知財高等裁判所 平成23年(行ケ)10171号 判決 2012年2月08日
原告
ミッチャム グローバル インヴェストメンツ リミテッド
同訴訟代理人弁理士
杉村憲司
塚中哲雄
大倉昭人
吉澤雄郎
被告
特許庁長官
同指定代理人
鈴木秀幹
長島和子
新海岳
板谷玲子
主文
1 特許庁が不服2009-15472号事件について平成23年1月13日にした審決を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
事実及び理由
第1請求
主文同旨
第2事案の概要
本件は,原告が,下記1のとおりの手続において,特許請求の範囲の記載を下記2とする本件出願に対する拒絶査定不服審判の請求について,特許庁が,本件補正を却下した上,同請求は成り立たないとした別紙審決書(写し)の本件審決(その理由の要旨は下記3のとおり)には,下記4の取消事由があると主張して,その取消しを求める事案である。
1 特許庁における手続の経緯
(1) ポラロイド コーポレイション(以下「ポラロイド社」という。)は,平成17年4月18日,発明の名称を「熱反応修正システム」とする発明について,特許出願(特願2007-509571号。パリ条約による優先権主張日:平成16年4月26日,米国。請求項の数44)をした(甲3)。
(2) 特許庁は,平成21年4月20日付けで拒絶査定をした。
(3) ポラロイド社は,平成21年8月24日,これに対する不服の審判を請求し(不服2009-15472号事件),同日付けで手続補正(以下「本件補正」という。請求項の数40)をした(甲5)。
(4) ポラロイド社は,平成22年2月11日,PLR IP ホールディングス エルエルシーに対し,本件出願に係る特許を受ける権利を譲渡し,さらに,同月12日,原告は,同社から同権利を譲り受け,同年4月7日,特許庁長官に対し,その旨の名義変更を届け出た(甲6~9)。
(5) 特許庁は,平成23年1月13日,本件補正を却下した上,「本件審判の請求は,成り立たない。」との本件審決をし,その謄本は同月25日,原告に送達された。
2 本件補正前後の特許請求の範囲の記載
本件審決が判断の対象とした特許請求の範囲の請求項1の記載は,以下のとおりである。
(1) 本件補正前の請求項1の記載(ただし,平成20年12月11日付け手続補正書(甲4)による補正後のものである。以下,本件補正前の特許請求の範囲に属する発明を「本願発明」という。)
(A) プリンタ内のプリントヘッドの第1のプリントヘッド温度Tsを識別するステップと,
(B) 該プリンタ内の現プリンタ周囲温度Trを識別するステップと,
(C) 該第1のプリントヘッド温度Tsと現相対湿度とに基づいて,または,該第1のプリントヘッド温度Tsと現相対湿度と該現プリンタ周囲温度Trとに基づいて,修正されたプリントヘッド温度T’sを識別するステップと,
(D) プリントされるべき所望のプリント濃度を識別するステップと,
(E) 該修正されたプリントヘッド温度T’sと該所望のプリント濃度とに基づいて,該プリントヘッド内のプリントヘッド要素へと提供される入力エネルギーを識別するステップとを包含する,方法
(2) 本件補正後の請求項1の記載(ただし,下線部分は本件補正による補正箇所である。以下,本件補正後の特許請求の範囲に属する発明を「本件補正発明」という。なお,本件補正の前後で明細書の記載に変更はなく,以下,その明細書(甲3)を「本件明細書」という。)
(A) プリンタ内のプリントヘッドの第1のプリントヘッド温度Tsを識別するステップと,
(B) 該プリンタ内の現プリンタ周囲温度Trを識別するステップと,
(C) 該第1のプリントヘッド温度Tsと現相対湿度とに基づいて,または,該第1のプリントヘッド温度Tsと現相対湿度と該現プリンタ周囲温度Trとに基づいて,修正されたプリントヘッド温度T’sを識別するステップと,
(D) プリントされるべき所望のプリント濃度を識別するステップと,
(E) 該修正されたプリントヘッド温度T’sと該所望のプリント濃度とに基づいて,該プリントヘッド内のプリントヘッド要素へと提供される入力エネルギーを識別するステップであって,該入力エネルギーは,(1)該第1のプリントヘッド温度Tsおよび該所望のプリント濃度の第1の関数であるベースエネルギーと,(2)該所望のプリント濃度,該現プリンタ周囲温度Trおよび該現相対湿度の第2の関数である補正との和に等しく,該補正は,該所望のプリント濃度の少なくとも2つの異なる値に対して異なる,ステップと
