知財高等裁判所 平成26年(行ケ)10027号 判決 2015年2月25日
原告
保土谷化学工業株式会社
訴訟代理人弁護士
増井和夫
同
橋口尚幸
同
齋藤誠二郎
被告
出光興産株式会社
訴訟代理人弁護士
片山英二
同
服部誠
同
松本卓也
同
岩間智女
訴訟代理人弁理士
大谷保
同
東平正道
同
平澤賢一
同
石原俊秀
同
山下耕一郎
同
伊藤高志
主文
1 特許庁が無効2013-800072号事件について平成25年12月17日にした審決を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
事実及び理由
第1請求
主文と同旨
第2事案の概要
1 特許庁における手続の経緯等(当事者間に争いがないか弁論の全趣旨により容易に認められる事実。)
被告は,平成20年8月21日に出願され(特願2008-212714号。平成16年12月13日を出願日(優先権主張:平成15年12月19日,特願2003-423317号,日本国)とする特願2008-183142号の一部を新たな特許出願としたもの。),平成23年11月18日に設定登録された,発明の名称を「有機エレクトロルミネッセンス素子用発光材料,それを利用した有機エレクトロルミネッセンス素子及び有機エレクトロルミネッセンス素子用材料」とする特許第4866885号(以下「本件特許」という。請求項の数は14である。)の特許権者である。
原告は,平成25年4月24日,特許庁に対し,本件特許の請求項全部を無効にすることを求めて審判の請求をした。被告は,同年 7 月16日,本件特許の特許請求の範囲の請求項2の訂正請求をした(以下「本件訂正」という。)。特許庁は,上記請求を無効2013-800072号事件として審理をした結果,同年12月17日,「請求のとおり訂正を認める。本件審判の請求は,成り立たない。」との審決をし,その謄本を,同月27日,原告に送達した。
原告は,平成26年1月24日,上記審決の取消しを求めて本件訴えを提起した。
2 特許請求の範囲の記載(甲25)
本件訂正後の本件特許の特許請求の範囲の請求項1ないし14の記載は,以下のとおりである(以下,同請求項1に記載された発明を「本件発明1」のようにいう。また,本件発明1ないし14を併せて「本件発明」といい,本件訂正後の本件特許の明細書及び図面をまとめて「本件訂正明細書」という。)。
「【請求項1】
下記一般式(1)で表される非対称アントラセン誘導体からなる有機エレクトロルミネッセンス素子用発光材料。
【化1】
file_2.jpg(式中,A1及びA2は,それぞれ独立に,1-ナフチル基,2-ナフチル基,1-フェナンスリル基,2-フェナンスリル基,3-フェナンスリル基,4-フェナンスリル基,9-フェナンスリル基,3-メチル-2-ナフチル基,4-メチル-1-ナフチル基から選ばれる縮合芳香族炭化水素環基である。
Ar1及びAr2は,それぞれ独立に,核炭素数6~50の芳香族炭化水素環基であるか,Ar1及びAr2の一方が水素原子で他方が核炭素数6~50の芳香族炭化水素環基である。
R1~R8は,それぞれ独立に,水素原子,核炭素数6~50の芳香族炭化水素環基,炭素数1~50のアルキル基,炭素数3~50のシクロアルキル基である(ただし,A1及び/またはA2が1-ナフチル基または2-ナフチル基の場合,R1~R8は,それぞれ独立に,水素原子または炭素数1~50のアルキル基である)。
R9及びR10は,それぞれ独立に,水素原子,核炭素数6~50の芳香族炭化水素環基,炭素数1~50のアルキル基,炭素数3~50のシクロアルキル基であり,いずれもアルケニル基であることはない。
Ar1,Ar2,R9及びR10は,それぞれ複数であってもよい。
ただし,一般式(1)において,中心のアントラセンの9位及び10位に,該アントラセン上に示すX-Y軸に対して対称型となる基が結合する場合はない。)
【請求項2】
一般式(1)において,前記A1及びA2がそれぞれ独立に,1-ナフチル基,2-ナフチル基及び9-フェナンスリル基のいずれかであり,
Ar1とAr2の芳香族炭化水素環基がそれぞれ独立に,フェニル基,1-ナフチル基,2-ナフチル基,1-アントリル基,2-アントリル基,9-アントリル基,1-フェナンスリル基,2-フェナンスリル基,3-フェナンスリル基,4-フェナンスリル基,9-フェナンスリル基,1-ピレニル基,2-ピレニル基,4-ピレニル基,2-ビフェニルイル基,3-ビフェニルイル基,4-ビフェニルイル基,p-ターフェニル-4-イル基,p-ターフェニル-3-イル基,p-ターフェニル-2-イル基,m-ターフェニル-4-イル基,m-ターフェニル-3-イル基,m-ターフェニル-2-イル基,o-トリル基,m-トリル基,p-トリル基,p-t-ブチルフェニル基,p-(2-フェニルプロピル)フェニル基,3-メチル-2-ナフチル基,4-メチル-1-ナフチル基,4-メチル-1-アントリル基,4’-メチルビフェニルイル基及び4”-t-ブチル-p-ターフェニル-4-イル基のいずれかであり,
R1~R10の芳香族炭化水素環基がそれぞれ独立に,フェニル基,1-ナフチル基,2-ナフチル基,1-アントリル基,2-アントリル基,9-アントリル基,1-フェナンスリル基,2-フェナンスリル基,3-フェナンスリル基,4-フェナンスリル基,9-フェナンスリル基,1-ピレニル基,2-ピレニル基,4-ピレニル基,2-ビフェニルイル基,3-ビフェニルイル基,4-ビフェニルイル基,p-ターフェニル-4-イル基,p-ターフェニル-3-イル基,p-ターフェニル-2-イル基,m-ターフェニル-4-イル基,m-ターフェニル-3-イル基,m-ターフェニル-2-イル基,o-トリル基,m-トリル基,p-トリル基,p-t-ブチルフェニル基,p-(2-フェニルプロピル)フェニル基,3-メチル-2-ナフチル基,4-メチル-1-ナフチル基,4-メチル-1-アントリル基,4’-メチルビフェニルイル基及び4”-t-ブチル-p-ターフェニル-4-イル基のいずれかであり,
R1~R10のアルキル基がそれぞれ独立に,メチル基,エチル基,プロピル基,イソプロピル基,n-ブチル基,s-ブチル基,イソブチル基,t-ブチル基,n-ペンチル基,n-ヘキシル基,n-ヘプチル基及びn-オクチル基のいずれかであり,R1~R10のシクロアルキル基がそれぞれ独立に,シクロプロピル基,シクロブチル基,シクロペンチル基,シクロヘキシル基,4-メチルシクロヘキシル基,1-アダマンチル基,2-アダマンチル基,1-ノルボルニル基及び2-ノルボルニル基のいずれかである請求項1に記載の有機エレクトロルミネッセンス素子用発光材料。
【請求項3】
一般式(1)において,前記Ar1及びAr2がそれぞれ独立に,フェニル基,1-ナフチル基,2-ナフチル基,1-フェナンスリル基,2-フェナンスリル基,3-フェナンスリル基,4-フェナンスリル基,9-フェナンスリル基,2-ビフェニルイル基,3-ビフェニルイル基,4-ビフェニルイル基,p-ターフェニル-4-イル基,p-ターフェニル-3-イル基,p-ターフェニル-2-イル基,m-ターフェニル-4-イル基,m-ターフェニル-3-イル基,m-ターフェニル-2-イル基のいずれかであるか,Ar1及びAr2の一方が水素原子で他方がフェニル基,1-ナフチル基,2-ナフチル基,1-フェナンスリル基,2-フェナンスリル基,3-フェナンスリル基,4-フェナンスリル基,9-フェナンスリル基,2-ビフェニルイル基,3-ビフェニルイル基,4-ビフェニルイル基,p-ターフェニル-4-イル基,p-ターフェニル-3-イル基,p-ターフェニル-2-イル基,m-ターフェニル-4-イル基,m-ターフェニル-3-イル基,m-ターフェニル-2-イル基のいずれかである請求項1に記載の有機エレクトロルミネッセンス素子用発光材料。
【請求項4】
一般式(1)において,前記Ar1及びAr2がそれぞれ独立に,フェニル基,1-ナフチル基,2-ナフチル基及び9-フェナンスリル基のいずれかであるか,Ar1及びAr2の一方が水素原子で他方がフェニル基,1-ナフチル基,2-ナフチル基及び9-フェナンスリル基のいずれかである請求項1に記載の有機エレクトロルミネッセンス素子用発光材料。
【請求項5】
前記非対称アントラセン誘導体が,4位に置換基を有するナフタレン-1-イル基及び/又は核炭素数12~20の縮合芳香族炭化水素環基を有する請求項1に記載の有機エレクトロルミネッセンス素子用発光材料。
【請求項6】
R9及びR10が水素原子である請求項1に記載の有機エレクトロルミネッセンス素子用発光材料。
【請求項7】
R1~R8が水素,フェニル基,1-ナフチル基,2-ナフチル基である請求項1に記載の有機エレクトロルミネッセンス素子用発光材料。
【請求項8】
R1~R8が水素原子である請求項1に記載の有機エレクトロルミネッセンス素子用発光材料。
【請求項9】
A1及びA2の少なくとも一方は4-メチル-1-ナフチル基である請求項1に記載の有機エレクトロルミネッセンス素子用発光材料。
【請求項10】
陰極と陽極間に少なくとも発光層を含む一層又は複数層からなる有機薄膜層が挟持されている有機エレクトロルミネッセンス素子において,発光帯域が,請求項1に記載の有機エレクトロルミネッセンス素子用発光材料を単独もしくは混合物の成分として含有する有機エレクトロルミネッセンス素子。
【請求項11】
前記発光層が,前記有機エレクトロルミネッセンス素子用発光材料を単独もしくは混合物の成分として含有する請求項10に記載の有機エレクトロルミネッセンス素子。
【請求項12】
前記有機薄膜層が,前記有機エレクトロルミネッセンス素子用発光材料をホスト材料として含有する請求項10に記載の有機エレクトロルミネッセンス素子。
【請求項13】
前記発光層が,さらにアリールアミン化合物を含有する請求項10~12のいずれかに記載の有機エレクトロルミネッセンス素子。
【請求項14】
