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知財高等裁判所 平成24年(行ケ)10020号 判決 2013年1月31日

原告

パナソニック株式会社

同訴訟代理人弁護士

松葉栄治

同弁理士

中川文貴

永井秀男

被告

Y

主文

1  特許庁が無効2011-800043号事件について平成23年12月12日にした審決を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

事実及び理由

第1請求

主文1項と同旨

第2事案の概要

本件は,原告が,後記1のとおりの手続において,原告の後記2の本件発明に係る特許に対する被告の特許無効審判の請求について,特許庁が当該特許を無効とした別紙審決書(写し)の本件審決(その理由の要旨は後記3のとおり)には,後記4のとおりの取消事由があると主張して,その取消しを求める事案である。

1  特許庁における手続の経緯

(1)  原告は,平成16年12月15日,発明の名称を「発光装置」とする特許出願(特願2004-363534号。国内優先権主張日:平成16年4月27日,同年6月21日,同月30日)をし,平成20年5月23日,設定の登録(特許第4128564号。請求項の数13)を受けた(甲1)。以下,この特許を「本件特許」といい,本件特許に係る明細書(甲1)を,図面を含め,「本件明細書」という。

(2)  被告は,平成23年3月15日,本件特許の請求項1,2,4及び6ないし13に係る発明について,特許無効審判を請求し,無効2011-800043号事件として係属した。

(3)  特許庁は,平成23年12月12日,本件特許の請求項1,2,4及び6ないし13に係る発明についての特許を無効とする旨の本件審決をし,同月22日,その謄本が原告に送達された。

2  特許請求の範囲の記載

本件特許の特許請求の範囲の請求項1,2,4及び6ないし13に記載の発明は,次のとおりである(以下,それぞれ「本件発明1」「本件発明2」「本件発明4」「本件発明6ないし13」といい,また,これらを総称して,「本件発明」という。)。なお,文中の「/」は,原文における改行箇所を示す。

【請求項1】蛍光体を含む蛍光体層と発光素子とを備え,前記発光素子は,360nm以上500nm未満の波長領域に発光ピークを有し,前記蛍光体は,前記発光素子が放つ光によって励起されて発光し,前記蛍光体が放つ発光成分を出力光として少なくとも含む発光装置であって,/ 前記蛍光体は,/Eu2+で付活され,かつ,600nm以上660nm未満の波長領域に発光ピークを有する窒化物蛍光体又は酸窒化物蛍光体と,/Eu2+で付活され,かつ,500nm以上600nm未満の波長領域に発光ピークを有するアルカリ土類金属オルト珪酸塩蛍光体とを含み,/前記発光素子が放つ光励起下において,前記蛍光体の内部量子効率が80%以上であることを特徴とする発光装置(以下,「Eu2+で付活され,かつ,600nm以上660nm未満の波長領域に発光ピークを有する窒化物蛍光体又は酸窒化物蛍光体」を「本件構成1」と,「Eu2+で付活され,かつ,500nm以上600nm未満の波長領域に発光ピークを有するアルカリ土類金属オルト珪酸塩蛍光体」を「本件構成2」と,「前記発光素子が放つ光励起下において,前記蛍光体の内部量子効率が80%以上である」構成を「本件構成3」という。)

【請求項2】前記出力光は,前記発光素子が放つ発光成分を含む請求項1に記載の発光装置

【請求項4】前記窒化物蛍光体は,組成式(M1-xEux)2Si5N8で表される蛍光体であり,前記Mは,Mg,Ca,Sr,Ba及びZnから選ばれる少なくとも1つの元素であり,前記xは,式0.005≦x≦0.3を満たす数値である請求項1に記載の発光装置

【請求項6】前記Mの主成分は,Sr又はCaである請求項3~5のいずれか1項に記載の発光装置

【請求項7】前記蛍光体は,420nm以上500nm未満の波長領域に発光ピークを有する発光素子が放つ光によって励起されて発光する請求項1に記載の発光装置

【請求項8】前記出力光は,相関色温度が2000K以上8000K以下の白色系光である請求項1に記載の発光装置

【請求項9】前記蛍光体層は,Eu2+で付活され,かつ,420nm以上500nm未満の波長領域に発光ピークを有する青色蛍光体をさらに含み,前記青色蛍光体は,前記発光素子が放つ光によって励起されて発光する請求項1に記載の発光装置

【請求項10】前記青色蛍光体は,Eu2+で付活された窒化物蛍光体又は酸窒化物蛍光体,Eu2+で付活されたアルカリ土類金属オルト珪酸塩蛍光体,Eu2+で付活されたアルミン酸塩蛍光体,及び,Eu2+で付活されたハロ燐酸塩蛍光体から選ばれる少なくとも1つの蛍光体である請求項9に記載の発光装置

【請求項11】前記青色蛍光体は,360nm以上420nm未満の波長領域に発光ピークを有する発光素子が放つ光によって励起されて発光する請求項9に記載の発光装置

【請求項12】前記発光装置の出力光は,相関色温度が2000K以上12000K以下の白色系光である請求項9に記載の発光装置

【請求項13】前記発光装置の出力光は,R1~R15の特殊演色評価数の数値がそれぞれ80以上の白色系光である請求項9に記載の発光装置

3  本件審決の理由の要旨

本件審決の理由は,要するに,本件明細書の発明の詳細な説明の記載は,いわゆる実施可能要件(特許法36条4項1号)に違反する,というものである。

4  取消事由

実施可能要件に係る判断の誤り

(1)  「前記蛍光体の内部量子効率」に係る解釈の誤り

(2)  内部量子効率80%以上の赤色蛍光体を実施不能とした判断の誤り

第3当事者の主張

〔原告の主張〕

1  「前記蛍光体の内部量子効率」に係る解釈の誤りについて

(1) 特許請求の範囲の記載について

ア 本件審決は,本件構成3の「前記蛍光体の内部量子効率」について,「前記蛍光体」とは,本件構成1の蛍光体(赤色光を放つ蛍光体であり,以下,このような蛍光体を総称して,「赤色蛍光体」という。)及び本件構成2の蛍光体(緑色光を放つ蛍光体であり,以下,このような蛍光体を総称して,「緑色蛍光体」という。)のそれぞれの内部量子効率が80%以上であると解するのが相当であるとするが,「前記蛍光体の内部量子効率」とは,蛍光体層中にある,本件構成1の赤色蛍光体及び本件構成2の緑色蛍光体を含む,蛍光体全体としての内部量子効率を意味することは,特許請求の範囲の記載から明白である。

