大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

知財高等裁判所 平成24年(行ケ)10321号 判決 2013年4月16日

原告

積水化学工業株式会社

訴訟代理人弁護士

小松陽一郎

辻淳子

藤野睦子

弁理士

玉井敬憲

諸田勝保

被告

株式会社クラレ

訴訟代理人弁護士

井窪保彦

北原潤一

弁理士

日野真美

主文

特許庁が無効2011-800187号事件について平成24年8月3日にした審決を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実及び理由

第1原告が求めた判決

主文同旨

第2事案の概要

本件は,被告からの無効審判請求に基づき原告の特許を無効とした審決の取消訴訟である。争点は,訂正後の請求項14ないし18に係る発明についてのサポート要件違反,実施可能要件違反,明確性要件違反の有無等である。

1  特許庁における手続の経緯

原告は,名称を「合わせガラス用中間膜及び合わせガラス」とする発明に係る特許第2999177号の特許権者である(平成10年7月17日特許出願,優先日平成9年7月17日,8月7日,20日,9月11日,18日,平成10年1月6日,2月3日及び4月3日,優先権主張国 日本,登録日 平成11年11月5日,登録時の請求項の数27)。

被告は,平成23年9月30日,サポート要件違反(特許法36条6項1号),補正要件違反(同法17条の2第3項),実施可能要件違反(改正前の同法36条4項),明確性要件違反(同条6項2号)を理由として,請求項14ないし27の発明に係る特許につき特許無効審判を請求した(無効2011-800187号)。

原告が,請求項14ないし16,18,22ないし25を削り,請求項17,19,21,26,27を順次繰り上げ,繰り上げ後の請求項14ないし16の特許請求の範囲の記載の一部を改めるなどの訂正請求をした(本件訂正)のに対し,被告は,少なくともサポート要件違反,実施可能要件違反,明確性要件違反に関しては,本件訂正後の発明に係る特許も同様の理由で無効であると主張した。

特許庁は,平成24年8月3日,被告主張に係る実施可能要件違反,明確性要件違反,サポート要件違反があるとして,「訂正を認める。特許第2999177号の請求項14ないし18に記載された発明についての特許を無効とする。」との審決をし(補正要件違反の無効理由は採用しなかった。),その謄本は同月16日に原告に送達された。

2  訂正発明の要旨

本件の発明は,2枚のガラスを貼り合わせた合わせガラスに用いる中間膜等に関する発明で,本件訂正後の請求項の数は18であるが,そのうち請求項14ないし18(本件訂正前の請求項17,19,21,26,27)の特許請求の範囲は以下のとおりである(下記訂正発明14ないし18を「本件発明」と総称する。)。

【請求項14(訂正発明14)】

「アルカリ金属塩及びアルカリ土類金属塩からなる群より選択される少なくとも1種を含有する可塑化ポリビニルアセタール樹脂膜からなる合わせガラス用中間膜であって,中間膜中のナトリウム濃度が50ppm以下であり,飛行時間型二次イオン質量分析装置を用いた二次イオン像のイメージングにより測定した中間膜中のアルカリ金属塩及びアルカリ土類金属塩の粒子径が3μm以下である合わせガラス用中間膜。」

【請求項15(訂正発明15)】

「アルカリ金属塩及びアルカリ土類金属塩からなる群より選択される少なくとも1種を含有する可塑化ポリビニルアセタール樹脂膜からなる合わせガラス用中間膜であって,中間膜中のカリウム濃度が100ppm以下であり,飛行時間型二次イオン質量分析装置を用いた二次イオン像のイメージングにより測定した中間膜中のアルカリ金属塩及びアルカリ土類金属塩の粒子径が3μm以下である合わせガラス用中間膜。」

【請求項16(訂正発明16)】

「アルカリ金属塩及びアルカリ土類金属塩からなる群より選択される少なくとも1種を含有する可塑化ポリビニルアセタール樹脂膜からなる合わせガラス用中間膜であって,中間膜中のナトリウム濃度が50ppm以下であり,中間膜中のカリウム濃度が100ppm以下であり,飛行時間型二次イオン質量分析装置を用いた二次イオン像のイメージングにより測定した中間膜中のアルカリ金属塩及びアルカリ土類金属塩の粒子径が3μm以下である合わせガラス用中間膜。」

【請求項17(訂正発明17)】

「アルカリ金属塩は,炭素数5~16の有機酸のアルカリ金属塩であって,アルカリ土類金属塩は,炭素数5~16の有機酸のアルカリ土類金属塩である請求項14,15又は16記載の合わせガラス用中間膜。」

【請求項18(訂正発明18)】

「少なくとも一対のガラス間に,請求項14,15,16又は17記載の合わせガラス用中間膜を介在させてなることを特徴とする合わせガラス。」

3  審判で主張された無効理由

(1)  無効理由1

本件発明(請求項14~18)の特許請求の範囲にも,訂正明細書の発明の詳細な説明にも,「厚さ0.3~0.8mmの中間幕を23℃の水に浸漬したとき,24時間後のヘイズが50%以下である」とのヘイズ要件の構成を備えなくても,合わせガラスに必要な基本性能を損なうことなく,湿度の高い雰囲気中に置かれたときでも周縁部の白化が少ないという作用効果を奏するための構成が記載されていない。

