知財高等裁判所 平成23年(行ケ)10248号 判決 2012年5月23日
原告
ユニチカ株式会社
同訴訟代理人弁理士
奥村茂樹
阿部清二
被告
東洋紡績株式会社
同訴訟代理人弁理士
植木久一
植木久彦
菅河忠志
柴田有佳理
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第1請求
特許庁が無効2010-800127号事件について平成23年6月29日にした審決を取り消す。
第2事案の概要
本件は,原告が,下記1のとおりの手続において,被告の下記2の本件発明に係る特許に対する原告の特許無効審判の請求について,特許庁が同請求は成り立たないとした別紙審決書(写し)の本件審決(その理由の要旨は下記3のとおり)には,下記4のとおりの取消事由があると主張して,その取消しを求める事案である。
1 特許庁における手続の経緯
(1) 本件特許
被告は,平成5年3月11日,発明の名称を「生分解性農業用繊維集合体」とする特許出願(特願平5-50881号)をし,平成17年8月26日,設定の登録(特許第3711409号。請求項の数1)を受けた(甲54)。以下,この特許を「本件特許」という。
(2) 原告は,平成22年7月22日,本件特許について,特許無効審判を請求し,無効2010-800127号事件として係属した(甲60)。
(3) 被告は,平成22年12月13日,訂正請求(甲55。以下「本件訂正」という。)をし,特許庁は,平成23年6月29日,「訂正を認める。本件審判の請求は,成り立たない。」旨の本件審決をし,同年7月6日,その謄本が原告に送達された。
2 本件発明の要旨
本件訂正前後の特許請求の範囲の請求項1の記載は,次のとおりのものである。
以下,本件訂正前の請求項1の発明を「本件発明」,本件訂正前の明細書(甲54)を「本件明細書」といい,本件訂正後の請求項1の発明を「本件訂正発明」,本件訂正後の明細書(甲55)を「本件訂正明細書」という。
(1) 本件訂正前
一般式-O-CHR-CO-(但し,RはHまたは炭素数1~3のアルキル基を示す)を主たる繰り返し単位とする脂肪族ポリエステルを主成分とする下記a群の用途の中のいずれかである生分解性農業用モノフィラメント及び/又はマルチフィラメント繊維集合体a群防虫用シート,遮光用シート,防霜シート,防風シート,農作物保管用シート,保温用不織布,防草用不織布,農業用ネット,農業用ロープ
(2) 本件訂正後(下線部は訂正箇所を示す。)
式-O-CH(CH3)-CO-を主たる繰り返し単位とするポリ乳酸を主成分とする下記a群の用途の中のいずれかである生分解性農業用の溶融紡糸によるスパンボンド不織布
a群
防虫用シート,遮光用シート,防霜シート,防風シート,農作物保管用シート,保温用不織布,防草用不織布
(3) なお,本件訂正のうち,「モノフィラメント及び/又はマルチフィラメント繊維集合体」を「の溶融紡糸によるスパンボンド不織布」と訂正する事項を,「訂正事項A」という。
3 本件審決の理由の要旨
(1) 本件審決の理由は,要するに,本件訂正は適法であり,本件訂正発明は,①下記アの引用例1に記載された発明及び下記ウないしカの引用例に記載された事項に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであるとはいえない,②下記イの引用例2に記載された発明及び下記ウないしカの引用例に記載された事項に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであるとはいえない,などとしたものである。
ア 引用例1:日本繊維機械学会編「産業用繊維資材ハンドブック(初版)」(日本繊維機械学会,昭和54年6月25日発行。甲1)
イ 引用例2:特開平2-139468号公報(甲10)
ウ 引用例3:特開平5-59612号公報(平成5年3月9日公開。甲2)
エ 引用例4:特開平4-57953号公報(甲3)
オ 引用例5:欧州特許出願公開第510999号明細書(平成4年(1992年)10月28日公開。甲4)
カ 引用例6:特開平3-262430号公報(甲44)
(2) なお,本件審決は,その判断の前提として,引用例1に記載された発明(以下「引用発明1」という。)並びに本件訂正発明と引用発明1との一致点及び相違点を,以下のとおり認定した。
ア 引用発明1:繊維使用農業資材であって,スパンボンド不織布又はポリエステルを素材とする短繊維不織布からなり,保温,防草,遮光等を目的として使われる,上記繊維使用農業資材
イ 一致点:ポリエステルを主成分とする,遮光用シート,保温用不織布又は防草用不織布である,農業用の溶融紡糸によるスパンボンド不織布
ウ 相違点1:上記の,ポリエステルを主成分とする,遮光用シート,保温用不織布又は防草用不織布である,農業用の溶融紡糸によるスパンボンド不織布が,本件訂正発明では,式-O-CH(CH3)-CO-を主たる繰り返し単位とするポリ乳酸を主成分とする生分解性の不織布であるのに対し,引用発明1では,ポリエステルを主成分とする生分解性でない不織布である点
(3) また,本件審決は,その判断の前提として,引用例2に記載された発明(以下「引用発明2」という。),本件訂正発明と引用発明2との一致点及び相違点を,以下のとおり認定した。
ア 引用発明2:ポリエチレンテレフタレートを芯成分とし,ポリエチレンテレフタレートより融点が20℃以上低いポリエチレン,ポリプロピレン,ナイロン又は共重合ポリエチレンテレフタレートを鞘成分とする複合繊維からなる,溶融紡糸によるスパンボンド不織布であって,前記複合繊維が長繊維フイラメントからなり,かつ,該複合繊維の鞘成分に紫外線吸収剤が含有されている複合繊維からなる,保温を目的とした農業用不織シート
イ 一致点:ポリエステルを主成分とする,保温用不織布である,農業用の溶融紡糸によるスパンボンド不織布
ウ 相違点2:上記の,ポリエステルを主成分とする,保温用不織布である,農業用の溶融紡糸によるスパンボンド不織布が,本件訂正発明では,式-O-CH(CH3)-CO-を主たる繰り返し単位とするポリ乳酸を主成分とする生分解性の不織布であるのに対し,引用発明2では,ポリエチレンテレフタレートを芯成分とし,ポリエチレンテレフタレートより融点が20℃以上低い共重合ポリエチレンテレフタレートを鞘成分とする複合繊維からなる,生分解性でない不織布である点
4 取消事由
(1) 訂正の適否の判断の誤り(取消事由1)
(2) 引用例1を主引用例とした場合の容易想到性に係る判断の誤り(取消事由2)
(3) 引用例2を主引用例とした場合の容易想到性に係る判断の誤り(取消事由3)
第3当事者の主張
1 取消事由1(訂正の適否の判断の誤り)について
〔原告の主張〕
(1) 「モノフィラメント」等の概念の解釈の誤りについて
ア 訂正事項Aは,特許請求の範囲を拡張するものである。
すなわち,本件明細書には,「モノフィラメント」及び「マルチフィラメント」の定義に関し何らの記載もない。また,「スパンボンド不織布」については,その用語自体,本件明細書に記載がないから,これらの概念は技術常識によって決定されるべきである。
本件審決は,「モノフィラメント」及び「マルチフィラメント」の概念が不明確なまま訂正事項Aが特許請求の範囲を拡張又は変更するものではないと判断した。
しかしながら,単独で使用できない1本の連続した極めて長い繊維又は短い繊維,すなわち,モノフィラメントでもマルチフィラメントでもない長い繊維又は短い繊維で構成される溶融紡糸によるスパンボンド不織布が,特許請求の範囲に追加されたことになるから,訂正事項Aが特許請求の範囲を拡張することは明らかである。
なお,本件審決は,「モノフィラメント」は「モノフィラメント糸」のことであり,「マルチフィラメント」は「マルチフィラメント糸」のことであると認定し,これらは「溶融紡糸によるスパンボンド不織布」を構成する繊維とは関係がないと判断したが,「モノフィラメント」及び「マルチフィラメント」が「溶融紡糸によるスパンボンド不織布」を構成する繊維と無関係であるとすれば,訂正事項Aは特許請求の範囲を変更するものであることが明らかである。
イ 次に,本件審決は,「スパンボンド不織布」について,一般的には,従来の短繊維を用いた不織布と対比される,長繊維を用いた不織布であって,紡糸しながら布がつくられるものであると定義したが,証拠に反する。
