知財高等裁判所 平成25年(ラ)10007号 決定 2014年5月16日
抗告人
三星電子株式会社
訴訟代理人弁護士
大野聖二
同
三村量一
同
田中昌利
同
市橋智峰
同
井上義隆
同
小林英了
同
飯塚暁夫
同
井上聡
同
逵本憲祐
同
岡田紘明
訴訟代理人弁理士
鈴木守
補佐人弁理士
大谷寛
相手方
アップルジャパン株式会社承継人
AppleJapan合同会社
訴訟代理人弁護士
長沢幸男
同
矢倉千栄
同
永井秀人
同
稲瀬雄一
同
石原尚子
同
金子晋輔
同
蔵原慎一朗
同
片山英二
同
北原潤一
同
岡本尚美
同
岩間智女
同
梶並彰一郎
訴訟代理人弁理士
大塚康徳
同
加藤志麻子
補佐人弁理士
大塚康弘
同
坂田恭弘
主文
1 本件抗告を棄却する。
2 抗告費用は抗告人の負担とする。
3 この決定に対する特別抗告及び許可抗告の申立てのための付加期間を30日と定める。
第1抗告の趣旨
1 原決定を取り消す。
2 相手方は,別紙物件目録1及び2記載の各製品を生産し,譲渡し,貸し渡し,輸入し,又はその譲渡若しくは貸渡しの申出(譲渡若しくは貸渡しのための展示を含む。)をしてはならない。
3 相手方は,別紙物件目録1及び2記載の各製品に対する占有を解いて,これを執行官に引き渡さなければならない。
4 手続費用は,原審,抗告審を通じて,相手方の負担とする。
第2事案の概要
1 事案の要旨本件は,抗告人(債権者)が,相手方(債務者)による別紙物件目録1及び2記載の製品(以下「本件各製品」という。)の生産,譲渡,輸入等の行為は,抗告人が有する発明の名称を「移動通信システムにおける予め設定された長さインジケータを用いてパケットデータを送受信する方法及び装置」とする特許第4642898号の特許権(以下,この特許を「本件特許」,この特許権を「本件特許権」という。)の侵害に当たると主張して,本件特許権に基づく差止請求権を被保全権利として,相手方に対し,本件各製品の生産,譲渡,輸入等の差止め及び執行官保管を求めた仮処分申立事件である。
原決定は,本件各製品が本件特許権に係る発明の技術的範囲に属するとしつつも,抗告人による本件特許権に基づく差止請求権の行使は権利濫用に当たると判断して,抗告人の申立てを却下した。抗告人は,これを不服として本件抗告を提起した。
2 争いのない事実等(疎明資料の摘示のない事実は,公知事実若しくは争いのない事実又は審尋の全趣旨により認められる事実である。)
(1) 当事者
ア 相手方は,パーソナル・コンピュータ,コンピュータ関連機器のハードウェア及びソフトウェア,コンピュータに関連する付属機器の販売等を目的とする合同会社である。
なお,相手方は,平成23年10月30日に,米国法人のアップルインコーポレイテッド(以下「アップル社」という。)の子会社であるアップルジャパン株式会社を吸収合併し,本件における同社の地位を承継した(以下においては,上記吸収合併前のアップルジャパン株式会社についても「相手方」という。)。
イ 抗告人は,電子電気機械器具,通信機械器具及び関連機器とその部品の製作,販売等を目的とする韓国法人である。
(2) 本件特許権
ア 抗告人(特許登録原簿上の名称「サムスン エレクトロニクス カンパニー リミテッド」)は,平成18年5月4日,本件特許に係る国際特許出願(国際出願番号・PCT/KR2006/001699,優先日・平成17年5月4日,優先権主張国・韓国,日本における出願番号・特願2008-507565号。以下「本件出願」という。)をし,平成22年12月10日,本件特許権の設定登録を受けた(甲1,2)。
イ 本件特許の特許請求の範囲は,請求項1ないし14から成り,その請求項1及び8の記載は,次のとおりである(以下,請求項8に係る発明を「本件発明1」,請求項1に係る発明を「本件発明2」といい,本件発明1及び2を併せて「本件各発明」という。)。
「【請求項1】 移動通信システムにおけるデータを送信する方法であって,上位階層からサービスデータユニット(SDU)を受信し,前記SDUが一つのプロトコルデータユニット(PDU)に含まれるか否かを判定する段階と,前記SDUが一つのPDUに含まれる場合に,ヘッダーとデータフィールドを含む前記PDUを構成する段階と,ここで,前記ヘッダーは,一連番号(SN)フィールドと,前記PDUが分割,連結,またはパディングなしに前記データフィールドに前記SDUを完全に含むことを指示する1ビットフィールドと,を含み,前記SDUが一つのPDUに含まれない場合に,前記SDUを伝送可能なPDUのサイズにより複数のセグメントに分割し,各PDUのデータフィールドが前記複数のセグメントのうち一つのセグメントを含む複数のPDUを構成する段階と,ここで,前記各PDUのヘッダーは,SNフィールド,少なくとも一つの長さインジケータ(LI)フィールドが存在することを示す1ビットフィールド,そして前記少なくとも一つのLIフィールドを含み,前記PDUの前記データフィールドが前記SDUの中間セグメントを含むと,前記LIフィールドは前記PDUが前記SDUの最初のセグメントでも最後のセグメントでもない中間セグメントを含むことを示す予め定められた値に設定され,前記PDUを受信器に伝送する段階と,を有することを特徴とするデータ送信方法。」
「【請求項8】 移動通信システムにおけるデータを送信する装置であって,上位階層からサービスデータユニット(SDU)を受信し,前記SDUが一つのプロトコルデータユニット(PDU)に含まれるか否かを判定し,前記SDUを伝送可能なPDUサイズによって少なくとも一つのセグメントに再構成するための伝送バッファと,一連番号(SN)フィールドと1ビットフィールドをヘッダーに含み,前記少なくとも一つのセグメントをデータフィールド内に含む少なくとも一つのPDUを構成するヘッダー挿入部と,前記SDUが一つのPDUに含まれる場合に,前記PDUが分割,連結,パディングなしに前記データフィールドに前記SDUを完全に含むことを示すように前記1ビットフィールドを設定し,前記PDUの前記データフィールドが前記SDUの中間セグメントを含む場合,少なくとも一つの長さインジケータ(LI)フィールドが存在することを示すように前記1ビットフィールドを設定する1ビットフィールド設定部と,前記SDUが一つのPDUに含まれない場合に,前記少なくとも一つのPDUの前記1ビットフィールド以後にLIフィールドを挿入し,設定するLI挿入部と,ここで,前記PDUの前記データフィールドが前記SDUの中間セグメントを含む場合,前記LIフィールドは前記PDUが前記SDUの最初のセグメントでも最後のセグメントでもない中間セグメントを含むことを示す予め定められた値に設定され,前記LI挿入部から受信される少なくとも一つのPDUを受信部に伝送する送信部と,を含むことを特徴をするデータ送信装置。」
