知財高等裁判所 平成25年(行ケ)10003号 判決 2013年10月24日
原告
アルケマ フランス
訴訟代理人弁理士
越場隆
越場洋
被告
特許庁長官
指定代理人
松浦新司
中島庸子
星野紹英
堀内仁子
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
この判決に対する上告及び上告受理申立てのための付加期間を30日と定める。
事実及び理由
第1原告の求めた判決
特許庁が不服2010-11831号事件について平成24年8月20日にした審決を取り消す。
第2事案の概要
本件は,特許出願拒絶審決の取消訴訟である。争点は,進歩性の有無である。
1 特許庁における手続の経緯
原告は,2005年(平成17年)4月5日,名称を「無臭ガス燃料のための臭気化混合物」とする発明につき,国際特許出願(特願2007-506804,特表2007-532710,優先権主張2004年(平成16年)4月8日・フランス,甲1,2)をし,平成22年1月6日付けの手続補正書により特許請求の範囲の変更を含む補正をしたが(甲7),同月26日付けで拒絶査定を受けたので,これに対する不服審判請求をした(不服2010-11831号)。特許庁は,平成24年8月20日,「本件審判の請求は,成り立たない。」との審決をし(出訴期間として90日を附加),その謄本は同年9月4日,原告に送達された。
2 本願発明の要旨
上記の補正後の請求項1に係る本願発明は,以下のとおりである。
「下記(1)~(3)を含むガス燃料の臭気剤として使用される組成物:
(1) 0.1~49.9重量%の下記式の硫化アルキル(I):
R1-S-R2
(ここで,R1とR2は互いに同一でも異なっていてもよく,1~4個の炭素原子を含むアルキル基を表すか,R1とR2がそれらが結合している硫黄原子と一緒になって3~5個の炭素原子を含むC1-C4アルキルまたはC1-C4アルケニル基で置換されていてもよい飽和または不飽和の環を形成する)
(2) 50~99.8重量%の,アルキル基が1~12個の炭素原子を有するアルキルアクリレート(II),
(3) 0.001~0.1重量%の下記式(IV)の安定なニトロオキシド基を含む上記アルキルアクリレート(II)の重合を抑制する化合物(III):
file_2.bmp(ここで,
R3とR4は互いに同一でも異なっていてもよく,それぞれ2~30個の炭素原子を有し,さらに硫黄,燐,窒素または酸素から選択される一種または複数のヘテロ原子を含んでいてもよい第三または第二炭化水素基を表すか,R3とR4はそれらが結合している窒素原子と一緒になって4~10個の炭素原子を有する置換されていてもよい環式炭化水素基を表す)」
3 審決の理由の要点
本願発明は,刊行物1(国際公開第2004/024852号,甲4,5)に記載された刊行物1発明及び刊行物2(特公昭45-1054号公報,甲6)に記載された刊行物2発明並びに技術常識(特開2000-103763号公報,特開2001-247491号公報,特開平10-175912号公報,特開平04-233905号公報・甲13~16)に基づいて,当業者が容易に発明をすることができたもので,進歩性を欠く。
(1) 刊行物1の請求項1には,実質的には,次の発明(刊行物1発明)が記載されていることが認められる。
「燃料ガスの付臭のための付臭剤として用いられる混合物であって,
成分A)50重量%のアクリル酸エチル及び36重量%のアクリル酸メチル,
成分B)5重量%のTHT(裁判所注:テトラヒドロチオフェン),
成分C)3.3重量%のノルボルネン及び5重量%のAcPyr(裁判所注:2-アセチルピラジン),
成分D)0.7重量%のBHA(裁判所注:tert-ブチルヒドロキシアニソール)からなる酸化防止剤,から構成される混合物」
(2) 本願発明と刊行物1発明との一致点と相違点は次のとおりである。
【一致点】
下記(1)~(2)を含むガス燃料の臭気剤として使用される組成物:
(1) 0.1~49.9重量%の下記式の硫化アルキル(Ⅰ):
R1-S-R2
(ここで,R1とR2は互いに同一でも異なっていてもよく,1~4個の炭素原子を含むアルキル基を表すか,R1とR2がそれらが結合している硫黄原子と一緒になって3~5個の炭素原子を含むC1-C4アルキルまたはC1-C4アルケニル基で置換されていてもよい飽和または不飽和の環を形成する)
(2) 50~99.8重量%の,アルキル基が1~12個の炭素原子を有するアルキルアクリレート(Ⅱ)
【相違点】
上記(1)~(2)の成分以外に第三の成分(3)として,本願発明は,「0.001~0.1重量%の下記式(Ⅳ)の安定なニトロオキシド基を含む上記アルキルアクリレート(Ⅱ)の重合を抑制する化合物(Ⅲ):
file_3.bmp(ここで,R3とR4は互いに同一でも異なっていてもよく,それぞれ2~30個の炭素原子を有し,さらに硫黄,燐,窒素または酸素から選択される一種または複数のヘテロ原子を含んでいてもよい第三または第二炭化水素基を表すか,R3とR4はそれらが結合している窒素原子と一緒になって4~10個の炭素原子を有する置換されていてもよい環式炭化水素基を表す)」を含むのに対し,刊行物1発明は,酸化防止剤を含むものの,上記化合物(Ⅲ)を含まない点。
(3) 相違点に対する審決の判断
刊行物2には,「アクリル酸に添加することで,アクリル酸単量体を安定化し,重合を防止できる,2,2,6,6-テトラメチル-4-ヒドロキシ-ピペリジン-1-オキシルからなるニトロキシド化合物。」の発明が記載されている。
