知財高等裁判所 平成24年(行ケ)10166号 判決 2013年1月17日
原告
グリンデンロック
ジーエムビーエイチ
同訴訟代理人弁護士
赤尾直人
同弁理士
岩﨑孝治
七條耕司
鈴木康裕
被告
特許庁長官
同指定代理人
田合弘幸
石川好文
守屋友宏
横林秀治郎
主文
1 特許庁が不服2010-806号事件について平成23年12月16日にした審決を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
事実及び理由
第1請求
主文1項と同旨
第2事案の概要
本件は,原告が,後記1のとおりの手続において,特許請求の範囲の記載を後記2とする本件出願に対する拒絶査定不服審判の請求について,特許庁が同請求は成り立たないとした別紙審決書(写し)の本件審決(その理由の要旨は後記3のとおり)には,後記4の取消事由があると主張して,その取消しを求める事案である。
1 特許庁における手続の経緯
(1) 原告は,平成15年6月5日,発明の名称を「表底」とする特許を出願(特願2004-510565号。パリ条約による優先権主張日:平成14年(2002年)6月6日及び平成15年(2003年)3月10日,いずれもスイス連邦)したが(甲3の1),平成21年9月9日付けで拒絶査定を受けたので,平成22年1月14日,これに対する不服の審判を請求した。
(2) 特許庁は,前記請求を不服2010-806号事件として審理し,平成23年12月16日,「本件審判の請求は,成り立たない。」との本件審決をし,その謄本は,平成24年1月10日,原告に送達された。
2 特許請求の範囲の記載
本件審決が審理の対象とした特許請求の範囲の請求項1は,平成21年3月26日付けの手続補正(甲3の2)後の次のとおりのものである。以下,そこに記載の発明を「本願発明」といい,本願発明に係る明細書(甲3の1)を「本願明細書」という。
接線方向において弾性変形できる運動靴用表底であって,前記運動靴用表底は,弾性可変部材と,該弾性可変部材に隔てられた上層と下層とを含み,前記弾性可変部材の変形臨界点に達したとき,前記上層と前記下層の相互接触に伴い,前記上層と前記下層の接線方向の平行変形に対して剛性を示すことを特徴とする運動靴用表底
3 本件審決の理由の要旨
(1) 本件審決の理由は,要するに,本願発明が,後記アの引用例1に記載の発明(以下「引用発明1」という。)及び後記イの引用例2に記載の発明(以下「引用発明2」という。)に基づいて,当業者が容易に発明をすることができたものであるから,特許法29条2項の規定により特許を受けることができない,というものである。
ア 引用例1:特開昭56-60503号公報(甲1)
イ 引用例2:実願昭60-13905号(実開昭61-129506号)のマイクロフィルム(甲2)
(2) 本件審決が認定した引用発明1,本願発明1と引用発明1との一致点及び相違点(以下「本件相違点」という。)並びに引用発明2は,以下のとおりである。
ア 引用発明1:長手方向において弾性変形できるスパイク付運動靴用靴底であって,スパイク付運動靴用靴底は,弾性変形可能な柱部と,弾性変形可能な柱部に隔てられたチャンネル部に面した上部分とチャンネル部に面したスパイク装着部とを含むスパイク付運動靴用靴底
イ 一致点:接線方向において弾性変形できる運動靴用表底であって,運動靴用表底は,弾性可変部材と,弾性可変部材に隔てられた上層と下層とを含む運動靴用表底
ウ 本件相違点:本願発明は,弾性可変部材の変形臨界点に達したとき,上層と下層の相互接触に伴い,上層と下層の接線方向の平行変形に対して剛性を示すのに対して,引用発明1は,そのような構成を備えない点
エ 引用発明2:本底,ミッドソール及びヒールウェッジが積層された履物用積層底であって,ヒールウェッジは,弾性変形可能な内胛側壁及び外胛側壁と,内胛側壁及び外胛側壁により隔てられた上壁を含み,着地時に加わる体重の3倍の荷重によるヒールウェッジの圧縮により上壁の突起が直ちにミッドソールの上面に接して更に左右方向へのローリング現象を防止する履物用積層底
4 取消事由
本件相違点の容易想到性に係る判断の誤り
第3当事者の主張
〔原告の主張〕
1 本件審決は,①本願発明の「弾性可変部材の変形臨界点に達したとき」とは,「前記上層と前記下層の相互接触に伴い,前記上層と前記下層の接線方向の平行変形に対して剛性を示す」なる記載により特定される事項以上の技術的事項を含むものではない,②引用発明1において着地に伴い接線方向におけるずれ変形(せん断変形)が生じた場合には,弾性可変部材及びチャンネル部の鉛直方向の高さ,すなわち上層と下層との間の距離が幾分か減少することは,材料力学における技術常識によって明らかである,③引用発明2において,着地時に加わる体重の3倍の荷重によるヒールウェッジの圧縮により上壁の突起が,直ちにミッドソールの上面に接することによって,ヒールウェッジの左右方向及び前後方向への変形に対する抗力を示しており,当該変形は,接線方向の平行変形に相当し,かつ,当該抗力は,本願発明の「剛性」に相当している,④上記①を前提とした場合には,接線方向におけるずれ変形(せん断変形)が生じている引用発明1に対し,技術分野及び課題において共通している引用発明2を適用して,上記②に基づいて引用発明1の上層と下層との距離の幾分かの減少を原因として,下層と直ちに接触し,かつ上層と下層の接線方向への変形に対し上記③による剛性を示す突起を設けることは,当業者が容易に想到可能であって,しかも本願発明の効果は,引用発明1及び2から当業者が予測し得る範囲のものにすぎないとする。
2 ところで,本願発明は,弾性可変部材が「変形臨界点」に達した時点にて,上層と下層との相互接触に伴い,双方の接線方向の平行変形に対して剛性を示すという特徴点(本件相違点に係る構成)によって,ランナーは,微小な推進力にて接触する場合には,走行上の衝撃を十分吸収されるだけでなく,衝撃又は荷重を伴う場合には走行距離の損失なく再推進することも可能であるという作用効果(本願明細書【0008】)を発揮し得る点に基本的技術思想が存在する。
