知財高等裁判所 平成24年(行ケ)10303号 判決 2013年11月14日
原告
日亜化学工業株式会社
訴訟代理人弁護士
古城春実
同
牧野知彦
同
堀籠佳典
同
加治梓子
訴訟代理人弁理士
蟹田昌之
被告
三洋電機株式会社
訴訟代理人弁護士
尾崎英男
同
今田瞳
同
鷹見雅和
訴訟代理人弁理士
廣瀬文雄
同
豊岡静男
主文
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第1請求
特許庁が無効2011-800203号事件について平成24年7月20日にした審決を取り消す。
第2事案の概要
1 特許庁における手続の経緯等
(1) 被告は,平成20年3月24日,発明の名称を「窒化物系半導体素子の製造方法」とする特許を出願(特願2008-76844。出願日を平成15年3月19日とする特願2003-74966号(国内優先権主張日:平成14年3月26日,以下「原々出願」という。)の分割出願である,出願日を平成18年12月25日とする特願2006-348161号(以下「原出願」という。)の分割出願)し,平成20年9月5日に設定登録(特許第4180107号)された(甲1。請求項の数10。以下「本件特許」といい,その明細書(甲1)を「本件明細書」という。)。
(2) 原告は,平成23年10月7日,本件特許について特許無効審判を請求し,特許庁に無効2011-800203号事件として係属した。
(3) 特許庁は,平成24年7月20日,「本件審判の請求は,成り立たない。」との審決(以下「本件審決」という。)をし,同月30日,その謄本が原告に送達された。
(4) 原告は,平成24年8月22日,本件審決の取消しを求める訴えを提起した。
2 特許請求の範囲
特許請求の範囲の記載は次のとおりである。以下,順に「本件発明1」などといい,併せて「本件発明」という。
【請求項1】n型の窒化物系半導体層および窒化物系半導体基板のいずれかからなる第1半導体層の上面上に,活性層を含む窒化物半導体層からなる第2半導体層を形成する第1工程と,
前記第1半導体層の裏面を研磨することにより厚み加工する第2工程と,
前記第1工程及び前記第2工程の後,前記研磨により発生した転位を含む前記第1半導体層の裏面近傍の領域を除去して前記第1半導体層の裏面の転位密度を1×109cm-2以下とする第3工程と,
その後,前記転位を含む前記第1半導体層の裏面近傍の領域が除去された第1半導体層の裏面上に,n側電極を形成する第4工程とを備え,
前記第1半導体層と前記n側電極とのコンタクト抵抗を0.05Ωcm2以下とする,窒化物系半導体素子の製造方法。
【請求項2】前記第1半導体層の裏面は,前記第1半導体層の窒素面である,請求項1に記載の窒化物系半導体素子の製造方法。
【請求項3】前記第3工程により,前記転位密度は,1×106cm-2以下に低減される,請求項1又は2に記載の窒化物系半導体素子の製造方法。
【請求項4】前記第3工程により,前記転位を含む前記第1半導体層の裏面近傍の領域が0.5μm以上除去される,請求項1~3のいずれかに記載の窒化物系半導体素子の製造方法。
【請求項5】前記基板は,成長用基板上に成長することを利用して形成されている,請求項1~4のいずれかに記載の窒化物系半導体素子の製造方法。
【請求項6】前記第1工程によって前記第1半導体層の上面上に前記第2半導体層を形成した後に,前記第2工程によって前記第1半導体層の裏面を研磨することにより厚み加工を行う,請求項1~5のいずれかに記載の窒化物系半導体素子の製造方法。
【請求項7】前記第1半導体層及び前記第2半導体層を劈開することにより,共振器端面を形成する第5工程をさらに備える,請求項1~6のいずれかに記載の窒化物系半導体素子の製造方法。
【請求項8】前記第1半導体層は,HVPE法により形成される,請求項1~7のいずれかに記載の窒化物系半導体素子の製造方法。
【請求項9】前記第2半導体層は,MOCVD法により形成される,請求項1~8のいずれかに記載の窒化物系半導体素子の製造方法。
【請求項10】前記第1半導体層は,前記第2工程により180μm以下の厚みになるまで厚み加工される,請求項1~9のいずれかに記載の窒化物系半導体素子の製造方法。
3 本件審決の理由の要旨
本件審決の理由は,別紙審決書(写し)記載のとおりであり,要するに,①本件特許は,違法な分割出願に基づくものとはいえず,その出願日は原々出願の出願日に遡及するから,本件発明の新規性及び進歩性は,原々出願の公開公報(特開2004-6718号。甲3)に記載された発明との関係で,欠如するものではない,②本件発明は,特許請求の範囲に特許を受けようとする発明を明確に記載しており,また,特許請求の範囲に記載された発明は,発明の詳細な説明に記載したものであるから,特許法36条6項1号及び2号に規定する要件(以下,同項1号に規定する要件を「サポート要件」といい,同項2号に規定する要件を「明確性要件」という。)を満たしている,というものである。
4 取消事由
(1) 記載要件に係る判断の誤り(取消事由1)
(2) 分割要件に係る判断の誤り(取消事由2)
第3当事者の主張
1 取消事由1(記載要件に係る判断の誤り)について
〔原告の主張〕
(1) 本件審決は,本件発明の特許請求の範囲に記載された「転位」とは,結晶欠陥のうちの線状の結晶欠陥や研磨により発生する欠陥のうちの線状の格子欠陥を意味し,「結晶欠陥」の下位概念であって,TEM(Transmission Electron Microscope)によって観察することができるものである,また,「転位密度」とは,単位断面積(1cm2)当たりを通過する「転位」の本数を意味し,甲36ないし38でも同様の意味で用いられているとおり,本件出願当時,当業者が慣用していた用語であるとして,本件発明に係る特許請求の範囲の記載について,明確性要件違反やサポート要件違反はないと判断した。
しかし,以下のとおり,本件審決の判断は誤りである。
ア 機械研磨したGaN基板の裏面は,線状とも面状とも立体形状ともいい難い,無数の無秩序な結晶欠陥が発生しているのであって,これを「転位」(線状の欠陥)などと表現することはできない。そして,そうである以上,これを「転位密度」で示すことはできない。
また,GaNを含む様々な半導体基板の機械研磨において,TEMによって観察できる結晶欠陥の存在は,本件出願前からよく知られていたが,当業者は,これを「ダメージ層」などと称呼していた。半導体基板を機械研磨することによって,TEMで観察される無数の無秩序な結晶欠陥を含む領域が発生することは,材料系を問わない当業者の常識的な事項であったが,このような結晶欠陥のうちの線状の結晶欠陥のみを数える方法を示した公知例は見当たらず,まして,これを「転位密度」なる概念で表現した公知例はない。
したがって,このような結晶欠陥を「転位」なる概念で示すことは,誤りである。
また,仮に「転位」なる概念で示すとして,このような結晶欠陥のうちの「転位」のみに着目して考えようとしても,このような結晶欠陥の中からどのようにして「転位」を特定するのかさえ不明であるから,これを「転位密度」として示すことはできない。
したがって,「転位密度」で規定された本件発明は,発明の範囲を確定する基準が明確とはいい難いから,明確性要件に違反し,また,そのような発明は明細書に開示されていないから,サポート要件にも違反するものである。
イ 「転位密度」とは,本来,「単位断面積(1cm2)当たりを通過する転位の本数」ではなく,「単位体積当たりの転位線の長さ(cm/cm3)」を意味する概念である。貫通転位のように転位線が一方向に十分な長さがあるような場合には,単位体積当たりの線の長さを測定して「cm/cm3」として示した場合と,これを単位面積当たりの転位の数を測定して,「/cm2」で示した場合とで,両者は同じ数値になるから,便宜上転位密度を示す単位として「/cm2」を使用することができる。しかし,対象となる線状の欠陥(転位)の方向や長さがまちまちである場合には,「単位断面積(1cm2)当たりを通過する転位の本数」をもって本来の意味での「転位密度」を表すことはできない。
しかるところ,機械研磨で発生するという「転位」は,その方向や長さがまちまちであり,直線的でもない「転位」であるから,単位面積当たりの転位の数「/cm2」を数えても,本来の意味での「転位密度」を求めたことにはならないし,そもそも,このような線状の欠陥について単位面積当たりの転位の数「/cm2」をどのように数えればよいのかに関する技術常識はなく,本件明細書にも開示がない。