前記発光層が,さらにスチリルアミン化合物を含有する請求項10~12のいずれかに記載の有機エレクトロルミネッセンス素子。」
3 審決の理由
(1) 審決の理由は,別紙審決書写しのとおりである。その要旨は,以下のとおりである。
ア(ア) 本件発明1ないし9は,国際公開第03/087023号(甲1。被告による出願である。以下「甲1」という。)に記載された有機EL素子用発光材料に係る発明(以下「甲1発明1」という。)並びに特開2000-182776号公報(甲2。以下「甲2」という。)及び後記ウの文献(甲3ないし13)に記載された知見に基づいて当業者が容易に発明し得たものとはいえない。
(イ) 本件発明10ないし14は,甲1に記載された有機EL素子に係る発明(以下「甲1発明2」といい,甲1発明1と併せて「甲1発明」という。)並びに甲2及び後記ウの文献(甲3ないし13)に記載された知見に基づいて当業者が容易に発明し得たものとはいえない,
イ(ア) 本件発明1ないし9は,甲2に記載された有機系多層型EL素子用正孔輸送材料に係る発明(以下「甲2発明1」という。)並びに甲1及び後記ウの文献(甲3ないし13)に記載された知見に基づいて当業者が容易に発明し得たものとはいえない。
(イ) 本件発明10ないし14は,甲2に記載された有機系多層型EL素子に係る発明(以下「甲2発明2」といい,甲2発明1と併せて「甲2発明」という。)並びに甲1及び後記ウの文献(甲3ないし13)に記載された知見に基づいて当業者が容易に発明し得たものとはいえない。
ウ 審決の引用した文献は以下のとおりである。
(ア) 特開2001-97897号公報(甲3)
(イ) 特許第3148176号公報(甲4)
(ウ) 国際公開第01/21729号(甲5)
(エ) 特開平11-167991号公報(甲6)
(オ) 特開平11-307255号公報(甲7)
(カ) R&D Review of Toyota CRDL,Vol.36,No.3(2001.9)p57(甲8)
(キ) 豊田中央研究所R&Dレビュー,Vol.33,No.2(1998.6)p3~22(甲9)
(ク) 特開2001-284050号公報 (甲10)
(ケ) 米国特許第5935721号明細書(甲11)
(コ) 特開平6-1973号公報(甲12)
(サ) 城戸淳二監修「有機EL材料とディスプレイ」,2001年2月28日,株式会社シーエムシー発行,p3~26(第1章)及びp82~102(第6章)(甲13)
(2) 審決が認定した甲1発明1及び2の内容,本件発明1と甲1発明1との一致点及び相違点,本件発明10と甲1発明2との一致点及び相違点,並びに,甲2発明1及び2の内容,本件発明1と甲2発明1との一致点及び相違点,本件発明10と甲2発明2との一致点及び相違点は以下のとおりである。
ア(ア) 甲1発明1の内容
「下記一般式(A)で表される有機EL素子用発光材料。
A-Ar-B (A)
[式中,Arは,無置換のアントラセンディール基である。Bは,アルケニル基もしくはアリールアミノ基が1置換した炭素数2~60の複素環基又はアルケニル基もしくはアリールアミノ基が1置換した置換もしくは無置換の炭素数5~60のアリール基である。Aは,無置換又はアリール基で置換されたナフチル基などの基である。]」
(イ) 甲1発明2の内容
「甲1発明1の有機EL素子用発光材料又は該発光材料とアリールアミン化合物又はスチリルアミン化合物とからなる混合物を発光層とし,当該発光層を陽極と陰極の間に挟持してなる有機EL素子」
イ 本件発明1と甲1発明1との一致点及び相違点
(ア) 一致点
「アントラセン骨格を有する化合物からなる有機EL素子用発光材料」である点。
(イ) 相違点1
「有機EL素子用発光材料」とする「アントラセン骨格を有する化合物」につき,本件発明1では,
「下記一般式(1)で表される非対称アントラセン誘導体
【化1】
file_3.jpg(式中,A1及びA2は,それぞれ独立に,1-ナフチル基,2-ナフチル基,1-フェナンスリル基,2-フェナンスリル基,3-フェナンスリル基,4-フェナンスリル基,9-フェナンスリル基,3-メチル-2-ナフチル基,4-メチル-1-ナフチル基から選ばれる縮合芳香族炭化水素環基である。
Ar1及びAr2は,それぞれ独立に,核炭素数6~50の芳香族炭化水素環基であるか,Ar1及びAr2の一方が水素原子で他方が核炭素数6~50の芳香族炭化水素環基である。
R1~R8は,それぞれ独立に,水素原子,核炭素数6~50の芳香族炭化水素環基,炭素数1~50のアルキル基,炭素数3~50のシクロアルキル基である(ただし,A1及び/またはA2が1-ナフチル基または2-ナフチル基の場合,R1~R8は,それぞれ独立に,水素原子または炭素数1~50のアルキル基である)。
R9及びR10は,それぞれ独立に,水素原子,核炭素数6~50の芳香族炭化水素環基,炭素数1~50のアルキル基,炭素数3~50のシクロアルキル基であり,いずれもアルケニル基であることはない。
Ar1,Ar2,R9及びR10は,それぞれ複数であってもよい。
ただし,一般式(1)において,中心のアントラセンの9位及び10位に,該アントラセン上に示すX-Y軸に対して対称型となる基が結合する場合はない。)」
であるのに対して,甲1発明1では,
「下記一般式(A)で表される
A-Ar-B (A)
[式中,Arは,無置換のアントラセンディール基である。Bは,アルケニル基もしくはアリールアミノ基が1置換した炭素数2~60の複素環基又はアルケニル基もしくはアリールアミノ基が1置換した置換もしくは無置換の炭素数5~60のアリール基である。Aは,無置換又はアリール基で置換されたナフチル基などの基である。]」ものである点。
ウ 本件発明10と甲1発明2との一致点及び相違点
「有機EL素子用発光材料」につき,本件発明10では,「請求項1に記載の」ものであるのに対し,甲1発明2では,「甲1発明1」のものである点(相違点1’)において相違し,その余で一致している。
エ(ア) 甲2発明1の内容
「下式の非対称型アントラセン系有機化合物からなる有機系多層型EL素子用正孔輸送材料。
file_4.jpgTi Realsfile_5.jpgey a(上式中,置換基R1,R2,R3及びR4は,各々独立に,水素,炭素原子数1~24のアルキル基,炭素原子数5~20のアリール基もしくは置換アリール基,炭素原子数5~24のヘテロアリール基もしくは置換ヘテロアリール基,フッ素,塩素,臭素,又はシアノ基を表す。)」
(イ) 甲2発明2の内容
「甲2発明1の有機系多層型EL素子用正孔輸送材料を含む正孔輸送層をアノードとカソードの間に挟持してなる有機系多層型EL素子」
オ 本件発明1と甲2発明1との一致点及び相違点
(ア) 一致点
「下記一般式(1)で表される非対称アントラセン誘導体からなる有機エレクトロルミネッセンス素子用材料。
【化1】
file_6.jpg(式中,A1及びA2は,それぞれ独立に,1-ナフチル基,2-ナフチル基,1-フェナンスリル基,2-フェナンスリル基,3-フェナンスリル基,4-フェナンスリル基,9-フェナンスリル基,3-メチル-2-ナフチル基,4-メチル-1-ナフチル基から選ばれる縮合芳香族炭化水素環基である。
Ar1及びAr2は,それぞれ独立に,核炭素数6~50の芳香族炭化水素環基であるか,Ar1及びAr2の一方が水素原子で他方が核炭素数6~50の芳香族炭化水素環基である。
R1~R8は,それぞれ独立に,水素原子,核炭素数6~50の芳香族炭化水素環基,炭素数1~50のアルキル基,炭素数3~50のシクロアルキル基である(ただし,A1及び/またはA2が1-ナフチル基または2-ナフチル基の場合,R1~R8は,それぞれ独立に,水素原子または炭素数1~50のアルキル基である)。
R9及びR10は,それぞれ独立に,水素原子,核炭素数6~50の芳香族炭化水素環基,炭素数1~50のアルキル基,炭素数3~50のシクロアルキル基であり,いずれもアルケニル基であることはない。
Ar1,Ar2,R9及びR10は,それぞれ複数であってもよい。
ただし,一般式(1)において,中心のアントラセンの9位及び10位に,該アントラセン上に示すX-Y軸に対して対称型となる基が結合する場合はない。)」 である点。
(イ) 相違点2
本件発明1では,「有機エレクトロルミネッセンス素子用発光材料」であるのに対して,甲2発明1では,「有機系多層型EL素子用正孔輸送材料」である点。
カ 本件発明10と甲2発明2との一致点及び相違点
「有機EL素子用材料」につき,本件発明10では,「発光帯域が,請求項1に記載の有機エレクトロルミネッセンス素子用発光材料を単独もしくは混合物の成分として含有する」のに対し,甲2発明2では,「甲2発明1の有機系多層型EL素子用正孔輸送材料を含む正孔輸送層」である点(相違点2’)で相違し,その余の点で一致する。
第3原告の主張
審決には,甲1発明1に基づく本件発明1の進歩性の判断の誤り(取消事由1),及び甲2発明1に基づく本件発明1の進歩性の判断の誤り(取消事由2)があり(なお,審決は,本件発明2ないし14についても同様の理由により進歩性を否定しているので,同様に誤りがある。),これらの誤りはいずれも審決の結論に影響するものであるから,審決は違法として取り消されるべきである。
1 取消事由1(甲1発明1に基づく進歩性の判断の誤り)
(1) 甲1発明1の認定の誤り
ア 審決は,甲1の請求の範囲の請求項1の「Bは,アルケニル基もしくはアリールアミノ基が1置換した炭素数2~60の複素環基又は置換もしくは無置換の炭素数5~60のアリール基である。」との発明特定事項は,「Bは,アルケニル基もしくはアリールアミノ基が1置換した炭素数2~60の複素環基又はアルケニル基もしくはアリールアミノ基が1置換した置換もしくは無置換の炭素数5~60のアリール基である」と理解するのが自然であるとした上で,前記第2の3(2)ア(ア)のとおりの甲1発明1を認定した。