すなわち,本件構成3における「前記蛍光体」という文言が,本件構成1及び2における「前記蛍光体」を受けていることは文理上当然であるから,本件構成3における「前記蛍光体」は,赤色蛍光体及び緑色蛍光体を含む蛍光体全体を指すことは明確であるというべきである。

イ 当業者は,「内部量子効率」について,蛍光体に吸収された励起光の光子数と,蛍光体から放射される蛍光の光子数との比を意味すると理解するものである。

複数の蛍光体からなる蛍光体全体について,「これらの蛍光体」と呼ぶことは特に不自然ではない一方,本件明細書には,それが蛍光体それぞれの内部量子効率であることを意味するような格別の記載は存在しない。

また,個々の蛍光体であっても,それらを混合した蛍光体の場合であっても,内部量子効率の測定法は同一である。

(2) 本件明細書の記載について

ア 本件構成3は,特許請求の範囲の記載において,文言上,蛍光体全体の内部量子効率を意味することは明確であるが,本件明細書の記載を参酌するとしても,同様に解することができる。

イ 本件明細書の記載において,内部量子効率が80%以下の蛍光体であっても,高い内部量子効率の蛍光体とされている。本件発明1の高い光束と高い演色性とを両立する発光装置を提供するという効果を得るためには,本件構成1及び2の各蛍光体がそれぞれ高い内部量子効率を有する必要があること自体は本件審決のとおりであるが,そのことから直ちに赤色蛍光体の内部量子効率が80%以上必要であると解することはできない。

ウ 本件明細書の実施形態5においては,【図12】ないし【図14】に開示された赤色蛍光体を用いる旨が明記されているが,これらの内部量子効率は80%以下である。本件明細書の「・・・80%以上とすることが好ましい」との記載(【0068】)は,より好適な構成を示しているにすぎず,当該記載について,当業者が,本件構成1の赤色蛍光体の内部量子効率が80%以上でなければならないなどと解することはあり得ない。一般的に,明細書における実施形態の記載に基づいて特許請求の範囲の記載を限定解釈すること自体,相当ではないが,それを超えて,実施形態中の好適な構成にさらに限定して解釈することは,明らかに不当である。

(3) 本件明細書の実施例における蛍光体の内部量子効率について

ア 蛍光体全体の内部量子効率は,蛍光体に吸収される励起光の光子数と蛍光体から放射される蛍光の光子数との比を意味するが,赤色蛍光体及び緑色蛍光体に吸収される光子数の比が判明すれば,蛍光体全体の内部量子効率も明らかとなる。赤色蛍光体及び緑色蛍光体に吸収される光子数の比は,赤色蛍光体の総表面積と緑色蛍光体の総表面積との比であると解される。

イ 本件明細書の実施例における各蛍光体の内部量子効率及び粒径に基づいて蛍光体全体の内部量子効率を計算すると,実施例1では80%,実施例3では84%となる。

被告が主張する近似計算による蛍光体の比重に基づいて計算した場合,実施例3の混合蛍光体の内部量子効率は83.3%となるから,被告自ら,実施例3の混合蛍光体の内部量子効率が80%以上であることを認めているというべきである。

(4) 小括

以上によると,本件構成3における「前記蛍光体の内部量子効率」とは,蛍光体層中にある本件構成1の赤色蛍光体及び本件構成2の緑色蛍光体を含む,蛍光体全体としての内部量子効率を意味するというべきであって,それぞれの蛍光体について80%以上の内部量子効率が必要であるとして,実施可能要件を充足しないとした本件審決の判断は誤りである。

〔被告の主張〕

(1)  特許請求の範囲の記載について

本件構成3における「前記蛍光体の内部量子効率が80%以上」とは,文言上,赤色蛍光体及び緑色蛍光体のそれぞれの内部量子効率が80%以上であると解するのが相当であって,本件審決の判断に誤りはない。

(2)  本件明細書の記載について

ア 原告は,本件特許に係る訂正審判請求において,訂正事項が本件明細書の実施形態5の記載に基づくものであるとするところ,本件明細書の実施形態5に係る「これらの蛍光体の内部量子効率が80%以上」との記載からすると,原告自らが本件構成1及び2の各蛍光体のそれぞれにつき,内部量子効率80%以上が必要であることを認めたものというべきである。

イ 本件明細書には,「前記蛍光体の内部量子効率」が蛍光体全体としての内部量子効率を意味することや,複数種類の蛍光体を含む蛍光体全体としての内部量子効率の算出方法,技術的意義などについて何ら記載されておらず,本件構成3について,蛍光体全体の内部量子効率を意味すると解すべき根拠となる記載はないというほかない。

特に,本件構成1及び2の各蛍光体の製造条件等のみならず,「蛍光体全体」の製造条件,「蛍光体全体」の製造条件が「蛍光体全体の内部量子効率」にどのように関係するか等について十分な開示のない本件明細書の記載からすると,「前記蛍光体の内部量子効率」を「蛍光体全体の内部量子効率」と解する余地はない。

ウ 本件構成3の「前記蛍光体の内部量子効率」について,各蛍光体がそれぞれ80%以上という高い内部量子効率を有することを意味すると解すべきことは,本件明細書の記載(【0008】【0012】【0020】~【0026】【0054】~【0061】【0068】)と整合するものである。

特に,本件明細書には,本件発明が,紫色発光素子を用いて複数種類の蛍光体を励起させる白色発光装置を構成した場合,色バランスとの兼ね合いから,発光装置を構成する蛍光体の中に,内部量子効率の低い蛍光体が1つでもあると出力光の強度も低くなり,高光束の白色系光を得ることができないという課題を解決するために,赤色蛍光体及び緑色蛍光体を組み合わせることにより,高い光束と高い演色性とを両立する発光装置,特に,暖色系の白色光を放つ発光装置を提供するものであること,内部量子効率が高い蛍光体に吸収された発光素子の放つ光は,効率よく光変換されて放出されるため,内部量子効率が高い蛍光体を備えた発光装置は,光エネルギーを効率よく使用できること,高い光束を放つ発光装置を得るためには,蛍光体層に実質的に含まれる蛍光体の中で,発光素子が放つ光励起下において最も内部量子効率が低い蛍光体は内部量子効率(絶対値)が80%以上,好ましくは85%以上,より好ましくは90%以上の蛍光体とすることが開示されているから,赤色蛍光体及び緑色蛍光体のいずれについても,内部量子効率が80%以上であることが必要であると解すべきである。

