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知財高等裁判所 平成23年(行ケ)10242号 判決 2012年9月12日

原告

インテルコーポレーション

同訴訟代理人弁護士

田中昌利

小原淳見

古瀬康紘

同弁理士

龍華明裕

明石英也

同訴訟復代理人弁理士

折坂茂樹

被告

大英エレクトロ

ニクス株式会社

被告

Y2

上記両名訴訟代理人弁理士

深澤拓司

主文

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

3  この判決に対する上告及び上告受理の申立てのための

付加期間を30日と定める。

事実及び理由

第1請求

特許庁が無効2010-800144号事件について平成23年3月22日にした審決を取り消す。

第2事案の概要

本件は,原告が,後記1のとおりの手続において,被告らの後記2の本件発明に係る特許に対する原告の特許無効審判の請求について,特許庁が同請求は成り立たないとした別紙審決書(写し)の本件審決(その理由の要旨は後記3のとおり)には,後記4のとおりの取消事由があると主張して,その取消しを求める事案である。

1  特許庁における手続の経緯

(1)  被告らは,平成5年6月15日,発明の名称を「擬周期系列を用いた通信方式」とする特許出願(特願平5-144033号)をし,平成12年9月22日,設定の登録(特許第3111411号)を受けた(請求項の数1)。以下,この特許を「本件特許」という。

(2)  原告は,平成22年8月20日,本件特許について,特許無効審判を請求し,無効2010-800144号事件として係属した。

(3)  特許庁は,平成23年3月22日,「本件審判の請求は,成り立たない。」との本件審決をし,同年4月1日,その謄本が原告に送達された。

2  特許請求の範囲の記載

本件特許の請求項1に記載された発明(以下「本件発明」という。)の特許請求の範囲の記載は,以下のとおりである(以下,本件発明の明細書(甲19)を,図面を含めて「本件明細書」という。)。

伝送すべき情報をbとしたとき,b(aN-L ,…,aN-1 ,a0 ,…,aN-1 ,a0 ,…,aL-1)という長さN+2Lの信号を送信信号とし,(a0 ,a1 ,‥‥,aN-1)という長さNの信号に対する整合フィルタを通して前記情報bを受信することを特徴とする擬周期系列を用いた通信方式

3  本件審決の理由の要旨

(1)  本件審決の理由は,要するに,①本件発明は,後記アの引用例1に具体的に開示された発明であるとすることはできず,また,②引用例1に記載された発明(以下「引用発明1」という。)に,後記イないしエに記載された発明(以下,順次,「引用発明2」ないし「引用発明4」という。)等を組み合わせることによっても,③引用発明2に引用発明3及び引用発明4等を組み合わせることによっても,当業者が容易に発明をすることができたものであるとすることはできない,というものである。

ア 引用例1:特開平5-22251号公報(平成5年1月29日公開。甲1)

イ 引用例2:特開平5-7196号公報(平成5年1月14日公開。甲2)

ウ 引用例3:米国特許5127025号明細書(平成4年6月30日発行。甲7)。

エ 引用例4:「最新スペクトラム拡散通信方式」(昭和53年11月30日発行。甲4)

(2)  なお,本件審決が認定した引用発明1及び2並びに本件発明と引用発明1との一致点及び相違点,本件発明と引用発明2との一致点及び相違点は,次のとおりである。

ア 本件発明と引用発明1との関係

(ア) 引用発明1:伝送すべき情報をbとしたとき,b(aN-L ,…,aN-1 ,a0 ,…,aN-1 ,a0 ,…,aL-1)という長さN+2Lの信号を送信信号とし,(a0 ,a1 ,‥‥,aN-1)という長さNの信号に対する累積値を拡散符号の1周期毎に出力して前記情報bを受信する擬周期系列を用いた通信方式

(イ) 一致点:伝送すべき情報をbとしたとき,b(aN-L ,…,aN-1 ,a0 ,…,aN-1 ,a0 ,…,aL-1)という長さN+2Lの信号を送信信号とし,(a0 ,a1 ,‥‥,aN-1)という長さNの信号に対する相関を利用して前記情報bを受信する擬周期系列を用いた通信方式

(ウ) 相違点1:「(a0 ,a1 ,‥‥,aN-1)という長さNの信号に対する相関を利用して」に関し,本件発明は「(a0 ,a1 ,‥‥,aN-1)という長さNの信号に対する整合フィルタを通して」であるのに対し,引用発明1は「(a0 ,a1 ,‥‥,aN-1)という長さNの信号に対する累積値を拡散符号の1周期毎に出力して」である点

イ 本件発明と引用発明2との関係

(ア) 引用発明2:伝送すべき情報信号とPN符号とを乗算することで得られた信号を送信信号とし,送信時に用いたPN符号と同じ符号を用いる相関器を通して,前記情報信号を受信する通信方式

(イ) 一致点:伝送すべき情報をbとしたとき,bに符号を乗算した信号を送信信号とし,相関手段を通して前記情報bを受信する通信方式

(ウ) 相違点2:「bに符号を乗算した信号を送信信号」及び「通信方式」に関し,本件発明は,「b(aN-L ,…,aN-1 ,a0 ,…,aN-1 ,a0,…,aL-1)という長さN+2Lの信号」を送信信号とし,「擬周期系列を用い」た通信方式であるのに対し,引用発明2では,「bにPN符号を乗算することで得られた信号」を送信信号とした通信方式である点

(エ) 相違点3: 相関手段に関し,本件発明は「(a0 ,a1 ,‥‥,aN-1)という長さNの信号に対する整合フィルタ」であるのに対して,引用発明2では「送信時に用いたPN符号と同じ符号を用いる相関器」である点

4  取消事由

(1)  引用発明1に基づく本件発明の新規性に係る判断の誤り(取消事由1)

(2)  引用発明1に基づく本件発明の容易想到性に係る判断の誤り(取消事由2)

(3)  引用発明2に基づく本件発明の容易想到性に係る判断の誤り(取消事由3)

第3当事者の主張

1  取消事由1(引用発明1に基づく本件発明の新規性に係る判断の誤り)について

〔原告の主張〕

(1) 整合フィルタについて

ア 本件発明は,送信機から送られてくる変調信号が有限長の場合,信号の位相が受信機の拡散符号の位相とずれた状態において,相関値を演算する期間内に変調信号が存在しなかったり,前後の周期におけるデータが異なる変調信号を受けたり,ノイズが重畳したりする期間が生じるため,相関値を演算する期間において受信する変調信号を含む符号系列は,拡散符号及びその巡回シフト以外に対応する系列となり,結果として,小さな相関値を維持することができなくなるという課題を解決するために,送信側において,長さN+2Lの擬周期系列信号を拡散符号とし,受信側において,長さNの信号の整合フィルタを用いて,受信信号との間でNビットの信号との間で相関を取ることにより,前後Lビットの位相のずれが生じた場合であっても,相関値を小さくするという効果を奏するものである。

