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知財高等裁判所 平成25年(行ケ)10327号 判決 2014年9月25日

原告

アストラゼネカ・ユーケイ・リミテッド

訴訟代理人弁護士

鈴木修

末吉剛

訴訟代理人弁理士

寺地拓己

被告

特許庁長官

指定代理人

内藤伸一

今村玲英子

内田淳子

板谷一弘

内山進

主文

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

3  この判決に対する上告及び上告受理の申立てのための付加期間を30日と定める。

事実及び理由

第1請求

特許庁が不服2013-10795号事件について平成25年7月30日にした審決を取り消す。

第2事案の概要

1  特許庁における手続の経緯等(証拠の記載のない事実は,当事者間に争いがないか,弁論の全趣旨により認められる。)

(1) 原告は,発明の名称を「キナゾリン誘導体,その製法及び抗癌作用を得るためのそれを含有する医薬品」とする特許第3040486号の特許(平成8年4月23日出願,優先権主張:1995年4月27日,イギリス(GB),平成12年3月3日設定登録。以下「本件特許」という。請求項の数は20である。)の特許権者である。

(2) 原告(以下,日本法人の行為を含め,単に「原告」と表示する。)は,平成14年7月5日付けで,以下のとおり,厚生労働大臣から医薬品輸入承認(以下「本件先行処分」という。)を受けた(甲2。なお,上記承認は,平成14年法律第96号による改正前の薬事法の規定に基づくものであり,同改正に係る法律附則8条5項の規定により,同法律による改正後の薬事法14条の規定による承認を受けたものとみなされる。以下,上記承認を受けた医薬品を「本件医薬品」という。)。

ア 処分の根拠

薬事法23条において準用する同法14条1項(いずれも,平成14年法律第96号による改正前のもの。)

イ 承認番号

21400AMY00188000

ウ 名称

イレッサ錠250(販売名)

エ 成分及び分量又は本質

ゲフィチニブ(成分名)

オ 効能又は効果

手術不能又は再発非小細胞肺癌

カ 用法及び用量

通常,成人にはゲフィチニブとして250mgを1日1回,経口投与する。

(3) 原告は,平成14年10月1日,本件特許に係る発明の実施に特許法67条2項の政令で定める処分(本件先行処分)を受けることが必要であったとして,本件特許の特許権の存続期間の延長登録の出願(特許権存続期間延長登録願2002-700107号)をし,平成15年10月8日,延長期間を2年4月1日とする特許権の存続期間の延長登録がされた(甲2,乙4)。

(4) 原告は,平成23年11月25日付けで,厚生労働大臣から医薬品製造販売の承認事項の一部変更処分(以下「本件処分」という。)を受けた。本件処分は,本件先行処分の一部変更承認であり,変更事項は,「効能又は効果」の記載に係る部分である(甲2,3)。

(5) 原告は,平成24年2月15日,本件特許に係る発明の実施に特許法67条2項の政令で定める処分(本件処分)を受けることが必要であったとして,5年の存続期間の延長登録を求めて,本件特許につき特許権の存続期間の延長登録の出願(特許権存続期間延長登録願2012-700003号。以下「本件出願」という。)をした。

平成24年12月11日付け手続補正後の本件処分の内容及び本件出願の理由は次のとおりである(甲3)。

ア 延長登録の理由となる処分

薬事法14条9項に規定する医薬品に係る同項の承認

イ 処分を特定する番号(承認番号)

21400AMY00188000

ウ 処分の対象となった物

イレッサ錠250(販売名),ゲフィチニブ(有効成分)

エ 処分の対象となった物について特定された用途

EGFR遺伝子変異陽性の手術不能又は再発非小細胞肺癌

オ 処分を受けた日

平成23年11月25日

(6) 原告は,本件出願について,平成25年2月28日付けで拒絶の査定を受けたので,同年6月10日,拒絶査定に対する不服の審判(不服2013-10795号)を請求した。特許庁は,同年7月30日,「本件審判の請求は,成り立たない。」との審決をし,その謄本を,同年8月9日,原告に送達した(出訴期間90日附加)。

(7) 原告は,平成25年12月4日,上記審決の取消しを求めて,本件訴えを提起した。

2  特許請求の範囲の記載

本件特許の特許請求の範囲の請求項1,16及び20の記載は,以下のとおりである(誤記と解される箇所は訂正した。以下,請求項1ないし20に記載された各発明を順に「本件特許発明1」,「本件特許発明2」などといい,これらを総称して「本件特許発明」という。)。

「【請求項1】 式I:

file_2.jpg[式中,nは1,2又は3であり,かつR2はそれぞれ無関係に,ハロゲノ,・・・中略・・・であり;

R3は(1~4C)アルコキシであり;かつ

R1は・・・中略・・・モルホリノ-(2~4C)アルコキシ,・・・中略・・・であ・・・中略・・・る]のキナゾリン誘導体又はその薬剤学的に認容可能な塩。」

「【請求項16】請求項1から15のいずれかに記載の式Iのキナゾリン誘導体又はその薬剤学的に認容可能な塩の製法において,その製法が,(a) 式II:

file_3.jpgW[式中,Zは置換可能な基である]のキナゾリンと式 III:

file_4.jpgubのアニリンとの反応からなり,かつ式Iのキナゾリン誘導体の薬剤学的に認容可能な塩を必要とする場合には,それを,慣用の方法を用いて前記の化合物と好適な酸とを反応させることにより得る,請求項1から15のいずれかに記載の式Iのキナゾリン誘導体又はその薬剤学的に認容可能な塩の製法。」

「【請求項20】薬剤学的に認容可能な希釈剤又は担持剤と共に,請求項1から15のいずれかに記載の式Iのキナゾリン誘導体又はその薬剤学的に認容可能な塩を含有する,抗癌作用を得るための医薬品。」

なお,本件特許発明2ないし15は,本件特許発明1の化合物の範囲を限定した化合物の発明であり,本件特許発明17ないし19は,本件特許発明1の化合物の範囲を限定した化合物の製法の発明である。

3  審決の理由

審決の理由は,別紙審決書写しのとおりであり,本件出願は特許法67条の3第1項1号に該当するから,特許権の延長期間の登録を受けることができないというものである。その要旨は,以下のとおりである。