「スパンボンド不織布」とは,構成繊維の種類を問わずに,「紡糸堆積法で得られたウェブを1つ又は2つ以上の手段で結合させて得られた完全な布」と定義するべきである(甲6,7,38)。
ウ 以上のとおり,モノフィラメント又はマルチフィラメントとは,1本又は2本以上のフィラメントからなる糸のことであるから,「モノフィラメント及び/又はマルチフィラメント繊維集合体」とは,「1本又は2本以上のフィラメントからなる糸の繊維集合体」と定義付けられる。
一方,「溶融紡糸によるスパンボンド不織布」をあえて定義すれば,「溶融紡糸堆積法で得られたウェブを1つ又は2つ以上の手段で結合させて得られた完全な布」ということになる。
「1本又は2本以上のフィラメントからなる糸の繊維集合体」と「溶融紡糸堆積法で得られたウェブを1つ又は2つ以上の手段で結合させて得られた完全な布」の概念は,その観点を全く異にするものであり,後者には,1本又は2本以上のフィラメントからなる糸の繊維集合体以外のものが含まれている。したがって,訂正事項Aは,特許請求の範囲を拡張又は変更するものであることは明らかである。
エ 仮に,スパンボンド不織布の定義が,本件審決の認定したとおりだとすると,溶融紡糸によるスパンボンド不織布は,「一般的には,従来の短繊維を用いた不織布と対比される,長繊維を用いた不織布であって,溶融紡糸しながら布がつくられるもの」であり,溶融紡糸によるスパンボンド不織布は長繊維よりなるものということになる。
しかしながら,長繊維よりなる繊維集合体(スパンボンド不織布)は,「モノフィラメント及び/又はマルチフィラメント繊維集合体」(1本又は2本以上のフィラメントからなる糸の繊維集合体)とは異なるものである。なぜなら,「長繊維」の概念と,「モノフィラメント糸」又は「マルチフィラメント糸」の概念とは,異なるからである。まず,繊維という概念と糸という概念は,繊維は糸の材料であって,その概念が異なる。繊維は,その強度が乏しく1本では使用できないものであり,1本では使用できない繊維を束ねて,強度を高めて糸を作るから,「長繊維」とは,その強度が乏しく1本では使用できない長いものということになる。これに対し,「モノフィラメント糸」とは,1本で使用し得る長いものであり,「マルチフィラメント糸」とは,2本以上束ねて使用し得る長いものである。
よって,長繊維よりなる繊維集合体とは,1本では使用できない強度の長いものからなる集合体であり,「モノフィラメント及び/又はマルチフィラメント繊維集合体」というのは,1本で使用し得る強度を持つ長いもの及び/又は2本以上を束ねて使用し得る強度にした長いものからなる集合体である。
そうすると,本件審決の溶融紡糸によるスパンボンド不織布の誤った定義付けに基づいても,訂正事項Aは,モノフィラメント糸又はマルチフィラメント糸が長繊維に変更するものであり,特許請求の範囲を拡張又は変更することは明らかである。
オ 本件審決は,「長繊維」が「モノフィラメント糸及び/又はマルチフィラメント糸」であるとの前提に立っているが,かかる前提を根拠付ける何らの証拠もない。
特許請求の範囲から,「モノフィラメント及び/又はマルチフィラメント」なる用語が削除されたことにより,特許請求の範囲が拡張又は変更される可能性が極めて大きい。したがって,このような場合には,厳密に各用語を定義付けして拡張又は変更に該当するか否かを検討すべきであるにもかかわらず,本件審決は,自らの勝手な感覚的前提に立っている。
(2) 補正の適法性と訂正の適法性とを混同した誤りについて
ア 本件審決は,特許後の訂正は,審査段階で適法に補正された明細書の記載に基づいてされたものであるから,特許請求の範囲を拡張又は変更するものではないと判断したが,違法である。
審査段階の補正は,特許法17条の2に規定する要件を満足する範囲で行われるのに対し,訂正請求は,同法134条の2に規定する要件を満足する範囲で行われるものであるから,補正が適法であることは,訂正を認める根拠にはならない。
イ 審査経過
(ア) 本件特許の当初明細書の記載において,モノフィラメント又はマルチフィラメントを用いて,スパンボンド法で不織布を得ることは記載されていない。また,当初明細書には,繊維集合体が不織布であり,その使用用途が農業用育苗布であるものが,実施例として記載されていた。
(イ) しかるに,被告は,拒絶理由通知に対する手続補正書(甲58)を提出し,特許請求の範囲については,繊維束,織物,編物及び不織布等の繊維集合体が,モノフィラメント及び/又はマルチフィラメントからなるものであるという限定と,農業用途の中でも,防虫用シート等に用いられるものであるという限定を行った。
そして,当初の実施例は育苗布に関するものであったのを,特許請求の範囲から育苗布が除外された結果,実施例の記載は育苗布に関するものではなく,育苗布ではない不織布(農業用とも限らない不織布)に変更された(【0014】)。つまり,繊維集合体が不織布であり,その使用用途が不明なものに変更されたが,この例は実施例とはいえず,参考例に相当するものである。また,特許請求の範囲に「モノフィラメント及び/又はマルチフィラメント」なる要件が付加されたため,この実施例が補正された特許請求の範囲内であるか否かも不明である。
そして,その後,特許請求の範囲が本件発明のとおり補正され,実施例は補正されずに特許付与に至った(甲59)。
(ウ) 以上の審査経過を参酌すれば,本件明細書に記載された実施例は,モノフィラメント及び/又はマルチフィラメントからなるものであるか否か不明であるし,不織布ではあるが使用用途も不明なものであるから,かかる実施例は参考例に相当し,特許請求の範囲内のものであるとは認められない。また,実施例記載の不織布が農業用に限定されていないことから,少なくとも,本件特許請求の範囲外のものを含んでいることは明らかである。
ウ このように,本件明細書の実施例が少なくとも特許請求の範囲外のものを含むから,それに基づいて本件特許請求の範囲を訂正することは,特許請求の範囲の拡張に該当する。
(3) 訂正が認められない場合の本件発明の進歩性欠如について訂正が認められない場合,本件発明は,引用例1に記載された発明に基づき,進歩性が認められない。すなわち,引用例3ないし5には,ポリエステルやポリオレフィン等の従来の合成樹脂が生分解性(又は加水分解性)でないために廃棄処理が困難で,環境破壊の原因となっているため,これらの合成樹脂に代えて,ポリ乳酸(ポリラクチド)を使用することが記載されているから,環境破壊を防止する観点から,引用発明1に記載されているポリエステルモノフィラメント又はマルチフィラメントを,ポリ乳酸(ポリラクチド)モノフィラメント又はマルチフィラメントに置換することは,当業者が容易に発明し得ることである。
〔被告の主張〕
(1) 「モノフィラメント等」の概念の解釈の誤りについて
ア 「モノフィラメント」及び「マルチフィラメント」の意義
(ア) 訂正事項Aは,特許請求の範囲の拡張又は変更には当たらないから,本件審決に誤りはない。
(イ) インターネット・ホームページにおける,原告自身の「モノフィラメント」の用語使用例を見てみると,「マルチフィラメントは糸であって繊維でない」という原告の主張と整合していない説明を展開している(甲53)。
(ウ) およそ文言ないし単語たるものは,文言ないし単語の全体的結合あるいは修飾・被修飾関係の中で言語としての意味を有し,社会的共通概念を有するものとして伝達し合えるものである。原告は,甲5の「モノフィラメント」,「マルチフィラメント」,「紡績糸」の部分だけを抽出して本件審決の判断を非難しており,到底採用の余地がない。
(エ) 仮に「モノフィラメント」や「マルチフィラメント」が糸であり,それゆえに「モノフィラメント」や「マルチフィラメント」を,「モノフィラメント糸」や「マルチフィラメント糸」に置き換えて解釈できる場合があったとしても,原告の主張は正鵠を射るものではない(甲26,52)。本件における「フィラメント」と「フィラメント糸」とは別物であり,したがって「モノフィラメント」や「マルチフィラメント」はむしろ「糸」ではなく,「長繊維」に属すると理解するのが当業者の素直な解釈である。
(オ) そもそも本件訂正前の特許請求の範囲では,「モノフィラメント及び/又はマルチフィラメント」の文言を単独で使用しておらず,「繊維集合体」の文言と一体的に使用している。本件訂正前の特許請求の範囲に記載されている技術は,繊維集合体を構成する素材がモノフィラメント及び/又はマルチフィラメントであり,フィラメントは長い繊維であるから,訂正事項Aの実体は,その長い繊維が溶融紡糸によるスパンボンド法という公知の手法によって集合させられ,その集合体形式をスパンボンド法によって製造される不織布形態であることを明示したにすぎない。
