知財高等裁判所 平成23年(行ケ)10418号 判決 2012年12月25日
原告
大日本印刷株式会社
訴訟代理人弁護士
櫻井彰人
訴訟代理人弁理士
結田純次
同
竹林則幸
同
金山聡
同
後藤直樹
被告
株式会社巴川製紙所
訴訟代理人弁護士
片山英二
同
服部誠
訴訟代理人弁理士
加藤志麻子
同
田村恭子
主文
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第1請求
特許庁が無効2010-800032号事件について平成23年11月7日にした審決を取り消す。
第2前提となる事実
1 特許庁における手続の経緯
原告は,発明の名称を「防眩フィルム,偏光素子及び表示装置」とする特許第3507719号(優先日:平成10年2月17日,出願日:平成11年1月12日,登録日:平成15年12月26日。以下「本件特許」という。)の特許権者である。
被告は,平成22年2月26日,本件特許を無効にすることを求めて審判の請求(無効2010-800032号)をし,特許庁は,平成23年1月25日,本件特許を無効とする旨の審決をした。
これに対して原告は,同年3月4日に,審決取消訴訟を提起(知的財産高等裁判所平成23年(行ケ)第10077号)し,同年6月1日に訂正審判の請求を行ったため,知的財産高等裁判所は,同月22日に,平成23年法律第63号による改正前の特許法181条2項の規定により,上記審決を取り消す旨の決定をした。
原告は,審決取消し後の同年7月13日に訂正請求(以下「本件訂正」という。)をした。特許庁は,同年11月7日,「訂正を認める。特許第3507719号の請求項1乃至16に係る発明についての特許を無効とする。」との審決(以下「審決」という。)をし,その謄本は,同月17日,原告に送達された。
2 特許請求の範囲の記載
本件訂正後の本件特許に係る明細書(以下「本件明細書」という。)の特許請求の範囲の請求項1ないし16の記載は次のとおりである(甲94。以下,請求項1等に係る発明を「本件発明1」等という。また,本件発明1ないし16を併せて「本件特許発明」ということがある。)。
【請求項1】透明基材フィルムの少なくとも一方の面に,屈折率の異なる透光性拡散剤を含有する透光性樹脂からなる防眩層を積層し,この防眩層の表面凹凸における表面ヘイズ値hs を7<hs<30,前記防眩層の内部拡散による内部ヘイズ値hiを3≦hi≦12としたことを特徴とする防眩フィルム。
【請求項2】請求項1において,前記防眩層の上に,更に,この防眩層の屈折率より屈折率の低い低屈折率層を積層してなることを特徴とする防眩フィルム。
【請求項3】請求項1又は2において,前記低屈折率層を,シリコン含有フッ化ビニリデン共重合体から形成したことを特徴とする防眩フィルム。
【請求項4】請求項3において,前記シリコン含有フッ化ビニリデン共重合体が,フッ化ビニリデン及びヘキサフルオロプロピレンの共重合体であって,フッ素含有割合が60~70重量%であるフッ素含有共重合体と,エチレン性不飽和基を有する重合性化合物との重合体であることを特徴とする防眩フィルム。
【請求項5】請求項4において,前記低屈折率層は,少なくとも前記フッ素含有共重合体と前記エチレン性不飽和基を有する重合性化合物とから構成される塗膜を塗布後,活性エネルギー線を照射又は加熱して形成されたものであることを特徴とする防眩フィルム。
【請求項6】請求項2乃至5のいずれかにおいて,前記低屈折率層を,酸化ケイ素の膜から形成すると共に,更にその上に防汚層を形成したことを特徴とする防眩フィルム。
【請求項7】請求項1乃至5のいずれかにおいて,前記防眩層の表面凹凸におけるヘイズ値hs と前記防眩層の内部拡散による内部ヘイズ値hi との和が30以下となるようにしたことを特徴とする防眩フィルム。
【請求項8】請求項1乃至7のいずれかにおいて,前記防眩層における透光性樹脂と透光性拡散剤との屈折率の差Δnを,0.01≦Δn≦0.5とすると共に,透光性拡散剤の平均粒径dを,0.1μm≦d≦5μmとしたことを特徴とする防眩フィルム。
【請求項9】請求項1乃至7のいずれかにおいて,前記透光性樹脂が,熱硬化性樹脂及び電離放射線硬化型樹脂の少なくとも一方であり,前記透光性拡散剤が有機系微粒子であって,さらに,前記防眩層の表面ヘイズ値hs が19≦hs≦25,前記防眩層の内部ヘイズ値hi が5≦hi≦9であることを特徴とする防眩フィルム。
【請求項10】請求項9において,前記有機系微粒子がスチレンビーズであることを特徴とする防眩フィルム。
【請求項11】請求項1乃至10のいずれかにおいて,前記透明基材フィルムを,トリアセテートセルロースフィルム及びポリエチレンテレフタレートフィルムの一方から構成し,さらに,前記防眩層の表面ヘイズ値hs と前記防眩層の内部ヘイズ値hi を,hsが19でありhiが7であること,hsが25でありhiが5であること,hsが20でありhiが9であること,のいずれかとしたことを特徴とする防眩フィルム。
【請求項12】請求項1乃至11のいずれかにおいて,透明基材フィルムと防眩層との間に透明導電性層を有し,かつ,防眩層中に導電材料が含有されたことを特徴とする防眩フィルム。
【請求項13】請求項1乃至12のいずれかの防眩フィルムと,この防眩フィルムの前記透明基材フィルムにおける前記防眩層と反対側の面に表面を向けて積層された偏光板と,を有してなることを特徴とする偏光素子。
【請求項14】請求項13において,前記透明基材フィルムにおける前記防眩層と反対側の表面及び前記防眩層の表面をケン化処理した後,前記透明基材フィルムの表面に偏光板を積層して構成されたことを特徴とする偏光素子。
【請求項15】複数の画素を有し,各画素が光を透過又は光を反射することにより,画像を形成する表示パネルと,この表示パネルの表示面側に設けられた請求項1乃至12のいずれかの防眩フィルムと,を有してなる表示装置。
【請求項16】複数の画素を有し,各画素が光を透過又は光を反射することにより,画像を形成する表示パネルと,この表示パネルの表示面側に設けられた請求項13又は14の偏光素子と,を有してなる表示装置。
3 審決の理由