ところで,刊行物1発明の成分A(アクリル酸エチル及びアクリル酸メチルのようなアクリル酸エステル)は,重合し易い性質を持っており,貯蔵時や移送時に重合を防止すべきという課題があること,及び,当該課題は,アクリル酸エステルに限らずアクリル酸においても同様であり,当該課題の解決手段として添加される重合防止剤は,アクリル酸及びアクリル酸エステルのいずれに対しても有効に機能する共通の手段となることは,本願の優先権主張日当時における技術常識(甲13~16)である。
また,刊行物2発明のニトロキシド化合物は,アクリル酸の重合防止剤として機能することから,上記技術常識に照らし,アクリル酸エステルの重合防止剤としても機能することは,当業者には自明の事項である。
さらに,刊行物2発明のニトロキシド化合物が有する,アクリル酸エステルの重合防止という機能は,刊行物1発明に含まれる酸化防止剤が有する,保存安定性を向上させるという機能と,安定性の向上という点で軌を一にするものであり,加えて,刊行物1発明の酸化防止剤は,必要に応じて含有させるものであって,必ずしも含有させなくてもよいものである。
これらのことを踏まえると,刊行物1発明の「混合物」において,アクリル酸エステルの重合を防止すべきという自明の課題を解決するために,アクリル酸エステルの重合防止剤として機能する刊行物2発明の「ニトロキシド化合物(これは,本願発明の式(Ⅳ)の安定なニトロオキシド基を含む上記アルキルアクリレート(Ⅱ)の重合を抑制する化合物(Ⅲ)に相当する。)」を配合するとし,併せて,それと軌を一にする機能を持つ刊行物1発明の「酸化防止剤」を必要に応じて含有させる(含有させないことを含む。)とすることは,当業者であれば容易に想到し得ることである。
そして,重合防止剤の含有割合については,最適範囲を検討するのが常套手段であり,また,その含有割合を,重合を防止すべき単量体1部に対し10~1000ppm程度とすることも普通であるから(例えば,甲6参照。),アクリル酸エステルの重合防止剤として配合する刊行物2発明のニトロキシド化合物の含有割合について,実験等により最適範囲を検討し「0.001~0.1重量%」と特定することも格別困難なことではない。
本願発明の効果について検討すると,「臭気剤混合物を空気下で貯蔵する必要がない」という本願発明の利点(効果)は,刊行物2に「該ニトロキシドは酸素の存在下で安定であるが,酸素の補給が止まるならばニトロキシドの存在がアクリル酸の重合を防止する。」と記載されているように,重合防止に酸素の存在が必要でないことが明らかであるから,当業者が予測し得ないものということはできない。また他に,本願発明の効果について,本願明細書を精査しても,当業者が予測し得ない格別なものを見いだすことはできない。
第3原告主張の審決取消事由
1 取消事由1(本願発明と刊行物1発明の相違点の看過)
刊行物1の請求項1の構成要件は,「A)少なくとも2種の異なるアクリル酸-C1-C6-アルキルエステル;B)C1-C8-メルカプタン,C4-C12-チオフン,C2-C8-スルフィド又はC2-C8-ジスルフィドを含んでなる群からの少なくとも1種の化合物;C)ノルボルネン,C1-C5-カルボン酸,C1-C8-アルデヒド,C6-C14-フェノール,C7-C14-アニソール又はC4-C14-ピラジンを含んでなる群からの少なくとも1種の化合物; D)必要に応じて酸化防止剤を含有する混合物。」となるところ,上記のA)~C)は必須の構成要素であるが,D)の酸化防止剤は任意成分にすぎない。それにもかかわらず,審決は,刊行物1に記載された必須の構成要件である上記C)を本願発明が含んでいないことを相違点としておらず,相違点を看過した誤りがある。
2 取消事由2(容易想到性判断の誤り)
(1) アクリル酸エステルは重合し易い性質を持っており,貯蔵時や移送時に重合を防止すべきという課題があり,この課題はアクリル酸エステルに限らずアクリル酸においても同様であるという点は争うものでないが,審決が,この課題の解決手段として添加される重合防止剤はアクリル酸及びアクリル酸エステルに対していずれにも有効に機能する共通の手段となることは技術常識であるという判断をしたのは誤りである。すなわち,①「アクリル酸エステル」は付臭成分であるが,「アクリル酸」は付臭成分ではないところ,付臭組成物に関する刊行物1発明の当業者が,付臭成分ではない「アクリル酸」に関する刊行物2の分野の技術を調べ,検討することが技術常識であるとはいえず,付臭成分ではない「アクリル酸」の分野を当業者が調査,検討するインセンティブ(動機付け)がない。また,②刊行物1発明は「液化ガス」の技術分野に関するものであるが,刊行物2及び甲13~甲16は「ポリマーまたはその重合」の分野に関するもので,両者は技術分野が相違する。「液化ガス」の技術分野と「ポリマー」の分野は化学の分野であることは共通するが,一般には業界が異なり,解決すべき技術分野も相違するので,技術分野の相違を無視することはいわゆる「後知恵(ハインドサイ)」の危険を侵すことになる。さらに,③アクリル酸(CH2=CHCOOH)は不飽和二重結合の他にカルボキシル基(-COOH)を有するモノマーであるが,アクリル酸エステル(CH2=CHCOOR)はカルボキシル基を持たない不飽和二重結合のみを有するモノマーで,両者の特性は同じではない。そうすると,一般に,化合物の組合せが異なれば両者の化学反応性は違ったものになることからすれば,本願発明の成分ではない「アクリル酸」の本願発明組成物中での挙動を予測させる記載はどこにもない。
