知財高等裁判所 平成24年(行ケ)10348号 判決 2013年8月22日
原告
フュアエスツェー アクチェンゲゼルシャフト
代表者
訴訟代理人弁理士
磯野道造
富田哲雄
町田能章
杉下隆雄
新宮正浩
被告
特許庁長官
指定代理人
井上雅博
齋藤恵
中島庸子
守屋友宏
主文
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
3 この判決に対する上告及び上告受理の申立てのための付加期間を30日と定める。
事実及び理由
第1請求
特許庁が不服2009-25098号事件について平成24年5月28日にした審決を取り消す。
第2事案の概要
本件は,原告が,後記1のとおりの手続において,特許請求の範囲の記載を後記2とする特許出願に係る拒絶査定不服審判の請求について,特許庁が同請求は成り立たないとした別紙審決書(写し)記載の審決(以下「本件審決」という。その理由の要旨は後記3のとおり)には,後記4のとおりの取消事由があると主張して,その取消しを求めた事案である。
1 特許庁における手続の経緯
原告は,発明の名称を「抗炎症剤,免疫調製剤及び増殖防止剤としての新規化合先権主張日平成13年(2001年)7月10日,欧州特許庁)を国際出願日とする特許出願(特願2003-512197号。以下「本願」という。)をした。
原告は,平成21年1月15日付けで拒絶理由通知(以下「本件拒絶理由通知」という。)を受けたため,同年6月19日付けで特許請求の範囲を変更する手続補正をするとともに,同日付け意見書(乙3の1)を提出したが,同年8月3日付けで拒絶査定(以下「本件拒絶査定」という。)を受けた。
原告は,同年12月18日,拒絶査定不服審判を請求するとともに,同日付けで特許請求の範囲を変更する手続補正(以下「本件補正」という。)をした。
特許庁は,上記請求を不服2009-25098号事件として審理し,平成24年5月28日,本件補正を却下した上で,「本件審判の請求は,成り立たない。」旨の本件審決をし,同年6月12日,その謄本が原告に送達された。
2 特許請求の範囲の記載
(1) 本件補正前のもの
本件補正前の特許請求の範囲の請求項1,14,15及び21(平成21年6月19日付け手続補正による補正後のもの。以下同じ。)の記載は,次のとおりである。以下,同請求項1に係る発明を「本願発明1」といい,同請求項1,14,15及び21に係る各発明を「本願各発明」という。
「【請求項1
式(I)
【化1】
file_2.bmp{式中,
Aは,炭素原子5個を有する非芳香族環であり,前記環は,少なくとも1個の二重結合を有しており,そして前記環中の1個以上の炭素原子は,XがS,O,N,NR4,SO又はSO2から成る群から選択される基Xで置換することができ,そして前記環の1個以上の炭素原子は,置換基R1を持つことができ,
Dは,O,S,SO2,NR4又はCH2であり,
Z1及びZ2は互いに独立してO,S又はNR5であり,
R1は互いに独立してH,ハロゲン,ハロアルキル,ハロアルキルオキシ又はアルキルであり,
R2はH,OR6又はNHR7であり,
R3はH,アルキル,シクロアルキル,アリールアルキル,アルコキシ,O-アリール,O-シクロアルキル,ハロゲン,アミノアルキル,アルキルアミノ,ヒドロキシルアミノ,ヒドロキシルアルキル,ハロアルキル,ハロアルキルオキシ,ヘテロアリール,アルキルチオ,S-アリール又はS-シクロアルキルであり,
R4はH,アルキル,シクロアルキル,アリール又はヘテロアリールであり,
R5はH,OH,アルコシキ,O-アリール,アルキル又はアリールであり,
R6はH,シクロアルキル,アリール,ヘテロアリール,アリールアルキル,アルキルアリール,アルコキシアルキル,アシルメチル,(アシルオキシ)アルキル,非対掌(アシルオキシ)アルキルジエステル又はジアルキルホスフェートであり,
R7はアルキル,アリール,アルコキシ,O-アリール,シクロアルキル又はO-シクロアルキルであり,
R8は水素又はアルキルであり,
Eはアルキル又はシクロアルキル基であるかあるいは1個以上の基Xを含有してもよくそして少なくとも1個の芳香族環を含有する単環式,多環式置換又は未置換環系であり,
Yは,シクロアルキル,1個以上の基Xを含有してもよくそして少なくとも1個の芳香族環を含有する単環式,多環式置換又は未置換環系であり,
【化2】
file_3.bmpmは0又は1であり,
nは0又は1であり,
pは0又は1であり,
rは0又は1であり,そして
qは0から10で表される化合物またはその塩であって,
式中,
アルキルは,所望に応じて1個以上のR’で置換される飽和又は不飽和アルキル基を表し,
R’は,互いに独立してH,-NO2,-CO2R”,-CONHR”,-CR”O,-SO2NR”,-NR”-CO-ハロアルキル,-NR”-SO2-ハロアルキル,-NR”-SO2-アルキル,-SO2-アルキル,-NR”-CO-アルキル,-CN,アルキル,シクロアルキル,アミノアルキル,アルキルアミノ,アルコキシ,-OH,-SH,アルキルチオ,ヒドロキシアルキル,ヒドロキシアルキルアミノ,ハロゲン,ハロアルキル,ハロアルキルオキシ,又はアリールアルキルであり,
R”は,互いに独立して水素,ハロアルキル,ヒドロキシアルキル,アルキル,シクロアルキル,アリール,ヘテロアリール又はアミノアルキルであり,
シクロアルキル基は,環中の1個以上の炭素原子が基X(Xは前記に定義した通りである)で置換されることができる炭素原子2~8個を有する非芳香族環系を表し,
アルコキシ基は,O-アルキル基を表し,アルキル基は前記に定義した通りであり,
アルキルチオ基は,S-アルキル基を表し,アルキル基は前記に定義した通りであり,
ヒドロキシアルキル基は,HO-アルキル基を表し,アルキル基は前記に定義した通りであり,
ハロアルキル基は,1個から5個のハロゲン原子で置換されたアルキル基を表し,アルキル基は前記に定義した通りであり,
ハロアルキルオキシ基は,1個から5個のハロゲン原子で置換されたアルコキシ基を表し,アルコキシ基は前記に定義した通りであり,
ヒドロキシアルキルアミノ基は,(HO-アルキル)2-N-基又はHO-アルキル-NH-基を表し,アルキル基は前記に定義した通りである。
アルキルアミノ基は,-NH-アルキル又はN-ジアルキル基を表し,アルキル基は前記に定義した通りであり,
アミノアルキル基は,H2N-アルキル,モノアルキルアミノアルキル又はジアルキルアミノアルキル基を表し,アルキル基は前記に定義した通りであり,
ハロゲン基は,塩素,臭素,フッ素又はヨウ素であり,
アリール基は,所望に応じて1個以上の置換基R’(R’は前記に定義した通りである)で置換された炭素原子5~15個を有する芳香族基であり,
アリールアルキル基は,1個から3個のアリール基で置換されたアルキル基を表し,アルキル及びアリール基は前記に定義した通りであり,
ヘテロアリール基は,他の環と融合してもよくそして所望に応じて1個以上の置換基R’(R’は前記に定義した通りである)で置換された少なくとも1個のO,N,S等のヘテロ原子を含む5-又は6員ヘテロ環式基を表す}
で表される化合物またはその塩
[但し,環Aが炭素原子数5を有し,そしてCZ1とCZ2との間の二重結合を有する未置換の炭素環であり,Z1=Z2=0であり,R2=OHであり,r=1である場合,q=0,Y=フェニル,E=ハロゲン,炭素原子が1から5個のアルキル,炭素原子が1から5個のアルコキシ,フェニル,またはシアノ基で置換されたフェニレンおよび非置換のフェニレンである化合物,
q=1,m=1,n=1,R3=H,E=フェニレン,Y=ハロゲン原子で置換されていてもよいアリール,D=O,Sである化合物は除く]。」
「【請求項14】
遊離形態又は薬学的に認容可能な塩及び生理学的官能誘導体の形態の請求項1ないし請求項13のいずれか1項に記載の化合物を,薬学的に許容可能な稀釈剤及びキャリアとともに含む薬学的組成物」
「【請求項15】
医薬品として使用するための請求項1に記載の化合物。」
「【請求項21】
請求項1ないし請求項13のいずれか1項に定義された化合物より成るDHOD抑制剤。」
(2) 本件補正後のもの
