知財高等裁判所 平成23年(行ケ)10186号 判決 2012年4月11日
原告
株式会社クボタ
原告
クボタシーアイ株式会社
原告ら訴訟代理人弁護士
岩坪哲
速見禎洋
被告
積水化学工業株式会社
訴訟代理人弁護士
片山英二
服部誠
岩間智女
弁理士
加藤志麻子
重村洋一
主文
特許庁が無効2010-800143号事件について平成23年4月26日にした審決を取り消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
事実及び理由
第1原告らの求めた判決
主文同旨
第2事案の概要
本件は,特許無効審判請求を不成立とする審決の取消訴訟である。争点は,進歩性,実施可能要件,明確性要件の有無等である。
1 特許庁における手続の経緯
被告は,平成14年10月16日,平成14年3月6日の優先権(日本)を主張して,名称を「硬質塩化ビニル系樹脂管」とする発明につき特許出願をし(特願2002-302163号),平成20年8月15日,特許登録を受けた(特許第4171280号,特許公報は甲14)。
被告は,平成21年12月24日付で訂正審判を請求し(訂正2009-390155号),平成22年2月23日付けの訂正拒絶理由の通知を経て,平成22年4月16日,訂正を認めるとの審決がなされた(この訂正に係る特許審決公報は甲13)。
原告らは,平成22年8月19日,本件特許の請求項1及び2につき無効審判を請求した(無効2010-800143号)。その中で,被告は,平成22年11月24日付けで訂正請求をし(甲85-1,乙14。請求項1を削除。全文訂正明細書は甲85-2,乙14),さらに第1回口頭審理において平成23年3月1日付で訂正請求をしたところ(乙15〔全文訂正明細書を含む〕。請求項1を削除するとともに,発明の詳細な説明の記載をこれに整合させるための明りょうでない記載の釈明及び誤記の訂正を行った。これにより平成22年11月24日付け訂正請求は取り下げたものとみなされた。以下,この訂正に係る明細書を「訂正明細書」という。),特許庁は,平成23年4月26日,「訂正を認める。本件審判の請求は成り立たない。」旨の審決をし,その謄本は同年5月11日原告らに送達された。
なお,審決は,本件出願に対して,国内優先権を主張する出願である特願2002-60814号の出願の当初明細書には,旧請求項2に係る発明特定事項については記載されていないので,旧請求項2に係る発明については,国内優先権に伴う優先権主張は認められないと判断している。この点について,被告は特段争っていないので,当裁判所は審決のこの判断に即して,以下の説明を進める。
2 本件発明の要旨
【請求項1】(本件発明)
「顔料として有機系黒色顔料が添加された硬質塩化ビニル系樹脂管であって,3500kcal/m²・日以上の日射量が存在する環境下に20日間静置された後の,下記式(1)から算出される周方向応力σの最大値と最小値の差Δσが2.94MPa以下であることを特徴とする硬質塩化ビニル系樹脂管。
σ=[E/(1-R²)]・t/2・(1/r1-1/r0) (1)
E:引張弾性率 R:ポアソン比 t:肉厚 r0:切開前内半径 r1:切開後内半径」
3 原告ら主張の無効理由(欠番の無効理由は訂正前請求項1に関するもので,審決で取り上げられていない。)
(1) 無効理由2
本件発明は,甲4(特公昭61-50100公報)記載の発明に,甲5(特開昭62-30202号公報)ないし甲6-1(大日精化工業株式会社「大日精化ニューマテリアルズカタログ」平成11年3月1日発行)記載の事項,周知の技術及び技術常識を適用することで出願時当業者が容易に想到できたものであるから,特許法29条2項の規定により特許を受けることができない。
(2) 無効理由4
本件発明は,甲8(排下水専門委員会「下水道用硬質塩化ビニル管の曲がりに関する検討報告書」平成4年5月)記載の発明に,甲2ないし甲5及び甲6-1記載の事項,周知の技術及び技術常識を適用することで出願前当業者が容易に想到できたものであるから,特許法29条2項の規定により特許を受けることができない。
(3) 無効理由5
本件発明は,甲9-1(大阪法務局所属公証人A作成の公正証書謄本)に示される,請求人(原告)株式会社クボタが本件特許出願前に日本国内において,請求人が森定興商に対し「クボタビニルパイプVP40 0104」3本(「公用物件1-1」ないし「公用物件1-3」),「クボタビニルパイプVU65 9909」2本(「公用物件1-4」及び「公用物件1-5」),「クボタビニルパイプrF-VP65 0206」1本(「公用物件1-6」),「クボタビニルパイプrF-rF-VP40 0205」1本(「公用物件1-7」),「クボタビニルパイプVU65 0009」1本(「公用物件1-8」),「クボタビニルパイプVU50 9004」1本(「公用物件1-9」),「クボタビニルパイプVU125 0109」1本(「公用物件1-10」),「クボタビニルパイプVP100 0105」1本(「公用物件1-11」)の合計11本を,請求人(原告)株式会社クボタがBに対し「クボタビニルパイプVU65 9607」1本(「公用物件1-12」)を,さらに,請求人(原告)株式会社クボタの関連会社である日本プラスチック工業株式会社がBに対し「ニホンパイプVA38X42 870210」1本(「公用物件1-13」)を,それぞれ製造販売することで公然実施した発明に,甲5及び甲6-1に記載された有機性黒色顔料を添加する事項を適用することで出願時当業者が容易に想到できたものであるから,特許法29条2項の規定により特許を受けることができない。(「公用物件1-1」ないし「公用物件1-13」を総称して公用物件1という。)
(4) 無効理由6
本件発明は,甲10-1-1〔VP50に係る「クボタビニルパイプカタログ」2001年<平成13年>3月印刷〕に示される「VP50」(「公用物件2」)を,請求人(原告)株式会社クボタが本件特許出願前に日本国内において製造販売することで公然実施した発明に,甲5及び甲6-1に記載された有機性黒色顔料を添加する事項を適用することで出願時当業者が容易に想到できたものであるから,特許法29条2項の規定により特許を受けることができない。
(5) 無効理由9
本件発明は硬質塩化ビニル系樹脂管における周応力σの最大値と最小値の差Δσが特定の値以下であることを発明特定事項とするものであるところ,該Δσに係る特定値(2.94MPa以下)は発明の詳細な説明に記載されたものではなく,したがって,本件発明は特許請求の範囲において特許を受けようとする発明が発明の詳細な説明に記載されたものとはいえないから,本件特許請求の範囲の記載は特許法36条6項1号に違反する。
(6) 無効理由10
本件発明に係る周応力の最大値と最小値の差Δσは,本件登録後の誤記訂正によって「比較例2」(カーボンブラック0.05重量部配合)と訂正前の「実施例7」(同上)とが全く同じ成分組成及び製造方法である同一の硬質塩化ビニル樹脂管となったものであるが,両者は訂正前の明細書段落【0040】において異なる周応力σ(最大値),σ(最小値),Δσを記載したものであり,発明の詳細な説明におけるΔσの証明には疑問があり,かつ,公用物件1~3について曝露前後の周応力Δσを測定したところ,曝露前後とも全てΔσが2.94MPa以下でありかつ有意な差を示さなかったことから,当業者において本件発明が明細書に記載された「太陽光等による湾曲が生じにくいか湾曲量の小さい硬質塩化ビニル系樹脂管を得る」との作用効果を奏するものか判断することができず,本件発明に係る発明の詳細な説明の記載は当業者が同発明を実施出来る程度に明確かつ十分に記載したものということができないものであり,かつ,本件発明は外延が不明確であるから,本件発明の発明の詳細な説明の記載は特許法36条4項1号に違反し,特許請求の範囲の記載は同条6項2号に違反する。
また,他に,審判請求書の「7-4-10-4」には,「本件発明2に係る明細書の開示」と題して,「当業者は本件発明2の外延に含まれる硬質塩化ビニル管をどのように製造すれば実施できるか(逆に,どのようにすれば本件発明2のパラメータを満たさないものが製造できるか),何ら把握することができない」と主張している。
4 審決の理由の要点
(1) 無効理由2について
① 甲4(特公昭61-50100公報,被告が出願人)には,実質的に以下の発明(甲4発明)が記載されていることが認められる。
「塩化ビニル系樹脂に赤外線透過性がそれぞれ60%以上の油溶性青色顔料,油溶性黄色顔料,油溶性赤色顔料を混合して黒色に調色した後,ロール混練後に熱プレス機にかけて成形したシート状物であって,さらに,夏期高温時における成形品の熱変形を防ぐことを目的として,紫外線安定剤を混練し,南向きの屋外曝露台上に700日の間のせ,晴天下の太陽光線に曝して曝露した後の,シート状物の外観が白化するまでの日数は700日であったシート状物。」
② 本件発明と甲4発明の一致点と相違点は次のとおりである(42頁)。
【一致点】
「顔料として有機系黒色顔料が添加された硬質塩化ビニル系樹脂からなる成形品であって,夏期高温時の環境下に20日間以上静置された後の,変形が防止される,硬質塩化ビニル系樹脂からなる成形品。」
【相違点1】
硬質塩化ビニル系樹脂からなる成形品に関し,本件発明では,「管」であるのに対し,甲4の発明では「シート状物」である点。
【相違点2】
夏期高温時の環境下に静置する条件に関し,本件発明では「3500kcal/m²・日以上の日射量が存在する」環境下に20日間静置されているのに対し,甲4発明では,南向きの屋外曝露台上に700日の間のせ,晴天下の太陽光線に曝して曝露した点。
【相違点3】
変形が防止されるために成形品が有する物性の特定方法に関し,本件発明では「下記式(1)から算出される周方向応力σの最大値と最小値の差Δσが2.94MPa以下」であり,式(1)が「σ=[E/(1-R²)]・t/2・(1/r1-1/r0) (1) E:引張弾性率 R:ポアソン比 t:肉厚 r0:切開前内半径 r1:切開後内半径」であるのに対し,甲4発明ではシート状物の外観が白化する迄の日数である点。
③ 以下の理由により,本件発明は,甲4発明,甲5(特開昭62-30202号公報)ないし甲6-1(大日精化工業株式会社「大日精化ニューマテリアルズカタログ」平成11年3月1日発行)記載の事項,原告らが提出した甲各号証・各参考資料に記載の事項,周知の技術,及び技術常識に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものとは認められない。
ア 相違点1について
甲4の2欄9行~17行には,塩化ビニル系樹脂を成分とする「管」において変形が生じることが従来から課題であることが記載されており,甲4には,管を対象とすることが示唆されているといえる。さらに,甲4発明も,赤外線透過性がすぐれた有機着色剤を使用することで昇温を抑制することにより変形を防止するものであるので,赤外線透過性がすぐれた有機着色剤を使用して変形を防止することも開示されているといえる。そうすると,甲4発明において,シート状物を「管」とすることにより相違点1に係る本件発明の構成とすることも任意であり,また,そのために格別の技術的困難性が伴うものとも認められない。
イ 相違点2について