を包含する,方法
3 本件審決の理由の要旨
(1) 本件審決の理由は,要するに,①本件補正発明は,下記ア及びイの引用例1及び2に記載された発明(以下,順に「引用発明1」「引用発明2」という。)に基づいて当業者が容易に発明することができたものであり,特許法29条2項の規定により,特許出願の際独立して特許を受けることができないものであるから,本件補正は,平成18年法律第55号による改正前の特許法(以下「法」という。)17条の2第5項において準用する法126条5項の規定に違反するものとして却下すべきものであり,②本願発明も,引用発明1及び2に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであって,特許法29条2項の規定により特許を受けることができない,というものである。
ア 引用例1:国際公開第03/018320号公報(甲1。平成15年3月6日公開)
イ 引用例2:特開平7-76121号公報(甲2)
(2) なお,本件審決が認定した引用発明1並びに本件補正発明と引用発明1との一致点及び相違点は,以下のとおりである。
ア 引用発明1:ヒートシンク,セラミック及びグレーズを含むいくつかのレイヤと,前記グレーズの下にあるプリントヘッド要素の線形アレイとを備えたプリントヘッドを有するサーマルプリンタにおける方法であって,前記ヒートシンク上の特定のポイントにおいて測定された温度と,前記プリントヘッド要素に事前に供給されたエネルギーとに基づいて予測される当該プリントヘッド要素の現在の温度Ta及び当該プリントヘッド要素によって印刷される所望の出力濃度dの複数の1変数関数に基づいて,当該プリントヘッド要素に供給する入力エネルギーを計算するステップであって,以下の形態の等式E=G(d)+S(d)Taを用いて,該入力エネルギーを計算するステップを包含する,方法
イ 一致点:(A)プリンタ内のプリントヘッドの第1のプリントヘッド温度Tsを識別するステップと,(D)プリントされるべき所望のプリント濃度を識別するステップと,(E)前記第1のプリントヘッド温度Tsと該所望のプリント濃度とに基づいて,該プリントヘッド内のプリントヘッド要素へと提供される入力エネルギーを識別するステップとを包含する,方法
ウ 相違点:本件補正発明では,「(B)プリンタ内の現プリンタ周囲温度Trを識別するステップ」及び「(C)第1のプリントヘッド温度Tsと現相対湿度とに基づいて,または,第1のプリントヘッド温度Tsと現相対湿度と現プリンタ周囲温度Trとに基づいて,修正されたプリントヘッド温度T’sを識別するステップ」があり,前記入力エネルギーが,前記「修正されたプリントヘッド温度T’s」と所望のプリント濃度とに基づいて識別されるものであって,「(1)第1のプリントヘッド温度Ts及び所望のプリント濃度の第1の関数であるベースエネルギーと,(2)所望のプリント濃度,現プリンタ周囲温度Tr及び現相対湿度の第2の関数である補正との和に等し」いものであり,該補正が,「所望のプリント濃度の少なくとも2つの異なる値に対して異なる」ものであるのに対して,引用発明1では,そのようなステップがなく,前記入力エネルギーは,前記第1のプリントヘッド温度Tsと該所望のプリント濃度とに基づいて識別されるものである点
(3) また,本件審決が認定した引用発明2は,以下のとおりである。
複数の発熱抵抗体を有するサーマルヘッドを用いた熱転写記録装置において,環境温度に対して印写画像の濃度が変化したり,湿度変化の大きな環境において濃度差が顕著になるという問題点があったので,環境温度及び環境湿度を検知し,検知した環境温度及び環境湿度に基づいて,発熱抵抗体に印加するエネルギーを補正することにより,環境温度及び環境湿度に影響されることなく常に一定の濃度で印写できるようにした熱転写記録装置
4 取消事由
本件補正を却下した判断の誤り
第3当事者の主張
〔原告の主張〕
(1) 本件補正発明の構成について
