知財高等裁判所 平成25年(行ケ)10063号 判決 2013年11月28日
原告
関西熱化学株式会社
訴訟代理人弁理士
植木久一
同
植木久彦
同
菅河忠志
被告
特許庁長官
指定代理人
星野紹英
同
小石真弓
同
瀬良聡機
同
山田和彦
主文
1 特許庁が不服2011-15352号事件について平成25年1月21日にした審決を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
事実及び理由
第1請求
主文と同じ。
第2事案の概要
1 特許庁における手続の経緯等
(1) 原告は,平成19年7月17日,名称を「コークス炉炭化室の診断方法」とする発明について原出願日を平成14年4月26日としてした特許出願(特願2002-126661号。国内優先権主張:平成13年10月9日。以下「原出願」という。)について分割出願をし(特願2007-186219号。以下「本件出願」という。),平成23年1月13日付け手続補正書により特許請求の範囲の請求項1及び2等について補正をしたが,平成23年4月14日付けで拒絶査定を受けたことから,同年7月15日,これに対する不服の審判を請求した(甲1の1~3,甲2,3の1~4,甲6,9,10)。
(2) 特許庁は,前記(1)の審判請求を不服2011-15352号事件として審理し,平成25年1月21日,「本件審判の請求は,成り立たない。」との審決(以下「本件審決」という。)をし,その謄本は,同年2月5日,原告に送達された。
(3) 原告は,平成25年3月5日,本件審決の取消しを求めて本件訴訟を提起した。
2 特許請求の範囲の記載
本件審決が審理の対象とした平成23年1月13日付け手続補正書による補正後の特許請求の範囲の請求項1ないし6は,以下のとおりである(以下,請求項1ないし6に係る発明をそれぞれ「本願発明1」などと,本願発明1ないし6をまとめて「本願発明」というほか,本願発明に係る明細書(甲3の3・4)を「本願明細書」という。)。
【請求項1】
炉壁間距離測定手段を用いて,コークス炉炭化室の任意の高さにおける長さ方向複数位置の炉壁間距離をコークス製造毎に測定することによって実測炉壁間距離変位線を求め,
前記実測炉壁間距離変位線に基づいてカーボン付着や欠損による炉壁表面の変位を均すことにより前記実測炉壁間距離の平準化変位線を求め,
前記平準化変位線と前記実測炉壁間距離変位線とによって囲まれた面積の総和をコークス製造毎に求め,
前記面積の総和の変化に基づいて,炉壁状態の変遷を診断することを特徴とするコークス炉炭化室の診断方法。
【請求項2】
前記平準化変位線と前記実測炉壁間距離変位線とによって囲まれた面積の総和がマイナスからプラスに変化してほぼ一定になった場合に,前記コークス炉炭化室の補修時期と判定する請求項1に記載の診断方法。
【請求項3】
前記診断の結果に基づいて,炉壁の補修必要箇所を判定する請求項1に記載の診断方法。
【請求項4】
前記診断の結果に基づいて,炉壁の補修方法を判定する請求項1に記載の診断方法。
【請求項5】
前記診断の結果に基づいて,炉壁の補修時期を判定する請求項1に記載の診断方法。
【請求項6】
前記炉壁間距離測定手段は,プッシャービームに設置され,炉壁に向かってレーザー光線を照射し,炉壁からの反射レーザー光線を採取して,その反射時間差を前記実測炉壁間距離に変換するものである請求項1~5のいずれか一項に記載の診断方法。
3 本件審決の理由の要旨
本件審決の理由は,別紙審決書(写し)のとおりである。要するに,本願発明1において,実測炉壁間距離の平準化変位線を求めるために行う「カーボン付着や欠損による炉壁表面の変位を均す」との記載は明確であるとはいえないから,特許請求の範囲の記載が特許法36条6項2号に適合せず,同条項に規定する要件を満たしていないため,同法49条4号に該当し,拒絶をすべきものである,というものである。
4 取消事由
明確性要件(特許法36条6項2号)の判断の誤り
第3取消事由についての当事者の主張
〔原告の主張〕
1 本件審決は,以下の(1)ないし(5)のとおり認定して,本願発明1には「前記実測炉壁間距離変位線に基づいてカーボン付着や欠損による炉壁表面の変位を均すことにより前記実測炉壁間距離の平準化変位線を求め」と記載されているが,実測炉壁間距離の平準化変位線を求めるために行う「カーボン付着や欠損による炉壁表面の変位を均す」ことがどのようなことを行うことを意味するのか一義的に特定することはできないから,本願発明1の記載は明確であるとはいえないとして,本件特許の特許請求の範囲の記載は特許法36条6項2号に適合しない旨判断した。
(1) 平準化変位線を求める際の方法や基本的な指標等が示されていない状況にあっては,平準化変位線は一義的に決まるものではなく,多数の可能性があり得るものとなるから,そのいずれを平準化変位線とするべきなのかが明らかとはいえない。
(2) さらに,本願発明1では,この平準化変位線に基づいて,実測炉壁間距離変位線とによって囲まれる面積を算出して,それにより炉壁の状態を診断するというものであり,そのような診断の基準となる線であるから,この平準化変位線の求め方が,本願発明に係る診断方法の信頼性を大きく左右する核心的な主要部といえ,このような平準化変位線の求め方が明確にされていないというのは,技術思想たる発明の内容が明確にされていないというべきである。
