知財高等裁判所 平成24年(行ケ)10398号 判決 2013年9月25日
原告
株式会社竹中工務店
訴訟代理人弁理士
中島淳
同
加藤和詳
同
福田浩志
同
坂手英博
同
上野敏範
訴訟代理人弁護士
中野浩和
訴訟代理人弁理士
竹内満
被告
鹿島建設株式会社
訴訟代理人弁護士
麻生利勝
同
伊藤滋夫
同
米澤敏雄
同
齊藤信宰
同
栗原健二
同
土肥健太郎
同
友納理緒
訴訟代理人弁理士
塩田康弘
主文
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第1請求の趣旨
1 特許庁が無効2011-800263号事件について平成24年10月5日にした審決中,「特許第4700817号の請求項1に係る発明についての特許を無効とする。」との部分を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
第2事案の概要
1 特許庁における手続の経緯等(当事者間に争いがない。)原告は,発明の名称を「制震架構」とする特許第4700817号(平成13年2月2日出願,平成23年3月11日設定登録。以下「本件特許」という。請求項の数は2である。)の特許権者である。
被告は,平成23年12月22日,特許庁に対し,本件特許を無効にすることを求めて審判の請求をした。特許庁は,この審判を,無効2011-800263号事件として審理した。原告は,この審理の過程で,平成24年3月19日,本件特許の特許請求の範囲及び明細書について,特許請求の範囲の減縮を理由とする訂正請求をした。
特許庁は,審理の結果,平成24年10月5日,訂正を認めた上で(以下「本件訂正」という。),「特許第4700817号の請求項1に係る発明についての特許を無効とする。特許第4700817号の請求項2に係る発明についての審判請求は,成り立たない。」との審決をし,審決の謄本を,同月15日,原告に送達した。
2 特許請求の範囲
本件訂正後の本件特許の特許請求の範囲の請求項1の記載は,次のとおりである(以下「本件発明1」といい,本件訂正による訂正部分には下線を付した。
また,本件訂正後の本件特許の明細書を「本件明細書」という。甲15,16)。
【請求項1】
減衰装置を取り付けて構造物の振動応答を低減する制震架構であって,
構造物の架構は,水平方向の加振に対して捻れ振動を発生するように構面の剛性又は構造物の質量の平衡を崩して剛心と重心が偏心するように設計されており,
重心よりも剛心に近い側の構面を剛構面とし,該剛構面に対面して配置され,該剛構面よりも剛心からの距離が遠い側の構面を柔構面とし,前記柔構面に前記剛構面よりも減衰装置が集中的に設置され,小地震時にも大地震時にも制震効果を発揮することを特徴とする,制震架構。
3 審決の理由
(1) 別紙審決書写しのとおりであるが,要するに,本件発明1は,「論文 履歴型ダンパーを付加した鉄筋コンクリート造剛性偏心建物の地震応答特性に関する研究」(コンクリート工学年次論文報告集21巻3号1147頁ないし1152頁。以下「甲1文献」という。)に記載された発明(以下「甲1発明」という。)及び以下の各文献に記載された従来周知の技術に基づいて,当業者が容易に発明することができたものであるから,特許法29条2項の規定により,特許を受けることができない,というものである。
ア 「ねじれる建物の制震(ねじれ振動に対する粘性体ダンパーの効果の実験的研究)」(日本建築学会大会学術講演梗概集(関東)1993年9月,643頁及び644頁。以下「甲6文献」という。)
イ 「建築構造物付加粘性ダンパーの伝達関数を用いた有効配置法」(日本建築学会大会学術講演梗概集(九州)1998年9月,379頁及び380頁。以下「甲7文献」という。)
ウ 「粘弾性体ダンパーの木造在来構法住宅への利用 その4:ダンパーを付加した実在木造住宅の振動実験」(日本建築学会大会学術講演梗概集(九州)1998年9月,893頁及び894頁。以下「甲8文献」という。)
エ 「耐震,免震,制振技術の開発」(新日鉄技報356号38頁ないし46頁。以下「甲9文献」という。)
オ 「鋼梁ダンパーで連結された連層耐震壁架構に関する研究(その1 地震応答特性)」(日本建築学会大会学術講演梗概集(中国)1999年9月,1081頁及び1082頁。以下「甲10文献」という。)
カ 特開2000-179180号公報(以下「甲14文献」という。)
(2) 審決が,上記結論を導くに当たり認定した,甲1発明の内容,本件発明1と甲1発明との一致点及び相違点は,以下のとおりである。
ア 甲1発明の内容
履歴型ダンパーを付加して建物のねじれ応答成分を低減させる耐震性を建物に与える制震補強をした建物であって,
前記建物は,ねじれの影響により耐震性が低下し,剛心と重心が偏心していて,
前記建物の外周の構面と内部に剛性要素が有り,
重心よりも剛心に近い側の構面(Y2)と,該構面(Y2)に対面して配置され,該構面(Y2)よりも剛心からの距離が遠い側の構面(Y5)とがあり,構面(Y5)に履歴ダンパーが集中的に設置されており,
剛心から対面する構面(Y2)と構面(Y5)までの距離の比が約1.35~1.5:1となっている制震補強をした建物。
イ 一致点
「減衰装置を取り付けて構造物の振動応答を低減する制震架構であって,
構造物の架構は,水平方向の加振に対して捻れ振動を発生し構面の剛性を崩して剛心と重心が偏心しており,
重心よりも剛心に近い側の構面を剛構面とし,該剛構面に対面して配置され,該剛構面よりも剛心からの距離が遠い側の構面を柔構面とし,前記柔構面に前記剛構面よりも減衰装置が集中的に設置されている制震架構。」
ウ 相違点
(ア) 構造物の架構は,本件発明1では,「剛心と重心が偏心するように設計されて」いるのに対し,甲1発明は,「剛心と重心が偏心して」いる点(以下「相違点1」という。)。
(イ) 本件発明1では,「小地震時にも大地震時にも制振効果を発揮する」のに対し,甲1発明は,そのような制振効果を発揮するか記載がない点(以下「相違点2」という。)。
