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知財高等裁判所 平成23年(行ケ)10263号 判決 2012年9月27日

原告

株式会社三和研究所

原告

森村商事株式会社

原告ら訴訟代理人弁護士

森﨑博之

平林拓人

原告ら訴訟代理人弁理士

赤堀龍吾

森田秀彦

被告

四国化成工業株式会社

訴訟代理人弁護士

加藤幸江

山田威一郎

訴訟代理人弁理士

三枝英二

林雅仁

菱田高弘

主文

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第1請求

特許庁が無効2010-800193号事件について平成23年7月1日にした審決を取り消す。

第2争いのない事実

1  特許庁における手続の経緯

被告は,発明の名称を「銅及び銅合金の表面処理剤」とする特許(平成8年9月19日出願,平成16年4月23日設定登録。優先権主張 平成8年2月26日日本国。特許第3547028号。)(以下「本件特許」という。)の特許権者である(甲11)。

原告らは,平成22年10月22日,本件特許につき無効審判(無効2010-800193号事件)を請求し,被告は,平成23年1月11日,本件特許の明細書の訂正(以下「本件訂正」という。)を請求した。特許庁は,平成23年7月1日,「訂正を認める。本件審判の請求は,成り立たない。」との審決をし,その謄本は同月12日,原告らに送達された。

2  特許請求の範囲

本件特許に係る特許請求の範囲の請求項1(以下,請求項1記載の発明を「本件発明」という。)は,以下のとおりである(甲11)。

「イミダゾール化合物あるいはベンズイミダゾール化合物,コンプレクサン化合物及び鉄イオンを必須成分として含有する水溶液からなる銅及び銅合金の表面処理剤。」

3  本件訂正の内容

本件訂正における訂正事項1及び2の内容は,以下のとおりである(以下,本件特許に係る本件訂正前の明細書を「本件明細書」,本件訂正後の明細書を「本件訂正明細書」という。)。

(1)  訂正事項1

本件明細書の段落【0014】中の「2-(5-シクロヘキシルペンチル)等の2-(シクロヘキシルアルキル)ベンズイミダゾール化合物」を「2-(5-シクロヘキシルペンチル)ベンズイミダゾール等の2-(シクロヘキシルアルキル)ベンズイミダゾール化合物」と訂正する。

(2)  訂正事項2

本件明細書の段落【0015】中の「,エチレンジアミンテトラキスメチレンホスホン酸(EDTPO),ニトリロトリスメチレンホスホン酸(NTPO)」を削除する。

4  審決の理由

審決の理由は,別紙審決書写し記載のとおりであり,その概要は,以下のとおりである。

(1)  本件訂正の可否

ア 訂正事項1について

誤記の訂正を目的とするものであり,適法な訂正である。

イ 訂正事項2について

本件発明の「コンプレクサン化合物」については,本件明細書には,その具体的な意義についての記載がなく,単に物質名が列挙されているにすぎない。被告が提出した証拠からは,被告が主張するように,「コンプレクサン」が「アミノポリカルボン酸類の総称をいい,少なくとも1つの-N(CH2COOH)2を持ち,多くの金属イオンと極めて安定的な化合物を作るキレート剤」のことであると一義的に理解することはできない。本件明細書の段落【0015】に列挙された「コンプレクサン化合物」の各化合物から訂正事項2により削除した残りの化合物も,被告が主張する意味とは異なる。「コンプレクサン化合物」が上記のように一般的に一義的な意味が明確にされていないことに鑑みれば,本件明細書における「コンプレクサン化合物」の意義は本件明細書の段落【0015】に列挙された物質として特定されるべきである。

本件明細書の段落【0015】には「コンプレクサン化合物」として,「イミノ二酢酸(IDA),・・・ニトリロトリスメチレンホスホン酸(NTPO)等」と「これらの塩類」と記載されており,前記「等」に何が含まれるのか明確でないから,本件発明における「コンプレクサン化合物」とは上記「イミノ二酢酸(IDA),・・・ニトリロトリスメチレンホスホン酸(NTPO)」と「これらの塩類」を意味するものと認められる。

したがって,訂正事項2は,本件明細書の段落【0015】に「コンプレクサン化合物」として列挙されている化合物の一部を削除するものであるから,特許請求の範囲の減縮を目的とするものであり,適法な訂正である。

(2)  無効理由に対する判断

ア(ア) 平成11年法律第41号による改正前の特許法29条1項3号について本件発明は,本件特許の優先日前に頒布された刊行物である特開平7-166381号公報(甲1。以下「甲1文献」という。)に記載された発明(以下「甲1発明」という。)には記載されておらず,平成11年法律第41号による改正前の特許法29条1項3号(以下「旧特許法29条1項3号」という。)には該当しない。

(イ) 特許法29条2項について

本件発明のうち後記相違点2に係る構成は,本件特許の優先日前に頒布された刊行物である特開平7-79061号公報(甲4。以下「甲4文献」という。)に記載された発明(以下「甲4発明」という。)と,特開平6-81161号公報(甲5。以下「甲5文献」という。),特公昭56-18077号公報(甲6。以下「甲6文献」という。)及び特開昭61-41775号公報(甲7。以下「甲7文献」という。)に記載された技術に基づいて,当業者が容易になし得たことではない。

本件発明のうち後記相違点3に係る構成は,本件特許の優先日前に頒布された刊行物である甲5文献に記載された発明(以下「甲5発明」という。)と,甲4文献,特開平7-54169号公報(甲8。以下「甲8文献」という。)及び特開平6-2176号公報(甲9。以下「甲9文献」という。)に記載された技術に基づいて,当業者が容易になし得たことではない。

(ウ) 平成14年法律第24号による改正前の特許法36条4項について

本件訂正明細書には,「イミダゾール化合物あるいはベンズイミダゾール化合物」「コンプレクサン化合物」及び「鉄イオン」について,具体的な物質名が列挙され,これらの好ましい配合量及び配合割合,水溶液化する方法,並びに本件発明の表面処理剤の使用方法が実施例と共に具体的に記載されており,当業者が本件発明を実施できる程度に明確かつ十分に記載されているから,平成14年法律第24号による改正前の特許法36条4項(以下「旧特許法36条4項」という。)の要件を満たしている。

(エ) 平成14年法律第24号による改正前の特許法36条6項1号について

本件訂正明細書には,本件発明の「イミダゾール化合物あるいはベンズイミダゾール化合物,コンプレクサン化合物及び鉄イオンを必須成分として含有する水溶液からなる銅及び銅合金の表面処理剤」が本件発明が解決しようとする課題を解決していると当業者が認識できるように記載されているから,本件発明は本件訂正明細書に記載されており,平成14年法律第24号による改正前の特許法36条6項1号(以下「旧特許法36条6項1号」という。)の要件を満たしている。

イ 審決が上記判断に至る過程で認定した甲1発明,甲4発明及び甲5発明の各内容,本件発明と甲1発明の一致点及び相違点,本件発明と甲4発明の一致点及び相違点(相違点1及び2),本件発明と甲5発明の一致点及び相違点(相違点3)は,以下のとおりである。

(ア) 甲1発明の内容

「皮膜形成成分のイミダゾール類として2-ウンデシルイミダゾールを酢酸に加えて混合した上で水に加え,さらに銅よりもイオン化傾向の大きい金属とβ-ジケトン類との錯体としてアセチルアセトン鉄錯体を加えて調製した銅および銅合金の表面処理剤。」

(イ) 本件発明と甲1発明の一致点

「イミダゾール化合物及び鉄イオンを必須成分として含有する水溶液からなる銅及び銅合金の表面処理剤。」である点

(ウ) 本件発明と甲1発明の相違点

本件発明では「コンプレクサン化合物」を含有するのに対して,甲1発明では「コンプレクサン化合物」を含有していない点

(エ) 甲4発明の内容

「2-フェニルベンゾイミダゾールを酢酸に加え,均一に混合し,これを塩化第二銅を添加した水に加え,さらにカプロン酸を加えてよく撹拌した銅及び銅合金の表面処理剤。」

(オ) 本件発明と甲4発明の一致点

「ベンズイミダゾール化合物及び金属イオンを必須成分として含有する水溶液からなる銅及び銅合金の表面処理剤。」である点

(カ) 本件発明と甲4発明の相違点

a 相違点1

本件発明では金属イオンとして鉄イオンを含有しているのに対して,甲4発明では金属イオンとして銅イオンを含有している点

b 相違点2

本件発明では必須成分としてコンプレクサン化合物を含有しているのに対して,甲4発明では必須成分としてコンプレクサン化合物を含有していない点

(キ) 甲5発明の内容

「2-アルキルベンズイミダゾール誘導体を主成分としたプリフラックスに銅イオンと反応するキレート剤としてエチレンジアミン三酢酸,ジエチレントリアミン五酢酸,ニトリロ三酢酸,イミノ二酢酸,1,2-シクロヘキサンジアミン四酢酸,グリコールエーテルジアミン四酢酸などのようなアミノカルボン酸及びこれらの金属塩のうち一種類以上の化合物を添加した銅及び銅合金の表面処理剤。」

(ク) 本件発明と甲5発明の一致点

「ベンズイミダゾール化合物及びコンプレクサン化合物を必須成分として含有する水溶液からなる銅及び銅合金の表面処理剤。」である点

(ケ) 本件発明と甲5発明の相違点

相違点3

本件発明では必須成分として鉄イオンを含有しているのに対して,甲5発明では必須成分として鉄イオンを含有していない点

第3当事者の主張

1  取消事由に関する原告らの主張

審決は,訂正事項2が適法な訂正であると判断した誤り(取消事由1),本件発明が甲1文献に記載されていないとした判断の誤り(取消事由2),甲4文献を主引用例とした容易想到性判断の誤り(取消事由3),甲5文献を主引用例とした容易想到性判断の誤り(取消事由4),本件訂正明細書は当業者が本件発明を実施できる程度に明確かつ十分に記載されているとした判断の誤り(取消事由5),本件発明が本件訂正明細書に記載したものであるとした判断の誤り(取消事由6)があり,その結論に影響を及ぼすから,違法であり,取り消されるべきである。