イ しかし,甲1の請求の範囲の請求項1の「Bは,アルケニル基もしくはアリールアミノ基が1置換した炭素数2~60の複素環基又は置換もしくは無置換の炭素数5~60のアリール基である。」の「アルケニル基もしくはアリールアミノ基が1置換した炭素数2~60の複素環基」との発明特定事項と「置換もしくは無置換の炭素数5~60のアリール基」との発明特定事項は,「又は」を介して並列的に記載された独立の事項であり,「アルケニル基もしくはアリールアミノ基が1置換した」との発明特定事項が「又は」の文言を超えて後の「アリール基」に係ることはないものと解すべきである。
このことは,甲1の請求の範囲の請求項2の「アルケニル基もしくはアリールアミノ基が1置換した炭素数2~60の複素環基」との発明特定事項と「アルケニル基もしくはアリールアミノ基が1置換した炭素数5~60のアリール基」との発明特定事項が並列的に記載されており,この構造と請求項1の文の構造が異なる理由はないこと,請求項2が上位概念である請求項1の発明をより限定した発明であることから,請求項1における「置換もしくは無置換の」が,請求項2における「アルケニル基もしくはアリールアミノ基が 1 置換した」の上位概念であって,より広い範囲を意味していることから明らかである。また,甲1の7頁(判決注・甲1を引用する際に付した頁は甲1の下部に記載されたものであり,以下も同様である。)下から2行ないし8頁3行の記載とも整合する。
さらに,甲1の開示事項を見ても,請求項1のB置換基のアリール基がアリールアミノ基又はアルケニル基で置換されることが必須であるとする理由はない。
すなわち,甲1は,アントラセン誘導体を非対称構造とし,置換基を単純なフェニル基やビフェニル基でないものとすることにより,結晶化という欠点を改善することを教示するものである。確かに,B置換基のアリール基がアルケニル基を有することが好ましいことが記載されてはいるが,非対称構造にするためにアルケニル基が必要なわけではないし,その他にアルケニル基が他の炭化水素基より好ましいことの根拠は示されていない。また,甲1は,B置換基をアリールアミノ基に置換した実施例を開示していない。
加えて,甲1に具体的に示された化合物のB置換基がアルケニル基又はアリールアミノ基で1置換されたものであるとしても,本件発明のような電気的性質に関する発明については,化学構造が類似していれば電気的性質を定めるπ電子共役系の状態も類似し,作用効果が類似することの予測性が相当に高いから,技術思想が現実に開示された具体例にしか認められないわけではない。
なお,甲1の2頁末尾には,「高ガラス転移温度であり,かつ非対称な分子構造を保有する化合物を有機EL素子の有機薄膜層の材料として用いることにより,前記の課題を解決することを見出し」との記載があり,非対称構造とすることだけでなく,高ガラス転移温度とすることも言及されているが,甲1発明はアルケニル基を必須とすることにより高ガラス転移温度としたものではない。
(2) 本件発明1と甲1発明1との対比
審決は,前記第2の3(2)イ(イ)のとおりの相違点1を認定した。
しかし,本件発明1の一般式(1)と甲1発明1の一般式(A)とを対比すると以下のとおりであって,両者は重複した範囲を有し,審決の相違点1の認定は誤っている。そして,重複する範囲において,本件発明1は甲1発明1の一般式(A)のB置換基を芳香族炭化水素環基に限定した発明であるから,甲1発明1に対して選択発明の関係にある。
ア 中央部分が「置換もしくは無置換のアントラセンディール基」であることは共通している。
本件発明1の一般式(1)のR1~R8置換基は選択肢により特定されているのに対して,甲1発明1の一般式(A)では単に「置換もしくは無置換の」と記載されている。しかし,本件発明1のR1~R8置換基の選択肢は非常に広範で,それらに特定したことの技術的意味について明細書には記載がない。したがって,本件発明1のR1~R8置換基は甲1発明1の「置換もしくは無置換の」の単なる限定にすぎない。
イ 本件発明1の一般式(1)のA1置換基として9種類の縮合芳香族炭化水素環基が択一的に記載されており,これにR9置換基及びAr1置換基として広範な芳香族炭化水素環基,アルキル基,シクロアルキル基が結合していてもよいとされている。それに対して,甲1発明1の一般式(A)のA置換基は一般式(1)~(11)から選択される基であり,「置換もしくは無置換の炭素数1~30のアルキル基」,又は「置換もしくは無置換のフェニル基」により置換されていてもよいものであるが,一般式(1)~(11)のうち,(4)~(6)は「置換もしくは無置換のナフチル基」である。したがって,本件発明1のA1置換基が1-ナフチル基又は2-ナフチル基である場合は,甲1発明1のA置換基が(4)~(6)の場合と一致している。
ウ 本件発明1の一般式(1)のA2置換基として9種類の縮合芳香族炭化水素環基が択一的に記載されており,これにR10置換基及びAr2置換基として広範な芳香族炭化水素環基,アルキル基,シクロアルキル基が結合していてもよいとされている。それに対して,前記(1)のとおり,甲1発明1の一般式(A)のB置換基の選択肢の一つは「置換もしくは無置換の炭素数5~60のアリール基」であり,甲1に記載されているとおりアリール基にはナフチル基やフェナンスリル基が含まれるから,本件発明1のA2置換基は甲1発明1のB置換基を限定したものとなっている。
(3) 進歩性判断の誤り
ア 審決は,前記第2の3(2)イ(イ)のとおりの相違点1が存在することを前提に,甲1に,9,10-ジ(2-ナフチル)アントラセン(比較例1)が結晶化しやすいという欠点があると記載されていることが,甲1発明1のB置換基を甲2の化合物59等のようにナフチル基にすることを阻害するから,本件発明1は甲1発明に対して進歩性を有する旨判断した。
イ しかし,前記(2)のとおり,審決の甲1発明1の認定は誤りであり,本件発明1は甲1発明1に対し選択発明の関係にある。
したがって,本件発明1が進歩性を有するためには,甲1発明1に対し顕著な作用効果を有する必要がある。
しかし,本件発明1は広範な一般式(1)で表される非対称アントラセン誘導体からなる有機エレクトロルミネッセンス素子用発光材料であるのに対して,本件訂正明細書にはわずか5個の実施例しか記載がなく,本件発明1全体の顕著な作用効果が示されているわけではない。また,本件訂正明細書記載の実施例の作用効果に着目しても,甲1の実施例と同等であって,作用効果の顕著性は認められない。
したがって,本件発明1は甲1発明1に対して進歩性を有するということはできない。
ウ 仮に,甲1の記載のみから本件発明1の進歩性を否定できないとしても,甲1発明1に加え甲2の記載及び周知技術を考慮すれば,本件発明1には進歩性はない。
すなわち,甲2には,本件発明1の発光材料に該当する化合物59が有機エレクトロルミネッセンス素子用正孔輸送材料として記載されている。そして,化合物59のようなアントラセン誘導体が正孔輸送材料であると同時に発光材料でもあることは周知であるから,化合物59を発光材料としても使用できることは容易に想到し得る。また,甲1には,対称型アントラセン誘導体よりも非対称型アントラセン誘導体の方が寿命が改善されることが記載されているから,甲1発明1の一般式(A)で表される化合物として化合物59を選択して発光材料に使用すれば寿命の改善された発光材料となることは当業者に自明である。
エ 仮に,審決の認定及び被告の主張のとおり,甲1発明1がアルケニル基又はアリールアミノ基を有する化合物に限られるとしても,甲1は,明細書に記載された具体例が,アルケニル基もしくはアリールアミノ基を有する化合物に限られているだけで,これらの基が存在しなければ発光材料にならないとも,甲1の基本思想である非対称アントラセン誘導体であることによる作用効果(特に結晶化の防止による寿命の改善)が得られなくなるとの記載も一切含まれていない。そして,甲2及び周知技術(甲3~5等)によれば,甲2の化合物59は発光材料として利用できることが知られ,化合物59は甲1の教示する非対称構造を有しているのであるから,結晶化の防止により甲1の比較例である対称型ジナフチルアントラセンよりも寿命の改善された(すなわち本件発明1と同等の作用効果を有する)発光材料となることが容易に想到される。
したがって,甲1発明1に係る審決の認定及び被告の主張を前提としても,本件発明1の進歩性は否定される。
なお,甲1には,比較例1が結晶化するのは対称性構造によることが記載されている上に,実施例に使用された化合物の中にはナフチル基を含むものもあるから,甲1が教示するのは,置換基としてナフチル基が不適当であることではなく,対称性構造が不適当であることである。
したがって,前記アの審決の阻害事由の認定には誤りがある。
2 取消事由2(甲2発明1に基づく進歩性の判断の誤り)
(1) 審決は,本件発明1の非対称型アントラセン誘導体を発光材料として使用した場合に,他の9位,10位芳香族置換アントラセン化合物を使用した場合に比較して,発光効率及び発光寿命の点で優れるであろうと当業者が認識できず,甲2発明1の正孔輸送材料を発光材料に転用することの動機付けがない旨判断した。
(2) しかし,甲2発明1の化合物の選択肢の一つである化合物59は,甲1の一般式(A)に含まれ,発光材料として好適な構造を有するものである。また,化合物59のように9位と10位に芳香族置換基を有するアントラセン誘導体が発光材料であることは周知であるし(甲3~5,10,11),正孔輸送材料と発光材料は作用メカニズムの点で共通点が多く,実際,同一の化合物が正孔輸送材料にも発光材料にも利用される例が知られていた(甲4,6~9)。
そうすると,甲2発明1の化合物の選択肢の一つである化合物59を発光材料に転用することは当業者にとって容易である。また,化合物59は非対称構造であるから,甲1の教示からみて,対象構造のアントラセンよりも結晶化しにくく寿命の点で改善されており,本件発明1の発光材料の作用効果を備えていることが予測される。さらに,本件訂正明細書と甲1とで共通する比較例を基準に比較すると,本件発明1の発光効率は,公知の非対称型アントラセン誘導体において既に実現されていたレベルであるといえる。