すなわち,運動靴を着用して走行する場合に運動靴にかかる走行力には,身体を前進させるための前後方向(接線方向。【0004】【0009】)の力と,体重を支えるために必要な鉛直方向成分の力とがあるところ,本願発明の弾性可変部材は,変形臨界点に達する前段階において,自ら有している弾性のみを原因として,これらの2つの力に基づき,変形を継続している。そして,本願発明の本件相違点に係る構成は,上記弾性可変部材が変形臨界点に至ってから,相互に接触している上層と下層との間に前後(接線)方向の平行変形が作用して上層と下層とが接線方向に沿った面状を呈することを規定しており(上記作用効果を重視した結果,当該平行変形のみを規定しており,鉛直方向成分の力による変形は,特許請求の範囲の記載に規定していない。),このように面状の上層と下層に対して接線方向の平行変形が生じるように作用する力は,「せん断力」に該当する(甲4)。そして,上層及び下層が相互に接触した段階以降は,接線方向及び鉛直方向における変形は,主として相互に接触した上層及び下層によって左右され,弾性可変部材が自ら有している弾性のみを原因として変形を継続することが不可能であり,「変形臨界点」とは,このような変形を継続することが不可能となった状態のことにほかならない。また,「剛性」とは,「こわさ」ないし荷重に対する材料の変形抵抗であるから,本願発明の弾性可変部材も,ある程度の剛性を備えているところ,本願発明の特許請求の範囲の記載には変形臨界点に達する前の剛性について規定していないのは,変形臨界点以後の上層と下層との相互接触に伴う剛性に比較して,それが無視し得る程度のものであるからにほかならない。
3 前記②についてみると,弾性可変部材において接線方向への平行変形(せん断変形)が生じた場合には,鉛直方向の応力が加えられていない以上,弾性可変部材の鉛直方向の高さを減少させるような要因は,存在しないし(引用例1の第2図Ⅱにおいても,当該減少状態は,生じていない。),材料力学の基礎理論に即しても,当該②を裏付けるような技術常識は,見当たらない。したがって,上記②は,技術常識からみて明らかな誤りである。
そして,引用発明1において,接線方向へのせん断変形の場合に,鉛直方向幅が不変であることを考慮するならば,引用発明2の突起を上層及び下層の間に設けたとしても,当該突起は,下層との間で隙間を形成した状態が継続するというにすぎず,剛性を示すことができないから,当業者は,当該突起によって剛性を発揮させることを想到することが客観的に不可能である。仮に,上記②のように,上層と下層との間の距離の減少を想定したとしても,当該減少量は,極めて微量にすぎないから,上記突起を設けたとしても,当該突起が下層と直ちに接触するという保障はない。
また,仮に,引用発明1の上層に設けられた引用発明2の上記突起が下層に接触する場合を想定したとしても,当該突起の存在によって上層と下層との相互接触が不可能となり,本願発明の本件相違点に係る構成は,実現しないし,本願発明にいう「剛性」は,上層と下層との相互接触を前提とした上での双方の平行変形(せん断変形)に由来しているから,下層と突起との接触による剛性は,本願発明の「剛性」ではない。
以上のとおり,上記②及びこれを前提とする前記④は,いずれも技術的に成立しない。
4 引用発明1の弾性可変部材は,「幾分ずれ変形をおこしながら徐々に停止する」という作用効果を得ることを目的として,前後方向に複数個設けられているものであって,鉛直方向及び水平(接線)方向のクッション性を対象としているのに対し,引用発明2の第2図に示す突起は,踵との接触領域の下部にて発生する左右方向へのローリング現象(左右方向における回転現象。甲7~9)を,ミッドソールとの接触部位及びその近傍において防止することを目的として設置されており,鉛直方向のクッション性のみを対象としているから,双方は,設置される部位及び目的において明らかに相違ないし矛盾している。しかも,引用発明1の弾性可変部材は,走行においては前後方向のローリング現象を生じないから,左右方向へのローリング現象の防止機能を発揮している引用発明2の突起を前後方向に沿って設けることは,技術的に無意味であり,本来不要である。
また,引用発明1の実施例は,空洞又はチャンネル部に柱部よりも柔軟な充填物を挿入することによって,鉛直方向及び水平方向の衝撃に対する強度不足の改善を技術的趣旨としているのに対し,引用発明2の突起は,左右方向のローリング発生に対処するために下層の上面に当接するというにすぎず,少なくとも水平方向の衝撃に対する強度不足の改善とはならない。
このように,引用発明1及び2の結合は,不可能かつ不要であって,両者の結合が容易であることを当然の前提としている本件審決の前記④は,明らかに誤っている。
5 前記③についてみると,本件審決は,接線方向の平行変形に対する「抗力」が「剛性」に相当すると認定判断した上で,引用発明2の左右方向へのローリング現象について,接線方向におけるせん断変形と見なした上で,前記突起が当該せん断変形を防止し得ると評価している。
しかしながら,「抗力」が「剛性」に相当するとの判断は,双方の物理的単位の把握において誤っているし,上記突起は,左右方向への回転現象に対する防止作用にすぎないから,これをせん断変形に対する防止作用と混同することはできない。しかも,引用発明1に引用発明2の上記突起を設置し,これが下層と接したとしても,引用発明1の各チャンネル部において両側の2個の弾性可変部材による鉛直方向の支持状態が3個の弾性可変部材による支持状態に変化したというにすぎず,チャンネル部による空洞は,相変わらず残存しており,上層と下層との相互接触は,実現していない。このような場合,3個の弾性可変部材による変形抵抗は,無視し得るから,本願発明にいう「剛性」が示されることは,あり得ない。
