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知財高等裁判所 平成25年(行ケ)10171号 判決 2014年8月07日

原告

株式会社シンクロン

訴訟代理人弁護士

服部昌明

池田和郎

西川久貴

山本和彦

北畑亮

田中伸英

訴訟代理人弁理士

秋山敦

城田百合子

上西浩史

大倉宏一郎

被告

株式会社オプトラン

訴訟代理人弁護士

升永英俊

訴訟代理人弁理士

佐藤睦

大石幸雄

主文

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第1請求

特許庁が無効2012-800109号事件について平成25年5月13日にした審決のうち「特許第4823293号の請求項1,8に記載された発明についての特許を無効とする。」との部分を取り消す。

第2前提事実

1  特許庁における手続の経緯等(争いがない。)

原告は,平成20年10月31日に出願され,平成23年9月16日に設定登録された,発明の名称を「成膜方法及び成膜装置」とする特許第4823293号(以下「本件特許」という。)の特許権者である。

被告は,平成24年6月26日,特許庁に対し,本件特許の請求項1,8を無効にすることを求めて審判の請求をした。特許庁は,上記請求を無効2012-800109号事件(以下「本件無効審判請求事件」という。)として審理をした結果,平成25年5月13日,「特許第4823293号の請求項1,8に記載された発明についての特許を無効とする。」との審決をし,その謄本を,同月23日,原告に送達した。

2  特許請求の範囲の記載(甲16,18)

本件特許の特許請求の範囲(請求項の数は9である。)の請求項1,8は本件無効審判請求事件における訂正請求により,審決において訂正が認められた。訂正後の請求項1,8の記載は,以下のとおりである(以下,同請求項1に記載された発明を「本件特許発明1」,同請求項8に記載された発明を「本件特許発明2」という。また,本件特許の明細書及び図面をまとめて「本件明細書」という。)。

「【請求項1】

基体保持手段の基体保持面の全域に向け成膜材料を供給することによって前記基体保持面に保持され回転している複数の基体のすべてに対して前記成膜材料を連続して供給するとともに,

前記基体保持面の一部の領域に向けてイオン照射可能となる成膜アシスト手段を用い,回転している前記基体保持面に対して前記イオンを連続して照射することによって,前記基体保持面の回転に伴って移動している前記基体のそれぞれにイオンが照射されているときと照射されていないときが確保されるように前記イオンを照射し,前記基体のそれぞれに対して前記イオンを照射することによるイオンアシスト効果を与えながら,すべての基体の表面に薄膜を堆積させることを特徴とする成膜方法。

【請求項8】

真空容器内に回転可能に配設され,複数の基体を保持するための基体保持手段と,前記基体保持手段の基体保持面の全域に向け成膜材料を供給することによって前記基体保持面に保持され回転している複数の基体のすべてに対して前記成膜材料を連続して供給可能となるような配置及び向きで前記真空容器内に設置された成膜手段と,

イオンを前記基体保持面の一部の領域に向けて照射可能であり,回転している前記基体保持面に対して前記イオンを連続して照射することによって,前記基体保持面の回転に伴って移動している前記基体のそれぞれにイオンが照射されているときと照射されていないときが確保されるように前記イオンを照射可能となるような構成,配置及び/又は向きで前記真空容器内に設置された成膜アシスト手段とを,有する成膜装置。」

3  審決の理由

審決の理由は,別紙審決書写しのとおりである。その要旨は,(1)本件特許発明1は,Hyun Ju Cho and Chang Kwon Hwangbo, "Optical inhomogenEity andmicrostructure of ZrO2 thin films prepared by ion-assisted deposition", AppliedOptics, 1 October 1996, Vol. 35, No. 28, p. 5545-5552(甲1。以下「甲1論文」という。)に記載された本件特許発明1に対応する発明(以下「引用発明1」という。)と実質的な相違点はなく,甲1論文に記載された発明であり,特許法29条1項3号に該当し特許を受けることができない,(2)本件特許発明2は,甲1論文に記載された本件特許発明2に対応する発明(以下「引用発明2」といい,引用発明1と引用発明2を併せて「引用発明」という。)と実質的な相違点はなく,甲1論文に記載された発明であり,特許法29条1項3号に該当し特許を受けることができない,というものである。

審決が認定した引用発明1の内容,本件特許発明1と引用発明1との一致点及び相違点,引用発明2の内容,本件特許発明2と引用発明2との一致点及び相違点は以下のとおりである。

(1)  引用発明1の内容

「ドームの内周面の全域に向けZrO2を供給することによって前記内周面に保持されている複数の基板のすべてに対して前記ZrO2を供給するとともに,前記内周面に向けてイオン照射可能となる熱陰極型カウフマンイオン源を用い,前記内周面に対して前記イオンを照射することによって,前記基板に対してイオンを照射することによるイオンアシスト効果を与えながら,前記基板に膜厚およそ500nmのZrO2を成膜する方法。」

(2)  本件特許発明1と引用発明1との一致点

「基体保持手段の基体保持面の全域に向け成膜材料を供給することによって前記基体保持面に保持されている複数の基体のすべてに対して前記成膜材料を供給するとともに,

前記基体保持面に向けてイオン照射可能となる成膜アシスト手段を用い,前記基体保持面に対して前記イオンを照射することによって,前記基体に対して前記イオンを照射することによるイオンアシスト効果を与えながら,前記基体の表面に薄膜を堆積させる成膜方法。」である点。

(3)  本件特許発明1と引用発明1との相違点

ア 相違点1:本件特許発明1は,「成膜材料を連続して供給する」のに対し,引用発明1は,成膜材料が連続して供給されるのか不明である点。

イ 相違点2:本件特許発明1は,「基体保持手段の基体保持面に保持されている複数の基体」が回転しているのに対し,引用発明1は,「基体保持手段の基体保持面に保持されている複数の基体」が回転しているのか不明である点。

ウ 相違点3:本件特許発明1は,「回転している基体保持面の一部の領域に対してイオンを連続して照射することによって,前記基体保持面の回転に伴って移動している前記基体のそれぞれにイオンが照射されているときと照射されていないときが確保されるように前記イオンを照射し,前記基体のそれぞれに対して前記イオンを照射することによるイオンアシスト効果を与えながら,すべての基体の表面に薄膜を堆積させる」のに対し,引用発明1は,イオン照射の態様が不明である点。

(4)  引用発明2の内容

「基本真空度がおよそ8×10-7Torrである箱形成膜装置内に配設され,複数の基板を保持するためのドームと,

前記ドームの内周面の全域に向けZrO2を供給することによって前記内周面に保持されている複数の基板のすべてに対して前記ZrO2を供給可能となるような配置及び向きで前記箱形成膜装置内に設置された,基板に対してZrO2を供給する手段と,

イオンを前記内周面に対し照射可能となるような,構成,配置及び/又は向きで前記箱形成膜装置内に設置された熱陰極型カウフマンイオン源とを,有する成膜装置。」

(5)  本件特許発明2と引用発明2との一致点

「真空容器内に配設され,複数の基体を保持するための基体保持手段と,

前記基体保持手段の基体保持面の全域に向け成膜材料を供給することによって前記基体保持面に保持されている複数の基体のすべてに対して前記成膜材料を供給可能となるような配置及び向きで前記真空容器内に設置された成膜手段と,

イオンを前記基体保持面に対し照射可能となるような構成,配置及び/又は向きで前記真空容器内に設置された成膜アシスト手段とを,有する成膜装置。」である点。

(6)  本件特許発明2と引用発明2との相違点

ア 相違点4:本件特許発明2は,「成膜手段が成膜材料を連続して供給可能」であるのに対し,引用発明2は,成膜手段が成膜材料を連続して供給可能であるのか不明である点。

イ 相違点5:本件特許発明2は,「基体保持手段」が「回転可能に配設され」ているのに対し,引用発明2は,基体保持手段が回転可能に配設されているのか不明である点。

ウ 相違点6:本件特許発明2は,「成膜アシスト手段」が「イオンを基体保持面の一部の領域に向けて照射可能であり,回転している前記基体保持面に対して前記イオンを連続して照射することによって,前記基体保持面の回転に伴って移動している基体のそれぞれにイオンが照射されているときと照射されていないときが確保されるように前記イオンを照射可能となるような構成,配置及び/又は向きで真空容器内に設置され」ているのに対し,引用発明2は,成膜アシスト手段がどのように真空容器内に設置されているのか不明である点。

第3原告主張の取消事由

1  取消事由1(相違点3に係る新規性判断の誤り)について

(1)  正規化イオン運動量Pの技術的意義と甲1論文記載のイオンの照射態様甲1論文のイオンの照射態様は,正規化イオン運動量Pの技術的意義に基づいて定められるべきである。正規化イオン運動量Pは,最終的には,イオンエネルギーとイオン電流密度だけで決まる値である。