したがって,本件発明(請求項14~18)の特許請求の範囲の記載は訂正明細書の発明の詳細な説明の記載内容を超えるものであり,サポート要件違反(特許法36条6項1号)がある。

本件発明の作用効果を奏するためには,有機酸とアミンを含有することが必須であるが,本件発明の特許請求の範囲にはかかる構成が記載されていない。そうすると,本件発明の特許請求の範囲の記載は,訂正明細書の発明の詳細な説明の記載を超えるものであり,サポート要件違反がある。

本件発明の特許請求の範囲では「アルカリ金属塩及びアルカリ土類金属塩の粒子径が3μm以下」とされているが,訂正明細書の発明の詳細な説明にはカリウム元素の粒子径が3μm,ナトリウム元素の粒子径が2μmであった旨の記載があるだけで,アルカリ金属塩及びアルカリ土類金属塩の粒子径に係る記載は存しない。そうすると,本件発明の特許請求の範囲の記載は,訂正明細書の発明の詳細な説明の記載を超えるものであり,サポート要件違反がある。

(2)  無効理由2

前記(1)のとおり,「厚さ0.3~0.8mmの中間幕を23℃の水に浸漬したとき,24時間後のヘイズが50%以下である」との構成を備えなくても,合わせガラスに必要な基本性能を損なうことなく,湿度の高い雰囲気中に置かれたときでも周縁部の白化が少ないという作用効果を奏するための構成が,本件発明(請求項14~18)の特許請求の範囲には記載されていない。そうすると,請求項14ないし18(本件訂正前の請求項14ないし27の一部)等を追加する補正は新規事項を追加するものであって,補正要件違反(特許法17条の2第3項)がある。

(3)  無効理由3

訂正明細書の発明の詳細な説明には,塩の粒子径の測定につき,当業者が発明を実施できる程度に明確かつ十分な記載がされていない。また,形状,大きさが異なる粒子につき,何をもって粒子径とし,粒子の大きさをどう表現するか(代表径の取り方),粒子の大きさに分布がある粒子群をどう表現するか,粒子群を代表する粒子の平均的な大きさをどのように選ぶかにつき,訂正明細書の発明の詳細な説明には記載がない。

したがって,訂正明細書の発明の詳細な説明の記載には実施可能要件違反(改正前の特許法36条4項)があり,特許請求の範囲の記載には明確性要件違反(特許法36条6項2号)がある。

また,仮にTOF-SIMS以外の方法で塩の粒子径を測定するのであれば,係る測定法は訂正明細書の発明の詳細な説明に記載されていないから,サポート要件を欠く。

4  審決の理由の要点

(1)  無効理由1について

本件発明は,ヘイズ要件に関する被告の主張,特定の有機酸とアミンに関する被告の主張,「カリウム元素の粒子径」についての被告の主張に関しては,発明の詳細な説明に記載されていたものであり,訂正発明17についても,炭素数5~16の有機酸のアルカリ(土類)金属塩として具体的な化合物が明記されているので,当業者であれば,実施例や比較例の記載がなくとも,当該記載により当該化合物を使用して本発明の課題を解決できるように記載されていると認識することができるから,本件発明は本件明細書の発明の詳細な説明に記載されたものであり,特許法36条6項1号の規定に適合するものであるので,被告の無効理由1についての主張は採用できない。

(2)  無効理由2について

「被告は,請求項14~27を追加した平成11年5月13日付け手続補正書による補正は,当初明細書に記載されていなかった『本件ヘイズ要件を必須の要件としない発明』を追加するものであり,これは新規事項の追加にあたる旨を主張する。

しかし,無効理由1について検討したとおり,本件発明は当初明細書の発明の詳細な説明に記載されたものである。

したがって,上記手続補正による補正は新規事項の追加にあたらず,特許法17条の2第3項に違反するものではないので,被告の無効理由2についての主張は採用できない。」

(3)  無効理由3について

「被告は,『飛行時間型二次イオン質量分析装置(以下『TOF-SIMS』という)を用いた二次イオン像のイメージングにより測定した中間膜中のアルカリ(土類)金属塩の粒子径』について,具体的測定方法及び測定条件が記載されていないので実施可能要件違反(特許法36条4項)であり,発明の詳細な説明には,粒子径の測定についてTOF-SIMSを用いる以外の方法が記載されていないのでサポート要件違反(同条6項1号)であり,『粒子径』の意義が不明確であるので明確性要件違反(同条6項2号)である旨を主張する。

・・・

そこで,まず,アルカリ(土類)金属塩の粒径の測定が,本件明細書の記載に基づいて当業者が実施可能であるか(特許法36条4項)について検討する。

(3)-1 実施可能要件(特許法36条4項)

・・・

(ア) 本件発明におけるTOF-SIMSによるアルカリ(土類)金属塩の粒子径の測定においては,当該金属塩ばかりでなく当該金属イオンをも検出しており,(イ)当該金属塩の粒子径の測定自体に定量性があるとはいえず,(ウ)TOF-SIMSの測定条件により粒子径が変化してしまうにも拘わらず,測定条件の詳細が明示されていない。

したがって,発明の詳細な説明には,明細書及び図面に記載された発明の実施に関する教示と出願時の技術常識に基づいて,当業者が本件発明を実施できる程度に記載されているとすることはできない。このため,本件発明は特許法36条4項の規定を満たさない。