また,前記①についてみると,本願発明の特許請求の範囲の記載からも明らかなように,「剛性を示す」ことは,あくまでも運動靴用表底全体に関する技術的評価であって,弾性可変部材自体に関する技術的評価ではない。むしろ,上記①を貫いた場合,弾性可変部材は,変形臨界点に達したとき以降も相互に接触している上層及び下層とともに剛性を示すことが可能となるが,これは,不合理である。他方,引用発明2の突起が引用発明1の下層に接触したとしても,引用発明1の弾性可変部材すなわち柱部及び当該突起は,いずれも自ら有している弾性のみを原因として,走行に伴う接線方向及び鉛直方向における変形を依然として継続することが可能である。
被告は,そもそもどうして引用発明2の突起が上壁(上層)の一部であるのかについて何ら根拠を示していない。
したがって,上記①及び③を前提として,引用発明1及び2の結合によって本願発明にいう変形臨界点が成立し,かつ,剛性が示されるという本件審決の前記④の判断は,明らかに誤っており,取消しを免れない。
〔被告の主張〕
1 足裏は,体重を支える身体部位であることから,靴底に足裏から鉛直方向の荷重が作用しているが,運動時には,他の方向の力が合わさった合力が作用することになり(乙1),この合力は,鉛直方向の力とこれに直交する水平方向の力とに分力して表現できる。引用例1には,スパイク付き運動靴用靴底をゴム状弾性体で成形することが記載されているが,ゴム状弾性体の上面に対して鉛直方向の力(圧縮力)及び水平方向の力(せん断力)が作用する場合,圧縮力による圧縮変形(高さの減少)とせん断力によるせん断変形(せん断ひずみ)とが複合された変形が発生することは,材料力学における基本的な変形様式であるから,材料力学に基づく技術常識からみて明らかである(乙2)。
したがって,前記〔原告の主張〕1②に係る本件審決の判断に誤りはない。
また,引用発明2における突起は,着地時に上層(上壁)と下層(ミッドソール)との間の距離が減少する際に,直ちに下層の上面に接触させるために上層に設けられた部材というべきである。そうすると,引用発明1及び2は,ともに接地時に上層と下層との間の距離が幾分か減少する点で共通しており,引用発明2の上記突起の設置目的に照らせば,引用発明1に引用発明2を適用する際,突起が直ちに下層と接触するように構成すべきことは,明らかである。
したがって,前記〔原告の主張〕1④に係る本件審決の判断に誤りはない。
なお,引用例2の記載からみて,引用発明2における突起は,上層の一部であり,引用発明2において「突起がミッドソールの上面に接」するとは,「上層が直ちに下層の上面に接」することと同義であるから,本件審決が,引用発明1に引用発明2を適用した際の突起と下層(チャンネル部に面したスパイク装着部)との接触を,本願発明における「上層と下層の相互接触」と同義であるとみなした点に誤りはない。
2 引用例1には,クッション性を確保したスパイク付き運動靴が記載されている一方,引用例2には,クッション性を確保しつつ横揺れ等の防止等を図る履物用積層底が記載されているから,引用発明1及び2は,クッション性を確保した靴底である点で共通している。
引用例1には,実施例の1つとして複数のチャンネル部に充填材を挿入して靴底の強度不足の改善を図ることが記載されている一方,引用例2の記載によれば,引用発明2における突起は,リブ(強度を付与する横方向の強度部材。乙3)としての役目を果たすもので,履物用積層底に強度を付与して左右方向へのローリング現象(振れ)を防止する部材ということができる。したがって,引用発明1において,強度不足の改善を図るために,共通の技術分野に属する引用発明2を適用して,運動靴用表底に強度を付与する突起を上層に設けることは,当業者が容易に想到し得ることである。
また,引用例2の記載によれば,引用発明2においては,着地時に加わる荷重により弾性変形可能な内胛側壁及び外胛側壁が膨張して衝撃を速やかに吸収し,該膨張によって上層と下層との間の距離が減少し,その結果,突起は,下層の上面に接触することで,着地時の衝撃が所定量吸収された(所定のクッション性が確保された)後に,下層の上面に接触するものであるから,引用発明1において,引用発明2の突起を採用することは,引用発明1が備えるクッション性の確保という機能を何ら阻害しない。
以上のとおり,引用発明1及び2は,クッション性を確保した靴底という共通の技術分野に属するものであって,引用発明1には,強度不足の改善を図るという技術課題,すなわち引用発明2における突起を採用する動機付けがあり,しかも,これを採用することは,引用例1が備えるクッション性の確保という機能を阻害しないから,これに反する原告の主張は当たらない。
3 引用発明2における突起は,下層の上面との接触により両者の間に生じた摩擦力により,突起の下面の下層の上面に対する左右方向への変位が抑制され,それによりヒールウェッジの左右方向への変形に対する対抗力を生じさせていることが明らかである。また,引用発明2は,高弾性素材から形成され,内部に大きな空間部が形成されたヒールウェッジを有する構造とされている。
他方,走行や歩行は,両足の相互の前後方向の体重移動により実現されること及び走行や歩行中に屈伸や進展といった踝関節の矢状面内の運動(水平軸周りの縦方向運動)が生じること(乙4,5)から,靴底には,走行中の着地及び体重の移動時に,体重に起因する鉛直方向の荷重のほか,踝関節等の身体部位の動きに起因する前後方向の力や水平方向の力が作用しており,また,内部に空間部を有する構造においては外力による変形が生じやすいことに留意すれば,引用発明2において,走行中の着地及び体重の移動時に,前後方向及び左右方向の変形,すなわち前後方向の縦揺れ及び左右方向の横揺れが生じることは,明らかである。