本件発明において「3500kcal/m²・日以上の日射量が存在する」環境下に「20日間」静置されたことによる技術的な意義は,全文訂正明細書の段落【0006】の記載によれば,夏場の環境で試験することにあるものと解することができる。一般的な試験において,もっとも過酷な条件で試験することは技術常識であり,「3500kcal/m²・日以上の日射量が存在する環境下に20日間静置された後」の数値限定が当業者にとって格別なものとは認められない。そうすると,甲4発明において,夏期高温時の環境下に静置する条件を具体的にどのようなものとするのかは,設計事項にすぎないといえることから,相違点2に係る本件発明の構成とすることも任意であり,また,そのために格別の技術的困難性が伴うものとも認められない。
ウ 相違点3について
本件発明において,「下記式(1)から算出される周方向応力σの最大値と最小値の差Δσが2.94MPa以下」であり,式(1)が「σ=[E/(1-R²)]・t/2・(1/r1-1/r0) (1) E:引張弾性率 R:ポアソン比 t:肉厚 r0:切開前内半径 r1:切開後内半径」であることを特定したことによる技術的な意義は,日光等が照射された場合に生じる,応力緩和に基づく管の湾曲量を客観的に特定する点にあるものと認められる。
一方,無効理由2は「本件発明は,甲4発明に,甲5ないし甲6-1記載の事項,周知の技術,及び,技術常識を適用することで出願時当業者が容易に想到できたものである」という理由に基づくものであるが,甲5,甲6-1には共に黒色顔料に関する記載しかなく,「式(1)から算出される周方向応力σの最大値と最小値の差Δσ」から硬質塩化ビニル系樹脂管における変形を判断する点が記載されていないことは明らかであり,同様に,甲1ないし甲12,参考資料1ないし参考資料45(判決注:本件における甲15~59)に記載されているとも,これらの資料を参照しても技術常識とは認められない。
そうすると,甲4発明において,「式(1)から算出される周方向応力σの最大値と最小値の差Δσ」から硬質塩化ビニル系樹脂管における物性を特定することにより,相違点3に係る本件発明の構成とすることが,当業者にとって容易になし得たとはいえない。
(2) 無効理由4について
① 甲8(排下水専門委員会「下水用硬質塩化ビニル管の曲がりに関する検討報告書」平成4年5月)には,実質的に以下の発明(甲8発明)が記載されていることが認められる。
「顔料の変更によって曲がりを改善された塩ビ管であって,塩ビ管の曲がりに関する苦情は夏期に多いので,一番太陽光線の影響を受ける6月~8月に,各メーカーの塩ビ管がどの程度影響を受けるかを12週間の間での調査後の,現行灰色(カーボン有り)に比べ,灰色(カーボン無し)は3mm程度,淡青色(カーボン無し)は5mm程度曲がりが小さくなるので,顔料変更によって曲がりの改善が期待できる塩ビ管。」
② 本件発明と甲8発明の一致点と相違点は次のとおりである。
【一致点】
「顔料が添加された硬質塩化ビニル系樹脂管であって,真夏の日射量が存在する環境下に所定日間静置された後の,曲がりが小さい硬質塩化ビニル系樹脂管。」
【相違点1】
硬質塩化ビニル系樹脂管に添加された顔料に関し,本件発明では「顔料として有機系黒色」顔料であるのに対し,甲8発明ではそのような特定はなされない点。
【相違点2】
真夏の日射量が存在する環境下に所定日間静置する条件に関し,本件発明では「3500kcal/m²・日以上」の日射量が存在する環境下に「20」日間静置されたのに対し,甲8発明では一番太陽光線の影響を受ける6月~8月で12週間の間である点。
【相違点3】
硬質塩化ビニル系樹脂管の曲がりが小さい条件に関し,本件発明では「下記式(1)から算出される周方向応力σの最大値と最小値の差Δσが2.94MPa以下である」であり,式(1)が「σ=[E/(1-R²)]・t/2・(1/r1-1/r0) (1) E:引張弾性率 R:ポアソン比 t:肉厚 r0:切開前内半径 r1:切開後内半径」であるのに対し,甲8発明では現行灰色に比べ,灰色は3mm程度,淡青色は5mm程度曲がりが小さくなるので,顔料変更によって曲がりの改善が期待できる塩ビ管であるが,どのような条件とするのかは特定されていない点。
③ 以下の理由により,本件発明は,甲8発明,甲2ないし甲5,甲6-1記載の事項,原告らの提出した甲各号証・各参考資料に記載の事項,周知の技術,及び技術常識に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものとは認められない。
ア 相違点1について
原告らは,「甲8の4頁の「灰色(カーボン無し)」は,硬質塩化ビニルであって,黒色顔料を用いるものを開示している。赤外線吸収を防止するために,有機系顔料に想到することは容易である。」と主張するが,なぜ「黒色顔料を用いるものを開示している」ものであれば,「赤外線吸収を防止するために,有機系顔料に想到することは容易である」のか,明らかではない。日光等が照射された場合に生じる応力緩和に基づく硬質塩化ビニル系樹脂管の湾曲量を減少するために,有機系黒色顔料を使用することが周知技術であるといえれば,原告らが主張のようにいうこともできるといえるので,日光等が照射された場合に生じる応力緩和に基づく硬質塩化ビニル系樹脂管の湾曲量を減少するために,有機系黒色顔料を使用することが周知技術であるかどうかを検討するに,甲1ないし甲12,参考資料1ないし参考資料46に,日光等が照射された場合に生じる,応力緩和に基づく硬質塩化ビニル系樹脂管の湾曲量を減少するために,有機系黒色顔料を使用することが記載されているとは認められないことから,原告らの主張を採用することができない。
また,甲8の「灰色(カーボン無し)」の顔料がどのようなものであるのかは不明であり曲がりが減少する理由も不明であり,甲8において理解できるのは,ノーカーボンで明るい色の顔料を使用することにより曲がりが減少することのみといえ,仮に「管を灰色に着色することが標準」であったとしても,「明るい色」と反する「黒色」の有機系黒色顔料を使用する動機付けがない。さらに,甲8に「この管の湾曲は3mm程度であり,実用上問題ないレベルまで抑制できた」とあるように,曲がりを抑制するという課題を解決しているので,それ以上に工夫する必要があるとは認められない。してみると,甲8には,日光等が照射された場合に生じる,応力緩和に基づく硬質塩化ビニル系樹脂管の湾曲量を減少するために,有機系黒色顔料を使用する動機付けがない。
そうすると,有機系黒色顔料を採用する点が周知,もしくは,技術常識とはいえないし,さらに,動機付けがない以上,甲8発明において顔料として有機系黒色顔料を添加することにより,相違点1に係る本件発明の構成とすることが,当業者にとって容易になし得たとはいえない。
イ 相違点2について
本件発明において3500kcal/m²・日以上の日射量が存在する」環境下に「20日間」静置されたことによる技術的な意義は全文訂正明細書の段落【0006】の記載によれば,夏場の環境で試験することにあるものと解することができる。一般的な試験において,もっとも過酷な条件で試験することは技術常識であり,「3500kcal/m²・日以上の日射量が存在する環境下に20日間静置された後」の数値限定が当業者にとって格別なものとは認められない。
そうすると,甲8発明において,夏期高温時の環境下に静置する条件を具体的にどのようなものとするのかは,設計事項にすぎないといえることから,相違点2に係る本件発明の構成とすることも任意であり,また,そのために格別の技術的困難性が伴うものとも認められない。
ウ 相違点3について
前記「無効理由2」の【相違点3】についてと同じ。
(3) 無効理由5について
① 本件出願前に日本において,原告株式会社クボタ(原告クボタ)が,森定興商株式会社に対し公用物件1-1~11を,Bに対し公用物件1-12を,原告らの関連会社である日本プラスチック工業株式会社が,Bに対し公用物件1-13をそれぞれ製造販売することで公然実施した発明は,「顔料としてカーボンブラックが添加された硬質塩化ビニル系樹脂管」であると認められる。
② 本件発明と公用物件1の一致点と相違点は次のとおりである。
【一致点】
「顔料が添加された硬質塩化ビニル系樹脂管。」
【相違点1】
顔料に関し,本件発明では「顔料として有機系黒色」顔料であるのに対し,公用物件1に係る発明では顔料としてカーボンブラックである点。
【相違点2】
本件発明においては,「3500kcal/m²・日以上の日射量が存在する環境下に20日間静置された後の,下記式(1)から算出される周方向応力σの最大値と最小値の差Δσが2.94MPa以下である硬質塩化ビニル系樹脂管。σ=[E/(1-R²)]・t/2・(1/r1-1/r0) (1) E:引張弾性率 R:ポアソン比 t:肉厚 r0:切開前内半径 r1:切開後内半径。」であることを特定しているのに対し,公用物件1に係る発明においてはそのような特定がなされていない点。
③ 以下の理由により,本件発明は,公用物件1に係る発明,甲2ないし甲5,甲6-1記載の事項,甲各号証・各参考資料に記載の事項,周知の技術及び技術常識に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものとは認められない。
ア 相違点1について
本件出願前,塩ビ管の曲がりに関する日照による反りの苦情が夏期に多く,「灰色(カーボン有り)」にその傾向が顕著であることは当業界共通の認識であったとしても,公用物件1からはそのような課題は読み取れず,公用物件1において,顔料として有機系黒色顔料を使用するという動機付けが存在するとは認められない。また,本件出願前,塩ビ管の曲がりに関する日照による反りの苦情が夏期に多く,「灰色(カーボン有り)」にその傾向が顕著であることが当業界共通の認識であったとしても,甲1の記載(5頁右欄3~17行)に例示されるように「ノンカーボンの明るい青紫色の顔料を使用」することが技術常識であると解されることから,あえて,黒色とすることに阻害要因がある。さらに,日光等が照射された場合に生じる,応力緩和に基づく硬質塩化ビニル系樹脂管の湾曲量を減少するために,有機系黒色顔料を使用する点が周知の技術であるなら,そのような周知の技術を選択することが当業者にとって任意であるともいえなくもないが,無効理由4で検討したとおり,「日光等が照射された場合に生じる,応力緩和に基づく硬質塩化ビニル系樹脂管の湾曲量を減少するために,有機系黒色顔料を使用する」点が周知の技術であると認められないことから,有機系黒色顔料を添加することが任意であるともいえない。
したがって,公用物件1には,日光等が照射された場合に生じる応力緩和に基づく硬質塩化ビニル系樹脂管の湾曲量を減少するために,有機系黒色顔料を使用する点が周知の技術,もしくは,技術常識であるとも認められず,さらに,そのような構成を採用することの動機付けがないので,相違点に係る本件発明の構成を当業者が容易に想到することができたものとは認められない。
イ 相違点2について
無効理由4における【相違点2】及び【相違点3】のとおり,相違点2に係る本件発明の構成を当業者が容易に想到することができたものとは認められない。
(4) 無効理由6について
① 公用物件2(甲10-1-1〔VP50に係る「クボタビニルパイプカタログ」2001年<平成13年>3月印刷〕に示される「VP50」)に係る発明(公用物件2を原告クボタが本件出願前に日本国内において製造販売することで公然実施した発明)は,「顔料としてカーボンブラック含有量が約4%のD-14242が配合されたビニルパイプV50であって,3500kcal/m²・日以上の日射量が存在する環境下に20日間静置された後の,下記式(1)から算出される周方向応力σの最大値と最小値の差Δσが2.94MPa以下であるポリ塩化ビニルを配分したビニルパイプV50。σ=[E/(1-R²)]・t/2・(1/r1-1/r0) (1) E:引張弾性率 R:ポアソン比 t:肉厚 r0:切開前内半径 r1:切開後内半径」と認められる。
