知財高等裁判所 平成25年(行ケ)10093号 判決 2013年11月27日
原告
日本曹達株式会社
訴訟代理人弁理士
廣田雅紀
同
東海裕作
訴訟代理人弁護士
廣田逸平
被告
特許庁長官
指定代理人
木村敏康
同
井上雅博
同
瀬良聡機
同
堀内仁子
主文
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第1請求
特許庁が不服2011-2487号事件について平成25年2月18日にした審決を取り消す。
第2前提となる事実
1 特許庁における手続の経緯等
原告は,発明の名称を「マイコトキシンの生成抑制方法」とする発明について,2006年3月29日を国際出願日として,特許出願(特願2007-512796。優先権主張:2005年3月31日,日本。以下「本願」という。)をしたが,拒絶査定を受け,平成23年2月2日付けで不服審判請求(不服2011-2487号事件)をするとともに,同日付けで,特許請求の範囲の変更等を内容とする手続補正(以下「本件補正」という。)をした。これに対して,特許庁は,平成25年2月18日,審判請求は成り立たない旨の審決(以下「審決」という。)をし,その謄本は,同年3月5日,原告に送達された。
2 本件補正後の本願の請求項8に係る発明(以下「補正発明」という。)は,次のとおりである。
「チオファネートメチル剤の,菌類の防除効果とは相関せずに,収穫後の作物中のマイコトキシン含量を減少せしめるための使用。」
3 審決の概要
(1) 審決の理由は,別紙審決書写のとおりである。要するに,審決は,補正発明は甲2(農薬時代,2003年,第185号,31ないし34頁)に記載された発明(以下「引用発明」という。)であるか,そうでなくとも,引用発明に基づいて当業者が容易に発明することができ,さらには,補正発明に係る特許請求の範囲の記載はサポート要件(特許法36条6項1号の定める要件)を満たさないから,いずれにしても補正発明は独立特許要件(平成18年法律第55号による改正前の特許法17条の2第5項において準用する同法126条5項の定める要件)を満たさないとして,本件補正を却下し,本件補正による補正前の補正発明に対応する発明(本件補正による補正前の本願の請求項10に係る発明)も引用発明と同一であるか容易想到であるとした。
(2) 審決が認定した引用発明は,次のとおりである。
「小麦品種(チクゴイズミ)に,供試薬剤(トップジンM水和剤)を散布し,トップジンM水和剤処理区の発病穂率,発病度,及びマイコトキシン汚染量に低減効果が認められた調査。」についての発明
(3) 審決が認定した補正発明と引用発明との一致点及び(一応の)相違点は次のとおりである。
ア 一致点
「チオファネートメチル剤の,収穫後の作物中のマイコトキシン含量を減少せしめるための使用。」に関するものである点
イ 相違点
その使用が,補正発明においては「菌類の防除効果とは相関せずに」とされているのに対して,引用発明においては「発病穂率,発病度」にも低減効果(有意の減少)が認められたとされ,当該「菌類の防除効果とは相関せずに」という特定がされていない点
第3取消事由に係る当事者の主張
1 原告の主張
(1) 新規性判断の誤り(取消事由1)
甲2の記載によっても,他の証拠によっても,引用発明において「菌類の防除効果とは相関せずに」チオファネートメチル剤を使用していると認定することはできず,むしろ引用発明は,マイコトキシンを生産する菌の汚染度も低減しながらチオファネートメチル剤を使用するものと解すべきである。
補正発明と引用発明が同一のものであるとの審決の判断には誤りがある。
ア 「菌類の防除効果とは相関せずに」の意義について
(ア) 「相関関係」とは,国語辞典等によると,二つのものが密接に関わり合い,一方が変化すれば他方も変化することを意味する。したがって,「相関せずに」とは,二つのものが密接に関わり合わない関係にあることを意味する。
そうすると,補正発明の「菌類の防除効果とは相関せずに」とは,「収穫後の作物中のマイコトキシン含量の減少」という結果が,「菌類の防除効果」とは密接に関わり合わない関係にあるということである。ここに,「密接に関わり合わない関係」とは,従来は,マイコトキシンを産生する菌を防除すれば,防除前よりも作物中のマイコトキシン含量は減少すると考えられていた(甲2)ことに対して,そのような関係にないことを意味する。したがって,「菌類の防除効果と相関せずに」とは,「菌類の防除効果が得られない」場合,言い換えれば,「菌類の作物への汚染を減少せしめない」場合に限定される。
この解釈は,本願に係る明細書(図面を含む趣旨で用いる。甲6,甲9。)の段落[0009],[0026]ないし[0028]及び表1・図1の記載からも裏付けられる。また,チオファネートメチル剤が菌類の防除のために使用されることは技術常識であり,そのような技術水準の中で「防除効果と相関せずに」とすれば,殺菌効果がある場合を含むとは解されない。
被告は,「菌類の防除効果とは相関せずに」とは,「菌類の防除効果に関係なく」との趣旨であるとする。しかし,「菌類の防除効果に関係なく」との趣旨であるとすると,菌類の防除効果に相関する場合と菌類の防除効果に相関しない場合の双方を含むこととなり,「相関せずに」との文言に反する。
(イ) 本願において,「菌類」とは,「マイコトキシンを産生する菌類」又は「それを含む菌類」のことであり,かつ,チオファネートメチル剤の適用対象となる病害を引き起こす病原菌を指す。このことは,本願に係る明細書の段落[0005]・[0012]の記載にも現れている。
イ 補正発明と引用発明との具体的な実施態様が同じであるとする点について