ウ 本件各発明を構成要件に分説すると,次のとおりである(以下,各構成要件を「構成要件A」,「構成要件B」などという。)。
(ア) 本件発明1(請求項8)
A 移動通信システムにおけるデータを送信する装置であって,
B 上位階層からサービスデータユニット(SDU)を受信し,前記SDUが一つのプロトコルデータユニット(PDU)に含まれるか否かを判定し,前記SDUを伝送可能なPDUサイズによって少なくとも一つのセグメントに再構成するための伝送バッファと,
C 一連番号(SN)フィールドと1ビットフィールドをヘッダーに含み,前記少なくとも一つのセグメントをデータフィールド内に含む少なくとも一つのPDUを構成するヘッダー挿入部と,
D 前記SDUが一つのPDUに含まれる場合に,前記PDUが分割,連結,パディングなしに前記データフィールドに前記SDUを完全に含むことを示すように前記1ビットフィールドを設定し,前記PDUの前記データフィールドが前記SDUの中間セグメントを含む場合,少なくとも一つの長さインジケータ(LI)フィールドが存在することを示すように前記1ビットフィールドを設定する1ビットフィールド設定部と,
E 前記SDUが一つのPDUに含まれない場合に,前記少なくとも一つのPDUの前記1ビットフィールド以後にLIフィールドを挿入し,設定するLI挿入部と,
F ここで,前記PDUの前記データフィールドが前記SDUの中間セグメントを含む場合,前記LIフィールドは前記PDUが前記SDUの最初のセグメントでも最後のセグメントでもない中間セグメントを含むことを示す予め定められた値に設定され,
G 前記LI挿入部から受信される少なくとも一つのPDUを受信部に伝送する送信部と,
H を含むことを特徴をするデータ送信装置。
(イ) 本件発明2(請求項1)
I 移動通信システムにおけるデータを送信する方法であって,
J 上位階層からサービスデータユニット(SDU)を受信し,前記SDUが一つのプロトコルデータユニット(PDU)に含まれるか否かを判定する段階と,
K 前記SDUが一つのPDUに含まれる場合に,ヘッダーとデータフィールドを含む前記PDUを構成する段階と,ここで,前記ヘッダーは,一連番号(SN)フィールドと,前記PDUが分割,連結,またはパディングなしに前記データフィールドに前記SDUを完全に含むことを指示する1ビットフィールドと,を含み,
L 前記SDUが一つのPDUに含まれない場合に,前記SDUを伝送可能なPDUのサイズにより複数のセグメントに分割し,各PDUのデータフィールドが前記複数のセグメントのうち一つのセグメントを含む複数のPDUを構成する段階と,ここで,前記各PDUのヘッダーは,SNフィールド,少なくとも一つの長さインジケータ(LI)フィールドが存在することを示す1ビットフィールド,そして前記少なくとも一つのLIフィールドを含み,
M 前記PDUの前記データフィールドが前記SDUの中間セグメントを含むと,前記LIフィールドは前記PDUが前記SDUの最初のセグメントでも最後のセグメントでもない中間セグメントを含むことを示す予め定められた値に設定され,
N 前記PDUを受信器に伝送する段階と,
O を有することを特徴とするデータ送信方法。
(3) 相手方の行為等
ア 相手方は,アップル社が製造した本件各製品を輸入・販売している。
イ 本件各製品は,本件発明1の構成要件A及びHを充足する。本件各製品におけるデータ送信方法は,本件発明2の構成要件I及びOを充足する。
ウ 本件各製品は,第3世代移動通信システムないし第3世代携帯電話システム(3G)(Third Generation)の普及促進と付随する仕様の世界標準化を目的とする民間団体である3GPP(Third Generation Partnership Project)が策定した通信規格であるUMTS規格(Universal Mobile Telecommunications System)に準拠した製品である(甲3ないし5,11。以下,3GPPが定める通信規格を「3GPP規格」ということがある。)。
UMTS規格とは,3GPPで策定された第3世代移動通信システムの総称であり,多数の技術仕様からなっている。UMTS規格のうちの無線通信規格には,W-CDMA方式(Wideband Code Division Multiple Access。一般に「W-CDMA」といった場合には,UMTS規格と同義に使われる例もあるが,本判決においては,「W-CDMA」といった場合には,3GPPの技術仕様書(TechnicalSpecification。以下「TS」と表記することがある。)のうち,25シリーズに規定されている方式を指すものとする。)のほか,LTE方式(Long Term Evolution。3GPPのTSのうち36シリーズに規定されている。)などがある。
(4) 本件特許に関するFRAND宣言
ア 3GPPを結成した標準化団体の一つであるETSI(European Telecommunications Standards Institute)(欧州電気通信標準化機構)は,知的財産権の取扱いに関する方針として「IPRポリシー」(Intellectual Property RightsPolicy)を定めている。
IPRポリシー(2009年4月8日付けのもの)には,次のような規定がある(乙12,161。原文英語)。
「3 方針の目的
3.1 ETSIは,総会が提議した,ヨーロッパの通信セクターの技術的な目的に最も資する解決策に基づく規格および技術仕様を作成することを目的としている。この目的を推進するため,ETSIのIPRについての方針は,ETSIおよび会員,ETSI規格および技術仕様を適用するその他の,規格の準備および採用,適用への投資が,規格または技術仕様についての必須IPRを使用できない結果無駄になる可能性があるというリスクを軽減するためのものである。この目的を達成するに当たり,ETSIのIPRについての方針では,通信分野での一般利用の標準化の必要性と,IPRの所有者の権利との間のバランスを取ることが求められる。
3.2 IPRの所有者は,ETSIの会員またはその関連会社,第三者であるかによらず,規格および技術仕様の実装で,IPRの使用につき適切かつ公平に補償されるものとする。」
「4 IPRの開示
4.1 ・・・各会員は,自らが参加する規格または技術仕様の開発の間は特に,ETSIに必須IPRについて適時に知らせるため合理的に取り組むものとする。特に,規格または技術仕様の技術提案を行う会員は,善意をもって,提案が採択された場合に必須となる可能性のあるその会員のIPRについてETSIの注意を喚起するものとする。」
