知財高等裁判所 平成24年(行ケ)10405号 判決 2013年10月16日
原告
株式会社スタックシステム
訴訟代理人弁理士
谷義一
同
阿部和夫
同
主代静義
同
梅田幸秀
同
新開正史
同
窪田郁大
被告
特許庁長官
指定代理人
村守宏文
同
中田とし子
同
瀬良聡機
同
大橋信彦
主文
1 特許庁が不服2009-21966号事件について平成24年10月9日にした審決を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
事実及び理由
第1請求の趣旨
主文と同旨
第2事案の概要
1 特許庁における手続の経緯等(当事者間に争いがない。)
原告は,発明の名称を「殺菌消毒液の製造方法」とする発明について,平成17年7月28日に特許出願(特願2005-218755号。以下「本願」という。)をしたが,平成21年8月26日付けで拒絶査定を受けたので,同年11月11日,これに対する不服の審判を請求し,特許庁は,この審判を,不服2009-21966号事件として審理した。
この審理において,特許庁は,平成24年7月18日付けで拒絶理由通知(最後)を行い(以下「本件拒絶理由通知」という。),原告は,同年8月27日付けで,本願の特許請求の範囲について,請求項の数を2から1へ減少させるなどの手続補正を行った(以下「本件補正」という。)ところ,特許庁は,同年10月9日,本件補正後の本願について,「本件審判の請求は,成り立たない。」との審決をし,審決の謄本を,同月23日,原告に送達した。
2 特許請求の範囲
本件補正後の本願の特許請求の範囲における請求項1の記載は次のとおりである(この発明を,以下「本願発明」といい,本件補正後の本願の明細書を,以下「本願明細書」という。)。
【請求項1】
ジクロロイソシアヌール酸ナトリウム,次亜塩素酸ナトリウム,高度サラシ粉,クロラミンTの群より選ばれた塩素剤の水溶液に,炭酸水或は炭酸ガスを混入した後に,クエン酸,リンゴ酸,酒石酸,マレイン酸,コハク酸,シュウ酸,グリコール酸,酢酸,塩酸,硫酸,硝酸,硫酸水素ナトリウム,スルファミン酸,リン酸より選ばれる少なくとも一種の酸性物質の水溶液を溶解してpH調整を行うようにし,かつ,前記炭酸水の遊離炭酸濃度は100ppm~3000ppmであることを特徴とする希釈用濃縮殺菌消毒液の製造方法。
3 審決の理由
別紙審決書写しのとおりであるが,要するに,本願発明は,本願出願日前に頒布された刊行物である国際公開第2004/098657号公報(甲1。以下「刊行物1」という。)に記載された発明(以下「引用発明」という。)と,以下の点で一致し,相違点を有しないから,特許法29条1項3号の規定により特許を受けることができないというものである。
「次亜塩素酸ナトリウムの水溶液に,炭酸ガスを混入した後に,塩酸の水溶液を溶解してpH調整を行うようにした希釈用濃縮殺菌消毒液の製造方法」。
第3原告の主張
1 取消事由1(本願発明認定の誤り)
審決は,本願発明の「前記炭酸水の遊離炭酸濃度は100ppm~3000ppmである」という発明特定事項(以下「遊離炭酸濃度の特定事項」ということがある。)における「前記炭酸水」とは,「炭酸水或は炭酸ガスを混入し」における「炭酸水」を意味すると解されるから,上記特定事項は,炭酸源として「炭酸ガス」を選択する態様について特定するものではないと認定した。
しかしながら,「炭酸ガス」を次亜塩素酸ナトリウムの水溶液に混入した後には,同水溶液中に炭酸水が生じていることになるという技術常識からすれば,あらかじめ水に炭酸ガスを混合して製造した「炭酸水」を塩素剤の水溶液に混入するか,あるいは「炭酸ガス」を塩素剤の水溶液に直接混入するかは,塩素剤の水溶液に「遊離炭酸(溶存炭酸ガス)」を存在させるために同等に作用する技術手段と認識されるべきである。遊離炭酸濃度が「100ppm~3000ppm」の炭酸水を塩素剤水溶液に混入する場合,遊離炭酸濃度は塩素剤水溶液で希釈され,炭酸水の遊離炭酸濃度である「100ppm~3000ppm」の範囲からずれが生じるとしても,同じ範囲の遊離炭酸濃度を炭酸ガスの混入によっても実現できる以上,炭酸水の混入と炭酸ガスの混入とで,「前記炭酸水の遊離炭酸濃度」の技術的意義が異なるとはいえない。