そして,引用発明2における突起の作用に照らせば,当該突起と下層の上面に対する接触により,下層の上面に対する前後方向への変位を抑制し,それによりヒールウェッジの前後方向への変形に対する抗力が生じることにより,前後方向の縦揺れを抑制する作用も備えることは,自明である。そうすると,引用発明2は,突起と下層の上面との接触により,ヒールウェッジの左右方向及び前後方向への変形(接線方向の平行変形)に対する抗力を示すものであるといえる。なお,「剛性」は,荷重に対する材料の変形のし難さであるのに対し,「抗力」は,一般に,「物体表面に働いて,その運動を妨げる力。運動に垂直な成分は垂直抗力,平行な成分は多くの場合摩擦力である。」(乙6)とされるから,引用発明2において,「抗力」が接触面という微視的な視点からその力の作用を表現したものであり,「剛性」がヒールウェッジという巨視的な視点からその性質を表現したものであるということができる。
なお,「剛性」を備えるか否か,すなわち荷重に対する材料の変形がし難いか否かは,基準とされる変形量や荷重,あるいは比較対象物等との関係において判断され得るものであるところ,本願明細書等には,「剛性」の判断基準が何ら記載されていないし,引用発明1の上層と下層との間に引用発明2の突起を介在させ,これが下層と接した場合,引用発明1のチャンネル部において,両側の2個の弾性可変部材による鉛直方向の支持状態が3個の部材による支持状態に変化するのであるから上層と下層の左右方向及び前後方向への変形に対する抗力及び剛性が,接触前に比較して高まることは,明らかである。
よって,前記〔原告の主張〕1③に係る本件審決の判断に誤りはない。
4 本願明細書の記載(【請求項1】【請求項3】【請求項4】【0011】)によれば,本願発明における「弾性可変部材」とは,「上層と下層とが相互接触する変形臨界点まで一応変形可能な部材」であり,変形臨界点に達した後は,運動靴用表底全体(上層,下層及び弾性可変部材を含む。)として,上層と下層の接線方向の平行変形に対して剛性を示すものであることが理解できる。そして,本願発明にいう「弾性可変部材の変形臨界点」とは,「弾性可変部材の変形が不連続的に変わる境界点」と解される(甲5参照)。また,本願発明の記載(【0015】図3a及びb)には,管状部が垂直及び水平変形して荷重を初期弾性吸収し,更に管状部の変形量が増大して上部シェルと下部シェルとを相互接触させるものになったとき,垂直及び水平変形が残余弾性により許容される微少な変形のみとなり,上部シェルと下部シェルとの相互接触に伴い,両者の垂直方向の押圧変形及び水平方向の平行変形に対し高い抵抗性を示す運動靴用表底の実施例が記載されているといえるから,管状部(弾性可変部材)の変形の態様が大きく変わる,上部シェルと下部シェルとを相互接触させる状態となった点を変形の境界点,すなわち「変形臨界点」としているものであり,これは,本願発明の「弾性可変部材の変形臨界点」に関する上記解釈と整合する。
そして,上記実施例の上部シェル(上層)と下部シェル(下層)とを相互接触させて弾性可変部材の変形臨界点に達したとき,上部シェル(上層)と下部シェル(下層)の水平方向の平行変形(接線方向の変形)に対して高い抵抗性(剛性)を示すものといえるから,前記〔原告の主張〕1①に係る本件審決の認定判断に誤りはなく,また,前記〔原告の主張〕1④に係る本件審決の判断に誤りはない。
なお,「臨界」とは,日本語として「①さかい。境界。②〔理〕物理的性質が不連続的に変わる境界。」を意味する(甲5)ことを考慮しても,本願明細書には,原告が主張するような「変形臨界点」とは弾性可変部材が自ら有している弾性のみを原因として,走行に伴う接線方向及び鉛直方向における変形を継続することが不可能となった状態を表していると解すべき理由はない。
第4当裁判所の判断
1 本願発明及び引用発明1について
(1) 本願明細書の記載について
本願発明は,前記第2の2に記載のとおりであるが,本願明細書には,本願発明について,おおむね次の記載がある。
ア 本発明は,表底,特に接線方向に弾性変形される運動靴用表底に関する(【0001】)。
イ 本願明細書において,接線方向の変形は,例えば,せん断により引き起こされる表底の面又はその外面に平行又はその接線方向における変形をいう。そのような変形は,表底の,例えば圧縮により引き起こされる表底の面又はその外面に垂直な方向における変形とは異なる。水平面において,接線方向は,水平方向と略一致し,法線方向は,垂直方向と略一致する(【0002】)。
ウ クッション等により弾性を備える表底は,公知であり,このようなクッションは,ランニング中に発生する衝撃を弾性的に吸収し,特にランナーの関節を保護すると同時に快適なランニング経験を提供するためのものである(【0003】)。市場で入手可能な運動靴は,垂直方向又はランニング面の法線方向においてスプリング効果をソールの圧縮形態として優先的に提供するスプリング特性を有する。しかし,そのような表底は,水平又は接線方向において相対的に剛性を有してランナーの足が地面に傾いて接触する場合,十分なスプリング効果を提供できず,推進力が低い。水平方向における相当な変形力により浮遊効果が必然的に誘発されるため,水平方向又は接線方向におけるそのような剛性が求められる。また,ランナーがランニング方向における推進時にソールが反対方向に微妙に変形されるため,各ステップにおいて少なくとも特定距離が損失される。このような浮遊効果は,公知の運動靴で,ある程度みられる(【0004】)。
エ 本発明は,前記浮遊効果をなくすことができ,接線方向において十分に柔らかく,かつ,弾力的なシンプルなデザインの表底を開示することを目的とする(【0005】)。
オ 本発明の目的は,接線方向に変形可能な表底により達成され,表底は,臨界点まで変形される領域における少なくとも1つの変形臨界点以上の接線変形に対してのみ実質的に剛性であることを特徴とする(【0006】)。このような変形臨界点まで到達するのに必要な表底に掛かる荷重及び少なくとも1つの変形臨界点が表底の硬度及び弾力を調節することから,適切に選択されれば広い範囲の変形に対して接線方向に柔らかく,かつ,弾力的であり,変形臨界点がランニング中に局部的に限定された限度においてのみ,すなわちこのような最大荷重が適用されるソールの領域においてのみ,及びそのような最大荷重が発生する時点近傍においてのみ,到達する表底が実現できる(【0007】)。ランナーの足が地面に傾いて及び/又は微少な推進力で接触する場合,衝撃が十分に吸収されるだけでなく,それぞれの衝撃又は荷重適用地点において優れた安定性が確保され,このような点から,ランナーは,距離の損失なく再推進できるようになり,前記浮遊効果は,このようにして防止される(【0008】)。