以上のとおり,本件発明にいう「転位密度」は,通常の技術用語でいう「転位密度」とは異なるものであり,かつ,どのような基準で請求項が規定する「/cm2」に該当する個数を数えるのかさえ定かとはいえないから,本件発明の特許請求の範囲の記載は,明確性要件やサポート要件を満たしていない。
(2) 本件審決は,サポート要件の判断に当たり,発明が解決しようとする課題は,必ずしも,明細書中の「発明が解決しようとする課題」と題された箇所の記載のみから把握すべきものでなく,明細書の他の箇所の記載も斟酌して把握すべきであるところ,本件明細書(【0061】)の記載から転位密度とコンタクト抵抗との間に関係があることが理解できるから,同(【0009】)の「クラックなどの微細な結晶欠陥」の「など」には「転位」が含まれると善解することができるとした上で,本件発明の課題は,n型GaN基板の裏面を機械研磨する際に,n型GaN基板の裏面近傍に応力が加わるため,n型GaN基板の裏面近傍に転位が発生する結果,n型GaN基板と,n型GaN基板の裏面(窒素面)上に形成されたn側電極とのコンタクト抵抗が増加するという問題を解決することであって,請求項1には,その解決手段を反映して,研磨により発生した転位を含む第1半導体層の裏面近傍の領域を除去して第1半導体の裏面の転位密度を1×109cm-2以下とする第3工程が記載され,また,そもそも,転位密度が請求項1に規定の数値(1×109cm-2)となる位置(深さ)まで研磨面を除去すれば,それに伴って転位以外のクラック等の結晶欠陥が多数生じている浅い領域が除去されることは明らかであるから,本件発明が原告において主張する課題(クラックに起因する問題)を解決できないものではないと判断した。
しかし,本件審決は,原告が主張した,機械研磨によって発生する結晶欠陥は「転位」や「転位密度」なる概念で示せるようなものではないとの点について,何ら判断しておらず,その判断自体が無意味である。
また,本件明細書に開示されているのは,「転位」の上位概念である「結晶欠陥」に関する課題であって,「結晶欠陥」の下位概念である「転位」がコンタクト抵抗を上昇させる原因であるなどという記載はない。したがって,本件明細書(【0009】)の「クラックなどの微細な結晶欠陥」の「など」には「転位」が含まれると善解したとしても,意味はない。
さらに,本件明細書(【0061】)には,「これは,約0.5μmの厚み分の除去では,機械研磨により発生した結晶欠陥を含むn型GaN基板の裏面近傍の領域を十分に除去することができなかったためであると考えられる。」と記載されており,ここで課題としているのは,あくまでも「機械研磨によって発生した結晶欠陥を含む領域」であって,「機械研磨によって発生した転位」ではないことは一目瞭然である。また,本件明細書の上記段落において,「結晶欠陥(転位)密度」を測定しているのは,「機械研磨により発生した結晶欠陥を含むn型GaN基板の裏面近傍の領域を除去した後の基板」であって,コンタクト抵抗の増加の原因となったものが何であったのかは記載されていないから,その記載を根拠として,本件発明の課題が,「n型GaN基板の裏面近傍に転位が発生する結果,n型GaN基板と,n型GaN基板の裏面(窒素面)上に形成されたn側電極とのコンタクト抵抗が増加する」という問題であったと認定することはできない。
加えて,甲29のFig2-1断面観察(STEM像)に被告自身が赤線を付した図(甲34の6頁上図)によっても,「転位」は,機械研磨した層の上の方にはなく,下の方に存在しているのであるから,上の方の層までしかエッチングしなかったとしても,本件発明の数値を満たすことは明らかである。したがって,本件審決において,「転位」が存在することの根拠としている甲29からしても,上方の層の途中までエッチングすれば,転位密度が請求項1の数値を充たしても,「転位」以外の結晶欠陥は残っているのであるから,「転位密度が請求項1に規定の数値(1×109cm-2)となる位置(深さ)まで研磨面を除去すれば,それに伴って転位以外のクラック等の結晶欠陥が多数生じている浅い領域が除去されることは明らかであるということはできない。
(3) 小括
よって,記載要件に係る本件審決の判断は誤りである。
〔被告の主張〕
(1) 原告は,機械研磨したGaN基板の裏面には,線状とも面状とも立体形状ともいい難い,無数の無秩序な結晶欠陥が発生しており,これを「転位」(線状の欠陥)と表現することはできず,そうである以上,これを「転位密度」で示すことはできないと主張する。
しかし,そもそも,発明とは技術思想であって,具体的な物ではない。特許法36条6項2号にいう明確性は,発明を構成する概念の明確性であって,現実の対象物が複雑であっても,発明の明確性とは関係がない。したがって,GaN基板裏面をある研磨条件で機械研磨したところ,原告が「表現」するような「無秩序な結晶欠陥」が生じたとしても,本件発明の明確性とは無関係である。「転位」の概念は,学術用語として確立し,原告においても,「線状の欠陥」の意味であることを認めている。「転位」という用語で表現した本件発明の技術思想に対し,具体的な物としての,機械研磨されたGaN基板裏面の状態は,本件発明の技術思想に包含されるか否かの判断対象であって,本件発明の技術思想としての「転位」の概念とは別の次元の事項である。
(2) 原告は,本件発明において「転位密度」の単位として「cm-2」を用いることが,本件特許の記載不備の理由になると主張する。
しかし,本件発明の「転位密度」の単位は,原告の主張する「cm/cm3」ではなく,本件明細書に記載されているとおり,「cm-2」である。そして,転位密度の単位として「cm-2」を用いることは,甲36ないし38でも行われており,本件発明において転位密度の単位として「cm-2」を用いることに何の問題もない。
また,高いコンタクト抵抗の原因となる「転位」の除去は,研磨面から結晶の内部方向に向かって行われるから,本件発明において,結晶中の「転位」の量,すなわち「転位密度」を問題とするときには,研磨面からある深さの位置における「転位密度」が重要である。本件発明における「転位密度」の技術的な意義を考慮すれば,その単位は,単位断面積(1cm2)当たりを通過する単位の本数とするのが妥当である。
(3) 原告は,半導体基板を機械研磨することによって,TEMで観察される無数の無秩序な結晶欠陥を含む領域が発生することは,当業者の常識的な事項であり,当業者はこれを「ダメージ層」と称呼していたものであって,このような結晶欠陥を「転位」なる概念で示すこと自体が誤りであるとか,結晶欠陥の中からどのようにして「転位」を特定するのか不明であるから,これを「転位密度」として示すことはできず,さらに,方向や長さがまちまちであり,直線的でもない「転位」について,単位面積当たりの転位の数「/cm2」を求める場合に,これをどのように数えればよいのかについての技術常識はなく,また,本件明細書にも開示がないから,本件発明に係る特許請求の範囲の記載は,サポート要件や明確性の要件を満たしていないと主張する。
しかし,本件発明1の「前記研磨により発生した転位を含む前記第1半導体層の裏面近傍の領域を除去して前記第1半導体層の裏面の転位密度を1×109cm-2以下とする第3工程」において,測定を要する「転位密度」は,除去後の基板裏面の「単位面積当たりを通過する転位の数」であるところ,対象となる素子の基板の断面STEM像の基板裏面から下方に距離zの位置にある転位の数Nは,基板裏面からzの深さにおける,(幅wμm)×(厚さtμm)の面積を通過する転位の数であり,N/(w・t)の計算式で得ることができる。
したがって,原告の主張は,理由がない。
(4) 原告は,本件明細書に開示されているのは,「転位」の上位概念である「結晶欠陥」に関する課題であって,「結晶欠陥」の下位概念である「転位」がコンタクト抵抗を上昇させる原因であるなどとする記載はないと主張する。
しかし,本件明細書(【0061】)には,試料3及び4に関する転位密度とコンタクト抵抗の実験値が記載され,コンタクト抵抗が非常に高くなる原因が研磨に由来する「転位」であることは明確に記載されている。
したがって,原告の主張は,理由がない。
(5) 小括
よって,記載要件に係る本件審決の判断に誤りはない。
2 取消事由2(分割要件に係る判断の誤り)について
〔原告の主張〕
(1) 本件審決は,原々出願の当初の特許請求の範囲,明細書又は図面(甲2。以下「原々出願の当初明細書」という。)(【0058】)には,エッチングに限定されない,「研磨により発生した転位を含む第1半導体の裏面近傍の領域を除去」する発明が記載されているとして,本件出願に分割要件の違反はないと判断した。
