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知財高等裁判所 平成23年(行ケ)10149号 判決 2011年12月22日

原告

日特エンジニアリング株式会社

同訴訟代理人弁理士

後藤政喜

藤井正弘

飯田雅昭

須藤淳

村瀬謙治

武田啓

被告

スターエンジニアリング株式会社

同訴訟代理人弁理士

木幡行雄

主文

1  特許庁が無効2008-800196号事件について平成23年3月9日にした審決を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

事実及び理由

第1請求

主文同旨

第2事案の概要

本件は,原告が,下記1のとおりの手続において,被告の下記2の本件発明に係る特許に対する原告の特許無効審判の請求について,特許庁が,本件訂正を認めた上,同請求は成り立たないとした別紙審決書(写し)の本件審決(その理由の要旨は下記3のとおり)には,下記4の取消事由があると主張して,その取消しを求める事案である。

1  本件訴訟に至る経緯

(1)  被告は,平成18年4月6日,発明の名称を「非接触ID識別装置用の巻線型コイルとICチップとの接続構造及びこれを構成する接続方法」とする特許出願(特願2006-105177号)をし,平成20年3月21日,設定の登録(特許第4097281号)を受けた。以下,この特許を「本件特許」という。

(2)  原告は,平成20年10月3日,本件特許の請求項1ないし5に係る発明について,特許無効審判を請求し,無効2008-800196号事件として係属した。特許庁は,平成21年8月18日,「本件審判の請求は成り立たない。」との審決(以下「前件審決」という。)をした。

原告は,これを不服として知的財産高等裁判所に上記審決の取消しを求める訴え(平成21年(行ケ)第10295号)を提起したところ,同裁判所は,平成22年5月26日,同審決を取り消す旨の判決をし,同判決は確定した。

(3)  上記判決確定後の無効審判請求事件(無効2008-800196号事件)において,被告は,平成22年7月15日付けで訂正請求(以下「本件訂正」という。)をし(甲7),同年11月22日付けで本件訂正の訂正内容について補正をしたところ(甲8),特許庁は,平成23年3月9日,本件訂正を認めた上,「本件審判の請求は,成り立たない。」との審決をし,同月29日,その謄本が原告に送達された。

2  本件訂正前後の特許請求の範囲の記載

(1)  本件訂正前の特許請求の範囲請求項1ないし4の記載は,次のとおりであり,以下,本件訂正前の請求項1ないし4に係る発明を,順に「本件発明1」ないし「本件発明4」といい,併せて「本件発明」という。また,本件発明に係る明細書(甲6)を「本件明細書」という。

【請求項1】 銅(Cu)製の巻線型コイルとICチップの最外層が金(Au)で構成された接続端子とを,両者の界面付近に加熱加圧によって形成したAu/Cu全率固溶体を介して,接合した非接触ID識別装置用の巻線型コイルとICチップとの接続構造

【請求項2】 銅(Cu)製の巻線型コイルをICチップの最外層が金(Au)で構成された接続端子に,前者を後者上に載せ,かつ前者の上から加熱しながら加圧し,両者の界面付近にAu/Cu全率固溶体を形成させることにより,直接接合して,請求項1の非接触ID識別装置用の巻線型コイルとICチップとの接続構造を構成することとした,非接触ID識別装置用の巻線型コイルとICチップとの接続方法

【請求項3】 前記加熱しながら加圧する操作を傍熱型抵抗溶接によって行うこととした請求項2の非接触ID識別装置用の巻線型コイルとICチップとの接続方法

【請求項4】 前記加熱しながら加圧する操作に於ける加熱温度及び加圧力を,それぞれ,前記巻線型コイルと前記ICチップの接続端子との相互の界面付近にAu/Cu全率固溶体を形成させ得るように実験的に決定する請求項2又は3の非接触ID識別装置用の巻線型コイルとICチップとの接続方法

(2)  本件訂正後の特許請求の範囲請求項1ないし4は,次のとおりであり(ただし,平成22年11月22日付け手続補正後のものである。),下線が訂正部分である。以下,本件訂正後の請求項1ないし4に係る発明を,順に「本件訂正発明1」ないし「本件訂正発明4」といい,併せて「本件訂正発明」という。また,本件訂正発明に係る明細書(甲7,8)を「本件訂正明細書」という。

【請求項1】  線径60~70μmの銅(Cu)製の巻線型コイルとICチップの最外層が厚さ10~15μmの金(Au)膜で構成された接続端子とを,該巻線型コイルの絶縁膜を溶融させうる温度以上で金と銅との塑性流動を生じさせうる温度範囲で加熱させつつ,平面視で,前記線径60~70μmの巻線型コイルに生じる圧痕が該接続端子の最外層の金膜上面外にはみ出ることのない範囲に形成され,塑性変形後の巻線型コイルの該当部位の厚さtと変形前の線径Dとの比率t/Dが,0.1を越え,かつ0.8以下となるように設定した加圧力で加圧することによって,該巻線型コイルと該接続端子の最外層の金膜との界面全体の1/2以上のエリアに形成したAu/Cu全率固溶体を介して,接合した非接触ID識別装置用の巻線型コイルとICチップとの接続構造

【請求項2】  線径60~70μmの銅(Cu)製の巻線型コイルをICチップの最外層が厚さ10~15μmの金(Au)膜で構成された接続端子に,前者を後者上に載せ,かつ前者の上から該巻線型コイルの絶縁膜を溶融させうる温度以上で金と銅との塑性流動を生じさせうる温度範囲で加熱しながら,平面視で,前記線径60~70μmの巻線型コイルに生じる圧痕が該接続端子の最外層の金膜上面を越えない範囲に形成され,塑性変形後の巻線型コイルの該当部位の厚さtと変形前の線径Dとの比率t/Dが,0.1を越え,かつ0.8以下となるように設定した加圧力で加圧し,該巻線型コイルと該接続端子の最外層の金膜との界面全体の少なくとも1/2を超えるエリアにAu/Cu全率固溶体を形成させることにより,直接接合して,請求項1の非接触ID識別装置用の巻線型コイルとICチップとの接続構造を構成することとした,非接触ID識別装置用の巻線型コイルとICチップとの接続方法