カ 弾性変形できる摩擦係数が高いゴム材料でできた断面管状の複数の中空部材(管状部)を底部に横向きに備えたランニングシューズが,このシューズに傾いた前方荷重が掛かった状態で地面と接触すると,当該管状部は,荷重を初期弾性吸収した後に完全に圧着され,これにより,管状部内部において上部シェルと下部シェルとの間で摩擦結合が起きる。この摩擦結合は,管状部の他の変形に対する高い抵抗性を誘発する。管状部は,材料の残余弾性により無視可能な程度でさらに変形できる。表底のこのような位置及び状態において,ランナーは,水平シフトが実質的にこれ以上起こらない方式で地面と接触するため,優れた安定性を有する(【0014】【0015】)。また,ランナーは,ランニングシューズを前傾させて接地させ,後上方に力を加えるステップで走る際に,距離の損失なく推進できる。すなわち,管状部の上記摩擦結合は,推進時に発生する荷重(力)の方向(後上方)に,管状部が著しい程度に水平変形されないようにする(【0016】)。上記ランニングシューズにより,ランナーは,不安感を持たずに地面と正しく堅固に接触する(【0017】)。
キ ゴム材料からなる管状中空部材が,表底の全表面にかけて延長された上部層及び下部層の間に配置され,それぞれの層に堅固に連結された表底の機能は,前記カに記載のランニングシューズの表底の機能と本質的に同一であり,管状中空部材が圧着される場合,管状中空部材内部において上部シェルと下部シェルとの間で摩擦結合が形成される。しかし,荷重下における管状中空部材の変形は,下部層により適用された推力効果に起因して大きな領域にかけて分布する(【0020】)。また,このような摩擦結合を形成する代わりに,択一的又は付加的に,上部層及び下部層の間に相互に対応した歯形部を配置し,これによりポジティブ結合を形成することもできる(【0022】)。
(2) 本願発明について
ア 「変形臨界点」及び「剛性」の意義について
(ア) 本願発明の特許請求の範囲の記載は,「前記運動靴用表底は,…前記弾性可変部材の変形臨界点に達したとき,前記上層と前記下層の相互接触に伴い,前記上層と前記下層の接線方向の平行変形に対して剛性を示す」としているが,ここにいう「変形臨界点」及び「剛性」との文言は,その意義が一義的に明らかとはいい難い。
そこで,本願明細書の記載を参酌すると,そこには,弾性可変部材の「変形臨界点」について,それ以上の接線変形に対してのみ実質的に「剛性」であり,このような「剛性」を示す「変形臨界点」まで到達するために表底に対する荷重が必要とされるものであるとの記載(前記(1)オ)があるから,「変形臨界点」とは,表底に接線方向に向けた荷重が掛かった場合に「剛性」を示すこととなる限界点であると理解することができる。さらに,本願明細書には,表底に設けられた弾性可変部材である管状部が,接地により完全に圧着されて管状部内部において上部シェルと下部シェルとの間で摩擦結合が生じる際に,材料の残余弾性により無視可能な程度にさらに変形できるものの,水平シフトが実質的にこれ以上起こらない方式で地面と接触するため,優れた安定性を有することとなるばかりか,当該摩擦結合の結果,管状部が著しい程度に水平変形(平行変形)されなくなり,ランナーも地面と堅固に接触することが可能になる旨の記載がある(前記(1)カ)ほか,当該摩擦結合の代わりに歯形部によるポジティブ結合でもよい旨の記載がある(前記(1)キ)。
そして,本願明細書のこれらの記載は,上記「変形臨界点」及び「剛性」に関する本願発明の特許請求の範囲の記載部分に対応して,本願発明の作用機序を明らかにしているものであるから,これらの記載を参酌すると,本願発明の「変形臨界点」とは,弾性変形体を備える表底に荷重が掛かった場合に,無視可能な程度を除けば,荷重により圧着した(上層と下層とが相互接触した)弾性可変部材が当該荷重によりそれ以上変形できない状態となる限界を意味しており,「剛性」とは,弾性可変部材が「変形臨界点」に達したことにより,本願発明(表底)が,やはり無視可能な程度を除き,接線方向にそれ以上平行変形できない状態となることを意味しているものと解するのが相当である。
(イ) この点について,被告は,本願発明の「変形臨界点」が,管状部の上部シェルと下部シェルとが相互接触される状態となった点であると主張する。
しかしながら,本願明細書においては,もっぱら弾性可変部材が荷重によって完全に圧着されて管状部の上部シェルと下部シェルとの間に摩擦結合が生じている場合を想定しており,当該摩擦結合の結果として,管状部が著しい程度に水平変形されなくなり,ランナーも地面と堅固に接触することが可能になることが想定されている(前記(1)カ)ばかりか,本願発明は,弾性可変部材が「変形臨界点」に達したときに,平行変形に対して「剛性」を示すとされているのであるから,そのような強固な接触及びこれに伴う部材の強固な緊張をもたらす限界点である「変形臨界点」が,単に管状部の上部シェルと下部シェルとが相互接触される状態となっただけで達成されるものとは解されない。
よって,被告の上記主張は,採用できない。
イ 本願発明の技術的思想について