(3)-2 明確性要件(特許法36条6項2号)について

(1)  粒子径の意義

被告は,特許請求の範囲の『粒子径』の文言について,代表径の取り方,粒子の大きさに分布がある粒子群をどのようにあらわすか,粒子群を代表する平均的な大きさをどのように選ぶかが不明であるので,その意義が不明確である旨を主張する・・・。

・・・

本件発明における粒子径は,『飛行時間型二次イオン質量分析装置(TOF-SIMS)を用いた二次イオン像のイメージングにより測定することができる。』(0044段落)としている。

そして,TOF-SIMSは物質の表面の非常に浅い部分(数nm)について分析が可能であるので(甲第1号証2頁下から3行),測定の対象は,合わせガラス用中間膜の表面に表れた粒子の粒径であるとすることができる。

また,本件発明においては,アルカリ(土類)金属塩の粒子径が3μmを超えると,当該アルカリ(土類)金属塩の周辺に水分子が集合して白化が顕著になることを防ぐために,当該金属塩の粒子径を3μm以下に限定している(0094段落)。このため,本件発明の課題解決のためには,アルカリ(土類)金属塩の粒子径が特定値以下であることが必要であるので,粒子径とは当該粒子の最大粒子径をいうと解することが合理的である。・・・

したがって,本件発明における粒子径の意義が不明確であるとする,明確性要件に関する被告の主張は採用できない。

(2)  アルカリ(土類)金属塩の粒子径について

原告は,本件発明において『粒子径』とは,『TOF-SIMSを用いた二次イオン像のイメージングにより測定した中間膜中のアルカリ(土類)金属塩の粒子径』であると定義できると主張する・・・。・・・

しかし,発明の詳細な説明中に請求項の用語についての定義又は説明がある場合であって,請求項の用語が有する通常の意味と異なる意味を持つ旨の定義又は説明がある場合には,その定義又は説明により請求項の記載が不明確になると認める。これは,請求項の記載に基づくことを基本としつつ,発明の詳細な説明の記載をも考慮するという請求項に係る発明の認定の運用からみて,いずれと解すべきかが不明となり,結果として,当該発明を明確に把握することができないからである。

本件においては,上記(3)-1で検討したとおり,本件発明におけるTOF-SIMSによるアルカリ(土類)金属塩の粒子径の測定においては,当該金属塩に由来する二次イオンばかりでなく,当該金属イオンに由来する二次イオンをも検出していることになる。このため,二次イオン像のイメージングにより測定した輝点の大きさは,必ずしもアルカリ(土類)金属塩の粒子径を測定したものではなく,この点で,請求項における用語である『粒子径』が有する通常の意味とは異なる意味を持つことになる。

したがって,本件発明は明確であるとすることはできず,特許請求の範囲の記載は特許法36条6項2号の規定に適合しないものである。

(3)-3 サポート要件(特許法36条6項1号)について

(1)  被告の主張

被告の主張する粒子径の意義に関するサポート要件違反は,本件訂正前の特許請求の範囲に記載された『粒子径』に関するものであり,これは本件補正により『飛行時間型二次イオン質量分析装置を用いた二次イオン像のイメージングにより測定した』ものであることが明確にされた。

このため,サポート要件に関する被告の主張は採用できない。

(2)  アルカリ(土類)金属塩の粒子径

・・・

本件発明は,アルカリ(土類)金属塩からなる群より選択される少なくとも1種を含有する可塑化ポリビニルアセタール樹脂膜からなる合わせガラス用中間膜において,TOF-SIMSを用いた二次イオン像のイメージングにより測定した中間膜中のアルカリ(土類)金属塩の粒子径を一定値以下に規定したこと,を1つの特定事項とするものである。

しかし,上記(3)-1で検討したとおり,本件発明におけるTOF-SIMSを用いた二次イオン像のイメージングにより測定した輝点の大きさは,アルカリ(土類)金属塩の粒子径に必ずしも対応していない。すなわち,出願時の技術常識に照らせば,TOF-SIMSによる分析においては,アルカリ(土類)金属塩ばかりでなく同金属イオンをも検出する。

このため,TOF-SIMSによる二次イオン像のイメージングにより測定した輝点の大きさをもって粒子径とすることは,発明の詳細な説明の記載の範囲を超えるものである。

したがって,本件発明は発明の詳細な説明に記載されたものとすることはできず,特許請求の範囲の記載は特許法36条6項1号の記載に適合しないものである。」

第3原告主張の審決取消事由

1  取消事由1(実施可能要件違反の有無の判断の誤り,無効理由3関係)

(1)  TOF-SIMS(飛行時間型二次イオン質量分析装置)は,超真空下で試料に対してガリウムイオン(Ga+)等の一次イオンのビームを入射,衝突させ,衝突の結果,試料の表面から放出される二次イオンをその飛行時間に応じて質量を計測する質量分析計で分析し,同表面の化学構造を測定する装置であるところ,高い質量精度,質量分解能を有し,本件優先日以前の時点においても,既に0.2μm程度の分解能を有していたものである。