(1) 特許法67条の3第1項1号における「特許発明の実施」は,処分の対象となった医薬品の承認書に記載された事項のうち特許発明の発明特定事項に該当する全ての事項(発明特定事項に該当する事項)によって特定される医薬品の製造販売等の行為である。ただし,医薬品の承認においては用途に該当する事項が定められていることから,用途を特定する事項を発明特定事項として含まない特許発明の場合には,「特許発明の実施」は,処分の対象となった医薬品の承認書に記載された事項のうち,特許発明の発明特定事項に該当する全ての事項及び用途に該当する事項によって特定される医薬品の製造販売等の行為ととらえるのが適切である。また,医薬品の承認における用途とは,承認書に記載された効能・効果である。

(2) そして,本件特許発明1ないし6及び14のうち,本件処分の対象となった医薬品の「発明特定事項及び用途に該当する事項」によって特定される範囲は,ゲフィチニブ(本件特許発明1の発明特定事項である前記キナゾリン誘導体に該当する事項である。)及び「EGFR遺伝子変異陽性の手術不能・再発非小細胞肺癌」であり,本件先行処分におけるゲフィチニブ及び「手術不能・再発非小細胞肺癌」によって実施できるようになっていたので,特許法67条の3第1項の拒絶事由が生じる。

(3) 本件出願の願書に添付された延長の理由を記載した資料からは,本件処分における本件医薬品の製造方法が不明であるので,本件特許発明16ないし18の実施に本件処分が必要であったとはいえないが,仮に,本件処分における本件医薬品の製造方法が明らかにされ,その製造方法における原料化合物及び試薬などの製造条件が,本件特許発明16ないし18の製造方法における原料化合物及び試薬などの製造条件に該当することが認められても,本件特許発明1ないし6及び14と同様,本件特許発明16ないし18のうち,本件処分の対象となった医薬品の「発明特定事項及び用途に該当する事項」によって特定される範囲は,本件先行処分によって実施できるようになっていた。

(4) 本件出願の願書に添付された延長の理由を記載した資料からは,本件処分における本件医薬品に配合する成分が不明であるので,本件特許発明20の実施に本件処分が必要であったとはいえないが,仮に,本件処分における本件医薬品に配合する成分が明らかにされ,その成分が,本件特許発明20の医薬調剤における製薬学的に認容性の希釈剤又は担持剤に該当することが認められても,本件特許発明1ないし6及び14と同様,本件特許発明20のうち,本件処分の対象となった医薬品の「発明特定事項に該当する事項」によって特定される範囲は,本件先行処分によって実施できるようになっていた。

(5) 本件特許発明7ないし13,15及び19には本件医薬品は含まれていないから,上記各発明の実施に本件処分を受けることが必要であったといえない。

第3原告の主張

1  本件特許発明1について(取消事由)

審決は,本件特許発明1(化合物の発明であり,疾患は限定されていない。)に関し,本件先行処分の承認書の「効能又は効果」欄の記載のみに基づいて,本件先行処分の「用途に該当する事項」は化学療法既治療か未治療かを問わない「手術不能・再発非小細胞肺癌」であり,本件処分の「EGFR遺伝子変異陽性の手術不能・再発非小細胞肺癌」を包含すると認定し,特許法67条の3第1項1号に該当するとした。

しかし,以下のとおり,本件先行処分の効能・効果は,「化学療法既治療の手術不能・再発非小細胞肺癌」であるから,本件医薬品は化学療法未治療のファーストライン療法としては使用できず,化学療法既治療のセカンドライン以降の治療法としてのみ使用することができるものである。それにもかかわらず,審決は,本件先行処分における「用途に該当する事項」の認定判断を誤り,ファーストライン療法への使用を除外しないものと解したものであって,この誤りが審決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。したがって,審決は取り消されるべきである。

(1) 本件先行処分における「使用上の注意」の位置付けについて本件先行処分に当たり,薬事当局は,本件医薬品の効能・効果について審査を行った結果,「本薬の化学療法未治療例における有効性及び安全性は確立していない。」(以下「本件注意」という。)との<効能・効果に関連する使用上の注意>を付した上で,本件医薬品を承認して差し支えないと判断した。この判断は,実質的に本件先行処分の一部となるものである。

すなわち,使用上の注意は,承認書自体には記載されないものの,医薬品の添付文書の記載事項となっている(薬事法52条1号)。そして,使用上の注意の中でも,<効能・効果に関連する使用上の注意>は,特別な扱いを受け,効能・効果の項に続けて記載される。本件先行処分の下での本件医薬品の添付文書においても,同様に記載されている。本件注意の記載をすることなしには,本件先行処分を得ることはできなかった。そして,本件注意の記載の下では,原告は化学療法未治療例の治療を用途として本件医薬品の製造販売を業として行うことはできなかった。なお,本件先行処分における化学療法未治療例の取扱い,すなわち,化学療法未治療例が効能・効果の欄ではなく,効能・効果に関連する使用上の注意に記載されるという取扱いは,本件先行処分当時の薬事法上の運用に沿ったものであった。

そして,本件処分の際の承認審査において,薬事当局により<効能・効果に関連する使用上の注意>から本件注意の記載を削除することが適切であると判断されて初めて,原告は,本件医薬品の添付文書から上記記載を削除することが可能となった。さらに,厚生労働省は,本件処分に当たっての留意事項に関する通知において,効能・効果の変更と<効能・効果に関連する使用上の注意>の変更とを一体として記載している(甲13)。

(2) 「使用上の注意」の記載の重要性について

ア 添付文書の「使用上の注意」の記載は,次のとおり,極めて重要なものであることからも,本件先行処分と一体のものであるといえる。

患者は,医薬品副作用被害救済制度によって救済を受ける際,医薬品が適正に使用されたか否かを,原則として,医薬品が効能・効果,用法・用量及び使用上の注意に従って使用されたか否かによって判断される。したがって,使用上の注意に従って医薬品を使用することが求められる。

また,医師が,合理的な理由がなく使用上の注意に従わないときには,生じた医事事故に対して,過失が推定される。

製薬企業は,効能・効果に関連する使用上の注意において「有効性及び安全性は確立していない」と明記された症例に対し,医薬品の使用を勧めることはできない,すなわち,上記症例のために医薬品を製造し販売することができない。