(1)  訂正事項2が適法な訂正であると判断した誤り(取消事由1)

ア 本件明細書における「コンプレクサン化合物」の意義は本件明細書の段落【0015】に列挙された物質として特定されるべきであるとした審決の判断には誤りがある。

本件明細書の段落【0015】には,「コンプレクサン化合物」の代表的なものとして「イミノ二酢酸(IDA),・・・ニトリロトリスメチレンホスホン酸(NTPO)等とこれらの塩類が挙げられる。」と17の化合物が列挙された上で,「等とこれらの塩類」と記載されている。また,被告が審判手続で提出した甲15及び17ないし20からは,「コンプレクサン化合物」を一義的な意義に理解することはできず,訂正事項2により上記列挙された化合物の一部を削除した残りの化合物も,被告主張に係る理解とは異なる。したがって,上記「等」に含まれるものを特定することができず,本件明細書における「コンプレクサン化合物」は,その意味が不明確である

このような点を前提にすれば,「コンプレクサン化合物」の意味について,「コンプレクサン化合物」に本来的に含まれている不明確な部分である「等」を削除しさえすれば,その意味を確定できるとする審決の判断は,誤りである。

イ 上記のとおり,本件発明における「コンプレクサン化合物」の意義を誤った上で,訂正事項2は特許請求の範囲の減縮を目的とするものであるとした審決の判断には,誤りがある。本件訂正によっても,段落【0015】の「等」は削除されておらず,したがって,訂正事項2は,単に代表的なコンプレクサン化合物の例示の一部を削除したにすぎず,本件訂正により特許請求の範囲を減縮することにはならない。

また,審決は,「コンプレクサン化合物」の意義は確定できないことを前提としているのであるから,訂正事項2で削除の対象となっている化合物が,本来「コンプレクサン化合物」の意義に含まれない化合物が誤って記載された場合であるとはいえず,訂正事項2が誤記又は誤訳の訂正であるとも認められない。

さらに,訂正事項2によって明瞭となった記載はないから,訂正事項2は明瞭でない記載の釈明とも認められない。

そうすると,訂正事項2は,平成23年法律第63号による改正前の特許法134条の2第1項(以下「旧特許法134条の2第1項」という。)の規定に適合しないから,適法な訂正であるとは認められない。

(2)  本件発明が甲1文献に記載されていないとした判断の誤り(取消事由2)審決には,一致点として認定すべき「コンプレクサン化合物を含有する」点を相違点と認定した誤りがある。

「大辞泉 第1版」(株式会社小学館,平成7年12月1日発行)(甲2)によれば,「コンプレクサン化合物」とは「エチレンジアミン四酢酸(EDTA)などのキレート試薬の総称」を意味するとされており,「コンプレクサン化合物」をこのように理解するのであれば,本件明細書の段落【0015】に列挙された化合物は全てこれに含まれる。

審決は,「コンプレクサン化合物」を本件明細書の段落【0015】に列挙された化合物であると認定し,その根拠の一つとして,本件明細書の段落【0015】に「β-ジケトン類」やその具体例である「アセチルアセトン又はその共役塩基であるアセチルアセトナート」が挙げられていない点を挙げる。しかし,同段落は,コンプレクサン化合物の代表的なものを例示したものであるから,審決の判断は失当である。

本件明細書の段落【0015】には,当初,コンプレクサン化合物の代表例として,典型的なキレート剤が記載されていた。その後,被告は,新規性欠如の無効理由を解消するため,「コンプレクサン」とはアミノポリカルボン酸基を有するものであると主張して,アミノポリカルボン酸基を有しないエチレンジアミンテトラキスメチレンホスホン酸(EDTPO)やニトリロトリスメチレンホスホン酸(NTPO)を段落【0015】の例示から削除するとの本件訂正を請求し,本件訂正は審決において認められた。しかし,本件訂正後も,段落【0015】には,N,N-ビス(2-ヒドロキシベンジル)エチレンジアミン二酢酸(HBED)及びエチレンジアミン二プロピオン酸(EDDP)という,アミノカルボン酸基を有するものの,アミノポリカルボン酸基を有しない化合物を含んでおり,被告は,本件訴訟においては,「コンプレクサン」とは少なくとも分子内にアミノカルボン酸基を有する化合物であると主張している。このように,被告の主張はその都度変遷している。

以上を踏まえると,本件発明における「コンプレクサン化合物」は「エチレンジアミン四酢酸(EDTA)などのキレート試薬の総称」であり,キレート試薬にはアセチルアセトンが含まれる。したがって,本件発明と甲1発明は「コンプレクサン化合物」を含有することにおいて共通し,本件発明は甲1発明により新規性を欠く。

(3)  甲4文献を主引用例とした容易想到性判断の誤り(取消事由3)

ア 甲4発明の認定

審決の甲4発明の認定には,以下のとおり誤りがある。

甲4文献の特許請求の範囲の請求項1,詳細な説明の段落【0012】,【0017】,【0020】ないし【0022】,【0024】によると,甲4発明の内容は,審決が認定したものに限られず,「2-フェニルベンゾイミダゾール,2-プロピルベンゾイミダゾール及び2-(ナフチルメチル)ベンゾイミダゾールなどのベンゾイミダゾール化合物,ギ酸,酢酸などの水溶性有機酸,並びに,n-吉草酸,1-メチル酪酸などの5個以上の炭素原子を含むモノカルボン酸,6個以上の炭素原子を含むジカルボン酸及び4個以上の炭素原子を含むハロゲン化カルボン酸のうちの少なくとも一種を含有し,塩化鉄,酸化鉄などの金属化合物をも含有する銅及び銅合金の表面処理剤」とすべきであり,少なくとも審決の認定に,「塩化鉄,酸化鉄などの金属化合物をも含有する表面処理剤」を加えるべきである。

イ 相違点の認定

上記のとおり,甲4発明では,表面処理剤は金属イオンとして鉄イオンを含有しているから,相違点1が相違点であるとした審決の認定は誤りである。

ウ 容易想到性の判断

(ア) 甲5文献及び甲6文献記載の各発明は,プリント配線板等の銅及び銅合金パターンの上に被膜形成することを目的とした上で,更に改良を図っているものであり,表面処理剤中の銅イオン量が過剰になることを防ごうとするものであって,表面処理剤中の銅イオンを全て除去することを目的としているのではなく,一定程度は銅イオンを存在させることを目的としている。したがって,上記各発明は,甲4発明と相反するものではなく,甲4発明に甲5文献及び甲6文献記載の各技術手段を適用することに阻害要因はない。

また,甲4発明は,塩化第二銅が含まれているか否かにかかわらず,塩化鉄,酸化鉄などの金属化合物を含有する表面処理剤であるから,銅イオンが添加された表面処理剤とは限らず,この点からも,銅イオンの加除において甲4発明と甲5文献及び甲6文献記載の各技術手段とは相反するものではない。

(イ) 甲7文献には,多層印刷回路板の内層銅箔の接着前処理のためにも使用できる表面処理剤として,イミダゾール化合物あるいはベンズイミダゾール化合物とエチレンジアミン四酢酸とを含む表面処理剤が記載されており,甲4文献にもイミダゾール化合物あるいはベンズイミダゾール化合物を含む表面処理剤が記載されている。したがって,甲7文献に記載されたエチレンジアミン四酢酸を,技術分野及び構成の一部が同じである甲4発明の表面処理剤に添加することの動機付けが存在する。

(ウ) 本件発明の作用効果が「甲第4号証乃至甲第7号証の記載からは予測し得ない。」とした審決の判断には誤りがある。

上記作用効果は,実施例における2-オクチルベンズイミダゾール,酢酸及び塩化鉄(Ⅲ)・六水和物及びエチレンジアミン四酢酸からなる,限られた成分組成による表面処理剤の作用効果であって,本件発明の効果ではない。コンプレクサン化合物として列挙された化合物のうち,エチレンジアミン四酢酸を用いた場合に上記効果が認められたとしても,他の化合物を用いた場合にも同様の効果が得られると想定することはできない。一般的にイミダゾール化合物と鉄イオンを含有する水溶液からなる表面処理剤にコンプレクサン化合物を添加すると,当該イミダゾール化合物と鉄イオンを含有する水溶液からなる表面処理剤よりも被膜の形成性が向上するという効果があるという点に関する作用機序について,本件訂正明細書には記載や示唆はない。

しかも,甲4文献には鉄イオンを供給する鉄化合物の添加により被膜形成性が向上することが明記されており,甲5文献には,ジエチレントリアミン五酢酸などの添加により,銅及び銅合金パターン部と共に金などでできている接栓部及び表面実装部品の接続端子部を有するプリント配線板において,銅及び銅合金パターン部のみに被膜を容易に形成することが記載されているのであるから,上記作用効果は,当業者であれば容易に予想し得るものである。

(4)  甲5文献を主引用例とした容易想到性判断の誤り(取消事由4)

甲5文献では,表面処理剤中の銅イオンを全て除去することを意図しているのではなく,ある程度の濃度の銅イオンを表面処理剤中に残存させることも目的として,コンプレクサン化合物(キレート剤)を添加しているのであるから,甲5発明と甲4文献,甲8文献及び甲9文献記載の技術とが,相反する技術的思想を有するとはいえない。

鉄イオンを添加すると被膜形成性が向上するとの効果は,甲4文献の段落【0024】にも明記されており,予測し得ない効果ではない。また,本件訂正明細書の段落【0021】,【0022】,【0024】,【0025】及び図1ないし4の結果は,2-オクチルベンズイミダゾール,酢酸,エチレンジアミン四酢酸及び塩化鉄(Ⅲ)・六水和物からなる,限られた成分組成である場合の結果にすぎず,これらを根拠に,他のイミダゾール化合物等を用いた場合でも同様の結果が得られるとまでは認められない。