したがって,本件優先日当時,合わせガラス用中間膜につき,一次イオン(源)としてガリウムイオンを選択し,技術常識に基づいて測定条件を微調整し,TOF-SIMSを用いて二次イオンのイメージングを行うことにより,中間膜中のアルカリ金属,アルカリ土類金属の測定をμmのオーダー(単位)で行う上で,当業者には特に技術的な困難はなかった。

(2)  本件発明の中間膜である可塑化ポリビニルアセタール樹脂膜は,ほとんど水分を含有しないし(0.5重量%以下),酸に由来する陰イオンを十分量含有するから,膜中でアルカリ(土類)金属塩は解離せず,安定な塩を形成しているものと考えられる(本件明細書(甲51)の段落【0019】,【0024】,【0088】,【0093】参照)。そうすると,本件発明の中間膜でTOF-SIMSを用いた二次イオンイメージングによって測定されるアルカリ(土類)金属は,中間膜中に存在するアルカリ(土類)金属塩を意味する。

ところで,本件発明においては,中間膜に対しTOF-SIMSを用いてアルカリ(土類)金属の二次イオン像をイメージングし,イメージ上で見い出される粒子像を測定して得られる値をアルカリ(土類)金属塩の「粒子径」とするものであるから,本件発明にいう「粒子径」も,TOF-SIMSを用いた二次イオン像のイメージングにおいて測定したアルカリ(土類)金属塩の粒子径を意味する。

そうすると,当業者は,TOF-SIMSを用いてアルカリ(土類)金属の二次イオン像をイメージングし,上記「粒子径」が3μm以下となるようにすること等により,本件発明の中間膜を作成することができるのであって,本件発明は実施可能要件を充足する。

なお,本件発明の中間膜中において,アルカリ(土類)金属イオンがイオン濃度の高い部分を形成するほど十分に存在するとは考えられないし,プラスの電荷を有するアルカリ(土類)金属イオンは互いに静電気的に反発するから凝集することも考えられない。FE-TEM(電界放射型透過電子顕微鏡)を用いた観察でも,TOF-SIMSの二次イオンイメージングで粒子と理解されるような,アルカリ(土類)金属イオンは観察されなかった(甲28)。酢酸マグネシウムを用いたFT-IRの実験でも,中間膜中で塩として存在することが示されている(甲64)。他方,甲第4,第5,第10号証も,中間膜中にアルカリ(土類)金属塩が解離してイオンの状態で存在することを裏付けるものではない。

そして,本件発明の中間膜中にアルカリ(土類)金属イオンが存在するとしても,同イオンが二次イオンイメージングで示す輝点は小さく,アルカリ(土類)金属塩の粒子径の測定に影響を及ぼすことはない。

そうすると,「中間膜中には,中和剤や接着力調整剤等から由来する金属イオンが存在するのであるから,本件発明において消滅あるいは溶解したアルカリ(土類)金属塩のうちの少なくとも一部は,解離してイオンの形態で存在していると理解することができる。したがって,本件発明における中間膜中には,アルカリ(土類)金属イオンが存在しているといえる。」(14頁)として,「本件発明におけるTOF-SIMSによるアルカリ(土類)金属塩の粒子径の測定においては,当該金属塩ばかりでなく当該金属イオンをも検出して」いるとし,当業者において発明を実施することができないとする審決の判断(20頁)は誤りである。

(3)  そもそも,上記のとおり,本件発明は中間膜中のアルカリ(土類)金属塩の「粒子径」を測定するものにすぎず,アルカリ(土類)金属塩の量(金属量)を測定しているわけではない。したがって,審決が実施可能要件違反の有無の判断において,TOF-SIMSによる金属量測定の定量性を問題としたのは誤りである。

TOF-SIMSによる測定は,バックグラウンドが極めて低く,絶対感度,面分解能が高い測定方法で,極めて高い解析精度を有する。測定の再現性にも優れ,得られる数値の信頼性も高い。

SIMSを用い,ほぼ同一ないし均一な材料について定量を行う場合には,マトリックス効果は問題になりにくいところ,本件発明の中間膜のマトリックスは可塑化ポリビニルアセタール樹脂中にあり,試料の種類,組成はごく限定されている。

加えて,本件発明のTOF-SIMSで測定の対象となるアルカリ(土類)金属は,イオン化率がごく高く,マトリックス効果の影響をほとんど受けない。

のみならず,TOF-SIMSには,検量線が不要な定量法があり,定量性が高いことを裏付けている。

そうすると,本件発明の中間膜をTOF-SIMSを用いて測定する場合には,マトリックス効果の影響を考慮する必要はなく,十分な解析精度,再現性があるのであって,「輝点として検出される二次イオンとサンプル中の金属量は,試料の種類と組成が同じ場合を除いて,一般的には比例しないことになる。このため,存在する元素の分析に定量性がないので,さまざまな種類と組成の合わせガラス用中間膜中のアルカリ(土類)金属塩の粒子径の測定は,一般的には定量性を持たないとすることができる。」(18頁)として,実施可能要件違反があるとした審決の判断は誤りである。