イ スパンボンド不織布について
(ア) 甲6には,「定義は明らかでなく」に続いて,スパンボンド不織布が短繊維不織布に対比される長繊維不織布であることを明示した上で,近時の技術水準・技術常識では,紡糸された長繊維を用いた不織布であるとのほぼ共通理解が行きわたっていたことを示している。しかるに,原告は,それ以前の定義が不明確であるとの記述部分を取り上げ,本件出願当時の技術水準を基礎として技術用語解釈を行うことを放棄している。
甲6ではスパンボンド布と短繊維不織布とが全く別のものとして取り扱われ,そして物性の比較までされており,長繊維を用いたものとして記載され,ただ1箇所「その他の方法」の項でステープルの記載が出てくるだけであった。原告はこの1点の記載のみに基づいて拡張的な主張を行っている。
(イ) 甲7には,「スパンレイされたウェブ:スピンレイ法によって製造されたウェブ」,「スパンレイされた不織布;”スパンボンディッド”:繊維一体物を製造する為の一つ又はそれ以上の技術によって結合したスパンレイされたウェブ」が示されている。
(ウ) 結局,甲6,甲7のいずれにおいても,原告は公知技術の全体像から眼を逸らせた主張をしており,これら甲号証全体を考慮すれば,本件審決の判断は極めて妥当なものである。
(エ) 甲38には,確かに原告が主張するように「ステープル」なる用語が記載されているが,この1点のみの記載によりこれを当業界の常識であると考えるのは適切ではない。
(オ) インターネット・ホームページにおいて,原告自身「溶融紡糸によるスパンボンド不織布」を構成する繊維が長繊維であって短繊維でないことを表明している。
ウ 「モノフィラメント」や「マルチフィラメント」は,糸とは明瞭に区別された概念であり,糸そのものではないとの立場に立っているからこそ「モノフィラメント糸」との表現がされていることは明白である。そうであれば,むしろ「モノフィラメント」や「マルチフィラメント」は,「フィラメント(=長繊維)」が「モノ」や「マルチ」として存在するものであると解釈されるべきである。
甲37に「モノフィラメント」が1本の単繊維でできている糸であるとの定義が示されているが,これはかえって「モノフィラメント」が1本の単繊維そのものであると理解できる定義づけであり,「モノフィラメント」は糸ではなく繊維である。
エ 原告が提出した甲26と甲27は,本件特許出願当時の技術的理解や技術的水準を論じる資料として,余りに不適切である。「溶融紡糸によるスパンボンド不織布」は「モノフィラメント及び/又はマルチフィラメント繊維集合体」であって,その一形態であるから,下位概念化による特許請求の範囲の減縮である。
(2) 補正の適法性と訂正の適法性とを混同した誤りについて
ア 本件審決は,適法な補正であるから適正な訂正であるとは述べておらず,原告の主張は,文理解釈的にも誤っている。
イ 審査経過について
(ア) 当初明細書の特許請求の範囲と実施例の対比について,原告は,「マルチフィラメントは糸であって繊維でない」という本件における原告の主張と整合しない説明を展開している(甲53)。次に,原告の出願に係る公開公報(甲10)の記載方法は,本件明細書の実施例に係る製造方法と実質的に同じであり,スパンボンド不織布の概念が当業者にとって不明確なものではなく,当初明細書にモノフィラメント又はマルチフィラメントを用いてスパンボンド不織布を得ることが記載されている。
(イ) 補正の経緯は認めるが,この補正は審査過程で引用された特許法29条の2の「他の特許出願」の記載内容に鑑み,当該出願との同一を回避するために特許請求の範囲を減縮し,併せて実施例における「育苗布」の文言を削除したものにすぎない。本件発明を実施するための常法としてポリ乳酸のスパンボンド不織布を製造する方法及び当該不織布を土壌中に埋設して行った生分解テストの結果などについては,一切変更していない。
(ウ) 補正の結果として本件明細書の実施例の記載から「育苗布」の文言が削除されたとしても,本件明細書全文を読めば,実施例によって製造される「溶融紡糸によるスパンボンド不織布」が防虫用シート,遮光用シート,防霜シート,防風シート,農作物保管用シート,保温用不織布,防草用不織布などとして利用できることは,当業者にとって極めて容易に想定・理解できる範囲内である。
結局,本件明細書全文を,実施例も併せ読めば,スパンボンド不織布としての製造方法が明瞭に示され,そして得られた不織布が土壌中で分解を受けることが明瞭に示されているのであるから,その実施例を参考例というか否かにかかわらず,本件発明は,農業用途に特定された発明として評価されるものである。
ウ 参考例というか実施例というかにかかわらず,上記製造手順や分解実験などの開示によりa群記載の各用途における農業用スパンボンド不織布についての記載が本件明細書に存在したことは明らかであるから,本件審決は補正の適法性に関する判断と,訂正の適法性に関する判断を混同していない。
特許法134条の2第5項で準用する同法126条4項の適用に際しては,訂正前後の特許請求の範囲を対比することが骨子となるべきである。
そもそも,発明の詳細な説明としては,当業者が発明を実施することができるように記載すべきであることが求められているところ,必要があるときには実施例を記載すべきであるから,明細書全文に触れ得た当業者であれば誰でも a 群用途への適用・実施を容易に理解・想定できるような本件発明においては,ことさら,実施例的記述が要求されるわけではない。
2 取消事由2(引用例1を主引用例とした場合の容易想到性に係る判断の誤り)について
〔原告の主張〕
(1) 容易想到性の判断の前提となる認定について
容易想到性の判断を行う場合,本件訂正発明の解決課題及び解決手段を適切に認定しなければならず,各証拠記載内容を適切に認定しなければならない。
本件審決は,本件訂正発明の解決課題及び解決手段の認定を誤り,また各証拠記載内容の認定を誤り,さらに容易想到性の論理付けを誤っている。
(2) 本件訂正発明の解決課題及び解決手段の認定について
ア まず,発明の解決課題及び解決手段の認定は,明細書の記載に基づいて行わなければならない。
本件訂正明細書の記載によれば,本件訂正発明の解決課題は自然環境下で分解する農業用繊維集合体を得ることであり,本件訂正発明の解決手段は繊維集合体の素材として従来のポリエチレン等に代えて,ポリ乳酸を用いることである。そして,ポリ乳酸は生分解性と良好な物性を有しているので,使用後に自然環境下で分解し環境破壊の心配がない。
イ 本件審決は,実施例の記載に基づいて効果を認定しているが,実施例は参考例であって,農業用不織布に限定されておらず,用途無限定の不織布の効果である。
したがって,この実施例の効果を本件訂正発明の効果と認定するのは誤りである。本件訂正発明の効果は,本件訂正明細書の記載に基づいてポリ乳酸という素材が持つ生分解性と物性にのみ起因するものと認定すべきである。
特許請求の範囲に記載された用途限定が,技術的意義を有するか否かは,本件訂正明細書に記載された発明の解決課題,解決手段及び効果に基づいて認定しなければならないところ,これを無視して,特許請求の範囲に記載されているだけで技術的意義があると認定した本件審決は,誤りである(甲31)。本件審決は,特許請求の範囲に記載された用途限定が,明細書の記載に基づいて,どのような意味を有するかを認定しておらず,自らの審査基準にも反している。
よって,本件訂正発明を,用途限定に意味のある発明又は用途発明と認定した本件審決は,ポリ乳酸が生分解するという属性が未知であるか又は公知であるかの認定を行わずに行ったものであり,本件訂正発明の解決課題及び解決手段の認定を誤っている。
ウ 本件訂正発明の用途限定に意味はなく,かつ用途発明でもない。
本件訂正発明の解決課題,解決手段及び効果と,甲11ないし甲13記載の各発明の解決課題,解決手段及び効果とは,いずれも実質的に同一であり,両者は,ポリ乳酸は生分解性があるという公知の属性を利用したものである。
以上の点から,本件訂正発明が農業用の使用用途に係る用途限定に意味はなく,かつ用途発明でないことは明らかであり,本件審決は本件訂正発明の解決課題及び解決手段の認定を誤っている。