甲12の表2-1及び表2-2のAないしCによると,0.5%の2-(1-エチルペンチル)ベンズイミダゾール,5.3%のギ酸からなる水溶液(A),更に2.15mMのEDTA2ナトリウム塩(コンプレクサン化合物)を加えた水溶液(B),更に塩化鉄(Ⅲ)六水和物を0.54mM(コンプレクサン化合物が鉄イオンの約4.0倍モル)加えた水溶液(C)を調製したところ,銅上に形成された被膜の厚さは,イミダゾール化合物とギ酸だけの水溶液(A)の膜厚と同程度であった。

以上のとおりであり,本件発明が甲5文献から容易に想到することができないとした審決の判断には,誤りがある。

(5)  本件明細書は当業者が本件発明を実施できる程度に明確かつ十分に記載されているとした判断の誤り(取消事由5)

ア 本件訂正明細書の段落【0017】には,各成分の配合量に関する記載はある。しかし,実施例において使用されている分量よりも広い範囲の数値であり,その範囲で本件発明の効果が認められるとの根拠はない。イミダゾール化合物,ベンズイミダゾール化合物には様々な属性のものが存在するのであって,それぞれの属性のものについていかなる分量で配合すれば同等の作用効果を奏するのか,そもそも同等の作用効果を奏し得るのかは,予想できない。

本件訂正明細書からは,銅上及び金上のそれぞれにどのような膜厚の化成被膜が形成されれば,段落【0007】に記載された「銅あるいは銅合金の表面にのみ化成被膜を形成し,金やはんだ等の異種金属の表面には化成被膜を形成しないという選択性を有し,且つ化成被膜の造膜性が良好で表面処理時間が短(い)」との作用効果を奏することになるかは,不明である。

イ 原告らが実施した実験結果(甲10)によると,本件発明を実施するためには,当業者に過度の試行錯誤が要求されるといえる。

被告は甲30及び31記載の実験を行っているが,その実験結果によると,銅上の膜厚は,本件明細書の実施例において有効な膜厚とされている0.20μmあるいは0.23μmに及ばないものが多数ある。しかも,上記実験は,実施例とは全ての成分の分量を変えたり,ある成分を当業者が想定できない分量,又は,本件訂正明細書の段落【0017】に記載された範囲を超えた分量で行ったり,本件訂正明細書に記載のないpH調整を行ったりしている。このことは,本件発明は当業者が実施することが極めて困難であることを実証しているといえる。さらに,甲13は,甲30及び31記載の実験を追試したものであるが,甲30及び31に記載された膜厚を得ることができないものが多数あった。

ウ 以上のとおり,本件訂正明細書には,当業者が本件発明を容易に実施し得る程度に本件発明が開示されておらず,本件訂正明細書の記載は,旧特許法36条4項に反する。

(6)  本件発明が本件訂正明細書に記載したものであるとした判断の誤り(取消事由6)

本件発明は,実施例に用いた化合物を不当に上位概念化した構成によるものであるから,実施例に用いた化合物を実施例における配合割合で用いた場合を除いて,当業者が,その課題を解決できると認識できるように記載されているとはいえない。

本件訂正明細書には,作用機序の記載はなく,また,どの程度の選択性や造膜性があれば本件発明の課題を解決できたといえるのかが不明であり,実施例において造膜性や選択性を具体的に確認したのは,本件発明のごく一部にすぎない。「コンプレクサン化合物」の意義を一義的に解することができず,段落【0015】の例示物質に限定解釈したのであるから,これらの例示物質にどのような共通点があり,エチレンジアミン四酢酸以外の例示物質がエチレンジアミン四酢酸と同様に課題を解決できるものかは判断できない。したがって,本件訂正明細書には,本件発明がその課題を解決できると認識できるように記載されているとはいえない。

甲10記載の実験によると,本件発明における各成分を含有する水溶液からなる表面処理剤を,技術常識に即して調整したにもかかわらず,銅及び銅合金の表面に化成被膜を形成するという本件発明の効果を奏しないのであるから,本件訂正明細書は旧特許法36条6項1号の要件を満たしていない。

2  被告の反論

(1)  訂正事項2が適法な訂正であると判断した誤り(取消事由1)に対して

コンプレクサン化合物の意味が一義的に明確でないとしても,それを本件明細書の例示物質に限定して解釈することは合理的かつ妥当な解釈手段であり,そのように解釈した審決の判断に誤りはない。

審決は,本件発明における「コンプレクサン化合物」について,本件明細書の段落【0015】に例示された物質とその塩類であると認定し,同認定を前提に,同段落記載の例示物質の一部を削除する訂正は特許請求の範囲の減縮に当たると判断したのであるから,同判断に誤りはない。例示物質の列挙の後の「等」の語の有無によって,その結論が変わるものではない。

原告らは,「コンプレクサン」とは「エチレンジアミン四酢酸(EDTA)などのキレート試薬の総称」であると主張し,それを前提にして,審決における「コンプレクサン」の意義が誤っていると主張する。しかし,「コンプレクサン=キレート試薬」であるとする解釈が成り立つ余地はなく,原告らの主張にはその前提において誤りがある。

(2)  本件発明が甲1文献に記載されていないとした判断の誤り(取消事由2)に対して

原告らは,「大辞泉 第1版」の説明を根拠として,本件発明の「コンプレクサン化合物」は,「エチレンジアミン四酢酸(EDTA)などのキレート試薬の総称」であると主張する。しかし,以下のとおり,原告らの主張には誤りがある。

「大辞泉 第1版」は,化学用語を専門とした辞典ではないため,簡略化した説明しかされていないが,上記辞典における「エチレンジアミン四酢酸(EDTA)などのキレート試薬の総称」との記載は,「エチレンジアミン四酢酸(EDTA)と類似の構造のキレート試薬の総称」と理解すべきであり,「コンプレクサン」と「キレート試薬」が同義であると理解すべきではない。

また,他の化学分野の各種辞典等(甲15,17ないし20)の記載を総合すると,「キレート剤」は「コンプレクサン」の上位概念であり,同義ではない。「コンプレクサン」とは,少なくとも分子内にアミノカルボン酸基(-N(CH2COOH)2等)を有する化合物であるから,このアミノカルボン酸基を含まない「β-ジケトン類(アセチルアセトン等)」は「コンプレクサン化合物」に含まれない。

また,甲1発明は,本件訂正明細書に従来技術として明示されているものであり,本件発明とは異なる。

よって,取消事由2に関する原告らの主張には,理由がない。

(3)  甲4文献を主引用例とした容易想到性判断の誤り(取消事由3)に対して

ア 甲4発明の認定

甲4文献には,表面処理剤に任意成分として塩化銅,塩化鉄,酸化鉄等の金属化合物を添加できるとされているが,このうち具体的に開示があるのは塩化第二銅を添加したものだけであるから,審決における甲4発明の認定に誤りはない。また,審決では,塩化鉄,酸化鉄などの金属化合物に関し,「甲4発明において塩化第二銅に換えて塩化鉄又は酸化鉄を添加することにより表面処理剤中に鉄イオンを添加することは甲4発明として記載されている事項か,少なくとも当業者が容易になし得たことである」と判断しており(審決39頁),原告ら主張のように甲4発明を認定した場合と審決の認定との間で実質的な差異はない。

また,原告ら主張のベンズイミダゾール化合物及び酸の種類に関しては,容易想到性の有無の判断に影響を与えるものではなく,審決の認定と原告らの主張の間に実質的な差異はない。

イ 相違点の認定

甲4文献に具体的に開示がある金属化合物は,塩化第二銅だけであるから,本件発明と甲4発明との相違点として相違点1を挙げた審決に誤りはない。

ウ 容易想到性の判断

(ア) 甲5文献及び甲6文献記載の各発明におけるキレート剤が銅イオンの一部を除去するものであることは原告らも認めており,そうすると,甲4発明と甲5文献及び甲6文献記載の各発明とでは銅イオンの加除の点で相反するものであり,甲4発明に甲5文献及び甲6文献記載の各技術内容を組み合わせることに阻害要因があるとした審決の判断に誤りはない。

(イ) 原告らは,甲4発明と甲7文献記載の発明とは,発明の技術分野及び構成の一部が共通していると主張する。しかし,両者は,イミダゾール化合物等を用いた銅の表面を処理する水溶液であるという点において共通するにすぎず,「銅表面に無電解めっきするための銅の表面処理剤」(甲7文献)と「銅の表面に防錆剤としての被膜を形成するための表面処理剤」(甲4文献)との点において,相違する。原告らの主張は,理由がない。

(ウ) 原告らは,本件訂正明細書には限られた成分組成の場合の効果しか記載されていない旨主張する。しかし,本件発明の作用効果は,本件訂正明細書の実施例の実験結果から一般化できる。本件訂正明細書の段落【0015】に列挙された物質は,前記の「コンプレクサン」の意義にあてはまる物質かそれと同等の性質を有する物質であるから,エチレンジアミン四酢酸の実験結果を上記の列挙物質に適用することは可能である。

(4)  甲5文献を主引用例とした容易想到性判断の誤り(取消事由4)に対して

原告らは,甲5発明におけるキレート剤が銅イオンの一部を除去するものであることは認めており,そうすると,甲5発明と甲4発明とでは銅イオンの加除の点で相反するものであるとした審決の判断に誤りはない。

本件発明の作用効果に関する原告らの主張も,前記と同様の理由により,失当である。

(5)  本件訂正明細書は当業者が本件発明を実施できる程度に明確かつ十分に記載されているとした判断の誤り(取消事由5)に対して

本件訂正明細書の段落【0017】には,実施例において実際に効果が確認された範囲よりも広い配合量・配合割合が記載されているが,実施例と同等の作用効果を奏すると予測される配合量・配合比率を明細書に記載することは一般的に行われていることであり,そのことにより,実施できる程度に明確かつ十分に記載されていないことにはならない。また,イミダゾール化合物,ベンズイミダゾール化合物には様々な属性のものが存在するため,いかなるイミダゾール化合物等を使用するかにより,配合比率が変動することによって,実施可能要件を充足しないとことにはならない。