本件補正後の特許請求の範囲の請求項1,14,15及び21の記載は,次のとおりである(下線部が本件補正による主な補正箇所である。)。以下,同請求項1に係る発明を「本願補正発明1」,同請求項14に係る発明を「本願補正発明14」,同請求項15に係る発明を「本願補正発明15」,同請求項21に係る発明を「本願補正発明21」といい,これらを併せて「本願各補正発明」という。
「【請求項1】
式(I)
【化1】
file_4.bmp{式中,
Aは,炭素原子5個を有する非芳香族環であり,前記環は,少なくとも1個の二重結合を有しており,そして前記環中の1個以上の炭素原子は,XがS,O,SO又はSO2から成る群から選択される基Xで置換することができ,そして前記環の1個以上の炭素原子は,置換基R1を持つことができ,
Dは,O,S,SO2,NR4又はCH2であり,
Z1及びZ2は互いに独立してOであり,
R1は互いに独立してH,ハロゲン,ハロアルキル,ハロアルキルオキシ又はアルキルであり,
R2はH,OR6又はNHR7であり,
R3はHであり,
R5はH,OH,アルコキシ,O-アリール,アルキル又はアリールであり,
R6はH,シクロアルキル,アリール,ヘテロアリール,アリールアルキル,アルキルアリール,アルコキシアルキル,アシルメチル,(アシルオキシ)アルキル,非対掌(アシルオキシ)アルキルジエステル又はジアルキルホスフェートであり,
R7はアルキル,アリール,アルコキシ,O-アリール,シクロアルキル又はO-シクロアルキルであり,
R8は水素又はアルキルであり,
Eはアルキル又はシクロアルキル基であるかあるいは1個以上の基Xを含有してもよくそして少なくとも1個の芳香族環を含有する単環式,多環式置換又は未置換環系であり,
Yは,シクロアルキル,1個以上の基Xを含有してもよくそして少なくとも1個の芳香族環を含有する単環式,多環式置換又は未置換環系又は
【化2】
file_5.bmpであり,
mは0又は1であり,
nは0又は1であり,
pは0又は1であり,
rは1であり,そして
qは0から10で表される化合物またはその塩であって,
式中,
アルキルは,所望に応じて1個以上のR’で置換される飽和又は不飽和アルキル基を表し,
R’は,互いに独立してH,-NO2,-CO2R”,-CONHR”,-CR”O,-SO2NR”,-NR”-CO-ハロアルキル,-NR”-SO2-ハロアルキル,-NR”-SO2-アルキル,-SO2-アルキル,-NR”-CO-アルキル,-CN,アルキル,シクロアルキル,アミノアルキル,アルキルアミノ,アルコキシ,-OH,-SH,アルキルチオ,ヒドロキシアルキル,ヒドロキシアルキルアミノ,ハロゲン,ハロアルキル,ハロアルキルオキシ,又はアリールアルキルであり,
R”は,互いに独立して水素,ハロアルキル,ヒドロキシアルキル,アルキル,シクロアルキル,アリール,ヘテロアリール又はアミノアルキルであり,
シクロアルキル基は,環中の1個以上の炭素原子が基X(Xは前記に定義した通りである)で置換されることができる炭素原子2~8個を有する非芳香族環系を表し,
アルコキシ基は,O-アルキル基を表し,アルキル基は前記に定義した通りであり,
アルキルチオ基は,S-アルキル基を表し,アルキル基は前記に定義した通りであり,
ヒドロキシアルキル基は,HO-アルキル基を表し,アルキル基は前記に定義した通りであり,
ハロアルキル基は,1個から5個のハロゲン原子で置換されたアルキル基を表し,アルキル基は前記に定義した通りであり,
ハロアルコキシ基は,1個から5個のハロゲン原子で置換されたアルコキシ基を表し,アルコキシ基は前記に定義した通りであり,
ヒドロキシアルキルアミノ基は,(HO-アルキル)2-N-基又はHO-アルキル-NH-基を表し,アルキル基は前記に定義した通りである。
アルキルアミノ基は,-NH-アルキル又はN-ジアルキル基を表し,アルキル基は前記に定義した通りであり,
アミノアルキル基は,H2N-アルキル,モノアルキルアミノアルキル又はジアルキルアミノアルキル基を表し,アルキル基は前記に定義した通りであり,
ハロゲン基は,塩素,臭素,フッ素又は沃素であり,
アリール基は,所望に応じて1個以上の置換基R’(R’は前記に定義した通りである)で置換された炭素原子5~15個を有する芳香族基であり,
アリールアルキル基は,1個から3個のアリール基で置換されたアルキル基を表し,アルキル及びアリール基は前記に定義した通りであり,
ヘテロアリール基は,他の環と融合してもよくそして所望に応じて1個以上の置換基R’(R’は前記に定義した通りである)で置換された少なくとも1個のO,N,S等のヘテロ原子を含む5-又は6員ヘテロ環式基を表す}
で表される化合物またはその塩
[但し,環Aが炭素原子数5を有し,そしてCZ1とCZ2との間の二重結合を有する未置換の炭素環であり,Z1=Z2=0であり,R2=OHであり,r=1である場合,q=0,Y=フェニル,E=ハロゲン,炭素原子が1から5個のアルキル,炭素原子が1から5個の,フェニル,またはシアノ基で置換されたフェニレンおよび非置換のフェニレンである化合物,
q=1,m=1,n=1,R3=H,E=フェニレン,Y=ハロゲン原子で置換されていてもよいアリール,D=O,Sである化合物は除く]。」
「【請求項14】
遊離形態又は薬学的に認容可能な塩及び生理学的官能誘導体の形態の請求項1ないし請求項13のいずれか1項に記載の化合物を,薬学的に許容可能な稀釈剤及びキャリアとともに含む薬学的組成物」
「【請求項15】
医薬品として使用するための請求項1に記載の化合物。」
「【請求項21】
請求項1ないし請求項13のいずれか1項に定義された化合物より成るDHOD抑制剤。」
3 本件審決の理由の要旨
(1) 本件審決の理由は,要するに,本願補正発明1は,本願の優先権主張日前に頒布された刊行物である「THE INTESTINAL ACTION OF BENZMALECENE:THE RELATIONSHIP OF ITS HYPOCHOLESTEROLEMIC EFFECT TO ACTIVE TRANSPORT OF BILE SALTS AND OTHERS UBSTANCES 」(訳文・「ベンズマレセンの腸内作用:ベンズマレセンのコレステロール低下作用と,胆汁酸塩及び他の物質の能動輸送との関係」)と題する論文(Leon Lack,I.M Weiner,Journal of Pharmacology and Experimental The rapeutics,1963,vol.139,248-258)(乙1。以下「引用例」という。)に記載された発明と同一であり,また,本願各補正発明は,特許を受けようとする発明が発明の詳細な説明に記載したものではなく,平成14年法律第24号による改正前の特許法36条(以下「特許法旧36条」という。)6項1号に規定する要件(以下「サポート要件」という。)を満たしていないから,特許出願の際独立して特許を受けることができるものではないとして,本件補正を却下した上,本願発明1も,同様に,引用例に記載された発明と同一であり,本願各発明もサポート要件を満たしていないから,特許を受けることができないというものである。
(2) 本件審決が認定した引用例に記載された発明(以下「引用発明」という。)並びに本願補正発明1と引用発明との一致点及び相違点は,以下のとおりである。
ア 引用発明
化合物20として,
「p-Cl-C6H5-CHCH(CH3)-
|
p-Cl-C6H5-CH2 をN-置換基とし,
file_6.bmp
の式で示される,2-N-置換カルバモイル-シクロペント-1-エンカルボン酸」
イ 一致点
「式
file_7.bmp{式中,Aは,炭素原子5個を有する非芳香族環であり,前記環は,少なくとも1個の二重結合を有しており,Z1はO,R2はOR6,R6がH,Z2はO,rは1,R8が水素}で表される化合物」(2-N-置換カルバモイル-シクロペント-1-エンカルボン酸)である点
ウ 相違点