第3原告の主張
1 相違点1に対する判断の誤り(取消事由1)
(1) 理由不備
審決は,「本件発明1では,『剛心と重心が偏心するように設計されて』いるという記載であるのに対し,甲1発明は,『剛心と重心が偏心して』いるという記載であり,両者は表現上相違しているが,制震架構が『剛心と重心が偏心している』という構成において,相違するものではなく,この点は実質的な相違点とは認められない。」と説示する。
しかしながら,審決が「設計されて」を削除した後の「『剛心と重心が偏心している』という構成において,相違するものではなく」という理由に基づいて,「設計されて」を削除して把握することは,相違を考慮しなければ同じであると言っているにすぎず,何ら意味のある理由付けになっていない。
したがって,審決は,実質的な検討及び判断をしていない。
(2) 出願当時(2001年)における従来の一般常識
以下のとおり,本件特許の出願当時,①偏心が望ましくないということは,建築の分野における一般常識であり,②ねじれを積極的に利用するという技術思想は,本件発明1以外には存在し得なかった。
ア 1988年11月発行の「建築大辞典<縮刷版>(第1版第11刷)」には,「構造物に地震力のような水平力が作用すると,柱や壁体はそれぞれの剛性に応じて水平力に抵抗するため,剛性が偏って分布していると剛な床板は回転を生ずる。このときの回転中心を剛心といい,建物の重量分布の中心である重心とできるだけ一致させるのが望ましい。剛心と重心とが一致しないときは,両者の距離に比例した捩りモーメントが生じ,構造上望ましくない。」と記載され,出願当時において,偏心が望ましくないことが従来の一般常識として認められていた。
イ 建築基準法施行令82条の6第2号ロ(平成19年政令第49号による改正前は82条の3)は,偏心が望ましくないことからこれを制限する趣旨で,偏心率に制限値(100分の15以下)を設けており,昭和55年建設省告示第1792号は,偏心が建物にとって望ましいものではないことを前提に,やむを得ず偏心が生じた建物について,耐力増加によって補う趣旨で,偏心率が100分の15を超えると耐力増加させる必要がある旨,割増係数(Fe)を規定している。
上記施行令及び告示の解説書である「2007年版 建築物の構造関係技術基準解説書」にも,「建築物の各階において,耐震上有効な要素である壁,柱等の平面的な配置が悪いと,地震時にねじれ振動を生じ,大きな損傷を受けるおそれがある。」,「偏心率の意味 図6.2-4に示すように,地震力は階の重心に作用する。このため,重心と剛心の位置が一致しないと,建築物は水平方向に変形するほか剛心周りに回転する。重心と剛心との距離の大きい(偏心の大きい)建築物にあっては,建築物の隅部で部分的に過大な変形を強いられる部材が生じ,それらの部材に損傷が生じる可能性が高くなる。」,「割増し係数Fs及びFeを乗ずれば規定上は架構の不整形性は対処されるが,本来,可能な限りバランスのよい構造として計画を立てることが基本である。」との記載があり,偏心が望ましくないことから,可能な限り偏心しない設計を心掛けるべきとされていた。
ウ 2011年8月に開催された日本建築学会構造委員会応用力学運営委員会のパネルディスカッション資料「ロバスト性・冗長性を向上させた建物の構造デザイン」には,「しかし,偏心した計画コアを構造計画と取り込むことは困難である。」,「ダンパーチューブの効果を発揮させるためのポイントは以下の3点である。…○偏心の許容(捩れ応答の積極利用・偏心による2自由度系の減衰は更に数倍に増大)」,「『ダンパーチューブ構造』を,主構造(構造コア)に偏って取り付けることにより,建物のねじれ応答を積極的に利用してダンパー効率を向上させている点にも技術的な工夫が見られる。」との記載があり,2011年においてですら,①偏心が望ましくないという一般常識が存在し,②ねじれを積極的に利用するという技術思想は新しいものであると結論付けられる。
エ 「捩れ応答を利用した制震架構に関する研究 その1 構造のねらいと基本振動特性の評価」(日本建築学会大会学術講演梗概集(東海)2012年9月)には,「耐震設計において通常は忌避される捩れ振動を利用して大幅な地震応答低減を実現する,新しい制震架構を提案する。」,「当然ながら通常の耐震設計と比較すると剛性が小さく大きな偏心を有する構造となるため,外周構面にはダンパを網目のように配置する。このダンパが捩れ振動を利用して効率的に地震エネルギを吸収するため,『ダンパーチューブ構造』と名付けられている。」,「剛性要素をコアに集約し,大胆な偏心を許容する,新しい制震架構を提案し」との記載があり,同じく「捩れ応答を利用した制震架構に関する研究 その2 高層建物の試設計による検証」には,「大胆な偏心を許容し,大きな応答低減を実現する本架構は,新しい建築計画の可能性を秘めた構造形式と言える。」との記載があり,同じく「長尺オイルダンパ部材の動的載荷実験」には,「この架構の特徴は,コア部分の偏心配置を許容し,且つ建物の外周部分に細径のオイルダンパ部材を斜めに配置することにより,水平・上下・捩れの各振動を効率的に吸収し,大きな地震応答低減を可能にするものである。」との記載がある。
これらによれば,2012年においてですら,①偏心が望ましくないという一般常識が存在し,②ねじれを積極的に利用するという技術思想は新しいものであることが根拠付けられる。
オ 被告が構造体のねじれを積極的に利用する技術が周知であったことの裏付けとする特開平2-232478号公報(乙1。以下「乙1文献」という。)記載の発明は,発明を実施した構造物の振動モデル設定が不合理であり,効果の検証もずさんであること,同発明は,連結制震の一般常識である振動特性が異なる構造体同士を連結することによって得られる制震効果を下回る効果しか生んでいないことからして,誤解に基づく技術であるから,これをもって,連結制震として構造体のねじれを積極的に利用する技術が周知技術であったということはできない。また,仮に,連結制震として構造体のねじれを積極的に利用する技術が,連結制震における周知技術であったとしても,これをもって,構成の異なる単独建物の制震設計としてねじれを積極的に利用する技術が,周知であったとはいえない。