イ 実際に,本件注意の下では,専門部会及び医師の認識も,本件医薬品について,化学療法未治療例に対し,「実地医療としては本剤を使用するべきではない」というものであった(日本肺癌学会「実地医療でのゲフィチニブ使用に関するガイドライン」(甲16,17)参照。)。

したがって,本件先行処分の下では,原告は,化学療法未治療例の治療を用途とする本件医薬品を業として製造及び販売することはできなかった。

(3) まとめ

ア 以上のとおり,<効能・効果に関連する使用上の注意>での本件注意の記載は,本件先行処分に際し,薬事当局から求められたものであり,実際上も重要な意味を持つものである。原告は,本件医薬品の添付文書に上記記載をすることなしに,本件先行処分を得ることはできず,また,本件先行処分の下では,上記記載を削除することもできず,本件処分によって初めて,原告は,本件注意の記載を削除することができたのである。

したがって,本件注意に係る上記記載の内容は,本件先行処分の承認書自体には直接記載されていないものの,その内容を特定するものであり,実質的に本件先行処分の一部を成すものである。

イ 本件先行処分について,適応対象が化学療法既治療であることは,<効能・効果に関連する使用上の注意>に表示されていたのであるから,本件先行処分での効能・効果は,「化学療法既治療の手術不能・再発非小細胞肺癌」と理解すべきものであり,本件先行処分での「用途に該当する事項」も,「化学療法既治療の手術不能・再発非小細胞肺癌」である。したがって,ファーストライン療法への使用は除かれている。

これに対し,本件処分での効能・効果は,「EGFR遺伝子変異陽性の手術不能・再発非小細胞肺癌」である(すなわち,化学療法未治療のEGFR遺伝子変異陽性の手術不能・再発非小細胞肺癌を含む。)。本件処分での「用途に該当する事項」も,「化学療法未治療のEGFR遺伝子変異陽性の手術不能・再発非小細胞肺癌」を含む。

そして,「化学療法未治療のEGFR遺伝子変異陽性の手術不能・再発非小細胞肺癌」は,本件先行処分の下では実施することができなかったが,本件処分によって初めて実施が可能となり,ファーストライン療法への使用が認められたのである。

したがって,「用途に該当する事項」の相違に照らし,さらには,延長登録制度の趣旨に照らしても,本件出願は,特許法67条の3第1項1号に該当するものではなく,延長登録は認められるべきである。

ウ 本件先行処分の承認書の「効能又は効果」欄の記載のみに基づく審決の認定判断は,誤りであり,審決は取り消されるべきである。

2  本件特許発明2ないし6,14,16ないし18及び20について(取消事由)

前記1と同様の理由により,審決の認定判断は誤っている。

3  被告の禁反言・信義則違反の主張に対する反論

本件においては,被告が主張する禁反言の適用や信義則違反(後記第4の3)はない。

(1) 本件では,禁反言や信義則の適用の前提となる相手方の信頼が登場する場面が存在しない。

(2) 原告の行為は正当であり,相手方の信頼の保護を議論する必要がない。すなわち,前記1のとおり,本件先行処分の下では,本件注意の記載により,原告は,化学療法未治療例について本件医薬品の輸入及び販売をすることはできなかった。そして,使用上の注意に記載がある場合も,効能・効果に化学療法既治療の限定がある場合も,原告が化学療法未治療例において本件特許発明を実施できないという点では一致する。

しかも,最終的な結論は,本件先行処分当時の薬事法上の運用を踏まえ,薬事当局によって下されたものである。

(3) 延長登録出願の願書に記載された政令指定処分の内容は,延長登録出願の審査のため,政令指定処分を特定するための手段にすぎず,これによって,政令指定処分の内容が変更されるわけではないし,また,存続期間が延長された場合の特許権の効力範囲を左右するものではない。また,願書の記載は,所轄官庁の作成した当時の審査基準に従ったものにすぎない。したがって,本件先行処分の内容が,それらの記載に限定される理由はない。

第4被告の反論

以下のとおり,審決の認定判断に誤りはない。

1  本件特許発明1について

(1) 本件処分の対象となった本件医薬品の用途に該当する事項である「EGFR遺伝子変異陽性の手術不能・再発非小細胞肺癌」は,本件先行処分における「手術不能・再発非小細胞肺癌」に包含されるものである。

ア 原告は,本件医薬品の添付書類に記載された本件注意の内容は本件先行処分の一部となるものであるから,同処分における効能・効果は「化学療法既治療の手術不能・再発非小細胞肺癌」であると主張する。

しかし,本件先行処分の効能・効果は,その承認書に記載されているとおり,「手術不能又は再発非小細胞肺癌」であり,同承認書に,原告の主張するような「化学療法既治療」という限定は付されていない。上記承認書は,本件先行処分によって薬事当局が承認した内容を記載したものであり,本件医薬品の添付文書に記載された本件注意は,本件先行処分を受けた原告が,本件医薬品の使用上の注意を示したものである。

イ 原告は,医薬品の添付文書の記載が承認書の一部を構成するかのように主張するが,そのようなことを規定する法律は存在しない。本件先行処分の内容を,厚生労働大臣の承認書(甲2)と,これとは別の文書である原告作成の本件医薬品の添付文書(甲4)とに分けて記載すると解すべき合理的な理由も根拠も認められない。

実際,本件医薬品の添付文書(甲4)には,「効能・効果」欄のみならず,「用法・用量」の欄にも,<用法・用量に関連する使用上の注意>として,「日本人高齢者において無酸症が多いことが報告されているので,食後投与が望ましい。(重要な基本的注意の項参照)」と記載され,さらに,「使用上の注意」の欄に詳細な使用上の注意の記載がされている。このように,添付文書に記載された「使用上の注意」は承認された医薬品について,使用上の注意を示したものであって,承認内容の一部を表示したものではない。

したがって,本件医薬品の<効能・効果に関連する使用上の注意>に付された本件注意が,本件先行処分の内容を特定するための記載であって,実質的には先行処分の一部である,ということはできない。