審決の理由は,別紙審決書写に記載のとおりである。審決は,要するに,本件特許発明に係る特許請求の範囲の記載は,特許法36条6項2号(平成14年法律第24号による柱書きの改正前のもの)に規定する要件(以下「明確性要件」という。)を満たさず,本件発明1ないし8及び12ないし16(ただし,本件発明12ないし16のうち,本件発明9ないし11を引用することになる部分を除く。以下同じ。)に係る特許請求の範囲の記載は同1号(平成14年法律第24号による柱書きの改正前のもの)に規定する要件(以下「サポート要件」という。)も満たしていない。
また,本件発明1ないし8及び12ないし16に係る発明の詳細な説明の記載は,特許法36条4項(平成14年法律第24号による改正前のもの)に規定する要件(以下「実施可能要件」という。)も満たしていないから,本件特許は,特許法123条1項4号(平成14年法律第24号による改正前のもの)に該当し,無効とするべきであるというものである。
第3取消事由に係る当事者の主張
1 原告の主張
(1) サポート要件についての判断の誤り(取消事由1)
ア 特許請求の範囲の記載が,サポート要件に適合するか否かは,明細書の特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の記載とを対比し,特許請求の範囲に記載された発明が,発明の詳細な説明に記載された発明であって,発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否か,また,その記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否かを検討して判断すべきものである。そして,この際には,特許請求の範囲の記載と,発明の詳細な説明の記載の範囲とを対比して,前者の範囲が後者の範囲を超えているか否かを必要かつ合目的的な解釈手法によって判断すれば足り,実施可能要件適合性を判断するのと全く同様の手法により判断すべきでない。もっとも,①「特許請求の範囲」が特異な形式で記載されたがために,その技術的範囲についての解釈に疑義がある場合や,②「特許請求の範囲」の記載と「発明の詳細な説明」の記載とを対比して,前者の範囲が後者の範囲を超えていると判断される場合には,発明の詳細な説明は,その数式が示す範囲と得られる効果(性能)との関係の技術的な意味が,特許出願時において,具体例の開示がなくとも当業者に理解できる程度に記載するか,又は,特許出願時の技術常識を参酌して,当該数式が示す範囲内であれば,所望の効果(性能)が得られると当業者において認識できる程度に,具体例を開示して記載することを要するとの基準を適用すべきである。
イ 本件特許発明は,従来の防眩フィルムの全ヘイズ値の制御では課題が解決できないことに鑑み,表面・内部ヘイズ値,特に,内部ヘイズ値に着目し,各々を独立して制御することにより,コントラストの低下を抑えるとともに面ギラ,写り込み,白化を防止できることを見出した発明であり,その際各々を一定の範囲とすることが望ましいとして発明特定事項としたものであるから,一般的数値限定発明であって,前記の①にも②にも該当しない。したがって,サポート要件に関して,各々の数値範囲の全てが具体例によって裏付けられている必要はなく,明細書全体の記載及び技術常識からみて,当該数値範囲内であれば所望の効果が得られることが理解されれば,明細書のサポート要件を充足すると判断されるべきである。
ウ 本件特許発明の表面・内部ヘイズ値は,各々独立してその範囲が規定された物性値(変数)であり,相互に関連させて規定されたものではないから,本件特許発明の表面・内部ヘイズ値は,X-Y平面上に図示して両者の関係を判断するような物性値(変数)ではなく,両ヘイズ値の範囲がサポート要件を満たすかは,各々のヘイズ値の範囲を単独で判断すれば足りる。本件明細書に接した当業者であれば,本件発明1における表面・内部ヘイズ値に付した数値限定は,本件発明1の課題を解決するための望ましい範囲を示したものであり,本件明細書全体の記載及び技術常識からみて,当該数値範囲内であれば所望の効果(性能)が得られることが理解できる。
本件明細書の記載はサポート要件を充足するのであって,審決のこの点に関する判断は誤りである。
(2) 実施可能要件についての判断の誤り(取消事由2)
審決の認定・判断は,明細書のサポート要件を充足していないから,当然に実施可能要件も充足していないとするものである。しかし,明細書にサポート要件違反があることを理由として,実施可能要件違反があるとすることは誤りである。
本件特許発明は,当業者において,本件明細書の複数の実施例や比較例,及び発明の詳細な説明中の具体的な記載に基づき(【0116】~【0167】,【0039】,【0038】,【0044】,【0045】等),過度な試行錯誤を要することなく,実施することができる。
本件特許発明において,表面ヘイズ値は主に粒子の大きさ(粒径),個数(密度)により変化し,内部ヘイズ値は主に樹脂と粒子の屈折率差により変化するが,さらに,樹脂を希釈する溶剤の種類によっても両ヘイズ値は変化するから,これらの粒子や樹脂の条件,溶剤の種類等を適宜選択することにより,表面ヘイズ値と内部ヘイズ値を調整することができる。
防眩フィルム(光拡散シート)の技術分野においては,2種類以上のヘイズ(値)で特定された発明に係る各ヘイズ(値)等を得るために,粒子や樹脂等をどのように調整するかは,明細書にいくつかの実施例が記載されていれば充分であり,技術常識に基づき当該ヘイズ(値)を得ることは,当業者において実施可能である。
(3) 明確性要件についての判断の誤り(取消事由3)
ア ヘイズ値を測定する方法についての審決の誤り
本件特許の出願当時,ヘイズ値の測定に関する規格として認められていたのはJIS K7105だけであり,ヘイズ値の測定方法として一般的に使用されていたのもJIS K7105だけであるから,測定に使用したHR-100において,補助的に複数の測定方法が可能であったとしても,本件特許発明では,当然に出願時技術常識であったJIS K7105によりヘイズ値を測定している。
審決は,HR-100において測定可能なJIS K7105に基づく方法と,JIS K7361を利用した方法によるヘイズ値が同じであるか否かに関する末梢的な主張に対して認定・判断しており,出願当時,ヘイズ値の測定方法として何が正式な規格であり技術常識となっていたかという基本的な事項を判断することなく結論を導いた点に誤りがある。
