知財高等裁判所 平成23年(行ケ)10237号 判決 2012年3月05日
原告
株式会社島津製作所
訴訟代理人弁理士
喜多俊文
江口裕之
被告
特許庁長官
指定代理人
常盤務
川本眞裕
黒瀬雅一
田村正明
主文
特許庁が不服2009-25250号事件について平成23年6月15日にした審決を取り消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
事実及び理由
第1原告が求めた判決
主文同旨
第2事案の概要
本件訴訟は,特許出願拒絶査定を不服とする審判請求を成り立たないとした審決の取消訴訟である。争点は,進歩性の有無である。
1 特許庁における手続の経緯
原告は,名称を「歯車ポンプまたはモータ」とする発明につき,平成16年5月19日,特許出願をした(特願2004-148619号)。
原告は,平成21年9月17日,本件特許出願につき拒絶査定を受けたので,同年12月21日,不服審判請求をしたが(不服2009-25250号),特許庁は,平成23年6月15日,「本件審判の請求は,成り立たない。」との審決をし,その謄本は同月28日に原告に送達された。
2 本願発明の要旨
本願発明は,高温,高圧の条件下で使用される歯車ポンプ又はそのモータに関する発明で(請求項の数は1),平成21年3月18日付けの手続補正後の特許請求の範囲は以下のとおりである。
【請求項1(本願発明)】
「噛合する一対の歯車と,これら歯車の側面に隣接する可動側板と,前記歯車及び前記可動側板を収容するケーシングとを具備し,可動側板の外側面とケーシングの内周面との間に形成される圧力バランス領域に高圧流体を導き入れるように構成した歯車ポンプまたはモータにおいて,
前記圧力バランス領域の高圧側と低圧側とを隔てるガスケットを前記可動側板の外側面に形成したガスケット溝に嵌め入れて装着し,
かつ,前記圧力バランス領域の高圧側に連通する凹欠を,互いに接合する前記ガスケットと前記可動側板との何れかの接合面に設けており,
前記凹欠が,前記ガスケット溝の溝壁と溝底とがなす隅部のRをとっている部位にまで達していることを特徴とする歯車ポンプまたはモータ。」
3 審決の理由の要点
本願発明は,本件出願前に頒布された下記刊行物1に記載された引用発明に基づいて,本件出願当時,当業者において容易に発明することができたもので,進歩性を欠く。
【刊行物1】 実願昭58-152705号(実開昭60-58889号)のマイクロフィルム(甲1)
【刊行物1に記載された発明(引用発明)】
「噛合する一対の歯車2,3と,これら歯車2,3の側面に隣接する可動形の側板4と,前記歯車2,3及び前記可動形の側板4を収容するケーシング1とを具備し,可動形の側板4の外側面とケーシング1の内周面との間に形成される圧力バランス領域に高圧流体を導き入れるように構成した歯車ポンプまたはモータにおいて,
前記圧力バランス領域の高圧領域Hと低圧領域Lとを隔てるガスケット6を前記可動形の側板4の外側面に形成したガスケット溝5に嵌め入れて装着し,
かつ,前記圧力バランス領域の高圧領域Hに連通する隙間10を,互いに接合する前記ガスケット6と前記可動形の側板4との接合面のうち前記ガスケット6の接合面に設けている歯車ポンプまたはモータ。」
【一致点】
「噛合する一対の歯車と,これら歯車の側面に隣接する可動側板と,前記歯車及び前記可動側板を収容するケーシングとを具備し,可動側板の外側面とケーシングの内周面との間に形成される圧力バランス領域に高圧流体を導き入れるように構成した歯車ポンプまたはモータにおいて,
前記圧力バランス領域の高圧側と低圧側とを隔てるガスケットを前記可動側板の外側面に形成したガスケット溝に嵌め入れて装着し,
かつ,前記圧力バランス領域の高圧側に連通する凹部を,互いに接合する前記ガスケットと前記可動側板との何れかの接合面に設けている歯車ポンプまたはモータ」である点。
【相違点】
・ 相違点1
前記凹部に関し,本願発明は,「凹欠」であるのに対し,引用発明は,隙間10である点。
・ 相違点2
前記凹部に関し,本願発明は,「前記ガスケット溝の溝壁と溝底とがなす隅部のRをとっている部位にまで達している」のに対し,引用発明は,そのような構成を具備しているかどうか明らかでない点。
【相違点に係る構成の容易想到性の審決判断(5,6頁)】
「(相違点1について)
本願発明の前記『凹欠』に関し,本願の特許請求の範囲の請求項1には,『前記圧力バランス領域の高圧側に連通する凹欠』と記載されるのみであって,本願明細書及び図面に実施例として図5に図示されているような大きさや形状(例えば,微小な溝状構成)が特定されているものではない。
一方,刊行物1には,『この帯状部16の先端面16aと前記溝5の底面5aとの間には,前記高圧ポート12に連通する隙間10が形成されるようになっている。』・・・と記載されていることから,刊行物1の第4図に記載された隙間10は,第3図の斜視図の記載等も合わせてみると,溝5の底面5aとガスケット6の帯状部16との間に形成され,高圧ポート12に連通するものであるから,本願発明の『凹欠』は,引用発明の隙間10と実質的に相違するものではない。
したがって,上記相違点1は,実質的な相違点ではない。
(相違点2について)
刊行物1には,『この帯状部16の先端面16aと前記溝5の底面5aとの間には,前記高圧ポート12に連通する隙間10が形成されるようになっている。』,『ポンプが作動すると,吐出側の高圧流体が,溝5の外周囲だけでなく,該溝5の底面5aとガスケット6の帯状部16との間に形成される隙間10にも侵入することになる。』,及び『前記隙間10内に導入された高圧流体の圧力によって,前記ガスケット6の帯状部16がボディ7の端壁7bの内面7cに押し付けられ固定される』・・・と記載されている。