以上からすれば,刊行物1発明において,この課題の解決手段として添加される重合防止剤はアクリル酸及びアクリル酸エステルに対していずれにも有効に機能する共通の手段となることは技術常識であるとした審決の判断は理論的根拠がなく,誤りである。
(2) 「酸化防止剤」は酸化を防止する試薬で,その機能は,化合物の分解防止,着色(変色)防止等の化合物の酸化を防止することであるのに対し,「重合抑制剤」は重合を抑制する試薬で,モノマーの重合を防止する機能を有するものであり,「安定剤」として同じ機能を有するものとはいえない。
(3) 以上からすれば,刊行物1発明の混合物において,「アクリル酸エステルの重合を防止すべきという自明の課題を解決するために,アクリル酸エステルの重合防止剤として機能する刊行物2発明の『ニトロキシド化合物』を配合するとし,併せて,それと軌を一にする機能を持つ刊行物1発明の『酸化防止剤』を必要に応じて含有させる(含有させないことを含む)とすることは,当業者であれば容易に想到し得ることである。」とした審決の判断は誤りである。
3 取消事由3(本願発明の顕著な作用効果を看過した誤り)
本願発明の組成物は,化合物(I)と(II)の間に反応性がないために,単一の貯蔵タンク,単一の注入ポンプ,単一の注入ヘッドを用いるか注入ステーションで使用でき,装備が大幅に単純化されるという利点を有している。また,化合物(III)が存在することによって,極めて反応性の高い自然重合可能なモノマーであるアクリレートの重合が抑制され,自然重合性モノマーのアクリレートの重合が抑制されるという利点を有する。さらに,本願発明では,「天然ガスの注入用ステーションは一般に用いられている窒素下で用いることができる」という利点もある。
上記の記載は本願発明の効果を十分に記載したものであるから,「本願発明の効果を格別なものと評価することはできない。」とした審決の判断は誤りである。
第4被告の反論
1 取消事由1に対し
本願発明は,本願明細書(甲1,7)の請求項1に記載された事項により特定されるとおりの「下記(1)~(3)を含むガス燃料の臭気剤として使用される組成物:((1)~(3)は省略)」であり,(1)~(3)の成分のみからなる組成物と特定されるものではない。そして,本願発明は,刊行物1発明の「成分C)ノルボルネン及びAcPyr(2-アセチルピラジン)」,あるいは刊行物1にC)の化合物として記載された「ノルボルネン,C1-C5カルボン酸,C1-C8アルデヒド,C6-C14フェノール,C7-C14アニソール又はC4-C14ピラジンを含んでなる群からの少なくとも1種の化合物」を含まないことについて,何らの特定もしておらず,これを含まない旨の記載も,そのように解釈すべき合理的な理由もない。C)の化合物が「ガス燃料の臭気剤として使用される組成物」において使用できない等の重大な問題(阻害要因)があれば格別,C)の化合物も付臭成分として使用されるものであり,阻害要因となる根拠も見当たらないので,本願発明に係る組成物からC)の化合物の存在を排除すべき理由はない。
したがって,本願発明は,C)の化合物を含む組成物を排除しておらず,C)の化合物を含む組成物も包含していると解することが妥当といえる。
よって,本願発明にC)が含まれないことを前提とする原告の主張は,本願発明の特定事項に基づかない誤った前提に立脚するものであり,失当である。
2 取消事由2に対し
(1) 本願明細書(甲1,7)で従来技術を説明するために引用された乙1の文献(特開昭55-137190号公報)には,燃料ガス用付臭剤として公知のアクリル酸エチルについて,「周知のごとくアクリル酸エチルはポリマー製造の原料でもあるので取扱いに十分注意しないと貯蔵中に一部が重合を起して変質する恐れがあり付臭添加装置の配管等の閉塞トラブルを惹起する。特に液状のアクリル酸エチルは他の成分が存在するとそれがイニシエーターとなって重合を起こし易くなる。このためアクリル酸エチル溶液には重合禁止剤が添加されている。」(ここで,アクリル酸エチルはアクリル酸エステルの一種である。)と記載されていることからみて,ガス燃料の臭気剤の技術分野の当業者は,付臭剤として使用されるアクリル酸エステルは重合し易い性質を持っており,貯蔵時や移送時に重合を防止すべきという課題を有しており,この課題は重合禁止剤(重合防止剤)の添加により解決されていたことを理解していたものと解される。そして,上記の点を踏まえれば,刊行物1に接した当業者は,刊行物1発明のアクリル酸エステルは重合し易い性質を持っており,貯蔵時や移送時に重合を防止すべきという課題を認識し,その課題に対して,何らかの解決手段を適用しようとするはずである。つまり,刊行物1発明において,付臭成分のアクリル酸エステルの重合を防止しようという動機は,本願発明の優先権主張日当時においては当業者にとって自明であったといえる。
そして,刊行物2発明の「ニトロキシド化合物」は,アクリル酸単量体を安定化し,重合を防止できるものであり,アクリル酸の重合防止という課題をニトロキシド化合物という重合防止剤の添加という手段で解決するものである。このニトロキシド化合物という重合防止剤は,アクリル酸に対しても,アクリル酸エステルに対しても,いずれにも有効に機能する共通の手段となることは,本願の優先権主張日当時における技術常識であるといえる。