しかし,本件出願が原々出願のときに出願したものとみなされるためには,①原出願が原々出願に対し分割要件の全てを満たし,②本件出願が原出願に対し分割要件の全てを満たし,かつ,③本件出願が原々出願に対し分割要件のうちの実体的要件の全てを満たす必要がある。
しかるに,本件明細書に記載された事項は,原々出願の当初明細書に記載された事項の範囲内のものではないから,本件出願は,少なくとも上記③の要件を満たしていない。すなわち,原々出願の当初明細書では,請求項1において,ウルツ鉱構造を有するn型の窒化物系半導体層及び窒化物系半導体基板のいずれかからなる第1半導体層の裏面を「エッチングする工程」が挙げられ,同(【0014】)において,機械研磨によって発生するn型GaN基板の裏面近傍の結晶欠陥を低減しコンタクト抵抗を低減する手段として,「エッチング」により第1半導体層の裏面を除去することが記載され,同(【0015】【0017】【0021】等)においても,「エッチング」により,第1半導体層の裏面近傍の領域を除去することが記載され,さらに,同(【0046】)では,「エッチングの効果」を確認したと記載されている。そして,同(【0046】)以降の記載を全て検討しても,「第1半導体層の裏面近傍の結晶欠陥を含む領域を除去して前記第1半導体層の裏面の転位密度を1×109cm-2以下」とし,第1半導体層とn側電極とのコンタクト抵抗を低減する手段として記載されているのは,反応性エッチング,反応性イオンエッチング(RIE法),ウェットエッチングなどの「エッチング」のみである。
また,原々出願の当初明細書(【0053】~【0062】)には,発明の効果を確認するため表1に示すような実験を行ったとして,実験の方法,結果等が記載されているが,表1の試料3ないし7の欄の記載及びその説明に示されているとおり,実験で発明の効果を確認しているのは,特定組成のガスによる反応性イオンエッチング(RIE法)を用いてn型GaN基板の裏面(窒素面)をエッチングした場合についてのみである。
なお,原々出願の当初明細書(【0065】)には,「上記一実施形態では,n型GaN基板の裏面(窒素面)をRIE法によりエッチングしたが,本発明はこれに限らず,他のドライエッチング(反応性エッチング)を用いてもよい。例えば,反応性イオンビームエッチングや,ラジカルエッチングや,プラズマエッチングを用いてもよい。」として,RIE法以外のドライエッチングにより,同様の効果が得られる旨が記載されているが,ドライエッチング以外のエッチングで同様の効果が得られることを実際に確認したことを示す記載はない。
そうすると,原々出願の当初明細書には,第1半導体層とn側電極とのコンタクト抵抗を低減する手段としては,反応性エッチング,反応性イオンエッチング(RIE法)等のドライエッチングやウェットエッチングにより,n型GaN基板(窒素面)の裏面近傍の領域を除去することの開示しかないものといわざるを得ない。
そして,原々出願の当初明細書の記載によれば,「第1半導体層の裏面を,エッチングすることによって,研磨工程などに起因して発生した第1半導体層の裏面近傍の結晶欠陥を含む領域を除去」することが,同(【0009】)に記載された当該発明の課題を解決する手段そのものであり,その具体的手段として,反応性エッチングや反応性イオンエッチング(RIE法)以外の方法を採用した場合に,第1半導体層の裏面の転位密度や第1半導体層とn型電極とのコンタクト抵抗の具体的数値がどうなるかは自明とはいえない。
これに対し,本件発明1では,「研磨することにより厚み加工する第2工程」として,「研磨」の種類を明細書に開示のある「機械研磨」に特定せず,その上で,「…転位を含む…領域を除去」として「除去」の手段を何ら限定してない。そうすると,ここでいう「除去」には,機械研磨やCMP(ケミカル・メカニカル・ポリッシング),その他のあらゆる除去手段まで発明の範囲に含むこととなってしまう。エッチングによって「結晶欠陥」を含む領域を除去することだけを記載していた原々出願の当初明細書から,このような広い発明を分割することは,記載されていた事項の範囲内という分割の要件を潜脱するものであって,許されないというべきである。
したがって,本件出願の出願日が原々出願まで遡ることはなく,原出願に対する本件出願の分割要件が満たされているか否かを措いて最大限の遡及を認めたとしても,本件出願の出願日は原出願時(平成18年12月25日)までしか遡らないことになる。
(2) 本件特許は,先の出願(特願2002-85085号)に基づく優先権を主張して出願された原々出願から原出願の分割,更に原出願から本件出願の分割という経緯を経て特許されたものであるところ,原出願時の特許請求の範囲には,請求項1に「転位を低減する工程」と,請求項3に「前記転位を低減する工程は,前記基板の裏面側を0.5μm以上除去する工程を含む」とそれぞれ記載され,かつ,その明細書の記載は,原々出願の当初明細書と実質上同一のものであった。ところが,原出願に係る明細書の発明の詳細な説明には,転位を低減する工程について特定の方法しか記載されていないのに,請求項ではこれを何ら規定していないため,請求項1ないし3に係る発明は,発明の詳細な説明に記載したものではないとして,特許庁から拒絶理由通知がされ,被告は,最終的に,補正により,請求項1に「基板の裏面側を0.5μm以上エッチング除去することにより」との文言を入れることで,原出願について特許査定を得たという経緯がある。
かかる経緯からしても,原々出願の当初明細書には,コンタクト抵抗を低減させる除去手段として「エッチング」以外のものが記載されていなかったことは明らかである。
また,先の出願の明細書(以下「優先権基礎明細書」という。甲61)には,もともと,請求項の記載において「反応性エッチング」(RIE法)が除去の手段として特定されており,課題解決の手段の記載(【0013】)や実施例も反応性エッチングによるエッチングであって,それ以外の除去手段についての記載はなかった。反応性エッチング以外のドライエッチング及びウェットエッチングに関する記載は,原々出願において明細書に付け加えられたものである。
以上のような出願経緯に示されるとおり,少なくとも原々出願当時,明細書に示されていた技術思想は,機械研磨をした後の反応性エッチングなどによってGaN基板裏面の低コンタクト抵抗化を図るということであり,手段の如何を問わず機械研磨による「転位」を含む層を除去すればよいというようなものではなかった。
ところが,本件発明では,明らかに当初の内容から上位概念化(拡張)された広いものとなっている。このように上位概念化(拡張)を重ねて現在の内容となった本件発明について,その出願日を先の出願の出願日や原々出願日まで遡及させてよいはずがない。
(3) 本件審決は,原々出願の当初明細書には「結晶欠陥」をエッチングする発明が記載されていていただけで,「研磨によって生じた転位」」を除去する発明は記載されていないという原告の主張に対し,①研磨によって転位が発生することは甲29や甲30で立証されている,②甲9等に記載されているとおり,本件特許の出願当時,結晶が研磨時に受ける応力により転位が発生することは当業者に知られていた,③「転位」は薄膜の形成過程で生じる線状の結晶欠陥のみをいうのではなく,研磨により発生する欠陥のうちの線状の結晶欠陥も当業者が「転位」と称呼していた場合があったから,原々出願の当初明細書の結晶欠陥を含むn型GaN基板の裏面近傍の領域を除去する旨の記載(【0058】等)は,研磨により生じた原子レベルより大きな結晶欠陥(例えばクラック)に加えて研磨により生じた転位をも除去することを意味していたといえると判断した。
しかし,以下のとおり,本件審決の判断は誤りである。
ア 上記①について
仮に,甲29や甲30において,「転位」が発生することが確認されているとしても,これらは本件出願後にされた実験であるから,原々出願の当初明細書において「転位」の存在が確認されたことの根拠になるものではない。
イ 上記②について
原々出願の当初明細書(【0058】)には,「結晶欠陥」に関して「除去する」との記載はあるものの,「結晶欠陥」のうち「線状の結晶欠陥」(本件審決のいう本件発明の「転位」)に関して「除去する」との記載はない。そして,甲9等から,応力により転位が発生することが知られているとしても,機械研磨した場合に発生する層については,一般に,「転位」ではなく,「ダメージ層」といわれるアモルファスないしは多結晶化した層を含む状態であると理解されていたから,甲9等の知見に基づいて,原々出願の当初明細書でいう「結晶欠陥」が線状欠陥である「転位」を意味するものであると理解することはできない。