また,刊行物1には,このような隙間10を設けることによって,『側板4の静圧バランスを適正に確保することができる。』・・・,及び『本考案は,・・・側板の静圧バランスの適正化を図って容積効率を有効に向上させることができ』・・・と記載されている。
上記記載からみて,引用発明において,吐出側の高圧流体が,溝5の外周囲だけでなく,溝5の底面5aとガスケット6の帯状部16との間に形成される隙間10にも侵入することによって,侵入しない場合に比べて,また,侵入する程度に応じて,可動形の側板4を歯車2,3の方へ押圧する液圧力が増減し,圧力バランスが変化することは技術的に自明の事項である。
本願発明は『前記ガスケット溝の溝壁と溝底とがなす隅部のRをとっている部位にまで達している』ものであるが,本願明細書及び図面に記載された従来例を示す図8に『R』と図示されるのみであって,本願明細書,特許請求の範囲及び図面の記載(例えば,実施例を示す図4の記載)をみても,範囲Rがどこからどこまでを指すのか必ずしも明確でないことを考慮すると,引用発明において,隙間10を設ける範囲を,良好な圧力バランスとなるように必要かつ適切な範囲とすることは,当業者における設計変更の範囲内の事項にすぎない。
してみれば,引用発明の隙間10を,ガスケット溝5の溝壁と溝底とがなす隅部のRをとっている部位にまで達するようにすることにより,上記相違点2に係る本願発明の構成とすることは,技術的に格別の困難性を有することなく当業者が容易に想到できるものであって,これを妨げる格別の事情は見出せない。
また,本願発明が奏する効果についてみても,引用発明が奏する効果以上の格別顕著な効果を奏するものとは認められない。
したがって,本願発明は,刊行物1に記載された発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものである。」
第3原告主張の審決取消事由
1 引用発明の認定の誤り及び一致点,相違点の認定の誤り(取消事由1)
本願発明の特許請求の範囲にいう「凹欠」は,部分的に窪んで欠けているもの(部分)を意味するから,凹んでいない(窪んでいない)部分が窪んでいる部分の両脇(両側)にあることが必要である。なお,「凹部」を物の表面が部分的に窪んでいる(凹んでいる)部分(箇所)と解するとしても,乙第1号証第5図のように凹んでいる部分の片側(一方の脇)にしか張り出した部分がないときにも「凹」に当たるとするのは,「凹」の意味を相当曲解するものであるし,引用発明にいう「帯状部16」が本願発明にいう「凹欠」に相当するとすると,本願発明にいう「物の表面」に相当するものは引用発明の「突条部16」になってしまい,凸部以外の部分はすべて凹部になるから不自然である。
他方,引用発明における隙間10は,ガスケット溝5の底面5aとガスケット6の帯状部分16の間に形成されるもので,数字の「3」の字状のガスケット6の外側は完全に開放され,上記隙間10の両脇(両側)に凹んでいない(窪んでいない)部分があるわけではないから,上記隙間10は本願発明にいう「凹欠」に相当するものではない。
しかるに,審決は,「引用発明の『隙間10』は,『凹部』である限りにおいて,本願発明の『凹欠』にひとまず相当する。」(4頁)と説示し,「前記圧力バランス領域の高圧側に連通する凹部を,互いに接合する前記ガスケットと前記可動側板との何れかの接合面に設けている歯車ポンプまたはモータ」が一致点である(同頁)と説示するが,上記の引用発明の認定(「隙間10」に係る認定)や,上記認定に基づく本願発明と引用発明の一致点,相違点の認定には誤りがある。
2 相違点に係る構成の容易想到性の判断の誤り及び本願発明の作用効果の看過
(取消事由2)
(1)ア 前記1のとおり,本願発明にいう「凹欠」とは,部分的に窪んで欠けているもの(部分)を意味するにもかかわらず,審決は,本願明細書で「凹欠」の大きさや形状(微小な溝状構造など)が特定されていないとし,また上記「凹欠」の意義についての解釈(発明の要旨認定)を明らかにしないままで,本願発明にいう「凹欠」と引用発明の「隙間10」の対比判断(相違点1),相違点に係る構成の容易想到性判断を行っており,判断の手法が適切でない。
イ 本願明細書の段落【0016】,図4,5の記載や,従前の特許公報における「凹欠」の語の使用例,さらには本願発明の技術的課題(段落【0005】や作用効果(解決手段,段落【0006】)に照らせば,本願発明にいう「凹欠」の意義は前記1のとおりに解釈される。そうすると,本願発明にいう「凹欠」と引用発明における「隙間10」とは,その構成が実質的にも異なるものであって,帯状部16の先端面16aと溝5の底面5aとの間に形成された隙間10が高圧ポート12に連通しているというだけで,「本願発明の『凹欠』は,引用発明の隙間10と実質的に相違するものではない。」とした審決の判断(相違点1関係,5頁)は誤りである。
(2)ア 審決は,本願発明にいう「前記ガスケット溝の溝壁と溝底とがなす隅部のRをとっている部位にまで達している」の意義を明らかにせず,かつガスケット6の隙間10の態様を明らかにせずに相違点2を認定し,これを前提に容易想到性判断を行っており,判断の手法が適切でない。
イ 本願発明の特許請求の範囲の記載に照らせば,「R」がガスケット溝の隅部を指していることは明らかであるし,本願明細書の段落【0005】,【0013】,【0017】,図8の記載や従前の特許公報における「R」の語の使用例,あるいは本願発明の特徴に照らせば,本願発明にいう「隅部のRをとっている部位」が「ガスケット溝の溝壁と溝底とがなす隅部において曲面を形成した部分」をいうことも明らかである。しかるに,審決は,本願発明の適切な要旨認定をしないまま,「本願明細書,特許請求の範囲及び図面の記載・・・をみても,範囲Rがどこからどこまでを指すのか必ずしも明確でない」としており(6頁),審決のかかる認定判断は誤りである。