「4.3 上記の第4.1項に従っての義務は,ETSIにこの特許ファミリーの構成要素について適時に知らされた場合には,すべての既存および将来のその特許ファミリーの構成要素につき満たされたとみなされる。・・・」
「6 ライセンスの可用性
6.1 特定の規格または技術仕様に関連する必須IPRがETSIに知らされた場合,ETSIの事務局長は,少なくとも以下の範囲で,当該のIPRにおける取消不能なライセンスを公正,合理的かつ非差別的な条件(fair, reasonable and non-discriminatory terms and conditions)で許諾する用意があることを書面で取消不能な形で3カ月以内に保証することを,所有者にただちに求めるものとする。
・製造で使用するべく,ライセンシー自身の設計で,カスタマイズした部品およびサブシステムを製造または過去から引き続き製造する権利を含む,製造。
・上記で製造した機器の販売または賃貸,処分。
・機器の修理または使用,動作,および
・方法の使用。
上記の保証は,ライセンスの相互供与に同意することを求めるという条件に従い行われる場合がある。・・・
6.2 特許ファミリーの指定された構成要素に関する,第6.1項に従っての保証は,保証が行われた時点で指定したIPRを除外する旨を明示する書面がある場合を除き,その特許ファミリーのすべての既存および将来の必須IPRに適用されるものとする。当該の除外の範囲は,明示的に指定されたIPRに限定されるものとする。
6.3 要請されたIPRの所有者の保証が許諾されない場合,委員会の委員長は,適切な場合,ETSI事務局と協議の上,問題が解決するまで,委員会が規格または技術仕様についての作業を停止すべきかどうかについて判断し,および/または関連の規格または技術仕様の承認を行うものとする。」
「12 このポリシーは,フランス法に準拠する。」
「15 定義(決定注:本決定においても「必須」,「IPR」,「会員」,「特許ファミリー」の語を,以下の定義に基づいて用いることとする。)
・・・
6 IPRに適用される「必須」とは,(商業的ではなく)技術的な理由で,標準化の時点で一般に利用可能な通常の技術慣行および最新技術を考慮し,IPRに抵触せずに規格に準拠する機器または方法を製造または販売,賃貸,処分,修理,使用または動作できないことを意味する。疑義を回避するため,規格が技術的な解決策でのみ実行可能で,すべてがIPRに抵触する例外的な場合で,当該のすべてのIPRは必須とみなされるものとする。
7 「IPR」とは,商標以外の知的財産権の適用を含む,法律により参照された知的財産権を意味するものとする。疑義を回避するため,体裁に関連する権利または機密情報,企業秘密,同様のものは,IPRの定義から除外される。・・・
9 「会員」とは,ETSIの会員または賛助会員を意味するものとする。会員の参照は,文脈が許す場合には常に,その会員およびその関連会社と解釈されるものとする。・・・
13 「特許ファミリー」とは,優先順位の高い文書それ自体を含む,一般に1つ以上の優先順位のあるすべての文書を意味するものとする。疑義を回避するため,「文書」は特許および実用新案,その応用を表す。」
イ(ア) 抗告人は,1998年(平成10年)12月14日,ETSIに対し,UMTS規格としてETSIが推進しているW-CDMA技術に関し,抗告人の保有する必須IPRライセンスを,ETSIのIPRポリシー6.1項に従って,「公正,合理的かつ非差別的な条件」(fair, reasonable and non-discriminatory terms and conditions)(以下「FRAND条件」という。)で許諾する用意がある旨の誓約(宣言)をした(乙5)。
(イ) 抗告人は,2007年(平成19年)8月7日,ETSIに対し,ETSIのIPRポリシー4.1項に従って,本件出願の優先権主張の基礎となる韓国出願の出願番号,本件出願の国際出願番号(PCT/KR2006/001699)等に係るIPRが,UMTS規格(TS 25.322等)に関連して必須IPRであるか,又はそうなる可能性が高い旨を知らせるとともに,ETSIのIPRポリシー6.1項に準拠する条件(FRAND条件)で,取消不能なライセンスを許諾する用意がある旨の宣言(以下「本件FRAND宣言」という。)をした(乙13)。本件FRAND宣言には,その有効性等はフランス法に準拠するとの文言及び規格に関し相互にライセンスを供与することを求めるとの条件に従い行われるとの文言が含まれていた。
3 当事者の主張当事者の主張は,抗告人及び相手方の各主張書面に記載されたとおりであるから,これを引用する。
第3当裁判所の判断
1 本件各製品についての本件発明1の技術的範囲の属否について
当裁判所は,本件各製品は,本件発明1の技術的範囲に属すると判断する。その理由は次のとおりである。
(1) 本件各製品の構成について
ア 本件各製品の本件技術仕様書V6.9.0の準拠の有無
抗告人は,本件発明1が,3GPPが2006年(平成18年)9月に策定した3GPP規格の技術仕様書「3GPP TS 25.322 V.6.9.0」(以下「本件技術仕様書V6.9.0」という。)記載の「代替的Eビット解釈」(AlternativeE-bit 解釈)を具現化したものであり,同技術仕様書に準拠した本件各製品は,本件発明1の技術的範囲に属する旨主張する。
そこで,まず,本件各製品が本件技術仕様書V6.9.0に準拠した製品といえるかどうかについて判断する。
(ア) 代替的Eビット解釈
本件技術仕様書V6.9.0の9.2.2.5項,9.2.2.8項及び9.2.2.8.1項(別紙「3GPP TS25.322 V6.9.0(抜粋)」参照)には,①伝送モードが非確認モードのPDU(UMD PDU)の最初のオクテットに含まれるEビット(拡張ビット)について,「通常Eビット解釈」又は「代替的Eビット解釈」が上位レイヤーのコンフィギュレーションに応じて選択的に適用されること,②「代替的Eビット解釈」の下では,最初のオクテットに含まれるEビットが「0」の場合は,「次のフィールドは,分割,連結,パディングされていない完全なSDU」であることを,「1」の場合は,「次のフィールドは,長さインジケータとEビット」であることを示すこと,③「長さインジケータ」は,最初のオクテットに含まれるEビットが「分割,連結,パディングされていない完全なSDU」であることを示していなければ,PDUの中のそれぞれのSDU(RLC SDU)が終わる最後のオクテットを示すものとして用いられること,④「代替的Eビット解釈」が設定され,かつ,PDU(RLC PDU)がSDUのセグメントを含むが,SDUの最初のオクテットも最後のオクテットも含まない場合には,「長さインジケータ」は,「111 1110」の値を持つ7ビットの長さインジケータ又は「111 1111 1111 1110」の値を持つ15ビットの長さインジケータが用いられることが記載されている。