引用発明1は,相互相関において,位相がずれた場合であっても(相互)相関値を小さくするという課題を解決するために,送信側において,長さL+2nの擬周期系列信号を拡散符号とし,受信側において,前後のnビット部分を除いた長さLの期間のみ,受信信号と拡散符号との相関を取ることにより,前後nビットの位相のずれが生じた場合であっても,相関値を小さく維持するという効果を奏するものである。

本件発明及び引用発明1は,共通の課題を解決するために,擬周期系列信号を拡散符号とし,受信側において擬周期化する前の符号との間で相関を取るという課題解決手段を採用する点において共通するものであって,本件発明と引用発明1との相違点1は,相関検出手段として,本件発明が「整合フィルタ」を用いるのに対し,引用発明1が「累積器」を用いることのみであるところ,当業者は,整合フィルタと累積器について,実質的に同一のものであると理解するものである。

イ 本件審決は,本件発明の「(a0, a1,‥‥, aN-1)という長さNの信号に対する整合フィルタ」は,インパルス応答として(aN-1 ,‥‥,a1,a0)を出力するフィルタであるといえるが,引用発明1における「累積器及びROM」の動作は,拡散符号の1周期毎に累積値を出力するものであって,インパルス応答として,(aN-1 ,aN-2 ,‥‥,a0)を得ることができないから,本件発明の上記整合フィルタには相当するとはいえないなどとする。

しかしながら,引用発明1の累積器及びROMが担う機能は,ある所定の位相において,受信信号と拡散符号1周期分との相関値を1つ出力し,その相関値を用いて送信データを復調するというものであるところ,当該機能を発揮する上では,インパルス応答として(aN-1 ,‥‥a1,a0)が得られるか否かは無関係である。しかも,累積器(相関器)の積分期間の末尾のタイミングtにおける出力は,整合フィルタの時刻tにおける出力と同じなのであるから,両者は全く等価であるというべきである。「整合フィルタを通して」(受信する)こと自体,本件出願日当時の周知慣用技術にすぎず,本件発明の本質的部分であるということはできない。整合フィルタと累積器(相関受信機,相関器)とは,あるタイミングにおいて出力する相関値が同じで,等価ということができることは,一般的な文献(甲10等)に広く記載された事項であって,通信分野における当業者における技術常識である。整合フィルタを用いること自体は本件発明の課題解決にとって技術的意義を有しないからこそ,本件明細書には,本件発明の課題解決にとって,当該構成を採用することに関する技術的意義や,その示唆すら存在しないものである。

ウ 引用発明1において,累積器の任意のt2における出力は,累積(積分)途中の値である。文献(甲10,18,27)においては,相関器と整合フィルタとを比較する際,相関器の積分区間の末尾のタイミングにおける出力と,整合フィルタの同時刻における出力とを比較して両者が等価であると結論付けており,積分途中の相関器の出力と整合フィルタの出力とを比較することは行っていない。すなわち,当業者にとっては,積分計算が終了した後の出力こそが重要であり,積分途中の値(それが実際に出力されるかどうかは別として)を取り上げることは無意味であるから,本件審決の判断は,当業者の常識と反するものである。

整合フィルタは,受信信号と拡散符号との相関値を1チップ毎に出力する一方,累積器(相関器)は,受信信号と拡散符号との相関値を拡散符号の1周期毎に出力するものであるが,累積器(相関器)が相関値を出力するタイミングにおいては,累積器(相関器)は整合フィルタと同じ相関値を出力するものであって,累積器(相関器)及び整合フィルタは,拡散符号の1周期毎に同じ計算式に基づいて同じ相関値を出力する点で一致するから,出力から見て等価である。

エ したがって,本件発明における整合フィルタと引用発明1における累積器及びROMとは,出力する相関値において等価であり,また,その果たす機能も共通するものであって,本件発明と引用発明1とは,実質的に同一であるというべきである。

(2) 小括

以上によれば,本件発明は,新規性を欠くものというべきであるから,引用例1に具体的に開示された発明であるとすることはできないとした本件審決の判断は誤りである。

〔被告らの主張〕

(1) 整合フィルタについて

ア 本件発明は,同期がある程度は取れているものの完全ではなく,同期ずれが生起した場合でも,伝送すべき情報bの判別性が悪化しないよう,本来意図した大きさのピークが出力され,また,出力のピークにサイドローブが生じないことを企図し,「有限長の周期系列の入力信号に対しても無限長周期系列の入力と同様な受信信号を得ることのできる信号方式とした擬周期系列を用いた通信方式を提供すること」を目的とする。

引用発明1は,「M系列のような符号に対して前後を延長した符号を用い,受信側では,延長した部分を除いて相関をとり復調信号を得ることで,各チャネルのデータ信号の変化による相互相関値の増加を抑えることにより,チャネル間レベル差,チャネル間位相差が存在しても,チャネル間干渉を抑えて複数のチャネルの分離復調を可能とするスペクトラム拡散通信用送受信機を提供することを目的とする」ものであるから,本件発明とは課題が相違するものである。

イ 本件発明における整合フィルタは,ある信号の時間逆転であるインパルス応答を出力するものであり,かつ,受信側に同期ずれが生じた場合でも同期している場合と同等に優れた情報の判別性を実現することができるものである。

整合フィルタとは,フィルタのインパルス応答(「1」を入力したときの出力)が,入力信号を時間反転して所定の時間だけ移動したものとなるフィルタであることは技術常識であるところ,本件発明においては,インパルス応答として(aN-1 ,‥‥,a1,a0)を出力するフィルタであるのに対し,引用発明1における累積器及びROM並びに原告が主張する整合フィルタは,インパルス応答として(aN-1 ,‥‥,a1,a0)を出力し得ないから,本件発明における整合フィルタとは異なるものである。

引用発明1における累積器及びROMは,ある信号の時間逆転であるインパルス応答を出力せず,かつ,受信側に同期ずれが生じた場合には同期している場合と同等の情報の判別性を実現することができないから,本件発明における整合フィルタを引用発明1における累積器及びROMで代替しても,本件発明と同様の作用効果を得ることはできない。