審決は,補正発明と引用発明の間に「菌類の防除効果とは相関せずに」との点について相違点があるとしながらも,両者は,殺菌剤が「チオファネートメチル剤」である点,対象作物が「小麦」である点,及び用途・目的が「マイコトキシン含量を減少せしめる」という点で具体的な実施態様が同じであるから,引用発明においても,同様に,「菌類の防除効果と相関せずに」マイコトキシン含量を減少させるために「チオファネートメチル剤」が使用されているものと認定した。
しかし,「菌類の防除効果とは相関せず」(すなわち,「菌類の汚染を減少せしめることなく」)という点も,用途・目的として捉えられなければならないところ,引用発明には,「菌類の汚染を減少せしめることなく」マイコトキシン含量を減少せしめていると認定するに足りる記載はないのみならず,むしろ「菌類の汚染を減少せしめながら」マイコトキシン含量を減少せしめるものであると解されるから,審決のこの認定は誤っている。
すなわち,甲2には,トップジンM水和剤(チオファネートメチル剤)処理区の発病穂率,発病度が減少するとともに,マイコトキシン汚染量も低減することが記載されているのみで,マイコトキシンを産生する菌類の汚染度については記載されていない。むしろ,甲2の記載からは,引用発明においても,発病度及びマイコトキシン汚染量が減少するのであれば,マイコトキシンを生産する菌の汚染度も低減すると推定できる。
ウ 甲2ないし甲4の記載に基づいて,引用発明においてもチオファネートメチルを「菌類の防除効果と相関せずに」使用していると解することができるとする点について
審決は,補足的に,甲2,甲3(文献A)及び甲4(文献B)の記載に基づいて,引用発明においてもチオファネートメチルを「菌類の防除効果と相関せずに」使用していると解することができるとする。
しかし,審決が指摘する甲3の「発病がきわめて低く抑えられたにもかかわらず,F粒率は高くマイコトキシンによる汚染も起こった」との記載は,発病率が低減し,F粒率(Fusarium汚染粒率)が高いだけでなく,マイコトキシン汚染も起こっているケースであり,F粒率(すなわち菌類の汚染度)とマイコトキシン汚染とが正の相関をしているのであって,補正発明とは逆のケースであるから,そもそも当該文献の記載を引用することには意味がない。
また,審決が引用する甲2の赤カビ病の発生がない場合に,トップジンM(チオファネートメチル剤)を使用するとマイコトキシンが減少した旨の記載は,菌類の防除効果に触れられていないだけであって,菌類の防除効果がないとは記載されていないから,当該記載を根拠に菌類の防除効果とマイコトキシン汚染量との相互関係を考慮したものでないとの認定はできないし,当該記載は,甲3を引用した部分であり,引用先にはFusarium菌類の汚染度とマイコトキシン汚染度が正の相関をしているケースが記載されている。
さらに,審決は,甲2では菌類の量そのものを測定しているのでないことを理由として,菌類の防除効果を想定ないし意識したものではないと認定しているが,菌類の量そのものを測定していないことから直ちに菌類の防除効果を意識したものではないとすることはできず,むしろ,甲2には発病度及びマイコトキシン汚染量が低減するとともに,菌類の汚染度も低減することが記載されている。
加えて,審決は,原告が審判段階でした圃場試験におけるデータにばらつきがある旨の説明を指摘するが,データにばらつきがあるとしても当然に統計的に処理して判断するのであるから,相関するか否かは明確に区別され得る。
以上のとおり,甲2ないし甲4等を考慮しても,引用発明でもチオファネートメチルが「菌類の防除効果とは相関せずに」使用されているとはいえない。
(2) 容易想到性判断の誤り(取消事由2)
審決は,補正発明は,引用発明と甲1及び甲3ないし甲4に記載された発明に基づいて容易想到であると判断するが,この判断には,引用発明の認定に誤りがあり,引用文献の記載内容を無理に引用発明に組み合わせているから,結論にも誤りがある。
ア 「マイコトキシンの汚染程度と赤かび病の発生程度に正の相関関係がない場合があることは普通に知られている」との認定部分については,「マイコトキシンの汚染程度」と「赤かび病の発生程度」に正の相関がない場合があることが知られていたとしても,「赤かび病の発生程度」と「菌類の汚染程度」は事象が異なるから,「マイコトキシンの汚染程度」と「菌類の汚染程度」に正の相関関係がないことは結びつかない。
イ 「ベンズイミダゾール系殺菌化合物の一種であるMBC(チオファネートメチル剤が微生物的変換により代謝変換された活性体)が,菌類の防除効果とは相関せずに,収穫後の作物中のマイコトキシンの産生抑制のために使用されることも普通に知られている」との認定部分については,審決がこの認定の根拠とする甲4からは,MBCを用いた場合もチオファネートメチル剤を用いた場合も,マイコトキシン産生抑制と生育抑制とが相関していると解することができるが,MBCについては,対数増殖期の菌体に対しては,5ppm以下では生育抑制効果がないことが示されているに過ぎない。また,甲4は培地での実験であるところ,これが作物を使用した圃場試験においても同様であるということはできない。さらに,甲4のFig1のグラフについては,チオファネートメチル剤の残留基準である1PPMにおける結果を重視する必要があるところ,1PPMでは,無添加区と比べて,増殖菌体に対するMBCの生育抑制効果が弱いとともに,マイコトキシン産生阻止率は,ほとんど変わらない。
ウ 「DON産生能を有する菌が死滅して,マイコトキシン(DON)汚染量に低減効果が得られると同時に,当該供試薬剤に対する耐性を獲得したDON産生能を有さない菌が増殖して,病原菌全体の菌数が増大する場合もあり得る」との認定部分については,審決は根拠なく可能性を述べたにすぎず,逆にDON生産能を有する菌が増殖し,マイコトキシン(DON)の汚染量が増大する場合も想定され得る。