さらに,本願発明の課題は,pH安定効果があり,殺菌対象や希釈液によりpHに影響を与えにくい希釈用濃縮殺菌消毒液を製造することにあり,このpHに対する安定性を確保するためには,炭酸水の遊離炭酸濃度が100ppmから3000ppmであることが必要である。仮に「炭酸ガス」を混入する場合には遊離炭酸濃度を考慮する必要がないと解釈すると,「炭酸ガス」の混入により「炭酸水」が生じているにもかかわらず,この場合の希釈用濃縮殺菌消毒液はpHに対する安定性が確保されないことになり,本願発明の課題と矛盾することになる。加えて,「炭酸水」を混入する場合のみ遊離炭酸濃度が規定され,「炭酸ガス」を混入する場合においては遊離炭酸濃度が規定されないと解釈すると,遊離炭酸濃度を規定した「炭酸水」を混入する発明と,遊離炭酸濃度を規定しない「炭酸ガス」を混入する発明の二つの発明が把握されることになってしまう。
したがって,遊離炭酸濃度の特定事項は,「炭酸水」を混入する場合でも「炭酸ガス」を混入する場合でも等しく当てはまると解するべきであり,これに反する審決の認定は,技術常識や本願発明の技術思想に反し,誤りである。
2 取消事由2(引用発明認定の誤り)
審決は,①刊行物1の「第2成分(酸)によるpH調整を緩和するために緩衝剤を入れるのが好ましい…第1成分を収容した第1の収納空間に予め重炭酸塩のような緩衝剤を混入させておいてもよい」との記載から,第1成分に緩衝剤を混入させた後に,第2成分を混合するのが好適であることが示されている,②刊行物1の「殺菌水を生成するときに,第1,第2成分と共に炭酸水素ナトリウム又は炭酸ガスを混合するようにしてもよい」との記載から,上記緩衝剤として炭酸水素ナトリウムと同様に炭酸ガスも使用することができることが示されているとして,刊行物1には,殺菌水の生成方法であって,第1成分である次亜塩素酸ナトリウム水溶液に炭酸ガスを混入させた後に,第2成分である水を加えて希釈濃度とした塩酸を混合して,pHレベルを弱酸性領域又は中性領域に調整する方法が記載されていると認定した。
しかし,上記①の記載は,「重炭酸塩のような緩衝剤」についての記載であり「炭酸ガス」についての記載ではない。この記載の後に「重炭酸塩のような緩衝剤」として「重炭酸塩」以外のものは示されていないことからしても,この記載から,「炭酸ガス」を混入させた後に第2成分を混合するのが好適であることを読み取ることはできない。
むしろ,刊行物1に,「炭酸水素ナトリウムのような緩衝剤と収容した第3ボトル…又は炭酸ガスボンベをキット80に加えて」,「消費者は,マニュアルの指示に従って,指示量の水の中に第1,第2の成分を入れる際に,第3成分である緩衝剤又は炭酸ガスを水の中に入れるようにしてもよい。」と記載されていることからすると,刊行物1には,第1成分の次亜塩素酸ナトリウム水溶液に,第2成分の水を加えて希釈濃度とした塩酸を混合すると同時に,炭酸ガスを加えることが記載されているといえる。
したがって,審決が,刊行物1には,第1成分の次亜塩素酸ナトリウム水溶液に炭酸ガスを混入させた後に,第2成分の水を加えて希釈濃度とした塩酸を混合するとの記載があると認定したのは誤りである。
3 取消事由3(本願発明の新規性判断の誤り)
(1) 審決は,本願発明の認定(取消事由1)及び引用発明の認定(取消事由2)を誤った結果,両発明の相違点の認定を誤った。