したがって,本件発明における整合フィルタと引用発明1における累積器及びROMとは等価であるということはできない。

(2) 小括

以上によれば,本件発明は新規性を欠くものであるとした本件審決の判断に誤りはない。

2  取消事由2(引用発明1に基づく本件発明の容易想到性に係る判断の誤り)について

〔原告の主張〕

(1) 整合フィルタについて

ア 本件審決は,引用発明1では,拡散符号の1周期毎に累積値を出力する動作が不可欠な構成であるといえること,(a0, a1,‥‥, aN-1)という長さNの信号に対する整合フィルタは,nビットの期間は累積されないように拡散符号の1周期毎に累積値を出力するような動作とはならないから,仮に(a0, a1,‥‥, aN-1)という長さNの信号に対する整合フィルタが周知技術であったとしても,引用発明1において整合フィルタを採用することには阻害要因があるとする。

しかしながら,引用発明1において,累積器及びROMが拡散符号の1周期毎の累積においてnビットの期間は累積されないような動作をすることと,累積器及びROMが拡散符号の1周期毎に累積値を出力する構成となっていることには,必然的な関連性はなく,累積器及びROMが順次累積値を出力する構成を採用するものであったとしても,引用発明1の課題は解決されるものである。すなわち,引用発明1における課題解決に不可欠な手段は,送信機側でL+2nの擬周期系列の拡散符号を用いる点と,受信機側でnビット部分の相関を取らない点にあり,相関を取る手段として累積器及びROMを用いるか,整合フィルタを用いるかは単なる設計事項にすぎないというべきである。引用発明1の累積器は,①変調信号及び拡散符号の排他的論理和を累積する機能と,②累積を終えて所望の累積値が得られた時点でその累積値を保持(ラッチ)して出力する機能の2つの機能を担うものであるところ,整合フィルタの機能として要求されるのは,上記①に対応する機能である。当業者であれば,累積器及び整合フィルタの機能を理解した上で,引用発明1の累積器の回路設計を容易に行い得るのであるから,引用発明1に整合フィルタを組み合わせるに当たり,累積器の上記①部分に対応する回路のみを整合フィルタと置き換えて,上記②に対応する回路を整合フィルタの後段に設けることは,容易になし得る設計事項にすぎない。

イ (a0, a1,‥‥, aN-1)という長さNの信号に対する整合フィルタは,Lビットの期間は累積されないように拡散符号の1周期毎に累積値を出力する動作を行っているものであるから,引用発明1において,同期補足の高速化を図るために,累積器及びROMに代えて,引用例3及び4において開示されている周知技術にすぎない整合フィルタを組み合わせることは,当業者が容易に想到し得るものであって,阻害要因は存在しない。

ウ 引用例1には,相関検出手段の例として累積器による構成が開示されているものの,引用発明1の相関検出手段については,当該構成に限定されるわけではない。引用例1は,引用発明1の従来技術として,広義の相関器を指摘しているものであるから,引用例1は,整合フィルタをも含む広義の相関器の存在を前提とするものである。したがって,引用例1は,当業者が,スペクトラム拡散通信の受信機において,累積器と整合フィルタのいずれを用いるかは単なる設計事項にすぎないと理解することを前提としているものということができるから,引用発明1の課題解決手段を実現するための受信機において,広義の相関器に属する各種の相関検出手段(累積器又は整合フィルタ)を採用し得ることを示唆するものであり,その動機付けは十分認められるものである。

エ 本件発明の効果は,引用発明1に周知の整合フィルタを組み合わせたことにより生ずる効果から予測できる範囲のものにすぎず,格別の効果を奏するものではない。

(2) 小括

以上によれば, 本件発明は,引用発明1に,引用発明2ないし引用発明4等を組み合わせることにより,当業者が容易に想到し得るものというべきである。

〔被告らの主張〕

(1) 整合フィルタについて

ア 引用例1には,累積器に代えて本件発明における整合フィルタを適用することについて,何ら記載も示唆も存在しないから,当業者が引用発明1に接しても,累積器に代えて本件発明における整合フィルタを適用しようとする動機付けを認めることはできない。

また,取消事由1において前記のとおり,引用発明1における累積器及びROMは,整合フィルタと等価ではないから,原告の主張はその前提自体が誤りである。

イ 引用発明1の累積器の動作は,原告が主張するとおり,①変調信号及び拡散符号の排他的論理和を累積する動作及び②累積を終えて所望の累積値が得られた時点でその累積値を保持(ラッチ)して出力する動作の2つに分けること自体は可能であるが,累積器が1つの手段で複数の動作を行う機能を有しているにもかかわらず,それらの機能をあえて分割することは,本件発明の構成を知った上で,引用発明1の構成を,後知恵的に自己に都合の良いように恣意的に解釈することにほかならない。

ウ 本件発明における整合フィルタとは,そのインパルス応答が,入力信号(引用発明1における拡散符号に相当)を時間反転したものとなるフィルタであって,その整合フィルタに対して拡散符号が付加されることはないし,整合フィルタ自身が拡散符号を記憶していることもない。原告は,(a0,a1,‥‥,aN-1)という長さNの信号に対する整合フィルタは,Lビットの期間は累積されないように拡散符号の1周期毎に累積値を出力する動作を行っているものであるなどと主張するが,この主張は,単に引用発明1の動作の説明を行ったものにすぎず,明らかに誤りである。

(2) 小括

以上によれば, 本件発明は,引用発明1に,引用発明2ないし引用発明4等を組み合わせることにより,当業者が容易に想到し得るものということはできない。

3  取消事由3(引用発明2に基づく本件発明の容易想到性に係る判断の誤り)について

〔原告の主張〕

(1) 引用例3について

ア 引用例3には,擬周期系列の信号を送信信号とするという相違点2に係る構成及び受信信号と擬周期化する前の符号系列との相関を取るという相違点3に係る構成の中核となる部分が開示されているものということができる。

イ 引用例3には,単にプリアンブル信号として擬周期化したM系列信号を用いることのみならず,擬周期化したM系列信号を元のM系列信号に対する整合フィルタに通すと綺麗な出力を得ることができるというM系列信号の一般特性をも開示しているものといえる。したがって,当業者であれば,スペクトラム拡散通信方式の通信システムを設計する際,引用例3に記載された符号パターンの採用を検討することも当然になし得たものということができる。