すなわち,正規化イオン運動量Pの算出式(P=γ(2miEi)1/2)において,γ(イオンの到達率C/蒸着粒子の到達率D)を算出するための蒸着粒子の到達率Dは,単位時間内に単位面積上に堆積する蒸着粒子の数であり,蒸着粒子の成膜レートBの測定値に依存している。イオンの到達率Cは,単位時間内に単位面積に照射されるイオン粒子の数であり,イオン電流密度Aの測定値に依存している。したがって,γの値はイオン電流密度Aの測定値に依存するイオン到達率Cに比例している。P値はγとイオンエネルギー量Ei の積であり,miは定数であることから,結局のところ,P値は,最終的にイオンエネルギーEiとイオン電流密度Aだけで決まる。

甲1論文の実験においては,イオン電流密度及びイオンエネルギーが甲1論文に記載された最大値(イオン電流密度25μA/cm2,アルゴンイオンのエネルギー7.50E-4(MeV))のときに,正規化イオン運動量Pが甲1論文に記載された最大値(1.42MeV/c)になるため,基体に到着した蒸着粒子が,次の理由により,常時イオン照射を受けていることを意味している。

甲1論文には,P値について,「成長中の膜に移行される運動量」との記載がある。すなわち,成長中の膜の全てに移行される運動量を意味している。蒸着粒子がイオン照射を受けていない期間も膜として見れば成長中(蒸着粒子が堆積している)であることには変わりはなく,したがってイオン照射を受けていない期間もP値に影響を与えている。したがって,成膜中の膜について,イオン照射を受ける期間と受けない期間が交互に現れる場合には,イオン照射を受ける期間におけるP値の算出には,イオン照射を受けない期間における蒸着粒子の到達分も考慮する必要が生じ,γの算出におけるDの値が増加するから,成膜中の膜にイオンが常時照射される場合よりもPの計算値は必然的に小さくなるのである。その結果,「イオンが照射されているときと照射されていないときが確保される」場合には,そもそも,P値が1.42を達成できないので,審決のように「Pの最大値が1.42となったとしても,この数値は,蒸着粒子がイオン照射を受けているときの正規化イオン運動量の最大値と考えられる」(審決書23頁10行~12行)との仮定が成り立つことがない。

そもそも,甲1論文においては,「従来の方法」=「イオン照射を行わない方法」の時を「P=0」と定義している以上,成膜中に少しでも(仮に,部分照射であったとしても),イオン照射を行った場合には「P=0」となることはあり得ず,審決が認定するような一回の成膜工程中にPの値が0から1.42MeV/cの範囲で変化するということはあり得ない。

正規化イオン運動量P値の計算式中のγ値の算出方法について説明した甲33,34号証では,イオンの照射時間と蒸着分子の堆積時間という時間の要素を算出式に含めているが,甲1論文ではγは「蒸着粒子の到達率に対するアルゴンイオンの到達率の比である。」とし,算出式に時間の概念はない。このことも,甲1論文は蒸着粒子が「つねにイオン照射を受ける」場合のみを念頭に置いていることを示している。

(2)  ドームの回転を認める限りは複数基板への常時照射とされるべきこと甲1論文はその全体を通じて,様々な観点で,得られたZrO2薄膜の「膜物性」を評価している。しかし甲1論文の実験において仮に成膜時のドームの回転が肯定される場合,基板に対してイオンが照射されるときとされないときがあるとすれば,ドームの回転数(rpm)の設定値いかんでイオンが照射されていない期間に堆積する蒸着粒子の量(膜厚)が変わってしまう。それにもかかわらず,甲1論文には,ドームの回転数(rpm)は明示されていない。

そうすると,「膜物性」の評価を研究目的とする甲1論文の実験においては,ドーム回転数(rpm)の設定値いかんで,その「膜物性」の評価に影響を与えるイオン照射の態様(イオンが照射されるときと照射されないときがあるような態様)の存在は否定されなければならない。

したがって,甲1論文の実験において成膜時のドームの回転の存在を肯定するのであれば,イオンビームがドーム内周面の一部領域に照射される態様は否定されなければならない。

(3) カウフマンイオン源のビームの広狭について H A Macleod, "Thin-FilmOptical Filters", Third Edition, Institute of Physics Publishing, 2001, p.410-412(甲2。以下「甲2論文」という。)の解釈に誤りがあること

審決は,カウフマンイオン源のビームは必ずしも幅広でないとし,甲2論文における「この目的のために最も一般的なタイプのイオンソースは,抽出グリッドを備えることの多い,広いビームである。以前に公表された研究及び報告された成功の多くは,カウフマン型またはグリッド型のイオン銃を使用した。」との記載は,IADのためのイオン源として,抽出グリッドを備えることの多い,広いビームのイオン源が一般的であることと,成功例の多くが,カウフマン型又はグリッド型であることを個別に記載したものと解されるとする(審決書22頁下から4行ないし末行)。しかし,甲2論文は広いビームのイオン源と成功例を個別に記載したものではなく,成功例は広いビームのイオン源の成功例として記載されているものである。審決は,甲2論文についての誤った認定に基づいて,カウフマンソースの照射範囲が狭いことを技術常識としたものであって,誤っている。

(4)  審決の判断は,新規性の判断において許されない「推測ないし類推」に基づいたものであること

公知発明の内容を説明する刊行物の記載ないし説明部分に,当該発明の構成要件の全てが示されていない場合に,刊行物の記載からの推測ないし類推をすることによってはじめて構成要件が充足されると認識又は理解される発明は,特許法29条1項所定の文献に記載された発明ということはできない。

本件特許発明1の課題は,常時イオン照射により,基板14表面に堆積された蒸着分子が,基板14の安定サイトに静止する前に再度励起され,薄膜の緻密が阻害されることを改善し,緻密で良質な薄膜を得ることにある。

これに対し,引用発明1の課題は,従来型(IADなし)の薄膜の微構造を修正し,ZrO2薄膜の屈折率の不均質性を制御することにあるから,発明の解決課題及び解決手段における技術思想が異なる。

審決は,このような事情を無視し,推測ないし類推を積み重ねて,相違点3は実質的相違点ではないとした点において誤りがある。

したがって,相違点3に係る事項が甲1論文に記載されているとする審決の判断は誤りである。

2  取消事由2(相違点2に係る新規性判断の誤り)について

(1)  甲1論文には成膜工程においてドーム及び基板が回転していることについて記載がないこと甲1論文の主題であるIADによる膜質の変化においては,イオンが連続的(常時)照射なのか,間欠照射なのかは,主題に関する重要な項目であり,回転に関する直接的な記載がない場合には,ドーム及び基板は回転していないものと解するのが相当である。

取消事由1の(2)で述べたとおり,甲1論文にはドーム回転数の記載がないから,膜物性の評価を研究の目的とする甲1論文の実験において,イオンビームがドーム内周面の一部領域に照射されることを肯定するのであれば,膜物性の評価に支障を生じるイオン照射の態様とならないよう,成膜時のドームの回転の存在は否定されなければならない。

審決は,甲1論文の図1のドーム上の軸の周囲に描かれた矢印を本件特許発明1の特徴的要件に恣意的に当てはめ,無理のある認定に至っているのである。

(2)  甲1論文におけるドーム及び基板の回転を否定する記載

ア 甲1論文においては,スライドガラスとシリコンウエハーが隣接しており,蒸着条件を同一にするために回転するものでもないこと

甲1論文の5546頁には,「物性測定用基板としてスライドガラスとシリコンウエハーを選んだ。」「ZrO2の薄膜の outer と inner の屈折率を計算するために,分光光度反射率と透過率を測定した。」「SE分析に用いたこれらのZrO2薄膜は,コーティングチャンバのスライドガラスに隣接して配置したシリコンウエハー上に成膜した。」「従って,これらの薄膜は,分光光度計で測定したものと同じである。」との記載がある。

分光光度計では透過を測定するため,基板は透明である必要があり,スライドガラスとシリコンウエハーのうち,透明であるのはスライドガラスであるため,分光光度計で測定しているのはスライドガラスであり,シリコンウエハーはスライドガラスに隣接して蒸着条件を同一にしている。

甲1論文では,基板を隣接させることでシリコンウエハーとスライドガラスの膜の蒸着条件を同じにしており,上記の「これらの薄膜は,分光光度計で測定したものと同じである。」とは,隣接したシリコンウエハー上のZrO2薄膜とスライドガラス上のZrO2薄膜が同じ条件で成膜されていることを意味している。

甲1論文における調査対象は,隣接して配置されたスライドガラスとシリコンウエハーであり,隣接されたスライドガラスとシリコンウエハーについて成膜条件を同一にすれば足りるため,複数の基体を回転させる必要はない。

むしろ,甲1論文には,物性測定用基板として選んだスライドガラスとシリコンウエハーの各基板間の成膜条件を均一にするための具体的手段として,成膜中にドームを回転させずに隣接させることが明確に読み取れるものというべきである。

