知財高等裁判所 平成24年(行ケ)10280号 判決 2013年3月28日
原告
マイクロ・トーク・システムズ株式会社
同訴訟代理人弁護士
鳥海哲郎
加藤はるか
関真也
小林亮
同弁理士
塩谷英明
伊藤健太郎
被告
株式会社マトリックス
同訴訟代理人弁護士
岡嶋豊
佐木山友香
福田あやこ
同弁理士
森下八郎
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第1請求
特許庁が無効2011-800213号事件について平成24年6月22日にした審決を取り消す。
第2事案の概要
本件は,原告が,後記1のとおりの手続において,被告の後記2の本件発明に係る特許に対する原告の特許無効審判の請求について,特許庁が同請求は成り立たないとした別紙審決書(写し)の本件審決(その理由の要旨は後記3のとおり)には,後記4のとおりの取消事由があると主張して,その取消しを求める事案である。
1 特許庁における手続の経緯
(1) 本件特許
被告は,平成16年8月5日,発明の名称を「動態管理システム,受信器および動態管理方法」とする特許出願をし,平成23年6月17日,設定の登録(特許第4763982号。請求項の数7)を受けた(甲1)。以下,この特許を「本件特許」といい,本件特許に係る明細書(甲1)を「本件明細書」という。
(2) 原告は,平成23年10月24日,本件特許の請求項1ないし7に係る特許について,特許無効審判を請求し,無効2011-800213号事件として係属した。
(3) 特許庁は,平成24年6月22日,「本件審判の請求は,成り立たない。」旨の本件審決をし,同年7月3日,その謄本が原告に送達された。
2 特許請求の範囲の記載
本件特許の特許請求の範囲請求項1ないし7の記載は,次のとおりのものである(以下,順に,請求項1記載の発明を「本件発明1」などといい,これらを併せて「本件発明」という。)。なお,文中の「/」は,原文の改行箇所を示す。
【請求項1】第1の位置に設けられ,第1特性を有し,IDタグを起動するトリガ信号を出力する,第1トリガ信号発信器と,/第2の位置に設けられ,前記第1と異なる第2特性を有するトリガ信号を出力する,第2トリガ信号発信器と,/前記第1および第2トリガ信号発信器からのトリガ信号に応答して,ID番号を出力するIDタグとを含み,/前記IDタグは,受信したトリガ信号を特定する情報とともに前記ID番号を出力し,/前記IDタグが出力した,トリガ信号を特定する情報およびID番号を受信する受信器とを含む,動態管理システム
【請求項2】前記IDタグは,前記トリガ信号ごとの異なる特性を記憶する記憶手段を含む,請求項1に記載の動態管理システム
【請求項3】前記トリガ信号発信器の相互に異なる特性は,トリガ信号のIDによって区別される,請求項1または2に記載の動態管理システム
【請求項4】さらに,現在時刻を検出する現在時刻検出器を含み,前記受信器の受信したID番号を前記現在時刻とともに記憶する,請求項1から3のいずれかに記載の動態管理システム
【請求項5】前記受信器は複数のトリガ信号発信器に対して1個設けられる,請求項1から4のいずれかに記載の動態管理システム
【請求項6】IDタグを起動するトリガ信号に応答して,ID番号を出力するIDタグが出力したID番号を受信する受信器であって,/前記トリガ信号は,それぞれが異なる位置に設けられ,相互に異なる特性を有するトリガ信号を出力する,複数のトリガ信号発信器から出力され,/前記IDタグは,受信したトリガ信号を特定する情報とともに前記ID番号を出力し,/前記IDタグが出力した,トリガ信号を特定する情報と,前記ID番号とを受信する,/受信器
【請求項7】異なる位置に設けられたトリガ信号発信器から,IDタグに対して相互に異なる特性を有し,IDタグを起動する複数のトリガ信号を出力するステップと,/トリガ信号発信器からのトリガ信号に応答して,受信したトリガ信号を特定する情報とともにID番号を出力するIDタグを,前記異なる位置を通過させるステップと,/受信器によって,IDタグが出力した,トリガ信号を特定する情報およびID番号を受信するステップとを含む,動態管理方法
3 本件審決の理由の要旨
(1) 本件審決の理由は,要するに,①原告従業員Aが被告従業員Bに宛てた平成15年11月14日付け電子メール(以下「Aメール」という。)の添付ファイル(甲5の2。以下「本件添付ファイル」という。)に記載された発明がAにより着想された発明であるとまではいえず,また,仮に,Aが本件添付ファイルに記載された発明を着想し,Bに提示していたとしても,Aが本件発明1の発明者の少なくとも1人であるとはいえないから,本件発明1に係る特許は,発明者でない者であってその発明について特許を受ける権利を承継しないものの特許出願に対して特許されたものではなく,また,特許法38条の規定に違反して特許されたものでもない,②本件発明2ないし7も,同様の理由により,発明者でない者であってその発明について特許を受ける権利を承継しないものの特許出願に対して特許されたものではなく,また,特許法38条の規定に違反して特許されたものでもない,などとしたものである。
(2) 本件審決は,その判断の前提として,本件添付ファイルに記載された発明(以下,本件審決に倣い,「甲5発明」という。)を,以下のとおり認定した。
甲5発明:各出入口に設置したトリガーANTから,各トリガーのID情報を受信機に送ることによりTAG(人)の入退情報を把握する装置又は方法
4 取消事由
Aが本件発明の発明者又は共同発明者でないとした認定判断の誤り
第3当事者の主張
〔原告の主張〕
1 甲5発明の着想者の認定の誤りについて
(1) Aは,甲5発明を着想したにもかかわらず,本件審決は,Aが甲5発明を自ら着想したとまではいえないと判断しており,事実誤認である。
(2) Aメールにいう「客先」とは,株式会社東芝又はその関連会社(以下,併せて「東芝」という。)である。東芝は,原告に対し,電話やメールで要望や問合せをすることがしばしばあったが,本件添付ファイルに記載されているような具体的な実現方法を問い合わせてくることはなく,常に,Aが,東芝から表明された課題や懸念に対する具体的な解決方法や実現方法等を提案するなどしていた。本件添付ファイルは,東芝が着想した内容を全く含んでおらず,東芝からの抽象的な問合せに応え,課題を解決するために,全てAが具体的に着想した内容(解決方法)である。