本件補正発明は,①プリントヘッド温度Tsと現相対湿度とに基づいて修正されたプリントヘッド温度T’sと,所望のプリント濃度とに基づき,プリントヘッド内のプリントヘッド要素へと提供される入力エネルギーを定めるもの(以下「本件構成①」という。)と,②プリントヘッド温度Tsと現相対湿度と現プリンタ周囲温度Trとに基づいて修正されたプリントヘッド温度T’sと,所望のプリント濃度とに基づき,プリントヘッド内のプリントヘッド要素へと提供される入力エネルギーを定めるもの(以下「本件構成②」という。),という選択肢を有する。
(2) 本件構成②について
ア 相違点に係る判断の誤りについて
(ア) 本件審決は,本件構成②について,引用発明1のサーマルプリンタのプリントヘッドが,引用発明2のサーマルヘッドと同様に,環境温度に対して印写画像の濃度が変化したり,湿度変化の大きな環境において濃度差が顕著になるという問題点を有することは,当業者に自明であるところ,入力エネルギーを計算するための等式としてどのようなものを用いるかは,当業者が計算効率等を考慮して適宜決定すべき設計事項であるから,引用発明1において,上記問題点を解決し,環境温度や環境湿度に影響されることなく常に一定の濃度で印写できるようにするため,環境温度及び環境湿度を検知するとともに,引用発明1が用いる等式E=G(d)+S(d)Taに代えて,環境温度Tr及び環境湿度H(相対湿度)をも含むように拡張した等式E=G(d)+S(d)Ta’(Ta’=Ta+f(Tr,H),f:実験等で定める関数)を用いて,プリントヘッド要素に供給する入力エネルギーを計算することは,当業者が引用発明2に基づき容易に想到し得たことであり,この等式で計算することは,相違点に係る本件構成②の構成を採用することと同じであるから,引用発明1において,当該構成とすることは,当業者が引用発明2に基づいて容易に想到し得たことであると判断した。
(イ) しかし,入力エネルギーを計算するための等式の選択は,当業者が適宜決定すべき設計事項であるということはできない。すなわち,引用例1には,「計算効率を高めるために,等式に対する近似もまた用いられ得る」との記載があるが,この記載の意味は,計算効率を高めるため,ある程度の誤差を許容して等式に対する近似式を用いることができるということであり,設計事項といえるのは,せいぜい,入力エネルギーを効率的に計算するために,計算に使用する近似式を適宜選択することである。引用例1の上記記載から,入力エネルギーを計算するための等式の選択が,当業者が計算効率等を考慮して適宜決定すべき設計事項であることが明らかであるということはできない。
(ウ) また,本件構成②は,現プリンタ周囲温度Trと現相対湿度に基づいてプリントヘッド温度Tsを修正し,修正されたプリントヘッド温度T’sと所望のプリント濃度から,プリントヘッド要素に提供される入力エネルギーを定めるものであり,現プリンタ周囲温度Trによる影響と現相対湿度による影響を関連付けて考慮するものである。
他方,引用例2には,環境温度及び環境湿度を検知し,検知した環境温度及び環境湿度に基づいて,発熱抵抗体に印加するエネルギーを補正することが記載されているが,プリントヘッド温度を修正することは何ら記載されていない。また,引用例2に記載された補正は,環境温度に基づき補正されるべきエネルギーと環境湿度に基づき補正されるべきエネルギーとをそれぞれ独立に計算し,単純に加算するものであり,環境温度による影響と環境湿度による影響を関連付けて考慮するものではないし,所望のプリント濃度にも全く依存しないものである。
(エ) したがって,引用発明1において,等式E=G(d)+S(d)Taに代えて,等式E=G(d)+S(d)Ta’を用いて,プリントヘッド要素に供給する入力エネルギーを計算することは,当業者が引用発明2に基づき容易に想到し得たことであるとした本件審決の判断は誤りである。
イ 本件構成②の効果に係る判断の誤りについて
(ア) 本件審決は,本件構成②が奏する効果は,当業者が引用発明1及び2から予測し得た程度のものであると判断した。
しかし,本件構成②は,現プリンタ周囲温度Trと現相対湿度とを同時に考慮して入力エネルギーを補正することができるという,引用発明1及び2からは当業者が予測し得ない顕著な効果を奏するものである。
(イ) したがって,本件構成②の効果に係る本件審決の判断は誤りである。
