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知財高等裁判所 平成24年(行ケ)10419号 判決 2013年10月16日

原告

沢井製薬株式会社

訴訟代理人弁護士

高橋隆二

生田哲郎

佐野辰巳

被告

第一三共株式会社

訴訟代理人弁護士

辻居幸一

高石秀樹

訴訟代理人弁理士

平山孝二

主文

1  特許庁が無効2007-800192号事件について平成24年10月31日にした審決を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

事実及び理由

第1請求

主文同旨

第2前提事実

1  特許庁における手続の経緯等

(1)  被告は,発明の名称を「うっ血性心不全の治療へのカルバゾール化合物の利用」とする特許第3546058号(請求項の数は10。以下「本件特許」という。)の特許権者である。

本件特許に係る発明は,平成8年2月7日に出願され(パリ条約による優先権主張日:平成7年2月8日・ドイツ,同年6月7日・米国),平成16年4月16日に特許権の設定登録がされた。被告は,同特許権を譲り受け,平成20年9月17日にその移転登録を受けた。

(2)  原告は,平成19年9月13日,特許庁に対し,請求項1ないし10のすべてについて本件特許を無効にするとの無効審判を請求した(無効2007-800192号)。被告は,平成21年3月4日,本件特許を無効とする旨の審決がされたため,同年4月13日,知的財産高等裁判所に同審決の取消しを求めて訴えを提起し,さらに,訂正審判を請求した。知的財産高等裁判所は,同年6月8日,事件を審判官に差し戻すため,上記審決を取り消す旨の決定をした。被告は,無効審判の手続において訂正を請求した。

(3)  被告は,平成22年3月29日,訂正を認めた上で,本件特許を無効とする旨の審決がされたため,同年5月6日,知的財産高等裁判所に同審決の取消しを求めて訴えを提起し,同年6月2日,上記訂正後の明細書の訂正を求めて審判を請求した(訂正2010-390052号)。

(4)  被告は,平成22年12月15日,訂正審判の請求は成り立たないとの審決がされたため,平成23年1月20日,知的財産高等裁判所に同審決の取消しを求めて訴えを提起した。知的財産高等裁判所は,同年11月30日,上記審決を取り消す旨の判決をした(以下「本件訂正審決取消判決」という。)。これを受けて,特許庁は,平成24年1月19日,訂正を認める旨の審決をした(以下,この訂正を「本件訂正」という。)。

(5)  知的財産高等裁判所は,平成24年3月6日,上記(3)の審決を取り消す旨の判決をした。これを受けて,特許庁は,同年10月31日,「本件審判の請求は,成り立たない。」との審決をし,同年11月8日,その謄本を原告に送達した。

2  特許請求の範囲の記載

本件訂正後の明細書(甲48の2。以下「本件明細書」という。)の特許請求の範囲の記載は,次のとおりである(以下,請求項1ないし10の発明を「本件発明1」,「本件発明2」等のようにいい,本件発明1ないし本件発明10をまとめて「本件発明」という。)。

「【請求項1】 利尿薬,アンギオテンシン変換酵素阻害剤および/またはジゴキシンでのバックグランド療法を受けている哺乳類における虚血性のうっ血性心不全に起因する死亡率をクラスⅡからⅣの症状において同様に実質的に減少させる薬剤であって,低用量カルベジロールのチャレンジ期間を置いて6ヶ月以上投与される薬剤の製造のための,単独でのまたは1もしくは複数の別の治療薬と組み合わせたβ-アドレナリン受容体アンタゴニストとα1-アドレナリン受容体アンタゴニストの両方である下記構造:

file_2.bmpを有するカルベジロールの使用であって,前記治療薬がアンギオテンシン変換酵素阻害剤,利尿薬および強心配糖体から成る群より選ばれる,カルベジロールの使用。

【請求項2】 1単位中に3.125mgまたは6.25mgのカルベジロールを含有する医薬製剤を初回量として1日1回または2回7~28日間の期間に渡り投与する,請求項1に記載のカルベジロールの使用。

【請求項3】 1単位中に12.5mgのカルベジロールを含有する医薬製剤を1日1回または2回7~28日間の期間に渡り投与する,請求項1に記載のカルベジロールの使用。

【請求項4】 1単位中に25.0mgまたは50.0mgのカルベジロールを含有する医薬製剤を維持量として1日1回または2回投与する,請求項1に記載のカルベジロールの使用。

【請求項5】 前記アンギオテンシン変換酵素がカプトプリル,リシノプリル,フォシノプリルおよびエナラプリル並びにそれらの任意の医薬上許容される塩から成る群より選ばれる,請求項1に記載のカルベジロールに使用。

【請求項6】 前記利尿薬がヒドロクロロチアジド,トラセミドおよびフロセミド並びにそれらの任意の医薬上許容される塩から成る群より選ばれる,請求項1に記載のカルベジロールの使用。

【請求項7】 前記強心配糖体がシゴキシン,β-メチルジゴキシンおよびジギトキシンから成る群より選ばれる,請求項1に記載のカルベジロールの使用。

【請求項8】 次の摂生:

(a)  3.125mgまたは6.25mgカルベジロール/1単位を含有する医薬製剤を1日1回または2回,7~28日間の期間に渡り投与し,

(b)  その後,12.5mgカルベジロール/1単位を含有する医薬製剤を1日1回または2回,追加の7~28日間の期間を渡り投与し,そして

(c)  最後に,25.0mgまたは50.0mgカルベジロール/1単位を含有する医薬製剤を1日1回または2回,維持量として投与する

に従った,利尿薬,アンギオテンシン変換酵素阻害剤および/またはジゴキシンでのバックグランド療法を受けている哺乳類において虚血性のうっ血性心不全に起因する死亡率をクラスⅡからⅣの症状において同様に実質的に減少させる薬剤であって,低用量カルベジロールのチャレンジ期間を置いて6ヶ月以上投与される薬剤の製造のためのカルベジロールの使用。

【請求項9】 カルベジロールを1または複数の別の治療薬と組み合わせて投与することを含んで成り,前記治療薬がアンギオテンシン変換酵素阻害剤,利尿薬および強心配糖体から成る群より選ばれる,請求項8に記載のカルベジロールの使用。

【請求項10】 10~l00mgカルベジロールの1日維持量において投与されるうっ血性心不全治療用薬剤の調製のためのカルベジロールの使用であって,前記薬剤が3段階の投与摂生を含んで成る増分投薬スキームにおいて投与され,第一摂生が7~28日間の期間に渡りカルベジロールの前記1日維持量の10~30%の量を投与することを含んで成り,第二摂生が7~28日後の期間に渡り前記1日維持量の20~70%の量を投与することを含んで成り,そして第二摂生の終了後に始まる第三摂生が前記1日維持量の100%を投与することを含んで成る,請求項1に記載のカルベジロールの使用。」

3  審決の理由

(1)  審決の理由は,別紙審決書写し記載のとおりであり,その要点は次のとおりである。

ア 本件明細書の特許請求の範囲の記載は,特許法36条6項1号又は同項2号の規定に違反しない。

イ 本件発明は,特許法29条1項柱書きの「産業上利用することができる発明」の要件に違反しない。

ウ 本件発明は,下記(ア)の文献に記載された発明(以下「甲1発明」という。)又は下記(イ)の文献に記載された発明(以下「甲2発明」という。)と同一ではなく,また,甲1発明又は甲2発明に基づいて容易に発明をすることができたものではない。

(ア) 平成4年(1992年)発行の Journal of Cardiovascular Pharmacology 第19巻補遺1:S62~S67頁掲載の論文“Can intravenous β-blockade predict long-term hemodynamic benefit in chronic congestive heart failure secondary to ischemic heart disease ? ”(「β遮断剤の静脈投与から,虚血性心疾患に続く慢性鬱血性心不全に対する長期の血行動態的有益性を予測することができるだろうか」,Prabir DasGupta ほか著,甲1。以下「甲1文献」という。)

(イ) 1994年(平成6年)12月発行の Journal of the American College of Cardiology 第24巻第7号1678~1687頁掲載の論文“Effects of Short- and Long-Term Carvedilol Administration on Rest and Exercise Hemodynamic Variables, Exercise Capacity and Clinical Conditions in Patients With Idiopathic Dilated Cardiomyopathy”(「特発性拡張型心筋症の患者における安静時血行動態変数及び運動時血行動態変数,運動負荷能力,および臨床症状に対するカルベジロールの短期及び長期投与の効果」,Marco Metra ほか著,甲2。以下「甲2文献」という。)

エ 本件発明は,甲1発明,甲2発明及び以下の各文献に記載された発明に基づいて容易に発明をすることができたものではない。

(ア) 1994年(平成6年)10月発行の Postgraduate Medicine 第96巻第5号167~172頁掲載の論文“Congestive heart failure, current and future strategies to decrease mortality”(Robert E.Hobbs ほか著,甲3。以下「甲3文献」といい,同文献記載の発明を「甲3発明」という。)

(イ) 1994年(平成6年)2月発行の Modern Medicine of Australia 第37巻第2号14~24頁掲載の論文“Congestive cardiac failure: current management and future trends”(Anne M. Keogh 著,甲4。以下「甲4文献」といい,同文献記載の発明を「甲4発明」という。)

(ウ) 1993年(平成5年)10月発行の Journal of the American College of Cardiology 第22巻第4号補遺A194A~197A頁掲載の論文“Current and ongoing randomized trials in heart failure and left ventricular dysfunction”(「心不全及び左心室機能不全に関する最新及び進行中の無作為化試験」,Rekha Garg ほか著,甲5。以下「甲5文献」といい,同文献記載の発明を「甲5発明」という。)

(エ) 1994年(平成6年)発行の Drug Safety 第11巻第2号86~93頁掲載の論文“A risk-benefit assessment of carvedilol in the treatment of cardiovascular disorders”(William J. Louis ほか著,甲6。以下「甲6文献」といい,同文献記載の発明を「甲6発明」という。)

オ 本件発明は,以下の各文献に記載された技術事項を参酌しても,容易に発明をすることができたものとはいえない。

(ア) 1993年(平成5年)2月15日発行の「今日の治療指針1993年版」314~317頁掲載の「うっ血性心不全 Congestive Heart Failure 伊吹山千晴」の項(甲7。以下「甲7文献」という。)

(イ) 1994年(平成6年)2月15日発行の「今日の治療指針1994年版」312~313頁掲載の「うっ血性心不全 Congestive HeartFailure 松森昭」の項(甲8。以下「甲8文献」という。)

(ウ) 1990年(平成2年)発行の Cardiac Practice 第1巻第1号17~23頁掲載の論文「心不全 最近の進歩」(木全心一著,甲9。以下「甲9文献」という。)

(エ) 1990年(平成2年)発行の Cardiac Practice 第1巻第1号25~32頁掲載の論文「心不全とβ受容体-β遮断薬の使い方-」(堀正二ほか著,甲10。以下「甲10文献」という。)

(オ) 1990年(平成2年)発行の Cardiac Practice 第1巻第1号51~56頁掲載の論文「心不全患者の予後-規定因子と薬物療法の効果-」(篠山重威著,甲11。以下「甲11文献」という。)

(2)  審決が認定した甲1発明の内容,本件発明1と甲1発明の一致点及び相違点は,次のとおりである。

ア 甲1発明の内容

「利尿薬による治療を受けているクラスⅡからⅢの虚血性のうっ血性心不全患者の血行動態パラメータを改善する薬剤であって,8週間投与される薬剤の製造のための,単独でのα遮断作用を併有する非選択的β遮断剤であるカルベジロールの使用。」

イ 一致点

「利尿薬,アンギオテンシン変換酵素阻害剤および/またはジゴキシンでのバックグラウンド療法を受けている哺乳類に投与される薬剤の製造のための,単独でのまたは1もしくは複数の別の治療薬と組み合わせたβ-アドレナリン受容体アンタゴニストとα1-アドレナリン受容体アンタゴニストの両方である下記構造:<構造式は省略>を有するカルベジロールの使用であって,前記治療薬がアンギオテンシン変換酵素阻害剤,利尿薬および強心配糖体から成る群より選ばれる,カルベジロールの使用。」である点。

ウ 相違点

本件発明1では「虚血性のうっ血性心不全に起因する死亡率をクラスⅡからⅣの症状において同様に実質的に減少させる薬剤であって,低用量カルベジロールのチャレンジ期間を置いて6ヶ月以上投与される薬剤」であるのに対し,甲1発明では,「8週間の投与により虚血性のうっ血性心不全患者の血行動態パラメータを改善する薬剤」である点。