【請求項3】 前記加熱しながら加圧する操作を傍熱型抵抗溶接によって行うこととした請求項2の非接触ID識別装置用の巻線型コイルとICチップとの接続方法

【請求項4】 前記加熱しながら加圧する操作に於ける加熱温度及び加圧力を,それぞれ,前記巻線型コイルと前記ICチップの接続端子との相互の界面付近にAu/Cu全率固溶体を形成させ得るように実験的に決定する請求項2又は3の非接触ID識別装置用の巻線型コイルとICチップとの接続方法

なお,本件訂正は,訂正事項1ないし4を含み,その内容は,次のとおりである。

すなわち,訂正事項1は,請求項1,2の「銅(Cu)製の巻線型コイル」を,「線径60~70μmの銅(Cu)製の巻線型コイル」とする訂正,訂正事項2は,請求項1,2の「最外層が金(Au)で構成された接続端子」を,「最外層が厚さ10~15μmの金(Au)膜で構成された接続端子」とする訂正,訂正事項3は,請求項1,2の「加熱加圧」を,「該巻線型コイルの絶縁膜を溶融させうる温度以上で金と銅との塑性流動を生じさせうる温度範囲で加熱させつつ,塑性変形後の巻線型コイルの該当部位の厚さtと変形前の線径Dとの比率t/Dが,0.1を越え,かつ0.8以下となるように設定した加圧力で加圧」とする訂正,訂正事項4は,請求項1,2の,巻線型コイルと接続端子の「両者の界面付近に形成したAu/Cu全率固溶体」を,「平面視で,前記線径60~70μmの巻線型コイルに生じる圧痕が該接続端子の最外層の金膜上面外にはみ出ることのない範囲に形成され,該巻線型コイルと該接続端子の最外層の金膜との界面全体の1/2以上のエリアに形成したAu/Cu全率固溶体」とする訂正である。

3  本件審決の理由の要旨

(1)  本件審決の理由は,要するに,本件訂正発明は,いずれも下記ア及びイの引用例1及び2に記載された各発明(以下,順に「引用発明1」「引用発明2」という。)に基づいて,当業者が容易に発明することができたものではない,というものである。

ア 引用例1:特表平7-506919号公報(甲3)

イ 引用例2:特開昭57-109351号公報(甲2)

(2)  なお,本件審決が認定した引用発明1並びに本件訂正発明1と引用発明1との一致点及び相違点は,次のとおりである。

ア 引用発明1:銅製のアンテナコイルリードと集積回路の接続表面を形成する薄い金の層とを,アンテナコイルリードの絶縁層を消失させる温度以上の半田ごてをアンテナコイルリードの銅線が若干変形される程度の力をもって押し当て,アンテナコイルリードと集積回路の接続表面とを熱圧着溶接によって接続した非接触ID識別装置用のアンテナコイルと集積回路との接続構造

イ 一致点:銅(Cu)製の巻線型コイルとICチップの最外層の金(Au)膜(以下「金膜」という。)で構成された接続端子とを,該巻線型コイルの絶縁膜を溶融させ得る温度以上で金と銅との塑性流動を生じさせ得る温度範囲で加熱させつつ,巻線型コイルが変形する加圧力で加圧し,該巻線型コイルと該接続端子の最外層の金膜とを熱圧着によって接合した非接触ID識別装置用の巻線型コイルとICチップとの接続構造

ウ 相違点

(ア) 銅製の巻線コイルの線径が,本件訂正発明1では60μmないし70μmであるのに対し,引用発明1では線径の限定がない点

(イ) ICチップの接続端子の最外層の金膜の厚さが,本件訂正発明1では10μmないし15μmであるのに対し,引用発明1では厚さの限定がない点(以下「本件相違点」という。)

(ウ) 巻線コイルを変形させる加圧力が,本件訂正発明1では平面視で,前記線径60μmないし70μmの巻線型コイルに生じる圧痕が該接続端子の最外層の金属上面外にはみ出ることのない範囲に形成され,塑性変形後の巻線型コイルの該当部位の厚さtと変形前の線径Dとの比率t/Dが,0.1を越え,かつ0.8以下となるように設定した加圧力であるのに対し,引用発明1では変形後の形状と加圧力との関係が不明である点

(エ) 巻線型コイルと該接続端子の最外層の金膜とを熱圧着によって接合した非接触ID識別装置用の巻線型コイルとICチップとの接続構造として,本件訂正発明1では該巻線型コイルと該接続端子の最外層の金膜との界面全体の1/2以上のエリアに形成したAu/Cu全率固溶体を介して接合されているのに対し,引用発明1では接合面の状態が不明である点

4  取消事由

(1)  訂正事項2の訂正を認めた判断の誤り(取消事由1)

(2)  本件審判手続の違法(取消事由2)

(3)  本件訂正発明1の進歩性に係る判断の誤り(取消事由3)

(4)  本件訂正発明2ないし4の進歩性に係る判断の誤り(取消事由4)

第3当事者の主張

1  取消事由1(訂正事項2の訂正を認めた判断の誤り)について

〔原告の主張〕

(1) 本件審決は,訂正事項2は新規事項を追加するものではないと判断して,訂正を認めた。

(2) しかし,本件審決は,金膜の厚さを10μmないし15μmとする訂正事項2について,Au/Cu全率固溶体の生成との間で因果関係を有する技術的事項であると認定しているから,これが新規事項の追加に当たらないというためには,本件明細書から,10μmと15μmがAu/Cu全率固溶体の生成との関係で金膜の厚さの下限,上限の境界値を示していることが読み取れることが必要である。