本件発明は,従来から存在するイミダゾール化合物等を主成分とする表面処理剤に,コンプレクサン化合物と鉄イオンをあわせて配合したことを特徴とし,

① 銅又は銅合金の表面にのみ化成被膜を形成し,金メッキ,はんだメッキ等,銅以外の異種金属に対してはほとんど化成被膜を生じないという高い選択性を有し,

② 銅又は銅合金に対する化成被膜の造膜性が極めて良好で,

③ 処理液が安定している

という作用効果を奏する発明である。原告らは,造膜性,選択性に関し,明確な数値的限定が必要であると主張するが,選択性,造膜性の向上は,使用するイミダゾール化合物等の種類や量等に応じて変わるものであり,一定の範囲の数値で限定できるものではない。

実施可能要件の適否は,明細書の記載及び技術常識を基に,当業者が発明を実施できるか否かで判断すべきであり,原告らが不明確であると主張するテストパターンの構造,銅上及び金上の化成被膜の膜厚の基準値などは,当業者が本件発明を実施する上で必ずしも必要な条件ではない。

イミダゾール化合物等を主成分とした表面処理剤は本件特許出願前から周知であるが,原告らが行った実験結果(甲10)は,イミダゾール化合物等がうまく水溶液化できないとか,溶解させても水中で安定な状態で存在していないためうまく化成被膜が形成できないなど,本件発明以前の問題が示されているにすぎない。

(6)  本件発明が本件訂正明細書に記載したものであるとした判断の誤り(取消事由6)に対して

旧特許法36条6項1号の要件を満たすか否かは,特許請求の範囲に記載された発明が,発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否か,また,その記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否かを基準として判断すべきである。本件訂正明細書の発明の詳細な説明の記載及び出願時の技術常識を考慮すると,イミダゾール化合物等は表面処理剤に用い得るものであれば広く選択することができ,そのいずれを選択しても,本件発明の課題を解決できると認識し得る。

造膜性が向上したかどうかは相対的なものであり,本件明細書にどの程度の膜厚であれば「化成被膜を形成」したといえるか数値が特定されていないとしても,旧特許法36条6項1号に違反するものではない。

甲10は,本件特許の優先日当時の技術常識を無視した形で各成分の配合を行った結果,各成分の配合割合が不適切となり,被膜を形成しない実験結果を示したものにすぎない。

第4当裁判所の判断

当裁判所は,取消事由に係る原告らの主張はいずれも,審決の結論に影響を及ぼさないと判断する。その理由は,以下のとおりである。

1  訂正事項2が適法な訂正であると判断した誤り(取消事由1)について

(1)  事実認定

ア 本件明細書の記載

本件発明に係る特許請求の範囲は,第2の2に記載のとおりである。

本件明細書には,以下の記載がある(甲11)。

「【発明の詳細な説明】

【0001】

【発明の属する技術分野】この発明は,銅及び銅合金の表面に化成被膜を形成する水溶液系表面処理剤に関するものであり,特に金メッキ,はんだメッキ等の銅及び銅合金以外の異種金属部を有する硬質プリント配線板及びフレキシブルプリント配線板における銅回路部の表面処理剤として好適なものである。」

「【0007】本発明は,このような状況に対応して銅あるいは銅合金の表面にのみ化成被膜を形成し,金やはんだ等の異種金属の表面には化成被膜を形成しないという選択性を有し,且つ化成被膜の造膜性が良好で表面処理時間が短く作業性に優れた水溶性の表面処理剤を提供するものである。」

「【0010】特公昭56-18077号公報及び特開平6-81161号公報によれば,イミダゾール化合物あるいはベンズイミダゾール化合物と,エチレンジアミン四酢酸,ジエチレントリアミン五酢酸などのコンプレクサン化合物を含む表面処理剤を使用することにより,金メッキ等の異種金属の表面に化成被膜を形成させず,銅の表面にのみ化成被膜を形成する選択性があることが報告されている。

【0011】これらの表面処理方法においては,金メッキ表面に対する造膜性を抑制するために表面処理液中の銅イオンを捕捉し,安定化させるためにコンプレクサン化合物を使用する手段がとられている。

しかしながら,表面処理液中の銅イオンは銅表面における化成被膜の造膜性を向上させるのに非常に有効な手段である。これらの表面処理方法においては,銅イオンを含まないため銅表面の化成被膜の造膜性が著しく劣り,その表面処理時間は銅イオンを含む場合の10~30秒に比べて,2~3分掛かけることを余儀なくされ,このような表面処理方法では,銅以外の異種金属に化成被膜を形成しない選択性を得た代償として,生産性を極度に低下させる難点があった。

【0012】・・・

しかし,従来知られている種々のイミダゾール化合物あるいはベンズイミダゾール化合物と銅イオンを含む表面処理液を用いて,このようなはんだ-銅混載基板を処理するとはんだの変色と表面処理液の変質が起こり,長時間の連続運転を行うことが出来ない。」

「【0013】

【課題を解決するための手段】本発明者等は,このような事情に鑑み,種々の試験を行った結果,銅及び銅合金の表面処理剤としてイミダゾール化合物あるいはベンズイミダゾール化合物,コンプレクサン化合物及び水溶性鉄化合物を必須成分として含有させた水溶液を使用することにより,所期の目的を達成しうることを知見し,本発明を完遂するに至った。」

「【0015】本発明の実施において使用されるコンプレクサン化合物の代表的なものとしては,イミノ二酢酸(IDA),ニトリロ三酢酸(NTA),エチレンジアミン四酢酸(EDTA),ジエチレントリアミン五酢酸(DTPA),トリエチレンテトラミン六酢酸(TTHA),1,2-ジアミノシクロヘキサン四酢酸(CyDTA),グリコールエーテルジアミン四酢酸(GEDTA),N,N-ビス(2-ヒドロキシベンジル)エチレンジアミン二酢酸(HBED),エチレンジアミン二プロピオン酸(EDDP),エチレンジアミン二酢酸(EDDA),ジアミノプロパノール四酢酸(DPTA-OH),ヘキサメチレンジアミン四酢酸(HDTA),ヒドロキシエチルイミノ二酢酸(HIDA),ジアミノプロパン四酢酸(Methyl-EDTA),ニトリロ三プロピオン酸(NTP),エチレンジアミンテトラキスメチレンホスホン酸(EDTPO),ニトリロトリスメチレンホスホン酸(NTPO)等とこれらの塩類が挙げられる。」

「【0017】

本発明の実施においては,有効成分としてイミダゾール化合物あるいはベンズイミダゾール化合物を0.01~10重量%の割合,好ましくは0.1~5重量%の割合とし,鉄化合物は水溶液に対して0.0001~5重量%の割合,好ましくは0.001~1重量%の割合とし,コンプレクサン化合物は鉄イオン(モル濃度)に対して1~10倍モルの割合,好ましくは1~5倍モルの割合として添加すれば良い。

いずれのコンプレクサン化合物を使用した場合でも,コンプレクサン化合物は鉄イオンと安定なキレート化合物を形成するために,必要な最低限の濃度よりも過剰の濃度となるように添加することが好ましい。」

「【0048】

【発明の効果】本発明の表面処理剤によれば,銅あるいは銅合金の表面にのみ選択的に化成被膜を形成し,金メッキ,はんだメッキ等,銅以外の異種金属に対してはほとんど化成被膜を生じないので,銅パターン上に金メッキ,はんだメッキなどの異種金属を施したプリント配線板などの表面処理において,これら異種金属をマスキングすることなく,直かに銅回路部の表面処理を為し得るものであり,また銅金属に対する造膜性が良好でしかも処理液が安定しているため,この種のプリント配線板などの生産性を飛躍的に高めることが出来るなど実践面の効果は多大である。」

イ 「コンプレクサン」の意義に関する文献

「コンプレクサン」の意義に関しては,以下の文献がある。

(ア) 岩波理化学辞典第3版(玉虫文一他編,株式会社岩波書店,昭和50年4月30日発行)(甲15)

「コンプレクソン[英仏complexon 独Komplexon 露комплексон]アミノポリカルボン酸類の総称。コンプレクサン(complexan)ともいう。すくなくとも1つの-N(CH2COOH)2をもち,多くの金属イオンときわめて安定なキレート化合物をつくる*キレート剤である。エチレンジアミン四酢酸(EDTA),ニトリロ三酢酸(NTA)などをはじめとしてきわめて多くのものが開発されている。さらに広く,ポリアミン類,ポリオキシカルボン酸類などをも含めた可溶性キレート化合物生成試薬はキロン(chelon)ということもある。」

(イ) 入門キレート化学(上野景平著,株式会社南江堂,昭和44年12月15日発行)(甲17)

「閑話休題,EDTAやNTAの発見以来,数多くの類似体が合成されている。これらはすべてアミノカルボン酸(アミノ酢酸あるいはアミノプロピオン酸類)の誘導体と考えることができ,今日ではコンプレクサン型配位子(complexane type ligands)と総称されている.主なコンプレクサンを,その構造式とともに表6・1に示した。これらのコンプレクサンは,それぞれ特色をそなえているのであるが,合成の容易な点,および応用面の広い点で,EDTAおよびNTAにまさるコンプレクサンはないようである。」

なお,表6・1には「主なコンプレクサン」としてイミノジ酢酸(IDA),ニトリロトリ酢酸(NTA),エチレンジアミンテトラ酢酸(EDTA),ジエチレントリアミンペンタ酢酸(DTAP),トリエチレンテトラミンヘキサ酢酸(TTHA),1,2-ジアミノシクロヘキサンテトラ酢酸(CyDTA),N-ヒドロキシエチルエチレンジアミントリ酢酸(HEDTA),エチレングリコールジエチルエーテルジアミンテトラ酢酸(GEDTA),エチレンジアミンテトラプロピオン酸(EDTP)の構造式が記載されており,いずれも-N(CH2COOH)2又は-N(C2H4COOH)2を備えている物質である。

(ウ) 化学大辞典3(化学大辞典編集委員会編,共立出版株式会社,平成5年6月1日発行)(甲18)