第3原告主張の取消事由

審決には,甲1発明に基づく新規性の判断の誤り(取消事由1),甲1発明又は甲2発明に基づく進歩性の判断の誤り(取消事由2),甲1発明,甲2発明,甲3発明,甲4発明,甲5発明及び甲6発明に基づく進歩性の判断の誤り(取消事由3),本件発明の効果に係る判断の誤り(取消事由4),特許法36条6項2号に係る判断の誤り(取消事由5)があり,これらの誤りは審決の結論に影響を及ぼすものであるから,審決は違法であり,取り消されるべきである。

1  取消事由1(甲1発明に基づく新規性の判断の誤り)

審決は,「甲第1号証における研究の目的からみて8週間経過後も更に,例えば6か月以上の期間にわたって投与を継続することが想定されていると解すべき事情があるということはできない。」(審決書15頁8~10行)と判断している。

しかし,本件発明の優先日当時,うっ血性心不全の臨床現場において,メトプロロールなどのβ遮断薬が長期投与されていたことは周知の事実であり(甲7,10),長期効果の発現には数か月以上の長期投与が必要と考えられていた(甲10の27頁中央欄7~13行目)。うっ血性心不全の治療目的は生活の向上(QOLの向上)や生存率の改善にあるので(甲8,9,11),治療手段として薬剤の長期投与が不可欠であったことは明らかである。そして,本件発明の優先日前において,心不全患者へのカルベジロール長期投与による死亡率改善を観察するための臨床試験が進行中であったのであるから(甲4,5),甲1文献記載のカルベジロールの「長期投与」とは,6ヶ月間程度の薬剤投与期間は当然含まれるものと理解できる。

したがって,審決の上記判断は誤りである。

2  取消事由2(甲1発明又は甲2発明に基づく進歩性の判断の誤り)

(1)  取消事由2-1(甲1発明に基づく進歩性の判断の誤り)

ア 審決は,本件特許の優先日当時既に心不全の治療薬として知られているβ受容体遮断薬のメトプロロール(甲7)ではβ受容体濃度が増加しているのに対してカルベジロールでは増加していない(β受容体のアップレギュレーションを起こさない)ことが知られていたので,カルベジロールの投与を8週間継続した場合の効果から,これを6ヶ月以上継続投与した場合に同様の効果が得られるか否かについて,当業者は予測できないと判断している。

しかし,カルベジロールがアップレギュレーションを起こさない作用機序を有することが,心不全患者への長期投与に障害となり得るものではない。

イ 審決は,甲7文献及び甲8文献に,本件特許の優先日当時,β遮断薬をうっ血性心不全の治療に用いることは禁忌であったことが記載されているとして,この記載を上記判断の根拠としている。

しかし,甲7文献及び甲8文献は,むしろ本件特許の優先日当時においてβ遮断薬が心不全の治療に一般的に用いられていたことを示すものであって,これらの文献には,β遮断薬が心不全治療に禁忌であることを示す記載はない。

(2)  取消事由2-2(甲2発明に基づく進歩性の判断の誤り)

審決は,甲2発明においてカルベジロールを投与された患者は,特発性拡張型心筋症患者であることから,虚血性うっ血性心不全患者を対象とする本件発明との相違点について,当業者は甲2発明に基づいて容易に発明をすることができたとはいえないと判断している。

しかし,虚血性うっ血性心不全患者と甲2文献に記載されている特発性拡張型心筋症患者とは,病態は区別されているものの,心不全患者として治療方針において区別されることはないから,この相違点は当業者が容易に想到できる事項である。

3  取消事由3(甲1発明,甲2発明,甲3発明,甲4発明,甲5発明及び甲6発明に基づく進歩性の判断の誤り)

審決は,本件特許の優先日前にカルベジロール投与による死亡率の低下が実証的に証明されていない限り,本件発明1の進歩性を否定し得ない旨判断している。

しかし,本件特許の優先日前においてカルベジロール投与による死亡率減少(生存率の上昇)の可能性が指摘され,長期間投与による大規模な臨床試験によって死亡率減少効果を確認することが予定されているのであれば,その試験結果において,その可能性を裏付けられる死亡率の改善効果が認められたことは,単に当業者が予測する範囲にすぎない。

4  取消事由4(本件発明の効果に係る判断の誤り)

(1)  審決は,本件発明は顕著な効果を奏すると判断している。しかし,本件発明には,本件明細書に記載されているような死亡率低減効果(67あるいは68%)はない。

すなわち,本件明細書には,米国カルベジロール心不全試験に基づいた「実験」が記載されているが(以下「米国カルベジロール試験」という。),この米国カルベジロール試験の結果は信頼性が低く(甲16~20),多数の識者も同様の指摘をしている(甲21~23)。

そして,カルベジロールの長期投与による死亡率減少率は,2001年(平成13年)5月31日発行の The New England Journal of Medicine 第344巻第22号1651~1658頁掲載の論文“Effect of carvedilol on survival in severe chronic heart failure”(「重度慢性心不全患者の生存に対するカルペジロールの効果」,Milton Packer ほか著,甲26。以下「甲26文献」という。)に記載された試験によれば,35%である。

一方,1999年(平成11年)1月2日発行の Lancet 第353巻9~13 頁 掲 載 の 論 文 “ The cardiac insufficiency bisoprolol study Ⅱ (CIBIS-Ⅱ): a randomised trial”(「心不全に対するピソプロロール試験Ⅱ(CIBIS-Ⅱ):無作為試験),CIBIS-Ⅱ investigators and committees(CIBIS-Ⅱ調査者と委員会)著,甲24。以下「甲24文献」という。)には,ビソプロロールがプラセボと比べて死亡率を34%低減させる効果があると評価されたことが記載されている(甲24の10頁右下のTable2)。

また,1999年(平成11年)6月12日発行の Lancet 第353巻2001~2007頁掲載の論文“Effect of metoprolol CR/XL in chronic heart failure:Metoprolol CR/XL Randomised Intervention Trial in Congestive Heart Failure(MERIT-HF)”(「慢性心不全におけるメトプロロール CR/XL の効果:慢性心不全におけるメトプロロール CR/XL 無作為化介入試験」,MERIT-HF Study Group 著,甲25。以下「甲25文献」という。)には,メトプロロールがプラセボと比べて死亡率を34%低減させる効果があると評価されたことが記載されている(甲25の1頁目左欄21~25行)。

以上のとおり,カルベジロールによる死亡率の低減の効果は,本件特許の優先日前に公知のβ遮断薬であるメトプロロールやビソプロロールによる死亡率の低減の効果と同程度であった。

したがって,本件発明1が顕著な効果を奏するとの審決の判断は誤りである。

(2)  本件訂正審決取消判決は,訂正2010-390052号による本件訂正後の本件発明について,顕著な効果があるとして,本件訂正後の発明の独立特許要件を否定した特許庁の審決を取り消した。

被告は,本件訂正審決取消判決の認定・判断については一定の拘束力が認められるべきであり,原告がこの点を蒸し返して否定することは信義則に反し許されないと主張する。

しかし,本件無効審判事件は,本件訂正審決取消判決の拘束力が及ぶ「その事件」(行政事件訴訟法33条1項)には該当しないから,本件無効審判事件に本件訂正審決取消判決の拘束力が及ぶことはない。

5  取消事由5(特許法36条6項2号に係る判断の誤り)

審決は,本件発明の「薬剤の製造のためのカルベジロールの使用」の文言によって特定される発明は「方法の発明」であると判断している。しかし,審決は,それが特許法2条に規定される「方法の発明」なのか「物を生産する方法の発明」のいずれかを明らかにしておらず,本件発明がそのいずれに属するか不明確である。

また,特許庁の審査基準は,いわゆる「使用」クレームを方法発明として取り扱うこととしている。かかる審査基準は,特許法上人間を治療する方法の発明が許容されないところから,医薬発明の特許要件を緩和するための便宜として新設されたものであるが,それを認めるとかえって特許権の効力の範囲が不明確になるので特許法上かような便宜は認めるべきではない。

第4被告の反論

1  取消事由1(甲1発明に基づく新規性の判断の誤り)に対し

(1)  甲1文献について

甲1文献に記載されているのは,症状改善の検討を目的とした「17名の虚血性心疾患による慢性心不全患者」という極めて少数例に関する試験であり,しかも,そのうち5名については試験が途中で中止されている。また,甲1文献記載の試験では,プラセボを投与した患者との比較はされておらず,12例の改善結果が治療によるものか自然経過によるものかの客観的検証は不可能である。さらに,甲1発明は,カルベジロールが他のβ遮断薬と同様にアップレギュレーションを起こすという重大な誤りを包含している。このように,甲1文献の記載の信憑性は低く,心不全専門医も,「甲第1号証論文のような信憑性の低いデータに基づき,虚血性心疾患について長期投与による生命予後改善効果を判断したりすることは当然回避いたします。」と認識している(乙4の5頁8~10行)。

したがって,甲1文献は,カルベジロールの効果を裏付ける文献としての意義が極めて低く,また,甲1文献は,カルベジロールを虚血性のうっ血性心不全の治療に使用するという発明を,完成した用途発明として開示したものとはいえない。

(2)  本件発明の新規性について

本件発明が死亡率を減少させるものであるのに対し,甲1発明は,血行動態を改善する薬剤であり,両者は根本的に相違するものである。すなわち,うっ血性心不全の治療の場では,「死亡率の減少」は「血行動態の改善」とは異なる効果として認識されてきた(乙20~22)。そもそも,心不全治療薬については,治療目的と死亡率改善目的で投与する薬剤は全く異なっている(乙23,24)。また,本件発明のカルベジロールは,低用量カルベジロールのチャレンジ期間を置いて6ヶ月以上投与されるのに対し,甲1文献は,8週間のカルベジロール療法を記載するのみで,この療法の終了後にさらにカルベジロール投与を継続することは記載も示唆もしていない。このように,本件発明の薬剤と甲1発明の薬剤とはその用法が異なり,また,本件発明と甲1発明とではカルベジロールの投与期間が異なるから,本件発明は甲1発明とは明確に相違し,新規性を有する。

2  取消事由2(甲1発明又は甲2発明に基づく進歩性の判断の誤り)に対し

(1)  取消事由2-1(甲1発明に基づく進歩性判断の誤り)に対し

ア 前記1(1)のとおり,甲1文献は,カルベジロールの効果を裏付ける文献としての意義が極めて低く,また,甲1文献は,カルベジロールを虚血性のうっ血性心不全の治療に使用するという発明を,完成した用途発明として開示したものとはいえない。

イ 甲1文献には,カルベジロールがうっ血性心不全に起因する死亡率を低下させる化合物であることは記載も示唆もされていないから,取消事由2-1は理由がない。

ウ 甲1発明の目的は「症状的及び左心室駆出分画率などの血行動態的改善」であり,「8週間の長期投与」により改善したことが結論されている。そうである以上,甲1文献でいう「長期投与」は「8週間」を意味しており,かつ,8週間で目的を達したものである以上,その3倍以上である「6ヶ月を超える期間」にわたりカルベジロールを投与する記載も示唆もない。したがって,6ヶ月以上のカルベジロールの継続投与が容易想到であると考える根拠はない。

エ β遮断薬が心不全に有効であるとすれば,β受容体のアップレギュレーションによるものであると考えられていたので,β受容体のアップレギュレーションを起こさないと報告されていたカルベジロールは注目されていなかった(乙5,13)。

オ β遮断薬は,慢性心不全にとって,過去及び本件特許の優先権主張日当時はもちろん,現在もなお禁忌の薬剤である(乙4,6)。カルベジロールは,本件特許の優先日前の1993年(平成5年)2月(乙6の添付資料1)から2002年(平成14年)12月(乙6の添付資料4)まで,心不全患者への投与が禁止されていた。カルベジロール以外のβ遮断薬であるメトプロロール及びビソプロロールは,我が国ではいずれも,心不全に対して平成22年10月時点でなお禁忌とされている(乙6の添付資料5,6)。たとえ一部の研究者が禁忌を打破しようという試みを行っていたとしても,β遮断薬が禁忌であったという事実は,カルベジロールを死亡率改善の目的で慢性心不全患者に投与することの阻害事由となる。

(2)  取消事由2-2(甲2発明に基づく進歩性判断の誤り)に対し

甲2文献には,カルベジロールがうっ血性心不全に起因する死亡率を低下させる化合物であることは記載も示唆もされていないから,取消事由2-2は理由がない。

3  取消事由3(甲1発明,甲2発明,甲3発明,甲4発明,甲5発明及び甲6発明に基づく進歩性の判断の誤り)に対し

甲3文献,甲4文献,甲5文献及び甲6文献には,カルベジロールがうっ血性心不全に起因する死亡率を低下させる化合物であることは記載も示唆もされていないから,取消事由3は理由がない。

