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知財高等裁判所 平成23年(行ケ)10198号 判決 2012年6月26日

原告

フェリングベスローテン

フェンノートシャップ

訴訟代理人弁護士

熊倉禎男

吉田和彦

相良由里子

訴訟代理人弁理士

箱田篤

山崎一夫

被告

特許庁長官

指定代理人

前田佳与子

川上美秀

瀬良聡機

芦葉松美

主文

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

3  この判決に対する上告及び上告受理の申立てのための付加期間を30日と定める。

事実及び理由

第1請求

特許庁が不服2008-30442号事件について平成23年2月8日にした審決を取り消す。

第2当事者間に争いのない事実

1  特許庁における手続の経緯

原告は,発明の名称を「デスモプレシンの口腔内分散性医薬製剤」とする発明について,2003年5月7日(パリ条約による優先権主張外国庁受理2002年5月7日 英国,同年9月20日 国際事務局)を国際出願日とする出願をした(以下「本願」という。)が,平成20年8月22日付けで拒絶査定を受けた。これに対し,原告は,平成20年12月1日,上記拒絶査定に対する不服審判の請求をし(不服2008-30442号),同日付けで願書に添付した明細書について手続補正書を提出した。しかし,平成22年5月12日付けで補正却下の決定がされるとともに,拒絶理由通知がされたため,原告は,同年11月17日,意見書及び手続補正書を提出した(以下,同手続補正書による補正を「本件補正」といい,本件補正後の明細書を「本願明細書」という。)。

特許庁は,平成23年2月8日,「本件審判の請求は,成り立たない。」との審決(以下,単に「審決」という。)をし(付加期間90日),その謄本は同月24日に原告に送達された。

2  特許請求の範囲の記載

本件補正後の特許請求の範囲(請求項の数20)の請求項1の記載は,次のとおりである(以下,同請求項に記載された発明を「本願発明」という。)

「【請求項1】デスモプレシン酢酸塩とゼラチンとマンニトールとを含み,口腔内で10秒以内に崩壊し,口腔粘膜からデスモプレシン酢酸塩を吸収するための口腔内分散性医薬製剤。」

3  審決の理由

(1)  審決の理由は,別紙審決書写しのとおりである。

要するに,審決は,本願発明は,国際公開第00/61117号(以下「引用例1」といい,引用例1に記載された発明を「引用発明」という。),特開平5-148154号公報に記載された事項及び周知技術に基づいて容易に発明をすることができたものであるから,特許法29条2項により特許を受けることができない,とするものである。

(2)  審決は,上記結論を導くに当たり,引用発明,同発明と本願発明との一致点及び相違点を次のとおり認定した。

ア 引用発明

「ペプチド活性成分と魚類ゼラチンとマンニトールとを含み,口腔内で10秒以内に崩壊する,経口投与のために設計され,口腔内で活性成分をすばやく放出する,急速分散型投与形態の薬理学的組成物。」

イ 一致点

「ペプチド活性成分とゼラチンとマンニトールとを含み,口腔内で10秒以内に崩壊する,口腔内分散性医薬製剤」

ウ 相違点

(ア) 相違点1

本願発明では,ペプチド活性成分が,「デスモプレシン酢酸塩」と特定されているのに対して,引用発明ではそのような特定がされていない点。

(イ) 相違点2

本願発明では,口腔内分散性医薬製剤が,「口腔粘膜からデスモプレシン酢酸塩を吸収するための」ものであるのに対して,引用発明ではそのような特定がされていない点。

第3当事者の主張

1  取消事由に係る原告の主張

(1)  取消事由1(相違点1に係る容易想到性判断の誤り)

審決は,相違点1について,ペプチド活性成分を採用することができる引用発明に係る口腔内分散性医薬製剤において,引用例2で口腔内投与用速溶性製剤の有効成分の1つとして記載されているデスモプレシンを酢酸塩のものとして採用することは容易であったと認定,判断する。

しかし,上記審決の認定,判断には,以下のとおり,誤りがある。すなわち,

ア 引用例1には,引用発明において,本願発明の活性成分であるデスモプレシンを選択することを示唆する記載は一切なく,その上位概念であるペプチドすら,47種類の薬剤の中の一例にすぎず,実施例で取り上げられているわけでもない。