しかるに,本件明細書には,金膜の厚さを10μmとする実施例1(【0039】)及び15μmとする実施例2(【0045】)が記載されているが,その間の連続的な数値範囲である10μmないし15μmの厚さについての記載はないから,本件明細書からは,金膜の厚さが10μmと15μmの場合には,Au/Cu全率固溶体を介しての接合が可能であることを理解することはできても,10μmと15μmが,Au/Cu全率固溶体の生成との関係で,金膜の厚さの下限,上限の境界値を示していることを読み取ることはできない。

したがって,訂正事項2は,新規事項の追加に当たる。

(3) また,本件訂正発明1は,Au/Cu全率固溶体を介する接合対象が巻線型コイルと金膜であるから,訂正事項2の適否については,本件訂正発明1において把握される巻線型コイルの線径と金膜の厚さとの組合せが,本件明細書に記載された事項の範囲内であるか否かについても検討されるべきである。

しかるに,本件訂正により,線径60μmの巻線型コイルと厚さ10μmの金膜や,線径70μmの巻線型コイルと厚さ15μmの金膜をAu/Cu全率固溶体を介して接合することも,本件訂正発明1の技術的範囲に含まれることとなるが,本件明細書には,巻線型コイルの線径が70μm±3μmで金膜の厚さが10μmの組合せと(【0039】),巻線型コイルの線径が60μm±3μmで金膜の厚さが15μmの組合せ(【0045】)が記載されているにすぎず,これら以外の組合せによってもAu/Cu全率固溶体を介しての接合が可能であることは記載されていないから,訂正事項2により,本件明細書に開示されていない発明に対しても独占権が付与されることになる。

さらに,訂正事項2が認められた場合,本件明細書に記載されていない厚さ13μmの金膜を実施する行為や,本件明細書に記載されていない巻線型コイルの線径と金膜の厚さとの組合せを実施する行為が,本件訂正発明1に対する侵害となってしまい,第三者の不測の不利益の防止という訂正の趣旨に反することとなる。

(4) 以上のとおり,訂正事項2の訂正は,新規事項の追加に当たるから,これを認めた本件審決の判断は誤りである。

〔被告の主張〕

(1) 原告は,本件審判手続において,本件特許を無効にすべき理由として,金膜の厚さを10μmないし15μmとする点を主張していないから,訂正事項2の訂正を認めた本件審決の判断の誤りを取消事由として主張することはできない。

(2) 仮に,訂正事項2の訂正を認めた本件審決の判断の誤りを取消事由として主張することができるとしても,原告の主張は,以下のとおり理由がない。

すなわち,本件明細書には,金膜の厚さとして,直接的には10μmと15μmの場合が記載され,10μmないし15μmの数値範囲についての記載はないが,10μmと15μmの場合について行われた各実施例において,加熱,加圧により塑性流動が生じ,その結果,Ac/Cu全率固溶体が生じたことは,本件明細書から読み取ることができる以上(【0033】~【0036】),当業者であれば,10μmないし15μmの数値範囲においても塑性流動を生じ,Au/Cu全率固溶体が生成されるものと当然に判断するものということができる。このように,金膜の厚さが10μmと15μの場合の実施例が記載されていれば,その間の厚さの金膜の場合についても塑性流動が生じ,Au/Cu全率固溶体が生成されることが記載されているのと同視することができるのであるから,訂正事項2の訂正は新規事項の追加には当たらない。

原告は,本件審決は金膜の厚さに関する訂正事項2をAu/Cu全率固溶体の生成との間で因果関係を有する技術的事項と認定したのであるから,10μmと15μmとがAu/Cu全率固溶体の生成との関係で金膜の厚さの下限,上限の境界値を示していることが本件明細書から読み取れることが必要であると主張しているが,特許請求の範囲の減縮に関する訂正は,願書に添付した明細書,特許請求の範囲又は図面に記載した事項の範囲内であることを要するのであり(特許法126条3項),それ以上の要件が求められているものではないから,本件明細書に10μmと15μmとがそれぞれ金膜の厚さの下限,上限の境界値であるとの記載があることは必要ではない。

(3) また,原告は,巻線型コイルの線径と金膜の厚さの組合せが本件明細書に記載された事項の範囲内であるか否かについても検討されるべきであると主張する。

しかし,巻線型コイルの線径は,ICチップの接続端子に接合する観点や一定の強度を必要とする観点から,自ずと取り得る径の範囲が決まるのであり,その取り得る径の範囲では,線径の値によって金膜の塑性流動が大きな影響を受けることはないから,巻線型コイルの線径と金膜の厚さは,それぞれ独立に決めることができる。

したがって,当業者であれば,本件明細書の記載から,巻線型コイルの線形と金膜の厚さの組合せは,実施例(【0039】【0045】)に記載されたものだけでなく,その範囲内の全ての組合せがあり得ることを当然に理解できるものである。

(4) さらに,原告は,訂正事項2の訂正を認めると第三者に不測の不利益を被らせるとも主張する。

しかし,前記(2)のとおり,金膜の厚さを10μmと15μmの範囲の数値とすることは,本件明細書に記載されているのと同視することができる。また,巻線型コイルの線径と金膜の厚さをそれぞれ独立に決め得ることは,当業者は,本件発明の技術内容から直ちに理解できる。