エ 本件訂正発明の解決課題は,自然環境下で分解する農業用繊維集合体を得ることであり,その解決手段は,繊維集合体の素材として従来のポリエチレン等に代えてポリ乳酸を用いることであり,その効果は,ポリ乳酸を用いたことにより使用後に自然環境下で分解し環境破壊の心配がない発明と認定すべきである。
(3) 本件訂正発明と引用例1に記載された発明との対比について本件審決の本件訂正発明と引用例1に記載された発明との対比に誤りはない。
(4) 副引用例の記載事項の認定の誤り及び容易想到性に係る判断の誤りについて
ア 引用例3の認定の誤り
引用例3の問題は,ポリラクチド(ポリ乳酸)は生分解性を有しているが,高価であるとか高強度のものが得られないという問題が解決できる実体があるものとして記載されてはいないという問題であるが,従来のポリエステル等を素材とするマルチフィラメントが生分解性を有しておらず,環境破壊を起こすという問題にすり替えたところに誤りがある。引用例3には,従来のポリエステル等を素材とするマルチフィラメントが生分解性を有しておらず,環境破壊を起こすという問題を解決するためにポリ乳酸を用いることが記載されており,ポリ乳酸は生分解性を有しているが,高価であるとか高強度のものが得られないという問題を解決するために引用例3に記載された構成を採用することが記載されている。本件訂正発明は,従来のポリエステル等を素材とするマルチフィラメントが生分解性を有しておらず,環境破壊を起こすという問題を解決するためにポリ乳酸を用いるものであり,ポリ乳酸は生分解性を有しているが,高価であるとか高強度のものが得られないという問題を解決するものではない。
したがって,本件審決が摘示した相違点1は,引用例3に記載されているのに,これが記載されていないとしたのは誤りである。
イ 引用例4の認定の誤り
引用例4に関する本件審決の認定判断も,引用例3と同様の誤りを犯している。
ウ 相違点1が引用例5に記載されているか否かを判断しているのに,一致点を持ち出してこれが引用例5に記載されていないと判断することは,誤りである。引用例5に農業用途が記載されていることは明らかであり,高分子網状体が農業用途ではないとの本件審決の認定判断も,誤りである。
エ 引用例6に関する本件審決の認定の誤りは,そこに記載されている事項を記載されていないと判断していることにある。
引用例6には,漁網の素材としてポリ乳酸を使用することが特許請求の範囲に記載されており,そして,ポリ乳酸は生分解性であるため,環境破壊を防止し得ると記載されているから,引用例6には相違点1が記載されている。よって,引用例1と6の記載に基づいて,本件訂正発明は容易想到であると判断されるべきである。
オ 本件訂正発明の効果はポリ乳酸を用いたことにより,使用後に自然環境下で分解し環境破壊の心配がないというものであり,いずれも,引用例3ないし6に記載されている効果である。
カ 以上のとおり,本件訂正発明は,引用例1に記載されているポリエステルのスパンボンド不織布の素材を,引用例3ないし6に記載されている生分解性のポリ乳酸に置換したものであり,当業者が容易に想到し得るものである。本件審決は,引用例3ないし6記載事項の認定を誤り,相違点の検討であるにもかかわらず一致点を持ち出すという誤りを犯し,その結果,容易想到性の判断を誤ったものである。
〔被告の主張〕
(1) 容易想到性の判断の前提となる認定について
原告は,本件訂正発明の解決課題及び解決手段の認定の誤り,各証拠記載内容の認定の誤り,さらに容易想到性の論理づけの誤りを主張するが,失当である。
(2) 本件訂正発明の解決課題及び解決手段の認定について
ア 特許請求の範囲には,ポリ乳酸を主体とするスパンボンド不織布の形態とされたものを,a 群で特定される用途に適用するものである旨を明記しており,本件訂正発明によってもたらされる農業分野での技術的・環境的・社会的貢献を軽々しい評価で済ますべきではない。
イ 審査基準は,明細書の記載や出願時の技術水準をも考慮して請求項発明特定事項としての用途限定の意味を把握する旨記載しているが,本件訂正発明は化合物発明ではないから,この例は本件において全く意味を有しない。
本件訂正発明のa群用途は,その一つ一つに対して,例えば大きさ,形,色といったものについて常に絶対的な形状的特徴を必要とするものではなく,適用場所に応じて任意に可変できる大きさ,形状,構造を備えるものでよく,かつ当業者であればそれぞれ記載された用途に見合った大きさ,形状,構造,組成などを容易に想定・理解できるものである。したがって,本件訂正発明は,「その用途に特に適した形状,構造,組成等を意味すると解することができる場合」に相当し,「a群用途に適した物としての形状,構造等」は当業者にとって十分に把握できるから,用途発明と認定すべきである。
引用例3ないし6と本件訂正発明との間には顕著な違いが存在し,それゆえにこそ,本件訂正発明のa群用途はこれまで知られていた用途とは異なる新しい用途を見いだしたものと評価されるのである。
ウ 被告が行った特許出願は,「農業用」,「土木用」又は「衛生用」等にそれぞれ特定した繊維集合体としての特許出願であり,別々の用途発明と認識されるべきである。これらを併合発明と認識して単一の特許出願としたわけでもなければ,これらの上位概念用途を案出して単一の特許出願としたものでもない(甲11~13)。
いずれの視点から見ても,「農業用」=「土木用」=「衛生用」の図式を基礎とする立論は,不合理極まりない結論を誘導するものである(甲31)。
(3) 本件訂正発明と引用例1に記載された発明との対比について原告は,本件審決の認定した一致点・相違点を争っていない。
(4) 副引用例の認定の誤り及び容易想到性の判断の誤りについて
ア 一言で生分解性ポリマーといっても,化学構造が多様であり,その多様性に基づいて生分解の機構が相違し,そのことによってそれぞれの適用分野が模索されており,本件訂正発明のポリ乳酸については,極めて近年に至るまでその具体的適用分野が拡大されなかった。引用例3及び4が発明された当時,ポリ乳酸とポリカプロラクトンは従来から生分解することが知られ,同じ条件における両者の分解速度を比較することすらされていなかったから,少なくとも生分解性の観点からポリ乳酸とポリカプロラクトンを同列に扱ったり,置き換えたりする技術思想は全く存在しなかった。
イ 引用例3は,従来,自然分解性ポリマーとして,セルローズやキチンなどの多糖類,ポリグリコリド,ポリラクチド,ポリカプロラクトン等がよく知られている中から,セルローズやキチンなどの多糖類,ポリグリコリド,ポリラクチド等を選択するのではなく,特定の引張強度を有するポリカプロラクトンのマルチフィラメントを集中的に選択して使用することを,示唆している。
ウ 原告は,まず引用例4を出願し,その後約1年2ヶ月を経て引用例3を出願した。引用例4は,生分解性を有しないポリエチレンにポリカプロラクトンを3~30重量%の比率で配合して用い,ポリエチレンを実質的には97~70重量%という高い割合で使用するものであり,相違点1が記載されてはいない。
エ 本件訂正発明と引用例1の相違点1を有する引用例5を副引用例とし,引用発明1との相違点を克服して組合せに適用できたかとの視点から,一致点の検討が行われたから,引用例5の副引用例としての適格性が検証されたことを意味する。
オ 具体的な分解速度と重量減少の数値効果及び優れた生分解性とスパンボンド不織布としての良好な物性を両立し得ることを引用例3ないし6から予測できるとはいえない。
カ 引用発明1のポリエステルスパンボンド不織布の素材を,引用例3ないし6の生分解性のポリ乳酸に置換することについての動機付けを見いだすことができず,かえって阻害要因となる部分もある。
3 取消事由3(引用例2を主引用例とした場合の容易想到性に係る判断の誤り)について
〔原告の主張〕
(1) 相違点の認定の誤りについて
引用発明2と本件訂正発明との一致点の認定に誤りはないが,相違点2の認定が誤っている。すなわち,本件訂正発明は,ポリ乳酸の繰り返し単位である-O-CH(CH3)-CO-のほか,他の繰り返し単位が従たるものとして含まれていてもよく,共重合ポリ乳酸も含まれ,スパンボンド不織布を構成する繊維も無限定であるから,複合繊維が含まれていてもよく,ポリ乳酸を芯成分とし,ポリ乳酸より融点が20℃以上低い共重合ポリ乳酸を鞘成分とする複合繊維が含まれているから,本件審決が相違点2とした点は相違点ではない。