エ 審決が,「(甲4には,)『トップジンM(チオファネートメチル剤)の,菌類の防除効果に影響せずに,大麦(ヒノデハダカ)中のマイコトキシン含量(DON濃度及びNIV濃度)を減少せしめるための使用。』についての発明が記載されているものと認められる。」との認定の根拠とする甲4の「非感染の穀粒率が10.7%から11.3%になった」との記載は,マイコトキシンであるDON,NIVの生産菌であるFusarium菌についてだけでなく,マイコトキシンを生産しない感染菌も含めて算出したものである。マイコトキシン生産菌であるFusarium菌を見ると,6.7%から0.0%に減少しているのであるから,審決の認定は誤りである。
(3) 特許法36条6項1号充足性判断の誤り(取消事由3)
ア 審決は,実施例において使用されているFusarium菌には,DON生産能を有しない菌も含まれているにもかかわらず,その内訳が明らかではないから,菌類の防除効果と相関せずにマイコトキシン含量を減少せしめるという作用機序を科学的に一般化できないとする。
しかし,補正発明における「菌類」とは,「DON等のマイコトキシンを生産する菌類」と「それを含む菌類」である。すなわち,「菌類の防除効果とは相関せずに」とは,少なくとも「マイコトキシンを産生する菌類」と「マイコトキシンを産生しない菌類」の両方を含む場合は,「マイコトキシンを産生する菌類」だけ汚染量が減少しないか,あるいは,両方の汚染量が減少しないことである。したがって,DON生産能を有しない菌を含めた感染粒数によっては,菌類の防除効果と相関せずにマイコトキシン含量を減少せしめるという作用機序を一般化できないとの認定は誤っている。
イ また,審決は,DON産生が減少しているからといってNIV産生をも含めた上位概念としての「マイコトキシン」の生成抑制ないし含量減少の作用効果を科学的に一般化することはできないともする。
チオファネートメチル剤の適用対象となる病害においては,麦類の赤かび病の病原菌であるFusarium菌によるマイコトキシン(特に,DONとNIV)の汚染が問題となっており,DONとNIVは化学構造が非常に類似したものであって,チオファネートメチル剤の作用効果には正の相関があり,Fusarium菌に対する同程度の阻止効果があるとされているから,本願の実施例においては,DONのみを分析した。
チオファネートメチル剤の適用対象となる病害を引き起こす病害菌の出すマイコトキシンのうち,DONとNIV以外のマイコトキシンについては,種類も限られ,また,チオファネートメチル剤の菌に対する殺菌作用及びそれに伴うマイコトキシンの産生抑制の作用は,病害菌の種類が異なっても同様と考えられる。それゆえ,補正発明と同様の結果をもたらすものと考えることができる。
ウ したがって,補正発明について,特許法36条6項1号の要件を充足しないとした審決の判断は誤りである。
2 被告の反論
(1) 新規性判断の誤り(取消事由1)に対して
ア 「菌類の防除効果とは相関せずに」の意義について
「菌類の防除効果とは相関せずに」との文言は,「菌類の防除効果」と「収穫後の作物のマイコトキシン含量」との間に「相関性がない」ということを意味する。
本願に係る明細書(甲6)の記載からは,補正発明の課題は,作物に感染した菌類によって生じるマイコトキシンの生成を抑制するものであることが理解できる(段落[0002])。そして,この課題を達成するには,作物に存在するマイコトキシンの生成が抑制されればよく,マイコトキシンを生成する菌類も減少させる(相関性がある)必要はない。補正発明の「菌類の防除効果とは相関せずに」とは,「菌類の防除効果とマイコトキシンの含量の減少効果とは相関しない」との意味,すなわち,「菌類の防除効果に関係なくマイコトキシンの含量の減少効果が得られる」との意味に解するのが自然であって,原告の主張のように「菌類の作物への汚染を減少せしめない」場合のみに限定解釈されるべきものではない。また,「菌類の作物への汚染を減少せしめない」場合に限定することは,本願に係る明細書のその他の記載(段落[0027]の表1,[0028])とも整合しない。
イ 補正発明と引用発明との具体的な実施態様が同じであるとする点について引用発明の用途・目的が「マイコトキシン含量を減少せしめる」ことにあることは,その記載から明らかである。
引用発明にはマイコトキシンを産生する菌類の汚染度についての記載がない。引用発明は,菌類の汚染度を考慮することなく,すなわち,菌類の防除効果を考慮せずにチオファネートメチル剤を散布してマイコトキシン汚染量を低減しているものであるし,甲2には,赤かび病の発生が低減し,DON汚染量が増大している結果も記載されているから,発病度及びマイコトキシン汚染量が減少すれば,マイコトキシンを生産する菌の汚染度も低減すると推定できる記載はない。
チオファネートメチル剤の使用において,マイコトキシン汚染量と菌類の防除効果が相関しないというのが「科学的な事実」であるとするならば,補正発明の「菌類の防除効果とは相関せずに」という「科学的な事実」は,引用発明においても例外なく普遍的に当てはまるものと解さざるを得ない。チオファネートメチルを,マイコトキシンを産生する菌で汚染された小麦に散布して,マイコトキシン含量を減少せしめるという実施態様において,補正発明と引用発明には何ら差異がなく,菌類の防除効果に関係なく,マイコトキシン含量が減少しているのであるから,両者に実質的な差異は認められない。