したがって,引用例1の記載から,引用発明に引用例2に記載されたデスモプレシンを組み合わせて本願発明に想到することは容易でない。

イ 引用発明と引用例2記載の技術事項とは,課題に共通性がなく,これを組み合わせる動機付けがない。すなわち,引用発明の課題は,急速分散型投与形態の薬剤において,風味の問題がなく,かつ,より素早く活性成分を放出するというものである。他方,引用例2記載の発明は,ポリペプチドが経口投与において有効に吸収されないという課題を解決するための発明であり,吸収促進剤として有機酸とショ糖脂肪酸エステルを組み合わせて用いることにより,ポリペプチドの経口投与又は口腔内投与を可能としたものである。上記のとおり,引用発明は,口腔内で薬剤から活性成分が放出される段階に着目し,活性成分をいかに早く放出するかを課題としているのに対し,引用例2記載の発明は,口腔内で放出された活性成分が体内に吸収される段階に着目し,口腔内投与で吸収され難いポリペプチドをいかに吸収するか(どのような吸収促進剤が有効か)を課題としており,解決すべき課題を異にしており,これらを組み合わせる動機付けがない。

ウ 口腔内投与用速溶性製剤は,製剤が口腔内で急速(10秒以内)に分散されるため,放出された活性成分は口腔内に長く留まることができず,活性成分の性質によっては,口腔粘膜から吸収され難いところ,本願優先権主張日前において,デスモプレシンのようなペプチドは,分子量が1000を超える高分子物質であり,かつ親水性であるため,口腔粘膜から短時間で吸収されることはないと考えるのが技術常識であった。このことは,甲9,18からも裏付けられている。なお,乙1には,デスモプレシン酢酸塩についての実験結果が提示されていないこと,乙2は,極めて特殊な条件下で,通常の舌下投与とはいえない一症例が記載されているにすぎないこと,乙4には,経鼻投与と同等の効果を得るために,舌下投与においては多くの薬剤が必要となることが開示されているにすぎないこと,乙1,3,4は,舌の下で長い時間をかけて溶かす従来型の舌下剤が開示されているにすぎないことなどからすれば,乙1ないし4の記載から,本願優先権主張日前において,分子量が1000を超える親水性のペプチドであるデスモプレシンが,口腔粘膜経由で鼻腔粘膜経由と同程度に吸収されることが技術常識であったということはできない。

したがって,引用例1に,デスモプレシンの上位概念であるペプチドが記載されていたとしても,引用例2に記載された,分子量の大きい親水性のペプチドであるデスモプレシンを採用することに想到することは容易ではない。

エ 引用例2には,吸収促進剤の構成要素となる有機酸が19種類,ショ糖脂肪酸エステルが6種類開示され,生理学的に活性可能なポリペプチドが27種類開示されているところ,審決は,引用例2に記載された発明から吸収促進剤を除いてデスモプレシンのみを取り出し,引用発明と組み合わせており,失当である。

オ 以上のとおり,引用発明に引用例2の技術事項を組み合わせて相違点1に係る構成に至ることが容易であったとはいえない。

(2)  取消事由2(相違点2に係る容易想到性判断の誤り)

審決は,引用例1には,舌下剤等として口腔粘膜から吸収させて使用することが一般的に知られている硝酸塩や抗狭心症薬(その具体的な化合物が三硝酸グリセリル(ニトログリセリン)である。)も有効成分として記載されていることから,引用発明は口腔粘膜から有効成分を吸収させる目的でも使用できるものと理解できる上,引用発明の急速分散型投与形態により口腔内で活性成分がすばやく放出され,それが胃腸管等へ直ちに移行されない限りは,有効成分の吸収が口腔粘膜においてなされることになることは明らかであるから,相違点2は実質的な相違点とはいえないと,認定,判断する。

しかし,審決の上記認定,判断には,以下のとおり,誤りがある。すなわち,

ア 三硝酸グリセリル(ニトログリセリン)は,分子量が極めて小さく,かつ疎水性化合物であるから,極めて短時間で口腔粘膜から吸収される性質を有している上,抗狭心症薬の薬効として,活性成分が素早く体内に吸収されなければならないのであって,これをもって,親水性の高分子化合物であるデスモプレシンが口腔粘膜から直ちに吸収されることが自明であったとはいえない。