仮に本件添付ファイルに東芝の従業員が着想した内容が含まれていると仮定しても,それは,当該従業員が発明者の1人であることを意味するにすぎず,被告の従業員が発明者であることを意味するものではない。
(3) 本件発明は,トリガ信号にIDを含めるという着想さえできれば,それを具体化することは容易なものであり,発明の属する技術分野は先端的な技術分野ではなく,発明が専門的な技術,知識,経験を有することを前提とするものであるとはいえない。
しかも,Bは,Aメールを受け取って,自分から返信のメール(甲6。以下「Bメール」という。)を送信した。Bメールに記載された発明は,本件審決が認定したとおりのものであり,Bメールに記載された発明と本件発明1,6及び7とに差異はない。よって,Bが,IDタグを起動するためのトリガ信号の特性を発信器ごとに異ならせるというAの着想を理解し,具体化できると認識していたことは明らかである。仮に,Bが,Aメールに記載された技術内容や提案内容を理解できなかったのであれば,Bは,Aに対し,詳細な質問をするなどして,メールの趣旨を確認するのが自然であるところ,そのような確認は全くされていない。また,仮に,被告においてAメールを受信するよりも前から本件発明と同様の発明がされていたのであれば,被告において,既に同一の発明がされていることを述べるのが自然であるが,そのような説明は一切していない。
(4) 本件審決は,Bメールに記載された発明の着想者については,Bであると判断しながら,甲5発明の着想者がAであるとはいえないと判断した。
しかし,Bメールは,Aメールに対する返信であり,かつ,本件添付ファイルに記載されたAの着想に言及しているから,本件審決の判断手法に従えば,Bメールには,Bが,Aから伝え聞いた事項も含まれているはずであり,Bにより着想された事項のみが記載されていることを裏付ける根拠はないと認定判断するべきであり,AもBメールに記載された発明の着想者になるはずである。よって,甲5発明の着想者がAであるとはいえないとした判断には整合性がない。
(5) 以上のとおり,本件審決は,甲5発明の着想者の認定を誤ったものであり,この誤りは,結論に影響を与える瑕疵である。
2 甲5発明の認定の誤りについて
(1) 本件審決は,甲5発明について,トリガアンテナがトリガIDを受信器に対して出力すると認定し,かかる認定を前提に,本件発明1の「第1トリガ信号発信器」と甲5発明の「第1トリガアンテナ」には,相違点があると判断した。
(2) しかし,かかる判断は,動態管理というものを根本から理解しない判断である。動態はタグで管理するのであるから,トリガ信号発信器ないしトリガアンテナが,トリガIDを直接受信器に対して出力するのでは,動態管理方法として全く意味がなく,動態管理を行うことを目的とする以上,タグを介在させることは当然かつ必須である。
また,そもそも,トリガ信号発信器ないしトリガアンテナと受信器は周波数が全く異なるから,トリガ信号発信器ないしトリガアンテナから,タグを介在させることなく直接受信器に対して何かを出力することは,技術的に不可能である。
AとBは,上記の点を当然の前提とした上で,両名とも,タグを利用する入退管理について議論することは当然のことと考えていたがゆえに,共同開発を行っていた者同士でやり取りされていた本件添付ファイルにおいては,「各トリガのID情報を受信機に送る」につき,「タグが」という主語が省略されているにすぎない。
なお,Aは,甲7のIDタグ仕様書をベースにして,本件添付ファイルを作成したものである。
このように,本件添付ファイルに記載された発明も,Bメールに記載された発明と同様,トリガIDはIDタグに対して出力されるのであり,本件発明1の「第1トリガ信号発信器」と本件添付ファイル記載の「第1トリガアンテナ」に,前記のような相違点は存在しない。
したがって,本件添付ファイルに記載された発明と本件発明1,6及び7とに差異はない。
(3) この点と,前記1のとおり甲5発明の着想者がAであることからすれば,Aが本件発明の着想者であることは明らかである。本件審決は,本件添付ファイルに記載された発明の認定を誤ったものであり,この誤りは,結論に影響を与える瑕疵である。
3 発明者の認定方法の誤りについて
(1) そもそも,冒認出願の無効理由の存否に関する主張立証責任は,特許権者が負担するところ,本件においても,Bが発明者であることの主張立証責任は,特許権者である被告にある。
本件発明は,トリガ信号にIDを含めるという着想さえできれば,それを具体化することは容易なものであり,発明の属する技術分野は先端的な技術分野ではなく,発明が専門的な技術,知識,経験を有することを前提とするものであるとはいえないから,冒認を疑わせる事情の内容については,一定程度の具体性があれば十分であり,原告は,かかる冒認を疑わせる具体的な事情の内容を十分に主張立証している。そして,無効審判請求人が冒認を裏付ける事情を具体的詳細に指摘し,その裏付け証拠を提出するような場合は,特許権者において,これをしのぐ主張立証をしない限り,主張立証責任が尽くされたと判断されることはないところ,無効審判において,被告が,原告をしのぐ主張立証をしたとはいえない。
加えて,本件特許公報に発明者として記載された被告のY及びCについての貢献は,全く主張も立証もされていない。
(2) 誰が発明者であるかは,発明の特徴的部分を着想した者は誰かという観点から判断されるべきである。新しい着想を具体化することが,当業者にとって自明の場合は,着想者のみが発明者と認められ,これを単に具体化した者は発明者たり得ない。本件発明は,まさに,着想さえできれば,その着想を具体化することは,当業者にとって自明のことであったから,着想者であるAのみが発明者である。
本件審決は,本件発明の特徴的部分を一切認定することなく,進歩性を判断する場合のように,本件発明と甲5発明を対比し,一致点と相違点を検討して,結論を導いており,判断方法自体が誤っている。この誤りは,本件審決の結論に影響を与える瑕疵である。