(3) 本願明細書の【図4】によれば,「急激な変位部分(でこぼこ)をなくして平ら」にされたはずの平準化変位線が直線(平ら)ではなくでこぼこ状になっており,やはり「前記実測炉壁間距離変位線における前記表面変位に相当する変位部分を均す」ことがどのようなことを意味するのか明らかでない。また,実測炉壁間距離変位線が本願明細書の【図4】のようにほとんどの点が上下何れかにずれていて,変位がない部分が一見して明らかとはいえない場合には,凸部と凹部の境界が不明となり,平準化変位線を一義的に定めることができない。
(4) 本願発明1において,平準化変位線は炉壁状態の変遷を診断するために必要な「前記平準化変位線と前記実測炉壁間距離変位線とによって囲まれた面積の総和」に影響を与えるものであるし,前記で指摘したように,平準化変位線の求め方は本願発明に係る診断方法の信頼性を大きく左右する核心的な主要部といえる。また,平準化変位線に関する具体的な均し方によって平準化変位線は大きく影響を受けるものと認められるから,どのようにして平準化変位線を求めるかはコークス炉炭化室の診断結果に大きく影響を与える。したがって,原告の「本願発明の課題は,炉壁間距離変位線を均すことによって求まる平準化変位線と実測炉壁間距離変位線とに基づいて十分に達成することができるものであり,平準化変位線に関する具体的な均し方で本願発明が左右されるものでもありません。」との主張は採用することができない。
(5) 本願発明1において,「カーボン付着や欠損による炉壁表面の変位を均す」ことは「実測炉壁間距離の平準化変位線」を求めるために不可欠な構成要件であるにもかかわらず,それがどのようなことを意味するのか明らかでないことは前記のとおりであり,それを明確に特定することができなければ炉壁状態の変遷の診断もできないことになるから,「発明の課題が達成される程度に明確」であるとはいえない。
2 本件審決の前記1(1)及び(3)の認定は,要するに,平準化変位線は一義的に決まるものではなく,多数の可能性があり得るから,本願発明が明確ではない,というものである。
(1) しかし,特許請求の範囲に記載される技術思想たる発明は,1点の実施態様のみを含むものではないから,「平準化変位線には多数の可能性があり得る」ことは極めて当然のことであり,そのこと自体を理由とする本件審決は,「発明が明確」であれば足りるとする特許法36条6項2号の解釈を誤ったものである。
また,「均す」も「平準」も一般的用語であり,「均す」の意味は,ならし操作の後において,ならし操作の前よりも高低差が少ない状態になっていれば「均す」に該当するものと解釈することができ,また,このように解釈しても第三者に不測の不利益を与えるものではない。さらに,「均す」或いは「平準化」は,特許掲載公報の特許請求の範囲において多数の使用例がみられるように,明確性のある技術的用語としてこれまで認められてきている。
以上のように本願発明における「均す」の意味は明確であり,これを,「多数の可能性があり得るから,本願発明が明確ではない」とした本件審決の判断は誤りである。
(2) 被告は,平準化変位線を求める際の方法や基本的な指標等が示されていない状況にあっては,単に「カーボン付着や欠損による炉壁表面の変位を均す」と記載しただけでは,本件出願当時の技術常識を考慮しても,具体的にどのような方法,指標・指針・考え方に基づいて行われるのかが明らかではなく,技術的に十分に特定されているということはできない旨主張する。
しかし,特定の方法や指標を発明特定事項として請求項に付け加えることにより発明をより限定的なものにするかどうかは,特許出願人(原告)において定めるべきことであり(特許法36条5項),これを限定しないことにより発明の範囲が広いことと,発明が不明確であることとは全く関係がなく,被告の上記主張には理由がない。
3 本件審決の前記1(2),(4)及び(5)の認定は,要するに,どのようにして平準化変位線を求めるかはコークス炉炭化室の診断結果に大きく影響を与えるから,平準化変位線は「発明の課題が達成される程度に明確」であるとはいえない,というものである。
(1) しかし,実際のコークス炉炭化室の診断においては,平準化変位線に関する具体的な均し方によってコークス炉炭化室の診断結果に大きく影響を与えるものではない。例えば,甲24(計算報告書)において,実操業のコークス炉から得た実測炉壁間距離変位線に基づき,移動平均法により,平準化方法の異なる8通りの方法により様々な平準化変位線を求め,各平準化変位線に基づき,コークス製造サイクル回数の増加に伴う平準化変位線と実測炉壁間距離変位線とによって囲まれた部分の面積総和の変化を示したグラフを作成しているが,これをみても,いずれも製造回数が1回目~65回目付近にかけて,面積の総和が順次増加傾向を示すという変遷が把握され,また変遷の傾向も,製造回数が1回目~65回目付近にかけて面積の総和が約100,000m㎡程度増加し,その後はほぼ飽和傾向にあるという同様の診断結果が得られ,平準化変位線に関する具体的な均し方の違いによって平準化変位線は大きく影響を受けるものではないことが分かる。すなわち,実測炉壁間距離変位線を均すことによって平準化された平準化変位線を用いることにより炉壁状態の変遷を診断するという本願発明の課題が解決されることは明らかである。そうすると,本願発明の「均す」は「炉壁状態の変遷を診断する」という発明の課題ないし目的が達成できる程度に明確であるといえる。