(3) 本件構成①について
本件構成①については,引用発明1が用いる等式E=G(d)+S(d)Taに代えて,環境湿度Hを含むように拡張した等式E=G(d)+S(d)Ta’(Ta’=Ta+f(H))を用いて,プリントヘッド要素に供給する入力エネルギーを計算することとなるが,前記のとおり,本件構成①の補正は,所望のプリント濃度と関連付けられるものであるのに対し,引用発明2における補正は,環境湿度を所望のプリント濃度と関係付けて考慮するものではないから,当業者は,引用発明2に基づき,本件構成①を容易に想到し得たものでもない。
(4) 小括
以上のとおり,本件補正発明は,当業者が引用発明1及び2から容易に想到することができたものではないから,独立して特許を受けることができるものである。
したがって,本件補正は,法17条の2第5項において準用する法126条5項の規定に違反しないから,法159条1項において読み替えて準用する法53条1項によりこれを却下した本件審決の判断は誤りである。
〔被告の主張〕
(1) 本件構成②について
ア 相違点に係る判断の誤りについて
(ア) 原告は,入力エネルギーを計算するための等式の選択は当業者が計算効率等を考慮して適宜決定すべき設計事項であるということはできないと主張する。
しかし,入力エネルギーを効率的に計算するために,計算に使用する近似式を適宜選択することは設計事項であり,引用発明1が用いる等式E=G(d)+S(d)Taが,そもそも計算結果の正確性をある程度犠牲にした近似式であるから,引用発明1において,入力エネルギーを計算するための等式として,どのようなものを用いるかは,当業者が計算効率と計算結果の正確性とを比較衡量して適宜決定すべき設計事項であり,本件審決の判断に誤りはない。
(イ) 次に,原告は,本件構成②は現プリンタ周囲温度Trと現相対湿度に基づいてプリントヘッド温度Tsを修正するものであるところ,引用例2には,プリントヘッド温度を修正することは何ら記載されていないと主張する。
しかし,前記(ア)のとおり,引用発明1において,入力エネルギーを計算するための等式として,どのようなものを用いるかは,当業者が適宜決定すべき設計事項であるから,引用発明1において,引用発明2を勘案して,検知した環境温度及び環境湿度に基づいて発熱抵抗体に印加するエネルギーを補正しようとする際に,環境温度及び環境湿度に基づき補正されるエネルギーを補正前のエネルギーに加算するのではなく,引用発明1が用いる等式E=G(d)+S(d)Taに代えて,計算効率の観点から,この等式の形が大きく変更されることがないように,プリントヘッド要素の現在の温度Taに加算するように拡張した等式E=G(d)+S(d)Ta’を用いて,プリントヘッド要素に供給するエネルギーを計算することも,当業者が適宜設計し得ることである。
(ウ) また,原告は,本件構成②は現プリンタ周囲温度Trと現相対湿度に基づいて修正されたプリントヘッド温度T’sと所望のプリント濃度から,プリントヘッド要素に提供される入力エネルギーを定めるものであり,現プリンタ周囲温度Trによる影響と現相対湿度による影響を関連付けて考慮するものであるのに対して,引用例2に記載された補正は環境温度に基づき補正されるべきエネルギーと環境湿度に基づき補正されるべきエネルギーとをそれぞれ独立に計算し,単純に加算するものであり,環境温度による影響と環境湿度による影響を関連付けて考慮するものではないし,所望のプリント濃度にも全く依存しないものであると主張する。
しかし,本件構成②では,「第1のプリントヘッド温度Tsと現相対湿度と現プリンタ周囲温度Trとに基づいて,修正されたプリントヘッド温度T’s」,「修正されたプリントヘッド温度T’sと所望のプリント濃度とに基づいて,プリントヘッド内のプリントヘッド要素へと提供される入力エネルギーを識別するステップ」及び「所望のプリント濃度,現プリンタ周囲温度Tr及び現相対湿度の第2の関数である補正」について,具体的に計算するための数式を何ら限定していないから,現プリンタ周囲温度Trと現相対湿度とを同時に考慮することも,現プリンタ周囲温度Trと現相対湿度のそれぞれに基づいて独立に計算することも,いずれもその技術的内容に含まれるものである。