(3) 本件発明1が目的とする課題
出願当時の建築分野における一般常識に従って本件明細書の記載を検討すれば,本件発明1が目的とする課題は,「一般的に構造物にとって捻れ振動は望ましくないものであり,構造設計者は,捻れ振動が発生しないように構造物の質量及び剛性の平衡度を考慮した設計を行う」という従来の一般常識を前提として,「本発明の目的は,一般的に構造物にとって捻れ振動は望ましくないという一般常識を覆して,逆転の発想として,敢えて捻れ振動が発生するような架構形式に設計した上で,減衰装置の作用効果を最適化して,結果的に構造物の捻れ振動が発生しないように改良工夫した制震架構を提供すること」及び「本発明の次の目的は,構造物が水平方向に加振されたときに,同構造物が捻れ振動を起こすことにより,減衰装置を設置した特定の架構面に変形を集中させ,減衰装置の作用効果を最大限度に発揮させるように工夫した制震架構を提供すること」である。
(4) 「設計されて」の意義と甲1発明との相違点
本件発明1の構成要件のうち「構造物の架構は,水平方向の加振に対して捻れ振動を発生するように構面の剛性又は構造物の質量の平衡を崩して剛心と重心が偏心するように設計されており」の「設計されて」とは,①文言上,「設計されて」いる対象たる「構造物の架構」とは制震架構であること,②本件発明1が目的とする課題から,(i)「改良工夫した制震架構を提供する」ために,「一般的に構造物にとって捻れ振動は望ましくないものであり,構造設計者は,捻れ振動が発生しないように構造物の質量及び剛性の平衡度を考慮した設計を行う」という従来の一般常識に対する「逆転の発想として」なされている設計であること,(ii)「改良工夫した制震架構を提供する」ために,前記従来の一般常識を前提として,「敢えて捻れ振動が発生するような架構形式に設計」されていること,(iii)「改良工夫した制震架構を提供する」ために,「結果的に構造物の捻れ振動が発生しないように」設計されているのであって,架構形式の設計それ自体は,構造物の架構をねじれ振動が発生するような架構形式に制震設計として設計されていると判断されることから,単なる設計ではなく,構造物の架構をねじれ振動が発生するような架構形式に制震設計として設計されていることを意味する。
これに対し,甲1発明については,その目的とする課題は,「ねじれの影響により耐震性が低下している建物に対し,構造部材を補強するのではなく,履歴型ダンパーを用いねじれ応答を低減させ無偏心建物と同程度の耐震性を建物に与える制震補強を提案するために,履歴型ダンパーによるねじれ応答低減効果を検討する。」ことであり,甲1発明の対象物は「ねじれの影響により耐震性が低下している建物」であって,構造物の架構をねじれ振動が発生するような架構形式に制震設計として「設計されて」いるものではない。
したがって,審決の「この点は実質的な相違点とは認められない。」との判断は,誤りである。
(5) 相違点1に係る構成の採用につき容易想到性がないこと
甲1文献,甲6文献ないし甲8文献及び甲14文献には,構造物の架構をねじれ振動が発生するような架構形式に制震設計として「設計されて」いる技術についての記載はなく,かかる記載がない以上,これらの文献をいかに組み合わせても,本件発明1に想到するには至らない。
また,甲1発明の用いる履歴型ダンパーとは,初期剛性を有するダンパーであって,初期剛性を付加することは,従来の一般常識に従った耐震性確保の方法である。これに対し,構造物の架構をねじれ振動が発生するような架構形式に制震設計として設計することは,従来の一般常識に反するから,一般常識それ自体が,一般常識の範囲内にある上記の公知文献に記載された発明を組み合わせて本件発明1の構成を採用することに対する阻害要因となる。この点からも,相違点1に係る構成を採用するにつき容易想到性は認められない。
2 相違点2に対する容易想到性の判断の誤り(取消事由2)
(1) 審決は,「例えば,甲第6号証で,ねじれる建物に粘性体ダンパーを付加した技術事項が記載されているように,甲1発明の履歴型ダンパーに代えて,甲第6号証~甲第8号証,特開2000-179180号公報記載のような従来周知の速度依存型ダンパー(オイルダンパー,粘性ダンパー等)を採用し,本件発明1の相違点2の構成とすることは当業者が容易に想到し得るものである。」と判断した。しかし,審決のかかる判断は,以下のとおり誤りである。
ア 甲1発明において,履歴型ダンパーに代えて速度依存型ダンパーを採用することが容易であるというためには,それなりの動機付けが必要である。しかるところ,甲1文献には,「要旨:…本論はねじれ応答成分を低減させるように低降伏点鋼ダンパーを建物に付加し,建物に無偏心建物と同等の耐震性を与えることを考える。」と記載されているが,この記載は,甲1発明において,架構に初期剛性を付与する履歴型ダンパーに代えて,架構に初期剛性を付与しない速度依存型ダンパーを採用するための動機付けを当業者に与えるものではない。また,甲6文献ないし甲8文献及び甲14文献は,いずれもオイルダンパー,粘性ダンパー等の速度依存型ダンパーの存在を示すものにすぎず,甲1発明において,架構に初期剛性を付与する履歴型ダンパーに代えて,架構に初期剛性を付与しない速度依存型ダンパーを採用するための動機付けを当業者に与えるものではない。
イ 甲1文献には,「本論はねじれ応答成分を低減させるように低降伏点鋼ダンパーを建物に付加し,建物に無偏心建物と同等の耐震性を与えることを考える。」,「ねじれの影響により耐震性が低下している建物に対し,構造部材を補強するのではなく,履歴型ダンパーを用いねじれ応答を低減させ無偏心建物と同程度の耐震性を建物に与える制震補強を提案するために,履歴型ダンパーによるねじれ応答低減効果を検討する。」と記載され,また,「本論の7層モデルの場合,無偏心モデルと同程度の縁変位とするための履歴ダンパーの降伏強度は偏心モデルA3の0.04W7(2315kN)程度が必要となる。」と記載されているところ,ここで「偏心モデルA3」とは,7層の偏心モデルA1からA3のうち,履歴型ダンパーの降伏強度が最も高い偏心モデルである。