(3)  本件明細書の実施例における蛍光体の内部量子効率について

原告は,本件明細書の実施例1の混合蛍光体の内部量子効率について,赤色蛍光体及び緑色蛍光体の比重が異なるにもかかわらず,同一の比重であると仮定して計算しており,計算方法自体が誤りである。赤色蛍光体の比重は4.2,緑色蛍光体の比重は4.8であるから,正確な比重に基づいて計算すると,実施例1の内部量子効率は78.7%となり,本件構成3について蛍光体全体の内部量子効率が80%以上であることを意味するという原告の主張を前提としても,実施可能要件を充足するものではない。

また,仮に,実施例3の混合蛍光体の内部量子効率が80%以上であるとしても,本件明細書には,実施例3に関し,実施例1における説明以上の記載や示唆はないから,実施例3の開示内容に基づいて,当業者が内部量子効率80%以上の混合蛍光体を製造することができるか否かについて,不明であることに変わりはない。

(4)  小括

以上によると,本件構成3における「前記蛍光体の内部量子効率」とは,本件構成1及び2の各蛍光体の個別の内部量子効率を意味するというべきであって,本件審決に誤りはない。

2 内部量子効率80%以上の赤色蛍光体を実施不能とした判断の誤りについて

〔原告の主張〕

(1)  本件明細書の開示内容について

ア 前記1のとおり,本件構成3について,本件構成1及び2の各蛍光体の個別の内部量子効率が80%以上であることを要求する本件審決の判断は誤りであるが,本件明細書の記載及び技術常識に照らせば,内部量子効率が80%以上の赤色蛍光体を容易に製造することができるから,赤色蛍光体についても内部量子効率80%以上が必要であると解するとしても,本件発明1は容易に実施可能である。

イ 本件明細書には,内部量子効率80%以上の赤色蛍光体の例が直接記載されてはいないが,本件出願時の技術常識を踏まえれば,当業者は,内部量子効率80%以上の赤色蛍光体を製造する方法を理解することができるというべきである。

本件明細書に開示されている赤色蛍光体は,実用化段階には至っていない研究段階での試作品で,その内部量子効率は60ないし70%前後とされているが,当業者であれば,研究段階の数値としては悪くないことを理解できるから,当該記載に基づいて,当業者の技術常識である製造条件の最適化を行うことによって,80%以上の内部量子効率の赤色蛍光体を容易に得ることが可能である。本件明細書にも,製造条件の最適化が未了の状態における試作品の数値であることが明記されているから,当業者は,必要な内部量子効率を得るためには技術常識である最適化を実施すればよいことを当然に理解するのであって,内部量子効率向上のための手法を特に明示する必要はない。当業者であれば常識的に理解している事項についてまで,全て記載しておかなければ実施可能要件を充足しないとすると,発明者に不可能を強いることになり,不当である。

実際,本件特許の公開(平成18年2月16日)後間もない同年3月22日,内部量子効率が86ないし87%であるCaAlSiN3:Euの赤色蛍光体を製造した旨の報告がされている。

ウ 蛍光体の製造条件の最適化とは,蛍光体の効率を低下させる要因(①結晶中の不純物,②結晶格子の欠陥,③粒径,④発光中心となる付活剤の濃度など)の除去を行うことを意味する。上記各因子は当業者の技術常識であって,特定の蛍光体にのみ当てはまるような特殊な事項ではなく,一般に,付活中心による発光というメカニズムを有する蛍光体に共通する事項である。しかも,各因子はいずれも内部量子効率の改善に資するものであって,相互に排他的なものではない。

エ 実施可能要件の充足性は,事柄の性質上,その可能性が存在することを立証するほかない。過去の一時点における事実(実施が容易であったという事実)を現時点において立証しようとする限り,どのような手段を使ったとしても絶対的な立証は不可能であって,その可能性(蓋然性)が訴訟における証明度として十分か否かが問題とされるべきである。

本件出願当時,内部量子効率80%以上の赤色蛍光体が製造可能であったことは,本件発明の技術分野の専門家である徳島文理大学理工学部ナノ物質工学科准教授國本崇作成の見解書(甲12)及び明治大学理工学部電気電子生命学科准教授三浦登作成の見解書(甲14。以下,上記各見解書を総称して,「本件見解書」という。)からも明らかである。

(2)  小括

以上によると,仮に,本件構成3について,本件構成1及び2の各蛍光体の個別の内部量子効率が80%以上であることが必要であると解するとしても,本件明細書の記載及び技術常識に基づいて,内部量子効率が80%以上の赤色蛍光体を容易に製造することが可能であるから,このような赤色蛍光体が製造できないことを理由に実施可能要件を充足しないとした本件審決の判断は誤りである。

〔被告の主張〕

(1)  本件明細書の開示内容について

ア 本件発明が属する化学的材料の分野では,多くの不確実な要因が相互に関係するから,発明の対象とされる物を製造するためには,少なくとも具体的な製造条件等の開示が必要である。

本件明細書の赤色蛍光体の製造方法の記載(【0157】)は極めて抽象的であって,本件明細書は,内部量子効率80%以上の赤色蛍光体が製造できる可能性があることを言及するにすぎず,具体的な製造条件の因子の開示すらされていない製造条件の最適化によって,当業者が製造可能であると解することはできない。

原告が主張するとおり,本件明細書に開示されている赤色蛍光体が研究段階での試作品であり,本件構成3における80%以上という内部量子効率の数値が実際に得られた特性値ではなく,単なる目標値を設定しているにすぎないのであるならば,本件発明1は未完成発明であるというほかない。

イ 本件明細書の【図12】ないし【図14】には,内部量子効率が60%ないし70%程度の赤色蛍光体しか得られないことが開示されているから,当業者が,当該開示内容を超えて,あえて内部量子効率80%以上の赤色蛍光体を製造する試みを行うとは想定し得ない。