② 本件発明と公用物件2の一致点と相違点は次のとおりである。
【一致点】
「顔料が添加された硬質塩化ビニル系樹脂管であって,3500kcal/m²・日以上の日射量が存在する環境下に20日間静置された後の,下記式(1)から算出される周方向応力σの最大値と最小値の差Δσが2.94MPa以下である硬質塩化ビニル系樹脂管。
σ=[E/(1-R²)]・t/2・(1/r1-1/r0) (1) E:引張弾性率 R:ポアソン比 t:肉厚 r0:切開前内半径 r1:切開後内半径」
【相違点】
顔料に関し,本件発明では「顔料として有機系黒色」顔料を添加しているのに対し,公用物件2に係る発明では顔料としてカーボンブラックを添加している点。
③ 無効理由5における【相違点1】の判断と同様,公用物件2において,顔料として有機系黒色顔料を使用するという動機付けが存在するとは認められないし,有機系黒色顔料を添加することが任意であるといえない。したがって,上記相違点が当業者が容易に想到することができたものとは認められないから,本件発明は,公用物件2に係る発明,甲2ないし甲5,甲6-1記載の事項,原告らの提出にかかる甲各号証・各参考資料に記載の事項,周知の技術,及び技術常識に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものとは認められない。
(5) 無効理由9について
無効理由9は,「Δσが2.94MPa以下である」ことの技術的な意味が不明りょうであるとするものであるが,特許法36条6項1号は「特許を受けようとする発明が発明の詳細な説明に記載したものであること」というものであり,通常サポート要件に関するものと認められる。
サポート要件では,「出願時の技術常識に照らして,当業者が,請求項に係る発明の範囲まで発明の詳細な説明に開示された内容を拡張ないし一般化できる」かが検討されるが,本件の場合には,全文訂正明細書2の段落【0023】に,「周方向応力σの最大値と最小値の差Δσを2.94MPa以下」とする点が記載され,本件発明の「周方向応力σの最大値と最小値の差Δσを2.94MPa以下」と同じであることから,「請求項に係る発明の範囲を超えて発明の詳細な説明に開示された内容を拡張ないし一般化」したものではなく,請求項に特定されている発明特定事項は,発明の詳細な説明に記載されたものであるといえる。
(6) 無効理由10について
① 「比較例2と実施例7との対応」について
本件特許に係る訂正審判事件についての審決は平成22年4月26日にすでに確定しており,記載不備か否かの判断は全文訂正明細書によることであるので,原告らが主張する「比較例2と実施例7との対応」の問題はすでに解消しているといえる。
② 「公用物件1ないし3の実験結果」について
公用物件1は長期間保存されたものであり,残留応力が低下しているものであり,測定時が本件出願前でもないことから,長い年数が経過したため,管に,曲げ,変形が生じていた管を測定した可能性が高く,比較例2の試験の信頼性を検討する際の対象とすることができない。
公用物件2のΔσが2.94MPa以下であったとしても,比較例2の試験結果が疑わしいとまでいうことができないので,全文訂正明細書2には,比較例2としてカーボンブラックを含有させた場合にΔσが2.94以上となる試験結果が例示されているといえる。それに対し,有機系黒色顔料を使用した実施例1及び実施例2はΔσが2.94以下であるので,「太陽光等による湾曲が生じにくいか湾曲量の小さい硬質塩化ビニル系樹脂管を得る」との作用効果と整合しているといえる。したがって,原告らの「当業者において本件発明が明細書に記載された『太陽光等による湾曲が生じにくいか湾曲量の小さい硬質塩化ビニル系樹脂管を得る』との作用効果を奏するものか判断することが出来ず,本件発明に係る発明の詳細な説明の記載は当業者が同発明を実施出来る程度に明確かつ十分に記載したものということができない」という主張を採用することができない。
③ 「本件発明のパラメータを満たさない事例」について
本件発明で規定する20日間の間に3500kcal/m²・日未満の日射量の日が介在することは,何ら問題にはならない。本件発明は,実際の屋外環境における条件に基づいて,発明を規定しているため,曇りや雨の日などの日射量の少ない日が介在する場合があるが,3500kcal/m²・日以上の日射量の日が20日間あれば,反り量が実質上飽和することが経験上把握できている(段落【0006】)。よって,3500kcal/m²・日未満の日が介在しても,実質的に何ら問題ない。なお,仮に3500kcal/m²・日未満の曇りや雨の日が介在したことでΔσが若干大きくなる方向に作用し,本件特許発明の範囲外のものになる場合があったとしても,上記発明の規定によって,これを受け入れることが把握できるのである」といえることから,原告らの「実施の都度条件が異なる測定条件によって特定しようとする発明の外延は不明確」との主張を採用することができない。
また,原告らの提出した甲8の4頁(5)③において,「管台の上では,方向による曲がり量の差はみられない」と記載されていることから,請求人の「本件発明2は日射条件で特定しようとする発明であるにも関わらず,発明の詳細な説明には設置の方角さえも記載されていない」との主張を採用することができない。
さらに,原告らは,「当業者は本件発明2の外延に含まれる硬質塩化ビニル管をどのように製造すれば実施できるか(逆に,どのようにすれば本件発明2のパラメータを満たさないものが製造できるか),何ら把握することができない。」と主張するが,上記の「(イ)『公用物件1ないし4の実験結果』についての当審の判断」に記載したように,「比較例2の試験の信頼性が疑わしいとまではいえないので,全文訂正明細書2には,比較例2としてカーボンブラックを含有させた場合にΔσが2.94以上となる試験結果が例示されているといえる」ことから,全文訂正明細書2には,「どのようにすれば本件発明2のパラメータを満たさないものが製造できるか」も記載されているといえる。
第3原告ら主張の審決取消事由
1 取消事由1(無効理由2に係る相違点3の判断の誤り)
本件発明は,硬質塩化ビニル系樹脂管という物の発明を「有機系黒色顔料が添加された」ことを規定する構成Aと「(式1)で表される周方向応力σの最大値と最小値の差Δσを2.94MPa以下とした」ことを規定する構成Bによって特定した発明である。
審決は,「本件発明において,『下記式(1)から算出される周方向応力σの最大値と最小値の差Δσが2.94MPa以下」であり,式(1)がσ=[E/(1-R²)]・t/2・(1/r1-1/r0) (1) E:引張弾性率 R:ポアソン比 t:肉厚 r0:切開前内半径 r1:切開後内半径』であることを特定したことによる技術的な意義は,日光等が照射された場合に生じる,応力緩和に基づく管の湾曲量を客観的に特定する点にあるものと認められる。」と認定した上(43頁下2行~44頁15行),「甲第4号証記載の発明において,『式(1)から算出される周方向応力σの最大値と最小値の差Δσ』から硬質塩化ビニル系樹脂管における物性を特定することにより,相違点3に係る本件発明の構成とすることが,当業者にとって容易になし得たとはいえない」(47頁15行~18行)とした。
しかし,本件発明の課題として明細書に開示されているのは「太陽光等が照射されても湾曲し難たい又は湾曲量の小さい硬質塩化ビニル系樹脂管を提供すること」のみである(本件明細書の段落【0004】)。審決の上記の判断は,本件発明における「太陽光等が照射されても湾曲し難たい又は湾曲量の小さい硬質塩化ビニル系樹脂管を提供する」との発明の目的が「応力緩和に基づく管の湾曲」を指すと決めつけている点で,明細書,さらに技術常識からも根拠を導き得ない誤った判断である。
塩化ビニル系樹脂管を含むプラスチックパイプの技術分野において,残留歪みないし冷却歪み(円周方向の歪み)の評価項目としてパイプの周方向応力「σ」が周知(甲18~23)であった上,塩化ビニル系樹脂管の技術分野で特定の指標を評価する際,その最大値を最小値との差を評価の対象とすることは周知の手法であったことからすれば(甲43の段落【0027】,甲44の段落【0037】,甲45の【0103】~【0104】),いくつかの部位をサンプリングして「円周方向応力σ」の最大値と最小値を評価項目として考慮することは自明事項として周知技術(甲18~23)から容易に導き出せたものである。
そうすると,塩化ビニル系樹脂管の日照による湾曲の抑止という本件出願時において周知の課題(甲1の5頁「2.2.2」の3行~5行,甲2の1欄30行~40行,甲3の1欄11行~17行,甲4の2欄8行~17行,甲8の2頁「2.3(1)」参照)に基づき,その物性評価を行うに当たり,甲18~23により周知の「(式1)による周方向応力σ」をパラメータとし,当該管における周方向の最大値と最小値との差を取得することをもって湾曲の物性評価に供することは,周知の知見に基づき当業者が容易に想到できたことである。
2 取消事由2(無効理由4に係る一致点の認定の誤り)
(1) 甲8には,「管色による曲がり量(・・・)」「・現行灰色(カーボン有り)10.49mm,・灰色(カーボン無し) 7.50mm,・「淡青色(カーボン無し) 5.28mm 現行灰色(カーボン有り)に比べ,灰色(カーボン無し)は3mm程度,淡青色(カーボン無し)は5mm程度曲がりが小さくなる」との記載が存在する(4頁「(5)考察 ①」)。塩化ビニル系樹脂管に着色する色は使用環境に応じて適宜に変更するものであるから,「灰色」と「淡青色」の違いは当業者にとって格別な困難性を伴わずに変更が可能なものである。現に,甲49の段落【0021】の記載からすれば,本件出願前,塩化ビニル系樹脂管に種々の着色を行うことは好適材料の選択にすぎない当業者の通常の創作能力の発揮であった。そして,「灰色(カーボン無し)」は,「灰色(カーボン有り)」に比して,10.49mmから7.50mmへの湾曲量の減少を達成できているのであるから,「灰色(カーボン無し)」という塩ビ管が,「塩ビ管の曲がりに関する苦情は夏期に多いので,一番太陽光線の影響を受ける6~8月に,各メーカーの塩ビ管がどの程度影響を受けるかを調査」した上で(2頁「2.3.(1)」)適切な「湾曲しにくい塩ビ管」として得られたものである。
他方,管を含む塩化ビニル系樹脂組成物においては,「成形品は濃暗色系に着色されているため,日中に太陽光線によって成形品の表面温度が上昇し,成形品に熱変形が生じやすくなる」ことが周知の課題であり(例えば甲2の1欄29行~32行,甲1の5頁「2.2.2」の3行~5行,甲3の1欄11行~17行,甲4の2欄8行~17行,甲8の2頁「2.3(1)」参照),これが赤外線吸収性の高いカーボンブラックの添加に起因することも本件出願時に周知であった(甲3の3欄21行~30行,甲4の3欄37行~4欄2行,甲5の1頁右欄15行~19行,甲6-1)。この周知の課題の解決手段として「太陽光線による成形品の昇温を抑制するため,赤外線透過性(赤外線領域の波長を有する光波を透過させる性質)の優れた有機着色剤を使用した,赤外領域において30%以上の赤外線透過率を有する塩化ビニル系樹脂硬質成形品が提案されている」(例えば甲2の1欄36行~40行)ことも周知であった。
これらの甲8の記載と甲2等の周知技術の記載を併せて読めば,甲8において,太陽光線の影響を防止するためにメーカーが案出した「灰色(カーボン無し)」とは,太陽光線の赤外線透過性に優れた「有機着色剤」を添加したものであることは容易に理解できる。