「コンプレクソン [英Complexon 独Komplexon] EDTA類似化合物の総称として,1945年 G. Schwarzenbach が与えた名称。この種の化合物はカルボキシメチル基が窒素原子と結合しているα-アミノ酸で,少なくとも1個の-N(CH2COOH)2を含んでいるため,アミンの窒素の配位能の強力性とカルボキシル基の酸素の配位能の普遍性を具備している。したがって強力で普遍的なキレート試薬として各方面に利用されている。この名称はスイスの Chemische FabrikUetikon の登録商標となっているため,学術用語としてキロン*なることばが提出されている。これはコンプレクソンより更に広い意味をもつものである。」

(エ) 第3版化学用語辞典(化学用語辞典編集委員会編,技報堂出版株式会社,平成4年5月16日発行)(甲19)

「コンプレキソン complexon エチレンジアミン四酢酸(EDTA)に代表される金属イオンに強い配位能力をもつポリアミノポリカルボン酸の総称。商品名との混同を避けるため,現在ではコンプレクサン(complexan)という。」

(オ) 標準化学用語辞典(社団法人日本化学会編,丸善株式会社,平成3年3月30日発行)(甲20)

「コンプレキソンfile_2.jpg[complexon] ポリアミン-N-ポリカルボン酸類の総称。たとえばエチレンジアミン四酢酸*(EDTA).ニトリロ三酢酸*(NTA)もこの部類に加えられる。分子内に-N(CH2COOH)2の構造をもち,多くの金属イオンときわめて安定なキレート化合物をつくる。分析用試薬などとしての用途が広い。」

(2)  判断

ア 訂正事項2は,本件明細書の段落【0015】中の「,エチレンジアミンテトラキスメチレンホスホン酸(EDTPO),ニトリロトリスメチレンホスホン酸(NTPO)」を削除したものである。

イ 本件発明は「コンプレクサン化合物」を必須成分の一つとする表面処理剤に関する発明である。そして,本件明細書の段落【0015】には,コンプレクサン化合物に該当するとされている化合物が列挙されているが,その冒頭に「本発明の実施において使用されるコンプレクサン化合物の代表的なものとしては,」と記載されていること,化合物が列挙された後に「等とこれらの塩類」と記載されていることからすると,同段落は,「コンプレクサン化合物」に含まれる代表的な化合物を例示したものであると解するのが自然である。そうすると,例示された化合物の一部を削除したとしても,本件発明における「コンプレクサン化合物」の範囲が当然に減縮されると解すべきものではなく,この訂正は,旧特許法134条の2第1項ただし書1号の特許請求の範囲の減縮に該当するものではない。

ウ(ア) 本件明細書の発明の詳細な説明中において,「コンプレクサン」を定義した記載はない。

(イ) 化学辞典等によると,「コンプレクサン」の意味については,①アミノポリカルボン酸類の総称であり,少なくとも1つの-N(CH2COOH)2を持つ物質とするもの(岩波理化学辞典第3版,化学大辞典3),②アミノカルボン酸(アミノ酢酸あるいはアミノプロピオン酸類)の誘導体であり,-N(CH2COOH)2又は-N(C2H4COOH)2を備えている物質とするもの(入門キレート化学),③ ポリアミノポリカルボン酸の総称とするもの(第3版化学用語辞典),④ポリアミン-N-ポリカルボン酸類の総称としながら,ニトリロ三酢酸のようにポリアミンでないものも含まれるとしているもの(標準化学用語辞典)とがあり,これらによると,当業者間で「コンプレクサン」の意味が一義的に明確であるとはいえない。

なお,「大辞泉 第1版」(甲2)には,「コンプレクサン」はキレート試薬の総称であるとの記載があるが,これは一般向けの説明にすぎず,当業者がこれに基づいて「コンプレクサン」の意味を理解するとは認め難く,同辞典に基づいて「コンプレクサン」の意義を確定することは相当ではない。

(ウ) 上記辞典等の説明をも参酌して,本件明細書の段落【0015】記載の化合物につき検討すると,「エチレンジアミン二プロピオン酸(EDDP)」と「ニトリロ三プロピオン酸(NTP)」はプロピオン酸であり,-N(CH2COOH)2を有しない。「エチレンジアミンテトラキスメチレンホスホン酸(EDTPO)」と「ニトリロトリスメチレンホスホン酸(NTPO)」はホスホン酸であり,-N(CH2COOH)2も-N(C2H4COOH)2も有しない。また,「N,N-ビス(2-ヒドロキシベンジル)エチレンジアミン二酢酸(HBED)」と「エチレンジアミン二酢酸(EDDA)」は>N(CH2COOH)を2つ持つ化合物であるが,いずれも-N(CH2COOH)2も-N(C2H4COOH)2も有しない。したがって,訂正事項2により,上記ホスホン酸の2つの化合物を削除したとしても,段落【0015】に列挙された化合物には,-N(CH2COOH)2を有しない化合物が4つ,-N(CH2COOH)2も-N(C2H4COOH)2も有しない化合物が2つ残ることとなり,上記①ないし④の「コンプレクサン」のいずれの説明とも符合しない化合物が含まれている。

以上によると,訂正事項2により,本件明細書の段落【0015】に例示された化合物から,本件明細書における「コンプレクサン」の意義が明確になるとまではいえない。しかし,訂正事項2は,少なくとも上記①ないし④の「コンプレクサン」には該当しない化合物を一部削除するものであるという点では,旧特許法134条の2第1項ただし書3号所定の「明りょうでない記載の釈明」に,一応該当するといえる。

(エ) なお,本件明細書の段落【0010】には,甲5文献及び甲6文献に,「エチレンジアミン四酢酸,ジエチレントリアミン五酢酸などのコンプレクサン化合物」を表面処理剤に加える旨の記載があると記載されているが,甲5文献や甲6文献に記載されているのは「キレート剤」を表面処理剤に加えることであり,上記化学辞典等の記載によると,「キレート剤」は「コンプレクサン」の上位概念であることは当業者の技術常識であると認められる。したがって,段落【0010】の記載から本件明細書における「コンプレクサン」の意味を確定することもできない。

エ 訂正事項2は旧特許法134条の2第1項ただし書2号の誤記又は誤訳の訂正にも該当しない。

オ 被告は,コンプレクサン化合物の意味が一義的に明確でない場合,本件明細書の例示化合物に限定解釈するのが合理的であり,そのように解釈した審決の判断に誤りはないと主張する。しかし,前記のとおり,段落【0015】の「本発明の実施において使用されるコンプレクサン化合物の代表的なものとしては,・・・」との記載等を総合すると,被告の上記主張は,採用できない。

(3)  小括

以上のとおり,訂正事項2は,旧特許法134条の2第1項ただし書3号に一応該当するといえる。

なお,上記のとおり,本件明細書の段落【0015】の記載は,コンプレクサン化合物の例示にすぎないのであるから,訂正事項2に係る訂正によって,本件発明の要旨に変更を来すものとはいえない。以上を前提として,以下の取消事由の判断においては,本件訂正明細書の記載に基づいて,検討することとする。

2  本件発明が甲1文献に記載されていないとした判断の誤り(取消事由2)について

甲1発明の内容は第2の4(2)イ(ア)に記載のとおりである。甲1発明の「アセチルアセトン鉄錯体」の一部は水溶液中でアセチルアセトン又はその共役塩基であるアセチルアセトナートと鉄イオンに分離し,甲1発明の表面処理剤は「アセチルアセトン又はその共役塩基であるアセチルアセトナート」を含有すると認められる。

そこで,「アセチルアセトン又はその共役塩基であるアセチルアセトナート」が,本件発明の「コンプレクサン化合物」に相当するか否かを検討する。「アセチルアセトン又はその共役塩基であるアセチルアセトナート」は,本件訂正明細書の段落【0015】に例示された化合物には含まれておらず,化学辞典等の説明による前記1(2)ウ(イ)の①ないし④の「コンプレクサン」のいずれにも該当しない。そうすると,当業者の技術常識に照らしても,「アセチルアセトン又はその共役塩基であるアセチルアセトナート」が,本件発明の「コンプレクサン化合物」に含まれると解する根拠はなく,本件発明が甲1文献に記載されているとの原告らの主張は,採用の限りでない。

なお,原告らは,「大辞泉 第1版」によれば,「コンプレクサン化合物」とは「エチレンジアミン四酢酸(EDTA)などのキレート試薬の総称」を意味すると解するのが合理的であり,キレート試薬にはアセチルアセトンが含まれるので,本件発明には新規性がないと主張する。しかし,前記のとおり,「コンプレクサン」をキレート試薬の総称と解することはできず,原告らの主張は失当である。

以上によると,本件発明に新規性がなく,旧特許法29条1項3号に該当するとはいえない。

3  甲4文献を主引用例とした容易想到性判断の誤り(取消事由3)について

以下のとおり,当業者が甲4発明に甲5発明並びに甲6文献及び甲7文献記載の各発明を組み合わせて相違点2の構成に到るのが容易であるとは認められない。

(1)  事実認定

ア 甲4文献の記載

甲4文献には,以下の記載がある(甲4)。

「【特許請求の範囲】

【請求項1】(A)ベンゾイミダゾール化合物,ナフトイミダゾール化合物およびプリン化合物のうちの少なくとも一種,(B)水溶性有機酸,水溶性無機酸および水溶性有機溶剤のうちの少なくとも一種ならびに(C)5個以上の炭素原子を含むモノカルボン酸,6個以上の炭素原子を含むジカルボン酸および4個以上の炭素原子を含むハロゲン化カルボン酸のうちの少なくとも一種を含有することを特徴とする銅および銅合金の表面処理剤。

【発明の詳細な説明】

【0001】

【産業上の利用分野】本発明はプリント配線板の防錆剤等として有用な銅および銅合金の表面処理剤に関する。」

「【発明が解決しようとする課題】

【0008】前記公報に記載のように,アルキルイミダゾール系プレフラックスの耐熱性を改善する努力がなされているが,満足し得るような性能が得られていないのが実情である。

【0009】本発明は,上記の点に鑑みてなされたものであり,作業環境や安全面に優れ,耐熱性がさらに改良された銅および銅合金の表面処理剤を提供することを目的とする。

【0010】

【課題を解決するための手段】本発明者らは前記課題を解決するべく種々検討を重ねた結果,ベンゾイミダゾール化合物,ナフトイミダゾール化合物およびプリン化合物のうちの少なくとも一種を皮膜形成成分として含有するプレフラックスに,特定の有機酸を配合することにより,耐熱性のあるはんだ付け性にきわめて優れた皮膜を銅表面に形成しうることを見出した。」