したがって,本件審決の判断は誤りである。
(2) 被告は,甲24(計算報告書)記載の平準化変位線は,2種類の変位を分離することなく平準化したものであって,本願発明1の「カーボン付着や欠損による炉壁表面の変位を均す」には該当しない方法により求められたものであるばかりでなく,そのような2種類の変位を分離することなく求められた「平準化線」を用いた診断方法では,本願明細書記載の本願発明の目的を達成できない上,原告自らが本件出願の審査過程及び原出願の審査過程で主張したこと(甲8,乙2)を踏まえると,甲24を根拠に,「本願発明の平準化変位線は,発明の課題が達成される程度に明確である」とすることはできない旨主張する。
しかし,本件訴訟においては,あくまでも本願発明1の特許請求の範囲に記載された事項である「平準化変位線と実測炉壁間距離変位線とによって囲まれた面積の総和をコークス製造毎に求め」との記載に基づいて議論すべきであり,原出願(甲2)の請求項1に記載された発明特定事項である「実測炉壁間距離変位線と平準化変位線とを比較し,および/または,炭化室長さ方向の設計炉壁間距離変位線と平準化変位線とを比較する」との記載を基に,「カーボン付着や欠損による変位を均す」の技術的意義を議論する被告の主張は失当である。
この点をおいても,甲24において,実測炉壁間距離変位線を単純に算術的処理のみにより平準化する方法によって平準化変位線を求めた時点では,「カーボン付着や欠損による炉壁表面による変位」と「炉壁自体の移動や変形による変位」を分離できるわけではなく,「平準化変位線と実測炉壁間距離変位線とによって囲まれた面積の総和を求めること」により,「炉壁自体の移動や変形による変位」が分離(除外)された形で,炉壁状態の変遷を診断することができる。これは,本願発明1において,「平準化変位線と実測炉壁間距離変位線とによって囲まれた面積の総和を求める」ことの中には,実測炉壁間距離変位線から平準化変位線を差し引くこと,すなわち「実測炉壁間距離変位線と平準化変位線とを比較する」ことが含まれているため,「炉壁自体の移動や変形による変位」が分離(除外)された形で,炉壁状態の変遷を診断することができるのである。したがって,甲24の診断方法では,2種類の変位の分離ができない旨の被告の主張は,技術的な理解を誤ったものである。そして,「実測炉壁間距離変位線」には,「カーボン付着や欠損などの炉壁表面の変化による変位」と「炉壁自体の移動や変形による変位」の両者が内在するのであるから,両者を区別することなくそのまま一緒に「均す」ことも,本願発明1の「カーボン付着や欠損による炉壁表面の変位を均す」に該当し,さらに,それにより得られた「平準化線」も,本願明細書の段落【0011】において,「平準化変位線とは,カーボン付着や炉壁の欠損などによる炉壁の変位を均すことによって,前記実測距離変位線を平準化(スムーズ化)した変位線」と定義された「平準化変位線」に該当する。
なお,本件出願の審査過程において提出した意見書(甲8)は,本願明細書の段落【0011】の平準化変位線の定義を踏まえたものであって,カーボン付着や炉壁の欠損による炉壁の変位を均すことに関して誤りはない。また,原出願の審査過程において提出した意見書(乙2)は,本件出願とは別出願である原出願におけるものであるが,原出願と本件出願に係る各発明とでは,原出願においては,実測炉壁間距離変位線と平準化変位線とを比較し,および/または,炭化室長さ方向の設計炉壁間距離変位線と平準化変位線とを比較するのに対して,本願発明では,平準化変位線と実測炉壁間距離変位線とによって囲まれた面積の総和をコークス製造毎に求めるのであり,平準化変位線の性質や使い方が異なる。このように,課題解決手段に対応するメカニズムが異なる以上,両者を同列に論じることはできない。
したがって,甲24で示された計算法は,本願発明1による計算法である。
また,本願発明1においては,例えば本願明細書の表3及び図9に示すように炉壁状態の変遷を定量的に診断することができ,また,表3及び図9の「面積の総和」は,「炉壁自体の移動や変形による変位が分離(除去)された正確なものである。
したがって,本願発明1の記載は明確であり,特許法36条6項2号に適合するから,本件審決は取り消されるべきである。
〔被告の主張〕
1 被告は,「均す」又は「平準化」の用語の意味自体の明確性を争うものではない。たとえ「均す」の用語の意味が明らかであるとしても,「カーボン付着や欠損による炉壁表面の変位を均す」なる記載全体については,その具体的な方法(操作)が明らかでなく,明確性を欠くとしたものである。