ウ 本件出願日当時,有限長の周期系列を入力した場合の相関値が,無限長の周期系列を入力した場合の理想的な出力とは異なる出力となる(自己相関にサイドローブが現れる)という本件発明の解決課題は周知であった。引用例3には,送信信号に擬周期系列の信号を用いて,受信側において擬周期化する前のM系列符号との相関を取ることにより,相関値がピークを示すタイミングの周辺のタイミングにおいて小さい相関値を得ることができ,サイドローブを抑えることができるという,本件発明の課題解決手段が開示されている。引用発明3のプリアンブルは,引用発明2のPN符号のような拡散符号として用いられるものではないとはいえ,通信分野の当業者にとっては,ある通信システムにおいて用いられている符号パターンを,目的や効果に応じて他の通信システムにおいて採用することは,常識的に行われている事項であり,引用発明3のプリアンブルの擬周期系列を,引用発明2の拡散符号の符号系列に採用することには十分な動機付けが認められるのみならず,何らの阻害事由も存在しない。

また,M系列はPN系列の1種であるから,引用例3に記載されたM系列符号の特性を利用するために,引用発明2のPN符号に引用例3に開示されたプリアンブルの符号系列を採用することは,当業者は当然になし得たものということができる。

スペクトラム拡散通信方式においては,情報を拡散するための拡散符号を同期にも利用するのが基本であり,実際に,引用発明2の拡散符号として用いられるPN符号は,同期保持に用いられているものである。

したがって,引用発明2のPN符号が拡散符号であり,引用例3の擬周期系列の符号がプリアンブルであるという点のみをもって,引用例3のプリアンブルの符号系列を引用発明2に適用できないとする本件審決の判断は,誤りである。

(2) 引用例4について

当業者は,受信信号において,有限長の周期系列符号が用いられていることと,積分区間が使用される符号系列の長さよりも短い場合とは,表裏一体の関係にあり,実質的に同一の事項であることは,理解しているものである。したがって,当業者は,積分区間が使用される符号系列の長さよりも短い場合に関する引用例4の記載から,受信信号において有限長の周期系列符号が用いられている場合を想起することは容易である。

(3) 小括

以上によれば,本件発明は,引用発明2に引用発明3及び引用発明4等を組み合わせることにより,当業者が容易に想到し得るものというべきである。

〔被告らの主張〕

(1) 引用例3について

ア 本件審決は,引用例3に開示されているプリアンブル信号が情報を拡散するものではないことから,引用発明3は,情報を伝送・通信する方式に関するものではなく,引用発明2の拡散符号に,同期を捕捉するための引用発明3のプリアンブル信号を適用することなど想起されないと認定したものである。

引用発明2が発明された当時,送信側と受信側とで同じ長さの符号を用いることが技術常識であったものということができるから,送信側と受信側とで異なる長さの符号を用いることは,当時行われていなかったものというべきである。

原告の主張は,本件発明の構成の一部と作用効果とを言い換えて説明しただけであって,引用発明2に引用発明3の構成を採用することに阻害要因がないことを裏付けるものではない。

イ 原告が累積器と等価であると主張する整合フィルタは,本件発明における整合フィルタとは異なり,引用発明1における累積器及びROMとは等価なものでもないから,引用発明2が狭義の相関器である累積器を用いているならば,引用発明2に引用発明3の符号系列を適用しても,本件発明に想到することはできない。

(2) 引用例4について

原告の主張は,引用例4に僅かに記載されている事項について,本件明細書に記載された事項を知った上で,論理を多段に無理に重ねてそれを導出しようとすることを意図するものにすぎず,失当である。

(3) 小括

以上によれば,本件発明は,引用発明2に引用発明3及び引用発明4等を組み合わせることにより,当業者が容易に想到し得るものということはできない。

第4当裁判所の判断

1  本件発明について

(1)  本件発明の特許請求の範囲は,前記第2の2に記載のとおりであるところ,本件明細書(甲19)には,おおむね次の記載がある。

ア 産業上の利用分野

本件発明は,移動体通信方式等に適合する通信方式,特に周期系列として設計されている信号を近似同期状態で使用できるようにした擬周期系列を用いた通信方式に関する発明である(【0001】)。

イ 従来の技術

セルラー無線通信システム等の移動体通信のように,端局に対する距離が変化する移動局の間で通信を行うシステムでは,周期系列の信号を用いている(【0002】)。

ウ 発明が解決しようとする課題

この種のスペクトラム拡散通信方式では,自己相関にサイドローブのない周期系列を用いることが一般的である。例えば,周期系列…‥1,1,1,-1,1,1,1,-1,1,1,1,-1,‥‥(1,1,1,-1は1周期)を,整合フィルタに入力すると,…‥0,4,0,0,0,4,0,0,0,4,0,…‥という綺麗な出力が得られる。ところが,この周期系列の1周期(1,1,1,-1)を整合フィルタに入力すると,(-1,0,1,4,1,0,-1)という出力になる。すなわち,無限長周期系列の入力に対しては所望の受信出力が得られるが,有限長の入力に対しては所望の出力とは異なる出力が得られることになる(【0004】【0005】)。

本件発明は,有限長の周期系列の入力信号に対しても無限長周期系列の入力と同様な受信信号を得ることのできる信号方式とした擬周期系列を用いた通信方式を目的とするものである(【0006】)。

エ 課題を解決するための手段

本件発明は,上記課題を解決するために,伝送すべき情報をbとしたとき,b(aN-L ,…,aN-1 ,a0 ,…,aN-1 ,a0 ,…,aL-1)という長さN+2Lの信号を送信信号とし,(a0 ,a1 ,‥‥,aN-1)という長さNの信号に対する整合フィルタを通して前記情報bを受信することを特徴とするものである(【0007】)。

すなわち,上記周期系列の1周期(1,1,1,-1)の前後に例えば長さ2の繰り返し部分を付加した(1,-1,1,1,1,-1,1,1)を作成する。付加する長さ2の繰り返し部分は,1周期の(‥1,-1)の部分で,これを当該1周期の前に付加し,1周期の(1,1…)の部分を当該1周期の後に付加する。なお,この付加部分は最低1の長さである(【0008】)。

これを整合フィルタに入力すると,(-1,2,-1,0,0,4,0,0,1,2,1)という出力が得られ,中央の長さ5の部分(…0,0,4,0,0…)は,周期系列を入力したときと同じものとなる。この性質は,同期がある程度は取れるが,完全ではない符号分割多重通信システム(近似同期セルラーCDMA等)に適合する(【0009】)。

オ 作用

例えば,L=2とすると,2以内のずれに対しては自己相関のサイドローブも相互相関も,ともに0の弱同期符号分割多重通信が実現できる(【0026】)。

カ 発明の効果

本件発明によれば,有限長の周期系列の入力信号に対しても無限長周期系列の入力と同様に綺麗に設計された受信信号を得ることができ,周期系列として設計されている信号を近似同期状態で使用できる信号方式とした擬周期系列を用いて優れた機能を有する通信方式を提供することができる(【0034】)。