4  取消事由4(本件発明の効果に係る判断の誤り)に対し

(1)  本件訂正審決取消判決は,本件発明が「虚血性心不全患者の死亡率の低下」という顕著な作用効果を奏することを認定・判断した。同判決は,主引例を本件訴訟における甲2文献としたが,同訴訟には,本件訴訟における甲1文献も証拠として提出されていたので,上記認定・判断はその内容も認識した上でされたものである。また,原告は,本件訂正審決取消判決に係る審決取消訴訟の当事者ではなかったが,同訴訟の被告であった特許庁は,原告が提出した公知文献をすべて入手し,これを引用することができた。

以上の事情に照らせば,本件訂正審決取消判決の認定・判断には一定の拘束力が認められるべきであり,原告が本件発明の有する「虚血性心不全患者の死亡率の低下」という顕著な作用効果を否定することは信義則上許されない。

(2)  本件発明には本件明細書に記載された死亡率減少効果が認められる。

ア 1996年(平成8年)5月23日発行の The New England Journal of Medicine 第334巻第21号1349~1355頁掲載の論文“The effect of carvedilol on morbidity and mortality in patients with chronic heart failure”(「慢性心不全患者の罹患率および死亡率に及ぼすカルベジロールの作用)」,Milton Packer ほか著,甲16(乙18は,甲16の訳文と同じ)。以下「甲16文献」という。)の著者らは,1996年(平成8年)10月24日発行の The New England Journal of Medicine 第335巻第17号1318~1325頁掲載の投書“Carvedilol in patients with chronic heart failure”(「慢性心不全患者におけるカルベジロール)」,甲21。以下「甲21文献」という。)で指摘されたコメント(米国カルベジロール試験がFDAの心腎臓疾患諮問委員会でネガティブであると報告されたこと)について,甲21文献における「著者らの返答」の項で否定している。

イ FDAは,カルベジロールの再試験は不要と判断し,米国カルベジロール試験の結果に基づき,1997年にカルベジロールの心不全効能承認をした。これは,FDAが米国カルベジロール試験の結果を重要視したためである(乙47,48)。

ウ カルベジロールの顕著な死亡率改善効果は,「XⅠ 心不全治療薬概論β遮断薬 主要薬剤各論-特徴,作用機序,薬物動態,適応・禁忌,臨床成績,副作用-」(日本臨牀65巻 増刊号5 心不全(下)-最新の基礎・臨床研究の進歩-91~97頁,乙13。以下「乙13文献」という。)にも再現されており,米国カルベジロール試験の結果が信用性の低いものでないことは明白である。

エ 甲24文献及び甲25文献は,米国カルベジロール試験において,カルベジロールが顕著な死亡率改善効果を示したことを認識した上で試験・評価されたものであるから,米国カルベジロール試験とは試験計画や評価の精度や完成度が異なることは当然のことであり,また,心不全の死亡率改善を評価する臨床試験においては,医療水準の向上により,後の臨床試験における効果は数値的に低めに出る傾向があり,先の臨床試験の結果と一概に比較することは困難である。

オ 甲26文献に記載された試験は,クラスⅢとⅣの重症例についての試験であり,重症の心不全においても死亡率を35%低下させるという結果を示すものであるとして,これと,米国カルベジロール試験の結果を合わせれば,軽症から重症まですべての心不全でカルベジロールの死亡率改善効果が極めて顕著なものであることが再確認されたといえる。

カ 本件発明は,心不全による死亡の中でも大きな割合を占める突然死による死亡率をも改善する点に大きな意義を有する。

5  取消事由5(特許法36条6項2号に係る判断の誤り)に対し

原告は,本件発明が特許法上定められる発明のカテゴリーのいずれに属するか不明確であると主張するが,特許庁の審査基準に「~治療用の薬剤の製造のための物質Xの使用方法」と解釈することが記載されており,発明の属するカテゴリーは明確である。

また,本件発明1は,疾患の治療に用いる薬剤を製造するためのカルベジロールの使用方法であり,医療行為発明に該当するものではない。

第5当裁判所の判断

当裁判所は,原告主張の取消事由のうち,取消事由2-1(甲1発明に基づく進歩性の判断の誤り),取消事由3(甲1発明,甲2発明,甲3発明,甲4発明,甲5発明及び甲6発明に基づく進歩性の判断の誤り)及び取消事由4(本件発明の効果に係る判断の誤り)はいずれも理由があり,本件発明1の進歩性に係る審決の判断は誤りであり,そうである以上,本件発明2ないし本件発明10の進歩性に係る審決の結論に影響を与えることは明らかであるから,審決は全体として違法であり,取消しを免れないものと判断する。その理由は以下のとおりである。

なお,取消事由2-1は,カルベジロールの投与期間について主張するものであり,取消事由3は,本件発明による死亡率低下との効果の予測性を本件発明1と甲1発明の構成上の相違点として把握して主張するものであり,取消事由4は,本件発明の効果の顕著性について主張するものである。取消事由2-1,取消事由3及び取消事由4は,いずれも甲1発明に基づく本件発明1の進歩性に係る審決の判断の誤りをいう点において共通しており,独立の取消事由としてはまとめて1個のものであると解されるが,便宜上,構成上の相違点の容易想到性に係る取消事由2-1及び取消事由3を併せて判断し,これとは項を分けて効果の顕著性に係る取消事由4について判断する。

1  取消事由2-1(甲1発明に基づく進歩性の判断の誤り)及び取消事由3(甲1発明,甲2発明,甲3発明,甲4発明,甲5発明及び甲6発明に基づく進歩性の判断の誤り)について

(1)  本件発明について

ア 本件明細書の記載

本件明細書(甲48の2)には以下の記載がある。

(ア) 発明の分野

「本発明は,うっ血性心不全(CHF)患者の死亡率を減少させるために,二元性非選択的β-アドレナリン受容体およびα1-アドレナリン受容体アンタゴニストである…カルベジロールを使用する新規治療方法に関する。本発明はまた,CHF患者の死亡率を減少させるために,アンギオテンシン変換酵素(ACE)阻害剤,利尿薬および強心配糖体から成る群より選択された1または複数の別の治療薬と組み合わせて…カルベジロールを使用する治療方法に関する。本発明は更に,β-アドレナリン受容体およびα1-アドレナリン受容体アンタゴニストである化合物を投与するための増分(incremental)投与スキームにも関する。」(3頁8~19行)

(イ) 発明の背景

「うっ血性心不全は心臓のポンプ機能の損傷の結果として起こり,この疾患は水とナトリウムの異常停留に関連づけられる。慣例的には,軽度の慢性不全の治療には,身体運動の制限,塩分の摂取の制限,および利尿薬の使用が含まれている。それらの手法が十分でない場合,…強心配糖体が治療プログラムに加えられる。

その後,…アンギオテンシン変換酵素阻害剤が,利尿薬,強心配糖体またはその両者と併用してうっ血性心不全の慢性治療に処方される。

また,うっ血性心不全は高死亡率を引き起こす周知の心臓障害である。…従って,CHF患者においてCHFに起因する死亡率を減少させるであろう治療薬は非常に望ましい。」(3頁20行~4頁3行)

(ウ) 発明の詳細な説明

「米国特許第4,503,067号明細書は,式Ⅰのカルバゾリル-(4)-オキシプロパノールアミン化合物:(判決注・化学構造式は省略)…を開示している。…カルベジロールがその典型例である式Iの化合物は,軽度から中程度の高血圧の治療に有用である新規の多効性薬剤である。カルベジロールは競合的な非選択的β-アドレナリン受容体アンタゴニストと血管拡張薬の両方であることが知られており,そして高濃度ではカルシウムチャンネルアンタゴニストでもある。…

最近,臨床実験において,二元性非選択的β-アドレナリン受容体およびα1-アドレナリン受容体アンタゴニストである…カルベジロールが,単独でまたは従来の薬剤(ACE阻害剤,利尿薬および強心配糖体である)と併用して,CHFを治療するのに有効な薬剤であることが発見された。CHFの治療の際にカルベジロールのような薬剤を使用することは驚くべきことである。何故なら,一般に,β-遮断薬は望ましくない心臓機能低下作用を有することが知られているためにβ-遮断薬は心不全患者において禁忌であるからである。CHFを治療するためにこの化合物を使った実験からの最も驚くべき結果は,…カルベジロールが,ヒトにおいてCHFに起因する死亡率を約67%減少させることができることである。更に,この結果はCHFの全分類および両方の病因(虚血性と非虚血性)にまたがって認められる。CHFの治療にβ-遮断薬であるメトプロロール(Waagstein 他 (1993) Lancet,342, 1441-1446)とビソプロロール(CIBIS 研究者と委員,(1994) Circulation,90, 1765-1773)を使った最近の2つの死亡率研究では,薬剤治療患者と偽薬治療患者とで死亡率に全く差が示されなかったことから,この結果は驚くべきことである。」(4頁20行~7頁22行)

「上述の二元的性質を有する化合物は,好ましくは三段階投薬スキームに従って投与される。このスキームは,規定の維持量を与えるまでの或る期間に渡り活性成分の増分用量を患者に投与するという事実によって特徴づけられる。この維持量を100%である設定値として定義すると,第一期の投薬摂生(application regimen)が7~28日の期間に及び,そこでは設定量の10~30%のみが投与される。…

カルベジロールの場合,本発明に従った病気の治療のためのヒトへの投与は,好ましくは1日2回与えられる式Ⅰの化合物(特にカルベジロール)約3.125~約50mgの用量範囲を越えるべきではない。患者を式Ⅰの所望の化合物(特にカルベジロール)の低用量摂生から出発し,そのような化合物に対する周知の不耐症(例えば失神)について患者をモニタリングすべきであることは当業者の容易に理解するところであろう。患者がそのような化合物に対して耐容であるとわかったら,ゆっくりと増分的に維持用量まで持ってくるべきである。好ましい治療過程は,患者を3.125または6.25mg活性成分/1投与単位(好ましくは1日2回投与される)を含む製剤での7~28日間に渡る投薬摂生で開始することである。特定の患者に対する最も適当な初回量の選択は,体重を含むがそれに限定されない周知の医学理論を使って医師により決定される。患者が医学上許容される該化合物の耐容性を示す場合には,2週間の終了時に用量を倍増し,追加の期間に渡り,好ましくはもう2週間に渡り,患者を新たな高用量に維持し,そして不耐症の徴候について観察する。患者が維持量に到達するまでこの過程を続ける。」(9頁18行~10頁11行)

(エ) 実験

「CHF患者における死亡率研究

要約。β-アドレナリン作用の遮断が心不全(CHF)を有する生存者に対する交感神経系の有害作用を阻害することができるかどうかを調べるために,先を見越して1052人のCHF患者をマルチセンター試行プログラムに登録し,その登録患者を無作為に偽薬(プラシーボ)(PBO)またはカルベジロール(CRV)での6~12カ月の治療に割り当てた(二重盲目試験)。共通のスクリーニング期間の後,クラスⅡ~ⅣのCHF…および<0.35の駆出率を有する患者を,6分間の歩行試験での遂行能力に基づいて4つのプロトコールの1つに割り当てた。ジゴキシン,利尿薬およびACE阻害剤による現行療法にPBOまたはCRVを加えた。先を見越して作製したデータ&セイフティーモニタリングボード(DSMB)によりあらゆる原因の死亡率をモニタリングした。登録から25カ月後,DSMBは生存者に対するCRVの好結果のためにプログラムの終結を勧めた。死亡率はPBOグループで8.2%であったがCRVグループではわずか2.9%であった…。これは,CRVによる死亡の危険性が67%減少することを意味する…。治療効果はクラスⅡとクラスⅢ~Ⅳの症状を有する患者とで同様であった。死亡率はクラスⅡ患者で5.9%から1.9%に減少し,68%の減少…,クラスⅢ~Ⅳ患者では11.0%から4.2%に減少し,67%の減少…であった。重要なのは,CRVの効果が虚血性心臓病…と,非虚血性拡張型心筋症…において同様であったことである。結果として,従来の療法へのCRVの追加は,慢性CHF患者の死亡率の実質的(67%)減少に関連づけられる。治療効果は広範囲の重症度および病因に渡って観察される。