イ 甲1論文の図1のドームは回転不能な仕組みであること

甲1論文の図1に示される「水晶膜厚計」はチャンバに固定してあり,かつ,ドームの外側から内側に挿入されている。同様に,同図の「熱電対」もチャンバに固定してあり,ドームの外側から内側に挿入されている。以上により,甲1論文のドームは回転不能な仕組みを持つことが明らかである。

ウ 甲1論文の図1における半楕円状の領域は基板ではないこと

仮に,甲1論文の図1のドーム両端に描かれた半楕円状の領域が基板であるとすれば,甲1論文で選ばれているスライドガラスとシリコンウエハーは平板であるため,半楕円形部分の上部は直線となるはずである。しかしながら,図1では直線ではなく曲線で示されていることから,半楕円形部分は基板ではない。よって,半楕円形部分が基板であるという被告の主張は失当である。

(3) Chang Kwon HWANGBO and Hyun Ju CHO, " Ion Assisted Deposition of TiO2 Thin Films by Kaufman and Gridless Ion Sources", The Review of LaserEngineering Applied Optics, Vol. 24, No. 1 , p.103-109(甲12。以下「甲12論文」という。)からもドームの回転が否定されること

甲12論文は,甲1論文と同著者の論文であることから,甲12論文の図面の意味を検討する。

甲12論文においては,蒸着粒子及び衝突イオンの入射角度はそれぞれ20°,29°と記載されていることから,蒸着粒子及び衝突イオンの入射角度は固定されている。ドームが回転し,かつ,蒸発源,イオン源のレイアウトがオフセットしている場合には,蒸着粒子及び衝突イオンの入射角度は回転に伴い変化することになる。よって,蒸着粒子及び衝突イオンの入射角度が固定されており,蒸発源,イオン源のレイアウトがオフセットされていることから,ドームが成膜中に回転することはあり得ない。

(4)  審決の認定は新規性の判断において許されない「推測ないし類推」に基づくこと

甲1論文には,以上のとおり,成膜工程において,ドームが回転していることの開示も示唆もないにもかかわらず,審決は,甲1論文の図1のドーム上の軸の周囲に描かれた矢印を,本件特許発明1の特徴的要件に恣意的に当てはめたものである。

本件特許出願前の文献(特開平5-106040号公報,甲19号証。以下「甲19公報」という。)において,従来技術として,光学膜厚モニタが駆動軸を有し,回転機構を有していることが記載されていることに照らせば,甲1論文の矢印が示しているのはドームを支える軸部の回転ではなく,「optical thicknessmonitor」(光学膜厚モニタ)の回転機構の回転を示しているものとみるべきである。

3  取消事由3(相違点6に係る新規性判断の誤り)

取消事由1と同様の理由により,甲1には「成膜アシスト手段」について,イオンが基体保持面の一部の領域に向けて照射可能であり,回転している前記基体保持面に対して前記イオンを連続して照射することによって,前記基体保持面の回転に伴って移動している基体のそれぞれにイオンが照射されているときと照射されていないときとが確保されるように前記イオンを照射可能となるような構成,配置及び/又は向きで真空容器内に設置されることが記載されているといえるとする審決の認定は,事実誤認であり,審決は特許法29条1項3号を誤って適用したものである。

4  取消事由4(相違点5に係る新規性判断の誤り)

取消事由2と同様の理由により,甲1論文には,成膜工程において複数の基体が回転していることについて開示も示唆もなく,むしろ,甲1論文は,成膜工程において複数の基体が回転していることを否定する記載を含むものであるから,甲1論文の図1のドーム上の軸の周囲に描かれた矢印のみをもって,引用発明2において,基体保持手段は回転可能に配設されており,その回転により,基体保持手段の基体保持面に保持されている複数の基体は回転していると解するのが合理的であるとする審決の認定は,事実誤認に基づくものであり,審決は特許法29条1項3号を誤って適用したものである。

第4被告の反論

1  取消事由1(相違点3に係る新規性判断の誤り)について

(1)  正規化イオン運動量Pの技術的意義と甲1論文記載のイオンの照射態様について

甲1論文には,「イオンエネルギーとイオン電流密度は,それぞれ 250-750eV 及び 0-25μA/cm2の範囲で変動させた。」との記載がある。甲1論文の実験において,イオンソースを制御するパラメータは,「イオンエネルギー」と「イオン密度」の2つである。この2つのパラメータの値は,成膜材料や基板とは何ら関係なく,単に,イオンソースから射出されるイオンビームの特徴を示すものである。すなわち,イオンが基板に照射されているかどうかとは関係なく,成膜工程中においてイオンエネルギー及びイオン密度は,イオンソースにおいて設定された値に保持される。

甲1論文の5546頁左欄1~4行には,「正規化されたアルゴンイオン運動量・・・は,成長中の膜に移行される。」との記載があるが,これは,正規化されたアルゴンイオン運動量Pが,ある基板について,イオンが照射されている際に,イオンからその基板上の成膜材料に移行される運動量を,イオンソースの2つのパラメータ(イオンエネルギー及びイオン電流密度)の値に基づいて計算したものであることを示している。このように,イオン電流密度Aの測定に依存するイオン到達率Cは,基板に向けてイオンが照射されている状態での値であるから,成膜処理中にイオン電流密度Aが一定であっても,基板に向けてイオンが照射されていない状態ではイオン到達率Cは当然にゼロとなる。したがって,正規化イオン運動量Pが,イオンエネルギーとイオン電流密度だけで決まる値であるとする原告の主張は失当である。

甲1論文に示された正規化されたアルゴンイオン運動量Pの値(0~1.42MeV/c)は,イオンソースのイオンエネルギー及びイオン電流密度を,それぞれ250-750eV 及び 0-25μA/cm2 の範囲で変動させた場合における,イオンが基板に照射されている際の値であり,ある基板について,イオンが照射されていない時は,イオンからその基板上の成膜材料に移行される運動量は存在し得ないから,正規化されたアルゴンイオン量Pはゼロとなる。

正規化イオン運動量Pは,イオンが基板に照射されている際の値にすぎず,イオン電流密度A及びアルゴンイオンのエネルギーEi が甲1論文に記載された最大値である場合において,イオンが基板に照射されている際に,正規化イオン運動量Pが1.42MeV/c であることを示すにすぎないから,イオンが基板に照射されていなときを考慮して,最大量1.42MeV/c を実現するためには,イオンの照射態様は,基体に到達した蒸着粒子に,常時イオン照射される態様に限定されるとする原告の主張は失当である。

(2)  ドームの回転を認める限りは一部照射は否定されるべきとの主張について原告は,甲1論文の研究目的が膜物性の評価であることから,ドームの回転数の設定値いかんで膜物性の評価に影響を与えるイオン照射の態様は否定されるべきであると主張する。しかし,甲1論文の図1に「光学膜厚モニタ」や「水晶膜厚モニタ」が記載されていることから明らかなとおり,甲1論文の実験において,成膜を終了させるタイミングは,これらのモニタによって測定された膜厚が目標とする膜厚に到達したときであり,原告の主張には理由がない。

(3)  カウフマンイオンビームの広狭についての甲2論文の解釈について原告が挙げる甲2論文の記載は,最も一般的なタイプのイオンソースのイオンビームの照射範囲が広いことを示しているにすぎず,カウフマンソースのイオンビームの照射範囲が広いことを示すものではない。仮に,甲2論文の記載がカウフマンソースのイオンビームの照射範囲が狭いことを示すものであったとしても,甲2論文の記載には比較対象が示されておらず,広さの程度は不明である。

他 方 , W. T. Pawlewicz et al., "Low-energy high-flux reactive ionassisted deposition of oxide optical coatings: performance, durability,stability and scalability", Proc. SPIE, The International Society forOptical Engineering, 1994, Vol. 2262, p. 2-13(甲3号証(4頁の表3))及び甲12論文の記載によれば,本件特許出願の出願時において,カウフマン型イオンソースによるイオンビームの照射範囲が,エンドホールイオンソースによるイオンビームの照射範囲に比較して狭い(鉛筆のようなものである)ことは,技術常識である。

甲1論文には,イオンビームの照射範囲がドーム内周面の一部領域であることが記載され,カウフマン型イオンソースが用いられたことが記載されている。

かかる甲1論文の記載及び技術常識に鑑みれば,甲1論文の図1の記載に接した当業者は,甲1論文に記載の実験(IAD)において,イオンビームの照射範囲が,ドームの内周面の一部領域であると理解する。

また,「基体保持手段の基体保持面に保持されている複数の基体が回転していること」は,相違点2に関する主張で述べるとおり,甲1論文に記載されているに等しい事項である。新規性の判断において,「刊行物に記載された発明」とは,刊行物に記載されている事項のみならず,出願時の技術常識を参酌することにより刊行物に記載されているに等しいと認められる事項を含むものである。

そうすると,イオンビームの照射範囲がドーム内周面の一部の領域であり,かつ,成膜時にドームが回転するということは,ドーム内周面に保持されている基板にイオンが照射されているときと照射されていないときが確保されるようにイオンが照射されることになり,相違点3に係る構成は甲1に記載されているに等しい事項である。