したがって,訂正事項2の訂正が認められることにより,第三者が不測の不利益を受けることはない。

(5) よって,訂正事項2の訂正を認めた本件審決の判断に誤りはない。

2  取消事由2(本件審判手続の違法)について

〔原告の主張〕

本件審決は,本件相違点に係る判断において,本件訂正発明1の金膜の厚さを10μmないし15μmとしたのは,「金膜の厚さが0.1μm以下になると,接続端子上の巻線型コイルに所定部位に加え得る最大の加圧力との関係によりほとんど動くことができず,事実上塑性流動は困難になるという知見によるもの」と説示しているが,他方,前件審決では,「塑性流動という性質は金属が有する固有の性質であり,薄い層であるからといって,全く塑性流動しなくなるわけではない。」と説示していた。

このように,本件審決は,本件相違点について,前件審決で示した知見と矛盾する知見に基づいて判断したものであるが,かかる判断は原告に対する不意打ちであり,公正な審決ということはできない。新たに示すこととなる知見について原告に反論の機会を与えないまま審決をした本件審判手続は違法であり,本件審決は取り消されるべきである。

〔被告の主張〕

本件審判手続に不適切な審理の進め方があったとしても,原告に対しては,本訴訟において,実質的な反論の機会が与えられているから,本件審判手続の不適切さは,本件審決を取り消すべき理由にはならない。

3  取消事由3(本件訂正発明1の進歩性に係る判断の誤り)

〔原告の主張〕

(1) 本件審決は,本件訂正発明1は接続端子の最外層の金膜を10μmないし15μmとすることにより,これに加えることが可能な加圧力により良好に塑性流動し,金膜と導線の銅との相互拡散によりAu/Cu全率固溶体の生成を良好にするものであるが,金膜の厚さとAu/Cu全率固溶体の生成の間にこのような関係があることが当業者の技術常識であったと認めることはできないから,本件相違点に係る本件訂正発明1の構成を当業者が容易に想到することができたということはできないと判断した。

(2) しかし,以下のとおり,本件審決の判断は誤りである。

ア 本件特許出願時の技術常識について

(ア) 集積回路上に電気メッキによって形成された金の強化パッドの厚さについて,米国特許5281855号公報(1994年(平成6年)1月25日発行,甲10。以下「甲10公報」という。)には,約25μmとの記載があり,特表平6-510364号公報(甲11。以下「甲11公報」という。)には,20μmとの記載がある。また,特公昭59-36823号公報(甲12。以下「甲12公報」という。)には,電気メッキによって形成された金の層の厚さとして,1.52μmとの記載がある。さらに,「機能めっき」(初版1刷)(昭和59年2月28日発行,甲13。以下「甲13文献」という。)には,電気メッキによって形成された金めっきの厚さとして,10μm以上との記載がある。

また,特表2006-505933号公報(甲14。以下「甲14公報」という。)には,集積回路の金の主部の厚さとして,13μmから16.5μmとの記載があり,「スタンダードカードIC バンプウエハー仕様書」(第3.1版)(甲15。以下「甲15文献」という。)には,非接触スマートカードICに適用された金バンプの仕様として,18μmや15μmないし21μmとの記載がある。

(イ) ワイヤと端子を接続する技術分野に関する以上の技術常識を参酌すれば,当業者は,引用発明1の金の金属層について,10μmないし15μm程度の厚さのものとすることを十分に認識することができる。

イ 数値限定の技術的意義について

(ア) また,本件審決は,上記(1)のとおり,金膜の厚さを10μmないし15μmの範囲に選定した技術的意義として,Au/Cu全率固溶体の生成との因果関係を認定しているところ,数値限定発明が進歩性を有するためには,限定された数値の範囲内で公知発明等と比較して有利な作用効果を奏することを要するが,本件明細書には,金膜の厚さとして10μmないし15μmを選定した技術的意義やその数値範囲内での作用効果についての記載はない。

(イ) したがって,本件審決の判断は,本件明細書の記載に基づかないものである。

ウ 本件相違点に係る容易想到性について

Au/Cu全率固溶体の生成が良好になるように,金の金属層の厚さ,銅線の線径及び熱圧着の温度,加圧力,接合時間等の接合条件を調整して数値範囲を最適化することは,当業者の通常の創作能力の発揮にすぎない。塑性流動は,塑性変形による物質の流動であるため,金膜が厚い方が塑性変形の量が大きくなって塑性流動しやすくなることは技術的に自明であり,塑性流動しやすくなれば,相互拡散が良好になって接合の信頼性が良好になることも技術的に自明である。

したがって,本件相違点に係る本件訂正発明1の構成が容易に想到することができないというためには,選定された数値範囲内での効果が,数値範囲外と比較して優れていることを要するところ,本件明細書からは,金膜の厚さが10μmと15μmの場合にはAu/Cu全率固溶体を介しての接合が可能であることは把握できるが,金膜の厚さが10μmないし15μmの範囲内の場合に,範囲外の厚さと比較して接合部の信頼性や電気的特性が良好であることを把握することはできない。

エ 以上のとおり,金膜の厚さとして10μmないし15μmの範囲を選定したことは単なる選択にすぎず,本件相違点に係る本件訂正発明1の構成は,当業者が容易に想到することができたものである。

(3) よって,本件訂正発明1の進歩性を認めた本件審決の判断は誤りである。

〔被告の主張〕

(1) 原告は,前件審判における平成21年2月12日付け弁駁書(乙1)において,特許無効審判請求の理由を補正したが,その理由中には,金膜の厚さを10μmないし15μmとすることが容易に想到し得るものであるということは含まれていない。