(2)  以上によれば,本件発明は,周期系列として設計されている信号を近似同期状態で使用できるようにした擬周期系列を用いた通信方式において,無限長周期系列の入力に対しては所望の受信出力が得られるが,有限長の入力に対しては所望の出力とは異なる出力が得られるという課題を解決するために,特許請求の範囲記載の構成を採用することにより,例えば,L=2とすると,2以内のずれに対しては自己相関のサイドローブも相互相関も,ともに0の弱同期符号分割多重通信が実現できるものである。

そして,本件明細書には,本件発明では,有限長の信号を用いることを前提として,各タイミングにおいて相関値を出力する整合フィルタの出力のサイドローブ(自己相関が出力される前後の出力値)が「0」であることから,近似同期状態にあり,同期ずれが生じた場合であっても,各タイミングにおいて相関値を出力する整合フィルタの出力から,同期ずれに応じたタイミングにおいて,正しい符号値を得ることが可能とすることが開示されているものということができる。

2  取消事由1(引用発明1に基づく本件発明の新規性に係る判断の誤り)について

(1)  引用発明1について

ア 引用例1(甲1)には,おおむね次の記載がある。

(ア) 産業上の利用分野

引用発明1は,スペクトラム拡散通信用送受信機に関する発明である(【0001】)。

(イ) 発明が解決しようとする課題

従来のスペクトラム拡散通信用送受信機を用いた多重接続方式は,各通信路(チャネル)の送受間には距離差が存在する。距離差に起因して,受信側における各チャネルの変調信号間には,レベル差と位相差が生じるため,受信側における符号間の相互相関値が増加する。この相互相関値の増加がチャネル間干渉の原因となるが,その対策として,PN系列等の符号長を大きくする方法では,各変調信号間のレベル差や位相差を許容するため,要求される符号長が膨大となるという問題点が存在し,また,符号長をより短くするために,例えば符号間の相互相関値が零となる直交系列のような相互相関値の小さな系列を拡散符号に利用した同期多重接続では,拡散符号間の同期が取れなかったり,同期に小さな誤差が生じた場合にチャネル間干渉が増加するといった問題点が存在した(【0004】【0005】)。

引用発明1は,このような問題点を解決するために,例えばM系列のような符号に対して前後を延長した符号を用い,受信側では,延長した部分を除いて相関を取り,復調信号を得ることで,各チャネルのデータ信号の変化による相互相関値の増加を抑えることにより,チャネル間レベル差,チャネル間位相差が存在しても,チャネル間干渉を抑えて複数のチャネルの分離復調を可能とするスペクトラム拡散通信用送受信機を提供することを目的とするものである(【0006】)。

(ウ) 課題を解決するための手段

引用発明1は,符号長で構成される1周期の継続時間が,データ信号1ビット分の継続時間に相当するような拡散符号に,例えばM系列のような符号(符号長L1ビット。ただし,符号長1を含む),あるいはM系列の末尾に0を付加してできる直交系列のように,複数k個の符号(符号長L1,L2……Lk)をつなげて構成される符号に対し,Li(1≦i≦k)ビットの各符号の先頭の1ビットに等しい1ビットをその符号の最後に付加し,同様にLi(1≦i≦k)ビットの末尾のビットに等しい1ビットを符号の先頭に付加するというように,ビットを付加するという操作を,次はLi(1≦i≦k)ビットの符号の先頭から2ビット目及び末尾から2ビット目のそれにそれぞれ等しい1ビットを,それぞれ符号の最後と先頭に付加するというような操作をn回繰り返すことにより,Li(1≦i≦k)ビットの符号の前後にnビットずつ付加することで新たに形成される符号長ΣLi+2knビットの符号を拡散符号に用い(ただし,ΣLiは,i=1からi=kまでについて足し合せることを意味する。),変調信号を発生させる変調手段を送信側に設けるものである。また,受信側において,送信されてきた信号に対し,送信側で用いたものと同一の拡散符号を用いて,拡散符号の1周期毎に相互相関値を得る際に,拡散符号において各符号の前記に付加されているnビット部分を除き,元のLi(1≦i≦k)ビットの各符号の部分についてのみ,相互相関値を求め,これを復調信号とする復調手段を備えるものである(【0007】【0008】)。

(エ) 作用

引用発明1において,スペクトラム拡散を用いた符号分割多重通信の各送信機における変調の際,伝送路における各チャネル間の距離差に起因する最大のチャネル間位相差に相当するビット数nを,符号の前後に付加することで構成される符号,あるいはこのような符号を複数個つなげて構成される符号を拡散符号に用い,復調時には,拡散符号と受信信号との相互相関値を求める際,符号の前後に付加されているビットの部分を除いて相関を取ることにより,チャネル間位相差によるデータ信号の変化が原因となる相互相関値の増加分を排除でき,チャネル間位相差が存在しない場合に,ビットを前後に付加する前の符号を拡散符号に用いて得られる復調信号と同等の,チャネル間干渉のない復調信号を得ることができる(【0009】)。

(オ) 実施例

引用発明1において,伝送されてきた変調信号は,入力端子に入力された後,アナログ信号としてA/D変換回路において速度fc〔Hz〕でサンプリングされ,yビットパラレルのディジタル信号として累積器の入力ポートに入力される。入力されたデータは,速度fc〔Hz〕で累積され,拡散符号の1周期(速度fc〔bps〕でL+2nビット)毎に累積値が累積器の出力ポートからzビットのパラレル信号として出力される(【0017】)。

累積器における累積の際の正負の極性は,送信機で用いたものと同一の拡散符号として,ROMに記憶されており,(L+2n)ビットを1周期とする符号の1ビットが1ならば,累積の極性は正,0ならば負として累積される。ROMには,累積器に対し,累積値を拡散符号の1周期毎にクリアする信号も記憶されているが,M系列の前後にnビットずつ付加されているものを拡散符号に用いた場合,クリア信号は前後に付加されたビットを極性とした累積の期間中累積器に入力されている(【0018】)。

これにより,拡散符号の1周期毎の累積において,変調時にM系列との排他的論理和を取った信号のみが累積され,前後に付加された計2nビットの期間は累積されない。クリア信号のレベルがLowのとき,累積値がクリアされるとすると,クリア信号の立ち下がりを累積器の出力クロックに用いることで,累積器の出力ポートからは,拡散符号前後nビットを除いたM系列の部分を極性とした変調信号の累積値がfc/(L+2n)〔bps〕で出力されることになる。累積器の出力ポートからのzビットパラレルのディジタル信号は,D/A変換回路に入力され,アナログ信号に変換された後,復調信号として出力端子から出力される(【0019】)。