また,本件発明1の目的である高光束かつ高演色の発光装置を実現するためには,蛍光体の内部量子効率が80%以上であることが望ましいことは推測できるものの,80%未満だと上記目的が実現できない具体的理由は本件明細書には開示されていないから,内部量子効率が80%以上であることの臨界的意義は不明である。

したがって,高光束かつ高演色の発光装置を実現するために望ましい希望条件を,特定の数値をもって特許請求の範囲の記載に取り込んだにすぎない本件発明1について,当該数値の意味を明らかにせず,具体的な製造条件等について開示していない本件明細書は,到底,実施可能要件を満たすものではない。

ウ 本件明細書の記載内容及び原告が技術常識であると主張する製造条件をもってしても,当業者が,内部量子効率80%以上の赤色蛍光体を容易に製造することはできない。

本件明細書には,単に,「製造条件の最適化」と記載されているのみであり,どの工程において,どのような条件の処理等を行えばよいのか等,内部量子効率特性をコントロールするための具体的なポイントが開示も示唆もされておらず,当業者でも,具体的にどのような最適化を実施すればよいのか,想像すらできない。

原告が主張する各因子は,本件明細書には何ら記載されていないし,そのほかにも考慮すべき因子は存在するから,本件発明の赤色蛍光体についてどの因子が重要で,どの因子が重要でないかは,当業者でも当然に理解できるものではない。

窒化物蛍光体及び酸窒化物蛍光体には,化学組成により様々な結晶構造を有する蛍光体が存在するから,様々な種類の蛍光体の製造に当たり,確実に内部量子効率の向上をもたらす普遍的な製造方法は知られていない。原告が主張する種々の最適化方法のうち,いずれの方法を採用するかは,蛍光体化合物の種類により異なる。

エ 本件見解書は,いずれも本件出願後に作成されたものであって,しかも,本件発明の技術分野に特化した学者による,主として理論的な考察のみに基づく意見にすぎず,いずれも内部量子効率を高める要因とその可能性について説明するだけで,赤色蛍光体について80%以上の内部量子効率が得られることが自明であることに関する説明は一切存在しないし,実施可能要件を判断する前提となる「当業者」の意義自体についても誤りがあるから,実施可能要件を充足することの裏付けとはならない。

(2)  小括

以上によると,本件明細書の記載及び技術常識に基づいて,内部量子効率が80%以上の赤色蛍光体を容易に製造することができないことを理由に実施可能要件を充足しないとした本件審決の判断に誤りはない。

第4当裁判所の判断

1  本件発明について

本件発明の特許請求の範囲は,前記第2の2に記載のとおりであるところ,本件明細書(甲1)には,おおむね次の記載がある。

(1)  技術分野

本件発明は,窒化物蛍光体と発光素子とを組み合わせてなる発光装置,特に,暖色系の白色光を放つ発光装置に関する発明である(【0001】)。

(2)  従来技術

従来,波長360nm以上420nm未満の近紫外~紫色領域に発光ピークを有する発光素子(紫色発光素子)又は波長420nm以上500nm未満の青色領域に発光ピークを有する発光素子(青色発光素子)と,上記各発光素子が放つ光によって励起する蛍光体とを組み合わせてなる発光装置が存在した。

上記紫色発光素子を用い,かつ,高い光束と高い演色性とを両立させる発光装置において,暖色系の白色光を放つ発光装置としては,La2O2S:Eu3+蛍光体やY2O2S:Eu3+蛍光体等の赤色系光を放つ酸硫化物蛍光体を多用した発光装置がある。また,白色光を放つ発光装置として,酸硫化物蛍光体と,Eu2+で付活されたアルカリ土類金属オルト珪酸塩蛍光体等の緑~黄~橙色系光を放つ蛍光体とを組み合わせて用いた発光装置や,さらにEu2+で付活されたアルミン酸塩蛍光体等の青色系光を放つ蛍光体を組み合わせた発光装置もある(【0004】)。

(3)  発明が解決しようとする課題

従来の発光素子と蛍光体とを備えた発光装置には,高い光束と高い演色性とを両立させるものが少ない。また,暖色系の白色光を放つ発光装置の開発が期待されている(【0007】)。

本件発明は,このような課題を解決し,高い光束と高い演色性とを両立する発光装置,特に,暖色系の白色光を放つ発光装置を提供することを目的とする(【0008】)。

(4)  発明の効果

本件発明は,本件構成1及び2の赤色蛍光体及び緑色蛍光体と,360nm以上500nm未満の波長領域に発光ピークを有する発光素子とを組み合わせることにより,高い光束と高い演色性とを両立する発光装置,特に,暖色系の白色光を放つ発光装置を提供できるという効果を奏する(【0010】【0012】)。

(5)  発明を実施するための最良の形態

ア 赤色蛍光体及び緑色蛍光体,特に,緑色蛍光体は,波長360nm以上420nm未満の近紫外~紫色領域に発光ピークを有する紫色発光素子の励起下における内部量子効率だけでなく,波長420nm以上500nm未満の青色領域に発光ピークを有する青色発光素子の励起下における内部量子効率も高く,良好なものは90ないし100%である(【0013】【図12】~【図18】)。

イ 従来,紫色発光素子と組み合わせて多用されているLa2O2S:Eu3+赤色蛍光体の内部量子効率及び外部量子効率は,励起スペクトルのピークが380nm以上420nm未満の紫色領域では,励起波長の増加とともに急激に低下する(【0020】)。Y2O2S:Eu3+赤色蛍光体も同様である(【0021】)。

これらの蛍光体は,波長380nm以上420nm未満の紫色領域に発光ピークを有する発光素子の放つ光を高い変換効率で赤色光に波長変換することが,材料物性上困難な蛍光体である(【0022】)。

このような酸硫化物系の赤色蛍光体と紫色発光素子とを用いて,高光束の発光装置を得ることは困難である(【0023】)。

紫色発光素子を用いて複数種類の蛍光体を励起させる白色発光装置を構成した場合,色バランスとの兼ね合いから,その出力光の強度は,内部量子効率が最も低い蛍光体の内部量子効率と相関関係があり,発光装置を構成する蛍光体の中に,内部量子効率の低い蛍光体が1つでもあれば,出力光の強度も低くなり,高光束の白色系光を得ることはできない(【0024】)。