したがって,審決の判断は誤りである。
第4被告の反論
1 取消事由1(甲1発明1に基づく進歩性の判断の誤り)について
(1) 甲1発明1の認定及び相違点1の認定について
以下のとおり,甲1の明細書の記載を全体として見れば,請求項1のB置換基は「アルケニル基又はアリールアミノ基で1置換した」ことを必須とする「置換もしくは無置換の炭素数5~60のアリール基」と理解すべきであるから,審決の甲1発明1の認定に誤りはない。したがって,審決の相違点1の認定にも誤りはない。
ア 甲1の明細書の「発明を実施するための最良の形態」においては,「Bのアリール基としては,・・(中略)・・前記置換基を含み炭素数5~60のものである。」と記載されており,B置換基は,「前記置換基」を含むことが明記されている。そして,この記載の前には,B置換基について,「Bの置換基であるアルケニル基としては・・」,「Bの置換基であるアリールアミノ基は・・」と記載されており,アルケニル基等がB置換基であることが明示されている。
そうすると,上記の「前記置換基」とはアルケニル基等を指すことは明らかであるから,当業者は,B置換基は,アルケニル基等を含み炭素数5~60のアリール基である,すなわち,アルケニル基等が1置換していることが必須であると理解できる。
イ 甲1の明細書において,甲1発明1の具体例は24個挙げられているが,それらは全てアルケニル基等が1置換したアリール基又は複素環基である。また,甲1の明細書において,甲1発明1の実施例として記載されている化合物は8個あるが,それらも全てアルケニル基等が1置換したアリール基である。
このように,甲1の明細書の具体例及び実施例の記述において,B置換基は,アルケニル基等が1置換したアリール基についての開示があるだけであり,アルケニル基等が1置換していないアリール基又は複素環基はどこにも開示されていない。
そして,化学の分野において化合物の効果は実際に実験等をして確認してみなければわからないのが通常であるから,当業者は,甲1発明のB置換基はアルケニル基もしくはアリールアミノ基が1置換していることが必須であると理解するよりほかない。
ウ 甲1発明の課題は結晶化を防ぐ点にあるところ,この課題は,アントラセンディールに置換する基の一方が,単純なフェニル基(炭素数6のアリール基)やビフェニル基(フェニル基が1置換したフェニル基)である場合には解決できないことが記載されているから,B置換基には上記の基が含まれないと解するべきである。しかし,請求項1の「アルケニル基もしくはアリールアミノ基が1置換した」の部分が「置換もしくは無置換の炭素数5~60のアリール基」に係らず,「置換もしくは無置換の炭素数5~60のアリール基」は「アルケニル基もしくはアリールアミノ基が1置換した」ものに限られないと理解すると,アントラセンディールに置換する基の一方であるB置換基には,無置換のフェニル基(炭素数6のアリール基)及びビフェニル基(フェニル基に置換されたフェニル基,すなわち,フェニル基に置換された炭素数6のアリール基)を含むこととなり矛盾する。
また,甲1の明細書の「発明の開示」の記載から,当業者は,甲1発明1を含む甲1に記載された発明は,非対称の分子構造を保有する化合物の発明であると理解する。しかし,甲1の請求の範囲の請求項1における「B」置換基の記載につき,「アルケニル基もしくはアリールアミノ基が1置換した」の部分が「置換もしくは無置換の炭素数5~60のアリール基」に係らず,「置換もしくは無置換の炭素数5~60のアリール基」は「アルケニル基もしくはアリールアミノ基が1置換した」ものに限られないと理解した場合には,甲1発明1が「対称」の分子構造を保有する化合物も含むこととなるし,B置換基が無置換のナフチル基であり,さらに,A置換基も無置換のナフチル基(一般式(4)の置換基)であるときは,比較例1の対称型ジナフチルアントラセンが含まれることとなってしまう。
エ 甲1には,ガラス転移温度が高く,分子構造が非対称な化合物によって課題を解決した旨の記載があるところ,実施例においてガラス転移温度が高いことが示された化合物は,アルケニル基を含む点が共通している。
オ 甲1に係るPCT出願の優先権基礎出願である特願2002-114400号の審査において,出願当初の請求項1(甲1の請求項1と同一である。)について,発明の詳細な説明に具体的に記載された化合物に比して広範すぎるという趣旨の実施可能要件及びサポート要件違反の拒絶理由が通知され(乙2の2),B置換基の「アリール基」を,アルケニル基等が一置換したものに限定する手続補正(乙2の3)がされた後,特許査定されている(乙2の4)。この経緯は,甲1に接した当業者は,B置換基は発明の詳細な説明に記載されたアルケニル基又はアリールアミノ基が一置換したアリール基又は複素環基に限られ,その他の場合が製造可能であるとも同等の性質・機能を有しているとも理解しないことを示す。
カ 甲1発明は,発光輝度及び発光効率が高く,高温安定性に優れているのみならず,色純度が高く,青色系に発光する有機エレクトロルミネッセンス素子用発光材料の提供を目的とするものである。そして,本件特許の優先日当時,青色発光材料の青色の純度を向上させる置換基としてアルケニル基が研究開発されていた。したがって,当業者は,アルケニル基は青色発光材料の青色の純度を向上させる置換基として有望な置換基であるという技術常識を前提に,甲1発明1が上記目的を有することを踏まえて甲1の記載を理解するから,甲1の請求の範囲の請求項1のB置換基はアルケニル基を必須とすると理解する。このことは特開2008-94777号公報(乙5,4頁27行以下)の記載によっても裏付けられている。
キ 甲1の請求の範囲の請求項1を解釈した場合,そのB置換基は以下の①,②及び③を含むのに対して,請求項2は①及び③を含み,請求項2が請求項1の従属項であることと矛盾しない。
① アルケニル基もしくはアリールアミノ基が1置換した炭素数2~60の複素環基。
② アルケニル基もしくはアリールアミノ基が1置換した(さらに)置換の炭素数5~60のアリール基。
③ アルケニル基もしくはアリールアミノ基が1置換した(それ以外には)無置換の炭素数5~60のアリール基。
(2) 進歩性の判断について
ア 甲1発明1及び相違点1に関する審決の認定を前提とした場合
審決の甲1発明1及び相違点1の認定に誤りはなく,したがって,甲1発明1は本件発明1を包含する関係にはない。
そして,以下のとおり,甲1発明1から本件発明に想到することが容易であるとはいえない。
(ア) 甲1発明1では,アントラセンの10位置換基が式(1)~(11)のいずれか,9位置換基が「アルケニル基もしくはアリールアミノ基が1置換した炭素数2~60の複素環基又は置換もしくは無置換の炭素数5~60のアリール基」という特定の置換基の組合せにすることで課題を解決したのだから,当業者は別の置換基の組合せに変えようとはしない。
また,一般に,特定の置換基の組合せのうち一方を別の置換基に変えると物性も変わるという技術常識からみても,甲1発明1の化合物の置換基をあえて異なるものに変えようと動機付けられることはない。
(イ) 甲1発明1は,B置換基がアルケニル基等により1置換され,A置換基が所定の置換基から選択されることによる非対称という構造的特徴を有する発明である。そして,甲1発明1から出発して,本件発明1に至るためには,B置換基からアルケニル基等を取り除き,更に縮合多環芳香族基を選択する必要があるところ,甲1発明1から,アルケニル基等が取り除かれることで,対称性の化合物を含むこととなり,甲1発明1において重要とされる非対称性という構造的特徴が失われてしまうばかりか,その対称性化合物には甲1の比較例1で示された対称性の化合物C1まで含むこととなってしまう。そうすると,B置換基からアルケニル基等を取り除き,更に縮合多環芳香族基を選択することには,阻害要因がある。
(ウ) 甲1には,B置換基からアルケニル基等を取り除くことについても,更に縮合多環芳香族基を選択することについても,それらを示唆する記述は全くなく,むしろ前記(1)イのとおり,甲1の記載は,B置換基にアルケニル基等が必須であることを示している。
さらに,前記(1)オの甲1に係るPCT出願の優先権基礎出願である特願2002-114400号の出願経過及び前記(1)カの点に照らしても,当業者は甲1発明1がアルケニル基を必須とする発明であると理解する。
したがって,B置換基からアルケニル基等を取り除き,更に縮合多環芳香族基を選択することには,阻害要因がある。
イ 仮に甲1発明1が本件発明1を包含する関係にある場合
仮に甲1発明1が本件発明1を包含する関係にあるとしても,以下のとおり,本件発明1は進歩性を有する。
(ア) 甲1の記載のみからの容易不想到
a 原告は,甲1が,9位,10位に芳香族置換基を有するアントラセン誘導体において,非対称構造にすることにより,対称型ジナフチルアントラセンに比べ,発光特性に特に相違はないが,寿命の改善が得られることを確認し,教示しているなどと主張し(原告第3準備書面26頁3行以下),当業者が甲1のみから本件発明1の構成を容易に想到し得る旨主張する。
しかし,甲1に,分子構造を単純な非対称構造にすれば課題を解決できる,との教示はなく,むしろ,甲1(2頁14行目以下)には,非対称構造にしても,結晶化を防ぐことができないことがあることが明記されているし,甲1の比較例C2,C3においても,非対称構造であるが発光輝度が十分でないことが示されている。
また,前記(1)イのとおり,甲1に記載された具体例及び実施例のB置換基は全てアルケニル基等が1置換したアリール基であり,甲1にはアルケニル基等を必須としないアリール基をB置換基とする化合物の記載はない。