ウ なお,原告は,本件注意の記載は,本件先行処分当時の薬事法上の運用であったとも主張するが,そのような運用を客観的に裏付けるに足る証拠を何ら提出しない。むしろ,本件先行処分の審査において,薬事当局が,申請に係る効能・効果「非小細胞肺癌」を「化学療法既治療の手術不能非小細胞肺癌」のように適切な対象に限るべきでないかと申請者に尋ねていること(甲9)からすれば,原告主張のような慣行は存在しなかったか,少なくとも,本件先行処分には適用されていなかったことが明らかである。

(2) 原告は,「使用上の注意」の記載の重要性について主張する。

ア しかし,医薬品が効能・効果,用法・用量及び使用上の注意に従って使用されなかったことにより直ちに,患者が健康被害の救済を受けることができない,などというような事情が先行処分当時存在したわけではない(甲15によれば,個別の事情については,現在の医学・薬学の学問水準に照らして総合的な見地から判断されている。)し,患者が使用上の注意に従わないことが,薬事当局により法的に禁じられている,というような事情が先行処分当時存在したともいえない。

また,医師においては,合理的な理由があれば,使用上の注意に従わなくても,医事事故の発生について過失は推定されないし,ましてや,医師が使用上の注意に従わないことが,薬事当局により法的に禁じられている,というような事情が本件先行処分当時存在したとはいえない。

さらに,製薬企業が「有効性及び安全性は確立していない」と明記された症例に対し,医薬品の使用を勧めることはできない,と判断し,該症例に対し医薬品の使用を特に勧めなかったとしても,医師は,添付文書に記載された効能・効果に関連する使用上の注意や他の使用上の注意に注意しつつ,効能・効果の欄に記載された疾患に対して医薬品を使用するだけのことであり,製薬企業が上記症例のために医薬品を製造,販売や輸入をすることができないことにはならない。

イ なお,「実地医療でのゲフィチニブ使用に関するガイドライン」(甲17)は,そもそも,本件先行処分以降,平成15年10月まで1年以上公表されておらず,上記ガイドラインを引用する添付文書の記載は平成17年3月に改訂された第11版になるまで記載されていなかったのであるから,本件先行処分の内容を認定判断する際に,上記ガイドラインの記載を斟酌すべきではない。

また,上記ガイドラインは,日本肺癌学会が発行した文書であって,薬事当局が承認した内容を記載するためのものではない。上記ガイドラインは,上記学会が示した指針,目標にすぎないものであり,医師に対して強制力を持つものとは解されないし,ましてや,薬事当局により法的に禁じられていることを意味するものではない。

(3) 原告は,本件処分により,初めて化学療法未治療の「EGFR遺伝子変異陽性の手術不能・再発非小細胞肺癌」に本件医薬品を使用することが可能となり,この範囲でファーストライン療法への使用が認められたものであると主張する。

しかし,本件処分の効能・効果であり,かつ,本件出願の願書の「処分の対象となった物についての特定された用途」でもある「EGFR遺伝子変異陽性の手術不能又は再発非小細胞肺癌」は,化学療法既治療か化学療法未治療か(ファーストライン療法での使用か否か)を問うものではないから,「化学療法未治療のEGFR遺伝子変異陽性の手術不能又は再発非小細胞肺癌」を含むと同時に,「化学療法既治療のEGFR遺伝子変異陽性の手術不能又は再発非小細胞肺癌」をも含むものである。

そして,本件先行処分における「手術不能・再発非小細胞肺癌」も,本件処分における「EGFR遺伝子変異陽性の手術不能・再発非小細胞肺癌」も,ともに,化学療法既治療か化学療法未治療かを問うものではない。そうすると,本件先行処分における「手術不能・再発非小細胞肺癌」は,本件処分における「EGFR遺伝子変異陽性の手術不能・再発非小細胞肺癌」を包含することが明らかである。

したがって,「化学療法未治療のEGFR遺伝子変異陽性の手術不能・再発非小細胞肺癌」は,本件先行処分により実施することができるようになっていたものである。

2  本件特許発明2ないし6,14,16ないし18及び20について

審決の本件特許発明1に関する認定判断に誤りがない以上,審決の本件特許発明2ないし6,14,16ないし18及び20に関する認定判断にも誤りはない。

3  禁反言・信義則違反

原告は,本件先行処分を受ける際は,効能・効果を「非小細胞肺癌」から「化学療法既治療の手術不能非小細胞肺癌」のように適切な対象に限るべきではないかという薬事当局の指摘に対し,効能・効果を「化学療法既治療例」に限定することなく「非小細胞肺癌」とすることに大きな問題はない,と反論して,「化学療法既治療例」に限定されない効能・効果の本件先行処分を獲得した(甲9)。

そして,本件先行処分により,本件特許につき,特許権の存続期間の延長登録を受ける際は,「処分の対象となった物についての特定された用途」すなわち原告のいう,「先行処分での「用途に該当する事項」」を「手術不能又は再発非小細胞肺癌」とする出願を行い,化学療法既治療か化学療法未治療かを問わず,特許権の存続期間の延長登録を受けた。

したがって,本件先行処分の「用途に該当する事項」は,「化学療法既治療の手術不能・再発非小細胞肺癌」に限られるとの原告の主張は,禁反言の法則又は信義誠実の原則に反する。

第5当裁判所の判断

当裁判所は,原告主張の取消事由には理由がなく,その他,審決にはこれを取り消すべき違法はないものと判断する。その理由は,以下のとおりである。

1  本件特許発明1について

本件特許発明1は,医薬品の成分を対象とする発明であるが,その医薬品に関連する製造販売等の行為について本件先行処分がされているから,本件において,本件特許発明の実施に本件処分を受けることが必要であったとは認められないとき(特許法67条の3第1項1号)の要件の有無について判断するに当たっては,本件先行処分を受けたことによって既に禁止が解除されていると評価判断することができるかどうかについて,具体的に検討すべきことになる。

この点につき,審決は,本件処分における禁止の解除は,本件先行処分における禁止の解除の範囲に包含されているとして,上記規定の要件に該当すると判断し,これに対し,原告は,本件先行処分における禁止の解除(本件医薬品の効能・効果)の範囲について,審決の認定には誤りがあると主張するものである(前記第3)。