ウ 内部量子効率が高い蛍光体に吸収された発光素子の放つ光は,効率よく光変換されて放出され,蛍光体に吸収されなかった発光素子の放つ光は,そのまま放出される。そのため,360nm以上500nm未満の波長領域に発光ピークを有する発光素子と,その発光素子の放つ光の励起下において内部量子効率が高い本件構成1及び2の赤色蛍光体及び緑色蛍光体とを備えた発光装置は,光エネルギーを効率よく使用できるため,高光束かつ高演色の発光装置とすることができる(【0026】)。

他方,上記波長領域に発光ピークを有する発光素子と,その発光素子の放つ光の励起下において内部量子効率が低い蛍光体とを備えた発光装置は,発光素子が放つ光エネルギーを効率よく変換できないために,光束が低い発光装置となる(【0027】)。

(6)  実施形態5

ア 本件構成1の赤色蛍光体として,SrAlSiN3:Eu2+赤色蛍光体等が用いられる(【0058】【図13】)。

このような赤色蛍光体を用いて構成された発光装置は,暖色系発光成分の強度が強く,特殊演色評価数R9の数値が大きくなる(【0060】)。

イ 本件構成2の緑色蛍光体として,(Ba,Sr)2SiO4:Eu2+緑色蛍光体又は(Sr,Ba)2SiO4:Eu2+黄色蛍光体等が用いられる(【0059】【図15】【図16】)。

このような緑色蛍光体を用いた発光装置は,出力光に含まれる緑色系の発光強度が強くなり,演色性が向上し,また,緑色系光は視感度が高く,光束はより高くなる(【0065】)。

上記黄色蛍光体を用いた発光装置は,出力光に含まれる黄色系の発光強度が強くなり,演色性が向上し,特に温色系又は暖色系の発光を放つ発光装置を提供でき,黄色系光は比較的視感度が高く,光束は高くなる(【0066】)。

蛍光体層に実質的に含まれる蛍光体の中で,発光素子が放つ光の励起下において,最も内部量子効率が低い蛍光体の内部量子効率は,80%以上とすることが好ましい(【0068】)。

(7)  実施例1

ア 実施例1では,最大内部量子効率が60%のSrAlSiN3:Eu2+の赤色蛍光体と,同91%の(Ba,Sr)2SiO4:Eu2+の緑色蛍光体の2種類を重量割合約1:10で混合して蛍光体層を形成する(【0101】)。

イ 実施例1の発光装置は,470nm付近と600nm付近に発光ピークを有する白色光,すなわち,青色系光と黄色系光の混色によって白色光を放つ(【0105】)。

ウ 実施例1により,白色光の相関色温度が3000K以上5000K以下,好ましくは3000K以上4500K以下,より好ましくは3500K以上4000K以下の発光装置を作製した場合に,高い光束と高いRaを両立する発光装置を得られることが判明した(【0113】)。

(8)  実施例3

ア 実施例3では,最大内部量子効率60%のSrAlSiN3:Eu2+の赤色蛍光体と,同97%の(Ba,Sr)2SiO4:Eu2+の緑色蛍光体と,同約100%のBaMgAl10O17:Eu2+の青色蛍光体の3種類を重量割合約6:11:30で混合して蛍光体層を形成する。SrAlSiN3:Eu2+の赤色蛍光体は,製造条件が未だ最適化されていないために,内部量子効率は低いが,今後製造条件の最適化により,1.5倍以上の内部量子効率の改善が可能である(【0127】)。

イ 実施例3の発光装置は,405nm付近,450nm付近,535nm付近及び625nm付近に発光ピークを有する白色系の光,すなわち,紫色光,青色光,緑色光及び赤色光の混色によって白色光を放つ(【0131】)。

ウ 実施例3は,蛍光体の製造条件が最適化されておらず,最大内部量子効率が60%と性能の低い赤色蛍光体を用いているにもかかわらず,ほぼ等しい光色(相関色温度,duv及び色度)の条件下で,比較例2よりも相対光束が17%高い白色系光を放った。比較例2で用いた赤色蛍光体の最大内部量子効率は83%であり,発光装置の出力効率はさらに約20%改善される可能性はあるが,実施例3で用いた赤色蛍光体の場合,最大内部量子効率は60%であり,発光装置の白色出力はさらに約65%以上改善できる余地がある。すなわち,理論的にも,最終的には,実施例3の発光装置の材料構成の方が高い光束の白色系光を放つことになる(【0135】)。

エ 実施例3により,出力光の相関色温度が2500K以上12000K以下,好ましくは3500K以上7000K以下の発光装置を作製した場合に,高い光束を示すことが判明した(【0139】)。

オ 【表4】に示した赤色蛍光体の製造方法について説明する。グローブボックスと乳鉢等を用いて,【表4】に示した所定の化合物を乾燥窒素雰囲気中で反応促進剤(フラックス)を用いずに混合し,混合粉末を得た。次に,混合粉末をアルミナルツボに仕込み,温度800ないし1400℃の窒素雰囲気中で2ないし4時間仮焼成した後,温度1600ないし1800℃の窒素97%,水素3%の雰囲気中で2時間本焼成して,赤色蛍光体を合成した。本焼成後の蛍光体粉末の体色は橙色であった。本焼成の後,解砕,分級,洗浄,乾燥の所定の後処理を施し,赤色蛍光体を得た(【0157】【表4】)。

カ 【表5】に示した緑色蛍光体及び黄色蛍光体の製造方法について説明する。まず,乳鉢を用いて所定の化合物を大気中で混合して得た混合粉末をアルミナツボに仕込み,温度950ないし1000℃の大気中で2ないし4時間仮焼成した後,塩化カルシウム粉末3.620グラムをフラックスとして添加して混合する。その後,温度1200ないし1300℃の窒素97%,水素3%の雰囲気中で4時間本焼成して緑色蛍光体及び黄色蛍光体を合成した。本焼成後の蛍光体粉末の体色は緑~黄色であった。本焼成の後,解砕,分級,洗浄,乾燥の所定の後処理を施し,緑色蛍光体及び黄色蛍光体を得た(【0158】【表5】)。

2  「前記蛍光体の内部量子効率」に係る解釈の誤りについて

(1)  特許請求の範囲の記載について

ア 本件発明1に係る発光装置は,「蛍光体を含む蛍光体層と発光素子とを備え」るものであるところ,特許請求の範囲の請求項1は,蛍光体に関し,以下のとおり記載されている。