b 原告は,甲1の56頁の表1によれば,アントラセン誘導体は,結晶化の相違は別として,置換基の化学構造が相当程度異なっても,いずれも発光材料としての性質を有するといえ,結晶化を避けるように,非対称構造とすれば,(さらに,単純なフェニル基やビフェニリル基を避けるようにすれば),寿命の改善された優れた発光材料が得られるとの効果が得られることが分かる旨主張する。
しかし,甲1に記載された実施例においては,B置換基はアルケニル基が1置換したフェニル基で固定されており,A置換基がナフチル基(A1)やターフェニル基(A2,A3,A4)等に置き換えられている。そして,これらの実施例は,いずれも比較例に比べて高ガラス転移温度が実現されている。そうすると,当業者は,アルケニル基等が1置換したアリール基又は複素環基であるB置換基と明細書所定のA置換基の組み合わせという構造的特徴により,甲1発明1に含まれる化合物が比較例に比べて高ガラス転移温度を実現していると理解する。
したがって,甲1の表1も本件発明1の構成に想到する動機付けとはなりえない。
c 以上のとおり,当業者は,甲1発明1から本件発明1の構成に容易に想到するとはいえない。
(イ) 甲2等を斟酌した場合の容易不想到
a 原告は,甲1と甲2を見た当業者は,甲1の一般式(A)に該当する非対称アントラセン誘導体の1例として,非対称ジナフチルアントラセンの誘導体である化合物59の構造を具体的に認識する旨主張する。
しかし,仮に甲2の化合物59の構造が甲1の一般式(A)に包含されるとしても,甲1の明細書において,甲1発明1に含まれる化合物は,「アルケニル基もしくはアリールアミノ基が1置換した置換もしくは無置換の炭素数5~60のアリール基」を有する化合物(しかも,アントラセン骨格に直接結合する置換基がフェニル基であるもの)のみが開示されており,甲2の化合物59のようにアルケニル基等で置換されていない縮合芳香族基を有する化合物は甲1の明細書においては一切開示されていない。しかも,甲2には,化合物59のほかにも多数の非対称化合物が具体例として記載されているが,そのうち化合物59に着目する示唆はなく,化合物59に着目するというのは,本件発明を知った上での後知恵である。
b 原告は,有機EL素子の正孔輸送材料が一般に発光材料に転用できるかのように主張し,甲2の化合物59を発光材料に転用し得る旨主張する。
しかし,正孔輸送材料には正孔を輸送可能であることが求められるのに対し,発光材料には,正孔を輸送可能であることのみならず,電子を輸送可能であることも必要となり,加えて,強い蛍光性も必要であって,正孔輸送材料と発光材料とでは材料開発における着目点が異なる。
したがって,化合物59が正孔輸送材料として好適であるとしても,必ずしも有機EL素子の正孔輸送材料が発光材料に転用できるとはいえない。正孔輸送材料を発光材料として転用できるかどうかは,実際にその効果を確かめなければ分からないものである。
さらに,甲2に記載された実施例のうち,非対称型アントラセンである実施例15(化39)を用いた有機EL素子よりも対称型アントラセンである実施例11(化26)を用いた有機EL素子の方が,低電圧,高効率を奏している。そうすると,仮に,原告が主張するように,正孔輸送材料の役割と発光材料の役割の類似性が高いのであれば,甲2に接した当業者であれば,正孔輸送材料として優れている対称型アントラセンの方に着目するはずであるから,正孔輸送材料として劣る実験結果が出ている非対称型アントラセンの化合物59を発光材料として用いようとすることには阻害要因すら存在する。
(ウ) 顕著な効果の存在
さらに,本件発明1には甲1発明1に比して顕著な作用効果が存在する。
a 本件発明1の実施例1(AN7)は,甲1発明1の実施例1(A1)の比較実験において,発光効率 で17.6%の性能向上,90%寿命 において87.9%の長寿命化が認められている(甲21)。
このように,本件発明においては,アントラセンジール基の9,10位の置換基として特定の縮合芳香族環の組合せを選択した非対称アントラセン誘導体を用いることで,有機エレクトロルミネッセンス素子用発光材料として,優れた発光効率と長寿命の効果が得られる。当該構成と効果の関係は,甲1には示唆がなく,当業者にとって技術常識でもないので,当業者にとって予測可能な範囲を超えた顕著な効果である。
b 前記(イ)bのとおり,甲2に記載された実施例のうち,非対称型アントラセンである実施例15(化39)を用いた有機EL素子よりも,対称型アントラセンである実施例11(化26)を用いた有機EL素子の方が,低電圧,高効率を奏している。そうすると,甲2に接した当業者であれば,非対称型アントラセンの方が対称型アントラセンよりも性質は劣るだろうと想定すると考えられる。ところが,本件訂正明細書では,それとは逆の結果である非対称型アントラセンの高効率,長寿命が確認されている。
このように,甲2の明細書から想定される結果とは逆の結果である高効率,長寿命が確認されていることからすれば,本件発明1の実施例1が甲1発明1に比して,発光効率で17.6%の性能向上,90%寿命において87.9%の長寿命化が認められているのであれば,本件発明1には顕著な効果が認められると評価されるべきである。
c 原告は,自らの特許発明につき,従来技術から発光効率で約5.5%,電力効率で約3.7%性能が向上していることについて,「大きく向上した」と高評価を与えている(乙1,45頁【0184】)。
そうすると,本件発明1の実施例1において,甲1発明1の実施例1(A1)に比して,発光効率で17.6%の性能向上,90%寿命において87.9%の長寿命化が認められていることから,本件発明1には顕著な効果が認められると評価されるべきである。
d 本件発明1は,比較例である対称型ジナフチルアントラセンに比して,半減寿命については50%(実施例4)~123%(実施例5)の性能向上,発光効率は12.2%(実施例4)~21.1%(実施例1)の向上が認められている(甲24)。この点からしても,本件発明1には,顕著な効果が認められると評価されるべきである。
e 上位概念である特許発明の範囲が極めて広い場合(かつ解釈に疑義すらある)には,顕著な作用効果の要件を要求すれば,上位概念の発明者のみ広い特許を取得することになり,競業する他社の発明を防ぐことができることになってしまい,公正な競争を阻害し,産業の発展の支障となる結果となってしまうから,顕著な作用効果を要求する必要すらなく,下位概念の発明には新規性ないし進歩性が認められるべきである。
2 取消事由2(甲2発明1に基づく進歩性判断の誤り)について
(1) 前記1(2)イ(イ)bのとおり,一般に有機EL素子の正孔輸送材料が発光材料に転用できるとはいえないこと,甲2に接した当業者が,化合物59に着目する示唆はなく,むしろ,非対称型アントラセンである化合物59に着目するには阻害要因があるというべきであることに照らすと,甲2の記載のみから本件発明1の構成に容易に想到し得るとはいえない。
(2) 前記1(2)イ(ア)aのとおり,甲1が単に非対称構造とすることによって課題を解決した発明ではなく,むしろ甲1には非対称構造にしても,結晶化を防ぐことができないことがあることが明記されていること,前記1(2)イ(イ)bのとおり,甲2に接した当業者が化合物59に着目する示唆も動機付けもないこと,一般に有機EL素子の正孔輸送材料が発光材料に転用できるとはいえないことに照らすと,甲1を参酌しても,当業者は甲2の記載から本件発明1の構成を容易に想到し得ない。
原告は,甲1発明1の実施例の実験結果と本件発明1の実施例の実験結果を比較し,本件発明1の作用効果は,甲1発明1において既に実現されていたレベルであった旨主張するが,上記の比較自体,本件発明1を知った上での後知恵である。また,前記1(2)イ(ウ)aのとおりの本件発明1の作用効果に照らすと,本件発明1の作用効果が甲1発明1において既に実現されていたレベルであったともいえない。
第5当裁判所の判断
当裁判所は,原告主張の取消事由1は理由があるから,その余の点について判断するまでもなく,審決にはこれを取り消すべき違法があるものと判断する。その理由は,以下のとおりである。
1 甲1発明1の認定及び相違点1の認定について
(1) 甲1には以下の記載がある(甲1。なお付した頁数は甲1の下部に記載されたものである。)。
ア 「請求の範囲
1.下記一般式(A)で表される新規芳香族化合物。
A-Ar-B (A)
〔式中,Arは,置換もしくは無置換のアントラセンディール基である。Bは,アルケニル基もしくはアリールアミノ基が1置換した炭素数2~60の複素環基又は置換もしくは無置換の炭素数5~60のアリール基である。Aは,下記一般式(1)~(11)から選ばれる基であり,置換もしくは無置換の炭素数1~30のアルキル基,又は置換もしくは無置換のフェニル基により置換されていてもよい。但し,Bがアリールアミノ基で置換されている場合は,Aはアリールアミノ基で置換されたフェニル基ではない。
file_7.jpg(式中,Ar1~Ar3は,それぞれ独立に,置換もしくは無置換の炭素数6~30のアリール基,Ar4は置換もしくは無置換の炭素数6~30のアリーレン基,Ar5は置換もしくは無置換の炭素数6~30の3価の芳香族残基である。R1及びR2は,それぞれ独立に,水素原子,ハロゲン原子,ヒドロキシル基,置換もしくは無置換のアミノ基,ニトロ基,シアノ基,置換もしくは無置換の炭素数1~30のアルキル基,置換もしくは無置換の炭素数2~40のアルケニル基,置換もしくは無置換の炭素数5~40のシクロアルキル基,置換もしくは無置換の炭素数1~30のアルコキシ基,置換もしくは無置換の炭素数5~40の芳香族炭化水素基,置換もしくは無置換の炭素数2~40の芳香族複素環基,置換もしくは無置換の炭素数7~40のアラルキル基,置換もしくは無置換の炭素数6~40のアリールオキシ基,置換もしくは無置換の炭素数2~30のアルコシキカルボニル基,置換もしくは無置換の炭素数3~40のシリル基,又はカルボキシル基である。また,Ar1とAr2及びR1とR2は,それぞれ独立に,互いに結合し環状構造を形成してもよい。)〕