(4)  本件発明では,高分子フィルムである中間膜の表面に存在し,微量のアルカリ(土類)金属塩(低分子量)を測定する方法としてTOF-SIMSが採用されているものであって,バックグランドがごく低い。そうすると,バックグラウンドが低く,絶対感度が高いというTOF-SIMSの特徴や,閾値を0(ゼロ)にして測定を行う(正確には,二次イオンの質量スペクトルデータを画像に変換(イメージング)する場合の閾値を0として,かかる画像変換を行う)というTOF-SIMSにおける通常の取扱いは,本件発明の測定においても当然妥当するのであって,閾値を上げる必要はない。

そうすると,「ポリマーのTOF-SIMS分析では閾値をゼロにすることが当業者の技術常識であるとしても,合わせガラス用中間膜中のアルカリ(土類)金属塩の粒子径の測定において,閾値をゼロとすることが当業者にとって技術常識であるとすることはできない。」として,「TOF-SIMSの測定条件により粒子径が変化してしまうにも拘わらず,測定条件の詳細が明示されていない。」(20頁)との理由で実施可能要件違反があるとした審決の判断は誤りである。

(5)  結局,審決は,TOF-SIMSの測定能力については問題とすることなく,「検討の課題」として問題点を指摘し,過重なハードルを課すもので,実施可能要件に係る審決の判断は誤りである。

2  取消事由2(明確性要件違反の有無の判断の誤り,無効理由3関係)

原告は,本件訂正により,本件明細書の段落【0044】の記載内容をそっくり特許請求の範囲の記載に取り込んで発明特定事項としたから,上記段落の記載に照らせば,本件発明にいう「粒子径」も,TOF-SIMSを用いた二次イオン像のイメージングにより測定した中間膜中のアルカリ金属塩及びアルカリ土類金属塩の粒子径であり,実質的には最大粒子径を意味することが一義的に明らかである。

そうすると,本件発明には明確性要件違反は存しない。

なお,前記1のとおり,本件発明の中間膜中ではアルカリ(土類)金属は塩の形で存在すると考えられるし,仮にごく微量のアルカリ(土類)金属イオンが存在したとしても,塩の粒子によるμmサイズ(オーダー)の像に影響を与えない。そうすると,仮にごく微量のアルカリ(土類)金属イオンが中間膜中に存在し,粒子像がやや大きく検出されたとしても,塩の粒子径の測定に支障はないのであって,「本件発明におけるTOF-SIMSによるアルカリ(土類)金属塩の粒子径の測定においては,当該金属塩に由来する二次イオンばかりでなく,当該金属イオンに由来する二次イオンをも検出していることになる。このため,二次イオン像のイメージングにより測定した輝点の大きさは,必ずしもアルカリ(土類)金属塩の粒子径を測定したものではなく,この点で,請求項における用語である『粒子径』が有する通常の意味とは異なる意味を持つことになる」(21頁21~27行)との審決の判断は誤りである。

3  取消事由3(サポート要件違反の有無の判断の誤り,無効理由3関係)

本件明細書の発明の詳細な説明の段落【0044】や実施例等に係る段落【0144】,【0197】,【0219】,【0335】,【0354】及び各表の記載に基づけば,本件発明にいうアルカリ(土類)金属塩の粒子径がTOF-SIMSを用いた二次イオン像のイメージングにより測定されたアルカリ(土類)金属塩の粒子径を意味し,解決すべき技術的課題とその解決方法を認識することができる。

したがって,本件発明にサポート要件違反はなく,これに反する審決の判断は誤りである。

第4取消事由に対する被告の反論

1  取消事由1に対し

(1)  本件発明の中間膜の含水率0.4~0.5重量%(5000ppm)はナトリウム(Na)の含有率50ppm以下,カリウム(K)の含有率100ppm以下に比して十分に大きく(大過剰),ナトリウム等のアルカリ(土類)金属塩は溶解,解離してイオンの形で高濃度で存在し得る。

原告が提出する特許公報(甲68~71)の記載も,原告の仮説を記載したものにすぎず,中間膜中のアルカリ(土類)金属イオンの存在を否定する裏付けとはならない。原告が提出する実験成績証明書(甲64)も,本件発明とはかけ離れた多量の酢酸マグネシウムを添加するもので,かかる場合の酢酸マグネシウムの大部分が溶解,解離しないことは当然であるし,同書証の実験例3のピークは微小で解離の有無を判定することはできない。

そして,このようなアルカリ(土類)金属イオンが連続(隣接)する領域にまたがって存在すれば,より大きな輝点として検出されることになり,同イオンが凝集している必要はない。極めて細かいアルカリ(土類)金属塩が連続する領域にまたがって存在する場合でも,アルカリ(土類)金属塩とアルカリ(土類)金属イオンとが隣接して存在する場合でも,アルカリ(土類)金属イオンが連続する領域にまたがって存在する場合でも,TOF-SIMSの二次イオン像のイメージング画像上ではいずれも着色されたピクセル(輝点)の塊として表示されるのであって,実際に大きなアルカリ(土類)金属塩の粒子が存在する場合と区別することができない。これは,TOF-SIMSの二次イオン像のイメージング画像における輝点から,アルカリ(土類)金属塩の粒子の有無を判定することができないことを意味するものである。