審決は,「カーボンブラック以外で黒色顔料は『ただちに有機系黒色顔料とはならない。』といえるし,請求人も『カーボンブラックの代わりに有機系黒色顔料を配合した黒色の着色剤が用いられていると理解するのが技術常識』であるといえる根拠は何ら提出していない。したがって,『灰色(カーボン無し)』が『有機系顔料を配合した黒色の着色剤が用いられていると理解する』ことができないといわざるをえない」としたが(49頁2行~7行),かかる認定は,本件出願時におけるカーボンブラックを添加した塩化ビニル系樹脂管の問題点を有機系顔料によって克服した技術常識を見誤り,甲8に記載されているに等しい事項の認定を誤ったものである。
(2) 審決は,「請求人が提出した参考資料39(甲第53号証)の第57頁の『黒色顔料』の欄に,『カーボンブラック』以外で有機系顔料でないことが明らかな『鉄黒』が記載されているように,カーボンブラック以外で黒色顔料は『ただちに有機系黒色顔料とはならない。』といえる」とした(48頁下2行~49頁3行)。
しかし,鉄黒(酸化鉄系黒色顔料)はカーボンブラックと同様に赤外線を吸収する性質の顔料であり,このことは,特開平3-266685号公報(甲102)の記載(3頁左上欄13行~右上欄2行),特開2000-1058号公報(甲103)の段落【0011】にあるとおり,技術常識である。したがって,「塩ビ管の曲がりに関する苦情は夏期に多い」と記載された甲8の各暴露試験において(2頁「2.3(1) 」),「灰色(カーボン無し)」が「鉄黒」によって発色されたものと考えるのは,明らかに常識に反する。
なお,甲53の57頁において「鉄黒」は「塩化ビニル樹脂」に添加されるものではなく「ポリエステル樹脂」にのみ適応すると記載されていることを審決は見逃しているし,仮に「灰色(カーボン無し)」が「ただちに有機系黒色顔料とはならない」としても,少なくとも有機系黒色顔料とすることが甲5,6-1に基づき想到容易である点でも審決には誤りがある。
(3) 以上より,甲8に記載された「灰色(カーボン無し)」の塩ビ管が有機系顔料を配合した黒色の着色剤の添加品であることは明らかである。したがって,甲8発明と本件発明の一致点として単に「顔料」のみを認定し,「有機系顔料」(甲3,4,7の技術常識に基づく)あるいは本件発明の「有機系黒色顔料」(甲5,6-1の技術常識に基づき)の添加品であることを一致点としなかった審決の認定には誤りがある。
3 取消事由3(無効理由4に係る相違点1の判断の誤り)
審決は,「請求人は,日光等が照射された場合に生じる,応力緩和に基づく硬質塩化ビニル系樹脂管の湾曲量を減少するために,有機系黒色顔料を使用することが周知技術であるという根拠は示していない」(50頁16行~18行)として,本件明細書に開示のない「課題」(応力緩和に基づく硬質塩化ビニル系樹脂管の湾曲量の減少)解決のために有機系黒色顔料を添加することが周知技術でなければ相違点1が推考容易事項とはいえないとした。
しかし,本件明細書において有機系黒色顔料を適用するための観点として唯一開示されている事項は,「赤外線を吸収しにくいという観点」に尽きる(訂正明細書〔甲13〕段落【0021】)。したがって,相違点1についての判断は,「太陽光等が照射されても湾曲し難たい又は湾曲量の小さい」という課題への解決手段として,「赤外線を吸収しにくいという観点」から「有機系黒色顔料を使用すること」が容易に想到できたか,によるべきであった。上記判断の誤りは,本件発明の課題に関する誤った認定判断である。
また,「応力緩和説」に従ったとしても,「太陽光等が照射されても湾曲し難たい又は湾曲量の小さい硬質塩化ビニル系樹脂管を得る」という本件発明の課題(段落【0004】)とその起因である「赤外線吸収」という観点(段落【0021】)は,本件出願時に周知の課題を形成していたことである(甲2,4,5,6-1,8)。
したがって,課題を解決するための手段として同じく周知の「有機系黒色顔料」(あるいは有機顔料を配合して黒に調色した着色剤)を使用することは,応力緩和説の成否に関わらず当業者が容易に想到できたことである。
4 取消事由4(無効理由4に係る相違点3の判断の誤り)
審決は,「日光等が照射された場合に生じる,応力緩和に基づく管の湾曲量の定量化のために,『周方向応力σの最大値と最小値の差Δσ』を考慮する点が請求人が提出した甲第1号証ないし甲第12号証,参考資料1ないし参考資料45に記載されているとも,また,これらの資料を参照しても技術常識とは認められないことから,相違点3が当業者にとって容易になし得たとはいえない」とした(60頁9行~14行)。
しかし,管における歪みの物性評価の指標として本件発明における「周方向応力σ」を考慮することは本件出願時において周知の知見であり,周方向の歪みから湾曲量を知ることになるのは自明の事項である。また,硬質塩化ビニル系樹脂管の技術分野において,物性評価の方法として,当該管から周方向に数か所の部位をサンプリングして最大値と最小値の差を取る程度のことは,樹脂温度(甲43),偏肉(甲44),真円度(甲45)といった硬質塩化ビニル系樹脂管の各種特性について行われていた程度の当業者であれば容易に想到できた事項である。さらに,そもそも,審決の「日光等が照射された場合に生じる,応力緩和に基づく管の湾曲量の定量化のために,『周方向応力σの最大値と最小値の差Δσ』を考慮することが示唆されているとは認められない」との認定判断そのものが(45頁14行~16行),明細書になんら根拠を持たない審決独自の解釈に基づくものであることは前記のとおりである。
よって,審決の判断には誤りがある。
5 取消事由5(無効理由5に係る一致点認定の誤り)
原告らは,本件出願前に公然譲渡された硬質塩化ビニル系樹脂管である公用物件1(公用物件1-1~1-13)について,本件明細書段落【0035】,【0036】の記載に忠実に「周方向Δσ」を算出し,それが全て「2.94MPa以下」であるとの実験結果を得た。つまり,構成Bは本件出願時において公知の技術事項である。それにもかかわらず,審決は,公用物件1についての公然実施時とΔσの測定時における時間差を根拠に「大気暴露試験の結果が本件に係る出願の出願前に公然実施された発明における『Δσ』の値といえるためには,『Δσ』が変化するものではないことを請求人は証明することが必要である」(62頁7行~9行)として公用物件1に基づく「Δσ」の公然実施性を否定した。すなわち,審決は,原告らが,暴露試験当時と譲渡当時とにおいて「Δσ」が「変化しない」ことを証明することを要するとした。
しかし,構成Bは「Δσが2.94MPa以下」であることを規定したものであって,「2.94」その他の「不変の値」を発明特定事項としたものではない。公用物件1において「Δσが2.94MPa以下」であったことが認定できれば,構成B全体が新規性を喪失するのである。
また,硬質塩化ビニル系樹脂管は比較的安定で劣化が起こりにくいが,熱,紫外線,化学薬品,応力の影響により,性質,機能,特性の低下が起こる可能性があるとしても,公用物件1-1~1-11は,本件出願前の公然実施(原告クボタから森定興商株式会社への譲渡)時以来,屋内で保管されてきたものであるので,「熱,紫外線,化学薬品」による影響を受ける懸念も全く存在しない。JIS規格に定める性能(引張降伏強さ,耐圧性,偏平性,ビカット軟化温度)において,公用物件1-1,1-4,1-8~1-12については,何らの性能変化も認められなかった(甲38)。屋内で応力が掛からない状態にて保管された公用物件1がJISの規格値を充足し,異常値が一切現れていないことは,Δσに影響が出るような不均一な応力が,公用物件1の製造から保管を経て計測されるまでの間に何らかかっていなかったことを十分に推認させる。
本件出願前と大気暴露試験時とを較べて「Δσ」の値が「変化するものでない」ことについて原告らに証明責任を負わせた審決の判断は誤りであって,「技術的妥当性が認められる許容値」である「Δσが2.94MPa以下」であったことを推認させれば,公用物件1の構成B充足性については一応の証明が果たされたことになる。したがって,構成Bの非充足について,被告の間接反証責任が転換されると解釈されるべきだったのであるところ,かかる間接反証に被告は成功していない。よって,公用物件1は本件出願前の公然実施の時点で「Δσが2.94MPa以下」であるとの構成を満たしていたと認定されるべきであった。この点は本件発明と公用物件1との一致点と認定されなければならない事項であり,審決には,一致点認定に関し誤りがある。
6 取消事由6(無効理由5に係る相違点1の判断の誤り)
(1) 赤外線吸収率が高いカーボンブラックを添加しているために太陽光等の照射によって表面温度が上昇し,塩化ビニル系樹脂成形品の表面温度の上昇と変形(反り)をもたらすことは,本件出願時において周知の課題であった(甲1の5頁「2.2.2」の3行~5行,甲2の1欄30行~40行,甲3の1欄11行~17行,甲4の2欄8行~17行,甲8の2頁「2.3(1)」)。また,かかる周知の課題を解決するために,当業者は,赤外線吸収率の小さい有機系顔料を配合して黒色に調色した着色剤(甲2,4,8),あるいは,赤外線吸収率の小さい「有機系黒色顔料」(甲5,6-1)をカーボンブラックに替えて添加しようという課題解決手段も周知の知見としていた。そうすると,カーボンブラックが添加された公用物件1を市場投入していた当業者,あるいは,カーボンブラックが添加された硬質塩化ビニル系樹脂管に市場で接した当業者は,上記周知の課題及び周知の解決手段として「有機系黒色」顔料の添加に想到することは容易であったというべきである。そもそも,製造業界においてなされる発明は,市場に流通した既製品に対する苦情・要望などからその内在する不具合点(課題)を見つけ,それを解決すべくその改良を試みる開発行為から生じる場合が多い。本件出願前の公用物件に直接「課題の記載がない」などという現実を度外視した理由をもってあらゆる「動機付け」が否定されるとするならば,技術の累進月歩は文献発明のみからなされ,製造業界の既製品からの商品改良ひいては改良開発によってなされることはないと断じているに等しい。
(2) 審決は,「・・・仮に請求人が主張するように,『本件出願前,塩ビ管の曲がりに関する日照による反りの苦情が夏期に多く,『灰色(カーボン有り)』にその傾向が顕著であることは甲第8号証に記載のとおり当業界共通の認識であった』(注:原告らにて閉じ括弧追加)としても,甲第1号証の上記の記載に例示されるように『ノンカーボンの明るい青紫色の顔料を使用』することが技術常識であると解されることから,あえて,黒色とすることに阻害要因があるといわざるをえない」とした(64頁2行~8行)。
しかし,「青紫色」の性能がよかったからといって「黒色」とすることに阻害要因があるとする理由は存在しない。そもそも,公用物件1は,カーボンブラック(黒色顔料)を使用しているので,それを有機系の黒色顔料に代えたところで,そのことは「あえて,黒色」に変更したことにはならない。また,審決には顔料(着色剤)の色とできあがった管の色とを混同するという初歩的な事実誤認があるうえ,管の色を「淡青色」とするか「灰色(カーボン無し)」とするかはJIS規格(甲76)の取決めや,周囲の環境との整合性,ユーザーの要望といった技術的観点とは全く異なる人為的取決めによって決まる設計事項そのものである点を看過し,これを阻害する技術的要因がないことにも気づいておらず(甲3の1欄19行~2欄1行,甲4の2欄18行~21行,甲48,49参照),審決による「阻害要因」の認定は誤りである。