本願補正発明1では,N-置換基が「-E-[Dm-(CHR3)n]q-Y」であり,かつ,「環Aが炭素原子数5を有し,そしてCZ1とCZ2との間の二重結合を有する未置換の炭素環であり,Z1=Z2=Oであり,R2=OHであり,r=1である場合,q=0,Y=フェニル,E=ハロゲン,炭素原子が1から5個のアルキル,炭素原子が1から5個のアルコキシ,フェニル,またはシアノ基で置換されたフェニレンおよび非置換のフェニレンである化合物は除く」のに対し,
引用発明では,N-置換基が
「p-Cl-C6H5-CHCH(CH3)-
|
p-Cl-C6H5-CH2 」である点(以下「本件相違点」という。)
4 取消事由
(1) 本願補正発明1と引用発明との同一性に係る判断の誤り(取消事由1)
(2) 本願各補正発明のサポート要件に係る判断の誤り(取消事由2)
(3) 手続違背(取消事由3)
第3当事者の主張
1 原告の主張
(1) 取消事由1(本願補正発明1と引用発明との同一性に係る判断の誤り)
本件審決は,本願補正発明1と引用発明との本件相違点は実質的な相違点とはいえず,本願補正発明1は引用発明と同一であると判断したが,以下のとおり,上記判断は誤りである。
ア 本件審決は,本願補正発明1におけるN-置換基である「-E-[Dm-(CHR3)n]q-Y」の部分は,「q=0」の場合「-E-Y」となるところ,「-E-」には,「1個の塩素」で「置換された炭素原子6個を有する芳香族」を「アリール」とし,その「1個のアリール基で置換されたアルキル基」(p-Cl-C6H5-CH2-)で置換される「飽和アルキル基」(-CHCH(CH3)-)を含み,「Y」には,「1個の芳香族環を含有する単環式置換環系」である「p-クロロフェニル」(p-Cl-C6H5-)を含むから,本願補正発明1において「q=0」,「Eは1個の塩素で置換された炭素原子6個を有する芳香族である1個のアリール基で置換されたアルキル基で置換される飽和アルキル基」,「Yは1個の芳香族環を含有する単環式置換環系」のとき,「本願補正発明1の「-E-[Dm-(CHR3)n]q-Y」と引用発明の
「p-Cl-C6H5-CHCH(CH3)-
|
p-Cl-C6H5-CH2 」とは,「化合物の構造が一致」し,引用発明は本願補正発明1に含まれ,本件相違点は,実質的な相違点ではない旨判断した。
しかしながら,「芳香族」とは,「環内のπ電子の数が4n+2(nは整数)」,「平面構造」,かつ「熱化学的に安定である」という3要件を満たすものであるところ,本件審決が本願補正発明1におけるN-置換基の「-E-」及び「Y」に含まれると認定した構成の「p-Cl-C6H5-CH2-」及び「p-Cl-C6H5-」の環式部分は,四つではなく,五つの水素原子(H)と結合した2置換ベンゼン環という極めて特異な構造を呈する官能基であって,「芳香族」に該当しないから(仮に「芳香族」に該当するものとして正しく解釈するのであれば,「p-Cl-C6H4-…」となる。),本件審決が,本願補正発明1において「q=0」,「Eは1個の塩素で置換された炭素原子6個を有する芳香族である1個のアリール基で置換されたアルキル基で置換される飽和アルキル基」,「Yは1個の芳香族環を含有する単環式置換環系」のとき,本願補正発明1のN-置換基(「-E-[Dm-(CHR3)n]q-Y」)と引用発明のN-置換基(上記構造部分)の化合物の構造が一致すると判断したのは誤りである。
したがって,引用発明が本願補正発明1に含まれるとした本件審決の判断も誤りである。
イ この点に関し,被告は,引用例(乙1)の表2の「化合物20」が「ベンズマレセンに関連する化合物」であることを理由に,「化合物20」と「ベンズマレセン」とを対比し,「化合物20」の二つの端部である「p-Cl-C6H5-」との記載は,「p-Cl-C6H4-」を意味するものの誤記である旨主張する。
しかしながら,引用例には「ベンズマレセンに関連する化合物」として24の化合物が記載されているところ,被告の主張は,24の化合物のうち,「化合物20」の記載においてのみ誤記があり,その余の化合物の記載に誤記が存在しないという仮定の下に,「化合物20」と「ベンズマレセン」との対比を行っているが,当該仮定が正しいと判断できる確かな証拠は存在しないから,引用例の記載はその文言どおりに解釈するのが妥当である。また,「化合物20」の記載に誤記が存在すると仮定したとしても,その誤記の態様には様々なものがあり得るから,「化合物20」の二つの端部である「p-Cl-C6H5-」との記載が「p-Cl-C6H4-」を意味するものの誤記であると断じることもできない。
したがって,被告の上記主張は理由がない。
ウ 以上のとおり,本願補正発明1と引用発明は本件相違点において相違するから,本願補正発明1が引用発明と同一であるとした本件審決の判断は,誤りである。
(2) 取消事由2(本願各補正発明のサポート要件に係る判断の誤り)
本件審決は,本願各補正発明は,サポート要件を満たしていないと判断したが,以下のとおり,上記判断は誤りである。
ア 本願各補正発明がサポート要件に適合しているかどうかは,発明の詳細な説明の記載や出願時の技術常識に照らし,本願各補正発明のそれぞれの発明の課題を解決できると当業者が認識できる範囲のものであるか否かという判断基準に従って検討すべきである。
(ア) 本願補正発明1について
本願補正発明1の課題は,本件審決が示すとおり,「ジヒドロオロテートデヒドロゲナーゼ(DHODH)を抑制する活性が期待できる新規物質」の提供にある。
本願補正発明1(本件補正後の請求項1)において,選択的な規定とはなっていない,必須の構造である基本骨格は,
file_8.bmpである。
本願に係る明細書(甲38。以下「本願明細書」という。)の表1は,式(Ⅰ’)で示される基本骨格に所定の構造の置換基を連結した一群の化合物がDHODH抑制活性を示すことを実験データに基づいて示している。
一方で,本願の優先権主張日前に,①一定の薬理活性を示す薬は,特定の受容体に適切にフィットする共通の基本骨格を有しているという「薬理活性と基本骨格との関係」,②類似の活性を示す薬物(化合物)を創製するに当たり,薬物(化合物)が異なる構造であっても物理化学的に類似したものは類似の活性を示すという「定量的構造活性相関法」(等価構造),③親化合物(ドラッグ)をその誘導体であるプロドラッグ(体内に吸収された後に,体内で酵素又は化学的に親化合物(ドラッグ)に変換される誘導体)に変換する「プロドラッグ化法」が,いずれも技術常識として知られていた。
そして,上記①の技術常識を参酌すると,式(Ⅰ’)で示される基本骨格を有する化合物であれば,生体内でDHODH抑制活性を示すことを当業者は容易に理解できる。また,上記②及び③の技術常識を参酌すると,式(Ⅰ’)で示される基本骨格の末端等に結合する基として本願補正発明1(本件補正後の請求項1)における「環A」,「E」,「R2」等は,物理化学的に類似した構造のもの又はプロドラッグとその親化合物(ドラッグ)の関係にあるものを規定したものであることから,生体内ではDHODH抑制活性を失うことなく,最終的にはDHODH抑制活性を示すことを当業者は容易に理解できる。
したがって,本願明細書の発明の詳細な説明の記載及び上記①ないし③の技術常識に照らし,本願補正発明1は,その発明の課題(DHODH抑制活性を有する新規物質の提供)を解決できると当業者が認識できる範囲のものであるといえるから,サポート要件に適合している。
(イ) 本願補正発明14,15,21について
前記(ア)のとおり,本願補正発明1の化合物は,DHODH抑制活性を示すことから,当然,当該化合物を用いた本願補正発明14(「薬学的組成物」),本願補正発明15(「医薬品として使用する化合物」),本願補正発明21(「DHODH抑制剤」)は,「DHODHの抑制を要求する疾病の治療に使用できる有効な薬剤」の提供という発明の課題を解決できると当業者が認識できる範囲のものであるといえる。
したがって,本願補正発明14,15,21は,サポート要件に適合している。
イ これに対し,本件審決は,本願補正発明1が発明の詳細な説明に記載されたものであるというためには,発明の詳細な説明には,少なくとも,本件補正後の請求項1に記載された式(I)に含まれる化合物がその全ての範囲において,実際に製造されているか,技術常識からしてこのような化合物を製造できることが当業者に理解できる程度に記載されていることが必要であるとした上で,技術常識を参酌しても,本件補正後の請求項1に記載された全ての化合物が,実際に製造できることが当業者に理解できる程度に,発明の詳細な説明に記載されているとはいえないし,また,技術常識を参酌しても,当該化合物がDHODHを抑制する活性を持つとは認められない旨判断した。