〔被告の主張〕
1 甲5発明の着想者の認定の誤りについて
(1) Aは,客先の質問とBの回答を取り次いでいたにすぎないこと
確かに,Aは,原告の営業担当者として,客先から質問を受ける立場にはあったが,技術的な事柄については,そのまま被告の技術担当者であるBに転送し,Bが回答した内容を客先に伝えるという,質問と回答の取次ぎをしていたにすぎない。質問をしているのは常にA(又は原告の他の従業員)であり,回答しているのは常にBであって,しかも,Aの質問は,必ず客先からの質問を受けてされている。
(2) Aが客先に提供した技術情報の出所がBであること
原告は,Aが,東芝から表明された課題に対し具体的な解決方法等を提案していたと主張するが,Aの提案内容は,Bの回答をもとに作成されたものにすぎず,A自身が何らかの具体的な課題の解決方法を考案することなどはなかった。
(3) 平成15年10月28日付けの質問メール(甲32)とAメールの関連性
Aメールには,本件添付ファイルの作成者が誰であるのか,明確に記載されているわけではないが,東芝の研究開発センター(以下「東芝センター」という。)からの質問であることが明示された平成15年10月28日付けの質問メールと密接に関連した内容である。しかも,同メールには,東芝センターが被告のデモ機を借りたいと希望している旨記載されているところ,被告はこれを了承し,同年11月5日から同月12日頃にかけて,デモ機を貸し出している。
東芝センターは,当然,この貸出期間中にデモ機の動作確認を行ったはずであるから,動作確認の結果を踏まえて,Aに技術的な質問をするのは自然な流れである。Aメールは,デモ機が被告に返還された直後である平成15年11月14日に送信されたものである。原告も,同メールが東芝の案件に関するものであることは認めている。かかる経緯に照らすと,Aメールは,東芝センターの質問内容を,AがBにそのまま転送したものと考えるのが最も合理的である。営業担当者であるAが,客先からこれといった働きかけもないのに,具体的な寸法を記載した図面を作成して質問をするというのはいかにも不自然である。
(4) 小括
以上のとおり,Aは,頻繁に客先の質問をBに転送し,Bの回答を参考にして客先に回答していたことに加え,Aメールは,それに先立つ平成15年10月28日付けの質問メールと密接に関連した内容であること,さらに直前に東芝センターにデモ機械を貸し出していたことを踏まえると,Aメールは,他の質問メールと同様,Aが東芝センターからの質問内容をそのまま転送した蓋然性が高い。
2 甲5発明の認定の誤りについて
(1) 「タグが」を補う原告の解釈には無理があること
トリガID方式においては,「トリガ信号に含まれるトリガIDをタグが受け取り,タグIDとともにトリガIDをタグが発信する」というタグの働きがあってこそシステムとして成立する。タグがタグIDを送ることは自明であるとはいえても,タグがトリガのIDを送ることは自明ではない。自明ではないものをあえて省略して記載するということは考えられない。したがって,トリガID方式を示すために,「トリガのID情報を受信機に送る」主体が「タグ」であるという説明は必須である。
また,仮に原告主張のとおり本件添付ファイルに「タグが」を補ってみると,文章全体の意味が通らなくなる。
(2) 発信器と受信器はタグを介さずとも通信可能であること
低周波信号を発信する発信器から,高周波信号を受信する受信器へ直接情報が発信されることはあり得ないという原告の主張も,的外れである。
発信器と受信器は,床面等に固定されているのであるから,両者の間で通信をするのに無線を使う必要はなく,むしろ有線でつなぐのが確実な方法である。トリガIDは,タグを介在することなく,発信器から受信機に向けて,有線で直接に送られ,ほぼ同じタイミングでタグから受信機に送られるタグIDと併せて受信機が出力するという方法により動態管理をすることは可能である。
(3) 本件添付ファイルに説明されている内容
したがって,本件添付ファイルは,文言どおりに理解されるべきである。本件添付ファイルから読み取れる構成は,せいぜい「複数のトリガANTを設けること」「各トリガANTから各トリガのID情報を受信機に送ること」にすぎない。トリガ信号については,何の説明もない。
(4) 本件発明と甲5発明との相違点
本件発明では,トリガ信号発信器ごとの特性すなわちトリガのID情報は,トリガ信号に含まれているためタグに対して送られ,受信器も,発信器からではなく,タグからトリガのID情報を受け取るという構成をとっている。つまり,本件発明と甲5発明は,動態管理を実現するための方法論が基本的に異なっており,それゆえ発信器やタグが担う機能(機械の具体的構成)も全く違うものである。
3 発明者の認定方法の誤りについて
(1) 電波分野においては着想の具体化は容易ではないこと
本件発明では,発信器とタグ,タグと受信器が互いに接触せずにデータのやりとりを行う,いわゆるRFID技術が用いられており,電波(無線通信)の分野に属する発明である。電波を用いる場合,ハードウェアやソフトウェアの構成によって,読み取り精度が大きく影響を受けるため,所定の効果を実現できるシステムを構築するのに多大な時間と労力を必要とする。電波を用いて何らかのシステムを組む場合には,その過程で,試作品の製作と実証実験を何度も繰り返し,不具合の原因を究明し,改良を重ねることにより,読み取り率を引き上げていくという作業が不可欠である。
その結果,ハードウェアやソフトウェアの構成を一から組み直さなければならないことも稀ではなく,実現不可能として開発を断念せざるを得ない場合も多い。RFID技術の開発に取り組んだ多くの企業が撤退を余儀なくされたのは,「結果が読めない」「読み取り率がなかなか上がらない」という電波技術特有の問題に起因している。
本件発明は,具体化が困難な電波分野に属するものであって,着想さえできれば具体化が容易なカテゴリーに属する発明ではなく,着想さえできれば具体化が容易であるという原告の主張は,電波技術に関わる者の常識とは大きく懸け離れたものである。
(2) 本件発明が完成するまでの経緯