2  取消事由2(相違点2に係る新規性判断の誤り)について

(1)  甲1論文には成膜工程においてドーム及び基板を回転させることの記載がないとの主張について

甲1論文の図1には,ドームを支える軸部が回転することを示す矢印が記載されている。また,甲1論文の図1には,「基板」(substrate)と示された楕円状の領域と,半楕円状の領域とが記載されている。また,甲1論文には,「複数」のスライドガラスと「複数」のシリコンウエハーが物性測定用基板として選ばれたことが記載されている。

特開2006-45632号公報(乙2)及び特開2007-248828号公報(乙3)から明らかなように,本件特許出願の出願時において,ドーム状の基板ホルダに複数の基板を保持させること及び各基板の成膜条件が均一となるように基板ホルダを回転させることは技術常識である。

以上に照らすと,ドーム状の基板ホルダに複数の基板を保持させることが技術常識であったから,甲1論文における「基板」と示された楕円状の領域及び半楕円状の領域が示されていることの記載,及び,「複数」のスライドガラスと「複数」のシリコンウエハーが物性測定用基板として選ばれたことの記載に接した当業者は,甲1論文記載のドーム内周面には,複数の基板が保持されていると理解する。

また,各基板の成膜条件が均一となるように基板ホルダを回転させることが技術常識であったから,甲1論文における,ドームを支える軸部が回転することを示す矢印の記載に接した当業者は,甲1論文に記載のドームは成膜時に回転されると理解する。

したがって,相違点2に係る構成「『基体保持手段の基体保持面に保持されている複数の基体』が回転していること」は,甲1論文に記載されているに等しい事項である。

(2)  甲1論文におけるドームの回転を否定する記載について

ア 蒸着条件を同一にするために回転するものではないとの主張について原告は,甲1論文の「これらの薄膜」は,シリコンウエハー上のZrO2薄膜と分光光度計で測定したスライドガラス上のZrO2薄膜を指すものであると主張している。

しかし,甲1論文の「これらの薄膜」とは,シリコンウエハー上のZrO2薄膜を指すものである。甲1論文の「これらの薄膜」の一つ前の文「SE分析に用いたこれらのZrO2薄膜は,コーティングチャンバのスライドガラスに隣接して配置したシリコンウエハー上に成膜した。」(訳文3頁4行~6行)において「薄膜」として記載されているのは,「これらのZrO2薄膜」のみである。仮に,原告の主張に従うと,甲1論文における「これらの薄膜は,分光光度計で測定したものと同じである。」(訳文3頁6~7行)との記載は,「A シリコンウエハー上のZrO2薄膜と,B 分光光度計で測定したスライドガラス上のZrO2薄膜は,分光光度計で測定したものと同じである。」となり,分光光度計で測定したものが分光光度計で測定したものと同じであるという意味不明の記載になる。したがって,甲1の上記記載に接した当業者は,「これらの薄膜」は,「シリコンウエハー上のZrO2薄膜」であると理解する。

したがって,原告の主張はその前提を誤っている。

イ ドームは回転不能な仕組みを持つとの主張について

甲1論文の図1及び本文には,水晶膜厚計や熱電対がドームに挿入されていることを示す記載はないし,ドームに穴が開いていることや,ドームに水晶膜厚計及び熱電対が挿入されていることを示す記載もない。甲1論文の図1には,ドームが回転するのであるから,水晶膜厚計及び熱電対がドームの回転を妨げない位置に設けられていることは当然である。

平成7年3月10日に刊行された特開平7-63903号公報(乙4)及び平成17年1月20日に刊行された特開2005-17211号公報(乙5)に開示されているように,回転する基板保持手段(ドーム)に挿入されずに,基板保持手段の外周縁に近接する位置に水晶膜厚計が設けられた構成は,本件特許の出願時において技術常識である。

また,平成14年10月3日に刊行された特開2002-286937号公報(乙6。以下「乙6公報」という。)及び平成20年8月14日に刊行された特開2008-184628号公報(乙7。以下「乙7公報」という。)に開示されているように,回転する基板保持手段(ドーム)に挿入されずに,成膜材料の蒸発源から見て基板保持手段の反対側に熱電対が設けられた構成は,本件特許の出願時における技術常識である。

したがって,甲1論文の図1に接した当業者は,水晶膜厚計及び熱電対が,ドームに挿入されずに,その外側に設けられていると合理的に理解する。

ウ 甲1論文の図1における半楕円状の領域は基板ではないとの主張について

甲1論文のドームに記載されている1つの楕円及び2つの半楕円がいずれも基板の設置位置を示すことは,甲1論文の著者であるチャン・クオン・ホワンボン教授の陳述書(乙8)から明らかである。

(3)  甲12論文からもドームの回転が否定されるとの主張について

原告は,甲12論文において蒸着粒子及び衝突イオンの入射角度がそれぞれ20°及び29°であることが記載されていることを根拠に,甲12論文の実験では,蒸着粒子及び衝突イオンの入射角度は固定されており,ドームは成膜中に回転していないと主張する。

しかし,甲12論文の図1には,甲1論文の図1と同様に,「ドームを支える軸部が回転することを示す矢印」が明示されている。

さらに,イオンビームの照射範囲がドーム内周面の一部領域(1つの基板が保持された領域)であることが示されていることからすれば,甲12論文の入射角度についての記載は,ドームが回転している状態で,かつ,イオンビームが照射されている状態におけるものであると解される。ドームが回転している状態で,かつイオンビームが基板に照射されていない状態においては,そもそも衝突イオンの入射角度は存在しないのであるから,当然である。

(4)  審決の判断は推測ないし類推に基づくものであるとの主張について

上記(1)で述べたとおり,相違点2に係る構成「『基体保持手段の基体保持面に保持されている複数の基体』が回転していること」は,甲1論文に記載されているに等しい事項であり,推測ないし類推に基づくものではない。

甲19公報の図1に示されるように,甲19公報において,回転機構であるステッピングモータ33は,ドーム32の外側に設けられたモニター基板21を回転させるためのものであり,ドーム32の中心軸からはずれた位置に設けられ,その回転軸はドーム32に連結されるものではない。他方,甲1論文の図1における軸部は,ドームの中心軸上に設けられ,ドームに連結され,ドームを貫通している。甲19公報の回転機構の軸部と甲1論文の図1における軸部は,ドームとの位置関係が明らかに異なっており,甲19公報の回転機構が甲1論文の回転機構と同様のものであるとはいえない。

原告は,甲19公報の記載に基づいて,甲1論文の矢印が示しているのはドームを支える軸部の回転ではなく,光学膜厚モニタの回転機構の回転を示していると主張するが,甲19公報でステッピングモータ33が回転させているのは,膜厚モニタ全体ではなく,膜厚モニタ内のモニタ基板21のみである。したがって,甲19公報の記載が,甲1論文の図1の軸部が膜厚モニタ全体を回転させていることの根拠とはならない。また,甲1論文の図1において,軸部が膜厚モニタ全体を回転させているのであれば,そもそも,その回転自体が全く技術的な意味を有しない。

3  取消事由4(相違点5に係る新規性判断の誤り)について

取消事由2についての主張と同様,審決における相違点5に係る新規性判断に誤りはない。

4  取消事由3(相違点6に係る新規性判断の誤り)について

取消事由1についての主張と同様,審決における相違点6に係る新規性判断に誤りはない。

第5当裁判所の判断

事案の内容に鑑み,取消事由2から判断する。

1  取消事由2(相違点2に係る新規性判断の誤り)について

(1)  甲1論文におけるドーム及び基体の回転の有無について

原告は,イオンが常時照射か間欠照射かは主題に関する重要な項目であるから,回転に関する直接的な記載がない場合には,ドーム及び基板は回転していないものと解するのが相当であると主張する。

ア 甲1論文の記載内容

甲1論文は,本件特許の出願日より前の平成8年10月に刊行された,「イオンアシスト蒸着により作製したZrO2薄膜の光学的不均質性と微細構造」と題する論文である(以下の訳文は甲4号証による。)。

甲1論文には以下の記載がある。

「一般的に,光学薄膜は材料融点に比べて比較的低い基板温度で成膜し,蒸発粒子が基板上で凝縮するとき熱力学的に不安定である。低い熱エネルギーをもった到達粒子の移動度は,緻密な膜構造を達成するには不十分である。その結果,その光学薄膜は多孔質であり,柱と空隙からなる柱状微細構造を有する。この柱状微細構造は光学特性の変化,真空-空気スペクトルシフト,異方性,及び低充填密度のような多くの好ましくない影響をもたらす。従って,薄膜の光学的特性及び機械的特性は,対応するバルク材料に比べて劣る。ZrO2は硬く,耐久性があり,電子ビーム照射により容易に蒸発させることができるので,光学多層膜の高屈折材料としてよく用いられる。しかし,ZrO2薄膜の光学的特性は,基板温度,蒸着速度,酸素分圧,及び薄膜作製方法のような蒸着条件に依存する。また,ZrO2薄膜の屈折率は薄膜の成長とともに不均質になる。即ち,空気に隣接した薄膜の屈折率が基板周辺より小さくなること,が知られている。」(訳文1頁20行~30行(空白行を含む。以下同じ。))