しかしながら,本件審決の上記判断は,本願明細書の段落【0053】~【0093】に記載された化合物を一切検討することなく,かつ,技術常識(前記ア(ア)の①ないし③)を十分に検討することなくされたものであるから,誤りである。
また,本件審決は,サポート要件の適合性を判断するに当たり,化合物が製造できるか否かという製造可能性を判断基準として用いているが,それは,特許法旧36条4項に規定する実施可能要件の適合性に関するものであるから,判断基準の点において,そもそも本件審決の上記判断に誤りがある。
ウ 以上によれば,本願各補正発明がサポート要件を満たしていないとした本件審決の判断は誤りである。
(3) 取消事由3(手続違背)
ア 本件拒絶査定(甲6)の拒絶理由中には,引用例の「化合物20」は本件補正前の請求項1記載の化合物に相当するとして,特許法29条1項3号の拒絶理由が挙げられていた。
上記拒絶理由には,「(…R3にはアリールアルキルが含まれるので,依然として,上記化合物20は,請求項1記載の化合物に包含される。)」との指摘があった。
本件審判手続において原告に送付のあった平成23年8月29日付け審尋書(甲9。以下「本件審尋書」という。)には,「この審判事件の審理は,今後,この《前置報告書の内容》を踏まえて行うことになります。」との記載があるところ,本件審尋書が引用する「《前置報告書の内容》」には,本件補正後の請求項1に記載された発明が独立して特許を受けることができない理由として,特許法旧36条6項1号,2号に規定する要件を満たしていないことのみが記載され,特許法29条1項3号に関する記載がないことによれば,前置審査をした審査官と原告との間には,本件補正により,「特許法29条1項3号の拒絶理由は解消している」との判断について了解が成立し,本件審尋書による審尋をした審判官も,同様の判断をしていたものといえる。
イ 本件審決は,本願補正発明1は,引用例の「化合物20」(引用発明)と同一であり,特許法29条1項3号の拒絶理由により,独立して特許を受けることができないと判断した。本件審決は,その判断過程において,本件補正後の請求項1に記載された「[Dm-(CHR3)n]q」のqを「0」とし,R3がないものと認定している点において,R3があることを前提に同号の拒絶理由があるとした本件拒絶査定と拒絶の理由が実質的に異なるものといえるから,本件審決の拒絶理由は,同法159条2項の「査定の理由と異なる拒絶の理由」に該当する。
しかるところ,R3がないことを前提とする本件審決の拒絶理由は,本件審決の審決書が原告に送達されるまで原告に対して指摘されておらず,原告に隠された状態となっており,本件審決は,不意打ちで本件補正を却下したものといえる。また,本件審尋書に「《前置報告書の内容》について,審判請求人の意見を事前に求めるものです。意見があれば回答してください。」と指摘されていたことから,原告は,「《前置報告書の内容》」に記載された特許法旧36条6項1号,2号の拒絶理由については意見を述べることができたが,「《前置報告書の内容》」に記載のない特許法29条1項3号の拒絶理由については意見を述べる機会すら与えられなかった。
ウ 以上によれば,本件審決における特許法29条1項3号の拒絶理由は,本件拒絶査定の理由と異なる拒絶理由であるにもかかわらず,新たに拒絶理由通知をすることなく,本件審決で本件補正を却下した本件審判手続は,特許法159条2項で準用する同法50条本文に反するとともに,特許出願人である原告に対して極めて不公正なものであって,適正手続違反に該当するものといえる。
そして,かかる手続上の瑕疵が審決の結論に影響を及ぼすことは明らかであるから,本件審決は違法なものとして取り消されるべきである。
2 被告の主張
(1) 取消事由1に対し
ア 本願補正発明1について
本件審決は,本願補正発明1の要旨について,本件補正後の請求項1に記載されたとおりに認定しており,原告が主張するような「芳香族」が「p-Cl-C6H5-」であるとする解釈を付加して認定していない。
イ 引用発明について
(ア) 引用例(乙1)の250頁左欄下から5行目~右欄16行目及び表2の記載(訳文3頁~4頁)によれば,引用例には,①「ベンズマレセン」は,「1-メチル-2,3-ジフェニル-n-プロピルアミンのアミド誘導体であって,その中には,パラ位が塩素で置換された芳香族環を2つ有する」ものであり,「1-メチル-2,3-ジフェニル-n-プロピルアミンのアミド誘導体」に相当する部分と「マレイン酸の誘導体」に相当する部分を含む,下記(a)の式で示されるアミド化合物であること,②「化合物20」は,「ベンズマレセンに関連する化合物」であるが,「マレイン酸の誘導体ではない」から,下記(b)の式で表される「1-メチル-2,3-ジフェニル-n-プロピルアミンのアミド誘導体」に相当する部分は有するが,マレイン酸誘導体に相当する部分の代わりに,表2に示される下記(c)の式で表される酸の誘導体部分を含む化合物であることが開示されているといえる。
そうすると,化合物20の「R’」が,表2では,
「p-Cl-C6H5-CHCH(CH3)NH-
|
p-Cl-C6H5-CH2 」と記載されているものの,
「p-Cl-C6H4-CHCH(CH3)NH-
|
p-Cl-C6H4-CH2 」を意味するものの誤記であることは明らかである。
記
(a) ベンズマレセン
「p-Cl-C6H4-CHCH(CH3)NH-CO COOH
| | |
p-Cl-C6H4-CH2 CH2=CH2」
(b) ベンズマレセンの「1-メチル-2,3-ジフェニル-n-プロピルアミンのアミド誘導体」に相当する部分
「p-Cl-C6H4-CHCH(CH3)NH-CO
| |
p-Cl-C6H4-CH2 」
(c) 化合物20の酸の誘導体部分
file_9.bmp(イ) また,乙2(化学大辞典7)に,「パラ化合物」とは,「ベンゼンの二置換体で2個の置換基がベンゼン環内の最も離れた位置(1,4位)にあるものをいい,略号p-を冠して命名する.」と記載されていること(164頁右欄5行目~9行目)に照らせば,引用例の表2の
「 p-Cl-C6H5-CHCH(CH3)NH-
R’= |
p-Cl-C6H5-CH2」との記載中の「p-」がパラ化合物の意味であり,「p-Cl-C6H5-CH」,「p-Cl-C6H5-CH2」が,2個の置換基を有するベンゼン環(-C6H4-)の1位に置換している「-CH-」又は「-CH2-」から最も離れた位置である4位に「Cl(塩素)」が置換した構造の誤記であることは,当業者が技術常識として理解できることである。
(ウ) 本件審決は引用発明の認定において引用例の誤記をそのまま記載したものの,引用例の全体の記載(前記(ア))及び技術常識(前記(イ))に照らせば,当該記載が誤記であること及びその誤記の本来の意味は明らかである。
そして,本件審決は,引用例の記載の本来の正しい意味に基づいて,本願補正発明1において「q=0」,「Eは1個の塩素で置換された炭素原子6個を有する芳香族である1個のアリール基で置換されたアルキル基で置換される飽和アルキル基」,「Yは1個の芳香族環を含有する単環式置換環系」のとき,本願補正発明1と引用発明とはN-置換基の化合物の構造が一致するから,本件相違点は実質的な相違点とはいえないと判断したものであり,その判断に誤りはない。
ウ 小括
以上によれば,本願補正発明1は引用発明と同一であるとした本件審決の判断に誤りはない。
(2) 取消事由2に対し
ア 本願補正発明1は,新規化合物に関する発明であり,その発明が解決すべき課題は,新規物質である当該化合物を提供することにあるから,当該課題を解決するということは,当該化合物を製造できることと同じであり,サポート要件に適合するというためには,発明の詳細な説明に,少なくとも,本件補正後の請求項1に記載された式(I)に含まれる化合物がその全ての範囲において,実際に製造されているか,技術常識からしてこのような化合物を製造できることが当業者に理解できる程度に記載されていることが必要であるが,本願明細書の発明の詳細な説明には,そのような記載はないし,本願補正発明1には,明らかに製造できないと考えられる化合物も含まれている。