そして,本件審決による前記〔原告の主張〕の1(1)の認定についても,その記載全体を読めば,文言上も,「平準化変位線を求める際の方法や基本的な指標等が示されていない状況にあっては」との前提をおいた上での記載であって,単に「多数の可能性があり得る」こと自体を問題としているのではない。本願明細書の段落【0003】にあるように,炉壁の様々な劣化状態を詳細に観察することやその状態を特定する手段がなかったというこの分野における従来の状況を踏まえれば,「カーボン付着や欠損による炉壁表面の変位を均す」際の均し方の方法や基本的な指標等を何ら特定することなく,単に「カーボン付着や欠損による炉壁表面の変位を均す」と記載しただけでは,本件出願当時の技術常識を考慮しても,具体的にどのような方法,指標・指針・考え方に基づいて行われるのかが明らかではなく,技術的に十分に特定されているということはできない。
2 原告は,甲24(計算報告書)を根拠として,平準化変位線に関する具体的な均し方によって実際のコークス炉炭化室の診断結果に大きく影響を与えるものではなく,実測炉壁間距離変位線を均すことによって平準化された平準化変位線を用いることにより炉壁状態の変遷を診断するという本願発明の課題が解決されることは明らかであると主張する。
本願明細書の段落【0004】,【0019】及び【0020】によれば,本願発明は,「実測炉壁間距離変位線と前記平準化変位線とを比較することにより炉壁のカーボン付着や欠損などの炉壁表面の変化による変位が分かり,設計距離変位線と平準化変位線とを比較することにより,炉壁自体が移動・変形することによる炉幅の広狭化による変位がわかる」というものであって,「炉壁間距離の全体の変位をこれらの2種類の変位に分離」して診断することによって,本願発明の目的である「正確かつ定量的なコークス炉炭化室の診断方法を提供すること」を可能ならしめていると解されるものであるから,炉壁自体の移動や変形による変位を分離(除外)して,「カーボン付着や欠損による変位を均す」ことが,本願発明1の発明特定事項というべきものである。
しかるに,原告が提示した甲24で示されたような実測炉壁間距離変位線を単純に算術的処理のみにより平準化する方法によっては,「カーボン付着や欠損による炉壁表面の変位」と「炉壁自体の移動や変形による変位」との分離がされておらず,2種類の変位をそのまま一緒に平準化するものであるから,本願明細書及び本願発明1の「カーボン付着や欠損による炉壁表面の変位を均す」には該当しない方法である上,そのような方法により求められた「平準化線」を使用した診断方法では,本願明細書記載の本願発明の目的を到底達成し得ないから,甲24による診断方法は,本願発明1の一実施態様を説明したものとすることはできない。そして,原告自らが,本件出願の審査過程において「本願発明は,一般的な曲線を漠然と均す発明などではなく,…カーボンの付着や欠損…をその均す対象として明確に特定している」旨主張していたこと(甲8),及び原出願の審査過程において「単純移動平均処理をしてしまうことは,…2種類に分離して,定量かつ正確に炉壁状態を診断する本願発明の意図に合致するものではない」,「実測炉壁間距離変位線を単純移動平均処理して得られる『変位線』では,『実測距離変位線』または『設計距離変位線』とを比較したところで,どういう意味のデータが得られるのかも不明である」旨主張していたこと(乙2)を踏まえると,甲24を根拠として,本願発明の平準化変位線は発明の課題が達成される程度に明確であるとすることはできない。
第4当裁判所の判断
1 本願発明1について
(1) 本願発明の特許請求の範囲は,前記第2の2記載のとおりであるところ,本願明細書(甲3の3・4)には,概略,次の記載がある。
ア 技術分野
本発明はコークス炉炭化室の診断方法に関するものであり,より詳細には,炭化室の炉壁への炭化物(カーボン)付着や炉壁の欠損,炉壁の変形・移動などによる広狭化などの炉壁状態や,コークスの製造回数の増加に伴う炭化室炉壁の劣化・老朽化等の状態を診断する方法に関するものである。(【0001】)
イ 背景技術
コークス炉には,石炭を高温乾留するための炭化室と,前記炭化室を加熱するための燃焼室とが交互に配置され,コークスの製造は,原料となる石炭を前記炭化室内に充填し,約1,000℃の高温で20時間程度乾留した後,プッシャービームで生成コークスを前記炭化室から押し出すサイクルを繰り返すことにより行われる。前記炭化室は,室内に充填された石炭への熱伝導効率を高めるために,一般に幅約400~約500mm,長さ約15,000~約20,000mm,高さ約4,000~約7,000mmという狭幅の細長い空間であり,前記炭化室の炉壁は耐火煉瓦で構成されている。耐火煉瓦からなる炉壁であっても,上記過酷な条件の間欠的な連続操業によって,欠損箇所が生じたり,カーボンの付着が生じたりする。特に,原料となる石炭の充填や生成コークスの押出し時には,炉壁方向にも負荷(圧力)がかかるので,炭化室炉壁は,欠損,変形,移動を起こす。日本国内でのコークス炉の平均寿命は,約30年といわれているが,コークス炉を新たに設備投資するコストは近年極めて高額になっているので,新たな設備投資は,コークス製造コストを著しく押し上げることになるので好ましくない。そのため,現状のコークス炉を保守・点検することにより,その寿命をいかに延長できるかということが,コークス製造業界の重要な課題となっている。(【0002】)
ウ 発明が解決しようとする課題