(ア) 「前記蛍光体は,前記発光素子が放つ光によって励起されて発光し」

(イ) 「前記蛍光体は,Eu2+で付活され,かつ,600nm以上660nm未満の波長領域に発光ピークを有する窒化物蛍光体又は酸窒化物蛍光体と,Eu2+で付活され,かつ,500nm以上600nm未満の波長領域に発光ピークを有するアルカリ土類金属オルト珪酸塩蛍光体とを含み」

(ウ) 「前記発光素子が放つ光励起下において,前記蛍光体の内部量子効率が80%以上である」

イ 前記ア(ア)ないし(ウ)の各記載における「前記蛍光体」が,いずれも請求項1の「蛍光体を含む蛍光体層と発光素子とを備え」における「蛍光体」を意味することは,文理上明らかである。そうすると,当該「蛍光体」が,「窒化物蛍光体又は酸窒化物蛍光体」(赤色蛍光体)及び「アルカリ土類金属オルト珪酸塩蛍光体」(緑色蛍光体)を含むものであり,これら赤色蛍光体及び緑色蛍光体を含む当該「蛍光体」において,内部量子効率が80%以上のものであると特定されていることは,請求項1の記載から,文言上,明らかであるというべきである。

(2)  本件明細書の記載について

ア 本件明細書【0013】には,赤色蛍光体及び緑色蛍光体は,360nm以上500nm未満の波長領域に発光ピークを有する発光素子の励起光下における内部量子効率が高いものであることが記載されている。

また,本件明細書には,実施形態1ないし5が記載されており,その内容からすると,本件発明1に対応するものは実施形態5(【0055】~【0068】)であると解されるところ,実施形態5にも,上記と同様の事項が記載されている(【0058】【0059】)。【図12】ないし【図17】には,上記蛍光体の内部量子効率を含む各特性が開示されているが,【図15】ないし【図17】により開示されている緑色蛍光体の内部量子効率は80%以上であるものの,【図12】ないし【図14】により開示されている赤色蛍光体の内部量子効率は80%未満である。

さらに,本件明細書の実施例1では,最大内部量子効率が60%のSrAlSiN3:Eu2+赤色蛍光体と,同91%の(Ba,Sr)2SiO4:Eu2+緑色蛍光体の2種類を用いた例が開示され,実施例3では,同60%のSrAlSiN3:Eu2+赤色蛍光体と,同97%の(Ba,Sr)2SiO4:Eu2+緑色蛍光体と,同約100%のBaMgAl10O17:Eu2+の青色蛍光体の3種類を用いた例が開示されている。

そうすると,本件明細書には,赤色蛍光体及び緑色蛍光体は,いずれも360nm以上500nm未満の波長領域に発光ピークを有する発光素子の励起光下における内部量子効率が高いこと,具体的数値としては,緑色蛍光体の内部量子効率は80%以上であるのに対して,赤色蛍光体の内部量子効率は80%未満であることが記載されているものであって,本件審決のように,本件構成3につき,個々の蛍光体の内部量子効率がいずれも80%以上であることを必要とすると解すると,本件明細書の記載と矛盾することになる。

他方,内部量子効率とは,蛍光体に吸収された励起光の量子数に対して,蛍光体から放射される光の量子数の割合を意味する(本件明細書【0025】)から,複数種類の蛍光体を含む蛍光体全体の内部量子効率は,含まれる蛍光体のそれぞれの内部量子効率の値とその混合割合によって変化するものであり,赤色蛍光体の内部量子効率が80%未満であったとしても,内部量子効率の高い緑色蛍光体の混合割合を高くすることにより,蛍光体全体の内部量子効率を80%以上とすることができることは明らかである。

イ もっとも,本件明細書【0024】には,紫色発光素子を用いて複数種類の蛍光体を励起させる白色発光装置を構成した場合,色バランスとの兼ね合いから,その出力光の強度は,内部量子効率が最も低い蛍光体の内部量子効率と相関関係があり,発光装置を構成する蛍光体の中に,内部量子効率の低い蛍光体が1つでもあれば,出力光の強度も低くなり,高光束の白色系光を得ることはできないことが記載されているから,本件発明1の蛍光体の中に,内部量子効率が低い蛍光体が存在することにより,直ちに高光束の白色系光を得ることができないのであれば,本件構成3の内部量子効率が,個々の蛍光体の内部量子効率を意味するものと解する余地はある。

しかしながら,本件明細書には,内部量子効率が最も低い蛍光体の内部量子効率が具体的にどの程度低い値であれば,高光束の白色系光を得ることができないのかについて明記されているわけではない。本件明細書の記載によれば,高光束の白色系光を得るためには,内部量子効率が最も低い蛍光体の内部量子効率がある程度以上の高い値である必要があることは理解できるものの,具体的数値については不明である。

この点に関し,本件明細書には,本件発明1に対応する実施形態5において,最も内部量子効率が低い蛍光体の内部量子効率は80%以上とすることが好ましい(【0068】)と記載されているが,当該記載は,文言上,80%以上とすることが必要であることを意味するものではない。前記のとおり,本件明細書には,赤色蛍光体及び緑色蛍光体は,360nm以上500nm未満の波長領域に発光ピークを有する発光素子の励起光下における内部量子効率が高いものであることが明記されている(【0013】【0058】【0059】【図12】~【図17】)から,赤色蛍光体の内部量子効率が80%未満であっても,緑色蛍光体と組み合わせて用いることによって80%以上の内部量子効率を実現し,一定程度以上の高光束の白色系光を得ることができるものというべきである。

ウ 本件明細書の発明の詳細な説明には,赤色蛍光体及び緑色蛍光体として使用できる具体的な物質が,内部量子効率を含む各特性を含めて記載されている(【0013】【0058】【0059】【図12】~【図17】)。

また,上記各蛍光体の製造方法も具体的に記載されているのみならず(【0157】【0158】),これらの蛍光体を用いて実際に蛍光体層を形成し,発光装置を製造した具体例として,実施例1及び3が記載されているところ,実施例1及び3において,当該発光装置の発光特性が示され,高い光束と高い演色性とを両立するものであることが開示されている。