そこで,上記の判断及び主張を踏まえて,以下,検討することとする。

(1) 認定事実

前記第2の1の各事実並びに証拠(甲2ないし4,9ないし14,16,17,19,乙2ないし4)及び弁論の全趣旨によれば,次の事実が認められる。

ア 原告は,本件特許の特許権者である(前記第2の1(1))

原告は,平成14年1月25日,厚生労働大臣に対し,販売名「イレッサ錠250」,一般名「ゲフィチニブ」に係る新有効成分含有医薬品の輸入承認申請をした(甲9・2頁)。

イ 上記申請の審査を担当した医療品医療機器審査センター(以下「審査センター」という。)は,原告から提出された申請資料において検証されていることは本件医薬品の進行非小細胞肺癌に対する二次治療薬としての有用性のみであることから,原告に対し,申請された効能・効果である「非小細胞肺癌」を「化学療法既治療の手術不能非小細胞肺癌」のように適切な対象に限るべきではないかと尋ねた(甲9・37頁)。

ウ これに対し,原告は,次のとおり回答した(甲9・37頁)。

(ア) これまでの臨床試験結果から本件医薬品の有用性が実際に検証された対象は,化学療法既治療の非小細胞肺癌のみであるが,これまで承認された抗悪性腫瘍薬における適応症は,一般には未治療,既治療の区別がない形であり,また術後補助療法への使用に対する制限も効能・効果ではなく,使用上の注意においてなされてきたことを考慮すると,効能・効果は対象患者集団よりむしろ対象疾患である「非小細胞肺癌」とし,検討中又は検討予定の対象患者集団に対する使用の制限は使用上の注意として「○○に対する有効性及び安全性は確立されていない」のように制限を設けることで対処可能であると考えられる。

(イ) 本件医薬品は高い安全性を有することから,高齢者や全身状態が悪い患者など,従来の抗癌剤による化学療法には適さない患者に対しても有用であると考えられるが,効能・効果を「化学療法既治療例」と限定することにより,これらの患者が本件医薬品による治療の機会を失うことになる。

(ウ) 以上を考慮すると,本件医薬品の効能・効果を「非小細胞肺癌」とすることに大きな問題はないと考えられる。

エ これに対し,審査センターは,次のとおりの見解を述べた(甲9・37~38頁)。

(ア) 本件医薬品の有用性に関して現時点で検証されていることは,国内及び海外のプラチナ系抗癌剤の治療を受けた進行非小細胞肺癌患者に対して本件医薬品が二次治療薬(又は三次治療薬)として用いられ,有効性と安全性の点からそれらの対象についての臨床的有用性が示されたということのみである。

(イ) 進行非小細胞肺癌に対する初回治療については,平成14年8月に実施された(甲9・48頁参照)2件の海外での大規模比較試験の結果が明らかになる予定であるほか,国内でもブリッジング試験等の計画が原告により示されているものの,現時点における臨床的有用性は未だ明らかではないし,高齢者や状態の悪い患者に対する初回治療薬としての使用についても,単に安全性が高いというだけでは本件医薬品を用いる根拠とはなり得ず,有効性を含めた有用性の検証は適切なデザインによる臨床試験によって示す必要があり,実際に海外では○○(判決注・マスキングのため,○○の内容は,証拠上,不明である。)が計画中であることを原告は回答の一部に示している。

(ウ) 以上を考慮すると,副作用が従来の抗癌剤と比べると軽微で,比較的安易に用いられることが懸念される経口剤である本件医薬品が適正に使用されるためには,本件医薬品の効能・効果を「非小細胞肺癌(手術不能又は再発例)」とし,進行非小細胞肺癌に対する初回治療につき,現時点では「本剤の臨床的有用性は確立していない」旨を,本件医薬品の添付文書中で注意喚起することが適当であると考えている。

オ 審査センターの前記見解については,専門に係る委員も,同様の理由により,これを支持した(甲9・47~48頁)。

カ その結果,審査センターは,平成14年5月9日,効能・効果につき,申請時の「非小細胞肺癌」を「非小細胞肺癌(手術不能又は再発例)と改訂し,「本薬の化学療法未治療例における有効性及び安全性は確立していない。」旨の効能・効果に関連する使用上の注意(本件注意)を付した上で,本件医薬品の品目を承認しても差し支えないと判断した(甲9・3,49頁)。

キ そして,厚生労働省医薬局審査管理課は,平成14年6月28日,効能・効果をより明確にするために,本件医薬品につき,効能・効果を「手術不能又は再発非小細胞肺癌」とし,効能・効果に関連する使用上の注意として本件注意を記載することにより,承認して差し支えないと判断した(甲9・55頁)。

ク 以上の審査経過を経て,平成14年7月5日付けで厚生労働大臣により本件先行処分がされた。承認の内容は,前記第2の1(2)のとおりであり,効能・効果は「手術不能又は再発非小細胞肺癌」とされている。

なお,同承認には,承認条件が付されているが,そこには本件注意に関する記載はない(甲2)。

一方,本件医薬品の添付文書には,<効能・効果に関連する使用上の注意>として本件注意が記載された(甲4,19,乙2,3)。なお,添付文書において,<効能・効果に関連する使用上の注意>は,通常の使用上の注意の箇所ではなく,効能・効果の記載の直後に記載されることとされており(甲14),本件医薬品においても同様の取扱いがされている。

ケ 原告は,平成14年10月1日,本件先行処分に基づき,本件特許の特許権の存続期間の延長登録の出願をし,平成15年10月8日,延長期間を2年4月1日とする延長登録がされた(前記第2の1(3),甲2,乙4)。

コ 本件先行処分がされ,本件医薬品が市販された後,本件医薬品の投与が原因と思われる重篤な間質性肺炎や急性肺障害が次々と報告されるようになった(甲17。厚生労働省の集計では,平成15年4月22日現在,間質性肺炎ないしは急性肺障害が616例にみられ,うち246例が死亡したとされている。)。