したがって,相違点は,引用発明2ではスパンボンド不織布の素材がポリエステルであるのに対し,本件訂正発明はポリ乳酸である点で相違すると認定すべきである。
(2) 相違点の判断の誤り及び容易想到性の判断の誤りについて動機付けの存否は主引用例にのみ基づくものではなく,副引用例や技術常識に基づいても判断しなければならないから,本件審決の動機付けの判断は誤りである。
従来のポリエステルをポリ乳酸に置換する動機付け,すなわち従来のポリエステル等では環境破壊を防止できないのでポリ乳酸に置換して環境破壊を防止するとの技術的思想は,引用例3ないし6に記載されている。
(3) 小括
本件審決は,相違点2の認定を誤り,動機付けの判断を誤り,引用例3ないし6記載の事項の認定を誤り,しかも相違点の検討であるにもかかわらず一致点を持ち出すという誤りを犯し,その結果,容易想到性の判断を誤ったものである。
〔被告の主張〕
(1) 相違点の認定の誤りについて
主引用例となる発明と本件訂正発明の対比に際しては,主引用例中で規定されている構造的特徴を当該比較の都合のみから任意に捨象することはできない。進歩性判断における主引用例との対比においては,当該主引用例の各技術的事項が総合的に作用してその課題を解決し,所望の効果を達成するものであるから,これらの技術的事項の結合を無視してそれらを分離して個別かつ独立した技術的事項の単位で把握することは,引用発明2の理解を誤る原因ともなる。各技術的事項の結合・組合せ単位も当該主引例発明においては欠くことのできない技術的事項である。よって主引用例と本件訂正発明の対比を行うに際しては,主引用例の全技術的事項との関連の中で各個別の技術的事項を把握しなければならない。
(2) 相違点の判断の誤り及び容易想到性の判断の誤りについて
引用例2は,明らかに生分解を意図しないポリエチレンテレフタレートであって乳酸成分を含まないのに対し,本件訂正発明は,生分解を意図した発明であるから,技術思想としてポリエチレングリコール成分やテレフタール酸成分を含まないものである。
また,引用例2は,明瞭に芯成分と鞘成分の役割分担を意識した複合繊維であり,それぞれを構成する重合体に融点差を与えることを意識し,また鞘成分に紫外線吸収剤を含有させて太陽光に対する抵抗性,すなわち分解させないことを意図したものであり,本件訂正発明の解決課題とは正反対であり,むしろ阻害的要因の位置づけにある刊行物である。
第4当裁判所の判断
1 本件訂正発明について
(1) 本件訂正前後の特許請求の範囲の記載は,前記第2の2のとおりであり,本件訂正明細書には,以下の記載がある(甲55)。
ア 本件発明は,農業用不織布に関し,更に詳しくは自然環境下で徐々に分解し,最終的には消失するため,使用後の焼却による大気汚染や放置による環境破壊のない生分解性農業用不織布に関する(【0001】)。
従来,牧草保存用シート等の農業用繊維はポリエチレン,ポリプロピレン,ポリ塩化ビニル等のプラスチック材料が使用されている。前記プラスチック材料は自然環境下でほとんど分解しないため,使用後回収され,焼却,埋め立てあるいはリサイクルにより処理されているが,リサイクルによる再生では採算があわず,焼却や埋め立てによる処理では大気汚染や埋め立て地の確保が困難等の問題がある。また,回収には多大な労力を必要とするために,回収し切れず土中等の自然界に放置され,環境破壊等様々な問題を引き起こしている(【0002】)。
本発明者らの目的は,自然環境下で徐々に分解し,最終的には消失するため,使用後の焼却による大気汚染や放置による環境破壊の心配のない生分解性農業用不織布を提供することにある(【0003】)。
イ 本発明者らは上記事情を鑑み,使用後の焼却による大気汚染や放置による環境破壊の心配のない農業用不織布を得るべく鋭意検討を重ねた結果,式-O-CH(CH3)-CO-を主たる繰り返し単位とするポリ乳酸を用いることにより,目的を達成できることを見いだし,ついに本件発明を完成するに至った(【0004】)。
この集合体は自然環境下に放置しておくと徐々に分解され,最終的には消失するため使用後の焼却による大気汚染や放置による環境破壊の懸念がないものである(【0005】)。
ウ 本件発明の農業用不織布は,優れた生分解性と良好な物性を有しているゆえに,使用後の焼却による大気汚染や放置による環境破壊の心配がないことから産業界又は環境保護に寄与すること大である(【0015】)。
エ 本件発明の不織布は従来公知の方法によって製造することができる。
本件発明ではポリ乳酸を溶融紡糸するが,この際,公知の酸化防止剤,紫外線吸収剤,滑剤,顔料,防汚剤等を適当にブレンドしても問題ない。次いでスパンボンド法として公知のウェブ形成法によりウェブを形成し,例えば,接着剤,添加剤による処理,あるいはニードルパンチ,流体パンチ等の機械的接結法といった公知の方法により,あるいはその後,乾燥,熱処理することにより不織布を得ることができる。
更には得られたそれらの農業用不織布の目的に応じてコーティング等の加工,あるいは他ポリマーとの併用を行っても差し支えない(【0009】【0010】)。
オ 実施例1
粘度平均分子量30万のポリ乳酸を220℃で溶融し,直径0.7㎜の細孔が20箇穿設された口金から0.3g/minの吐出量で口金下方の位置に取りつけたアスピレーターに供給した。該アスピレーターから噴出されるポリ乳酸フィラメントを下方の走行金網上に埋積させ,目付けが100g/㎡ になるように連続的にウェブを採取し,該ウェブに100本/㎜2でニードルパンチを施し,不織布を得た。得られた不織布片(縦10㎜×横10㎜)を土壌中に埋設し,重量変化を調査したところ半年後で初期重量の60%となり,1年後には29%となり,1年半後には形状を確認できないほど分解していた。
(2) 以上の記載によれば,本件訂正発明は,防虫用シートなどの用途に用いられる,農業用の溶融紡糸によるスパンボンド不織布において,使用後の焼却処理による大気汚染や放置による環境破壊などの問題を解決するために,その素材として,自然環境下で徐々に分解し最終的には消失する,生分解性のポリ乳酸を主成分とするものを用いるものである。
2 取消事由1(本件訂正の適否の判断の誤り)について
(1) 訂正の適否について
ア 本件訂正は,「モノフィラメント及び/又はマルチフィラメント繊維集合体」を「溶融紡糸によるスパンボンド不織布」と訂正する,訂正事項Aを含むものである。
イ 本件訂正前の「モノフィラメント及び/又はマルチフィラメント繊維集合体」について
本件明細書には,「モノフィラメント」及び「マルチフィラメント」の定義については記載がない。
証拠によれば,「モノフィラメント」,「マルチフィラメント」は,「1本のフィラメントからなる糸」,「2本以上のフィラメントからなる糸」を意味する用語として用いられる場合(甲37,41,49)と,「1本のフィラメント」,「2本以上からなるフィラメント」を意味する用語として用いられる場合(甲26(枝番を含む。以下同じ),28)のいずれの場合もあることが認められる。また,「フィラメント」は,「長繊維」を意味する用語である(甲26,27)。
そうすると,「モノフィラメント及び/又はマルチフィラメント繊維集合体」とは,「1本の長繊維からなる糸及び/又は2本以上の長繊維からなる糸から構成される繊維集合体」と,「1本の長繊維及び/又は2本以上からなる長繊維から構成される繊維集合体」のいずれをも意味するものと解される。
また,「繊維集合体」について,本件明細書には「本発明の農業用繊維集合体とは規則的あるいは不規則的に繊維が集合した構成体を言い,例えば,繊維束や織物,編物,組物,不織布,多軸積層体等の布帛等として得ることができるが特にこれらに限定されるものではない。」(【0009】)と記載されているから,「繊維集合体」は「不織布」を含むものと認められる。
ウ 本件訂正後の「溶融紡糸によるスパンボンド不織布」について
本件訂正明細書には,「溶融紡糸によるスパンボンド不織布」の定義については記載がない。
不織布の製法に関する用語及び得られた物に適用される用語について記載された国際標準(甲7。平成5年(1993年)11月1日発行)によれば,「溶融紡糸によるスパンボンド不織布」とは,本件特許出願時においては,「高分子溶融液又は高分子溶液が紡糸口群から押し出され,長繊維群が形成され,これらが移動するふるい上に堆積され,ウェブを形成する方法で得られたウェブが一つ又は二つ以上の手法で結合され,完全な布となったもの」を意味するものと認められ,すなわち,長繊維から構成される不織布の一種であると解される。また,上記長繊維群における個々の長繊維が,1本の長繊維又は2本以上からなる長繊維のいずれかであることは明らかである(甲28)。