補正発明における「菌類の防除効果とは相関せず」との意味を「菌類の作物への汚染を減少せしめない」との意味と解することはできない。補正発明も引用発明も,その用途・目的は「作物の有害なマイコトキシン含量を減少させること」であって,食用作物にとって「菌類の作物への汚染を減少せしめないこと」自体に技術的な意味がないのであるから,「菌類の作物への汚染を減少せしめないこと」を用途・目的として捉えることはできない。
ウ 甲2ないし4の記載に基づいて,引用発明においてもチオファネートメチルを「菌類の防除効果と相関せずに」使用していると解することができるとする点について
補正発明に「菌類の防除効果と相関せずに」とは,原告の主張する「菌類の作物への汚染を低減せしめることなく」との意味ではなく,作用効果として「菌類の防除効果とマイコトキシンの低減効果との間に関係なく,マイコトキシンの低減効果が得られる」とするものである。
甲3の「発病がきわめて低く抑えられたにもかかわらず,F粒率は高くマイコトキシンによる汚染も起こった」との記載は,発病率と菌の防除効果との間に因果関係がないとなれば,同様に,菌の防除効果とマイコトキシン汚染との間にも明確な因果関係が成立するとはいえないことを述べたもので,「菌類の防除効果とは相関せずに」との要件を満たす。
甲2においても,マイコトキシン汚染と発病穂率・発病度を考慮すれば,引用発明としての課題は解決されるのであって,菌類の防除率まで考慮する必要はないから,引用発明は「マイコトキシン汚染量の低減効果」と「菌類の防除効果」との間の相関関係を考慮したものではないという審決の判断に誤りはない。
また,甲2では,菌類の汚染量そのものを測定しているものではないから,引用発明が「菌類の防除効果」を想定ないし意識したものではないことは明らかである。
さらに,農薬を実際に使用する場面においては,予めどのような菌類が存在するかを精密に測定してから散布することはなく,引用発明は,菌類がチオファネートメチル耐性菌やDON産生能を有しない菌であるかを考慮せずに,すなわち,菌類の防除効果を考慮せずに,チオファネートメチル剤を散布してマイコトキシン汚染量を低減するものである。
(2) 容易想到性判断の誤り(取消事由2)に対して
補正発明の「菌類の防除効果と相関せずに」との意味は,作用効果として,「菌類の防除効果に関係なくマイコトキシンの低減効果を得る」,すなわち,両者に明確な因果関係がないことを意味する。甲5には,用いた薬剤の菌類に対する抑止効果が弱いにもかかわらずマイコトキシンの汚染量が抑制されることが示されているから,両者に明確な因果関係がないことは当業者にとって周知ないし自明であり,審決の判断に誤りはない。
審決は,甲5に記載されるように,DON産生能を有さない菌の中には,チオファネートメチル剤に対して耐性を獲得している耐性菌があることも普通に知られていることを根拠に,DONを産生しない耐性菌が供試薬剤で死滅せずに増殖し,DON産生菌のみが殺菌されてDON汚染が減少する結果,マイコトキシン汚染が減少するなど,菌類の薬剤耐性の如何によって菌類の作物への汚染が減少したり増大したりすることが,当業者にとって容易に予測可能であることを述べたものである。
原告は,甲4に記載された発明について,マイコトキシンを生産するFusarium菌に限って見ると感染率が6.7%から0%へと低減していると主張するが,補正発明の「菌類」の種類をFusarium属菌のみに限定すべき理由はない。補正発明の「菌類」の種類は「マイコトキシンを産生する菌類」のみにも限定されず,その他の菌を含む場合があることは明らかであって,補正発明の「菌類」を特定のマイコトキシンを産生する菌のみに限定し,その効果を主張することは妥当ではない。
(3) 特許法36条6項1号充足性判断の誤り(取消事由3)に対して
本願に係る明細書の段落[0026]に記載される実施例では,「フザリウム・グラミニアラム」と「フザリウム・クルモーラム」と「フザリウム・アベナシウム」の3種類の菌を小麦に接種し,それらの菌の小麦粒への感染率を測定しているが,この接種源に含まれる3種類の菌の内訳が記載されていない。そして,本願に係る明細書の発明の詳細な発明には補正発明の作用機序が記載されておらず,また,本願に係る明細書の実施例で菌の内訳が不明である以上,どの菌がどの程度防除され,又は防除されずに,マイコトキシンの抑制効果が得られたのかは理解できず,ある特定の種類の菌を特定の割合をもって接種した実例では特定の効果を奏し得るとしても,菌の種類や割合が異なる場合についてまでも特定の効果を奏し得ると理解することは,本願に係る明細書の発明の詳細な説明の記載からも,また当業者の技術常識をもってしても,できない。したがって,補正発明に係る特許請求の範囲の記載は,特許法36条6項1号の要件を充足しないとした審決の判断に誤りはない。
第4当裁判所の判断
当裁判所は,補正発明は甲2に記載されており,補正発明が新規性を欠くとの審決の判断に誤りはなく,その結論に違法はないと判断する。その理由は次のとおりである。
1 認定事実
(1) 補正発明の内容及び発明の詳細な説明の記載
第2,2のとおり,補正発明に係る特許請求の範囲は,「チオファネートメチル剤の,菌類の防除効果とは相関せずに,収穫後の作物中のマイコトキシン含量を減少せしめるための使用。」と記載されている。
また,本願に係る明細書には,次のとおりの記載がある(甲6,9。表1と図1は別紙のとおり。)。
ア 技術分野
「[0001] 本発明は,菌類の生成するマイコトキシンの生成抑制方法やマイコトキシンの生成抑制剤等に関し,より詳しくは,食用植物にベンズイミダゾール系殺菌化合物を散布し,収穫後の作物中のマイコトキシン含量を減少せしめる菌類の生成するマイコトキシンの生成抑制方法や,ベンズイミダゾール系殺菌化合物を有効成分とするマイコトキシンの生成抑制剤に関する。」
イ 背景技術