したがって,原告は,本件相違点に係る本件審判の判断の誤りを取消事由として主張することはできない。

(2) 仮に,本件相違点に係る本件審判の判断の誤りを取消事由として主張することができるとしても,以下のとおり,本件審決の判断に誤りはない。

ア 本件特許出願時の技術常識について

(ア) 甲10公報には,強化接触パッドに25μmの金又は銅,若しくはこれらを含む導電性軟金属の被着が施されることや,この強化接触パッドにハンダ付け,熱圧縮ボンディング又は溶接によって細い銅線を取り付けることが記載されているが,強化接触パッドと細い銅線との接合は,金と銅の接合と決まったものではなく,熱圧縮ボンディングに決まったものでもない。被着の厚さは,導電性軟金属である被着の性質や上記3種の接合技法に共通する理由によって決定されるから,強化接触パッドと銅線との接合は,相互の金属の塑性流動によるAu/Cu全率固溶体の生成を期待するものでないことは明らかである。

(イ) また,甲12公報に記載されているギャングボンディングバンプの金の層の厚さは,0.762μmないし1.52μmであり,本件訂正発明1の金膜の厚さより薄いものである。

(ウ) また,甲13文献には,金めっきと金線又はアルミ線とをボンディングによって接合する技術が記載され,その金めっきの厚さとして,10μm以上の数値範囲が示されているにすぎず,引用発明1のように金の金属層と銅線との接合技術が記載されているものではない。

(エ) また,甲14公報は,非接触通信を行うための伝送コイルと最外層が金の主部で構成された表面コンタクトパッドとを,熱圧縮ボンディング処理,ハンダ付け又はフリップ・チップ技術により接続し,かつ,金の主部の厚さが実質的に16.5μmである技術を示すものである。金の主部の厚さは,熱圧縮ボンディング処理,ハンダ付け又はフリップ・チップ技術による接合のいずれにも適合し得るものとして設定されていると理解することができ,金と銅との相互の塑性流動を通じてAu/Cu全率固溶体を生成させて接合するというような観点を持ち込むことは不可能である。

(オ) さらに,甲15文献には,金バンプの高さの仕様として18μmとの記載があるが,金バンプとカードICコイルとの接合技法の記載がないので,引用発明1と同様の接合技法を用いているか否かは不明であり,カードICコイルが巻線型コイルであるか否かも不明である。

(カ) 以上からすると,上記甲10公報等には,これに接した当業者が,引用発明1の金の金属層を10μmないし15μmのものとする動機付けや示唆は存在しない。

イ 数値限定の技術的意義について

本件明細書には,金膜の厚さが10μmと15μmの場合の実施例が記載され,これらの実施例において,良好に塑性流動が生じ,Au/Cu全率固溶体が生成されたことが認められるのであるから,その間の数値範囲の厚さの金膜でも塑性流動を生じ,Au/Cu全率固溶体が生成されることは明らかである。

したがって,当業者は,本件明細書の記載から,金膜の厚さが10μmないし15μmの範囲において,塑性流動が良好に行われ得ることを確実に理解することができる。

ウ 本件相違点に係る容易想到性について

(ア) 引用例1には,金の金属層と銅線とを熱圧着によって接合することが記載されているが,その接合部については何らの記載もないから,金の金属層と銅線を熱圧着し,これによって接合部にAu/Cu全率固溶体を生成させるというのは,引用例1に他の証拠の事実を組み合わせて構成したものである。証拠の組合せを前提として,金の金属層の厚さ,銅線の線径及び熱圧着の条件(温度,加圧力,接合時間)等の接合条件を調整して数値範囲を最適化することの創作力を評価するのは誤りであり,引用例1については,金の金属層と銅線とを熱圧着によって接合することのみが記載されていることを前提として,金の金属層の厚さ等の接合条件に関して評価すべきである。

(イ) また,10μmないし15μmの厚さの金膜にあっては塑性流動が可能であり,塑性流動により,金と銅との相互拡散が促進され,それらの界面付近にAu/Cu全率固溶体が生成されることは,本件訂正明細書の記載から明らかであるが,金膜は,厚い方が塑性変形の量が多くなって塑性流動しやすくなるわけではない。良好な塑性流動との関係で,金膜の厚さを10μmないし15μmとすることが容易に想到し得るか否かは,公知の技術と比較して判断すべきものであり,単に10μmを下回る厚さ又は15μmを上回る厚さの金膜と比較すべきではない。これらが接続端子等の下地上に配された場合にどのように塑性流動するかが知られていれば,それと比較すべきであり,そうでないならば比較対象でないことは明らかである。そして,これらが公知であることを示す証拠は提出されていないから,本件相違点に係る本件訂正発明1の構成が容易に想到し得るとの結論を導くことはできない。

エ 以上のとおり,本件訂正発明1において,金膜の厚さを10μmないし15μmとしたのは,単に金膜の厚さを選択したにすぎないものではなく,優れた作用効果を有するものであるから,本件相違点に係る本件訂正発明1の構成は,当業者が容易に想到することができたものではない。

(3) よって,本件訂正発明1の進歩性を認めた本件審決の判断に誤りはない。

4  取消事項4(本件訂正発明2ないし4の進歩性に係る判断の誤り)について

〔原告の主張〕

前記3の〔原告の主張〕のとおり,本件訂正発明1についての本件審決の判断は誤りであるから,これと同様の理由によって,本件訂正発明2ないし4についての本件審決の判断にも誤りがある。

〔被告の主張〕

前記3の〔被告の主張〕のとおり,本件訂正発明1についての本件審決の判断に誤りはなく,これと同様の理由によって,本件訂正発明2ないし4についての本件審決の判断にも誤りはない。

第4当裁判所の判断

1  取消事由1(訂正事項2の訂正を認めた判断の誤り)について

(1)  本件明細書には,本件発明について,概略,次の記載がある。

ア 本件発明は,非接触ID識別装置用アンテナコイルとして,コイル抵抗のばらつきの少ない巻線型コイルを採用し,ICチップの接続端子として保管中の劣化の少ない最外層が金であるメタライゼーションを備えたそれを用い,電気的及び機械的に良好な接続を確保することのできる非接触ID識別装置用巻線型コイルとICチップとの接続構造等を提供することを課題とするものである(【0011】)。