そうすると,刊行物1発明におけるアクリル酸エステルの重合防止という当業者にとって自明の課題を解決するために,技術常識を踏まえて,刊行物2に記載された課題の解決手段を適用することは,当業者が容易になし得ることであるといえる。
以上のとおりであるから,刊行物2に示された課題の解決手段は,共通する課題を有する刊行物1発明に対し当業者が容易に適用できるといえ,原告の主張するような技術分野の相違の問題も存在しないことから,後知恵などではない。
(2) 審決の「刊行物2発明の『ニトロキシド化合物』が有する,アクリル酸の重合防止という機能は,刊行物1発明の『混合物』に含まれる『酸化防止剤』が有する,保存安定性を向上させる…という機能と,安定性の向上という点で軌を一にするものであり」との記述は,刊行物1発明に「酸化防止剤」が配合される目的は安定性の向上であると認められ,この安定性の向上と刊行物2発明の「ニトロキシド化合物」の重合防止という機能とは,いずれも「安定性の向上」という観点からみれば軌を一にするものであることを単に述べたものにすぎない。
(3) 以上から,刊行物1発明の自明の課題を解決するために,アクリル酸の重合防止剤として機能する「ニトロキシド化合物」を配合することが容易想到であるとした審決の判断に誤りはない。
3 取消事由3に対し
原告の主張する,装備が単純化されるという効果は,「化合物(I)と(II)の間に反応性がない」ことから得られるものであるから,本願発明における「重合を抑制する化合物(III)」を使用することによる効果ではない。また,原告の主張するその余の効果は,いずれも,刊行物1発明の自明の課題を,刊行物2に記載された課題の解決手段を用いて解決したことにより,すなわち,アクリル酸エステルの重合が防止されたことにより,結果として自ずともたらされたものであり,同様に化合物(I)と(II)とを使用する刊行物1発明においても,当然もたらされている利点である。
したがって,原告が主張する本願発明の効果を格別なものと評価することはできない。
第5当裁判所の判断
1 本願発明について
本願明細書(甲1,7)によれば,本願発明につき以下のとおり認めることができる。
本願発明は,ガス燃料,特に無臭ガス燃料のための臭気剤に関するものであり,特に,ガス漏れが検知でき,ガス漏れによる爆発の危険を防止できる硫化アルキルとアルキルアクリレートとを含む組成物に関するものである(段落【0001】)。硫化アルキルは臭気剤として周知であるところ,これらの生成物は天然ガスの燃料中にある量の二酸化硫黄を発生させることから,生態圏に放出される二酸化硫黄の量をできるだけ低減させるとの課題があった(段落【0005】~【0007】)。また,ガス臭気剤としてアルキルアクリレートの使用も周知であったが,エチルアクリレートをtert-ブチルメルカプタンと組み合わせる従来例では,その2つの成分の化学反応性のために,別々のタンクに貯蔵しなければならず,別々の注入ポンプ及びヘッドを必要とすることからコストが増加するという課題があった(段落【0008】~【0010】)。そこで,本願発明は,臭気剤として硫化アルキルとアルキルアクリレートを併用したことにより(【請求項1】),硫化アルキルのみを臭気剤とする従来技術と比較して,大気中に放出される二酸化硫黄の量を減らすことができ,エチルアクリレートをtert-ブチルメルカプタンと組み合わせる従来の組成物と比較して,組成物をガスに注入するための複雑な装備が不要となるという効果を奏するものである(段落【0015】)。さらに,本願発明は,式(Ⅳ)で表されるニトロオキシド基を含有するので,極めて反応性の高いアルキルアクリレートの重合を抑制できるというものである(段落【0018】)。
2 刊行物1発明及び刊行物2発明について
(1) 刊行物1発明
刊行物1によれば,刊行物1発明について,以下のとおり認められる。
刊行物1発明は,液体ガスの付臭のために使用される,低い割合の硫黄化合物を含有するアクリル酸アルキルエステル混合物に関するものである(段落【0001】)。
刊行物1の請求項1に記載の混合物は,
A)少なくとも2種の異なるアクリル酸-C1-C6-アルキルエステル
B)C1-C8-メルカプタン,C4-C12-チオフェン,C2-C8-スルフィド又はC2-C8-ジスルフィドを含んでなる群からの少なくとも1種の化合物
C)ノルボルネン,C1-C5-カルボン酸,C1-C8-アルデヒド,C6-C14-フェノール,C7-C14-アニソール又はC4-C14-ピラジンを含んでなる群からの少なくとも1種の化合物
D)必要に応じて酸化防止剤を含有する混合物。
を含有するものである。
(2) 刊行物2発明
刊行物2によれば,刊行物2発明は,名称を「アクリル酸の安定法」とする発明であり,以下の必須の骨骼構造〔式中R1,R2,R3,R4は,アルキル基であり,R5及びR5は夫々が低級アルキル基であるか若しくはR5及びR5が一緒になつてヒドロキシル置換基を有し得る一つのジメチレン基又はトリメチレン基を形成する〕をもつニトロキシドをアクリル酸に添加することからなる,重合しないようにアクリル酸単量体を安定化する方法に関する発明である。
file_4.bmp刊行物2には,「そのようなニトロキシド化合物の適当な,且特別な一例は2,2,6,6-テトラメチル-4-ヒドロキシ-ピペリジン-1-オキシルである。」と記載されており,添加剤として,同物質を使用した実施例と比較例が記載されている。