ウ 上記③について
ここでの問題は,原々出願の当初明細書では,除去すべき対象を「クラックなどを含む結晶欠陥」と記載していたときに,これとは明らかに技術的意味が異なる「転位」を除去する発明が同明細書に記載されているといえるか否かである。仮に,甲27や甲28で「研磨により発生する欠陥に転位が含まれる」ことが知られていたとしても,それ自体は,原々出願の当初明細書に「転位」を除去する発明が記載されていたことの根拠にはならない。
また,本件審決の認定によれば,本件発明の「転位」とは,「線状の結晶欠陥」を意味し,それ以外の結晶欠陥を含まないということになるから,本件発明は,転位のみを低減し,それ以外の結晶欠陥を低減しないものを含んでいる。これを原告の平成24年11月14日付け準備書面の図9(被告が転位を赤の実線で示したSTEM像(甲34の6頁上図)に原告において青線を加工したもの)でみると,同図において,機械研磨面に近いところ(青線の上側)には,赤の実線はほとんど付されておらず,被告の主張によっても,この領域には「線状の欠陥」(転位)が少ないから,同図において,機械研磨したGaN基板を上記青線までしかエッチングしなかったものは,その表面が「線状の結晶欠陥」は少なく,「前記第1半導体層の裏面の転位密度を1×109cm-2以下とする」の要件を充足し,本件発明に含まれることとなる。
しかし,原々出願の当初明細書には,研磨により発生した結晶欠陥を含むGaN基板の裏面近傍の領域をRIE法によるエッチングにより除去することにより,結晶欠陥に起因する電子キャリア濃度の低下を抑制することは記載されている(【0056】)が,それは,結晶欠陥を含む領域を除去することであり,「結晶欠陥」には「転位」が含まれることを前提としても,転位を規定値以下にしさえすれば(上図の青線の上側までエッチングすれば),それ以外の結晶欠陥が残っていても,格別の効果(結晶欠陥に起因する電子キャリア濃度の低下の抑制など)を得られることは記載されていない。この点からしても,本件発明は,原々出願の当初明細書に記載されていた事項の範囲を超えるものである。
(4) 小括
以上のとおり,本件出願は分割要件に違反するから,その出願日は,原々出願の出願日に遡及せず,その結果,本件発明は,その出願日前に公開されていた原々出願の公開公報(甲3)との関係で,新規性・進歩性が認められないものである。
〔被告の主張〕
(1) 原告は,原々出願の当初明細書の各段落において,研磨により発生した転位を含む基板裏面近傍の領域を除去する手段として記載されているのは,反応性エッチング(RIE法)等のエッチングのみであるとか,同(【0058】)に記載された実験で発明の効果を確認しているのも,特定組成のガスによるRIE法を用いた場合についてのみであるなどとして,原々出願の当初明細書には,第1半導体層とn側電極とのコンタクト抵抗を低減する手段としては,RIE法等のエッチングにより,n型GaN基板(窒素面)の裏面近傍の領域を除去することの開示しかない旨主張する。
しかし,1つの実施例によってどれだけの広さのクレームがサポートされるかは,それぞれの発明の技術内容によるものである。原々出願の当初明細書(【0058】)に記載された試料3及び試料4の実験結果は,研磨後の除去工程を経ない試料1のコンタクト抵抗が20Ωcm2と非常に大きいのに対し,基板裏面をより深くまで除去するほど,転位密度が減少し,コンタクト抵抗も減少することを示すものであって,コンタクト抵抗の増大が研磨によって生じた「転位」を原因とするものであることが記載されている。したがって,除去手段がエッチングであることは,実験結果に重要な影響を及ぼしたとは考えないのが,合理的な判断である。
原告は,エッチング以外の除去手段を採用した場合に,「コンタクト抵抗の具体的数値がどうなるか自明とはいえない」と抽象的に主張しているが,このようなことを問題にすることは意味がない。いかなる実施例においても,それと別の条件を採用した場合に,具体的数値がどうなるかまでは自明でないが,だからといって,クレームを実施例の条件に限定しなければならない理由にはならない。また,原告が,試料3及び4の実験結果について,特定のガス種のRIE法を用いた場合に得られる結果にとどまると考えるのが相当などと主張するのは,全く失当である。試料3及び4の実験結果は,除去手段によらず,研磨によって生じた転位を除去することによって,コンタクト抵抗を低くすることができることを十分に示している。
(2) 原告は,甲29及び30は,本件出願後にされた実験であるから,原々出願の当初明細書において,「転位」の存在が確認されたことの根拠になるものではないと主張する。
しかし,そもそも,原々出願の当初明細書には,GaN基板裏面を機械研磨すると「転位」が生じることが記載されており,甲29及び30は,機械研磨後のGaN基板裏面についてTEM写真を撮影し,原々出願の当初明細書に記載されている「転位」を視覚的に示したものにすぎない。
(3) 原告は,原々出願の当初明細書(【0058】)には,「結晶欠陥」を除去するとの記載はあっても,「転位」を除去するとの記載はなく,甲9等の知見に基づいて,原々出願の当初明細書にいう「結晶欠陥」が「転位」を意味するとは理解できないと主張する。
しかし,原々出願の当初明細書(【0058】)は,試料4のコンタクト抵抗が試料3のコンタクト抵抗に比べて低い値となった実験結果を受けて,その理由を述べているものである。同段落には,「これらの試料において,n型GaN基板の裏面の結晶欠陥(転位)密度を,TEM分析により測定したところ,試料3の結晶欠陥密度は1×109cm-2であった。一方,試料4では,観察した視野中に結晶欠陥は観察されず,結晶欠陥密度は1×106cm-2以下であった。したがって,RIE法によりn型GaN基板の裏面を約1.0μm以上の厚み分除去するのが好ましい」とも記載されており,その全体を見れば,「結晶欠陥」が「転位」の意味であることが十分に理解できる。
(4) 原告は,仮に,甲27及び28で「研磨により発生する欠陥に転位が含まれる」ことが知られていたとしても,このことは,原々出願の当初明細書に「転位」を除去する発明が記載されていたことの根拠にはならないと主張する。
しかし,原告は,あたかも,原々出願の当初明細書では,「転位」の記載が存在しないかのような主張をするが,前記のとおり,原々出願の当初明細書(【0058】)には,「結晶欠陥」が「転位」であることがわかるように記載されている。甲9,27及び28によって「転位」が研磨により生じる線状の欠陥であることが知られているのであるから,上記段落【0058】が「転位の除去」や「転位密度」を開示していることは明白である。
(5) 原告は,甲34の6頁上図に原告において青線を加工した図面を示して,研磨面に近いところは「線状の欠陥(転位)」が少ないので,研磨面のごく近くを浅く除去しただけの場合も,「基板裏面の転位密度を1×109cm-2以下とする」との要件を充足し,本件発明に含まれるとした上で,原々出願の当初明細書には,転位密度を所定の数値範囲内にすれば,それ以外の結晶欠陥が残っていても,格別の効果が得られるとの記載はないとして,この点からも,本件発明は,原々出願の当初明細書に記載されていた事項を超えるものであると主張する。
原告は,本件発明が「転位」以外の結晶欠陥について構成要件に記載していないことから,原々出願の当初明細書に,「転位」以外の結晶欠陥が存在していても,「転位」を除去しさえすれば,所望の効果が得られる「発明」が記載されていなければならないと考えているようである。しかし,特許発明は,構成要件要素の組合せで構成される技術思想であって,構成要件とされていない事項について,明細書に記載が求められておらず,そのような記載がなくても,特許法36条違反にはならない。特許請求の範囲に「転位の除去」と記載され,それ以外の結晶欠陥の除去を記載していないのは,転位以外の欠陥は発明の限定要件ではないだけのことであって,転位さえ除去すれば,転位以外の欠陥を除去しなくても目的が達成されるのが本件発明であるというのは誤った理解であり,無意味である。
(6) 小括
よって,本件出願に分割要件違反はなく,本件発明は,原々出願の公開公報(甲3)との関係で,新規性,進歩性が否定されるものではない。
第4当裁判所の判断
1 本件発明について
(1) 本件発明は,前記第2の2に記載のとおりであるところ,本件明細書(甲1)には,本件発明について,概略,次のような記載がある。