本件明細書の「HR-100により測定」との記載から,本件特許発明における「ヘイズ値」の測定方法は,JIS K7105によるものであるということを当業者は認識することができるから,本件特許発明の「ヘイズ値」は明確である。
また,審決は,2つの測定方法の測定結果が異なることが,第三者に不測の不利益を及ぼすほどに本件特許発明の技術的範囲を不明確にするかを何ら検討していない。2つの測定方法による測定結果の相違は,小数点以下の値で,測定誤差といえるものであり,第三者に不測の不利益を及ぼすほどに本件特許発明の技術的範囲を不明確にするものではない。
以上のとおりであり,「ヘイズ値」を一義的に定義することができないから,「ヘイズ値」は明確でないとした審決の判断は誤りである。
イ 「表面ヘイズ値」と「内部ヘイズ値」についての審決の誤り
審決は,本件特許発明の「屈曲率が異なる透光性拡散剤を含有する透光性樹脂からなる防眩層」においては,内部ヘイズ値のみを得るための方法は,防眩層表面における透光性拡散剤の存在形態に応じて異なるから,内部ヘイズ値と表面ヘイズ値を一義的に定めるための方法を明らかにしない限り,明確とはいえないと判断する。
しかし,透光性拡散剤を含有する透光性樹脂からなる防眩層において,透光性樹脂と同一屈折率の透明物質を塗布し,防眩層の表面の凹凸による光の拡散(表面ヘイズ値)をなくしてヘイズ値の測定を行うことにより内部ヘイズ値を測定することは,本件特許出願時において当業者の共通の認識(技術常識)となっていた。
このような技術常識から,防眩層表面の凹凸による光の拡散をなくす手法が,防眩層表面における「透光性拡散剤」の存在形態によって異なることはないから,審決が,防眩層平滑化手法を存在形態によって異なるとした判断は,技術常識に反し誤りである。透光性拡散剤が透光性樹脂によって実効的に覆われていない場合は防眩層の凸部表面近傍に存在する透光性拡散剤によって新たな光の内部拡散が生じる。しかし,この凸部分の頂頭部に対応する部分で新たな光の内部拡散が生じたとしても,そのような内部拡散は,透光性樹脂を塗布する前の上記凸部で生ずる光の表面拡散に比べてはるかに小さい。しかも,このような新たな光の内部拡散が生ずる部分の表面積は,通常,防眩層の全表面積の20分の1にも満たないため,ヘイズ値として測定されるようなものではない。
審決は,「新たに生じた内部ヘイズを補償する必要が生じる」としているが,そのような補償手段は現実に存在しない。
出願時の技術常識を示した甲42,43の記載を勘案すると,甲44は,本件特許出願後の出願に係るものであっても,本件特許出願時における当業者の認識を間接的に示すものとして,参酌されるべきものであり,単に,本件特許出願後の出願であることをもって,本件特許出願時における技術常識の認定資料から除外した審決の認定・判断は誤りである。
甲27は,第2の透光性粒子により防眩層表面が突出することにより,防眩層表面の屈折率が空気の屈折率の影響を受けることから,「防眩層よりも屈折率の低い膜が防眩層表面に適当な膜厚にて形成された状態が擬似的に構成され」ていることを示すものであるから,審決の甲27についての認定判断は誤っている。
2 被告の反論
(1) サポート要件についての判断の誤り(取消事由1)に対して
本件特許発明は,公知物との対比を困難とするべく,あえて発明の解決すべき課題との関係を把握することが困難な「表面ヘイズ値」と「内部ヘイズ値」を用いて防眩フィルムを特定した,いわゆる「特殊パラメータ発明」である。特許請求の範囲の記載が,明細書のサポート要件に適合するためには,発明の詳細な説明は,その数式が示す範囲と得られる効果(性能)との関係の技術的な意味が,特許出願時において,具体例の開示がなくとも当業者に理解できる程度に記載するか,又は,特許出願時の技術常識を参酌して,当該数式が示す範囲内であれば,所望の効果(性能)が得られると当業者において認識できる程度に,具体例を開示して記載することを要するとの基準で判断されるべきである。
審決も,当該基準に当てはめて本件特許発明のサポート要件の適否を判断しているのであるから,審決は相当である。
(2) 実施可能要件についての判断の誤り(取消事由2)に対して
審決は,当業者がその実施をするに際し,過度な試行錯誤を強いられるものであるか否かという実施可能要件に即した判断をしているのであって,原告が主張するような理由,すなわち,サポート要件を充足していないから実施可能要件も満たさないとの理由で,実施可能要件を充足しないと判断したものではない。
本件特許の請求項10,11以外の請求項においては,発明の防眩層を構成する透光性拡散剤,透光性樹脂について,何を用いるかという「物の具体的構成」についての特定はなく,また,特に請求項1ないし9,及びこれを引用する請求項12ないし16においては,防眩層を,「表面ヘイズ値hs」と「内部ヘイズ値hi」という,物の性質のみにより特定している。これに対し,本件明細書の発明の詳細な説明には,防眩層の実施例としては,実施例1,2しか記載されておらず,しかもその材料も,PETA+CAPを透光性樹脂とし,スチレンビーズを透光性拡散剤とする例に限られている。また,比較例も材料としては,同種のものを用いた4例しか記載されていない。そうすると,実施例に記載された具体的なもの以外の透光性拡散剤,透光性樹脂を選んだ場合において,どのように防眩層を製造すれば,表面ヘイズ値hs:7<hs<30,かつ,内部ヘイズ値hi:3≦hi≦12(本件発明1の場合)にすることができるのかについては,その手がかりが記載されているとはいえない。よって,具体的実施例以外の広い範囲の物を含む,請求項1ないし8及び12ないし16に係る発明に関しては,当業者に期待し得る程度を超える試行錯誤を要求しているというべきであるから,実施可能要件を充足しない。
(3) 明確性要件についての判断の誤り(取消事由3)に対して
ア ヘイズ値を測定する方法について
本件特許発明は,防眩フィルムの中核をなす防眩層の表面ヘイズ値及び内部ヘイズ値が所定の範囲にあることが,発明を特徴づける本質的な構成であるといえる。したがって,「表面ヘイズ値」と「内部ヘイズ値」の測定の基礎となる「ヘイズ値」が明確にされない限り,特許請求の範囲は,明確に記載されているとはいえない。