ア 被告代表者は,「入場者数計測システム」を発明し,被告が原告との取引を開始する前の平成14年9月18日に,被告を出願人として出願した(乙5)。同発明には,本件発明の基礎となる技術,すなわちトリガ信号にブース番号を含めることが開示されている。トリガ信号を発信する入場者管理装置は,各ブースごとに設けられるので,ここでブース番号は,トリガ発信器のIDと同じことである。また,被告代表者は,平成15年2月に,上記発明の内容を専門誌で紹介した(乙6)。
イ 本件発明は,上記アの先行技術を「入退出管理」に応用したものである。
「入退出管理」を目的とする本件発明では,移動方向を検出しなければならないため,タグは,近距離に配置された複数の発信器からの情報をリアルタイムで確実に処理(受信及び送信)しなければならない。そのため,タグからの情報収集を退場時に一括読み取りする上記先行技術よりも,さらに困難な開発上の課題を有していた。
被告社内では,上記先行技術を開発した被告代表者と,平成15年3月に入社し電波技術の専門家であるBと,機器の回路設計等を担当していた被告技術部門のCとが中心となって,今後の開発の方向性を常に話し合っていた。上記先行技術を応用して入退出管理をすること自体は,何度も検討の対象に上がっていたものの,タグに,トリガIDを含むトリガ信号を受信させ,その都度トリガIDとタグIDを発信するという機能を持たせるためには,既に製品化していたPOWERTAGの仕様に大きな変更を加える必要性があったこともあって,平成15年11月の時点では,試作品を製作するなどの具体的な開発作業には着手していなかった。
このような段階にあったからこそ,Bは,Bメールにおいて,本件発明の基本的構成を正確に説明しつつも,開発上の問題点等を具体的に述べているのである。
ウ 被告は,平成16年4月,甲子園大学のD教授から,RFIDタグを使った高齢者の行動パターン調査に協力してほしいという依頼を受けた。被告代表者及びBは,研究への協力であれば,機器を商品として流通させる必要はないことから,温めていたトリガID方式を初めて実施するのに最適な案件であると判断し,社内で開発作業に入った。
被告は,開発作業を進める中で,抽象的なアイデアを具体的なハードウェア・ソフトウェアの形に落とし込んでいき,入退出管理が可能であるという目途が立った段階で,本件発明の出願を行った。例えば,本件明細書には,タグの構成(【0021】~【0023】【図2】),タグの動作(【0026】~【0029】【図3】),受信機の構成(【0019】),受信器の動作(【0034】【図4】)が説明されている。
本件発明は,特許請求の範囲に記載した抽象的なアイデアだけでは実現不可能であり,「入退出管理」が可能であるとの予測もできない。上記で述べたような具体化作業があって初めて,現実的に実施可能なものとなる。かかる過程で大きな貢献をしたのがCである。もとより,こうした開発作業は全て被告社内で行われたものであり,Aが関与することなど全くない。
(3) 原告の主張について
以上のとおり,本件発明の属する電波の分野においては,抽象的なアイデアの着想ができたとしても,それだけでは結果の予測は困難であり,ハードウェア・ソフトウェアの構築という具体化作業がなければ,発明が完成したとはいえない。
そもそも,発明行為の一要素である「着想」とは,抽象的なアイデアを思いつくことを指しているのではなく,「技術的思想の創作」といえる程度の技術的な裏付けのあるものを意味するはずである。本件添付ファイルに記載されたような抽象的で,実現可能性すら把握できていないようなアイデアの表明は,「技術的思想の創作」ではないことは明らかである。
具体化が発明に該当しないのは,着想が既に相当に具体的であるがゆえに,当業者ならば具体化するのが自明である場合に限られ,本件発明はそれに該当しない。
(4) トリガ信号にIDを含めることは本件発明の特徴的部分ではないし,本件添付ファイルにも書かれていないこと原告は,トリガ信号にIDを含めることが本件発明の特徴的部分であることを前提として議論をしているが,かかる前提自体が既に誤っている。
トリガ信号にIDを含めることは,本件発明の特徴的部分にはなり得ない。しかも,本件添付ファイルには,トリガ信号については全く言及されておらず,いかに拡張解釈を行ったとしても,トリガ信号にIDを含めるとの着想が含まれていると理解することはできない。
(5) 本件審決の判断手法には問題はないこと
本件審決は,甲5発明の内容と本件発明の内容に相違点があるにもかかわらず,甲5発明から本件発明を想到することができるかどうか,すなわち,「甲5発明が着想できていれば本件発明を実質的に着想していたといえるか」を検討しているにすぎず,進歩性の判断をしているわけではない。
また,原告が本件発明の特徴的部分であると主張するトリガ信号にIDを含めることは,被告の先行技術であるから,原告の特徴的部分に関する主張は採用される余地がない。そうである以上,本件審決が,本件発明の特徴的部分を認定する必要すらないと判断したのは当然である。
第4当裁判所の判断
1 本件発明について
(1) 本件明細書の記載
本件発明の要旨は,前記第2の2の特許請求の範囲請求項1ないし7に記載されたとおりのものであり,本件明細書には,以下の記載がある(甲1)。
ア 技術分野
この発明は,入退室管理等に用いられる,動態管理システム,それに用いられる受信器,及び動態管理方法に関し,特に複数の人の動向を容易に知ることができる,動態管理システム,それに用いられる受信器,及び動態管理方法に関する(【0001】)。
イ 背景技術
従来の入退室管理システムが,例えば,特開2003-178381号公報(特許文献1)に開示されている。同公報によれば,入退室監視システムは,分離して設けられた2つのアンテナを有し,2つのアンテナを切り換えて,受信期間内に応答信号があるか否かを判断して,タグの特定と,移動方向を検出している(【0002】)。
ウ 発明が解決しようとする課題
従来の動態管理システムにおいては,上記のようにして,タグの特定と,移動方向を検出していたため,構成が複雑であるとともに,判別に時間がかかるという問題があった(【0003】)。
エ 課題を解決するための手段