ア 本発明は,窒化物系半導体素子の製造方法,特に,電極を有する窒化物系半導体素子の製造方法に関するものである(【0001】)。
イ 図7は,n型GaN基板を用いて形成された従来の窒化物系半導体レーザ素子を示した断面図である。従来の製造プロセスでは,n型GaN基板上に成長される窒化物系半導体層の結晶性を向上させるため,窒化物系半導体層は,ウルツ鉱構造を有するn型GaN基板のGa面上に成長される。また,ウルツ鉱構造を有するn型GaN基板の窒素面は,裏面として用いられ,この裏面上にn側電極が形成される(【0005】)。
従来の窒化物系半導体レーザ素子では,n型GaN基板の硬度が非常に大きいので,劈開により素子分離及び共振器端面の形成を良好に行うのが困難であるという不都合がある。これに対処するため,劈開工程前にn型GaN基板の裏面を機械研磨して,n型GaN基板の裏面の凹凸の大きさを小さくすることによって,素子分離及び共振器端面の形成を良好に行う方法が提案されている(例えば,特開2002-26438号公報)(【0008】)。
しかし,上記文献に開示された従来の方法では,n型GaN基板の裏面を機械研磨する際に,n型GaN基板の裏面近傍に応力が加わるため,n型GaN基板の裏面近傍にクラックなどの微細な結晶欠陥が発生するという不都合がある。その結果,n型GaN基板と,n型GaN基板の裏面(窒素面)上に形成されたn側電極とのコンタクト抵抗が増加するという問題点があった(【0009】)。
また,n型GaN基板の窒素面は,酸化されやすいので,これによっても,n型GaN基板の裏面(窒素面)上に形成されたn側電極とのコンタクト抵抗が増加するという問題点があった(【0010】)。
ウ この発明は,上記のような課題を解決するためになされたものであり,この発明の1つの目的は,窒化物系半導体基板などの窒素面と電極とのコンタクト抵抗を低減することが可能な窒化物系半導体素子の製造方法を提供することである(【0011】)。
この発明のもう1つの目的は,窒化物系半導体素子の製造方法において,窒化物系半導体基板などの窒素面近傍の結晶欠陥を低減することである(【0012】)。
エ 上記目的を達成するため,この発明の窒化物系半導体素子の製造方法は,n型の窒化物系半導体層及び窒化物系半導体基板のいずれかからなる第1半導体層の上面上に,活性層を含む窒化物半導体層からなる第2半導体層を形成する第1工程と,第1半導体層の裏面を研磨することにより厚み加工する第2工程と,第1工程及び第2工程の後,研磨により発生した転位を含む第1半導体層の裏面近傍の領域を除去して第1半導体層の裏面の転位密度を1×109cm-2以下とする第3工程と,その後,転位を含む第1半導体層の裏面近傍の領域が除去された第1半導体層の裏面上に,n側電極を形成する第4工程とを備え,第1半導体層とn側電極とのコンタクト抵抗を0.05Ωcm2以下とする(【0014】)。
オ 上記の窒化物系半導体素子の製造方法では,ウルツ鉱構造を有するn型の窒化物系半導体層及び窒化物系半導体基板のいずれかからなる第1半導体層の裏面を,エッチングすることによって,研磨工程などに起因して発生した第1半導体層の裏面近傍の結晶欠陥を含む領域を除去することができるので,第1半導体層の裏面近傍の結晶欠陥を低減することができる。これにより,結晶欠陥による電子キャリアのトラップなどに起因する電子キャリア濃度の低下を抑制することができるので,第1半導体層の裏面の電子キャリア濃度を大きくすることができる。その結果,第1半導体層とn側電極とのコンタクト抵抗を低減することができる。また,第1半導体層の裏面をエッチングすることによって,機械研磨の場合に比べて,第1半導体層の裏面の平坦性を向上させることができる。これにより,第1半導体層の裏面上に形成されるn側電極の平坦性を向上させることができるので,n側電極を放熱基台に取り付ける構造の場合には,n側電極と放熱基台との密着性を向上させることができる。その結果,良好な放熱特性を得ることができる。また,第1半導体層の裏面上に形成されるn側電極の平坦性を向上させることができるので,n側電極にワイヤボンディングを行う構造の場合には,n側電極に対するワイヤボンディングのボンディング特性を向上させることができる(【0015】)。
カ 本発明によると,窒化物系半導体基板などの窒素面と電極とのコンタクト抵抗を低減することが可能な窒化物系半導体素子の製造方法を提供することができる(【0037】)。
また,本発明によると,上記の窒化物系半導体素子の製造方法において,窒化物系半導体基板などの窒素面近傍の結晶欠陥を低減することができる(【0038】)。
キ 発明の実施の形態
(ア) エッチングによる効果を確認するために,エッチング前後におけるn型GaN基板1の裏面の結晶欠陥(転位)密度を,TEM分析により測定した。その結果,エッチング前には,結晶欠陥密度は,1×1010cm-2以上であったのに対して,エッチング後には,結晶欠陥密度は,1×106cm-2以下にまで減少していることが判明した(【0049】)。
(イ) 本発明による試料3~7では,従来例に対応する試料1よりも,n型GaN基板の裏面近傍の電子キャリア濃度が高かった。具体的には,従来例に対応する試料1の電子キャリア濃度は,2.0×1016cm-3であったのに対して,本発明による試料3~7の電子キャリア濃度は,1.0×1017cm-3以上であった(【0060】)。
(ウ) Cl2ガスを用いたRIE法により,n型GaN基板の裏面を約1μmの厚み分だけ除去した試料4では,Cl2ガスを用いたRIE法により,n型GaN基板の裏面を約0.5μmの厚み分だけ除去した試料3よりも,低いコンタクト抵抗を得ることができた。これは,約0.5μmの厚み分の除去では,機械研磨により発生した結晶欠陥を含むn型GaN基板の裏面近傍の領域を十分に除去することができなかったためであると考えられる。これらの試料において,n型GaN基板の裏面の結晶欠陥(転位)密度を,TEM分析により測定したところ,試料3の結晶欠陥密度は1×109cm-2であった。一方,試料4では,観察した視野中に結晶欠陥は観察されず,結晶欠陥密度は1×106cm-2以下であった。したがって,RIE法によりn型GaN基板の裏面を約1.0μm以上の厚み分除去するのが好ましい(【0061】)。
(2) 以上の記載からすると,本件明細書には,次の点が開示されていると認められる。
ア 本件発明は,電極を有する窒化物系半導体素子の製造方法に関するものである。
イ n型GaN基板を用いて形成された従来の窒化物系半導体レーザ素子では,n型GaN基板の硬度が非常に大きく,劈開により素子分離及び共振器端面の形成を良好に行うのが困難であるため,劈開工程の前にn型GaN基板の裏面を機械研磨して,n型GaN基板の裏面の凹凸の大きさを小さくすることにより,素子分離及び共振器端面の形成を良好に行う方法が提案されている。しかし,この方法では,n型GaN基板の裏面を機械研磨する際に,n型GaN基板の裏面近傍に応力が加わるため,クラックなどの微細な結晶欠陥が発生し,その結果,n型GaN基板と,n型GaN基板の裏面(窒素面)上に形成されたn側電極とのコンタクト抵抗が増加するという問題点があり,また,n型GaN基板の窒素面は,酸化されやすいので,これによっても,n型GaN基板の裏面(窒素面)上に形成されたn側電極とのコンタクト抵抗が増加するという問題点があった。
ウ 本件発明は,これらの課題を解決するため,窒化物系半導体基板などの窒素面と電極とのコンタクト抵抗を低減することが可能な窒化物系半導体素子の製造方法を提供すること,また,窒化物系半導体素子の製造方法において,窒化物系半導体基板などの窒素面近傍の結晶欠陥(転位)を低減すること目的として,n型の窒化物系半導体層及び窒化物系半導体基板のいずれかからなる第1半導体層の上面上に,活性層を含む窒化物半導体層からなる第2半導体層を形成する第1工程と,第1半導体層の裏面を研磨することにより厚み加工する第2工程と,第1工程及び前記第2工程の後,研磨により発生した転位を含む第1半導体層の裏面近傍の領域を除去して第1半導体層の裏面の転位密度を1×109cm-2以下とする第3工程と,その後,転位を含む第1半導体層の裏面近傍の領域が除去された第1半導体層の裏面上に,n側電極を形成する第4工程とを備え,第1半導体層とn側電極とのコンタクト抵抗を0.05Ωcm2以下とするというものである。
2 取消事由1(記載要件に係る判断の誤り)について
(1) 明確性要件について