したがって,本件補正後の請求項1に記載された化合物を,その定義される範囲全体にわたって製造できることが明らかであるとはいえないのであるから,本願補正発明1は,特許を受けようとする発明が発明の詳細な説明に記載したものとはいえない。
また,本願補正発明21についてみると,本願明細書の発明の詳細な説明の記載及び原告提出の証拠から導かれる技術常識を検討しても,本件補正後の請求項1に記載された化合物がその範囲全体にわたって「DHODHを抑制する活性」を持つとはいえないので,本件補正後の請求項21の「DHODH抑制剤」はその課題を解決できると当業者が認識できる範囲のものとして発明の詳細な説明に記載されているとはいえず,本願補正発明21は,特許を受けようとする発明が発明の詳細な説明に記載したものとはいえない。
イ この点に関し,原告は,本願明細書の表1は,式(Ⅰ’)で示される本願補正発明1の基本骨格に所定の構造の置換基を連結した一群の化合物がDHODH抑制活性を示すことを実験データに基づいて示している旨主張する。
しかしながら,原告が主張する本願補正発明1の基本骨格の構造式の式(Ⅰ’)は,環A(シクロペンテン構造)のXが一つで,シクロペンテンの4位で置換された構造であるのに対し,本件補正後の請求項1の式(I)で示される化合物は,「前記環中の1個以上の炭素原子は,XがS,O,SO又はSO2から成る群から選択される基Xで置換することができ」と定義されており,環AのXは一つに限らず,置換する位置もシクロペンテン構造の4位に限定されない構造も含まれているから,式(Ⅰ’)は,本件補正後の請求項1の式(I)で示される化合物において,必須の構造とはなっていない。仮に式(Ⅰ’)において,Xが一つで,シクロペンテンの4位で置換された構造に限らないのであれば,このような構造以外の環Aを有する化合物は,本願明細書の表1には記載されていないのであるから,本願明細書の表1が式(Ⅰ’)で示される基本骨格に所定の構造の置換基を連結した一群の化合物がDHODH抑制活性を示すことを実験データに基づいて示しているとの原告の主張は事実に反するものであり,理由がない。
次に,原告は,本願の優先権主張日前の技術常識である「定量的構造活性相関法」及び「プロドラッグ化法」を参酌すると,式(Ⅰ’)で示される基本骨格の末端等に結合する基として本願補正発明1(本件補正後の請求項1)における「環A」,「E」,「R2」等は,物理学的に類似した構造のもの又はプロドラッグとその親化合物(ドラッグ)の関係にあるものを規定したものであることから,生体内ではDHODH抑制活性を失うことなく,最終的にはDHODH抑制活性を示すことを当業者は容易に理解できる旨主張する。
しかしながら,原告主張の「定量的構造活性相関法」は,あくまでも,活性が類似する化合物を検索するための方法のことであって,物理化学的に類似した化合物であれば必ず同様の活性を有することを保証するものではなく,「定量的構造活性相関法」を参酌しても,本件補正後の請求項1に「環A」,「E」,「Y」,「R8」の各基として定義される範囲の構造が,その範囲内において,物理化学的な性質が類似したものであり,かつ,化合物として,DHODH抑制活性を示すものとはいえない。また,原告が証拠で示したプロドラッグ化合物(甲16,28の1)は,本件補正後の請求項1の式(I)で示される化合物とは異なる構造のものであるから,本件補正後の請求項1に記載された化合物が,その定義される範囲全体にわたって,DHODH抑制活性を示すことの根拠とはならない。
したがって,原告の上記主張は理由がない。
ウ 以上によれば,本願各補正発明がサポート要件を満たしていないとした本件審決の判断に誤りはない。
(3) 取消事由3に対し
ア 前置報告書は,前置審査において,審査官が特許をすべき旨の査定ができない旨を特許庁長官に報告するものであり,請求人と審査官との間で何らかの合意が成立したことを示すものではない。本件審尋書(甲9)で引用する「前置報告書の内容」には,本件補正後の請求項1は,特許法旧36条6項2号に規定する要件及び同項1号に規定する要件を満たしておらず,独立して特許を受けることができず,独立特許要件(平成18年法律第55号による改正前の特許法17条の2第5項において準用する同法126条5項)に違反する旨の判断が記載されているが,発明が独立特許要件に違反するという結論を導く際に複数の独立特許要件違反の理由がある場合,その全てを記載する必要はなく,一つでもその理由を述べれば足りるのであるから,前置報告書において,特許法29条1項3号に該当することを理由とする独立特許要件違反の記載がないことが,前置報告書の内容として本件補正後の請求項1について同号の独立特許要件違反がないことを意味するものではない。
したがって,前置審査官と原告との間に本件補正により「特許法29条1項3号の拒絶理由は解消している」との判断について了解が成立しているとの原告の主張は理由がない。
イ 本件審尋書(甲9)に「この審判事件については,審査官による審査(特許法第162条,前置審査)の結果,以下の《前置報告書の内容》のとおり,特許をすべき旨の査定ができない旨の報告(同法第164条第3項,前置報告書)が特許庁長官になされました。この審判事件の審理は,今後,この《前置報告書の内容》を踏まえて行うことになります。」と記載されているのは,審査官による審査(前置審査)の結果,特許をすべき旨の査定ができない旨の報告(前置報告書)が特許庁長官にされたので,前置報告書の内容を踏まえて合議体は審理するという当然のことを述べたにすぎない。
また,本件審尋書に「この審尋(同法第134条第4項)は,この審判事件の審理を開始するにあたり,《前置報告書の内容》について,審判請求人の意見を事前に求めるものです。意見があれば回答してください。」と記載されているように,本件審尋書は,合議体が,前置審査を行った審査官の見解が記載された前置報告書の内容のみではなく,それに対する請求人の反論も踏まえて審理することを述べたものであって,前置報告書の内容をそのまま是認して,合議体の見解として通知したものではない。
ウ 本件審決における本願補正発明1が独立特許要件違反であるとする理由のうち特許法29条1項3号に関する理由は,引用発明(引用例の「化合物20」)は本願補正発明1に含まれるから,本願補正発明1が引用発明と同一であるというものであって,本件拒絶査定における本願発明1(本件補正前の請求項1)が独立特許要件違反であるとする理由のうちの同号に関するものと同じであり,原告に対する不意打ちには当たらない。
また,特許法159条2項で準用する同法50条の規定は,審判請求時の手続補正の却下の理由を事前に通知して,請求人に意見書提出の機会を与えることを義務づけたものではないから,事前に本件補正の却下の理由を原告に通知することなく,本件審決において本件補正を却下したことは,同条本文に反するものでもない。
さらに,本件拒絶査定(甲6)において本願発明1が引用発明と同一であるため特許法29条1項3号に該当するとの拒絶理由は既に原告に通知されており,原告は,本件審判請求時において,この拒絶理由に対する手続補正をする機会も,審判請求書で意見を述べる機会も与えられていた上,本件審尋書に対する回答書(乙3の2)に「本願は,拒絶査定(…)を受けて,請求項1及び2から,公知化合物を全て除外する補正を行い,式(I)で表す化合物を新規化合物だけの構成といたしましたので,特許法29条第1項第3号には該当しないものと思料いたします。」と記載して上記拒絶理由について意見を述べているのであるから,本件における一連の手続が原告の意見を述べる機会を奪ったものでないことは明らかである。
エ 以上のとおり,本件審決で本件補正を却下した本件審判手続は,特許法159条2項で準用する同法50条本文に反するものではなく,また,原告に対する不意打ちに当たらないから,原告主張の手続違背はない。