「[0002] 菌類が生産するマイコトキシンは人体及び動物の健康に深刻な影響を与えることが知られており,例えば,下痢や嘔吐等の中毒症状を引き起こすもの,発ガン性のもの,早産や流産を引き起こす可能性があるもの等あり,食用植物に感染した菌類のマイコトキシンの生成を如何に抑制するかは長年の課題であった。特に近年,食用植物がその成長過程において菌類に感染すると,その収穫された作物がマイコトキシンに汚染され,収穫物を食用に供することが出来なくなるという問題があった。
[0003] その予防のため,・・・菌類に感染しないように,様々な殺菌剤が食用植物に施用されている。」
ウ 発明が解決しようとする課題
「[0005] 本発明の課題は,人体及び動物の健康に深刻な影響を与える,菌類が生産するマイコトキシンの生成を顕著に抑制する方法や,マイコトキシンの生成抑制剤を提供することにある。」
エ 課題を解決するための手段
「[0006] 本発明者らは,上記課題を解決するために,多岐に亘る多数の殺菌剤を食用植物に散布し検討する過程で,チオファネートメチル等のベンズイミダゾール系殺菌化合物が,殺菌効果と相関せずに,収穫後の作物中におけるマイコトキシン生成を抑制することを見い出し,本発明を完成するに至った。」
オ 発明の効果
「[0009] 本発明により,菌類が生産する有害物質であるマイコトキシンの生成自体を抑制し,たとえ菌類の防除が不完全な場合であっても,極めて安全な作物を提供することができる。」
カ 発明を実施するための最良の形態
「[0011] 本発明のマイコトキシンの生成抑制方法としては,食用植物,特に麦類にベンズイミダゾール系殺菌化合物を散布し,収穫後の作物中のマイコトキシン含量を減少せしめるマイコトキシンの生成抑制方法や,食用植物にベンズイミダゾール系殺菌化合物と,ステロール生合成阻害剤,ストロビルリン系剤又はグアニジン系殺菌剤との混合剤とを散布し,収穫後の作物中のマイコトキシン含量を減少せしめるマイコトキシンの生成抑制方法であれば特に制限されるものでなく,・・・。さらに,本発明は,ベンズイミダゾール系殺菌剤を食用作物に散布することによって,菌類の防除効果とは相関せずに収穫後の作物中のマイコトキシン含量を減少せしめるものであり,マイコトキシン生成抑制剤としては,ベンズイミダゾール系殺菌化合物を有効成分とするものや,ベンズイミダゾール系殺菌化合物と,ステロール生合成阻害剤,ストロビルリン系剤又はグアニジン系殺菌剤との混合剤とを有効成分とするものであれば特に制限されるものでなく,ここで,マイコトキシンとは,菌類が生産する有害物質のことで,具体的にはトリコテセン,エルゴアルカロイド,フモニシン,ゼラノニン,オクラトキシン等を例示することができ,その中でも,穀類への混入が特に問題となっているトリコテセンの1種であるデオキシヴァレノール(DON)を好適に例示することができる。
[0012] これらマイコトキシンは,通常,食用植物に感染するカビ類,具体的には,フサリウム(Fusarium)属菌,ペニシリウム(Penicillium)属菌,アスペルギルス(Aspergillus)属菌等によって生産され,中でも,麦類赤かび病(フサリウム属菌)による麦類へのマイコトキシンの混入が問題となっている。・・・」
「[0013] 上記ベンズイミダゾール系殺菌剤としては,・・・チオファネートメチル・・・等を具体的に例示することができ,中でも,チオファネートメチル剤(トップジンM(商標名),CercobinM(商標名))を好適に例示することができる。・・・使用されるベンズイミダゾール系殺菌剤は,実際に使用する際に他の成分を加えず純粋な形で使用できるし,また農薬として使用する目的で一般農薬の取り得る形態,即ち水和剤,粒剤,粉剤,水和剤,懸濁剤,顆粒水和剤等の形態で使用することもできる。」
「[0014] 上記ステロール生合成阻害剤(SBI剤)としては,・・・テブコナゾールを好適に例示することができる。これら1種又は2種以上のSBI剤を,ベンズイミダゾール系殺菌剤と併用することにより,ベンズイミダゾール系殺菌剤の有するマイコトキシン生成抑制作用を増幅することができる。」
「[0015] また,ベンズイミダゾール系殺菌剤は単剤でも使用できるが,上記のようにSBI剤と併用することができるほか,他の農薬,例えば各種の殺菌剤,殺虫剤・殺ダニ剤・殺線虫剤,植物生長調節剤の1種又は2種以上と併用することもできる。これら農薬とベンズイミダゾール系殺菌剤,又は,これら農薬とベンズイミダゾール系殺菌剤とSBI剤とを併用することにより,マイコトキシンの生成の抑制と共に,菌類やダニ類等の防除も行うことができる。・・・」
「[0021] 上記食用植物や作物としては,穀類,好ましくはイネ科作物,中でも麦類を好適に例示することができる。また,麦類としては,小麦,大麦,ライ麦,オート麦,ライ小麦等を具体的に例示することができる。」
「[0023] 本発明の方法において,ベンズイミダゾール系殺菌剤の施用量は,他の殺菌剤等との混合比,気象条件,製剤状態,施用方法,対象場所などにより異なるが,通常1ヘクタール当たり,有効成分量1~10000g,好ましくは10~1000gである。
[0024] 本発明には,ベンズイミダゾール系殺菌化合物の,収穫後の作物中のマイコトキシン含量を減少せしめるための使用や,ベンズイミダゾール系殺菌化合物を有効成分として含有し,収穫後の作物中のマイコトキシンの生成抑制のために用いられる旨の表示をした農薬が含まれる。収穫後の作物中のマイコトキシンの生成抑制のために用いられる旨の表示は,通常包装容器や包装袋に表示されるが,製品説明書に表示されていてもよい。」
キ 実施例