ア 原告は,機械研磨したGaN基板の裏面は,線状とも面状とも立体形状ともいい難い,無数の無秩序な結晶欠陥が発生しているのであって,これを「転位」(線状の欠陥)などと表現することはできず,そうである以上,これを「転位密度」で示すことはできないから,「転位密度」で規定された本件発明は明確性要件に違反すると主張する。
まず,本件発明では,特許請求の範囲において,「転位」あるいは「転位密度」との用語が用いられているところ,甲8(半導体・金属材料用語辞典)では,「結晶中に存在する線状の格子欠陥(原子配列の乱れ)を転位という。」と,甲9(半導体用語大辞典)では,転位について,「結晶中のひずみに起因する線欠陥の一種で,…原子面の片側に線状にダングリングボンドが並ぶ結晶欠陥である。」と,甲26(科学大辞典)では,転位について,「結晶中にある線上の結晶格子の乱れ」とそれぞれ記載されている。また,「化合物半導体結晶の成長方法」に関する公開特許公報である甲27(【0020】)では,「研磨表面は研磨により結晶学的には乱れた表面であり,多数の転位を含む。」と,「電子部品の製造方法」に関する公開特許公報である甲28(2頁右下欄下から5行~3頁左上欄4行)では,「表面層の除去を機械的研磨によって行う場合,この研磨処理によって基体表面に転位網を生じせしめる」と記載されており,これらの記載からすると,「転位」とは,「結晶中に存在する原子レベルの線状の格子欠陥」を意味し,研磨によって「転位」が発生することは,一般に知られていたものであるということができる。
また,「GaN系化合物半導体結晶の成長方法及び半導体基材」に関する公開特許公報である甲35(【0005】),「窒化物半導体レーザ装置及びその製造方法」に関する公開特許公報である甲36(【0024】),「窒化物系半導体レーザ装置」に関する公開特許公報である甲37(【0026】),同様に「窒化物系半導体レーザ装置」に関する公開特許公報である甲38(【0011】)では,基板の品質に関して,それぞれ「転位密度」との語句が用いられており,「転位密度」なる用語は,本件出願当時,当業者において慣用されていたものであるということができる。
そうすると,本件発明にいう「転位」あるいは「転位密度」との用語が,それ自体明確性を欠くものということはできない。
また,本件発明において,「転位密度」は,本件明細書の「エッチングによる効果を確認するために,エッチング前後におけるn型GaN基板の裏面の結晶欠陥(転位)密度を,TEM分析により測定した。」(【0049】)との記載や「これらの試料において,n型GaN基板の裏面の結晶欠陥(転位)密度を,TEM分析により測定したところ,試料3の結晶欠陥密度は1×109cm-2であった。」(【0061】)等の記載からすると,TEM分析により測定しているものと認められるところ,甲29(畑雅幸作成の陳述書)及び甲30(株式会社UBE科学分析センター形態分析研究室作成の分析結果報告書)によれば,TEM分析によって,GaN半導体に機械研磨によって生じた転位を観察し,かつ,転位密度を測定することができることが認められる。なお,当業者にとっては,本件明細書にいうTEMと甲29に記載されたSTEM,甲30に記載された走査型透過電子顕微鏡とが,いずれも同様の分析方法を指すものであることは自明である。
そして,本件発明は,「前記研磨により発生した転位を含む前記第1半導体層の裏面近傍の領域を除去して前記第1半導体層の裏面の転位密度を1×109cm-2以下とする」ものであるから(請求項1),測定を要する「転位密度」は,研磨によって発生した転位を含む第1半導体層(GaN基板)の裏面近傍の領域の「転位密度」ではなく,この領域を除去した後の第1半導体層(GaN基板)裏面の「転位密度」をいうのであり,これ自体明確な記載であって明確性要件を欠くものとはいえない。仮に機械研磨したGaN基板の裏面が,線状とも面状とも立体形状ともいい難い,無数の無秩序な結晶欠陥が発生しているとしても,請求項1の記載は,研磨により発生した転位を含むGaN基板の裏面近傍の領域を除去した後のGaN基板裏面の「転位密度」をいうのであるから,これが不明確であるということにはならない。
したがって,原告の主張は,採用することができない。
イ 原告は,「転位密度」とは,本来,「単位断面積(1cm2)当たりを通過する「転位」の本数」ではなく,「単位体積当たりの転位線の長さ(cm/cm3)」を意味する概念であるところ,そもそも,転位のような線状の欠陥について単位面積当たりの転位の数(/cm2)をどのように数えればよいのかに関する技術常識はなく,また,本件明細書にも開示がないから,本件発明に係る特許請求の範囲の記載は,明確性要件を満たしていないと主張する。
確かに,甲8(半導体・金属材料用語辞典)によれば,「転位密度」とは,「単位体積当たりの転位線の長さ(cm/cm3)」を意味する概念であるということもできる。
これに対し,本件発明における「転位密度」の単位である「/cm2」は,文字どおり,単位断面積当たりの転位の数を示すものであるが,前記のとおり,甲35ないし38では,いずれも転位密度の単位として「cm-2」を用いており,本件出願当時,転位密度の単位として「/cm2」を用いることも,慣用されていたものであるといえる。
そして,前記のとおり,本件発明において測定を要する「転位密度」は,研磨により発生した転位を含むGaN基板の裏面近傍の領域を除去した後のGaN基板裏面の「転位密度」であり,この「転位密度」は,TEM分析により測定されるものであるところ(【0049】【0061】),前記のとおり,TEM分析によって「転位密度」が測定できることは,甲29及び30によって認められるものである。
したがって,本件明細書には,単位面積当たりの転位の数(/cm2)の測定に関する技術が開示されているのであり,原告の主張は,採用することができない。
(2) サポート要件について
ア 原告は,「転位密度」で規定された発明は本件明細書に記載されていないとか,どのような基準で請求項が規定する「/cm2」に該当する個数を数えるのか定かでないなどとして,本件発明に係る特許請求の範囲の記載は,サポート要件を充たしていないと主張する。
しかしながら,前記のとおり,本件発明にいう「転位」あるいは「転位密度」との用語が,それ自体明確性を欠くものではなく,転位密度を低下させることによって,より低い第1半導体層とn側電極とのコンタクト抵抗を得るという本件発明の課題(【0011】)が解決されることは,本件明細書(【0061】)に明確に記載されている。そして,前記のとおり,本件発明において,「転位密度」は,TEM分析により測定されているところ(【0049】【0061】),TEM分析により「転位密度」が測定できることは,甲29及び30によって認められるところである。
イ 原告は,本件明細書に開示されているのは,「転位」の上位概念である「結晶欠陥」に関する課題であって,「結晶欠陥」の下位概念である「転位」がコンタクト抵抗を上昇させる原因であるなどという記載はないなどと主張する。
確かに,本件明細書(【0009】)には,「従来の方法では,n型GaN基板の裏面を機械研磨する際に,n型GaN基板の裏面近傍に応力が加わる。このため,n型GaN基板の裏面近傍にクラックなどの微細な結晶欠陥が発生するという不都合がある。その結果,n型GaN基板と,n型GaN基板の裏面(窒素面)上に形成されたn側電極とのコンタクト抵抗が増加するという問題点があった」と記載され,コンタクト抵抗が増加することの原因として,「転位」は明示されていない。
しかしながら,本件明細書(【0014】【0049】【0061】等)には,本件発明では,上記【0009】に記載された課題を解決するため,研磨により発生した転位を含む第1半導体層の裏面近傍の領域を除去して第1半導体層の裏面の転位密度を1×109cm-2以下とし,それによってコンタクト抵抗が低下することが記載されているから,上記【0009】にいう「クラックなどの微細な結晶欠陥」に第1半導体層の裏面近傍の領域に生じた「転位」が含まれていることは明らかである。
したがって,原告の主張は,採用することができない。
⑶ 小括
以上によれば,本件発明は,本件明細書に記載されたものであるから,サポート要件を充足している。
よって,取消事由1は理由がない。
3 取消事由2(分割要件に係る判断の誤り)について
(1) 原々出願の当初明細書の記載について
原々出願の当初明細書(甲2)には,概略,次のような記載がある。