また,引用発明2は,環境温度及び環境湿度が変化しても,常に一定の濃度で印写することを目的とするものであるが,その一定の濃度を得るためのいわば初期的なエネルギー量を前提とした上で,環境温度及び環境湿度に応じて当該エネルギー量を補正するものであり,引用例2に記載された補正は所望のプリント濃度に全く依存しないという原告の主張は,当を得ないものである。
イ 本件構成②の効果に係る判断の誤りについて
原告は,本件構成②は現プリンタ周囲温度Trと現相対湿度とを同時に考慮して入力エネルギーを補正することができるという顕著な効果を奏する旨主張する。
しかし,本件構成②は,現プリンタ周囲温度Trと現相対湿度とから独立に補正値を定めてもよいし,それらを同時に考慮して補正値を定めてもよいのであるから,現プリンタ周囲温度Trと現相対湿度とを同時に考慮して入力エネルギーを補正することに何らかの技術的な意義があったとしても,それは,本件構成②特有の効果であるということはできない。
(2) 本件構成①について
本件審決は,直接的には本件構成②の進歩性について判断をしたものであるが,本件構成①の「プリントヘッド温度Tsと現相対湿度とに基づいて修正されたプリントヘッド温度T’s」は,「プリントヘッド温度Ts」及び「現相対湿度」のみに基づいて修正されたものと特定されているわけではないから,本件構成②の「プリントヘッド温度Tsと現相対湿度と該現プリンタ周囲温度Trとに基づいて修正されたプリントヘッド温度T’s」を含むものであり,本件構成②に進歩性がない以上,本件構成①についても進歩性がないのは当然である。
(3) 小括
以上によれば,本件補正発明は,引用発明1及び2に基づいて,当業者が容易に発明をすることができたものであるから,特許法29条2項により独立して特許を受けることができないものである。
そうすると,本件補正は,法17条の2第5項において準用する法126条5項の規定に違反するから,法159条1項において読み替えて準用する法53条1項により却下されるべきであり,本件審決の判断に誤りはない。
第4当裁判所の判断
1 本件補正発明について
(1) 本件補正発明は,前記第2の2(2)のとおり,(A)プリンタ内のプリントヘッドの第1のプリントヘッド温度Tsを識別するステップと,(B)該プリンタ内の現プリンタ周囲温度Trを識別するステップと,(C)該第1のプリントヘッド温度Tsと現相対湿度とに基づいて,または,該第1のプリントヘッド温度Tsと現相対湿度と該現プリンタ周囲温度Trとに基づいて,修正されたプリントヘッド温度T’sを識別するステップと,(D)プリントされるべき所望のプリント濃度を識別するステップと,(E)該修正されたプリントヘッド温度T’sと該所望のプリント濃度とに基づいて,該プリントヘッド内のプリントヘッド要素へと提供される入力エネルギーを識別するステップであって,該入力エネルギーは,(1)該第1のプリントヘッド温度Tsおよび該所望のプリント濃度の第1の関数であるベースエネルギーと,(2)該所望のプリント濃度,該現プリンタ周囲温度Trおよび該現相対湿度の第2の関数である補正との和に等しく,該補正は,該所望のプリント濃度の少なくとも2つの異なる値に対して異なる,ステップとを包含する,方法であるところ,本件明細書(甲3)には,本件補正発明について,概略,以下の記載がある。
ア 本件補正発明は,感熱式プリントヘッドに対する熱履歴の影響を補正することにより,感熱式プリンタ出力を改善するための技術に関するものである(【0001】)。
イ 従来の感熱式プリンタに伴う1つの問題点は,プリントヘッド要素(発熱体)が,各プリントヘッドサイクルの終了後に熱を保持するという事実から生じる。一部の感熱式プリンタでは,特定のプリントヘッド要素に対して特定のプリントヘッドサイクルの間に供給されたエネルギーの量は,プリントヘッドサイクルの開始時におけるプリントヘッド要素の温度が既知の固定の温度であるという仮定に基づいて計算されているが,プリントヘッドサイクルの開始時におけるプリントヘッド要素の温度は,以前のプリントヘッドサイクル中にプリントヘッド要素に対して供給されたエネルギーの量に依存するため,プリントヘッドサイクル中にプリントヘッド要素によって達成される実際の温度は,較正温度とは異なることがあり,それによって,所望される出力濃度よりも高い又は低い出力濃度を生じる。特定のプリントヘッド要素の現温度が,それ自体の以前の温度だけでなく,周囲温度やプリントヘッド内の他のプリントヘッド要素の熱履歴によっても影響されることにより,更に複雑になる(【0005】)。