本明細書中で用いる時の『クラスⅡ CHF』とは,身体運動の軽度または中程度の制限を引き起こす心臓病を有する患者を意味する。これらの患者は静止していると楽である。普通の運動をすると疲労,動悸,呼吸困難,またはアンギナ性痛を生じる。『クラスⅢ CHF』とは,身体運動の顕著な制限を引き起こす心臓病を有する患者を意味する。これらの患者は静止していると楽である。普通以下の運動でも疲労,動悸,呼吸困難,またはアンギナ性疼痛を生じる。『クラスⅣ CI』とは,不快感,症状または心不全を伴わずにどんな身体運動も行うことができなくなる心臓病を有するかまたはアンギナ性症候群の患者を意味する。『普通以下の身体運動』とは,ひと続きの段階を昇ることまたは200ヤード(182.88メートル)を歩くことを意味する。」(11頁12行~12頁16行)

イ 本件発明の概要

上記アの本件明細書の記載によれば,心不全は高死亡率を引き起こす心臓障害であることから,心不全に起因する死亡率を減少させる医薬は望ましいとされているが,一般に,β遮断薬は心臓機能低下作用を有するために心不全患者に投与することが禁忌とされており,近時の研究において,β遮断薬であるメトプロロール及びビソプロロールを投与した場合,プラセボを投与した場合と比較して,死亡率の改善が認められなかったのに対し,β遮断薬の一種であるカルベジロールを心不全患者に投与したところ,プラセボを投与した場合と比較して,患者の死亡率が67%減少することが見出されたこと,本件発明1は,有効成分を,カルベジロール単独,又はカルベジロールとアンギオテンシン変換酵素阻害剤,利尿薬及び強心配糖体から成る群より選ばれる1もしくは複数の治療薬との組合せとし,医薬用途を,利尿薬,アンギオテンシン変換酵素阻害剤及び/又はジゴキシンでのバックグランド療法を受けている哺乳類における虚血性のうっ血性心不全に起因する死亡率をクラスⅡからⅣの症状において同様に実質的に減少させる薬剤であって,低用量カルベジロールのチャレンジ期間を置いて6ヶ月以上投与される薬剤として表現した医薬に関する発明であることが認められる。

本件明細書には,カルベジロールの投与により,心不全による死亡率をクラスⅡ患者で68%,クラスⅢ~Ⅳ患者で67%減少させ,治療効果はクラスⅡとクラスⅢ~Ⅳの症状を有する患者とで同様であったことの試験結果が示されている。

(2)  甲1発明について

ア 甲1文献の記載

甲1文献には以下の記載がある。

(ア) 「鬱血性心不全(CHF)の管理におけるβ遮断剤の使用について,最近,かなりの関心が集まっている。いくつかの報告(1-4)によれば,β遮断剤の投与を受けた特発性拡張型心筋症の患者において,血行動態および臨床的機能の改善が認められている。一方,同様の治療を受けた患者において,殆どまたは全く改善が認められなかったとの相反する報告(5,6)も存在する。慢性的心不全に対するβ遮断剤の有効性に関する報告が矛盾していることから,そのような治療法が標準となるためには,さらなる研究が必要である。

慢性的心不全に伴う亢進した交感神経作用によって部分的に現れる反射性神経体液性応答は,心拍出量を維持するのに役立つ代償機構である(7,8)。しかしながら,交感神経作用の亢進は短期間においては有効であるけれども,このような代償機構は,最終的には慢性的心不全の下向きの進行を防ぐことができず,かえって悪化させて,臨床症状の悪化をまねくこともありうる(9)。かくして,β遮断剤による過剰の交感神経刺激の減少をめざす治療法が魅力的に思われる。標準的β遮断剤の使用によって交感神経作用が低減するけれども,結果として起きる陰性変力効果は,しばしば患者にとって逆効果であり,実際に肺水腫を引き起こす(10,11)。従って,心不全の症状がある場合は,従来,β遮断剤の使用禁忌とみなされていた,ただし臨床的試験はこのことを常に支持していたわけでは無い(12)。

カルベジロールは,追加的なα遮断性(すなわち血管拡張性)をもった,新しい非選択的βアドレナリン受容体拮抗剤である(13,14)。β遮断と血管拡張の組合せはβ遮断剤による陰性変力作用に拮抗し,CHFにおけるその使用の制限を克服するかもしれないと期待されている。心不全におけるβ遮断剤の使用に関する従前の研究の大部分は,拡張型心筋症の患者に対して行われていた。しかしながら,冠状動脈性心臓病に続く心不全の患者においては,血管拡張性β遮断剤の神経ホルモン効果に加えて,心筋酸素要求量と充満圧の減少は,追加的有益性をもたらすかもしれない。従って,我々は,虚血性心疾患に続く慢性的心不全に対するカルベジロールの有効性を評価し,カルベジロールの静脈投与(i.v.)による“初回投与”応答が長期投与効果を予測するのに有効かいなかを決定するために,この予備的一般試験を計画した。」(S62頁左欄本文下から7行~S63頁左欄39行)

(イ) 患者と方法

a 患者

「実験に参加した患者は以下の基準を全て満たしている。6ヶ月以上の慢性的CHFで,利尿剤の投与のみを受けており,入院が必要なほどの急性左心室不全を少なくも1回経験しており,以前に心筋梗塞(MI)が記録されており,New York Heart Association機能クラスⅡ又はⅢ(15)に含まれ,安静時左心室駆出分画率が45%未満であり,心電図に洞律動が認められ,さらに,症状,運動負荷テスト,および放射性核種イメージングで急性心筋虚血が認められない。β遮断剤に対する通常の排除基準も適用され,インシュリン依存性糖尿病,慢性的閉塞性肺疾患,及び末梢血管障害の患者は除外された。血圧が,160/95mmHg以上の患者,及び4ヶ月以内にMIになった患者も除外された。

各患者は書面による同意書(インフォームド・コンセント)を提出した。またこの研究は,Harrow Health Authority Ethical Committeeの承認を受けた。」(S63頁左欄下から18行~右欄2行)

b 研究計画

「カルベジロールの静脈投与(2.5から7.5mg)および経口投与(12.5-50mg 1日2回)の有効性及び安全性の評価については,非対照の一般試験計画が採用された。利尿剤以外の全ての心臓作用薬は研究開始の少なくとも4週間前から投与中止された。研究期間中,全患者には経口利尿剤の同一投与量が維持された。試験の基底値を得るための4日間以上の初期研究がなされた,…。第3日において,…各患者は2.5から7.5mgのカルベジロールを注入法により静脈投与された。心臓血行動態の変化が,注射後30分間モニターされた。…カニューレは,…カルベジロールの最初の経口投与(第4日目に12.5mg)の後,正確な血圧がモニターされるように,その場に留められた。その間,患者は入院していた。起立性低血圧の徴候又は副作用が認められないときは,12.5mgのカルベジロール,1日2回,の経口投与が8週間一般試験形式で続けられた。2週間後及び4週間後に上方用量漸増が行われた。全身血圧が…測定された。臨床症状がコントロールとして使用され,必要な場合に,25mgおよび50mg,1日2回,に増量した。しかしながら,血圧が90/60mmHg以下に低下したときは,用量を減少させるか,患者を研究の対象から外した。4週間後に追加の運動負荷テストを実施した。8週間の積極的治療の後に全てのベースライン試験が繰り返された。」(S63頁右欄3~18行)

(ウ) 結果

a 「研究グループは,17人の患者(男性11人,女性6人;平均年齢 68歳,年齢範囲 50から78歳)からなる。全ての患者が過去にMIを経験している。3人の患者は3から6年前に,環状動脈バイパスグラフト手術を受けている。

2.5から7.5mgのカルベジロール静脈投与については,全患者が良い認容性を示し,副作用事象は記録されなかった。どの患者も,診療が必要な肺水腫および重篤な低血圧の徴候を示さなかった。17人のうち12人が8週間の長期的投薬期間を終了した。2人の患者が,最初の投薬後,起立性低血圧になった。1人の患者では心不全の症状が悪化した。1人の患者で,不安定狭心症を発症した。また1人の患者が研究の初期段階でMIを持続したあと死亡した。」(S64頁右欄4~19行)

b 長期カルベジロール療法に対する反応

「8週間のカルベジロール経口投与療法の後,血行動態測定が繰り返し行われた。〔データは以前に公開されている(22)〕。静脈投与に対する急性反応とは対照的に,カルベジロールによる長期療法の後の多くの血行動態パラメータでは,著しい改善が認められる。平均収縮期動脈内血圧,心拍数,肺動脈楔入圧,右心房圧,及び体血管抵抗では有意な減少が認められ,12人中11人の患者では付随した症状の改善もあった。心係数には変化が認められなかったけれど,8週間後の平均1回拍出係数には有意な増加が認められた。同様に,長期療法の後,左心室駆出分画率が基礎値から有意に増加した,しかし,カルベジロール静脈投与の後には僅かな一時的増加のみが記録された。」

(S64頁右欄下から3行~S65頁14行)

c 短期反応と長期反応の比較

「β遮断剤の静脈投与により,カルベジロールに対する長期反応を予測することができるか否かを決定するために,急性静脈投与と長期経口投与治療の間の変化率を比較した(図2及び表2)。」(S65頁右欄下から10~7行)

(エ) 図2(S66頁)

file_3.bmp図2 カルベジロール治療後の急性及び長期血行動態パラメーターの基礎値からの変化率(n=12) SBP,動脈内収縮期血圧; HR,心拍数; CI,心係数; SI,1回拍出係数; PAWP,肺動脈楔入圧; SVR,体血管抵抗; EF,左心室駆出分画率; RAP,右心房圧

(オ) 考察

「カルベジロールはα1-遮断性をも持つ新しい非選択的β遮断剤であり,強力な血管拡張剤として作用する(13,14)。…

従前の研究によれば,拡張型心筋症において標準的β遮断剤療法がいくらかの血行動態への有効な効果を示している(1-4)。しかしながら,心不全の治療におけるこれらの薬剤の臨床的応用に関しては論争がある(26)。交感神経作用および心筋酸素需要における減少がβ受容体のダウンレギュレーション(下方調節)の逆転と連携して,見かけ上心不全の長期改善に役立っている。不幸にして,これらの薬剤の陰性変力効果が急性肺水腫を引き起こし,それらの潜在的有効性を否定している(27)。

慢性心不全の治療におけるβ遮断剤療法への最近の関心の観点から,我々は虚血性心疾患に続く心不全に対するカルベジロールの急性静脈投与および長期投与の効果を評価するための予備的研究(パイロットスタディ)を実施した。この研究において,我々は,大多数の患者において著明な症状改善が見られたことを発表した。臨床的及び自覚的な改善と共に,血圧,心拍数,肺動脈楔入圧,および体血管抵抗の有意な減少が認められた。さらに,左心室駆出分画率および1回拍出係数の増加も認められた。しかしながら,心係数はカルベジロールによる有意な変化を示さなかった。これは徐脈に起因するのかもしれない。このように,カルベジロールによる長期治療は,左心室充満圧(前負荷)および体血管抵抗(後負荷)の両者を減少させ,それにより1回拍出量および左心室駆出分画率を改善し,本質的心室機能の改善を示している。これに反し,カルベジロールの静脈投与による急性効果としては,心拍数,血圧および肺動脈楔入圧において多くはないが,有意な減少を示した。1回拍出係数,左心室駆出分画率,および体血管抵抗では有意な変化は認められなかった。これらの急性変化は,薬剤の優性的β遮断効果によるものであろう。しかし,血管拡張効果も楔入圧の減少および体血管抵抗の一時的減少から認められる。

この研究で得られたデータは,β遮断剤の静脈投与から,長期投与の成果を予測することはできないことを明白に示している。慢性的心不全に対するカルベジロールの急性効果と長期効果との間の不一致は,長期療法によりそのようなβ受容体のアップレギュレーションが徐々に進行することを示している。拡張型心筋症の研究が,心不全におけるβ1-受容体の有意なダウンレギュレーションを示しており(28,29),このことは,低容量のβ遮断剤療法が心筋におけるそのようなβ受容体の密度のアップレギュレーションを助けるのではないかという仮説を導く。虚血性心筋症に関する同様の研究が存在しないけれど,我々のデータから,これらの患者においても同様なメカニズムが作用していると仮定できる。さらに,この研究の結果は,拡張型心筋症の治療にブシンドロール(血管拡張性β遮断剤)を用いているGilbert等の研究(4)とよく一致している。

