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知財高等裁判所 平成26年(行ケ)10008号 判決 2014年9月25日

原告

株式会社ベックス

訴訟代理人弁護士

大谷明弘

佐々木友紀

棚田章弘

訴訟代理人弁理士

森田憲一

山口健次郎

長山弘典

被告

ネッパジーン株式会社

訴訟代理人弁護士

中所昌司

訴訟代理人弁理士

田邉陽一

主文

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第1請求

特許庁が無効2012-800051号事件について平成25年12月3日にした審決を取り消す。

第2前提となる事実

1  特許庁における手続の経緯等(争いがない。)

被告は,平成22年1月22日に出願され,平成23年4月1日に設定登録された,発明の名称を「エレクトロポレーション法による外来遺伝子導入法」とする特許第4713671号(請求項の数6。以下「本件特許」という。)の特許権者である。

原告は,平成24年4月6日,特許庁に対し,本件特許の全ての請求項について無効にすることを求めて審判の請求(無効2012-800051号事件)をしたところ,被告は,平成25年8月1日,特許請求の範囲の訂正(以下「本件訂正」という。本件訂正により請求項4ないし6は削除され,請求項の数は3となった。)を請求した。

特許庁は,平成25年12月3日,「本件訂正を認める。本件審判の請求は,成り立たない。」との審決をし,その謄本を,同年12月12日,原告に送達した。

2  特許請求の範囲

本件訂正後の本件特許の請求項1ないし3に係る特許請求の範囲の記載は,次のとおりである(甲18。以下,各請求項に係る発明を請求項1ないし3に応じて「本件発明1」ないし「本件発明3」といい,これらを併せて「本件発明」という。また,本件訂正後の本件特許の明細書及び図面を併せて「本件明細書」という。)。

「【請求項1】

エレクトロポレーション法により,哺乳類細胞に外来遺伝子を導入するにあたり,;2mmギャップ又は4mmギャップのキュベット電極を用いると共に,;哺乳類細胞としてヒト子宮頸癌細胞を用い;前記哺乳類細胞および前記外来遺伝子を含有する溶液を調製し,;前記溶液中に懸濁している前記哺乳類細胞に,500~750V/cmの電場強度の第1電気パルスを,熱量強度の合計が1.39~3.21J/100μLになるように与えた後,75~125V/cmの電場強度の第2電気パルスを,1パルス当たりの熱量強度が0.31~0.68J/100μLになるように3回以上与えることを特徴とする,エレクトロポレーション法による外来遺伝子導入法。

【請求項2】

前記第2電気パルスを10回以上与える,請求項1に記載の外来遺伝子導入法。

【請求項3】

前記第1電気パルスを与えた後,100m秒未満の間に,前記第2電気パルスを与える,請求項1又は2のいずれかに記載の外来遺伝子導入法。」

3  審決の理由

審決の理由は,別紙審決書写しに記載のとおりである。その要旨は,本件訂正は,特許請求の範囲の減縮及び明瞭でない記載の釈明を目的とするものであり,特許法134条の2第9項において読み替えて準用する同法126条5項及び6項の規定に適合するから認める,無効理由については,①甲1号証添付の①ないし⑪の各文書(以下,併せて「甲1添付文書」という。)に記載された内容が公知であるとは認められず,仮に認められても同文書により本件発明が新規性を欠如するとはいえない,②「アメリカン・ジャーナル・オブ・フィジオロジー,セル・フィジオロジー」米国,2007年,第294巻,p.C535-C542(甲2。以下「甲2文献」という。)記載の事項により本件発明が新規性を欠如するとはいえない,③本件発明は,甲1添付文書又は甲2文献から容易に発明をすることができたとも,これらの文献に米国特許第7245963号明細書(甲5。以下「甲5文献」という。)の記載を適用して容易に発明をすることができたともいえない,④本件発明は,いわゆるサポート要件を満足するものである,⑤本件明細書の発明の詳細な説明の記載は,実施可能要件を満足するものである,⑥本件発明は,Traffic2007,8 p1304-1312(甲3。以下「引用文献1」という。)に記載された発明に,甲5文献,特表2008-509653公報(甲38)又は J.Phys.Chem.B 2003,107, p3862-3870(甲39)に記載された発明を適用して容易に発明をすることができたともいえない,というものである。

第3取消事由に関する原告の主張

1  取消事由1(甲1添付文書又は甲2文献に基づく進歩性判断の誤り)

(1)  甲1添付文書の公知性について

甲1添付文書は,その作成者であるAが宣誓書(甲8,60)で宣誓したとおり,独立行政法人産業技術総合研究所(以下「産総研」という。)と原告との間で平成17年10月1日から平成21年3月31日に行われた共同研究「高効率遺伝子導入システムの開発」の成果を,平成22年12月11日開催の第31回日本分子生物学会・第81回日本生化学会大会合同大会のポスター発表会場である神戸ポートピアホテルにおいて発表したポスターの写しである。Aは,産総研側の研究代表者であるBの監督指導下で研究を行った者であり,本件審判事件に利害関係を有している者ではないから,Aの宣誓書は信用できるというべきであり,甲1添付文書記載の発明は,公然知られ得る状態にあったのであるから,公知である。

(2)  本件発明で規定された条件や細胞を特定することの容易想到性について

ア 本件発明は,第1電気パルス及び3回以上の第2電気パルスを哺乳類細胞に与えることを特徴とするものであるが,動物細胞に外来遺伝子を導入するエレクトロポレーション法において,強い第1電気パルスと複数回の弱い第2電気パルスとを連続して与えることは,本件出願前から広く行われていた(甲1,2,4,6)。

イ 本件発明で規定する「電場強度」は,電圧及び電極のギャップから,「熱量強度」は,電圧,パルス時間,溶液容量,バッファー及び電極のギャップから,それぞれ計算により一義的に決定されるものである。そして,甲1添付文書には,電圧,パルス時間,溶液容量,バッファー及び電極のギャップが,甲2文献には,電圧,パルス時間及びバッファーが,引用文献1においては,電圧,パルス時間,溶液容量,バッファー及び電極のギャップが,2006年の「International Journal ofPharmaceutics」中の論文(甲4。以下「甲4文献」という。)においては,電圧,パルス時間,溶液容量,バッファー及び電極のギャップが,それぞれ記載されていることからみて,電場強度及び熱量強度の計算に用いられる上記各パラメータは,強い第1電気パルスと複数回の弱い第2電気パルスとを連続して与えるエレクトロポレーション法において,従来から検討されてきたものであるといえる。したがって,本件発明で規定する「電場強度」及び「熱量強度」は,いずれも従来からエレクトロポレーション法において制御されてきたパラメータの単なる言い換えにすぎない。

ウ なお,甲1添付文書及び甲2文献記載の事項の対象となる細胞は,本件発明の対象である「ヒト子宮頸癌細胞」とは異なるが,「ヒト子宮頸癌細胞」は,本件出願前からエレクトロポレーション法において最も普通に用いられていた細胞であり(甲40~59),異なる細胞毎に細胞の種類に応じたエレクトロポレーションの条件(電圧,パルス時間,溶液容量,バッファー,電極ギャップの条件)を検討することは技術常識である。