「[0026] 小麦赤カビ病の接種源としてFusarium graminearum,Fusarium culmorum,Fusarium avenaceumを含む罹病小麦(品種Bandit)粒を圃場に播種し,小麦がほぼ開花形成期・・・に生育したときに希釈したチオファネートメチル(商品名CercobinM)懸濁剤を,250,375,500g ai/haの各量を1回散布した。また,チオファネートメチル・・・500g ai/haとテブコナゾール(商品名Folicur)120ai/haを併用散布した(なお,ai/ha中のaiは,「active ingredient」の略で,「活性成分自体で」又は「原体換算で」という意味を表す)。収穫時に小麦粒をサンプリングし,1000粒あたりの感染粒の数(薬効)を調査した。デオキシニバレノール(DON)の定量分析は・・・ELISAテストキットを用いた。その結果を表1及び図1に示す。」
「[0028] 表1及び図1から,チオファネートメチルの薬効(1000粒あたりの感染粒の数)は,未処理の場合と殆ど差がなかったが,マイコトキシンの生成量(DON濃度)は,用量依存的に抑制されていた。すなわち,チオファネートメチルの赤かび病防除効果とDON低減効果の間に相関性は認められなかった。一方,チオファネートメチルとテブコナゾールを併用した場合,小麦赤カビ病の防除効果に加えて,マイコトキシンの生成量(DON濃度)の抑制効果が認められた。」
ク 産業上の利用可能性
「[0029] 本発明により,菌類が生産する有害物質であるマイコトキシンの生成自体を抑制することができ,たとえ菌類の防除が不完全な場合であっても,極めて安全な作物を提供することが可能となる。」
(2) 甲2の記載
甲2には次のとおりの記載がある(表1,表2は別紙のとおり。)。
ア 「1.はじめに」
「麦類の赤かび病は,登熟期間中に降水量の多いわが国では避けることのできない病害である。本病は,近年の世界的な異常気象が原因で従来発生がなかった地域でも大きな問題となってきた。このため,今までほとんど無視されてきた本病原菌が産生するカビ毒による健康被害が国際的にクローズアップされている。BSEおよびカドミウム汚染とともにわが国農産物の新たなハザードとして緊急対応が迫られている。
昨年5月14日に厚生労働省の薬事・食品衛生審議会食品衛生分科会食品規格・毒性合同部会が小麦のデオキシニバレノール(DON)に関する暫定基準を1.1ppmに設定した。したがって,今後は赤かび病防除技術のエンドポイント(評価項目)をマイコトキシン汚染量に変更しなければならない。このため,防除薬剤,防除回数,散布時期,被害評価,品種抵抗性,発生予察,収穫・乾燥・調整などすべての技術を再構築する必要がある。本稿では,既往の研究成果に筆者が咋年から開始した薬剤・耕種的防除試験成績の一部を加えて赤かび病の防除対策の現状と今後の方向について述べる。」(31頁左欄2行~右欄2行)
イ 「2.薬剤防除」
「現在,麦類赤かび病に対して登録のある薬剤は赤かび病の被害を軽減することを目的に選抜され,残留毒性等の試験に合格したものが農薬取締法に基づく農薬登録を受け,実際の防除に使用されている。しかしながら,これら薬剤がニバレノール(NIV)と,デオキシニバレノール(DON)等のマイコトキシン・・・を軽減するか否かはほとんど明らかではない。したがって,既存の薬剤のマイコトキシン低減効果を早急に評価する必要がある。薬剤とマイコトキシンの関係に関しては上田・芳澤(1988)の先駆的研究がある。それによると,トップジンM水和剤を開花期とその7日後の計2回散布すると赤かび病の発生とFusarium汚染を効率的に防止すると同時に,DON,NIVによる汚染をも抑えた(表1)。さらに,赤かび病の発生が少なく,一般に薬剤散布の必要性がないと見なされる場合でも,DON,NIVの汚染は認められたが,トップジンM剤散布により極めて有効に低減することができたと報告している。」(31頁右欄4行~32頁左欄6行)
「筆者も咋年,圃場試験においてトップジッンM水和剤のマイコトキシン低減効果を検討した。九州の主要小麦品種であるチクゴイズミを用いて,4月12日(開花始め),4月19日,4月26日の計3回,それぞれ所定濃度の供試薬剤に展着剤(ダイン,5,000倍)を加用し,杓型噴霧器を用いて150ℓ/10a散布した。接種は赤かび病菌(Fusarium graminearum H3菌株)をCMC液体培地で25℃,7日間振盪培養し,分生胞子を形成させ5×105/mℓに胞子濃度を調整した。これを背負い式の噴霧器を用いて4月16日に100ℓ/10a散布した。調査は5月8日(出穂34日後)に各試験区50穂について,発病穂率と罹病程度を図2の基準・・・で調査し,発病度(Σ発病株率×罹病程度)を求めた。その結果,無処理区では,ほぼ確実に感染・発病し,調査時の平均発病穂率が96%の多発生となった。トップジンM水和剤処理区は発病穂率,発病度とも有意に減少し,発病度から求めた防除価は77.8となった(表2)。・・・マイコトキシン汚染量に関しても・・・十分な低減効果が認められ,無処理区ではDON濃度が暫定基準を超える2.45ppmであったのが,・・・基準値(1.1ppm)以下に低減した。NIVについても低減効果が確認された。」(32頁左欄6行~33頁左欄9行)
(3) 甲3の記載
甲3(上田進ほか著,「ムギ出穂期におけるチオファネートメチル剤等の散布が赤かび病の発生ならびにマイコトキシン汚染に及ぼす影響について」,日本植物病理学会報,第54巻,第4号,昭和63年発行,476-482頁)には次のとおりの記載がある(「Table2」は別紙のとおり。)。
ア 「緒言」