この発明にかかる動態管理システムは,第1の位置に設けられ,第1特性を有するトリガ信号を出力する,第1トリガ信号発信器と,第2の位置に設けられ,第1と異なる第2特性を有するトリガ信号を出力する,第2トリガ信号発信器と,第1及び第2トリガ信号発信器からのトリガ信号に応答して,ID番号を出力するIDタグとを含み,IDタグは,受信したトリガ信号を特定する情報とともにID番号を出力し,IDタグが出力したID番号を受信する受信器とを含む(【0005】)。
IDタグは,受信したトリガ信号を特定する情報とともにID番号を出力するため,2つのトリガ信号発信器からの情報だけで,IDタグが,どのトリガ信号発信位置をどのように通過したかを知ることができる(【0006】)。
その結果,簡単な構成で,容易に動態の移動を検出できる,動態管理システムが提供できる(【0007】)。
(2) 本件発明の特徴
前記(1)のとおり,従来の入退室管理システムは,分離して設けられた2つのアンテナを有し,2つのアンテナを切り換えて,受信期間内に応答信号があるか否かを判断して,タグの特定と,移動方向を検出していたが,構成が複雑であるとともに,判別に時間がかかるという問題があった。
本件発明の動態管理システムは,①第1の位置に設けられ,第1特性を有するトリガ信号を出力する「第1トリガ信号発信器」と,②第2の位置に設けられ,第2特性を有するトリガ信号を出力する「第2トリガ信号発信器」と,③第1及び第2トリガ信号発信器からのトリガ信号に応答して,ID番号を出力する「IDタグ」とを含み,IDタグは,受信したトリガ信号を特定する情報とともにID番号を出力し,④IDタグが出力したID番号を受信する「受信器」とを含むものである。
本件発明は,トリガ信号発信器が,それぞれ異なる特性を有するトリガ信号を出力するとともに,トリガ信号を受信したIDタグが,受信したトリガ信号を特定する情報とともにID番号を出力することにより,IDタグが,どのトリガ信号発信位置をどのように通過したかを知ることができるものである。
2 認定事実
後掲証拠によれば,次の事実が認められる。
(1) 当事者等
ア 原告は,コンピュータ及び電気・電子情報通信機器の輸出入・販売・製造及び仲介等を目的として平成6年に設立された株式会社であり,RFIDすなわち非接触ICタグのメーカーである(甲56,弁論の全趣旨)。
イ 被告は,コンピュータソフトウェアの開発及び販売等を目的とする株式会社であり,平成6年頃から,RFID分野の研究を開始した(乙8,弁論の全趣旨)。
被告は,平成14年9月18日,「入場者数計測システム」に係る特許出願を行った(乙5)。これは,複数の展示ブース等を備えた展示会場において,入場者が携行しトリガ信号に応答するIDタグと,ブースごとに設けられトリガ信号を発信しIDタグから出力されたID番号を受信する入場者管理装置とによって,ブースごとの入場者数を正確に計測するという発明であり,実施例の1つにおいて,隣接するブースにおける入場者管理装置から発信されるトリガ信号の出力タイミングを調整する技術や,入場者管理装置が,ブース番号及び時刻を載せたトリガ信号を発信するという技術が開示されている(【0037】【0052】)。すなわち,IDタグを起動するためのトリガ信号にブース番号を載せることにより,トリガ信号の特性を入場者管理装置(トリガ発信器)ごとに異ならせる構成が開示されている。
次いで,被告は,平成15年5月8日,「入退出管理システム」に係る特許出願をした(乙18)。これは,トリガ信号に応答するIDタグと,建物の出入口近傍に設けられトリガ信号を発信しIDタグから出力されたID番号を受信する入退出管理装置を含み,入退出管理装置のアクセスが対になっているかどうかにより,非常時に施設から各個人が避難したことを確認することができるという発明である。
ウ 原告と被告は,後記(2)及び(3)の取引を行っているところ,当該取引において,原告側の窓口になったのはAであり,被告側の窓口になったのはBである。
A は,原告の営業部に所属する営業担当の従業員で,取引先から技術的質問や要望を受ける立場にあったが,技術者ではなく,原告には,営業部とは別個に技術開発部が存在した。
他方,Bは,もとDXアンテナ株式会社の開発部門等に所属し,30件以上の特許出願をしたこともある電波技術についての技術者であり,平成15年3月に,被告の技術部部長代理として入社した(甲57,58,乙8,9,弁論の全趣旨)。
(2) 原告と被告の関係等
ア 原告は,平成15年9月末,被告に対し,マラソンレース用計測システムの開発を依頼した(弁論の全趣旨)。
イ 原告は,平成15年10月7日,被告との間で,開発基本契約書を取り交わし,RF-IDシステム及びその関係製品の開発を依頼し,「チャンピオンチップ仕様計測機器開発費」として1150万円の発注をした(甲19,乙25,26)。
ウ 被告は,平成15年10月9日,原告に宛てて「IDタグ仕様書」を送付した。そこには,「IDタグは,トリガ受信部とID送信部を持っています。測定箇所に設置されたトリガループからの93.75KHzの磁場…をトリガ受信部で受けることにより,ID送信部が自己の持つIDをVHF帯の電波として送信します」との記載がある(甲7)。
当時,Aは,東芝からの入退管理システムに関する質問に具体的に対応しなければならない立場にあったところ,被告から送信されたIDタグ仕様書を参考にしつつ,東芝からの質問にどのように対応するかを検討していた(弁論の全趣旨)。
エ Aは,平成15年10月28日,被告代表者宛に,東芝センターからの質問事項を記載したメールを送付した(Bにも同送。甲32)。東芝センターからの質問は,アンテナAのエリアとアンテナBのエリアが近接している場合に,タグXがいずれのエリアにいるのかを区別する方法を問うものであり,被告代表者は,Bに対し,Aから転送された上記質問について回答をするよう指示した。
Bは,同日,Aに対し,複数のトリガコイルを時間で切り替えること,タグデータ出力にトリガアンテナの番号を付加して区別することで,近距離の2点間における「動態の動く方向」を測定できる旨,メールで回答した(甲32)。
オ 被告は,平成15年11月5日頃,8チャンネルデモ機を東芝センターに貸し出し,同月12日頃,それが返却された(弁論の全趣旨)。