イ 本件発明1は,銅製の巻線型コイルとICチップの最外層が金で構成された接続端子とを,両者の界面付近に加熱加圧によって形成したAu/Cu全率固溶体を介して接合した非接触ID識別装置用巻線型コイルとICチップとの接続構造であり,本件発明2は,ICチップの最外層が金で構成された接続端子の上に銅製の巻線型コイルを載せ,かつ,巻線型コイルの上から加熱しながら加圧し,両者の界面付近にAu/Cu全率固溶体を形成させることにより,直接接合して,請求項1の非接触ID識別装置用巻線型コイルとICチップとの接続構造を構成することとした接続方法である(【0012】~【0013】)。

ウ 巻線型コイルの線径を70μm±3μmとし,金膜の厚さを10μmとする実施例1と,巻線型コイルの線径を60μm±3μmとし,金膜の厚さを15μmとする実施例2では,いずれの場合も,従来の半田付け,熱着圧又は超音波溶接による接合に劣らない十分に強力な接着強度が得られ,かつ,温度サイクル不良率も極めて低く,本件発明の有効性が理解される(【0039】【0040】【0045】【0046】)。

(2)  訂正事項2は,本件発明の請求項1,2の「最外層が金(Au)で構成された接続端子」を,「最外層が厚さ10~15μmの金(Au)膜で構成された接続端子」と訂正するものである。

本件明細書には,金膜の厚さを10μmと15μmの間の数値とした場合についての実施例等の記載はないものの,10μm又は15μmの厚さの金膜で構成されたICチップの接続端子の場合には,いずれもAu/Cu全率固溶体を介して巻線型コイルと接合したという上記各実施例についての記載からすると,本件明細書に接した当業者にとっては,金膜の厚さを10μmないし15μmの間の数値とした場合についても,上記実施例と同様の作用効果を奏することは自明であるということができる。

したがって,訂正事項2の訂正は,本件明細書に記載された事項の範囲内での訂正であり,新規事項の追加に当たるものとは認められない。

(3)  原告の主張について

ア 原告は,訂正事項2の訂正が新規事項の追加に当たらないとするには,本件明細書から,10μmと15μmとがAu/Cu全率固溶体の生成との関係で金膜の厚さの下限,上限の境界値を示していることが読み取れることが必要であるなどと主張する。

しかしながら,訂正事項2の訂正が新規事項の追加に当たるか否かは,これが明細書,特許請求の範囲又は図面に記載した事項の範囲内であるかを判断すれば足り(特許法134条の2第5項,126条3項),10μmと15μmとがAu/Cu全率固溶体の生成との関係で金膜の厚さの範囲の下限値,上限値であることが本件明細書に明示されていることを要するものではない。

イ また,原告は,訂正事項2の訂正の適否については,本件訂正発明1において把握される巻線型コイルの線径と金膜の厚さとの組合せが,本件明細書に記載された事項の範囲内であるか否かについても検討されるべきであるなどとも主張する。

しかしながら,巻線型コイルについては,訂正事項1により,「銅(Cu)製の巻線型コイル」から「線径60~70μmの銅(Cu)製の巻線型コイル」と訂正されているところ,上記(1)の本件明細書の各実施例の記載からすると,本件明細書に接した当業者にとっては,巻線型コイルの線径が60μmないし70μmの間の数値の場合についても,各実施例と同様の作用効果を奏することは自明であるということができるから,本件明細者には,金膜の厚さが10μmないし15μmの範囲にあり,かつ,巻線型コイルの線径が60μmないし70μmの範囲にある両者の組合せについては,いずれもAu/Cu全率固溶体を介して接合するとの事項が示されているといえる。

したがって,訂正事項2の訂正を認めることは,本件明細書に開示されていない発明に対して独占権を付与するものではないし,第三者に不測の不利益を被らせるものでもない。

(4)  なお,被告は,原告は本件特許の無効理由として,金膜の厚さを10μmないし15μmとする点を主張していないから,訂正事項2の訂正を認めた本件審決の判断の誤りを取消事由とすることはできないと主張している。

しかしながら,原告は,本件審判手続において,本件訂正後の平成22年8月20日付け弁駁書(甲19)で,訂正事項2の訂正は新規事項の追加であるとして,その訂正要件の具備を争っていたものであるから,本件審決の取消事由として訂正事項2の訂正を認めた判断の誤りを主張することができることは明らかであり,被告の主張は採用できない。

(5)  小括

よって,取消事由1は理由がない。

2  取消事由2(本件審判手続の違法)について

(1)  原告は,本件審決が金属の塑性流動について前件審決と矛盾した知見を示したことは,原告にとって不意打ちであり,原告に反論の機会を与えないまま審決に至った本件審判手続は違法であると主張する。

確かに,前件審決では,同審決における相違点に対する判断において,「塑性流動という性質は金属が有する固有の性質であることは疑う余地のない自然法則であり,薄い層であるからといって,全く塑性流動しなくなるわけではない。」との知見を示していたが,本件審決では,本件相違点に対する判断において,「本件訂正発明1において金膜の厚さを10μmないし15μmとしたのは,金属は薄いほどその全体がその下地に強く拘束され,例えば,0.1μm以下になると,接続端子上の巻線型コイルの所定部位に加え得る最大の加圧力との関係によりほとんど動くことができず,事実上塑性流動は困難になる。」などと,前件審決で示した上記知見と矛盾する知見を示している。