(イ) 本件実機テスト
a 疎明資料(甲21,22,49)及び審尋の全趣旨によれば,次の事実が認められる。
(a) カナダ法人のチップワークス社が本件各製品について,「基地局エミュレータ」として,ドイツ法人のローデ・シュワルツ社製の基地局テスタ「CMW500universal radio communication tester」を用いたテスト(以下「本件実機テスト」という。)を行った。
CMW500は,W-CDMA方式に対応している。
(b) 本件実機テストのテスト1は,「PDUサイズ:488ビット,SDUサイズ:480ビット」の設定で,「PDUが分割,連結,パディングされていない完全なSDUを含む場合」のテストであり,テスト2は,「PDUサイズ:80ビット,SDUサイズ:480ビット」の設定で,最初と最後を除いた「中間セグメント」としてのPDU(例えば,2番目のPDU)をモニタするテストである。
(c) 本件実機テストの結果は,次のとおりである。
① テスト1の場合には,一連番号(SN)に続くEビットが「0」となり,長さインジケータを含まないPDUが出力されている(甲21の図12,14)。
② テスト2の場合には,一連番号(SN)に続くEビットが「1」となり,長さインジケータとして所定値(1111110)を含むPDUが出力されている(甲21の図13,15)。
b 前記aの本件実機テストの結果が示すEビットの値及び長さインジケータの値は,前記(ア)の代替的Eビット解釈を採用した場合の値と整合しており(テスト1は前記(ア)②及び③と,テスト2は前記(ア)②及び④とそれぞれ整合する。),本件各製品は,代替的Eビット解釈の機能を実装していることが認められる。
c これに対し相手方は,本件実機テストの結果の「Interpretation」 の欄に「次のオクテット:データ(「next octet: data」)」と表示されており,「分割,連結,パディングされていない完全なSDU」と表示されていないから,本件実機テストでは,代替的Eビット解釈ではなく,通常Eビット解釈が用いられているなどと主張する。
しかし,代替的Eビット解釈において,Eビットに「0」が設定される場合,次のフィールドのビット列が「分割,連結,パディングされていない完全なSDU」を構成するSDUの「データ」を示すものであることからすると,「Interpretation」の欄に「次のオクテット:データ(「next octet: data」)」と表示されていることは本件実機テストにおいて代替的Eビット解釈が使用されていることと相反するものではない。
したがって,相手方の上記主張は理由がない。
イ 小括
以上によれば,本件各製品は,本件技術仕様書V6.9.0に準拠した製品であり,代替的Eビット解釈に基づく機能を実施する構成を備えていることが認められる。
(2) 本件発明1の技術的意義
ア 明細書の記載事項
本件発明1の特許請求の範囲(請求項8)の文言と本件特許に係る明細書(以下,図面を含めて「本件明細書」という。甲2)の「発明の詳細な説明」の記載事項を総合すれば,本件明細書には,①パケットサービスを支援する移動通信システム(無線データパケット通信システム)において,音声コーデックから発生した音声フレームをインターネットプロトコルを用いて音声パケットの形態で伝送する通信技術であるVoIPを提供するに当たって,従来技術によるVoIP通信方式でRLCフレーミング方式(上位階層から受信されたRLC SDUを無線チャンネルを通じて伝送するために適合したサイズに処理する動作)を使用する場合であって,RLC PDUのサイズが,最も頻繁に発生するRLC SDUのサイズに基づいて定義される場合には,大部分のRLC SDUが,分割又は連結せず,一つのRLC SDUは一つのRLC PDUで構成されるにもかかわらず,既存のRLCフレーミング動作では,少なくともRLC SDUの開始を示すLI(長さインジケータ)フィールドとその終了を示すLIフィールドが常に要求されるなど,不必要なLIフィールドが挿入され,それによって限定された無線リソースが非効率的に使用されるという問題点が発生すること,②本件発明1の目的は,従来技術による上記問題点を解決するために,RLC PDU(無線リンク制御階層のプロトコルデータユニット)のヘッダーサイズを減少させて無線リソースを効率的に使用する装置を提供することにあること,③本件発明1は,上記目的を達成するための手段として,「一つの完全なRLC SDUを分割/連結/パディングせずに,一つのRLC PDUにフレーミングが可能である場合」に,そのことをRLC PDUのデータフィールドに1ビット情報で示す構成(構成要件Dの「前記SDUが一つのPDUに含まれる場合に,前記PDUが分割,連結,パディングなしに前記データフィールドに前記SDUを完全に含むことを示すように前記1ビットフィールドを設定」するとの構成)を採用することによって,そのRLC SDUの分割/連結/パディングを示すための追加情報の挿入(「LIフィールド」の使用)を不要とし,RLCPDUが「RLC SDUの開始や終了が含まれない,RLC SDUの中間セグメントのみ」を含む場合に,そのことを予め定められたLIの新たな値に設定されたLIフィールドで示す構成(構成要件Dの「前記PDUの前記データフィールドが前記SDUの中間セグメントを含む場合,少なくとも一つの長さインジケータ(LI)フィールドが存在することを示すように前記1ビットフィールドを設定する1ビットフィールド設定部」の構成及び構成要件Fの「前記LIフィールドは前記PDUが前記SDUの最初のセグメントでも最後のセグメントでもない中間セグメントを含むことを示す予め定められた値に設定」される構成)を採用することによって,RLC SDUの分割動作を可能とし,これによりヘッダーサイズを減少させて無線リソースを効率的に使用する効果を奏することが開示されているものと認められる。
イ 本件発明1と代替的Eビット解釈との関係