また,甲1文献には,「初期剛性は解析パラメータとして変動させる降伏強度に比例して設定させる。」との記載があり,履歴型ダンパーの初期剛性は,降伏強度に比例して設定されることが分かる。
これらの記載から明らかなように,甲1発明の技術的課題(目的)は,履歴型ダンパーによって偏心建物に無偏心建物と同程度の耐震性を与えることであり,その課題解決手段として,初期剛性(降伏強度)が最も高い偏心モデルA3の履歴型ダンパーを採用するものである。
次に,甲1文献には,上記偏心モデルA3の履歴型ダンパーの作用に関し,「このねじれ応答の低減効果は,履歴ダンパーが弾性域で応答する場合は,弾性固有モードに見られるように履歴ダンパーの初期剛性により建物剛性のアンバランスを減少させることによって発生する。地震入力が大きくなり履歴ダンパーが降伏し塑性域に至る場合は,建物剛性の修正効果は弾性時より小さくなり履歴ダンパーのエネルギー吸収による履歴減衰が履歴ダンパーの構面に加わることにより発生すると考えられる。」との記載があり,また,「履歴ダンパーを設置したモデルでは,ねじれ回転による付加変形の発生が低減されており,降伏強度の増加に伴い無偏心モデルの分布に近づいている。」との記載がある。
これらの記載から明らかなように,甲1発明は,降伏前(弾性域)の履歴型ダンパーの初期剛性によって偏心モデルに剛性を付与し,偏心モデルを無偏心モデルに近づけることにより,無偏心モデルと同程度の耐震性を確保するという目的を実現している。
一方,甲6文献ないし甲8文献及び甲14文献に開示されたオイルダンパー等の速度依存型ダンパーは,履歴型ダンパーのように降伏の前後で特性が変化するものではなく,これに偏心モデルを無偏心モデルへ近づけるほどの剛性(履歴型ダンパーの初期剛性に相当する剛性)を期待することはできない。
そうすると,甲1発明において,履歴型ダンパーに代えて甲6文献等に開示された速度依存型ダンパーを採用すると,偏心建物を無偏心建物に近づけることができなくなり,すなわち前述の甲1発明の作用効果が得られなくなり,無偏心モデルと同程度の耐震性を確保するという甲1発明の目的を実現することができなくなる。
したがって,当業者が甲1発明の履歴型ダンパーに代えて速度依存型ダンパーを採用することには,阻害要因があるというべきである。
(2) 審決は,「…請求項1には,減衰装置の構造形式と種類を限定する記載はないので,文言上,鋼材系のダンパーや摩擦ダンパーの使用は除かれていないものである。」と認定し,鋼材系のダンパーや摩擦ダンパーの使用を前提とした「小地震時にも大地震時にも制振効果を発揮する」ことが容易に想到し得るかについて検討するとして,「甲1発明の履歴型ダンパーは,記載事項(1a)のように低降伏点鋼ダンパーを用いているが,例えば,従来周知の上記甲第9号証及び甲第10号証のような,『小地震時にも大地震時にも制震効果を発揮する』極低降伏点鋼を用いた履歴型ダンパーを選択して,本件発明1の相違点2の構成とすることも当業者が容易に想到し得るものである。」と判断した。しかし,審決のかかる判断は,以下のとおり誤りである。
ア 本件発明1からは,「小地震時にも大地震時にも制振効果を発揮する」と減衰装置の機能を特定したことにより,鋼材系のダンパーや摩擦ダンパーが実質的に排除されている。すなわち,本件明細書には,「ダンパー3,7の構造形式と種類に関しては,オイルダンパー,粘弾性ダンパー,鋼材系のダンパー,摩擦ダンパー等を適宜に使用することができる。特に,鋼材系のダンパーや摩擦ダンパーは,降伏(又は滑り)の前と後とでは特性が変わるため,…小地震時には捻れること無く振動し,大地震時には捻れて制震効果を発揮する制震架構として実施することができる。」と記載されているが,ここにいう「小地震時には捻れること無く振動し」とは,鋼材系のダンパー(又は摩擦ダンパー)が降伏する(又は滑る)前であって制震効果を発揮せず,その初期剛性によって制震架構に剛性が付与された状態であり,「大地震時には捻れて制震効果を発揮する」とは,鋼材系のダンパー(又は摩擦ダンパー)が降伏した(又は滑った)後であって制震効果を発揮する状態である。
つまり,鋼材系のダンパー等は,降伏等しない小地震時には制震効果を発揮せず,降伏等する大地震時には制震効果を発揮する一方,オイルダンパーや粘弾性ダンパーは,鋼材系のダンパー等のように降伏等の前後で特性が変化するものではなく,小地震時にも大地震時にも制震効果を発揮することは,当業者にとって自明である。
そうすると,「小地震時にも大地震時にも制振効果を発揮する」との文言により,オイルダンパー,粘弾性ダンパー,鋼材系のダンパー,摩擦ダンパー等々の減衰装置から,地震の大きさによっては制震効果を発揮しない鋼材系のダンパー等が実質的に排除されることになる。
イ また,甲9文献に開示された小地震時に降伏する極低降伏点鋼を用いた履歴型ダンパーや,甲10文献に開示されたレベル1クラスの地震で降伏する鋼梁ダンパーは,その特性が変わる降伏点がいかに小さくても,降伏するまでは制震効果を発揮せず,架構に剛性(初期剛性)を付与する鋼材系のダンパーであることに何ら変わりはない。
したがって,甲1発明において,甲9文献及び甲10文献に開示された,極低降伏点鋼を用いた履歴型ダンパー等を選択したとしても,鋼材系のダンパー等が実質的に排除された本件発明1の構成にはならない。
(3) 被告は,本件発明1の制震装置には可変剛性型の速度依存型ダンパー(以下「可変剛性ダンパー」ともいう。)を含んでいるから,甲1発明の履歴型ダンパーに代えて,何らかの方法により初期剛性を持たせた可変剛性ダンパーを採用することは,最適素材の選択にすぎないと主張する。しかし,この主張は,以下のとおり,失当である。