ウ 発明の一局面において,(A)プリンタ内のプリントヘッドの第1のプリントヘッド温度Tsを識別するステップと,(B)プリンタ内の現周囲温度Trを識別するステップと,(C)第1のプリントヘッド温度Tsと,プリンタ周囲温度Trとに基づいて,修正されたプリントヘッド温度T’sを識別するステップと,(D)修正されたプリントヘッド温度T’sに基づいて,プリントヘッド内のプリントヘッド要素へと提供される入力エネルギーを識別するステップを含む,方法が提供される(【0012】)。
エ 修正されたプリントヘッド温度測定値T’sを計算する等式は,湿度影響を考慮に入れると,次のとおりとなる。
T’s=Ts+ftΔTr+fh(Tr)ΔRH
この等式において,fhは,相対湿度変化ΔRHを等価な温度変化に変換する比例定数を表し,ΔRHは,現相対湿度と較正された相対湿度との間の差を表す(【0068】)。なお,Tsは,第1プリントヘッド温度,Trは現プリンタ周囲温度を示し(【0012】),ΔTrは,現プリンタ周囲温度Trと較正温度Trcとの差を表す(【0059】)。
(2) 以上のとおり,本件補正発明は,第1のプリントヘッド温度Tsと現相対湿度とに基づいて,又は,第1のプリントヘッド温度Tsと現相対湿度と現プリンタ周囲温度Trとに基づいて,修正されたプリントヘッド温度T’sを識別し,この修正されたプリントヘッド温度T’sと所望のプリント濃度に基づき,プリントヘッド内のプリントヘッド要素へ提供される入力エネルギーを計算するというものである。
2 引用発明1について
(1) 引用発明1は,前記第2の3(2)アのとおり,ヒートシンク,セラミック及びグレーズを含むいくつかのレイヤと,前記グレーズの下にあるプリントヘッド要素の線形アレイとを備えたプリントヘッドを有するサーマルプリンタにおける方法であって,前記ヒートシンク上の特定のポイントにおいて測定された温度と,前記プリントヘッド要素に事前に供給されたエネルギーとに基づいて予測される当該プリントヘッド要素の現在の温度Ta及び当該プリントヘッド要素によって印刷される所望の出力濃度dの複数の1変数関数に基づいて,当該プリントヘッド要素に供給する入力エネルギーを計算するステップであって,以下の形態の等式E=G(d)+S(d)Taを用いて,該入力エネルギーを計算するステップを包含する,方法であるところ,引用例1(甲1)には,引用発明1について,概略,以下の記載がある。
ア 引用発明1は,サーマル印刷に関し,サーマルプリントヘッドの熱履歴の影響を補償することによって,サーマルプリンタの出力を改善する技術に関するものである(【0001】)。
イ いくつかのサーマルプリンタでは,概して,プリントヘッドサイクルの開始時におけるプリントヘッド要素の温度は既知の固定値であるとの推測に基づいて,プリントヘッド要素に渡されるエネルギー量が計算されるが,あるプリントヘッドサイクルの開始時におけるプリントヘッド要素の温度は,前のサイクルで渡されたエネルギー量に依存するので,実際の温度は,較正された温度と異なることがあり,所望の濃度より高いか又は低い出力濃度となる。特定のプリントヘッド要素の現時点の温度は,プリントヘッド自身の熱履歴だけでなく,環境(部屋)温度及びプリントヘッドの他の要素の熱履歴によっても影響されるため,事態が更に複雑になる(【0005】)。
ウ 各プリントヘッドサイクルの開始時における各サーマルプリントヘッド要素の温度は,現時点での環境温度,プリントヘッドの熱履歴及びプリントヘッドのエネルギー履歴に基づき予測され,各プリントヘッド要素に供給するエネルギー量は,所望の濃度及びプリントヘッドサイクルの開始時におけるプリントヘッド要素の予測温度に基づき計算される(【0010】)。