3 取消事由1(本願発明と刊行物1発明の相違点の看過)について
原告は,刊行物1発明は,刊行物1に記載された構成要件である上記A)~D)の成分のうち,A)~C)の3つの成分を組み合わせた液体ガスの付臭用混合物を提供するというものであり,この3つの成分は必ず含むべきところ,刊行物1発明における「成分C)(3.3重量%のノルボルネン及び5重量%のAcPyr)」を本願発明と刊行物1発明の相違点として認定しなかった点を審決の取消事由と主張するものと解される。
そこで,検討するに,本願明細書(甲1,7)の請求項1には,「下記(1)~(3)を含(む1)ガ~ス(3)燃の料成の分臭に気限剤定とさしれてた使組用成さ物れでるあ組る成旨物の」記と載記は載なさいれかるらの,(み1)~で(あ3)以り外,のこ成れ分らが含まれることは排除されていないものと解される。また,本願明細書(甲1,7)の発明の詳細な説明を見ても,本願発明が(1)~(3)の成分のみからなる組成物であることは記載されておらず,そのように解すべき合理的根拠もない。したがって,本願発明に成分C)が添加されたものも本願発明として排除されるものではないから,このような本願発明と成分C)を含む刊行物1発明とは,成分C)の含有の有無において相違するということはできず,この点は両発明の相違点とはならない。
よって,審決に本願発明と刊行物1発明の相違点を看過した違法はない。取消事由1には理由がない。
4 取消事由2(容易想到性判断の誤り)について
(1) 原告は,アクリル酸エステルは,重合し易い性質を持っており,貯蔵時や移送時に重合を防止すべきという課題があること,及び,当該課題は,アクリル酸エステルに限らずアクリル酸においても同様であること自体は争わないとし,「当該課題の解決手段として添加される重合防止剤は,アクリル酸に対しても,アクリル酸エチルやアクリル酸メチルのようなアクリル酸エステルに対しても,いずれにも有効に機能する共通の手段となることは,本願の優先権主張日当時における技術常識である」との審決の判断に誤りがあると主張する。
(2) 審決が,技術常識の根拠として挙げた甲13~16の刊行物(甲13:特開2000-103763号公報,甲14:特開2001-247491号公報,甲15:特開平10-175912号公報,甲16:特開平04-233905号公報)には,以下の記載がある。
ア 甲13
「発明の名称『ビニル化合物の重合防止方法』」
「【発明の属する技術分野】 本発明はビニル化合物の重合防止方法に関し,さらに詳しくは例えば(メタ)アクリル酸やそのエステルなどを貯蔵,または移送,或いは製造する際に,重合を効果的に防止する方法に関する。」(段落【0001】)
「【従来の技術】 (メタ)アクリル酸(アクリル酸またはメタクリル酸)やそのエステル…などのビニル化合物はビニル結合の存在に起因して重合し易い性質を持っている。その為,その貯蔵,または移送,或いは製造時における重合を防止する手段として種々の重合防止剤を配合することが提案されている。」(段落【0002】)
「【発明の実施の形態】 本発明者らの研究によれば,重合防止剤としてN-オキシル化合物を用いてビニル化合物の重合を防止する際に,N-オキシル化合物とともに特定量の水を共存させると,ビニル化合物の重合をより効果的に防止できることがわかった。…本発明の方法は,(メタ)アクリル酸およびそのエステルの安定化及び重合防止…に好適に用いられる。」(段落【0022】,【0024】)
「実施例5 表2に示す量の水を添加したアクリル酸にアクリル酸100重量部に対し4H-TEMPO(裁判所注:4-ヒドロキシ-2,2,6,6-テトラメチルピペリジノオキシル)を0.001重量部溶解させた溶液5mlを試験管に入れ,80℃に保ったオイルバスに浸漬して,粘度が上昇するまでの時間を測定して重合開始時間とした。結果を表2に示す。
file_5.bmp注:水添加量はアクリル酸100重量部に対する値。
表2に示すように,水の添加量がアクリル酸100重量部に対し20重量部以下の場合(No.1~3),その重合開始時間は300時間以上の値が得られたが,水の添加量が20重量部を超える場合(No.4および5),重合開始時間は150時間未満であった。…
本発明の重合防止方法を採用することによって,従来よりも重合誘導期間を長くすることが可能となり,より効果的に重合防止を図ることができる。」(段落【0062】~【0066】)
イ 甲14
「発明の名称『ビニル化合物の重合抑制方法』」
【発明の属する技術分野】 ビニル化合物の製造,精製,貯蔵,輸送工程において,該ビニル化合物の重合を抑制することにより工程内での重合物の堆積を抑制し,かつ該ビニル化合物を長期間安定に保持できるようにする方法を提供するものである。」(段落【0001】)
「【従来の技術】 アクリル酸,アクリル酸エステル,メタクリル酸,メタクリル酸エステル…などのビニル化合物は,その製造,精製,貯蔵,輸送工程で熱,過酸化物,金属イオンなどが作用してラジカル重合し易く,蒸留塔,反応塔,…熱交換器,配管等関連装置内に重合物が堆積する。これら重合物が堆積すると熱の伝導が悪くなったり,管内の流れが悪くなるなど操業上大きな支障を来す事になる。」(段落【0002】)
「【課題を解決する手段】 本発明者らはビニル化合物の重合反応の特性を詳しく研究した結果,立体障害基を有するN-オキシル化合物と,立体障害基を有するN-ヒドロキシピペリジン化合物,および立体障害基を有するピペリジン化合物を組み合わせることにより,立体障害基を有するN-オキシル化合物のもつ初期の重合抑制効果を維持しつつ,かつ相乗効果が発揮され,長時間に亙って重合抑制効果が持続する事を見出し本発明をなすに至った。」(段落【0006】)