また,本件発明は「2mmギャップ又は4mmギャップのキュベット電極を用いる」が,これらはエレクトロポレーションで通常使用されるキュベットを選択したものであり,何ら困難性は認められない。

エ したがって,本件発明に規定された条件や細胞を特定することは甲1添付文書及び甲2文献に基づいて当業者が容易に想到し得たものである。

(3)  本件発明で規定された具体的条件によって奏される効果について審決は,本件発明1において生存率と導入効率の両方が高いという格別顕著な効果は奏されると認めたが,以下のとおり,本件発明で規定された具体的条件によっては,生存率と導入効率の両方が高いという格別顕著な効果は奏されない。

ア 本件明細書には,実施例における生存率の算出方法について,「電気パルス処理後,血清および抗生物質入りのMEM培地をキュベットに注入してから,液全量(電気パルス処理後の細胞を含む)をスポイトで回収し,血清および抗生物質入りのMEM培地で満たした培養プレート中に加えて,通常の条件(37℃,炭酸ガス濃度5%)にて培養し,生存率(式4により算出)を算出した。」(段落【0040】)「生存率=電気パルス処理後の生存細胞数/電気パルス処理前の細胞数×100 (式4)」(段落【0041】)と記載されているが,培養時間についての記載はない。細胞数は培養によって増加するから,(式4)の「電気パルス処理後の生存細胞数」は培養時間が長くなるほど増加するところ,「電気パルス処理前の細胞数」は培養時間の影響を受けないから,(式4)により算出される生存率は,培養時間が長くなるほど大きな値となり,100%を超えることもある。

また,生存率は,下一桁の位まで算出することができるにもかかわらず,実施例のデータの大半は10%刻みで記載されており,「>90(%)」や「60~70(%)」の記載もある。

このように客観性の欠如する「生存率」が80%以上であることを根拠として,本件発明の効果を格別顕著であると評価することはできない。

イ 仮に,実施例の生存率に客観性があるとしても,4mmギャップキュベットを用いた実施例20~23のサンプル156等の12サンプルでは,例えばサンプル156の生存率が70%であるように,本件発明1の電場強度及び熱量強度の範囲内であっても,生存率又は遺伝子導入効率が80%以上とならない。一方,サンプル161は,本件発明1の電場強度及び熱量強度の範囲外であっても,80%以上の生存率及び遺伝子導入効率を示す。したがって,本件発明1の電場強度及び熱量強度の範囲であれば生存率と遺伝子導入効率の両方が高いという効果が奏されるわけではない。

ウ また,2mmギャップキュベットを用いた実施例1~17においても,本件発明1の電場強度及び熱量強度の範囲内であっても生存率又は導入効率が80%以上とならない場合(サンプル33等の14サンプル)や,逆に,本件発明1の範囲外であっても生存率及び導入効率が80%以上となる場合(サンプル5等の15サンプル)がある。

エ したがって,本件発明で規定された具体的条件において生存率と導入効率の両方が高いという格別顕著な効果が奏されるとはいえない。

(4)  以上によれば,本件発明は甲1添付文書又は甲2文献に記載された事項に基づいて当業者が容易に想到し得たものであり,この点についての審決の判断には誤りがある。

2  取消事由2(甲1添付文書又は甲2文献と甲5文献の組合せに基づく進歩性判断の誤り及び引用文献1と甲5文献等との組合せに基づく進歩性判断の誤り)

(1)  前記1(2)のとおり,動物細胞に外来遺伝子を導入するエレクトロポレーション法において,強い第1電気パルスと複数回の弱い第2電気パルスとを連続して与えることは,本件出願前から広く行われており,生存率及び遺伝子導入効率の向上のために,電圧,パルス時間,溶液容量,バッファー及び電極のギャップの条件を検討することは当業者が従来から行っていた(甲1添付文書,甲2文献,引用文献1)。

そして,甲5文献には,エレクトロポレーション法においては「電場強度」が重要な値であること及び「熱量」と細胞の生存率とが密接に相関していることが記載されており,その計算方法も記載されている。なお,甲5文献には熱量強度についての記載はないが,同じ溶液容量で検討した場合,熱量と熱量強度は同じ値になるものであり,熱量を溶液容量で除して熱量強度で表すことに困難性はない。

(2)  また,前記1(3)イのとおり,4mmキュベットを用いた実施例20~23では,本件発明1の電場強度及び熱量強度の範囲内であっても生存率及び遺伝子導入効率の両方が80%以上とはなっていない場合や範囲外でも生存率及び遺伝子導入効率の両方が80%以上となる場合が多数ある。したがって,少なくとも4mmキュベットを用いた場合には,本件発明1の電場強度及び熱量強度の範囲であれば生存率及び遺伝子導入効率の両方が80%以上であるという関係は成り立っておらず,電場強度と熱量強度には,「生存率」と「遺伝子導入効率」を向上するという本件発明の効果に対応した技術的意義がない。したがって,本件発明において特定されたパラメータ範囲は,技術的根拠を欠き,前記1(3)のとおり,本件発明1によって生存率と導入効率の両方が高いという格別顕著な効果が奏されると認めた審決の判断には誤りがある。

(3)  以上によれば,甲1添付文書若しくは甲2文献と甲5文献を組み合わせ,又は引用文献1と甲5文献等を組み合わせて,上記各条件を決定し,電場強度と熱量強度を特定することは容易であり,この点に関する審決の判断には誤りがある。

3  取消事由3(委任省令要件に関する判断の遺脱)

(1)  審判合議体は,平成24年12月6日付職権審理結果通知書において,無効理由の一つとして特許法36条4項に規定される委任省令要件違反を指摘したにもかかわらず,審決において判断を示さなかった。したがって,審決には手続上の違法が存在する。

(2)  仮に,審判合議体が委任省令要件違反の無効理由が存在しないと判断したのであれば,その判断は誤りである。すなわち,前記1(3)のとおり,本件発明1の電場強度及び熱量強度は,4mmギャップキュベットでも2mmギャップキュベットでも顕著な効果を奏さないものであるから,本件発明1で特定されるパラメータを限定することの技術上の意義を,発明の詳細な説明の記載から理解することができない。したがって,本件明細書の発明の詳細な説明は,特許法36条4項に規定される委任省令要件を満たしていない。

4  取消事由4(サポート要件に関する判断の誤り)

審決は,本件訂正により,発明の課題が解決できていないとされる実施例サンプルはいずれも本件発明の範囲外となったとして,サポート要件は満たされる旨判断した。

しかし,実施例24のサンプル193は,本件訂正後の本件発明1の電場強度及び熱量強度の範囲内であるにもかかわらず,遺伝子導入効率が39%でしかない。その他にも,前記1(3)イ及びウのとおり,本件発明1の電場強度及び熱量強度の範囲内であるにもかかわらず,生存率又は遺伝子導入効率が80%以上ではないサンプルが,4mmキュベット及び2mmキュベットを用いた実施例で合計26サンプル(サンプル193を含む。)存在する。