ア 甲1発明において,履歴型ダンパーに代えて可変剛性ダンパーを採用し,これによって履歴型ダンパーと同様の初期剛性を付与した場合は,小地震時に制震効果を発揮することはないから,本件発明の構成にはならない。
イ 履歴型ダンパーよりも可変剛性ダンパーの方が構成は複雑であり,履歴型ダンパーで済むことをわざわざ可変剛性ダンパーに置き換えることには必要性も相当性もないから,最適素材の選択とはいえないし,構成の複雑さを上回るだけの動機付けも存在せず,むしろ阻害要因が存在するというべきである。
ウ 被告は,可変剛性ダンパーを甲1発明と組み合わせる場合には,これが初期剛性を有することを前提とする一方,可変剛性ダンパーを本件発明1と対比する場合には,これが初期剛性を有しないことを前提としており,非論理的である。
第4被告の主張
1 取消事由1について
(1) 本件発明1と甲1発明が実質的に同一であること
ア 本件発明1では偏心している架構に制震装置を組み込むことで,最終的に目指す制震架構で「偏心の影響が残らない」結果を得ているのであるから,結局,あえて偏心させた架構としても,制震装置を組み込まない限り制震架構としての機能を備えていない。
よって,偏心させること自体を目的とした設計は,何らの技術的意味を持つことはない。そうすると,甲1発明の「剛心と重心が偏心して」と本件発明1の「剛心と重心が偏心するように設計されて」は,いずれも「平面計画の都合で結果的に偏心が発生した場合の設計架構」を意味することとなる。
したがって,相違点1は,実質的に同一の内容であり,本件発明1の「剛心と重心が偏心するように設計されて」という点は,実質的に甲1発明に記載されており,それを新規な技術思想と認める余地はない。
イ 仮に,偏心させた架構設計単独でも技術的意味があるとしても,甲1文献発行より10年ほど前の平成2年9月発行の乙1文献には,「互いに切り離される構造体を,剛心と重心の位置をずらして偏心させることによりこれに地震動に対してねじれ振動を起こさせ,ダンパーが接続される構造体間の相対水平変形を大きくさせることによりダンパーに,その変形量に応じたエネルギー吸収能力を発揮させ,効果的に機能させる。」と記載されており,構造体のねじれを積極的に利用する技術思想が明確に記載されている。よって,甲1文献発行時及び本件発明1の出願時には,構造体のねじれを積極的に利用する技術思想は当業者における周知技術となっていたのであり,かかる当業者の技術知識からすれば,甲1発明における「剛心と重心が偏心して」とは,ねじれを積極的に利用し偏心させた設計架構という意味に読み取ることができ,本件発明1の「剛心と重心が偏心するように設計されて」も,これと同じ意味であるから,両者の間に実質的な差異はない。
また,甲1文献にあるように,平面計画の都合で結果的に偏心が発生した場合の架構は「偏心するように設計されている」ことに他ならず,本件発明1にいう「偏心するように設計され」た架構と差異はない。
さらに,甲1発明は,「履歴型ダンパーによるねじれ応答低減効果」の有無を確認するために,あえて「ねじれの影響が現れる建物」を設定(設計)しているのであるから,その建物の架構は,ねじれ振動が発生するような架構形式に設計されているといえ,履歴型ダンパーを設置する前の建物(架構)の設計上も甲1発明と本件発明1に違いはない。
ウ 以上のとおりであるから,相違点1に係る構成について実質的な相違点はないとした審決の判断に違法はない。
(2) 相違点1に係る「設計されて」は容易想到であること
仮に,相違点1の「設計されて」が単なる設計ではなく「構造物の架構をねじれ振動が発生するような架構形式に制震設計として設計されていること」を意味し,甲1発明がこれを意図していない設計を意味するとしても,本来的に偏心する余地(必要性)がない意匠の場合にまであえて偏心させる設計をすることはない以上,本件発明1は,いずれにしても偏心せざるを得ない架構設計をする場合に,一定の作用が働きやすいように意図的に剛性又は質量の平衡を崩すものであるから,甲1発明の構成要素をあえて実現したもの,あるいは,甲1発明の記載をごくわずかに変更したものにすぎない。よって,単なる甲1発明の設計変更点にすぎない相違点1に係る本件発明1の構成は,当業者の通常の創作能力の範囲内でなし得ることであり,これにつき動機付けは不要であるし,阻害要因があるともいえない。
2 取消事由2について
(1) 「『小地震時にも大地震時にも制振効果を発揮する』ような振動減衰装置であるダンパーがあるとよい。」という程度の解決課題の想到(解決課題に関する動機付け)は,従前の発明(文献)に特段の記載がないとしても普通に考えつく解決課題である。そして,その解決課題を解決することのできる速度依存型ダンパーを含む各種のダンパーがあること自体(当該解決課題の具体的解決手段があること)が周知のことであったのであるから,それを本件発明1において使うということを考えつくことも容易であったのであって,それらを使うという考え方に進歩性はない。
(2) すなわち,甲1文献の発行当時,架構に初期剛性を付与し得る(可変剛性型の)速度依存型ダンパーが公知技術として存在し,当業者における技術常識であった。かかる技術常識をもってすれば,甲1文献の「履歴ダンパーが弾性域で応答する場合は,…履歴ダンパーの初期剛性により建物剛性のアンバランスを減少させることによって発生する」の記載を示唆として,履歴型ダンパーに代えて速度依存型ダンパーに素材変更することを容易に想到することができる。
そして,甲1発明が履歴型ダンパーを採用していても,当時の周知技術より速度依存型ダンパーに可変剛性型が存在し,これにより速度依存型ダンパーにも初期剛性を付与することは可能であるから,甲1文献の「履歴型ダンパー」の記載は,速度依存型ダンパーへの素材変更の阻害要因にはなり得ない。