(ア) 本件発明1の構成要件Dの「前記SDUが一つのPDUに含まれる場合に,前記PDUが分割,連結,パディングなしに前記データフィールドに前記SDUを完全に含むことを示すように前記1ビットフィールドを設定」するとの構成及びその効果(前記ア③)は,代替的Eビット解釈において,最初のオクテットに含まれるEビットが「0」の場合は,「次のフィールドは,分割,連結,パディングされていない完全なSDU」であることを示し,長さインジケータが用いられないこと(前記(1)ア(ア)②及び③)を規定し,また,構成要件Dの「前記PDUの前記データフィールドが前記SDUの中間セグメントを含む場合,少なくとも一つの長さインジケータ(LI)フィールドが存在することを示すように前記1ビットフィールドを設定する1ビットフィールド設定部」の構成及び構成要件Fの「前記LIフィールドは前記PDUが前記SDUの最初のセグメントでも最後のセグメントでもない中間セグメントを含むことを示す予め定められた値に設定」される構成は,代替的Eビット解釈において,PDU(RLC PDU)がSDUのセグメントを含むが,SDUの最初のオクテットも最後のオクテットも含まない場合には,「長さインジケータ」は,「111 1110」の値を持つ7ビットの長さインジケータ又は「111 1111 1111 1110」の値を持つ15ビットの長さインジケータが用いられること(前記(1)ア(ア)④)を規定したものであると認められる。
したがって,本件発明1は,代替的Eビット解釈を具現化した発明であるというべきである。
(イ)a これに対し相手方は,本件発明1の構成要件Bの「前記SDUが一つのPDUに含まれるか否かを判定」とは,「SDUが一つのPDUに完全に含まれるかどうか(一致するかどうか)」を判定することを意味するのに対し,本件技術仕様書V6.9.0の4.2.1.2.1項の「RLC SDUがUMD PDUの利用可能なスペースの長さより大きい場合」に「RLC SDUを適当なサイズのUMD PDUsに分割する。」との記載は,4.2.1.2.1項記載の判定方式が,SDUの分割が必要か否かを決定することを目的とし,SDUがPDUの利用可能な領域よりも大きいか否か(SDUとPDUの大小関係)を判定する方式を意味するものであり,SDUが一つのPDUに完全に含まれる(一致する)か否かを判定する方式とは異なるものであるから,本件技術仕様書V6.9.0には,構成要件Bの開示がない旨主張する。
しかし,本件技術仕様書V6.9.0の9.2.2.5項には,「代替的Eビット解釈」の下において,最初のオクテットに含まれるEビットが「0」の場合は,「次のフィールドは,分割,連結,パディングされていない完全なSDU」であることを,「1」の場合は,「次のフィールドは,長さインジケータとEビット」であることを示すこと(前記1(1)ア(ア)②)が記載されており,上記記載は,SDUがPDUに完全に含まれる(一致する)か否か(「分割,連結,パディングされていない完全なSDU」か否か)の判定を行うことを前提に,その判定結果に従ってEビットを上記のように設定することを規定するものといえるから,構成要件Bの「SDUが一つのプロトコルデータユニット(PDU)に含まれるか」を判定する構成を開示するものというべきである。
したがって,相手方の上記主張は理由がない。
b また,相手方は,構成要件Dにいう「前記SDUが一つのPDUに含まれる場合」とは,①パディングが生じている場合,②連結が生じている場合,③分割,連結及びパディングのいずれも生じていない場合を全て対象とするものであるから,構成要件Dを充足するというためには,上記①又は②の場合であっても,「PDUが分割,連結又はパディングなしにSDUを完全に含むことを示すように1ビットフィールドが設定」されなければならないのに対し,本件技術仕様書V6.9.0記載の代替的Eビット解釈においては,上記③の場合にのみ,PDUが完全なSDUを含むことを示すように1ビットフィールドが設定されるのであるから,構成要件Dの構成は,本件技術仕様書V6.9.0記載の代替的Eビット解釈とは異なる旨主張する。
しかし,構成要件Dの「前記SDUが一つのPDUに含まれる場合に,前記PDUが分割,連結,パディングなしに前記データフィールドに前記SDUを完全に含むことを示すように前記1ビットフィールドを設定」との文言,本件明細書の段落【0022】及び図5Aによれば,構成要件Dの「前記SDUが一つのPDUに含まれる場合」とは,「前記PDUが分割,連結,パディングなしに前記データフィールドに前記SDUを完全に含む」場合(上記③の場合)のみを意味し,SDUが連結されてPDUに格納されている場合やSDUがパディングとともにPDUに格納されている場合は,これに含まれないと解すべきであるから,相手方の主張は,その前提を欠くものとして,採用することができない。
(3) 本件各製品についての本件発明1の技術的範囲の属否について
ア 本件各製品が本件発明1の構成要件A及びHを充足することは,前記争いのない事実等(3)イのとおりである。
そして,本件各製品が,本件技術仕様書V6.9.0に準拠した製品であり,代替的Eビット解釈に基づく機能を実施する構成を備えていること(前記(1)イ),本件発明1が代替的Eビット解釈を具現化した発明であること(前記(2)イ(ア))によれば,本件各製品は,本件発明1の構成要件BないしGを充足するものと認められる。
以上によれば,本件各製品は,本件発明1の構成要件を全て充足するから,その技術的範囲に属する。
イ(ア) これに対し相手方は,本件技術仕様書V6.9.0に構成要件B及びDの開示がないことを理由に,本件各製品が構成要件B及びDを充足しない旨主張する。
しかし,前記(2)イ(イ)で述べたとおり,相手方の主張は,その前提を欠くものであるから,理由がない。
(イ) また,相手方は,本件各製品が本件発明1の技術的範囲に属するというためには,本件各製品が本件発明1の構成要件に記載された全ての機能を現実のネットワーク上で実行していることを立証する必要があるが,代替的Eビット解釈は,通常Eビット解釈のオプション的なものであり,通信事業者が代替的Eビット解釈を使用するようにネットワークを設定していることについての立証がないから,本件各製品が本件発明1の技術的範囲に属しない旨主張する。
しかし,本件各製品は,本件発明1の構成要件を全て充足し,代替的Eビット解釈を実施する構成を備えている以上,本件発明1の技術的範囲に属するものと認められ,現実のネットワーク上で通信事業者が代替的Eビット解釈を使用するようにネットワークを設定しているかどうかは本件発明1の技術的範囲の属否に影響を及ぼすものではないというべきである。
(4) まとめ
以上のとおり,本件各製品は,本件発明1の技術的範囲に属する。そして,本件発明2は,本件発明1の送信装置におけるデータの送信方法の発明であり,両発明の構成は共通すること(争いがない。)によれば,本件各製品におけるデータ送信方法の構成は,本件発明2の技術的範囲に属するものと認められる。
2 権利濫用の成否について
本件事案の内容に鑑み,抗告人による本件特許権に基づく本件各製品の生産・譲渡等についての差止請求権の行使が権利の濫用になる旨の抗弁の成否について判断する。
当裁判所は,抗告人による本件特許権に基づく差止請求権の行使は,権利の濫用に当たり許されないと判断する。その理由は次のとおりである。
(1) 準拠法について