ウ 本願発明は,「作動液が高温,高圧となると,・・・ガスケット溝の隅部とガスケットとが範囲Rで密着することにより,可動側板6を歯車の方へ押圧する液圧力Fが失われ,可動側板6に対する圧力バランスが変化し,作動液の側方への漏れ量が増大して容積効率が悪化すること」を技術的課題とし,「圧力バランス領域の高圧側に連通する凹欠を,互いに接合する前記ガスケットと前記可動側板との何れかの接合面に設けて,前記凹欠が,前記ガスケット溝の溝壁と溝底とがなす隅部のRをとっている部位にまで達しているようにした」構成を採用して,密着状態でも凹欠に高圧の作動液を導入することにより,R範囲において歯車の方へ押圧する力の確保を可能としたものである。他方,引用発明は,「幅の狭いガスケットを用いた場合に低圧領域側へ変形し,いわゆるはみだしが生じやすいこと」及び「はみだし防止のため幅の広いガスケットを用いた場合,つぶし代のばらつきによって,側板が必要以上に大きな力で歯側面に押し付けられて機械効率が悪い製品が混入すること」を技術的課題とし,刊行物1では「可動側板6に対する圧力バランス」の変化という本願発明の技術的課題について開示も示唆もされていない。しかも,引用発明は,ガスケット6に,帯状部16とその周縁部に当該溝5に底面に密着するシール用の突条部17を設け,当該溝の底面と帯状部16との隙間10に高圧流体を導入し得るよう構成することで,隙間10に導入される高圧流体により帯状部16をボディ7の端壁7bの内面7cに押し付けて固定することでガスケット6が低圧領域側へはみ出さないようにし,一方,ガスケットによるつぶし代のばらつきの技術的課題を,幅が狭く押し付ける力が大きく変動しない突条部17の構成を採用することによって解決したものである。そうすると,本願発明と引用発明とでは技術的課題やその解決手段が異なるのであって,引用発明の場合,帯状部16をボディ7の端壁7bの内面7cへ押し付ける力は,ガスケット6が低圧領域側へはみ出すことを防止し得るものであれば足りるから,本願発明のように,隅部のR範囲において可動側板6を歯車の方へ押し付けられる力を得る必要はないし,また隅部のR範囲における歯車側との微妙な圧力バランスを達成する必要もない。したがって,刊行物1中には,引用発明の隙間10を,ガスケット溝の溝壁と溝底とが成す隅部のRを取っている部位にまで達するように改める動機付けがない。しかるに,審決は本願発明と引用発明の技術的課題の違いや発明の特徴の違いを考慮せずに,「引用発明において,隙間10を設ける範囲を,良好な圧力バランスとなるように必要かつ適切な範囲とすることは,当業者における設計変更の範囲内の事項にすぎない。」(6頁)とするが,この判断は上記のとおり誤りである。
なお,本願発明にいう「Rをとっている部位にまで」とは,凹欠に高温,高圧の作動液を流入させた場合に,本願発明の技術的課題及び効果を生じる範囲,すなわち,Rの範囲であって歯車の方へ押圧する力を確保できる範囲を意味し,Rの全範囲に及ぶ必要はないが,Rの範囲に僅かでも達していれば足りるものではない。また,被告が設計的事項の範囲内の根拠とする乙第3号証のリップシール24は,本願発明の技術的課題と全く関係しないから,これを本願発明のガスケットとして用いる動機付けがない。同じく乙第4号証の図4でも本願発明にいう「凹欠」に相当する部位が不明であり,図2でも「凹欠」に相当する部位や「Rをとっている部位」に相当する部位が不明であって,ガスケット180の技術的意義も不明である。したがって,乙第3,第4号証を審決がいう設計的事項の根拠とすることはできない。
エ 刊行物1の6頁11ないし15行,7頁3ないし9行,8頁16ないし20行の各記載にかんがみれば,引用発明の溝5の底面5aにおいては,突条部17が潰れて密着し,(可動形)側板4を一定の力で押し付けることが必要であって,突条部17が潰れて側板4と密着する部分には,底面5aのうちの平坦面が含まれていることが不可欠である。ところが,引用発明の隙間10をRの部位(曲面形状となっている部位)まで延ばすと,突条部17の平坦面の部分を側板4に押し付けて密着させることができなくなるし,またかかる延長を行った場合には突条部17の幅が極小になるから,側板4に対して突条部17を押し付ける力が得られなくなるのであって,いずれにしても引用発明が奏すべき作用効果を奏することができない。したがって,引用発明に対して隙間10をRの部位まで延ばす構成を適用することには阻害要因がある。しかるに,審決は「引用発明の隙間10を,ガスケット溝5の溝壁と溝底とがなす隅部のRをとっている部位にまで達するようにすることにより,上記相違点2に係る本願発明の構成とすることは,技術的に格別の困難性を有することなく当業者が容易に想到できるものであって,これを妨げる格別の事情は見出せない。」(6頁)とするが,この判断は誤りである。
なお,強度を確保するために引用発明の突条部17の幅はガスケット溝のR部分の幅よりも相当程度大きくなっており,R部分の幅と同程度にした程度では,突条部17で一定の押圧力を得ることができず,また突条部17が高圧流体の圧力変動によって疲労し,破損するおそれがある。したがって,前記のとおり突条部17を溝5の底面5aに密着させることを欠くことはできない。