第4当裁判所の判断
1 取消事由1(本願補正発明1と引用発明との同一性に係る判断の誤り)について
(1) 本願明細書の記載事項等
ア 本願補正発明1の特許請求の範囲(本件補正後の請求項1)の記載は,前記第2の2(2)のとおりである。
イ 本願明細書(甲38)の「発明の詳細な説明」には,次のような記載がある。
(ア) 「【技術分野】本発明は,抗炎症剤,免疫調製剤及び増殖防止剤として使用できる新規化合物に関する。特に,本発明は,ジヒドロオロテートデヒドロゲナーゼ(DHODH)を抑制する新規化合物,これらの製造方法,これらを含有する薬学的組成物及びこれらを疾病の治療及び予防に使用する方法,特にジヒドロオロテートデヒドロゲナーゼ(DHODH)を抑制する利益がある疾病に使用する方法に関する。」(段落【0001】)
(イ) 「【背景技術】リウマチ性関節炎(RA)は,一般的な,特に高齢者において一般的な疾病である。例えば,非ステロイド抗炎症剤としての薬剤によるその治療は十分ではない。高齢化社会が進む観点から,特に先進西側諸国及び日本においてRAの治療用の新規の薬剤の開発は,急を要するものである。」(段落【0002】),「新規の作用のメカニズムを有するリウマチ性関節炎に対する薬剤であるレフノマイド(lefnomide)は,ARAVAの商品名でアベンテス社から最近上市されている[欧州特許第780128号明細書,国際公開第97/34600号パンフレット]。レフノマイドは,免疫調製能及び抗炎症性を有している[欧州特許第217206号明細書,ドイツ特許第2524929号明細書]。この作用のメカニズムは,ピリミジン生体合成の酵素であるジヒドロオロテートデヒドロゲナーゼ(DHODH)の抑制に基づいている。」(段落【0004】),「体内において,DHODHは,細胞の生成に必要なピリジンの合成に触媒作用を及ぼすDHODHの抑制(病理学的な)高速増殖細胞の成長を抑制し,一方通常の速度で成長する細胞は,通常の代謝サイクルから必要なピリミジン塩基を得ることができる。免疫応答に最も重要な種類の細胞であるリンパ球は,これらの成長のためのピリミジンの合成を排他的に使用し,そしてDHODH抑制に特に敏感に反応する。リンパ球の成長を抑制する物質は,自動免疫疾患の治療に重要な薬剤である。」(段落【0005】)
(ウ) 「【発明が解決しようとする課題】本発明の課題は,DHODHの抑制を要求する疾病の治療に使用できる別の有効な薬剤を提供することである。」(段落【0011】)
(エ) 「【課題を解決するための手段】これに対して,DHODH,特にヒトDHODHに対する抑制効果を有する新規の群の化合物を見出した。」(段落【0012】)
(オ) 「以下の実施例は,本発明の化合物の合成の例を示し,そしてこれらのDHODH抑制効果を表す。」(段落【0119】),「抑制の結果を以下の表1に示す。本発明で使用した化合物がレフノマイドの活性代謝物と匹敵するあるいはよりよいヒト酵素に対する抑制効果を有しているだけでなく,ヒト酵素に対してより高い特異性を有していることがIC50値の比較から明らかである。」(段落【0131】)
(2) 引用例の記載事項
ア 引用例(乙1)には,次のような記載がある(以下の記載中に引用する「表2」については,別紙「表2の訳文」参照)。
(ア) 「胆汁酸塩はラット及びてんじくねずみの小腸から,その回腸内にのみ存在する能動輸送システムによって吸収される(ラックとワイナー,1961年)。この現象は,マウス,ハムスター,子犬,サル,鶏,鳩でも同様に起きる(グラッサー,ワイナーとラック,予稿)。近位小腸はてんじくねずみの腸肝循環には生体内では関与しない(ワイナーとラック,1962年)。この研究はこの腸内吸収活性を阻害することで,ステロイド効率が変化する可能性を示唆した。
ベンズマレセンは,生体外で,コレステロールの生合成を阻害することが知られており(ハフとグリフィラン,1960年),そして,実験動物及び人体内でプラズマコレステロールを低下させることも知られていた(ベルゲンら,1960年)。初期の研究者たちの観察では,コレステロールの生合成の阻害だけではこの物質の全ての活性は説明できなかった。そして,ベンズマレセンは非経口よりも経口においてより有効であった(ジェイ・ダブリュ・ハフ,私信)。
糞便の胆汁酸塩は体内コレステロールの主要な分解排泄生成物である(ウィルソンとシファーステイン,1959年)。副次的に腸の胆汁酸塩の輸送システムを阻害するこの糞便排泄の増大が,コレステロールの胆汁酸塩への変換を増大させる結果となることが予測されていた。こうして,コレステロールプールの排出径路が実質的に結論づけられた。
本研究は,ベンズマレセンが生体内,生体外ともに胆汁酸塩の腸輸送を阻害する可能性を論証するものであり,この活性は,そのコレステロール低下作用に寄与することを示唆するものである。さらに,その阻害のメカニズムについて研究した結果,他の輸送システムが阻害されていることも見いだした。この腸機能の全体的な阻害は,また,コレステロール低下作用と関係があるであろう。ベンズマレセンに関連する一連の薬について,構造活性相関の観点から研究した。」(原文248頁左欄1行目~右欄6行目,訳文1頁~2頁)
(イ) 「方法・試料
タウロコール酸は,既報の方法(ラックとワイナー,1961年)にしたがって精製した。表2に掲載されたベンズマレセンに関連する化合物は,メルク・シャープ&ドーム社から寛大にも提供された。溶液の調製にあたっては,これらの化合物の沈殿を除くように注意が払われた。
本文中で言及されるC14で標識された化合物はニューイングランド・ヌクレア・コーポレーションから購入した。マレイン酸デヒドロゲナーゼは,ワシントン・バイオケミカル・コーポレーションから,また,イソシトロン酸デヒドロゲナーゼはシグマ・ケミカル社から入手した。」(原文248頁右欄7行目~19行目,訳文2頁)
(ウ) 「構造活性相関
ベンズマレセンに関連する24の化合物について,反転腸管を用いてタウロコール酸の輸送を低下させる能力を調べる試験を行った(表2)。一定の相関が存在する。
ベンズマレセンそのものは,マレイン酸の誘導体であって代謝毒として知られている。しかしながら,上記の輸送活性の低下はマレイン酸の構造部分が存在することによるものではない。ベンズマレセンのフマル酸誘導体やコハク酸誘導体は,評価し得る活性を有する。化合物#17,#18,#19,#20,#21,#22,#23及び#24は,活性な阻害剤であるが,マレイン酸の誘導体ではない。ある種のマレイン酸誘導体(化合物#7,#8,#9,#10,#14及び#16)を添加すると,その系は不活性になる。
ベンズマレセンは,1-メチル-2,3-ジフェニル-n-プロピルアミンのアミド誘導体であって,これはパラ位が塩素で置換された芳香族環を2つ有する。2つのハロゲンの不存在(#8)は,400μg/mlの濃度でさえも,この系の阻害活性を失わせる。一つだけ塩素化した化合物(#3,#4,#5及び#6)は,中間的な活性を持つ。置換プロピルアミンの3位に結合したベンゼン環において塩素が存在すると,他の環がハロゲン化された化合物よりもより高い活性を有する化合物となる(#3及び#6参照)。
ベンズマレセンは,プロピルアミン鎖中に2つの不斉炭素原子を有する。ベンズマレセンそれ自体は,より高融点のジアステレオマーのラセミ混合物であり,α体と名付けられている。β体(#2)は若干活性が低い。β系(#2,#5及び#7)の中では,その種々のハロゲン置換物はα系のものと類似した活性を示すが,全ての場合でβ化合物は対応するα化合物よりも低い活性を示す。実際,最も弱いα化合物に対応するβ化合物は全く活性がない(#6及び#7参照)。
ある状況では,αd体と対応するαラセミ体とを比較できる(#3と#4)。両者はその活性に検知できるほどの差がない。ハロゲンを持たない2つの化合物(#11及び#12)はかなりの活性を有する。これらの化合物は,上記の2つの芳香族環に加えて他の環系を有するという特徴がある。」(原文250頁左欄下から5行目~右欄下から8行目,訳文2頁~3頁)