本件明細書の発明の詳細な説明には,ヘイズ値の測定方法については,「村上色彩技術研究所の製品番号HR-100により測定」したとの記載があるのみで,その他の説明はない。ところで,本件特許の出願時において,「HR-100」によるヘイズ値の測定方法としては,①JIS K7105によって測定する場合,②JIS K7105によりつつ,JIS K7361による補償を行って測定する場合の2種があり,各測定の間には,ヘイズ値に有意な差がある。
以上によれば,「その2つの測定方法でヘイズ値を測定した場合には,同一の測定結果が得られる場合と異なる測定結果が得られる場合があるということになり,結局,その測定結果が一義的に定まらないことになる。」とした審決の判断に誤りはない。
イ 「表面ヘイズ値」と「内部ヘイズ値」について
試料が単一の樹脂からなるような場合には,試料と同じ屈折率の物質を用いて試料表面の凹凸を除去した状態でヘイズを測定することにより,表面ヘイズの影響を除外し,内部ヘイズのみによるヘイズ値が得られ,また,防眩層表面において,透光性拡散剤が透光性樹脂によって十分に覆われており,透光性拡散剤の影響が無視できる場合には,透光性樹脂と同じ屈折率の物質で凹凸を除去して,表面ヘイズの影響を除外できると考えられる。しかし,防眩層表面において,透光性拡散剤が透光性樹脂によって覆われているといえないような場合には,透光性樹脂と同じ屈折率の物質で凹凸を除去するだけでは,表面ヘイズの影響を除外できないから,透光性樹脂と同じ屈折率の物質で凹凸を除去することは,当業者が一義的に取り得る内部ヘイズの測定方法であるとはいえない。そうすると,内部ヘイズの測定方法について何ら記載のない本件特許発明においては,内部ヘイズ値の測定方法が不明になる。
新たな光の内部拡散を論じるためには,少なくとも含まれる粒子の大きさ,密度等の粒子に関する情報が必要になると考えられ,屈折率の情報のみから,新たな光の内部拡散が生じる面積が全表面の1/10未満であるとはいえない。したがって,「通常,防眩層の全表面の1/20にも満たない」との原告の主張は,根拠がない。
甲42の記載は,粒子を含まないポリエステルフィルムの内部ヘイズの測定方法であるから,甲42に基づいて,防眩層のような粒子を含む層のヘイズ値を測定する際に,防眩層のマトリックス樹脂と同一屈折率の樹脂を用いて表面を平滑化することが技術常識であったということはできない。甲43,44は本件出願後に公開されたものであるから,本件出願前の技術常識を示すものではない。
甲27に基づいて,「防弦層のマトリックス樹脂を塗布すれば,擬似的な膜が形成されたことによる外部ヘイズ(表面ヘイズ)の影響をなくすことができる」と理解することはできない。
第4当裁判所の判断
当裁判所は,①本件発明1ないし8,12ないし16に係る発明の詳細な説明の記載は実施可能要件を充足せず,②本件特許発明に係る特許請求の範囲の記載は明確性要件を満たさないから,本件特許を無効とするべき旨の審決の結論に誤りはないと判断する。その理由は次のとおりである。
1 本件明細書の記載
本件明細書の発明の詳細な説明(甲94)には,次のとおりの記載がある(表1,表2は別紙のとおり。)。
(1) 「この発明は,ワードプロセッサ,コンピュータ,テレビジョン等の画像表示に用いるCRT,液晶パネル等の高精細画像用ディスプレイの表面に用いて好適な,防眩フィルム,偏光素子及びこの防眩フィルム又は偏光素子を用いた表示装置に関する。
上記のようなディスプレイにおいて,主として内部から出射する光がディスプレイ表面で拡散することなく直進すると,ディスプレイ表面を目視した場合,眩しいために,内部から出射する光をある程度拡散するための防眩フィルムをディスプレイ表面に設けている。この防眩フィルムは,例えば特開平6-18706号公報,特開平10-20103号公報等に開示されるように,透明基材フィルムの表面に,二酸化ケイ素(シリカ)等のフィラーを含む樹脂を塗工して形成したものである。これらの防眩フィルムは,凝集性シリカ等の粒子の凝集によって防眩層の表面に凹凸形状を形成するタイプ,塗膜の膜厚以上の粒径を有する有機フィラーを樹脂中に添加して層表面に凹凸形状を形成するタイプ,あるいは層表面に凹凸をもったフィルムをラミネートして凹凸形状を転写するタイプがある。」【0001~0004】
(2) 発明が解決しようとする課題
「上記のような従来の防眩フィルムは,いずれのタイプでも,防眩層の表面形状の作用により,光拡散・防眩作用を得るようにしていて,防眩性を高めるためには前記凹凸形状を大きくする必要があるが,凹凸が大きくなると,塗膜の曇価(ヘイズ値)が上昇し,これに伴い画像の鮮明性が低下するという問題点がある。上記に類似したものとして,微粒子を層内部に分散して光分散効果を得るようにした光拡散フィルムが,例えば反射型液晶表示装置用として,照明学会研究会誌MD-96-48(1996年)第277頁~282頁に開示されている。ここで用いられている内部散乱効果により十分な光拡散効果を得るためには,用いている微粒子の粒径を大きくしなければならず,このため,曇価の高いものの画像の鮮明性が非常に小さいという問題点がある。又,ディスプレイ表面に前記光拡散フィルムのような内部散乱効果により光拡散効果を得るものを防眩用として用いた場合には,その表面がほぼ平坦であるためディスプレイ表面への外光の写り込みを防止できないという問題点もある。更に又,上記従来のタイプの防眩フィルムは,フィルム表面に,いわゆる面ぎら(シンチレーション)と呼ばれるキラキラ光る輝きが発生し,表示画面の視認性が低下するという問題がある。このような防眩フィルムの評価基準の一つとしてヘイズ値があるが,表面のヘイズ値を低くすると,いわゆる面ぎらと称されるギラつき感が強くなり,これを解消しようとしてヘイズ値を高くすると,全体が白っぽくなって黒濃度が低下し,これによりコントラストが低下してしまうという問題点がある。逆に,白っぽさを除くためにヘイズ値を低くすると,いわゆる映り込みとギラつき感が増加してしまうという問題点がある。
この発明は,上記従来の問題点に鑑みてなされたものであって,ディスプレイ表面に取付けたとき,コントラストの低下を抑えると共に面ギラ,写り込み,白化を防止することができる防眩フィルム,これを用いた偏光素子,及び,この防眩フィルム又は偏光素子を用いた表示装置を提供することを目的とする。」【0005~0011】
(3) 課題を解決するための手段