「【0019】本発明に用いる(C)成分である特定の有機酸は,(B)成分の水溶性有機酸とは異なり,皮膜形成性に関与する非極性部分を有する化合物である。この(C)成分を併用することにより,耐熱性のあるはんだ付け性にきわめて優れた皮膜を銅表面に形成することができる。」

「【0024】本発明の表面処理剤には,皮膜形成性,皮膜の耐熱性等を向上させるために,例えば酢酸亜鉛,水酸化亜鉛,硫化亜鉛,リン酸亜鉛,酸化亜鉛,塩化亜鉛,酢酸鉛,水酸化鉛,塩化鉄,酸化鉄,塩化銅,酸化銅,水酸化銅,臭化銅,リン酸銅,炭酸銅,酢酸銅,硫酸銅,シュウ酸銅,ギ酸銅,酢酸ニッケル,硫化ニッケル等の金属化合物等を添加してもよく,さらに従来から表面処理剤に使用されている種々の添加剤を,必要に応じて添加してもよい。」

「【0028】実施例1

2-フェニルベンゾイミダゾール0.5gを酢酸3gに加え,均一に混合した。これを塩化第二銅0.05gを添加した水100gに加え,さらにカプロン酸0.1gを加えてよく撹拌し,処理液を調製した。」

イ 甲5文献の記載

甲5文献(手続補正後のもの)には,以下の記載がある(甲5)。

「【特許請求の範囲】

【請求項1】下記一般式で示される2-アルキルベンズイミダゾール誘導体を主成分としたプリフラックスに銅イオンと反応するキレート剤として,エチレンジアミン三酢酸,ジエチレントリアミン五酢酸,ニトリロ三酢酸,イミノ二酢酸,1,2-シクロヘキサンジアミン四酢酸,グリコールエーテルジアミン四酢酸などのようなアミノカルボン酸及びこれらの金属塩のうち一種類以上の化合物を添加したことを特徴とした銅及び銅合金の表面処理剤。

【化1】

file_3.jpgRe(但し,式中R1及びR2は同一または異なって水素原子,低級アルキル基またはハロゲン原子,R3は炭素数3以上のアルキル基を表す。)」

「【発明の詳細な説明】

【0001】

【産業上の利用分野】本発明は耐熱性に優れた2-アルキルベンズイミダゾール誘導体を主成分とするプリフラックスの作業性,性能向上に係り,特に硬質プリント配線板及びフレキシブルプリント配線板上の銅又は銅合金パターンの表面処理に好適なプリフラックスに関するものである。」

「【0003】特公昭56-18077号は,イミダゾール誘導体を主成分としたプリフラックスに銅イオンと反応するキレート剤を添加している。このプリフラックスによりプリント配線板を処理すると,処理中にプリント配線板より溶解した銅イオンが銅イオンと反応するキレート剤と反応して銅錯化合物となり除去されるため,金,白金,銀,スズ,ロジウムなどで出来ている接栓部を有するプリント配線板において,銅及び銅合金パターンにのみイミダゾール系化合物の防錆被膜を形成させることができ,接栓部のマスキングが不要となる。」

「【0004】しかし,・・・プリント配線板が繰り返し高温下に曝されるようになった。このため上記のイミダゾール系プリフラックスではチップ部品の仮止めや表面実装部品のはんだ付の加熱により,プリフラックス被膜が変質してしまいその後のフローはんだ付において,ポストフラックスと接触した際プリフラックス被膜の溶解性が低下するため,フローはんだ付時に残ったプリフラックス被膜が銅及び銅合金のはんだ付性を阻害するという欠点があった。

【0005】またこの従来発明では,プリント配線板よりプリフラックス溶液中に溶解した銅イオンの濃度が10ppm以上になるとイミダゾール誘導体の還元反応が著しく容易となり金,白金,銀,スズ,ロジウムなどで出来ている接栓部表面にもイミダゾール系化合物の防錆被膜が形成され接栓の機能が失われるようになるとしている。しかしながら,銅イオン濃度10ppm以下においても金接栓部の接触抵抗のわずかな増加があり,接栓部表面には微量なイミダゾール系化合物の析出があると推定できる。」

「【0006】特開平4-72072号は,2-アルキルベンズイミダゾール誘導体,有機酸及び亜鉛化合物または同化合物を含む水溶液より成るプリフラックスである。2-アルキルベンズイミダゾール誘導体の被膜は,従来の特公昭46-17046号,同49-26183号,同61-41988号などに記載されている2-長鎖アルキルイミダゾールの被膜よりも熱的に安定であり,プリント配線板の表面実装法に対応する十分な耐熱性を有している。

【0007】また,亜鉛化合物または銅化合物の添加により,更に耐熱性を向上させることができる。この従来発明では,プリフラックス中の2-アルキルベンズイミダゾール誘導体がプリント配線板の銅及び銅合金パターンと反応して還元され,銅及び銅合金パターン上にのみアルキルベンズイミダゾール系化合物の被膜が形成される。この時,銅及び銅合金パターン表面は2-アルキルベンズイミダゾール誘導体によって酸化されて銅がプリフラックス中に銅イオンとして溶解する。ところがプリフラックス中の銅イオン濃度が10ppm以上になると,2-アルキルベンズイミダゾール誘導体の還元反応が著しく容易となり,金,白金,銀,スズ,ロジウムなどで出来ている接栓部及び金,銀,アルミニウム,スズ,はんだなどで出来ている表面実装部品の接続端子表面にもアルキルベンズイミダゾール系化合物の被膜が形成され,接続信頼性を低下させるという欠点があった。」

「【0009】

【発明が解決しようとする課題】本発明は,上記従来例特公昭56-18077号,特開平4-72072号公報に記載の発明におけるプリント配線板のはんだ付性劣化の問題点を解決するため,プリフラックスの主成分を従来例のイミダゾール誘導体よりも熱的に安定な化合物とし,プリフラックス皮膜の析出を安定化することにより,にすることにより,プリント配線板の銅及び銅合金パターン上に形成するプリフラックス被膜に,プリント配線板の表面実装法に対応する耐熱性を持たせたプリフラックスの提供をその課題としている。

【0010】本発明はまた,上記従来例特開平4-72072号,特公昭56-18077号におけるプリント配線板の接栓部および接続端子部に析出するプリフラックス皮膜の問題点を解決するため,2-アルキルベンズイミダゾール系プリフラックスの欠点をなくし,金,白金,銀,スズ,ロジウムなどで出来ている接栓部及び金,銀,アルミニウム,スズ,はんだなどで出来ている表面実装部品の接続端子を有するプリント配線板にプリフラックス処理を行う場合,接栓部及び接続端子部にマスキングを施すことなく,銅及び銅合金パターン部のみに2-アルキルベンズイミダゾール系化合物の被膜を容易に形成させることができるプリフラックスの提供を課題としている。」

「【0015】本発明はまた,上記従来例特開平4-72072号,特公昭56-18077号におけるプリント配線板の接栓部および接続端子部に析出するプリフラックス皮膜の問題点を解決するため,種々の検討を行った結果2-アルキルベンズイミダゾール系プリフラックスに銅イオンと反応するキレート剤としてエチレンジアミン三酢酸,ジエチレントリアミン五酢酸,ニトリロ三酢酸,イミノ二酢酸,1,2-シクロヘキサンジアミン四酢酸,グリコールエーテルジアミン四酢酸などのようなアミノカルボン酸及びこれらの金属塩のうち,一種類以上の化合物をプリフラックス溶液中に存在する銅イオンと同等またはそれ以上のモル濃度添加すれば良いことを明らかにした。また,これらキレート剤の添加により,特開平4-72072号におけるプリント配線板のはんだ付性劣化の問題点も解決できることを見出した。」

(2)  判断

ア 本件発明について

本件訂正明細書(前記のとおり訂正事項1及び2を除く他は,本件明細書と同じ。)の記載によると,本件発明は,金,銀,アルミニウム,錫,はんだなどのメッキ処理を行った,銅及び銅合金以外の異種金属部を有するプリント配線板において,銅あるいは銅合金の表面にのみ化成被膜を形成し,金メッキ等の異種金属の表面には化成被膜を形成しないという選択性を有し,かつ,化成被膜の造膜性が良好で,表面処理時間が短く作業性に優れた水溶性の表面処理剤を提供するということを解決課題としたものである。

従来,銅あるいは銅合金の表面にのみ化成被膜を形成し,金メッキ等の異種金属の表面には化成被膜を形成しないという選択性を有するために,イミダゾール化合物あるいはベンズイミダゾール化合物とキレート剤を含む表面処理剤が使用されてきたが,金メッキ等の異種金属の表面に対する造膜性を抑制するために,キレート剤を使用して,表面処理剤中の銅イオンを捕捉するという手段をとると,表面処理剤中に銅イオンが含まれなくなるため,銅あるいは銅合金に対する造膜性が著しく劣るという問題点があった。また,従来,イミダゾール化合物あるいはベンズイミダゾール化合物と銅イオンを含む表面処理剤を用いて,はんだ-銅混載基板を処理すると,はんだの変色と表面処理剤の変質が起こるという問題があった。そこで,本件発明は,イミダゾール化合物あるいはベンズイミダゾール化合物,コンプレクサン化合物を含有する水溶液からなる表面処理剤に鉄イオンを加えることによって,上記課題を解決したものである。

イ 甲4発明について

上記(1)アによれば,甲4文献には,「2-フェニルベンゾイミダゾールを酢酸に加え,均一に混合し,これを塩化第二銅を添加した水に加え,さらにカプロン酸を加えてよく撹拌した銅及び銅合金の表面処理剤。」に係る発明(甲4発明)が記載されている。

甲4発明は,プリント配線板の防錆剤等として有用な銅及び銅合金の表面処理剤において,耐熱性に優れた皮膜の形成を解決課題としたものであり,その解決手段として,ベンズイミダゾール化合物を被膜形成成分として含有するプレフラックスに,特定の有機酸を配合したものである。