2.前記一般式(A)において,Bは,アルケニル基もしくはアリールアミノ基が1置換した炭素数2~60の複素環基又はアルケニル基もしくはアリールアミノ基が1置換した炭素数5~60のアリール基である請求項1に記載の新規芳香族化合物。」(59頁1行~61頁13行)
「5.有機エレクトロルミネッセンス素子用材料である請求項1~4のいずれかに記載の新規芳香族化合物。」(63頁16~17行)
イ 「従来のアントラセン誘導体は結晶化し薄膜が破壊される場合が多く改善が求められていた。例えば,米国特許0593571号明細書には,ジナフチルアントラセン化合物が開示されている。しかしこの化合物は左右及び上下の対称性の分子構造であるため,高温保存及び高温駆動において容易に配列し結晶化が生じる。また,特開2000-273056号公報に左右非対称のアリルアントラセン化合物が開示されているが,アントラセンジールに置換する基の一方が,単純なフェニル基やビフェニル基であり結晶化を防ぐことはできなかった。・・・本発明者らは,前記課題を解決するために鋭意検討した結果,高ガラス転移温度であり,かつ非対称な分子構造を保有する化合物を有機EL素子の有機薄膜層の材料として用いることにより,前記の課題を解決することを見出し本発明を解決するに至った。」(2頁10行~3頁1行)
「Bは,アルケニル基もしくはアリールアミノ基が1置換した炭素数2~60の複素環基又は置換もしくは無置換の炭素数5~60のアリール基であり,アルケニル基もしくはアリールアミノ基が1置換した炭素数2~60の複素環基またはアルケニル基もしくはアリールアミノ基が1置換した炭素数5~60のアリール基であると好ましい。」(7頁24行~8頁3行)
「Bの置換基であるアルケニル基としては,例えば,・・・等が挙げられる。
Bの置換基であるアリールアミノ基としては,例えば,・・・等が挙げられる。
Bの置換又は無置換の複素環基としては,例えば,・・・が挙げられ,前記置換基を含み炭素数2~60のものである。
Bのアリール基としては,例えば,・・・等が挙げられ,前記置換基を含み炭素数5~60のものである。」(8頁4行~11頁8行)
「本発明の一般式(A)・・・で表される新規芳香族化合物の具体例を以下に示すが,これら例示化合物に限定されるものではない。
file_8.jpgfile_9.jpgar cazy taay an (as 2 © a $° 6° ote 990 e@ oa Ee H Fi fo) ©) eon 4file_10.jpgaefile_11.jpg」(30頁25行~33頁)
「比較例1 実施例1において,化合物(A1)の代わりに・・・下記(C1)を用いた・・・
file_12.jpg・・・
比較例2 実施例1において,化合物(A1)の代わりに・・・下記(C2)を用いた・・・
file_13.jpg・・・
比較例3 実施例1において,化合物(A1)の代わりに・・・下記(C3)を用いた・・・
file_14.jpgfile_15.jpgRE | RMR RADE RAK LAMOT g | RT (v)_| (ed/n?)_| (eda) ce) 6. of176 [2.2 cl 108 6. 0/200 [2.3 cn 120 6. ofi61 [3.1 ca 122 PP 6 ol7so [2,0 [ # 14 6. 0/180 |2.8 We] 2 RMaT | (A10) [6. o[e50 [2 9 ¥ 128 Ke fs 6 of180 [3.1 ® 124 Eve 9 6. olz60 [2.2] # 156 | KG 10 6. 0[313 [3.1 i 152 HERB 6 ofi20 [2.1 Wek ND _ See 2 6 oj125 [21 | 5 Heed 3 6. 0/153 [2.5 i 109・・・表1に示したように,対称性の良いC1を用いた比較例1では,結晶化が生じ発光面に欠陥が生じ,発光色も青緑色であり青色の純度が優れていない。また,比較例2及び3における化合物C2及びC3は分子構造の左右が非対象であるが,結晶化が生じており,Tgが低いためであると考えられる。本発明の化合物は非対称でありかつTgが比較的高いため,高温保存試験の結果は良好であった。」(54頁14行~56頁9行)
(2) 審決の認定について
ア(ア) 審決は,甲1の請求の範囲の請求項1の「Bは,アルケニル基もしくはアリールアミノ基が1置換した炭素数2~60の複素環基又は置換もしくは無置換の炭素数5~60のアリール基である。」との発明特定事項は,「Bは,アルケニル基もしくはアリールアミノ基が1置換した炭素数2~60の複素環基又はアルケニル基もしくはアリールアミノ基が1置換した置換もしくは無置換の炭素数5~60のアリール基である」と理解するのが自然であると判断した。
(イ) しかし,前記(ア)の発明特定事項の文言の構造上,「アルケニル基もしくはアリールアミノ基が1置換した炭素数2~60の複素環基」の部分と「置換もしくは無置換の炭素数5~60のアリール基」との部分とは,「アルケニル基もしくはアリールアミノ基が1置換した」の部分の後に特に読点による区切りもなく,両部分が「又は」で並列的に記載されているものであって,「アルケニル基もしくはアリールアミノ基が1置換した」との部分が,「置換もしくは無置換の炭素数5~60のアリール基」の部分に係るものではないと見るのが自然である。
このことは,甲1の請求の範囲の請求項1の記載を引用し,請求項1の下位概念であって,請求項1の範囲を限定したものと解される請求項2の記載において,「前記一般式(A)において,Bは,アルケニル基もしくはアリールアミノ基が1置換した炭素数2~60の複素環基又はアルケニル基もしくはアリールアミノ基が1置換した炭素数5~60のアリール基である請求項1に記載の新規芳香族化合物」とされ,請求項1の記載と同様に,「アルケニル基もしくはアリールアミノ基が1置換した炭素数2~60の複素環基」の部分と「アルケニル基もしくはアリールアミノ基が1置換した炭素数5~60のアリール基」の部分とが「又は」で並列的に記載される構成とされているところ,「アルケニル基もしくはアリールアミノ基が1置換した」との部分が「又は」の前後において繰り返され,「アルケニル基もしくはアリールアミノ基が1置換した」の部分が「炭素数5~60のアリール基」の部分に係ることが明確にされていることの対比からも裏付けられる。
(ウ) さらに,審決が認定したように,「アルケニル基もしくはアリールアミノ基が1置換した置換もしくは無置換の炭素数5~60のアリール基である」と理解すべきであるとすると,「アルケニル基もしくはアリールアミノ基が1置換した」との部分と「無置換の」と部分が存在し,矛盾が生じるものと解される。仮に,矛盾がないように「アルケニル基もしくはアリールアミノ基が1置換した(さらに)置換もしくは(その余は)無置換の」などと解するとすると,その文言上,「アルケニル基もしくはアリールアミノ基が1置換した」との発明特定事項のみでは,アリール基の他の部分が置換しているか無置換であるかが限定されないため,これを限定する発明特定事項を付加したものと解するほかないが,そうであれば,重ねて「置換もしくは無置換の」との同内容の発明特定事項を加えることとなり不自然である。実際に,甲1の請求の範囲の請求項1の「アルケニル基もしくはアリールアミノ基が1置換した炭素数2~60の複素環基」の部分に関し,複素環基には「置換もしくは無置換の」との文言は付されていないにもかかわらず,甲1の明細書(8頁16行以下)の複素環基の例が記載された部分では,「Bの置換又は無置換の複素環基としては,例えば,・・・」とされており,請求項1の複素環基は,何らの文言が付されていないのにかかわらず,「置換又は無置換」,すなわち,置換しているか無置換であるかが限定されないものであることが前提の記載となっている。
(エ) 以上によれば,甲1の請求の範囲の請求項1の上記発明特定事項は,その記載上,「アルケニル基もしくはアリールアミノ基が1置換した炭素数2~60の複素環基」と「置換もしくは無置換の炭素数5~60のアリール基」との双方を含むものと理解できるものと認められる。
(オ) なお,前記(1)イのとおり,甲1の明細書においても,「Bは,アルケニル基もしくはアリールアミノ基が1置換した炭素数2~60の複素環基又は置換もしくは無置換の炭素数5~60のアリール基であり,アルケニル基もしくはアリールアミノ基が1置換した炭素数2~60の複素環基またはアルケニル基もしくはアリールアミノ基が1置換した炭素数5~60のアリール基であると好ましい。」(7頁24行~8頁3行)と記載され,上記(イ)ないし(エ)の解釈に沿う記載がなされている。
イ そして,甲1の明細書には,請求項1のアントラセン誘導体のうちの六つについて合成例が記載されている上,本件特許の優先日当時,相当複雑な置換基を有するアントラセン誘導体が各種合成されていたこと(甲2~5,10,11)にも照らすと,甲1の請求の範囲の請求項1に含まれるアントラセン誘導体は,いずれも,本件特許の優先日当時の当業者であれば合成することができたものであると認められる。
また,甲1の請求の範囲の請求項5には,請求項1の新規芳香族化合物が有機エレクトロルミネッセンス素子用に用いられることが記載され,さらに,明細書の実施例においても,上記化合物が発光層に用いられていることから,請求項1の新規芳香族化合物(アントラセン誘導体)は,発光効率,輝度,寿命,耐熱性,薄膜形成性などの性能の点において程度の差こそあれ,いずれも有機エレクトロルミネッセンス素子用発光材料として用いるものであることが理解できる。