(3) 本願発明は,「ガスケット溝の溝壁と溝底とがなす隅部の範囲Rで,可動側板6を歯車の方へ押圧する液圧力Fが失われる」という新規な課題に着目し,「互いに接合する前記ガスケットと前記可動側板との何れかの接合面に設けた前記凹欠が,前記ガスケット溝の溝壁と溝底とがなす隅部のRをとっている部位にまで達しているようにした」構成を採用することで,作動流体が高温,高圧となり,ガスケットが,可動側板のガスケット溝の溝壁と溝底とがなす隅部(範囲R)において密着状態となっても,凹欠に高圧の作動液を導入し,R範囲の歯車の方へ押圧する力の確保(作動液の側方への漏れ量が増大しない)及び安定した吐出流量性能の発揮を可能としたものである。これは上記構成を採用したことによって奏される格別に有利な作用効果であって,刊行物1等からは当業者において到底予測することができない。しかるに,審決は,「本願発明が奏する効果についてみても,引用発明が奏する効果以上の格別顕著な効果を奏するものとは認められない。」(6頁)などとするが,この判断は誤りである。
(4) 結局,本件出願当時,引用発明に基づいて,当業者において相違点に係る構成に容易に想到することはできず,相違点を解消して本願発明に想到したことによって奏される作用効果も当業者の予測を超えた格別のものであるから,本願発明は進歩性を欠くとした審決の判断には誤りがある。
第4取消事由に対する被告の反論
1 取消事由1に対し
審決は本願発明の「凹欠」と引用発明の「隙間10」が一致するとは認定しておらず,両者の違いを相違点1として認定している。本願発明の「凹欠」も「凹部」である限りにおいて引用発明の「隙間10」と共通するものであって,審決はかかる趣旨で引用発明を認定し,本願発明と引用発明の一致点及び相違点を認定したものであるから,審決がした引用発明の認定,本願発明と引用発明の一致点及び相違点の認定に誤りはない。
また,「凹部」とは「物の表面が他の部分よりも窪んだ部分」を意味し,「凹」には,「少なくも非凹部がくぼみの両側にあること」以外の態様も含まれるところ,引用発明のガスケット6の先端面16aの表面は突条部17よりも窪んでおり(刊行物1の第2ないし第5図),「隙間10」が「凹部」に包含されることは明らかである。他方,本願発明の「凹欠51a」もガスケット溝41の溝底41bと対向するガスケット5の表面よりも窪んでおり(図4),「凹部」に包含されることは明らかである。したがって,本願発明の「凹欠」も引用発明の「隙間10」も「凹部」に包含されるのであって,審決の前記結論に誤りはない。仮に,原告が主張するように,「凹」とは少なくとも非凹部が窪み(凹み)の両端(両脇)にあることを意味すると解したとしても,引用発明の「隙間10」は,3の字状のガスケット6に設けられ,ガスケット6の両端部が非凹部(突条部17)によって終端しているから,非凹部(突条部17)が窪みとしての隙間10の両側にあるといえ,「凹部」に当たる。
2 取消事由2に対し
(1)ア 審決は,適切に本願発明の要旨認定を行って相違点1に係る構成の容易想到性判断を行っており,その判断の方法に違法はない。
イ 本願明細書では「凹欠」の定義がされていないところ,「凹欠」は,通常の解釈によれば,物の表面が部分的に窪んで欠けていることを意味し,必ずしも「少なくとも非凹部が窪みの両側にある」ものだけを意味するわけではない。本願明細書の段落【0006】,【0016】,【0019】の記載にかんがみれば,凹部の両側に非凹部がなくても,高温,高圧の作動液が「凹欠」に流入して可動側板4に及ぼす圧力の変動を小さくすることができるから,原告が主張するように「凹欠」の意義を解しなければならないものではない。また,甲第5号証は,本願発明の作動流体をシールする密封技術の分野とはかけ離れた技術分野に関する文献であるから,その中の記載を根拠に本願発明にいう「凹欠」の意義を解釈することはできない。
審決が説示するとおり,引用発明の「隙間10」と本願発明の「凹欠」とは,「凹部」である限りにおいて共通(相当)するから,相違点1は実質的なものではない。
(2)ア 審決は,適切に本願発明の要旨認定を行って相違点2に係る構成の容易想到性判断を行っている。
本願明細書の実施例に係る図4には「R」は図示されていないし,従来例に係る図8ではガスケット7に「R」が形成されているかのように図示されているが,段落【0013】の記載に照らせば,ガスケットには「R」は形成されない。また,本願明細書中には凹欠51aと「R」との関係を示す記載も示唆もなく,本願発明にいう「R」の範囲は必ずしも明確でない。そうすると,この旨をいう審決の認定判断に誤りはない。なお,「R」とは,半径を表す記号を意味するから,本願発明にいう「Rをとっている部位」も,通常の解釈に従い,半径Rの円弧断面を有する曲面を形成した部分をいうのであって(技術常識),これが単に曲面を形成した部分をいうとする原告の解釈は相当でない。
イ(ア) 本願明細書中には,ガスケット5の凹欠51aとガスケット溝41の「Rをとっている部位」との関係は記載されていないし,図4から,凹欠51aがガスケット溝41の「Rをとっている部位」の最奥端にまで達していないこと,すなわち「Rをとっている部位」の全範囲に達していないことを看取できる(段落【0017】,図6からも同様である。)。そして,「Rをとっている部位」の全範囲に凹欠が達していなくても,「可動側板4を歯車2,3の方へ押圧する液圧力Fが失われる範囲が狭められ,圧力バランス領域の作動液が可動側板4に及ぼす圧力の変動が小さくなる」という作用効果及び「圧力バランス領域の作動液が可動側板4に及ぼす圧力の変動を小さくすることができる。」(段落【0016】,【0017】)という作用効果を奏する。他方,ガスケットとガスケット溝の相対的な位置関係は,高温高圧の作動液から圧力を受けることで変動するし,とりわけ,「Rをとっている部位」に僅かでも達するかどうかは,作動液の種類,温度,圧力,ガスケットの材質,形状,溝の形状などによって異なり得る。そうすると,凹欠が「Rをとっている部位」にまで僅かでも達していれば,「Rをとっている部位」の全範囲に達していなくても,本願発明の作用効果を奏することができるのであって,用語の通常の解釈に従ってこの旨判断した審決の判断に誤りはない。