ア RIE法を用いてn型GaN基板の裏側のエッチングを行った本発明による試料3~7では,従来と同様の方法により作成された試料1よりもコンタクト抵抗が大きく低減された。具体的には,試料1のコンタクト抵抗は,20Ωcm2であったのに対して,本発明による試料3~7のコンタクト抵抗は,0.05Ωcm2であった。これは,すなわち,本発明による試料3~7では,機械研磨により発生した結晶欠陥を含むn型GaN基板の裏面近傍の領域が,RIE法によるエッチングにより除去されたと考えられる。このため,n型GaN基板の裏面近傍における結晶欠陥に起因して電子キャリア濃度が低下するのが抑制されたためであると考えられる(【0056】)。
イ Cl2ガスを用いたRIE法により,n型GaN基板の裏面を約1μmの厚み分だけ除去した試料4では,Cl2ガスを用いたRIE法により,n型GaN基板の裏面を約0.5μmの厚み分だけ除去した試料3よりも,低いコンタクト抵抗を得ることができた。これは,約0.5μmの厚み分の除去では,機械研磨により発生した結晶欠陥を含むn型GaN基板の裏面近傍の領域を十分に除去することができなかったためであると考えられる。これらの試料において,n型GaN基板の裏面の結晶欠陥(転位)密度を,TEM分析により測定したところ,試料3の結晶欠陥密度は1×109cm-2であった。一方,試料4では,観察した視野中に結晶欠陥は観察されず,結晶欠陥密度は1×106cm-2以下であった。したがって,RIE法によりn型GaN基板の裏面を約1.0μm以上の厚み分除去するのが好ましい(【0058】)。
ウ 今回開示された実施形態は,全ての点で例示であって,制限的なものではないと考えられるべきである。本発明の範囲は,実施形態の説明ではなく,特許請求の範囲によって示され,更に特許請求の範囲と均等の意味及び範囲内での全ての変更が含まれる(【0063】)。
エ 実施形態では,n型GaN基板の裏面(窒素面)をRIE法によりエッチングしたが,本発明はこれに限らず,他のドライエッチング(反応性エッチング)を用いてもよい。例えば,反応性イオンビームエッチングや,ラジカルエッチングや,プラズマエッチングを用いてもよい(【0065】)。
オ 実施形態では,n型GaN基板の裏面(窒素面)を,Cl2ガスとBCl3ガスとを用いて,RIE法によりエッチングを行ったが,本発明はこれに限らず,他のエッチングガスを用いてもよい。たとえば,Cl2とSiCl4との混合ガスやCl2とCF4との混合ガスやCl2ガスを用いてもよい(【0066】)。
カ 実施形態では,n型GaN基板の裏面(窒素面)を,RIE法によりドライエッチングを行ったが,本発明はこれに限らず,n型GaN基板の裏面(窒素面)をウェットエッチングするようにしてもよい(【0076】)。
(2) 原告は,原々出願の当初明細書には,第1半導体層とn側電極とのコンタクト抵抗を低減する手段としては,反応性エッチング,反応性イオンエッチング(RIE法)等のドライエッチングやウェットエッチングにより,n型GaN基板(窒素面)の裏面近傍の領域を除去することの記載しかないと主張する。
確かに,原々出願の当初明細書において,第1半導体層とn側電極とのコンタクト抵抗を低減する手段として明示されているのは,反応性エッチング,反応性イオンエッチング(RIE法)等のドライエッチングやウェットエッチングである。
しかしながら,前記のとおり,原々出願の当初明細書(【0058】)には,n型GaN基板の裏面を機械研磨したことにより裏面近傍に集中して発生した結晶欠陥(転位を含む)領域を約0.5μmの厚みで除去した場合(試料3)と,その倍の約1.0μmの厚みで除去した場合(試料4)とを比較し,試料4の方が転位密度が3桁も低くなり,その結果,試料4の方がより低いコンタクト抵抗が得られたことが記載されている。このような記載に接した当業者であれば,上記【0058】において,試料4が試料3に比べて転位密度がより低くなり,コンタクト抵抗がより低くなったという結果は,試料4の方が機械研磨によって生じた転位を含む領域が比較的厚く除去された,すなわち,転位そのものがより多く除去されたことによってもたらされたものであると認識するのであって,除去手段をエッチングとするか他の手段とするかによってかかる効果が左右されるものであると認識するものではない。
したがって,原々出願の当初明細書【0058】の「研磨により発生した転位を含む第1半導体層の裏面近傍の領域を除去」する手段としては,特定の方法(エッチング)に限定されるものでないことは,原々出願の当初明細書の記載から,当業者にとって自明であったといえる。
(3) 原告は,原々出願の当初明細書(【0058】)の記載は特定のガス種を用いて反応性イオンエッチングを行った結果を記載しているだけであり,条件を変えたエッチングやエッチング以外にまで拡大した「除去手段」を用いたときに同様の効果が得られることが自明であるとはいえない旨主張する。
確かに,原々出願の当初明細書(【0058】)には,特定のガス種(Cl2ガス)を用いたRIE法でGaN基板の裏面を除去した結果しか記載されていないものの,前記(1)ウ~カの各記載のとおり,原々出願の当初明細書に記載された発明におけるn型GaN基板裏面のエッチングは,Cl2を用いたRIE法に限定されるものでないことは明らかである。また,上記【0058】の「約0.5μmの厚み分の除去では,機械研磨により発生した結晶欠陥を含むn型GaN基板の裏面近傍の領域を十分に除去することができなかったためであると考えられる。」との記載からすると,機械研磨により発生した結晶欠陥(転位)を含むn型GaN基板の裏面近傍の領域を十分に除去すれば,転位密度が十分に低減し,その結果,第1半導体層とn側電極とのコンタクト抵抗が下がることは,当業者であれば理解することができるものである。
そうすると,原々出願の当初明細書には,研磨により発生した転位を含む第1半導体層の裏面近傍の領域を除去する手段について,特定の方法(エッチング)に限定されない除去手段が記載されているということは,当業者にとって自明な事項であるといえる。
したがって,原告の主張は,採用することができない。
(4) 原告は,原出願においては,請求項1に「基板の裏面側を0.5μm以上エッチング除去することにより」との文言を入れることにより特許査定がされた経緯からすると,本件出願は分割要件を満たさないものであるなどと主張する。
証拠(甲4~7)によれば,次の事項を認めることができる。
原出願の出願時の特許請求の範囲の請求項1には,「前記基板の裏面近傍の転位を低減する工程」と,請求項3には「前記転位を低減する工程は,前記基板の裏面側を0.5μm以上除去する工程を含む」と記載されていた(甲4)。これに対し,審査官は,当該出願された発明について,特許法29条1項3号及び同条2項により特許を受けることができないと指摘するとともに,「請求項1~3に係る発明では,基板の裏面近傍の転位を低減する工程について何ら規定がないために,あらゆる方法を包含しているが,発明の詳細な説明には特定の方法しか記載されていない。」として,当該出願は,サポート要件を充たしていないとも指摘し,拒絶理由通知を発した(甲5)。その後,被告は,請求項1を「n型の窒化物系半導体からなる基板の裏面側を研磨することによって前記基板を所定の厚みにする工程と,前記基板の裏面側を0.5μm以上エッチング除去する工程と,前記エッチング除去された前記基板の裏面上にn側電極を形成する工程とを備えることにより,前記n側電極と前記基板との間のコンタクト抵抗を0.05Ωcm2以下とする,窒化物系半導体素子の製造方法。」にする補正(なお,上記下線部は,当該補正による付加部分である。)をして,特許査定を得た(甲6,7)。
願書に添付した明細書,特許請求の範囲又は図面の補正は,願書に最初に添付した明細書,特許請求の範囲又は図面に記載した事項の範囲内においてしなければないが(前記補正に適用される平成14年法律第24号による改正前の特許法17条の2第3項),ここでいう「願書に最初に添付した明細書又は図面に記載した事項の範囲内」とは,明細書又は図面の全ての記載を総合することにより導かれる技術的事項であり,補正が,このようにして導かれる技術的事項との関係において,新たな技術的事項を導入しないものであるときは,当該補正は,「明細書又は図面に記載した事項の範囲内」においてするものということができるというべきである(なお,平成6年法律第116号による改正前の特許法17条2項にいう「明細書又は図面に記載した事項」に関する知財高裁平成18年(行ケ)第10563号平成20年5月30日特別部判決参照)。そして,上記明細書又は図面の全ての記載を総合することにより導かれる技術的事項は,必ずしも明細書又は図面に直接表現されていなくとも,明細書又は図面の記載から自明である場合には,そのような訂正は,特段の事情がない限り,新たな技術的事項を導入しないものであると認めるのが相当である。