カ 被告は,平成15年11月7日,原告との間で,自動計測システムの基本取引契約を締結し,同月17日,原告からトリガ発信,受信機30台,タグ3万個等の発注を受けた(乙26,27)。
(3) Aメール
ア 平成15年11月14日,Aから,Bに宛てて,以下の内容のAメールが送信された(被告代表者にも同送。甲5の1)。
「弊社,客先からスピードタグSYSTEMを利用して入退管理についての案件があります。1例を付けて,ご質問事項を添付させていただきました。ご教授の程宜しくお願い申し上げます。」
イ Aメールには,「質問事項.pdf」というファイル名のPDFファイルである本件添付ファイルが添付されていた(甲5の2)。本件添付ファイルは,「各部屋の出入口にトリガーANTを設置」と題され,図面とともに以下の記載がある。
「各出入口にトリガANTを設置し,入退情報を把握する。
① 各出入口に設置した,トリガーANTからの情報
各出入口に設置したトリガーANTから,各トリガーのID情報を受信機に送ることによりTAG(人)の入退情報を把握する。
② 各出入口に設置した,トリガーANTの発信を切り替え(連動)てどのトリガーANTから受信したのかを把握することにより入退情報を把握する。
③ 各トリガーANTの受信範囲を狭めて,1トリガー1チャンネルで入退情報を把握する。
①②③の中で一番実現性があるのか,ご教授ください。」
ウ Bは,平成15年11月14日,Aに対し,以下の内容のBメールを返信した(甲6)。
「①の方法は『トリガーがトリガーのIDを発信し,そのトリガーに起動されたタグがそのIDをひらって自分のIDとトリガーのIDを受信機に送る』ということだと思います。可能ですが,
・現在のタグに大きな変更を加える必要があります。
・トリガー装置が電波法の対象になります。場合によっては免許が必要。要調査・タグの構造が複雑になります。
・動作失敗の確率が高くなります。
・この方法ですと設置方法に制限がほとんどありません。実現に調査が必要です。
②の方法はトリガーを時分割で起動する方法です。現行のタグの最小限の変更で実現できます。幾度も出てきている方法ですがトリガーの分割数に限度があります。
4箇所が限度でしょう。
・出入り口は必ず切り替えのペアにする。入退出の方向が検出できる。
・タグからの信号出力はできるだけ低く抑え,受信機の感度も抑える。
・隣接する入り口はペアにする。
③はトリガーとトリガーの距離に間隔がないと設計は困難です。」
(4) 本件特許出願
ア 被告は,原告から,平成16年5月10日に受信機5台,同年8月23日に受信機4台の動態管理システムの発注を受け,時分割方式のものを納品した(乙26)。
イ 被告は,平成16年9月3日に甲子園大学で実験を行い,同年12月13日に箕面市立病院において本調査を実施した。Bは,同病院での調査結果について,平成17年1月に開催された第3回APT TELEMEDICINE Workshopにおいて,同調査を主宰した甲子園大学のD教授らとともに,発表した(乙31の1・2)。
上記発表においては,「トリガフィールドは,高速モールス信号のように信号のONOFFを切り替えてトリガフィールドデータのID(FID:フィールドID)をタグに発信する。」「タグがトリガフィールドに侵入すると,タグは起動(ウェイク・アップ)して,トリガフィールドが発信するFIDを受け取り,TIDとFIDデータを組み合わせて微弱高周波信号にのせ発信する。」「タグ受信機は,高周波RF信号を受信して,それをデジタル信号に復調する。デジタル信号にエラーのないことをチェックした後は,FID,TID,及び内部時間データで構成される一連のデータとして上位のパソコンに送られる。」などと説明されている。
ウ 被告は,平成16年8月5日に,被告代表者,B及びCの3名を発明者として,本件特許出願を行った(甲1)。
(5) 無効審判請求に至る経緯
ア 原告と被告は,平成19年5月10日,「トリガID方式RFIDシステムの販売に関する覚書」を締結し,遅くともその頃から被告が開発・製造及び販売を行う本件発明に係る実施品を原告に供給していたが,被告は,平成23年2月21日,平成15年11月7日付けの基本取引契約及びその他一切の契約を解除する旨の意思表示をした(乙8,38,40)。
イ 原告は,平成17年4月には被告による本件特許出願の事実を知ったが,平成23年8月19日に至り,初めて本件発明が共同発明であるとの主張をした(乙47)。なお,その段階では,Aの名前は出ていない。
ウ 原告は,平成23年10月24日,本件特許無効審判を請求した。
3 本件添付ファイルに記載された発明について
(1) 本件審決の甲5発明の認定について
ア 原告が本件添付ファイルに記載された発明のベースとなったと主張するICタグ仕様書(甲7)の記載は,前記2(2)ウのとおりであるところ,上記ICタグ仕様書においては,トリガループからIDタグに発信される「電磁波」が,「トリガのID情報」を含むものではなく,また,IDタグが送信するのは「自己の持つID」(タグID)のみであり,「トリガANTから,TAGにトリガID情報を送り,TAGが自己の持つIDと各トリガのID情報を受信機に送る」ことを意味するものではない。このように,ICタグ仕様書には,トリガループからIDタグに発信される電磁波(トリガ信号)が,トリガのID情報を含むことや,IDタグが「受信したトリガ信号を特定する情報とともにID番号を出力する」ことが記載されているものではないし,また,このようなトリガ信号発信器や,IDタグが周知のものであると認めるに足りる証拠はないから,本件添付ファイルの記載において,「それぞれ異なる特性を有するトリガ信号」を出力するトリガ信号発信器や,「受信したトリガ信号を特定する情報とともにID番号を出力する」IDタグの存在を前提とすることはできない。
イ そして,本件添付ファイルには,前記2(3)イのとおり,「各出入口に設置した,トリガANTからの情報」「各出入口に設置したトリガANTから,各トリガのID情報を受信機に送ることによりTAG(人)の入退情報を把握する」と記載されており,受信機に送られる「各トリガのID情報」が,「TAG」(IDタグ)に対する信号である「トリガ信号」と同じものを意味する旨の記載やこれを示唆する記載は認められない。