(2) 審決は,引用発明における「殺菌水」は,「水で希釈して使用するための,有効塩素濃度が50~60,000ppm程度に調整された殺菌水」であり,それは,水で希釈して使用できる程度の濃縮液であるといえるから,本願発明における「希釈用濃縮殺菌消毒液」に相当すると認定した。
しかしながら,本願発明により製造される「希釈用濃縮殺菌消毒液」は,地下水などpHが低い希釈液でも希釈できるのに対し,引用発明によって生成される「希釈して使用される殺菌水」は,アルカリの井戸水を希釈液として用いる場合,希釈時に炭酸を生成させるか又は添加する必要があり,pHを気にすることなく希釈できるものではない。
したがって,本願発明の製造方法によって得られる「希釈用濃縮殺菌消毒液」と,引用発明の生成方法によって得られる「希釈して使用される殺菌水」とは,緩衝性能を異にするものであり,このような差異について検討せず,水で希釈して使用することができることのみを根拠に,両者が同一であるとした審決の認定は誤りである。
4 取消事由4(手続違背)
審決は,本願発明が刊行物1に記載された発明であると認定判断したが,かかる拒絶理由は原告に通知されておらず,審決は,特許法159条2項の準用する同法50条に違反してされたものである。
本件補正前の本願の請求項2に係る発明(以下「補正前発明2」という。)と本願発明は,実質的に同一の発明であり,補正前発明2は,本件補正前の本願の請求項1に係る発明(以下「補正前発明1」という。)の発明特定事項に加え,遊離炭酸濃度の特定事項をその発明特定事項とするものであった。本件拒絶理由通知は,補正前発明1について新規性を欠くとしたが,仮に,補正前発明2について,炭酸源が炭酸ガスの場合には遊離炭酸濃度の特定事項は捨象されると解釈するのであれば,補正前発明2についても新規性欠如の拒絶理由が通知されるはずである。
しかしながら,本件拒絶理由通知においては,補正前発明2について新規性を欠くとの拒絶理由は通知されず,引用発明との間に,「炭酸水の遊離炭酸濃度が,本願発明では「100ppm~3000ppm」であるのに対し,引用発明では,そのような特定がされていない点」との相違点(以下,本件拒絶理由通知での特定に倣い,「相違点4」という。)があることを前提に,進歩性を欠くとの拒絶理由が通知された。なお,この拒絶理由が,補正前発明1及び補正前発明2において,炭酸水を混入する場合について述べられていると解釈できるとしても,炭酸源として炭酸水を選択する態様について,拒絶理由が通知されたことが認識できるだけであり,遊離炭酸濃度の特定事項は炭酸源として炭酸ガスを選択する態様について何ら特定するものではないとの見解が述べられたと認識することはできないし,ましてや,この見解の下で,補正前発明2が引用発明に該当するとの拒絶理由を認識することはできない。
以上によれば,本願発明は刊行物1に記載された発明であるから新規性を欠くとの審決の判断は,本件拒絶理由通知の内容からはおよそ予測できないものであるから,特許法159条2項の「査定の理由と異なる拒絶の理由」に当たるというべきである。それにもかかわらず,審決が,新たな拒絶理由通知を行うことなく,本願発明が上記の理由で新規性を欠くと判断したのは,同項が準用する特許法50条に反するものであり,審決には,出願人の防御権を侵害した違法があり,取り消されるべきである。
第4被告の主張
1 取消事由1について
遊離炭酸濃度の特定事項における「前記炭酸水」が,その記載より前の部分に記載された「炭酸水或は炭酸ガス」における「炭酸水」を意味することは一義的に明確に理解することができるから,これと同旨の審決の本願発明の認定に誤りはない。