結論として,この予備的研究が,虚血に基づく慢性心不全の治療において,カルベジロールの単回静脈投与が安全であり,認容性が良いことを示している。同一の患者に対するカルベジロール経口投与の長期有効性は,カルベジロールの急性期静脈投与の限定的効果をはるかに超えている。これは,酸素要求量の減少,心筋中の交感神経的受容体活性のアップレギュレーション,および血管拡張に起因している。我々の従前のデータによれば,拡張型心筋症におけるカルベジロールの最近の研究は,心臓血行動態に対する同様な有効性も示している(30)。」(S66頁右欄10行~左欄末尾)

イ 甲1文献の概要

上記アの甲1文献の記載によれば,甲1文献には,慢性心不全の治療におけるβ遮断剤の使用にはかなりの関心が集まっているが,有効性に関する矛盾する報告があることから,慢性心不全のβ遮断剤による治療法が標準となるためには,さらなる研究が必要であるという認識の下で,α遮断性を有する非選択的βアドレナリン受容体拮抗剤であるカルベジロールの虚血性心疾患に続く慢性心不全に対する有効性について,カルベジロールの静脈投与に対する応答がカルベジロールの長期投与効果を予測するのに有効か否かを決定するための予備的研究を実施したこと,この研究の対象者は,6ヶ月以上の慢性心不全で利尿剤の投与のみを受けている,ニューヨーク心臓協会による心不全分類でクラスⅡ及びⅢに該当する17人の患者であったこと,研究方法としては,カルベジロールを初期研究の第3日目に静脈投与(2.5から7.5mg)して各種血行動態パラメータを測定し,その後,第4日目から12.5mgを経口投与し,起立性低血圧の徴候又は副作用が認められない場合には,1日2回の経口投与を続けると共に,2週間後及び4週間後に上方用量漸増(25mgおよび50mg)を行い,8週間の試験終了後に各種血行動態パラメータを測定するという方法で行われ,また,患者全員に期間中同一量の経口利尿剤が投与されたこと(上記アの(ア),(イ)及び(エ)),研究結果としては,患者全員が静脈投与に対して良い認容性を示し,副作用事象は記録されなかったこと,また,8週間の経口投与の試験は,17人のうち12人が終了し,カルベジロールによる長期療法の後,平均収縮期動脈内血圧,心拍数,肺動脈楔入圧,右心房圧,及び体血管抵抗について有意な減少が認められ,12人中11人の患者では付随した症状の改善もあるなど,多くの血行動態パラメータで著しい改善が認められたこと,また,静脈投与の後には僅かな一時的増加しか記録されなかった左心室駆出分画率についても,長期療法の後,基礎値から有意に増加したこと(上記アの(ウ)),この8週間経口投与試験の結果について,甲1文献の執筆者は,「カルベジロールによる長期治療は,左心室充満圧(前負荷)および体血管抵抗(後負荷)の両者を減少させ,それにより1回拍出量および左心室駆出分画率を改善し,本質的心室機能の改善を示している。」と評価し,また,カルベジロールの静脈投与に対する応答がカルベジロールの長期投与効果を予測するのに有効か否かの決定という,この研究のテーマに対しては,「β遮断剤の静脈投与から,長期投与の成果を予測することはできない」との結論を導き,その理由として,カルベジロールの長期療法により,β受容体のアップレギュレーションが徐々に進行するとの考察をしていること(上記アの(オ)),以上の記載がされているものと認められる。

上記によれば,甲1文献には,利尿薬でのバックグランド療法を受けているクラスⅡ及びⅢの虚血性のうっ血性心不全患者の血行動態パラメータを改善する薬剤であって,2週間及び4週間後にカルベジロールの上方用量漸増を行い,8週間投与される薬剤の製造のための,α1遮断作用を有するβアドレナリン受容体拮抗剤であるカルベジロールと利尿薬を組み合わせて使用する発明が記載されているということができる。

(3)  本件特許の優先日前に頒布された刊行物の記載

ア 甲3文献

甲3文献の「Summary」の項には,「心不全の有病率と死亡率は高齢者ほど増加する。もっとも大切な予後指標は,運動許容性と左心室機能である。」(172頁左欄2~8行)と記載されている。

イ 甲4文献

甲4文献の「Other drugs」の項には,「βブロッカーは少量で一部の患者(安静時頻脈,適正な血圧,歩行可能な患者)に有効であり,生存率を上昇させる可能性がある。オーストラリアとニュージーランドでは,虚血性心疾患による軽度から中程度の心不全患者を対象とした,カルベジロール(血管拡張作用のあるβブロッカー)の大規模試験が行われている。この試験の初期段階では,運動反応と左心室サイズにおける効果を観察する予定である。もしその結果が良好なものであれば,3000名の患者を対象にした死亡率の試験が行われる予定である。」(23頁左欄21~35行)と記載されている。

ウ 甲5文献

甲5文献の「ベータブロッカーの主な試験のデザイン特徴の要所」という表題の表3には,ニュージーランド及びオーストラリアにおいて,カルベジロールの効果をプラセボと比較する無作為化試験について,ニューヨーク心臓協会機能分類Ⅱ-Ⅳで駆出率<0.40のエントリー基準を満たす患者450人を対象として,運動耐性を第一エンドポイントとする検証期間が18ヵ月の予備試験が1992年7月に開始されたこと,主試験は上記エントリー基準を満たす3000人の患者を対象とし,死亡率を第一エンドポイントとする検証期間が3年間の試験であり,予定終了日が1996~1997年であることが記載されている。

エ 甲6文献

甲6文献の「2.4 Congestive heart failure」の項には,「カルベジロールは心不全管理について現在広く研究されている。この疾患におけるβブロッカー使用の論理背景は,慢性的な交感神経刺激の直接の有害作用から心筋を保護することにある。カルベジロールのような血管拡張作用をもつβブロッカーは,その血管拡張作用がβ遮断作用による初期の陰性変力作用を抑制するため,特に心不全に有用である可能性がある。この陰性変力作用は特にβ遮断の初期段階で顕著なものであるので,ごく少量から開始しなければならない。しかし,許容可能であれば,カルベジロールは長期間治療において,機能的,血行動態的,神経ホルモン的なパラメータを有意に改善する。」(90頁左欄25~40行)と記載されている。

オ 甲7文献

甲7文献には以下の事項が記載されている。

(ア) 「うっ血性心不全は心臓のポンプ機能が障害されたために起こる複雑な症候群であり,心臓が身体の各臓器や組織に必要十分な血液を駆出することができない状態である。その結果,運動耐応能低下,体液貯留および生命予後の短縮などをきたす。」(314頁右欄35~40行)

(イ) 「3.うっ血性心不全に対する薬物療法」の「b.薬物療法」の項

「1)急性うっ血性心不全

…①利尿薬 処方例 1) ラシックス(40mg) 1-2錠」

「2)慢性うっ血性心不全

① 強心薬

ⓐジギタリス剤 …処方例 1) ジゴシン(0.25mg錠)0.125-0.25mg/日

いずれの強心薬も利尿薬を必要に応じて短期,間歇的に併用する。

② 血管拡張薬

ⓐACE阻害薬 …処方例 1) エナラプリル(レニベース)5-15mg …,2) カプトプリル(カプトリル) 7.5-25mg

③ β遮断薬

前記薬剤による治療でも心機能が改善せずあるいは進行性に悪化する例で,通常の抗不整脈薬が有効でない例に試みる。一時的に心機能が悪化することがあり,かつ効果発現に数か月要する。

処方例 メトプロロール(ロプレソール) 5mg/日より投与開始。2か月程度病態の変化を観察し,心機能悪化を認めなければ漸増。40mg/日で継続する。うっ血性心不全に対する確立された投与法はないので症例選択と増量は慎重に行う。」(315頁右欄24行~316頁右欄42行)

カ 甲8文献

甲8文献には以下の事項が記載されている。

(ア) 「1 心不全治療の原則」の項

「…心不全の治療は,①患者の症状の改善と生活の向上,および②生命予後の改善を目的とする。」(312頁右欄8~10行)

「e.β遮断薬 近年,難治性心不全の病因として重要な拡張型心筋症に対するβ遮断薬療法が注目を集め,その有効性が確認されつつあり,今後の発展が期待されている。しかし,従来β遮断薬は心不全には禁忌とされていた薬剤であり,また一部には悪化する例もあり,投与にさいしては慎重を要する。」(313頁左欄7~12行)

(イ) 「2 慢性心不全の治療」の項

「処方例 …11)ロプレソール 5mg 分2 重症例では2.5mgを初回投与量とし,1-2週間隔で5-10mgずつ増量,40-80mgを維持量とする。」(313頁右欄7~9行)

キ 甲9文献

甲9文献には,「慢性心不全の治療の目的は,運動耐容能を上げることと,予後を良くすることである。」(17頁左欄1~3行)と記載されており,また,「予後」という見出しに続いて,「心不全患者の予後を規定している因子は,心室の収縮性と心室性不整脈である。…図3aに見るように左室駆出率が低下するほど死亡率が高い。…心不全の予後を良くするためには,心筋の収縮性の低下をいかにくいとめ,可能なら良くすることが重要となる。」(18頁右欄4~18行)と記載されている。

ク 甲10文献

甲10文献には以下の記載がある。

(ア) 「従来,心不全では,交感神経活性の亢進が不全心の機能を代償しているため,心不全にβ遮断薬を投与することは,禁忌とされてきた。しかし,重症心不全における交感神経活性亢進が,心筋不全の増悪因子となることが解明されつつあり,この悪循環を断ち切るものとして,β遮断薬療法が注目されている。」(25頁中央欄5~14行)

(イ) 「心不全治療におけるβ遮断薬療法」の「1.心不全に対するβ遮断薬投与の是非」の項

「…Waagstein…らのグループは,心不全には禁忌とされている交感神経β受容体遮断薬を重症の拡張型心筋症患者に長期投与したところ運動能力,心機能および生命予後が改善したという,逆説的な一連の報告を行った。その後,いくつかのグループにより,少なくとも一部の拡張型心筋症患者においては,β遮断薬の長期投与により臨床的改善が認められることが追試,確認され,β遮断薬療法は拡張型心筋症を始めとする慢性心不全の有力な治療法の一つと見なされるようになった。」(26頁右欄32行~27頁左欄図2の下13行)

「表1にβ遮断薬が有効であったとする報告の一覧を示す。一方,表2に無効とする報告をまとめた。両者を比較すると,無効とする報告では投与の期間が短く,単回投与か,長くても1ヵ月の投与である。一方,有効とする報告では投与期間は長く,多くは数ヶ月以上である。また,多くのプロトコールで薬剤の漸増投与により,25~100mg/日の維持量にまで増やしている場合が多い。これら3ヵ月以上投与した報告においては,自覚症状および運動能力の改善,左室駆出率,左室内径,心拍出量などの心機能の改善がほとんどの場合に認められており,長期効果の発現には数ヶ月以上の長期投与が必要と考えられている。また,年単位で投与した報告では生命予後の改善も認められているが,少数例での検討であり,生命予後の改善についてはまだ検討の余地がある。」(27頁図2の下左欄14~中央欄17行)

(ウ) 表1(28頁)

「β遮断薬の有効例の報告」との表題が付された表1には,メトプロロールを28人の患者に対して2~26ヵ月間,50~200mg/日で投与した例が記載されている。(「報告者」欄「②Swedberg」の行)

(エ) 「心不全治療におけるβ遮断薬療法」の「2.β遮断薬の効果発現機序」の項

「β遮断薬の心不全改善効果の機序としては,①心拍数の減少による消費エネルギーの節約(収縮装置の修復,再生に利用できるエネルギーの増加),②主に心拍数の減少による心室拡張期特性の改善,③レニン放出抑制による体液量減少と血管拡張(前,後負荷軽減),④カテコラミンによる心筋障害の抑制(カルシウム過負荷の軽減),⑤心筋β受容体のup-regulation(カテコーラミン反応性の回復),⑥抗不整脈効果,などが考えられる。β受容体のup-regulationは,最も注目されている機序のひとつである。…心拍数の減少も有力な作用機序である。…さらに,最近筆者らは,培養心筋細胞においてβ受容体刺激が主要な細胞骨格である微小管(microtuble)を解重合させることを見いだした。…β遮断薬は,β受容体刺激によるこの様な細胞骨格の変化に拮抗して,心筋細胞障害を抑制する可能性もある。」(27頁右欄31行~30頁図5の下右欄1行)