そうすると,本件添付ファイルに記載された「各トリガのID情報」は,「トリガアンテナ」から送られるものであるとしても,これが「トリガを識別する情報」であるとともに,IDタグを起動する「トリガ信号」であることを意味するものと解することはできない。また,タグが,タグのID番号を送ることは自明であるとしても,本件発明のように「IDタグが,受信したトリガ信号を特定する情報とともにID番号を出力する」ことが自明であるとはいえないから,本件添付ファイルの前記記載について,「IDタグ」が,前記「トリガのID情報」を「トリガ信号」として受信するとともに,受信した「トリガのID情報」を「IDタグ」のID番号に加えて出力して,受信機に送ることを意味することが明らかであるということはできない。
ウ したがって,本件審決が,「各出入口に設置したトリガANTから,(TAGにトリガID情報を送り,TAGが自己の持つIDと)各トリガのID情報を受信機に送ることによりTAG(人)の入退情報を把握する」などと読み替えることなく,本件添付ファイルの記載自体から,甲5発明を「各出入口に設置したトリガANTから,各トリガのID情報を受信機に送ることによりTAG(人)の入退情報を把握する装置又は方法」と認定したことが,誤りということはできない。
(2) 本件発明と甲5発明との関係
ア 以上のとおり,本件審決が認定した甲5発明は,「各出入口に設置したトリガANTから,各トリガのID情報を受信機に送ることによりTAG(人)の入退情報を把握する装置又は方法」である。
イ 他方,本件発明は,前記1(2)のとおり,トリガ信号発信器が,それぞれ異なる特性を有するトリガ信号を出力するとともに,トリガ信号を受信したIDタグが,受信したトリガ信号を特定する情報とともにID番号を出力することにより,IDタグが,どのトリガ信号発信位置をどのように通過したかを知ることができるものである。
ウ このように,甲5発明においては,トリガ信号とは異なる信号である「各トリガのID情報」が,「トリガANT」から,「受信機」に送られるのに対して,本件発明においては,異なる特性を有する「トリガ信号」が,「トリガ信号発信器」から,「IDタグ」に送られるものであり,「IDタグ」が,受信したトリガ信号を特定する情報とともにID番号を「受信器」に送るものである。
そうすると,本件発明と甲5発明とでは,各発信器が出力するトリガIDの出力先も,各発信器が出力するトリガIDがタグを起動するトリガ信号であるか否かも,相違することになる。
(3) 原告の主張について
ア 原告は,本件添付ファイルの記載は,「各トリガのID情報を受信機に送る」につき,「タグが」という主語が省略されているにすぎず,「各出入口に設置したトリガANTから,(TAGにトリガID情報を送り,TAGが自己の持つIDと)各トリガのID情報を受信機に送ることによりTAG(人)の入退情報を把握すること」を意味するとした上,トリガ信号発信器ないしトリガアンテナが,トリガIDを直接受信器に対して出力するのでは,動態管理方法として全く意味がなく,移動体が携行するタグの動態を把握することを目的とする以上,タグを介在させることは当然かつ必須であると主張する。
しかしながら,トリガ信号発信器が,「タグを起動する信号」(トリガ信号)を発信することは,技術的に当然であり,また,移動体が携行するタグの動態を把握することを目的とするものであって,仮に,「IDタグの方式についての認識はA・B間で当然に共有されていた」としても,相互に異なる特性を有するトリガ信号とすること,及びタグが介在してトリガIDを受信器に対して出力することまで,技術的な前提とすることはできない。また,タグが,タグのID番号を送ることは自明であるとしても,本件発明のように「IDタグが,受信したトリガ信号を特定する情報とともにID番号を出力する」ことが自明であるとはいえないことは,前記(1)のとおりである。
イ 原告は,トリガ信号発信器ないしトリガアンテナと受信器は周波数が全く異なり,トリガ信号発信器ないしトリガアンテナから,タグを介在させることなく直接受信器に対して何かを出力することは,技術的に不可能である旨主張する。
しかしながら,トリガ信号発信器又はトリガアンテナと受信器は周波数が異なるとしても,原告が本件添付ファイルに記載された発明のベースであると主張するICタグ仕様書(甲7)には,「受信機は,測定領域(トリガ磁場)の電磁波を発信し,それに対して各IDタグが持つ個別IDを受信する機能を持つ」ことが記載され,トリガ発信アンテナとID受信アンテナとが,いずれも受信機に接続される図面が記載されているから,トリガ信号発信器又はトリガアンテナから,タグを介在させることなく直接受信機に対して信号を出力することが技術的に不可能であるということはできない。
そして,本件添付ファイルの記載において,受信機に送られる「各トリガのID情報」が「トリガを識別する情報」であるとともに,IDタグを起動する「トリガ信号」であることを意味するものと解することができないことは,前記(1)のとおりである。また,本件添付ファイルに記載された「IDタグ」が,受信した「トリガのID情報」を「IDタグ」のID番号に加えて出力して,受信機に送ることを意味することが明らかとはいえないことも,前記(1)のとおりである。
ウ よって,原告の主張は,いずれも採用することができない。
(4) 小括
以上のとおり,本件審決の甲5発明の認定に誤りはなく,本件発明と甲5発明とでは,各発信器が出力するトリガIDの出力先が相違し,各発信器が出力するトリガIDがタグを起動するかトリガ信号であるか否かも相違するから,本件添付ファイルに,本件発明が記載されているということはできない。そうすると,Aが本件添付ファイルに記載された内容についての着想者であるか否かにかかわらず,Aが本件発明の発明者又は共同発明者であるということはできない。
4 発明者の認定方法について
(1) 本件審決の認定について