塩素剤水溶液に炭酸ガスを混入した場合には,塩素剤成分と独立に炭酸水が生じるのではなく,塩素剤成分と遊離炭酸とが共存する水溶液が生じることは技術常識であることからすれば,原告が主張する,炭酸ガスを混入する場合に塩素剤水溶液に生じる「炭酸水」とは,塩素剤水溶液に炭酸ガスを混入した後の塩素剤成分と遊離炭酸が共存する水溶液のことを意味すると解するしかない。他方,炭酸水を混入する場合には,「前記炭酸水の遊離炭酸濃度」は,塩素剤水溶液に炭酸水を混入する前の時点における炭酸水の遊離炭酸濃度を意味しており,これは,塩素剤水溶液に炭酸水が混入され,塩素剤水溶液で希釈された炭酸水の遊離炭酸濃度とは異なるものである。
そうすると,原告が主張する,遊離炭酸濃度の特定事項が炭酸ガスを混入する場合にも当てはまるとの解釈は,炭酸水を混入する場合と炭酸ガスを混入する場合とで「前記炭酸水の遊離炭酸濃度」の技術的意義が異なる点で不自然であり,このような解釈を採用することはできない。
原告は,本願明細書の記載を参酌して,遊離炭酸濃度の特定事項は,本願発明の課題を解決するために必要であるから,炭酸水を混入する場合のみならず炭酸ガスを混入する場合においても当てはまると主張する。しかし,遊離炭酸濃度の特定事項の解釈に当たり,本願明細書の記載を参酌することが許される特段の事情は見当たらないから,本願明細書の記載を参酌して上記特定事項を解釈する原告の主張を採用することはできない。
2 取消事由2について
刊行物1には,「第2成分(酸)によるpH調整を緩和するために緩衝剤を入れる」方法として,重炭酸塩のような緩衝剤を,第1及び第2の成分を混合する際に入れる方法と,第1成分を収容した第1の収容空間にあらかじめ緩衝剤を混入させておく方法とがある旨記載されており,いずれの方法も,酸によるpH調整を緩和するために重炭酸塩のような緩衝剤を使用する点で同等なものと解される。
また,刊行物1には,「殺菌水を生成するときに,第1,第2の成分と共に炭酸水素ナトリウム又は炭酸ガスを混合するようにしてもよい」と記載されており,炭酸水素ナトリウムが,緩衝剤としての重炭酸塩であることは明らかであるから,緩衝剤を同時に使用する方法において,重炭酸塩と炭酸ガスとを緩衝剤として代替使用できるものと解される。刊行物1に「炭酸水素ナトリウムなどの緩衝剤と共に塩酸などの酸を共に添加して炭酸を生成できるようにすれば,同じ緩衝効果を得ることができる」と記載され,重炭酸塩が炭酸を生成することで緩衝効果を発揮するという作用機序の点からみても,重炭酸塩と炭酸ガスとが緩衝剤として代替使用できると解するのは自然なことである。
そうすると,刊行物1には,緩衝剤をあらかじめ混合する方法において,重炭酸塩と炭酸ガスとを緩衝剤として代替使用できることは直接的に示されてはいないとしても,上記記載に接した当業者が,緩衝剤を同時に混合する方法と緩衝剤をあらかじめ混合する方法とが,酸によるpH調整を緩和するために重炭酸塩のような緩衝剤を使用する点で同等なものであり,それぞれの方法において異なる緩衝剤を使うべき特段の事情も見当たらないことに照らして,緩衝剤を同時に混合する方法においてのみならず,緩衝剤をあらかじめ混合する方法においても,重炭酸塩と炭酸ガスとを緩衝剤として代替使用できると認識するのは,自然なことである。
よって,緩衝剤をあらかじめ混入する方法において,炭酸ガスを重炭酸塩に代えて使用できることは,刊行物1に記載されているに等しいから,刊行物1にかかる記載があることを前提とする審決の引用発明の認定に誤りはない。
3 取消事由3について
(1) 取消事由1及び2に係る本願発明の認定及び引用発明の認定に誤りはないから,審決に,この点に関する相違点の看過はない。
(2) 本願発明の「希釈用濃縮殺菌消毒液」は,食材や医療機器などの殺菌処理といった衛生用途に供するものであり,その希釈液として使用する地下水や水道水は,少なくとも,飲用その他人の生活に供する水と同等以上の水質を満たしていると解するのが自然であるから,本願発明の「希釈用濃縮殺菌消毒液」は,厚生労働省令が定める水道水の水質基準である5.8以上8.6以下のpH値を有する希釈液を,これらのpHを気にすることなく使用することができる緩衝性能を発揮するものであると認められる。