(オ) 「心不全治療におけるβ遮断薬療法」の「3.β遮断薬の選択と導入」の項

「導入時に循環不全に陥る危険を少なくするには,ごく少量から開始し,ゆっくり増量していくことが重要であり,交感神経活動の亢進が著しい重症例ほど慎重に増量する。」(31頁左欄2~5行)

ケ 甲11文献

甲11文献には以下の記載がある。

(ア) 「はじめに」の項

「心不全は症候名であって病名ではない。したがって,それをいかに定義するのが臨床的に最も都合がよいかという点に関しては異論が多い。古くは…と定義されてきたが,Cohnはより有用で,現状に合った定義として,心機能障害が,1)運動耐容能の減少,2)心室性不整脈の頻発,3)生存率の低下を伴う場合という概念を提唱した。この定義に基づくと,心不全治療の目的は,最終的には患者の生存率を増大させることになる。」(51頁中央欄2~15行)

(イ) 「心不全の予後に影響を与える因子」の「2.左室機能障害」の項

「Schwartz らは,拡張型心筋症患者63例で…,形態学的所見と左室血行動態指標が予後を判定する上にどの程度有意であるかを検討した。…累積生存率は駆出率が35.5%以上の患者で,1年目97%,2年目94%,4年目85%であるのに対して,35.5%未満では,各々71%,44%,41%であった。多変量解析によると,この駆出率の低下は,p<0.00001の有意差をもって生存率の予測を可能にするという。…Likoffらは,拡張型心筋症と虚血性心筋症201例を28ヵ月間フォローアップして,心不全患者の死亡率に影響を及ぼす因子を検討した。…この場合も駆出率が20%以上と以下の患者では,生存率が有意に異なることが示されている。Cohn らは,V-HeFTと呼ばれる血管拡張薬が慢性心不全患者の生存率を変えることを明らかにした有名な治験を再度分析して,予後に影響を与える種々の因子を検討した。…hydralazine-nitrateはプラセボ群に比して死亡率を28%減少させたが,prazosinでは何ら効果が見られなかったことが報告された。このデータを基に,左室機能が治療効果に対してどのような影響を与えたかという点に関して,駆出率に焦点を合わせて解析が行われた。治験開始時における全ての患者の平均駆出率は28%であったので,28%より大きい値を有する群とこれ以下の群に分けると,駆出率の低い群で死亡率が著しく高いことが示された。そして,この群でhydralazine-nitrateによる生存率の改善はより著明であったという。このように,心不全の原因とは無関係に心機能と生存率が相関することは,心筋障害それ自体が予後を不良にすることを示唆するものである。」(52頁左欄7行~中央欄28行)

コ 1994年(平成6年)10月発行の Circulation 第90巻第4号1765~1773頁掲載の論文“A randomized trial of β-blockade in heart failure. The Cardiac Insufficiency Bisoprolol Study”(「心不全におけるβ遮断薬の無作為化治験 心不全におけるビソプロロール治験」CIBIS investigators and committees(CIBISの治験担当医師と委員会)著,乙11。以下「乙11文献」という。)には以下の記載がある。

(ア) 1765頁の論文の要約部分

「背景 特発性拡張型心筋症による心不全において,β遮断薬の機能的な有益性は観察されているが,生存率の改善は大規模な無作為化治験において実証されていない。この点を,心不全におけるビソプロロール治験(CIBIS)の主目的とした。

方法と結果 さまざまな病因を持ち,左室駆出率が40%未満である641例の慢性心不全の患者が,このプラセボ対照,無作為化,二重盲検化治験に参加した。…すべての患者が,利尿薬と血管拡張による基礎療法(症例の90%ではアンジオテンシン変換酵素阻害剤)を受けた。…両群間において観察された死亡率の差異は,統計上の有意には達しなかった。…ビソプロロールは患者の機能状態を有意に改善した。」(1765頁左欄1行~右欄5行)

(イ) 結果

「…心不全の原因でサブ解析を行うと,生存率に関するログランクテストは虚血性心不全ではビソプロロールはプラセボ群と同等(350人,…)であった…」(1770頁左欄表3の下3~7行)

(ウ) 考察

「…ビソプロロール投与下において見られた20%の死亡リスク減少は,有意水準5%で統計的に有意ではなかった。しかし,この減少の95%信頼区間は,死亡率の有意な減少に見合う余地を残している。」(1770頁左欄表3の下18~23行),

「所定のスケジュールに従った,用量漸増下でのビソプロロール投与に対する忍容性については,非常に満足のいく結果が得られた。」(1771頁左欄42~43行),

「β遮断薬の用量の漸増は,心不全患者において血行動態・心機能改善効果を得るための重要な要素であると考えられる。これまでの研究によって明確に示されているように,左室駆出分画の上昇が見られるまでには,通常数ヶ月を要する。これに対して,降圧用量のβ遮断薬を,用量の漸増を行わずに投与した場合には,血行動態および心機能が悪化してしまう可能性がある。」(1771頁左欄52~59行)

(4)  カルベジロールの投与期間(取消事由2-1)について

上記のとおり,甲8文献には「心不全の治療は…②生命予後の改善を目的とする。」(上記(3)カ)との記載があり,甲9文献には「慢性心不全の治療の目的は…予後を良くすることである。」(同キ)との記載があり,甲11文献には「心不全治療の目的は,最終的には患者の生存率を増大させることになる。」(同ケ(ア))との記載があり,これらの記載によれば,心不全治療の目的の一つが生命予後を改善すること,すなわち,生存率を増大させることである点は,本件特許の優先権主張日において当業者に周知であったことが認められる。

そして,甲5文献には,心不全と左心室機能不全に関するカルベジロール投与の効果について,死亡率を第一エンドポイントとする大規模臨床試験がニュージーランド及びオーストラリアで計画され,その予備試験は既に開始されていたことが記載されており(上記(3)ウ),甲4文献にも同趣旨の記載があり(同イ),これらの記載によれば,カルベジロールによる心不全治療の目的も生存率の増大であることが理解できる。

一方,甲10文献には,β遮断薬について,「β遮断薬が…有効とする報告では投与期間は長く,多くは数ヶ月以上である。」,「長期効果の発現には数ヶ月以上の長期投与が必要と考えられている。また,年単位で投与した報告では生命予後の改善も認められている…」(上記(3)ク(イ))との記載があり,これによれば,β遮断薬を使用して心不全治療の目的すなわち生存率の増大を達成するためには,少なくとも数か月から年単位で投与することが必要であることが理解できる。

そうすると,カルベジロールの8週間の投与により虚血性のうっ血性心不全患者の血行動態パラメータが改善することが記載された甲1文献に接した当業者であれば,カルベジロールを使用して虚血性のうっ血性心不全の治療を行う場合,カルベジロールの投与期間については,甲1文献に記載された血行動態パラメータの改善効果が示された8週間に限定して理解するものではなく,虚血性のうっ血性心不全患者の生命予後の改善という治療目的を達成するためには,数か月から年単位の期間が必要であると理解するものといえる。

したがって,本件発明1と甲1発明の相違点のうち,カルベジロールの投与期間の点については,甲1発明に甲4文献,甲5文献及び甲10文献並びに周知技術を勘案することにより当業者が容易に想到可能な事項であるといえる。

なお,甲10文献には,「年単位で投与した報告では生命予後の改善も認められている」との記載に続けて,「少数例での検討であり,生命予後の改善についてはまだ検討の余地がある。」との記載もあり(上記(3)ク(イ)),この記載に照らすと,カルベジロールによる心不全治療の目的の一つが生命予後の改善であり,この目的を達成するために,数か月から年単位で投与することが必要であるということについては,これら文献に接した当業者であれば理解することができる事項ではあるものの,本件特許の優先権主張日における技術常識として確立していた事項とまでは認めるに足りない。したがって,本件発明が甲1発明と同一であるとの原告主張の取消事由1(甲1文献に基づく新規性の判断の誤り)は理由がない。

(5)  本件発明の効果の予測性(取消事由3)について

甲3文献には,心不全の予後指標において大切なものの一つは左心室機能であることが記載されており(前記(3)ア),甲9文献には,「心不全患者の予後を規定している因子は,心室の収縮性と心室性不整脈である。…左室駆出率が低下するほど死亡率が高い。…心不全の予後を良くするためには,心筋の収縮性の低下をいかにくいとめ,可能なら良くすることが重要となる。」(同キ)と記載されており,甲11文献にも,左心室駆出率が心不全の予後に影響を与える因子である旨が記載されている(同ケ(イ))。これらの記載によれば,心不全患者の左心室機能が改善されることが死亡率の改善に結びつくことは,当業者に周知の事項であったということができる。

甲6文献には,カルベジロールによる長期間治療で,機能的,血行動態的パラメータが有意に改善されることが記載されており(前記(3)エ),甲1文献には,カルベジロールの8週間の投与により,虚血性のうっ血性心不全患者の血行動態パラメータの改善,特に,左心室充満圧(前負荷)及び体血管抵抗(後負荷)の両者を減少させ,それにより1回拍出量及び左心室駆出分画率を改善し,本質的心室機能が改善することが記載されている(前記(2)ア(オ))。

そうすると,上記の周知事項に甲6文献の上記記載を勘案すれば,甲1文献の上記記載に接した当業者であれば,カルベジロールの長期間投与により,心不全患者の死亡率を減少させることを予測することはできるといえる。

(6)  被告の主張及び審決の認定・判断について

ア 甲1文献について

被告は,甲1文献に記載されているのは,症状改善の検討を目的とした「17名の虚血性心疾患による慢性心不全患者」という極めて少数例に関する試験であり,そのうち5名については試験が途中で中止されていること,甲1文献の試験では,プラセボを投与した患者との比較はされていないこと,甲1文献は,カルベジロールが他のβ遮断薬と同様にアップレギュレーションを起こすという誤りを包含していること,したがって,甲1文献の信憑性は低く,心不全専門医も同様の認識をしていることを指摘した上,甲1文献は,カルベジロールの効果を裏付ける文献としての意義が極めて低く,また,甲1文献は,カルベジロールを虚血性のうっ血性心不全の治療に使用するという発明を,完成した用途発明として開示したものとはいえないと主張する。

しかし,ある文献に医薬発明が開示されているといえるためには,当該文献に記載された薬理試験が,医薬の有効成分である化学物質が問題となっている医薬用途を有することが合理的に推論できる試験であれば足り,医薬の承認の際に求められるような無作為化された大規模臨床試験である必要はない。

このような観点から甲1文献をみると,甲1文献は,各患者の各種血行動態パラメータについて,試験開始時の基礎値と8週間経過後の値を比較し,「多くの血行動態パラメータでは,著しい改善が認められる。」と評価し,また,表1,表2及び図2には,各種血行動態パラメータやその変化の数値が示されているところ,これらの数値が誤りであることを認めるに足りる証拠はない。そうすると,甲1文献記載の試験は,カルベジロールが虚血性のうっ血性心不全の治療に使用されることが合理的に推論できるものであるといえるから,甲1文献は,カルベジロールを虚血性のうっ血性心不全の治療に使用するという発明を完成した用途発明として開示したものということができ,また,甲1文献は,カルベジロールの効果を裏付ける文献としての意義を有しているものといえる。

甲1文献に記載されている試験が17名という少数例に関するものであり,そのうち5名について試験が途中で中止されていることは,上記の判断を左右するものではない。また,プラセボとの比較がされていないことについても,甲1文献記載の試験に参加した患者と同様の心不全の病状や病歴を有する患者において,カルベジロールを投与しなくても,甲1文献に示された血行動態パラメータの改善が生じるという技術常識が存在するのであれば格別,そのような技術常識が存在するとの主張立証がない以上,上記の判断を左右するものではない。

甲1文献は,カルベジロールが他のβ遮断薬と同様にアップレギュレーションを起こすという誤りを包含しているとの被告の指摘については,被告のいう誤りとは,甲1文献の「考察」の項における「慢性的心不全に対するカルベジロールの急性効果と長期効果との間の不一致は,長期療法によりそのようなβ受容体のアップレギュレーションが徐々に進行することを示している。」との記載が誤りであることをいうものと解される。この記載は,甲1文献に示された実験データについて,その理由を考察した部分の記載であって,実験データそのものについての記載ではなく,また,実験データそのものについての記載に誤りがあることを認めるに足りる証拠はない。したがって,甲1文献の記載に被告の指摘に係る誤りがあるとしても,甲1文献が,カルベジロールの効果を裏付ける文献としての意義を有していないということはできない。

その他,甲1文献の記載の信憑性が低いことを認めるに足りる証拠はないから,被告の上記主張は理由がない。

イ 死亡率低下について

(ア) 被告は,甲1文献には,カルベジロールがうっ血性心不全に起因する死亡率を低下させる化合物であることは記載も示唆もされていないから,取消事由2-1及び取消事由3は理由がないと主張する。