前件審決と本件審決とでは,本件訂正により判断の対象とする発明自体が異なるなどしているが,前件審決で示されていた金属の塑性流動に関する一般的な知見については,当事者は,本件審決においてもこれを踏まえた判断が示されるものと考えるのが通常であるから,本件審決に当たり,改めて当事者に意見を述べる機会を設けることなく,前件審決で示された上記知見と矛盾する知見に基づいて本件訂正発明1の進歩性を判断するのは,当事者,とりわけ,本件訂正発明1の進歩性に係る自己の主張を排斥された原告に対する不意打ちとなり,審判手続として不適切であるといわなければならない。

しかしながら,金属の塑性流動性の有無は,本件訂正発明1の進歩性の判断の前提として示されているものであり,原告は,本件訂正発明1の進歩性に係る本件審決の判断の誤りを取消事由として主張する中で,本件審決が示した知見の適否についても併せて主張することができるところ,現に取消事由3としてその主張をしているのであるから,同主張の採否として検討すれば足り,本件審判手続の不適切さをもって,直ちに本件審決が取り消されるべきものであるということはできない。

(2)  小括

よって,取消事由2は採用することができない。

3  取消事由3(本件訂正発明1の進歩性に係る判断の誤り)について

(1)  まず,被告は,原告の平成21年2月12日付け弁駁書(乙1)には,本件特許の無効理由として,金膜を10μmないし15μmとすることが容易に想到し得ることは記載されていないから,本件相違点に係る本件審決の判断の誤りをその取消事由とすることはできないと主張する。

確かに,特許法上,特許無効審判の審決に対する取消しの判決が確定した後,被請求人が訂正請求したことにより,特許無効審判請求の理由について,その要旨を変更する補正を行う必要が生じたときは,審判長は,これを決定をもって許可することができると規定されているところ(同法131条の2第2項,134条の2第1項,134条の3第1項),原告は,本件訂正後の平成22年12月22日付け上申書(甲22)において,本件明細書には金膜の厚さが10μmないし15μmの範囲である場合の効果等の記載がなく,その数値限定は単なる設計的事項にすぎないなどとして,本件相違点に係る本件訂正発明1の構成に進歩性がないと主張をしているのであるから,特許無効審判請求の理由の要旨を変更する補正をしたものと解されるが,この補正について,審判長が明示的に許可の決定をした形跡は見当たらない。

しかし,本件審決では,原告の上記主張を取り上げた上で,これを排斥する判断を示しているのであるから,審判長は,上記特許無効審判請求の理由の補正を黙示的に許可していたものと認めるのが相当である。

したがって,この点に関する被告の主張は採用できない。

(2)  次に,前記第2の3(2)ウ(イ)のとおり,本件相違点は,「ICチップの接続端子の最外層の金膜の厚さが,本件訂正発明1では10μmないし15μmであるのに対し,引用発明1では厚さの限定がない点」であるが,本件特許出願当時,ICチップの接続端子の金膜の厚さについては,次の技術が知られていた。

ア 甲11公報

(ア) 甲11公報の特許請求の範囲には,【請求項1】カプセルに収容された小形トランスポンダの一部を形成する集積回路装置に強化接触パッドを設ける方法において,該装置の表面に絶縁材料の追加層を被着させるステップと,前記絶縁層にホールを開けて,該装置の標準的な回路接触パッドを露出させるステップと,前記絶縁層の上に重なり,前記ホールを介して前記標準的な接触パッドとつながる強化接触パッドを形成して,電気的相互接続リード線を直接接続することが可能なダイ装置を得るステップから構成される強化接触パッドを設ける方法,【請求項2】前記強化接触パッドが,まず,前記標準的な接触パッドとの電気的接触部にフィールド金属を被着させ,その上に前記強化パッドを直接メッキすることによって形成されることを特徴とする請求項1に記載の方法,【請求項3】前記追加絶縁層が,厚さが10,000オングストロームを超える窒化珪素の層であることを特徴とする請求項2に記載の方法,【請求項4】前記強化パッドが,金または銅から構成されるグループから選択された,厚さが少なくとも20ミクロンの金属で製造されることを特徴とする請求項3に記載の方法,との記載がある。

(イ) また,甲11公報の明細書には,次の記載がある。

a 甲11公報記載の発明は,小型トランスポンダに利用される集積回路チップに対する電磁アンテナ・リード線の取り付けを容易にするための方法及び装置に関するものである。

b 強化接触パッドは,厚さが約25μmになるまで,金または銅の被着が施され,ハンダ付け,熱圧縮ボンディング又は溶接により,細い銅線が取り付けられる。

イ 甲14公報

甲14公報には,概略,次の記載がある。

(ア) 甲14公報に記載された発明は,基板と信号処理回路とを有する集積回路である(【0001】)。

(イ) ICには,窒化シリコンを備えた保護層が設けられ,厚みは約1.5μmである(【0016】)。

(ウ) IC内に設けられた表面コンタクトパッドは,チタン・タングステンを備えた約1μmの厚みの基礎層と,この基礎層上に金(Au)を備えた主部を有し,保護層上で表面コンタクトパッドが立ち上がる高さは18μmである。この高さは,15μmしかなくてもよい。また,この高さは,20μm,23μm又は25μmから選ばれてもよい。各表面コンタクトパッドは,熱圧縮ボンディング処理により線端に直接接続される(【0017】)。

ウ 甲15文献

甲15文献には,概略,次の記載がある。

(ア) MF1 ICS 50 05は,MIFARE(登録商標)カードICコイル設計ガイドに従って,カードICコイル用に設計された非接触スマートカードICである。

(イ) 金バンプ

バンプ材料:99.9%超の純金,バンプ高さ:18μm,バンプ高さの均一性ダイ内:±2μm ウェハー内:±3μm

(3)  以上のとおり,甲11公報には,集積回路装置の強化接触パッドが少なくとも20μmになるまで金の被着が施され,これが熱圧縮等の溶接により,銅線取り付けられることが示されている。また,甲14公報及び甲15文献には,ICチップの接続端子の最外層の金膜の厚さについて,これを15μmとする例,あるいは18μmとする例が示されている。これらの記載からすると,巻線型コイルとICチップとの接続構造において,ICチップの接続端子の最外層を金膜で構成し,その厚さを15μm程度とすることは,本件特許出願当時の技術常識であったといえる。