これに対し,引用発明の「水で希釈して使用するための殺菌水」は,刊行物1に「希釈するために使用する水が中性から離れた,例えばpH9のアルカリ水であれば,希釈により殺菌水がアルカリ側に変化してしまう虞がある」と記載されていることからすると,中性近傍の水で希釈する態様においてpHの変動を生じることがないという緩衝性能を発揮するものであると認められるから,本願発明の「希釈用濃縮殺菌消毒液」との間に,緩衝性能に差異はなく,この点につき,審決に相違点の看過はない。
原告は,引用発明の「水で希釈して使用するための殺菌水」は,アルカリの井戸水を希釈液として用いる場合にはpHを気にせず希釈できるようなものではないとして,本願発明の「希釈用濃縮殺菌消毒液」と緩衝性能を異にすると主張する。しかしながら,本願明細書では,殺菌液の殺菌力を増すためにpH5ないし7の酸側に調整することを前提として,pHの急激な酸性側への移行という事態を課題としており,本願発明の「希釈用濃縮殺菌消毒液」に適用できる地下水として,pH9程度のアルカリ水までが想定されていると解するのは,当業者にとって不自然であるから,上記の原告の主張を採用することはできない。
4 取消事由4について
遊離炭酸濃度の特定事項は,炭酸ガスを混入する場合における本願発明の発明特定事項として認定されるべきものではないから,補正前発明1と本願発明とは,塩素剤として次亜塩素酸ナトリウムを,炭酸源として炭酸ガスを,酸性物質として塩酸を選択する態様において同一である。そうすると,本件拒絶理由通知によって,補正前発明1のうちかかる態様について新規性を欠くとの拒絶理由が通知されている以上,本願発明のうちかかる態様についても,実質的に,新規性を欠くとの拒絶理由が通知されている。そして,遊離炭酸濃度の特定事項が,炭酸ガスを混入する場合における本願発明の発明特定事項として認定されるべきものではないのは自明であるから,審決がこのような解釈を示して本願発明について新規性を欠くと判断したことにより,拒絶理由で通知していない新たな事由により出願を拒絶すべきと判断したことにはならない。
また,補正前発明2は,「請求項1に記載の希釈用濃縮殺菌消毒液の製造方法」において,「前記炭酸水の遊離炭酸濃度」を特定する点に特別な技術的特徴を有するものであるといえるから,補正前の請求項2は,「炭酸水或は炭酸ガス」のうちの「炭酸水」を選択する態様についての減縮をするもの,実質的に,炭酸源を「炭酸水」に限定するものであることは明らかであり,少なくとも,そのように解するのが自然であるから,補正前発明2は,炭酸源として「炭酸ガス」を選択する態様を含むものとはいえない。よって,補正前発明2について,新規性を欠くとの拒絶理由が通知されていないとしても,不自然ではない。
本件拒絶理由通知では,相違点4について,「炭酸水の遊離炭酸濃度が塩素剤水溶液と混合することにより低下することは明らかであるから,塩素剤水溶液と混合した後の遊離炭酸濃度を特定していない本願発明2(判決注・補正前発明2を指す。)において,炭酸水の遊離炭酸濃度を…特定することによる臨界的な意義を認めることはできない」と判断した。この判断からすると,補正前発明2における遊離炭酸濃度の特定事項が,炭酸源として炭酸水を選択する態様を特定するもので,炭酸ガスを選択する態様を特定するものではないと認定していることは明らかであるから,このような解釈は,上記の理由により進歩性を欠くとの拒絶理由からも認識することができる。
以上によれば,審決が本願発明について新規性を欠くと判断したことは,拒絶理由で通知していない新たな事由により出願を拒絶すべきと判断したことにはならず,原告の防御権を侵害するものでもないから,審決に原告が主張する手続違背はない。
第5当裁判所の判断