「本発明は,請求項1のように,透明基材フィルムの少なくとも一方の面に,屈折率の異なる透光性拡散剤を含有する透光性樹脂からなる防眩層を積層し,この防眩層の表面凹凸における表面ヘイズ値hs を7<hs<30,前記防眩層の内部拡散による内部ヘイズ値hi を3≦hi≦12となるようにして,上記目的を達成するものである。・・・防眩層18の表面のヘイズ値は,低いほど表示のボケを小さくして明瞭なディスプレイ表示を得ることができるが,ヘイズ値が低すぎると映り込み及び面ギラが発生し,高すぎると白っぽくなり(白化;黒濃度低下),表面ヘイズ値hs は後述のように7<hs<30が好ましく,7≦hs≦20が更に好ましく,7≦hs≦15が最も好ましい。又,表面ヘイズ値hs を最適にしても内部ヘイズ値hiが低いと面ギラが発生し易いが,防眩層18の内部ヘイズ値hi を好ましくは1<hi<15,更に好ましくは2≦hi<15,最も好ましくは3≦hi≦12とすると面ギラを低下させることができた。又,防眩層18の表面及び内部の両ヘイズ値の和を30以下にすると黒濃度(コントラスト)の低下を防止することができた。・・・透光性拡散剤14の平均粒径dについては,これが0.1μm未満である場合,透光性拡散剤14の透光性樹脂16中への分散が困難となり,凝集が生じて均一で適度な凹凸を持つ防眩層18を形成することができず,又d>5μmの場合,防眩層18の内部における拡散効果が減少するため内部ヘイズ値が低下し面ギラが発生してしまう。更に膜厚が厚くなるため透光性樹脂16の製造過程における硬化収縮が増大し,割れやカールを生じてしまう。又,上記防眩層18の表面及び内部におけるヘイズ値を上記のようにしたのは,本発明者の実験によって得られた知見(後述の実施例及び表参照)に基づくものである。又,上記のようなヘイズ値は,具体的には,透光性拡散剤14と透光性樹脂16との比であるフィラー/バインダー比,溶剤等を調整して得られる。
前記防眩層18を形成する透光性樹脂16としては,主として紫外線・電子線によって硬化する樹脂,即ち,電離放射線硬化型樹脂,電離放射線硬化型樹脂に熱可塑性樹脂と溶剤を混合したもの,熱硬化型樹脂の3種類が使用される。
電離放射線硬化型樹脂組成物の被膜形成成分は,好ましくは,アクリレート系の官能基を有するもの,例えば比較的低分子量のポリエステル樹脂,ポリエーテル樹脂,アクリル樹脂,エポキシ樹脂,ウレタン樹脂,アルキッド樹脂,スピロアセタール樹脂,ポリブタジェン樹脂,ポリチオールポリエン樹脂,多価アルコール等の多官能化合物の(メタ)アルリレート等のオリゴマー又はプレポリマー及び反応性希釈剤としてエチル(メタ)アクリレート,エチルヘキシル(メタ)アクリレート,スチレン,メチルスチレン,N-ビニルピロリドン等の単官能モノマー並びに多官能モノマー,例えば,ポリメチロールプロパントリ(メタ)アクリレート,ヘキサンジオール(メタ)アクリレート,トリプロピレングリコールジ(メタ)アクリレート,ジエチレングリコールジ(メタ)アクリレート,ペンタエリスリトールトリ(メタ)アクリレート,ジペンタエリスリトールヘキサ(メタ)アクリレート,1,6-ヘキサンジオールジ(メタ)アクリレート,ネオペンチルグリコールジ(メタ)アクリレート等を比較的多量に含有するものが使用できる。
更に,上記電離放射線硬化型樹脂組成物を紫外線硬化型樹脂組成物とするには,この中に光重合開始剤としてアセトフェノン類,ベンゾフェノン類,ミヒラーベンゾイルベンゾエート,α-アミロキシムエステル,テトラメチルチュウラムモノサルファイド,チオキサントン類や,光増感剤としてn-ブチルアミン,トリエチルアミン,ポリ-n-ブチルホソフィン等を混合して用いることができる。特に本発明では,オリゴマーとしてウレタンアクリレート,モノマーとしてジペンタエリストリトールヘキサ(メタ)アクリレート等を混合するのが好ましい。
更に,上記防眩層18を形成するための透光性樹脂16として,上記のような電離放射線硬化型樹脂に対して溶剤乾燥型樹脂を含ませてもよい。前記溶剤乾燥型樹脂には,主として熱可塑性樹脂が用いられる。電離放射線硬化型樹脂に添加する溶剤乾燥型熱可塑性樹脂の種類は通常用いられるものが使用されるが,透明基材フィルム12として特に前述のようなTAC等のセルロース系樹脂を用いるときには,電離放射線硬化型樹脂に含ませる溶剤乾燥型樹脂には,ニトロセルロース,アセチルセルロース,セルロースアセテートプロピオネート,エチルヒドロキシエチルセルロース等のセルロース系樹脂が塗膜の密着性及び透明性の点で有利である。
その理由は,上記のセルロース系樹脂に溶媒としてトルエンを使用した場合,透明基材フィルム12であるポリアセチルセルロースの非溶解性の溶剤であるトルエンを用いるにも拘らず,透明基材フィルム12にこの溶剤乾燥型樹脂を含む塗料の塗布を行っても,透明基材フィルム12と塗膜樹脂との密着性を良好にすることができ,しかもこのトルエンは,透明基材フィルムであるポリアセチルセルロースを溶解しないので,該透明基材フィルム12の表面は白化せず,透明性が保たれるという利点があるからである。
更に,次のように,電離放射線硬化型樹脂組成物に溶剤乾燥型樹脂を含ませる利点がある。
電離放射線硬化型樹脂組成物をメタリングロールを有するロールコータで透明基材フィルム12に塗布する場合,メタリングロール表面の液状残留樹脂膜が流動して経時で筋やムラ等になり,これらが塗布面に再転移して塗布面に筋やムラ等の欠点を生じるが,上記のように電離放射線硬化型樹脂組成物に溶剤乾燥型樹脂を含ませると,このような塗布面の塗膜欠陥を防ぐことができる。
上記のような電離放射線硬化型樹脂組成物の硬化方法としては,前記電離放射線硬化型樹脂組成物の硬化方法は通常の硬化方法,即ち,電子線又は紫外線の照射によって硬化することができる。
KeVのエネルギーを有する電子線等が使用され,紫外線硬化の場合には超高圧水銀灯,高圧水銀灯,低圧水銀灯,カーボンアーク,キセノンアーク,メタルハライドランプ等の光線から発する紫外線等が利用できる。
前記電離放射線硬化型樹脂に混合される熱可塑性樹脂としては,フェノール樹脂,尿素樹脂,ジアリルフタレート樹脂,メラニン樹脂,グアナミン樹脂,不飽和ポリエステル樹脂,ポリウレタン樹脂,エポキシ樹脂,アミノアルキッド樹脂,メラミン-尿素共縮合樹脂,ケイ素樹脂,ポリシロキサン樹脂等が使用され,これらの樹脂に必要に応じて架橋剤,重合開始剤等の硬化剤,重合促進剤,溶剤,粘度調整剤等を加えて使用する。