また,この復調信号を同期判定回路に入力し,拡散符号の1周期毎に1ビットの復調信号が復調される場合にROMの読み出しアドレスがクリアされるようカウンタへのクリアパルスが送出され,伝送されてきた変調信号に施されている拡散符号との排他的論理和の周期と累積器における変調信号と符号との相関の周期に同期が取れることになる(【0020】)。

(カ) 発明の効果

引用発明1によれば,スペクトラム拡散による符号分割多重通信の各送信機における変調の際,拡散符号として,符号又は複数の符号に対し,チャネル間位相差に相当するビットnビットを各符号の前後に付加することで構成される符号,あるいはこれらをつなげて構成される符号を用い,各受信機における復調の際,元の各符号の前後に付加されているnビット部分を除き,元の符号と変調信号との相互相関値を復調信号とすることにより,チャネル間位相差による他チャネルのデータ信号の変化が原因となる相関値の増加分を排除できる(【0028】)。

さらに,元の符号にM系列のような巡回符号や複数の巡回符号を用いることにより,相互相関を求める期間において,チャネル間の符号の位相関係をチャネル間位相差=0で巡回符号や巡回符号をつなげて構成される符号を拡散符号に用いた場合の位相関係と等しくできるため,チャネル間位相差の大きさによらず,巡回符号や複数の巡回符号をつなげて構成される符号を,拡散符号に用いた場合と同じ値の振幅を持つ復調信号を得ることができるという効果を奏する(【0029】)。

イ 以上によれば,引用発明1は,各通信路(チャネル)の送受間に存在する距離差に起因して,受信側における各チャネルの変調信号間にレベル差及び位相差が生じるため,受信側における符号間の相互相関値が増加するところ,M系列のような符号に対して伝送路における各チャネル間の距離差に起因する最大のチャネル間位相差に相当するビット数nを,符号の前後に付加することで構成される符号を用い,受信側では,延長した部分を除いて相関を取り,復調信号を得ることで,各チャネルのデータ信号の変化による相互相関値の増加を抑えることにより,チャネル間レベル差やチャネル間位相差が存在しても,チャネル間干渉を抑えて複数のチャネルの分離復調を可能とするものである。

引用発明1は,各チャネルの信号に生じる位相差を課題として認識し,それを解決するものであるが,拡散符号の1周期毎にクリアパルスが送出され,伝送されてきた変調信号の周期と累積器における変調信号と符号との相関の周期に同期が取れることから,自チャネルの信号は,同期が取れることを前提とするものであって,自チャネルの信号に同期ずれが生じる近似同期状態(弱同期状態)の課題及びその解決については,認識しているものではない。

そして,引用発明1は,相関器である「累算器及びROM」は,拡散符号の1周期毎に出力する累積値を出力するが,それ以外のタイミングの出力を用いることは想定していない。また累算器及びROMは,それ以外のタイミングでは,所定の期間についての累積値を得ることはできないから,近似同期状態などにおいて同期ずれが生じた場合に,同期ずれに応じたタイミングで正しい累積値を出力できるものではない。

(2)  相違点1について

ア 引用発明1並びに本件発明と引用発明1との一致点及び相違点1に係る本件審決の認定は,当事者間に争いがない。

イ 本件発明は,近似同期状態にあり,同期ずれが生じた場合であっても,各タイミングにおいて相関値を出力する整合フィルタの出力から,同期ずれに応じたタイミングにおいて,正しい符号値を得ることを可能とするものである。

これに対して,引用発明1は,前記のとおり,各通信路(チャネル)の送受間の距離差に起因してチャネル間干渉が生じるという課題を解決することを目的とするものであって,自チャネルの信号のタイミングにずれがある状態(近似同期状態)に対応するという課題の認識はなく,そのような状態において,同期ずれに応じたタイミングにおいて出力される相関値を用いて,正しい符号値を得るという課題の解決手段を適用するという技術思想を有するものではない。

ウ 引用発明1の「累算器及びROM」と,本件発明の「整合フィルタ」とは,同期ずれが存在しない場合の所定のタイミング(積分期間の末尾のタイミングt)の出力(相関値)は同じものとなるが,累算器及びROMは,整合フィルタの出力とは異なり,それ以外の各タイミングにおいて,相関値を出力することはできない。すなわち,引用発明1の累積器及びROMは,近似同期状態などにおいて同期ずれが生じた場合には,同期ずれに応じたタイミングで正しい符号値を得ることができないから,近似同期状態における通信を実現することができないものである。

したがって,本件発明の「整合フィルタ」と引用発明1の「累積器及びROM」とが出力及び機能からみて等価ということはできない。

(3)  原告の主張について

ア 原告は,本件発明及び引用発明1は,共通の課題を解決するために,擬周期系列信号を拡散符号とし,受信側において擬周期化する前の符号との間で相関を取るという課題解決手段を採用する点において共通するものである,本件発明の「整合フィルタ」と引用発明1の「累積器及びROM」については,当業者は実質的に同一のものであると理解するものであるし,出力する相関値において等価であり,また,その果たす機能も共通するものであるなどと主張する。

しかしながら,引用発明1は,前記のとおり,近似同期状態に対応するという技術思想を有するものではなく,累積器及びROMも,近似同期状態における通信を実現するものでもないことから,原告の主張はいずれもその前提自体が誤りであって,採用することができない。

イ 原告は,被告らの主張は,整合フィルタとは別個独立の構成である「時間軸調整手段」をも取り込んで本件発明の整合フィルタの機能を解釈するもので,特許請求の範囲の記載や本件明細書の発明の詳細な説明の記載に基づかない主張であって,失当であるとも主張する。

しかしながら,整合フィルタにより,同期ずれが生じた場合には,同期ずれに応じたタイミングで正しい符号値を得ることができることは,上記のとおりであって,原告の主張は,理由がない。

(4)  小括

以上によれば,本件発明は,新規性を欠くものであるということはできない。よって,取消事由1は,理由がない。

3  取消事由2(引用発明1に基づく本件発明の容易想到性に係る判断の誤り)について

(1)  容易想到性について

ア 前記のとおり,本件発明と引用発明1とは,「(a0 ,a1 ,‥‥,aN-1)という長さNの信号に対する相関を利用して」に関し,本件発明は「(a

0 ,a1 ,‥‥,aN-1)という長さNの信号に対する整合フィルタを通して」であるのに対し,引用発明1は「(a0 ,a1 ,‥‥,aN-1)という長さNの信号に対する累積値を拡散符号の1周期毎に出力して」である点(相違点1)において相違する。