まず,本件を検討する前提として準拠法を検討する。特許権に基づく差止請求の準拠法は,当該特許権が登録された国の法律であると解される(最判平成14年9月26日・民集56巻7号1551頁)から,本件には,日本法が適用される。
(2) FRAND宣言がされた場合の差止請求権の行使について
ア 前提となる事実
前記争いのない事実等と疎明資料及び審尋の全趣旨を総合すれば,以下の事実が認められる。
(ア) ETSIのIPRポリシー
a 第2世代移動通信システム(2G)は,欧州外においては国ごとに規格が異なるばかりか,一つの国の中ですら規格が異なっており,普遍的な運用互換性がなかった。また,米国,日本,欧州は,それぞれ互換性のない規格に従ったシステムを運用していた。そのような状況の中,従来の音声サービスだけでなく,データサービス及びマルチメディアサービスを提供する第3世代移動通信システム(3G)の普及促進と付随する仕様の標準化を目的として,ETSI(欧州電気通信標準化機構)などの世界の標準化団体が結集し,1998年(平成10年)に3GPPという名称の標準化団体を結成した。
b ETSIは,知的財産権(IPR)の取扱いに関する方針として,IPRポリシーを定めている。
技術の標準化は,製品間の互換性を確保し,製造・調達のコストを削減し,これによって研究開発の効率化や他社との提携の拡大等が期待されるものであり,また,ユーザーにとっても,製品・サービスの利便性の向上,製品価格やサービス料金の低減等による利益を享受し得るという点で多大な効用がある。他方,当該標準に係る必須特許を使用して製品化を図ろうとする者は,必須特許を保有する企業から過大なライセンス料を要求されたり,実施許諾を得られなかった場合には,標準規格に準拠した製品に対する開発投資等が無駄になるなど,さまざまな不都合が生じ得る。
ETSIのIPRポリシーは,上記のような不都合な事態を回避し,通信分野における技術の標準化を促進させ,知的財産権の保有者の権利との間のバランスを図ることを目的として策定されたものである(3.1項の「方針の目的」参照)。
c ETSIのIPRポリシーには,次のような規定がある。
(a) IPRポリシー4.1項は,各会員は,自らが参加する規格又は技術仕様の開発の間は特に,ETSIに必須IPRについて適時に知らせるため合理的に取り組むものとし,特に,規格又は技術仕様の技術提案を行う会員は,善意をもって,提案が採択された場合に必須となる可能性のあるその会員のIPRについてETSIの注意を喚起する旨を規定し,4.3項は,4.1項の義務は,ETSIにこの特許ファミリーの構成要素について適時に知らされた場合には,全ての既存及び将来のその特許ファミリーの構成要素につき満たされたとみなされる旨を規定する。
(b) IPRポリシー6.1項は,特定の規格又は技術仕様に関連する必須IPRがETSIに知らされた場合,ETSIの事務局長は,少なくとも製造(製造で使用するべく,ライセンシー自身の設計で,カスタマイズした部品及びサブシステムを製造又は過去から引き続き製造する権利を含む。),製造した機器の販売,賃貸,処分,修理又は使用,動作及び方法の使用の範囲で,当該IPRにおける取消不能なライセンスを「公正,合理的かつ非差別的な条件」(FRAND条件)で許諾する用意があることを書面で取消不能な形で3か月以内に保証することを,当該IPRの所有者に直ちに求めるものとする旨,上記保証は,ライセンスの相互供与に同意することを求めるという条件に従い行われる場合がある旨を規定し,6.2項は,6.1項の保証は,保証が行われた時点で指定したIPRを除外する旨を明示する書面がある場合を除き,その特許ファミリーの全ての既存及び将来の必須IPRに適用されるものとする旨を規定し,6.3項は,要請されたIPRの所有者の保証が許諾されない場合,委員会の委員長は,適切な場合,ETSI事務局と協議の上,問題が解決するまで,委員会が規格又は技術仕様についての作業を停止すべきかどうかについて判断し,「および/または」関連の規格又は技術仕様の承認を行う旨を規定する。
(c) IPRポリシー15項6は,IPRに適用される「必須」とは,(商業的ではなく)技術的な理由で,標準化の時点で一般に利用可能な通常の技術慣行及び最新技術を考慮し,IPRに抵触せずに規格に準拠する機器又は方法を製造又は販売,賃貸,処分,修理,使用又は動作できないことを意味する旨を規定する。
(d) IPRポリシー12項は,IPRポリシーはフランス法に準拠する旨を規定する。
d IPRポリシーを補足する「IPRについてのETSIの指針」(乙16,162)には,次のような規定がある。
(a) IPRについてのETSIの指針1.1項は,「本指針の主な特徴は,次のように簡略化できる」と規定する。
「・会員は,ライセンスの許諾を拒否する権利を含む,自らが保有するIPRを保持しその利益を得る権利を完全に有する。
・ETSIは,ETSIの技術的な目的に最も資する解決策に基づく規格および技術仕様を作成することを目的としている。
・この目的を達成するに当たり,ETSIのIPRについての方針では,通信分野での一般利用の標準化の必要性と,IPRの所有者の権利との間のバランスを取ることが求められる。
・IPRについての方針は,規格の準備および採用,適用への投資が,規格または技術仕様についての必須IPRを使用できない結果無駄になる可能性があるというリスクを軽減するためのものである。
・よって,規格作成過程の可能な限り早期に,必須IPRの存在を知っていることが,特にライセンスが公正,合理的かつ非差別的な(FRAND)条件で利用できない場合に必要である。」
(b) IPRについてのETSIの指針1.4項は,ETSIのIPRについての方針は,機関としてのETSI及びその会員,事務局の権利及び義務を定義するものであり,ETSIの非会員にも,方針の下で特定の権利はあるが,法的な義務は有さない旨を規定し,同項に掲げる「表」中には,次のような記載がある。
「会員の権利」
「・自らのIPRを規格に含めることを拒否すること(8.1項及び8.2項)。
・規格に関し,公正,合理的かつ非差別的な条件でライセンスが許諾されること(6.1項)。」
「会員の義務」
「・ETSIに,自らのIPR及び他者の必須IPRについて知らせる(4.1項)。
・必須IPRの所有者は,公正,合理的かつ非差別的な条件でライセンスを許諾することを保証することが求められる(6.1項)。」
「第三者の権利」
「・第三者には,必須IPRの所有者として,又はETSI規格若しくは文書のユーザーとして,ETSIのIPRについての方針の下で,次の特定の権利を有する。
○少なくとも製造及び販売,賃貸,修理,使用,動作するため,規格に関し,公正,合理的かつ非差別的な条件でライセンスが許諾されること(6.1項)。」