イ 前記アの記載を総合すれば,引用例(乙1)には,ベンズマレセンは,2,3-ビス(p-クロロフェニル)-1-メチル-n-プロピルアミン(「1-メチル-2,3-ジフェニル-n-プロピルアミン」の二つのフェニル基のパラ位が水素から塩素で置換されたもの)とマレイン酸がアミド結合によって結合した物質であり,2,3-ビス(p-クロロフェニル)-1-メチル-n-プロピルアミンの構造部分(以下「アミン部分」という。)とマレイン酸構造部分(マレイン酸を構成する-COOHからOHがはずれたもの。以下「マレイン酸部分」という。)とから構成されていることが開示されているものと認められる。
そして,引用例を全体として読むと,表2(別紙「表2の訳文」参照)は,ベンズマレセンに関連する一連の物質についてのタウロコール酸の腸輸送の阻害活性の相関について,ベンズマレセン(化合物番号1)の構成中,アミン部分を2,3-ビス(p-クロロフェニル)-1-メチル-n-プロピルアミン以外のアミンに置き換えた,マレイン酸部分(表2記載の「R」部分)を含むマレイン酸誘導体グループ(化合物番号3ないし16)と,マレイン酸部分を他の酸に置き換えた,2,3-ビス(p-クロロフェニル)-1-メチル-n-プロピルアミン(表2記載の「R’」部分)を含むアミン誘導体グループ(化合物番号17ないし22)とに分けて検討した結果を示していることを理解できる。
そうすると,表2記載の「R’」の構造式(化合物番号16と化合物番号17との間に記載の「式」)は,ベンズマレセンの構成中,2,3-ビス(p-クロロフェニル)-1-メチル-n-プロピルアミンに相当するアミン部分(化合物番号1の構造式中の「-R」以外の部分)を表したものといえるから,「R’」の構造式中,「p-Cl-C6H5-」の部分は「p-Cl-C6H4-」の誤記であると認めるのが相当である。
このような認定は,「R’」記載の「p-」の接頭語が,一般に,「ベンゼンの二置換体で2個の置換基がベンゼン環内の最も離れた位置(1,4位)にあるもの」の略号として用いられていること(乙2,弁論の全趣旨),ベンゼンの二置換体の母骨格が「-C6H4-」であることにも沿うものであり,合理的であるといえる。
(3) 本件相違点について
ア 原告は,本件審決が,本願補正発明1において「q=0」,「Eは1個の塩素で置換された炭素原子6個を有する芳香族である1個のアリール基で置換されたアルキル基で置換される飽和アルキル基」,「Yは1個の芳香族環を含有する単環式置換環系」のとき,本願補正発明1のN-置換基(「-E-[Dm-(CHR3)n]q-Y」)と引用発明(化合物20)のN-置換基(本件相違点に係る引用発明の構成)は化合物の構造が一致すると認定し,本件相違点は実質的な相違点ではない旨判断したが,引用発明のN-置換基である「p-Cl-C6H5-CH2-」及び「p-Cl-C6H5-」の環式部分は,「芳香族」に該当せず,本願補正発明1に存在しないから,上記判断は誤りである旨主張する。
そこで検討するに,引用例の表2には「化合物20」(化合物番号20)として,
file_10.bmpα-異性体」と記載されているところ,前記(2)イ認定のとおり,表2の「R’」の構造式中,「p-Cl-C6H5-」は「p-Cl-C6H4-」の誤記であると認められるから,引用発明(化合物20)のN-置換基は,
「p-Cl-C6H4-CHCH(CH3)-
|
p-Cl-C6H4-CH2」と認められる。
そうすると,本件審決の引用発明の認定(前記第2の3(2)ア)中,N-置換基を
「p-Cl-C6H5-CHCH(CH3)-
|
p-Cl-C6H5-CH2」と認定したのは誤りであり,上記認定中「p-Cl-C6H5-」の部分は「p-Cl-C6H4-」と認定すべきであったものである。
しかしながら,他方で,本願補正発明1において「q=0」,「Eは1個の塩素で置換された炭素原子6個を有する芳香族である1個のアリール基で置換されたアルキル基で置換される飽和アルキル基」,「Yは1個の芳香族環を含有する単環式置換環系」のとき,本願補正発明1のN-置換基(「-E-[Dm-(CHR3)n]q-Y」)は,引用発明のN-置換基と同じ
「p-Cl-C6H4-CHCH(CH3)-
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p-Cl-C6H4-CH2」であると認められるから,本願補正発明1のN-置換基(「-E-[Dm-(CHR3)n]q-Y」)と引用発明(化合物20)のN-置換基は化合物の構造が一致するとして,引用発明が本願補正発明1に含まれるとした本件審決の判断は,その結論において誤りはないというべきである。
イ これに対し原告は,引用例には「ベンズマレセンに関連する化合物」として24の化合物が記載されているところ,24の化合物のうち,「化合物20」の記載においてのみ誤記があり,その余の化合物の記載に誤記が存在しないと判断できる証拠は存在しないから,引用例の記載はその文言どおりに解釈するのが妥当であり,また,「化合物20」の記載に誤記が存在すると仮定したとしても,その誤記の態様には様々なものがあり得るから,「化合物20」の二つの端部である「p-Cl-C6H5-」との記載が「p-Cl-C6H4-」を意味するものの誤記であると断じることもできない旨主張する。
しかしながら,引用例の表2記載の「R’」の構造式は,ベンズマレセン(表2の化合物番号1)の構成中,2,3-ビス(p-クロロフェニル)-1-メチル-n-プロピルアミンに相当するアミン部分(化合物番号1の構造式中の「-R」以外の部分)を表したものであって,この「R’」の構造式中,「p-Cl-C6H5-」の部分が「p-Cl-C6H4-」の誤記であることは,前記(2)イにおいて説示したとおりである。この認定は,表2の「化合物20」(化合物番号20)の記載そのものに誤記があることを意味するのではなく,「化合物20」の「式」中に引用する「R’」の構造式を表した表2の他の記載箇所に誤記があるというものであって,原告が主張するように「化合物20」の記載にのみ誤記があるというものではない。
したがって,原告の上記主張は,採用することができない。
(4) まとめ
以上のとおり,本願補正発明1は引用発明と同一の発明であり,特許出願の際独立して特許を受けることができないとした本件審決の判断に誤りはないから,原告主張の取消事由1は理由がない。
2 取消事由3(手続違背)について
原告は,本件審決における特許法29条1項3号の拒絶理由は,本件拒絶査定の理由と異なる拒絶理由であるにもかかわらず,新たに拒絶理由通知をすることなく,本件審決で本件補正を却下した本件審判手続は,特許法159条2項で準用する同法50条本文に反するとともに,特許出願人である原告に対して極めて不公正なものであって,適正手続違反に該当するものであり,かかる手続上の瑕疵により本件審決には違法がある旨主張するので,以下において判断する。
(1) 特許法159条2項で準用する同法50条本文違反の有無
ア 原告が,本願について平成21年1月15日付けで本件拒絶理由通知を受けた後,同年6月19日付けで特許請求の範囲を変更する手続補正をするとともに,同日付け意見書(乙3の1)を提出したが,同年8月3日付けで本件拒絶査定を受けたことは,前記第2の1記載のとおりである。
本件拒絶査定(甲6)に,「この出願については,平成21年1月15日付け拒絶理由通知書に記載した理由3~7によって,拒絶をすべきものです。なお,意見書及び手続補正書の内容を検討しましたが,拒絶理由を覆すに足りる根拠が見いだせません。」(1頁),「以上のとおりであるから,出願人の主張は採用できず,補正後の本願請求項1,2,4~8,14~16,22~27に係る発明は,依然として,先の拒絶理由で引用した刊行物1,5,11に記載された発明であり,また,それに基づいて当業者が容易に発明をすることができたものである。」(3頁)との記載があることからすると,本件拒絶査定は,同年6月19日付け手続補正による補正後の請求項1,2,4ないし8,14ないし16,22ないし27に係る発明について上記拒絶理由通知記載の「理由3~7」と同じ拒絶理由があることを理由に,本願について拒絶査定をしたものと認められる。