コークス炉炭化室の炉壁の劣化状態としては,例えば,炉壁自体が移動や変形して炉幅に広狭が生じている場合,炉壁の煉瓦に欠損が生じて炉幅が広がっている場合,炉壁にカーボンが付着して炉幅が狭くなっている場合など様々である。従来の保守・点検方法は,生成コークスを押し出す時のプッシャービームの負荷電力値や目視観察の結果に基づいて行われているが,炭化室の劣化状態には,上述した様な様々な状態が認められるが,目視では炭化室内部の詳細を観察できない。また,電力値によっても,炭化室炉壁の状態を特定することはできない。そのため,従来の保守・点検方法は,炭化室炉壁の状態を正確かつ定量的に把握できるものではなかった。また,従来の保守・点検方法では,炭化室炉壁の状態を的確に把握できないので,不必要な補修によるコークス生産性の低下や不適切な補修方法による保守・点検コストの増大などの問題が懸念されていた。本発明は,上記事情に鑑みてなされたものであり,従来の保守・点検方法より正確かつ定量的なコークス炉炭化室の診断方法を提供することを目的とする。(【0003】)
エ 課題を解決するための手段
(ア) 上記課題を解決することのできた本発明とは,炉壁間距離測定手段を用いて,コークス炉炭化室の任意の高さにおける長さ方向複数位置の炉壁間距離を測定し,得られる実測炉壁間距離変位線に基づいて,実測炉壁間距離の平準化変位線を求めて,前記実測炉壁間距離変位線と前記平準化変位線とを比較し,および/または,炭化室長さ方向の設計炉壁間距離変位線と前記平準化変位線とを比較することにより,前記炭化室の炉壁状態を診断することを特徴とする。前記平準化変位線は,前記炉壁間距離の測定とともに,前記炉壁間距離測定手段に備えられた炉壁面観察デバイスを用いて,前記複数位置における炉壁面の表面変位を観察し,前記実測炉壁間距離変位線を均すことによって求めることが好ましい。前記実測炉壁間距離変位線と前記平準化変位線とを比較することにより炉壁のカーボン付着や欠損などの炉壁表面の変化による変位が分かり,前記炭化室長さ方向の設計炉壁間距離変位線と前記平準化変位線とを比較することにより,炉壁自体が移動・変形することによる炉幅の広狭化による変位がわかる。本発明によれば,炉壁間距離の全体の変位をこれらの2種類の変位に分離することによって,炭化室の炉壁状態を定量的に診断することができる。(【0004】)
(イ) また,本発明は,炉壁間距離測定手段を用いて,コークス炉炭化室の任意の高さにおける長さ方向複数位置の炉壁間距離をコークス製造毎に測定し,得られる実測炉壁間距離変位線に基づいて,実測炉壁間距離の平準化変位線を求め,さらに,前記平準化変位線と前記実測炉壁間距離変位線とによって囲まれた面積の総和を求めて,コークス製造回数の増加に伴う前記面積の総和の変化に基づいて前記炭化室炉壁状態の変遷を診断することを特徴とする。また,前記平準化変位線は,前記炉壁間距離の測定とともに,前記炉壁間距離測定手段に備えられた炉壁面観察デバイスを用いて,前記複数位置における炉壁面の表面変位を観察し,前記実測炉壁間距離変位線を均すことによって求めることが好ましい。前記面積の総和は,炭化室の任意高さにおける炉壁全体の表面状態の変位を指標するものであり,経時変化を検討することにより,炉壁の表面状態の変遷を定量的かつ適切に把握することができる。また,前記炉壁間距離測定手段とともに炉壁面観察デバイスを用いて,前記複数位置における炉壁表面状態の変位を観察して,前記実測炉壁間距離変位線から前記実測炉壁間距離変位線の平準化変位線を求めることが好ましい。(【0007】)
オ 発明の効果
発明のコークス炉の診断方法は,炉壁のカーボン付着や欠損というような炉壁表面状態による影響と,炉壁自身が移動・変形することによる炉幅の広狭化する影響とに分離して炉壁の状態について診断することができるので,従来のコークス炉の保守・点検方法より,定量性に優れる。また,炭化室の特定高さにおける炉壁全体の状態を指標する面積の総和という診断基準を用いることによって,炭化室の炉壁全体の状態について定量的に評価することができ,コークス炉に複数設置されている炭化室やコークス製造回数の異なる炭化室の劣化状態について相対的な評価をすることができる。また,これらの定量的な診断結果に基づけば,従来不確定であった補修必要箇所,補修の時期,補修方法等を適切に選択することができるので,最適補修を行うことにより,保守点検とコークス炉の炉命延長によるコークス製造コストを削減ができる。(【0009】)
カ 発明を実施するための最良の形態
(ア) 本発明のコークス炉炭化室の診断方法は,炉壁間距離測定手段を用いて,コークス炉炭化室の任意の高さにおける長さ方向複数位置の炉壁間距離を測定し,得られる実測炉壁間距離変位線(以下,「実測距離変位線」という。)に基づいて,実測炉壁間距離の平準化変位線を求めて,前記実測距離変位線と前記平準化変位線とを比較し,および/または,炭化室長さ方向の設計炉壁間距離変位線(以下,「設計距離変位線」という。)と前記平準化変位線とを比較することにより,前記炭化室の炉壁状態を診断することを特徴とする。ここで,実測距離変位線とは,炉壁間距離測定手段によって実際に測定された炉壁間距離について,炭化室の長さ方向にわたる前記距離の変位を示す線であり,平準化変位線とは,カーボンの付着や炉壁の欠損などによる炉壁表面の変位を均すことによって,前記実測距離変位線を平準化(スムーズ化)した変位線であり,炭化室長さ方向の設計距離変位線は,コークス炉設計時における炭化室炉壁間距離の炭化室長さ方向にわたる変位を示す線である。(【0011】)