サ そこで,平成14年10月15日,厚生労働省の指示により,本件医薬品による間質性肺炎ないしは急性肺障害についての「緊急安全性情報」が発出され,同時に本件医薬品の添付文書に必要な改訂がされた。同年12月25日には,厚生労働省医薬局安全対策課が行った「ゲフィチニブ安全性問題検討会」における検討結果を踏まえた5項目の対策が示された。さらに,平成15年5月2日にも同検討会が開かれ,その結果,本件医薬品の添付文書に必要な改訂がされた。また,原告も,専門家会議を組織し,本件医薬品との関連が疑われる間質性肺炎ないしは急性肺障害の発症例の解析を行うなどし,同年3月26日付けでその成果が報告された(以上,甲17)。

シ 日本肺癌学会は,上記の厚生労働省の対策や原告の報告について,行政と企業側からのもので,肺癌治療に携わる第一線の診療医には隔靴掻痒の感は否めないとして,本件医薬品の適正使用に関する見解をまとめることを目的として「ゲフィチニブの適正使用検討委員会」を設け,臨床試験及び実地医療での本件医薬品使用に関するガイドラインを作成することとした。

そして,上記委員会は,平成15年10月,「実地医療でのゲフィチニブ使用に関するガイドライン」(甲17)を公表した。同ガイドラインにおいては,本件医薬品の添付文書の「効能・効果」に記載されている適応症である「手術不能又は再発非小細胞肺癌」を厳守することとされ,「化学療法未治療例における有効性及び安全性は確立していない」ため,このような例では実地医療としては使用しないこと,とされた。

ス その後,日本肺癌学会は,その後の知見を踏まえて前記ガイドラインを改訂し,平成17年3月15日,「ゲフィチニブ使用に関するガイドライン」(甲16)を公表した。

同ガイドラインにおいては,本件医薬品の添付文書の「効能・効果」に記載されている適応症である「手術不能又は再発非小細胞肺癌」を厳守することとされ,「化学療法未治療例における有効性及び安全性は確立していない」ため,これらの症例に対しては実地医療としては本剤を使用すべきではない,とされた(なお,本件注意の記載を覆すに至る医学的根拠には同時点では乏しいとされている。)。

セ 平成17年3月に改訂された本件医薬品の添付文書の【使用上の注意】には,「2.重要な基本的注意」として,「本剤を投与する際には,日本肺癌学会の「ゲフィチニブ使用に関するガイドライン」等の最新の情報を参考に行うこと。」との記載が追加された(甲19)。

ソ 原告は,厚生労働大臣に対し,平成22年10月29日,本件先行処分による本件医薬品の効能・効果を「EGFR遺伝子変異陽性の手術不能又は再発非小細胞肺癌」と変更することを内容とする本件医薬品の製造販売承認事項一部変更承認申請をした(甲10・3頁)。

タ 独立行政法人医薬品医療機器総合機構等による審査の結果,平成23年10月21日,前記一部変更を承認しても差し支えないとされるとともに,これに伴い,本件医薬品の添付文書から本件注意の記載を削除することが適切であると判断された(甲10・2,28,47,51頁,甲11~13)。

チ 以上の審査を経て,平成23年11月25日付けで,厚生労働大臣により本件処分がされた(前記第2の1)。

本件処分は,本件先行処分において承認された本件医薬品の効能又は効果を,「EGFR遺伝子変異陽性の手術不能又は再発非小細胞肺癌」と変更することを変更内容とする,薬事法14条9項に基づく,医薬品製造販売承認事項一部変更承認である。本件処分に伴い,本件医薬品の添付文書の効能・効果に関する記載も改められた(甲5)。

(2) 判断

以下においては,前記(1)の認定事実(以下,単に「認定事実」という。)に基づき,本件先行処分における本件医薬品の効能・効果について検討した上,本件先行処分により禁止が解除されたと判断される範囲が,本件処分により禁止が解除されたと判断される範囲を包含するか否かについて判断することとする。

ア 認定事実によれば,本件先行処分において承認された本件医薬品の効能又は効果は,「手術不能又は再発非小細胞肺癌」であり(認定事実ク),その承認書(甲2)には,化学療法未治療例か既治療例かなどの文言は付されていないことが認められる。一方,本件処分において承認された効能又は効果(特定された用途)は「EGFR遺伝子変異陽性の手術不能又は再発非小細胞肺癌」とされている(認定事実チ)。

そこで,本件先行処分と本件処分の各承認に係る内容を比較してみると,本件処分における本件医薬品の上記効能又は効果は,本件先行処分において承認された本件医薬品のそれ,すなわち,「手術不能又は再発非小細胞肺癌」の範囲を限定したものという関係に立つものと認められる。そうすると,本件処分において禁止が解除された範囲は,本件先行処分の禁止の解除の範囲に包含されるものということになる。

すなわち,本件先行処分は,EGFR遺伝子変異陽性か陰性か,ないしは,化学療法未治療例か化学療法既治療例かを問うものではないから,本件処分の「EGFR遺伝子変異陽性の手術不能又は再発非小細胞肺癌」との効能又は効果によって特定される使用方法による本件医薬品の使用行為,及び上記使用方法で使用されることを前提とした本件医薬品の製造販売等の行為の禁止は,本件先行処分によって既に解除されていたものというほかない。

そうすると,本件処分については,「本件先行処分を受けたことによって既に禁止が解除されている」と評価判断することができるものであるから,本件処分を受けたことは,特許法67条の3第1項1号の「その特許発明の実施に第67条2項の政令で定める処分を受けることが必要であつたとは認められないとき。」の拒絶要件に該当するものというべきである。

以上の判断に対して,原告は,本件においては,本件先行処分の効能又は効果に係る禁止の解除の範囲は,その承認書の文言のとおりのものではなく,実質的には「化学療法既治療の手術不能・再発非小細胞肺癌」であると主張する。そこで,原告の主張について更に検討する。

イ 原告は,本件先行処分については,添付文書に本件注意の記載を付した上で,本件医薬品を承認して差し支えないと判断されたもので,上記記載は本件先行処分の内容を特定するための記載であり,実質的には本件先行処分の一部であるから,本件先行処分の効能・効果は,「化学療法既治療の手術不能・再発非小細胞肺癌」であったとして,種々主張する(前記第3の1(1))。