ア 被告従業員であるBが作成したBメールに記載された「①の方法は『トリガーがトリガーのIDを発信し,そのトリガーに起動されたタグがそのIDをひらって自分のIDとトリガーのIDを受信機に送る』ということだと思います」との部分は,「トリガがトリガのIDを発信し,そのトリガに起動されたタグがそのIDをひろって自分のIDとトリガのIDを受信機に送る装置又は方法」(以下,本件審決に倣い,「甲6発明」という。)を意味するものであること並びに甲6発明と本件発明1,6及び7とに差異がないことについては,原告も認めるところである。そして,これによると,Bは,遅くともBメールを作成した平成15年11月14日には,本件発明1,6及び7に相当する技術的思想である甲6発明を実質的に知得していたものと認められる。
したがって,本件審決が,Bは,遅くともBメールが送信された平成15年11月14日には,少なくとも本件発明1,6及び7に相当する技術的思想を実質的に知得していたと認定したことに誤りはない。
イ 前記1認定の本件発明の属する技術分野及びその特徴,前記2認定のAとBの本件発明に係る技術分野について有する知見の程度及び原告と被告の関係等の諸事情に照らしても,原告従業員であるAが本件発明1の発明者又は共同発明者とはいえないとした本件審決の認定判断に誤りはない。そして,このことは,請求項1を引用する本件発明2ないし5並びに本件発明1の構成を受信器又は方法の形式で請求項とした本件発明6及び7についても,同様である。
(2) 原告の主張について
ア 原告は,本件において,Bが発明者であることの主張立証責任は,特許権者である被告にあり,原告は,冒認を疑わせる具体的な事情の内容を十分に主張立証していると主張する。
なるほど,冒認又は共同出願違反を理由として請求された特許無効審判において,「特許出願がその特許に係る発明の発明者自身又は発明者から特許を受ける権利を承継した者によりされたこと」についての主張立証責任は,形式的には,特許権者が負担すると解すべきであるとしても,「出願人が発明者であること又は発明者から特許を受ける権利を承継した者であること」は,先に特許出願されたという事実により,他に反証がない限り,推認されるものというべきである。
本件においては,Bは,遅くともBメールを作成した平成15年11月14日には,本件発明1,6及び7に相当する技術的思想である甲6発明を実質的に知得していたものと認められるから,本件発明1,6及び7に相当する技術的思想を知得した上で先に被告が特許出願したことにより,被告が発明者であること又は発明者から特許を受ける権利を承継した者であることは,他に反証がない限り,推認されるものというべきである。
この点に関し,原告は,本件添付ファイルに記載された発明が本件発明であり,本件添付ファイルに記載された発明はAが着想したものであることをもって,Aが本件発明の発明者である旨を主張するものであるところ,本件添付ファイルに本件発明が記載されているとはいえないことは,前記3のとおりであるから,原告のかかる主張立証が有効な反証といえるものでないことは明らかであるし,他に上記推認を覆すに足りる証拠はない。
よって,原告の上記主張は,採用することができない。
イ 原告は,本件発明においては,トリガ信号にIDを含めるという着想さえできれば,それを具体化することは当業者にとっては自明であったとして,トリガ信号にIDを含めるという着想を行ったAが本件発明の発明者又は共同発明者の1人に当たると主張する。
しかし,発明とは「自然法則を利用した技術的思想の創作のうち高度のもの」をいうから(特許法2条1項),真の発明者又は共同発明者といえるためには,当該発明における技術的思想の創作行為に現実に加担したことが必要である。
これを本件についてみると,前記3(1)のとおり,本件添付ファイルには,受信機に送られる「各トリガのID情報」が,「TAG」(IDタグ)に対する信号である「トリガ信号」と同じものを意味する旨の記載やこれを示唆する記載があるとはいえず,したがって,本件添付ファイルには「トリガ信号にIDを含める」ことが記載されているとはいえない。よって,原告の上記主張は,前提において理由がないものである。
さらに,前記1(2)のとおり,本件発明は,トリガ信号発信器が,それぞれ異なる特性を有するトリガ信号を出力するとともに,トリガ信号を受信したIDタグが,受信したトリガ信号を特定する情報とともにID番号を出力することにより,IDタグが,どのトリガ信号発信位置をどのように通過したかを知ることができるものである。すなわち,本件発明は,「トリガ信号にIDを含める」とともに,それを受信したIDタグが,(リアルタイムで)トリガ信号のID情報と,IDタグ自身のID番号を出力することにより,IDタグの現在位置(すなわちトリガ信号が発信されている場所)の把握を可能にするものであり,「トリガ信号にIDを含める」ことのみが,本件発明における課題を解決するための具体的な着想ということはできないから,Aが本件発明における技術的思想の創作行為に現実に加担したとはいえない。
なお,前記2(1)のとおり,乙5には,IDタグを起動するためのトリガ信号にブース番号を載せることによりトリガ信号の特性を入場者管理装置(トリガ発信器)ごとに異ならせる構成が開示され,トリガ信号にIDを含めることが記載されており,また,乙6にも,「トリガ信号にブース番号と時刻をのせて発信させ,ID固有番号タグはそれを受信してメモリーに記憶させる」など,トリガ信号にIDを含めることが記載されていることに照らすと,トリガ信号にIDを含めることは,被告の先行技術というべきものである。
よって,原告の上記主張は,いずれにせよ,採用することができない。
ウ 原告は,本件発明と甲5発明の相違点を検討して結論を導いた本件審決の判断方法自体が誤っているとも主張する。
しかしながら,本件審決は,甲5発明と本件発明の相違点を検討し,両者は,動態管理を実現するための具体的手段において大きく相違するとして,甲5発明を具体化させたとしても,本件発明とはならないことから,甲5発明の着想者が,本件発明1の創作に実質的に関与した者であるとはいえないと判断したのであり,その判断に違法があるとはいえない。
よって,原告の上記主張は,採用することができない。
5 結論
以上の次第であるから,原告主張の取消事由には理由がなく,原告の請求は棄却されるべきものである。
(裁判長裁判官 土肥章大 裁判官 髙部眞規子 裁判官 齋藤巌)