7 取消事由7(無効理由5に係る【相違点2】の判断の誤り)
取消事由5(公用物件1と本件発明の一致点の認定の誤り)と同じである。
8 取消事由8(無効理由6に係る【相違点】の判断の誤り)
審決は,公用物件2について,本件発明との間で構成Bを一致点と認定した上で(66頁4行~12行),無効理由5における公用物件1と本件発明との相違点の判断をそのまま援用し,「公用物件2において,顔料として有機系黒色顔料を使用するという動機付けが存在するとは認められない。そして,同様に,有機系黒色顔料を添加することが任意であるといえない。したがって,上記相違点が当業者が容易に想到することができたものとは認められない」と判断した(66頁27行~31行)。
しかし,引用発明が公用物件であるとの理由のみで,公用物件2を扱う当業者であれば周知の課題(カーボンブラックを用いているがゆえの夏期の太陽光等の照射時における変形)に対し,これを解決する周知の技術手段(赤外線透過性・反射率の高い有機系顔料を配合して黒色に調色した着色剤ないし有機系黒色顔料を使用すること)が動機づけられないとする根拠は,結局,「公用物件には文章言葉として課題が書いていない」という短絡的・非論理的思考に尽きる。この判断が誤りであることは,取消事由6と同じである。
9 取消事由9(無効理由9に係る判断の誤り)
(1) 本件発明は,「3500kcal/m²・日以上の日射量が存在する環境下に20日間静置された後の,下記式(1)から算出される周方向応力σの最大値と最小値の差Δσが2.94MPa以下であることを特徴とする硬質塩化ビニル系樹脂管。σ=[E/(1-R²)]・t/2・(1/r1-1/r0) (1) E:引張弾性率 R:ポアソン比 t:肉厚 r0:切開前内半径 r1:切開後内半径」なる事項を発明特定事項とする。一方,本件発明の解決すべき課題目的は,「太陽光等が照射されても湾曲し難たい又は湾曲量の小さい硬質塩化ビニル系樹脂管を提供すること」である(本件明細書の段落【0004】)。そうであれば,特許請求の範囲に記載された「周方向応力σの最大値と最小値の差Δσが2.94MPa以下であること」によって,なにゆえ「太陽光等が照射されても湾曲し難たい又は湾曲量の小さい硬質塩化ビニル系樹脂管を提供する」課題が解決できるのかが当業者において理解できる程度に発明の詳細な説明に記載がされていなければ,いわゆるサポート要件を欠くことになる。
しかし,本件明細書には,課題解決手段としての「Δσが2.94MPa以下」であることの技術的意義について開示はない。本件発明はサポート要件を欠いており,審決はこの点の判断を誤ったものである。
(2) 特許請求の範囲の記載が明細書のサポート要件に適合するか否かは,特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の記載とを対比し,特許請求の範囲に記載された発明が,発明の詳細な説明に記載された発明で,発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否か,また,その記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否かを検討して判断すべきものである(知財高裁平成17年11月11日大合議判決〔平成17年(行ケ)10042号〕)。しかし,本件においては,なにゆえ,「周方向応力σの最大値と最小値の差Δσを2.94MPa以下に」すれば本件発明の課題が解決できるのかの開示はないし,当該非開示を補うことのできる技術常識も存在しない。さらに,「Δσ」が「応力緩和に基づく管の湾曲量の定量化のため」に意義を有するならば(審決45頁14行~15行参照),「応力緩和」前(暴露前=湾曲前)と「応力緩和」後(曝露後=湾曲後)のデータをもって「湾曲量が定量化」されていなければならないが,硬質塩化ビニル系樹脂管の暴露前における周方向応力(σ)や最大値と最小値の差(Δσ)に関する開示は本件明細書中に一切認めることができない。そうすると,本件特許請求の範囲に「Δσが2.94MPa以下」であるとの発明特定事項が記載されているからといって,そのことにより「太陽光等が照射されても湾曲し難たい又は湾曲量の小さい硬質塩化ビニル系樹脂管を」得るという課題が解決できることが当業者に理解できるとはいえない。
10 取消事由10(無効理由10に係る判断の誤り)
(1) 実施可能要件違反
ア 所望のΔσを実現する管の製造方法が不明
本件は,本来,硬質塩化ビニル系樹脂管の物性評価の指標であるべき「Δσ」なる概念を物の発明の特定事項としてパラメータ化しているところ,物の発明の特定事項である以上,同じ物(同一のΔσを呈する物)が反復継続して製造できる程度にその製造方法(正確には評価方法といえよう)が開示されていなければならない。
ところが,本件明細書には,段落【0023】に僅かな開示が存在するのみである(段落【0023】)。
ところが,審決は,「公用物件2のΔσが2.94MPa以下であったとしても,比較例2の試験結果が疑わしいとまでいうことができない」などという(75頁7行~8行),原告らの問題提起(実施可能要件適合性に対する先行否認)に対する全く的外れの判断しか示していない。
イ 暴露条件の非一定性
当業者は製造時に確認できる物性は都度調整可能であるが,条件が一定しない曝露後の物性値まで製造時には調整不可能である。例えば,暴露日数が連続の場合と非連続の場合であるとか,日照量が(3500kcal/m²・日以上の日が20日間という唯一の限定要素を満たす限りにおいて)具体的にどの程度の総日照量であったかであるとか,Δσの評価(技術的範囲の属否の確認)の際の設置方法(方角)であるとかが違えば,Δσの値にさらに差異が生じることは想像に難くない。
ウ 時間要素(残留応力の経時変化)の考慮の欠如
審決は公用物件1の分析において「一般的に残留応力は時間の変化に応じて変わるものである」としたが(62頁11行~12行),そうであるならば,Δσが時間とともにどう変わるかを認識できなければ当業者はΔσの数値を再現できず,本件発明はやはり再現不能な発明といわざるを得ない。審決は,公用物件1のΔσが2.94MPa以下であった事実を否定した以上,本件発明の再現可能性についても否定すべきである。
エ 当業者に求められる試行錯誤
当業者は,製造時に確認できる物性であれば都度調整可能であるが,本件発明は,製造後,「3500kcal/m²・日以上の日射量が存在する環境下に20日間静置」という所定期間の曝露を経ねば本件発明の実施品であるか否かが分からないという特殊な発明である。それにもかかわらず,上記のとおり,本件明細書の開示をもってしては曝露後において所望のΔσ値(Δσが2.94MPa以下)の硬質塩化ビニル系樹脂管の製造方法が不明であり,曝露条件も一定しないのであるから,当業者は本件発明を実施する(あるいは本件発明を回避した物を実施する)上で,自ら製造した物の技術的範囲の属否を判定するために,場所・季節を選んで少なくとも20日以上の曝露試験を実施してみなければならないのであるから(しかも同じ物でも常に同じ値が得られないので,得られた数値の信頼性は低い),当業者にすれば期待しうる程度を超える試行錯誤が強いられることは明白である。
オ 以上のとおり,本件明細書の発明の詳細な説明の記載は,所望のΔσを呈する硬質塩化ビニル系樹脂管の製造方法の開示という観点からも,特性(Δσ)の評価に依る属否判断の不安定性という観点からも,当業者が本件発明を実施できるように明確かつ十分に開示したものでないとの問題提起に対し,審決は何ら実質的な判断を下していない。よって,審決には判断遺脱に類する誤りがある。
(2) 明確性要件違反
本件発明の構成B(Δσが2.9MPa以下)は,曝露条件や時間的要素によって特定性を欠く発明の外延が不明確なものである。
すなわち,「3500kcal/m²・日以上の日射量が存在する環境下に20日間静置」するという文言には,例えば「4000kcal/m²・日」が連続する20日間も,「3500kcal/m²・日」未満の日が多く含まれつつ所定日射量の日が20日となる期間のいずれも含まれる。「応力緩和」の程度(Δσ)が両者において異なることは特段の証拠を挙げなくても自明と思われ,「Δσ」による本件発明(硬質塩化ビニル系樹脂管という物の発明)の特定は不明確である。
また,時間的要素(保管状況)によって「Δσが2.94MPa以下」か否かの充足・非充足に影響が生ずるというのであれば,本件発明は,そのような時間的要素や保管状況を特定事項としなければ,物の発明としての特定性に欠くことになる。ある時点では本件発明の技術的範囲に属しなかった「同一の硬質塩化ビニル系樹脂管」が,「応力緩和の進行」によって,後の時点では本件発明の技術的範囲に属することになるというようなクレームであるとすれば,その法的不安定性,非合理性は明らかだからである。
第4被告の反論
1 取消事由1に対し
(1) 甲4発明においては,「晴天下の太陽光線に1時間」という短い時間におけるシート状物の表面温度の上昇と熱変形を評価しているところ,このことは,「シートのような薄いプラスチック成形品が,短期的かつ全体的な昇温により変形するのを防ぐことにあることを示している。他方,本件発明において防止しようとしている管の湾曲とは,日光に照らされている部分については応力緩和が進行し管が寸法収縮するが,日光に照らされていない部分については応力緩和があまり進行しないため,管の寸法収縮がほとんど起こらないことから生じる湾曲である。そうすると,甲4発明におけるシート状物のような薄いプラスチック成形品が短期的かつ全体的に昇温される場合の変形防止策は,本件発明とは本質的に異なるものであるから,甲4発明に開示される技術思想では管の変形を防止できない。よって,相違点3につき,技術思想の全く異なる甲4発明を端緒としては,当業者が容易になしうるというべき理由がない。さらに,相違点3,すなわち,管のΔσを2.94以下とする点はもちろんのこと,管の湾曲度合いをΔσによって規定することについてすら,原告らが挙げるいかなる文献についても何ら記載がされていない。したがって,審決が,相違点3について,当業者が容易に想到し得ないと判断した点に誤りはない。
(2) 原告らは,本件明細書に「応力緩和に基づく湾曲」という明示的な文言がないことを問題視し,構成Bの技術的意義が疑わしいと主張しているが,構成Bの技術的意義が応力緩和に基づく硬質塩化ビニル系樹脂管に生じる湾曲を抑制することにあることは,当業者であれば式(1)に基づにおいて理解できることであり,この意味からすると,本件明細書の段落段落【0002】,【0004】において言及されている管の湾曲の原因(メカニズム)として着目していたのは,当初から応力緩和の不均一性であったと合理的に理解できる。したがって,審決が「上記式(1)自体が,応力の式であり,かつ,Δσ自体が管の周方向応力の差であることからすると,日光等が照射された後の管の周方向応力が異なることに基づいて,構成Bが規定されているということは,当業者であれば理解できます。」(44頁10行~13行)としたことに誤りはない。
(3) 甲43~45には,塩化ビニル管の技術分野において,周方向応力の最大対と最小値の差を考慮して湾曲防止の指標とすることはおろか,周方向応力の最大値と最小値の差を考慮することすら記載されていない。すなわち,甲43には,押出成形によってパイプを製造した実施例において,円管流路周方向の樹脂温度の最大値と最小値の差を測定したこと,甲44には,管の肉厚を周方向に8点測定し,その最大値と最小値の差を偏肉値としたこと,甲45には,射出成形で整形した成形品の偏肉が解消された結果,圧縮した小口径側の成形品内径最大値と最小値の差で求めた真円度が向上したことがそれぞれ記載されているだけであり,これらの記載はそもそも残留応力とは無関係である。