イ  引用発明1は,前記のとおり,自チャネルの信号のタイミングにずれがある状態(近似同期状態)に対応するという課題の認識はなく,そのような状態において,ずれたタイミングであっても出力される相関値を用いて,正しい符号値を得るという課題の解決手段を適用するという技術思想も存在しない。そうすると,「累積器及びROM」に代えて,近似同期状態においてタイミングがずれた生じた場合であっても,同期ずれに応じたタイミングで出力される相関値を用いて正しい符号値を得るという課題を解決する手段である「整合フィルタ」を採用する動機付けは存在しない。

ウ  また,仮に,引用発明1の「累積器及びROM」に代えて,「整合フィルタ」を採用した場合,「整合フィルタ」の所定のタイミングにおける出力(累算器が1周期毎の累積値を出力するタイミングにおける出力)を相関値として用いることは想定されるものの,所定のタイミング以外のタイミングで整合フィルタの出力する相関値を用いることは引用発明1が想定しないものである以上,近似同期状態においても正しい符号値を得られることにはならないから,本件発明の課題を解決することはできない。

エ  したがって,引用発明1に引用例3及び4等において開示された周知の整合フィルタを組み合わせても,当業者が本件発明を容易に想到し得たものということはできない。

(2) 原告の主張について原告は,引用発明1における課題解決に不可欠な手段は,送信機側でL+2nの擬周期系列の拡散符号を用いる点と,受信機側でnビット部分の相関を取らない点にあり,相関を取る手段として累積器及びROMを用いるか,整合フィルタを用いるかは単なる設計事項にすぎない,引用例1には,引用発明1の課題解決手段を実現するための受信機において,広義の相関器に属する各種の相関検出手段(累積器又は整合フィルタ)を採用し得ることに関する示唆や動機付けは十分認められるものである,本件発明の効果は,引用発明1に周知の整合フィルタを組み合わせたことにより生ずる効果から予測できる範囲のものにすぎないなどと主張する。

確かに,引用発明1において,「長さNの信号に対する整合フィルタ」を採用しても,拡散符号の1周期毎には累算器の出力する累算値と等価の相関値を出力するものであるから,整合フィルタを採用すること自体には阻害要因があるとまで,いうことができない。そうすると,本件審決が,引用発明1の目的を達成するには,拡散符号の1周期毎に累積値を出力する動作が不可欠な構成であるとした点については,措辞適切を欠くものというほかない。

しかしながら,引用発明1は,前記のとおり,各通信路(チャネル)の送受間の距離差に起因してチャネル間干渉が生じるという課題を解決することを目的とするものであって,自チャネルの信号のタイミングにずれがある状態(近似同期状態)に対応するという課題の認識はなく,そのような状態において,同期ずれに応じたタイミングで出力される相関値を用いて,正しい符号値を得るという課題の解決手段を適用するという技術思想を有するものではないから,近似同期状態にあり,同期ずれが生じた場合であっても,各タイミングにおいて相関値を出力する整合フィルタを用いることにより,同期ずれに応じたタイミングにおいて,正しい符号値を得ることに係る示唆が引用例1に存在するものではないことは明らかである。

また,引用発明1に,拡散符号の1周期毎には累積器の出力する累積器と等価の相関値を出力するという意味においては等価な整合フィルタを適用しても,引用発明1の効果(チャネル間レベル差,チャネル間位相差が存在しても,チャネル間干渉を抑えて複数のチャネルの分離復調を可能とする。)と等価な効果を奏することが可能となるものにすぎず,本件発明と同様の効果を奏するものではないから,前記のとおり,引用例1には,整合フィルタを用いることに係る動機付けを認めることもできない。

したがって,本件審決には,これを取り消すべきほどの違法があるとまで,いうことはできない。原告の主張は採用できない。

(3) 小括

以上によれば,本件発明は,引用発明1に,引用発明2ないし引用発明4等を組み合わせることにより,当業者が容易に想到し得るものということはできない。よって,取消事由2は,理由がない。

4 取消事由3(引用発明2に基づく本件発明の容易想到性に係る判断の誤り)について

(1) 引用発明2について

ア  引用例2(甲2)には,おおむね次の記載がある。

(ア) 技術分野

引用発明2は,スペクトル拡散変復調方式に関する発明である(【0001】)。

(イ) 従来技術

従来,送信機において同期用と復調用に別の相関の少ない擬似雑音符号(PN)符号を用意し,両符号を電力合成して送信信号とする方式が存在したが,受信側でも別のPN符号とそれに対応する相関器を必要とするため,回路的には複雑になるという欠点があった(【0002】)。

(ウ) 目的

引用発明2は,同一のPN符号系列を元にその一部を情報伝送に用い,残りを同期保持に用いることで,簡易な構成のスペクトル拡散同期方式においてもBPSK変調を使用することができるようにすること,また,搬送周波帯域の拡散信号に対しても適用できるようにすること,さらに,同期点のずれを除去するためのスペクトル拡散変復調方式を提供することを目的とする(【0006】)。

(エ) 構成

引用発明2は,上記目的を達成するために,①送信側では,クロック発生器により擬似雑音(PN)符号発生器を駆動し,擬似雑音符号発生器の出力信号を2分して,一方に情報信号を掛けて系列1とし,他方にクロック信号を乗算器により掛けて系列2とし,系列1と系列2とを利得調整回路により重み付けをして加算器により加算したものを送信信号とし,受信側では,送信側と同一の擬似雑音発生器からの出力信号と送信機からの信号の相関を相関器により演算し,相関出力を直流信号のみ通過させる低域通過フィルタ(LPF)を通して電圧制御発振器の制御電圧とし,擬似雑音符号発生器の駆動クロックを制御する一方,相関出力を判定器に通すか,低域通過フィルタ(LPF)の前後の信号を比較することにより,情報信号を再生する,②上記①において,送信側では,クロック信号を分周器によりn分周した信号で擬似雑音符号発生器を駆動し,元のクロック信号と擬似雑音符号出力,情報信号の3つを掛合わせた系列を系列1とする一方,元のクロック信号を位相器でπ/2移相したものと擬似雑音符号出力を掛合わせた系列を系列2とし,系列1と系列2に重み付けをして加算器により加算したものを送信信号とし,受信側では,電圧制御発振器出力をn分周して送信側と同一の擬似雑音符号発生器を駆動し,擬似雑音符号発生器の出力と該擬似雑音符号発生器の出力を掛合わせた系列と送信機からの信号の相関を相関器により演算し,相関出力を直流信号のみ通過させる低域通過フィルタ(LPF)を通して電圧制御発振器の制御電圧とし,擬似雑音符号発生器の駆動クロックを制御する一方,相関出力を判定器に通すか,低域通過フィルタ(LPF)の前後の信号を比較することにより,情報信号を再生する,③上記①又は②において,情報信号の1と0の平均データ数が等しくなるように情報信号を符号化する,④上記①,②又は③において,伝送情報がない場合に情報信号伝送用の擬似雑音符号系列(系列1)の出力を停止する制御スイッチを設けることを特徴とするものである(【0007】)。