エ 逆媒体密度モデル(図4)は,(1)タイムインターバルnの開始点での各プリントヘッド要素の予測温度Ta(n)と,(2)タイムインターバルnの間のプリントヘッド要素によって出力されるべき所望の密度ds(n)とに基づいて,タイムインターバルnの間の各プリントヘッド要素に供給するエネルギーE(n)を計算するものであるが,同モデルによって定義された伝達関数は,2次元関数E=F(d,Ta)であり,この関数は,代替的実現として,E=G(d)+S(d)Taとして書き直すことができる(【0024】【0027】~【0031】)。なお,Taはプリントヘッド要素の予測温度(【0020】),ds(n)は,時間インターバルnの間に印刷されるソース画像の行の濃度分布(【0019】),Eは入力エネルギー(【0027】),dは出力密度(【0027】),G(d)及びS(d)は,一次関数のルックアップテーブル(【0031】)である。
オ 個々のプリントヘッド要素の温度をある期間にわたって直接測定することは困難であるから,プリントヘッドの周囲温度とプリントヘッド要素に事前に供給されたエネルギーとに関する情報を用いて,プリントヘッド要素の温度を予測することができる(【0034】)。
(2) 以上のとおり,引用発明1は,プリントヘッドの周囲温度,プリントヘッドの熱履歴及びエネルギー履歴から予測されるプリントヘッド要素温度と所望の濃度に基づいて,プリントヘッド要素に供給する入力エネルギーを計算するというものである。なお,引用発明1におけるプリントヘッド要素の温度の予測は,個々のプリントヘッド要素の温度をある期間にわたって直接測定することは困難であるから,プリントヘッドの周囲温度とプリントヘッド要素に事前に供給されたエネルギーに関する情報を用いて,プリントヘッド要素の実際の温度を予測するというものであり,プリントヘッドの周囲温度等の観点からプリントヘッド要素に入力するエネルギーを補正するために,入力エネルギーの計算に用いるプリントヘッド要素の温度に修正を加えるというものではない。
3 引用発明2について
(1) 引用発明2は,前記第2の3(3)のとおり,環境温度及び環境湿度を検知し,検知した環境温度及び環境湿度に基づいて,発熱抵抗体に印加するエネルギーを補正することにより,環境温度及び環境湿度に影響されることなく常に一定の濃度で印写できるようにした熱転写記録装置であるところ,引用例2(甲2)には,引用発明2について,概略,以下の記載がある。
ア 特許請求の範囲
(ア) 【請求項9】 複数の発熱抵抗体を一列に配置してサーマルヘッドを形成し,印写媒体および被印写媒体を移動させながら,印写データに基づいて選択されたエネルギーを前記発熱抵抗体に印加して発熱させ,その発熱により前記印写媒体の一部を溶融あるいは昇華させて,前記被印写媒体の表面に転写する熱転写記録装置において,装置内部の温度を検知する少なくとも一つの温度検知手段と,装置内部の湿度を検知する少なくとも一つの湿度検知手段と,前記温度検知手段および湿度検知手段によって検知した検知温度および検知湿度に基づいて,前記発熱抵抗体に印加するエネルギーを補正する印加エネルギー補正手段とを備えたことを特徴とする熱転写記録装置
(イ) 【請求項10】 前記温度検知手段の少なくとも一つは,前記サーマルヘッドの畜熱温度を検知し,前記湿度検知手段の少なくとも一つは,前記被印写媒体が置かれている部分の環境温度(判決注:環境湿度の誤記であると認められる。)を検知することを特徴とする請求項9記載の熱転写記録装置
(ウ) 【請求項11】 前記印加エネルギー補正手段は,前記サーマルヘッドの発熱抵抗体にエネルギーを印加する際の基準温度をT0,前記サーマルヘッドの発熱抵抗体にエネルギーを印加する際の基準湿度をH0,基準温度T0および基準湿度をH0に基づいて決定された補正前印加エネルギーをE0,温度検知手段によって検知された検知温度をT1,湿度検知手段によって検知された検知湿度をH1としたとき,前記発熱抵抗体に印加する補正後印加エネルギーEを,E=E0+α(T1-T0)n+β(H1-H0)m(ただし,α,βは定数,n,mは自然数)で決定することを特徴とする請求項10記載の熱転写記録装置
イ 発明の詳細な説明
(ア) 複数の発熱抵抗体を有するサーマルヘッドを用いた熱転写記録装置においては,熱を記録のためのエネルギーとして使用しているため,周囲の温度に対して印写画像の濃度が変化するという不都合がある(【0002】)。