2 取消事由2に対し
原告らは,甲8の記載と甲2等の周知技術の記載を併せて読めば,甲8において,太陽光線の影響を防止するためにメーカーが案出した「灰色(カーボン無し)」とは,太陽光線の赤外線透過性に優れた「有機着色剤」を添加したものであることは理解できると主張する。すなわち,赤外線吸収率の小さな有機系顔料(甲3,4,7)ないし有機系黒色顔料(甲5,6-1)を用いることが技術常識として存在したから,甲8における「カーボン有り」に対して湾曲が小さい「カーボン無し」とは,複数の有機顔料を混合して黒色を発色させた有機系顔料か,A-1103等のアゾ系の有機系黒色顔料以外にあり得ないと主張する。
しかし,本件出願時の当業者に知られていたカーボンブラック以外の顔料としては,例えば「鉄黒」があり(甲53),鉄黒は,塩化ビニル系樹脂成形品に添加する黒色顔料として,本件出願日の時点で知られていたものである(乙1~3)。例えば,乙1においては,屋外で使用される塩化ビニル系樹脂成形品に添加される黒色顔料として,カーボンブラックの他,チタンブラック,合成酸化鉄ブラックが知られていたことが記載されている。そうすると,当業者であっても,甲8に記載された「『カーボン無し』との記載のある塩化ビニル樹脂管」が,直ちに有機着色剤を添加したものを意味しているとは理解しない。
この点,原告らは,甲102及び甲103を提出し,「鉄黒」はカーボンブラックと同様に赤外線を吸収する性質の顔料であるから,審決の判断が誤りであると主張する。しかし,甲102及び甲103は,いずれも記録方法やレーザー熱転写記録材料という本件発明とは全く技術を異にする発明を開示するものでしかない。そして,これら文献には,記録方法やレーザー熱転写記録材料の発明において好適に用いられる黒色顔料に関して,単にカーボンブラックと並んで酸化鉄系黒色顔料(黒鉄)が挙げられているにすぎず,塩化ビニル系の樹脂に添加して用いられる黒色顔料に関する開示は全くない。むしろ,乙1によれば,合成酸化鉄ブラック(黒鉄とほぼ同じ)等は,屋外で使用される塩化ビニル系樹脂成形品に添加される黒色顔料として,本件出願日前に当業者に知られていた。また,乙4には,近赤外線反射顔料という本件出願前から発売されている無機顔料が,カーボンブラックよりも赤外線を吸収しにくい性質を有し,かつ,当該顔料が屋外に暴露される樹脂製品の着色に用いられることが明確に記載されている。
よって,甲8に記載された「『カーボン無し』との記載のある塩化ビニル樹脂管」が,有機着色剤を添加したものを意味していると断じることはできない。
3 取消事由3に対し
(1) 原告らの主張は,本件明細書に「応力緩和に基づく硬質塩化ビニル系樹脂管の湾曲量の減少」という明示的な文言が記載されていないことに基づくものと解されるが,構成Bの技術的意義が,応力緩和に基づく硬質塩化ビニル系樹脂管に生じる湾曲を抑制することにあること,及び,当業者であれば式(1)に基づいて当該技術的意義が理解できることは前記のとおりである。
(2) また,原告らは,「太陽光等が照射されても湾曲し難い又は湾曲量の小さい硬質塩化ビニル系樹脂を得る」という本件発明の課題(段落【0004】)と「赤外線吸収」という観点(段落【0021】)は,甲2,甲4,甲5あるいは甲6-1に開示されているから,相違点1は当業者が容易に想到しうるとも主張する。
しかし,甲2には,塩化ビニル系樹脂硬質成形品に係る発明であって,これらの成形品を屋外で用いると表面温度が急激に上昇し,熱変形を生じやすかったという課題を解決することを目的とした発明が記載されている(段落【0002】,【0004】)。甲2発明において,変形の要因として着目されているのは,「熱変形」,すなわち,日中に太陽光線によって成形品の表面温度が上昇した場合に生じる変形(段落【0002】)である。また,「従来の技術」の欄(段落【0002】)においては,上記硬質成形品の例として,外壁,屋根材,波板,雨樋,窓枠,管,シート材等の屋外建材が挙げられているが,実施例及び比較例において,実際に熱変形防止の効果を確認したのは,厚さ2mmの平板状の「押出シート」という薄い成形品であって,しかも,当該シートを赤外線ランプで30cmの距離から10分間照射した時に,凹凸が生じるか否かということが確認されているだけである(段落【0015】~【0017】)。しかも,甲2発明においては,もともと従来技術として,成形品の昇温を抑制するために赤外線透過性の優れた有機着色剤を用いることは知られていたが,このような着色剤を使用しても成形品の表面温度の急激な上昇を抑制できないことから,当該課題を解決するために,平均粒径が1.0μm以下という特定の粒径を有する炭酸カルシウムを1~30重量部配合させて,当該課題を解決しているということである。そうすると,これらの甲2の記載から合理的に理解できるのは,「甲2発明は,赤外線透過性の優れた有機着色剤を用いることでは解決のできなかった,厚みの薄い硬質成形品における表面温度の上昇に基づく『熱変形』を,特定の粒径を有する炭酸カルシウムの配合により解決した発明である」ということであるから,甲2発明の内容からは,「管の湾曲防止」に対する解決策など全く読み取ることができないし,「管の湾曲防止」が「有機系黒色顔料」の添加を必須として解決できることも到底読み取ることができない。
また,甲4発明の内容から「管の湾曲防止」に対する解決策を読み取ることがでず,しかも,「管の湾曲防止」が,「有機系黒色顔料」の添加を必須として解決できることも読み取ることができないことについては,前記のとおりである。
さらに,甲5は,特定のアゾ化合物を種々の担体材料に組み合わせて赤外線反射材料とすることが記載されているだけであって,当該担体材料の例示として「合成樹脂,その他ポリエチレン,ポリプロピレン,ポリスチレン,ポリ塩化ビニル,ポリカーボネート,ポリイミド,フェノール樹脂,尿素樹脂,メラミン樹脂等の熱可塑性樹脂あるいは熱硬化性樹脂」が開示され,かつ,これを着色して,フィルム,シートその他の各種着色成形品を得ることが記載されているにすぎない(4頁左上欄10行~16行)。甲6-1は,「クロモファインブラックA-1103」のカタログであり,その特性として,赤外線(熱線)を吸収しないことから温度の上昇が少なく熱遮へい性を示すこと,用途として「塗料・印刷インキ・捺染など,一般的な黒色顔料として幅広く使用することができ」ることが記載されているにすぎない。甲5あるいは甲6-1には,「硬質塩化ビニル系樹脂管」関する記載がなく,そうすると,相違点1が,甲5あるいは甲6-1の記載に基づいて,当業者が容易になしうるとはいえない。
甲8発明においては,管そのものの色に着目して,「灰色(カーボン無し)」と「淡青色(カーボン無し)」を比較し,より明るい色である「淡青色(カーボン無し)」のほうが,湾曲の抑制効果に優れているとしているだけであるから,このような甲8発明の内容からすると,「黒色顔料」の内容について何ら変更しようなどという動機付けは生じないはずである。よって,甲8発明を端緒としたならば,相違点1は当業者が容易に想到できることではない。
4 取消事由4に対し
取消事由1と同じである。
5 取消事由5に対し
原告らの主張する無効理由とは,本件出願日前に譲渡がされた有機系黒色顔料を含んでいない管(公用物件1-1~1-13)に基づく進歩性欠如である。よって,構成Bを満たしているというために原告らが立証すべきことは,「当該『出願日前』に製造・販売されていた公用物件1が有していたΔσの値が2.94MPa以下であること」であるが,公用物件1-1~1-13は,いずれも譲渡から約7年半~21年程度という長い期間にわたって,ぞんざいな取扱いの下に放置されてきた管であるから(甲9-3-1・2),そのような管を現段階において暴露試験に供してΔσの値を測定したからといって,その値をもって,当該「『出願日前』に製造・販売されていた公用物件1が有していたΔσ」を立証できたとはいえない。
なお,原告らは,JIS規格に定める性能(引張降伏強さ,耐圧性,偏平性,ビカット軟化温度)において,公用物件1-1,1-4,1-8~1-12について何らの性能変化も認められなかったから(甲38),公用物件1の本件出願日前のΔσの値が約7年半~21年の期間が経過した後も維持されていたかのような主張をする。
しかし,Δσは管の周方向の応力差であるから,別の物性等によってΔσの値が維持されていることを立証することが可能であるとすれば,当該物性は,少なくとも,経過期間において周方向に渡る物性の維持を推認させるような物性でなければならないはずであるが,原告らが試験した物性は,引張降伏強さ,耐圧性,偏平性,ビカット軟化温度であり,これらの物性はいずれも周方向渡る物性の維持を推認させるような物性ではない。
6 取消事由6に対し
原告らは,甲4,5,6-1に有機系顔料が赤外線を吸収しにくいとの点が記載されているから,公用物件1を本件発明のように有機系黒色顔料とすることは,当業者が容易に想到できたと主張する。
しかし,前記のとおり,甲4,5,6-1の内容からは,「管の湾曲防止」に対する解決策を読み取ることはできないし,「管の湾曲防止」が「有機系黒色顔料」の添加を必須として解決できることも読み取ることができない。
また,原告らは,審決が,甲1に「ノンカーボンの明るい青紫色の顔料を使用する」ことが記載されていることに基づいて,公用物件1に含ませる顔料を黒色にすることに阻害要因があるといわざるをえないと判断した点に関して,「青紫色」の性能がよかったからといって「黒色」とすることに阻害要因があるなどとする理由は存在しないと主張する。
しかし,甲1には,管の湾曲防止に関する技術的事項が記載されているが,ここでは,管の湾曲が線膨張に基づくものであるとの認識に基づいて(5頁左欄下から13行~11行),管の湾曲抑制のための顔料の変更を検討したことが記載されている。そして,カーボンの代わりに色の3原色であるマゼンダ,シアン,イエローの顔料を混合して黒色とし,これに白系顔料を添加して作成した灰色の顔料を用いて管を着色した場合においては,管の表面温度が60℃まで低下したものの,管は6mm程度湾曲して抑制が不十分であったのに対して,反射率の高い明るい色である青紫色の顔料を用いて管を着色した場合においては,管の表面温度が55℃まで低下し,管の湾曲も3mm程度に抑制できたことが記載されている。してみると,甲1から把握できることとは,管の線膨張に基づく湾曲の抑制に関しては,灰色の顔料を用いるよりも,反射率の高い明るい色の青紫色の顔料を用いたほうがよいということでしかないから,甲1からは,管そのものの色を呈する顔料として,線膨張に基づく湾曲の抑制のために「反射率が高い明るい色」を選択するという動機付けが生じるにすぎない。そうすると,公用物件1に含まれる顔料のうちの一部を「有機系黒色顔料」に変えることが,甲1に基づいて動機付けられるはずがない。
さらに,原告らは,審決が「公用物件1において,顔料として有機系黒色顔料を使用するという動機付けが存在するとは認められない」(63頁25行~26行)と判断した点に関して,出願前の公用物件を主引用例とする進歩性否定の論理付けを受け入れようとしないものであると主張する。