前記防眩層18に含有させる透光性拡散剤14としては,プラスチックビーズが好適であり,特に透明度が高く,マトリックス樹脂(透光性樹脂16)との屈折率差が前述のような数値になるものが好ましい。
プラスチックビーズとしては,スチレンビーズ(屈折率1.59),メラミンビーズ(屈折率1.57),アクリルビーズ(屈折率1.49),アクリル-スチレンビーズ(屈折率1.54),ポリカーボネートビーズ,ポリエチレンビーズ,塩ビビーズ等が用いられる。これらのプラスチックビーズの粒径は,前述のように0.1~5μmのものを適宜選択して用いる。上記プラスチックビーズのうち,スチレンビーズが特に好ましく用いられる。
上記のような有機フィラーとしての透光性拡散剤14を添加した場合には,樹脂組成物(透光性樹脂16)中で有機フィラーが沈降し易いので,沈降防止のためにシリカ等の無機フィラーを添加してもよい。なお,無機フィラーは添加すればする程有機フィラーの沈降防止に有効であるが,塗膜の透明性に悪影響を与える。従って,好ましくは,粒径0.5μm以下の無機フィラーを,透光性樹脂16に対して塗膜の透明性を損なわない程度に,0.1重量%未満程度含ませると沈降を防止することができる。
有機フィラーの沈降防止のための沈降防止剤である無機フィラーを添加しない場合は,透明基材フィルム12への塗布時に有機フィラーが底に沈澱しているので,よく掻き混ぜて均一にして使用すればよい。
ここで,一般に,電離放射線硬化型樹脂の屈折率は約1.5で,ガラスと同程度であるが,前記透光性拡散剤14の屈折率との比較において,用いる樹脂の屈折率が低い場合には,該透光性樹脂16に,屈折率の高い微粒子であるTiO2(屈折率;2.3~2.7),Y2O3(屈折率;1.87),La2O3(屈折率;1.95),ZrO2(屈折率;2.05),Al2O3(屈折率;1.63)等を塗膜の拡散性を保持できる程度に加えて,屈折率を上げて調整することができる。」【0012~0058】
(4) 実施例の説明
「表1に,本発明による実施例1~6及び比較のために従来技術による比較例1~10の防眩フィルムを観察した結果及び低屈折率層(実施例3~6,比較例6~10は低屈折率層なし)の耐ケン化性の評価を示す。なお,実施例7(後述)は表1に記載されていない。この表1から,表面ヘイズ値が小さい場合は反射率が大きく,映り込みも大きく,又内部ヘイズ値が小さいと面ギラが発生し易いということが分かる。又,表面ヘイズ値が大きい場合,この表面ヘイズ値と内部ヘイズ値との和が大きい場合は黒濃度が低下し,白っぽくなることが分かる。黒濃度が低下すればコントラストが低下する。上記表1の例及び本発明者による他の実験の結果,防眩層の表面ヘイズ値hs が7<hs<30,内部ヘイズ値hi が1<hi<15とした場合に,面ギラ,映り込みがなく,更に黒濃度が良好となり,高コントラストとなった。
前記実施例1及び2の実施条件は,表2に示される。
又,表1において,ヘイズ値は,村上色彩技術研究所の製品番号HR-100の測定器により測定し,反射率は,島津製作所製の分光反射率測定機MPC-3100で測定し,波長380~780nm光での平均反射率をとった。
実施例1及び2における防眩フィルムの製造方法は,次の如くである。
まず,表2の条件で得られた防眩層の材料をTAC基材上に塗布し,60℃で1分間乾燥後,UV光(紫外線)を90mJ照射してハーフキュアし,膜厚3~4μm/m2の防眩層を作成する。
次に,上記得られた防眩層の上に表2に示される低屈折率層の材料を塗布し,80℃で1分間乾燥後,窒素パージ下においてUV光500mJ照射して,前記防眩層と共に完全にキュアする。このとき,低屈折率層の膜厚は0.1μm/m2である。
ここで,上記防眩層における表面ヘイズ値及び内部ヘイズ値は,主として表2におけるP/V比,P及びVの屈折率差,溶剤の種類等により適宜選定することができる。
比較例1は,防眩層の材料として表2に示されるPETAを2.27g,ビーズを粒径1μm,屈折率n=1.45のシリカビーズ0.2gとし,他の条件は前記実施例2と同一とした。又,比較例1における低屈折率層は,前記実施例2と同一とし,且つ製造方法も,実施例1及び2と同一とした。
次に,比較例2について説明する。比較例2は,前記表2におけると同様のPETAを13.50g,スチレンビーズペーストは実施例1と同一,10%CAPは13.3g,溶剤(トルエン,酢酸ブチル,イソブチルアルコール)は36.8g,光硬化開始剤は実施例1,2と同一のものを0.399gとした。又,低屈折率層については,実施例1と同一条件,製造方法は,実施例1,2と同一である。・・・
比較例4は,前記実施例2のうちの防眩層の溶剤を酢酸エチル,アノンに変更したものであり,他の条件は全て実施例1と同一である。・・・
比較例5は,防眩層材料について,実施例1における溶剤をMIBKのみに変更した他は,実施例1と同一であり,低屈折率層,製造方法についても実施例1と同一とした。・・・
比較例6~10は,比較例1~5における低屈折率層を取除いたものである。」
【0117~0161】
2 取消事由2(実施可能要件についての判断の誤り)について
上記明細書の発明の詳細な説明の記載によれば,本件発明1ないし8,12ないし16について,表面ヘイズ値及び内部ヘイズ値を所定の範囲内のものとするために,どのようなP/V比,P及びVの屈折率差,溶剤の組合せを選択すべきかについて,当業者が当該発明を実施することができる程度に記載されているとはいえない。その理由は,以下のとおりである。
(1) 発明の詳細な説明の記載内容についての検討
ア 発明の詳細な説明欄には,防眩層における表面ヘイズ値・内部ヘイズ値は,「透光性拡散剤14と透光性樹脂16との比であるフィラー/バインダー比,溶剤等を調整して得られる」(【0039】),「主として表2におけるP/V比,P及びVの屈折率差,溶剤の種類等により適宜選定することができる」(【0139】)とされ,①P/V比,②P及びVの屈折率差,③溶剤の種類の3つの組合せによって,適宜選定できると記載されている。しかし,本件明細書には,透光性拡散剤の平均粒径と内部ヘイズ値の関係についての記載はあるものの(【0038】),それ以外に,上記の三つの要素が表面ヘイズ値及び内部ヘイズ値に対し,どのように関係するかの直接的な説明はない。そこで,当業者において,発明の詳細な説明の記載において示された実施例及び比較例に基づいて,三つの要素と表面ヘイズ値・内部ヘイズ値の間の定性的な関係や相関的な関係を把握することができ,その結果,発明の詳細な説明は,発明の実施をすることができる程度に明確かつ十分に記載したものと解することができるか否かについて検討をする。