以上によれば,本願発明は,既存の運動靴の表底が接地の際に弾性を備えていることを前提として,当該弾性が接線方向に対してスプリング効果を提供できず,浮遊効果が誘発されるために推進力が弱いばかりか,前方に対する推進時にソールが後方に変形されるために各ステップで特定の距離が損失されるという課題を解決するため(前記(1)ウ),表底の上層と下層との間に弾性変形できる摩擦係数が高い材料でできた部材(弾性可変部材)を配置し,あるいはこれに加えて上層と下層に相互に対応した歯形部を配置するという構成を採用することで,運動靴の使用者による走行に伴い前方荷重が掛かった状態で表底が接地した場合に,荷重により圧着した弾性変形部材が(無視可能な程度を除けば)それ以上変形できない状態となり,これによりそれ以上接線方向に平行変形できなくなった表底が摩擦結合を生じさせ,あるいは歯形部にポジティブ結合を生じさせる(前記(1)カ及びキ)ことで,接地による衝撃が吸収されるだけでなく,接地した荷重適用地点において優れた安定性が確保され,浮遊効果を防いで使用者が距離の損失なく再推進できるようになるという作用効果を有する(前記(1)オ)ものであるといえる。
(3) 引用発明1について
ア 引用例1の記載について
本件審決が認定した引用発明1は,前記第2の3(2)アに記載のとおりであるが,引用例1は,「スパイク付運動靴」という名称の発明に係る公開特許公報であって,そこには,おおむね次の記載がある。
(ア) スパイクを装着したスパイク装着部を持った下部辺と,複数個の柱部と空洞若しくはチャンネル部を設けた上部辺からなることを特徴とする靴底を備えたスパイク付き運動靴(特許請求の範囲)
(イ) 本発明のスパイク付き運動靴は,その靴底の改良に関するものであって,靴着用者が着地したときにその靴底の接地面が地面と接したときに,その上部辺がわずかに前方へずれ,変形して幾分揺れるようにして徐々に停止するような構成にすることにより,いわゆるガツンと急速に停止することをなくし,地面からの強い反力を減殺して靴着用者の足に疲労や傷害をもたらすおそれを未然に防止しようとするものである。
(ウ) 本発明は,上記課題を克服するために,反復して生ずる屈折力に耐える強靱さを持つ材料で厚い層の靴底を形成し,その靴底の下部辺に対して,上部辺がずれ変形しやすいようにした空洞又はチャンネル部と,鉛直方向に加わる荷重(着地圧力)を受ける柱部を形成し,着地したとき,足裏が急速に停止することがないようにし,地面からの強い反力を緩和減殺して靴着用者の足の疲労や傷害発生を未然に防止しようとするものである。
(エ) 本発明は,その構成により,靴底がまずその下部辺のスパイク等によって地面等を捕らえるが,上部に形成した空洞又はチャンネル部が前方に幾分ずれ,変形した後に停止するため,急速に停止したときのように地面からの強い反力をそのまま受けないで,緩和し減殺された反力を受けることになる。靴底は,合成ゴム等のゴム状弾性体で成形すれば,屈折力が反復して作用する状態の下であっても,容易に破損することがない。靴底のスパイクの上部に設ける柱部を,その長手方向の中間部辺を大径部とし,その上下両部辺又はその一方を中間部辺より狭小の小径部に形成することで,柱部がスパイクに加わる鉛直方向の荷重に耐えることができるとともに,靴底の上部分とスパイク装着部との間のずれ変形を生じやすくすることができる。また,空洞又はチャンネル部に柔軟な充填材を挿入することで,強度が不足する場合等の調節をすることができる。
(オ) 靴着用者が着地したときに生じる斜め上方から地面に加わる運動量を,着地と同時に停止させようとすれば,この運動量に相当する力積となる反力を地面から受けることになる。このようなとき,本発明に掛かるスパイク付き運動靴の靴底は,その上部辺が前方に屈折(傾斜)し,あるいは下部辺のスパイク装着部のスパイク等が後方に移動し若しくはスパイク等の先端が後方に傾斜することにより,靴底の下部辺が地面を捕まえてから上部辺が完全に停止するまでにわずかな時間ずれ変形が生じた後に静止することになる。このとき加わる力積の大きさは,(力)×(時間)で表され,そのときの力積は,着地寸前の運動量であるから,靴の構造にかかわらず一定である。したがって,力と時間の大きさは,互いに反比例する。このため,静止までの時間が長くかかると反力が小さくなる。このように,着地してから完全に静止するまでの時間が長くなれば,必然的に地面からの反力の大きさも小さくなり,靴着用者の足に及ぼす反力も小さくなって,足の疲労はもちろん,傷害をもたらすおそれが少なくなる。
イ 引用発明1の技術的思想について
以上によれば,引用発明1は,スパイク付き運動靴が,接地の際に急速に停止する機能を有していることを前提として,その機能のために着用者に足の疲労や傷害をもたらすおそれがあるという課題を解決するため,反復して生ずる屈折力に耐える強靱さを持つ材料(ゴム状弾性体等)で作られた靴底について,下部辺の上方に柱部を設けて上部辺との間に空洞部又はチャンネル部を設ける構成を採用することで,靴底が接地して停止したときに,柱部の弾性変形によって,まずその上部辺がわずかに前方へずれ,次いで後方に戻ることで接地による衝撃を吸収し,幾分揺れるようにして徐々に停止するようにして,急速に停止することをなくし,地面からの強い反力を減殺して靴着用者の足に疲労や傷害をもたらすおそれを未然に防止するという作用効果を有するものであるといえる。
2 本件相違点の容易想到性について
(1) 技術分野,解決課題及び作用効果について
引用発明1と本願発明とは,いずれも運動靴の靴底(表底)に関するものであって,技術分野を同一にする。
しかしながら,引用発明1は,前記1(3)イに説示のとおり,スパイク付き運動靴が,接地の際に急速に停止する機能を有していることを前提として,その機能に起因する課題を解決し,靴底の上部辺が幾分揺れるようにして徐々に停止するという作用効果を有するものであるに対し,本願発明は,前記1(2)イに説示のとおり,既存の運動靴の表底が接地の際に弾性を備えていることを前提として,その機能に起因する課題を解決し,表底をそれ以上変形しない状態にして摩擦結合等を生じさせ,運動靴が接地した地点に堅固に安定させるという作用効果を有するものである。このように,引用発明1は,運動靴の接地に伴う急速な安定性を解消して弾性をもたらそうとするものであるのに対し,本願発明は,運動靴の接地に伴う弾性を解消して安定性をもたそうとするものであって,その解決課題及び作用効果が相反している。したがって,引用例1には,本願発明の本件相違点に係る構成を採用することについての示唆も動機付けもない。