「ムギ赤かび病菌・・・は,しばしばムギ類を侵害し多大な被害を与えるだけでなく,それが産生するマイコトキシンによって収穫物を汚染し,それを摂取したヒトや家畜に赤かび中毒症を引き起こすことがある。わが国の赤かび病被害ムギ類に含まれる毒性物質は,・・・トリコテセン系マイコトキシンに属するニバレノール(NIV)およびデオキシニバレノール(DON)と決定された。・・・これらのマイコトキシンは近年,わが国のみならず世界各地のムギ類やトウモロコシなどからも頻繁に検出されており,マイコトキシン汚染を防止して主要穀類の安全性を確保することは世界的な課題となっている。
そこで,著者らは,圃場での赤かび病被害率,Fusarium汚染粒率およびマイコトキシン汚染を指標として,薬剤散布による赤かび病とマイコトキシン汚染の防止効果を,1982年,1983年および1987年の3年間にわたって検討した。」(476頁左下欄2行~右下欄12行)
イ 「材料および方法」
「1982年はヒノデハダカ,愛媛裸1号(以降,エヒメハダカという),シラタマハダカ,オマセコムギおよびダイセンゴールドを,1983年はシラタマハダカを除く4品種を,それぞれ1区10m2で1連制と・・・した。」(477頁左欄13~18行)
「1983年はトップジンM粉剤を,4月22日(出穂期)と4月27日(開花期)の2回散布した。・・・粉剤は10a当り4kgを手動式散粉機で散布した。」(477頁左欄21~28行)
「赤かび病の発生は黄熟期・・・に1区当り200穂につき,既報に従って,被害率(発病穂率×病粒率)を調査した。」(477頁左欄37~40行)
「任意に採取した麦粒を・・・表面滅菌してから,・・・洗浄した。この50粒ないし100粒・・・を任意に採り,・・・28Cで培養し,出現した真菌を検索し,汚染粒率を調査した。」(477頁右欄4~10行)
「・・・1983年の試料は,・・・既報の方法に従い,抽出・精製した。」(477頁右欄11~13行)
ウ 「実験結果」
「1983年の結果は,Table 2 に示したように,赤かび病がかなり多い状態におけるトップジンM粉剤2回散布の成績である。薬剤散布による発病およびF粒率の減少は,エヒメハダカが無散布区に対してそれぞれ2.08%と37.50%と高く,これに比べヒノデハダカは73.21%および68.18%と低かった。一方,トップジンM剤散布によるNIVおよびDONの減少は,無散布区に対してエヒメハダカがそれぞれ20.74%および10.79%とかなり高い抑制を示し,ヒノデハダカでもそれぞれ34.05%および24.43%と効果が見られたが,ダイセンゴールドとオマセコムギでは減少が低いかまったく認められなかった。」(478頁右欄5~16行)
エ 「考察」
「・・・Table 2 の結果で注目されることは,発病がきわめて低く抑えられたにもかかわらず,F粒率は高くマイコトキシンによる汚染も起こったことである。これは,被害率や発病頴花率を指標にするだけでは,赤かび病菌による汚染やトキシン汚染を予測し得ないことを示唆しており,重要な意味をもつので,今後さらに検討する必要がある。」(480頁右欄14~20行)
2 取消事由1(新規性判断の誤り)について
(1) 「菌類の防除効果と相関せずに」の意義
ア 補正発明における「菌類の防除効果とは相関せずに」とは,特許請求の範囲の文言からして,「菌類の防除効果」と「収穫後の作物中のマイコトキシン含量の減少」が相関しないということ,すなわち,チオファネートメチル剤による菌類の防除効果と,チオファネートメチル剤による収穫後の作物中のマイコトキシン含量の減少は,それぞれ独立した事象であり,作物にチオファネートメチル剤を使用した場合に作物から菌類が防除されるか否かということと,作物にチオファネートメチル剤を使用した場合に収穫後の作物中のマイコトキシンの量が減少するか否かということの間に関係がないということと理解される。
イ(ア) この点,原告は,従来,菌類を防除すれば,防除前よりも作物中のマイコトキシン含量は減少すると考えられていたことからすると,「菌類の防除効果とは相関せずに」とは,菌類の防除効果が得られないこと,すなわち,菌類の作物への汚染を減少させないことを意味すると解すべきであると主張する。
しかし,原告の主張は,以下のとおり採用できない。
すなわち,原告がその主張の根拠としている「トップジンM水和剤を・・・散布すると赤かび病の発生とFusarium汚染を効率的に防止すると同時に,DON,NIVによる汚染をも抑えた(表1)。」との甲2の記載は,甲3の1983年の実験結果に基づくものであるが,同実験結果(甲3の Table2)では,トップジンM(チオファネートメチル剤)を散布しても,赤カビ病の発生は防止するが,Fusarium汚染及びマイコトキシンによる汚染を効率的に防止できない場合が記載されている。そうすると,甲2の記載を根拠とする前記の原告の主張はその前提を欠くものである。
(イ) また,原告は,その主張する解釈は,本願に係る明細書の,段落[0009]並びに段落[0026]ないし[0028]及び表1・図1の記載からも裏付けられる旨の主張をする。
しかし,原告のこの点の主張も,以下のとおり採用できない。
まず,段落[0009](前記1(1)オ)は,単に「菌類の防除が不完全な場合であっても,極めて安全な作物を提供することができる。」と記載されるのみであり,同記載から「相関せずに」が,菌類の作物への汚染を減少せしめないことを意味すると解することはできない。
また,段落[0026]ないし[0028]及び表1・図1の実施例の記載(前記1(1)キ)も原告の主張を基礎付けるものとはいえない。すなわち,補正発明の実施例であることについて当事者間に争いのない表1の例1ないし4のうち,例1,3,4では,マイコトキシン汚染(表1の「DON(ppb)」の欄)の減少に応じて,菌類の作物への汚染(表1の「薬効」の欄)が減少しており,むしろ「菌類の防除効果とは相関せずに」とは「菌類の作物への汚染を減少せしめない」との意味であるとする原告の主張に反する結果が示されていることになる(例2については,「薬効 防除価」の「7.4%」との記載が「-7.4%」の誤記であれば,原告の主張に沿う内容となり得るが,「薬効」の「218」との記載が誤りである可能性もあり,例2の記載から,原告の主張を認めるには足らない。)。