(イ) 印写画像の濃度は,温度のみでなく周囲の湿度の影響も受けるため,温度のみによる印加エネルギーの補正では,湿度変化の大きな環境において,濃度差が顕著になるという問題点があった。例えば,湿度が高い方がサーマルヘッドと印写媒体との間の熱伝導性が悪くなり,その結果,印写濃度が低下する(【0009】)。
(ウ) 実施例3の熱転写記録装置は,装置内部の温度及び湿度を検知し,検知温度及び検知湿度に基づいて,発熱抵抗体に印加するエネルギーを補正することにより,環境温度及び環境湿度に影響されることなく,常に一定の濃度で印写できるようにしたものである(【0067】)。
(2) 以上のとおり,引用例2には,環境温度及び環境湿度に基づき,発熱抵抗体(本件補正発明の「プリントヘッド要素」に相当する。)に提供される印加エネルギー(同「入力エネルギー」に相当する。)を補正することが記載されているが,この補正は,環境温度に基づき補正されるべきエネルギーと環境湿度に基づき補正されるべきエネルギーとをそれぞれ独立して計算し,これらを加算するものである。
4 相違点に係る判断の誤りについて
(1) 前記2のとおり,引用例2には,サーマルヘッドを用いた熱転写記録装置において,環境温度及び環境湿度の変化の大きな環境において濃度差が顕著になるという問題を解決するため,環境温度と環境湿度とを検知し,検知した環境温度及び環境湿度に基づいて,発熱抵抗体に印加するエネルギーを補正することが記載されているところ,引用発明1のサーマルプリンタにあっても,環境温度及び環境湿度の変化の大きな環境において濃度差が顕著になるという問題を有することは,当業者に自明であるということができるから,引用発明1において,これらの問題を解決するため,環境温度と環境湿度とを検知し,検知した環境温度及び環境湿度に基づいて,発熱抵抗体に印加するエネルギーを補正すること自体は,当業者が容易に想到し得ることといわなければならない。
(2) しかしながら,本件補正発明は,第1のプリントヘッド温度Tsと現相対湿度とに基づいて(本件構成①),又は,第1のプリントヘッド温度Tsと現相対湿度と現プリンタ周囲温度Trとに基づいて(本件構成②),修正されたプリントヘッド温度T’sを識別するステップを有するものであるが,引用例2には,環境温度及び環境湿度に基づき,発熱抵抗体に提供される印加エネルギーを補正することは記載されているといっても,この補正は,環境温度に基づき補正されるべきエネルギーと環境湿度に基づき補正されるべきエネルギーとをそれぞれ独立して計算し,これらを単純に加算するものであって,プリントヘッドの温度を修正するものではない。
したがって,引用例2には,引用発明1においてプリントヘッド要素に入力するエネルギーを計算するに当たり,環境温度及び環境湿度に基づいて発熱抵抗体に印加するエネルギーを補正するため,プリントヘッド要素温度と環境湿度とに基づいて,又は,プリントヘッド要素温度と環境湿度と環境温度とに基づいて,プリントヘッド要素温度を修正するステップを設けることの示唆ないし動機付けはないから,引用発明1に引用発明2に記載された事項を適用しても,当業者が相違点に係る本件補正発明の構成を容易に想到することができたということはできない。
(3) また,被告は,環境温度及び環境湿度に基づく補正において,単純に補正前のエネルギーに加算するのではなく,計算効率の観点から等式の形が大きく変更されないように,プリントヘッド要素の現在の温度Taを修正して入力エネルギーを計算することは,当業者が適宜設計し得ることであると主張している。
しかしながら,プリントヘッド要素の現在の温度を修正することは,引用例1及び2には開示されておらず,入力エネルギーを計算する際に計算効率を向上するためにプリントヘッド要素の現在の温度を修正することが技術常識であるとすべき根拠も見当たらないから,プリントヘッドの現在の温度Taを修正して入力エネルギーを計算することが,当業者が適宜設計し得るものであるということはできない。
(4) 以上のとおり,本件補正発明は,引用発明1及び2に基づいて当業者が容易に発明することができたものではないから,当業者がこれらの引用発明に基づき本件補正発明を容易に想到し得たとして,独立特許要件を欠くことを理由に本件補正を却下した本件審決は,その判断を誤るものである。
5 結論
以上の次第であるから,本件審決は取り消されるべきものである。
(裁判長裁判官 滝澤孝臣 裁判官 髙部眞規子 裁判官 齋藤巌)