イ 本願優先権主張日前においては,デスモプレシンのようなペプチドは,分子量が1000を超える高分子物質であり,かつ親水性であるため,口腔粘膜から短時間で吸収されることはないと考えるのが技術常識であった。また,本願優先権主張日前においては,舌下錠あるいは口腔錠から放出された薬物が口腔粘膜から効率よく吸収されるためには,ゆっくりとした崩壊,放出が望まれるとするのが技術常識であり,本願優先権主張日前に存在したデスモプレシンの舌下錠は,長時間,舌下に薬剤を留めておくことにより,時間をかけて口腔粘膜から吸収させるというものであった。かかる技術常識の下では,デスモプレシンを口腔粘膜から吸収するための製剤とすることが自明であったとはえいない。

なお,本願発明に係る特許請求の範囲の「口腔粘膜からデスモプレシン酢酸塩を吸収するための」との記載は,口腔粘膜からデスモプレシン酢酸塩を吸収させることを目的とするものではあるが,吸収部位を口腔粘膜に限定するものではなく,胃腸管等の他の部位からの吸収の可能性を排除するものではない。上記記載は,本願発明に係る製剤は,水と共に服用するものではないことを明確にする趣旨で追加したにすぎない。

以上のとおり,相違点2は,実質的な相違点であって,本願優先権主張日前において,デスモプレシンが口腔粘膜から吸収されることが知られていたとしても,分子量の大きい親水性化合物であるデスモプレシンを,引用発明に係る口腔内投与用速溶性製剤で投与することに想到することが容易であったとはいえない。

(3)  取消事由3(本願発明の顕著な作用効果の看過)

ア 本願発明は,特許請求の範囲記載の構成を採用することによって,デスモプレシンの慣用経口錠に比較して改善されたバイオアベイラビリティ(生物学的利用能:投与された薬物(製剤)がどれだけ全身循環血中に到達し作用するかの指標)を提供する個体口腔内分散型製剤としてデスモプレシンを投与できるという,顕著な作用効果を奏する。すなわち,本願発明の実施例7におけるバイオアベイラビリティは,従来の経口錠による比較例4におけるそれの約2倍となっており,著しく改善されたのである。

イ 上記のとおり,本願優先権主張日前においては,デスモプレシンのようなペプチドは,分子量が1000を超える高分子物質であり,かつ親水性であるため,口腔粘膜から短時間で吸収されることはないと考えるのが技術常識であった。

また,口腔内投与用速溶性製剤は,製剤が口腔内で急速に分散されるため,放出された活性成分は口腔内に長く留まることができないところ,口腔粘膜から吸収され難い性質を有するデスモプレシンが,短時間で崩壊する口腔内分散性製剤とすることによって,バイオアベイラビリティの著しい向上をもたらすことは,当業者において予測できなかった。

さらに,錠剤のバイオアベイラビリティが本願発明に比べて劣るのは当然ではなく,むしろ,口腔内投与用速溶性製剤は,経口錠と異なり,口腔内で放出された活性成分がそのまま胃腸管へ達するため,胃腸管において徐放性にすることができず,経口錠よりバイオアベイラビリティが劣ることすら考えられる。

なお,引用例2は吸収促進剤を必須とし,かつデスモプレシンに有効な吸収促進剤を開示しているものではないから,引用発明と引用例2を組み合わせて,吸収促進剤を使用しなくてもバイオアベイラビリティが著しく向上する本願発明に容易に想到できたとはいえない。