「イオンアシスト蒸着(IAD)法は,付加的なイオン源からの高エネルギーイオンビームを基板上に成長する薄膜に衝突させる成膜法である。IAD法は薄膜の柱状構造を崩壊し,金属酸化物薄膜の光学的,機械的特性を向上させる方法として広く用いられてきた。この研究動機はIADであり,それは薄膜の微構造を修正するものであり,ZrO2薄膜の屈折率の不均質性の制御に利用できるものである。本論文の目的は,ZrO2薄膜の屈折率と微構造に於ける不均質性に於いてアルゴンイオン衝撃の効果を研究することである。ZrO2薄膜の光学的及び構造的特性は,正規化されたアルゴンイオン運動量の見地から述べられ,これは成長中の膜に移行される運動量である。」(訳文1頁37行~44行)

「2.実験

ZrO2(錠剤形状,Merck社製)は,図1に示されるように,クライオポンプを備える700mmの箱形成膜装置の中で電子ビームによって蒸着した。基本真空度はおよそ8×10-7Torrであった。蒸着速度は0.3nm/秒,基板温度は120℃,膜厚はおよそ500nmであった。物性測定用基板としてスライドガラスとシリコンウエハーを選んだ。

IADに於いて,口径5cmの熱陰極型カウフマンイオン源(Ion Tech社製)を用いた。3SCCM(SCCMとは,標準状態における1分当たりの立方センチで表したガス流量を意味する)のアルゴンガスを衝撃用ガス種として放電チャンバーに導入し,基板表面が陽イオンによって帯電するのを防ぐために4SCCMのアルゴンガスをプラズマブリッジ中和装置に導入した。アルゴンイオンによる膜中酸素の優先スパッタによる膜中酸素欠損を補償するため,30SCCMの酸素ガスをチャンバーに導入した。イオンエネルギーとイオン電流密度は,それぞれ250-750eV及び0-25μA/cm2の範囲で変動させた。成膜基板は成膜直前に,500eV,40μA/cm2でアルゴンイオンビームにより5分間スパッタクリーニングした。

IAD法による薄膜の光学的,構造的特性は,イオンエネルギーやイオン電流密度のようなイオンビームの主要パラメータに依存する。イオン衝撃による光学薄膜の緻密化は,衝突イオンから基板に到達する粒子への運動量の移行と,粒子の前方カスケード散乱のためである。この意味で,イオン衝突の効果は正規化イオンの運動量Pの関数として表され,以下式で定義される。

P=γ(2miEi)1/2,    (1)

ここで,γは蒸発粒子に対するアルゴンイオンの到達割合の比率,miはアルゴンイオンの質量,Eiはアルゴンイオンのエネルギーである。本実験では,Pが0から1.42MeV/cの範囲で変化させた。ここで,cは真空中の光の速さである。従来の方法による薄膜では,Pが0である。

ZrO2薄膜の outer と inner の屈折率を計算するために,分光光度反射率と透過率を測定した。膜中の空隙量を調べるために,分光エリプソメトリーを用いた。単層膜と多層バンドパスフィルターの真空-空気スペクトルシフトは光学マルチチャネル検出器を用いて測定した。走査型電子顕微鏡(SEM)を用いて断面を調べた。X線回折法(XRD)を用いて,薄膜の結晶相と応力を調べた。X線光電子分光法(XPS)と原子間力顕微鏡法(AFM)を用いて,それぞれ薄膜の化学的特性と表面粗さを調べた。」(訳文1頁下から5行~2頁26行)

「B.分光エリプソメトリー

SE分析においては,三種の薄膜,即ち,従来の方法による薄膜1種とP=0.78MeV/cとP=1.25MeV/cでのIAD法による薄膜2種をそれぞれ選んだ。図3に示すように,選択したIAD法による薄膜の平均屈折率は従来の方法による薄膜より大きく,図4に示すようにその不均質性比はそれぞれほぼゼロか正であることが,選択の理由である。SE分析に用いたこれらのZrO2薄膜は,コーティングチャンバのスライドガラスに隣接して配置したシリコンウエハー上に成膜した。従って,これらの薄膜は,分光光度計で測定したものと同じである。」(訳文2頁末行~3頁7行)

イ 引用発明の内容

上記アの記載によれば,引用発明は,イオンアシスト蒸着(IAD)法に関するものであり,以下の内容を有する。

イオンアシスト蒸着(IAD)法は,付加的なイオン源からの高エネルギーイオンビームを基板上に成長する薄膜に衝突させる成膜法である。IAD法は薄膜の柱状構造を崩壊し,金属酸化物薄膜の光学的,機械的特性を向上させる方法として広く用いられてきた。

実験は,図1に示されるクライオポンプを備えた700mmの箱形成膜装置を用いて行った。ZrO2(錠剤形状,Merck社製)を電子ビームによって蒸着させ,基板に供給する。基本真空度はおよそ8×10-7Torr,成膜速度は0.3nm/秒,基板温度は120℃,膜厚はおよそ500nmであった。物性測定用基板としてスライドガラスとシリコンウエハーを選んだ。

アルゴンイオン照射用のイオン源には,口径5cmの熱陰極型カウフマンイオン源(Ion Tech社製)を用いた。3SCCMのアルゴンガスを衝撃用ガス種として放電チャンバーに導入し,イオンエネルギーとイオン電流密度は,それぞれ250-750eV及び0-25μA/cm2の範囲で変動させた。

イオン衝突の効果は上記の正規化イオンの運動量Pの関数として表され,以下式で定義される。

P=γ(2miEi)1/2,    (1)

ここで,γは蒸発粒子に対するアルゴンイオンの到達割合の比率,miはアルゴンイオンの質量,Eiはアルゴンイオンのエネルギーである。本実験では,Pが0から1.42MeV/cの範囲で変化させた。ここで,cは真空中の光の速さである。従来の方法による薄膜では,Pが0である。

ウ 上記イの引用発明の内容中には,ドーム内周面の「全域に向けてZrO2を供給することによって前記内周面に保持されている複数の基板のすべてに対してZrO2を供給する」ことは明記されていないが,甲1論文の図1(別紙参照)においては,電子ビーム照射によって蒸発したZrO2がドーム全域に拡がる様子が矢印を付した丸印で示されており,また,その拡がる範囲を示すものと理解される2本の直線が,電子銃の発射口のほぼ両端とドームの両端を結ぶ線で示されており,これらによれば,ドーム内周面の全域に向けてZrO2が供給されており,複数の基板はすべてドーム内に存在するように描かれているから,ZrO2はドーム内周面の全域に向けて供給され,これによってZrO2はドーム内周面に保持されている複数の基板のすべてに対して供給されているものと認められる。

以上によれば,甲1論文には,本件特許発明1中の「基体保持手段の基体保持面の全域に向け成膜材料を供給することによって前記基体保持面に保持され回転している複数の基体のすべてに対して前記成膜材料を連続して供給するとともに,前記イオンを照射することによるイオンアシスト効果を与えながら,すべての基体の表面に薄膜を堆積させることを特徴とする成膜方法」に対応するものとして,「ドームの内周面に向けZrO2を供給することによって前記内周面に保持されている複数の基板に対して前記ZrO2を供給するとともに,前記内周面に向けてイオン照射可能となる熱陰極型カウフマンイオン源を用い,前記内周面に対して前記イオンを照射することによって,前記基板に対してイオンを照射することによるイオンアシスト効果を与えながら,前記基板に膜厚およそ500nmのZrO2膜を成膜する方法。」(引用発明1うちの対応部分)が記載されている。

そうすると,引用発明1と本件特許発明1との相違点2は審決が認定するとおり,「本件特許発明1は,『基体保持手段の基体保持面に保持されている複数の基体』が回転しているのに対し,引用発明1は,『基体保持手段の基体保持面に保持されている複数の基体』が回転しているのか不明である点。」と把握される。

エ 審決が認定した上記相違点2について,原告は,甲1論文には成膜工程においてドーム及び基体が回転していることが記載されていないから,ドーム及び基体は回転していないものと認定すべきであり,審決が引用発明は複数の基体が回転しているか不明であると認定したのは誤りであると主張する。

ところで,甲1論文の図1にはドームとつながる軸の周囲に,軸の回転を示すと解される軸周りを囲む円形状の矢印が左回りに描かれており,原告は,これを,ドームの回転軸の回転を示すものではなく,光学膜厚モニタの回転機構の回転を示すものであると主張する。

そこで,甲1論文の図1に記載された矢印が本件特許出願当時において,当業者にどのように理解されるかについて検討する。

(ア) 本件特許出願前の平成18年2月16日に刊行された特開2006-45632号公報(乙2)には,以下の記載がある。

「【0001】

本発明は蒸着装置に係り,特に真空槽内で原料を加熱して生じた原料蒸発物を基体に付着させて薄膜を形成させる蒸着装置に関する。

【0002】

薄膜,例えば光学薄膜を形成する技術として,イオンビームアシスト蒸着法(以下,「IAD」という。)や,イオンプレーティング法(以下,「IP」という。)が知られている。