(3) また,原告が本件発明1の制震装置から鋼材系のダンパー及び摩擦ダンパーを除外したとしても,本件発明1の制震装置からは可変剛性型の速度依存型ダンパーは明確に除外されているものではないから,本件発明1の制震装置は,初期剛性を持ち得る可変剛性型の速度依存型ダンパーを包含している。
そして,可変剛性型の速度依存型ダンパーは初期剛性をなしに設定することが可能であり,初期剛性をなしに設定した場合には,鋼材系のダンパー及び摩擦ダンパーを除外した後の本件発明1の制震装置と同じく降伏の時期に関係なく制震効果を得ることが可能であるから,本件発明1と,甲1発明と可変剛性型の速度依存型ダンパーとの組合せから構成され得る発明との間に差異は存在しなくなる。
したがって,仮に本件発明1について一定の減衰装置を除外する趣旨があったとしても,本件発明1が採用した速度依存型ダンパーは,甲1発明を構成する減衰装置をより適した素材に変更したものであるから,結局,いわゆる最適素材の選択であり,進歩と評価し得る技術的な意義は存在しない。
第5当裁判所の判断
当裁判所は,以下のとおり,原告の主張する取消事由はいずれも理由がなく,審決に取り消されるべき違法はないと判断する。その理由は次のとおりである。
1 取消事由1について
(1) 原告は,審決が,「本件発明1では,『剛心と重心が偏心するように設計されて』いるという記載であるのに対し,甲1発明は,『剛心と重心が偏心して』いるという記載であり,両者は表現上相違しているが,制震架構が『剛心と重心が偏心している』という構成において,相違するものではなく,この点は実質的な相違点とは認められない。」と判断したことについて,相違を考慮しなければ同じであると言っているにすぎず,何ら意味のある理由付けになっておらず,実質的な検討及び判断をしていないと主張する。しかし,審決は,本件発明1と甲1発明の相違点1について,上記のとおり,実質同一であるとの判断をしたのであり,実質的な検討及び判断をしていないわけではない。原告の上記主張は採用し得ない。
(2) 原告は,本件発明1の「設計されており」の要件は,構造物の架構をねじれ振動が発生するような架構形式に制震設計として設計されていることを意味するのに対し,甲1発明の対象物は「ねじれの影響により耐震性が低下している建物」であって,構造物の架構をねじれ振動が発生するような架構形式に制震設計として「設計されて」いるものではないから,審決の「この点は実質的な相違点とは認められない」との判断は誤りである,と主張する。
本件発明1は,その特許請求の範囲において,「構造物の架構は,水平方向の加振に対して捻れ振動を発生するように構面の剛性又は構造物の質量の平衡を崩して剛心と重心が偏心するように設計されており」と記載されている。そして,本件明細書(甲16)には,「【発明が解決しようとする課題】」として,「本発明の目的は,一般的に構造物にとって捻れ振動は望ましくないという一般常識を覆して,逆転の発想として,敢えて捻れ振動が発生するような架構形式に設計した上で,減衰装置の作用効果を最適化して,結果的に構造物の捻れ振動が発生しないように改良工夫した制震架構を提供することである。」(【0008】),「本発明の次の目的は,構造物が水平方向に加振されたときに,同構造物が捻れ振動を起こすことにより,減衰装置を設置した特定の架構面に変形を集中させ,減衰装置の作用効果を最大限度に発揮させるように工夫した制震架構を提供することである。」(【0009】)との記載がある(「【発明の効果】」の段落にも,同旨の記載がある。)。本件明細書のこのような記載を参酌すると,本件発明1は,構造物の架構において「水平方向の加振に対して捻れ振動を発生するように…剛心と重心が偏心するように設計されて」いるものであり,制震設計の一環として,剛心と重心が偏心するように設計された架構の構造物を包含するものであることは明らかである。ただし,甲1発明のように,意匠その他の平面計画の都合で剛心と重心の偏心が生じる場合の架構も,剛心と重心が偏心するように設計されているものであることに変わりはなく,また,このような設計によっても,水平方向の加振に対し,ねじれ振動が発生するのであること,及び,本件発明1の特許請求の範囲には,「剛心と重心が偏心するように設計されており」について「制震目的で設計されており」との記載はないことからすれば,このような剛心と重心が偏心するような架構設計の理由が,専ら意匠その他の平面計画の都合によるものか,専ら制震のためであるか,あるいはその両方の目的であるかは,設計者の意図ないし動機であるにすぎず,このようにして設計された構造物が,客観的には,剛心と重心が偏心するように設計され,水平方向の加振に対しねじれ振動を発生する架構の構造物であることに変わりはない。したがって,本件発明1の構造物の架構と,甲1発明の構造物の架構は,客観的な設計構造としては実質的に同一であるということができ,審決が,構造物の架構が,本件発明1では「剛心と重心が偏心するように設計されて」いるのに対し,甲1発明は,「剛心と重心が偏心して」いるとの相違点1について,実質的な相違点とは認められないと判断したことに誤りはない。原告の上記主張は,本件発明1は,制震設計の一環として,剛心と偏心が偏心するように設計された架構の構造物のものに限定されるとの主張と解されるが,本件発明1の特許請求の範囲の記載は,上記のとおりであり,客観的に,「水平方向の加振に対して捻れ振動が発生するように構面の剛性又は構造物の質量の平衡を崩して剛心と重心が偏心するように設計されて」いる架構の構造物は全て含まれるのであり,このような設計における設計者の意図ないし動機が制震目的であるものに限定して解するのは相当ではないから,原告の上記主張は採用し得ない。
2 取消事由2について