「【発明の実施の形態】 以下,本発明について詳細に説明する。本発明のビニル化合物は…アクリル酸,アクリル酸エステル,メタクリル酸エステル…などである。アクリル酸エステル,メタクリル酸エステルにおけるエステル成分は,メチル,エチル…などの低級炭化水素基である。」(段落【0008】)
「〔実施例1〕(アクリル酸の重合抑制)
10mLアンプル管に所定量の重合抑制剤を溶解したアクリル酸モノマー5mLを入れ,減圧下氷冷してアクリル酸モノマーを完全に固化した後,減圧下にアンプル管を封じた。このアンプル管を100℃のオイルバスに浸漬し,アンプル内のアクリル酸モノマーが白濁するまでの時間を目視で観察し,これを重合開始時間として記録した。アクリル酸モノマーは,予め蒸留してモノマー中に含まれる重合抑制剤を除いてから試験に供した。本試験では重合抑制の効果を短時間で見るため重合抑制剤は実際に用いる量より少なく用いている。
得られた結果を表1に示した。【表1】(略)
以上の結果から,本発明の2,2,6,6-テトラメチル-1-オキシル-ピペリジン類,2,2,6,6-テトラメチル-1-ヒドロキシ-ピペリジン類,および2,2,6,6-テトラメチルピペリジン類を組み合せてビニル化合物モノマー中に添加することにより,それぞれ単独または2成分の組み合わせよりもビニル化合物の重合抑制効果が優れている事が分る。特に,2,2,6,6-テトラメチル-1-オキシル-ピペリジン類は初期の重合をよく抑制し,これに本発明の組み合わせによって,相乗効果が発揮され,長時間に亙って重合抑制効果が持続する事が了解される。」(段落【0018】,【0019】,【0022】)
ウ 甲15
「発明の名称『(メタ)アクリル酸及びそのエステルの重合防止方法』」
「【発明の属する技術分野】 本発明は,アクリル酸及びメタクリル酸(以下,両者を(メタ)アクリル酸と総称する。)並びにそれらのエステルの重合防止方法…に係わるものである。」(段落【0001】)
「【従来の技術】 (メタ)アクリル酸及びそのエステルは有機高分子材料や各種有機素材の原料として広く利用されているが,近年その利用分野が拡大するにつれてより純度の高い製品が求められるようになってきた。ところで,(メタ)アクリル酸及びそのエステルは光や熱によって自然重合し易い性質を持つているため,その保存中や製造時において重合が生起するのを防止するために種々の重合防止剤を使用することが提案されて来ている。」(段落【0002】)
「【課題を解決するための手段】 …本発明は,重合防止剤として,一般式(1)で示されるN-オキシル化合物及びコバルト化合物を併用することよりなる(メタ)アクリル酸及びそのエステルの重合防止方法に存する。」(段落【0006】),
「【発明の実施の態様】 以下,本発明の実施の態様について詳細に説明する。本発明方法により重合防止する対象は(メタ)アクリル酸及びそのエステルであるが,その(メタ)アクリル酸エステルとしては,(メタ)アクリル酸のメチル,エチル,…等のアルキルエステルが挙げられ…」(段落【0009】)
「実施例1 …充填塔を用いてアクリル酸水溶液の共沸分離を行った。供給原料としては,プロピレンの気相接触酸化反応によって得られた粗製アクリル酸を水で吸収した組成からなる水溶液をモデル的に調製したものを用いた。この水溶液組成は,アクリル酸51.5重量%,酢酸2.5重量%,水46.0重量%とし,この溶液に2,2,6,6-テトラメチルピペリジン-1-オキシル及び酢酸第一コバルトをそれぞれアクリル酸に対し150ppm及び100ppm添加した。
この原料水溶液を充填塔の供給管より…供給した。また,共沸剤としてトルエンを用いて還流液として循環させながら蒸留を行った。操作条件は,塔底温度90℃,塔頂温度50℃,塔頂圧力180Torrで行った。また,空気を塔底部より…供給した。定常状態での塔底抜き出し液の組成は,アクリル酸89.7%,酢酸3.7%,水0.3%,トルエン6.3%であった。8時間の運転時間において塔内でポリマーは全く発生しなかった。」(段落【0018】~【0019】)
エ 甲16
「発明の名称『安定化した単量体組成物』
「【産業上の利用分野】 本発明は早期重合に対して安定化した単量体の組成物,特にエチレン性の不飽和単量体を含有する組成物に関する。」(段落【0001】)
「【従来の技術,発明が解決しようとする課題】 遊離基開始によって重合するエチレン性不飽和組成物は通常単量体と称する。それらは工業化学製品の主要部分を構成している。重合性の二重結合の存在と,過酸化物,光および/または温度からの,広い範囲での開始基の発生源の存在により,そのような単量体はそれらの製造,精製,貯蔵,輸送,調合,使用の間のさまざまな作業段階で好ましくないそして早すぎる(早期)重合を起こしやすくなる。そのような早期重合からの該単量体の保護が実際に重合が要求される段階まで必要となる。」(段落【0002】)
「【発明の効果】 本発明の成分(a)の単量体は,遊離基誘導重合をできる炭素-炭素二重結合を少なくとも一個有するもののいずれかである。このような単量体は商業的によく知られており,広範囲のいろいろな構造型を包含する。このような単量体の典型的な例は,…アクリル酸,メタクリル酸…のような不飽和酸;…メタクリル酸メチル,アクリル酸エチル,アクリル酸メチル…のようなアクリル酸アルキルおよびメタクリル酸アルキルのような不飽和エステル類…である。」(段落【0027】)