【0003】

IADは,イオン銃を用いてイオンを基体へ向けて照射しながら,真空槽の底面に配置された蒸着源から薄膜の原料物質を蒸発させ,この蒸発物を基板へ堆積させる蒸着方法である(例えば,特許文献1)。IADでは,比較的高い圧力の真空状態でイオンを発生させて,このイオンを比較的低い圧力の成膜室に導き出しているため,成膜室を低い圧力に維持した状態で蒸着を行うことができる。

【0004】

IPは,例えば蒸着源と基板との間にプラズマを発生させる励起手段(高周波コイル)を設けて,この励起手段によってプラズマを発生させながら蒸着を行う(例えば,特許文献2)。IPでは,低いエネルギーで高密度のイオンを利用して蒸着を行うことができる。

【0005】

また,図9に示すように,IAD,IPいずれの場合でも,従来の蒸着装置では,成膜の効率化のために,蒸着源120から離れた位置に設置された円盤状(あるいはドーム状)の基体ホルダ113に,多数の基板Sを保持させて,これらの多数の基板Sに対して同時に膜形成を行うようにしているのが一般的である。このとき,蒸着源120から発生する蒸発物を,各基板Sに対して満遍なく堆積させる必要があるために,基体ホルダ113を回転させながら蒸着を行うとともに,基体ホルダ113と蒸着源120との距離をある程度離間させた状態で蒸着を行っていた。すなわち,従来の蒸着装置では,基体ホルダ113と蒸着源120との距離をh,基体ホルダ113の直径をdとすると,h/dの値が1以上となるような位置関係で,基体ホルダ113と蒸着源120が設けられていた。また,同じく蒸着源120から発生する蒸発物を各基板Sに対して満遍なく堆積させるために,基体ホルダ113を10~100rpmの回転速度で回転させて,基板を公転させながら蒸着を行っていた。」

(イ) 本件特許出願前に刊行された特開2007-248828号公報(乙3。以下「乙3公報」という。)には,以下の記載がある。

「【0020】

図1は本発明の一実施例である光学薄膜形成装置の概念図である。この図で符号10は真空容器であり,図示しない排気手段によって所定の圧力(例えば3×10-2~10-4Paの程度)に排気される。この真空容器は縦置き円筒状であり,その内部の上方には球面状のステンレス製の基板ホルダ12が垂直軸回りに回動可能に保持されている。この基板ホルダ12の下面には多数の基板14が薄膜形成面を下向きにして固定されている。基板14は形状が板状あるいはレンズなどに加工されたガラスや樹脂である。

【0021】

基板ホルダ12の中心に設けた開口には光学モニタ16および水晶モニタ18が配設されている。光学モニタ16は基板14と同じ材料で作られた透明な板であり,真空容器10の上方に設けたミラーユニット20によって,投光器22から供給される光を光学モニタ16に導き,この光学モニタ16の反射光をミラーユニット20を介して分光器24に導き,一定波長の光強度から膜厚検出部26で光学膜厚を検出するものである。また水晶モニタ18は,その表面に薄膜が付着することによる共振周波数の変化から物理膜厚を膜厚検出部26で検出する。膜厚の検出結果は,コントローラ28に送られる。

【0022】

基板ホルダ12の上方には電気ヒータ30が配設されている。基板ホルダ12の温度は熱電対などの温度センサ32で検出され,その結果はコントローラ28に送られる。コントローラ28はこの温度センサ32の出力を用いて電気ヒータ30を制御して基板14の温度を適切に管理する。

【0023】

真空容器10の内部の下方には,高屈折率物質(TiO2)蒸発手段である蒸発源34,低屈折率物質(SiO2)の蒸発手段である蒸発源36,イオン銃38が配設されている。蒸発源34,36は電子ビーム加熱方式によって高屈折率物質や低屈折率物質を加熱し蒸発させる。イオン銃38は反応性ガス(O2など)や希ガス(Arなど)のプラズマから帯電したイオン(O2+,Ar+)を引出し加速電圧により加速して基板14に向けて射出する。」

「【0026】

・・・真空容器10内に基板14を固定した基板ホルダ12をセットし,真空容器10内を所定圧力まで排気する。その後電気ヒータ30を発熱させ,基板ホルダー12を低速で回転させる。この回転によって多数の基板14の温度と膜形成条件とを均一化する。」

(ウ) 以上の各公報(乙2,3)の記載によれば,本件特許の出願当時において,イオンアシスト蒸着法(IAD)は技術常識であり,また,イオンアシスト蒸着法又はこれに近接する技術であるイオンプレーティング法において,基板ホルダ(本件特許発明1の「ドーム」に相当する。)に保持された複数の基板を基板ホルダを回転させることによって回転させ,膜形成条件を均一化する技術もまた,技術常識であったと認められる。

原告は,甲19公報の記載を挙げて,甲1論文の図1に示された矢印はドームの回転軸の回転を示すものではなく,光学膜厚モニタの回転機構の回転を示すものであると主張する。しかし,甲19公報において原告が光学膜厚モニタの回転機構の回転軸であるとするステッピングモータにつながる回転軸は,モニタ基板を支持するものであって,ドームを支持するものではない。したがって,甲19公報と同一の技術が甲1論文に採用されているものとみることはできない。甲1論文において矢印が付された軸は,ドームの中心線上に位置するものであり,他にドームを支える軸が図示されていない以上,ドームを支える軸であり,これが回転することによってドームが回転することを示しているものとみるのが相当である。

原告は,また,膜物性の評価を研究目的とする甲1論文の実験において,イオンビームがドームの内周面の一部領域に照射されることを肯定するのであれば,膜物性の評価に影響するイオン照射の態様とならないよう成膜時のドームの回転は否定されなければならないと主張する。しかし,甲1論文の研究目的に応じて,膜物性の評価に支障を生じないようなドームの回転数を定めることは当業者が技術的に当然のこととして理解できるものと解されるから(例えば,薄膜の膜質改善のためにイオンビームによるイオンアシスト効果をもたらす本件特許発明の明細書においても,イオン照射は一部の領域にしかされないにもかかわらず,基体保持面の回転数については明細書に記載がない。),甲1論文の実験目的から,直ちにドームの回転が否定されるべきものではない。

(2)  その他の原告の主張について

ア 甲1論文においては,スライドガラスとシリコンウエハーが隣接しており,成膜条件を同一にするために回転するものではないとの主張について

原告は,甲1論文における「ZrO2の薄膜は,コーティングチャンバのスライドガラスに隣接して配置したシリコンウエハーの上に成膜した。」等の記載から,スライドガラスとシリコンウエハーは基板を隣接することで成膜条件を同一にしており,基板の回転により成膜条件を同一にする必要はないから,基板を保持するドームが成膜中に回転しないことが明確に読み取れると主張する。

しかし,甲1論文の「SE分析に用いたこれらのZrO2薄膜は,コーティングチャンバのスライドガラスに隣接して配置したシリコンウエハー上に成膜した。」(訳文3頁4~6行)との記載から明らかなとおり,SE分析においては,スライドガラス上ではなく,シリコンウエハー上の薄膜が分析対象とされている。これに対し,分光光度法においては,基板として透明のスライドガラスを使用しているものと理解される。甲1論文における「従って,これらの薄膜は,分光光度計で測定したものと同じである。」(訳文3頁6~7行)との記載は,分光光度法で測定したスライドガラス上の薄膜とSE分析法で測定したシリコンウエハー上の薄膜が,両基板が隣接していることにより同一の成膜条件で成膜されたことを記載しているものと解される。したがって,少なくとも,SE分析に用いられたシリコンウエハーと分光分析に用いられたスライドガラスは隣接しているから,それらに関する限りは,蒸着条件を同一にするために回転する必要はないといえる。しかし,複数の基板が相互に一定の距離をもって離れている場合があることは甲1論文の図1から明らかであるから,後に取消事由1で判断するとおり,イオン照射の範囲が限定されていることに照らせば,蒸着条件を同一にするためにドーム及び基板を回転することは合理的であると認められ,特定の測定法の対象としてスライドガラスとシリコンウエハーが隣接していたからといって,基板全体が回転しないことまでを意味するものではないというべきである。原告の主張を採用することはできない。