エ 訂正の適否
上記イ,ウによれば,訂正事項Aは,本件訂正前においては,「1本の長繊維からなる糸及び/又は2本以上の長繊維からなる糸から構成される繊維集合体」又は「1本の長繊維及び/又は2本以上からなる長繊維から構成される繊維集合体」であったところ,本件訂正により,「高分子溶融液又は高分子溶液が紡糸口群から押し出され,長繊維群が形成され,これらが移動するふるい上に堆積され,ウェブを形成する方法で得られたウェブが一つ又は二つ以上の手法で結合され,完全な布となったもの」と訂正するものということができる。
すなわち,訂正事項Aは,本件訂正前の「1本の長繊維からなる糸及び/又は2本以上の長繊維からなる糸から構成される繊維集合体」又は「1本の長繊維及び/又は2本以上からなる長繊維から構成される繊維集合体」のうち,後者について,本件訂正により,長繊維から構成される不織布の一種である「溶融紡糸によるスパンボンド不織布」という,より具体的な下位概念に限定して訂正するものということができる。
そうすると,訂正事項Aは,特許請求の範囲の減縮を目的とするものに該当し,実質上特許請求の範囲を拡張し,又は変更するものとはいえない。
(2) 原告の主張について
ア 原告は,「モノフィラメント及び/又はマルチフィラメント繊維集合体」とは,「1本又は2本以上のフィラメントからなる糸の繊維集合体」と定義付けられ,一方,「溶融紡糸によるスパンボンド不織布」をあえて定義付けすれば,「溶融紡糸堆積法で得られたウェブを1つ又は2つ以上の手段で結合させて得られた完全な布」ということになるが,両概念は,その観点を全く異にするものであり,後者の概念には,1本又は2本以上のフィラメントからなる糸の繊維集合体以外のものが含まれているから,訂正事項Aは,特許請求の範囲を拡張又は変更するものであると主張する。
なるほど,原告が挙げる甲6及び甲38には,「スパンボンド不織布」について,前記(1)ウの認定と異なる説明がされている部分が存在するが,甲6は昭和48年(1973年),甲38は昭和50年(1975年)に発行されたものであり,本件特許出願時から約20年も前の文献であり,「溶融紡糸によるスパンボンド不織布」の本件特許出願時における意味についての前記認定を覆すに足りない。
イ 原告は,本件特許の審査経過を参酌すれば,本件明細書に記載された実施例は,モノフィラメント及び/又はマルチフィラメントからなるものであるか否か不明であるし,不織布ではあるが使用用途も不明なものであるから,かかる実施例は参考例に相当し,特許請求の範囲内のものであるとは認められないこと,また,実施例記載の不織布が農業用に限定されていないことから,少なくとも,本件特許請求の範囲外のものを含んでいることは明らかであるから,特許請求の範囲外のものを含む参考例に基づいて特許請求の範囲を訂正することは,特許請求の範囲の拡張に該当すると主張する。
しかし,甲7に照らすと,本件明細書に記載された実施例は「溶融紡糸によるスパンボンド不織布」に関するものと認められ,また,「溶融紡糸によるスパンボンド不織布」が,本件訂正前の「1本の長繊維及び/又は2本以上からなる長繊維から構成される繊維集合体」の下位概念であることも上記のとおりであるから,実施例は,本件訂正前の特許請求の範囲内のものであると認められる。また,農業用に限定されていない実施例に基づいて特許請求の範囲を訂正したからといって,直ちに特許請求の範囲の拡張に該当するとはいえない。
(3) 小括
以上のとおり,取消事由1は,理由がない。
3 取消事由2(引用例1を主引用例とした場合の容易想到性に係る判断の誤り)について
(1) 引用例1について
ア 引用例1には,以下の記載がある(甲1)。
(ア) 農業資材とは一般に,農機具,飼肥料,農薬,種苗,フィルム,袋類等いろいろ挙げられるが,そのうち繊維を使用した農業資材は,農林省統計資料等をみても農業資材全体に占める割合は非常に小さい。
しかし,繊維消費量からみれば,繊維使用農業資材は多種かつ多量である。そこで繊維使用農業資材の分類をとりまとめた表には,「直接生産資材」として「不織布」が挙げられており,「保温,防草,遮光等」 を目的として使用されることが記載されている。
(イ) スパンボンドを主体とした乾式不織布及び湿式不織布(紙を含む)の,農園芸用における直接生産資材への利用は,現状ではフィルムや寒冷紗に比較して少なく,今後の発展に期待するところが大きい。ここでは,スパンボンドを含む乾式不織布の特徴について述べる。
施設園芸用としては,ガラス温室及びビニールハウス等の内張りカーテンとして不織布が利用されつつある。この用途は,冬期には保温用として利用され,ハウス内部の天井部を不織布のカーテンで仕切り,保温スペースを縮小し,暖房用重油の節約を図る。また,夏期には,蔬菜類定植時の活着促進や,花卉栽培のための遮光シートとして利用される。
水稲関係では,機械植えの育苗用被覆資材として使用した場合,不織布のもつ適度な保温性,通気性,遮光性により,発芽促進(発芽状態の均一化),高温多湿による葉焼け防止,直射日光による白化現象の防止等に効果が認められている。さらに寒冷地帯の水稲育苗用にも使用されつつある。その他,煙草,各種蔬菜類の育苗,栽培用の保温材としても検討されている。
イ 引用例1に,繊維使用農業資材であって,スパンボンド不織布又はポリエステルを素材とする短繊維不織布からなり,保温,防草,遮光等を目的として使われる,上記繊維使用農業資材,すなわち本件審決が認定した引用発明1が記載されていることに,争いはない。
(2) 本件訂正発明と引用発明1との相違点について
ア 本件審決が認定した相違点については,原告もこれを認め,争いはないところ,溶融紡糸によるスパンボンド不織布が,本件訂正発明では,ポリ乳酸を主成分とする生分解性の不織布であるのに対し,引用発明1では,ポリエステルを主成分とする生分解性でない不織布である点において,相違する。
イ 引用例3について
(ア) 引用例3(甲2)には,①従来,漁業や農業,土木用として用いられる産業資材用繊維としては,主としてポリアミド,ポリエステル,ビニロン,ポリオレフィン等からなるものが使用されているが,これらの繊維は自己分解性がなく,使用後,海や山野に放置すると種々の公害を引き起こすという問題があること,②このような問題を解決する方法として,自然分解性(微生物分解性又は生分解性)の素材を用いることが考えられること,③従来,自然分解性ポリマーとして,ポリラクチド(ポリ乳酸)等の合成脂肪族ポリエステル等がよく知られているが,これらのポリマーから繊維を製造する場合,湿式紡糸法で製造しなければならなかったり,素材のコストが極めて高いため,製造原価が高価になったり,高強度の繊維を得ることができなかったりするという問題があったこと,④このような問題を解決するために,比較的安価で,実用に供することができる強度を有し,微生物により完全に分解されるポリカプロラクトンを用いること,以上の事項が記載されている。
(イ) 以上の記載によれば,ポリ乳酸は,製造原価が高価になったり,高強度の繊維を得ることができなかったりするという問題があるため,引用例3においては,農業用の産業資材用繊維の使用後の処分に関する課題を解決するための手段としては,実際には用いられていないことが認められる。そうすると,そのようなポリ乳酸が,上記課題を解決するための手段として引用例3に記載されているということはできないし,また,当業者は,引用発明1において,そのようなポリ乳酸を上記課題を解決するための手段としては採用しないと解される。
(ウ) よって,引用例3の上記記載は,引用発明1において,不織布の素材を,ポリ乳酸を主成分とする生分解性のものに変更する動機付けが存在することを示すものとはいえない。
ウ 引用例4について
(ア) 引用例4(甲3)には,①衛生材,一般生活資材や産業資材に用いられる不織布について,使い捨て用の使用済みの不織布は,焼却されるか,あるいは土中に埋設されることにより処理されるが,焼却処理では多大の諸経費が必要とされ,埋設処理では土中で長期間にわたって元の状態のまま残るという問題があるため,使い捨て製品に使用される不織布に関して,短期間のうちに自然に分解される新しい不織布が要望されていること,②一般に微生物分解性がある素材として,合成高分子素材であるポリラクチド(ポリ乳酸)等が広く知られているが,重合体のコストが高いため,その適用は,生体吸収性縫合糸のような分野に限られていること,③上記課題を解決するために,不織布の素材として,ポリカプロラクトンを3~30重量%含むポリエチレンを用いること,以上の事項が記載されている。