結局,本件発明の中間膜中にアルカリ(土類)金属イオンが存在し,TOF-SIMSではアルカリ(土類)金属塩の粒子径を測定できないとした審決の判断に誤りはない。

(2)  本件発明の中間膜は,その主要な成分を可塑化ポリビニルアセタール樹脂とするものであり,アルカリ(土類)金属については限定があるが,その他の組成については限定がない。したがって,試料の組成の違いによるマトリックス効果のため,TOF-SIMSを用いて中間膜中のアルカリ(土類)金属塩の粒子径の測定を行うことには一般に定量性がない。

一次イオンの照射回数(積算回数)いかんで輝点が変化することに照らしても,TOF-SIMSには定量性があるとはいえない。

(3)  そもそも,本件発明にいう「粒子径」は,通常の意味である(アルカリ(土類)金属塩の)粒子の大きさを意味するものと解すべきところ,閾値の情報がなければ,さまざまな閾値により得られるさまざまな画像のうちどれを測定すべきか分からず,「粒子径」を測定することはできない。また,TOF-SIMSの2次イオン像のイメージ画像は,1次イオンの照射回数,すなわち積算回数のいかんによって異なるから,積算回数の情報がなければ,当業者はどの画像に基づいて「粒子径」を測定すべきか分からない。また,TOF-SIMSは,試料のごく浅い表面部分を分析する方法にすぎないから,中間膜の内部の状況は分析することができない。

そうすると,閾値や積算回数の特定がなければ,中間膜のアルカリ(金属)塩の「粒子径」の測定はできないところ,審決が認定するとおり,TOF-SIMSにおいて閾値を0とするのが通常であるとする技術常識は存しない。

したがって,TOF-SIMSの測定条件のいかんにより粒子径が変化してしまうにも拘わらず,測定条件の詳細が明示されていないとする審決の判断に誤りはない。

(4)  結局,本件優先日当時の当業者の技術常識に基づいても,本件明細書の発明の詳細な説明に当業者が発明を実施できる程度の記載がされていないとした審決の判断に誤りはない。

2  取消事由2に対し

本件発明にいう「粒子径」の意義は,原告主張に係るものと審決が認定した通常のものの2通りがあるのであって,その意味内容は一義的に明らかとはいえない。

そうすると,本件発明の特許請求の記載は明確性を欠くから,この旨の審決の判断に誤りはない。

3  取消事由3に対し

本件明細書の段落【0044】には,原告主張に係る「粒子径」の定義は記載されていないし,審決が認定するとおり,「TOF-SIMSを用いた二次イオン像のイメージングにより測定した輝点の大きさをもって粒子径とすることは,発明の詳細な説明の範囲を超える」から,サポート要件違反をいう審決の判断に誤りはない。

第5当裁判所の判断

1  取消事由1(実施可能要件違反の有無の判断の誤り,無効理由3関係)について

(1)  審決は,無効理由3のうちの実施可能要件違反につき,(ア)TOF-SIMSによるアルカリ(土類)金属塩の粒子径の測定では,金属塩ばかりでなく金属イオンをも検出している,(イ)上記金属塩の粒子径の測定自体に定量性があるとはいえない,(ウ)TOF-SIMSの測定条件により粒子径が変化してしまうにもかかわらず,測定条件の詳細が明示されていない,との3点を根拠に,本件訂正後の請求項14ないし18の発明(本件発明)に係る発明の詳細な説明の記載は当業者において実施可能な程度に明確かつ十分でないと判断した。

本件発明の特許請求の範囲には,いずれも,「飛行時間型二次イオン質量分析装置を用いた二次イオン像のイメージングにより測定した中間膜中のアルカリ金属塩及びアルカリ土類金属塩の粒子径が3μm以下である」との発明特定事項があるところ,訂正明細書(甲52)の発明の詳細な説明には,かかる発明特定事項に関し,次のとおりの記載がある。

・段落【0044】「上記中間膜中のナトリウム塩及びカリウム塩の粒子径は,飛行時間型二次イオン質量分析装置(TOF-SIMS)を用いた二次イオン像のイメージングにより測定することができる。」

・段落【0144】「・・・中間膜中のナトリウム塩及びカリウム塩の粒子径を飛行時間型二次イオン質量分析(TOF-SIMS)装置(PHIEVANS社製TFS-2000型)を用いた二次イオン像のイメージングにより測定した結果,中間膜中のナトリウム塩の粒子径は1μm,カリウム塩の粒子径は0.5μm未満であった。」

・段落【0197】「・・・また,中間膜中に存在するマグネシウム塩の粒子径を飛行時間型二次イオン質量分析装置(TOF-SIMS)を用いて測定したところ,0.9μmであった。」

このとおり,訂正明細書では,吸湿による中間膜の白化の原因となるアルカリ(土類)金属塩の「粒子径」を一定値以下に保つことや(段落【0024】,【0042】),この「粒子径」をTOF-SIMS(Time of flight secondary ion mass spectrometry,飛行時間型二次イオン質量分析装置)の二次イオン像イメージングで計測することが記載されているだけで,測定条件等の詳細は開示されていない。