したがって,本件訂正後もなお,本件発明で特定された電場強度及び熱量強度の範囲は,課題を解決することのできる範囲を超えており,本件発明の作用効果を得ることのできないものであるから,審決の上記判断は誤りである。

5  取消事由5(実施可能要件に関する判断の誤り)

審決は,本件訂正により,細胞の種類やエレクトロポレーションの条件が特定されたことで,実施可能要件が満たされるようになった旨判断した。

しかし,前記4のとおり,本件明細書の実施例には,本件発明1の電場強度及び熱量強度の範囲内においても生存率又は遺伝子導入効率が80%以上ではないサンプルが多数含まれているのであるから,本件明細書の発明の詳細な説明は,本件発明1について実施できる程度に記載されていない。したがって,審決の上記判断は誤りである。

第4取消事由に関する被告の主張

1  取消事由1(甲1添付文書又は甲2文献に基づく進歩性判断の誤り)

(1)  甲1添付文書の公知性について

甲1の1枚目は,甲1添付文書が,第31回日本分子生物学会年会・第81回日本生化学会大会合同大会においてポスター発表されたものであることを証明する旨の記載がある学会事務局の文書であるが,同文書は,甲1添付文書が,発表当日のポスター発表内容と同一であることについての確認作業を行うことなく作成されたものである(甲11)。また,同発表をした者の中には,原告の従業員が含まれているから,作成者であるAは原告従業員との共同発表によって業績評価という職業上の利益を得た者であり,利害関係があるし,Aの宣誓書(甲8,60)は偽証罪の制裁の下での正式な宣誓でないから,同宣誓書を信用することはできない。

仮に,甲1添付文書がポスターとして掲示されたとしても,守秘義務を有さない不特定人に現実に知られたことが主張立証されていないから,同文書記載の発明は公知とはいえない。

(2)  甲1添付文書記載の発明(以下「甲1発明」という。)に対する進歩性について

仮に甲1添付文書記載の事項を主引用発明としたとしても,以下のとおり,本件発明は進歩性を有する。

ア 甲1添付文書には,熱量強度又は熱量に着目してエレクトロポレーションの効率を向上させるという技術的思想を示唆する記載はない。したがって,同文書の記載から,エレクトロポレーションの効率と熱量強度の関係を想到し得ない。

イ 甲1添付文書からは,バッファーの塩濃度及び容量を把握できないから,抵抗値を求めることができず,電気パルスのエネルギー量である熱量を算出することができない。また,バッファー容量が不明であるため,熱量強度を算出するための分母が把握できない。さらに,電気パルスの波形がスクエアーパルスでないため,電圧(V)×電流(A)×パルス時間(sec)の式から熱量を算出することができない。したがって,甲1添付文書には,本件発明が特定する熱量強度の範囲を想到し得る根拠となる記載がない。

ウ 甲1添付文書の対象細胞であるJurkat細胞は,ヒト白血病由来T細胞であり,血液リンパ球由来の浮遊細胞であるが,本件発明の対象細胞であるヒト子宮頸癌細胞は上皮組織由来の接着細胞であって,両者は細胞膜表面の特性や細胞膜に起因する電気パルスに対する性質が異なるから,甲1添付文書の記載事項からヒト子宮頸癌細胞で採用すべき条件は明らかとならない。

エ 甲1添付文書に記載された実験において,本件発明の第2電気パルスに相当する低電圧パルスは2mmギャップキュベットに対して10V,すなわち50V/cmの電場強度であって,本件発明の範囲である75~125V/cmから外れている。

(3)  甲2文献記載の発明(以下「甲2発明」という。)に対する進歩性について本件発明は,次のとおり,甲2発明に対しても進歩性を有する。

ア 甲2文献には,電極の種類も電極間の距離も記載されていないため,電場強度の値を把握することができない。

イ 甲2文献には,熱量強度又は熱量に着目してエレクトロポレーションの効率を向上させるという技術的思想を示唆する記載はなく,両者を関係付ける動機づけがない。

ウ 甲2文献には,バッファー容量並びにキュベット電極の形状及び材質の記載がないから,「抵抗値」を求めることができず,電気パルスのエネルギー量である「熱量」を算出することができない。また,バッファー容量が不明であるため,熱量強度を算出するための分母が把握できない。したがって,甲2文献には,本件発明の具体的な熱量強度の範囲を想到し得る根拠となる記載がない。

エ 甲2文献で用いたエレクトロポレーター「CUY21,BEX」は,ベックス社キャンペーン特集(甲15)によれば,In vivo(生体内)用エレクトロポレーターであって,本件発明で用いるキュベット電極用ではない。In vivo(生体内)用エレクトロポレーターの記載から,単位容積当たりのエネルギー量である「熱量強度」の値を正確に算出し,エレクトロポレーション効率との関係性に着目することには阻害要因があるし,適した電場強度・熱量強度等の条件は全く異なり得る。したがって,甲2文献の記載から,本件発明に係るキュベット電極を用いて懸濁細胞に電気パルスを与える実験条件を想到することはできない。

オ 甲2文献記載の対象細胞の一つであるヒト角膜実質細胞は,結合組織における細胞外マトリックス中に存在する細胞であり,甲2文献記載のもう一つの対象細胞であるヒト胎児肺線維芽細胞も,肺組織間の結合組織を構成する細胞である。それに対して,本件発明の対象細胞であるヒト子宮頸癌細胞は,上皮組織由来の癌細胞であって,甲2文献が対象とする正常細胞とは,細胞膜表面の特性や細胞膜に起因する電気パルスに対する性質が異なるから,甲2文献からヒト子宮頸癌細胞で採用すべき条件は明らかとはならない。

(4)  本件発明で規定された具体的条件によって奏される効果について

ア 本件発明は,エレクトロポレーションに影響する多数のパラメータの組合せがある中,良好な遺伝子導入を達成できる条件が,「電場強度」と「熱量強度」というわずか二つのパラメータの関係性に帰結できること,特に電圧及び電極間距離以外のすべてのパラメータが「熱量強度」に帰結できることを見い出した点に高い創作性がある。また,他の細胞の電気条件から子宮頸癌細胞に最適な特定条件を予測することは当業者にとっても困難であるから,本件発明は,子宮頸癌細胞という特定の細胞について,生存率及び遺伝子導入効率の両方が高いという格別顕著な効果を奏する電場強度と熱量強度の範囲を特定した点にも高い創作性がある。

イ 原告は,本件明細書の実施例の生存率の記載は,客観性を欠くから,効果の顕著性を認めることはできない旨主張する。しかし,本件明細書は,それぞれの実施例ごとに実験背景をそろえて同時に実験を行い,実施例ごとでの比較が可能なように結果を記載したものであることは,当業者が理解できることである。生存率算出の際の培養時間が記載されていないのは,当該技術分野の学術論文等においては従来技術として当たり前の実験手順や条件の記載を省略することが慣行であるためであるが,実際には24時間の培養を行ったものである。

また,実施例によって生存率の値の記載の仕方が異なるのは,細胞数の測定方法が異なるからである。目視計測の場合は,有効数字に無理のない表現になるように細かい数値になっていないが,客観性の点で問題になるものではない。