(イ) 以上の記載によれば,ポリ乳酸は,重合体のコストが高いため,その適用は,生体吸収性縫合糸のような分野に限られており,引用例4においては,一般生活資材や産業資材に用いられる不織布の使用後の処分に関する課題を解決する手段としては,実際には用いられていないことが認められる。そうすると,そのようなポリ乳酸が,上記課題を解決するための手段として引用例4に記載されているということはできないし,また,当業者は,引用発明1において,そのようなポリ乳酸を上記課題を解決するための手段としては採用しないと解される。
(ウ) よって,引用例4の上記記載は,引用発明1において,不織布の素材を,ポリ乳酸を主成分とする生分解性のものに変更する動機付けが存在することを示すものとはいえない。
エ 引用例5について
(ア) 引用例5(甲4)には,①ポリオレフィン系,ポリ塩化ビニル系,ポリアミド系等の汎用樹脂に,有機又は無機の発泡剤を特定の割合で配合した後,溶融押出法により発泡押出し,押出成形物中に発泡を生じさせた後,当該押出成形物を引き伸ばすことにより当該発泡を開繊させた合成樹脂製の網状体について,この高分子網状体は,油,体液等の吸収材,ろ過材,または包装材等として用いられ,使用後は直ちに廃棄されるが,自然環境下での加水分解速度が極めて低いため,使用後に埋設処理された場合,半永久的に地中に残存し,また,海洋投機された場合は景観を損なったり,海洋生物の生活環境を破壊したりして,廃棄物の処理が社会問題となっていること,②熱可塑性を有し,加水分解性のポリマーとして,ポリ乳酸及びそのコポリマーが知られているが,これまで,自然環境下で加水分解される高分子網状体は知られていないこと,③特定量の乳酸系ポリマー及び可塑剤を含むポリ乳酸系樹脂組成物に発泡剤を添加し,溶融発泡押出し,開繊することにより,適度の柔らかさと加水分解性を有する高分子網状体が得られることを見いだしたこと,以上の事項が記載されている。
(イ) しかし,引用例5に記載されているのは,樹脂組成物に発泡剤を添加し,溶融発泡押出し,開繊することにより得られる高分子網状体であり,このような高分子網状体は,溶融紡糸によるスパンボンド不織布とはいえない(甲7)。
(ウ) そうすると,引用例5の上記記載は,農業用の溶融紡糸によるスパンボンド不織布に関する引用発明1において,不織布の素材を,ポリ乳酸を主成分とする生分解性のものに変更する動機付けが存在することを示すものとはいえない。
オ 引用例6について
(ア) 引用例6(甲44)には,①従来,漁網を構成する素材としては安価な強度的に優れるポリアミド系,ポリエステル系,ポリエチレン系等の合成繊維糸が用いられているが,自然の環境下において極めて安定であり,長期にわたってその強度を維持するために,不要時の処分に困難を来し,環境汚染の原因となっていること,②漁網をポリ乳酸等の分解性高分子で構成したので,水中に放置しておよそ数か月ないし1年以上経過後にはモノマー化し,最終的には微生物の餌となって消失してしまうので従来のような放置に伴う環境汚染の問題を生じないこと,以上の事項が記載されている。
(イ) しかし,引用例6に,漁網において,不要時の処分に関する課題を解決するために,その素材をポリ乳酸とすることが記載されているとしても,農業用の溶融紡糸によるスパンボンド不織布については何ら記載も示唆もないから,引用例6の上記記載は,農業用の溶融紡糸によるスパンボンド不織布に関する引用発明1において,不要時の処分に関する課題が存在することを示すものではなく,また,そのような課題を解決するために,不織布の素材を,ポリ乳酸を主成分とする生分解性のものに変更する動機付けが存在することを示すものともいえない。
カ 容易想到性について
以上のとおり,引用発明1において,不織布の素材を,ポリ乳酸を主成分とする生分解性のものに変更する動機付けがあるということはできないから,本件訂正発明と引用発明1との相違点について,当業者が容易に想到することができたものとはいえない。
(3) 原告の主張について
ア 原告は,引用例3における「問題」は,それぞれ意味内容が全く異なるのに,本件審決は,その意味をすり替えて,ポリ乳酸は「従来のポリエステル等を素材とするマルチフィラメントが生分解性を有しておらず,環境破壊を起こすという問題」を解決し得るものとして記載されていないと認定したもので,誤りであり,また,引用例4についても同様であると主張する。
しかし,上記のとおり,ポリ乳酸は,コスト等の問題があるため,引用例3及び4においては,使用後の処分に関する課題を解決するための手段としては,実際には用いられていないのであり,そのようなポリ乳酸が,上記課題を解決するための手段として引用例3及び4に記載されているということはできない。
イ 原告は,相違点が引用例5に記載されているか否かを判断しているのに,一致点を持ち出して,これが引用例5に記載されていないと判断することは,容易想到性の判断論理を誤っていると主張する。
しかし,引用発明1において,引用例5に記載された事項を適用することの容易想到性を判断する際に,引用発明1の態様及び用途と,引用例5に記載された発明の態様及び用途との関連性を検討することに問題はない。
ウ 原告は,本件発明の効果は,ポリ乳酸を用いたことにより使用後に自然環境下で分解し環境破壊の心配がないというものであり,いずれも,引用例3ないし6に記載されている効果であると主張する。
しかし,上記のとおり引用例3ないし6の記載事項を検討しても,引用発明1において,不織布の素材を,ポリ乳酸を主成分とする生分解性のものに変更する動機付けがあるとはいえない以上,効果も予測できないというべきであり,原告の主張は採用できない。
(4) 小括
以上のとおり,取消事由2は理由がない。
4 取消事由3(引用例2を主引用例とした場合の容易想到性に係る判断の誤り)について
(1) 引用例2について
ア 引用例2には,以下の記載がある(甲10)。
(ア) 請求項1
ポリエチレンテレフタレートを芯成分とし,ポリエチレンテレフタレートより融点が20℃以上低い熱可塑性重合体を鞘成分とする複合繊維からなる不織布であって,前記複合繊維が長繊維フイラメントからなり,かつ,該複合繊維の鞘成分に紫外線吸収剤が含有されていることを特徴とする農業用不織シート
(イ) 産業上の利用分野
本発明は,作物に直接かけて使用するいわゆるべたがけ用や作物の上方にアーチ状に敷設するトンネル用に主として用いられる保温を目的とした農業用不織シートに関するものである。
(ウ) 従来の技術
農業用途に用いられている不織布としては,通常の生活資材や衣料用途に用いられている不織布と同様,ポリエステル,ナイロン,ポリエチレン,ポリプロピレン等の熱可塑性重合体が単独あるいは2種類以上組み合わせて使用されている。しかし,農業用の不織布は,その使用目的の特殊性により,通常の不織布に要求される特性以外に透光性,透水性,保温性等の種々の性能が要求される。また,その不織布は,太陽光線に直接又は間接的に長時間曝されて使用されるものであるので先に述べた性能以外に耐候性も要求されるものである。
(エ) 発明が解決しようとする課題
先に列挙したような熱可塑性重合体は,単独では十分な耐候性を持たないことが多く,何らかの耐候剤を使用しているのが現状である。これらは,原料の熱可塑性重合体を重合し,ペレット化する際に耐候剤を添加する場合もあるし,また,不織布にする際に新たに添加する場合もある。前述の熱可塑性重合体のうちポリオレフィン系のポリエチレンやポリプロピレンの場合は,融点が比較的低く,耐候剤の熱分解を考慮することがないので添加に際し,問題点は少ない。
ところが,他の比較的融点の高い熱可塑性重合体であるナイロンやポリエステルでは添加した耐候剤が溶融紡糸の際の高温度で分解してしまうことが多いため十分な効果を有する耐候性が見いだされておらず,不織布にした場合の優れた性能のものは,得られていない。特に,最も融点の高いポリエステルについては種々検討が行われているが,実用に耐えるレベルには達していないのが現状である。このようにオレフィン系の不織布の耐候性については,優れた性能を有するが,保温性については,ポリエステルの不織布に比べると著しく劣っている。これは,保温性に重要な赤外線に対する挙動がポリオレフィンとポリエステルでは大きく異なっているためと考えられ,これは,原料ポリマーの違いによる本質的なものである。