以上のとおり,本願発明におけるバイオアベイラビリティの向上は,顕著な作用効果といえる。

2  被告の反論

(1)  取消事由1(相違点1に係る容易想到性判断の誤り)に対して

ア 原告は,引用発明と引用例2に記載された発明とは,課題の共通性がなく,これを組み合わせる動機付けがないと主張する。

しかし,原告の上記主張は,以下のとおり,失当である。すなわち,引用発明には,口腔内投与用速溶性製剤の活性成分として,なるべく広範囲の活性成分を使用したいとの課題が存在するところ,ペプチドの範ちゅうに含まれ,口腔内投与用速溶性製剤の活性成分として使用できることが本願優先権主張日前に知られている引用例2記載のデスモプレシンを,酢酸塩のものとして採用することは,容易に想到できたことである。審決は,引用発明における上記自明の課題を考慮した上で,引用発明に引用例2の技術事項を組み合わせることが容易であったと認定,判断したものであり,原告の上記主張は,その前提に誤りがある。また,引用例2の段落【0004】には,「生理活性物質であるポリペプチドが・・・口腔粘膜より効率よく吸収される」と記載されており,デスモプレシン等のポリペプチド活性成分が吸収促進剤を用いなくても口腔粘膜から吸収されることは,技術常識である。したがって,原告の上記主張は,失当である。

イ 原告は,本願優先権主張日前において,デスモプレシンのようなペプチドは,分子量が1000を超える高分子物質であり,かつ親水性であるため,口腔粘膜から短時間で吸収されることはないと考えるのが技術常識であったところ,引用例1に,デスモプレシンの上位概念であるペプチドが記載されていたとしても,引用発明に引用例2に記載された分子量の大きい親水性のペプチドであるデスモプレシンを採用することに想到することは容易ではないと主張する。

しかし,原告の上記主張は,以下のとおり,失当である。すなわち,引用発明では,口腔内で放出された活性成分の体内での吸収部位について直接の言及はなく,具体的な活性成分を選択するに当たり,体内での吸収部位は特に制限されていない。

また,乙1ないし4によれば,本願優先権主張日前において,デスモプレシンが口腔粘膜を通り吸収される活性成分であることは周知であり,デスモプレシンを舌下投与した場合,経鼻投与の場合と同等の作用効果が得られたことを示す具体的な実験結果が複数提示されていた。

ウ 原告は,審決には,引用例2に記載された発明から吸収促進剤を除いてデスモプレシンのみを取り出し,引用発明と組み合わせた誤りがあると主張する。

しかし,原告の上記主張は,失当である。すなわち,本願発明に係る特許請求の範囲には,吸収促進剤を含有しないとの記載はなく,むしろ,本願明細書には,「浸透促進剤を含むことができること」及び「医薬成分の口腔粘膜吸収を助長する他の成分を含むことが好ましいこと」がそれぞれ記載されている。

エ 以上のとおり,引用発明に引用例2に記載されたペプチドであるデスモプレシンを採用することは容易であり,審決の相違点1に係る容易想到性判断に誤りはない。

(2)  取消事由2(相違点2に係る容易想到性判断の誤り)に対して

原告は,分子量の大きい親水性化合物であるデスモプレシンが口腔粘膜から直ちに吸収されることが自明であったとはいえず,デスモプレシンを引用発明に係る口腔内投与用速溶性製剤で投与することに想到することが容易であったとはいえないから,審決の相違点2に係る容易想到性判断には誤りがあると主張する。

しかし,原告の上記主張は,以下のとおり,失当である。すなわち,審決は,三硝酸グリセリル(ニトログリセリン)が口腔粘膜から吸収される活性成分として把握できることを根拠に,引用発明における活性成分として,口腔粘膜から吸収される活性成分が使用できることを認定しているのであって,親水性の高分子化合物であるデスモプレシンが,ニトログリセリンと同様に口腔粘膜から直ちに吸収されると認定したものではない。本願優先権主張日前において,デスモプレシンは,口腔内投与によって口腔粘膜から吸収される活性成分であること,口腔粘膜から吸収されることによって有効な薬理効果が得られることは,周知の事項であった。また,デスモプレシンが口腔粘膜から吸収されるために必要な時間の長さについては,本願発明の発明特定事項ではなく,本願優先権主張日前において,デスモプレシンが口腔粘膜からは短時間で吸収されないということが技術常識であったともいえない。

したがって,審決の相違点2に係る容易想到性判断に誤りはない。

(3)  取消事由3(本願発明の顕著な作用効果の看過)に対して

原告は,口腔粘膜から吸収され難い性質を有するデスモプレシンが,短時間で崩壊する口腔内分散性製剤とすることによって,バイオアベイラビリティの著しい向上をもたらすことは,当業者において予測できなかったと主張する。