ウ 原告は,本件発明の効果について,生存率及び遺伝子導入効率の顕著性の基準が80%であるかのような議論を前提として,4mmギャップキュベットを用いた実施例が本件発明の効果を奏しない旨主張するが,本件明細書には80%を基準とすることの根拠はないし,異なる条件の実施例の結果を同列に比較することはできないので,そのような基準で作用効果の有無を判断することはできない。これらの点をふまえれば,本件発明の条件を適用することで生存率70~90%,遺伝子導入効率63~94%が担保されるという実施例の結果は,格別顕著な効果を奏するものというべきである。

原告は,サンプル161は第1電気パルスの熱量強度が本件発明の範囲を外れているにもかかわらず,生存率及び遺伝子導入効率がともに80%を超える旨指摘するが,サンプル161は,同じ実施例の中の他のサンプルと比較して相対的に低い値のサンプルであるから,本件発明の条件に関して矛盾はない。

エ 原告は,2mmギャップキュベットに関しても,4mmギャップキュベットの場合と同様に本件発明の効果を奏しない実施例がある旨主張するが,生存率及び遺伝子導入効率の顕著性の基準は80%ではないし,異なる条件の結果を同列に比較することはできないので,原告の主張は失当である。

(5)  以上によれば,本件発明は,甲1添付文書又は甲2文献に記載された事項に基づいて容易に想到し得ないとの審決の判断に誤りはない。

2  取消事由2(甲1添付文書又は甲2文献と甲5文献の組合せに基づく進歩性判断の誤り,引用文献1と甲5文献等との組合せに基づく進歩性判断の誤り)

(1)  前記1のとおり,甲1添付文書又は甲2文献からは,本件発明の発明特定事項を想到し得ない。そして,甲5文献からも,以下のとおり,本件発明の発明特定事項を把握することはできず,これを甲1添付文書又は甲2文献と組み合わせる動機付けがなく,かえって阻害要因がある。

ア 甲5文献には,電圧パルスの上限での振幅により細胞が熱せされると細胞死が起きる(生存率が低くなる)という当たり前の関係が記載されているにすぎず,細胞の熱量と遺伝子導入効率の関係について把握することはできない。

イ 甲5文献には,パルスのプロトコールの効率に対する最重要要因は,電極間の電流であって電圧ではない旨記載されている。これに対して,本件発明は,電場強度と熱量強度の両方がエレクトロポレーション効率にとって重要であることを見出したものであるから,甲5文献には,本件発明を想到する阻害要因がある。

ウ 甲5文献の熱量(W)に関する記載「W=I2Rt」は誤りであり,正しくは「W=I2R」である(甲3)。甲5文献は,単なる特許公報にすぎず,このような基本的事項についても誤りがあるので,その内容について当業者が信頼を置くことはないし,仮に正しい計算式が記載されていたとしても,本件発明に係る熱量強度と遺伝子導入効率の関係を想到することができる記載とはならない。

エ 甲5文献からは電極の種類を特定することができないから,「電場強度」を求めることができず,甲5文献記載の発明は生体組織内での電気処理を想定したものであるし,対象となる具体的な細胞の種類の記載がないから,懸濁状態の子宮頸癌細胞に適した具体的条件を想到することはできない。

(2)  引用文献1と甲5文献等との組合せについても,引用文献1には,熱量強度又は熱量に着目してエレクトロポレーションの効率を向上させるという技術的思想を示唆する記載や,本件発明の熱量強度の具体的範囲を想到する根拠となる記載は一切ないし,甲5文献にも,本件発明の発明特定事項を把握することができる記載がないこと,組み合わせる動機付けがなく,かえって阻害要因があることは,上記(1)のとおりである。また,審決が引用する引用文献3(甲38),引用文献5(甲39)にも,「細胞の熱量」と「遺伝子導入効率」との関係について全く把握することができないし,組合せの動機付けはない。

(3)  以上によれば,本件発明は,甲1添付文書若しくは甲2文献と甲5文献との組合せ,又は引用文献1と甲5文献等との組合せにより容易に想到し得ないとの審決の判断に誤りはない。

3  取消事由3(委任省令要件に関する判断の遺脱)

(1)  委任省令要件違反は,原告が無効理由として主張していなかった理由であるから,審判合議体に審理判断する義務はなく,審決に手続上の違法はない。

(2)  また,審決で判断されていない無効理由は,本件訴訟の審理対象ではない。なお,審判合議体の職権審理結果通知書の委任省令要件に係る無効理由は,本件訂正前の請求項1~6に係る発明についてのものである。本件訂正後は,本件発明の構成要件によって格別顕著な効果が奏されることが発明の詳細な説明から十分に理解できるのであるから,本件発明の技術上の意義は発明の詳細な説明から十分に理解できるといえ,本件明細書は委任省令要件を充足する

4  取消事由4(サポート要件に関する判断の誤り)

原告は,生存率及び遺伝子導入効率の顕著性の基準が80%であるかのような前提の主張をするが,前記1(4)ウ,エのとおり,本件明細書には,そのような基準とすることの根拠はないし,異なる条件の実施例の結果を同列に比較することはできない。また,原告が遺伝子導入効率が39%であることを指摘するサンプル193は,エレクトロポレーション効率のDNA濃度依存性を検討する実験において,DNA濃度を極めて薄くしたサンプルであるから,通常の濃度の場合よりも効率が下がるのは当然である。

本件発明は,本件明細書の実施例2に示された第1電気パルス条件による効果及び実施例3に示された第2電気パルス条件による効果により,サポートされており,サポート要件違反はないとの審決の判断に誤りはない。

5  取消事由5(実施可能要件に関する判断の誤り)

前記4のとおり,実施例に生存率又は遺伝子導入効率が80%以上でないサンプルがあることをもって,本件明細書が実施可能要件に違反するということはできず,この点に関する審決の判断に誤りはない。

第5当裁判所の判断

当裁判所は,原告の各取消事由の主張にはいずれも理由がなく,審決にはこれを取り消すべき違法はないものと判断する。その理由は,以下のとおりである。

1  取消事由1(甲1添付文書又は甲2文献に基づく進歩性判断の誤り)

(1)  甲1添付文書の公知性について

原告は,甲1添付文書が,平成22年12月11日開催の第31回日本分子生物学会・第81回日本生化学会大会合同大会のポスター発表会場において研究成果がポスター発表された際のポスターの写し(全11枚)であると主張し,その旨を述べる研究発表者のA作成の宣誓書(甲8,60)を提出する。

しかし,上記研究は,原告と産総研との間で締結された共同研究契約に基づき,産総研に所属するAのほか,原告の従業員も共同研究者の一員として行われた共同研究であり(甲1,弁論の全趣旨),Aは原告と利害関係のない第三者とはいえない上,発表者本人であるAの陳述以外には,上記ポスター発表会場において発表されたポスターの内容が甲1添付文書と同一のものであることを裏付ける客観的証拠は一切提出されていないのであるから(甲1の1枚目の学会事務局作成の文書は,発表当日のポスターの内容が甲1添付文書と同一のものであることを確認することなく作成されたものと認められる。甲11),上記Aの宣誓書のみによって原告の主張する事実を認めることはできず,その他これを認めるに足りる証拠はない。