(イ) 引用発明でも,歯車ポンプのシール構造において,隙間10を設けて側板4の溝5の底面5aとガスケット6との間に吐出側の高圧側から高圧流体が適切に流れ込むようにして,静圧バランスの適正化,すなわち圧力バランスが変化しないようにして,作動液の側方への漏れ量の増大を抑え,容積効率が悪化することを防止することを技術的課題としている(4頁6~9行)。そうすると,本願発明と引用発明とは共通の技術的課題を有しているのであって,刊行物1では,歯車ポンプのシール構造において,圧力バランスを保ってシール作用を良好に行うという動機付けが記載ないし示唆されている。
また,作動液(高圧流体)が隙間10にどこまで侵入するかによって,可動形の側板4を歯車2,3の方へ押圧する力(液圧力)が増減し,圧力バランスが変化するから,隙間10を設ける範囲を良好な圧力バランスとなるように必要かつ適切な範囲とすることは,当業者の設計変更の範囲内の事項にすぎない。なお,実願昭56-113959号(実開昭58-19167号)のマイクロフィルム(乙3)の第6図では,リップシール(24)の先端に設けられた凹欠部(28)の最奥部が,リップシール(24)のイニシャルコンプレッションを適正なものとするべく,リップシール(24)の低圧側端縁部まで達している構成が図示され,米国特許第6390793号明細書(乙4)の図2でも,ガスケット80の基体に設けられた凹欠の最奥部が,圧力分布曲線をバランスするように,ガスケット80の低圧側の端縁の曲面形状を成す部位にまで達している構成が,図4でも,ガスケット180の基体の複数箇所に設けられた細小な溝状の凹欠の最奥部がガスケット180の低圧側の端縁の曲面形状を成す部位にまで達している構成がそれぞれ図示されており,凹欠が「Rをとっている部位にまで達している」構成が記載ないし示唆されている。そうすると,乙第3,第4号証の記載に照らしても,歯車ポンプのシール構造に関する引用発明において,隙間10を設ける範囲を,良好な圧力バランスとなるように必要かつ適切な範囲とすることは,当業者が行う設計変更の範囲内の事柄にすぎない。
したがって,引用発明の隙間10を「Rをとっている部位にまで達している」ように改める構成に当業者が容易に想到できるとした審決の判断に誤りはない。
(ウ) 引用発明のガスケット6を溝5の内部に組み込んだ場合,作動液(高圧流体)の圧力を受けていないときには,ガスケット6は溝5の低圧側の壁から離れた位置にあり,突条部17は潰し代の分だけ潰れて(圧縮されて)溝5の底面5a(平坦面)に弾性的に密着し,側板4を一定の力で押し付ける。
【概念図a】
file_2.jpg他方,作動液(高圧流体)の圧力を受けるときには,隙間10の内部に導入された作動液の圧力によるセルフシール機能(作動液からの圧力に応じて接面圧力が増すように働くシール機能)が付加されることによってガスケット6は変形し,溝5の低圧側の壁に押し付けられる。
【概念図b】
file_3.jpgそうすると,突条部17が作動液の圧力を受けてRをとっている部位に押し付けられるときには,圧力の分力が溝5の底面5aの方向にも働き,歯車2,3の端面の方向に側板4を一定の力で押し付けるから,突条部17が溝5の底面5a(平坦面)に密着することが不可欠なわけではない。なお,作動液の種類,温度,圧力,ガスケットの材質,形状,溝形状などによっては,ガスケット6の隙間10が僅かでもRをとっている部位にまで達することがあり得る。
(エ) 前記のとおり,引用発明の隙間10が「Rをとっている部位」に僅かでも達していれば,可動形の側板4を歯車2,3の方へ一定の力で押し付ける力を得ることができ,したがって圧力バランス領域の作動液が可動形の側板4に及ぼす圧力を小さくするという作用効果を奏することができるのであって,上記隙間10をガスケット溝5の溝壁と底面5aとが成す隅部のRをとっている部位に達するようにしても,引用発明の目的を達成できなくなるとか,技術思想に反するということはない。
また,歯車ポンプのシール構造の目的・機能は,実公昭55-37753号公報(乙2)の2頁の記載のとおり,高圧域から低圧域へ流出しようとする作動液(流体)を完全に遮断するため,ガスケットと溝との2つの接点における接触を密としシール作用を完全なものとすることにある。したがって,引用発明の隙間10を,ガスケット溝5の溝壁と溝底とがなす隅部のRをとっている部位に達するようにしても,発明としての機能を奏することは明らかであり,引用発明の構成を変更することを阻害する要因は存在しない。
(3) 前記のとおり,引用発明と本願発明とは,「圧力バランスが変化しないようにして,作動液の側方への漏れ量の増大を抑さえ,容積効率が悪化することを防止する」との共通の技術的課題を解決するためのもので,刊行物1の10頁5,6行の記載のとおり,引用発明と本願発明とは「圧力バランスが変化しないようにして,作動液の側方への漏れ量の増大を抑さえ,容積効率が悪化することを防止する」という共通の作用効果を奏するものであるが,この作用効果は引用発明から当業者が予測し得る範囲内のものであって,格別なものではない。
第5当裁判所の判断
1 取消事由1(引用発明の認定の誤り及び一致点,相違点の認定の誤り)について