そうすると,原出願の特許請求の範囲の請求項1において,基板の裏面側を除去する方法として,明細書に明記されているエッチングに限定したからといって,直ちにエッチング以外のものが明細書又は図面に記載されていなかったことにはならない。
また,原出願に係る明細書(甲4。【0061】)には,前記(1)イの原々出願の当初明細書(【0058】)と同様の記載があるから,このような記載に接した当業者であれば,上記原出願に係る明細書において,試料4が試料3に比べて転位密度がより低くなり,コンタクト抵抗がより低くなったという結果は,試料4の方が機械研磨によって生じた転位を含む領域が比較的厚く除去された,すなわち,転位そのものがより多く除去されたことによってもたらされたものであると認識するのであって,除去手段をエッチングとするか他の手段とするかによってかかる効果が左右されるものであると認識するものではない。したがって,研磨により発生した転位を含む第1半導体層の裏面近傍の領域を除去する手段としては,特定の方法(エッチング)に限定されるものでないことも,原出願に係る明細書の記載から,当業者にとって自明であったといえる。
したがって,原告の主張は,採用することができない。
(5) 原告は,優先権主張に係る先の出願の請求項では,反応性エッチング(RIE法)が除去の手段として特定されていたとして,本件出願は分割要件を満たさないと主張する。
しかしながら,分割出願においては,新たな特許出願はもとの特許出願の時にしたものとみなす(特許法44条2項)とされているから,分割出願に記載された発明に係る技術的事項は,原出願の明細書に記載されていることを要するところ,前記のとおり,原々出願の当初明細書(甲2)や原出願の明細書(甲4)に記載された技術的事項としては,研磨により発生した転位を含む第1半導体層の裏面近傍の領域を除去する手段が特定の方法(エッチング)に限定されるものではないから,優先権主張に係る先の出願の請求項において,反応性エッチング(RIE法)が除去の手段として特定されていたとしても,それによって,本件出願に係る分割要件の具備が否定されるものではない。
なお,優先権主張に係る先の出願の請求項では,除去の方法として反応性エッチングが特定されているが(甲61),優先権基礎明細書(【0043】)には,n型GaN基板の裏面近傍の結晶欠陥の除去手段について,原々出願の当初明細書(【0058】)や原出願の明細書(【0061】)と同様の記載があるから,優先権基礎明細書の記載から導かれる技術的事項としては,研磨により発生した転位を含む第1半導体層の裏面近傍の領域を除去する手段が反応性エッチングに限定されるものではない。
したがって,原告の主張は,採用することができない。
(6) 原告は,原々出願の当初明細書には,研磨により生じた「結晶欠陥」をエッチングする発明が記載されているだけで,「研磨により生じた転位」を除去する発明は記載されていないと主張する。
しかし,前記のとおり,甲29及び30によれば,研磨によって転位が生じることが認められ,また,甲9(半導体用語大辞典)には,「結晶が応力を受けて塑性変形する場合,通常,最密原子面に沿って原子がすべることにより応力を解放する。すべりは全ての原子が同時に結合を切る必要はなく,まず線状にボンドが切断され(転位)…」と記載され,さらに,例えば,甲27(特開平6-244112号公報。【0019】【0020】),甲28(特開昭60-117742号公報。2頁右下欄下から5行~3頁左上欄4行)には,研磨により発生する欠陥に「転位」が含まれる旨の記載があるから,本件出願当時,結晶が研磨時に受ける応力により転位が発生することは当業者に知られていたとともに,「転位」は薄膜の形成過程で生じる線状の格子欠陥(本件明細書【0003】参照)のみをいうのではなく,研磨により発生する欠陥のうちの線状の格子欠陥も当業者が「転位」と称呼していた場合があったものと認められる。
そして,原々出願の当初明細書(【0058】)には,「これらの試料において,n型GaN基板の裏面の結晶欠陥(転位)密度を,TEM分析により測定したところ,試料3の結晶欠陥密度は1×109cm-2であった。一方,試料4では,観察した視野中に結晶欠陥は観察されず,結晶欠陥密度は1×106cm-2以下であった。したがって,RIE法によりn型GaN基板の裏面を約1.0μm以上の厚み分除去するのが好ましい。」と記載されていることからすると,ここで測定している「結晶欠陥密度」が「転位密度」であることは,当業者であれば容易に理解できるものである。
また,原々出願の当初明細書の請求項13の「前記第1半導体層の前記n側電極との界面近傍における転位密度は,1×109cm-2以下である,請求項11または12に記載の窒化物系半導体素子。」との記載及びそれに関連する同明細書の「上記第3の局面による窒化物系半導体素子において,好ましくは,第1半導体層のn側電極との界面近傍における転位密度は,1×109cm-2以下である。このように構成すれば,第1半導体層のn側電極との界面近傍における結晶欠陥(転位)を低減することができるので,第1半導体層のn側電極との界面におけるコンタクト抵抗を低減することができる。」(【0027】)との記載からも,上記【0058】で測定している「結晶欠陥密度」が「転位密度」のことを意味していることは明らかである。
したがって,原々出願の当初明細書には,「研磨により生じた転位」を除去する発明が記載されているものと認められるから,原告の主張は,採用することができない。
(7) 原告は,原々出願の当初明細書(【0056】)には,研磨により発生した結晶欠陥を含むGaN基板の裏面近傍の領域をRIE法によるエッチングにより除去することにより,結晶欠陥に起因する電子キャリア濃度の低下を抑制することは記載されているが,それは,結晶欠陥を含む領域を除去することであり,「結晶欠陥」には「転位」が含まれることを前提としても,転位を規定値以下にしさえすれば,それ以外の結晶欠陥が残っていても,格別の効果を得られることは記載されておらず,この点からしても,本件発明は,原々出願当初明細書に記載されていた事項の範囲を超えるものであると主張する。
確かに,原々出願の当初明細書(【0056】)には,コンタクト抵抗が低減した理由として,研磨により発生した結晶欠陥を含むGaN基板の裏面近傍の領域をRIE法によるエッチングにより除去することにより,結晶欠陥に起因する電子キャリア濃度の低下を抑制し,それによってコンタクト抵抗が低減されることが記載されており,「転位」については記載されていない。
しかしながら,前記のとおり,原々出願の当初明細書(【0058】)で測定している「結晶欠陥密度」が「転位密度」のことを意味していることは明らかであるから,上記【0056】に記載されている「結晶欠陥」は「転位」のことを意味しているものと認められる。また,前記のとおり,機械研磨により発生した結晶欠陥(転位)を含むn型GaN基板の裏面近傍の領域を十分に除去すれば,転位密度が十分に低減し,その結果,第1半導体層とn側電極とのコンタクト抵抗が下がることは,当業者であれば理解できるといえる。
そうすると,上記【0056】の「結晶欠陥に起因する電子キャリア濃度の低下」は,「転位に起因する電子キャリア濃度の低下」を意味するものと認められる。
そして,甲29のFig.2-1「断面観察(STEM像)」や甲30の図2「明視野STEM写真」に顕れた欠陥の状況をみると,基板の研磨による線状の格子欠陥である転位は,結晶中の深い位置まで生じ得るものと認められるから,第1半導体層とn側電極とのコンタクト抵抗が低下するまで転位を含むn型GaN基板の裏面近傍の領域を十分に除去したという場合には,基板の研磨によって生じた転位以外の結晶欠陥も当然に除去されているものというべきである。
したがって,原告の上記主張は,その前提において誤りであり,これを採用することができない。
(8) 小括
よって,取消事由2も理由がない。
4 結論
以上の次第であるから,原告主張の取消事由はいずれも理由がなく,本件審決にこれを取り消すべき違法は認められない。
したがって,原告の請求は理由がないから,これを棄却することとし,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 富田善範 裁判官 田中芳樹 裁判官 齋藤巌)