実施例1及び3には,蛍光体全体の内部量子効率の具体的数値は明記されていないが,被告の計算においても,実施例1では78.7%,実施例3では83.3%とされるものである。前記のとおり,蛍光体全体の内部量子効率は,含まれる蛍光体のそれぞれの内部量子効率の値とその混合割合により変化するものであり,内部量子効率の高い緑色蛍光体の混合割合を高くすることにより,容易に80%以上とすることができることは明らかであるから,本件構成3の構成を有する蛍光体を,当業者が容易に製造することができるというべきである。

エ 以上によると,本件構成3における「前記蛍光体の内部量子効率が80%以上である」について,本件構成1の赤色蛍光体及び本件構成2の緑色蛍光体を含む,蛍光体全体としての内部量子効率が80%以上であることを意味するものと解することは,本件明細書の記載と矛盾するものではない。

(3)  被告の主張について

ア 被告は,原告が訂正審判請求において訂正事項の根拠とする本件明細書の実施形態5に,「これらの蛍光体の内部量子効率が80%以上」(【0055】)と記載されていることから,原告も,本件構成3において,個々の蛍光体がそれぞれ内部量子効率80%以上であることが必要であると自認している旨主張する。

しかしながら,前記のとおり,特許請求の範囲の請求項1の記載によれば,「前記蛍光体の内部量子効率が80%以上である」とは,赤色蛍光体及び緑色蛍光体を含む蛍光体全体の内部量子効率が80%以上であることを意味するものであり,本件明細書の記載を参酌しても,同様に解されることからすると,実施形態に係る段落において,「これらの」蛍光体の内部量子効率と記載されていることをもって,直ちに各蛍光体の内部量子効率を意味するものと解することはできない。る。

また,証拠(甲11の1~3)によると,原告は,本件特許に係る訂正審判請求において,本件構成1の赤色蛍光体及び本件構成2の緑色蛍光体について,特定の組成式や元素を含む蛍光体に減縮する訂正を求めるに当たり,当該訂正が本件明細書の実施形態5に係る記載事項の範囲内であると主張しているにすぎず,当該訂正は,個々の蛍光体について内部量子効率を検討すべきことを前提とするものではないと認めるのが相当である。

イ 被告は,本件明細書には,「前記蛍光体の内部量子効率」が蛍光体全体としての内部量子効率を意味することや,複数種類の蛍光体を含む蛍光体全体としての内部量子効率の算出方法,技術的意義などについて何ら記載されておらず,本件構成3について,蛍光体全体の内部量子効率を意味すると解すべき根拠となる記載はないというほかないし,むしろ,個々の蛍光体の内部量子効率と解する方が,本件明細書の記載と整合すると主張する。

しかしながら,前記のとおり,特許請求の範囲の請求項1の記載によれば,「前記蛍光体の内部量子効率が80%以上である」とは,赤色蛍光体及び緑色蛍光体を含む蛍光体全体の内部量子効率が80%以上であることを意味するものであり,本件明細書の記載を参酌しても,同様に解されるものである。

また,本件発明における内部量子効率の定義は,本件明細書の【0025】に記載されており,その測定方法も,本件明細書の【0006】に記載されているものであって,複数種類の蛍光体を含む場合も含めて,これらはいずれも本件出願時において当業者に周知の事項であったというべきである。そして,複数種類の蛍光体を含む場合における内部量子効率の技術的意義については,本件明細書の【0026】【0060】に記載されているとおり,光エネルギーを効率よく出力することができることにあるといえる。

さらに,各蛍光体の製造方法については,本件明細書の【0157】【0158】に記載されているところ,蛍光体全体の製造方法については,所定の内部量子効率となるように,複数種類の蛍光体を所定の割合で混合すればよいとされている(本件明細書【0101】等)ことは明らかである。

なお,本件明細書【0054】には,被告が主張するとおり,「蛍光体層に実質的に含まれる蛍光体の中で,発光素子が放つ光励起下において最も内部量子効率が低い蛍光体は,内部量子効率(絶対値)が,80%以上,好ましくは85%以上,より好ましくは90%以上の蛍光体とする」と記載されているが,当該段落は,実施形態1ないし4に関する記載であり,本件発明1に対応する実施態様5に係る記載ではないから,被告の主張はその前提自体が誤りである。

ウ 被告は,原告による内部量子効率の計算は,各蛍光体の比重が同じであると仮定して計算している点において誤りであり,被告の計算によれば,実施例1の蛍光体の内部量子効率は78.7%にすぎないと主張する。

しかしながら,原告及び被告の計算は,いずれも粒子を真球とみなしているほか,様々な条件(蛍光体の平均粒径,内部量子効率など)を仮定して行われているから,各計算により得られた内部量子効率はあくまで計算上のものにすぎず,被告の計算において,実施例1における内部量子効率が78.7%となったからといって,直ちに本件発明1が実施不可能であると解することはできない。前記のとおり,蛍光体全体の内部量子効率は,含まれる蛍光体のそれぞれの内部量子効率の値とその混合割合により変化するものであるから,被告による計算でも80%に近似する78.7%の内部量子効率を有する蛍光体を得ることが可能であることを裏付けている以上,内部量子効率の高い緑色蛍光体の混合割合を高くすることによって,容易に内部量子効率80%以上の蛍光体を得ることができるというべきである。

エ 以上のとおり,被告の前記主張はいずれも採用できない。

(4)  小括

よって,本件構成3における「前記蛍光体の内部量子効率」とは,蛍光体層中にある本件構成1の赤色蛍光体及び本件構成2の緑色蛍光体を含む,蛍光体全体としての内部量子効率を意味するというべきである。

そして,本件明細書の発明の詳細な説明には,本件発明1について,当業者が実施することができる程度に明確かつ十分に記載されているものということができるから,本件発明1について,本件明細書の発明の詳細な説明の記載が実施可能要件を充足しないとした本件審決の判断は誤りである。

本件発明2,4,6ないし13についても同様である。

3  内部量子効率80%以上の赤色蛍光体を実施不能とした判断の誤りについて

(1)  実施可能要件について

特許制度は,発明を公開する代償として,一定期間発明者に当該発明の実施につき独占的な権利を付与するものであるから,明細書には,当該発明の技術的内容について一般に開示する内容を記載しなければならない。特許法36条4項1号が実施可能要件を定める趣旨は,明細書の発明の詳細な説明に,当業者がその実施をすることができる程度に発明の構成等が記載されていない場合には,発明が公開されていないことに帰し,発明者に対して特許法の規定する独占的権利を付与する前提を欠くことになるからであると解される。