(イ) 本件FRAND宣言に至るまでの経緯
a 抗告人は,1998年(平成10年)12月14日,ETSIに対し,UMTS規格としてETSIが推進しているW-CDMA技術に関し,抗告人の保有する必須IPRライセンスを,ETSIのIPRポリシー6.1項に従って,「公正,合理的かつ非差別的な条件」(FRAND条件)で許諾する用意がある旨の宣言をした。
b 抗告人は,2005年(平成17年)5月4日,韓国において,本件出願の優先権主張の基礎となる特許出願(優先権主張番号10-2005-0037774)をした。抗告人は,同月9日から13日にかけて,3GPPのワーキンググループに対し,変更リクエストを提出した。その後,上記変更リクエストが採用され,代替的Eビット解釈が標準規格の一つとされた。抗告人は,平成18年5月4日,本件出願をした。その後,抗告人は,平成22年12月10日,本件特許権の設定登録を受けた。
c 抗告人は,2007年(平成19年)8月7日,ETSIに対し,「IPRの情報についての声明及びライセンスの宣言」と題する書面を提出することにより,ETSIのIPRポリシー4.1項に従って,本件出願の優先権主張の基礎となる韓国出願の出願番号,本件出願の国際出願番号(PCT/KR2006/001699)等に係るIPRが,UMTS規格(TS 25.322等)に関連した必須IPRであるか,又はそうなる可能性が高い旨を知らせるとともに,そのIPRが引き続き必須である範囲で,規格に関し,IPRポリシー6.1項に準拠する条件(FRAND条件)で,取消不能なライセンスを許諾する用意がある旨の宣言(本件FRAND宣言)をした。
(ウ) 本件特許の位置付け等
本件特許は,UMTS規格の本件技術仕様書V6.9.0記載の「代替的Eビット解釈」に準拠した製品の製造,販売等及び方法の使用をするのに避けることのできない必須特許である。
一般に,各種の標準化団体においては,ETSIのIPRポリシーに見られると同様に,知的財産権の取扱基準を設け,参加者等の特許権等の知的財産権(以下においては,特許権についてのみ論ずる。)がその定める標準規格に必須となる場合には,標準化団体の参加者等に,そのような特許権の開示を求め,さらに当該特許権をFRAND条件あるいはRAND条件(「reasonable and non-discriminatory」な条件)等でライセンスを行うことの宣言(以下,FRAND条件又はRAND条件等によりライセンスを行うことの宣言を,「FRAND宣言」という。)を求めることが行われる。
イ 本件FRAND宣言と差止請求権の行使について
(ア) FRAND宣言された必須特許(以下,FRAND宣言された特許一般を指す語として「必須宣言特許」を用いる。)に基づく差止請求権の行使を無限定に許すことは,次に見るとおり,当該規格に準拠しようとする者の信頼を害するとともに特許発明に対する過度の保護となり,特許発明に係る技術の社会における幅広い利用をためらわせるなどの弊害を招き,特許法の目的である「産業の発達」(同法1条)を阻害するおそれがあり合理性を欠くものといえる。
すなわち,ある者が,標準規格へ準拠した製品の製造,販売等を試みる場合,当該規格を定めた標準化団体の知的財産権の取扱基準を参酌して,当該取扱基準が,必須特許についてFRAND宣言する義務を会員に課している等,将来,必須特許についてFRAND条件によるライセンスが受けられる条件が整っていることを確認した上で,投資をし,標準規格に準拠した製品等の製造・販売を行う。仮に,後に必須宣言特許に基づく差止請求を許容することがあれば,FRAND条件によるライセンスが受けられるものと信頼して当該標準規格に準拠した製品の製造・販売を企図し,投資等をした者の合理的な信頼を損なうことになる。必須宣言特許の保有者は,当該標準規格の利用者に当該必須宣言特許が利用されることを前提として,自らの意思で,FRAND条件でのライセンスを行う旨の宣言をしていること,標準規格の一部となることで幅広い潜在的なライセンシーを獲得できることからすると,必須宣言特許の保有者がFRAND条件での対価を得られる限り,差止請求権行使を通じた独占状態の維持を保護する必要性は高くない。そうすると,このような状況の下で,FRAND条件によるライセンスを受ける意思を有する者に対し,必須宣言特許による差止請求権の行使を許すことは,必須宣言特許の保有者に過度の保護を与えることになり,特許発明に係る技術の幅広い利用を抑制させ,特許法の目的である「産業の発達」(同法1条)を阻害することになる。
(イ) 以上を本件の事案に即して敷衍する。
UMTS規格に準拠した製品を製造,販売等しようとする者は,UMTS規格に準拠した製品を製造,販売等するのに必須となる特許権のうち,少なくともETSIの会員が保有するものについては,ETSIのIPRポリシー4.1項等に応じて適時に必要な開示がされるとともに,同ポリシー6.1項等によってFRAND宣言をすることが要求されていることを認識しており,特許権者とのしかるべき交渉の結果,将来,FRAND条件によるライセンスを受けられるであろうと信頼するが,その信頼は保護に値するというべきである。したがって,本件FRAND宣言がされている本件特許について,無制限に差止請求権の行使を許容することは,このような期待を抱いてUMTS規格に準拠した製品を製造,販売する者の信頼を害することになる。
必須宣言特許を保有する者は,UMTS規格を実施する者のかかる期待を背景に,UMTS規格の一部となった本件特許を含む特許権が全世界の多数の事業者等によって幅広く利用され,それに応じて,UMTS規格の一部とならなければ到底得られなかったであろう規模のライセンス料収入が得られるという利益を得ることができる。また,抗告人による本件FRAND宣言を含めてETSIのIPRポリシーの要求するFRAND宣言をした者については,自らの意思で取消不能なライセンスをFRAND条件で許諾する用意がある旨を宣言しているのであるから,FRAND条件での対価が得られる限りにおいては,差止請求権を行使することによってその独占状態が維持できることはそもそも期待していないものと認められ,かかる者について差止請求権の行使を認め独占状態を保護する必要性は高くないといえる。