「実施例2
液相における抑制
メタクリル酸メチル単量体に試験添加剤1-[2-(メトキシカルボニル)エトキシ]-4-ベンジルオキシ-2,2,6,6-テトラメチルピペリジン(化合物H)の100ppmを加える。そこで安定化した単量体を視覚的に単量体の重合が観察されるまで密封瓶中80℃で保持する。重合が起こるまでの時間を時間(hr)単位で単量体重合抑制剤としている試験添加剤の効果の測定とする。安定化してないメタクリル酸メチルの重合は46時間後に起こるが,試験抑制剤を含むメタクリル酸メチルでは1425時間まで重合が観察されなかった。
実施例3
気相における抑制
重さが判っていて,還流冷却器と窒素注入管を備えた樹脂重合釜にアクリル酸…を加える。…アクリル酸の還流を起こさせるため重合釜とその内容物を150℃に加熱する。重合釜のより低い部位での固体重合体の非常に急速な形成のため重合釜とその内容物を20分だけ加熱後,冷却する。…重合釜は固体重合体の82.9グラムを含有していることがわかる。おそらく液相内の重合体の速やかな形成のため,気相領域における重合釜の壁には重合体は見られない。上述した手順に従って,重量の100ppmの2つの試験重合抑制剤を個々にアクリル酸に加え上述の手順を繰り返す。試験溶液を100分間還流し,…液相及び気相で形成された重合体の量を記録する。これらの結果を下の表に示す。
形成された重合体(グラム)
添加剤(100 ppm)
液相
気相
添加せず
82.9
--
化合物H
観察されず
52
化合物I
観察されず
92
(3) 以上のとおり,甲13~16は,重合防止剤を使用する重合防止技術に関するものであるところ,そこに記載されたいずれの発明についても,重合防止の対象としてアクリル酸及びアクリル酸エステルを含むものである。そして,上記のとおり,甲13~15ではいずれも,本願発明と同じ重合防止剤であるTEMPOが用いられており,アクリル酸に対してTEMPOを添加する実施例が示されている。また,アクリル酸及びメタクリル酸のような不飽和酸,並びにアクリル酸アルキル及びメタクリル酸アルキルのような不飽和エステルを重合に対する安定化の対象とする甲16において,TEMPOと構造類似の重合抑制剤である化合物H(1-[2-(メトキシカルボニル)エトキシ]-4-ベンジルオキシ-2,2,6,6-テトラメチルピペリジン)を使用した場合に,不飽和エステルの1種であるメタクリル酸メチル,不飽和酸の1種であるアクリル酸で,ともにその重合が抑制されたことが記載されており(実施例2及び3),このことからも,アルキル酸エステルとアルキル酸のいずれについても重合防止の効果を奏することが合理的に推認される。
また,アクリル酸エステルの重合は,化合物中のビニル結合の存在に起因するものであり,その化合物中にビニル結合を有するアクリル酸も当該ビニル結合に起因して重合し易いというものである。そして,アクリル酸エステルの重合を防止するということは,アクリル酸エステル中のビニル結合の重合を防止することであり,これは,アクリル酸中のビニル結合の重合を防止することとも共通する。すなわち,アクリル酸エステル及びアクリル酸は,いずれも,その化合物中にビニル結合を有する物質であり,このビニル結合に起因して重合し易い性質を有するものであることから,アクリル酸エステルの重合を防止する技術とアクリル酸の重合を防止する技術は共通するものである。これらのことは,上記の周知例において十分開示されているということができる。
以上からすれば,審決が,「アクリル酸エチルやアクリル酸メチルのようなアクリル酸エステルは,重合し易い性質を持っており,貯蔵時や移送時に重合を防止すべきという課題があること,及び,当該課題は,アクリル酸エステルに限らずアクリル酸においても同様であり,当該課題の解決手段として添加される重合防止剤は,アクリル酸に対しても,…アクリル酸エステルに対しても,いずれにも有効に機能する共通の手段となることは,本願の優先権主張日当時における技術常識である」とした判断に誤りはない。
そうすると,上記技術常識を踏まえれば,刊行物1発明におけるアクリル酸エステルの重合防止のために,アクリル酸及びアクリル酸エステルのいずれに対しても有効に機能する刊行物2記載の重合防止剤を適用することも,ガス付臭剤の技術分野における当業者において容易に想到することといえる。
そして,酸化防止剤は,刊行物1の明細書の請求項1に記載のとおり,「必要に応じて」入れるものであり,必須の成分ではなく,入れることも入れないことも当業者が適宜選択できるものであるから,審決の判断に誤りがあるということはできない。
(4) 原告は,アクリル酸エステルとアクリル酸は付臭成分であるか否かで相違するので,付臭成分を扱う当業者がアクリル酸についての技術を調査,検討する動機付けがないと主張する。しかし,前述したように,アクリル酸エステルの重合防止技術とアクリル酸の重合防止技術は共通するので,アクリル酸が付臭成分でないとしても,当業者は,アクリル酸エステルの重合防止技術の調査,検討の際に,アクリル酸の重合防止技術も調査,検討するであろうと認められるから,原告の主張は採用できない。
また,原告は,刊行物1は「液化ガス」の技術分野に関するものであるが,刊行物2及び甲13~甲16は「ポリマーまたはその重合」の分野に関するもので,両者は技術分野が相違するから,いわゆる「後知恵(ハインドサイ)」となる旨主張する。