審決は,引用発明と本願発明の相違点1を「本願発明は,『凹欠』であるのに対し,引用発明は,隙間10である点」と認定しているから(4頁),一応かかる点において引用発明の構成と本願発明の構成とが相違するものであると認定したことは明らかである。
そして,審決が「本願発明の前記『凹欠』に関し,本願の特許請求の範囲の請求項1には,『前記圧力バランス領域の高圧側に連通する凹欠』と記載されるのみであって,・・・大きさや形状(例えば,微少な溝状構成)が特定されているものではない。」(5頁)と説示していることにもかんがみると,審決は,いったんは本願発明にいう「凹欠」の意義が必ずしも明らかでないことを前提として,凹んでいない箇所(部位)に対して凹んでいる箇所(部位)がある部分という意味の「凹部」に当たるという趣旨で「引用発明の『隙間10』は,『凹部』である限りにおいて,本願発明の『凹欠』にひとまず相当する。」(4頁)と説示したということができる。
ここで,審決が説示するとおり,本願発明の特許請求の範囲中でも,本願明細書の発明の詳細な説明のうち実施例に関する部分以外でも,「凹欠」の大きさや形状については,「前記圧力バランス領域の高圧側に連通する」との記載(特許請求の範囲,段落【0007】)がされているのみで,それ以上に具体的に特定されていない。
したがって,審決が相違点2で「凹欠」の具体的な大きさや形状のうち作用効果と関わる部分につき認定していることにもかんがみると,審決がした引用発明の認定も,「引用発明の『隙間10』は,『凹部』である限りにおいて,本願発明の『凹欠』にひとまず相当する。」とした判断(4頁)も,本願発明と引用発明の一致点及び相違点の認定も,本願発明の特許請求の範囲の記載等や刊行物1の記載の各内容に照らして控え目にされたものにすぎず,これらに誤りがあるとまではいうことができない。
そうすると,原告が主張する取消事由1は理由がない。
2 取消事由2(相違点に係る構成の容易想到性の判断の誤り及び本願発明の作用効果の看過)について
(1) 刊行物1の2頁1行ないし4頁13行の記載に照らせば,刊行物1記載の引用発明は,高圧の流体(作動液)を導入,吐出する歯車ポンプ又はモータにおいて,歯車に導入される作動液の液圧が非常に高い場合でも,部品点数の増加や潰し代のばらつきに基づく機械効率の低下を生じることなしに,可動形側板裏面に取り付けられたガスケットが変形して低圧側(吐出口側)にはみ出すという技術的課題を解決するためのものであるところ,5頁8行ないし9頁2行の記載によれば,引用発明の「3」の字状のガスケット6の可動形側板(可動側板)4と対向する底面には,その内周縁に沿ってごく幅及び高さの小さい土手状(横断面で三角形状)の突条部17(ただし,低圧側のポンプ側面の近傍に位置する2つの端部の形状は幅広く平らになっており,可動形側板から見ると概ね矢印状を成している。)が設けられ,また上記ガスケット6の外側面には,例えば第3図を参考にすると略半球状の弾性突起18が概ね等間隔で複数個設けられているものである。
【刊行物1の第3図(左の部材が可動形側板,右の部材がガスケットである。)】
file_4.jpgところで,上記のガスケット6は,可動形側板に設けられた「3」の字状の溝5と嵌合するところ,ガスケット6はゴム等の材料で作られた弾性体であるために,その弾性で可動形側板4を歯車端面側に押し付け,他方,ガスケット6と可動形側板4の間の隙間に侵入した作動液(高圧流体)がその液圧でガスケット6をケーシング1に押し付けることで,可動形側板4にかかる圧力を均衡させるもので,これにより適切な大きさの力で可動形側板を歯車端面に押し付けて,歯車から漏れ出る作動液(高圧流体)を封止(シール)する機能を果たしている(下記第4図参照)。
【刊行物1の第4図】
file_5.jpgここで,「突条部17と前記帯状部16とを合せたガスケット6の厚みtは,第5図に示すように,前記溝5の底面5aと前記ボディ7の端壁内面7cとの対向距離qよりも大きく設定してあり,該ガスケット6を溝5内に組込んだ場合に前記突条部17が前記底面5に弾性的に密着するようになっている。」(刊行物1の7頁3~9行)から,引用発明の歯車ポンプにおける突条部17の役割は,可動形側板4の溝5とケーシング1とが成す空間の高さよりも(ガスケット6のその余の部分である帯状部16の高さと合わせて)大きい高さを有する弾性体として上記空間に組み込まれることで,上記空間の高さ方向(下記第5図の左右方向)に押し潰され,その弾性力(反発力)で,可動形側板4を歯車端面側に押し付けることにあるものである(なお,ガスケット6のその余の部分に比して突条部17の高さも体積もごく小さいから,ガスケット6全体で材質が均一であれば,主として押し潰れる部分が突条部17であることは明らかである。)。そうすると,引用発明のガスケット6においては,突条部17と可動形側板4の間に作動液(高圧流体)が侵入して,例えば液圧でガスケット6をケーシング1に押し付ける(押し上げる)ことは想定されておらず,かような機能は突条部17が設けられていない帯状部16の部分に委ねられているというべきである。
【刊行物1の第5図】
file_6.jpg(2) 他方,本願発明では,ガスケットに「圧力バランス領域の高圧側に連通する凹欠」を設け,この「凹欠」が「前記ガスケット溝の溝壁と溝底とがなす隅部のRをとっている部位にまで達している」ものであるところ(特許請求の範囲),本願明細書(甲2)の発明の詳細な説明及び添付された図面には次のとおりの記載がある。
・ 「ガスケット7は,高圧側から低圧側に向かう方向の力を受けて,ガスケット溝61の低圧側の溝壁61aに押しつけられる。作動液が高温,高圧となる状況下では,低圧側の溝壁61aとガスケット7が密着し,両者の間に入り込む作動液の量が低減する。」(段落【0004】)