したがって,甲1添付文書が,特許法29条1項3号の公知文献に当たると認めることはできない(なお,仮に甲1添付文献が公知であったとしても,後記のとおり,原告主張の取消事由は認められない。)。

(2)  甲2文献を主引用例とする進歩性判断について

ア 本件発明について

本件明細書(甲18,20)によれば,本件発明の内容は次のとおりのものと認められる。

外来遺伝子導入法には,従来技術として,細胞に高圧の電気パルスを与えることによって,細胞膜にプラスミドなどの外来DNAが通過できるほどの小孔を一過性に作って,DNAを細胞に取り込ませる方法である「エレクトロポレーション法」があり,同方法は,他の方法と比較すると高い導入効率を有するなど,総合的な利点を有する方法であった(【0002】)。しかし,それでも導入効率は低く,また,細胞の種類によっては,著しく低い導入効率しか得られないものも存在し,従来の方法では,遺伝子導入をおこすためには細胞を最低50%以上ないし20%以上殺傷する程度以上の電気パルスを与える必要があるが,遺伝子導入効率は生き残った細胞のうちの1~10%程度ないし1~15%(最大でも30%程度)の範囲内であり,電気パルスを大きくすることで遺伝子導入効率を上げることはできるが,それに伴い細胞の生存率が著しく減少するという課題があった(【0003】)。また,これら従来の装置を用いたエレクトロポレーションでは,専用のエレクトロポレーション用バッファーを併用しなければならず,ランニングコストが膨大にかかるという課題もあった(【0004】)。

本件発明は,上記各課題を解決するため,生存率及び遺伝子導入効率が極めて顕著に向上し,また,専用のエレクトロポレーション用バッファーを用いないエレクトロポレーション法による外来遺伝子導入法を提供することを目的とするものであり(【0006】),その手段として,動物細胞に特定の条件で第1電気パルス(強い電気パルス)と第2電気パルス(弱い電気パルス)を連続して与えるというものである(【0007】)。そして,本件発明1は,その具体的な条件として,遺伝子導入の対象を「ヒト子宮頸癌細胞」とし,エレクトロポレーション装置として「2mmギャップ又は4mmギャップのキュベット電極」を用い,ヒト子宮頸癌細胞をキュベット(容器)内の溶液に懸濁させ,同溶液中の細胞に,①第1電気パルスを,電場強度が500~750V/cmで,熱量強度の合計が1.39~3.21J/100μLになるように与えた後,②第2電気パルスを,電場強度が75~125V/cmで,1パルス当たりの熱量強度が0.31~0.68J/100μLになるように3回以上与えることを特徴とするものである【0009,請求項1】。また,本件発明2は,第2電気パルスを10回以上与える以外は本件発明1と同じ内容のもの,本件発明3は,第1電気パルスと第2電気パルスの間を100m秒未満とするほかは,本件発明1又は本件発明2と同じ内容のものである。

本件発明は,生存率及び遺伝子導入効率が大幅に向上し,細胞の培養に用いることができる液体培地をエレクトロポレーション用バッファーとして用いた場合(専用の高価なバッファーを用いない場合)であっても,高い生存率及び遺伝子導入効率で外来遺伝子を導入することを可能とし,ランニングコストの大幅な低減を可能とするという効果を有する(【0007】,【0010】)。

イ 甲2文献について

(ア) 甲2文献は,学術論文であり,外来遺伝子を導入する実験に関して,以下の記載がされていることが認められる(甲2)。

「全てのトランスフェクションは,矩形波エレクトロポレーター(CUY-21,BEX)を用いて行った。ヒト角膜実質細胞(ケラチノサイト)用には,250V,パルス幅20msの1回の矩形波電気パルスを印加し,980m秒のインターバルの後に,7V,パルス幅400msのインターバル600m秒の5回パルスを続けた。ヒト胎児肺繊維芽細胞用には,180V,パルス幅25msの1回の矩形波電気パルスを印加し,975m秒のインターバルの後に,8V,パルス幅525msのインターバル475m秒の5回パルスを続けた。」

(イ) 上記認定によれば,上記論文においては,エレクトロポレーション装置として,「矩形波エレクトロポレーター(CUY-21,BEX)」を用い,①「ヒト角膜実質細胞」を対象として,第1電気パルスを,250V,パルス幅20m秒で1回,980m秒後に,第2電気パルスを,7V,パルス幅400m秒で5回(インターバル600m秒)与えたこと,②「ヒト胎児肺繊維芽細胞」を対象として,第1電気パルスを,180V,パルス幅25m秒で1回,975m秒後に,第2電気パルスを,8V,パルス幅525m秒で5回(インターバル475m秒)で与えたことが開示されている。

ウ 甲2文献の記載内容からの本件発明1の容易想到性について

上記ア及びイによれば,甲2文献記載の事項と本件発明1は,いずれも,動物細胞に対して外来遺伝子を導入をするに際し,強い第1電気パルスと複数回の弱い第2電気パルスとを連続して与えるという点では一致している。また,本件明細書の示唆するところと異なり,動物細胞に外来遺伝子を導入するエレクトロポレーション法において,強圧の電気パルスを与えるという従来の方法だけでなく,強圧の第1電気パルスと低圧の第2電気パルスとを連続して与えるという方法自体は,本件特許の出願前から広く知られていたものと認められる(甲1の4枚目,甲4,6)。

しかし,本件発明は,当該方法において,遺伝子導入効率及び生存率の双方が高くなる効果を有する条件として,高電圧パルス及び低電圧パルスを,「電場強度」及び「熱量強度」の一定の範囲のものとすることを特定しているのに対し,甲2文献の記載は,そのような効果に特段の言及はなく,高電圧パルス及び低電圧パルスの実施条件を,特定の「電圧(V)」と「パルス幅」の数値で特定しているものである。また,本件発明と甲2文献の記載とでは,対象とする具体的な細胞が異なる上,甲2文献で用いられている「矩形波エレクトロポレーター(CUY-21,BEX)」は,生体用(In vivo。電極で生体に直接遺伝子を導入する。)のエレクトロポレーション装置であり(甲15),本件発明のキュベット電極のように,2mm又は4mmの電極間隔(ギャップ)で両側に設けた電極に挟まれた容器の中の溶液中に細胞を混濁させて均一に電気パルスを与えるというものとは,印加の方法が異なる。

そして,甲2文献には,電気パルスの条件を「電場強度」及び「熱量強度」という二つのパラメータで特定することの記載又は示唆はなく,したがって,このようなパラメータを一定の範囲のものとすることによって遺伝子導入効率及び生存率が向上するという技術思想を想到することの示唆も開示もなく,そのような技術思想に基づき,「キュベット電極」を用いて溶液中の「ヒト子宮頸癌細胞」について好適な低電圧及び高電圧の電気パルスの具体的な条件を想到することを示唆する記載もないのであるから,甲2文献の記載事項から本件発明を想到することが容易であるとは到底認められない。