しかし,前記(5)で判示したとおり,甲3文献には,心不全患者の左心室機能が改善されることは死亡率の改善に結びつくという,当業者に周知の事項が記載されており,また,甲6文献には,カルベジロールによる長期間治療で,機能的,血行動態的パラメータが有意に改善されることが記載されており,そして,甲1文献には,カルベジロールの8週間投与により,血行動態パラメータ,特に,左心室充満圧及び体血管抵抗の減少により1回拍出量及び左心室駆出分画率の改善が記載されていることからすれば,カルベジロールの長期投与により,心不全患者の死亡率が低下することを予測することができることは,前記(5)で説示したとおりである。

したがって,被告の上記主張は理由がない。

(イ) 審決は,「カルベジロールによる死亡率の試験…の結果として死亡率が低下したことは報告されていない。…生存率を上昇させる可能性…について実証されてはいない。」(18頁19~22行)ことを根拠の一つとして,カルベジロールが虚血性のうっ血性心不全に起因する死亡率を減少させる作用について推認することはできないと判断している。

しかし,本件特許の優先日において,カルベジロールの投与により,死亡率の低下(生存率の上昇)が確認されていないとしても,当業者であれば,甲1文献に記載された血行動態パラメータ,特に左心室駆出率の改善を根拠に,カルベジロールによる死亡率の低下が予測可能な事項であることは,前記(5)で判示したとおりである。審決の上記判断は理由がない。

(ウ) 審決は,カルベジロールは血管拡張作用を有するβ遮断薬であり,また,β受容体のアップレギュレーションについて挙動が他のβ遮断薬とは異なることを根拠として,カルベジロールが心不全に起因する死亡率を減少させる効果があるということはできないと判断している(18頁23~28行)。

確かに,カルベジロールのβ遮断薬としての上記特性から,カルベジロールが心不全患者の死亡率を減少させる作用があるということはできない。しかし,当業者であれば,甲1文献に記載された血行動態パラメータ,特に左心室駆出率の改善を根拠に,カルベジロールによる死亡率の低下が予測可能な事項であることは,前記(5)で説示したとおりである。また,カルベジロールのβ遮断薬としての上記特性の相違が,心不全患者の左心室機能の改善と死亡率の改善の関係に影響することを示す証拠もないから,カルベジロールについて,血行動態パラメータ,特に左心室駆出率の改善を根拠とする死亡率減少の前記推論が誤りであるとはいえない。

(エ) 審決は,「甲第11号証には,駆出率の低い群で死亡率が著しく高く,hydralazine-nitrateによる生存率の改善はより著明であったことが記載されているが,hydralazine-nitrateによって駆出率が改善されたか否かについては明らかにされておらず,同じ血管拡張薬であってもprazosinでは何ら効果がみられていないことが記載されている。そうすると,慢性心不全患者において,駆出率が低いと死亡率が高くなることは明らかであるとしても,治療によって駆出率を改善すると死亡率が減少するのか否か…については,甲第7号証ないし第11号証の記載事項を参照しても不明である。」(22頁22~31行)と判断している。

しかし,甲11文献の記載(前記(3)ケ)からすれば,hydralazine-nitrateによって駆出率が改善されたことが明記されていなくとも,hydralazine-nitrateは駆出率を改善したものであり,prazosinは駆出率を改善しなかったものであると解するのが合理的である。審決の上記判断は誤りである。

ウ カルベジロールの投与期間について

被告は,甲1文献でいう「長期投与」は「8週間」を意味しており,かつ,8週間で目的を達したものである以上,その3倍以上である「6ヶ月を超える期間」にわたりカルベジロールを投与する記載も示唆もないから,これが容易想到であると考える根拠はないと主張する。

しかし,甲1発明の投与期間を本件発明1のものとすることが容易想到であることは,前記(4)で判示したとおりである。被告の上記主張を採用することはできない。

エ アップレギュレーションについて

(ア) 被告は,β遮断薬が心不全に有効であるとすれば,β受容体のアップレギュレーションによるものであると考えられていたので,β受容体のアップレギュレーションを起こさないと報告されていたカルベジロールは注目されていなかったと主張する。

しかし,前記認定のとおり,本件特許の優先権主張日において,心不全治療のためにカルベジロールを使用する大規模臨床試験が計画中であったこと(甲4文献,甲5文献),甲6文献には,カルベジロールは心不全に特に有用である可能性がある旨が記載されていること(前記(3)エ)に照らし,被告の主張を採用することはできない。

(イ) 審決は,甲1文献が,虚血性心不全患者に対するカルベジロールの8週間投与での血行動態パラメータの改善は,心筋中の交感神経受容体のアップレギュレーションによるものと推論していることについて,カルベジロールはβ受容体のアップレギュレーションを起こさないので,カルベジロールを8週間投与した場合の甲1文献記載の効果から,6ヶ月以上投与した場合の効果を当業者は予測できないとして,この点を,本件発明1が甲1発明に基づいて容易に発明をすることができたものではないとする根拠の一つとしている。

しかし,前記(4)で判示したカルベジロールの投与期間に係る容易想到性の判断は,カルベジロールがβ受容体をアップレギュレーションすることを前提とするものではない。また,後記2において判示する死亡率改善の予測性に係る判断についても同様である。したがって,審決の上記指摘は,本件発明1の進歩性判断に影響を与えるものではない。

オ 禁忌であるかについて

(ア) 被告は,β遮断薬は,慢性心不全にとって,過去及び本件特許の優先権主張日当時はもちろん,現在もなお禁忌の薬剤であると主張する。

しかし,甲10文献には,「従来,心不全では,交感神経活性の亢進が不全心の機能を代償しているため,心不全にβ遮断薬を投与することは,禁忌とされてきた。しかし,重症心不全における交感神経活性亢進が,心筋不全の増悪因子となることが解明されつつあり,この悪循環を断ち切るものとして,β遮断薬療法が注目されている。」(前記(3)ク(ア)),「Waagstein…らのグループは,心不全には禁忌とされている…β…遮断薬を重症の拡張型心筋症患者に長期投与したところ運動能力,心機能および生命予後が改善したという,逆説的な一連の報告を行った。その後,…β遮断薬療法は拡張型心筋症を始めとする慢性心不全の有力な治療法の一つと見なされるようになった。」(同(イ))との記載がある。これらの記載によれば,確かに,臨床の現場で働く医師においては,従来,β遮断薬を心不全に適応することが禁忌とされていたが,新たな治療方法の開発に取り組む医師の間では,本件特許の優先権主張日当時は既に,β遮断薬は,慢性心不全の有力な治療法の一つとみなされるようになっていたということができる。

なお,被告は,カルベジロール以外のβ遮断薬であるメトプロロール及びビソプロロールは現在もなお禁忌であると主張する。しかし,メトプロロールは,甲7文献及び甲8文献において今日の治療方針の処方例として紹介されている(前記(3)オ,カ)。また,ビソプロロールについては,乙11文献の記載によれば,本件特許の優先権主張日前に臨床試験が行われていたことが認められ(同コ),また,甲24文献の記載によれば,本件特許の優先権主張日後にも更に規模を拡大した臨床試験が行われていたことが認められるところ,これらの臨床試験において,ビソプロロールは心不全治療に使用する薬物としては禁忌であるという結論が導き出されたことは認められない。したがって,被告の上記主張は理由がない。

(イ) 被告は,たとえ一部の研究者が禁忌を打破しようという試みを行っていたとしても,β遮断薬が禁忌であったという事実は,カルベジロールを死亡率改善の目的で慢性心不全患者に投与することの阻害事由となるとも主張する。

しかし,甲1文献には,慢性心不全患者17名に対してカルベジロールを長期間投与する試験が計画され,12名で8週間のカルベジロール投与が完了していることが記載されており,また,甲4文献及び甲5文献には,ニュージーランド及びオーストラリアで心不全患者を対象としたカルベジロールの大規模臨床試験が行われていることが記載されており,これらの事項が公知であったことからすると,本件特許の優先権主張日当時,新たな治療方法の開発に取り組む医師の間では,カルベジロールは心不全患者に対する禁忌の薬剤とはみなされていなかったものと認められる。したがって,従来,臨床の現場で働く医師においてβ遮断薬を心不全に適応することが禁忌とされていたという事実は,死亡率改善の目的でカルベジロールを慢性心不全患者に投与することの阻害事由となるものではない。

(7)  小括

よって,原告主張の取消事由2-1(甲1発明に基づく進歩性の判断の誤り)及び取消事由3(甲1発明,甲2発明,甲3発明,甲4発明,甲5発明及び甲6発明に基づく進歩性の判断の誤り)はいずれも理由がある。

したがって,審決が認定した本件発明1と甲1発明との相違点である,本件発明1では「虚血性のうっ血性心不全に起因する死亡率をクラスⅡからⅣの症状において同様に実質的に減少させる薬剤であって,低用量カルベジロールのチャレンジ期間を置いて6ヶ月以上投与される薬剤」であるのに対し,甲1発明では,「8週間の投与により虚血性のうっ血性心不全患者の血行動態パラメータを改善する薬剤」である点については,その構成という観点からは,当業者が容易に想到可能であったものということができる。

2  取消事由4(本件発明の効果に係る判断の誤り)について

(1)  本件発明の効果の顕著性について

ア 本件発明の死亡率低減効果について

(ア) 米国カルベジロール試験について

本件明細書(甲48の2)には,心不全患者にカルベジロールを投与することにより,心不全による死亡率をクラスⅡ患者で68%,クラスⅢ~Ⅳ患者で67%減少させたことが記載されている(前記1(1)ア)。弁論の全趣旨によれば,本件明細書に記載された米国カルベジロール試験は,甲16文献に記載された,いわゆる米国カルベジロール試験と同じ試験であることが認められる。

米国カルベジロール試験における治療期間は1日~15.1ヵ月で,治療期間の中間値は6.5ヵ月であり,この点について,甲16文献の「考察」の項には,「今回の所見を解釈するうえで,この試験プログラムは薬物治療が生存率に及ぼす影響を検討する目的にしてはいくつかの例外的特色をもつものであることを考慮に入れておく必要がある。…今回のプログラムにおいては,…追跡期間は短く,固定されたものとなった。…このようなデザインでは観察される死亡数が必然的に減少する。…このように限られた試験成績では生存率に対して一貫してどの程度の影響をもつかについて確信をもって結論を出すことはできない。」と記載されている(甲16)。この記載によれば,甲16文献の著者らは,米国カルベジロール試験は治療期間が短く,その結果,死亡率が必然的に減少すること,観察される死亡者数が少ない場合には,死亡率の減少の評価が信頼のあるデータにならないことから,甲16文献に記載されたデータについても確信をもって結論を出すことはできないと判断していることが認められる。

そして,1999年(平成11年)発行のHeart第82巻補遺Ⅳ・Ⅳ14~Ⅳ22頁掲載の論文“Major β blocker mortality trials in chronic heart failure: a critical review”(「慢性心不全における主なβ遮断薬の死亡率試験:批評的総説」,JJV McMurray著,甲22。以下「甲22文献」という。)の「死亡率における効果」の項には,「USCP試験(判決注・米国カルベジロール試験を指す。)における死亡率減少の規模の解釈に影響を及ぼしている2つ目の重要な問題は,その経過観察期間である。短期の経過観察は治療の効果を誇張することが出来,長期の経過観察は過小評価することが出来る。」と記載されており,米国カルベジロール試験の治療期間は短く,このことが,カルベジロールによる死亡率減少効果を誇張している可能性があることが指摘されている。

また,甲21文献には「これらのデータ(判決注・米国カルベジロール試験のデータを指す。)は,食品医薬品局の心腎臓疾患諮問委員会に提示された時に,4つの研究のうち3つで主要評価項目に関してネガティブであると報告された。」(甲21)と記載され,平成21年11月16日厚生労働省医薬食品局審査管理課発出の「『抗心不全薬の臨床評価方法に関するガイドラインの改訂』に関する意見の募集について」に添付された「抗心不全薬の臨床評価方法に関するガイドライン(改訂案)」(甲23。以下「甲23文献」という。)の「2.本ガイドライン改定の主旨について」の項にも,「FDAの諮問委員会はその申請(判決注:米国カルベジロール試験による申請を指す。)を否決し,新たに未解決の問題に対処すべく評価項目を定めてプロスペクティブな試験をやり直すことを勧告した。」と記載されている。