【従来例に係る第7図(見やすくするために,時計回りに90度回転させた。第8図も同様。)】
file_7.jpgaren【従来例に係る第8図(可動側板6を押し付ける力が小さくなって不都合であることを示す模式図)】
file_8.jpg(aan・ 「可動側板6におけるガスケット溝61が形成される部位の強度を担保するべく,ガスケット溝61の溝壁61aと溝底61bとがなす隅部のRは大きくとられる。ガスケット溝61の隅部とガスケット7との間に入り込む作動液は,可動側板6を歯車の方へ押圧する液圧力Fを供与する。しかしながら,作動液が高温,高圧となると,ガスケット溝61の隅部にガスケット7が密着して両者の間に作動液が入り込めなくなるため,可動側板6を歯車の方へ押圧する力が減少してしまう。即ち,図8に示している範囲Rで,可動側板6を歯車の方へ押圧する液圧力Fが失われる。その結果,可動側板6に対する圧力バランスが変化し,作動液の側方への漏れ量が増大して容積効率が悪化する。」(段落【0005】)
・ 「圧力バランス領域に導いた高圧流体の一部を流入させる凹欠をガスケットまたは可動側板に成形して,凹欠内に流入した流体の圧力を可動側板を歯車の方へ押圧する力として利用するようにしたのである。このようなものであれば,高温,高圧の状況下で可動側板とガスケットとが密着したとしても,可動側板に対する圧力バランスを維持でき,吐出流量性能の低下を抑制し得る。」(段落【0008】)
そうすると,本願発明のガスケット又は可動側板に設けられる「凹欠」は,従来のガスケット及び可動側板(可動形側板)の技術的問題点であった,高圧側から作動液(高圧流体)が侵入してガスケットを低圧側の溝壁に押し付けて密着させた際に,ガスケットと可動側板の隙間に侵入する作動液が減少して,作動液がその液圧で可動側板を歯車端面に向かって押し付ける力が,「Rをとっている部位」すなわち可動側板の溝の底部の隅(隅部)の曲面状の部位(部分)に対応する分だけ失われて小さくなるという問題点を解決するため,「Rをとっている部位」にまで達するように,例えば溝状の部分をガスケットの可動側板と対向する面又は可動側板の溝の底面に設け,この部分(凹欠)に作動液が侵入できるようにして,ガスケットが作動液によって低圧側の溝壁に押し付けられたときでも,可動側板の溝の隅部近傍(Rをとっている部位及びその近傍)に侵入した作動液が,その液圧で,ガスケットをケーシングに向かって押し付け,また可動側板を歯車端面に向かって押し付けることができるようにし,その結果,可動側板の圧力バランス及び歯車端面に対する封止機能(シール)を確保できるようにするものであるということができる(次の模式図を参照)。
【原告が示した模式図】
file_9.jpgそして,本願発明の実施形態のうちガスケットに「凹欠」を設ける形態は,例えば下記の図のとおりのものである。
【本願明細書の図5(可動側板側から見た図)】
file_10.jpg【原告が示した図面】
file_11.jpgしたがって,本願発明にいう「Rをとっている部位」の意義も,上記のとおりに解釈されるのであって,本願発明が予定する作用効果を奏するためには,「凹欠」が可動側板の溝底隅の「Rをとっている部位」の全部又は相当部分に及んでいることが好ましいことは明らかである。
(3) 前記のとおり,引用発明のガスケット(6)に設けられた突条部17の役割は,その弾性力(反発力)で,可動側板(可動形側板4)を歯車端面側に押し付けることにあり,突条部17と可動側板の間に作動液(高圧流体)が侵入して,液圧でガスケットをケーシング(1)に押し付ける(押し上げる)こと等は想定されていないが,本願発明のガスケット又は可動側板に設けられる「凹欠」は,可動側板の溝の底部の隅(隅部)の「Rをとっている部位」すなわち曲面状の部位(部分)にまで達するように,例えば溝状の部分を設け,この部分に作動液が侵入できるようにして,ガスケットが作動液によって低圧側の溝壁に押し付けられたときでも,作動液の液圧で,ガスケットをケーシングに向かって押し付け,また可動側板を歯車端面に向かって押し付けて,可動側板の圧力バランス及び歯車端面に対する封止機能(シール)を確保できるようにするものである。そうすると,本願発明のガスケットの「Rをとっている部位」や「凹欠」が果たす機能と引用発明のガスケットの突状部17等が果たす機能は異なり,引用発明のガスケットでは,可動側板(可動形側板4)の溝底隅部でガスケットと可動側板との間に作動液が侵入して可動側板の圧力バランスをとることが想定されていない。したがって,引用発明ではガスケットと可動側板(可動形側板4)との間の隙間10が可動側板の溝底隅の曲面状の部位(Rをとっている部位)にまで及ぶことが予定されていない。
また,刊行物1の8頁6ないし13行には,「前記隙間10内に導入された高圧流体の圧力によって,前記ガスケット6の帯状部16がボディ7の端壁7bの内面7cに押し付けられ固定されるので,高圧領域Hと低圧領域Lとの圧力差によってガスケット6が低圧領域側へはみだすという不都合も有効に防止されるものであり,該ガスケット6の耐久性を向上させることができる。」との記載があるから,引用発明のガスケット(6)と可動側板(可動形側板4)の構成には,作動液の液圧でガスケットの低圧側の側面を可動側板の溝の側面(内側面)に押し付け密着させて固定することで,ガスケットのそれ以上の低圧側へのはみ出しを有効に防止するという機能があるということができる。ここで,ガスケットがかかる機能を発揮するためには,可動側板の溝の側面と底面が成す隅部に向かってガスケットが密着するように押し付けられるのが好ましく,上記溝の底面から離れるように,すなわち上記隅部付近でガスケットが可動側板から離れるように押し上げられると,ガスケットが上記溝の低圧側側面を超えてはみ出すおそれが生じるし,また,上記隅部付近でガスケットが可動側板を歯車端面に向かって押し付ける力を得る必要があるとはいえない。