審決は,「被請求人(判決注・原告)は,請求項1の『小地震時にも大地震時にも制震効果を発揮する』の記載は,鋼材系のダンパーや摩擦ダンパーの使用は含まれないことを意図していると口頭審理において主張した」ことから,本件発明1の「減衰装置」には,鋼材系のダンパーや摩擦ダンパーは含まれず,同「減衰装置」は,速度依存型ダンパー(オイルダンパー,粘弾性ダンパー等)であると解されるとして,「甲第6号証で,ねじれる建物に粘性体ダンパーを付加した技術事項が記載されているように,甲1発明の履歴型ダンパーに代えて,甲第6号証~甲第8号証,特開2000-179180号公報記載のような従来周知の速度依存型ダンパー(オイルダンパー,粘性ダンパー等)を採用し,本件発明1の相違点2の構成とすることは当業者が容易に想到し得るものである。」と判断した。
(1) 本件発明1の「減衰装置」の認定解釈について
本件発明1の「減衰装置が集中的に設置され,小地震時にも大地震時にも制震効果を発揮する」との要件について,原告は,本件の無効審判の口頭審理において,鋼材系のダンパーや摩擦ダンパーの使用は含まれないと言明し,本件訴訟においても,このことを明示して主張していること,及び,上記の「小地震時にも大地震時にも制震効果を発揮する」のは,速度依存型ダンパーであり,履歴型ダンパー(鋼材系のダンパーや摩擦ダンパー)は,小地震時には主として耐震効果を発揮し,大地震時には制震効果を発揮するものであって,「小地震時にも大地震時にも制震効果を発揮する」ものではないことからすれば,本件発明1の「減衰装置」は「小地震時にも大地震時にも制震効果を発揮する」もの,すなわち速度依存型ダンパーであり,履歴型ダンパーはこれに含まれないものと解すべきである。なお,本件明細書には,「減衰装置」として,速度依存型ダンパー以外に,履歴型ダンパーも含む趣旨の記載もあるが(甲16【0022】),本件訂正により,請求項1に「小地震時にも大地震時にも制震効果を発揮する」との要件が規定されたことにより,本件発明1の「減衰装置」には,鋼材系ダンパーや摩擦ダンパー(履歴型ダンパー)を含まないものになったものと認められる。
(2) 甲1発明について
ア 甲1文献の記載について
甲1文献(甲1)には,以下の記載がある。
「要旨:連層耐震壁が平面的に非対称に配置された剛性偏心建物のように地震時にねじれ振動が発生する建物では特定の部材に損傷が集中するため耐震設計上配慮が必要とされている。本論はねじれ応答成分を低減させるように低降伏点鋼ダンパーを建物に付加し,建物に無偏心建物と同等の耐震性を与えることを考える。耐震壁が偏在する中・高層の建物モデルを用い,入力動レベル及び履歴ダンパーの降伏強度を変動させた立体弾塑性地震応答解析を行い,各入力動レベルを通して安定したねじれ応答低減効果が得られることを示し,無偏心建物と同等の耐震性を得ることが可能であることを示している。」(1147頁前文1行目ないし7行目)
「偏心を有する建物は地震時にねじれの影響により特定の部材に損傷が集中するため耐震設計上配慮が必要とされている。一方,制震デバイスの普及に伴い,履歴型ダンパーを用いて偏心を有する建物を補強する基本的な研究が行われている。本論では,ねじれの影響により耐震性が低下している建物に対し,構造部材を補強するのではなく,履歴型ダンパーを用いねじれ応答を低減させ無偏心建物と同程度の耐震性を建物に与える制震補強を提案するために,履歴型ダンパーによるねじれ応答低減効果を検討する。具体的には,ねじれ応答を低減させるように低降伏点鋼ダンパーを付加した耐震壁が偏在する中・高層建物モデルを用い,入力動レベルと履歴型ダンパーの降伏強度を変動させた立体弾塑性地震応答解析を行い,ねじれ応答の低減性について検討する。」(1147頁左欄2行目ないし18行目)
「本論の7層モデルの場合,無偏心モデルと同程度の縁変位とするための履歴ダンパーの降伏強度は偏心モデルA3の0.04W7(2315kN)程度が必要となる。」(1150頁左欄12行目ないし15行目)
「このねじれ応答の低減効果は,履歴ダンパーが弾性域で応答する場合は,弾性固有モードに見られるように履歴ダンパーの初期剛性により建物剛性のアンバランスを減少させることによって発生する。地震入力が大きくなり履歴ダンパーが降伏し塑性域に至る場合は,建物剛性の修正効果は弾性時より小さくなり履歴ダンパーのエネルギー吸収による履歴減衰が履歴ダンパーの構面に加わることにより発生すると考えられる。履歴ダンパーの降伏強度の増加に伴い低減効果が増加するのは降伏強度の増加に伴って初期剛性,履歴吸収エネルギーが増大するためである。」(1150頁左欄18行目ないし30行目)
イ 甲1発明の内容について
甲1文献の上記記載によれば,甲1発明は,連層耐震壁が平面的に非対称に配置された剛性偏心建物のように地震時にねじれ振動が発生する建物において,ねじれ応答成分を低減させるように低降伏点鋼ダンパーを建物に付加し,建物に無偏心建物と同等の耐震性を与えるものであって,履歴ダンパーが弾性域で応答する場合は,履歴ダンパーの初期剛性により建物剛性のアンバランスを減少させて,耐震効果を発揮させ,地震入力が大きくなり履歴ダンパーが降伏し塑性域に至る場合には,履歴ダンパーのエネルギー吸収による履歴減衰が履歴ダンパーの構面に加わって制震効果を発生させることにより,偏心した建物においても,無偏心建物と同様に,小地震にも大地震にも対抗できるという意味での耐震効果ないし制震効果を建物に与えることができるものである。
(3) 周知技術に関する文献の記載
ア 甲6文献(甲6)には,以下の記載がある。
「1.はじめに
アスファルト系粘性体を用いた減衰機構を付加することにより,ねじれ振動を抑制させることができるか,水平力によりねじれない建物模型と水平力によりねじれる建物模型との場合に分け,実験により調査した」(643頁左欄1行目ないし6行目)
「②水平力によりねじれる建物
水平力によりねじれる建物は,減衰機構による減衰力は,回転中心からはなれた構面に付加することが必要である。」(644頁右欄16~19行)
イ 甲7文献(甲7)には,以下の記載がある。
「1.序 これまでに,ダンパーの最適配置に関する種々の研究がなされている(例えば,[1,2])。本論文では,剛性が与えられた構造物に粘性ダンパーを有効配置する問題に対する理論およびそれに基づく数値的手法を新たに提案する。」(379頁左欄1行目ないし5行目)