当裁判所は,審決には,特許法159条2項の準用する同法50条に違反する違法があり(取消事由4),かかる手続違背は審決の結論に影響を及ぼすものであるから,審決は取消しを免れないと判断する。その理由は次のとおりであるが,取消事由4に係る手続違背は,遊離炭酸濃度の特定事項が本願発明のうち炭酸源として炭酸ガスを選択する態様について特定するものではないことを前提とすることから,この点が争われている取消事由1について判断した上で,取消事由4について判断することとする。
1 取消事由1について
原告は,本願発明の「前記炭酸水の遊離炭酸濃度は100ppm~3000ppmである」との発明特定事項について,①炭酸源として炭酸水を混入することも炭酸ガスを混入することも,塩素剤水溶液に遊離炭酸を存在させるために同等に作用する技術手段である,②本願発明の課題であるpHに対する安定性を確保するためには,炭酸ガスを混入する場合であっても,塩素剤水溶液に混入後に生じる炭酸水の遊離炭酸濃度が上記特定事項のとおりであることが必要である,として,上記特定事項は,塩素剤水溶液に混入される炭酸源として炭酸水を混入する場合でも炭酸ガスを混入する場合でも等しく当てはまるべきであり,炭酸ガスを混入する態様について特定するものではないとの審決の認定は誤りであると主張する。
しかるに,本願発明の特許請求の範囲の記載によれば,遊離炭酸濃度の特定事項における「炭酸水」は「前記」のものであるとされる以上,その記載に先立って記載された「炭酸水或は炭酸ガス」における「炭酸水」を意味することは明らかであるから,遊離炭酸濃度の特定事項は,炭酸源として炭酸ガスを用いる場合を特定するものではないと認められ,これと同旨の審決の本願発明の認定に誤りはない。
原告の指摘するとおり,炭酸源として炭酸水を混入することも炭酸ガスを混入することも,塩素剤水溶液に遊離炭酸を存在させるために同等に作用する技術手段であるとしても,遊離炭酸濃度の特定事項が炭酸水についてのものであると解されるのは上記のとおりであり,「前記炭酸水」が,塩素剤水溶液に炭酸ガスを混入後の当該水溶液を指すものではないことは,文言上明らかである。
原告は,遊離炭酸濃度の特定事項は,本願発明の課題の解決のために不可欠であるから,炭酸源として炭酸ガスを混入する場合にも当てはまると主張する。しかしながら,本願明細書には,本願発明の効果として,「本発明のように,実施例においては次亜塩素酸ナトリウムである塩素剤水溶液に,炭酸水で希釈した後に,酸性物質,実施例において希塩酸水溶液でpH調整を行うようにしたことで,炭酸水溶液による二酸化炭素にpH安定効果があり,殺菌する対象や希釈液,例えば地下水や水道水で希釈したときでもpHに影響を与えにくい。」(【0007】)との記載はある(甲3)ものの,遊離炭酸濃度の特定事項それ自体がpH安定効果にどのように寄与するのかを明らかにする記載はないし,そもそも,遊離炭酸濃度の特定事項が炭酸源として炭酸水を用いる場合のみを特定するものであることは,上記のとおり一義的に明確であるから,本願発明の認定に当たり,本願明細書中の発明の詳細な説明の記載を参酌する余地はないというべきである。
なお,遊離炭酸濃度の特定事項が炭酸源として炭酸ガスを用いる場合を特定するものではないからといって,本願発明について,二つの異なる発明が把握されることにはなるものではない。
よって,取消事由1に係る原告の主張は理由がない。
2 取消事由4について
(1) 原告は,本願発明が刊行物1に記載された発明であり新規性を欠くとの拒絶理由は原告に通知されていないから,審決には,特許法159条2項の準用する同法50条に反する違法があると主張する。
そこで,審決に至る特許庁における本願についての手続の経過について検討すると,下記に摘示した各証拠によれば,以下の事実が認められる。
