容し得る塩と,アカルボース,ボグリボース及びミグリトールから選ばれるα-グルコシダーゼ阻害剤とを組み合わせてなる糖尿病又は糖尿病性合併症の予防・治療薬」(本件発明6,9及び12)であって,「これらの薬剤の単独投与に比べて血糖低下作用の増強されたもの」(本件発明9)又は「これらの薬剤の単独使用の場合と比較した場合,少量を使用することを特徴とするもの」(本件発明12)である点で一致し,「本件発明6,9及び12は,ピオグリタゾン又はその薬理学的に許容し得る塩1重量部に対し,α-グルコシダーゼ阻害剤を0.0001ないし0.2重量部用いるものであるのに対し,引用例3の図3に記載の発明には,このような用量の特定がない点」で相違するものというべきである。

(2)  前記相違点の容易想到性について

しかるところ,本件明細書は,前記1(1)クに記載のとおり,ラットに対して塩酸ピオグリタゾン1重量部に対してボグリボース0.31重量部を併用投与した実験例の記載はあるものの,それ以上に,ピオグリタゾン又はその薬理学的に許容し得る塩とα-グルコシダーゼ阻害剤との各用量の特定又はそれによる臨界的な意義を何ら明らかにしていない。

むしろ,前記2(1)ウに認定のとおり,作用機序が異なる薬剤を併用する場合,通常は,薬剤同士が拮抗するとは考えにくいから,併用する薬剤がそれぞれの機序によって作用し,それぞれの効果が個々に発揮されると考えられるところ,糖尿病患者に対してインスリン感受性増強剤とα-グルコシダーゼ阻害剤とを併用投与した場合に限って両者が拮抗し,あるいは血糖値の降下が発生しなくなる場合があることを示す証拠は見当たらないばかりか,前記2(2)アに認定のとおり,当業者は,本件優先権主張日当時の技術常識に基づき,これらの作用機序が異なる糖尿病治療薬の併用投与により,少なくともいわゆる相加的効果が得られるであろうことまでは当然に想定するものと認められる。

以上によれば,引用例3の図3に記載の発明において,ピオグリタゾン又はその薬理学的に許容し得る塩とα-グルコシダーゼ阻害剤とを併用投与するに当たって,各用量をどのように特定するかは,投与者がそれにより得ようとするいわゆる相加的効果の内容に応じて適宜設計すれば足りる事項であるというべきであって,本件発明6,9及び12の前記相違点に係る構成は,実質的な相違点とはいえないか,せいぜい当業者が容易に想到することができるものであるといえる。

(3)  小括

よって,当業者が本件各発明(特に,本件発明6,9及び12)を容易に想到できないとした本件審決の判断は,特許法29条2項の適用を誤るものであり,本件審決は,取消しを免れない。

4  結論

以上の次第であるから,本件審決は取り消されるべきものである。

(裁判長裁判官 滝澤孝臣 裁判官 井上泰人 裁判官 荒井章光)

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