イ 回転不能な仕組みとの主張について

甲1論文の図1は,装置を側面から見た場合の概略図であって,水晶膜厚計及び熱電対がドーム付近に設置されていることを示すにとどまり,その正確な配置関係まで記載したものとは解されない。したがって,同図1からは,水晶膜厚計及び熱電対がドームの上部付近に固定されていることを読み取ることはできるとしても,原告が主張するように,水晶膜厚計や熱電対がドームに挿入されていることまで読み取ることはできない。むしろ,プラスチック製光学部品の光学薄膜およびその成膜方法に係る特開平7-63903号公報(平成7年3月10日公開,乙4)及び多色式光学膜厚計測装置及び方法に係る特開2005-17211号公報(平成17年1月20日公開,乙5。以下「乙5公報」という。)によれば,光学薄膜形成のためにドームを使用する装置において,ドーム近傍のドームの回転を妨げない位置に蒸発レートや成膜速度を検出する水晶モニタが設けられていること(乙4,5の各図1),乙5公報の水晶センサーにおいては電子ビームの蒸発源のコントローラーに検出信号をフィードバックし,成膜速度を一定に制御していること(【0007】)が認められる。また,光ファイバ端面への誘電体膜成膜方法と誘電体膜成膜装置に係る乙6公報及び薄膜形成装置及び薄膜形成方法に係る乙7公報によれば,真空チャンバー内の回転ドームに光ファイバの端部をセットして,ファイバ端面に誘電体膜を成膜する技術,ドーム状の部材で構成することも可能な基板ホルダ上の基板(特にプラスチック基板)に薄膜を形成する技術において,ドーム近傍のドームの回転を妨げない位置に熱電対又は温度計が設けられていること(乙6,7の各図1),乙6公報の熱電対においては,その測定結果に基づいてヒータ電源を制御する温度コントローラが設けられていること(【0013】)が認められる。これらによれば,薄膜形成装置において,ドーム近傍のドームの回転を妨げない位置に膜厚測定装置及び熱電対を設置し,その測定結果を基に制御装置によって成膜速度や温度を制御することは技術常識であったと認められるから,甲1論文の図1に接した当業者は,水晶膜厚計や熱電対がドームの回転を妨げない位置に設けられていると理解するものと認められる。

よって,甲1論文の図1におけるドームが回転不能の仕組みになっているという原告の主張を採用することはできない。

ウ ドームに描かれた半楕円形の部分が基板であるかについて

甲1論文の図1にはドームの中央部に楕円形状の部分が図示され,これについては「基板」であると明示されていること,ドームの両端における半楕円形の部分は,上記のとおり「基板」と明示された楕円形状の部分といずれもドームの上端及び下端からの位置がほぼ同一でありその縦幅がほぼ同一であること,図1の記載からみれば,半楕円形で描かれた部分は側面図であるためその横半分が描かれたものであり,半楕円形で描かれているものの全体の形状は楕円形であって,その横幅も「基板」と明示された楕円形状の部分と大きく異ならないと理解できることに照らせば,ドームに描かれた半楕円形の部分は基板であると解される。

原告は,半楕円形部分の上部が直線ではなく曲線で示されていることから,半楕円形部分は基板ではないと主張するが,甲1論文の図1は,基板の保持される位置が分かれば足りる程度の概略図であると理解され,基板の正確な形状まで考慮して記載されたものとは解されないから,半楕円形部分の上部が直線でないからといって,基板ではないとはいえない。原告の上記主張を採用することはできない。

エ 甲12論文について

原告は,甲1論文の図1と同一の著者の論文である甲12論文には,蒸着粒子及び衝突イオンの入射角度がそれぞれ20°,29°と記載されており,入射角度が固定され,イオン源のレイアウトがオフセットされていることから,ドームが回転すれば入射角度は回転に伴い変化することになり,したがって,ドームが成膜中に回転することはあり得ないと主張する。

しかし,甲12論文においては,入射角度の測定方法等が明らかにされておらず,したがって入射角度が固定されていること等についても明らかではないから,甲12論文を根拠とする原告の主張は理由がない。

(3)  以上によれば,甲1論文におけるドームを支える軸の周囲に描かれた円形状の矢印をみた当業者は,本件特許出願当時の技術水準に従って,軸の回転に伴ってドームが回転し,ひいてはドームに載置された複数の基板も回転すると理解するものと解される。

したがって,相違点2は実質的相違点でないとした審決の判断に誤りはない。

2  取消事由1(相違点3に係る新規性判断の誤り)について

(1)  前記1(1)イで認定した引用発明の内容によれば,本件特許発明1は,「回転している基体保持面の一部の領域に対してイオンを連続して照射することによって,前記基体保持面の回転に伴って移動している前記基体のそれぞれにイオンが照射されているときと照射されていないときが確保されるように前記イオンを照射し,前記基体のそれぞれに対して前記イオンを照射することによるイオンアシスト効果を与えながら,すべての基体の表面に薄膜を堆積させる」のに対し,引用発明1は,イオン照射の態様が不明であるといえるから,審決の相違点3の認定に誤りはない。

原告は,相違点3は実質的相違点ではないとした審決の判断は誤りであると主張するので,以下,検討する。

(2)  原告は,甲1論文の実験においてイオン電流密度及びイオンエネルギーが甲1論文に記載された最大値のときに,正規化イオン運動量Pが甲1論文に記載された最大値になるから,甲1論文における正規化イオン運動量Pは,イオン電流密度及びイオンエネルギーが変動しないこと,すなわち常時イオン照射を受けていることを前提として計算されていると主張する。

原告は,上記主張の根拠として,正規化イオン運動量Pが経時的に算出されるものであり,イオン照射を受ける期間と受けない期間があるときには,イオン照射を受けない期間における蒸着粒子の到達分を考慮する必要が生じ,正規化イオン運動量Pは1.42を達成できないと主張する。

しかし,甲1論文において,正規化イオン運動量Pが経時的に算出されているとする根拠はない。

甲1論文の実験の目的は,「ZrO2薄膜の屈折率と微構造に於ける不均質性に於いてアルゴンイオン衝撃の効果を研究すること」(訳文1頁下から10行~9行)であり,実験の結果として,「アルゴンイオンの運動量の増加に伴い以下の事実が観測された。・平均屈折率は従来法の薄膜より大きくなる。・屈折率の不均質性の符号は負から正に反転する。・最上層の空隙率は最下層より小さくなる。・単層膜と多層膜は如何なるスペクトルシフトを示さない。これらの結果は,アルゴンイオン衝撃効果により充填密度が増大することに起因する。」(訳文5頁下から16行~11行)としている。

そして,このような結果を導くための検査方法として,次のものが示されている。

分光光度法においては,従来の方法による薄膜(P=0)とPを約0.2から1.4の範囲で変化させたそれぞれの薄膜の不均質性比を検討している。P値の間隔は約0.2MeV/cごとである(図3,図4)。

分光エリプソメトリーのSE分析においては,従来の方法による薄膜1種とP=0.78MeV/cとP=1.25MeV/cでのIAD法による薄膜2種を比較している(図5)。

真空-空気スペクトルシフトでは,従来の方法による薄膜とIAD法のP値0.78MeV/cによる薄膜の真空-空気スペクトルシフトを比較している(図6)。

走査型電子顕微鏡では,従来の方法による薄膜とIAD法によるP=1.25MeV/cの薄膜とを比較している(図7)。

X線回折分析では,従来の方法による薄膜とP値が0.23MeV/c,0.78MeV/c及び1.25MeV/cのIAD法による薄膜とを比較している(図8)。

化学的特性では,従来の方法とIAD法によるZrO2の化学組成の変化を調べ,両者が同じ位置にZr3dのピークとOlsのピークを示すことから,IAD法によるZrO2薄膜の不均質性と結晶相の変化は化学組成とは無関係のように思われるとの結論を導いている(図10)。

表面粗さにおいては,従来の方法による薄膜の二乗平均表面粗さは23Åであったが,P=0.23MeV/cとP=0.78MeV/cでのIAD法による薄膜の二乗平均表面粗さは,それぞれ19Å,17Åであって,Pの増加と共に表面粗さは低下する傾向があるとされ,IAD法による薄膜の平滑度の増大は,外側領域での空隙の減少と関係する可能性があるとの結論が導かれている(図11)。

以上の実験の目的とそのための検討内容をみると,最もP値の数値間隔が狭い分光光度法における検討においても,P値の数値間隔は約0.2MeV/cごとであり,他の検査方法においてはP値の数値間隔はより広い。

甲1論文の実験の目的は,前記のとおり,「ZrO2薄膜の屈折率と微構造に於ける不均質性に於いてアルゴンイオン衝撃の効果を研究すること」であるが,その検査対象として選択されているのは,P=0の従来の方法による薄膜と一定の数値間隔をもったP値により生成された薄膜であり,検査の目的は,主に従来方法(P=0)との比較であり,P値の中でどの程度の数値の場合が効果的であるかという検証ではないと解される。もしP値の数値のレベルごとの効果の検証であれば,比較対象とするP値を各検査事項に共通する数値として選定して,各検査事項ごとに選定されたP値の検査結果を比較検討する必要があるが,そのような検討はされていない。

そうすると,甲1論文の目的に沿った検討を行うために,P値を算出するに当たって,イオン照射を受けない期間における蒸着粒子の到達分を含めて細かい補正値を求める必要があるとは認められないし,そのような補正の作業がされたことを甲1論文の記載内容からもうかがうことはできない。