ウ 以上によれば,本件発明1と対比すべきものとして甲1から認定されるべき発明は以下のとおりとなる(以下「甲1’発明1」という。)。
「下記一般式(A)で表される有機EL素子用発光材料。
A-Ar-B (A)
〔式中,Arは,置換もしくは無置換のアントラセンディール基である。Bは,アルケニル基もしくはアリールアミノ基が1置換した炭素数2~60の複素環基又は置換もしくは無置換の炭素数5~60のアリール基である。Aは,下記一般式(1)~(11)から選ばれる基であり,置換もしくは無置換の炭素数1~30のアルキル基,又は置換もしくは無置換のフェニル基により置換されていてもよい。但し,Bがアリールアミノ基で置換されている場合は,Aはアリールアミノ基で置換されたフェニル基ではない。
(判決注・(1)~(11)の式は前記(1)アのとおり。)
(式中,Ar1~Ar3は,それぞれ独立に,置換もしくは無置換の炭素数6~30のアリール基,Ar4は置換もしくは無置換の炭素数6~30のアリーレン基,Ar5は置換もしくは無置換の炭素数6~30の3価の芳香族残基である。R1及びR2は,それぞれ独立に,水素原子,ハロゲン原子,ヒドロキシル基,置換もしくは無置換のアミノ基,ニトロ基,シアノ基,置換もしくは無置換の炭素数1~30のアルキル基,置換もしくは無置換の炭素数2~40のアルケニル基,置換もしくは無置換の炭素数5~40のシクロアルキル基,置換もしくは無置換の炭素数1~30のアルコキシ基,置換もしくは無置換の炭素数5~40の芳香族炭化水素基,置換もしくは無置換の炭素数2~40の芳香族複素環基,置換もしくは無置換の炭素数7~40のアラルキル基,置換もしくは無置換の炭素数6~40のアリールオキシ基,置換もしくは無置換の炭素数2~30のアルコシキカルボニル基,置換もしくは無置換の炭素数3~40のシリル基,又はカルボキシル基である。また,Ar1とAr2及びR1とR2は,それぞれ独立に,互いに結合し環状構造を形成してもよい。)〕 」
エ そして,本件発明1と甲1’発明1との一応の相違点は,以下のとおりとなる。
「本件発明1では,甲1’発明1のB置換基に相当するA2基,Ar2基及びR10基が,A2基は核炭素数6~50の芳香族炭化水素環基で置換された1-ナフチル基,2-ナフチル基,1-フェナンスリル基,2-フェナンスリル基,3-フェナンスリル基,4-フェナンスリル基,9-フェナンスリル基,3-メチル-2-ナフチル基,4-メチル-1-ナフチル基から選ばれる縮合芳香族炭化水素環基であり,Ar2基は核炭素数6~50の芳香族炭化水素環基であり,R10基が水素原子,核炭素数6~50の芳香族炭化水素環基,炭素数1~50のアルキル基,炭素数3~50のシクロアルキル基であり,アルケニル基ではない上,中心のアントラセンの9位及び10位に,該アントラセン上に示すX-Y軸に対して対称型となる基が結合する場合はないのに対して,甲1’発明1のB置換基は,「置換もしくは無置換の炭素数5~60のアリール基」である点。」
オ 前記エ記載の本件発明1の一応の相違点に係る構成は,その文言上,甲1’発明1の「置換もしくは無置換の炭素数5~60のアリール基」に包含されるものを含むものであると認められる。
そして,本件特許の優先日当時,有機エレクトロルミネッセンス素子用発光材料としてアントラセン誘導体が広く用いられており,発光効率,輝度,寿命,耐熱性,薄膜形成性等を改良する目的で,用いるべき置換基の検討がなされていたことが認められるから(甲3~5,10,11),当業者において,甲1’発明1の置換基の選択肢の中から,本件発明1に係る構成を選択することも十分に可能であったものというべきであり,同構成が甲1’発明1の置換基として選択され得ないようなものとは認められない。
そうすると,前記エ記載の本件発明1の一応の相違点に係る構成は,甲1’発明1の「置換もしくは無置換の炭素数5~60のアリール基」に包含されるものを含むものであり,上記一応の相違点は,実質的な相違点ではないものというべきである。
以上によれば,審決の甲1発明1の認定には誤りがあり,この誤った甲1発明1の認定に基づいてなされた相違点1の認定にも誤りがある。
(3) 被告の主張について
ア 被告は,甲1の明細書の「Bのアリール基としては,・・・前記置換基を含み炭素数5~60のものである。」(11頁3~8行)との記載における「前記置換基」とはアルケニル基等を指すことは明らかであるから,当業者は,B置換基は,アルケニル基等を含み炭素数5~60のアリール基である,すなわち,アルケニル基等が1置換していることが必須であると理解できる旨主張する(前記第4の1(1)ア)。
しかし,そもそも,被告の指摘する部分は,甲1の明細書の「発明を実施するための最良の形態」の部分における甲1の請求の範囲の請求項1の発明のB置換基に関する記載であるから,B置換基の構成が上記部分に記載されたものに限定されるものと解することはできない。したがって,上記部分の記載を根拠として,被告の主張するように,B置換基につきアルケニル基等が1置換していることが必須であると直ちに理解できるものではない。しかも,上記部分に先立って,「発明を実施するための最良の形態」の部分の冒頭には,「Bは,アルケニル基もしくはアリールアミノ基が1置換した炭素数2~60の複素環基又は置換もしくは無置換の炭素数5~60のアリール基であり,アルケニル基もしくはアリールアミノ基が1置換した炭素数2~60の複素環基又はアルケニル基もしくはアリールアミノ基が1置換した炭素数5~60のアリール基であると好ましい。」(7頁24行~8頁3行)との記載があることに照らすと,「前記置換基」は,アルケニル基やアリールアミノ基に限らず,アリール基を「置換」するいずれの基をも意味すると理解することができる。
したがって,被告の上記主張は採用することができない。
また,被告は,被告の主張するように甲1の請求の範囲の請求項1を解釈した場合であっても,請求項2が請求項1の従属項であることと矛盾しない旨主張する(前記第4の1(1)キ)。
しかし前記(2)ア(イ)ないし(エ)において説示したところに照らし,被告の上記主張は採用することができない。
イ 被告は,①甲1の明細書において挙げられた甲1発明1の具体例及び実施例はいずれもアルケニル基等が1置換したアリール基又は複素環基である(前記第4の1(1)イ),②甲1発明の課題は結晶化を防ぐ点にあるところ,この課題は,アントラセンディールに置換する基の一方が,単純なフェニル基(炭素数6のアリール基)やビフェニル基(フェニル基が1置換したフェニル基)である場合には解決できないことが記載されているから,B置換基には上記の基が含まれないと解するべきであるところ,前記(2)ウの解釈を採るとこれと矛盾する,また,甲1に係る発明は,非対称の分子構造を保有する化合物の発明であると理解できるが,前記(2)ウの解釈を採ると,甲1発明1が「対称」の分子構造を保有する化合物も含むこととなるし,比較例1の対称型ジナフチルアントラセンが含まれることともなってしまう(同ウ),③甲1には,ガラス転移温度が高く,分子構造が非対称な化合物によって課題を解決した旨の記載があるところ,実施例においてガラス転移温度が高いことが示された化合物は,アルケニル基を含む点が共通している(同エ),④甲1に係るPCT出願の優先権基礎出願である特願2002-114400号の出願経過に照らすと,甲1に接した当業者は,B置換基は発明の詳細な説明に記載されたアルケニル基又はアリールアミノ基が一置換したアリール基又は複素環基に限られ,その他の場合が製造可能であるとも同等の性質・機能を有しているとも理解しないことを示す(同オ),⑤当業者は,アルケニル基は青色発光材料の青色の純度を向上させる置換基として有望な置換基であるという技術常識を前提に,甲1発明1が,色純度が高く,青色系に発光する有機エレクトロルミネッセンス素子用発光材料を提供する目的を有することを踏まえて甲1の記載を理解するから,甲1の請求項1のB置換基はアルケニル基を必須とすると理解する(同カ)などと主張し,甲1の記載内容から見て請求項1のB置換基の「アリール基」は「アルケニル基もしくはアリールアミノ基が1置換した」ことが必須であると理解されるべきである旨主張する。
しかし,公知文献から引用発明を認定するに当たっては,当業者が当該文献からいかなる発明を把握し得るかを検討すべきものであるが,本件における甲1のような公開公報に記載された出願当初の特許請求の範囲に広範な技術的事項を記載することは一般的に行われており,特に,甲1の請求項1のように,複数箇所の置換基をそれぞれ択一的に記載するような場合には,多種多様な選択肢組合せが含まれることになる(例えば,本件で提出された他の公報(甲2~7,10,12,乙1,5)においても同様である。)反面,明細書に具体的に開示された構成が限定されている例も多いことから,このような場合,当業者が,当然に当該文献に開示された技術的事項を具体的に開示された構成に限って解釈するものとは解されない。
しかも,通常,広範な特許請求の範囲に含まれる多種多様の化合物のうち,明細書に具体的に例示されるのは好ましい構成のものであると解され,実際に,甲1においても,明細書に「アルケニル基もしくはアリールアミノ基が1置換した炭素数5~60のアリール基であると好ましい。」(8頁2~3行)と記載されている。しかも,被告の主張する解釈を前提とすれば,甲1発明1がB置換基の「アリール基」は「アルケニル基もしくはアリールアミノ基が1置換した」ことが必須となるが,上記①,③及び⑤に挙げられたものはいずれもアルケニル基を含むものであって,アリールアミノ基を含むものについての記載はなく,また,上記③及び⑤の点をもって直ちに,アルケニル基を含まない限りその効果を有し得ないと理解できるものでもない。そうすると,甲1の具体例や実施例は好ましい例を示しているにすぎないと解するべきであり,上記①,③及び⑤の点をもって,甲1発明1がB置換基の「アリール基」は「アルケニル基もしくはアリールアミノ基が1置換した」ことが必須であると理解できるものとはいえない。