そうすると,引用発明のガスケットと可動側板の構成を,可動側板の溝の低圧側側面と底面が成す曲面状の隅部にまで作動液が侵入して可動側板の圧力バランスをとることができるよう,ガスケットと可動側板との間の隙間10が上記の曲面状の部位(Rをとっている部位)にまで及ぶように改めることは,突条部17の機能を害し,またガスケットの低圧側へのはみ出しを防止するという技術的思想に反するものであるから,上記構成に改める発想が生じるはずはなく,当然のことながら当業者には容易に想到できる事柄ということはできない。
(4) 被告は,本願発明と引用発明とは静圧バランスの適正化という共通の技術的課題を有しており,刊行物1には,歯車ポンプのシール構造において,圧力バランスを保ってシール作用を良好に行うという動機付けが記載ないし示唆されていると主張する。確かに,本願発明の歯車ポンプも引用発明の歯車ポンプも,歯車端面とケーシングの間に設けられた可動側板(可動形側板)が,高圧側から流れ込む作動液の作用を利用して両部材の間でバランスし(圧力バランス),歯車端面から生ずる作動液の漏出を封止(シール)するという構成ないし動作を有するものであるが,かかる共通点は高圧の流体を扱うこの種の歯車ポンプに広く見られるものにすぎない。そうすると,かかる共通点があるからといって,シール作用をさらに高めるべく,ガスケットと可動側板との間の隙間10が上記の曲面状の部位(Rをとっている部位)にまで及ぶように改めるという具体的な構成に容易に想到できるものではない。
また,被告は,隙間10を設ける範囲を良好な圧力バランスとなるように必要かつ適切な範囲とすることは,当業者の設計変更の範囲内の事項にすぎないと主張する。しかしながら,かように抽象的な技術的課題から当業者がガスケット又は可動側板(可動形側板)の凹欠ないし凹部の具体的な形状の構成に直ちに想到できるものではない。また,本願発明のガスケットに相当する乙第3号証のリップシール(24)は,本願発明の可動側板に相当するサイドプレート(12)ではなく,反対側のカバー(14)に装着され,リップシールとサイドプレートの間に設けられたバックアップ(17)を介してサイドプレートを押し付けるもので,本願発明のガスケット及び可動側板と構成が相当異なるから,乙第3号証に記載された技術的事項を根拠に,本願発明のガスケット等の構成が当業者が容易に行い得る設計変更(設計的事項)の範疇に属するということはできない。乙第4号証の図2,4からも,ガスケットに設けられた凹部の範囲及び形状は必ずしも明確でなく,その余の明細書中の記載でもガスケットに設けられた凹部の技術的意義が明らかでないから,上記図等に記載された技術的事項を根拠に,本願発明のガスケット等の構成が当業者が容易に行い得る設計変更(設計的事項)の範疇に属するということはできない。
また,被告は,突条部17が作動液の圧力を受けて可動形側板の溝5のRをとっている部位に押し付けられるときには,歯車の端面の方向に可動側板を一定の力で押し付けるから,突条部17が溝の底面5a(平坦面)に密着することが不可欠なわけではないとか,作動液の種類,温度,圧力,ガスケットの材質,形状,溝形状などによっては,ガスケットの隙間10が僅かでもRをとっている部位にまで達することがあり得るなどと主張する。確かに,刊行物1の第4図にあるとおり,高圧側から侵入する作動液(高圧流体)の液圧でガスケットが可動側板の溝の低圧側にずれ動くときは,突条部17の少なくとも一部が上記曲面状の部位に乗り上げることになるから,突条部17が可動側板の溝底(5a)に対して押し付けられて潰れた部分の面積が小さくなることもあるし,ガスケットがさらに強く低圧側に押し付けられて突条部17の幅(横断面で見た場合の幅)がさらに小さく変形し,場合によっては突条部17と可動形側板の溝底との間に隙間が生じることも考えられないわけではない。しかしながら,これらのような事態は,引用発明で予定される,突条部17がその弾性力で可動形側板を歯車端面の方へ押し付ける機能を減殺するものであって,かかる事態を想定して本願発明の容易想到性を検討する必要はなく,突条部17が溝5の底面5a(平坦面)に密着することが必要でないとはいえないし,ガスケット6の隙間10が溝底5aの曲面状を成す部位に僅かでも達していればよいなどとはいえない。
(5) 結局,本件出願当時,引用発明に基づいて,相違点2に係る構成,すなわちガスケットと可動側板の溝が成す隙間が,上記溝の低圧側側面と底面とが成す曲面状の隅部(Rをとっている部位)にまで及ぶように構成して,上記隅部にまで作動液が侵入して可動側板が圧力バランスをとれるようにする構成に想到することは,当業者にとって容易ではなかったというべきであるし,本願発明にいう「凹欠」も,かかる形状を前提とするものであるから,相違点1は実質的なもので,相違点1に係る構成に想到することも当業者にとって容易ではなかったというべきである。当事者双方が取消事由2について種々述べるその余の点について判断するまでもなく,相違点1の構成を容易想到とした審決の判断は誤りであり,原告の取消事由2は理由がある。
第6結論
以上によれば,本願発明は刊行物1に記載の発明に基づき容易想到とした審決の判断は誤りであるから,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 塩月秀平 裁判官 古谷健二郎 裁判官 田邉実)