エ 原告の主張について

(ア) 原告は,本件発明で規定する「電場強度」は電圧及び電極のギャップから,「熱量強度」は電圧,パルス時間,溶液容量,バッファー及び電極のギャップから,それぞれ計算により一義的に決定されるものであり,甲2文献等の公知文献においても,これら電圧,パルス時間,溶液容量,バッファーないし電極ギャップ等の数値が記載されていることからみて,電場強度及び熱量強度の計算に用いられる上記各パラメータは,強い第1電気パルスと複数回の弱い第2電気パルスとを連続して与えるエレクトロポレーション法において,従来から検討されてきたものであるといえ,本件発明で規定する「電場強度」及び「熱量強度」は,いずれも従来から制御されてきたパラメータの単なる言換えにすぎないと主張する。

しかし,仮に,高電圧パルスと低電圧パルスを連続して与えるエレクトロポレーション法の実施に際し,遺伝子導入効率を高めるために,電圧,パルス時間,溶液容量,バッファー及び電極のギャップという個々のパラメータの数値を調整することが従来から検討されており,甲2文献記載の細胞とは異なる種類の細胞についても,これらの各種パラメータの数値を調整して遺伝子導入効率を高める最適化条件を探すことは設計的事項にすぎないとしても,本件発明は,これら個々のパラメータの数値を調整するのではなく,①電圧と電極ギャップの関係性に着目して,前者を後者で除した「電場強度」(電圧(V)/電極のギャップ(cm)。本件明細書の段落【0025】)と,②電圧,電流,パルス時間の関係性に着目して,それらを乗じて得られる「熱量」に,「溶液容量」で除した「熱量強度」(熱量(J)/溶液容量(100μL)。本件明細書の段落【0027】)という二つのパラメータに着目し,これら二つ(第1電気パルスについては,「熱量強度の合計」)を一定の範囲内の数値で組み合わせれば,遺伝子導入効率及び生存率が高いという効果を得られることを見い出し,「ヒト子宮頸癌細胞」に適用した場合の具体的数値を規定したという点で,従来技術とは相違するものである。そして,前記のとおり,①甲2文献においては,キュベット電極が用いられていないから,「電極ギャップ」,「溶液容量」に相当する数値がなく,そもそも「電場強度」や「熱量強度」が算定できないし,②甲4文献(甲4)や引用文献1(甲3)においても,いずれも溶液中に細胞を懸濁させて電気を加えるものではないから,「熱量」を「溶液容量」で除した数値が有する技術的意味が本件発明とは異なるし,「熱量強度」の記載はなく,「熱量強度」に着目することを示唆する記載もない。したがって,本件発明のように「電場強度」や「熱量強度」に相当する数値やその組合せを検討するという技術思想自体が開示又は示唆されているものとは認められない。原告が提出するその他の証拠によっても,「電場強度」や「熱量強度」の数値によって,電気パルスの条件を規定することが本件特許の出願当時の技術常識であったとは認められない(甲40ないし59によれば,ヒト子宮頸癌細胞の一種であるHeLa細胞に対して,従来技術である高電圧パルスのみによるエレクトロポレーションによる遺伝子導入を行うことは周知であったと認められるが,これらは,高電圧パルスと低電圧パルスを連続して与えるエレクトロポレーション法に関するものではなく,「電場強度」や「熱量強度」という数値に着目して電気パルスの条件を規定するものでもない。)。

なお,甲1添付文書が公知文献とは認められないことは前記判示のとおりであるが,仮に公知文献に当たるとしても,甲1添付文書に記載されている内容は,エレクトロポレーション装置として,「CUY21Vitro-EX」で2mmギャップキュベットを用い,「Jurkat細胞(ヒト白血病細胞)」を対象として,遺伝子高導入効率化のために,高電圧の第1電気パルスを200V,パルス幅2m秒で1回,50m秒後に,低電圧の第2電気パルスを10V,パルス幅50m秒で10回(インターバル50m秒)等の条件で与えるというものであり(甲1),「電場強度」や「熱量強度」というパラメータの記載はないし,そもそも,熱量強度を算定するために必要な熱量や,熱量を算定するための電流値の記載もないから,甲1添付文書に,「熱量強度」というパラメータに着目するという技術思想が開示又は示唆されているともいえない。

したがって,本件発明の「電場強度」や「熱量強度」が,従前検討されてきたパラメータの単なる言換えであるとの原告の主張は採用することができない。

(イ) 原告は,①本件明細書の実施例における生存率の算定方法には培養時間の記載がなく,電気パルス処理後の生存細胞数は培養時間に左右されるから,生存率が80%以上であるとの実施例の内容には客観性がないし,②実施例の中には,本件発明の電場強度及び熱量強度の範囲内であっても,生存率又は遺伝子導入効率が80%以上とならないサンプルや,その範囲外であっても生存率及び遺伝子導入効率が80%以上となるサンプルがあるから,本件発明によっては,生存率と導入効率の両方が高いという格別顕著な効果は奏されないとも主張する。

しかし,前記アのとおり,本件発明は,単にいわゆる数値限定をしたという点に従来技術と比して相違点ないし進歩性があるものではないから,「格別顕著な効果」を有しないとしても,進歩性が否定されるものではない(審決も,格別顕著な効果を認定しているものの,審決書の記載内容からすれば,当該効果を理由として,本件発明が甲2文献から容易想到ではないと判断したものとは解されない。)。したがって,原告の主張は本件発明が容易想到ではないとの上記判断を左右するものではなく,採用することができない。

2  取消事由2(甲1添付文書又は甲2文献と甲5文献の組合せに基づく進歩性判断の誤り,引用文献1と甲5文献等との組合せに基づく進歩性判断の誤り)

(1)  甲5文献について

ア 甲5文献(米国特許第7245963号公報)には,以下の内容が記載されていることが認められる(甲5,乙2)。

「エレクトロポレーションの方法のよりよい理解のために,いくつかの簡単な方程式を考察することが重要である。電位の違い(電圧)が組織にインプラントされた電極を横切って印加される場合,印加された電圧を電極の間の距離(d)によって除した電場(E)が発生する。E=V/d この電場強度Eは,対象の細胞に薬物又は高分子の伝達のためのエレクトロポレーションのプロトコールを構築する場合に,従来から大変重要な値であった。」(第1カラム43~54行)

「熱量は電極間の電気抵抗の産物(つまり,抵抗及びリアクタンスの組み合わせであり,そしてオームで測定される),そして電流,電圧,及びパルス時間の産物に比例する。熱量は電流の2乗及びパルス時間(t)として示すことができる。例えば,エレクトロポレーションの間,支持組織において発生した熱量又はパワー(W,ワット)は,以下の方程式によって表すことができる。W=I2Rt」(第2カラム14~22行目)」

「細胞の死と,短い電圧パルスの上限の振幅が原因である細胞の熱量とには,明確な相関がある」(第2カラム38~41行目)