上記各文献の記載によれば,甲16文献で示された米国カルベジロール試験の結果(心不全に起因する死亡率を減少させるカルベジロールの効果)は,その治療期間が短いために誇張されたものである可能性が高いことが認められる。

そうすると,本件明細書に記載された本件発明の効果(米国カルベジロール試験の結果)である死亡率減少率68%(クラスⅡ),67%(クラスⅢ~Ⅳ)という数値もまた誇張されたものであるといわざるを得ず,信頼性が低いものというべきである。なお,甲16文献,甲21文献,甲22文献及び甲23文献は,いずれも本件特許の優先権主張日後に発行された刊行物であるけれども,これらは,本件明細書に記載された本件発明の効果である米国カルベジロール試験の結果が信頼性が低いものであることを示すものであるので,その立証趣旨においてこれらの証拠を採用することに支障はない。

(イ) 甲26文献について

一方,甲26文献には,2289名の重度心不全患者をプラセボ投与群とカルベジロール投与群に分け,死亡率を主要評価項目として行われた臨床試験において,カルベジロールを投与した場合に死亡率を35%減少させたことが示されており,この値は心不全の原因によって差がない旨が記載されている(甲26)。

上記試験の治療経過観察期間の平均値は10.4か月であり,米国カルベジロール試験の6.5か月を上回ることも考慮すると,甲26文献に示された死亡率減少率35%という数値は,甲16文献に示された68ないし67%という数値と比較して,信頼性が高いものと認められる。

(ウ) 本件発明の死亡率低減効果

以上によれば,本件発明の死亡率減少率は約35%であると認められる。

イ 他のβ遮断薬の死亡率低減効果について

乙11文献の記載(前記1(3)コ)によれば,本件特許の優先権主張日当時,β遮断薬の一種であるビソプロロールは心不全患者の機能を有意に改善するものの,虚血性心不全の患者では死亡率を減少させる効果は有意ではなかったことが公知であったことが認められる。

甲24文献に記載された試験は,乙11文献に記載された試験を更に検証するために行われたものである。その結果について,甲24文献には,ビソプロロールのハザード比が0.66であったこと(判決注・ハザード比0.66とは,死亡率34%減少を意味する。),ビソプロロールの有益性は心不全の病因やNYHAクラスの重症度にかかわらず見られたことが記載されている(甲24)。これらの記載によれば,ビソプロロールは,虚血性の心不全に起因する死亡率をクラスⅢからⅣの症状において同様に約34%減少させる効果を有することが認められる。

なお,審決は,甲24文献においてビソプロロールによる34%の死亡率減少が記載されていることは本件特許の優先権主張日当時の技術水準を示すものではないから,これにより,本件発明の効果が顕著な効果ではないとすることはできない,と判断している。

確かに,甲24文献は,本件特許の優先権主張日より後に公開された論文である。

しかし,前記のとおり,甲24文献記載の試験は,本件特許の優先権主張日以前に公開された乙11文献に記載された試験を更に検証するために行われたものである。そして,乙11文献には「…ビソプロロール投与下においてみられた20%の死亡リスク減少は,有意水準5%で統計的には有意ではなかった。しかし,この減少の95%信頼区間は,死亡率の有意な減少に見合う余地を残している。」(前記1(3)コ)と記載されている。この記載によれば,乙11文献記載の試験では,ビソプロロールの死亡率減少は20%で,統計的には死亡率減少効果がないと判断される試験結果が出たものの,再度検証を行えば,20%を上回る死亡率減少の結果が得られ,統計的にも死亡率減少効果があると判断される可能性があることが,本件特許の優先権主張日の時点において認識されていたことが認められる。

したがって,甲24文献記載の試験結果自体は,本件特許の優先権主張日当時の技術水準を示すものではないとしても,甲24文献の記載内容を参酌して本件発明の効果の顕著性について判断することに問題はない。

ウ 本件発明の死亡率低減効果の顕著性

上記アで認定した本件発明における死亡率低減効果35%と,上記イで認定したビソプロロールの死亡率低減効果34%を比較すると,両者の差は1%であり,大きな差は存在しない。

そうすると,本件発明が虚血性のうっ血性心不全の死亡率を減少させる効果は,格別顕著なものとはいえないというべきである。

(2)  被告の主張及び審決のその余の認定・判断について

ア 被告は,本件発明が顕著な作用効果を奏するとした本件訂正審決取消判決の認定・判断には一定の拘束力が認められるべきであり,原告が本件発明の有する「虚血性心不全患者の死亡率の低下」という顕著な作用効果を否定することは信義則上許されないと主張する。

行政事件訴訟法33条1項は,取消判決の効力について,「処分又は裁決を取り消す判決は,その事件について,処分又は裁決をした行政庁その他の関係行政庁を拘束する。」と定めている。本件訂正審決取消判決も,同条項に規定する拘束力を有するものであるが,その拘束力を受けるのは,訂正2010-390052号事件について審決をした特許庁である。原告が行政事件訴訟法33条1項に規定する拘束力を受ける理由はなく,また,原告が信義則上同判決の認定・判断と異なる主張をすることが許されないとする理由もない。被告の上記主張を採用することはできない。

イ 被告は,本件発明には本件明細書に記載された死亡率減少効果が認められると主張する。しかし,以下のとおり,その主張は理由がない。

(ア) 被告は,甲16文献の著者らは,甲21文献で指摘されたコメント(米国カルベジロール試験がFDAの心腎臓疾患諮問委員会でネガティブであると報告されたこと)について,甲21文献における「著者らの返答」の項で否定していると主張する。

しかし,甲21文献の該当箇所には,そのような記載はない。

(イ) 被告は,FDAは,カルベジロールの再試験は不要と判断し,米国カルベジロール試験の結果に基づき,1997年にカルベジロールの心不全効能承認したと主張し,また,「アーチスト(カルベジロール)に関する資料」(第一製薬株式会社・平成14年頃公表,乙47。以下「乙47文献」という。)及び「審査報告書」(国立医薬品食品衛生研究所長平成14年6月20日公表,乙48。以下「乙48文献」という。)を挙げて,FDAが心不全効能承認を与えたのは,FDAが米国カルベジロール試験の結果を重要視したためであると主張する。

しかし,乙47文献には,「1.2.2.2 臨床試験 1)軽症~中等症慢性心不全」の項に,「 年 月,米国試験成績およびオセアニア第Ⅲ相試験成績をもとに米国食品医薬品局(以下FDA)に申請し,1997年5月に承認された。」(12頁31~33行)と記載されているのみであり,また,乙48文献にも,「2) 慢性心不全における本薬の臨床的位置づけ 2.1.1 米国における承認状況」の項に,「米国においては,前述の第Ⅲ相試験5試験[米国4試験…,オセアニア1試験…]を含む申請資料がFDAに提出され,1997年に虚血又は心筋症に基づく軽症~中等症心不全の治療薬…としての効能が承認された。」(25頁9~12行)と記載されているのみであって,これらの文献には,FDAが米国カルベジロール試験の結果を重要視したと理解できるような記載は存在しない。

したがって,乙47文献及び乙48文献の上記記載から,米国カルベジロール試験に問題がなかったことや,FDAが,米国カルベジロール試験の結果のみに基づいて承認を与えたとの事実を認めることはできない。

(ウ) 被告は,カルベジロールの顕著な死亡率改善効果は乙13文献にも再現されており,米国カルベジロール試験が信用性の低いものでないことは明白であると主張する。

乙13文献に記載されたカルベジロールに関する試験は,甲26文献に記載された試験及び日本で行われたMUCHAという試験名の試験である。甲26文献に記載された試験が,甲16文献に記載された米国カルベジロール試験と比べて,死亡率改善効果の数値が大きく下回ることは前示のとおりである。また,乙13文献には,MUCHA試験において死亡率が減少したことは示されていない。

したがって,被告の上記主張を採用することはできない。

(エ) 被告は,甲24文献に記載されたビソプロロールの試験では,米国カルベジロール試験において,カルベジロールが顕著な死亡率改善効果を示したことを認識した上で試験・評価されたものであるから,米国カルベジロール試験とは試験計画や評価の精度や完成度が異なることは当然のことであり,また,心不全の死亡率改善を評価する臨床試験においては,医療水準の向上により,後の臨床試験における効果は数値的に低めに出る傾向があり,先の臨床試験の結果と一概に比較することは困難であると主張する。

しかし,上記(1)で比較した本件発明における死亡率低減効果35%と,ビソプロロールの死亡率低減効果34%は,共に,米国カルベジロール試験の後に行われた試験の結果を評価したものであるから,被告の上記主張を採用することはできない。

(オ) 被告は,甲26文献に記載された試験は,クラスⅢとⅣの重症例についての試験であり,重症の心不全においても死亡率を35%低下させるという結果を示すものであるとして,これと,米国カルベジロール試験の結果を合わせれば,軽症から重症まですべての心不全でカルベジロールの死亡率改善効果が極めて顕著なものであることが再確認されたと主張する。

しかし,本件発明は,「死亡率をクラスⅡからⅣの症状において同様に実質的に減少させる薬剤」であるところ,米国カルベジロールの試験結果に疑義があることは前記説示のとおりであって,これに依拠することはできないから,本件発明の死亡率減少率は,クラスⅡからⅣの症状において約35%であると認められる。そして,この数値をビソプロロールの死亡率低減効果と比較した場合に本件発明の効果が格別顕著なものとはいえないことは,前記説示のとおりである。

したがって,被告の上記主張を採用することはできない。

(カ) 被告は,本件発明は,心不全による死亡の中でも大きな割合を占める突然死による死亡率をも改善する点に大きな意義を有すると主張する。

しかし,本件明細書には,カルベジロールによる突然死予防の効果は記載も示唆もされていない。被告の主張は明細書の記載に基づかない主張である。

したがって,カルベジロールによる突然死予防の効果をもって,本件発明が当業者が予測をすることができない効果を有するということはできない。

なお,被告は,虚血性心不全患者の死亡のうち半分近くは突然死であることは知られていたと主張する。しかし,被告の主張を裏付ける証拠はない。また,仮に,虚血性心不全患者の死亡のうち半分近くが突然死であるとしても,甲24文献の表2には,ビソプロロールの突然死によるハザード比が0.56であったこと(判決注・ハザード比0.56とは,死亡率44%減少を意味する。)が記載されており,この数値と比較して,本件発明におけるカルベジロールの突然死予防効果を格別顕著な効果ということはできない。

ウ 審決は,本件発明の効果は顕著であると判断している。しかし,以下のとおり,その判断は誤りである。

審決は,本件特許の優先権主張日当時,カルベジロールが虚血性のうっ血性心不全に起因する死亡率を低下することは知られていなかったところ,米国カルベジロール試験は,プラセボと比較して優位な効果が確認できたことにより試験が中止されたといえるので,優先権主張日当時の技術水準からみて,本件発明の効果が顕著な効果ではないということはできないと判断している。

しかし,米国カルベジロール試験は,治療期間が短いこと等により,その結果の信頼性が低いものであることは,前記説示のとおりである。

したがって,米国カルベジロール試験においてプラセボと比較して優位な効果が確認できたことにより試験が中止されたからといって,本件発明に顕著な効果があるということはできない。

(3)  小括

よって,原告主張の取消事由4(本件発明の効果に係る判断の誤り)は理由がある。

3  まとめ

以上のとおり,原告主張の取消事由2-1(甲1発明に基づく進歩性の判断の誤り),取消事由3(甲1発明,甲2発明,甲3発明,甲4発明,甲5発明及び甲6発明に基づく進歩性の判断の誤り)及び取消事由4(本件発明の効果に係る判断の誤り)はいずれも理由があり,本件発明1は,甲1発明に甲4発明,甲5発明,甲6発明及び甲10発明並びに周知技術を勘案することにより当業者が容易に発明をすることができたものというべきである。したがって,本件発明1の進歩性に係る審決の判断は誤りである。

本件発明2ないし本件発明10の進歩性について,審決は,これらの発明は,いずれも本件発明1における発明特定事項をすべて備え,更に他の事項による限定を加えた発明であるから,本件発明1と同様の理由により進歩性を有する旨の判断をしている。そうすると,本件発明1の進歩性に係る審決の判断が誤りである以上,本件発明2ないし本件発明10の進歩性に係る審決の判断も誤りであることは明らかである。

したがって,審決は全体として違法であるから,取消しを免れない。

第6結論

よって,原告の請求は理由があるからこれを認容することとし,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 設樂隆一 裁判官 西里香 裁判官 田中正哉)

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