相手方を含めてUMTS規格を実装した製品を製造,販売等しようとする者においては,UMTS規格を実装しようとする限り,本件特許を実施しない選択肢はなく,代替的技術の採用や設計変更は不可能である。そのため,本件特許権による差止請求が無限定に認められる場合には,差止めによって発生する損害を避けるために,FRAND条件から離れた高額なライセンス料の支払や著しく不利益なライセンス条件に応じざるを得なくなり,あるいは事業自体をあきらめざるを得なくなる可能性がある。また,UMTS規格には,極めて多数の特許権が多くの者によって保有されており(特許ファミリー単位でも1800件以上が,50社以上の者から必須特許であると宣言されている。),これらの多くの者の極めて多数の特許権について,逐一,必須性を確認した上で事前に利用許諾を受けることは著しく困難であると考えられ,必須宣言特許による差止請求を無限定に認める場合には,事実上UMTS規格の採用が不可能となるものと想定される。以上のような事態の発生を許すことは,UMTS規格の普及を阻害することとなり,通信規格の統一と普及を目指したETSIのIPRポリシーの目的に反することになるし,通信規格の統一と普及によって社会一般が得られるはずであった各種の便益が享受できない結果ともなる。
必須宣言特許についてFRAND条件によるライセンスを受ける意思を有する者に対し,FRAND宣言をしている者による特許権に基づく差止請求権の行使を許すことは,相当ではない。
(ウ) 他面において,UMTS規格に準拠した製品を製造,販売する者が,FRAND条件によるライセンスを受ける意思を有しない場合には,かかる者に対する差止めは許されると解すべきである。けだし,FRAND条件でのライセンスを受ける意思を有しない者は,FRAND宣言を信頼して当該標準規格への準拠を行っているわけではないし,このような者に対してまで差止請求権を制限する場合には,特許権者の保護に欠けることになるからである。もっとも,差止請求を許容することには,前記のとおりの弊害が存することに照らすならば,FRAND条件によるライセンスを受ける意思を有しないとの認定は厳格にされるべきである。
(エ) 以上を総合すれば,本件FRAND宣言をしている抗告人による本件特許権に基づく差止請求権の行使については,相手方において,抗告人が本件FRAND宣言をしたことに加えて,相手方がFRAND条件によるライセンスを受ける意思を有する者であることの主張立証に成功した場合には,権利の濫用(民法1条3項)に当たり許されないと解される。
(3) FRAND条件によるライセンスを受ける意思の有無について
相手方は,アップル社あるいは相手方は,本件特許について,FRAND条件によるライセンスを受ける意思を有する者(willing licensee)である旨主張しているので,以下,この点について検討する。
ア 検討
疎明資料及び審尋の全趣旨を総合すれば,前記(2)アの事実に加えて,①抗告人は,平成23年7月25日付け書簡で,アップル社に対し,抗告人の必須宣言特許ポートフォリオについてのライセンス条件として,具体的な料率を提示したこと,②アップル社は同年8月18日付けの書面でライセンス料率の上限を提示し,平成24年3月4日付け書簡でさらに数桁小さい料率をロイヤリティとして支払う旨のライセンス契約の申出をし,さらに,同年9月7日付け書簡で,クロスライセンス契約を含む具体的なライセンス案を提示したこと,③これに対して,抗告人は,アップル社が抗告人の提示を不本意とするならば,アップル社において具体的な提案をするよう要請するのみであったこと,④抗告人は,同年9月14日付け書簡でライセンス料算定の基礎となる価格の上限引下げの提案等をしたこと,⑤抗告人は,同年12月3日付け書簡で,当初提案の料率を半分以下にする提案をしたこと,⑥アップル社と抗告人は,同月12日,17日及び18日に会合をもち,この際に抗告人は,多額の一時金を支払うとの内容を含む提案を行い,アップル社は,UMTS規格の必須特許ポートフォリオを対象とするクロスライセンス契約の提案をしたこと,⑦アップル社と抗告人は,平成25年1月14日にも会合をもち,その際アップル社はライセンス料の支払を伴わないクロスライセンス契約の提案を行ったこと,⑧両社の同年2月7日●●●●の会合の際には,合意書の案が作成された●●●●●●●●●●●●●●こと,⑨その後も,抗告人とアップル社との間では,紛争を仲裁に付するとした場合の条件等をめぐって各種の交渉が断続的に行われていることが認められる。
上記に鑑みると,アップル社は,平成23年8月18日付けの書面でのライセンス料率の上限の提示に始まり,複数回にわたって算定根拠とともに具体的なライセンス料率の提案を行っているし,抗告人と複数回面談の上集中的なライセンス交渉も行っているから,アップル社や相手方はFRAND条件によるライセンスを受ける意思を有する者であると認められる。この点,抗告人とアップル社との間には,妥当とするライセンス料率について大きな意見の隔絶が長期間にわたって存在する。しかし,ライセンサーとライセンシーとなる両社は本来的に利害が対立する立場にあることや,何がFRAND条件でのライセンス料であるかについて一義的な基準が存するものではなく,個々の特許のUMTS規格への必須性や重要性等については様々な評価が可能であって,それによって妥当と解されるライセンス料も変わり得ることからすれば,アップル社の行った各種提案も一定程度の合理性を有するものと評価できる。加えて,抗告人の交渉態度も,アップル社との間でのライセンス契約の締結を促進するものではなかったと評価するのが相当であることからすると,両社間に大きな意見の隔絶が長期間にわたって存在したとしても,アップル社や相手方においてFRAND条件でのライセンス契約を締結する意思を有するとの認定が直ちに妨げられるものではない。
イ これに対し,抗告人は,アップル社がライセンスの対象特許を確定せず,自らをより利するライセンス条件を順次提示し,また,自ら提示する条件はFRAND条件に反しないとの態度を続けて,ライセンス契約の成立を故意に妨げているから,アップル社や相手方はライセンスを受ける意思を有するとは認められないなどと主張する。しかし,標準規格を策定することの目的及び意義等に照らすと,ライセンス契約を受ける意思を有しないとの認定は厳格にされてしかるべきところ,アップル社と抗告人の間のライセンス交渉の経緯は前記アのとおりであって,相手方はFRAND条件によるライセンスを受ける意思を有する者であると認められるから,抗告人の主張は採用の限りではない。
(4) 小括
そうすると,抗告人による本件特許権に基づく差止請求権の行使は,権利の濫用(民法1条3項)に該当し,許されない。
3 結論
以上によれば,本件申立ては,その余の点について検討するまでもなく,被保全権利について疎明を欠くのでいずれも却下すべきであり,これと結論を同じくする原決定は相当であるから,本件抗告は棄却されるべきである。よって,主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 飯村敏明 裁判官 設樂隆一 裁判官 富田善範 裁判官 清水節 裁判官 小田真治)
別紙物件目録
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