イ 防眩層は「屈折率の異なる透光性拡散剤を含有する透光性樹脂からなる」(【請求項1】)ところ,発明の詳細な説明には,透光性樹脂としては,「主として紫外線・電子線によって硬化する樹脂,即ち,電離放射線硬化型樹脂,電離放射線硬化型樹脂に熱可塑性樹脂と溶剤を混合したもの,熱硬化型樹脂の3種類が使用される」(【0044】)とされ,様々な材料及びその組合せからなる透光性樹脂が用いられることが記載されている(【0045】ないし【0053】)。また,透光性拡散剤についても,様々な材料,屈折率,粒径からなる透光性拡散剤が用いられることが記載されている(【0054】ないし【0058】)。さらに,使用する溶剤の種類についても,発明の詳細な説明に列記はされていないものの,実施例の記載の中に数種類の溶剤を単独又は組み合わせて使用することが記載されている(【0125】,【0158】,【0160】)。このように,発明の詳細な説明には,防眩層を構成する素材としては様々な組合せが可能である旨の記載がされている。
実施例1及び2としては,同一の透光性樹脂(PETA(電離放射線硬化型樹脂の一種)及びCAP(溶剤乾燥型の熱可塑性樹脂の一種))と透光性拡散剤(粒径1.3μmのスチレンビーズ)を用いて,異なるP/V比(10/100(実施例1)と8/100(実施例2))及び異なる溶剤(トルエン,酢酸ブチル,イソブチルアルコール(実施例1)とトルエン,酢酸ブチル(実施例2))とした例が開示されている(【0125】【表2】)。これに対し,比較例(【0147】~【0151】)としては,①実施例2との対比として透光性拡散剤として粒径1μmのシリカビーズを用い,屈折率(1.45へ変更)を変えた比較例1,②実施例1との対比としてP/V比(2.6/100へ変更)を変えた比較例2,③実施例1との対比として透光性拡散剤を含有させずに防眩層の微細な凹凸の形成方法を変えた比較例3,④実施例2との対比として防眩層の溶剤(酢酸エチル・アノンへ変更)を変えた比較例4(【0158】の趣旨はこの趣旨と理解する。),⑤実施例1との対比として防眩層の溶剤(MIBK(メチルイソブチルケトン)へ変更)を変えた比較例5が記載されている(実施例3は実施例1の防眩層の表面をケン化処理したもの,実施例4ないし6は実施例1ないし3から低屈折率層20を省略したもの,実施例7は実施例1に透明導電層26及び導電材料27を設けたもの,比較例6ないし10は比較例1ないし5から低屈折率層20を省略したものであって,いずれもヘイズ値には影響しないので検討しない。)。
まず,実施例1(P/V比:10/100)と比較例2(P/V比:2.6/100)をみると,P及びVの屈折率差と溶剤を同一にして,P/V比を減少させると,内部ヘイズ値は7から1に,表面ヘイズ値は19から14にそれぞれ減少していることが示されているので,P/V比を減少させると,内部ヘイズ値及び表面ヘイズ値の双方が減少する関係にあると推認される。
しかし,実施例1と2をみると,P及びVの屈折率差を同一にして,P/V比を減少させ,溶剤を変化させると,内部ヘイズ値は7から5に減少し,表面ヘイズ値は19から25に増加している。他方,実施例2と比較例2をみると,P及びVの屈折率差を同一にして,P/V比を減少させ,溶剤を変化させると,内部ヘイズ値は5から1に,表面ヘイズ値は25から14に減少している。前記の実施例1と比較例2での変化の傾向に加えて,これらの比較からは,表面ヘイズ値と内部ヘイズ値は溶剤の種類による影響が大きいことが推認されるが,溶剤の種類とP/V比が,協働して表面ヘイズ値・内部ヘイズ値の値に影響を与えているのか,それぞれ独立して影響を与えているのかは,全く不明である。
また,実施例1とこれに対して溶剤のみを変えた比較例5を比較すると,内部ヘイズ値は7から9に増加するのに対して,表面ヘイズ値は19から3に減少し,実施例2とこれに対して溶剤のみを変えた比較例4を比較しても,内部ヘイズ値は5から3に減少するのに対して,表面ヘイズ値は25から47に増加している。上記の対比結果によれば,溶剤の種類が,表面ヘイズ値・内部ヘイズ値の双方に影響を与える重要なファクターであり,溶剤には,表面ヘイズ値を増加させ内部ヘイズを減少させる作用を有するものや表面ヘイズ値を減少させ内部ヘイズを増加させる作用を有するもの等,様々な種類があると認識できるが,そのような知見を超えて,いかなる種類の溶剤を用いれば表面ヘイズ値・内部ヘイズ値を所望の数値に設定できるかについて,当業者において認識・理解することはできない。
さらに,実施例2と比較例1をみると,P/V比と溶剤を同一にして,P及びVの屈折率差を変化させると,内部ヘイズ値は5から0.7に減少し,表面ヘイズ値は25から30に増加していることが示されているが,他の比較例はなく,P及びVの屈折率差が表面ヘイズ値・内部ヘイズ値にどのような影響を与えるかは不明である。
そうすると,発明の詳細な説明の記載において示された実施例及び比較例に基づいて,当業者は,表面ヘイズ値・内部ヘイズ値が,P/V比,P及びVの屈折率差,溶剤の種類の3つの要素により,何らかの影響を受けることまでは理解することができるが,これを超えて,三つの要素と表面ヘイズ値・内部ヘイズ値の間の定性的な関係や相関的な関係や三つの要素以外の要素(例えば,溶剤の量,光硬化開始剤の量,硬化特性,粘性,透光性拡散剤の粒径等)によって影響を受けるか否かを認識,理解することはできない。
ウ 以上のとおり,発明の詳細な説明には,当業者において,これらの3つの要素をどのように設定すれば,所望の表面ヘイズ値・内部ヘイズ値が得ることができるかについての開示はないというべきである(ただし,発明の詳細な説明中の実施例に係る本件発明9ないし11を除く。)。したがって,発明の詳細な説明には,当業者が,本件発明1ないし8,12ないし16を実施することができる程度に明確かつ十分な記載がされているとはいえない。
(2) 原告の主張について