ウ 甲8文献(甲8)には,以下の記載がある。
「我々は前報で一般的な木造在来構法を対象とし粘弾性体によるダンパー機構を考案し,その性能について報告した。本報では,そのダンパーを実在する2階建て木造住宅に取り付け,自由振動実験及び起振機による強制振動実験を行い,ダンパーの効果を実験的に調査した。」(893頁左欄3行目ないし8行目)
エ 甲14文献(甲14)には,以下の記載がある。
「外部耐震構造体に,粘性体を使用したもの,オイルダンパーを使用してもよい。」(【0042】)
「外部耐震構造体の部材が降伏することによって建物に入力した地震動エネルギーを吸収するので,本体部耐震構造体に加わる地震力を軽減する制震的作用を発揮する。」(【0044】)
(4) 甲1発明への周知技術の適用について
ア 構造物が地震に対抗する構造として,耐震構造(構造物の剛性によって地震エネルギーに耐える構造)や免震構造(基礎と構造物との間に免震装置を設置して地震エネルギーの伝わりを遮断する構造),制震構造(地震エネルギーを吸収する制震装置を設置して揺れを軽減する構造)があること,それらは様々な構造のものがあり,耐震構造を有する建物に制震構造や免震構造を適宜組み合わせるなどして用いられていることは,従来から周知であり(甲9),これらは,構造物に地震に対抗することができる構造を備えさせるという意味において,技術分野や解決すべき課題,奏すべき作用や機能において共通するということができる。
そして,上記(3)アないしエのとおりの甲6文献ないし甲8文献及び甲14文献の記載によれば,建物の制震機構として粘性ダンパーや粘弾性ダンパーを用いると,地震力を軽減する制震効果を発揮することは,本件特許の出願時において周知であったことが認められ,粘性ダンパーや粘弾性ダンパーが小地震時にも大地震時にも制震効果を発揮するものであること自体は,原告も争うところではない。
このように,地震等による構造物の振動を軽減させる制震機構としては,小地震時にも大地震時にも制震効果を発揮する粘性ダンパーや粘弾性ダンパーが従来から知られていたところである。
イ 一般的に,構造物の制震機構としてどのような形式・種類の制震ダンパーを採用するかは,構造物の構造,制震ダンパーの設置箇所,必要な制震効果等を考慮して,当業者が適宜に決定し得ることであり,構造物の設計に当たって,地震による構造物における物的及び人的被害の回避や低減のため,大地震時のみならず小地震時にも制震効果を発揮するような制震機構を設置することは,特段の示唆を待つことなく,当業者が容易に着想し得ることであると認められる。
したがって,偏心架構建物において,地震入力が小さいときには耐震効果を発揮し,地震入力の大きいとき制震効果を発揮する履歴型ダンパーを用いる甲1発明において,この履歴型ダンパーを,地震入力の小さいときも,地震入力の大きいときも,いずれにおいても制震効果を発揮する速度依存型ダンパー(オイルダンパー,粘弾性ダンパー等)に置き換えることは,いずれの制震ダンパーも当業者にとって周知の技術であり,どのような形式・種類の制震ダンパーを採用するかは,構造物の構造,制震ダンパーの設置箇所,必要な制震効果等を考慮して,当業者が適宜に決定し得ることであることからすれば,容易に想到し得るものであると認められる。
(5) 原告の主張について
原告は,①甲1発明において,架構に初期剛性を付与する履歴型ダンパーに代えて,架構に初期剛性を付与しないオイルダンパーや粘性ダンパーなどの速度依存型ダンパーを採用する動機付けは存在しない,②甲1発明の技術的課題は,降伏前の履歴型ダンパーの初期剛性によって偏心モデルに剛性を付与し,無偏心モデルと同程度の耐震性を確保する点にあるから,甲1発明において履歴型ダンパーに代えて速度依存型ダンパーを採用するについて阻害要因がある,と主張する。
しかし,甲1発明において,履歴型ダンパーに代えて,「小地震時にも大地震時にも制震効果を発揮する」速度依存型ダンパーを採用することが特段の示唆ないし動機付けがなくとも容易想到であると認められることは前記(4)のとおりである。また,甲1発明が履歴型ダンパーの降伏前にはその初期剛性により耐震効果を発揮するものであるとしても,耐震構造と制震構造との間の技術分野の近接性,すなわち解決すべき課題の共通性及び奏すべき作用や機能の共通性に加え,耐震構造,制震構造のそれぞれが周知の様々な構造から適宜選択し得るものであることに照らして,甲1発明において,履歴型ダンパーであれば降伏しないような小地震時にも制震効果を発揮する速度依存型ダンパーを用いることが阻害されるということはできない。
なお,原告は,極低降伏点鋼を用いた履歴型ダンパーについては,本件発明1からは鋼材系のダンパーや摩擦ダンパーが実質的に排除されているし,降伏点がいかに小さくても降伏以前においては制震効果を発揮しないから,これを甲1発明と組み合わせても本件発明1の構成にはならない,と主張する。しかし,この点は,本件発明1の「減衰装置」には,「小地震時にも大地震時にも制震効果を発揮する」ものであれば,鋼材系のダンパーや摩擦ダンパーが含まれ得ると仮定した場合の審決の判断に対する主張であるところ,そもそも原告自身が,本件発明1の「減衰装置」には,鋼材系ダンパーや摩擦ダンパーは含まれない旨を明確に主張していることや,本件発明1の「減衰装置」は前記(1)のとおり認定解釈すべきであることからすれば,もともと審決の上記の仮定的な判断は不要なものであったのであり,したがって,審決のこの判断に対する原告の上記主張は,審決の取消事由とはいえず,理由がない。
よって,原告の前記各主張は,いずれも採用することができない。
3 結論
以上のとおり,審決には,これを取り消すべき違法はない。よって,原告の請求を棄却することとし,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 設樂隆一 裁判官 田中正哉 裁判官 神谷厚毅)