しかし,原告の上記主張は,以下のとおり,失当である。すなわち,原告が主張する効果は,本願発明での吸収部位が「口腔粘膜」であるのに対し,経口慣用錠剤での吸収部位が「胃腸菅」であることに起因するものであって,当業者が予測し得た程度の効果にすぎない。また,原告は,本願発明と同じく吸収部位が「口腔粘膜」である従前のデスモプレシン舌下剤,あるいは活性成分としてデスモプレシン以外の具体的なペプチドを用いて得られた製剤を使い,本願発明の製剤とバイオアベイラビリティを定量的に比較した実験結果について何ら示していない。また,引用例2の段落【0007】には,カルシトニン(分子量3400)のような,デスモプレシン(分子量1200)よりも分子量の大きいペプチドも,口腔内投与用速溶性製剤の活性成分として使用できる比較的低分子量のポリペプチドとして認識されており,乙2においても,デスモプレシンは,グルカゴン(分子量3500)及びインスリン(分子量5600)と共に,口腔粘膜からの投与に用いることができる,相対的に小さなポリペプチド類であると認識されている。

したがって,本願発明の作用効果は,格別顕著なものとはいえない。

第4当裁判所の判断

当裁判所は,本願発明は,引用発明,引用例2に記載された事項及び周知技術に基づいて容易に発明をすることができたものであり,特許法29条2項により特許を受けることができないとした審決の判断に誤りはないものと判断する。その理由は,以下のとおりである。

1  取消事由1(相違点1に係る容易想到性判断の誤り)について

(1)  審決が認定した本願発明と引用発明との相違点1は,前記第2の3(2)ウ(ア)のとおり,本願発明では,ペプチド活性成分が,「デスモプレシン酢酸塩」と特定されているのに対し,引用発明ではそのような特定がされていない点である。

この点に関し,引用例2(甲5)には,以下の記載がある。すなわち,「本発明は,生理学的に活性なポリペプチド含有製剤に有機酸とショ糖脂肪酸エステルとの組合せからなる吸収促進剤を配合したことを特徴とする,該生理活性ポリペプチドの腸管からの吸収を促進させた生理活性ポリペプチド含有の経口投与用または口腔内投与用製剤に関する。」(段落【0001】),「・・・ポリペプチドを注射以外の方法で有効に投与する方法が種々検討されており,本出願人らもすでに経膣投与製剤について提案している(特開平1-294632号)。また経口投与についても検討されており,ショ糖脂肪酸エステルなどを配合した経口投与製剤も提案されている(特開昭62-10020号,特開昭62-33128号)がなお吸収性の点で充分とはいい難い。」(段落【0003】),「本発明に使用する生理学的に活性なポリペプチドとは比較的低分子量のポリペプチドを言う。本発明に使用できる生物学的に活性なポリペプチドの好ましい例示としては,インスリン,アンギオテンシン,バソプレシン,デスモプレシン・・・およびこれらの誘導体が挙げられる。」(段落【0007】)との記載がある。

上記引用例2の記載によれば,生理活性ポリペプチド含有の経口投与用または口腔内投与用製剤に使用できるポリペプチドは,比較的低分子量のものであればよく,そのようなものの一つとしてデスモプレシンが周知であったことが認められる。そうすると,ペプチドを活性成分とし,口腔内で分散させる,すなわち口腔内投与される引用発明の製剤において,活性成分のペプチドとしてデスモプレシンを使用することは容易であったといえる。

したがって,相違点1に係る構成は,引用発明に引用例2に記載された事項及び周知技術を適用することにより,容易に想到できたといえる。

(2)  原告の主張に対して

ア 原告は,引用発明において,本願発明の活性成分であるデスモプレシンを選択することを示唆する記載は一切ない旨,また,引用発明と引用例2に記載された発明とは,課題の共通性がなく,これを組み合わせる動機付けがないと主張する。