むしろ,引用発明1は,接地による荷重が掛かった際に上部辺が前後に揺れるように構成されているものであるから,引用例1には,これとは相反する本願発明の本件相違点に係る構成を採用することについて阻害事由があるということができる。
(2) 引用発明2について
ア 引用例2の記載について
引用発明2は,前記第2の3(2)エに記載のとおりであるが,引用例2は,「履物用積層底」という名称の考案に係るものであって,そこには,おおむね次の記載がある。
(ア) 複数層の高分子弾性体よりなる履物用積層底において,本底の上面に略本底に倣う大きさの高分子弾性体のミッドソールが積層され,ミッドソールの上面にその踵部からふまず部にかける範囲の形状に倣う大きさで空間部を有するヒールウェッジが積層され,上記ヒールウェッジの内胛側壁の厚みが外胛側壁の厚みより大きいように構成され,少なくともヒールウェッジの上壁内面に側壁の高さ以下の高さである突起が突設されていることを特徴とする履物用積層底(実用新案登録請求の範囲)
(イ) 本考案は,走行中のクッション性を保持し,かつ,横振れを防止し,衝撃吸収性と安定性とを兼ね備え,軽量化を図り得る履物用積層底に関する。
(ウ) 走行中における下肢の動きは,身体の中心線上で着地するように内側へ巻き込むようになる。この動きは,着地後も足の内側へのローリング現象となって作用する。殊に長距離走やジョギングにおいては,多くの場合,踵より着地が行われるが,着地に際しては,体重の2.5ないし3倍の衝撃が加わり,また,着地後足部に加わる圧力は,足部外胛側から外胛弓状彎曲を経て内胛側に移動し,巨骨・踵骨間の関節の構造も加味されて,踵内側へ力がかかることになる。近年,高品質の発泡体がランニングシューズのミッドソールやヒールウェッジ等に使用され,着地時の衝撃は,大幅に緩和されるに至ったが,クッション性の向上は,着地及び体重の移動時にある程度のローリングを助長し,走行を不安定にするとともに,この状態で走行を続けるとさらにローリングが過剰(過回内)となり,その結果,踝や膝部に不自然な力が加わり,膝痛などのランニング障害が起こる。
(エ) 本考案は,かかる障害を克復するために,履物用底の踵部上面にその輪郭に倣うよう形成され空間部を有するヒールウェッジを積層してなり,軽量化をはかり,走行中の安定性の向上,クッション性と衝撃吸収性との向上,横振れ防止,過回内防止等を同時に満足することを目的とする。
(オ) 本考案は,ヒールウェッジとミッドソールとの間に空気が密閉され,少なくともヒールウェッジの上壁の内面には側壁と略等高なる柱状の突起が突設されているように構成されており,着地時に加わる体重の3倍の荷重が加えられた際に,ヒールウェッジの圧縮により上壁の突起が直ちにミッドソールの上面に接して,左右方向へのローリング現象を防止し得る。
イ 引用発明2の技術的思想について
以上によれば,引用発明2は,ランニングシューズの靴底が接地の際にクッション性(弾性)を備えていることを前提として,当該弾性により足の内側へのローリング現象が過剰となり,踝や膝部に不自然な力が加わってランニング障害を生じるという課題を解決するため,踵部の下部に当たる靴底に弾性変形可能な側壁により隔てられた上層(上壁)及び下層(ミッドソールの上面)からなる空間部を設け,上層から側壁とほぼ同じ高さの柱状の突起を設けるという構成を採用することにより,接地の際に突起が直ちに下層に接することでローリング現象を防止するという作用効果を有するものであるといえる。
(3) 引用発明1に引用発明2を組み合わせることについて
ア 引用発明1及び2は,いずれも運動靴の靴底(表底)に関するものであって,技術分野を同一にする。
しかしながら,引用発明1は,前記1(3)イに説示のとおり,スパイク付き運動靴が,接地の際に急速に停止する機能を有していることを前提として,その機能に起因する課題を解決し,靴底の上部辺が幾分揺れるようにして徐々に停止するという作用効果を有するものであるのに対し,引用発明2は,前記(2)イに説示のとおり,ランニングシューズの靴底が接地の際に弾性を備えていることを前提として,その機能に起因する課題を解決し,上層に設けられた突起が直ちに下層に接することで足を内側に巻き込むローリング現象を防止するという作用効果を有するものである。このように,引用発明1は,運動靴の接地に伴う急速な安定性を解消して弾性をもたらそうとするものであるのに対し,引用発明2は,運動靴の接地に伴う弾性を解消して安定性をもたそうとするものであって,その解決課題及び作用効果が相反している。したがって,引用例1には,引用発明1に引用発明2を組み合わせることについての示唆も動機付けもない。
イ また,前記1(2)ア(ア)及びイに説示のとおり,本願発明の「変形臨界点」とは,弾性変形体を備える表底に荷重が掛かった場合に,無視可能な程度を除けば,荷重により圧着した(上層と下層とが相互接触した)弾性可変部材が当該荷重によりそれ以上変形できない状態となる限界を意味しており,「剛性」とは,弾性可変部材が「変形臨界点」に達したことにより,本願発明(表底)が,やはり無視可能な程度を除き,それ以上接線方向に平行変形できない状態となることを意味しているものと解され,本願発明は,このようにして得られる「剛性」によって,靴底の弾性を解消するものである。他方,引用発明2は,前記イに説示のとおり,上層に設けられた突起が直ちに下層に接することで靴底の弾性を解消するものであって,本願発明とは弾性を解消する作用機序が異なるから,引用例2の記載(前記(2)ア(ウ))によれば,突起を含む各部材は,いずれも弾性可変材料で構成されているものと認められるものの,それが荷重により下層に接した場合に,当該突起及びこれを含む靴底が,当該荷重によりそれ以上変形できない状態となっているか否かは,不明であるというほかない。したがって,仮に引用発明1に引用発明2を組み合わせたとしても,それによって本願発明の本件相違点に係る構成が実現されるものではない。