ア 特許庁が平成21年8月26日に本願についてした拒絶査定における拒絶の理由は,本願の請求項1ないし3(当時のもの)に係る発明は,引用例1ないし3(いずれも,刊行物1とは異なる公知文献である。)に記載された発明に基づき,当業者が容易に発明することができたというものであった(甲7)。
イ 原告は,平成21年11月11日,上記拒絶査定に対する不服の審判を請求するとともに,本願の特許請求の範囲につき手続補正を行ったが,特許庁は,平成24年4月25日,補正後の発明は先願発明(刊行物1や上記アの引用例1ないし3とはいずれも異なる,準公知の文献である。)と同一であり独立特許要件を欠くとして,この手続補正を却下するとともに,本願についても,上記先願発明と同一であるとする拒絶理由を通知した(甲8,9,12,13)。
ウ 原告は,平成24年6月25日,本願の特許請求の範囲を次のとおり補正するとの手続補正を行った(甲15)。
【請求項1】(補正前発明1)
少なくとも,ジクロロイソシアヌール酸ナトリウム,次亜塩素酸ナトリウム,高度サラシ粉,クロラミンTの群より選ばれ,好ましくは次亜塩素酸ナトリウムの水溶液を,炭酸水或は炭酸ガスで希釈した後に,少なくとも,クエン酸,リンゴ酸,酒石酸,マレイン酸,コハク酸,シュウ酸,グリコール酸,酢酸,塩酸,硫酸,硝酸,硫酸水素ナトリウム,スルファミン酸,リン酸より選ばれる少なくとも一種の酸性物質,好ましくは希塩酸水溶液を溶解してpH調整を行うようにしたことを特徴とする希釈用濃縮殺菌消毒液の製造方法。
【請求項2】(補正前発明2)
前記炭酸水の遊離炭酸濃度は100ppm~3000ppmであることを特徴とする請求項1に記載の希釈用濃縮殺菌消毒液の製造方法。
エ 上記ウに対し,特許庁が平成24年7月18日付けで行った本件拒絶理由通知における拒絶の理由は,以下のとおりであった(甲16)。
(ア) 拒絶の理由1
補正前発明1のうちで,塩素剤として「次亜塩素酸ナトリウム」,炭酸源として「炭酸ガス」,酸性物質として「酢酸,塩酸,硫酸より選ばれる少なくとも一種の酸性物質又は希塩酸水溶液」を選択する態様と,引用発明との間に差異はない。
したがって,補正前発明1は,刊行物1に記載された発明(引用発明)であるから,特許法29条1項3号に該当し,特許を受けることができない。
(イ) 拒絶の理由2
補正前発明1と引用発明とは,①塩素剤の種類,②炭酸源が補正前発明1は「炭酸水」であるのに対し,引用発明では「炭酸ガス」である点,③酸性物質の種類,の点で相違するが,いずれも当業者が容易に想到できたものである。また,補正前発明2と引用発明とは,上記①ないし③に加え,④炭酸水の遊離炭酸濃度が,補正前発明2では「100ppm~3000ppm」であるのに対し,引用発明ではそのような特定がされていない点(相違点4)で相違するが,いずれも当業者が容易に想到できたものである。
よって,補正前発明1及び補正前発明2は,刊行物1に記載された発明に基づいて,当業者が容易に発明することができたものであるから,特許法29条2項の規定により特許を受けることができない。
(ウ) 拒絶の理由3
本願は,特許請求の範囲の記載が特許法36条6項2号に適合するものではないから,特許法36条6項に規定する要件を満たしていない。
オ 原告は,平成24年8月27日,本件補正を行い,補正前発明1に係る請求項1を削除するとともに,補正前発明2を請求項1に繰り上げた上,同請求項中の明瞭でない記載の釈明を目的とする補正を行い,本願発明とした。
特許庁は,同年10月9日にした審決において,本願発明の特許要件について,事案の概要第3項のとおり判断した。
(2) 上記のとおりの本願についての手続の経過に照らすと,本願発明が引用発明と一致し相違点を有しないから新規性を欠如するとの拒絶理由は,拒絶査定において示されていないから,特許法159条2項の「査定の理由と異なる拒絶の理由」に当たる。そして,上記(1)オの本件補正の内容に照らすと,本願発明は,実質的には補正前発明2に当たるところ,補正前発明2については,本件拒絶理由通知においては進歩性を欠如するとの拒絶理由が通知されていたものの,補正前発明1とは異なり,引用発明と差異はないから新規性を欠如するとの拒絶理由が通知されたとは認められない。