そして,物の発明における発明の実施とは,その物の生産,使用等をする行為をいうから(特許法2条3項1号),物の発明について上記の実施可能要件を充足するためには,明細書にその物を製造する方法についての具体的な記載が必要であるが,そのような記載がなくても明細書及び図面の記載並びに出願当時の技術常識に基づき当業者がその物を製造することができるのであれば,上記の実施可能要件を満たすということができる。

(2)  本件明細書の開示内容について

ア 本件審決は,本件構成3について,個々の蛍光体の内部量子効率がそれぞれ80%以上であることを要するとした上で,本件明細書の発明の詳細な説明には,内部量子効率が80%以上の赤色蛍光体が開示されていないとする。

確かに,前記2(2)アのとおり,本件明細書の発明の詳細な説明には,赤色蛍光体及び緑色蛍光体として使用できる具体的な物質が,内部量子効率を含む各特性を含めて記載されているところ,本件明細書に開示されている緑色蛍光体の内部量子効率は80%以上であるが,赤色蛍光体の内部量子効率は80%未満であり,したがって,本件明細書には,内部量子効率が80%以上の緑色蛍光体については記載されているが,内部量子効率が80%以上の赤色蛍光体については,直接記載されていないというほかない。

しかしながら,前記1(8)のとおり,本件明細書には,赤色蛍光体及び緑色蛍光体の製造方法について,その原料,反応促進剤の有無,焼成条件(温度,時間)なども含めて具体的に記載されているのみならず,赤色蛍光体の製造方法については,本件出願時には製造条件が未だ最適化されていないため,内部量子効率が低いものしか得られていないが,製造条件の最適化により改善されることまで記載されているものである。そうすると,研究段階においても,赤色蛍光体について60ないし70%の内部量子効率が実現されているのであるから,今後,製造条件が十分最適化されることにより,内部量子効率が高いものを得ることができることが記載されている以上,当業者は,今後,製造条件が十分最適化されることにより,内部量子効率が80%以上の高い赤色蛍光体が得られると理解するものというべきである。

イ 証拠(甲5,12~17)によれば,蛍光体の製造方法において,製造条件の最適化として,結晶中の不純物を除去すること,結晶格子の欠陥を減らすこと,結晶粒径を制御すること,発光中心となる付活剤の濃度を最適化すること等により,蛍光体の効率を低下させる要因を除去することは,本件出願時において当業者に周知の事項であったと認められる。

したがって,本件明細書の発明の詳細な説明に内部量子効率が80%未満の赤色蛍光体が記載されているにすぎなかったとしても,当業者は,蛍光体の製造方法において,製造条件の最適化を行うことにより,赤色蛍光体についても,その内部量子効率が80%以上のものを容易に製造することができるものと解される。実際,証拠(甲18)によれば,本件出願後ではあるが,平成18年3月22日,内部量子効率が86ないし87%のCaAlSiN3:Euの赤色蛍光体が製造された旨が発表されたことが認められる。

ウ 以上によると,本件明細書の発明の詳細な説明には,当業者が内部量子効率80%以上の赤色蛍光体を製造することができる程度の開示が存在するものというべきである。

(3)  被告の主張について

ア 被告は,本件明細書の赤色蛍光体の製造方法の記載は極めて抽象的であって,具体的な製造条件の因子の開示すらされていない製造条件の最適化によって,当業者が製造可能であると解することはできないと主張する。

しかしながら,前記のとおり,蛍光体の製造方法における製造条件の最適化については,本件出願時において当業者に周知の事項であったと認められる以上,具体的な製造条件の因子が開示されていなかったとしても,当業者は蛍光体の製造方法において,具体的にどのような因子について最適化を実施すればよいかは理解できるものというべきである。

イ 被告は,本件明細書に内部量子効率が60%ないし70%程度の赤色蛍光体しか得られないことが開示されている以上,当業者が,当該開示内容を超えて,あえて臨界的意義が不明な内部量子効率80%以上の赤色蛍光体を製造する試みを行うとは想定し得ないと主張する。

しかしながら,本件明細書には,個々の蛍光体の内部量子効率が80%以上であることが望ましい旨の記載や研究段階における赤色蛍光体の内部量子効率が今後の製造条件の最適化によって向上する旨の記載が存在するのみならず,蛍光体を用いた発光装置において個々の蛍光体の内部量子効率が高いことが好ましいことは技術常識であるというべきであるから,当業者が内部量子効率80%以上の赤色蛍光体を製造する試みを行うことは自然である。

ウ 被告は,原告が主張する蛍光体の効率を低下させる因子は,本件明細書には記載されておらず,そのほかの因子も存在するから,本件発明1の赤色蛍光体において,どの因子が重要で,どの因子が重要でないかは,当業者でも理解できないし,窒化物蛍光体及び酸窒化物蛍光体には,化学組成により様々な結晶構造を有する蛍光体が存在するから,様々な種類の蛍光体の製造に当たり,確実に内部量子効率の向上をもたらす普遍的な製造方法は知られていないと主張する。

しかしながら,前記のとおり,原告が指摘する各因子がいずれも蛍光体の効率を低下させるものであることは,本件出願時において当業者に周知の事項であったと認められるから,蛍光体を製造する際に,これらの因子について通常の試行錯誤を行うことは当業者の通常の創作活動というべきであって,当業者にとって困難なことということはできない。また,蛍光体化合物の種類によって,いずれの最適化方法を採用するかについて試行錯誤を行うことも,同様に,当業者の通常の創作活動というべきである。

エ 以上のとおり,被告の上記主張はいずれも採用できない。

(4)  小括

よって,仮に,本件構成3について,個々の蛍光体の内部量子効率がそれぞれ80%以上であることが必要であると解するとしても,本件明細書の発明の詳細な説明には,当業者が内部量子効率80%以上の赤色蛍光体を製造することができる程度の記載がされているものということができるから,本件発明1について,本件明細書の発明の詳細な説明の記載が実施可能要件を充足しないとした本件審決の判断は誤りである。

本件発明2,4,6ないし13についても同様である。

4  結論

以上の次第であるから,本件審決は取消しを免れないものである。

(裁判長裁判官 土肥章大 裁判官 井上泰人 裁判官 荒井章光)

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