(イ) 本発明では,前記炉壁測定手段として,耐熱性に優れるという点から,実用新案登録第3032354号公報に開示の測定装置を用いることが特に望ましい。前記測定装置は,耐熱ケーシング内に,電気で作動する炉壁間距離測定デバイス,炉壁面観察デバイスと,給電部と,測定値メモリーとを備えている。前記耐熱ケーシングは,好ましくはガイドフレーム及び断熱層(熱絶縁層)から構成され,前記断熱層は,さらにセラミックス繊維プレート層,僅かな熱伝導性を持つ微孔質の遮断プレート層,及び耐火領域からの高い使用温度を持つセラミックス繊維からなる層で構成されていることが好ましい。また,前記耐熱ケーシングは,断熱層を機械的な損傷から保護する目的で,最外部に耐熱性の多孔体層を有していてもよい。前記炉壁間距離測定デバイスとしては,レーザー三点センサが使用され,前記炉壁面観察デバイスとしては,ビデオカメラ,CCDカメラ,ファイバースコープなどを用いることが好ましい。また,前記測定装置は,冷却配管,出力ケーブルなどが不要であり,プッシャービームの任意の位置に設置することができる。前記測定装置は,例えば,炭化室内での任意高さにおいて炉長にわたって移動ができるように,プッシャービームに設置されて使用される(図1)。このように設置すれば,プッシャービームが生成コークスを押し出すのと同時に,前記炉壁間距離測定手段が炭化室の任意高さにおける炭化室長さ方向の炉壁間距離を測定することができる。(【0013】)
(ウ) 図2には,前記測定装置を用いた炉壁間距離の測定原理を概念的に示した。前記測定装置1は,プッシャービーム2に設置され,左右の炉壁3に向かってレーザー光線4を照射し,炉壁3からの反射レーザー光線5を採取して,その反射時間差を炉間距離に変換することにより,炉壁間距離を測定することを特徴とする。(【0014】)
(エ) 次に,炉壁の状態を診断する方法について説明する。本発明では,前記測定により得られる実測距離変位線に基づいて,実測炉壁間距離の平準化変位線を求めて,前記実測距離変位線と平準化変位線とを比較し,および/または平準化変位線と設計距離変位線とを比較することにより,炭化室の炉壁状態を診断する。(【0017】)
(オ) 前記平準化変位線は,前記炉壁間距離の測定とともに,前記炉壁間距離測定手段に備えられた炉壁面観察デバイスを用いて,前記複数位置における炉壁面の表面変位を観察し,前記実測距離変位線における前記表面変位に相当する変位部分を均すことによって求めることが好ましい。ここで,前記炉壁の表面変位とは,例えば,炉壁のカーボンの付着や欠損などによる炉壁表面の変位である。(【0018】)
(カ) 図4には,高さ6,500mm,幅420~480mm,長さ15,890mmの炭化室における高さ3,500mmの炉壁間距離を測定した結果を示した。実線(細)は実測距離変位線を,実線(太)は平準化変位線を,破線は設計距離変位線をそれぞれ示し,横軸は,炭化室長さ方向の距離(約16m,プッシャービーム側から測定し,測定開始点を0mとする)を示している。尚,前記炭化室の炉幅は,生成コークスの押出しが容易になる様に,プッシャービーム側(冷間設計値:420mm)より,コークス取出し側(冷間設計値:480mm)が広くなるように設計されている。前記実測距離変位線と平準化変位線との比較は,より具体的には,炭化室長さ方向同一位置における前記平準化変位線の距離と実測距離変位線の距離とを比較することによって行い,前記平準化変位線の距離から実測距離変位線の距離を差し引いた値がプラス(正)の位置では,炉壁間距離が短く,当該位置の炉壁にはカーボンが付着しているものと診断することができる。また,前記平準化変位線の距離から実測距離変位線の距離を差し引いた値がマイナス(負)の位置では,炉壁間距離が長く,当該位置の炉壁は欠損しているものと診断することができる。さらに,前記設計距離変位線から前記平準化変位線の距離を差し引いた値が,プラス(正)の位置では,炉壁自体の変形や移動によって炉幅が狭くなっていると診断することができ,差し引いた値がマイナス(負)の位置では炉壁自体の移動や変形により炉幅が広くなっていると診断することができる。(【0019】)
(キ) すなわち本発明によれば,前記平準化変位線と前記実測距離変位線とを比較し,および/または前記設計距離変位線と前記平準化変位線とを比較することにより,炉壁全体の変位を,カーボン付着や欠損などの炉壁表面の変化による変位と炉壁自体の移動や変形による変位とに分離することにより,炉壁の状態を定量的に診断することができる。(【0020】)
(ク) 図5は,コークス炉炭化室の任意高さにおける断面の概念図である。斜線部分7は,炭化室の炉壁が変形した後の炭化室内部の空間を断面図により概念的に表わしたものであり,破線8は設計時の炉壁の位置を示す。実測炉壁間距離9は,炭化室長さ方向の測定位置に応じて変動するので,各変位線の比較に基づく炉壁状態の診断は,炭化室炉壁の特定箇所(任意の高さ,炭化室長さ方向特定の距離)における炉壁状態についてなされるものである。しかし,任意高さにおける炭化室の水平方向の断面積を診断の基準として用いれば,任意の高さにおける炉壁全体の状態を診断することができる。(【0021】)