引用発明2では,送信側と同一のPN符号発生器を設け,その出力と受信信号との相互相関を相関器により求める。相関器の出力を情報信号の帯域以上の周波数成分を遮断する低域通過フィルタに通し,その出力を制御信号として電圧制御発振器の出力クロック周波数を制御し,PN符号の同期を図る。情報信号は低域通過フィルタの前の相関器の出力に現れるので,これをヒステリシスのあるコンパレータ等の判定器に通すことによって情報信号を復調することができる。なお,低域通過フィルタの前後の信号を比較することにより情報信号を復調することも可能である(【0011】)。

(オ) 効果

引用発明2によると,同期制御用の拡散符号とそれより出力の小さい情報伝送用の拡散符号を足し合わせて送信信号としているため,情報伝送用符号に対して,直接拡散方式によく用いられるBPSK変調をかけることが可能となる。また,2つの拡散符号生成に同一のPN符号発生器を用いるため,回路構成が容易である。さらに,復調器においては,受信信号と受信側PN符号発生器出力の相関出力により同期と情報復調の両方の役割を持たせているため,相関器の数が1つで足り,回路構成が簡単になる(【0016】)。

イ  以上によれば,引用発明2において,クロック信号は,「系列2」として,情報信号を掛けた「系列1」と加算されて送信信号が形成され,受信側では,送信機からの信号を用いて駆動クロックを制御するものであるから,送信側のクロック信号と受信側の疑似雑音符号発生器の駆動クロックを同期させ,PN符号の同期を図ることを前提とするものである。

また,復調器は,受信信号と受信側PN符号発生器出力の相関出力により同期と情報復調の両方の役割を有するものである。

そして,相関器の出力を情報信号の帯域以上の周波数成分を遮断する低域通過フィルタに通すと,情報信号は低域通過フィルタの前の相関器の出力に現れる。

さらに,PN符号は,周期系列の1周期分を送受信信号として用いるものではなく,擬似雑音符号発生器の出力信号として連続的に出力されるものである。

(2) 相違点2及び3について

ア  引用発明2並びに本件発明と引用発明2との一致点及び相違点について,本件審決の認定は,当事者間に争いがない。

イ  引用発明2においては,前記のとおり,クロック信号は「系列2」として,情報信号を掛けた「系列1」と加算されて送信信号が形成され,受信側では,送信機からの信号を用いて駆動クロックを制御するものであるから,送信側のクロック信号と受信側の疑似雑音符号発生器の駆動クロックを同期させ,PN符号の同期を図ることを前提としているものであって,引用発明2には,近似同期状態における信号の受信についての認識がないことは明らかである。

したがって,引用発明2について,引用例3において開示された,近似同期状態における信号の送受信に関するM系列符号を適用する動機付けは存在しないというべきである。

ウ  引用発明2において,復調器は,受信信号と受信側PN符号発生器出力の相関出力により同期と情報復調の両方の役割を有するものであるから,このような相互相関を得るためには,送信時に用いたPN符号と同じ符号を用いる相関器は,引用発明2の目的を達成するために必須の構成であるということができる。

したがって,引用発明2において,送信時に用いたPN符号と同じ符号を用いる相関器は必須の構成であるというべきであるから,長さN(すなわち異なる符号)の信号に対する整合フィルタを採用することには,阻害要因があるというほかない。

(3) 原告の主張について

原告は,積分区間が使用される符号系列の長さよりも短い場合に関する引用例4の記載から,当業者は受信信号において有限長の周期系列符号が用いられている場合を想起することは容易であると主張する。

しかしながら,引用例4(甲4)には,積分区間が符号系列の長さよりも短い場合,2符号間で同一のビットパターンが存在したり,同一の符号内で同一のビットパターンが繰り返されたりする場合があるため,正規の符号同期と誤認されるおそれがあること(符号系列の一部だけを切り出すと,正規の符号系列と一致する場合があること)に関する記載があるにすぎない。当業者は,引用例4の当該記載から,積分期間を符号系列の長さよりも十分長くする,2符号間で同一のビットパターンが存在しない符号系を採用する,同一の符号内で同一のビットパターンが繰り返されない符号を採用するなどの解決手段を想起することが可能であるということができるが,「(a0 ,a1 ,‥‥,aN-1)という長さNの信号」の前後に長さLの信号を付加して,「(aN-L ,…,aN-1 ,a0 ,…,aN-1 ,a0,…,aL-1)という長さN+2Lの信号」を送信信号として,受信側では「長さNの信号」に対する相関値を得るという,積分期間を符号系列の長さよりも短くする構成を想起することが明らかであるとまで,いうことはできない。

また,引用発明2は,「伝送すべき情報信号とPN符号とを乗算することで得られた信号を送信信号とし,送信時に用いたPN符号と同じ符号を用いる相関器を通して,前記情報信号を受信する通信方式」 であって,引用例4に記載された「同期検出器のように,使用される符号系列の長さよりも短かい積分区間をとる」ものではなく,相関器の出力を情報信号の帯域以上の周波数成分を遮断する低域通過フィルタに通すと,情報信号は低域通過フィルタの前の相関器の出力に現れるものである。そして,PN符号は,周期系列の1周期分を送受信信号として用いるものではなく,擬似雑音符号発生器の出力信号として連続的に出力されるものである。

したがって,引用例2及び4に接した当業者が,本件発明の課題である,周期系列の1周期を整合フィルタに入力すると,自己相関にサイドローブが現れる課題を認識して,引用発明2に,引用例3により開示されたプリアンブル符号を組み合わせる動機付けがあるということはできない。原告の主張は採用できない。

(4) 小括

以上によれば,本件発明は,引用発明2に引用発明3及び引用発明4等を組み合わせることにより,当業者が容易に想到し得るものということはできない。よって,取消事由3は,理由がない。

5 結論

以上の次第であるから,原告の請求は棄却されるべきものである。

(裁判長裁判官 髙部眞規子 裁判官 井上泰人 裁判官 荒井章光)

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