しかし,公用物件1-1~1-13は,それぞれ特定の用途を意識して,材料,サイズ,特性,色などが適切に組み合わされ,必然的に設計された管でしかない。そうすると,公用物件1-1~1-13について,その一部の要件を改変するべき理由はないのであるから,顔料として有機系黒色顔料を使用するという動機付けが否定されるとの審決の判断は正しい。
7 取消事由7に対し
取消事由5と同じである。
8 取消事由8に対し
審決は,本件発明と公用物件2の相違点に関しては,有機系黒色顔料の添加の点のみを相違点1として取り上げ,相違点1に関しては,当業者が容易になしうるものでないと判断し,公用物件2に基づく進歩性欠如は成り立たないと判断した。これに対し,原告らは,取消事由6を援用して主張しているところ,かかる主張が成り立たないことは前記のとおりである。
なお,審決は,公用物件2が構成B(Δσが2.94MPa以下の点)を満たしているとの前提に基づいて上記判断を行っている。しかし,実際には,公用物件2については,構成Bを満たすことは立証されていない。すなわち,物の再現に関してはその物の製造条件等に従った忠実な再現が求められるところ,原告らにおける再現実験の条件(甲39)は,本件出願日前に存在した公用物件2の製造条件を示すものではないし,再現実験に用いられた押出機(CMT-58)は実際に製造していた押出機(OSC-60)とは異なる上,バレル温度,スクリュー,フィーダ条件,樹脂温度,金型温度,引取速度等の製造条件が異なり,基準吐出量も不明であって,公用物件2が忠実に再現されているとはいえないから,このような作成条件の下で製造された管のΔσの値を測定したところで,公用物件2のΔσの値が立証されたとはいえない。
9 取消事由9に対し
本件発明における「σ=[E/(1-R²)]・t/2・(1/r1-1/r0) (1)」の式の意味や,異なる位置において1/4円弧を切り欠いたC字型サンプルを用いてΔσを算出することにより,残留応力の差に基づいた湾曲度を求める技術的意味は,当業者の技術常識を勘案すれば,当該規定そのものから直接理解しうるものであり,その技術的意義は,「応力緩和に基づく硬質塩化ビニル系樹脂管に生じる湾曲を抑制すること」であるから,Δσによる規定は,本件発明の解決すべき課題に直接対応したものである。つまり,本件発明において,上記(1)式を指標としたり,試験片として,1/4円弧を切り欠いたC字状試験片を用いてΔσの差を求めるたりすることは,一見すると特殊なパラメータのように見えるが,実際は,「管の湾曲度」を簡便かつ的確に求めるために,管の湾曲抑制という発明の解決すべき課題に直接対応させるべく設定された指標であって,発明の解決すべき課題や制御の目標となる物性とは無関係な性質やパラメータによって発明を特定したいわゆる「特殊パラメータ発明」とは一線を画している。Δσは上記のような技術的意味をもつものであるから,「2.94MPa以下」という数値限定は,許容できる湾曲度をσの値で特定したというだけのことである。この値は許容値であるから,もともと絶対的に決定できるような性質の数値ではなく,技術的妥当性(本件でいえば,管の湾曲が十分抑制されているという状態に対応している)があれば,許されるべきものである。本件発明におけるΔσは,管の湾曲抑制という発明の解決すべき課題に直接対応した物性であって,発明の解決すべき課題や制御の目標となる物性とは無関係な性質やパラメータによって発明を特定したものではなく,Δσが2.94MPa以下というのは,最低限満たすべき許容値でしかないから,このような値と実施例に記載された具体的値との関係において,サポート要件違反の議論など成り立つはずがない。
10 取消事由10に対し
(1) 原告らは,本件明細書の発明の詳細な説明は,有機系黒色顔料を含み,かつΔσの要件を満たす硬質塩化ビニル系樹脂管を当業者が作ることができるように記載されていなければならないとの要件を満たしていないかの如く主張する。しかし,原告らは,審判請求書(甲83)においては,このような理由に基づく特許法36条4項1号違反を主張していなかったのであるから,本訴訟においてこのような新たな主張を追加して,審決の瑕疵を争うことは許されない。
さらに,原告らは,当業者はΔσの数値を再現できないから,本件発明は再現不明な発明といわざるを得ないと主張している。しかし,原告らは審判請求書(甲83)においては,このような理由に基づく特許法36条4項1号違反を主張していなかったのであるから,本訴訟においてこのような新たな主張を追加して,審決の瑕疵を争うことは許されない。
(2) 暴露条件の非一定性の主張に対し
原告らは本件発明の暴露条件の非一定性について主張するが,係る主張は「発明の特定」の問題であって,実施可能要件の問題ではない。
また,原告らの主張は,本件発明の構成Bが,管の湾曲が残留応力の緩和に基づき生じることに基づいてされた規定であるという技術的意味を理解しない主張である。長時間日光に曝された場合に管が湾曲し,かつ,当該湾曲が残存するのは,成形時に付与された残留応力が日射側ではほとんど緩和してしまうのに対し,非日射側では緩和がほとんど進まないというメカニズムによる。ここで重要なのは,応力緩和が飽和するという点である。この限界があるからこそ,「3500kcal/m²・日以上の日射量が存在する環境下に20日間静置」という規定が意味をなすのである。すなわち,「3500kcal/m²・日以上の日射量が存在する環境下に20日間静置」という応力緩和が飽和する必要条件を規定しさえすれば,3500kcal/m²・日を超える日があってもかまわないし,また,3500kcal/m²・日を下回る日が介在されてもかまわないのである。この点は,本件明細書の段落【0006】において,「3500kcal/m²・日とは,夏場の日射量に相当し,実際の暴露試験で3~4週間で反り量は飽和するので,20日間としたものである。」と明確に説明されているとおりである。このように,構成Bの技術的意義を正しく理解したならば,構成Bの規定によって,本件発明が不明確になることはない。
(3) 時間要素(残留応力の経時変化)の考慮の欠如につき
原告らの主張は,そもそも,実施可能要件違反の主張ではなく,主張が可能であるとすれば,特許法36条6項2号(明確性違反)の問題である。
また,原告らの上記主張は,公用物件1に基づく進歩性欠如の無効理由が成り立たなかったことを理由とするが,公用物件1に基づく進歩性欠如の無効理由が成り立たなかったのは原告らが示したΔσの値が本件出願前に公用物件1が有していたΔσの値であると理解すべき合理的理由がなかったからであり,本件特許請求の範囲において保管方法や時間的要素が特定されていないことに基づくものではない。
(4) Δσを実現する管の製造方法が不明であるとの主張につき
本件明細書の段落【0007】~【0020】においては,本件発明にかかる塩化ビニル系樹脂管の製造に用いることのできる塩化ビニル系樹脂やその他の添加剤等の材料について詳細に説明がされている。また,本件発明においては,「有機系黒色顔料」を添加することが構成Aとして規定されているが,この「有機系黒色顔料」に関しては,「赤外線を吸収しにくいという観点から有機系の黒色顔料が好ましい」(段落【0021】)との記載がされていることから,本件発明の要件であるΔσが2.94MPa以下という物性,すなわち,太陽光等が照射されても湾曲し難たい又は湾曲量の小さいという性質を実現するための主たる解決手段であることも理解できる。そして,この添加量等に関しては,訂正明細書の実施例1,2を参酌し,当業者が適宜決定しうるものである。さらに,特許明細書の発明の詳細な説明には,上記Δσの値を2.94MPa以下にする方法としては,「例えば冷却水の水温を上げたりすることによる管の残留応力を低減させたり」することについても記載がされている(段落【0023】)。しかも,この点については,訂正明細書の実施例1,2において,冷却水の温度を50℃(実施例1),あるいは40℃(実施例2)とした例が記載されている。そうすると,本件発明に係る塩化ビニル系樹脂管を製造(実施)しようとする当業者であれば,明細書の段落【0023】に記載された「冷却水の水温を上げたり」とは,40~50℃近辺の温度を意味すると理解し,有機系黒色顔料の添加のみよってΔσの値を2.94MPa以下にすることができない場合には,さらに,冷却水の水温を上げて製造を行うことにより,過度な試行錯誤をすることなく本件発明に係る塩化ビニル系樹脂管を得ることができることは明らかである。よって,本件明細書の発明の詳細な説明の記載に関し,特許法36条4項1号に係る不備はない。
(5) 明確性違反の主張につき
前記(3)のとおりである。
なお,「4000kcal/m²・日」が20日間連続したり,「3500kcal/m²・日」未満の日が計測中に多く含まれることによって,仮にΔσの値が多少大きくなることがあったとしても,このことをもって,特許法36条6項2号違反になるということにはならない。なぜなら,特許法36条6項2号違反となるか否かは,「特許請求の範囲の記載だけではなく,願書に添付した明細書の記載及び図面を考慮し,また,当業者の出願当時における技術的常識を基礎として,特許請求の範囲の記載が,第三者に不測の不利益を及ぼすほどに不明確であるか否かという観点から判断されるべき」との判断基準をもって判断すべきであるところ,Δσの値が多少大きくなることがあったとしても(ただし,この値は応力緩和の飽和を考えれば僅かである),Δσが大きくなるということは,Δσの値が「2.94MPa以下」であることを規定する本件発明においては,本件発明の範囲に含まれるかもしれない物を,その範囲外のものにしてしまう可能性があるというにすぎない。そうすると,「特許請求の範囲の記載が,第三者に不測の不利益を及ぼすほどに不明確」ということはできないからである。
第5当裁判所の判断
取消事由1(無効理由2に係る相違点3の判断の誤り)について判断する。
1 本件発明の意義
(1) 本件発明は,特許請求の範囲において,「硬質塩化ビニル系樹脂管」という「物」に関するものであり,この「物」は,「顔料として有機系黒色顔料が添加された塩化ビニル系樹脂」という材料から製造されたものであること(構成A),及び「3500kcal/m²・日以上の日射量が存在する環境下に20日間静置された後の,下記式(1)から算出される周方向応力σの最大値と最小値の差Δσ σ=[E/(1-R²)]・t/2・(1/r1-1/r0) (1) E:引張弾性率 R:ポアソン比 t:肉厚 r0:切開前内半径 r1:切開後内半径」という特定の評価方法によって,評価結果Δσが2.94MPa以下という数値を充足すること(構成B)が特定されている。すなわち,「物」の製造材料の構成Aと,特定の評価方法による評価結果の構成Bから特定されるものである。