イ 本件拒絶理由通知(甲4)には,「理由」の「6.」として「この出願の下記の請求項に係る発明は,その出願前に日本国内又は外国において,頒布された下記の刊行物に記載された発明又は電気通信回線を通じて公衆に利用可能となった発明であるから,特許法第29条第1項第3号に該当し,特許を受けることができない。」(1頁),「理由6,7」の「備考」として,「…引用文献5には,化合物番号20で示される化合物が記載されており,Eをアリールアルキルで置換されたアルキル,Yをパラクロロフェニルと認定すれば,本願請求項1,4,15記載の化合物に相当し,Eをアリール置換されたアルキル,Yをアリール置換されたメチルと認定すれば,本願請求項2,4,16記載の化合物にも相当する(アルキル,アリール,置換基の解釈により,他の認定も可能である。)。」との記載がある。
本件拒絶理由通知は,平成21年6月19日付け手続補正による補正前の請求項(以下「旧請求項」という。)に係る発明を前提に拒絶理由を述べたものであるところ,本件拒絶理由通知における「引用文献5」は引用例と同一の刊行物,「化合物番号20で示される化合物」は引用例記載の「化合物20」(表2記載の化合物番号20)であるから,上記記載は,「化合物20」が旧請求項1記載の化合物と同一であり,特許法29条1項3号に該当することを拒絶理由の一つとして示したものといえる。
また,本件拒絶理由通知中の「化合物番号20で示される化合物」が「Eをアリールアルキルで置換されたアルキル,Yをパラクロロフェニルと認定すれば,本願請求項1…記載の化合物に相当」するとの記載は,旧請求項1(甲38の204頁)の「式(I)」中の「-E-[Dm-(CHR3)n]q-Y」の部分について,「q」を「0」とし,「E」を「アリールアルキルで置換されたアルキル」,「Y」を「パラクロロフェニル」と認定した場合,「化合物20」が旧請求項1記載の化合物と同一であることを示したものと理解できる。
そして,旧請求項1と上記手続補正による補正後の請求項1(本件補正前の請求項1)とは,「式(I)」で表される「化合物またはその塩」との記載がある点では共通することに照らせば,本件拒絶査定も,本件拒絶理由通知記載の理由と同様の理由により,「化合物20」が本件補正前の請求項1記載の化合物と同一であることを本願の拒絶理由として示したものといえる。
もっとも,本件拒絶査定には,「(3)理由6,7について」として,「さらに,刊行物5の化合物20は,補正後の請求項1記載の化合物に相当する。(出願人はR3の定義からアリールを削除したので,請求項1の化合物には該当しないと主張するが,p-Cl-C6H5-CH2-部分をR3と認定すると,R3にはアリールアルキルが含まれるので,依然として,上記化合物20は,請求項1記載の化合物に包含される。)」との記載があり,上記記載の括弧書きの部分は,「R3」が存在することに言及していることから,「式(I)」中の「-E-[Dm-(CHR3)n]q-Y」における「q」が「0」であることを前提とするものではなく,この点において「q」が「0」であることを前提とする本件拒絶理由通知とは異なるものといえる。しかしながら,上記記載の括弧書きの部分は,原告が平成21年6月19日付け意見書(乙3の1)で「(13)式(Ⅰ)で表される化合物が全て新規化合物であるように以下のように補正しました。…更に,引用文献5の化合物を除くためにR3の定義の中でアリールを削除し…。」(2頁)と主張したのに対応して,そのような補正によっても拒絶理由が解消されないことを述べたものにすぎず,本件拒絶査定が本件補正前の請求項1について本件拒絶理由通知記載の拒絶理由と同じ拒絶理由があることを指摘したとの上記認定と相反するものではない。
ウ 一方,本件審決は,本願補正発明1において,「式(I)」中の「-E-[Dm-(CHR3)n]q-Y」の部分について,「q=0」,「Eは1個の塩素で置換された炭素原子6個を有する芳香族である1個のアリール基で置換されたアルキル基で置換される飽和アルキル基」,「Yは1個の芳香族環を含有する単環式置換環系」のときに,本願補正発明1は,引用発明(引用例の化合物20)と同一であり,特許法29条1項3項に該当するので,特許出願の際独立して特許を受けることができるものではないと判断したものであるところ,本件補正後の請求項1記載の「アリール」,「アルキル」,「アリールアリキル」等の定義に照らすと,本願補正発明1が同号に該当するとの理由は,本件拒絶査定における拒絶理由と同一であると認められる。
エ 以上によれば,本件審決における特許法29条1項3号の拒絶理由(本件審決における本願補正発明1が同号に該当するとの独立特許要件違反の理由)は,本件拒絶査定における同号の拒絶理由と異なる拒絶理由であるとの原告の主張は,採用することができない。
したがって,本件審決で本件補正を却下した本件審判手続は,特許法159条2項で準用する同法50条本文に反するとの原告の主張は,その前提を欠くものとして理由がない。
(2) その他の手続違反の有無
ア 原告は,①本件審判手続において原告に送付のあった本件審尋書(甲9)が引用する「《前置報告書の内容》」には,本件補正後の請求項1に記載された発明が独立して特許を受けることができない理由として,特許法旧36条6項1号,2号に規定する要件を満たしていないことのみが記載され,特許法29条1項に関する記載がないことによれば,前置審査をした審査官と原告との間には,本件補正により,「特許法29条1項3号の拒絶理由は解消している」との判断について了解が成立し,本件審尋書による審尋をした審判官も,同様の判断をしていた,②本件審決における本願補正発明1が特許法29条1項3号に該当するとする理由は,本件拒絶査定の拒絶理由と異なるにもかかわらず,本件審決の審決書が原告に送達されるまで原告に対して指摘されておらず,本件審決は,不意打ちで本件補正を却下したものである,③本件審尋書に「《前置報告書の内容》について,審判請求人の意見を事前に求めるものです。意見があれば回答してください。」と指摘されていたことから,原告は,「《前置報告書の内容》」に記載された特許法旧36条6項1号,2号の拒絶理由については意見を述べることができたが,「《前置報告書の内容》」に記載のない特許法29条1項3号の拒絶理由については意見を述べる機会すら与えられなかったから,本件審判手続は,特許出願人である原告に対して極めて不公正なものであって,適正手続違反に該当するなどと主張する。
しかしながら,本件審尋書(甲9)は,特許法134条4項に基づく審尋の方法として原告に送付されたものであり,その書面の性質上,前置審査をした審査官と原告との間に原告が主張するような合意が成立していることを示すものとはいえず,また,本件審判事件を審理する審判体の見解や判断を示すものではないから,原告の上記①の主張は理由がない。
次に,前記(1)認定のとおり,本件審決における本願補正発明1が特許法29条1項3号に該当するとの独立特許要件違反の理由は,本願補正発明1が引用発明(引用例の化合物20)と同一であるというものであって,本件拒絶査定における同号の拒絶理由と同一であり,しかも,本件拒絶理由通知においても指摘されていたものであるから,本件審決が上記独立特許要件違反を理由に本件補正を却下したことは原告に対する不意打ちとはいえず,原告の上記②の主張も理由がない。
さらに,原告は,本件拒絶理由通知及び本件拒絶査定における引用発明(引用例の化合物20)と同一であることを理由とする特許法29条1項3号の拒絶理由について意見を述べる機会を与えられ,現に上記拒絶理由に対して平成21年6月19日付け意見書を提出して意見を述べたり,同日付け手続補正及び本件補正を行っているのであるから,原告の上記③の主張もまた理由がない。
したがって,本件審判手続が適正手続違反に該当するとの原告の主張は,その前提を欠くものとして理由がない。
(3) まとめ
以上によれば,本件審判手続に原告主張の手続違背は認められないから,原告主張の取消事由3は理由がない。
3 結論
以上の次第であるから,その余の点について判断するまでもなく,原告の請求は棄却されるべきものである。
(裁判長裁判官 土肥章大 裁判官 大鷹一郎 裁判官 荒井章光)
(別紙)表2の訳文
file_11.jpg別紙