ウ 甲5発明について

上記(1)イによれば,甲5文献には,耐熱性に優れた2-アルキルベンズイミダゾール誘導体を主成分とするプリフラックスの作業性,性能向上に係り,特に硬質プリント配線板及びフレキシブルプリント配線板上の銅又は銅合金パターンの表面処理に好適なプリフラックスに係る発明が記載されている。

従来技術である2-アルキルベンズイミダゾール誘導体を含むプリフラックス(表面処理剤)は,耐熱性を有する被膜を形成し,また,金,白金,銀,スズ,ロジウムなどで出来ている接栓部及び金,銀,アルミニウム,スズ,はんだなどで出来ている表面実装部品の接続端子を有するプリント配線板において,銅及び銅合金パターンのみに被膜を形成させることができるが,プリフラックス中の銅イオンの濃度が10ppm以上になると,金等の接栓部及び表面実装部品の接続端子にもイミダゾール系化合物の被膜が形成されるという問題点があった。甲5発明は,耐熱性を有し,銅及び銅合金にのみ被膜を容易に形成させるプリフラックスの提供を解決課題とした発明である。

甲5文献には,プリフラックス溶液中に溶解した銅イオンを除去するため,銅イオンと結合するキレート剤を添加することにより,銅及び銅合金のみに被膜を容易に形成させることができると記載されている。

エ 容易想到性について

(ア) 甲4発明の表面処理剤も水溶液であること,甲4発明における「2-フェニルベンゾイミダゾール」は本件発明の「ベンズイミダゾール化合物」に相当すること,甲4発明では,塩化第二銅は水溶液中で銅イオンを分離していることから,本件発明と甲4発明との一致点及び相違点は,第2の4(2)イ(オ)及び(カ)に記載のとおりであると認められる。

そこで,相違点2の容易想到性について検討するに,以下のとおり,当業者が甲4発明に甲5文献ないし甲7文献に記載された各発明を組み合わせて相違点2の構成に到るのが容易であるとは認められない。

(イ) 甲5発明との組合せの容易性について

前記のとおり,本件発明における「コンプレクサン」の意義について,必ずしも明確に確定することはできないが,甲5文献の請求項1や段落【0015】に例示されているキレート剤の大部分が本件明細書においてコンプレクサン化合物として例示されている化合物に含まれていることから,甲5文献に記載されたキレート剤には本件発明におけるコンプレクサン化合物が含まれているといえる。

甲4発明も甲5発明も,プリント配線板の表面処理剤に関する発明である。

ところで,甲4発明は,耐熱性に優れた被膜の形成を解決課題とする,「2-フェニルベンゾイミダゾールを酢酸に加え,均一に混合し,これを塩化第二銅を添加した水に加え,さらにカプロン酸を加えてよく撹拌した銅及び銅合金の表面処理剤。」に係る発明である。甲4文献には,金,白金,銀,スズ,ロジウムなどの,銅以外の金属による接栓部及び表面実装部品の接続端子を有するプリント配線板の表面処理に関する解決課題及び解決手段については,記載も示唆もない。

これに対し,甲5発明は,プリント配線板が金等からなる接栓部及び表面実装部品の接続端子を有することを前提とする表面処理に関するものであり,キレート剤とプリフラックス溶液中に溶解した銅イオンを反応させて,溶液中の銅イオンを減少させることにより,金等への被膜形成を防止し,銅及び銅合金のみに被膜を容易に形成させることができるようにするために,プリフラックス(表面処理剤)にキレート剤を添加している。

以上のとおり,甲4発明では,銅以外の金属による接栓部及び表面実装部品の接続端子を有するプリント配線板に対する表面処理は想定していないのであるから,甲4発明に接した当業者が,プリント配線板が金等からなる接栓部及び表面実装部品の接続端子を有することを前提とする甲5発明を組み合わせて,コンプレクサン化合物をその必須成分として含有する表面処理剤を採用することは困難である。したがって,当業者が相違点2に係る構成に到るのが容易であるとはいえない。

(ウ) 甲6文献記載の発明との組合せの容易性について

甲6文献にも,イミダゾール誘導体を主成分としたプレフラックスに,銅イオンと反応するキレート剤を加えると,溶解した銅イオンが除去されるため,金,白金,銀,スズ,ロジウムなどでできている接栓部を有するプリント回路板において,接栓部にマスキングを施すことなく,銅及び銅合金のみに被膜を容易に形成させることができることが記載されている。そして,添加するキレート剤として,エチレンジアミン三酢酸,ジエチレントリアミン五酢酸のようなエチレンジアミン誘導体,ニトリロ三酢酸,イミノ二酢酸,1,2-シクロヘキサンジアミン四酢酸,グリコールエーテルジアミン四酢酸が例示されている。甲6文献に例示されているキレート剤の大部分が本件明細書においてコンプレクサン化合物として例示されている化合物に含まれていることから,甲6文献に記載されたキレート剤には本件発明におけるコンプレクサン化合物が含まれているといえる。

上記(イ)と同様に,甲4発明では,銅以外の金属による接栓部及び表面実装部品の接続端子を有するプリント配線板に対する表面処理は想定していないのであるから,甲4発明に接した当業者が,プリント回路板が金等からなる接栓部を有することを前提とする甲6文献記載の発明を組み合わせて,コンプレクサン化合物をその必須成分として含有する表面処理剤を採用することは困難である。したがって,当業者が相違点2に係る構成に到るのが容易であるとはいえない。

(エ) 甲7文献記載の発明との組合せの容易性について

甲7文献には,内層パターンを有する内層印刷回路板をプリプレグを介して多層化接着するに際して,内装印刷回路板の前処理等で使用される銅の表面処理法に関し,プレプリグ等の樹脂層との接着性に優れた表面処理法として,銅を,銅イオン,銅イオンの錯化剤,還元剤,水酸イオン,並びに,ジルコニウム,ビスマス及びこれらの化合物の中から選ばれる少なくとも一種を含む水溶液で処理することが記載されている。また,上記処理法は,銅張積層板のエッチング,めっき,はんだ付けのためのレジスト形成における銅とレジストの接着,フレキシブルプリント配線板の銅とフレキシブルフィルムの接着力向上のためにも使用できるとの記載もある。そして,銅イオンの錯化剤の例として,本件訂正明細書にコンプレクサン化合物の代表例として例示されている「エチレンジアミン-四酢酸」が挙げられている。

甲4発明は,プリント配線板の防錆剤等として有用な銅及び銅合金の表面処理剤において,耐熱性に優れた被膜の形成を解決課題としたものであるのに対し,甲7文献に記載されている発明は,接着性を高めるための表面処理法に関するものであって,両者は,技術分野も解決課題も異なる。そうすると,甲4発明に接した当業者が,これに甲7文献に記載されている発明を組み合わせて,コンプレクサン化合物をその必須成分として含有する表面処理剤を採用することは困難である。したがって,当業者が相違点2に係る構成に到るのが容易であるとはいえない。

(3)  原告らの主張に対して

ア 原告らは,甲5発明及び甲6文献記載の発明は,一定程度は銅イオンを存在させることを目的としており,甲4発明と相反するものではなく,甲4発明に甲5文献及び甲6文献記載の各技術手段を適用することに阻害要因はない旨主張する。

しかし,以下のとおり,原告らの主張は失当である。

すなわち,甲5文献及び甲6文献には,キレート剤を加えることにより,溶解した銅イオンが除去され,銅及び銅合金のみに被膜を容易に形成させることができる旨の記載はあるものの,一定程度は銅イオンを存在させることを目的としている旨の記載はなく,甲5文献や甲6文献の記載からそのような目的がある趣旨を理解することもできない。原告らの主張は,その前提において,失当である。

前記のとおり,甲4文献では,プリント配線板に金等の銅以外の金属による接栓部等が存在することは想定されておらず,銅のみに被膜を形成するという課題については,記載も示唆もない。したがって,甲5発明及び甲6文献記載の発明において上記課題の解決手段であるキレート剤を添加する技術を,甲4発明に採用するのは,容易でない。

イ また,原告らは,甲4文献にも甲7文献にもイミダゾール化合物あるいはベンズイミダゾール化合物を含む表面処理剤が記載されているから,甲7文献に記載されたエチレンジアミン四酢酸を,技術分野及び構成の一部が同じである甲4発明の表面処理剤に添加することは容易である旨主張する。

しかし,この原告らの主張も,以下のとおり,失当である。

確かに,甲4文献に記載された表面処理剤にはベンゾイミダゾール化合物,ナフトイミダゾール化合物及びプリン化合物のうちの少なくとも一種が含まれており,また,甲7文献に記載された表面処理剤には,添加物として,イミダゾール化合物である2,4-ジメチルイミダゾールが含まれている。しかし,前記のとおり,甲4文献における表面処理剤と甲7文献における表面処理剤とでは,その目的及び作用が異なるのであり,甲4発明と甲7文献記載の発明とでは技術分野が異なる。したがって,その含まれる物質に共通性があるとしても,これを組み合わせる技術的意義を見出すことはできない。

(4)  小括

以上によると,その余の点について判断するまでもなく,本件発明は甲4発明に基づいて容易想到であるとはいえない。

4  甲5文献を主引用例とした容易想到性の判断の誤り(取消事由4)について

以下のとおり,当業者が甲5発明に甲4発明並びに甲8文献及び甲9文献記載の各発明を組み合わせて相違点3の構成に到るのが容易であるとは認められない。

(1)  甲5発明について

甲5発明の内容並びに本件発明との一致点及び相違点(相違点3)は,第2の4(2)イ(キ)ないし(ケ)に記載のとおりである。

(2)  甲4発明との組合せの容易性について

甲5発明は,プリント配線板の表面処理において,耐熱性を持ち,銅及び銅合金にのみ被膜を容易に形成させるプリフラックスを提供することを解決課題とした発明である。そして,甲5発明では,銅及び銅合金のみに被膜を容易に形成させるため,銅イオンと結合するキレート剤を添加することにより,プリフラックス溶液中に溶解した銅イオンを除去している。