そうすると,実施例の記載をもっても,原告の主張を採用することはできず,かえって前記アのとおりの解釈となるべきことが理解される。
(ウ) 原告は,チオファネートメチル剤は菌類の防除のために使用されることは技術常識であるから,「防除効果と相関せずに」と記載されていれば,防除効果がある場合を含むとは解されないとも主張する。
しかし,チオファネートメチル剤が菌類の防除のために使用されるとの技術常識があったとしても,「相関せずに」が,防除効果がある場合が排除され,防除効果がない場合に限定されると直ちに解することはできない。
以上のとおり,補正発明における「菌類の防除効果とは相関せずに」との文言は,チオファネートメチル剤を使用した場合に,菌類の防除効果とは関係なく,収穫後の作物中のマイコトキシン含量を減少させることを意味するものと理解できる。
(2) 補正発明と引用発明の異同
補正発明と引用発明との相違点は,前記第2,3(3)イのとおりである(当事者間に争いがない。)。
同相違点は,以下のとおり,何ら実質的な内容を含むものとはいえない。
すなわち,甲2には,発病穂率及び発病度並びにマイコトキシン汚染量についての記載はあるものの,F粒率(Fusarium汚染粒率)については記載されていない。甲2には「薬剤とマイコトキシンの関係に関しては上田・・・の先駆的研究がある。それによると,トップジンM水和剤を・・・散布すると赤かび病の発生とFusarium汚染を効率的に防止すると同時に,DON,NIVによる汚染をも抑えた(表1)。」と記載され(前記1(2)イ),チオファネートメチル剤の散布によりFusarium汚染を防止できた旨が記載されているが,表1には,被害率及びマイコトキシン汚染量は記載されているものの,Fusarium汚染が防止できたことを確認できる記載はない。また,甲2の表2には,発病穂率及び発病度については記載があるものの,F粒率(Fusarium汚染粒率)に関する記載はない。さらに,甲2においては,菌類による汚染量そのものを測定したとの記載もない。そうすると,甲2自体には,チオファネートメチル剤を使用した場合に,発病穂率・発病度及び被害率の数値が変化し,赤カビ病の発病を抑制できたことは記載され,また,その場合にマイコトキシン汚染が減少したことについての記載はあるものの,このような場合のF粒率(Fusarium汚染粒率)の変化については記載はない。
このように,甲2においては,F粒率(Fusarium汚染粒率)の変化,すなわち,菌類の防除効果に着目することなく,収穫後のマイコトキシン含量を減少させているものであるから,引用発明においても「菌類の防除効果とは相関せずに」マイコトキシン含量を減少させているものであって,引用発明と補正発明の間の相違点は実質的なものではないことになる。
したがって,補正発明と引用発明は同一であって,補正発明が新規性を欠くとした審決の判断に誤りはない。
(3) 原告の主張について
以上に対して,原告は,甲2の記載からは,引用発明においても,発病度及びマイコトキシン汚染量が減少するのであれば,マイコトキシンを生産する菌の汚染度も低減すると推定できる,あるいは,甲3は,F粒率(Fusarium汚染粒率)とマイコトキシン汚染とが正の相関をしており,補正発明とは逆のケースであるから,当該文献の記載を引用することには意味がないと主張する。
しかし,甲2の表1と,その記載のもとなった甲3に記載の実験結果(Table2)では,トップジンM(チオファネートメチル剤)を散布しても,赤カビ病の発生は防止するが,Fusarium汚染及びマイコトキシンによる汚染を効率的に防止できない場合も記載されていると見ることができる。すなわち,甲3の実験結果のうち,オマセコムギ(Omasekomugi)とダイセンゴールド(Daisengold)を見ると,いずれもチオファネートメチル剤の使用により赤かび病の被害率は大きく減少(オマセコムギは3.2%から0.6%へ減少,ダイセンゴールドは1.2%から0.1%へ減少。以下,数字のみを記載する。)している一方,Fusarium汚染は微減に留まり(74%から65%へ,77%から76%へ),マイコトキシン(DON)の汚染量はむしろ増加(0.613ppmから0.655ppmへ,0.588ppmから0.739ppmへ)している。甲2の表1は,甲3の Table 2 から,赤かび病の被害率とマイコトキシン汚染量を転記したものである。そうすると,甲2の表1やその引用する甲3の Table 2 の記載を前提としたとしても,発病度とFusarium汚染及びマイコトキシン汚染との間の関連性は見て取れず,発病度及びマイコトキシン汚染量が減少するのであれば,マイコトキシンを生産する菌の汚染度も低減すると推定できるものではない。したがって,甲2においては,F粒率(Fusarium汚染粒率)の変化,すなわち,菌類の防除効果とは関係なく,収穫後のマイコトキシン含量を減少させているものであって,原告の主張は,審決の認定した相違点が実質的なものではないとの先の判断を左右しない。
3 結論
以上によれば,その余の点を判断するまでもなく,審決の結論は正当であって審決に違法はない。原告はその他縷々主張するが,いずれも採用の限りではない。よって,原告の請求を棄却することとして主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 飯村敏明 裁判官 八木貴美子 裁判官 小田真治)
file_2.jpg別紙