(ケ) そこで,本発明によれば,炭化室の水平方向断面積の変位量として,前記平準化変位線と前記実測距離変位線とによって囲まれた面積の総和,および/または,設計距離変位線と前記平準化変位線とによって囲まれた面積の総和を求めて,前記面積の総和に基づいて炭化室の炉壁の状態について診断することができる。前記平準化変位線と前記実測距離変位線とによって囲まれた面積の総和は,炉壁のカーボン付着や欠損などの炉壁表面の変化による変位を示す指標であり,前記設計距離変位線と前記平準化変位線とによって囲まれた面積の総和は,炉壁自体が移動・変形して炉幅が広狭化することによる変位を示す指標である。前記面積の総和は,任意の高さにおける炉壁全体の状態を正確かつ定量的に評価する基準として用いることができるので,この指標を用いれば,例えば,コークス炉に複数設置されている炭化室や,コークス製造回数の異なる炭化室の劣化・老朽化などの状態の相対評価が容易になる。(【0022】)
(コ) 図6には,前記平準化変位線10と前記実測距離変位線11とによって囲まれた面積(12,13)を,炭化室の任意の高さにおける水平方向断面図を用いて概念的に示した。前記面積の総和は,当該部分の面積すべての和で表され,前記面積の総和は,それぞれの部分の面積を,前記平準化変位線10の距離から前記実測距離変位線11の距離を差し引いた値がプラス(正)である場合には,当該面積13にプラス(正)の符号を付け,前記差し引いた値がマイナス(負)である場合には,当該面積12にマイナス(負)の符号を付けて,総和を求めればよい。そして,前記面積の総和がプラス(正)の場合には,任意高さにおける炉壁全体は,カーボン付着による影響が大きいものと診断することができ,前記面積の総和がマイナス(負)の場合には,炉壁の欠損による影響が大きいものと診断することができる。(【0023】)
(サ) さらに本発明によれば,炉壁間距離測定手段を用いて,コークス炉炭化室の任意の高さにおける炭化室長さ方向複数位置の炉壁間距離をコークス製造毎に測定し,得られる実測炉壁間距離変位線に基づいて,実測炉壁間距離の平準化変位線を求め,さらに,前記平準化変位線と前記実測距離変位線とによって囲まれた面積の総和を求めて,コークス製造回数の増加に伴う前記面積の総和の変化に基づいて,前記炭化室炉壁状態の変遷を診断することができる。前記面積の総和を経時的に比較することにより,炭化室炉壁状態の変遷の診断が容易になる。前記炉壁間距離の測定は,上述した様にコークス製造毎に行われ,コークス製造毎回毎に測定することが好ましいが,炉壁状態の変遷を診断できる程度に,例えば,コークス製造2~数回に1回の割合で測定しても良い。また,測定は,生成コークス押出し(排出)時に行われることが好ましいが,コークス製造前後に炉壁間の測定のみを別途行ってもよい。(【0034】)
(2) 本願発明1の特許請求の範囲及び前記(1)によれば,本願発明1は,コークス炉炭化室の炉壁への炭化物(カーボン)付着や炉壁の欠損,炉壁の変形・移動などによる広狭化などの炉壁状態や,コークスの製造回数の増加にともなう炭化室炉壁の劣化・老朽化等の状態を診断する方法に関するものであるところ(【0001】),従来の保守・点検方法は,生成コークスを押し出す時のプッシャービームの負荷電力値や目視観察の結果に基づいて行われているが,目視では炭化室内部の詳細を観察できず,また,電力値によっても,炭化室炉壁の状態を特定することができないため,炭化室炉壁の状態を正確かつ定量的に把握できるものではなかったことから,不必要な補修によるコークス生産性の低下や不適切な補修方法による保守・点検コストの増大などの問題が懸念されていたとの事情に鑑み,従来の保守・点検方法よりも正確かつ定量的なコークス炉炭化室の診断方法を提供することを目的として(【0003】),炉壁間距離測定手段を用いて,コークス炉炭化室の任意の高さにおける長さ方向複数位置の炉壁間距離をコークス製造毎に測定することによって実測炉壁間距離変位線を求め,この実測炉壁間距離変位線に基づいてカーボン付着や欠損による炉壁表面の変位を均すことにより上記実測炉壁間距離の平準化変位線を求め,さらに,平準化変位線と実測炉壁間距離変位線とによって囲まれた面積の総和をコークス製造毎に求め,この面積の総和の変化に基づいて,炉壁状態の変遷を診断することを特徴とするコークス炉炭化室の診断方法であり(請求項1),上記面積の総和は,炭化室の任意高さにおける炉壁のカーボン付着や欠損などの炉壁全体の表面状態の変位を指標するものであり,経時変化を検討することにより,炉壁の表面状態の変遷を定量的かつ適切に把握することができる(【0007】,【0022】)というものであることが認められる。
2 取消事由(明確性要件(特許法36条6項2号)の判断の誤り)について
(1) 本件審決は,本願発明1において,実測炉壁間距離の平準化変位線を求めるために行う「カーボン付着や欠損による炉壁表面の変位を均す」との記載は明確であるとはいえないから,特許請求の範囲の記載が特許法36条6項2号に適合せず,同条項に規定する要件を満たしていない旨判断し,被告も同旨の主張をする。