また,上記②の点についても,確かに,前記(2)ウの解釈を採用すると,アントラセンディールに置換する基の一方が,単純なフェニル基(炭素数6のアリール基)やビフェニル基(フェニル基が1置換したフェニル基)を含むこととなったり,比較例1の対称型ジナフチルアントラセンが含まれることとなったりすることとなり,甲1に記載された発明の課題と整合しない部分もある。
しかし,本件特許の優先日当時,既に,有機エレクトロルミネッセンス素子用発光材料として各種置換基を有するアントラセン誘導体が広く用いられており,発光効率,輝度,寿命,耐熱性,薄膜形成性などを改良する目的で導入する置換基の検討が進められていたことが認められること(甲3~5,10,11)を考慮すると,甲1の請求の範囲の請求項1のアントラセン誘導体は,発光効率,輝度,寿命,耐熱性,薄膜形成性などの性能の点において程度の差こそあれ,いずれも有機エレクトロルミネッセンス素子用発光材料として一応は使用できるものであると理解され得るものであると認められる。そうすると,当業者において,上記の態様を除いたものも同様に甲1の課題を解決できないものと理解するとまではいえず,上記②の点をもって直ちに,当業者において甲1発明1のB置換基の「アリール基」が「アルケニル基もしくはアリールアミノ基が1置換した」ものに限定されることが必須であると理解するとはいえない。
さらに,上記④の点についても,公知文献から把握される技術的事項が,必ずしも特許要件を満たすような構成に限られる必要はないことは明らかであり,このことは,例えば,特許法29条1項各号に掲げられた発明が特許された発明に限定されていないことからも裏付けられる。したがって,仮に,請求項や明細書の記載が,サポート要件や実施可能要件を欠くとして拒絶の理由が生じ得るものであったとしても,そのことにより,当該公開公報を技術文献として読んだ当業者が理解する技術的事項の範囲を,上記各要件を充足する範囲に限るべき理由はない。加えて,上記説示のとおり,審査を経る前の特許請求の範囲には広範な技術的事項が記載されることが一般的であることや,甲1の請求の範囲の請求項1に含まれるアントラセン誘導体は性能の点でばらつきはあっても有機エレクトロルミネッセンス素子用発光材料として使用可能と認められることにも照らすと,上記④の点をもって直ちに,当業者が,甲1発明1のB置換基が「アルケニル基又はアリールアミノ基が1置換したアリール基又は複素環基」に限られると理解する根拠となるものとはいえない。
以上によれば,被告の上記各主張はいずれも採用することができない。
2 特許性の有無について
(1) 顕著な効果について
ア 特許に係る発明が,先行の公知文献に記載された発明にその下位概念として包含されるときは,当該発明は,先行の公知となった文献に具体的に開示されておらず,かつ,先行の公知文献に記載された発明と比較して顕著な特有の効果,すなわち先行の公知文献に記載された発明によって奏される効果とは異質の効果,又は同質の効果であるが際立って優れた効果を奏する場合を除き,特許性を有しないものと解するべきである。
前記1の説示のとおり,本件発明1は甲1’発明1に包含されるものを含む関係にある。
イ 被告は,本件発明1の実施例1(AN7)は,甲1の実施例1(A1)の比較実験において,発光効率 で17.6%の性能向上,90%寿命において87.9%の長寿命化が認められているとして,本件発明1は甲1’発明1と比較して顕著な効果を有する旨主張しており(前記第4の1(2)イ(ウ)a),本件発明1は,甲1’発明1と比較して,同質の効果であるが際立って優れた効果を奏する旨主張するものと解される。
そして,被告電子材料部電子材料開発センターA作成の陳述書(甲21)には,これに沿う記載がある。また,上記陳述書には,本件訂正明細書の実施例5が,甲1の実施例1と比較して電流効率,90%寿命の点で優れている旨の記載もある。
そこで,以下,本件発明1が甲1’発明1と比較して顕著な特有の効果を有するか否かを検討する。
ウ(ア) 本件訂正明細書【0097】の表1(判決注・右に記載した表1)file_16.jpgE3 axmocen | OF smh L (casa) yn) ese ANT _/ DL 10.9 4.200 | sao 2 ane / 01 10.8 4,200 SAL aya tf DL 1.0 5,800 Eure ava 3/ DL 30.8 3,700 ee o1 2 aya a/ pL 10.0 3,000 EL ues ane / DL ao.t 6) ana 2/1 10.8, ELLES aun ty 02 10.3 1 anct / ot 9.0 2,200の記載によれば,実施例1及び実施例5は,いずれも他の実施例2,3及び4と比較して発光効率及び半減寿命ともに同等ないしは優れていることが認められる。
他方,甲1の各実施例における発光効率は前記1(1)イの表1とおりであるところ(寿命に関しては記載がない。),実施例2ないし4,6ないし8及び10は,いずれも実施例1よりも発光効率が高い。
そうすると,前記陳述書(甲21)に記載のない本件訂正明細書の他の実施例と,甲1の他の実施例の作用効果を比較した場合においても,本件訂正明細書に記載された実施例が発光効率の面において優れた効果を有するかどうかは判然としないというほかなく,むしろ上記陳述書に記載された例よりも発光効率に差がないことが推認される。また,上記陳述書に記載のない本件訂正明細書の他の実施例が,甲1の他の実施例と比して寿命の点に優れているのかどうかも判然としない。
(イ) さらに,本件訂正明細書【0097】の表1の実施例1~5は,更に広範な本件発明1のうちの互いに類似するごく一部の化合物の作用効果を示すにすぎない。すなわち,前記第2の2のとおり,本件発明1の一般式(1)においてA1には9つの選択肢があるが,実施例では2種類(2-ナフチル基,9-フェナンスリル基)の例が,A2には9つの選択肢があるが,実施例では2種類(1-ナフチル基,2-ナフチル基)の例が,Ar1には相当多数の選択肢があるが,実施例では1種類(水素原子)の例が,Ar2には相当多数の選択肢があるが,実施例では3種類(フェニル基,2-ナフチル基,2-ビフェニルイル基)の例が,R1~R10にはそれぞれ相当多数の選択肢があるが,実施例ではいずれも1種類(水素原子)の例が,それぞれ示されているにすぎない。
他方,上記の置換基の組合せによって発光材料として使用した場合の発光効率や寿命といった性質が異なることは技術常識である(甲3~5,10,11)。
そうすると,本件訂正明細書の実施例1ないし5の記載をもって,本件発明1の全体が同様な効果を有していると認めることもできない。
(ウ) 以上によれば,前記イの陳述書の記載をもって,本件発明1が甲1’発明1と比較して顕著な特有の効果を有するものと認めるには足りず,他にこれを認めるに足りる証拠はない。
したがって,本件発明1が甲1’発明1と比較して顕著な特有の効果を有するものとはいえない。
(2) 被告の主張について
ア 被告は,前記(1)イの陳述書(甲21)に記載された比較実験の結果を根拠に,本件発明1には顕著な効果があると評価されるべきことを種々主張する(前記第4の1(2)イ(ウ)aないしc)。
しかし,前記(1)において説示したところに照らし,上記主張はいずれも採用することができない。
イ 被告は,本件発明1に関し,本件訂正明細書記載の比較例である対称型ジナフチルアントラセンに比して,半減寿命及び発光効の点での性能の向上が存在することを根拠として,本件発明1には,顕著な効果が認められると評価されるべきである旨主張する(前記第4の1(2)イ(ウ)d)。
しかし,甲1’発明1と比較して顕著な特有の効果を有するものとはいえない以上,上記主張は採用することができない。
ウ 被告は,上位概念である特許発明の範囲が極めて広い場合(かつ解釈に疑義すらある)には,顕著な作用効果の要件を要求すれば,上位概念の発明者のみ広い特許を取得することになり,競業する他社の発明を防ぐことができることになってしまい,公正な競争を阻害し,産業の発展の支障となる結果となってしまうから,顕著な作用効果を要求する必要すらなく,下位概念の発明には新規性ないし進歩性が認められるべきである旨主張する(前記第4の1(2)イ(ウ)e)。
上記主張については,そもそも,「上位概念である特許発明の範囲が極めて広い場合」という不明確な基準で,顕著な特有の効果の要件の必要性の有無を判断すべきかについては疑問がある。その点をおくとしても,特許出願に係る発明が,先行の公知文献に記載された発明にその下位概念として包含される場合に特許性を認めるに当たり,当該発明が,先行の公知となった文献に具体的に開示されておらず,かつ,先行の公知文献に記載された発明と比較して顕著な特有の効果を有することが要件とされる趣旨は,下位概念となる当該発明は,既に公に開示されたものであって,産業の発達に対する新たな寄与をするものではなく,本来特許となり得ない発明ではあるが,上記の要件を充足する場合においては,発明を奨励し,産業の発達に寄与することを目的とする特許法の精神に合致するという点にあるものと解される。そうすると,上記の各要件は,下位概念となる発明に例外的に特許を付与するための必須の要件であるというべきである。
したがって,これに反する被告の上記主張は,採用することができない。
3 まとめ
以上によれば,本件発明1が甲1発明1等に基づいて当業者が容易に発明し得たものとはいえないとした審決の判断には誤りがある。
また,本件発明2ないし14についての審決の判断にも同様に誤りがある。
第6結論
よって,原告の請求は理由があるからこれを認容することとし,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 石井忠雄 裁判官 西理香 裁判官 神谷厚毅)