しかしながら,A大学理工学部物質生命理工学科教授B作成の意見書(甲1)によれば,TOF-SIMSは,超真空下に試料を置き,この試料に対してガリウムイオン等の一次イオンのパルス化されたビームを照射し,一次イオンが試料表面の原子等と衝突した結果,試料表面から空間に向けて発生,放出される二次イオン(試料表面の原子によるイオン)を質量分析計にかけ,二次イオンが検出器に到達するまでの飛行時間に応じて,二次イオンの質量を測定した上で,一次イオンビームの被照射位置の情報に照らして二次イオンの質量分布(質量スペクトル)を画像処理し,地図状の画像データを得る装置であると認められるところ,0.1μm(原告主張によると,本件優先日当時でも0.2μm)の面的解像度を有しているものであって,本件発明の「粒子径」の上限3μmに比して十分に細かな分析ができるものである。

そして,訂正明細書の段落【0093】には,炭素数6ないし10のカルボン酸等のマグネシウム塩は,中間膜中で電離せず塩の形で存在し,かつ凝集することなく膜表面に高濃度で分布していることが記載されている。そうすると,訂正明細書に接した当業者において,TOF-SIMSを用いて中間膜表面のアルカリ(土類)金属塩の粒子の大きさを測定すること,より具体的には二次イオン像のイメージングにより粒子の最大径を測定することが可能であったことは明らかである。

(2)  審決は,TOF-SIMSでアルカリ(土類)金属塩ばかりでなくアルカリ(土類)金属イオンをも検出していることを実施可能要件違反の根拠の1つとするが,まず,前記のとおり,訂正明細書の段落【0093】では,例えばアルカリ土類金属塩の1種であるマグネシウム塩が中間膜中で電離せず塩の形で存在することが示されているから,本件発明において,アルカリ(土類)金属塩が相当程度(相当割合)電離してイオンを生成することが予定されているものではない。そして,原告のグローバルテクニカルセンターのC作成の実験成績証明書(甲64)によれば,中間膜表面の赤外線分光法測定で,本件発明の技術的範囲に属する中間膜(実験例3)では,遊離している酢酸(イオン)に特有の吸収スペクトルが確認されなかったから,添加された酢酸マグネシウムの電離(解離)の度合いはごく低水準であったものと認めることができる(なお,添加された酢酸マグネシウムの量が多かったとしても,解離する酢酸マグネシウムの絶対量が少なくなるわけではないから,検出すべき吸収スペクトルの観点では問題がない。)。そして,上記Cが作成した別の実験成績証明書(甲28)によれば,中間膜をFE-TEM(電界放射型透過電子顕微鏡)で撮影した写真でみられる凝集物の像とEDS(エネルギー分散型X線分析)で撮影した写真でみられるマグネシウム,酸素の像とが位置的に符合するから,酢酸マグネシウムは中間膜表面で凝集していることが認められる。これらのとおり,本件発明の中間膜,とりわけその表面では,ポリビニルアセタール樹脂を製造するときに中和工程に用いる薬剤あるいは接着力調整剤に起因する残留アルカリ(土類)金属塩の大部分が電離せず塩の形で残っており,電離してアルカリ(土類)金属イオンとなる割合はごく小さい。そうすると,TOF-SIMSの二次イオン像のイメージングの分析において,アルカリ(土類)金属イオンの存在を考慮外としても差し支えないというべきである。したがって,TOF-SIMSがアルカリ(土類)金属イオンをも検出していること,ないしその可能性があることを根拠に,当業者において本件発明を実施可能でないとはいえない。

この点,被告は,本件発明の中間膜の含水率がナトリウム等の含有率に比して十分大きいことから,アルカリ(土類)金属塩は溶解,電離(解離)してイオンの形で高濃度に存在し得ると主張する。しかしながら,本件発明のような合わせガラス用中間膜は,吸湿による白化の問題を解決するために,耐湿性を確保することが課題とされており(段落【0003】~【0019】),含水率を小さくすることが予定されている。本件発明の中間膜も,その水分の含有率(含水率)は,ナトリウムやカリウムの含有率よりは相当大きいが,0.5重量%以下にすぎないのであって,ごく微量のものと評価することができる。したがって,製造時の含水率で考えれば,中間膜中の水分がアルカリ(土類)金属塩の電離に与える影響は必ずしも大きいものとはいえない。また,上記Cが作成した実験成績証明書(甲82)では,酢酸マグネシウムを添加した中間膜と酢酸マグネシウムを添加していない中間膜とで,電気伝導度に差がみられないことが示されているが,この実験結果は,中間膜中のアルカリ(土類)金属塩が電離する割合がごく小さいことを裏付けるものである。

なお,アルカリ(土類)金属イオンがTOF-SIMSの二次イオンイメージング画像上の連続した領域にまたがるように存在するときに,この連続した領域分の大きさの輝点として検出されることが原理的にあり得るとしても,本件発明の中間膜のアルカリ(土類)金属塩の含有率程度の含有率でも,本件発明で特定される「3μm」との最大径の基準に比して,上記イオンが有意な大きさを占める輝点の像を実際に示すことを認めるに足りる証拠はない。アルカリ(土類)金属塩とそのイオンとが,2次イオンイメージング画像の連続した領域にわたって接続して存在し,両者があたかも1つの粒子のようにみえる可能性に関しても,実際にかかる事態が生じ,凝集物の大きさが相当の規模において過大に大きくみえる事態が生ずる蓋然性(なお,小さな輝点が塩粒子の周囲に付着してみえる程度であれば,粒子の最大径の測定に影響を与えない。)があることを証拠上認めることができない。