(ア) しかし,<効能・効果に関連する使用上の注意>が,添付文書において,通常の使用上の注意の箇所ではなく,効能・効果の記載の直後に記載されることが認められる(認定事実ク)としても,同記載は飽くまでも本件先行処分を受けた原告においてするものであって,それが直ちに厚生労働大臣による本件先行処分の内容を成すものであるとは認め難い。

そもそも,添付文書は,「薬事法の規定に基づき医薬品の適用を受ける患者の安全を確保し,適正使用を図るために医師,歯科医師及び薬剤師に対して必要な情報を提供する目的で医薬品の製造販売業者が作成することが義務付けられている公的文書であ」り,同文書における「使用上の注意」は,「行政通知の記載要領に基づき,当該医薬品企業の自主的あるいは厚生労働省の指導により作成され,医薬品の市販後の使用成績調査や国内外の症例報告,文献報告において得られた情報を収集・評価し,必要に応じ逐次,最新の内容に改訂される」(甲14・131,134頁)ものであるから,処分内容とは別の位置付けがされていることが明らかである。

しかも,本件注意の内容も,本件先行処分の効能又は効果の記載を原告が主張するような「化学療法既治療」のものに限定する(化学療法未治療者への使用を禁止する)趣旨のものであるとは,その文言から読み取ることが困難というべきである。すなわち,本件注意の記載は,「本薬の化学療法未治療例における有効性及び安全性は確立していない。」というものであって,その文言に照らしてみても,飽くまでも本件医薬品の効能・効果に関連した使用上の「注意」にすぎず,化学療法未治療例に対しては記載された効能・効果がない旨を表示し,あるいは使用を制限する趣旨の記載とは認められない。

したがって,原告の上記主張は,採用することができない。

なお,原告は,①添付文書に本件注意の記載をすることなしに,本件先行処分を得ることはできなかったこと,②本件注意の記載の下では,原告は,化学療法未治療例の治療を用途とする本件医薬品を業として製造及び販売することはできなかったこと,③本件先行処分の下では,上記記載を削除することはできず,本件処分によって初めて,上記記載を削除することができたこと,④厚生労働省が,本件処分に当たっての留意事項に関する通知において,効能・効果の変更と<効能・効果に関連する使用上の注意>の変更とを一体として記載したことなどを主張する(前記第3の1(1))。

しかし,それらは,直接の法的根拠を伴うものとは認められないし,上記において説示した点にも照らすと,本件先行処分の承認の範囲を左右するものということはできない。

また,原告は,後記ウのとおり,本件注意の記載の重要性等を主張するが,後に説示するとおり,それらの点が上記認定判断を左右するものと認めることもできない。

以上によれば,本件医薬品の添付文書における本件注意の存在は,本件先行処分の効能又は効果が「化学療法既治療の手術不能・再発非小細胞肺癌」であったことの根拠となるものではない。そうすると,本件注意の記載等を根拠とする原告の主張は採用することができない。

(イ) 次に,本件先行処分に係る審査の過程を検討してみても,申請者である原告の意思も,厚生労働大臣の承認の内容も,いずれも,本件先行処分の効能又は効果を化学療法既治療例に限定するようなものであったとは認めることができない。

すなわち,認定事実によれば,審査センターが原告の申請した効能・効果を「非小細胞肺癌」から「化学療法既治療の手術不能非小細胞肺癌」のように適切な対象に限定することを尋ねた(認定事実イ)のに対し,原告は,これまで承認された抗悪性腫瘍薬における適応症が一般には未治療,既治療の区別のない形であったこと,既治療例に限定することにより,従来の抗癌剤による化学療法には適さない高齢者や全身状態が悪い患者などが本件医薬品による治療の機会を失うことなどを述べ,使用上の注意への記載を提案していること(認定事実ウ(ア),(イ))が認められる。

このような経過に照らすと,原告は,本件注意のような記載を置くことにより,承認の範囲を化学療法既治療例に限定せずに,効能・効果を「非小細胞肺癌」とすることを維持し,化学療法未治療例に対しても本件医薬品を使用することを可能とすることを求めていたことがうかがわれる。

また,審査センターも,本件医薬品の効能・効果を「非小細胞肺癌(手術不能又は再発例)」とし,添付文書に本件注意(ただし,本件注意と同一の文言ではなく,同趣旨の文言となっている。)を記載して注意喚起することが適切であるとしているにとどまっており(認定事実エ(ウ)),同センターの判断が,本件医薬の化学療法未治療例における使用を一切認めないとする趣旨であったとは認められない。

そして,本件先行処分は,更に審査を経て,厚生労働大臣により承認されたものであるが(認定事実オないしク),その過程で上記の見解が変更されたものとも認められない。

このような審査の経緯に照らしてみれば,本件先行処分の効能又は効果については,申請者である原告と処分権者である厚生労働大臣とも,承認書の記載どおりのものと認識していたことが明らかである。

そうすると,上記審査の経過からも,本件先行処分の効果又は効能が「化学療法既治療の手術不能・再発非小細胞肺癌」であったとする原告の主張は採用することができない。

ウ 原告は,本件注意の記載の重要性についても,種々主張する(前記第3の1(2))。本件先行処分に係る原告の主張を補充する趣旨のものと解されるので,以下,更に検討する。

(ア) 原告は,本件注意は,患者にとっても,医師にとっても,製薬会社にとっても重要なものであると主張する(前記第3の1(2)ア)。

しかし,患者において,製造販売承認を受けた医薬品を適正に使用したにもかかわらず,健康被害を受けた場合,医薬品副作用被害救済制度によって救済を受けることができる。この場合,医薬品が適正に使用されたか否かは,原則として,医薬品が効能・効果,用法・用量及び使用上の注意に従って使用されたか否かによって判断されるとしても,個別の事例については,結局,現在の医学・薬学の学問の水準に照らして総合的な見地から判断されることになる(甲15)。したがって,本件注意の記載の下において,化学療法未治療例に本件医薬品を使用した場合においても,上記のような判断がされるのであって,医薬品副作用被害救済制度による救済が一切なされないものとは解されない。