この点,本願発明の請求項の記載に照らして,遊離炭酸濃度の特定事項が炭酸源として炭酸水を用いる場合のみに係ることが一義的に明確であると解されることは前記1のとおりであるから,補正前発明1について新規性を欠くとする本件拒絶理由通知によって,炭酸源として炭酸ガスを選択する態様については引用発明と同一であるとの拒絶理由が,実質的には通知されていたと評価する余地もないわけではない。
しかしながら,本件拒絶理由通知は,あえて補正前発明1についてのみ,引用発明と差異がないとの拒絶理由を通知し,補正前発明2については,相違点4等が存在することを理由に,進歩性を欠くとの拒絶理由のみを通知したにすぎないから,出願人である原告において,本件拒絶理由通知によって,補正前発明2のうち炭酸源として炭酸ガスを選択する態様については引用発明と同一であるとの拒絶理由が示されていることを認識することは困難であったと考えられる。
そうすると,審決は,かかる拒絶の理由を通知することなく行った点で,特許法159条1項の準用する同法50条の規定に違反したものであるといわざるを得ず,出願人の防御権を保障し,手続の適正を確保するという観点からすれば,かかる手続違背は,審決の結論に影響を及ぼすものというべきである。
(3) 被告は,①補正前発明1と本願発明とは,炭酸源として炭酸ガスを選択する態様において同一であり,遊離炭酸濃度の特定事項が炭酸ガスを混入する場合を特定するものではないことは自明であるから,本件拒絶理由通知によって,補正前発明1のうちかかる態様について新規性を欠くとの拒絶理由が通知されている以上,本願発明のうちかかる態様についても,実質的に,新規性を欠くとの拒絶理由が通知されている,②補正前発明2は炭酸源を炭酸水に限定するものであり,炭酸ガスを選択する態様を含むものではないから,補正前発明2について新規性を欠くとの拒絶理由が通知されていないのは不自然ではない,と主張する。
しかるに,補正前発明2は,補正前発明1の全ての特徴を含んだ上で,遊離炭酸濃度の特定事項を付加するものであるから,補正前発明2の炭酸源が炭酸水に限られ,炭酸ガスを選択する態様を含まないと解することはできない。なお,審判合議体が,補正前発明2の炭酸源が炭酸水のみならず炭酸ガスを含むことを前提としていたことは,審決の「本件補正…は,特許請求の範囲について,補正前の請求項1を削除し,補正前の請求項2の項番を請求項1とする…ものである」との記載からも明らかである。
そして,本件拒絶理由通知によって,補正前発明2のうち炭酸源として炭酸ガスを選択する態様については引用発明と同一であるとの拒絶理由が示されていることを認識することが困難であることは,前述したとおりである。なお,遊離炭酸濃度の特定事項が炭酸ガスを選択する態様を特定するものではない以上,本件拒絶理由通知においては,補正前発明2についても,補正前発明1と同様,引用発明と差異がないとの拒絶理由が通知されるべきであったのであり,本件拒絶理由通知は,理由は定かではないものの,これを看過していたといわざるを得ない。これによる不利益を出願人である原告に帰せしめることは,出願人の防御権を保障し,手続の適正を確保するという観点からは,相当ではないといわざるを得ない。
よって,被告の上記主張を採用することはできない。
3 結論
以上のとおりであり,取消事由4は理由があり,審決には取り消すべき違法がある。よって,審決を取り消すこととして,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 設樂隆一 裁判官 田中正哉 裁判官 神谷厚毅)