(4) 被告の主張について
ア 被告は,引用発明1及び2が,接地の際に鉛直方向の荷重がかかり,空洞部の上層と下層との間の距離が減少する点で共通しているから,引用発明1に引用発明2を適用することができると主張する。
しかしながら,引用発明1は,スパイク付き運動靴が接地の際に急速に停止するため,接線方向への力が着用者の足の疲労や傷害をもたらすことを解決課題としているから,接線方向への力により強く着目したものであるのに対し,引用発明2は,ランニングシューズが接地する際に,足の内側に鉛直方向の力がかかり,これによりローリング現象が生じることを解決課題としているから,鉛直方向への力により強く着目したものである。したがって,運動靴が接地する際に,接線方向に力がかかるほかに,重力に従って鉛直方向にも荷重がかかることは,それ自体否定できないものの,引用発明1は,鉛直方向の力を必ずしも重視した発明ではないから,そのことによって,引用発明1及び2を組み合わせることが動機付けられるというものではない。
よって,被告の上記主張は,採用できない。
イ 被告は,引用発明2の突起が上層の一部を構成し,これが下層に接することで生じる抗力が本願発明の「剛性」と一致するから,突起が下層に接触することが本願発明における「上層と下層の相互接触」に当たると主張する。
しかしながら,引用発明2の上層(上壁)は,それによって下層(ミッドソールの上面)との間に空洞部を形成する部材であって,本願発明のように荷重による圧着により下層と相互接触することが想定されていないし,引用発明2の突起は,接地の際にそれが直ちに下層に接することでローリング現象を防止するものであって,本願発明の上層のように弾性可変部材が変形臨界点に達した際の下層との相互接触に伴って接線方向の平行変形に対する剛性を示すというものではない。このように,引用発明2の上層及び突起並びに本願発明の上層は,いずれもその機能を異にしているから,異なる部材であるというほかない。したがって,引用発明2の突起が下層に接することは,本願発明の「上層と下層の相互接触」には相当しないというべきである。
また,引用発明2において,接地の際に突起が下層に接する場合には,鉛直方向の力のほかに,接線方向の力も突起に加わっていることを否定できないから,突起が下層に接することで生じる力であって,当該接線方向の力に抵抗を示す力(抗力)は,それによって靴底の弾性を解消するという点で,本願発明の「剛性」と機能を共通にしているといえる。しかしながら,本願発明の「剛性」は,前記(3)イに説示のとおり,荷重により圧着した(上層と下層とが相互接触した)弾性可変部材が荷重によりそれ以上変形できない状態となる限界(変形臨界点)に達したことにより得られるものであるのに対し,引用発明2は,突起が荷重により下層に接した場合に,それ以上変形できない状態となっているか否かが不明であるというほかないから,仮に突起の下層への接触が本願発明における「上層と下層の相互接触」に該当するとしても,それによって本願発明の弾性可変部材が「変形臨界点」に達したことにより得られる「剛性」を示すものではない。
よって,被告の上記主張は,採用できない。
ウ 被告は,引用発明1及び2が,クッション性を確保した靴底である点で共通していると主張する。
しかしながら,引用発明1は,それによる作用効果として運動靴の接地に伴う急速な安定性を解消して弾性がもたらされるものであるのに対し,引用発明2は,運動靴の接地に伴う弾性を解消して安定性をもたらすことを解決すべき課題としているから,両者がクッション性(弾性)を確保した靴底である点で共通していると評価することはできない。
よって,被告の上記主張は,採用できない。
エ 被告は,引用発明1が強度不足の改善を図るものであり,引用発明2が突起により強度不足を改善するものであるから,当業者が両者を組み合わせることを容易に想到し得たと主張する。
しかしながら,引用例1には,空洞部に柔軟な充填材を挿入することで強度不足を調節する旨の記載があるものの,引用発明2の突起は,接地の際にそれが直ちに下層に接することでローリング現象を防止するものであって,その機能を異にしているから,両者は,異なる部材であるというほかなく,引用例1に強度不足の改善に関する記載があるからといって,引用発明2を組み合わせることを動機付けることにはならない。
よって,被告の上記主張は,採用できない。
(5) 小括
以上のとおり,引用発明1及び2と本願発明とは,いずれも運動靴の靴底(表底)に関するものであって,技術分野を同一にするが,引用発明1は,運動靴の接地に伴う急速な安定性を解消して弾性をもたらそうとするものであるのに対し,引用発明2及び本願発明は,運動靴の接地に伴う弾性を解消して安定性をもたらそうとするものであって,その解決課題及び作用効果が相反しているから,引用例1には,本願発明の本件相違点に係る構成を採用すること又は引用発明2を組み合わせることについての示唆も動機付けもないばかりか,引用発明1は,接地による荷重が掛かった際に上部辺が前後に揺れるような構成を採用しているため,これとは相反する本願発明の本件相違点に係る構成を採用することについて阻害事由があるということができ,さらに,仮に引用発明1に引用発明2を組み合わせたとしても,それによって本願発明の本件相違点に係る構成が実現されるものではない。
したがって,引用例1に接した当業者は,これに引用発明2を適用して本願発明の本件相違点に係る構成を容易に想到することができたということはできない。
3 結論
以上の次第であるから,原告主張の取消事由には理由があるから,本件審決は取り消されるべきものである。
(裁判長裁判官 土肥章大 裁判官 井上泰人 裁判官 荒井章光)