結局,TOF-SIMSがアルカリ(土類)金属イオンをも検出していることを根拠に,本件発明に実施可能要件違反があるとした審決の判断は誤りである。

(3)  審決は,輝点として検出される二次イオンとサンプル中の金属量とが一般には比例せず,中間膜のTOF-SIMSによる粒子径の測定には定量性がないことを実施可能要件違反の根拠の1つとするが(17,18頁),本件発明の特許請求の範囲上,アルカリ(土類)金属(塩)の量(金属量)が特定事項となっているわけではなく,アルカリ(土類)金属塩の粒子の大きさが特定されているにすぎないから,上記の定量性をもって本件発明に係る実施可能要件違反の裏付けとすることはできない。

(4)  審決は,閾値の設定により測定値が変化すること等を根拠に,本件発明には実施可能要件違反があると判断するが,前記甲第1号証の資料1や,甲第35ないし第43,第76号証によれば,TOF-SIMSを用いた測定は,一般にバックグラウンド(1次イオンビームを照射しないときに検出される値)が低く,絶対感度がごく高いため,通常,2次イオンビームの測定結果(カウント数)を輝点と評価するかに関する設定値である閾値をゼロにして測定することは,当業者に広く行われている取扱いであると認められる(技術常識。審決も19頁でこの旨認定する。)。そして,本件発明の中間膜のTOF-SIMSを用いた測定では,かかる通常の取扱いと異なる取扱いを採用する理由は存しない。そうすると,訂正明細書にTOF-SIMSの閾値に関する記載がないからといって,当業者が本件発明を実施することができないとすることはできず,閾値を変化させたときに2次イオンのイメージング画像が異なり得る可能性をもって実施可能要件違反があるということはできない。

なお,TOF-SIMSの2次イオンの検出には,2次イオンの個数をカウントする上限である飽和点があるところ,TOF-SIMSでは試料の損傷を抑えるために,単位時間当たりに照射する1次イオンビームの強度を大きくしないのが通常であるから,かような飽和点は問題となりにくい(乙4)。仮に飽和点が問題となるとしても,当業者であれば,可能な限り飽和点に近いが,飽和点を超えない積算回数を採用して試験を実施することが容易であり,かつかような手法で試験することが当業者に一般的である(甲79)。したがって,訂正明細書にTOF-SIMSの1次イオンビームの照射回数ないし積算回数に関する記載がないからといって,当業者が本件発明を実施することができないものではない。また,被告のPVB研究開発グループのD作成に係る実験報告書(甲18)は,2次イオンイメージングのドット(輝点)の大きさが1μmと大きすぎ,積算回数等に係る発明の実施の困難性の論拠として採用し難い。

結局,「ポリマーのTOF-SIMS分析では閾値をゼロにすることが当業者の技術常識であるとしても,合わせガラス用中間膜中のアルカリ(土類)金属塩の粒子径の測定において,閾値をゼロとすることが当業者にとって技術常識であるとすることはできない。」との審決の認定,判断は誤りであり,測定条件の詳細が訂正明細書に明示的に記載されていないことを根拠に,本件発明に実施可能要件違反があるとした審決の判断は誤りである。

(5)  以上のとおり,審決がした実施可能要件違反の判断には誤りがあり,原告が主張する取消事由1は理由がある。

2  取消事由2(明確性要件違反の有無の判断の誤り,無効理由3関係)請求項14ないし18(本件発明)の特許請求の範囲の文言上,「粒子径」が,TOF-SIMSを用いて中間膜のアルカリ(土類)金属塩の粒子の大きさを計測したときの,当該粒子の大きさを意味することは明らかであり,「3μm」と上限が画されているところからみて,実際には当該粒子を各方向で計測したときに最大となる大きさを意味するものということができる。

このことは,訂正明細書の発明の詳細な説明のうち段落【0044】において,上記「粒子径」は,TOF-SIMSの2次イオン像のイメージング画像で中間膜表面の粒子(凝集物)を計測したときの当該粒子の大きさ(実際には最大の大きさ)としていることからも明らかである。

審決は,アルカリ(土類)金属イオンに由来する二次イオンをも検出していることをもって,上記「粒子径」が通常の意味とは異なると認定するが,この前提が誤りであることは,前記1の(2)で判断したとおりである。

本件発明の特許請求の範囲にいう「粒子径」の技術的な意義は当業者にとり明確であって,明確性要件違反をいう審決の判断は誤りである。したがって,原告が主張する取消事由2は理由がある。

3  取消事由3(サポート要件違反の有無の判断の誤り,無効理由3関係)について

前記1のとおり,本件発明の中間膜のアルカリ(土類)金属塩のTOF-SIMSを用いた粒子径の計測において,上記金属塩の電離の蓋然性を考慮外として差し支えないから,これに反する判断を前提にして,「TOF-SIMSによる2次イオン像のイメージングにより測定した輝点の大きさをもって粒子径とすることは,発明の詳細な説明を超えるものである。」とした審決の判断(22頁)は誤りである。したがって,審決がしたサポート要件違反の判断には誤りがあり,原告が主張する取消事由3は理由がある。

第6結論

以上によれば,原告が主張する取消事由はいずれも理由があるから,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 塩月秀平)

裁判官真辺朋子及び田邉実は,転任のため,署名押印することができない。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例