甲4発明も,プリント配線板の表面処理において,耐熱性に優れた皮膜の形成を解決課題とした銅及び銅合金の表面処理剤であり,甲4文献の段落【0024】には,被膜形成性,被膜耐熱性の向上のために,塩化鉄,酸化鉄を表面処理剤に添加してもよいとの記載がある。塩化鉄や酸化鉄は,水溶液中では鉄イオンとして存在すると認められる。

以上のとおり,甲5発明と甲4発明は,プリント配線板の表面処理剤に関する発明であり,被膜の耐熱性を向上させるという点では,解決課題において共通する。しかし,キレート剤は銅イオンのみならず,鉄等の他の金属のイオンとも反応して錯化合物となり,その結果,当該金属イオンは表面処理剤から除去されることからすると,甲5発明において,表面処理剤にキレート剤を使用しながら,塩化鉄や酸化鉄を表面処理剤に添加するとの技術を組み合わせることは,想定できない。

したがって,甲5発明に接した当業者が,これに甲4発明を組み合わせて,表面処理剤に塩化鉄や酸化鉄を加えるということを,当業者が容易に想到し得るとは認められない。

(3)  甲8文献及び甲9文献記載の発明との組合せの容易性について

甲8文献には,プリント配線板の防錆剤として有用な銅及び銅合金の表面処理剤に関し,耐熱性を改良するため特定のイミダゾール系化合物を有効成分として含有する発明が記載されている。その段落【0069】中には,被膜形成性,耐熱性等を向上させるために塩化鉄や酸化鉄を添加してもよいとの記載がある。

また,甲9文献には,プリント配線板の防錆剤に適した銅及び銅合金の表面処理剤に関して,フロンや有機溶剤などによる洗浄を必要とせず,満足のいくはんだ付け性を確保し,さらにはんだ付けフラックスの活性成分の使用量の低減を目的とした発明が記載されている。その段落【0010】中には,表面処理剤に,必要に応じて,塩化鉄を添加してもよいとの記載がある。

上記塩化鉄や酸化鉄は,水溶液中では鉄イオンとして存在すると認められる。これに対し,前記のとおり,キレート剤が金属イオンと反応して,当該金属イオンは表面処理剤から除去されることからすると,甲5発明において,表面処理剤にキレート剤を添加しながら,塩化鉄や酸化鉄を表面処理剤に添加するとの技術を組み合わせることは,想定できない。

したがって,甲5発明に接した当業者が,これに甲8文献又は甲9文献に記載された技術を組み合わせて,表面処理剤に塩化鉄や酸化鉄を加えるということを,容易に想到し得るとは認められない。

(4)  原告らの主張に対して

原告らは,甲5文献では,表面処理剤中の銅イオンを全て除去することを意図しているのではなく,ある程度の濃度の銅イオンを表面処理剤中に残存させることも目的として,コンプレクサン化合物(キレート剤)を添加しているのであるから,甲5発明と甲4文献,甲8文献及び甲9文献記載の技術とが,相反する技術的思想を有するとはいえないと主張する。

しかし,前記のとおり,甲5文献には,ある程度の濃度の銅イオンを表面処理剤中に残存させることも目的として,キレート剤を添加する旨の記載はなく,甲5文献の記載からそのように解することもできず,原告らの主張は,その前提において,失当である。

(5)  小括

以上によると,本件発明は甲5発明に基づいて容易想到であるとはいえない。

5  本件明細書は当業者が本件訂正発明を実施できる程度に明確かつ十分に記載されているとした判断の誤り(取消事由5)について

(1)  本件発明は,イミダゾール化合物あるいはベンズイミダゾール化合物,コンプレクサン化合物及び鉄イオンを含有する水溶液からなる銅及び銅合金の表面処理剤であり,金,銀,アルミニウム,錫,はんだなどのメッキ処理を行った,銅及び銅合金以外の異種金属部を有するプリント配線板において,銅あるいは銅合金の表面にのみ化成被膜を形成し,金メッキ等の異種金属の表面には化成被膜を形成しないという選択性を有し,かつ,化成被膜の造膜性が良好で,表面処理時間が短く作業性に優れた水溶性の表面処理剤を提供するという作用効果を奏するものである。そして,本件訂正明細書の段落【0014】には,「イミダゾール化合物あるいはベンズイミダゾール化合物」の代表例が,段落【0016】には「鉄イオン」を供給するのに好適な鉄化合物の代表例が,それぞれ列記されている。前記のとおり,「コンプレクサン化合物」の意義は,必ずしも明確ではないが,段落【0010】や【0017】から,キレート作用を有するキレート剤に含まれる化合物であるということができ,また,段落【0015】には,その代表例が記載されている。そして,段落【0017】には,これらの成分の配合割合と,さらに好ましい配合割合が記載されている。

甲5文献及び甲6文献によると,本件特許の優先日当時,イミダゾール化合物あるいはベンズイミダゾール化合物とコンプレクサン化合物を含むキレート剤を含有する水溶液からなる銅及び銅合金の表面処理剤は,当業者に周知であったと認められ,当業者がその表面処理剤を製造することは容易であったと認められる。本件発明は,上記の周知であった表面処理剤に鉄イオンを添加したものであり,本件明細書には,複数の実施例が記載されている。

以上によると,当業者は,本件訂正明細書の発明の詳細な説明の記載から,本件発明における表面処理剤を製造することができると認められ,本件訂正明細書の発明の詳細な説明は,当業者が本件発明を実施することができる程度に記載されているといえる。

(2)  原告らの主張に対して

原告らは,本件訂正明細書の段落【0017】に記載されている各成分の配合量について,すべてにわたって実施例が示されているのではないから,発明の効果が記載されていない旨主張する。しかし,この点の原告らの主張は,採用の限りでない。すなわち,本件においては,明細書に記載されている配合割合について,全てが個別的具体的に実施例によって示されていなくても,当業者の技術常識を前提とするならば,実施例の記載によって,発明を十分に実施し得ると解すことができる。

また,原告らは,本件訂正明細書によると,銅上及び金上のそれぞれにどのような膜厚の化成被膜が形成されれば,本件発明における作用効果を奏することになるのかが,不明であると主張する。しかし,この点の原告らの主張も採用できない。すなわち,金等の異種金属部を有するプリント配線板に対する表面処理は,従来から実施されている技術であることに照らすならば,本件訂正明細書に具体的な数値が明記されていなくとも,当業者は,金等や銅にどの程度の厚さの被膜が形成されれば,本件発明における目的を達成したことになるかを認識し得ると認められる。

さらに,原告らは,本件発明を実施するにはpH調整が行われることが必要な場合があるにもかかわらず,本件訂正明細書にはそのような記載がされていないなどと主張する。しかし,原告らのこの点の主張も,採用の限りでない。すなわち,本件各証拠及び弁論の全趣旨によれば,①本件特許の優先日当時,イミダゾール化合物あるいはベンズイミダゾール化合物とキレート剤を含有する水溶液からなる銅及び銅合金の表面処理剤の製造は,一般的に行われていたこと,②イミダゾール化合物等の各成分やその組合せにより配合割合は当然に異なることから,段落【0017】に記載された配合割合や実施例を踏まえて,配合割合を適宜工夫することは,当業者において通常行われていたこと,③水溶液においては,pH値調整等は,当業者において,適宜されるべき基本的な工夫であること等が認められ,これらの事実に照らすならば,当業者において,本件発明を容易に実施することができないとはいえない。

(3)  小括

以上のとおり,本件訂正明細書の記載は旧特許法36条4項に適合しているといえる。

6  本件発明が本件訂正明細書に記載したものであるとした判断の誤り(取消事由6)について

(1)  本件発明に係る特許請求の範囲は,「イミダゾール化合物あるいはベンズイミダゾール化合物,コンプレクサン化合物及び鉄イオンを必須成分として含有する水溶液からなる銅及び銅合金の表面処理剤。」である。そして,前記のとおり,本件訂正明細書の発明の詳細な説明には,銅あるいは銅合金の表面にのみ化成被膜を形成し,金メッキ等の異種金属の表面には化成被膜を形成しないという選択性を有し,かつ,化成被膜の造膜性が良好で,表面処理時間が短く作業性に優れた水溶性の表面処理剤を提供するという本件発明の解決課題,本件発明における表面処理剤に含まれる成分の内容及び各成分の代表例,配合割合等が開示されており,さらに,上記各成分を使用した表面処理の実施例が記載されている。

以上によると,本件発明に係る特許請求の範囲の記載は,発明の詳細な説明において開示されている技術的事項の範囲を超えているとはいえない。

(2)  原告らの主張に対して

原告らは,本件発明に係る特許請求の範囲の記載は,実施例に用いた化合物を上位概念化しているなどと主張する。しかし,以下のとおり,原告らの主張は失当である。

前記のとおり,本件特許の優先日当時,イミダゾール化合物あるいはベンズイミダゾール化合物とコンプレクサン化合物を含むキレート剤を含有する水溶液からなる銅及び銅合金の表面処理剤は周知であり,本件発明は,上記表面処理剤に鉄イオンを添加することにより課題を解決したものということができる。そして,本件訂正明細書には実施例が複数記載され,本件発明の課題を解決することができることが具体的に示されている。コンプレクサン化合物については,その意義は,必ずしも一義的に明確ではない点があるものの,キレート作用を有するキレート剤であるということができ,かつ,その代表例が列挙されている。そうすると,本件訂正明細書にその作用機序の記載がなくとも,本件発明のうち実施例以外の部分についても,通常は実施例と同様にその課題を解決することができると解するのが相当であり,本件発明に係る特許請求の範囲の記載は,発明の詳細な説明において開示されている技術的事項の範囲を超えているとはいえない。

(3)  小括

以上のとおり,本件訂正明細書の記載は旧特許法36条6項1号に適合しているといえる。

7  結論

以上のとおりであるから,原告ら主張の取消事由はいずれも理由がなく,審決には,これを取り消すべき違法がない。その他,原告らは,縷々主張するが,いずれも理由がない。よって,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 飯村敏明 裁判官 八木貴美子 裁判官 小田真治)

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