「さらに、パルスのプロトコールの効率に対する最重要要因は,電極間の電流であって,電極間の電圧ではない。」(第2カラム43~46行)

イ 上記認定によれば,甲5文献には,電場強度(電圧/電極間距離)は,細胞に高分子を伝達するためのエレクトロポレーションの条件を構築する場合に従来から大変重要な値であったこと,熱量(W)は,電極間の電気抵抗の積で,電流,電圧及びパルス時間の値に比例すること,細胞死と短い電気パルスの上限の振幅が原因である細胞の熱量との間には相関関係があること,最重要要因は,電極間の電流であって,電極間の電圧ではないことが開示されている。

したがって,甲5文献には,抽象的に,対象の細胞に高分子(遺伝子も含むと解される。)を伝達するためのエレクトロポレーションの実験手順においては「電場強度」が重要であることや,「細胞の熱量」の高さと細胞の死亡について相関関係があることは開示されているといえるが,「熱量強度」(熱量/溶液容量)についての記載はなく,生存率及び遺伝子導入効率が向上するエレクトロポレーションの条件を,「熱量強度」と「電場強度」の二つの観点からの数値範囲の組合せで特定するという技術思想は,開示も示唆もされていない。

ウ そうすると,甲5文献を,「動物細胞に外来遺伝子を導入するエレクトロポレーション法において,強い第1電気パルスと複数回の弱い第2電気パルスとを連続して与える」という技術を開示したものにすぎない甲2文献と組み合わせても,各電気パルスの条件を電場強度及び熱量強度によって特定するという本件発明に相当する構成になるということはできないし,まして,キュベット電極を用いてヒト子宮頸癌細胞に特定の条件で外来遺伝子を導入するとの本件発明を想到することができるとも認められないから(仮に甲1添付文書が公知であるとしても,同様である。),本件発明を想到することが容易であるとは認められない。

エ また,原告は,引用文献1と甲5文献等との組合せに基づく進歩性判断の誤り(前記第2の3の審決の無効理由についての判断⑥についての判断誤り)も取消事由の一つとして挙げているところ,その具体的な内容については何ら主張していない。しかし,甲5文献の内容は上記のとおりであり,引用文献1(甲3)も前記1(2)エ(ア)のとおり,「熱量強度」というパラメータを開示又は示唆するものではないから,引用文献1と甲5文献を組み合わせても,本件発明に相当する構成となるものではなく,これらの文献から本件発明を想到することが容易であるとは認められない。

(2)  原告の主張について

原告は,①甲5文献には,熱量強度についての記載はないが,同じ溶液容量で検討した場合,熱量と熱量強度は同じ値になるものであり,熱量を溶液容量で除して熱量強度で表すことに困難性はない,②また,本件発明において特定された電場強度及び熱量強度の範囲であれば,生存率及び遺伝子導入効率の両方が80%以上であるという関係は成り立っていないから,生存率と導入効率の両方が高いという格別顕著な効果が奏されると認めた審決の判断には誤りがあると主張する。

しかし,甲5文献には,「熱量」を「溶液容量」で除して,「熱量強度」に着目することを動機付ける記載はなく,かかる熱量強度を,電場強度と組み合わせて調整することによって遺伝子導入効率と生存率の双方を向上させることができることを想到することを示唆する記載はないのであるから,原告の主張①を採用することはできない。

また,前記判示のとおり,本件発明は,単にいわゆる数値限定をしたという点に進歩性があるのではなく,格別顕著な効果を有しないとしても,進歩性が否定されるものではないから,原告の主張②は,本件発明が容易想到ではないとの上記判断を左右するものではなく,採用することができない。

3  取消事由3(委任省令要件に関する判断の遺脱)

(1)  原告は,審判合議体が職権により通知した委任省令要件違反の無効理由について,審決において判断を示していないことが判断の遺脱に当たると主張する。

この点,審判合議体は,平成24年12月6日付けの「職権審理結果通知書」において,被告に対し,「委任省令要件について」との題名の下,本件発明の請求項1に特定されるパラメータに限定する技術上の意義について,発明の詳細な説明の記載からは,十分具体的に理解することができないとして,特許法36条4項の規定違反による無効理由を通知したこと(甲31),原告は,その後,請求項1について本件訂正をしたこと,審判合議体は,審決において,「無効理由6(特許法第36条第4項第1号の規定に基づく記載不備)」との題名の下,本件訂正がされたことにより,細胞やエレクトロポレーションの条件が特定されたものであり,特定された条件によって遺伝子導入ができることは本件明細書に記載されている,との理由により,特許法36条4項1号の規定に基づく記載不備がない,との判断をしたことが認められる。

そうすると,審決が省令要件違反の点について明示的に判断をしていないとしても,特許法36条4項1号は,発明の詳細な説明が備えるべき要件として「経済産業省令で定めるところにより,・・・実施をすることができる程度に明確かつ十分に記載したものであること」を定めるものであるから,上記特許法36条4項1号についての審決の判断は,本件明細書の発明の詳細な説明の記載が,同号が委任する経済産業省令の要件を満たすものとなっていることも当然の前提としているものといえる。したがって,審決は,実質的にこの点についての判断をしているものといえるから,委任省令要件違反についての判断がされていないということはできない。

(2)  原告は,仮に委任省令要件違反が存在しないと判断したのであれば,その判断は誤りであるとも主張するが,後記5のとおり,本件発明の技術上の意義は,発明の詳細な説明の記載から理解することができるから,同判断が誤りであるとはいえない。

(3)  したがって,原告の上記取消事由の主張は理由がない。

4  取消事由4(サポート要件に関する判断の誤り)

原告は,実施例24のサンプル193は,本件発明1の電場強度及び熱量強度の範囲内であるにもかかわらず,遺伝子導入効率が39%でしかなく,その他にも,本件発明1の電場強度及び熱量強度の範囲内であるにもかかわらず,生存率又は遺伝子導入効率が80%以上ではないサンプルが,4mmキュベット及び2mmキュベットを用いた実施例で合計26サンプル(サンプル193を含む。)存在することを指摘し,本件発明で特定された電場強度及び熱量強度は,本件発明の作用効果を得ることのできないものであると主張する。

(1)  しかし,前記1(2)アのとおり,本件発明は,生存率及び遺伝子導入効率の向上及びランニングコストの低減を解決課題とする発明であり(本件明細書の段落【0007】,【0010】),生存率及び遺伝子導入効率を80%以上とすることを解決課題とする発明ではなく,かえって,本件明細書の段落【0040】においては,「以下の結果において,Hela細胞(判決注:実施例において用いられた細胞であり,ヒト子宮頸癌細胞の株化細胞)については,生存率と遺伝子導入効率が両方とも40%以上の条件は好適であると判定できる。」とも記載されているのであり,生存率又は遺伝子導入効率が80%以上とならないサンプルが存在することは,本件発明の課題解決や作用効果を否定する理由とはならない。なお,前記1(2)エ(イ)のとおり,本件発明の進歩性は,「格別顕著な効果」を有しなくても否定されるものではないから,進歩性を認めるために,生存率又は遺伝子導入効率が80%以上となることが必要とされるものでもない。また,そもそも,細胞のような生体を対象とする実験においては,具体的な実験環境等によって結果にばらつきが生じることはあり得ることであり,本件のように多数の実験結果がある場合にそれらの全体的な傾向に基づいて効果の評価を行うことはできても,そのうち一部の効果が低かったからといって直ちに発明が作用効果を奏しないということはできない。したがって,原告の上記主張は,その前提において誤っており,採用することができない。