また,医師は,使用上の注意に従って医薬品を使用することが求められ,添付文書の使用上の注意に従わず,それによって医療事故が発生した場合には,使用上の注意に従わなかったことに特段の合理的な理由がない限り,医師の過失が推定されることになるとしても,逆に言えば,合理的な理由があればその使用は許され,過失の推定も働かないのであるから,化学療法未治療例に対して,医師が本件医薬品を一切使用することができないというものではない。

さらに,製薬会社の立場を考慮するとしても,以上の各点に照らすと,製薬会社において,化学療法未治療例に使用するために本件医薬品を製造販売することができなかったものということもできない。

したがって,原告の上記主張はいずれも採用することができない。

(イ) 原告は,日本肺癌学会のガイドラインの記載内容を指摘し,これらが本件医薬品に対する専門部会や医師の認識であったとも主張する(前記第3の1(2)イ)。

認定事実のとおり,本件医薬品については,日本肺癌学会が「実地医療でのゲフィチニブ使用に関するガイドライン」(甲17)及び「ゲフィチニブ使用に関するガイドライン」(甲16)において,化学療法未治療例に対し,実地医療としては本件医薬品を使用するべきではないなどとしていることが認められる(認定事実シ,ス)。

しかし,上記各ガイドラインは,日本肺癌学会等によって作成されたものであり,もとより厚生労働大臣によってされた本件先行処分の内容となるものではない。

また,上記各ガイドラインの内容は,本件先行処分時点で公表されていたものでもない。上記各ガイドラインは,本件先行処分後に,本件医薬の投与を原因とすると思われる重篤な間質性肺炎や急性肺障害の事例が多数報告されたことから,これを契機とし,本件医薬品の適正使用に関する見解をまとめることを目的してなされたものである(認定事実コないしス)。

このような認定事実の経緯に照らしてみれば,本件先行処分の時点において,日本肺癌学会として,上記各ガイドラインに記載された医学的知見・認識を有していたことはうかがうことができない。

したがって,いずれにしても,上記各ガイドラインの記載等が本件先行処分の効能又は効果を特定するものと認めることはできない。

エ 以上に検討したところによれば,本件注意の記載は,本件先行処分の一部を成すものとは認めることができない。原告が種々主張する点はいずれもその根拠となるものではない。

したがって,本件注意が実質的には本件先行処分の一部であるとの原告の主張は採用することができない。そして,他に,本件先行処分の効能又は効果が「化学療法既治療の手術不能・非小細胞肺癌」であることを認めることのできる特段の事情も存在しない。

そうすると,前記アで説示したとおり,本件先行処分における本件医薬品の効能又は効果は承認書に記載された文言のとおり「手術不能・再発非小細胞肺癌」であると認めるのが相当である。そして,そのことは,前記イ(イ)において検討した本件医薬品の審査の経緯からも裏付けられるものであるし,また,前記ウ(イ)において検討した日本肺癌学会のガイドライン公表の経緯も,これに沿うものということができる。

(3) 結論

以上の認定判断によれば,本件先行処分による禁止の解除の範囲は本件処分によるそれを包含するものと認められるから,本件特許発明1に関し,特許法67条の3第1項1号所定の要件に該当するとした審決の判断の結論に誤りはないというべきである。

なお,本件においては直接結論を左右する争点とはならないが,念のために,特許法67条の3第1項1号の要件の有無の判断について,当裁判所の見解を述べておくこととする。

特許法67条の3第1項1号により審査官が延長登録の出願を拒絶すべき場合の要件について,これを特許権の存続期間の延長登録の制度の趣旨に照らして考えると,医薬品の成分を対象とする特許については,薬事法14条1項又は9項(平成14年法律第96号による改正前の薬事法においては,同法14条1項又は7項。)に基づく承認を受けることによって禁止が解除される「特許発明の実施」の範囲は,薬事法14条2項3号(平成14年法律第96号による改正前の薬事法においては,同法14条2項)が定める審査事項のうち,成分,分量,用法,用量,効能,効果によって特定される医薬品の製造販売等の行為であると解するのが相当である(上記の点は平成14年法律第96号による改正前の薬事法においても同様である。)。

そして,上記処分を受けることにより,上記事項によって特定された医薬品の製造販売等の行為につき禁止の解除がされるものであることからすると,禁止の解除がされた範囲は,原則として,薬事法14条1項又は9項(平成14年法律第96号による改正前の薬事法においては同法14条1項又は7項)に基づく医薬品の輸入ないしは製造販売についての承認書に記載された上記事項の記載に基づいて決せられるべきものと解するのが相当である。

当裁判所の前記(2)の判断は,以上の前提に基づくものであり,原告の主張に鑑み,禁止の解除の範囲につき,上記と別異に解する特段の事情があるか否かを検討したものである。

これに対し,審決は,特許法67条の3第1項1号における「特許発明の実施」は,処分の対象となった医薬品の承認書に記載された事項のうち特許発明の発明特定事項に該当する全ての事項(発明特定事項に該当する事項)によって特定される医薬品の製造販売等の行為であるが,医薬品の承認においては用途に該当する事項が定められていることから,用途を特定する事項を発明特定事項として含まない特許発明の場合には,「特許発明の実施」は,処分の対象となった医薬品の承認書に記載された事項のうち,特許発明の発明特定事項に該当する全ての事項及び用途に該当する事項によって特定される医薬品の製造販売等の行為ととらえるべきことを前提に認定判断を行っている(前記第2の3(1))。

そうすると,上記の審決の解釈は当裁判所とは異なるものであるが,本件において,この点は結論を左右するものではない。

2  本件特許発明2ないし6,14,16ないし18及び20について

原告は,本件特許発明1に関する審決の認定判断に誤りがあることを前提に,本件特許発明2ないし6,14,16ないし18及び20についての審決の認定判断に誤りがある旨主張する。

しかし,前記1説示のとおり,本件特許発明1に関する審決の判断の結論に誤りがない以上,原告の上記主張は,その前提を欠き,採用することができない。

3  以上によれば,審決の判断の結論に誤りはなく,原告主張の取消事由は理由がない。

また,他に審決に取り消すべき違法もない。

第6結論

よって,原告の請求は理由がないからこれを棄却することとし,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 石井忠雄 裁判官 西理香 裁判官 神谷厚毅)

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