本発明は,農業用保温材料として十分な性能を持ち,かつ長期間の使用に耐える耐候性をもつ不織布を提供することを目的とするものである。
(オ) 課題を解決するための手段及び作用
本発明者らは,このような課題を解決するために鋭意研究の結果,ポリエチレンテレフタレートを使用し,かつ,耐候剤のうち紫外線吸収剤をフイラメント表面に重点的に配分することで両性能を満足できることを見いだし,本発明に至った。
繊維表面に紫外線吸収剤を重点的に配合することで太陽光線のエネルギーを表面部分の吸収剤で受け止め,繊維の芯成分であるポリエチレンテレフタレートまでエネルギーが到達しにくく,耐候性の面で良好となる。また,芯成分のポリエチレンテレフタレートの寄与で保温性も良好となる。
(カ) 発明の効果
本発明の不織シートは,芯鞘型複合繊維からなる不織布であって,問題となる耐候性についても鞘部分に紫外線吸収剤を含有させることで保温性能と耐候性能のいずれも優れたものとなり,農業用シートとして広く用いられるものである。
本発明の農業用不織シートを構成する芯鞘フィラメントの鞘成分となる熱可塑性重合体は,ポリエチレンテレフタレートの融点より20℃以上低いものであれば,特に制限されるものではなく,通常不織布に使用されるポリエチレン,ポリプロピレン,ナイロン,さらには芯成分と同じエチレンテレフタレート単位を含む共重合ポリエチレンテレフタレートであってもよい。
本発明の不織シートを構成する芯鞘構造複合繊維は,通常,工業的に使用されている芯鞘型複合紡糸口金を用いて製造することができる。例えば,溶融した熱可塑性樹脂を紡糸孔へ導くための導入部分の上部で,溶融した鞘成分の樹脂の中央部分に溶融した芯成分の樹脂を注入するような構造を持ったものが多用されている。また,紡糸したフィラメントを不織シートにする方法については,いわゆるスパンボンド法と総称されている方法が利用できる。例えば,空気圧を利用してフィラメント束を引き取りながら延伸し,コロナ放電等の方法で静電気的に開繊し,移動する多孔質帯状体の上に堆積することでウェブ化した後,部分的に熱圧接することで固定するというような方法が一般的である。
イ 以上の記載によれば,引用例2には,ポリエチレンテレフタレートを芯成分とし,ポリエチレンテレフタレートより融点が20℃以上低いポリエチレン,ポリプロピレン,ナイロン又は共重合ポリエチレンテレフタレートを鞘成分とする複合繊維からなる,溶融紡糸によるスパンボンド不織布であって,前記複合繊維が長繊維フイラメントからなり,かつ,該複合繊維の鞘成分に紫外線吸収剤が含有されている複合繊維からなる,保温を目的とした農業用不織シート,すなわち,本件審決が認定した引用発明2が記載されている。
(2) 相違点の認定について
ア 対比
本件訂正発明と引用発明2とを対比すると,引用発明2の「保温を目的とした不織シート」は,本件訂正発明の「保温用不織布」に相当する。
よって,本件訂正発明の鞘成分が共重合ポリエチレンテレフタレートである場合については,本件訂正発明と引用発明2とは,「保温用不織布である,農業用の溶融紡糸によるスパンボンド不織布」である点で一致し,本件訂正発明は,式-O-CH(CH3)-CO-を主たる繰り返し単位とするポリ乳酸を主成分とする生分解性の不織布であるのに対し,引用発明2は,ポリエチレンテレフタレートを芯成分とし,ポリエチレンテレフタレートより融点が20℃以上低い共重合ポリエチレンテレフタレートを鞘成分とする複合繊維からなる,生分解性でない不織布である点において相違する。
イ 原告の主張について
原告は,本件訂正発明は,「式-O-CH(CH3)-CO-を主たる繰り返し単位とするポリ乳酸を主成分とする」ものであるから,ポリ乳酸の繰り返し単位である-O-CH(CH3)-CO-の他に他の繰り返し単位が従たるものとして含まれていてもよく,すなわち,共重合ポリ乳酸も含まれていてもよいし,スパンボンド不織布を構成する繊維も無限定で,複合繊維が含まれていてもよいから,相違点は,引用発明2では,スパンボンド不織布の素材がポリエステルであるのに対して,本件訂正発明では,ポリ乳酸である点で相違すると認定すべきであると主張する。
しかし,本件訂正発明は,上記のとおり,防虫用シートなどの用途に用いられる農業用の溶融紡糸によるスパンボンド不織布において,使用後の焼却処理による大気汚染や放置による環境破壊などの問題を解決するために,その素材として,自然環境下で徐々に分解し最終的には消失する,生分解性のポリ乳酸を主成分とするものを用いるものである。これに対し,引用発明2は,後記のとおり,農業用不織シートの保温性と耐候性のいずれも優れたものとするために,芯鞘型の複合繊維の素材として,保温性の点から,芯成分をポリエチレンテレフタレートとするとともに,耐候性の点から,鞘成分を融点が低いポリエチレン,ポリプロピレン,ナイロン又は共重合ポリエチレンテレフタレートとするものと解される。本件審決の相違点の認定は,このような技術思想の相違を踏まえたものと解され,前記アで認定した相違点と,実質的に同一であり,誤りとはいえない。
原告が主張する相違点は,このような技術思想の相違を考慮しないもので,適切とはいえない。
(3) 相違点の判断について
ア 引用発明2について
引用例2の記載によれば,引用発明2は,農業用不織シートの保温性と耐候性のいずれも優れたものとするために,芯鞘型の複合繊維の素材として,保温性の点から,芯成分をポリエチレンテレフタレートとするとともに,耐候性の点から,鞘成分を融点が低いポリエチレン,ポリプロピレン,ナイロン又は共重合ポリエチレンテレフタレートとするものと解される。また,引用例2には,上記以外に,芯成分及び鞘成分の素材については何ら記載されていない。
そうすると,引用発明2においては,農業用不織シートの保温性と耐候性のいずれも優れたものとすることを課題とするもので,その課題を解決するために選択した素材を,生分解性の素材に変更する動機付けがあるとはいえない。
イ 引用例3ないし6について
引用例3ないし6の記載事項は,前記3認定のとおりである。
しかし,引用例3ないし6の記載事項があるとしても,引用発明2は,上記のとおり,農業用不織シートの保温性と耐候性のいずれも優れたものとすることを課題とするもので,その課題を解決するために,芯鞘型の複合繊維の素材を選択したものである。そして,引用例3ないし6には,ポリ乳酸が保温性や耐候性に優れた素材であることは記載がなく,引用発明2に係る素材を,課題が異なる生分解性の素材であるポリ乳酸に変更する動機付けがあるとはいえない。
ウ 容易想到性の判断
以上のとおりであるから,引用発明2において,芯鞘型の複合繊維の素材をポリ乳酸に変更する動機付けがあるということはできないから,本件訂正発明と引用発明2との相違点が,当業者が容易に想到することができたものとはいえない。
エ 原告の主張について
(ア) 原告は,本件審決は,引用例2には動機付けの記載がないと判断しているが,引用例2のみを持ち出して動機付けを認定判断するのは誤りであり,動機付けの存否は主引用例にのみ基づくものではなく,副引用例や技術常識に基づいても認定判断しなければならず,従来のポリエステルをポリ乳酸に置換する動機付けは,引用例3ないし6に記載されていると主張する。
しかし,引用例3ないし6に,上記事項が記載されているとしても,そもそも,引用発明2は,農業用不織シートの保温性と耐候性のいずれも優れたものとするために,芯鞘型の複合繊維の素材を選択したものであるから,そのように選択した素材を,生分解性の素材であるポリ乳酸に変更する動機付けがあるとはいえないから,原告の主張は採用できない。
(イ) 原告は,引用例3ないし6について,取消事由2と同様の主張をするが,引用発明2において,保温性と耐候性のいずれも優れたものとするために選択した素材を,生分解性の素材であるポリ乳酸に変更する動機付けがあるとはいえない以上,原告の上記主張は,容易想到性の判断に影響を及ぼさない。
(4) 小括
以上のとおり,取消事由3は理由がない。
5 結論
以上の次第であるから,原告の請求は棄却されるべきものである。
(裁判長裁判官 滝澤孝臣 裁判官 髙部眞規子 裁判官 齋藤巌)