(2)  原告は,実施例24のサンプル193は,本件発明1の電場強度及び熱量強度の範囲内であるにもかかわらず,遺伝子導入効率が39%でしかないと指摘する。しかし,同実施例は,遺伝子導入効率及び生存率に好適なDNA濃度を考察するために,2mmギャップキュベットを用いて,他の条件は同一とし,DNA濃度のみを0.01μg/μℓから0.50μg/μℓまでの範囲で段階的に変化させた条件で9サンプルの実験を行ったものであり,サンプル193は,そのうちDNA濃度が0.01μg/μℓともっとも低い濃度のもの(対照とされたサンプル192のDNA濃度はその10倍の0.1μg/μℓ)である(本件明細書の段落【0089】)。

ところで,本件発明においては,DNA濃度は発明特定事項とはなっていないところ(請求項1ないし3),発明特定事項以外の実施条件については,当業者が通常採用する条件を予定しているものと解するのが合理的であるから,本件発明の前提とするDNA濃度についても,当業者が通常採用する程度の濃度と解するのが相当である。そして,上記のとおり,遺伝子導入効率及び生存率に好適なDNA濃度を検討するために行われた実施例において,0.01μg/μℓは最小値として設定されていることや,ヒト子宮頸癌細胞の一種であるHeLa細胞に高電圧パルスを与える従来のエレクトロポレーション法においても,0.01μg/μℓという濃度を採用したものは見当たらないこと(甲40ないし59)からすれば,DNA濃度0.01μg/μℓは,当業者が通常採用する程度の濃度であるとは認められず,同濃度に基づく遺伝子導入効率が低いことをもって,本件発明が課題を解決することができないものであるということはできない。

(3)  そして,サンプル193以外の原告が指摘するサンプルは,遺伝子導入効率がもっとも低いものでも63%,生存率がもっとも低いものでも40%であるが(なお,生存率40%のサンプルは,実施例14のサンプル44及び実施例15のサンプル51であるが,これらはいずれも,第1電気パルスと第2電気パルスの間のパルス間隔を5秒から10分の間で段階的に変化させた実験の実施例において,パルス間隔をもっとも長く10分とした場合のサンプルであり,10分という間隔が実験の範囲の上限であり,甲2文献,引用文献1,甲4文献でも両パルスのパルス間隔はm秒単位であることからすれば(甲2ないし4),10分が当業者が通常採用する程度のパルス間隔時間であるとは認められず,これらのサンプルの結果をもって,本件発明が課題を解決することができないものであるということはできない。),これらの数値をもって遺伝子導入効率及び生存率が低いと直ちにいうことはいえず,一方で,本件発明の実施例1ないし5,8,11,12,16,20,22などにおいては,本件発明の電場強度及び熱量強度の範囲内のサンプルは,その範囲外のサンプルと比べて相対的に遺伝子導入効率及び生存率が高いことからすれば,本件発明は,高い遺伝子導入効率及び生存率が得られるという効果を有しているということができ,本件明細書の発明の詳細な説明に記載した発明であるといえる。

(4)  なお,原告は,本件発明が特定する電場強度及び熱量強度の範囲外のものであっても,遺伝子導入効率及び生存率が80%以上となるサンプルが存するとも指摘するが(前記第3の1(3)イ,ウ),そのようなサンプルの存在は,本件発明の特定する電場強度及び熱量強度が遺伝子導入効率及び生存率を向上させる効果を有すること自体を否定するものとはいえないから,「(本件)発明が発明の詳細な説明に記載したものであること」を否定する理由とはいえず,サポート要件を満たすとの上記判断を左右するものではない。

また,原告は,本件明細書には,実施例における電気パルス処理後の培養時間が記載されておらず,不明であるから,生存率の記載には客観性がないとも主張する(前記第3の1(3)ア)。

確かに,電気パルス処理後の生存細胞数は,処理後の培養時間が長ければ培養によって増加するから,培養時間が長ければ長いほど,電気パルス処理前の生存細胞数に対する割合(生存率)は高くなるところ,各実施例の培養時間は本件明細書の記載からは不明確であるから,本件明細書の各実施例における生存率を,本件明細書記載の従来技術における生存率(殺傷率50%以上ないし20%以上(【0003】)であるから,生存率は50%未満ないし80%未満)と直ちに比較して,生存率が向上したかどうかを判断することはできない。しかし,本件明細書に培養時間の記載がなくとも,少なくとも実施例の各サンプル同士では,処理後の培養時間は同一であると解されるから(争いがない。),各実施例内のサンプル同士を比較して,本件発明の電場強度及び熱量強度の範囲内のサンプルの方がその範囲外のサンプルの方よりも生存率が相対的に高ければ,本件発明の効果は奏されているといえるし,本件明細書の各実施例には,それぞれ「実施例1と同様にして生存率と遺伝子導入効率を算出した」と記載されているから(段落【0045】等),実験条件が異なる各実施例同士についても,培養時間についてはいずれも同じものとして,相対的な生存率の高さを比較することは可能であると解される。そして,前記のとおり,本件発明1の電場強度及び熱量強度の範囲内のサンプルの方が,相対的に他のサンプルよりも生存率が高いといえるから,本件発明の効果は奏されているといえる。したがって,原告の主張は,本件発明の効果を否定する理由とはならない。

5  取消事由5(実施可能要件に関する判断の誤り)

原告は,本件明細書の実施例には,本件発明1の電場強度及び熱量強度の範囲内においても生存率又は遺伝子導入効率が80%以上ではないサンプルが多数含まれていることをもって,本件明細書の発明の詳細な説明は,本件発明1について実施できる程度に記載されていないと主張する。しかし,上記のとおり,生存率又は遺伝子導入効率が80%以上でなければ,本件発明の実施に当たらないとはいえないのであるから,80%以上ではないサンプルが含まれていることをもって,本件発明が実施できる程度の記載がないとはいえない。

そして,前記4(3)のとおり,本件明細書には,本件発明1の電場強度及び熱量強度の範囲を実施するための実験条件等が具体的に記載され,その範囲内で高い遺伝子導入効率及び生存率を得られるという効果が記載されているのであるから,本件発明の技術上の意義についても,発明の詳細な説明の記載から具体的に理解することが可能であり,また,当業者が実施をすることができる程度の記載がされているものといえる。

したがって,原告の上記取消事由の主張は理由がない。

6  結論

以上のとおり,原告の各取消事由の主張にはいずれも理由がなく,原告の本件請求は理由がないから,これを棄却することとして,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 設樂隆一 裁判官 大寄麻代)

裁判官 大須賀滋は,転補のため署名押印することができない。裁判長裁判官 設樂隆一

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