また,本件訂正明細書には,本件訂正発明1の「最外層が金(Au)膜で構成された接続端子」における金膜の厚さを10μm又は15μmとした場合の実施例が記載されているだけで,金膜の厚さを10μmないし15μmとすることにより,その数値範囲外のものと比較して,金膜と巻線型コイルの銅との塑性流動や全率固溶体の生成において,格別の作用効果を奏するとの記載がないことからすると,本件訂正発明1において,ICチップの接続端子の最外層の金膜の厚さを10μmないし15μmとした点に,銅製の巻線型コイルとの接合において,格別の技術的意義があるとは認められない。

そうすると,本件訂正発明1において,ICチップの接続端子の最外層の金膜の厚さを10μmないし15μmとしたことは,上記技術常識を勘案して,当業者が適宜想到し得たものであるということができる。

(4)  また,「銅もしくは銅合金の単体からなる素子配設基材に上面に電極を有する半導体素子をマウントし,かつ該半導体素子の電極と前記素子配設基材とを金もしくは金合金のワイヤで接続したことを特徴とする半導体装置」の発明が記載された引用例2には,「銅単体からなるリードフレームのリード部に金ワイヤをボンディングしたことにより形成された接合層は,金と銅との全率形の固溶体で金属間化合物とならないため,電気抵抗が小さく,化学的に安定し,機械的強度の劣化のない高信頼性の半導体装置を得ることができる。」との記載があり,金と銅との全率固溶体は,金属間化合物に比べて,電気的,機械的特性が良好であることが開示されているところ,これは金と銅との接合層に関する一般的な知見であると解されるから,接続端子の最外層の厚さを10μmないし15μm程度とした金膜と巻線型コイルの熱圧着について,金属間化合物を避け,加熱温度及び加圧力を適切に選択して,Au/Cu全率固溶体が形成されるようにすることも,当業者において容易に想到することができたものということができる。

(5)  被告の主張について

被告は,10μmないし15μmの厚さの金膜では,塑性流動により,Au/Cu全率固溶体が生成されることは,本件訂正明細書の記載から明らかであるとした上で,良好な塑性流動との関係で,金膜の厚さを10μmないし15μmとすることが容易に想到し得るか否かは,公知の技術と比較して判断すべきものであり,10μmを下回る厚さ又は15μmを上回る厚さの金膜が接続端子等の下地上に配された場合にも塑性流動することを示す証拠は提出されていない以上,本件相違点に係る本件訂正発明1の構成が容易に想到し得るとの結論を導くことはできないなどと主張する。

しかしながら,上記(1)及び(2)のとおり,巻線型コイルとICチップとの接続構造において,銅製の巻線型コイルに接続されるICチップの接続端子の最外層を構成する金層の厚さを10μmないし15μmとすることは,本件特許出願当時,適宜想到することができた事項であり,また,厚さを10μmないし15μm程度とした金膜と巻線型コイルとの熱圧着について,Au/Cu全率固溶体が形成されるようにすることも,当業者において容易に想到することができたものであるから,そうであるにもかかわらず,金膜と巻線型コイルの銅との塑性流動やAu/Cu全率固溶体の生成との関係で,金膜の厚さを10μmないし15μmとする本件訂正発明1の構成が進歩性を有するとするためには,本件訂正明細書の記載に基づき,金膜の厚さを10μmないし15μmとすることによる格別の作用効果の有無が検討されるべきであり,10μmを下回る厚さや15μmを上回る厚さの金膜が接続端子等の下地上に配された場合にも塑性流動することを示す証拠がない以上,本件訂正発明1の上記構成は進歩性を有するとの被告の主張は採用できない。

そして,本件訂正明細書からは,金膜の厚さを10μmとした実施例1及び15μmとした実施例2において,銅製の巻線型コイルと接続端子の金膜との界面付近で塑性流動が生じてAu/Cu全率固溶体が生成されたことは読みとることができるものの(【0033】~【0036】【0039】【0045】),金膜の厚さを10μmから15μmの間の数値とした場合に,その範囲外の数値とした場合に比して,金膜と巻線型コイルの銅との塑性流動性やAu/Cu全率固溶体の生成において格別の作用効果を奏するとの記載はないから,本件訂正発明1の上記構成が進歩性を有するということはできない。

(6)  小括

以上によれば,取消事由3は理由がある。

4  取消事由4(本件訂正発明2ないし4の進歩性に係る判断の誤り)について

(1)  本件審決は,本件訂正発明1を引用する本件訂正発明2,本件訂正発明2を引用する本件訂正発明3,本件訂正発明2又は3を引用する本件訂正発明4についても,本件相違点に係る本件訂正発明1の構成が,当業者にとって容易に発明することができたものではないことを前提として,本件訂正発明1と同様に進歩性を認めている。

しかしながら,前記3のとおり,本件相違点に係る本件訂正発明1の構成が容易に発明をすることができたものということができないとの本件審決の判断が取り消される以上,本件訂正発明2ないし4の進歩性に係る本件審決の前記判断も直ちに是認することはできない。

(2)  小括

よって,取消事由4も理由がある。

5  結論

以上の次第であるから,本件審決は取り消されるべきものである。

(裁判長裁判官 滝澤孝臣 裁判官 髙部眞規子 裁判官 齋藤巌)

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