そこで,検討するに,ガス付臭剤の技術分野における重合防止の課題に関し,本願明細書(甲1,7)の段落【0009】に記載された従来技術である【特許文献2】(特開昭55-137190号公報・乙1)に「本発明は燃料ガス用付臭剤として公知であるTBM(t-ブチル・メルカプタン)とアクリル酸エチル(以下EAと略す)の燃料ガスに対する付臭方法に関するものである。」(1頁左下欄下から10~7行),「しかしながら周知のごとくEAはポリマー製造の原料でもあるので取扱いに十分注意しないと貯蔵中に一部が重合を起して変質する恐れがあり付臭添加装置の配管等の閉塞トラブルを惹起する。特に液状のEAは他の成分が存在するとそれがイニシエーターとなって重合を起こし易くなる。このためEA溶液には重合禁止剤が添加されている。」(1頁右下欄10~16行)との記載があるところ,これによれば,ガス燃料の臭気剤の技術分野の当業者は,本願の優先権主張日当時において,付臭剤として使用されるアクリル酸エステルは重合し易く,貯蔵時や移送時に重合を防止すべきという課題があり,これを重合防止剤を添加することにより解決することを理解していたものいうことができる。また,貯蔵時や移送時にアクリル酸エステルの重合を防止するという課題は,アクリル酸エステルを重合させることなく使用する技術分野の全てに共通する事項であることから,刊行物1発明に含まれるアクリル酸エステルについて,その重合を防止する技術を調査しようとする場合,刊行物1発明の技術分野であるガス付臭剤の分野のみを限定的に調査するものではないことは明らかであって,当該技術課題の解決のために,ガス付臭剤に用いられる以外の重合防止剤に関する技術分野を調査することは,むしろ当然のことである。よって,原告の上記主張は採用できない。
さらに,原告は,「酸化防止剤」は酸化を防止する試薬で,その機能は,化合物の分解防止,着色(変色)防止等の化合物の酸化を防止することであるのに対し,「重合抑制剤」は重合を抑制する試薬で,モノマーの重合を防止する機能を有するものであり,「安定剤」として同じ機能を有するものとはいえないと主張する。しかし,審決は,酸化防止剤と重合抑制剤が同じ機能を有すると判断したものではなく,安定性の向上や保存安定性の向上という点においては「軌を一にする機能を持つ」旨を述べたにすぎないものであり,化合物の安定性や保存安定性の観点からは,審決の判断が誤りであるとまではいうことができない。また,この点が容易想到性の有無に影響を及ぼす事項であるともいえない。
(5) 以上からすれば,本願発明は,刊行物1発明及び刊行物2発明並びに技術常識に基づいて,当業者が容易に発明をすることができたもので,進歩性を欠くとした審決の判断に誤りはない。取消事由2には理由がない。
5 取消事由3(本願発明の顕著な作用効果を看過した誤り)について
原告は,本願明細書(甲1,7)には,①「この組成物は化合物(Ⅰ)と(Ⅱ)の間に反応性がないので,単一の貯蔵タンク,単一の注入ポンプ,単一の注入ヘッドを用いるか注入ステーションで使用でき,装備が大幅に単純化される。」(段落【0015】)と記載されており,本願発明は,「装備が大幅に単純化される」という利点を有し,②「本発明の組成物中に化合物(Ⅲ)が存在することによって,極めて反応性の高い自然重合可能なモノマーであるアクリレートの重合が抑制される。」(段落【0018】)と記載されており,本願発明は,「アクリレートの重合が抑制される」という利点を有し,また,③「式(Ⅳ)の抑制剤にはその他の抑制剤,例えばヒドロキノン類に属するラジカル重合抑制剤とは違って,臭気剤混合物を空気下で貯蔵する必要がないという利点がある。」(段落【0020】)と記載されており,式(Ⅳ)の抑制剤には,「天然ガスの注入用ステーションに普通に備えられた窒素下の貯蔵用タンクで用いることができる」という利点を有するところ,審決は本願発明の上記①ないし③の作用効果を看過したと主張する。
しかし,上記①の作用効果については,硫化アルキル(Ⅰ)及びアルキルアクリレート(Ⅱ)を含む組成物は,本願発明と刊行物1発明の一致点であることから,原告が主張する作用効果は刊行物1発明においても奏される効果である。したがって,原告が主張する効果を,本願発明特有の効果として,その進歩性の判断において参酌することはできない。
また,上記②の作用効果は,上記2で検討してきたところからすれば,当該構成から導かれる当然の効果であり,格別の作用効果であるということはできない。
さらに,上記③の作用効果について,原告が主張する「天然ガスの注入用ステーションに普通に備えられた窒素下の貯蔵用タンクで用いることができる」という利点は,「式(Ⅳ)の抑制剤には…臭気剤混合物を空気下で貯蔵する必要がないという利点」に基づくものであるところ,刊行物2の「該ニトロキシドは酸素の存在下で安定であるが,酸素の補給が止まるならばニトロキシドの存在がアクリル酸の重合を防止する。」(1頁2欄37行~2頁3欄2行)との記載に照らすと,当業者が予測し得ない効果ということはできない。取消事由3には理由がない。
第6結論
以上によれば,原告主張の取消事由はすべて理由がない。
よって,原告の請求を棄却することとして,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 清水節 裁判官 中村恭 裁判官 中武由紀)