しかし,「均す」という言葉自体は「たいらにする。高低やでこぼこのないようにする。」と,「平準」という言葉自体も「物価の均一をはかって,でこぼこのないようにすること。」と一般に理解されており(岩波書店「広辞苑第6版」。甲12),また,いずれの言葉も多数の特許請求の範囲の記載で使用されている技術用語であること(甲13~23)は当事者間に争いがないことを考慮すれば,本願発明1における「平準化変位線」について,当業者は,実測炉壁間距離変位線に基づいて「カーボン付着や欠損による炉壁表面の変位」を「たいらにする。高低やでこぼこのないようにする。」ことによって求めるものであると認識し,かつ,本願発明1が,こうして求めた平準化変位線と実測炉壁間距離変位線とによって囲まれた面積の総和をコークス製造毎に求め,上記面積の総和の変化に基づいて,炉壁状態の変遷を診断するものであることを理解することができるから,本願発明1の「カーボン付着や欠損による炉壁表面の変位を均す」との記載の技術内容自体は明確である。
したがって,本願発明1の特許請求の範囲の記載は,特許を受けようとする発明が明確であるということができる。
(2) 被告は,この点について,本願明細書の段落【0003】にあるように,炉壁の様々な劣化状態を詳細に観察することやその状態を特定する手段がなかったというこの分野における従来の状況を踏まえれば,「カーボン付着や欠損による炉壁表面の変位を均す」際の均し方の方法や基本的な指標等を何ら特定することなく,単に「カーボン付着や欠損による炉壁表面の変位を均す」と記載しただけでは,本件出願当時の技術常識を考慮しても,具体的にどのような方法,指標・指針・考え方に基づいて行われるのかが明らかではなく,技術的に十分に特定されているということはできない旨主張する。
しかし,本願発明1の「カーボン付着や欠損による炉壁表面の変位を均す」との記載の技術内容自体は明確であり,本願発明1の特許請求の範囲の記載は,特許を受けようとする発明が明確であるということができることは,前記(1)のとおりである。
そして,「カーボン付着や欠損による炉壁表面の変位を均す」ための具体的な方法,指標・指針・考え方を発明特定事項としていないからといって,本願発明1が不明確となるものではない。発明の解決課題及びその解決手段,その他当業者が発明の技術上の意義を理解するために必要な事項(特許法施行規則24条の2)は,特許法36条4項の実施可能要件の適合性において考慮されるべきものであって,発明の明確性要件の問題ではないと解される。
したがって,被告の上記主張は採用することができない。
(3) さらに被告は,原告が提示した甲24(計算報告書)の実測炉壁間距離変位線を単純に算術的処理のみにより平準化する方法によっては,「カーボン付着や欠損による炉壁表面の変位」と「炉壁自体の移動や変形による変位」との分離がされておらず,2種類の変位をそのまま一緒に平準化するものであるから,本願発明1の「カーボン付着や欠損による炉壁表面の変位を均す」には該当しない方法であるばかりでなく,そのような2種類の変位を分離することなく求められた「平準化線」を用いた診断方法では,本願発明の目的を達成できない上,原告自らが本件出願の審査過程及び原出願の審査過程で主張したこと(甲8,乙2)を踏まえると,甲24を根拠に,「本願発明の平準化変位線は,発明の課題が達成される程度に明確である」とすることはできない旨主張する。
しかし,「カーボン付着や炉壁の欠損による炉壁の変位を均す」方法について,本願明細書には,段落【0018】に,「炉壁間距離測定手段に備えられた炉壁面観察デバイスを用いて,前記複数位置における炉壁面の表面変位を観察し,前記実測炉壁間距離変位線における前記表面変位に相当する変位部分を均す」との実施態様は記載されているものの,甲24(計算報告書)のように実測炉壁間距離変位線のデータを基に移動平均法による計算方法(算術的処理)によって平準化変位線を求めることについては何らの記載もない。このように本願明細書に何らの記載もない甲24の移動平均法による平準化変位線の計算方法が,本願発明1の平準化変位線の求め方に当たるか,あるいは本願発明1の課題解決手段となり得るかを議論しても,本願発明1の請求項中の「カーボン付着や炉壁の欠損による炉壁の変位を均す」との記載が明確か否かの判断に直接結び付くものではない。
また,甲24の移動平均法による平準化変位線の計算方法が,本願発明1の「カーボン付着や炉壁の欠損による炉壁の変位を均す」との構成要件を充足するか否かの判断いかんによって,本願発明1の「カーボン付着や炉壁の欠損による炉壁の変位を均す」との記載が明確か否かの判断が左右されるものではない。すなわち,本願発明1の「カーボン付着や炉壁の欠損による炉壁の変位を均す」との記載が明確か否かという問題と,甲24の移動平均法による平準化変位線の計算方法が,上記「カーボン付着や炉壁の欠損による炉壁の変位を均す」との構成要件を充足するか否かという問題とは別次元の問題である。
結局,甲24で示された計算方法が本願発明1による計算方法に当たるか否かを議論する被告の上記主張は,明確性要件の判断に直接結び付くものではないから,主張自体失当である。
(4) 小括
以上検討したところによれば,原告主張の取消事由には理由がある。
3 結論
よって,本件審決は取消しを免れないから,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 富田善範 裁判官 大鷹一郎 裁判官 田中芳樹)