しかし,原告の上記主張は,失当である。すなわち,引用例1には,活性成分としてペプチドを用いることが記載されているところ,引用例2(甲5)の段落【0007】,【0012】によれば,引用例2に記載されるようなゼラチンを基剤とする口腔内投与用製剤には,生理的に活性なポリペプチドのうち比較的低分子量のものであれば広く使用でき,デスモプレシンもそのようなものとして周知であったことが理解できる。そうすると,引用例2の発明の課題が,引用発明の課題と共通でないとしても,口腔内投与される引用発明の製剤において,活性成分のペプチドとして,引用例2に記載されたデスモプレシンを使用することに想到することは容易であったと認められ,上記原告の主張は採用することはできない。

イ 原告は,東京薬科大学薬学部A教授の意見書(甲18,24)等に基づき,本願優先権主張日前において,分子量が1000を超える程度の親水性のペプチドは,口腔粘膜から短時間で吸収されることはないという技術常識が存在していたとして,引用発明にデスモプレシンの上位概念であるペプチドが記載されていたとしても,引用発明の活性成分として引用例2に記載されたデスモプレシンを採用することが容易であったとはいえないと主張する。

しかし,原告の上記主張は,失当である。すなわち,引用例2の実験例7ないし11では,分子量が3000を超えるカルシトニンが舌下投与により吸収されている。また,本願優先権主張日前において,デスモプレシン製剤として舌下剤や鼻腔スプレーが存在していたところ,デスモプレシンが口腔粘膜から吸収されることは周知であったものと認められる(本願明細書段落【0002】ないし【0006】,乙1~4)。そして,引用発明において,デスモプレシンを活性成分として急速分散型の製剤とし,これを口腔内に投与したり,舌下投与したりすれば,口腔内に活性成分であるデスモプレシンが分散され,その一部は口腔粘膜から吸収されるものと考えられる。

したがって,原告の上記主張は,採用することができない。

ウ 原告は,審決には,引用例2に記載された発明から吸収促進剤を除いてデスモプレシンのみを取り出し,引用発明と組み合わせた誤りがあると主張する。

しかし,原告の上記主張は,失当である。すなわち,上記のとおり,審決は,引用例2の記載によれば,生理活性ポリペプチド含有の経口投与用または口腔内投与用製剤に使用できるポリペプチドとしてデスモプレシンが周知であったことが認められるところ,ペプチドを活性成分とし口腔内投与される引用発明の製剤において,活性成分のペプチドとしてデスモプレシンを使用することは容易であったと認定,判断するものであって,引用例2に記載された発明から吸収促進剤を除いてデスモプレシンのみを取り出し,引用発明と組み合わせたとはいえない。なお,本願明細書には,浸透促進剤を含むことができること,及び医薬成分の口腔粘膜吸収を助長する他の成分を含むことが好ましいことがそれぞれ記載されており(甲1段落【0037】,【0042】),本願発明においても,吸収促進剤を使用することが排除されていないものといえる。

(3)  以上のとおり,相違点1に係る審決の容易想到性判断に誤りはない。

2  取消事由2(相違点2に係る容易想到性判断の誤り)について

(1)  審決が認定した本願発明と引用発明との相違点2は,前記第2の3(2)ウ(イ)のとおり,本願発明では,口腔内分散性医薬製剤が,口腔粘膜からデスモプレシン酢酸塩を吸収するためのものであるのに対し,引用発明ではそのような特定がされていない点である。

この点,本願発明に係る特許請求の範囲の記載のうち「口腔粘膜からデスモプレシン酢酸塩を吸収するための」との記載の意義について,本願明細書には,「本発明の医薬製剤は活性成分を口腔に供給するのに適している。活性成分は舌下粘膜を通して及び/又は(例えば頬側及び/又は歯肉粘膜を通して)他の経路で口腔から及び/又は全身分配用として胃腸管から吸収させることができる。」(甲1段落【0013】)と記載されており,活性成分の吸収部位を口腔粘膜に限定していないものと理解することができる(この点に関し,原告自身,本願発明に係る特許請求の範囲の「口腔粘膜からデスモプレシン酢酸塩を吸収するための」という文言は,デスモプレシン酢酸塩が口腔粘膜から吸収されるものであれば足り,吸収部位を口腔粘膜に限定するものではなく,他の部位からの吸収の可能性を排除するものではない旨主張している。)。他方,引用例1には,ペプチドを活性成分とする口腔内投与用速溶性製剤が記載されており,この製剤は,口腔中で活性成分を放出するためのものであるから(甲4段落【0017】,【0031】),それが口腔内に投与されて崩壊すれば,活性成分が唾液とともに口腔内に広がり,活性成分であるペプチドの一部は,当然本願発明と同様に口腔粘膜から吸収されるものと考えられる。