(2) 訂正明細書(乙15)の記載によれば,本件発明は,硬質塩化ビニル樹脂管に関するものであり(段落【0001】),太陽光等が照射されても湾曲し難い又は湾曲量の小さい硬質塩化ビニル樹脂管を提供することを目的とするものであって(段落【0004】),その解決手段として顔料として有機系黒色顔料を用いることとしたものであることが認められる(段落【0005】)。構成Bの技術的意義については,訂正明細書に明示的な記載はないものの,そこにおける式(1)が応力の式であり,Δσが周方向応力の差であるから,日光等が照射された後の周方向応力が異なることに基づいて規定されているものと理解できること,被告が,準備書面で,「本件発明において,(1)式を指標としたり,試験片として,1/4円弧を切り欠いた,C字状試験片を用いてΔσの差を求めたりすることは,一見すると特殊なパラメータのように見えるが,実際は,『管の湾曲度』を簡便かつ的確に求めるために,管の湾曲抑制という発明の解決すべき課題に直接対応させるべく設定された指標であって,発明の解決すべき課題や制御の目標となる物性とは無関係な性質やパラメータによって発明を特定した,いわゆる「特殊パラメータ発明」などとは一線を画しているのである。Δσは上記したような技術的意味をもつものであるから,『2.94MPa以下』という数値限定は,許容できる湾曲度をσの値で特定したというだけのことである。この値は許容値であるから,もともと絶対的に決定できるような性質の数値ではなく,技術的妥当性(本件で言えば,管の湾曲が十分抑制されているという状態に対応している)があれば,許されるべきものである。」(平成23年9月9日付第1準備書面53頁2行~14行)と主張していることからすると,日光等が照射された場合に生じた応力緩和に基づく管の湾曲量を客観的に特定した上,顔料として有機系黒色顔料が添加された硬質塩化ビニル樹脂管のうち許容できるものをσの値で特定したものということができる。
2 審決は,本件発明と甲4発明との間の相違点3は容易想到でないと判断した(60頁)。しかしながら,この判断は誤りであり,その理由は次のとおりである。
なお,以下の判断の前提事実として,無効理由5,6で主張された公用物件についても触れるが,無効理由2を裏付ける補強事実として認定するものである。
(1) 証拠(甲9の4-1~13)によれば,平成22年1月15日~3月11日の間,公用物件1を,3500kcal/m²・日以上の日射量が存在する環境下に20日間静置された後の構成Bにおける式(1)から算出される周方向応力σの最大値と最小値の差Δσは2.94MPa以下であったことが認められる。
この点,審決は,「・・・公用物件1は『本件に係る出願の実際の出願日前に製造された』ものといえるが,『2010年1月15日~2010年3月11日の間において大気暴露試験を行』ったものであることは明らかであり,その大気暴露試験の結果が本件に係る出願の出願前に公然実施された発明における『Δσ』の値であるといえるためには,『Δσ』の値が変化するものではないことを請求人は証明することが必要であるといえるが,請求人が提出した第1回口頭審理陳述要領書ないし第3回口頭審理陳述要領書には『Δσ』の値が変化するものではないとの説明もないし,一般的に残留応力は時間の変化に応じて変わるものであることは技術常識といえるものである。」として,公用物件1に係る硬質塩化ビニルパイプが本件に係る出願日前に式(1)で規定される特性を有していたとは認定できないとした(62頁4行~23行)。
しかし,硬質塩化ビニル系樹脂管は比較的安定で劣化が起こりにくいが,熱,紫外線,化学薬品,応力の影響により,性質,機能,特性の低下が起こる可能性があり(甲27,33,47,71,105,弁論の全趣旨),また,公用物件1の保管方法が推奨されている千鳥積み等ではなく敷物として利用されていたり,物置内に放置されていたりしたものであったとしても,森定興商株式会社大阪支店の屋内の資材置場又はB宅内の物置において保管されていたものであって,塩化ビニル樹脂に大きな影響を及ぼす日射のほか,熱,紫外線,化学薬品による影響を受けた形跡はない上(甲9の1,9の3-1・2),暴露試験時において公用物件1-1・4・8~12がJIS規格に定められた性能(引張降伏強さ,耐圧性,偏平性,ビカット軟化温度)を満たす状態であったということができるし(甲38),かつ,時間の経過や推奨された方法ではない保管方法により応力緩和が進みΔσの値が大きくなることはあっても小さくなるとは考えがたい。そうすると,平成22年1月15日~同年3月11日の間,公用物件1を,3500kcal/m²・日以上の日射量が存在する環境下に20日間静置された後の式(1)から算出される周方向応力σの最大値と最小値の差Δσは2.94MPa以下であったことからは,本件出願前において,公用物件1は相違点である構成BのΔσの値を満たすものであったと推認するのが相当である。
(2) また,証拠(甲10の3-1)によれば,公用物件2は相違点である構成BのΔσの値を満たすものであると推認することができる。
この点,被告は,原告らにおける公用物件2の再現実験の条件(甲39)は,本件出願日前に存在した公用物件2の製造条件を示すものではないと主張する。
しかし,本件出願前から使用されていた押出機を使用していることや,従来技術と考えられる水による冷却を行っていること(甲109)などからすると,再現実験は概ね本件出願日前に存在した公用物件2の製造条件を守って行われたと認めるのが相当である。そうすると,本件出願時において,構成BのΔσの値を満たす硬質塩化ビニル樹脂管(黒色の顔料としてカーボンブラックが使用されたもの)は存在していたと認めるのが相当である。
加えて,公用物件2の再現実験が本件出願前の製造条件等を完全に再現したものではないとしても,証拠(甲10の3-1)によれば,少なくともカーボンブラックを黒色顔料として添加した硬質塩化ビニル樹脂管で本件発明の構成Bを満たすものが本件出願時に存在したことは推認することができる。
(3) 審決(43頁)が判断するとおり,相違点1に関し,「シート状物」(甲4発明)から「管」を想到すること,すなわち「顔料として有機系黒色顔料が添加された硬質塩化ビニル系樹脂からなる管」であって,「夏期高温時の環境下に20日間以上放置された後の,変形が防止される,硬質塩化ビニル系樹脂からなる管」を想到することは容易である。そして,前記のとおり,カーボンブラックよりも有機黒色顔料の方が赤外線透過性に優れており,有機黒色顔料が添加された成形体の方が,カーボンブラックが添加された成形体よりも太陽光線による温度上昇が少なく,残留歪の復元に起因する変形が少ないのであるから(甲3第3欄),赤外線透過性に優れる有機顔料を含有するものである甲4発明から容易に想到される「顔料として有機黒色顔料が添加された硬質塩化ビニル系樹脂からなる管」であって「夏期高温時の環境下に20日間以上放置された後の,変形が防止される,硬質塩化ビニル系樹脂からなる管」が構成B,すなわち「3500kcal/m²・日以上の日射量が存在する環境下に20日間静置された後の,下記式(1)から算出される周方向応力σの最大値と最小値の差Δσは2.94MPa以下」を含むものであることは,当業者にとって明らかである。本件発明における構成Bは「3500kcal/m²・日以上の日射量が存在する環境下に20日間静置された後の,下記式(1)から算出される周方向応力σの最大値と最小値の差Δσは2.94MPa以下」であるが,上記認定事実からすれば,本件出願日当時そのような構成が公用となっていた上,被告の主張によれば,「2.94MPa以下」という数値限定は許容できる湾曲度をσの値で特定しただけのことであり,そこに格別の意義があることの説明がない以上,その構成をもって新規性及び進歩性を判断するのは相当ではない。
(4) 甲4は被告の出願に係るものであり,そこに記載された発明につき付言するに,原告らが,審判において,甲4につき「黄色,赤色,青白の色調系列の有機系顔料を配合して黒色に調色した着色剤。カーボンブラックに対し赤外線透過性を向上させるという機能作用を開示。樹脂「管」の開示もあり。」との主張をしているのにつき(平成23年2月8日付口頭審理陳述要領書〔甲88〕の20頁),甲4には以下の記載がある。
「・ 特許請求の範囲
1 塩素含有樹脂と,赤外線透過性がすぐれた有機着色剤と,金属酸化物又は金属硫化物にニッケルの錯化合物が加えられてなる該有機着色剤の紫外線安定化剤からなることを特徴とする塩素含有樹脂組成物。
2 塩素含有樹脂が,塩化ビニル系樹脂である,特許請求の範囲第1項記載の塩素含有樹脂組成物。
・ 発明の詳細な説明
本発明は塩素含有樹脂組成物に関する。
従来から,塩化ビニル系樹脂,塩化ビニリデン系樹脂等の塩素含有樹脂を成分とする組成物から種々の成形品が得られており,かゝる成形品は例えば,外壁,屋根材,波板,雨樋,管,シート材等の建材用途とか,自動車用窓枠,前面板等の用途に広く使用されているが・・・(1頁2欄8行~13行)。
・ 赤外線透過性がすぐれた有機着色剤としては,例えば油溶性染料,キノン系顔料,アゾ系顔料,フタロシアニン系顔料等の中からかゝかる特性を有するものを選択することができる。(2頁4欄21行~24行)
・ 実施例1
塩化ビニル系樹脂(重合度P=1100)100重量部当り,赤外線透過性が夫々60%以上の油溶性青色顔料0.3重量部,油溶性黄色顔料0.3重量部,油溶性赤色顔料(C.I.ソルベントレツド27)0.1重量部を混合し黒色に調色したもの,及び前記着色剤の紫外線安定剤である酸化亜鉛0.5重量部,ニツケルビス(ジ-n-ブチルジチオカルバメート)0.5重量部,塩化ビニル系樹脂の熱安定剤であるステアリン酸カルシウム0.5重量部,ステアリン酸亜鉛0.5重量部,ジペンタエリスリトールとそのアセテートエステルの混合物0.7重量部,珪酸二石灰1.0重量部からなる組成物を200℃で5分間ロール混練し,シート状物を成形した。次いでこのシート状物を190℃の熱プレス機にかけ100kg/cm²の圧力下に5分間をかけて厚さ1.5mmのシート状物を成形した。」
そして,管は樹脂組成物の典型例であること,実施例において黒色に調色された有機系顔料が添加されていることからすれば,甲4には,「顔料として有機系黒色顔料が添加された硬質塩化ビニル系樹脂管」が記載されていることも認めることができる。
なお,被告は,準備書面において,本件発明と甲4発明の一致点と相違点につき,「着色剤が添加された硬質塩化ビニル系樹脂成形品であって,変形を生じにくいもの」である点においては共通し,「本件発明においては,管に対して顔料として有機系黒色顔料を添加するのに対し,甲4発明においては,この点については記載されていない点。」と「本件発明においては成形品が管であり,3500kcal/m²・日以上の日射量が存在する環境下に20日間静置された後の,「σ=[E/(1-R²)]・t/2・(1/r1-1/r0) (1) E:引張弾性率 R:ポアソン比 t:肉厚 r0:切開前内半径 r1:切開後内半径」の式により算出される周方向応力σの最大値と最小値の差Δσが2.94MPa以下であるのに対し,甲4発明においては,この点について記載がない点。」を相違点とすべきであると主張する(平成23年9月9日付第1準備書面16頁18行~17頁8行)。しかし,甲4の特許請求の範囲1の「赤外線透過性がすぐれた有機着色剤」にはその文言からしても,また実施例に黒色に調色された有機系顔料が記載されていることからしても,「黒色」の「有機着色剤」も含まれると解されるし(言い換えれば,「黒色」が除かれているとは解されない。),特許請求の範囲2の「組成物」には成形品の典型例である管も当然含まれると解される。また,被告は,発明の効果が実際に検証されているのは「シート状物」であると主張するが(前記被告準備書面16頁),頒布された刊行物に記載された発明を認定するにあたって,その効果が検証されていることは必ずしも必要ではないと解される。
3 上記1,2で認定した事実関係を踏まえると,相違点3に係る構成Bを容易想到でないとした審決の判断は,その前提となる事実の誤認に基づくものであって,是認することができない。
第6結論
以上より,審決は,無効理由2の判断に誤りがあり取消しを免れないから,原告ら主張のその余の点を判断するまでもなく,原告らの請求を認容することとして,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 塩月秀平 裁判官 真辺朋子 裁判官 田邉実)