したがって,P値の最高値である1.42MeV/cは,イオン電流密度及びイオンエネルギーが最大値の場合のP値を示しているものと解され,そのようなP値がイオンの照射態様によって変動するものとは解されないから,P値の最高値が1.42MeV/cであることを根拠として常時イオン照射が行われているとする原告の主張を採用することはできない。

なお,原告は,成膜中に少しでもイオン照射を行った場合にはP=0となることはあり得ないと主張する。しかし,P=0の場合とは従来の方法による薄膜の形成であって,イオン照射を行わずに薄膜を形成した場合であり,甲1論文における「Pが0から1.42MeV/cの範囲で変化させた。」とは,従来の方法で成膜した場合はPが0であり,その他の場合は,各P値で成膜したことを示すものであると解される。

(3)  次に,甲1論文の図1におけるイオンビームの照射範囲について検討する。

甲1論文の本文中の記載には,蒸着源からのZrO2の照射範囲及びイオンビームの照射範囲については記載がない。しかし,甲1論文の図1には,蒸着源からのZrO2の照射範囲を示すものとみられる2本の直線が示されており,ZrO2は,ドーム内周面に保持された全ての基板上に供給されているものと解するのが相当である。

一方,イオンビームの照射範囲については,甲1論文の著者がドーム全体にイオンビームを照射することを意図していたならば,ZrO2の照射範囲と同様に,イオンビームの照射範囲をドームの両端まで延長した線として描いたはずである。実際,乙3公報の図1及び乙6公報の図1には,イオンビームの照射範囲をドームの両端までとした図が描かれている。しかし,甲1論文の図1ではイオンビームの照射範囲について,ドームの両端まで延長された線は描かれていない。

むしろ,甲1論文の図1においては,イオンビームは,ドーム全体ではなく,ドームの中央部に描かれた楕円形状の基板へ向かう3本の線として描かれており,この図の記載からみて,イオンビームは,ドームの内周面の一部の領域に照射されているものと認めるのが相当である。

原告は,膜物性の評価を研究目的とする甲1論文の実験において,成膜時のドームの回転の存在を肯定するのであれば,膜物性の評価に影響するイオン照射の態様とならないよう,イオンビームがドーム内周面の一部領域に照射される態様は否定されなければならないと主張する。

しかし,膜物性の評価に支障を生じないようなイオン照射及びドーム回転数の調整をすることは技術的に可能であると解されるから,原告の主張には理由がない。

また,取消事由2で判断したとおり,引用発明1においては,内周面に複数の基板が保持されているドームは回転している。

さらに,イオン源に対しては,3SCCMのアルゴンガスが連続的に供給されているものと判断され,イオン源の照射口付近にはイオンの照射を遮るシャッター等の手段も設置されていないから,イオン源からはアルゴンイオンが連続的に照射されているといえる(審決は相違点1として,「本件特許発明1は『成膜材料を連続して供給する』のに対し,引用発明1は,成膜材料が連続して供給されるのか不明である点」を挙げ,この点は実質的相違点でないと判断しているが,この点について当事者は争っていない。)。

そうすると,引用発明1は,「前記基体保持面の一部の領域に向けてイオン照射可能となる成膜アシスト手段を用い,回転している前記基体保持面に対して前記イオンを連続して照射することによって,前記基体保持面の回転に伴って移動している前記基体のそれぞれにイオンが照射されているときと照射されていないときが確保されるように前記イオンを照射し,前記基体のそれぞれに対して前記イオンを照射することによるイオンアシスト効果を与えながら,すべての基体の表面に薄膜を堆積させることを特徴とする成膜方法。」といえるから,引用発明との相違点3は実質的相違点でなく,これを実質的相違点でないとした審決の判断に誤りはない。

(4)  原告のその他の主張について

ア カウフマンイオン源の広狭に関する甲2論文の解釈について原告は,カウフマンイオンの照射範囲について主張するが,熱陰極型カウフマンイオン源のイオン照射範囲を拡げること自体は技術的に可能であるとしても,上記(3)で検討したとおり,引用発明1では,熱陰極型カウフマンイオン源を前提として,そのイオンの照射範囲は3本の矢印で示された範囲に限定されると解するのが相当であるから,原告の主張には理由がない。

イ 発明の解決課題及び解決手段の技術思想が異なるとの主張について

原告は,本件特許発明1の課題は,緻密で良質な薄膜を得ることにあるのに対し,甲1論文の課題はZrO2薄膜の屈折率の不均質性を制御することにあるから,発明の解決課題や解決手段における技術思想が異なると主張する。

しかし,本件特許発明1の新規性を判断するに際しては,引用発明1が本件特許発明1の構成を全て備えているかについて判断を行えば足り,引用発明1が本件特許発明1の構成を全て備えていると判断されれば,本件特許発明1の新規性は否定されることになる。

相違点2,3が実質的相違点でないことは前記のとおりであり,また,相違点1が実質的相違点ではないことについて,当事者間に争いないから,引用発明1は本件特許発明1の構成の全てを備えており,本件特許発明1の新規性を否定した審決の判断に誤りはない。

3  取消事由3(相違点6に係る新規性判断の誤り)について

甲1論文には,前記1の(1)イのとおり,「ZrO2(錠剤形状,Merck社製)は,図1に示されるように,クライオポンプを備える700mmの箱形成膜装置の中で電子ビームによって蒸着した。基本真空度はおよそ8×10-7Torrであった。」との記載があり,また,図1には,ドームが箱形成膜装置内に配設されるように描かれており,ドーム中央に描かれた楕円形状部分とドーム両端部に描かれた半楕円形状部分は,いずれもドーム内周面に保持された基板を意味すると考えられるから,甲1論文に記載された成膜装置は,「基本真空度がおよそ8×10-7Torrである箱形成膜装置内に配設され,複数の基板を保持するためのドーム」を備えている。

また,甲1論文の図1においては,電子ビーム照射によって蒸発したZrO2が照射される範囲がドーム全域となるように2本の直線が描かれているから,甲1論文に記載された成膜装置は,「前記ドームの内周面の全域に向けZrO2を供給することによって前記内周面に保持されている複数の基板のすべてに対して前記ZrO2を供給可能となるような配置及び向きで前記箱形成膜装置内に設置された,基板に対してZrO2を供給する手段」を備えている。

さらに,甲1論文には,前記1の(1)イのとおり,アルゴンイオン照射用のイオン源として「熱陰極型カウフマンイオン源」を用いたことが記載されており,図1の記載から,このイオン源が,アルゴンイオンがドーム内周面に保持された基板に対して照射されるような配置及び/又は向きに設置されているといえるから,甲1論文に記載された成膜装置は,「イオンを前記内周面に対し照射可能となるような,構成,配置及び/又は向きで前記箱形成膜装置内に設置された熱陰極型カウフマンイオン源」を備えている。

以上によれば,引用発明2を「基本真空度がおよそ8×10-7Torrである箱形成膜装置内に配設され,複数の基板を保持するためのドームと,前記ドームの内周面の全域に向けZrO2を供給することによって前記内周面に保持されている複数の基板のすべてに対して前記ZrO2を供給可能となるような配置及び向きで前記箱形成膜装置内に設置された,基板に対してZrO2を供給する手段と,イオンを前記内周面に対し照射可能となるような,構成,配置及び/又は向きで前記箱形成膜装置内に設置された熱陰極型カウフマンイオン源とを,有する成膜装置。」と認定した審決の判断に誤りはない。

したがって,本件特許発明2と引用発明2の相違点6は,審決が認定するとおり,「本件特許発明2は,『成膜アシスト手段』が『イオンを基体保持面の一部の領域に向けて照射可能であり,回転している前記基体保持面に対して前記イオンを連続して照射することによって,前記基体保持面の回転に伴って移動している基体のそれぞれにイオンが照射されているときと照射されていないときが確保されるように前記イオンを照射可能となるような構成,配置及び/又は向きで真空容器内に設置され』ているのに対し,引用発明2は,成膜アシスト手段がどのように真空容器内に設置されているのか不明である点。」となる。

そして,上記相違点6が実質的相違点といえないことは,取消事由1で判断したとおりであるから,審決の判断に誤りはない。

4  取消事由4(相違点5に係る新規性判断の誤り)について

「本件特許発明2は,『基体保持手段』が『回転可能に配設され』ているのに対し,引用発明2は,基体保持手段が回転可能に配設されているのか不明である点。」を相違点5とした審決の判断に誤りはない。

そして,上記相違点5が実質的相違点といえないことは,取消事由2で判断したとおりであるから,審決の判断に誤りはない。

相違点4が実質的相違点でないとした審決の判断に誤りがないことについては当事者間に争いがない。

5  まとめ

以上のとおり,原告主張の各取消事由はいずれも理由がない。また,他に審決に取り消すべき違法もない。

第6結論

よって,原告の請求は理由がないからこれを棄却することとし,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 設樂隆一 裁判官 大須賀滋 裁判官 小田真治)

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