以上によれば,本願発明と引用発明の相違点2について,実質的な相違点とは認められないとした審決の判断に誤りはない。

(2)  原告の主張に対して

原告は,引用例1に舌下剤として口腔粘膜から吸収させて使用することが一般的に知られている三硝酸グリセリル(ニトログリセリン)が記載されているとしても,これをもって,親水性の高分子化合物であるデスモプレシンが口腔粘膜から直ちに吸収されることが自明であったとはいえない,本願優先権主張日前においては,デスモプレシンのようなペプチドは,分子量が1000を超える高分子物質であり,かつ親水性であるため,口腔粘膜から短時間で吸収されることはないと考えるのが技術常識であって,デスモプレシンが口腔粘膜から吸収されることが知られていたとしても,分子量の大きい親水性化合物であるデスモプレシンを,引用発明に係る口腔内投与用速溶性製剤で投与することに想到することが容易であったとはいえないと主張する。

しかし,原告の上記主張は,失当である。すなわち,引用例1においても,口腔内投与用速溶性製剤が口腔内に投与されて崩壊すれば,活性成分が唾液とともに口腔内に広がり,活性成分であるペプチドの一部は,本願発明と同様に口腔粘膜から吸収されるものと考えられる。また,上記のとおり,デスモプレシンは,口腔粘膜を経由して体内に吸収され得る,比較的低分子量のペプチドの一つとして引用例2に記載されている。さらに,本願発明の特許請求の範囲に係る「口腔粘膜からデスモプレシン酢酸塩を吸収するための」との文言は,原告も主張するとおり,口腔粘膜のみからデスモプレシン酢酸塩を吸収させることを限定するものではない。

したがって,本願発明と引用発明の相違点2について,実質的な相違点とは認められないとした審決の判断に誤りはない。

3  取消事由3(本願発明の顕著な作用効果の看過)について

原告は,本願発明におけるバイオアベイラビリティの向上は,顕著な作用効果であると主張する。しかし,原告の上記主張は,以下のとおり,失当である。

(1)  本願明細書(甲1)には,本願発明に係る製剤のバイオアベイラビリティについて,以下の記載がある。

「【実施例7】

【0103】

実施例4~6により投与したデスモプレシンのバイオアベイラビリティ

試験デザイン

本試験では24人の健常非喫煙男子ボランティアを対象とした。試験は1施設,非盲検,無作為化,釣り合い型,4群クロスオーバーフェーズI試験としてデザインした。200μg,400μg及び800μg口腔内分散性製剤(夫々実施例4,5及び6)とi.v.ボーラス投与(比較例1)として2μgのデスモプレシンを無作為順序で各対象に舌下投与した。投薬間には72時間の休薬期間を設けた。口腔内分散性錠剤の投与前に頬粘膜を標準化するために,食物,ガム等を口にしないように対象に頼んだ。対象に朝投与前に歯磨き粉を付けずに歯を磨くようにしてもらった。

【0104】

血液サンプル

血漿デスモプレシン濃度用血液サンプルを以下のスケジュールに従って採血した:投薬前と投薬から15分,30分,45分,1時間,1.5時間,2時間,3時間,4時間,6時間,8時間,10時間,12時間及び24時間後。静脈内投与後には,投薬から5分後と10分後にも血液サンプルを採血した。

【0105】

アッセイ

血漿中のデスモプレシン濃度を承認済みRIA法により測定した。

【0106】

薬物動態分析

市販ソフトウェアWinNonlin(登録商標)Pro,ver.3.2(Pharsight Corporation,米国)を使用して非区画法により各投与群の個々のボランティアについて血漿中のデスモプレシン濃度を分析した。定量限界(LOQ)を下回る血漿濃度値の後にLOQを上回る値が検出された場合にはNCA分析と濃度の記述統計で「LOQ/2」に設定した。LOQを下回る値の後にLOQを上回る値が検出されない場合にはNCA分析から除外し,濃度の記述統計ではゼロに設定した。