原告は,本件特許発明において,表面ヘイズ値は主に粒子の大きさ(粒径),個数(密度)により変化し,内部ヘイズ値は主に樹脂と粒子の屈折率差により変化するが,さらに,樹脂を希釈する溶剤の種類によっても両ヘイズ値は変化するから,これらの粒子や樹脂の条件,溶剤の種類等を適宜選択することにより,表面ヘイズ値と内部ヘイズ値を調整することが可能であると主張する。
しかし,発明の詳細な説明の【0139】には,「上記防眩層における表面ヘイズ値及び内部ヘイズ値は,主として表2におけるP/V比,P及びVの屈折率差,溶剤の種類等により適宜選定することができる。」と記載されているものの,表面ヘイズ値が主に粒子の大きさ(粒径),個数(密度)により変化することは何ら記載されていない。そして,前記(1)のとおり,P/V比,P及びVの屈折率差及び溶剤の種類の3つの要素が表面ヘイズ値及び内部ヘイズ値に与える定性的関係や相関関係については発明の詳細な説明には何ら記載されていないのであるから,原告の主張は採用できない。
(3) 小括
以上のとおり,発明の詳細な説明の記載は,本件発明1ないし8,12ないし16について実施可能要件を満たさないから,これと同趣旨の審決の結論には誤りはない。
3 取消事由3(明確性要件についての判断の誤り)について
(1) 「表面ヘイズ値hs」及び「内部ヘイズ値hi」の測定方法について
ア 本件特許発明は,防眩フィルムを構成する「透明基材フィルム」,「透光性拡散剤」,「透光性樹脂」の構造等によって特定されるのではなく,主として,防眩フィルムの「表面ヘイズ値hs」及び「内部ヘイズ値hi」の数値範囲によって特定される発明である。したがって,特許請求の範囲の記載が明確であるためには,少なくとも,「表面ヘイズ値hs」及び「内部ヘイズ値hi」の数値の測定方法(求め方)が一義的に確定されることが必須である。
イ 「屈折率の異なる透光性拡散剤を含有する透光性樹脂からなる防眩層」における内部ヘイズ値hiの測定方法は,発明の詳細な説明の記載を参照し,かつ出願時における技術常識によっても,明らかとはいえない。その理由は,以下のとおりである。
ヘイズは,試料表面の凹凸などの不規則性や物質中の密度や屈折率の不均一性に起因する光の拡散又は散乱によって生じるものであり,試料の全透過光量と拡散透過光量との比によって得られるヘイズ値(全ヘイズ値)は,当該光の拡散又は散乱の総和,すなわち,試料表面で生じるヘイズ(表面ヘイズ)と試料内部で生じるヘイズ(内部ヘイズ)の和である。
ところで,内部ヘイズのみによるヘイズ値は,試料表面における屈折率の不均一性を与えることなく試料表面の凹凸を除去した状態,すなわち,試料と同じ屈折率の物質を用いて試料表面の凹凸を除去した状態でヘイズを測定し,表面ヘイズの影響を除外することによって得ることができる(甲42・特開平10-272678号公報【0026】)。
しかし,「屈折率の異なる透光性拡散剤を含有する透光性樹脂からなる防眩層」においては,透光性拡散剤が透光性樹脂によって実効的に覆われていないことが想定され,そのような場合,透光性樹脂と同一の屈折率を有する物質を用いて凹凸を除去すると,前記凹凸を除去するために用いた透光性樹脂と同一の屈折率の物質と,透光性樹脂によって実効的に覆われていない透光性拡散剤との界面で新たな内部ヘイズが生じることになり,新たに生じた内部ヘイズを補償する必要性が生じる。
なお,発明の詳細な説明には,「又,表1において,ヘイズ値は,村上色彩技術研究所の製品番号HR-100の測定器により測定し,反射率は,島津製作所製の分光反射率測定機MPC-3100で測定し,波長380~780nm光での平均反射率をとった。」(【0131】)と記載されている。同記載によれば,表面ヘイズ値・内部ヘイズ値とも,HR-100の測定器によって測定されることが説明されているが,内部ヘイズ値の測定方法に関する具体的な説明はない。また,HR-100の取扱説明書(甲14)にも,「屈折率の異なる透光性拡散剤を含有する透光性樹脂からなる防眩層」の内部ヘイズ値の測定方法に関する具体的な説明はない。また,この点についての何らかの技術常識が存在すると認めるに足りる証拠もない。
そうすると,「屈折率の異なる透光性拡散剤を含有する透光性樹脂からなる防眩層」の内部ヘイズ値を測定する方法は,発明の詳細な説明の記載,及び本件特許の出願当時の技術常識によって,明らかであるとはいえない。内部ヘイズ値が一義的に定まらない以上,総ヘイズ値から内部ヘイズ値を減じた値である表面ヘイズ値も一義的には定まることはない。内部ヘイズ値・表面ヘイズ値を一義的に定める方法が明確ではないから,本件特許発明に係る特許請求の範囲の記載は,特許法36条6項2号の「特許を受けようとする発明が明確であること。」との要件を充足しないというべきである。
(2) 原告の主張について
原告は,透光性拡散剤を含有する透光性樹脂からなる防眩層において,透光性樹脂と同一屈折率の透明物質を塗布し,防眩層の表面の凹凸による表面ヘイズをなくしてヘイズ値の測定を行うことにより内部ヘイズ値を測定することは,本件特許の出願時において技術常識であった旨主張する。しかし,本件全証拠によるも,本件特許の出願時において,「屈折率の異なる透光性拡散剤を含有する透光性樹脂からなる防眩層」の内部ヘイズ値の測定方法が周知であったと認めることはできない。
また,原告は,新たな光の内部拡散が生ずる部分の表面積は,通常,防眩層の全表面積の20分の1にも満たないと主張する。しかし,本件特許発明において,透光性拡散剤の粒径や密度を特定していない以上,原告の主張は,その主張自体前提を欠き,失当である。
さらに,原告は,審決が甲27(特許第3507344号公報)に関する判断を誤っていると主張する。しかし,甲27に係る特許の出願時は,本件特許の出願時以降であり,本件特許の出願当時に「屈折率の異なる透光性拡散剤を含有する透光性樹脂からなる防眩層」の内部ヘイズ値を測定する方法に関する技術常識が存在しなかったとの前記判断を左右するものとはいえない。
(3) 小括
以上のとおり,本件特許発明に係る特許請求の範囲の記載は明確性要件を満たさないから,これと同趣旨の審決の結論には誤りはない。
4 結論
以上によれば,本件特許を無効とするべきとの審決の結論に誤りはない。原告はその他縷々主張するがいずれも採用の限りではない。よって,原告の請求を棄却することとして主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 飯村敏明 裁判官 八木貴美子 裁判官 小田真治)
file_2.jpg別紙