【0107】

薬物動態分析の結果

i.v.投与後に定常状態の平均分布容量(Vss)は29.7dm3であった。平均クリアランスを計算した処,8.5dm3/時であり,平均排泄半減期は2.8時間であることが判明した。デスモプレシンの経口投与後には,投薬から0.5~2.0時間後に最高血漿濃度が観測された。最高血漿濃度は200,400及び800μgの経口投与後に夫々14.25,30.21及び65.25pg/mlであった。最高値に到達した後に,デスモプレシンは2.8~3.0時間の平均排泄半減期で排泄された。バイオアベイラビリティは0.23~0.38%の95%信頼区間で0.30%であることが判明した。

【0108】

実施例4,5又は6の口腔内分散性製剤として投与した場合にデスモプレシンの薬物動態は線形である。

【0109】

(比較例4)

比較例2及び3により投与したデスモプレシンのバイオアベイラビリティ

本試験は非盲検単回投与3群クロスオーバー試験としてデザインし,36人の健常男子ボランティア(白人,黒人及びヒスパニック)を対象とした。200μg錠(比較例2)1錠としてデスモプレシン200μg,100μg錠(比較例3)2錠としてデスモプレシン200μg及びi.v.ボーラス投与(比較例1)として2μgを無作為順序で各対象に投与した。

【0110】

i.v.投与後に平均排泄半減期は2.24時間であることが判明した。デスモプレシンの経口投与後には,投薬から1.06時間(2x100μg)又は1.05時間(1x200μg)後に最高血漿濃度が観測された。最高血漿濃度は2x100μg及び1x200μgの経口投与後に夫々13.2及び15.0pg/mlであった。バイオアベイラビリティは0.13%(2x100μg)又は0.16%(1x200μg)であることが判明した。」

(2)  原告は,上記実施例,比較例の薬物動態分析の結果から,本願発明に係る製剤のバイオアベイラビリティの向上は,顕著な作用効果であると主張する。この点,上記本願明細書の記載によれば,実施例7と比較例4(なお,比較例4で投与される,比較例2,3は,慣用錠剤処方例であり,比較例4において「投与」とされているのは,口からの投与直後に嚥下するような一般的な経口投与であると認められる。)の薬物動態分析を比較すると,本願発明に係る製剤である実施例4ないし6の製剤を舌下投与した場合,従来の錠剤を経口投与した場合と比較して,バイオアベイラビリティが向上したことが一応認められる。しかし,実施例7が比較例4よりもバイオアベイラビリティに優れているのは,製剤の口腔内投与の中でも,特に,薬剤を分散し難くし,舌下小血管から直接吸収させる方法である舌下投与という投与法に起因する効果と考えるのが相当である上,本願発明に係る製剤と従来の舌下に長時間留めておく舌下剤との間でバイオアベイラビリティを比較した的確な資料はないから,本願発明において活性成分のポリペプチドとしてデスモプレシン酢酸塩を用いた口腔内急速分散性製剤としたことによる顕著な効果があるとまでは認めることができない。

また,原告は,口腔内投与用速溶性製剤は,経口錠と異なり,口腔内で放出された活性成分がそのまま胃腸管へ達するため,胃腸管において徐放性にすることができず,経口錠よりバイオアベイラビリティが劣ることすら考えられる旨主張するが,上記のとおり,デスモプレシンを活性成分とする口腔内投与用速溶性製剤は,口腔内に投与されて崩壊すれば,活性成分が唾液とともに口腔内に広がり,活性成分の一部は口腔粘膜から吸収されるものと考えられるから,原告の上記主張は失当である。

したがって,本願発明は,格別顕著な作用効果を奏するとはいえない。

4  小括

上記検討したとおり,本願発明は,引用発明に引用例2に記載された事項を適用することにより,容易に想到することができたといえ,これにより格別顕著な作用効果を奏するとはいえないから,審決の容易想到性判断に誤りはない。

第5結論

以上のとおり,原告の主張する取消事由には理由がなく,他に審決にはこれを取り消すべき違法は認められない。その他,原告は,縷々主張するが,いずれも,理由がない。よって,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 芝田俊文 裁判官 西理香 裁判官 知野明)

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